
どのような神様を信じていても、
どのような宗教を信じていても、
根底においては万教同根です。
表層においては差異が目につきますが、
もっとも深層においては対立はありません。
もともとはひとつだからです。
万教が帰一する根源は空(シューニャ)です。
空性(シュンニャター)へ目覚めることは
意識的であるなしにかかわらず、
私たちの魂の奥底がもっとも待ち望んでいることです。
だから空に浸ったときには、
魂は無条件に喜びに満たされるのです。
その喜びのなかでは、
あらゆるものがやさしく溶かされていくのです。
私たちの魂は、
細々とした無数の出来事に遭遇しながら、
ほんのわずかずつ本質である空に目覚めていきます。
日常のさまざまな出来事への遭遇も、
その遙か先の延長線上へと進めば
輝ける空へと至ります。
瞑想はその目覚めを
少しばかり早めようとする試みです。
辛い出来事が起きると
それがトラウマとなって、
心に刻印されてしまうことがあります。
トラウマがあると、
あたかも心が檻に閉じこめられたように、
心の領域が狭くなってしまいます。
トラウマによる恐れが
無意識のうちに心に境界線をつくり、
それを乗り越えられなくなってしまうからです。
心と魂が成長するためには、
トラウマは解消されなければなりません。
それにはさまざまな方法があります。
トラウマが解消される時には、
ただ痛みの棘(トゲ)を抜くだけでは不十分です。
ただ棘を抜いただけならば、
いずれまた同様の棘に刺されるかもしれません。
トラウマを呼んだカルマは解消されていないからです。
棘には棘の意味があったことを悟らねばなりません。
棘はただの悪者ではありません。
棘を恨んで痛みにうめいているだけでは、
棘の真意は決して明らかになりません。
なぜ自分に棘が刺さったのか、
どうすればよかったのか、
棘が刺さってなにを得たのか、
このようなことが自らの内観によって明らかにされるにつれて、
はじめて棘はギフトに姿を変えてゆきます。
トラウマが力があるときは、
内観は的はずれであるか、
表面的なところにとどまっています。
トラウマは禅の公案のようなものです。
はじめはさっぱり意味が分かりません。
公案は知性では解けません。
魂の眼で真摯に自らを内観しなければ解けないのです。
トラウマという公案の回答が発見されたとき、
トラウマは力を失い、
トラウマを引き起こしたカルマは完全に解消されるのです。
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