もんじゅまさきのことばのちから 沈黙のちから

2008年10月

柏樹子のドリーミング その2

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          ゴッホ:青空と緑暗色の糸杉

 若き柏樹子の樹勢は、ゴッホが好んで描いた“糸杉”にそっくりで、見事な上昇螺旋を描いて星まで届こうとするエネルギーをひしひしと感じさせてくれる姿をしているのですが、この樹の面白いところは、その若き時代の、ぐるぐるぐると上昇螺旋を描いて、まっしぐらに天を目指そうと枝を差し伸べてゆく一途な姿と対照的に、樹齢何百年をも経た老樹は、屋久島の千年杉にも決して見劣りしない、縄文時代の火炎土器のようなすさまじい迫力の生命力を見せながら、もはやそこには上昇螺旋の面影のかけらもなく、枝は乱れて散りぢりとなり、ほとんど人間の役には立ちそうもない無用の姿を見せているところです。

 さてゴッホは、その短い生涯が終わりに近づく頃、魅せられたように,糸杉を描きはじめます……1888年、アルルにおいて、ゴーギャンと共に画家たちのコミューンをつくりあげようとする夢破れたゴッホは、そのわずか半年後の1889年の6月中にサン・レミにおいて一連の糸杉をテーマとする絵を一気に描き挙げてゆくのでした。
 
 糸杉について、ゴッホは次のように語っています……

 「糸杉のことを私はいつも考えている。ひまわりの絵のような何かを描きたい。私が糸杉を見たとき、誰もまだその絵を描いていないのに驚いた。線といい、形といい、エジプトのオベリスクのように美しい。そして緑がなんとも特別なすばらしい色である。糸杉は太陽が一杯の景観の中では黒い印象があるが、それは最も面白い黒色の一つであるし、とらえるのが大変だったので、他のどんな色も考えられない。青に向かって、正確に言うなら青の中で糸杉は見られなくてはならない」

itosugi01.jpg まさに柏樹子や糸杉の深みのある緑暗色の色と姿は、果てしなき青き天空を背景にそびえ立つとき、その上昇螺旋のインパクトを強く伝えてくるのですが、この一連の糸杉シリーズをよく見つめてみると、大きくわけて三つの色彩が基調になっているのに気づきます。ひとつはベースとなる部分に用いられている小麦畑のイエローゴールド、そしてそこから天空の遙か彼方へと聳え立とうとする糸杉の緑暗色、そして振動する星や月たちを浮かべる天空の“青”……

 無限なる天空の青へと至ろうとする上昇螺旋を象徴するものとして、まさに糸杉(あるいは柏樹子)は、色も形もみごとな親和性をもっていると言えるでしょう。

 ちなみに、ゴッホは、この年の6月に一気にたくさんの糸杉のテーマの絵を描きあげてゆきますが、そのちょうど1年後の90年5月頃に、その代表作ともいえる“歩行者・馬車・糸杉、星月夜、そして三日月のある道” を描き終えた後、急速に精神の統合性を失ってゆき、その2か月後には、ついにこの世を去ってゆきます。


               宮沢賢治の『春と修羅』から

 一方、糸杉(柏樹子)の姿形に魅せられたもうひとりの人物が宮沢賢治です。彼の『春と修羅』の原文は縦書きですが、その途中から、海の波のうねりように上下する不思議な改行によって描きだされています……この日記は横書きなので、横書きを採用してみますが、ここでもまた一風変わった改行リズムの印象が醸し出されてきます……


        春と修羅
     (mental sketch modified)

  心象のはいいろはがねから
  あけびのつるはくもにからまり
  のばらのやぶや腐植の濕地
  いちめんのいちめんの諂曲〔てんごく〕模様
   (正午の管楽〔くわんがく〕よりもしげく
   琥珀のかけらがそそぐとき)
  いかりのにがさまた青さ
  四月の気層のひかりの底を
  唾〔つばき〕し はぎしりゆききする
  おれはひとりの修羅なのだ
  (風景はなみだにゆすれ)
  碎ける雲の眼路〔めじ〕をかぎり
   れいらうの天の海には
    聖玻璃〔せいはり〕の風が行き交ひ
     ZYPRESSEN春のいちれつ
      くろぐろと光素〔エーテル〕を吸ひ
       その暗い脚並からは
        天山の雪の稜さへひかるのに
        (かげらふの波と白い偏光)
        まことのことばはうしなはれ
       雲はちぎれてそらをとぶ
      ああかがやきの四月の底を
     はぎしり燃えてゆききする
    おれはひとりの修羅なのだ
    (玉髄の雲がながれて
     どこで啼くその春の鳥)
    日輪青くかげろへば
     修羅は樹林に交響し
      陥りくらむ天の椀から
       黒い木の群落が延び
        その枝はかなしくしげり
       すべて二重の風景を
      喪神の森の梢から
     ひらめいてとびたつからす
     (気層いよいよすみわたり
      ひのきもしんと天に立つころ)
  草地の黄金をすぎてくるもの
  ことなくひとのかたちのもの
  けらをまとひおれを見るその農夫
  ほんたうにおれが見えるのか
  まばゆい気圏の海のそこに
  (かなしみは青々ふかく)
  ZYPRESSENしづかにゆすれ
  鳥はまた青ぞらを截る
  (まことのことばはここになく
  修羅のなみだはつちにふる)
 
