
コクーンのファンの谷学さんが、11月5日(土)にコンサートを企画してくれました。主催するのは初めてだそうです。高校生以下は無料なので、どうぞ、ご家族、お友達を誘って遊びに来てくださいね。
<11/5 小田原でのイベント開催への思い>
私はイベント主催者の谷 学と申します。まったくの個人である私が今回のイベント開催を決めた趣旨についてご説明申し上げます。
私が参加しているメルマガに「宮ぷーこころの架橋プロジェクト」というメルマガがあります。特別支援学校の教員である山元加津子さん(かっこちゃん)が脳幹出血で倒れた同僚の宮田俊也さん(宮ぷー)を看病する様子を日記に書いています。
その日記の一部をメルマガで公開されているのですが、メルマガ参加者からの投稿が紹介されるようになって、今ではとても愛にあふれたメルマガになっています。それはひとつのコミュニティのような、不思議なメルマガです。
私はそのメルマガで一人の少女と知り合いました。その子は小田原在住で、難病を患いながら、病気に負けずに毎日をがんばって生きています。私は彼女を応援したいと思っています。
私は、人間の心には愛のエネルギーが宿っていて、その愛のエネルギーを自覚することによって、人間として本来持っている力を発揮することができる、と考えています。この世は私たちが愛を実践し、学ぶための修行場のようなもの。私が愛であるなら、私は彼女に何ができるだろう、と考えました。そして思いついたのが、cocoonという主婦の二人組の音楽ユニットのCDをプレゼントすることでした。
cocoonの歌には人々を勇気づける愛のメッセージがつまっています。
たとえば、「チャンス」という歌には、
人間って、素晴らしい
捨てたもんじゃないよね
あなたの笑顔が光ってる
この瞬間が素晴らしい
という素敵なメッセージが歌われています。
私がプレゼントしたCDを彼女は気に入ってくれました。ピアノの楽譜を取り寄せて、練習を始めるほどでした。
そんな彼女の様子を見て、私は彼女に次なるプレゼントを思いつきました。それがcocoonのライブの開催だったのです。
現在、彼女は容態が思わしくなく、このイベントに参加できないかもしれません。それでも私がイベント開催に踏み切ったのは、このイベントに参加した人のこころに愛を届けられると思ったからです。
このイベントのテーマである「あなたがうれしいと、私もうれしい」は、かっこちゃんの言葉です。
自分の大切な誰かが幸せだと、自分もうれしくなる。そんな当たり前のことを思い出してほしくて、このイベントを開催します。趣旨に賛同される方は、是非ご家族やお知り合いをお誘いの上、ご参加いただきたくお願い申し上げます。
2011年10月 谷 学 拝
「あなたがうれしいと 私もうれしい ~愛と平和の祈りコンサート~」
2011年11月5日(土)
出演:cocoon(コクーン) CO906.(こころ)
※CO906.(こころ)は、コクーンの本田裕子さんの親子ユニットです。
開場:12:30
開演:13:00
13:00 - 14:00 愛と平和の祈りトークイベント
14:00 - 16:00 cocoon & CO906. コンサート
参加費:3,000円(高校生以下無料)
*当日、受付にてお支払い下さい。
お問い合わせ・予約申込
yokkurutani@gmail.com までメールでお申込み下さい。
(当日参加も受け付けます)
会場:小田原お堀端コンベンションホール
http://www.jumbo-nakbuilding.jp/
8月26~28日まで、あけみちゃんの三浦ワークに行って来た。
