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      <title>村川治彦の自分のからだとコンタクト！</title>
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      <language>ja</language>
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         <title>歴史的身体（３）</title>
         <description><![CDATA[<a href="http://blog.sq-life.jp/murakawa/log/message/002989.shtml">…『歴史的身体（２）』続編</a>

　僕が自分の身体感覚を取り戻す（？）きっかけになったのは、伝統的な祭り
への参加ではなく日本を遠く離れた太平洋の対岸、エサレン研究所の芝生の上
だった。そこで味わった自分の感覚を確かめていく過程で、西洋で発達した
心理療法やボディワークを学んだが、しだいにそうした西洋のものだけでは何かが
欠けていると感じるようになり、太極拳や気功に関心がいくようになった。
その理由を斉藤の次の言葉が的確に表現してくれている。

「身体感覚は、気持ちよさを感じる方向へ身体を解放するという文脈で語られる
ことが多い。この文脈では、身体感覚は訓練されたり技にされるものではない。
しかし、『身体感覚を技化する』という考え方をすることによって、一回一回の
身体感覚に流れていくのではない方向性が見えてくる。身体感覚が技となって
身につくことで、よりたしかな充実感が得られる可能性が生まれるのである。」
（斉藤孝著「身体感覚を取り戻す：腰ハラ文化の再生」p.7）

　ただしここで間違ってはならないのは、「身体感覚を技化する」過程が必ず
しも「気持ちよさ」と相反するものではないということだ。日本文化の伝統的
身体美を取り戻そうとした三島由紀夫は、肉体を対象化するための唯一の手段は
「苦痛」であると考え、剣道とボディビルにのめり込んでいった。しかし、彼の
辿った道が示しているように、日本的型を身体への苦痛の強制としか捉えられない
限り伝統的身体はますます死滅していく。確かに病気になると、自分の身体が強く
その存在を訴えかけてくる。だが健康な時にも、快感を手がかりにしても、
身体感覚を深めていくことは可能だ。いやむしろ、僕たち一人一人が身体の深い
ところで感じる快の感覚こそが、歴史的身体を取り戻していくために僕たちに
残された唯一の道筋なのではないかと思う。問題は、斎藤がいう「気持ちよさ」と
「身体の深くで感じる快」の区別を多くの人が見失っていることにある。
　
　木のようにただ立つだけの「站椿功」という気功がある。この気功ではただ
たんに立っているというある意味極めて退屈な行為を続けるのだが、そこで強調
されるのは、退屈を我慢するとか、立つ苦痛を乗り越えるということではない。
むしろ、退屈だったり苦しければやめて、リラックスした中でのある快感を少し
ずつ育てていくことを大切にするよう教えられる。その快感は最初とても微か
だったり、ちょっとしか続かない。でも「続ける」ことでその小さな快感は少し
ずつ育っていく。習慣の持つ力を抜きに身体を考えることはできない。
人類あるいは、生物発生以来の習慣の集大成が僕らの身体と言えるだろうから。
大切なのは苦痛ｖｓ快感ではなく、身体感覚との対話の継続なのだ。

　僕にとって気功は、心理療法やボディワークを通して出会った自分の身体感覚を
より掘り下げ、自分の中の歴史的身体に出会うための大きな手がかりとなっている。
自動車、テレビ、コンピューター、携帯電話のない共同体社会で育まれた伝統的
身体を、気功という身体技法を通してどこまで回復できるのか。気功体験から
何か共同体感覚が生まれてくるのか。毎日テレビを見て、携帯電話でつながりあう
現代の日常生活が、気功を積み重ねることでどこまで変化するのか。
色々と問いはつきない。

『歴史的身体』　完]]></description>
         <link>http://blog.sq-life.jp/murakawa/log/message/002990.shtml</link>
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         <pubDate>Thu, 07 Feb 2008 12:30:37 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>歴史的身体（２）</title>
         <description><![CDATA[…<a href="http://blog.sq-life.jp/murakawa/log/message/002988.shtml">『歴史的身体（１）』</a>続編