  あたらしくそらに息つけば
  ほの白く肺はちぢまり
  (このからだそらのみぢんにちらばれ)
  いてふのこずえまたひかり
  ZYPRESSENいよいよ黒く
  雲の火ばなは降りそそぐ


 ところで、この詩のなかで3度横文字でZYPRESSENと記されているのが糸杉(柏樹子)、サイプレスを表すドイツ語……宮沢賢治は“ツィプレッセン”と発音していたようです。

hoshitsukiyo.jpg 詩の冒頭に出て来る“諂曲〔てんごく〕模様”というのは、ゴッホの絵のなかでも描かれる唐草文様場の渦巻くエネルギー・フィールドにも通じているのですが、ここでは基本的に天空に伸び上がろうとする憧れや意志を巻き込み、個を個性なき多数のなかに埋没させようとする地上の渦巻き、現実社会のしがらみ、そしてそうした現世の力に巻き込まれ、自在を得ず、もがき苦しむ修羅としてのありようの表象でもあるでしょう。

 そうしたフィールドの中で、ZYPRESSENは、ラピスのように深い群青の風が吹き抜ける、軽やかな天へと向かう凛然とした垂直の憧れと意志をみごとに表しています。

 見田宗介氏は、賢治がここに糸杉でもなく、サイプレスでもない、ドイツ語のZYPRESSENを用いている理由を、「硬質の、重い切れ味をもった音価のドイツ語でなければならなかった」(『宮沢賢治──存在の祭りの中へ』)と述べていますが、まさに言い得て妙だと思います。

 とりわけ日本のような高温多湿で微細なものが絡まり合っている諂曲〔てんごく〕模様フィールドを突破して、ラピス色の風が満ち渡る透き通った天空へと龍のように翔昇るには…… 本来縦書きである『春と修羅』をこの日記のように横書きにしてみると、海の波ようなうねりがそのまま龍の身体のように見えるのも、不思議です

  れいらうの天の海には
   聖玻璃〔せいはり〕の風が行き交ひ
     ZYPRESSEN 春のいちれつ
      くろぐろと光素〔エーテル〕を吸ひ

 先ほどゴッホが糸杉について述べたことばを思い出してみると、そう、確かに ZYPRESSENは“黒々とした緑、もっとも興味深いブラック”です。賢治もまた、それを「くろぐろと光素(エーテル)を吸い」と描写しています。

  まばゆい気圏の海のそこに
  (かなしみは青々ふかく)
  ZYPRESSENしづかにゆすれ

「人間というのは大気圏の底に棲んでいる生物だ」という感覚が賢治には常日頃からあるのですが、その大気圏の底の底で巨大な昆布のようにゆらめく ZYPRESSEN……

いてふのこずえまたひかり
  ZYPRESSEN いよいよ黒く
  雲の火ばなは降りそそぐ

 当時『白樺』に掲載されたゴッホの糸杉に、賢治は強く惹かれ、共振していたようですが、ふたりはともに時代の先へと突き抜ける感性を抱きつつ、社会適合の枠の外へと大きくはみ出して、ひたすら孤高の道を歩き通した先駆けたちです。

hakujushi01.jpg こうした比類のない魂たちを捉えた ZYPRESSEN ……あるいは柏樹子たち……その存在感の深みは、ビャクシン、糸杉、カイズカイブキという名の響きでは、とうてい充分に描きだすことができないように感じます。
 
 そして上昇螺旋を描きながら天空を目指す若き糸杉(柏樹子)のまっしぐらさ……それはゴッホや宮沢賢治の魂を駆り立てていた狂おしいまでの若き探求者の一途さと重なって見えてくる一方、数百年の歳月を経て建長寺の境内に立つ柏樹子の老樹は、そうした探求のプロセスが究極的にすり潰れ、むしろ火炎のかたちをした受容の器として、静かに無用の用の境地に遊ぶ趙州のような存在を体現しているかのように見えてくるのです。   