今回は、参加者の半数が男性で、それも経営者やリーダーが多かったせいか、ダイナミックな展開がおき、あけみちゃんの真骨頂が見られたと思う。(注)あけみちゃんこと岡部明美(カウンセラー・作家)は、同じSQライフのコラムニストであり、高校時代からの友人である。「人間ってすごいなあ」、「いのちって、すばらしい」と思っているうちに、これはワークというより、魂のアートなんじゃないだろうか・・・と思った。
しかも思いがけなく、初日と最終日の2度も個人セッションの家族ワークに加わる事になり、格別な思いがある。おかげで、自分の中に残っていた「切り離されていたパート」と統合できたと思った。そのほか、どなたのワークでも、便乗ワークと言うか、自分への問いかけが出来て、新たな気づきが生まれ、より解放されて行く感覚があった。
その体験が、相乗効果となって、より「Song of your Life」(ヴォイス・ワーク)が深まったような気がする。
今年になって、あけみちゃんが、「ゆりは、ヴォーカル以外にも何かできるような気がするんだけど。。。」と言ってくれたことがきっかけで、3月の三浦で突然生まれた「Song of your Life」(ヴォイス・ワーク)。
これが、やってみたらとっても楽しくて、気がついたら、6月の松山・中島ワーク、そして、今回の三浦ワークと3回やらせていただいた。
今回は、初日の夜と最終日だった。
ワーク3日目の早朝、みんなで日の出を見に行ったのだが、曇っていて見えない。そこで、「ヴォイス・ヒーリング」をやることになり、みんなで声を出しているうちに、あれあれ不思議~♪ 太陽が、顔を出してくれたのだ。
写真を撮る人、海で泳ぐ人、みんな輝いて見えた。あるひとりの女性を見ていたときだ。そのとき突然、歌が出て来た。その人の命の輝き、魂のエネルギーを感じて、歌とダンスと同時に生まれて来た。その流れに乗って、この朝、7人の「Song of your Life」(ヴォイス・ワーク)が生まれた。みんなと一緒に、歌ったり踊ったり、海辺でするワークはなんて楽しいんだろうと思った。海辺にいるだけで、開放感が溢れてくる。私たちは、太古の昔、海から生まれてきたから、こんなに幸せな気持ちになるのだろうかと思った。
あけみちゃんのリクエストで、「愛があふれて」を歌っているときだった。
「あ! イーグルだ! 神の使いと言われるイーグルだよ!」
その声に見上げると、頭上高くトンビかハヤブサだろうか? 猛禽類が旋回していた。私の目には、金色の光り(オーラ)に包まれて見えた。すると、その一羽をはさむように両側からも現れた。それが、やはり、金色の光りに包まれているのだ。
「こんなことは、三浦に来て初めてだね。(去年の秋、今年の春、夏と三浦ワークに来ている)神さまが、そのままで大丈夫だよって、祝福してくれているんだね。」私たちは、いつまでもイーグルを見上げていた。そして、イーグルへの感謝の歌とダンスを捧げていた。
あの朝の太陽も、忘れがたい。私には、太陽の下に紫色の丸いもの(太陽と同じ大きさ)がいくつも見えた。太陽が雲に隠れると、上と下に紫色の雲が見えた。
今回、紫色のT シャツを多めに持って行ったこと。同じ色のT シャツの方と一緒にワークをすることになったこと。紫色には、慈悲、慈愛の意味があるというが、すべてが、宇宙からのメッセージのように思える。
三浦で出会ってくれたみなさん、海、イーグル、太陽、ありがとう
素晴らしいワークに導いてくれたあけみちゃん、穏やかで居心地のいい場所をつくってくれたくにおちゃん&まゆみちゃん、お世話になりました。ありがとう
☆下記は、三浦ワークに参加された方の感想文の一部です。(初めての「Song of your Life」の感想、うれしかったです! ありがとう!)
