石川勇一の瞑想エッセイ「シューニャ」

動作法ワークショップ(課題:大地にまっすぐ立つ)のお知らせ

次回は、腰と足首と緩めることによって、大地にしっかりつながり、
その上でまっすぐに立つということを経験できるよう、動作課題を実習します。
それによって、大地に根付いた心身の軸ができ、安定したあり方を獲得できます。
現実と遊離している人、観念や空想の世界が強すぎる人、
周囲に流されやすい人、生きている実感の希薄な人、
などには助けになる課題になると思われます。

日時:2010年2月7日(日)13:30~16:30
会場:相模女子大学8号館3階831教室「ワークショップルーム太陽」
相模女子大学へのアクセスキャンパスマップ
内容:腰の弛め、足首の弛め、まっすぐに立つこと

参加には予約が必要です。 以下のアドレスにお申し込み下さい。
holicare(アットマーク)live.jp (受付:麻野)
初心者でも大丈夫です。お気軽にご参加ください。

詳しくはアートマンヒーリングルームHPをご覧ください。
前回のワークショップ参加者の感想も掲載しました。

インナー・チャイルドとつきあう

インナー・チャイルド(内なる子供)がなにかを求めているなと感じたら、
それに注意深く耳を傾け、
「意識的に」満たしてあげることが大切です。

意識しないままでいると、
インナー・チャイルドは十分に満たされないだけではなく、
気づかないうちにただ振り回され続けることになりかねないからです。

主体である私が、
インナー・チャイルドの存在に気づいていて、
大切に接することが大切です。

「今は満たしてあげられないけれどもう少しまっていてね」とか、
「今はやりたいだけやらせてあげよう」
「なにがやりたいのかな?」
「どうしてほしい?」
などという風に対話をするとよいでしょう。

傷ついたインナー・チャイルドは、
このように意識的に接してあげないと、
次から次へと、
終わりのない幼児的な要求をしてきて、
一生をそれとの格闘に消費する可能性すらあるのです。

傷ついたインナー・チャイルドとは、
もっとも誠実に、粘り強く、
くりかえしくりかえし最大の愛を注ぐことが必要です。
傷ついたインナー・チャイルドを尊重することを、
人生の優先順位の上位に持ってこなければなりません。

多くの人は、
自分の中に傷ついたインナー・チャイルドがいることを、
自分はそんな弱い存在ではないと言いきかせ、
密かに隠して、その存在を否認してしまっています。
そのために、インナー・チャイルドは、
ますます不満足感を高めてしまうのです。

年月がたてば、年齢を重ねれば、
インナー・チャイルドの傷は自然に消えるだろうという期待は、
ほとんどの場合裏切られます。
インナー・チャイルドに意識を向けて、
その存在と声を受け容れることによって、
インナー・チャイルドは少しずつ変容していきます。

インナー・チャイルドが元気になると、
彼(彼女)は、アーティスト・チャイルドに変身します。
次から次へと、
奇想天外で、創造的なアイディアと、衝動を提示してきます。
突然へんな歌を歌いたくなったり、
山に落ちていた棒きれを拾いたくなったり、
模様替えをしたくなるかもしれません。

常識的な大人から見ると、ばかばかしいことや、
否定したくなることも含まれていますが、
傷ついたインナー・チャイルドと接したときと同じように、
最大限の敬意と、寛容さを持って、
アーティスト・チャイルドの声に耳を傾けつづけるとよいのです。
ばからしいと思えたことも、
声に応じて実際に行動してみましょう。
どんな感じがするか、
ひとつひとつ丁寧に味わい、
確かめてみましょう。
きっと子どもの時のような、
純粋な喜びの味わいを次第に取り戻すことができるでしょう。

周りの人がなんといおうとも、気にする必要はありません。
インナー・チャイルドやアーティスト・チャイルドは、
「~すべき」「~しなければならない」という価値の押しつけや、
否定的な言葉が下されれば、
すぐに落胆して逃げていってしまいます。
インナー・チャイルドやアーティスト・チャイルドの声を否定しようとする人からは、
常識的・倫理的に正しいことを言っているように見えたとしても、
意識的に遠ざかることも必要です。
多くの場合、
その人自身が自分のインナー・チャイルドやアーティスト・チャイルドを否定し、
接触を失っているからです。