柏樹子のドリーミング

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            火炎土器のような柏樹子の老古木

 上にアップした写真は、鎌倉の建長寺の境内に屹立する柏樹子の老古木の姿です。柏樹子は、禅の古典『無門関』第37則の公案にも取り上げられている有名な樹木であり、禅の世界ではとても重要なシンボリック・ツリーなのですが、建長寺のように、日本の禅寺の建築様式のなかで、戦乱や火災、台風などの災厄をのがれ、数百年前に植樹されたままの姿をとどめているケースはまれです……

 建長寺の柏樹子は、境内中央にある「三門」と呼ばれるゲートと仏殿と呼ばれるブッダホールの間を結ぶ参道の両脇のスペースに植えられ、ゲートとブッダホールの間を結ぶ回廊を守護するように今もそびえ立っています。

 柏樹子には「柏」という文字が入っているために、近年では、日本の禅の老師方さえ、間違って柏の樹だと勘違いされている場合もあるようですが、実は柏(カシワ)ではなく、柏槙(ビャクシン)とも呼ばれる糸杉によくにた姿形をしたカイズカイブキのことです……

 カイズカイブキはよく街路樹や生け垣などにも使われている何の変哲もないヒノキの仲間なのですが、よく先祖戻りをして、葉っぱが杉のようになることがあり、植木職人の方たちは、この先祖戻りをした葉のことを「オニ」と呼んで嫌っていますから、ヒノキとスギの両方の遺伝子をもっているのかもしれません……

 建長寺の柏樹子は、約750年の歳月を経た老樹ですので、まるで縄文の火炎土器のような風格と臨在感を放っていますが、このカズカイブキの若い頃の姿は、ゴッホが晩年に好んで描いた糸杉のように天空を目指す上昇のスパイラルをみごとに描いているのが特徴です。生物学的な分類についてはあまり詳しくないのですが、柏樹子も糸杉もともにサイプレスと英訳されているところを見ると、ほぼ同類と見なしてもよいのではないかと思います。

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 また柏樹子は中国や韓国では、墓場の周辺や宮廷の中庭などに好んで植えられていたようで、その理由は、その樹から放たれる香しい香りにあったようです。インドのような暖かな地方では、白檀が香木として珍重されていますが、北方の寒い国土では、白檀の代わりにこの柏樹子が用いられていたようです。さらにサイプレスという用語で調べてみると、 遠くはすでにエジプト時代から、ロータスの種子と共に、ヒーリングやメディケーションにおいて珍重されていた植物であるとのことから、けっこう奥行きの深い樹のようです。

 ぼくが初めて上昇螺旋を描いて天空に伸びようとする憧れをそのまま象ったような若き柏樹子の姿に目を奪われるようになったのは、上に書いたような柏樹子をめぐる蘊蓄を知る以前のことでした。当時は、まだ柏樹子がカイズカイブキという名前と結びつくはずもなく、ひたすらその樹の姿形にこころ惹かれていったのですが……それは柏樹子からの呼びかけでもあったということが今はよくわかる感じがします。ところで同じようにこの糸杉、あるいは柏樹子の姿形にこころ打たれ、その存在の奥へと探りを入れていった先人が、ぼくの知る限り二人あります……

 ひとりはその最晩年にたくさんの糸杉を含む絵を描いたゴッホ、そしてもうひとりは宮沢賢治です……なんだかぼくには、柏樹子のスピリットが、ゴッホや宮沢賢治の感性と魂を惹きつけ、その感性に訴えることで新たなメッセージの通路を見出そうとしていたように思えてならないのです。

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              趙州和尚の「庭前の柏樹子」
         
 ゴッホや宮沢賢治にとっての柏樹子、糸杉については後日詳しくとりあげるとして、今回はここで禅門にて重用される無門関37則や『趙州録』に出てくる柏樹子をめぐる問答を、少し紹介してみたいと思います。

 ある修行者が趙州和尚にこのように問いかけます。
 「達磨大師がはるばるインドから中国にこられた真意はなんでしょうか?」
 すると趙州和尚はこのように答えました。
 「庭先に生えている柏樹子じゃよ」

 趙州和尚が当時住んでいた観音院の周辺には天然の柏樹子がうっそうと茂っていたそうですから、きっと庭先にも立派なのが生えていたのではないでしょうか。すると修行者がすかさず第二の問いを投げかけてきました。
 「(主客もない)禅の本質をずばり問うているのに、目前にある対象物をもって答えられるとはなにごとですか?」
 すると趙州は答えます。
 「わしは対象物をつかって答えているわけじゃないよ」