その夜宿舎に帰り興奮醒めやらぬ中、ふとある疑問が湧いてきた。
それは僕が感じた一体感、高揚感は、一緒に酒を飲み、川に飛び込み、かけ声を
かけあって綱を引く若者たちが感じているものと同じなのだろうか。
普段はどうみてもヤンキーの兄ちゃんで、年寄りの言うことに耳をかしそうにも
ない若者たちが、法被を着て町の年長者たちにお茶をだし、素直に言うことを
聞いている。そうした彼らが感じている非日常での共同体の感覚。
そこには何か僕らには触れ得ない、あの土地で育まれた何百年もの歴史がある
ように感じられた。客人としての僕には到底触れ得ないある歴史的な身体ともいう
べきものがどっしりと感じられた。

　祭りの最中に若者達が見せた年長者への何気ない所作、冷たい川に裸で飛び
込む勢い、綱を引くときの腰の決まり方、それらはみな総体的にある文化を
担っていく歴史的身体を形成していた。こうした歴史的身体が日本文化の中で
失われてきている。少なくとも僕自身の中で、子どもたちに伝承できる型として
息づいていないのを痛感している。

この問題を考える上で、斉藤孝の「身体感覚を取り戻す：腰ハラ文化の再生」
（ＮＨＫブックス）は様々な示唆に富んだ名著だ。この本の中で斉藤は
「『現在の日本で、カラダに何が起こっているか』という問いに一言で答える
ならば、＜中心感覚＞が失われているということになるのではないだろうか。」と
述べている。ここでいう中心感覚は「腰やハラが出来ている」という表現で伝え
られる身体の感覚なのだが、大切なのはこうした身体感覚が祭りのような共同体の
イベントだけでなく、日常的なレベルでの玄関で靴を脱ぐ、畳に座る、道を歩く、
あるいは子供の遊び方などといった何気ない所作によって育まれてきたことだ。
（これについては社会学者ピエール・ブルデュー「実践感覚」を参照）

　時代の変化と共に生活様式が変わる以上、当然そうした身体感覚も変化せざ
るを得ないのだが、問題はそうした身体感覚が心のあり方や他者との触れ合い方
などの根底にあるという斉藤の指摘だ。（身体感覚と理性的思考の関係は認知
意味論のレイコフやジョンソンの著作に詳しい）例えば「腹を立てる」
「むかつく」「キレル」と言った言葉は、単に世代による表現の違いだけでなく、
その背後にある身体感覚の違いを抜きには考えられない。そしてこの３０年の
生活様式の変化がもたらしたものは、たんに身体感覚の変化ではなく、もっと
根本的な身体感覚の喪失に深く関わっているのではないか、という点だ。
（須藤功など民俗学写真家や土門拳などの写真集を見ると、戦前・戦後よりも
１９７０年を境にした日本人の生活における身体の使い方の変化が良く分かる）

<a href="http://blog.sq-life.jp/murakawa/log/message/002990.shtml">…次回最終回、『歴史的身体（３）』へ続く</a>]]></description>
         <link>http://blog.sq-life.jp/murakawa/log/message/002989.shtml</link>
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         <pubDate>Thu, 31 Jan 2008 10:56:53 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>歴史的身体（１）</title>
         <description><![CDATA[　もうかれこれ２０年以上前になる。当時大学生だった僕は、所属していた
大学の調査の一貫で埼玉県の秩父神社を訪れた。「秩父の夜祭り」として名高い
秩父神社の冬の祭りは、３００年以上の伝統を誇り、京都祇園祭の山鉾、飛騨
高山祭の山鉾と共に日本三大曳山祭の一つとして全国的に知られている。
僕たちが調査に出かけたのは、その冬祭りのいわば若者向け予行演習とも言う
べき夏の例大祭だった。

当初よそ者の学生がうろうろしていても、当然のことながら町の人には一向に
相手にしてもらえなかった。調査のために当たり障りのない質問をしても、誰も
まともに応えてくれない。途方に暮れてその辺りをうろうろしていた僕ともう
一人の学生を見かねたのか、年かさの町衆が夜の宴会に誘ってくれた。
夜になって町衆たちが酒を飲みかわす会所の広間にこそこそと僕らは潜り込んだ。
みんなの酔いが回って来た時、末席にいた僕らが呼ばれコップを渡された。
「さあ飲め飲め」。連れの学生はまったくの下戸なので、さして強くない僕が
コップ酒を受ける。声援？に押されて飲み干すとやんやの喝采。
そのまま延々酒宴が続き、僕はトイレに駆け込んだ。