★驚きの連続でした。すべては用意されていると思いました。私も生まれ変わることができました。海の洗礼。いまでも信じられないくらいです。この人生が夢だと自覚できた3日間でした。海で日の出を見て、浜でコクーンのボーカルのゆりちゃんがボイスワーク「Song of your Life」を一人ひとりにしてくれたのですが本当に素晴らしかったです。ゆりちゃんの声、大好きです。そして、あけみちゃんがよく言っているけれど、「無意識はすべてを知っている」ということが深く納得できた3日でした。どの人のワークも自分自身でした。今回、男性が多くてびっくりしましたが、おかげで男性への偏見がなくなりました。(東京・50代・女性)
★あけみちゃんの松山・中島ワークに2度参加させてもらい、あけみちゃんのワークを体験してほしいと思った経営者仲間がけっこういて、今回の三浦ワークに誘ってみたらかなりの人が参加してくれてよかったです。今回も涙をいっぱい流した。涙は人の心の澱を洗い流して、心をきれいにしてくれる。片海夫妻が一所けんめいサポートしている姿を感じられました。ゆりちゃんのボイスワークは、ひとりひとりの波動を感じて、ゆりちゃんが即興の歌をうたってくれるのだけれど、ゆりちゃんの才能を感じる素晴らしいワークだと思う。毎回、バラエティの富んだ即興の歌に感動しまくりです。(東京・30代・男性)
★素晴らしい気づきが沢山あり、本当に参加できてよかったーと心の底から思いました。今回も感謝、感謝です。あけみちゃん、素晴らしいワークと気づきをありがとうございます。くにおちゃん、まゆみちゃん、心のこもった主催をありがとうございます。ゆりちゃんのボイスワークは最高です。ゆりちゃんはやはり天才だ!って改めて思いました。
(東京・40代・女性)
★頭の中で予想していたことと、おおぜいの人たちが集まってできる場の中で感じることはしばしばとても違っていて驚きました。人としての、存在まるごとをかけたセッションの連続でした。自分ひとりで行なおうとすることよりも、誰かがしようとしていることに刺激されたほうがより楽しく、面白いことができる。コラボレートすることの意味の大きさ。くにおさん夫妻が主催されるあけみちゃんワークショップはあたたかく、こまやかで、手づくり感があります。
このワークショップでの体験や気づきを日常生活や創作のうえで、ゆるゆると生きていけるといいなあ。たぶんそうなると思います。ゆりちゃんのボイスワークもよかったです。ゆりちゃんの声はあたたかく、強くて、やさしい。その存在にさまざまな形で励まされました。ゆりちゃんのとらわれない、けれど、確かな眼差し、ことば。熟成された歌も「Song of your Lif」もしみわたりました。(東京・40代・女性)
★とにかく感動の3日間でした。ワークは涙、涙・・・夜も遅くまでよく語り合いました。朝から夜までのワークでかなり疲れたはずなのになぜかとても楽しかったです。母との葛藤をずっと抱えて生きてきましたが、あけみちゃんにワークしてもらったら、たいした問題じゃないと思えてきました。うまく乗り切るすべをひとつ得た気分です。あけみちゃんが、去年のワークの約束を覚えていてくれたのがうれしかったです。勇気づけていただいて、力づけていただいてありがとうございます。くにおちゃん、まゆみちゃん、お二人のあたたかさがあってこそのこの場だと思います。感謝しています。お部屋も海が見えて、とてもくつろげました。ゆりちゃんのボイスワーク「Song of your Life」は最高です。天使がキラキラ舞っているイメージと言ってくださいましたが、シャスタでの体験とかぶってうれしかったです(東京・50代・女性)
あけみちゃんは、今回の三浦ワーク「いのちの輝きは、天命・使命を生きる歓び」と同じテーマで、10月8日~11日(岡山3days)、11月4日~6日(名古屋3days)にもやるそうです。興味のある方はHPをご覧ください。
