
私たちは自分の心の悪い性癖になかなか気づくことができません。
必要以上に欲張る、貪る、執着する、
怒る、不満に思う、悪態をつく、
偏った見方をする、決めつけてしまう、
都合の悪いことを見ない、考えない、否認する、
自分のことしか考えられない、驕る、高ぶる、
嘘をつく、偽る、真実を知ろうとしない、
盗む、騙す、策略をめぐらす、取り繕う、
責任転嫁する、変わろうとしない、先延ばしにする、
逃避する、自己憐憫に浸る、自分を否定する、自分を安売りする、
嫉妬する、羨む、対抗する、感謝しない、敵意をもつ・・・
などなど
私たちは他人の悪いところはすぐに発見しますが、
自分自身の心にあるこのような傾向にはなかなか気づかないのです。
このような悪い性癖をサンスクリット語ではヴァーサナと呼びます。
そして、ヴァーサナがすっかりなくなったとき、
私たちはこの地上に生まれてこなくなる、
すなわち輪廻から解放されると考えられています。
私たちは皆ヴァーサナがあるから生まれてきたといっても同じことです。
ヴァーサナは今回の人生だけで身についたものだけではなく、
過去世から引き継いだものも多いのです。
めがねをかけ続けていると、
めがねをかけていることを忘れてしまうように、
ずっと身につけているヴァーサナには、
なかなか気づけないのです。
ヴァーサナは目の前にありながら、
見たくないので見えないのです。
しかし、周囲の人はしばしばヴァーサナに気づいています。
それとなく指摘されたり、
自分のヴァーサナによって、
人々がひっそりと自分の元を去っていたかもしれません。
なにより、ヴァーサナがあることによって、
つねに新たなカルマの種を蒔き続けています。
結局のところ、ヴァーサナによって、
苦しみ、不幸、困難が自分に降りかかってきているのです。
偶然不運なのではなく、
知らず知らずのうちに自分で種を蒔いていたのです。
苦しみはもっとも親切な警告です。
ヴァーサナがすっかり取り去られるまで、
警告がなくなることはありません。
それほど神様は慈悲深いのです。
真摯な心で自らのヴァーサナに気づいたとき、
自らのヴァーサナをありありと認めたとき、
私たちは軽くなります。
ヴァーサナは私たちが背負っている重荷であり、
ヴァーサナを見いだすことは、重荷から解放されることなのです。
ヴァーサナは偽りであり、真の自己を覆うものです。
ヴァーサナのメッキがはがれ落ちるとき、
自己自身(=アートマン)に近づき安堵します。
魂の光明が輝きます。
ヴァーサナを受け入れて流す涙は、
魂の浄化を促す美しい涙です。
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