 そこで再び修行僧が問いかけます。
 「達磨大師がはるばるインドから中国にこられた真意はなんでしょうか?」
 趙州和尚、再び答えて曰く……
 「庭先に生えている柏樹子じゃよ」


 昭和の禅界においてもそのすぐれた境涯で知られていた森本省念老師は、「柏樹子」についてこのように語っておられます。


「関山国師が伊深を去られるとき、老夫婦がやってきて何か説法してほしいと言った。関山は二人の頭をおさえて、頭同士をゴツンと突き当てたという話がある。白隠禅師が後年伊深でこの話を聞いて寒毛卓立したというが、これは庭前の柏樹子と同じだね。庭前の柏樹子は趙州の念仏だと私は思う。路傍の石でも私たちに何かを教えている。こちらが石を認識するということは石がこちらを認識しているんだ。そこに念仏がある。禅というのも、坐禅をすると不動さんが判る。坐禅は外善悪の境界において心念起こらず、内自性を見て動じないことだというが、坐禅すると百拙千醜しても心は落着いているということだ。不動さんが判ると、今度は観音さんが判ると思う。つまり三十三身をもって人を救うのだから、私が真宗人に対するときは真宗人として顕われないと真宗人を救えないことになるわけです。すると禅の中へ真宗が入るのは本当じゃないかと思う。禅といえども生きているものだからやはり潰れてくる。潰れて来て違ったものが出て来る。それが禅から言うと浄土教的なものであると思う。私は思うのだが、教行信証や歎異抄の上に禅がぴちぴちしているな。金子大栄や曽我量深などを見ると、それらの人の行動に禅的なものがあると思うね」(『森本省念老師 語録篇より)

 ぼくはこうした語りに接すると、禅問答に記された公案に室内で取り組むよりも、建長寺の柏樹子のもとへいって柏樹子を抱き、抱かれ、また柏樹子の木陰で静かに坐るほうがよほど趙州のこころに近づけるのではないかと思ってしまうのですが……

 
          ナノ・アウェアネス次元での語りかけ


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 ところでプロセス心理学の創始者であるアーノルド・ミンデルの最新の著作『身体症状に〈宇宙の声〉の声を聴く』(日本教文社刊)は、なかなか読み応えのある本です……とりわけこの本のなかでは音チャンネルを用いるメソッドがたくさん紹介されているという点でも、ぼく自身のワークと重なってくるところが多いのですが、人々の魂の旅路をガイドする沈黙の力、あるいはパイロット波について解き明かしてゆくミンデルのことばは、まさに上に述べたような認識するものと認識されるものとの相互交流の機微に触れた鋭い指摘になっていると思います。

 
 「ドリームタイムの沈黙の力はあらゆる事象の背後にある。それはこの世界を理解する鍵の一つである。沈黙の力は、諸現象の“源の初期の初期”に関する概念であり、経験である。この力を使うためには(あるいはそれと共に働き、症状とワークすることを学ぶためには)静寂のなかで自覚に焦点を当てることを学ぶ必要がある。自覚は身体の健康の感覚に対する中核となる要素である。自覚はさまざまな問いに対する答えの鍵となるだろう」

 「高名な物理学者であるデイヴィッド・ボームは、量子波動を彼のいう“パイロット波”の観点から捉えなおすことで、量子力学にスピリチュアルないし心理学的な次元を付け加えた(パイロット波についてボームは、なんらかのかたちで情報を付与された、あるいは誘導された物質的対象と想定している)。ボームは波動関数(あるいは私が“沈黙の力”と呼んできたもの)とは、ある種の誘導の力であると述べた。それはレーダーが航海する船を誘導するように、どこにゆくべきかについての情報を粒子に与えるものとされた」

 「量子波動の反射は、かすかなフラート(ふと気になる微細な感覚、現象、動きなど)に注意を引かれて、私たちがそうしたフラートを反射する仕方を反映しているのである。フラートが私たちによって反射された後、すなわちフラートが私たちの注意を引いた後はじめて、私たちはフラートを“生み出した”対象を観察していることについて考える。木のフラートが私たちの注意を引くと、私たちはフラートを反射する形で無意識的に木に注意を向ける。この反射の結果は、日常的現実(次元)においては観察と呼ばれる。しかしながら、いったん何かが観察されると、私たちは観察の背後にある(量子の次元)の微細なフラートを忘れ去ってしまう。フラートのような経験に焦点を当てることを学び、それを尊重し、内省するならば、それに内在する智慧が浮上する。以上のように、ナノ・アウェアネス(極めて微細な自覚)と身体知と意識とはみな結びついているのである」
 