岡部明美公式ホ-ムページ:http://anatase.net/

7月2日の夜、9時20分にマネージャーのアメちゃんと裕子ちゃんが家まで迎えに来てくれた。すでに車内は、支援物資に楽器や音響機材でいっぱいだ。
運転席にアメちゃん、助手席に裕子ちゃん、その後ろに私が乗り、そのまた後ろに明美ちゃんが乗る予定だ。10時に代々木へ迎えに行くと、明美ちゃんが手を振って待っていた。アメちゃんは昼間、社会福祉協議会の所長さんだ。仕事を終えて今度は東北へと夜通し車を運転する。(私たち女性は三人とも運転ができないので、本当に申し訳ない)
(注)明美ちゃんこと岡部明美(カウンセラー・作家)は、同じSQライフのコラムニストであり、高校時代からの友人である。
途中で何回か休憩するのだが、車内は手足を伸ばせないくらい狭い。体を伸ばして眠れる事はなんと有り難い事なのだろうと、今更ながらに思った。きっと、みんなほとんど眠れなかったと思う。運転するアメちゃんは、一番大変だ。
朝6時過ぎに、途中のコンビニによってサンドイッチやコーヒーを買った。コンビニの壁には、手書きで「ボランティアのみなさん、ありがとうございます。ご支援をありがとうございます。つながってくれてありがとう!」と書いた張り紙があった。
そうして、朝7時半には陸前高田の港近くを走っていた。山側には家があるのだが、海側には、・・・何にもない。本当に何もない。これ以上はつぶれないくらいにグシャグシャにつぶれた車が並んでいる。または、山積みになっている。折れた電柱が転がっている。屋根だけ埋もれている。
そのうち、何棟も並ぶ団地の横を通った。見上げると、6階建てはあろうかという高さの団地。最上階以外は、真っ黒な穴のように空いている。所々にカーテンだったであろう布が巻きついて風にたなびいていた。あの高さまで津波が来たのかと思うと、からだが凍りついた。
そのうち、気になる樹木が見えてきた。まさに生木を裂かれたという痛々しい姿。本当だったら今頃は青々とした葉っぱを茂らせていただろうに…と思っていたら、アメちゃんが車を止めた。「ここは駅だったんじゃないかな? 線路が見える」という。
見に行くと、赤く錆びた線路が埋まっている。途中で切れているようだ。駅舎があったはずの建物は跡形も無く消えて、コンクリートの基礎だけが残ってた。(ここはトイレ? そして、ここは待合室?)
きっと、あの木は、駅に行き来する人たちに豊かな葉影を作っていただろうに。

廻りを見渡すと、コンクリートの建物だけが、ぽつんぽつんと立っていて、巨大な墓石のようだ。これが、廃墟というものか。灰色の世界、色のない世界。驚きで涙も出ない。胸が苦しくなって、息が詰まってきた。
そのなかで、デパートの青い看板「MAIYA」だけが目立っていた。外階段を上ってこの屋上に逃げた人だけが助かったのだと後で知った。
私は、「この後、避難所で歌うんだから気をしっかり保たなきゃ!」と、ショックを振り払うようにして車に戻った。
陸前高田第一中学校に着いたのは8時。山の高台にあった。玄関の両脇には、大型洗濯機と乾燥機が2台ずつ置いてあり、横の物干し台には、赤ちゃんのよだれかけと抱っこベルトが干してあった。
きれいな白髪のご夫人が出迎えながら、「遠いところからよく来てくれたな」とねぎらってくれた。「多い時には1200人もいたんだが、みんな仮設に移ってしまって、ずいぶん少なくなったよ」
体育館の中は、段ボール紙の仕切りで囲まれたスペースが所狭しと並び、横になって休んでいる人、お茶を飲んでいる人も見受けられる。舞台の両脇には、52インチのテレビが2台、ずっとついていた。私たちは、みなさんの邪魔にならないようそっと機材を舞台に運んだ。
