
運動をするときには、
はじめにストレッチや準備体操をすると
身体が調って快適になり、
動きがよくなり怪我をする危険も減ります。
同様に、
一日のはじめに瞑想をすると
心が掃除されて調うので、
物事が順調に進みやすくなります。
さらに、
瞑想によって心に空きをつくり、
澄んだ意識になれば、
よいことをキャッチしやすくなります。
朝の瞑想は、
一日に恩恵を及ぼします。
私たちはもっといいものをたくさん得て
自分の中に溜め込もうとしています。
しかし実際には、
いいものもわるいものも
たくさん溜め込んでいっています。
形あるものもないものも
よいものもわるいものも
抱え込むことによって
私たちは重くなり
苦しんでいるのです。
どちらも捨ててしまうことです。
すべては流れているに過ぎません。
すべてはただ自分を通過するだけです。
そうすれば
とてもすっきりするのです。
よいものをかかえこまなくても、
心配はいりません。
目を開きさえすれば
よいものは無尽蔵に
あまねく存在しているからです。
昨日瞑想会を行いました。
今回も素晴らしい瞑想の場になりました。
参加者の方々の感想は、
一部コメントつきでこちらにアップしましたのでご覧ください。
参加されている皆様が、
瞑想会の間にどんどん穏やかな表情になったり、
一ヶ月前よりもずっと輝いた様子になっているのをみて
心からうれしく思います。
この瞑想会の場を通過することによって、
それぞれが力とヒントをえて
大きく明るくなっているのを感じます。
瞑想会ワークショップをはじめて本当に良かったと思います。
また皆様と瞑想の場を共有できて幸せに思います。
ありがとうございました。
次回の瞑想会は3月25日(日)です。
本日より予約を受け付けますので、
ご希望の方はこちらのページよりお願いします。
2月の瞑想会は明後日です。
今回は「自己実現と瞑想」をテーマにしてお話もします。
瞑想を続けていると起こることや、
空(シューニャ)についても触れる予定です。
参加ご希望の方は早めにご予約ください。
参加者の方々にお知らせいたします。
瞑想会当日は、
・十分な睡眠をとってくること
・満腹まで食べない(腹六分目くらいがよい)
・前日および当日はアルコールやカフェイン類は取らない
・暖かい膝掛け等を持参する
と瞑想の体験は心地よいものになるとおもいます。
そして「今日は瞑想をするんだ」
と少し思って来てください。
今回も、はじめの10分は、
場を清め、瞑想会を成功させるために、
プージャと呼ばれるインド式の簡単な儀式を行います。
参加者はうしろに座っているだけで結構です。
お供えするお花などを御持参いただければ、
飾らせていただきます。
皆様にとってよいワークショップになりますように。
瞑想は確かに
スピリチュアルな世界へ通じています。
しかし、
さまざまな東洋の霊的伝統は、
瞑想をして神、仏、眷属その他の霊的存在に出会っても、
それにとらわれてはならないと伝えています。
なぜでしょうか?
それは、
私たちが霊的存在に出会うとき、
その圧倒的な力によって
気づかぬうちに取り込まれてしまう可能性があるからです。
霊的存在も形がある限り、
究極の存在ではありません。
一度取り込まれてしまうと、
そこから抜け出すのは簡単ではありません。
心地がよければ尚更出られなくなります。
霊的存在との出会いは
確かに喜ばしく素晴らしいギフトです。
しかしそれは目的地ではありません。
道中の通過点に過ぎません。
神も仏も、
もとは空(シューニャ)から生まれたのです。
瞑想は、
神々、すべての魂、万物の故郷である、
空へと向かっているのです。
空にひたっているとき、
そこにはいかなる意味も物語もありません。
ただ素晴らしいだけなのです。
もし空に触れないままに霊的存在に出会ったら、
私たちはその圧倒的な魅力やパワーに太刀打ちできません。
ですから、
瞑想をするものは、
危険な寄り道はほどほどにして、
最終地点である
シューニャにつねに意識を向けていなければなりません。
シューニャの静寂のなかにあって、
心身が清浄であるとき、
私たちはいかなる存在にも取り込まれることもなく、
絶妙なバランスを保ちながら、
自己自身の道を進むことができるのです。
道で倒れている人がいるときに、
私たちは知らん顔をすることもできるし、
心配して声をかけることもできます。
自分が傷ついて倒れているときも、
事情はまったく同じです。
自分が傷つき苦しんでいても、
知らん顔することもできるし、
苦しんでいる自分を思いやったり、
苦しみに同一化して
泣き叫んだり助けを乞うこともできます。
私たちは、
自分とどうつきあうか、
他人とどうつきあうかを
選ぶことができるのです。
なので、
他人を自分のように扱うこともできるし、
自分を他人のように扱うことも可能です。
瞑想は、
自分の心と向き合うことが目的ではありません。
自分を超えた大いなるものと仲良しになると、
結果として自分の事情も見えやすくなるだけです。
瞑想は
感情や身体への同一化を弛めることによって、
すべてを包含するスピリットに触れる営みなのです。
虫が光に群がるように、
人間の魂も、
自分より明るい魂にひかれます。
自分より明るい魂と接することによって、
みずからの闇を知り、
さらに明るい世界を知ります。
そうすれば、
ひとりでいるよりも容易に
自らの闇を克服することができるのです。
その魂もまた、
自分よりも明るい魂を求め、
同じようにしてより明るくなっていきます。
こうして、
次々とより明るい魂へと連なっていくと、
最終的には魂のつながりは、
もっとも明るい宇宙の太陽へとつながります。
鎖のひとつをなす魂が、
少しづつ明るさを増すことによって、
人類全体を明るくし、
蔓延した闇を癒すのです。
自分の闇に明かりを灯すことは、
自分だけの出来事ではなく、
そこに連なる多くの魂に影響を与えるのです。
次回の瞑想会(2月18日)のテーマは、
「自己実現と瞑想」
に決定しました。
自己実現といっても、いろいろな意味があります。
それは「自己」の定義によっていろいろ変わるからです。
当日は、自己実現のいろいろな意味について
整理してみたいと思います。
そのうえで、
自己実現の過程でどのようなことが起こるのか、
そしてそのとき瞑想はどのような意味をもつのか、
などについて触れたいと思います。
瞑想会の詳細はこちらをご覧ください。現在も予約を受け付け中です。
よい瞑想会になりますように。
暗いところにずっといると、
それが普通になってしまいます。
けれでも、
ひとたび暗闇に光が差しこめば、
いままで暗闇にいたことに気づかされます。
私たちの魂も同じです。
光に出会うと、
はじめはまぶしくて目をそむけます。
そして自分が暗闇にいたことに気づくのです。
私たちの心は、
しばしば光を避けようとします。
しかし一度光に接してしまえば、
けっして忘れることはできません。
魂の本性は光を求め続けるのです。
光が差し込めば、
闇は一瞬にして消失します。
瞑想を繰り返し実践していると
瞑想中にたくさんの雑念がわいているときでも、
つねに同時に深い静寂があることに気づきます。
静寂はつくりだすものではなく、
いつでもすでにここにあるものです。
それは瞑想中だけではなく、
忙しく働いているときも、
激しい運動をしているときも、
悲しみにくれているときも、
喜び踊っているときも、
眠っているときも、
きづいていなくとも
いつでも静寂はそこにあるのです。
瞑想はそれに気づき、
その静寂に自らを解放していくことです。
静寂を身に纏うと、
みずからの魂の息づかいがきこえてきます。
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