
私たちは気がついたら身体をもっていました。
生まれるときに自分の身体をお店で買った人はいません。
身体は無料でいただいたものです。
いまも生きて働いてくれているだけで
有り難いことです。
身体が次の瞬間生きるのをやめてしまったら、
心臓を動かすのをやめてしまったら、
肺が呼吸するのをやめてしまったら、
私たちは生きていることはできません。
身体は生まれてから死ぬまで、
私たちのためにずっと休みなく奉仕をし続けてくれているのです。
身体を与えてくれたのは誰でしょうか?
親であり、
母なる地球であり、
大いなる生命であり、
神です。
身体はやがて大地へと還っていきます。
それまでのあいだ、
神が、生命が、身体を私に無償で貸してくれているのです。
身体を見るだけで、
無償の愛というものが現実にあることがわかるのです。
地上に無償の愛がないのではありません。
実際は無償の愛に満ちています。
あることに気づかない人が大勢いるだけなのです。
素晴らしい身体を貸してくださったのですから、
大切に扱わなければいけません。
私たちはよく使う道具の手入れをするように、
自分の身体を日々整えなければいけません。
身体は霊(spirit)が地上で生きるために欠かせない道具であり、
霊の住まう神殿だからです。
身体の健康は、
一、身体が欲するものを適量食べ、きちんと排出すること
(身体が欲するものとは、舌においしいと感じるものとは異なります)
二、清らかで風通しが良く穏やかな心を維持すること
三、リラックスしたり睡眠を取るなどして十分な休息を得ること
四、入浴などによって清潔にすること
この四点が基本です。
これさえきちんとしていれば、
特殊な健康法をおこなわなくても、
ひどい病気はほとんどの場合避けられます。
健康を維持するためには、
ちょっとした心がけと、
わずかなお金があれば十分です。
基本を押さえずに、
特殊な健康法や高額な治療法を試すのは、
優先順序が間違っているのです。
基本的な健康の上に、
息を整え、心を静めて、瞑想をすれば、
しだいに身体=0の状態へと近づいていきます。
身体の影響が少なくなればなるほど、
身体という器の主である霊が、
本来の能力を発揮できるようになります。
身体の影響を最小限にすると、
霊的感受性が鋭くなります。
五感では感じられなかったものを感じ、
考えてもよく分からなかったことが
腑に落ちるように理解されるようになるでしょう。
霊が身体から解放されればされるほど、
私たちは深く安らぎ、
自分自身のエネルギーを取り戻し、
自然と光を放つようになるのです。
ただし、身体に悪いものほどおいしく感じるなど、
わたしたちはちょっとした心がけがなかなか難しかったりします。
神殿を掃除するように、
心をこめて身体を整えるよう心がけましょう。
瞑想&ボディーワーク・ワークショップを以下のとおり開催します。
テーマ:
①大地とつながる瞑想法
②ケイシー・オイル・ヒーリング(腕)
大地とつながる瞑想を実践します。
この瞑想をマスターすることによって、
身体が安定するだけでなく、エネルギー的にも安定するので、
良いエネルギーを受け取りながらも、
他人からの悪影響を受けにくくなります。
特にマッサージや介護など、密接なヒューマンケアのお仕事とされている方は、
身体が触れることによって停滞したエネルギーをもらってしまい、
やがて自分が疲れ果て、病気になったりしますが、
この瞑想をしっかりすることによって回避することができます。
ケイシー・オイル・ヒーリングとは、
エドガー・ケイシーのリーディングに忠実に従った、
ピーナッツオイルを用いた宇宙意識からやってきたオイルマッサージです。
ケイシーは、このオイルを身体に塗ることによって、
体液の循環促進、解毒(デトックス)効果、肌の美容効果、
さらに内臓および全身の活性化、脊柱を整える効果、中枢神経系と自律神経系の調和、
などの効果があるとしています。
もちろん、適切な方法をマスターすることによって、
深いリラックス感も得られるでしょう。
