
本日のワークショップでの瞑想会は、
落ち着いていながら力強く光輝き、
高貴でありながら一本の筋がガンッと通ったような、
素晴らしいエネルギーに包まれました。
瞑想をする前にある方が、
「今ここには高いエネルギーがおりてきている」とおっしゃいました。
別の方は瞑想後に、
「光の柱が降りてきていたように感じた。ここにいるみんなが幸せになって欲しい」
と語りました。
私もまったく同じことを感じていましたのでとてもうれしく感じました。
このお二人の方は瞑想経験を結構お持ちの方でしたので、
いろいろなことをキャッチされているのだと思います。
しかし、こういうことがわかることが良いというわけでもありませんし、
瞑想に必要なわけでもありません。
瞑想の意識を繰り返し体験していると、
普通の意識ではわからないことが自然とわかるようになるのです。
瞑想の意識に馴染んでくると、
はじめはあることにさえ気づかなかったものや、
ぼんやりとしか感じられなかったものが、
より明晰に捉えられるようになります。
微細なエネルギーへの感受性は、
受け止め方や受け止めやすい意識領域というのが人によってまちまちなので、
表現してみると違って見えることもあります。
エゴによってゆがめられることも多々あります。
瞑想中は、なにかをわかろうとする必要は全くありません。
あるとき自然と、目の前の木を眺めてその存在を疑わないのと同じように、
微細なエネルギーについて自分なりの確かな知覚が生じるようになるでしょう。
それはまったくリアルなことなのです。
しかしこうしたリアルさは、
それを得ようと求めすぎると得られないか、
歪んだものをキャッチすることがあります。
心が静寂かつ清浄に保たれていると、
マインドの雑音の影響が少なくなるので、
結果として、みえざるものがみえたり、
きこえざる音がきこえたり、
普段は感じられないものが感じられたりしてくるのです。
ですから、なにも捉えられなかったとしてもまったく問題はありません。
重要なのは、心が清らかに洗われて、静寂に触れているか、
自分自身の固有のエネルギーに触れているか、それだけです。
瞑想中はみていてもそれに惑わされないことが大切です。
見たものについて考えたり、論評をしていると、
見たものは消え、歪められ、瞑想意識は遠のいていきます。
マインドの罠にはまってしまうことも少なくありません。
ただ見て、感じて、判断せず、
そのままでいるとよいのです。
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