
私たちは、
狂気に出くわすと、
たいてい反射的に目を背けてしまいます。
しかしそのとき、
私たちは自己を小さくしてしまっているのです。
狂気は複雑に絡み合った事情から、
そこに必然的に生まれ、
生きていることも多いのです。
狂気は理解されにくい、
ワケありの花です。
排除された人間の心の叫びが、
狂気という形で開花しているのです。
狂気が現れたとき、
狂気の花によりそっていると、
それがフッと伝わってくることがあります。
そのとき、
狂気が愛らしくなるのです。
そして狂気にならざるを得なかった事情に、
狂気になることが正常であったという事実に、
胸がいっぱいになるのです。
狂気を抱きしめるとき、
私たちには痛みの伴う喜びと、
強く大きな愛に満たされます。
ここであふれ出る涙は、
浄化の美しい涙です。
狂気を受け入れたとき、
私たちは真に豊かになります。
中心から切り取られ、
長いあいだ排除されつづけていた重要ななにかが、
故郷に帰ることを許されたからです。
勘当された息子が、
ようやく我が家に迎え入れられたのです。
じつにそれは、
私たちにとって必要な帰還でした。
そのとき、
狂気は神様からのメッセージであったと気づくのです。
ご経験からの実感、すばらしいですね。
狂気に中にいる私としては、この感覚は割りとすんなり来ますけど、健康そのものの人にはなかなかバリアがあって難しいんでしょうね。
そのバリアも必要なときもあるんでしょうね。
2007年07月25日 08:39
狂気をうまく飼っている人はとても魅力的ですね。
狂気にバリアをはっている良識的な常識人には、
実は偏狭で冷酷で残酷なところがあります。
スピリチュアルヘルスの一要因には「狂気への理解と寛容な態度」というのがあるのではないでしょうか。
2007年07月25日 10:25
狂気は正気と紙一重な感じがします。
線引きするのは困難ですが、ふと気がつくと、線引きなんて無用な気にさえなってきます。
狂気は誰もが隠し持っていますね。
他人の狂気や自分の狂気が見えてしまうと、つい目をそらし、気づかぬふりをしたくなります。
知り合いは「いい人」でいてほしいし、自分も「いい人」でいたいのです。
でも、本当に器の大きい人ほど、自分の狂気や汚いところを認識して受け入れているような気がします。
そんな人はとても大きく、そばにいるだけで包みこまれるような感じがします。まるで強く豊かな大地のようですね。
狂気さえ、ひとりひとりの大事な一部ですね。
2007年07月25日 22:34
狂気にも、エゴが肥大化した醜悪なものと、
家族や他人のカルマを自ら引き受けた愛による狂気があります。
狂気にも、いろいろありますね。
2007年07月26日 10:35
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