インナー・チャイルドに、
今誰と一緒にいたいか、誰とは一緒にいたくないのか、
きいてみるとよいのです。
今何をしたいのか、何をしたくないのか、
きいてみるとよいのです。
インナー・チャイルドは、
まぎれもないあなたの一部分であり、
しかも、非常に重要な、内なる導き手なのです。

日常生活の中でいつもインナー・チャイルドの言うとおりに行動することは実際には困難ですが、
インナー・チャイルドのための時間を確保することはとても大切です。
そうすれば、
人生が、本当に創造的で豊かなものになります。
その満足を積み重ねることが大切です。

多くの人がよいと言っているだけのものをよいと思い込み、
周りの人の期待に我慢してあわせ、
倫理的・宗教的に素晴らしいといわれていることを自己犠牲的に取り組んでみても、
残るのはむなしさのみです。
そのやり方では人生は豊かにはなりません。

インナー・チャイルドと仲良しになることによって、
内的な満足と、楽しさが湧いてくるのです。
大人の自分は、
インナー・チャイルドを守り、育て、癒すことによって、
大人の思考だけでは決して得られない豊かさを手にすることができます。

インナー・チャイルドは、
アーティスト・チャイルドであり、
スピリチュアル・チャイルドでもあります。

インナー・チャイルドを否定せずに対話ができれば、
その同じ姿勢でいることによって、
スピリチュアルなメッセージを受け取りやすくなるのです。
インナー・チャイルドは満足、喜び、自尊心、創造性、
そしてスピリチュアルな果実への扉なのです。

コメント

投稿者: まなみん

石川先生

ダンスをしていると、みんなのインナーチャイルドが出てきて楽しいですよ!
一緒に遊んでいたらみんなの顔が生き生きして美しくなってきます。
今度一緒に踊りましょうね。

2010年01月04日 21:28

投稿者: No Name

踊ることは確かにいいでしょうね。ただし、今私のインナー・チャイルドは、踊りたくないといっていますので、私にとってはよくないかもしれません。

2010年01月05日 11:14

投稿者: 微少女

はじめまして。
私は相模女子大学の人間社会学科の学生です。
インナーチャイルドに耳を傾けてインナーチャイルドが喜ぶことをしたいです。
これからも石川先生のブログ、楽しみにしています。

2010年01月16日 16:13

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エロスはなぜやってくるのか。そして、去っていくのか。

エロスとは強力な魅力によって結びつける力です。

真実、神、学問、美しいものに惹きつけられ、
それを追い求めてやまないのもエロスの力によるものです。

しかし、
多くの人がもっとも強力にエロスを体験するのは、
男女の間にやってくるときです。
苦しいほどに惹きつけられ、
高揚感と強い愛情を体験します。

これほど強い力が、なぜ私たちのところにやってくるのでしょうか。
エロスの目的はどこにあるのでしょうか。

エロスの高揚感を求めてやまない人や、
エロスを恐れて避け続ける人もいますが、
エロスの真の目的については考えたことがない場合が多いのです。

エロスによる衝動とは、合一への欲求です。
エロスによって引きつけられた異性と、
その情熱を受け入れ合うとこができたとき、
至福の合一体験をします。

合一のエクスタシーは、
男女の間以外でも起こりうる人間の可能性ですが、
男女間の合一が、
多くの人にとってもっとも体験する可能性が高いのです。

合一体験は、
私たちは本質的にはひとつであり、
愛と喜びにみちているという魂の真実を垣間見せてくれます。

エロスに駆り立てられた男女は、
相手に受けいられ、愛を手に入れるために、
ほかではありえないような努力をすることができるようになります。
エゴをなげうって奉仕することを少しずつ学んでいくのです。

しかし、どこかで限界が浮かび上がってきます。
愛と合一による真実の世界と、
自己中心的で分離した私たちの心の世界とは、
遠くかけ離れているからです。
エロスの強力な力によって、
愛と合一に近づいたり、一時的に体験すると、
それとは相容れない心の闇が、
自然と浮かび上がってくるのです。