  少し耳慣れないカタカナことばが多いので、わかりにくいところがあるかもしれませんが、微細な気づきのレベルでは、こちらが特定の対象に意識を向けるに先だって、すでに向こうから放たれた繊細なシグナルを受け取っているというお話です……そしてなにか私たちの計らいや予測を超えたもっと大きなものが、夢や身体感覚、病気、人間関係、仕事、環境などあらゆるチャンネルを通して常にひとりひとりをガイドしているということ、、、またそのガイドの声を聴きとるためにはこころを澄ませ、沈黙の世界に馴染んでゆく必要があるということだと思います。

 達磨大師がはるばるインドから中国へとやってきた真意とは、達磨大師ひとりの選択を超えたもっと大いなるもの、沈黙の力の導きによるものだったことでしょう。その沈黙の力を伝えるメッセンジャーとして柏樹子はうってつけの存在のように思えます。

常泣菩薩と観音菩薩

                検査入院の思い出

 今から約5年前のこと、2004年の元旦を過ぎた頃から、それまでじわじわと悪化してきた皮膚炎症が劇症状態となり、とうとう下旬ころから3週間、岡山大学付属病院に検査入院をすることになりました。皮膚の炎症は、壊疽性膿皮症とスウィート症を併発したもので、両手は赤くパンパンに腫れあがり、顔中、血と膿とかさぶたで一杯になり、まるで大火傷を負った人のような状態になっていました。

 現代医療の薬物投与による治療が最初は嫌だったので、入院に至るまでの約1年半ほどは、およそ試みることができる限りの民間療法や漢方、刺絡法などトライしてみたのですが、結局、歯止めが効かず、あまりの炎症のひどさと痛みでからだを動かすのもやっとという段階にいたって、ようやく現代医学の助けを求めることになったのです。

 入院直後、後からパートナーのブミカに聞いた話では、主治医が彼女をこっそり呼んで「もう退院はできないかもしれないので覚悟してください」と告げたほどその時の病状はひどかったようです……。

 実は壊疽性膿皮症やスウィート症というのは結構珍しい皮膚疾患なんですね。検査入院をする前に最初に受診した別の病院の皮膚科のドクターは、20年以上診察してきたけれど、この病気はぼくで4人目とおっしゃってました。大きな街の総合病院でなく、小さな町医者だったとしたら、一生のうち1人の患者に巡り会えるかどうか、それほど確率の低い皮膚病だと医学部で習ったことがあるとおっしゃったドクターもあります。

 そして劇症の壊疽性膿皮症の場合には、背景に白血病や悪性腫瘍などの重篤な疾患が潜んでいることが多いらしく、ブミカに「もう出られないかもしれません」とつぶやいた主治医も、精密検査によってそうした悪性疾患がみつかる可能性が高いと思われたのでしょう。

 ところが不幸中の幸いで、CTスキャンや骨髄穿刺などの精密検査をしてみても、どこにもそうした悪性の疾患がみつからないという結果が出てしまったのです……その頃から徐々に病室を訪れる研修医の数が少なくなってきました……。

 少し遅れて届いた染色体の異常を調べる検査の結果で、ようやく20番染色体の一部に欠損があることが認められ、まだ因果関係や機序は明らかになっていないけれど、それがリンパ系細胞のサイトカイン分泌バランスを乱し、好中球を過剰刺激して、このような激しい皮膚疾患をもたらすのではないかという説明に留まることになりました。こうして結局、3週間の検査入院満了の日に、投薬により症状もかなり改善し、無事生きて退院することができたのです。

             平原綾香さんの『Jupiter』

 ちょうどこの頃、回復期の春の懐かしい思い出に、平原綾香さんのデビュー曲『Jupiter』があります。すでに前年の暮れ頃からヒットしていたらしいのですが、闘病生活で目一杯だったので、この曲の存在を知ったのは退院後の2月のことでした……。いったん死ぬかもしれないと感じるところまで底落ちしてしまった体力が、徐々に復元してゆくプロセスのなかで聴いた彼女の歌声は、その歌詞の含みとあいまって、しみじみとこころの奥に響いてきたものです。

 何度もかけては繰り返し聴いていた『Jupiter』ですが……この歌詞の中には、ちょうど慈悲の菩薩である観音菩薩の働きをそのまま表しているようなくだりがあります。

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心のしじまに 耳を澄まして
私を呼んだなら どこへでも行くわ
あなたのその涙 私のものに

