
皆様お久しぶりです。忙しさにかまけて随分とさぼってしまいました。
今回は、生まれてはじめてのエッセーを書かせて頂きます。第一回で予告しましたように、このブログの題をなぜブルース・リーの「ドラゴンへの道」からとったかはお読み頂けますとおわかり頂けると思います。ではどうぞ…
「“Don’t think! Feel!”…あなたはこの言葉を御存知だろうか?もし御存知なら、おそらく私と同世代(筆者は現在45歳)の男性か、かなりの格闘技マニアであろう。これはクンフー映画の草分け「燃えよドラゴン」の冒頭で、主演のブルース・リーが自分の弟子にクンフーを教えるワンシーンでの名セリフである。
そのシーンでブルース・リーは、弟子に命じて何度か自分を蹴らせたあと「どんな感じがしたか?」と尋ねる。弟子が頭をかしげて考えようとすると、その頭をこづきながら上記のセリフを言い放つ。次に弟子が放った蹴りをみて「そう、それだ!」と声をかけると、弟子も何かをつかんだ表情を見せる。最後に、その指導風景をイギリス人の諜報部員が感心した様子で見ている姿が大映しになったところで、あのチャーンチャチャーンという独特のテーマ音楽と怪鳥音とともに映画が始まるのである。
当時小学生であった私は、このシーンを見た時に、正直ブルース・リーのセリフの意味がさっぱり理解できなかった。けれども、からだの内部から湧き上がるような強い衝動を感じて、いっぺんに彼の魅力の虜になってしまった。
ブルース・リーはおそらく、自分の半生においてもっとも大きな影響力をもった人物の一人であろう。生来運動音痴で、身体性や男性性に劣等感の強かった私にとって、彼は理想的な男性像であった。また、それ以上に彼が自分と同じ東洋人であったことに大いに惹かれた。
「燃えよドラゴン」が日本で初公開された時、すでに故人であったという神秘性もあいまって、彼は瞬く間に伝説的スターとなった。さらに彼自身が本物の武道家であったことから、単なる映画スターの枠を越えて、今や世界中に広がっている格闘技ブームの火付け役ともなった。実際、現在K1で活躍する選手達の多くも、彼の映画が格闘技を始めるきっかけになったと語っている。
日本で映画が公開されるより前から彼は、香港や東南アジアなど同じ東洋人だけではなく、欧米白人が優位である社会構造の中で圧迫感を感じていた第三世界の黒人、ヒスパニック系、イスラム系など多くのマイノリティ達のヒーローとなっていた。ハリウッド作品である「燃えよドラゴン」以外の香港で製作された3本の主演作すべてに、「外国人に疎外されている中国人達の誇りを取り戻すために闘う」というテーマがあるのも偶然ではなかろう。
ブルース・リー以前のアクション映画と言えば、007のようにガタイの大きな白人が、銃やメカニックを駆使して闘うといったヒーローが主流であった。ところが、自分達と同じ有色人種で体も小柄なブルース・リーが、鍛えられた肉体と技で次々に巨大な外国人どもを圧倒していく姿に、マイノリティ達は大喝采を送った。しかも彼はただ強いだけではなく、要所要所で東洋哲学に裏打ちされたセリフを吐くことで、身体性のみならず精神性の高さも示してみせた。
以上のように、アクション映画という極めて西洋的なメディアから世界の前に現れたが、東洋的要素こそが彼の大きな魅力になっていた。映画が初公開された1970年代初頭の米国はヒューマンポテンシャルムーブメント真っ盛りの頃で、禅、瞑想、ヨガなど非西洋的な文化に注目が集まっていた時期であったこともブームを支えていたことであろう。