ワークショップでは、男女別にペア-または3人組を作り、首~腕部の実習をします。実習時は、タンクトップなどの肩から腕を出せる服装でご参加下さい(着替えスペース有り)。ケイシー指定のオイルはこちらで準備します。床に敷くタオル(スポーツタオル以上の大きさ)をご持参下さい。
参加にはご予約が必要です。
会場:相模女子大学8号館3階831教室「ワークショップルーム太陽」
講師:石川勇一(相模女子大学教授・明治大学兼任講師・臨床心理士)
詳細はアートマンヒーリングルームホームページへ
http://homepage3.nifty.com/peacefulspace/
私たちは自分の心の悪い性癖になかなか気づくことができません。
必要以上に欲張る、貪る、執着する、
怒る、不満に思う、悪態をつく、
偏った見方をする、決めつけてしまう、
都合の悪いことを見ない、考えない、否認する、
自分のことしか考えられない、驕る、高ぶる、
嘘をつく、偽る、真実を知ろうとしない、
盗む、騙す、策略をめぐらす、取り繕う、
責任転嫁する、変わろうとしない、先延ばしにする、
逃避する、自己憐憫に浸る、自分を否定する、自分を安売りする、
嫉妬する、羨む、対抗する、感謝しない、敵意をもつ・・・
などなど
私たちは他人の悪いところはすぐに発見しますが、
自分自身の心にあるこのような傾向にはなかなか気づかないのです。
このような悪い性癖をサンスクリット語ではヴァーサナと呼びます。
そして、ヴァーサナがすっかりなくなったとき、
私たちはこの地上に生まれてこなくなる、
すなわち輪廻から解放されると考えられています。
私たちは皆ヴァーサナがあるから生まれてきたといっても同じことです。
ヴァーサナは今回の人生だけで身についたものだけではなく、
過去世から引き継いだものも多いのです。
めがねをかけ続けていると、
めがねをかけていることを忘れてしまうように、
ずっと身につけているヴァーサナには、
なかなか気づけないのです。
ヴァーサナは目の前にありながら、
見たくないので見えないのです。
しかし、周囲の人はしばしばヴァーサナに気づいています。
それとなく指摘されたり、
自分のヴァーサナによって、
人々がひっそりと自分の元を去っていたかもしれません。
なにより、ヴァーサナがあることによって、
つねに新たなカルマの種を蒔き続けています。
結局のところ、ヴァーサナによって、
苦しみ、不幸、困難が自分に降りかかってきているのです。
偶然不運なのではなく、
知らず知らずのうちに自分で種を蒔いていたのです。
苦しみはもっとも親切な警告です。
ヴァーサナがすっかり取り去られるまで、
警告がなくなることはありません。
それほど神様は慈悲深いのです。
真摯な心で自らのヴァーサナに気づいたとき、
自らのヴァーサナをありありと認めたとき、
私たちは軽くなります。
ヴァーサナは私たちが背負っている重荷であり、
ヴァーサナを見いだすことは、重荷から解放されることなのです。
ヴァーサナは偽りであり、真の自己を覆うものです。
ヴァーサナのメッキがはがれ落ちるとき、
自己自身(=アートマン)に近づき安堵します。
魂の光明が輝きます。
ヴァーサナを受け入れて流す涙は、
魂の浄化を促す美しい涙です。
瞑想が深まってくると、
ほとんど呼吸をしないような状態になってくることがあります。
細く深い呼吸が、
時々思い出したかのように起こるような感じです。
このような状態では、
身体の代謝が低下していることが多くの研究で分かっています。
つまり、身体の諸活動が最低限になり、
深い休息状態に入っているのです。
これは単に疲れがとれて安らぐということ以上の、
重大な意味があります。
身体が深い休息状態になると、
いままで身体に縛られていた霊が動きやすくなるのです。
だから深い瞑想状態では、
身体の五感を超えた感覚が鋭敏になってくるのです。
霊としての自分の感覚に近づいているのです。
深い瞑想とは、
人為的な臨死(Near Death)状態なのです。