11時に、枇杷灸の優子ちゃんがお弁当を持って来てくれた。(あけみちゃんワークの岩手の主催者さんだ。会場や宿の手配などずいぶんお世話になった)
そして、7月1日に演奏を体験させていただいたクリスタルボールの伊藤真奈&ひろ夫妻も到着した。いよいよ初めてのコラボが始まる。
午後1時、あけみちゃんが生まれ故郷の岩手や新日鉄釜石で働いていた父のことを話し、「存在」を朗読した。そのあと、コクーンの「存在」の歌で始まり、「おばあちゃんの子守り歌」「ごめんね」と続き、「傷だらけのエンジェル」を歌った時だった。
どこからともなく一羽のツバメが啼きながら入って来て、私たちの頭上高く8の字に旋回した。「もしかしたら、裕子ちゃんの息子のひかるちゃん?」いつのまにか消えてしまったが、巣がどこにも見当たらなかった。このとき、裕子ちゃんも、あけみちゃん、真奈ちゃんも、同じ事を思ったのだと言う。あけみちゃんが、「ひかるちゃんが、みんなを引き連れて来てくれたね」と言った。きっと311に幼くして亡くなった子供たちの魂も一緒だったのかな。
舞台から見ると、段ボールの隙間から、正座して聴いているおばあちゃん、横になって聴いている男性、ヨチヨチ歩きのお孫さんを抱っこしているおじいちゃんが見えた。そばには、赤いバイク型の三輪車があった。
コクーンの次は、クリスタルボールの伊藤真奈&ひろ夫妻の登場だ。私はそっと舞台を離れて、段ボールの横のスペースに座った。お二人の演奏は、うっとりと気持ちよく、天上の音楽に包まれるようだった。旅の疲れもほぐれて溶けていくようだ。前回聴いた時とはまた違う。全てのものの浄化を祈るような祝福の響きだった。
舞台の前には、コクーンのアルバムと『ゆめたまご詩歌集』、明美ちゃんの『もどっておいで、私の元気』『私に帰る旅』、松山のかずちゃんから送られた基礎化粧品セットなどが並べられ、みなさんが喜んでもらってくださった。
「妹の分もいいかな?」「近所のお友達にもいい?」と、みなさん優しい方ばかりだ。裕子ちゃんが、「おじいちゃんがそっと手を伸ばして、娘にいいですか?と言ったの~」と嬉しそうに教えてくれた。
アルバムや詩歌集にサインをしていると、みなさんがぽつぽつと話してくださった。
「震災の後は、生きるのに精一杯で音楽を聴く余裕がなかった…。このごろだよ。ようやく聴けるようになってきたのは」
「50年かけてきたものが、いっぺんに何もかも無くなった。仙台に住む息子や孫が来いというけれど、私はここを離れたくないんだ。」
「こないだ友達に、『ご主人は元気?』と聞いたら『津波で…』と言われて。この辺の人は怖くて家族の事を聞けないんだよ。」
「何十年も一緒に側に住んでいた仲良しが、仮設に移ってばらばらになっちゃうの。神戸の体験で、仲良し同士が一緒に仮設に住めると思っていたのに、全然違ってたんだよ。もう、どうしたらいいんだか…。寂しくて寂しくてね。これからは、年に一回会えるかどうかだね」
優子ちゃんも教えてくれた。
「伯父の一家は、津波で5人全員さらわれたんです」
「消防団の人が、家族に『ここは大丈夫だから、ここを離れるなよ』と言って仕事から戻って来たら、家族全員が津波にさらわれていたんです」
中でも、胸が痛くなったのは孝行息子さんの話だ。足の不自由な母親を背負って高台に逃げようとしていたら、水が1メートルくらいに迫って、すぐ後ろまで津波が来た。その時に、母親が息子を前に突き飛ばして助け、自分は津波にのまれていったという。このような話が、たくさんあるという。
帰る頃に、クリスタルボールの真奈さんが、「今日は、からだの無い方達がいっぱい入らしてくださって、満員でしたね。今日は、鎮魂のコンサートになりましたね」
鎮魂のコンサート…。今回の東北ツアーは、本当にその為だったのかもしれない。
外が賑やかになって来たので見に行くと、「チャグチャグ馬コ」の方たちが! まばゆいばかりの錦の馬具で着飾った馬たちが、可愛い子供を乗せて行進していた。避難所の老若男女のうれしそうな笑顔がそれを囲む。その光景に、希望の光を見るようだった。