あまり知られていないと思うが、実はブルース・リーの父方の祖母はドイツ人である。つまり、彼は白人の血が1/4入ったクオーターなのである。そのために、生地香港では子供時代に友達からいじめられた体験がある。その後彼は米国に渡り、東洋人ゆえにさんざん人種差別に苦しめられた。やがて彼は、教室を開いて中国人、白人、黒人など人種を問わずにクンフーを教え出したが、当時クンフーは門外不出の技とされていたため、今度は同胞である中国人からの妨害を受けた。このように彼は、自分の体に流れる東洋と西洋両方の血に導かれるように国際社会の荒波に漕ぎ出して行き、かつ東洋からも西洋からも疎外される体験を繰り返してきたわけである。
彼の武道に関する著作の中には、西洋的価値観で発達してきたスポーツと区別するために、「自我ゆえに敵は存在する」など、老荘思想にはじまる東洋哲学への言及が多くみられる。一方、晩年に彼が創始した総合格闘技「ジークンドー」には、母体となったクンフー以外に、フェンシング、ボクシング、柔道、テコンドーなど世界各国の格闘技術が含まれている。彼の短い人生には、常に東洋と西洋の相克と融合のテーマが流れているのを感じる。
ところで最近私は、ブルース・リーに匹敵する大きな出会いを経験した。それはプロセスワーク(プロセス指向心理学、以下POP)との出会いである。自分はまず、西洋医学を学んで内科医となり、ついで西洋由来の心理療法を主体とした心身医学を学んで心療内科医となった。実際の臨床経験を重ねるうちに、心身二元論を背景にした現在の心身医学の限界を感じて、非西洋的アプローチを統合したトランスパーソナル心理学に惹かれていき、その流れの中で、ソマティクス(=ボディワーク)の一つでもあるPOPに出会った。
POPは、ユング派の心理分析家であったMindellによって、ユング心理学を基に老荘思想や仏教など東洋の叡智やシャーマニズム、量子物理学などをとりいれて開発された深層心理学的アプローチである。症状や事故、人間関係のトラブルなどの「問題」を、私達のふだんの意識状態(一次プロセス )が不都合で否認したい自分の一部(二次プロセス)と葛藤を起こした状態と捉え、より大きな存在からの大切なメッセージとして扱う。
POPは、西洋で重視される分析的な視点(見の目=自我)と東洋で重視される包括的な視点(観の目=気づき)の両立により、症状や問題の中に解決を見出す。私にとって、POPは東西文明融合により身体性と精神性を統合できる強力なツールである所に大きな魅力がある。これはまた、私がかつてブルース・リーに感じた魅力と同一のものなのである。
西洋的「見の目=自我」は論理的思考、つまり「think」することにつながる。感染症や外傷などの治療において圧倒的威力を発揮してきた西洋医学は、この「見の目」に基づいて進歩してきた。しかしながら、実際の医療、特に心身医療においては、これだけでは全く不十分である。そこでは東洋的「観の目=気づき」、すなわち臨床体験に裏打ちされた直感が必要となる。この「観の目」を育てるには、決まった形で体験を繰り返す中で極意を感じてとっていく、つまり「feel」するしかない。東洋の武道や芸道がすべて型を重視する理由はここにあろう。
こう書きながら、小学生であった私にはさっぱりわからなかった“Don’t think! Feel”というブルース・リーのセリフの意味が今やっとわかった!腑に落ちた!…「腑に落ちた」という日本語には、「腑」という心身一如の「からだ」に落ちた時にこそ真に解ったと言えることが暗示されている。そう、「真の理解」とは、頭で考えてではなく「体験」してはじめて得られるものなのだ!ブルース・リーが映画のワンシーンで弟子に教えようとしていたことはこれだったのだ!
