
孤独で淋しいと感じるとき、
私たちは自分の周りに人がいないからだと考えます。
しかしよく観察してみると、
周りにいっぱい人がいて、
たくさん関わっているのに、
孤独感を感じている場合も多いのです。
これは、
人がたくさんいるのに心が通い合っていないからです。
そしてしばしば、
自分の心が堅く閉じてしまっているために、
孤独感に襲われているのです。
自分の心が閉じているときは、
どんなに人と会っても孤独感は解消されません。
むしろ人と会えば会うほど淋しくなったりします。
そうなるともがくように強い刺激を求め、
相手にべったり依存したり、
相手を強引に支配しようとしたりして、
人間関係を壊してしまうのです。
孤独の淋しさのあまり、
なにかの依存症に陥る場合もあります。
この場合は自分自身を壊してしまいます。
依存や支配という関係は、
本当のところでは心は通い合っていないので、
ますます人を淋しくさせる不幸な状態です。
孤独感、さみしさは、
自分の心がつくり出している部分が大きいのです。
自分の心がオープンで穏やかであるときは、
誰も近くにいなくても
とても満たされた気持ちになったりします。
たったひとりで瞑想している姿は、
はたからみるととても孤独なのですが、
内面的にはとても暖かい、
満たされた気持ちである場合が多いのです。
いちばん大切なことは
なにをしたかではなく
どんな動機でそれをしたのかということです。
動機がもっとも重要であるということは、
人間のすべての行動についてあてはまります。
だから、
表面的な行為がうまくいっているか否かだけにとらわれず、
動機の純粋さ、深さ、強さを見る目が必要です。
瞑想をするときにも、
いったいなんのために自分は瞑想をするのか、
ときどきはっきりさせておくとよいでしょう。
そして、
動機は自分の個人的な欲求から、
より深く大きいものへと
変わっていってもよいのです。
正しい方法で瞑想を続ければ、
動機に応じた成果が得られます。
心(マインド)の主な働きは、
なにかを考えたり、
喜怒哀楽を味わったり、
記憶したり想起したりすることです。
つまり、
心が活動すればするほど、
瞑想とは遠くなるのです。
だから心でどうこうしようと思っていると、
瞑想はいつまでたってもできません。
心が休止して、
なおかつめざめていれば
それはそのまま瞑想になります。
心にとって瞑想は
死ぬことと同じです。
だから心は瞑想を嫌がるのです。
そういう意味で瞑想は、
死ぬ練習でもあります。
瞑想はムリにできるものではありません。
ムリにしようとすると、
ますます心が反発して、
心のなかがさわがしくなり、
かえって瞑想から遠ざかってしまいます。
いろんな心の状態があるけれど、
いろんな身体の状態があるけれど、
それを受け入れてしばらく一緒にいよう、
その様子を眺めていよう、
そんな感じで座っていると、
やがて心と身体から距離がとれて、
瞑想状態になるのです。
瞑想をはじめたら、
力むことをやめ、
瞑想したくないという気持ちにとらわれないことです。
そして、
瞑想をしようという気持ちにも
しがみつかないようにしましょう。
次回瞑想会の日時は、
2007年2月18日(日)14:00~17:00に決定しました。
テーマはまだ未定です(決まり次第お伝えします)。
場所は相模女子大学8号館ワークショップルーム「大地」で行います。
参加費は一般3800円、学生1800円、
定員は3名以上16名以内とします。
詳細は石川心理相談室HPをご覧ください。
初めての方もお気軽にご参加ください。
本日よりメールにて参加予約を受け付けいたします。
次回も明るくパワフルで暖かい場につつまれて、
皆様とともに瞑想できることを楽しみにしております。
私たちは、
お金、よい仕事、よい人間関係、健康など
現実的なものを望んでいます。
実際これらはことごとく必要です。
でも、
これらが手に入らないと幸福になれないということはありません。
これらが手に入れば自動的に幸福になるというのも勘違いです。
瞑想は結果的にこれらを得やすくすることはありますが、
目標とはしていません。
なにもなくても、
なにもしていなくても、
いつもすでにある、
心が平安になる内面の場所を見つける練習なのです。
瞑想は入浴に似ています。
すべてを脱ぎ捨て、
心地よくリラックスして、
心の垢をきれいに洗い流します。
なるべく毎日はいらないと、
ちょっと気持ち悪いのです。
相談室の瞑想のページに、
「瞑想会参加者のアンケートと感想」をアップしました。
抜粋せず、掲載許可をいただいたものを全文載せてあります。
瞑想会に参加された方々がどのような体験をするのか、
とても率直に書いていただいています。
瞑想会に関心のある方や、
参加された方にも、
他の方々の体験は参考になると思いますのでお薦めです。
次回瞑想会は2月後半を予定しています。
決まり次第、本ブログおよび相談室HPでお知らせします。
今日の瞑想会は本当に祝福された
素晴らしい会になりました。
はじめにプージャをしているときに、
強く心地よいエネルギーがバーッとおりてきたので、
