村川治彦の自分のからだとコンタクト!

2007年02月

産湯とともに赤子を流すべからず

日本は仏教国、と言われながら、あなたの宗教は?と問われたとき、いったい何人の人が「自分は仏教徒だ」と答えるだろう。

浄土真宗の家に生まれ育った僕自身も、アメリカでZENに触れるまで、仏教にはほとんど見向きをしなかった。所詮、仏教なんて葬式の時に訳の分からないお経を読むだけのもの、としか思っていなかった。だから、葬式仏教と皮肉を込めて呼ばれるのだと。

上田紀行さんは「がんばれ仏教」の中で、その葬式仏教でさえも、近々消え去る運命にあるという。(葬式仏教の葬式・・・)儀礼だけの仏教など、消え去れば良い、僕も最近までそう思っていた。

そうした浅はかな考えにストップをかけた、ある禅宗のお寺の方に伺ったお話を紹介したい。

関東地方の大きな禅宗系寺院であるその方のお寺では、年に何回か大勢の僧侶が集まり研修が行われる。あるとき、三百人あまりの僧侶が葬儀の研修を行うことになり、誰かが祭壇の棺桶に入って死者の役を演じることになった。死者の役割を演じるというので、さすがに誰もなり手がなく、その方がボランティアとして祭壇に置かれた棺桶に入られた。

「三百人の僧侶の読経と鈸や木魚の音を聞きながら棺桶に横たわっていると、棺桶が微妙に揺れ動くのを感じました。

それは、もちろん神秘的な力などではなく、本堂全体に響き渡る読経と祭具が生み出す微妙な揺れなのですが、そのゆらゆらと揺れ動く微かな動きに身を委ねていると、次第に自分が船に乗っていて、川を此岸から彼岸へと渡っているような気持ちがしてきました。

鳴らし物の音や読経の声が、まるで私の乗る船を造り、さらにその船を推し進める櫓のように感じられたんです。

私は長年葬儀に携わってきましたが、正直その時初めて、読経や鈸にこのような意味があったのだ、と合点がいきました。

僧侶は船大工だったんですね。」

産湯とともに赤子を流すべからず 
Don't throw the baby out with the bath water.

という英語の表現がある。僕たちは、どうもたくさんの赤子を流しつつあるのかもしれない。

プロフィール

村川治彦村川治彦

関西大学文学部身体運動文化専修准教授。Center for East-West Dialogue元代表。
東京大学文学部宗教学科卒業後、1986年トランスパーソナル心理学を学ぼうと渡米。学生時代はアジア諸国大好きだったのに、以来ひたすら太平洋の両岸を往復すること30回を優に越える。
Association for Transpersonal Psychology (アメリカトランスパーソナル学会)常任理事

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