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 苦しみの中であえぐ衆生が、助けを求めてその名を呼ぶと、その声を聴いて、即座に訪れ、救いの手を差し伸べてくれるという観音菩薩の働きを、上記の詩は、なかなか見事に描き出しているように思えます。平原さんの声質とも相まって、この歌を聴く人々は、われ知らず、観音菩薩の働きの磁場のなかへと誘い込まれてゆく気配を感じます……。

 ぼくの愛読書のひとつに河合隼雄さんと中沢新一さんの対談『ブッダの夢』(朝日新聞社刊)があるのですが、このなかで中沢さんが、あまり知られていない観音菩薩の前世の姿であったとされるある菩薩について触れていますので、ちょっとそのくだりをもんじゅ風にリライトしてみます……。

 かつて遠い過去に、この惑星地球の上に存在する、すべての生き物たちの姿を観察しながら、とめどなく涙を流しつづける菩薩が存在していました……その菩薩の名は常泣菩薩といい、いつも泣いてばかりいたことからこのように名づけられたといいます。

 常泣菩薩が泣きつづけていたのは、この世界に生きている生き物たちを深く観察すると、どんなに小さな生き物たちでも苦しみを背負いながら生きている姿が、深いところから誤摩化しようもなく見えてきたからであり、もうひとつは、その苦しみに対して為す術もなく立ち尽くしている自分自身の無力さに対する涙でもあったことでしょう。

 そして幾千もの時が経ち、この常泣菩薩は、転生を遂げて、あるとき観音菩薩に変容します…… 。

 観音菩薩は、様々な癒しのツールを手にする千本の腕を持つとも言われ、また33の姿に変身して人々を巧みに救いとってくれる菩薩なのですが、涙の海を抜け出して変容を遂げたこの菩薩は、もう無力ではなくなり、それこそまさに縦横無尽に衆生済渡の働きを発揮してゆくことになるのです。

               常泣菩薩から観音菩薩へ

 大いなる苦しみに呻吟し、のたうちまわっているときでも、その名を呼べば、即時に感得して、その声を聴き取り、その苦しみを抜き取って、安らぎのなかへと導いてくれるとされる菩薩こそが観音菩薩ですが、この観音菩薩が観音菩薩になる前に、こうしてただひたすら泣き濡れる常泣菩薩の時代があったことはまさに注目に値することではないでしょうか。

 常泣菩薩から観音菩薩への転身を思う時、いつも脳裏に浮かんでくるのは、クリシュナムルティの次のような言葉です……。

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おわかりになりませんか
私はただおたずねしているのです
思考、自己憐憫の悲しみ、イメージの悲しみよりも
もっとはるかに深い悲しみのことがわかりませんか? 
それにお気づきになりませんか?

思考の悲しみではなく、もっと深いもの
その悲しみが終わる時、慈悲が誕生するのです。

(クリシュナムルティ『生の全体性』平河出版社刊)

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 『生の全体性』は、たくさん翻訳されているクリシュナムルティ関連の講話本の中では異色の作品であり、これはシャインバーグ博士、デービット・ボーム博士とクリシュナムルティの鼎談であることと、対話のプロセスが、クリシュナムルティ関連の本としては例外的に、こころの深みへと至るプロセスが、湛然に描き出されているところに醍醐味があると思います。

 もし読者が、油断なく心し、細心の注意力を払って、この本に描き出された三者のプロセスを辿ってゆくことができたなら、あるいはもしかすると、クリシュナムルティが仕掛けている瞑想の道程を辿り直すことで、通常の読書体験を超えた、深い体験をするかもしれません……

 そしてそれはまた、まさにひとが常泣菩薩を通って、観音菩薩へと変容を遂げる旅でもあることでしょう。

              普遍的な悲しみの層を抜けて

 ぼくたちの心の底には、個人的な悲しみではない、もっともっとはるかに深い悲しみの層があります。通常体験するところの悲しみというのは、そうした深いレベルの悲しみに比べるならば、まだまだ浅い個人的なものであり、むしろ感傷的なものと呼ぶ方が適切だと思われるような情緒の一こまにすぎないと言えます…… 。

 クリシュナムルティが、この鼎談の中で「思考、自己憐憫の悲しみ、イメージの悲しみよりも、もっとはるかに深い悲しみ」と呼ぶものを……河合隼雄さんは宮沢賢治の作品に触れながら、「情ではない“非情な悲しみ”、“非個人的な悲しみ”」といった言葉で表現されていますが、それは「センチメンタルな悲しみでもなく、情感たっぷりの母性的な領域に属するものでもなく、もっと天空に向けて突き抜けたもので、名前をつけるならば、悲しみとしかいいようがないけれども、それはとても深いところにある実存的なフィーリングであり、いわゆる個人的な感情ではない普遍的な悲しみだと」いうことになるでしょうか……。