私は、いまだ医学・医療の世界でマイノリティの存在でしかない心療内科が、科学主義偏重のメインストリームの医学・医療に立ち向かっていくためには、東西両文明、およびこころとからだ間の対話と統合を促すPOPのスピリットが必須であると確信している。そして、世界中でマイノリティの立場に置かれている人々が、等しくブルース・リーの中に見出してきたのもきっとこれと同じスピリットだと感じている。
私がようやく彼の言葉の意味を理解できるようになったのが、彼の影響で学生時代にかじったヘボ空手ではなく、心療内科医としての臨床体験からであったという事実に感動している。自分の人生に一貫して流れているタオ、POP的に言うとドリーミングプロセスを感じざるを得ない。今この瞬間、からだの奥にある魂から湧き起るマグマのような熱いエネルギーが、私に(全てはつながっている)というトランスパーソナル体験を促してくれている。
Don’t think! Feel! アチョー!」
皆様こんにちは。今回は心身症になりやすい性格傾向としてよく知られていますアレキシシミア(アレキサイミアalexithymia)という 概念について書きます。
アレキシシミアとは、1972年にピーター・E・シフニオス(P.E.Sifneos)が心身症患者の臨床経験をもとに提唱した概念で、日本では「失感情症」や「失感情言語症」などと訳されます。
心身医学はもともとフロイトの創始した精神分析から始まりました。精神分析は神経症の治療においては有効でしたが、潰瘍性大腸炎などの典型的な心身症では内面の洞察が苦手で精神分析にのりにくい患者が多いことが気づかれてきました。シフニオスは心身症患者を対象として詳細な研究を行った結果、自分の内面の感情を認知することや言語化することが苦手という特徴を明らかにし、これをアレキシシミアと名づけました。
「失感情症」と書くと、統合失調症に見られるような感情の平板化や感情鈍磨した状態と思われるかも知れませんがそうではありません。自分が今感じている喜びや悲しみ、怒り、興奮を完全に意識化できないわけではありませんが、そういった感情に対して鈍感でありなかなかありのままの感情に気づくことが出来ないというのが特徴なのです。
アレキシシミアの性格特性や心理状態を示している人では、無意識的に自分の感情や欲求を抑圧して職場環境や家庭環境に「過剰適応」しているケースが多くみられます。 アレキシシミアの人は、本当は相手を怒鳴りつけたいくらいに怒っているのに自分では怒りの感情に気づかずにニコニコと愛想笑いとしていたり、思いっきり泣き喚いて相手に甘えたいのにそういった弱い感情を人に見せてはいけないと思い込んでいたりします。そのために自分でも気づかないうちに過度のストレスをためこんでしまった結果心身症を発病することになるのです。 自分の感情を無視しているがために、身体症状が出てはじめて自分がいかにストレスを感じていたかに気づくことになるわけです。
アレキシシミアの概念は、九州大学医学部心療内科初代教授池見酉次郎先生によって日本へ導入されました。神経症理論では心身症の病態解明困難と感じていた日本の心身医学者達に広く受け入れられました。最近の研究によると、アレキシシミアは心身症だけに特徴的なのではなく、うつ病やパニック障害、PTSDなどにもよくみられることが判っています。
アレキシシミアの人に心理テストをする場合注意しないといけないのは、彼らは自分の感情に気づいていないために簡単な質問紙法の心理テストでは正常と判定されてしまうことがよくあるということです。 (心理テストが正常だからストレスはない)」と判断するのは早計で、むしろ(「ストレスがありそうなのに心理テストが正常なのはおかしい。もしかしたらアレキシシミアなのではないか?」と考える必要があるのです。
前回紹介した心身症であることの多い疾患、たとえば、気管支喘息で死にかけるほどの発作を繰り返したり、手術しないと治らないほどのバセドウ病、血糖コントロールが無茶苦茶な糖尿病などの患者では、何らかのストレスが病態を悪化させている可能性が高いとみるべきです。そして、その可能性を尋ねてみて、患者自身が多少でもストレスを自覚している、つまり心身相関に気づいていれば即心療内科にご紹介ください。もし本人が、「ストレスなどない」または「ストレスなんてあるわけない」(実際こう言われた心身症の方がおられました)と不思議な発言をした時にもその言葉をうのみにしないで心療内科受診を勧めてみてください。何故ならもうお解りと思いますが、その患者はアレキシシミアでかも知れないからです。