エロスに陶酔していた男女はここで驚くのです。
なぜこんなことが起こるのかと。
甘美な喜びはどこにいってしまったのかと。

乗り越えられない闇があらわれて、
それを互いに避けるようになると、
エロスは急速に去っていきます。
エロスが去れば、
後には闇を抱えた人と人だけが残され、
愛と合一感はなくなり、
傷ついたネガティブな感情と分離感だけが残されます。

エロスはなんのためにやってきたのでしょうか。
私たちを絶望に陥れるためでしょうか。
あるいは生殖のための仕掛けに過ぎないのでしょうか。
そうではありません。

エロスは、まず、この世界には、
真実の合一と、愛が本当にあるということを、
私たちに体験的に学ばせるためにやってきたのです。
愛と合一は、一時的であったり、近似的なものにすぎないかもしれませんが、
この体験は、魂の本質、宇宙の真実に触れることであり、
私たちの目を開かせるためにエロスはやってきたのです。

それでは、なぜ途中で問題が生じて、闇が広がり、
エロスは去っていくのでしょうか。

私たちの心と魂が成長し、
真実と愛に近づいていくためには、
心の闇に光をあてていくことが欠かせないからです。
闇を抱えたまま光のなかにとどまることは不可能です。
だから、愛と合一にちかづこうとすれば、
かならず闇が暴かれていくのです。

闇が暴かれることは、
私たちにとっては苦痛に満ちたものであり、
ほとんど耐え難いものですが、
それは私たちが成長するために避けて通ることのできない課題なのです。
エロスによって闇が浮かび上がることは、
最強最善のセラピーが与えられているということなのです。
闇と向き合うことを避けたままで、
愛、真実、合一の安らぎにとどまることはできません。

しかし、
私たちはエロスのこうした目的を知らないので、
闇があらわれると心を閉ざしてしまいます。
二人の間には深い溝が生じるか、
あるいは相手のせいでエロスが消えたと思い、
憎しみあうかもしれません。

エロスは、
退屈な人生を楽しくしてくれる単なるスパイスではありません。
私たちの魂を真実へと引きあげ、
愛を学ばせ、
心の闇に向き合い、闇を解消することを目的としているのです。
闇と向き合うことなしに、
エロスの高揚感だけを求めることは誤りです。
愛を学ぶ意志をすて、闇から避けた途端に、
エロスは消え去ります。

目的が達成されなくなったことを知ったエロスは、
速やかに二人を去り、
残された二人は、
闇を抱えた自分たちに直面するのです。

コメント

投稿者: いしかわ

そうですね。アガペーがないとエロスが歪むのはその通りですし、逆に、エロスのエッセンスを受け取れなければ、アガペーもまた歪んでしまうと思うのです。どちらも聖なるスピリットの力ですが、必要に応じて違った現れ方をして、相互に影響し合っているのだと思います。

2009年11月07日 11:56

投稿者: いしかわ

もうひとつ、エロスと生理的欲求は一応分けて考えた方がよいと思います。動物、昆虫、植物は有性生殖を行いますが、そこに豊かなエロスがあるとは思えませんし、プラトニックラブや、学問への愛のように、性をともなわないエロスもあるからです。

2009年11月07日 12:00

投稿者: のの

エロスとアガペーの共存という考え方は、個人的にかなりピッタリと感じられました。

そもそも、アガペー的な要素を持たないエロスはエロスと呼べるのでしょうか。それこそ、単なる生理的欲求、あるいは退屈を紛らわすための刺激への欲求かもしれません。
性を伴うか否かに関らず、エロスには焦がれるような渇望感や憧憬が伴いますが、単なる刺激にそれらはありません。
単なる刺激はファスト・フードよりも無味で、後には互いの消耗感だけが残ります。

反面、もし相手を欲する中にアガペー的なものが少しでもあったなら。自己犠牲というほど大げさでなくとも、相手を大事に思う気持ちや相手を尊重する気持ちが少しでもあったならば。
互いは自分の欲求を相手に求めるだけでなく、同時に相手を思いやり、互いに尊敬しあうことさえできます。

このような感覚は、もしかしたら一人の相手に継続的に感じられるものではないかも知れません。さまざまな枠組みを超えた関係の中で感じられることもあるでしょうし、ある瞬間に掴んだかと思えば、次の瞬間には消えていることもあるでしょう。