※チャグチャグ馬コ(ちゃぐちゃぐうまっこ):岩手県岩手郡滝沢村と盛岡市において毎年6月の第二土曜日に実施される祭り。チャグチャグ馬コの鈴の音は、1996年に環境省(当時は環境庁)の「残したい日本の音風景」に選出された。
水月悠里加
ずっと編集者をしていた私が、コクーンの音楽活動を始めてからこの7月で10年になる。おかげ様で一昨年は「誰も知らない泣ける歌」に出して頂き、昨年はビクターからメジャーデビューをさせていただき、「ちぃちゃんの歌~cocoonベスト~」というアルバムが発売された。
私が編集者の道から、ヴォーカリストとして音楽の道を歩むことを心から応援してくれた二人の友人がいる。
奇しくも、同じ8月2日生まれのKさんと明美。
Kさんは、私が編集の仕事をしていた時代の仲間。明美は、高1からの友人でこのSQライフのコラムニスト岡部明美である。
二人の共通点は誕生日だけではなかった。編集の仕事を続けていくか、音楽の道に進むか迷っていた私に、「好きな歌を歌いなよ!」と、私の背中を押してくれたこと。そして、二人とも働き盛りの30代、40代で生死に関わる病気になったこと。Kさんは乳がん、明美は脳腫瘍と水頭症。Kさんはガンが転移して亡くなり、明美は死の淵から生還してもう19年になる。
何が二人の生死を分けたのだろう。運命だったのだとしても、なぜ? あれから、ときどき考える。気になるのは、Kさんが初めて病名を知ったとき、「何だか、ホッとしたの・・・」と言った事。そのくせ、手術後に再発して骨に転移した頃には、「こんなに痛いんだったら、この病気にならなければ良かったな。もう、後悔しても遅いわね」などと人ごとのように微笑むのだ。振り返って見ると、どこか「ここ」にいて、「ここ」にいないような、不思議な雰囲気の人だった。
Kさんが家族を連れて函館に帰ってからも、友だちが順番にお見舞いに行った。彼女があまり苦しまないよう痛がらないよう毎日神さまに祈った。そうこうするうちに、友だちや仲間の祈りも虚しく13年前の1月、Kさんは、三人の子供とご主人を残して旅立っていった。まだ、40代の若さだった。
あのとき小1だった私の息子も、今は美容師の専門学校に通っている。初めて赤ん坊だった息子を抱いてくれたとき、「あら、肌合いが合うわね~♪」などと、普通は言わないようなセリフを言った彼女。「Kさんらしいなあ~~!」と、みんなで笑ったっけ。いまごろ、天国でどうしているんだろう。
エネルギッシュで休む事も惜しんで働き尽くめだった。徹夜で編集をした翌日、仮眠しなよと言っても、「コーヒーを買いに行ってくる」と外に出かけて行き、自分に休む事を許さなかった彼女だ。それでいて、どこか退廃的な空気を見にまとっていて、それが独特の色っぽい雰囲気をゆらめかせていたように思う。
何が生死を分けたのだろう。こんなことは比べてはイケナイ事だと百も承知の上で、あえて書こう。こんな気持ちになったのも、今夜の教育テレビで上田紀行先生が「日本中のどこかで、1日に100人近い人たちが自殺しているんです」と言っていたからだろうか。明美が、脳腫瘍の大手術の跡、医者から「あとは、あなた次第です」と言われ、「生まれたばかりの息子を残して死んでなるものか」と必死になっていた事とは反対に、Kさんはどこかで「死」を待っていたような気がするのだ。「何だか、ホッとしたの・・・」の言葉の奥には、「もうこれで、人生から降りても、体から出て行ってもいいのね」という思いが隠れていたように思う。