ここらへんが精神異常を対象とする精神医学と身体疾患を対象とする心身医学の大きな違いですが、本人が「ストレスが多い」というから心身症なのではなく、身体疾患または身体症状がひどくてストレスがありそうなのにそう言わない、またはそれを認めようとしない患者こそ本当の心身症なのです。いわば身体が病気になって本人に生き方を見直すように一生懸命警告してくれているわけですからその声に耳を傾ける必要があるのです。それなのにただ身体的治療だけしていたのではもぐら叩きのように次から次へ新しい病気が増えてきて、しまいには癌や心筋梗塞などになって命まで落としてしまうかも知れません。いわゆる「過労死」 がその典型ですね。
だからアレキシシミアの人達に出会ったらビートたけしの口真似でこう言ってあげてください。「このまま周りに合わせてばかりで自分の心を見ないようにしていると(ちょっと間をおいて…)大変なことになりますよー!」
ではまた次回。
忙しさにかまけて初回から随分とさぼってしまいまして失礼しました。
今回は「心身相関」という概念について書いてみます。
「心身相関」とは字の通り「心と身体の関係」ということですが、ある研究者によると次の5種類の心身相関があるとされています。
1. 精神的な原因があって、二次的に身体症状を示す場合。
パニック障害、身体表現性障害などの器官神経症や身体症状が主訴であるうつ病(仮面うつ病)などがこれに当たります。
2. 身体的な原因はあるが、精神的な因子が加わることによって身体疾患が発症する場合。
これが心療内科の主な対象である気管支喘息や消化性潰瘍など狭義の「心身症」です。
3. 身体疾患があって、反応として二次的に精神症状を示す場合。
がんや糖尿病など不知の病を宣告された後のうつ状態などがこれに当たります。
4. 身体症状がありそれが直接脳に作用して精神症状が出る場合。
アルツハイマー病などのような脳器質性精神障害や甲状腺機能異常に伴う精神障害などの症候性精神障害がこれに当たります。
5. 精神的疾患と身体疾患が関係なくたまたま共存している場合。
統合失調症の患者が肺炎になった場合などがこれに当たります。
以上のうち、5は「精神的疾患と身体疾患が関係なくたまたま共存している」と書かれているにも関わらず心身相関の1つに入れられているのに疑問を感じる方もおられるでしょう。
しかし、私が精神科の先生にお聞きした話では、妄想や幻覚といった精神症状が激しかった精神病患者が、手術しないといけないような重い身体疾患にかかると急に精神症状が軽快して、身体疾患が改善すると精神症状が再燃するといった現象がよくみられるそうです。
このことから、現代医学的には精神的疾患と身体疾患の因果関係が証明できなくても、深層意識レベルでは両者には密接な関係があるのではないかと考えられます。
これは他の4種類の心身相関についても通じることです。心と身体の関係は客観的に評価可能な生理学的メカニズムだけで考えるべきではなく、表層意識から深層意識の多次元のレベルまで含めて考慮しないと十分に理解できないのです。
喘息などの心身症の患者が、精神療法で自己の感情への気づきや洞察が深まってきて身体症状が軽快してくると、今度は抑うつ状態に以降してくるような現象が時々見られます。
心身医学で「症候移動」と呼ばれる現象で、上記の精神病患者の例もこれに当たります。
最近、ステロイド吸入療法という身体的治療が発達したことで喘息発作のコントロールは格段に改善したため、増悪因子である心理社会的要因を扱わなくてもいい例が増えました。
でもこれは、けっして喘息が心身症でなくなったことを表しているわけではありません。
その喘息がもし心身症で、根本にある心の問題が解決しないままだと、喘息はコントロールできていたにしても、抑うつ状態や他の心身症などのストレス関連疾患に症候移動してくることが起こり得るのです。
一方、現在の医学では各臓器の専門性が進んできたために、たとえば呼吸器専門医にとっては患者の喘息発作のコントロールだけが治療対象であるため、他領域の症候に移動しても一般的にそれに関心がもたれることはありません。
ここに現代医学の大きな問題があります。現代西洋医学は自然科学を積極的に導入したことで外科的疾患や感染症などにはずま抜けた治療効果を持っています。けれどもその背景には物事を細かく分けて分析して思考する「要素還元主義」が強いために、心と身体を分けて考えようとしますし、各臓器の専門医は自分の専門である疾患以外には関心を持たないといったことが生じやすくなっています。
