
なにも考えることなく、
なにも注釈をつけることもなく、
ただ虚心に眺め続けていると、
それがどんなに役立たずで退屈なものであったとしても、
次第に親しみを覚えるようになります。
深い親しみを抱くようになると、
みている私と、
みられているなにかは、
通じ合うようになります。
しだいに私とそれとの境界線は曖昧になり、
溶け合っていきます。
みられるものは、
石ころでもいいし、
山でもいいし、
花でもいいし、
人間でも構いません。
もしも至高の神様を見つづけたとしたら、
いったいどうなってしまうでしょう。
私たちの心は煩悩のかたまりです。
煩悩がある限り、
どんなに表面をきれに取り繕ろい、
幸せなフリをしてみても、
実際には苦しみが次から次へとわき起こり、
トラブルに直面しつづけます。
煩悩がある限り、
心の目が曇っているので、
どんなに学問を修めても、
真実を理解することはできません。
煩悩ある限り、
どんなに社会的な成功を誇っても、
私たちは自らの欲と執着によって、
自分と他人を悩ませつづけます。
私たちは
光の乏しい無知の闇にいるのです。
そして、
闇の中にいること自体に気づいていない
無明(むみょう)のなかにいます。
まず光を求めることからはじまります。
光がなければ
闇がすべての世界だと思いこんでいるので、
自分が闇のなかにいることに気づけません。
自分の煩悩を直視して取り除くことがなければ、
苦しみとトラブルが絶えることはありません。
苦しみやトラブルは、
自らの煩悩の正当な結果だからです。
自分の煩悩に気づき、
反省して少しずつあらためていく、
この地道で痛みのともなうプロセスなしには、
私たちが進歩することはできません。
昨日も本当にパワフルで暖かい
素晴らしい瞑想会になりました。
何時間でも心地よく瞑想できそうな場になっていました。
瞑想会を見守っていただいた大いなる存在、
そして参加者の皆様に心より感謝申し上げます。
瞑想会参加の感想を書いてくださった方のコメントを
今回もこちらに掲載させていただきました。
それぞれの体験と、
瞑想会の空気が伝わってきます。
次回の瞑想会は4/22(日)を予定しています。
本日より予約を受付しております。
くわしくはこちらをご覧ください。
3月の瞑想会まであと3日になりました。
(参加のご予約はなるべく早めにお願いします)
今回は「煩悩と瞑想」をテーマとしたお話もさせていただきます。
瞑想はさまざまな霊的伝統で、
数千年にわたってとぎれることなく継承されてきましたが、
瞑想だけしていればよいという教えはひとつもありません。
その一つの理由は、
私たちのもつ根深い煩悩にあります。
煩悩を深く理解し、
対処法を知ることは
魂の成長に不可欠な知識です。
参加者の方々にお知らせいたします。
瞑想会当日は、
・十分な睡眠をとってくること
・満腹まで食べない(腹六分目くらいがよい)
・前日および当日はアルコールやカフェイン類は取らない
・暖かい膝掛け等を持参する
と瞑想の体験は心地よいものになるとおもいます。
そして「今日は瞑想をするんだ」
と少し思って来てください。
今回も、はじめの10分は、
場を清め、瞑想会を成功させるために、
プージャと呼ばれるインド式の簡単な儀式を行います。
参加者はうしろに座っているだけで結構です。
お供えするお花などを御持参いただければ、
飾らせていただきます。
皆様にとってよいワークショップになりますように。
瞑想は心の掃除です。
しかも、
その掃除は頭を使って意識的に行うのではなく、
すべて自然に自動的になされます。
瞑想による心の掃除は、
意識的になにかをしようとすると、
とたんに作業がストップします。
一度瞑想をすると決めたら、
自然な流れにすべてまかせ、
手を出してはいけません。
プロの職人の仕事に、
素人が気をきかせて手伝うと、
邪魔にしかならないのと同じです。
心の掃除によって、
感情や記憶がどのように整理され、
なにが捨てられているのか、
私たちは関与する必要はありません。
ただ信頼して、
掃除が終わるのを待っていればよいのです。
あれこれ考えて邪魔をしない、
それがいちばんよい掃除をするコツです。
瞑想は、
自分のなかに
スペースをつくることです。
苦しみでいっぱいのときに、
自分のなかにスペースをつくることができると、
苦しみは自分のなかの一部になるので、
苦しみは薄まっていきます。
喜びでいっぱいのときに、
自分のなかにスペースがふくらんでいくと、
喜びは自分のなかの一部になるので、