こんな事を書きながらも、私だって「あとどれくらい、この人生を生きなきゃなんないんだろう・・・」と、思った事くらいある。昨年逝ったキヨシローや今年亡くなった浅川マキの事を、「もう、卒業したんだね。」「いい時期に逝ったのかも」と思う事だってある。こんな気持ちを、一度も持った事がない人なんて、おそらくいないように思うのだが・・・。それでも、子供や夫、両親、友だちや仲間の顔を思い浮かべると、「ヤバい」って思って、一瞬にして打ち消してしまうのだ。
もう、2歳年上だった彼女の年齢をとっくに超えた私だが、もしKさんが生きていたら、今どんなになっていただろう。どんな話しをしているだろう・・・と、無性に懐かしくなる事がある。けっこう、あちらの世界ではモテモテで、アバンチュール(死語?)を楽しんでいるんだろうか。それとも、彼女が亡くなってから2年後に旅立ったご主人とあの世で再会して、子どもたちの様子を仲良く覗いているのだろうか。
そんなことを思ってからしばらくして、探し物をしていた時だった。明美がインタビューされている雑誌のコピーが出て来た。1998年の『致知』10月号だ。
懐かしくなって読んでいると、「闘病中は自分のみに起きた事が偶然の不幸としか思えませんでした。けれど、痛みと苦しみと死の恐怖にさらされながら、心の奥深いところで、ほっとしている自分がいることを感じていました」
その後で、「そのときは、何でほっとしているのかわかりませんでした。~(中略)その疑問が、今思えば私の心の旅の始まりでした」・・・とあった。
明美も、ほっとしていた・・・ということに、私は驚いた。奇しくも、Kさんも明美も死に直面する病気のさなかに、心の深いところでほっとしている自分を感じていたというのだ。なぜ? どうして? それってどういう意味?
二人の同じ言葉に出会って、私の中に人が生きること、死ぬこと、病気になることへの大きな問いがわいてきた・・・。
(つづく)
コクーンのホームページ
http://www.yy-cocoon.com/
<コンサートのお知らせ>
6/20(日) 有楽町マリオンそばで無料コンサートがあります。
コクーンの出演は、16:00~ 17:00~の2回の予定です。
ぜひ、いらしてくださいね!
2010年6月20日(日)10:00~18:30
『医療が変わる。リウマチが変わる。』
東京都 有楽町マリオン・イベントスペース
所在地:東京都千代田区有楽町2-5-1
アクセス方法:JR有楽町駅 銀座口 徒歩1分 地下鉄銀座駅 A0出口
入場無料
●出演●
(1)安田奈央 12:00~ 14:00~
早くに父を亡くした淋しさを経験から「生きる」ことを問い続ける、今後活躍が
期待されるデビュー前の新人ミュージシャン
(2)松田陽子 13:00~ 15:00~
ボランティア団体『self』の代表を務め、『この世に無駄な生命は一つもない』
というメッセージのもと活躍中
(3)コクーン 16:00~ 17:00~
水月悠里加(Vo)
本田裕子(Key)
●主催●
中外製薬株式会社
●協力●
社団法人 日本リウマチ友の会
コクーンのボーカルになってから8年目になる。
コクーンは女性二人のユニットで、相棒の裕子ちゃんは、キーボード・アレンジだ。歌はすべてオリジナルで、一緒に作ったり、それぞれが作ったり。
子供の小学校のPTAで出会ったことをきっかけに結成したから、新聞には「PTAバンド」とか「ママさんユニットと紹介された事もある。
考えてみると、一度も音楽活動をしようと言った事がない、「できちゃった結婚」みたいな「できちゃったバンド」なのだ。
去年は初めて全国ツアーに行き、北海道から九州まで全国を回って来た。今年も、熊本県や徳島、愛媛、広島、福島、静岡など、いろいろな所へ呼んでいただいた。
全国ツアーなどというと聞こえが良いが、これにしたって全国のいろいろ呼ばれている所を繋げて行ったら、「あ~らら!全国になっちゃってた~!」の「できちゃってたツアー」なのだ。