「心身医学」、そしてそれを臨床実践する「心療内科」とは、この西洋医学に欠けた部分をつなぐ存在として出てきました。
心療内科医とは、特定臓器の「疾患(disease)」だけではなくて、患者の心身両面に渡る「病(illness)」全体を診る、すなわち「全人的医療」を実践する医師です。
そして、真の全人的医療を行なうためには、上記しましたように心身を多次元のレベルで診ていく必要があり、ここにこそ前回紹介しましたプロセスワークの理論が大いに役立つのです。
ではまたこの続きは次回に書かせて頂きます。果たして次回はいつになるでしょう?…
皆様はじめまして。心療内科医の深尾篤嗣と申します。
「心療内科」は同じく心をあつかう「精神科」とよく混同されますが、本来は別の独立した診療科です。
また、心療内科は「心の専門の科」とか「カウンセリングをする診療科」と思われていることが多いのですがこれも誤解でして、正確には「心をあわせて治療する内科」です。
たとえば私は、甲状腺疾患などのホルモン系の病気や糖尿病などの生活習慣病を専門にする内科医であって、かつ精神に対する薬物療法や心理療法もあわせて行う医師なのです。
あまり知られていませんが、実は「心療内科」という名称の診療科は日本にしかありません。
「心身医学」という心と身体の相関関係(心身相関)をあつかう学問は各国にありますが、米国をはじめほとんどの国では、「リエゾン精神医学」といって、身体の専門医である内科医と精神科医が共同して診療する形をとっています。
唯一、心身医学が始まったドイツだけには、全ての医科大学に内科、精神科と独立して「心身医学科」という科があります。
わが国の心身医学は、内科医を中心に、小児科医、産婦人科医、麻酔科医などの身体科医が中心になり発展してきました。
最初に心療内科が誕生したのが、以前私が勉強しに行きました九州大学医学部(初代教授:池見酉次郎先生)です。
では心療内科や心身医学とスピリチュアリティとの間には果たしてどういう関係があるのでしょうか?
また、このブログの表題にあります「レインボードクター」とは一体どんな医師なのでしょうか?それをわかって頂くために、まずは私が今夢中になっています「プロセスワーク」、別名「プロセス指向心理学」の説明をさせて下さいね。
プロセスワークは、ユング派の心理分析家であったアーノルド・ミンデルによって、量子物理学、シャーマニズム、老荘思想や仏教などをとりいれて開発されたアプローチです。
本ワークはもともとは心理療法としての特色をもっており、心身の問題や心の葛藤解決法として有効です。
また、「気づき(awareness)」を何よりも重視するという生き方の提示でもあり、普通につかまえにくい微細な感覚や自らを超えた大きな力に触れることを促すという意味ではスピリチュアリティの実践でもあり、今では代表的なトランスパーソナル心理療法の一つに数えられています。プロセスワークでは、身体症状や病とは、夢と同じく患者が気づかずにいた“大切な何か(ドリームボディ)”を教えてくれる贈り物と考え、心と身体の関係を「共時性」という観点でとらえます。
最近、ミンデルは、病や症状の現実面だけではなく、そこにひそむ夢の次元からのメッセージをも認める医療に対する多次元的アプローチを提唱していまして、それを「レインボー・メディスン」と名づけています。
それに対して、次元の一つとしか取り組まない医療を「単色の医療」と呼んでいます。
レインボー・メディスンとは、多次元にまたがって心身相関をあつかう新しい心身医学といえます。
そして「レインボードクター」とは、このレインボー・メディスンを実践する医師のことなのです!
おそらく普段聞きなれない言葉が次々に出てきて皆さんはかなり混乱されていることでしょう。
次回からはもっと詳しくわかりやすく心身医学やレインボー・メディスンについてお話していきます。
ゆっくりでいいですから私と一緒にレインボードクターへの道を歩いていって下さいね。
ところで「~への道」という題名は私の大好きなブルース・リーの「ドラゴンへの道」からとったのですが、実はブルース・リーとプロセスワークの間にも大いにつながりがあるのですよ!
それについてもぼちぼちお話していきますね。
よろしくお願いします!
携帯でもSQ Lifeメッセンジャー・ブログが閲覧できます。
http://blog.sq-life.jp/m/