臨死体験をした人が、
みな今まで感じたことのないような心地よさだったと口をそろえますが、
深い瞑想がとても心地よいのは、
臨死体験のように、
身体の束縛から解放された霊そのものに近づけるからです。
日々瞑想するとは日々死ぬことです。
毎日このような深いやすらぎと心地よさを感じられたら、
なんと素晴らしいことでしょうか。
形式的な祈りや、
偽りや打算的な欲にもとづいた祈りには、
ほとんどなんの意味がありません。
しかし、私たちが真心から祈るとき、
その想いは必ず神様に届いています。
瞑想をするとそのことがわかります。
瞑想とは神様からの、
あるいは高い意識からの応答を受け取れる意識状態なのです。
先日(2010年4月25日)2年半ぶりにワークショップで参加者の皆様と瞑想を行いました。
瞑想は初めての方も多かったにもかかわらず、
予想以上に深い瞑想の場がひらかれました。
そのとき、何人かが、瞑想中に応答を受け取りました。
それは本当に素晴らしいことです。
心を尽くした祈りと、
心身が静まった瞑想があれば、
このようなことは誰にでも起こることです。
海外に、最低でも県外に移転するはずだった普天間基地が、
一部は沖縄県内の移転にしてほしいと、今日、鳩山首相が沖縄で語りました。
明らかに約束とは違った結果になりました。
そもそも戦後65年経ち、冷戦も終わったのに、
これほど多く外国の基地が国内にあること自体、
きわめて異常なことです。
今日は、本当に残念な日です。
日米同盟の抑止力の名の下に、沖縄は戦後65年間、
ずっと危険な基地の犠牲になり続けてきました。
今の流れでは、これからも犠牲になれということです。
執拗ないじめを長期間受け続けているひとがいるのに、
クラスメートはずっと見て見ぬふりをし続けている。
沖縄問題はこのようないじめられっこと傍観者の関係を連想させます。
いじめを傍観しているのは、沖縄の苦しみに無関心な日本国民です。
沖縄は戦時から今日まで、基地の犠牲になり続けています。
米軍基地の周辺では騒音、事故、犯罪が日常的に起きています。
基地を歓迎する地域など、
他にどこを探してもあるはずはありません。
誰もが嫌なものを60年以上、国は沖縄に押しつけてきたのです。
どうしてこれ以上、押しつけることができるでしょうか。
マスコミは首相や政治家を叩き続けますが、
政治家は国民の代表です。
わたしたち日本国民が無関心で意識が低いから、
力と心のある政治が実現しないのです。
政治家は票がなければ成り立たず、
マスコミは視聴率がなければ成り立たないため、
国民の無責任を指摘することができません。
私たちはこのようなひどいいじめを直視し、
きっぱりとやめる決意をするときです。
国の借金も膨大ですが、
弱者を見殺しにしてきた国民のカルマもそれに劣らず甚大です。
沖縄に苦しみを押しつけておいて、
それに無自覚・無関心な日本国民が、
こどもにいじめをしてはいけないと言う資格があるでしょうか。
あまりにも遅すぎるとはいえ、
いまこそ65年間見て見ぬふりを反省し、
基地問題をどうするのか、
同盟関係は本当に必要か、
国の防衛をどうするか、
国の独立とは何か、
国に対する私の責任は何か、
ひとりひとりが自分の責任として考え、
議論すべきときです。
こうした国の根幹に関わる問題を
正面から争点にして選挙を行うべきでしょう。
この問題から目をそらし続けることは、
いかにも不健康な精神です。
身体の一部が病気に冒されて痛んでいるのに、
なにも手を打たずにいるようなものです。
やがては身体全体が蝕まれるでしょう。
というより、すでに無責任な利己主義病に
相当蝕まれているように思います。
私たちが沖縄の問題に意識的に取り組んで結論を出さない限り、
日本および日本国民は、
これからも精神的な自立は果たせません。
沖縄を決して見捨てない、
成熟して暖かく、
誇りのもてる日本にしたいものです。
携帯でもSQ Lifeメッセンジャー・ブログが閲覧できます。
http://blog.sq-life.jp/m/
