
瞑想は、
マインドの作り出す幻想をスルーして、
心を超えた世界を体験する方法です。
瞑想をすることによって、
高い意識に触れて智慧を得たり、
メッセージを受け取ったり、
至福の喜びを体験することもあります。
しかし、よい瞑想ができたとしても、
再び日常では、
問題や苦しみが起きるのはなぜでしょうか。
瞑想の達人や、
高次の意識からメッセージを受け取る人が、
繰り返し間違いを犯したり、
トラブルに巻き込まれるのはなぜでしょうか。
依然として心が穏やかでないのはなぜでしょうか。
社会的に成功したひともまた同じ疑問がわきます。
努力をして、金銭、地位、家庭など、
目標とするものを得たけれども、
いぜんとして心が晴れないことが多いのはなぜでしょうか。
心の浄化は、瞑想や、外的な達成だけでは十分ではないからです。
瞑想中は、マインドの訴えには耳を貸さずに通過し、
深層の静寂を目指します。
瞑想によって、そのときは至福や神秘体験をすることもありますが、
それによって、心の闇が自動的に晴れるわけではありません。
仕事をしているときは意識を集中しているので、
充実感でいっぱいですが、
それによって、心の闇がすべて自動的に浄化されるわけではありません。
瞑想とは別に、
外的な努力とは別に、
自らの心の闇に、
巧妙に隠された感情や思考に意識の光を照らし、
自らの責任で引き受ける作業が必要なのだと思います。
そのときには、仕事や快楽などへの依存症的行動だけではなく、
心地のよい高い意識へも逃げ込んではいけないのです。
明晰な意識の光の下で、闇をあきらかにすることが必要です。
自分でも見たくない、
人に見せるのはもっと恥ずかしいと思っている心の実際を、
そのまま受け止めなければなりません。
これは、私たちにとって、簡単なことではありません。
無意識のうちに、ずっと避け続けていることです。
しかし、意識的にそれを行わない限り、
日常生活をまじめに積み重ねても、
仕事や家庭生活は表面上成功しても、
瞑想で高い意識を体験しても、
無意識のうちに隠し続けている限り、
浄化されない闇が残り続けます。
努力と苦労を積み重ねる一生を終えても、
正面から向き合わない限り消えずにつきまとう闇があります。
その闇は、来世へと持ち越されるかもしれません。
今ある闇は、過去生から引き継いだものもあるかもしれません。
浄化されない闇がある限り、
心に波風が起きて落ち着かなくなり、
実際にトラブルも生じます。
瞑想の至福が続かない理由はここにあります。
闇をあますことなく受け止めることは、
安らぎへ至る欠かせない道です。
心の煩悶や問題が生じるのは、闇があるからです。
心の煩悶や問題が生じるのは、闇に気づかせるためです。
心の煩悶や問題が生じたときは、闇に向かい合う絶好の好機です。
闇が私たちに見るべきものを見るように呼びかけています。
そういう意味では、闇は単に光の欠如などではなく、
闇もまた、変装した光なのでしょう。
そう思うと、闇に向き合うことが楽しくなります。
闇に呼びかけられることは光栄なことです。
闇=変装した光から呼びかけられたら、
それにしっかりと向き合うと、
自分で決めることが大切です。
そうすれば、光がいろいろな形で助けてくれます。
それこそが人間のかわいくて素敵なとこかなって思ったりもします。
人間って、至福にいたったら退屈しちゃいそう。
向っていくプロセスこそ楽しいし、ある意味至福だと思ったりもします。
きりないからいいんじゃないか、だからずっと楽しい状態が続くともいえるんじゃないかと、反対に思ったりもします。
2009年10月24日 07:41
闇と向き合う至福・・・この考え方が闇と向き合わない逃げ道にもなるから、簡単に言いすぎるのは抵抗があるけれど、本質的には、ポジティブもネガティブもまさに裏表一体なのでしょう。
2009年10月24日 09:37
闇をわかるのにはどうしたらいいのでしょうか?
自分でも、わからない・・・ことあるのでしょうか?
2009年10月31日 23:51
意識の光があたらないから闇なわけです。
そういう意味では、自分の闇は、私たちにはほとんどわからないのです。
闇は、他人との諍い、事故、病気、トラブル、
どうしても我慢できないこと、などの現象として現れます。
私たちの意識からすると、
それは不運や自分以外の人が引き起こしているようにみえますし、
合理的にはそう説明がつくのですが、
実際には自分の闇が引き起こしているのであれば、
繰り返しそれは現れます。
受け入れがたい出来事に、闇を見つけるヒントがあると思います。
2009年11月01日 09:09
ありがとうございます。
繰り返し起こるトラブル・・・闇からくるのですね。
受け入れたい出来事・・・ヒントですか・・・
難しいのですね。それが、解らないのが苦しいですね・・
2009年11月01日 13:37
はじめまして。
この世に受け入れられる真面目さで、努力して生きていても、自らの闇(影)と向き合うことを避け続けいたら、もしくはそこから逃避するために、闇(影)の自分を知ることを恐れるあまり、真面目に、一生懸命というペルソナを手放せないのだとしたら…。
生きることが辛いと嘆いてしまうことの理由がそこにあるのではないかと感じています。
とても素晴らしいエッセンスをいただきました。これを自分の中で咀嚼していきたいと思います。
2010年05月28日 08:40
必要なのは人々が認めるようなまじめさではなく、自己自身に対して真実であるようなまじめさなのではないかと思います。なかなか難しいですけれど・・・
2010年05月28日 19:25
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