今日は素晴らしい瞑想会になると確信しました。
ある初参加の方がアネモネの花を持ってきてくれたので、
祭壇に飾らせていただいたのですが、
はじめに閉じていたお花が、
10分ほどのプージャの後は見事に開いていました。
お花もご神霊のエネルギーを感じて一気に咲いてしまったのだと思います。
実際、私の家のお花はなかなか枯れません。
祭壇の近くにあり、
毎日マントラを聴かせ近くで瞑想をしているので、
2ヶ月くらいは平気で咲いています。
インドのバジル・トゥラシも
寒い日本なのにまだしっかり生きています。
花でさえ開いてしまう場ですから、
人間に影響を与えないはずはありません。
はじめて参加された方も、
とてもよい瞑想ができたようでした。
御神霊および参加者の皆様、
ありがとうございました。
今年の初回の瞑想会まであと3日になりました。
初回は、年末にお知らせしたとおり、
「内面の平安」をテーマに行います。
マントラについても今回もお話しします。
参加されたい方は早めにご予約ください。
参加者の方々にお知らせいたします。
瞑想会当日は、
・十分な睡眠をとってくること
・満腹まで食べない(腹六分目くらいがよい)
・前日および当日はアルコールやカフェイン類は取らない
・暖かい膝掛け等を持参する
と瞑想の体験は心地よいものになるとおもいます。
そして「今日は瞑想をするんだ」
と少し思って来てください。
今回も、はじめの10分は、
場を清め、瞑想会を成功させるために、
プージャと呼ばれるインド式の簡単な儀式を行います。
参加者はうしろに座っているだけで結構です。
お供えするお花などを御持参いただければ、
飾らせていただきます。
皆様にとってよいワークショップになりますように。
瞑想は自分を無にする試みです。
自分を無にするということは、
心の雑音を静めるということです。
心の雑音を静めるということは、
自分を大宇宙の心にチューニングすることです。
大宇宙の心にチューニングしたとき、
私たちは恐れから解放されます。
恐れがなくなればなくなるほど、
私たちの目の曇りがとれ、
あるがままの実相を見ることができるようになります。
あるがままの実相は、
すべてが美しく輝き、
愛に満ちていると気づくのです。
心が整い、
内面の雑音が取り除かれれば、
私たちは喜びの海にいたことに気づくのです。
海に潜ると、
砂や泥で濁ってなにも見えない海、
熱帯魚や珊瑚礁があざやかな海、
深海魚しか住めない闇の深海など、
いろいろな領域があります。
場所を移動すれば、
そのつど新しい海を発見できます。
海はとても広いので、
すべてを知り尽くすことはできません。
同じように、
瞑想をすると、
同じ静寂であっても、
澄んだ領域、
明るい領域、
暖かい領域、
まろやかな領域、
躍動感のある領域、
溶解するような領域など、
さまざまな領域があります。
つねにまだその先、
もっと深い意識領域があるのです。
だから、
瞑想はこれで終わり、
ということはありません。
瞑想はこれでわかった、
ということもありえません。
それぞれお気に入りの港や入り江があるように、
毎日瞑想をしていても、
案外お気に入りの
同じ意識領域ばかり行っている場合があります。
入り江の外にも
海は広大にひろがっています。
瞑想は、
ひろいひろい海を
泳いだり潜ったりするようなものです。
考えることにのみ価値をおく人にとっては、
なにも考えないことを目指す瞑想は無価値です。
行動することにばかり価値を見出す人は、
ただ座っている瞑想は理解不能です。
効率と結果をもっぱら追求する人は、
毎日の瞑想など時間の無駄にしか思えません。
お金を稼ぐことこそ人生の目標と思う人は、
稼ぎの入らない瞑想には関心がありません。
ひととの情緒的な触れ合いに最大の価値をおく人は、
ひとりで目をつぶるのは淋しく無意味に感じます。
だから、
大半の人は瞑想には関心がないのです。
しかし、
自らの魂を磨きたいと望む人には、
瞑想はとてもよい結果をもたらします。
深い心の平安を望む人にも、
瞑想はとても貢献するでしょう。
さらに、
瞑想によってさまざまな体験と知恵を得ると、
実は結果的に、
瞑想はもっとも得をするということに気づくのです。
瞑想で得た「静」は、
あらゆる「動」に波及するからです。
神様のまえでは、
なにひとつ隠し事や嘘は通用しません。
神様のまえでは、
曇りのない純粋な心だけが通じます。
他人に対してだけではなく、
自分に対してついている嘘も、
すべて神様の前では
処分しなければなりません。
神様の御前に立っているのは、
お参りしたときだけではありません。
神様はいつでも、
どこにでも存在しています。
私たちに隠れる場所はありません。
いついかなるときも、
私たちは神様の前にいます。
そのことを意識することが、
私たちをもっとも成長させるのです。
人の目を気にして生きるのではなく、
神様の目を気にすることがなによりも大切です。
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