しかし、まずは一瞬でも、そんな感覚に浸ることから始まるのではないでしょうか。その感覚を自分の中で少しずつ大事に育てていければ、もしかしたらアガペーにさえ近づけるのかも知れないと思うのです。

2009年11月13日 15:09

投稿者: いしかわ

私たちが体験するエロスは、たいてい永続性がなく、後には苦い味が残ります。それは、エロスがもたらしたのではなく、エロスによってあぶり出された自分のエゴや傷つきです。たとえ惹きつけられた相手が、どんなに悪い人であったとしてもです。こうした自分の問題点を、現実的に明らかにするという意味で、エロスは、神聖なのです。しかし、私たちはなかなか、そう受け止めることも、そこから学ぶことも難しいのです。一部できればよい方だと思います。アガペーは、神様のことなので、自分を差しおいて安全に語ることができますが、エロスは現実をつきつける強力な力があるところに、エロスの特徴があります。

2009年11月14日 23:52

投稿者: のの

そうですね。
エロスは確かに、自分のエゴを顕わに見せつけてくれます。それはどす黒かったり、いやらしかったり、えぐかったりして、紛れもない自分の一部なのに、受け入れるのはなかなか難しいでしょう。
でも、本当は普段からうすうす見えてはいるのです。それが偶然、エロスによって焦点化されたときに、直視せざるをえなくなるだけという感じがします。そして、仰るように、それを自分がどの様に受け止めるのか。ここがとても大切だと思います。

2009年11月21日 14:41

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闇と向き合う : 瞑想や外的達成だけでは消えないもの

瞑想は、
マインドの作り出す幻想をスルーして、
心を超えた世界を体験する方法です。

瞑想をすることによって、
高い意識に触れて智慧を得たり、
メッセージを受け取ったり、
至福の喜びを体験することもあります。

しかし、よい瞑想ができたとしても、
再び日常では、
問題や苦しみが起きるのはなぜでしょうか。

瞑想の達人や、
高次の意識からメッセージを受け取る人が、
繰り返し間違いを犯したり、
トラブルに巻き込まれるのはなぜでしょうか。
依然として心が穏やかでないのはなぜでしょうか。

社会的に成功したひともまた同じ疑問がわきます。
努力をして、金銭、地位、家庭など、
目標とするものを得たけれども、
いぜんとして心が晴れないことが多いのはなぜでしょうか。

心の浄化は、瞑想や、外的な達成だけでは十分ではないからです。
瞑想中は、マインドの訴えには耳を貸さずに通過し、
深層の静寂を目指します。
瞑想によって、そのときは至福や神秘体験をすることもありますが、
それによって、心の闇が自動的に晴れるわけではありません。

仕事をしているときは意識を集中しているので、
充実感でいっぱいですが、
それによって、心の闇がすべて自動的に浄化されるわけではありません。

瞑想とは別に、
外的な努力とは別に、
自らの心の闇に、
巧妙に隠された感情や思考に意識の光を照らし、
自らの責任で引き受ける作業が必要なのだと思います。
そのときには、仕事や快楽などへの依存症的行動だけではなく、
心地のよい高い意識へも逃げ込んではいけないのです。
明晰な意識の光の下で、闇をあきらかにすることが必要です。
自分でも見たくない、
人に見せるのはもっと恥ずかしいと思っている心の実際を、
そのまま受け止めなければなりません。

これは、私たちにとって、簡単なことではありません。
無意識のうちに、ずっと避け続けていることです。
しかし、意識的にそれを行わない限り、
日常生活をまじめに積み重ねても、
仕事や家庭生活は表面上成功しても、
瞑想で高い意識を体験しても、
無意識のうちに隠し続けている限り、
浄化されない闇が残り続けます。
努力と苦労を積み重ねる一生を終えても、
正面から向き合わない限り消えずにつきまとう闇があります。

その闇は、来世へと持ち越されるかもしれません。
今ある闇は、過去生から引き継いだものもあるかもしれません。

浄化されない闇がある限り、
心に波風が起きて落ち着かなくなり、
実際にトラブルも生じます。
瞑想の至福が続かない理由はここにあります。
闇をあますことなく受け止めることは、
安らぎへ至る欠かせない道です。

