石川勇一の瞑想エッセイ「シューニャ」

真実の受肉 :日常に染み込ませること

現実的・常識的な考え方に染まって生きていた人が、
霊的な真実に触れて、
感動して目が開かれたなら、
それは本当に素晴らしいことです。
新たなる誕生の瞬間です。
肉体において魂が目覚めはじめた瞬間です。
その感動は霊の喜びであり、
魂から湧きあがる喜びにほかなりません。

新しい世界が開けはじめた感動はまちがいなく宝物ですが、
一度目覚めはじめたならば、
いつまでも過去の感動にすがってばかりいてはいけません。
それはもう過ぎ去ったことです。

霊的な真実に開かれはじめたならば、
霊的な理解を深め、
ひとつひとつの細胞に染み込ませていくことが欠かせません。

霊的な知識の一部に触れただけで、
すべてを知ったような気になったり、
有頂天になって周囲を見下したり、
いつも非現実的な世界に逃避するようになってしまったとしたら、
霊的な真実はまったく生かされていません。

霊的な真実は、
それが真実であればあるほど、
深ければ深いほど、
普遍性が高まります。

普遍性が高い真実は、
あらゆる日常的な雑事のなかでも通用しないはずはありません。
真実と日常がばらばらの世界に解離しているとすれば、
その真実は本当の真実なのでしょうか?

真実に目覚めながら、
真実を知らないふりをして今まで通りの生き方をするのはなぜなのでしょうか?
自分を変える勇気がないのでしょうか。
変わることによる周囲の変化が恐ろしいのでしょうか。
孤立することが恐ろしいのでしょうか。
真実を知りながら、
知らないふりをしてこの人生をやり過ごすつもりなのでしょうか?
それが本当に臨んでいる人生なのでしょうか?

魂の衝動に目をつむることは、
自己を欺くことです。
自己を欺きつづければ、
私たちの自己は分裂し、
心は決して満たされません。

真実は絵に描かれた餅であってはなりません。
真実は日常生活で実現されなくては意味がありません。

ただ頭で知っているというだけでは、
地図を買っただけで旅にいってきたと勘違いしているようなものです。
知識は自らの身体と心を通して実現しなければなりません。
知識の種は土壌に蒔かれたら、
地上に芽を出して成長しなければ意味がないのです。

霊的真実を日常のあらゆる瞬間に意識的に染み込ませることが大切です。
もし霊的真実に沿って意識的に生きようとすれば、
あらゆることがかわるでしょう。

息の吸い方が変わります。
息の吐き方が変わります。
空の見え方が変わります。
樹木の見え方が変わります。
花の見え方が変わります。
太陽の見え方が変わります。
食事をいただく感覚が変わります。
排泄をする感覚が変わります。
今ここに私がいるということの感覚が変わります。
心に浮かぶひとつひとつの考えへの態度が変わります。
口に出す言葉への注意が変わります。
人と出会うことへの感覚が変わります。
人との関係も変わります。
去る人もいれば新たに出会う人もいます。
必要のないものを手放すようになります。
自分がなにをすべきかが明らかになります。
・・・
このようにして、
霊的な真実が真に真実であれば、
そしてその真実をただ頭で知っているだけではなく、
心と身体と魂でそれを受け入れるならば、
日常のあらゆることが、
少しずつ質的な変化を起こさずにはいられなくなるのです。

その変化を堰き止めてはいけません。
意識的に解放し、
注意深く変化の波に乗るのです。

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コメント

投稿者: まなみん

なるほど・・・
充実感と喜び、感謝あふれる日々というのはきっと真実の受肉ということなのでしょうね。身体からはいるタイプなので?このように頭で考えたことがありませんでした。

2010年07月06日 06:30

投稿者: No Name

石川さんは身をもって学び、
尾崎さんは頭で考えているように、
私には感じられますけど・・・・・

2010年07月06日 08:06

投稿者: のの

まず、ある程度の合理的な思考がなければ、いろんなことが拡散して方向性がなくなってしまうでしょう。

どんな経験や体験をしても、本人がバラバラになってしまっては、元も子もありません。むしろ悪い方向に向かいかねないと思います。一般社会の中で存在するためにも、ある程度の知的な合理性は必要です。

だから、身体を通した学びの前提として、頭での理解は必要なのだと思います(中には、そんなの飛び越えてしまう方もいらっしゃるのでしょうが)。

でも、普遍性が高い真実を日常生活に連続させるには、一般常識や社会的な正しさに縋るだけでは到底無理なのも事実でしょう。体認的な知識を活かそうとすれば、頭で思考しているだけの人より、身体を持って学んだ人の方が圧倒的に強いのは疑う余地もありません。

そんな風に考えると、身体を通しての学びと知的な理解は、お互い補完し合っていますね。

でも個人的には、身体を通した理解を身につけている人からは、他の人からは感じられないような、どっしりとした安定感を感じてしまいます。

2010年07月09日 22:49

投稿者: まなみん

二番目のコメントさんへ

私は、まずはじめにわき上がる喜びがあって、それを皆に伝えるために言葉を探し、慣れない努力をしてるって感じでしょうか。はじめからあるものって当たり前すぎて言語化できないからその過程ですごく苦労してるのがわかっていただけるのかな、うれしいです。
ののさんがおっしゃるように、バランス回復のために私には必要な作業みたいです。
頭の理解?めんどくさくて放り投げたくなりつつ、なんとか今日もやってます。
言葉遊びはゲームみたいで、それはそれでとても面白いです。

2010年07月13日 08:03

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プロフィール

石川勇一石川勇一

相模女子大学教授。日本トランスパーソナル心理学/精神医学会副会長。日本トランスパーソナル学会理事。「アートマンの館」代表。臨床心理士。

「アートマンの館」にて、カウンセリング、ヒーリング、臨床動作法、箱庭療法、ケイシー療法、瞑想法、山学道セラピー(山巡礼・法螺貝・滝行・勤行等)などを実践。

著書に『スピリチュアル心理学入門』(春風社、2009年、単著)、『自己実現と心理療法』(実務教育出版、1998年、単著)、『スピリチュアリティの心理学』(せせらぎ出版、2007年、分担執筆)ほか。

石川勇一『心理療法とスピリチュアリティ』勁草書房、2011年2月20日発刊。スピリットセンタードセラピー提唱の本格論文集。


◎コメントに対してコメントをできないことが多いです。その点、ご了承ください。


「アートマンの館」 

●ワークショップ情報
瞑想会:2012年1月8日(日)13:30~15:30
山巡礼with法螺貝in日向山:2012年1月29日(日)9:20~14:00頃
ヒーリング入門講座:2012年3月4日・11日
(以上、参加予約受付中)


●相模女子大学 石川研究室
http://www.sagami-wu.ac.jp/ishikawa/


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