 そしてこころの深層にある、この深い深い悲しみの層と、カルーナと呼ばれるところの菩薩の慈悲とは、どうやら紙一重のようです……この紙一重が、常泣菩薩と観音菩薩とを分かっている最後の薄い一枚のベールといってよいかもしれません。ひとは、その悲しみが極限にまでくると、個人的な悲しみを超えた非情の悲しみのレベルに達っしてゆき、さらには、その悲しみの層をも突破して、無限の青空へと超出することができるのだと……そして、そのとき初めて観音の働きの源となる、カルーナ、大悲が、その空のなかからおのずと立ち顕われてくるのだと……。

             ミスティックローズ(神秘の薔薇)

 20年程前に、インドのOSHOコミューンに滞在中体験したミスティックローズと呼ばれる瞑想があります……この瞑想は、3週間かけておこなわれるもので、最初の1週間は毎日3時間づつ笑いつづけ、次の1週間は毎日3時間泣きつづけ、最後の1週間は毎日3時間、ひたすら沈黙のなかに沈潜してゆくものです。

 これはOSHOが最晩年に編み出した幾つかのセラピューティック・メディテーションのひとつなのですが、こうしたシンプルな技法が人が静かに坐ることをどれだけ助けてくれるかは、体験してみるまでわかりませんでした……。

 若い頃の禅体験のなかで、深い静けさと沈黙、身心が澄み清まり透明になってゆくような清々しい境地を幾度か体験したことがあるのですが、ミスティックローズで体験した静けさ、沈黙はそれまで一度も味わったことのないタイプのものでした。そこでは笑いと涙を表現つくしたあとの深い深いくつろぎがあって、静けさや沈黙を保つための努力、計らいがいっさいかかっていないのです……まるで幾千もの沈黙の花がひとりでにそこに咲きつづけてゆくような豊かな静けさがあたりに充満し、深いところから微笑みがこんこんと湧いてくるのです……。

 笑いにも、涙にも、そして沈黙にも、じつに様々な次元、様々な深さ、様々な層があることを体験的に知り……常泣菩薩と観音菩薩の物語が、たんなる説話ではなくて、瞑想体験が深まりゆくときのプロセスを伝える大切なメタファーであることに気づいたのもこのときでした。

 岡部明美さんとの邂逅があり、岡山県内でともにワークショップをリードするようになってから、まずは深い深い悲しみをしっかりと味わいつくしてから、そこを透過して広々とした慈愛に満ちた空のなかへと抜け出るという「常泣菩薩から観音菩薩」への旅路をひとりひとりが辿ってゆくことの大切さをますます感じるようになっている今日この頃です。

からだに届くことばの力

 秋の夕べはつるべ落としというがごとく、このごろ日の暮れるスピードがめっきりと早くなってきました。先日もあたり一面にキンモクセイの香りが漂うなか庭先の高さ4mばかりあるモチノキの天辺によじ登り、枝を剪定しているうちに、あっという間に手元が暗くなってしまいました……。

 選定ばさみをロックして、足を踏み外さないようそろそろとモチノキから降り、払った枝をゴミ袋に入れていたら、もうとっぷりと日は暮れ、落ち枝の在処もわからなくなってしまうほどです……。

 染色体欠損に起因する厄介な病を抱えている今の僕には、あまり激しい運動や力仕事はよくないのですが、それでも簡単な草むしりや剪定、ガーデニングなど土や木々に触れる簡単な手作業は、すると気持ちがよいので、ときどきこうして汗を流すことにしています。

 先日、縁あって来日中のインド人のアーユルヴェーダのドクターに脈診、舌診、問診などをしていただき、ヴァータ(風と空のエレメント)過剰の傾向にあるので、ヴァータを鎮めるためのハーブ処方をしていただいたのですが、後で色々調べてみると、パソコンなどにかじりつく生活もヴァータを強めてしまう傾向があるらしく……一方、ガーデニングは、ヴァータ過剰だけでなく、他のドーシャの過剰もバランスを取る作用があるとこのことでした。やはり土や樹に触れることは自然界のリズムに同調し、過剰なもの取り除いてゆく助けになるのかもしれません。