心の煩悶や問題が生じるのは、闇があるからです。
心の煩悶や問題が生じるのは、闇に気づかせるためです。
心の煩悶や問題が生じたときは、闇に向かい合う絶好の好機です。

闇が私たちに見るべきものを見るように呼びかけています。
そういう意味では、闇は単に光の欠如などではなく、
闇もまた、変装した光なのでしょう。
そう思うと、闇に向き合うことが楽しくなります。

闇に呼びかけられることは光栄なことです。
闇=変装した光から呼びかけられたら、
それにしっかりと向き合うと、
自分で決めることが大切です。
そうすれば、光がいろいろな形で助けてくれます。

コメント

投稿者: まなみん

それこそが人間のかわいくて素敵なとこかなって思ったりもします。
人間って、至福にいたったら退屈しちゃいそう。
向っていくプロセスこそ楽しいし、ある意味至福だと思ったりもします。
きりないからいいんじゃないか、だからずっと楽しい状態が続くともいえるんじゃないかと、反対に思ったりもします。

2009年10月24日 07:41

投稿者: いしかわ

闇と向き合う至福・・・この考え方が闇と向き合わない逃げ道にもなるから、簡単に言いすぎるのは抵抗があるけれど、本質的には、ポジティブもネガティブもまさに裏表一体なのでしょう。

2009年10月24日 09:37

投稿者: 藍

闇をわかるのにはどうしたらいいのでしょうか?
自分でも、わからない・・・ことあるのでしょうか?

2009年10月31日 23:51

投稿者: いしかわ

意識の光があたらないから闇なわけです。
そういう意味では、自分の闇は、私たちにはほとんどわからないのです。
闇は、他人との諍い、事故、病気、トラブル、
どうしても我慢できないこと、などの現象として現れます。
私たちの意識からすると、
それは不運や自分以外の人が引き起こしているようにみえますし、
合理的にはそう説明がつくのですが、
実際には自分の闇が引き起こしているのであれば、
繰り返しそれは現れます。
受け入れがたい出来事に、闇を見つけるヒントがあると思います。

2009年11月01日 09:09

投稿者: 藍

ありがとうございます。
繰り返し起こるトラブル・・・闇からくるのですね。
受け入れたい出来事・・・ヒントですか・・・
難しいのですね。それが、解らないのが苦しいですね・・

2009年11月01日 13:37

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ワークショップ報告

昨日、久々に開きました動作法のワークショップを終了しました。

昨日は、目、眉間、額、口、頬、顔全体、顎関節、首(後頭部)付近をゆるめる課題を実習しました。
頭部がゆるんで、心地よくなったり、周囲が明るく見えるようになったという方が結構いました。
参加された方は、身近な人やご自身に使っていっていただければと思います。
一般の方々をはじめ、
学生、大学院生、教師、カウンセラー、福祉職員、代替療法従事者など、
意欲的な姿勢で臨まれた方が多く、吸収力も高いと感じました。
おかげさまで、充実したワークショップになりました。
ありがとうございました。

次回は、11月29日(日)に相模女子大学で行います。
腰まわりを弛めて軸をたてる動作法をやります。
軸をたてること、安定して座ることは、心身にとって重要な課題です。
詳しくはアートマンヒーリングルームHPに掲載されています。

どの回からでも参加していただいても大丈夫です。
ご関心のある方の参加をお待ちしております。


プロフィール

石川勇一石川勇一

相模女子大学教授。臨床心理士。日本トランスパーソナル心理学/精神医学会常任理事。

アートマンヒーリングルームにて、カウンセリング、箱庭療法、ヒーリング、TFT、臨床動作法、ケイシー療法、瞑想法、タイ・マッサージなどを実践。

著書に『スピリチュアル心理学入門』(春風社、2009年、単著)、『自己実現と心理療法』(実務教育出版、1998年、単著)、『スピリチュアリティの心理学』(せせらぎ出版、2007年、分担執筆)ほか。学術論文多数。

●相模女子大学 石川研究室
http://www.sagami-wu.ac.jp/ishikawa/

●アートマンヒーリングルーム
http://homepage3.nifty.com/peacefulspace

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