喜びは薄まっていきます。
苦しみにも喜びにもとらわれない、
空っぽの状態こそ、
一番心地よい状態です。
心と身体が透明の時こそ、
真の自己が現れているのです。
次回瞑想会のテーマが決定しましたのでお知らせします。
テーマは「煩悩と瞑想」です。
瞑想は確かに素晴らしいテクニックです。
しかし、
瞑想によって心地よい体験をしたり、
かりに神秘的な体験をしたとしても、
人格が未熟で
煩悩だらけのままだったら
まったく意味がありません。
今回は、
私たちの煩悩とはどんなものなのか、
そして瞑想が煩悩にどう影響し、
どう影響しないのかについて、
お話ししてみたいと思います。
次回の瞑想会は3月25日(日)です。
予約受け付け中ですので、
ご希望の方はこちらのページよりお願いします。
皆様にとってよいワークショップになりますように。
よいことがあって喜んでいるとき
私たちは幸せと感じます。
よくないことがあって悲しんでいるとき
私たちは不幸と感じます。
これを繰り返すのを一喜一憂といいます。
私たちの人生はたいてい
始めから最期まで一喜一憂の連続です。
私たちは、
幸福になりたいと望んでいるので、
できるだけ憂を減らし
喜を増やそうと考えます。
しかし瞑想は
これとはまったく違う試みをします。
瞑想中には、
よいとかよくないとかの判断をやめ、
あるがままを観るように心がけます。
もしそれができれば、
よいもわるいもなくなるので
一喜一憂から解放されます。
もし一喜一憂から解放されたなら
つまらない人生になると思うかもしれませんが、
実際には意外な結果になるでしょう。
無駄な感情や観念に惑わされなくなるので
物事をよりはっきりと
あるがままを観ることができるようになります。
そうすると、
ただあるがままを観ているだけで、
対象をいとおしく感じたり
深い喜びを感じるようになるのです。
瞑想の体験には、
いくつかの達成ポイントがあります。
瞑想状態にはいってしばらくすると、
散漫な心が鎮まってゆき、
意識が集中した状態になると、
辺りは次第に静けさに包まれていきます。
静寂のなかでさらに意識が澄んでくると、
心と身体が軽くなってゆき、
ついには理由のない
喜びに満たされます。
そのとき瞑想者は、
喜びの海に包まれているのです。
もはやこうなると
ずっと瞑想をしていたくなります。
あまりにも居心地がいいので、
日常意識に戻りたくなくなります。
瞑想をしても
つねにここまで到達できるとは限りません。
ここまでやってこれないことの方が多いかもしれません。
心や体に疲れやもやもやしたものがあって、
それが次から次へと湧き上がってきて、
むしろ苦しいだけの時も多いのです。
でもそれは、
この喜びの状態へ向かうために必要なプロセスなので、
それもまた重要な瞑想の体験です。
さしあたりは、
この喜びが瞑想のメルクマールになるでしょう。
瞑想とは、
なにもしないことに全力を傾けることです。
しかし不思議なことに、
どんなに忙しく活動しているときよりも、
深い瞑想はずっと濃密な時間になります。
なにもしないのに、
いちばん濃密なのです。
これは空(シューニャ)の性質です。
空はサラサラでなにも形はありませんが、
凝縮されたエネルギーの源でもあるのです。
自分の内側で起きていることを
あたかも外側の出来事のようにとらえ、
外側で起きている出来事を
あたかも自分の内側で起きていることのように
受け取ってみましょう。
そうすると、
内側と外側には本質的な違いなどないことが
理屈ではなく感覚的に分かってきます。
その感覚を深めていくと、
「私」という牢獄が幻想であることが、
ちらっと見えはじめます。
気にさわる状況に出会ったとき、
「コノヤロー、懲らしめてやるー」
と怒りでいっぱいになることがあります。
一方、同じ状況でも
「あ、いま自分のなかにイラッとした気持ちが湧いたな」
と自分の感情を観察できていることがあります。
前者の場合は、
心が怒りに占領されて、
コントロールがきかなくなります。
しかし後者の場合は、
心に怒りが生じた瞬間を観察できているので、
怒りをその場で手放すこともできます。
私たちは感情ではありません。
怒りに限らず、
自分の内面に起きることを
あたかも外で雨が降ったり風が吹いたりする出来事のように
距離をもって「観る」ことができれば、
心はずっと安定するのです。
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