 ところでこのSQライフのコラムの存在を最初に教えてくださったのは、同コラムの執筆陣の一人、岡部明美さんです。岡部さんとは昨年の夏頃、mixiの日記へのコメントやメッセージのやりとりを通して知り合いになり、あっという間に意気投合して親しくなり、今年は1月、4月、6月、9月、10月と何度も岡山にお招きし、ワークショップや個人セッションをリードしていただいたのですが、いつの間にか二人でコンビを組んでコラボレーション・ワークを行うという、実に不思議な展開になってきています……つい先ほども、岡山県内に行われた岡部さんとの「三つの扉」というタイトルのコラボレーション・ワークを終えて戻ってきたところです。

 最初に岡部さんのワークショップに立ち会ったときに得た感想を一言でまとめると「からだに届くことばの力」というフレーズが自然に浮かんできたのですが、参加者のからだのなかに浸透してくることばの微妙なさじ加減、、、、、内的なフィーリングにぴったりと合うことばが見出されたとき、それがまるでパスワードのような働きをして、一人ひとりのフィーリングの奥深くへと通じる回廊への扉を開けてゆくさまはみごとでした。

 身体感覚やフィーリングとぴたりとあったことばを見つけ出してゆくことを通して、内面世界の深みを探ってゆく作業は、もし細心の注意深さとともに用いられるなら、大きな助けになるものであることを岡部さんのワークを通じて再認識させていただいたしだいです。

 竹内敏晴さんの声かけのワークにおいても、声の届き方、声の方向性や到達深度などを身体感覚を冴え渡りさせながら見てゆくものがあり、またハコミセラピーやフォーカシングなどの身体感覚指向アプローチにおいてもことばと身体感覚の相互作用に鋭敏に働きかけてゆく姿勢がありますが、岡部さんのメソッドは、それらのエッセンスを吸収しながら、ハコミでもなく、フォーカシングでもなく、声かけのワークでもなく、充分に消化吸収され岡部流となったユニークなワークだったと思います。浮遊することばを、ひとを深いところで揺り動かす力をもった生きたことばへと回帰させてゆくわざは、「ことばの本来の力」を蘇らせてくるものとして、これからますます多くのひとに求められてゆく予感がします。

 瞑想の深みにおいては、ことばもイメージも、微細なフィーリングも後にして、深い沈黙の世界に参入してゆくことになるのですが、はなからイメージやことばの世界を押しやるのではなく、まずは浮遊することばを、こころの奥に潜んでいる真の願いに触れさせ、ことばを味わい深い力あるものに変化させるというこのプロセスが、今は切に求められているように感じるからです。

 「ことばの力」が押し開かれてくるにつれ、きっとその対極にある「沈黙の力」もまたおのずとそのベールを脱ぎはじめてくることでしょう。

出版書籍

さがしてごらんきみの牛
マ・サティヤム・サヴィタ (著)
出版社: 禅文化研究所

一休道歌 上
バグワン・シュリ・ラジニーシ (著)
スワミ・アナンド・モンジュ (翻訳)
出版社: めるくまーる

一休道歌 下
バグワン・シュリ・ラジニーシ (著)
スワミ・アナンド・モンジュ (翻訳)
出版社: めるくまーる


黄金の華の秘密黄金の華の秘密
和尚 (著)
スワミ・アナンド・モンジュ (翻訳)
出版社: めるくまーる

プロフィール

もんじゅまさきもんじゅまさき

豊かな自然に恵まれた京都府の禅寺に生まれ育つ。

京都の花園大学で禅学・仏教学を学びながら、ユングの深層心理学などにも興味を持ち、夢の記録などを続ける。卒業後に渡印、OSHOのもとでサニヤスを受ける。その後、縁あって河合隼雄氏の個人セッショ ンを足掛け7年に渡って受ける機会に恵れ、魂の変容プロセスにいかに無為にして立ち会うかというメタスキル上の貴重な体験を得る。

この間にプロデュースした絵本『さがしてごらんきみの牛』が禅文化研究所から出版されている他、『一休道歌』『黄金の華の秘密』などOSHOの講話を数冊邦訳している。

現在は、声の質をコンピューターで解析し、カウンセリングを行うサウンドレゾナンスのプラクティショナーとして活躍する一方、Heart of Life をパートナーとともに主催し、ファミリーコンステレーションや岡部明美さんのワークショップなどを紹介している。

数年前に発症した染色体欠損に基づく難治性の疾患を抱え、この病との共存・治癒の可能性を、からだとこころの両面からのアプローチをつかって模索しているところです。

★ホームページ "Heart of Life"
http://web.mac.com/monjel1315/...

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