だから、移動の仕方も南下も北上もなく、北海道→薩摩(気温差20度)→青森→徳島・・・などという、南北南北のとんでもない動き方をしてしまったりする。(体力勝負ですわ)
ずっと編集者だった私が、なぜ、こうなったのかは今でも不思議に思う。
確かに、歌の大好きな家に生まれ、朝から晩までおばあちゃんか、父か、叔父、叔母が歌っているような家に育った。歌謡曲もジャズもアメリカのポップスも部屋の中で流れていた。
けれども、子供の頃から歌手になろうと思った事はなかった・・・。
歌手=芸能界と思っていたし、世界が違うと思っていた。何より、大好きだからこそ歌を仕事にしてはイケナイと思い込んでいた。
そんな私の子供の頃からの夢は、漫画家や、小説家。映画監督、編集者・・・。結局、学校を卒業した私は雑誌の編集者になって忙しい日々を送るようになった。
特に、PR誌の責任者だった頃は、すべてが仕事中心で一生独身でいるような生活だった。それでも満足していたつもりだった。企画を考えたり、取材をする事が好きだったし、いろいろな世界の人に会って話を聞くのがおもしろかった。いつも鞄の中に企画ノートを入れてはメモする生活、盆暮れの休みもなく、締め切りに追われるような生活。そして、しょっちゅうストレス性の病気を患っては大学病院で検査をしていたので、親にはいつも仕事を止めてほしいと言われていた。
結婚して男の子を産んでからも、仕事は変わらなかった、ただ、フリーの編集者になったというだけで。
そんな頃、高校時代の友達から電話が来た。
「どうしたの? 疲れているみたいだね。」
さすが、明美だ。声ですべてわかってしまう。
「う~ん。三日間、完徹(完全徹夜)してるんだよ」
明美の様子がおかしい・・・。なんだか泣いているみたいだ。
「なんで、なんでユリがそんなに仕事しなきゃならないんだよ! ユリにはもっと、もっと違う仕事があるはずだよ。ユリしかできない仕事が・・・」
「仕方ないよ。上からの指示で差し替え原稿になっちゃったからね。仕事の締め切りなんだもの。」
明美は泣いて抗議するように、
「違う、違う。ユリには歌があるじゃない。私は、歌っている時のユリが一番好きなんだよ!」
「歌では、食べて行けないよ・・・」
気がつくと、自分も泣いていた。何の涙かわからないまま。
それから、ずっとその言葉が気になっていた。確かに、阪神大震災があったときにも、「このまま死にたくはないな。なんか、“大きな忘れ物”を残しているみたいだ」と思った事があった。でも、その“大きな忘れ物”を残しているみたいな奇妙な気持ちは、そのずっと以前から、続いていたように感じた。
編集者になってからずっと。
その気持ちは、どんなに編集の仕事で頑張った時も、完成した雑誌を手に取って喜んだ時も、いつも、背中から覗くようにそっと私を見ていたように思う。
そんな頃、いっしょに雑誌の編集の仕事をしていた友人が乳がんになってしまった。1回目のの手術をし、復帰していた彼女が、片方の胸にも癌を発見したのは2年後だったろうか?
再発した時は、もうかなり進んでいた。東京都内にホスピスを探したが、どこも待っている状態。仕方なく、残りの仕事を全部私に託して彼女は函館に帰る事になった。子供三人と夫の5人で函館の実家に帰るという。
8月に実家に見舞いに行ったとき、すでに首にも腫瘍が移転していた彼女は、首を覆うようにギブスをはめていた。ときどき、苦しそうになるが、決してその顔を見せまいと横を向く。
私に出来る事は、背中をさする事ぐらいだった。帰り際、意を決して、「歌をやりたいと思っているんだけどね・・・」小さい声で告白したら、思いのほか大きな声で、「いいじゃない!おやりなさいよ。思いっきりやればいいよ!」と、背中を推してくれた。不思議な事に、いま気づいたが明美も彼女も8月2日生まれだった。(つづく)
携帯でもSQ Lifeメッセンジャー・ブログが閲覧できます。
http://blog.sq-life.jp/m/