夜半近くになるとみんなが一斉に小型トラックに乗り込み、近くの河原へ向かった。
夏とは言え夜風がヒンヤリと肌寒い河原では、各町会の若者がもろ肌脱いで御輿と
共に川に飛び込んでいる。どうやら明日の祭り本番の前の禊ぎらしい。
コップ酒で朦朧としている僕を尻目に、もう一人の学生が上半身に入れ墨を
書き込まれ、若者たちに押されて御輿と共に川へ飛び込んだ。

翌朝会所に行った僕らは、「よそ者調査員」から「祭りの客？」に昇格していた。
祭りの夜になり、山鉾の巡行では若衆たちと一緒に綱を引き、あげくの果てには
普段はよそ者を乗せないはずの山車にまで乗せてもらった。周りの若衆たちと
身体をぶつけあいながら大勢の観客が見守る中、急な上り坂を何トンもある山車を
引っ張りあげる。その時の高揚感と一体感。僕は「調査員」であることなど忘れて、
夢中でかけ声をかけ、綱を引いていた。


<a href="http://blog.sq-life.jp/murakawa/log/message/002989.shtml">…次回、『歴史的身体（２）』へ続く</a>]]></description>
         <link>http://blog.sq-life.jp/murakawa/log/message/002988.shtml</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">メッセージ</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 24 Jan 2008 09:43:42 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>産湯とともに赤子を流すべからず</title>
         <description>日本は仏教国、と言われながら、あなたの宗教は？と問われたとき、いったい何人の人が「自分は仏教徒だ」と答えるだろう。

浄土真宗の家に生まれ育った僕自身も、アメリカでＺＥＮに触れるまで、仏教にはほとんど見向きをしなかった。所詮、仏教なんて葬式の時に訳の分からないお経を読むだけのもの、としか思っていなかった。だから、葬式仏教と皮肉を込めて呼ばれるのだと。

上田紀行さんは「がんばれ仏教」の中で、その葬式仏教でさえも、近々消え去る運命にあるという。（葬式仏教の葬式・・・）儀礼だけの仏教など、消え去れば良い、僕も最近までそう思っていた。

そうした浅はかな考えにストップをかけた、ある禅宗のお寺の方に伺ったお話を紹介したい。

関東地方の大きな禅宗系寺院であるその方のお寺では、年に何回か大勢の僧侶が集まり研修が行われる。あるとき、三百人あまりの僧侶が葬儀の研修を行うことになり、誰かが祭壇の棺桶に入って死者の役を演じることになった。死者の役割を演じるというので、さすがに誰もなり手がなく、その方がボランティアとして祭壇に置かれた棺桶に入られた。

「三百人の僧侶の読経と鈸や木魚の音を聞きながら棺桶に横たわっていると、棺桶が微妙に揺れ動くのを感じました。

それは、もちろん神秘的な力などではなく、本堂全体に響き渡る読経と祭具が生み出す微妙な揺れなのですが、そのゆらゆらと揺れ動く微かな動きに身を委ねていると、次第に自分が船に乗っていて、川を此岸から彼岸へと渡っているような気持ちがしてきました。

鳴らし物の音や読経の声が、まるで私の乗る船を造り、さらにその船を推し進める櫓のように感じられたんです。

私は長年葬儀に携わってきましたが、正直その時初めて、読経や鈸にこのような意味があったのだ、と合点がいきました。

僧侶は船大工だったんですね。」

産湯とともに赤子を流すべからず　
Don&apos;t throw the baby out with the bath water.

という英語の表現がある。僕たちは、どうもたくさんの赤子を流しつつあるのかもしれない。
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         <link>http://blog.sq-life.jp/murakawa/log/message/000624.shtml</link>
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         <pubDate>Fri, 16 Feb 2007 16:11:35 +0900</pubDate>
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         <title>村川治彦</title>
         <description><![CDATA[関西大学文学部身体運動文化専修准教授。<a href="http://east-westdialogue.org/">Center for East-West Dialogue</a>元代表。
東京大学文学部宗教学科卒業後、1986年トランスパーソナル心理学を学ぼうと渡米。学生時代はアジア諸国大好きだったのに、以来ひたすら太平洋の両岸を往復すること３０回を優に越える。
Association for Transpersonal  Psychology （アメリカトランスパーソナル学会）常任理事]]></description>
         <link>http://blog.sq-life.jp/murakawa/log/profile/000623.shtml</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">プロフィール</category>
        
        
         <pubDate>Fri, 16 Feb 2007 16:05:44 +0900</pubDate>
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