
駅のホームで電車を待っている間に、暇つぶしに広告を眺めたりしているときに思わず、面白いコピーやしみじみとした文章に出会うことがある。小樽での養成講座の最中に、なでしこジャパン優勝の報が流れ、日本中が盛り上がっていたときだった。
講座が終り、帰宅途上の駅でふと目にしたこの言葉がしみじみと心にしみわたった。サッカーか野球かの違いに関係なく、こういう道の方が実際には多いわけで、暗さの体験というのは内側のほのかな灯り、あるいは、静かだけれど確かに自分を押し出す光に支えられて生き続けるのだろうなあと思う。
プロになる夢を胸に抱きつつも
ドラフトとは無縁のまま
昨日も素振りをし、走り、ひとり黙々と汗を流した若者が
きっとどこかにいるだろう
カメラの放列とまぶしい照明のある道だけが
夢の扉に通じているわけではない
師の一人である感性論哲学の芳村思風から、「天分・素質の見つけ方」を以前教わった。その人の「天分・素質」というのは、どんなにコンピューターの天職診断をしても、占いやカードを見ても本当にはわからない。実際にやってみて、実感したものの中に見つかる。思風先生は、「プロ、一流、本者、オンリーワン、天職」を生きている人は、行動し、体験し、実感した下記の中の一つを特化させて努力してきたか、これらのいくつかに真剣に取り組み続けたか、これらの5つを無心にやってきたかですとおっしゃっていた。
< 天分素質の見つけ方 >
~体感と感性の実感がセンサー~
1.やってみたら、好きになれるかどうか?
2.やってみたら、興味関心が持てるかどうか?
3.やってみたら、得手・得意と思えるかどうか?
4.やってみたら、他人よりうまくできるかどうか?
5.真剣にやってみたら、問題意識が湧いてくるかどうか?
養成講座で私はいつも、「いっぱい失敗していいからね。いっぱい頭マッシロになっていいからね。失敗と書いて、「けいけん」と読むんだよ。ポイント高くなるからね、経験値の。ポイントカードいっぱい集めてね」と言っている。
『 なんども なんども 』
なんども なんども 繰り返す。
なんども なんども 繰り返す。 なんども なんども。
なんども なんども 繰り返すと はずみがつく。
なんども なんども 繰り返すと 勢いがつく。
はずみがつき 勢いがつくと おもしろ味が出てくる。
どうしようもない人間が 当たり前の人間になるには
ただ なんども なんども 繰り返すことだ。
あたりまえの人間が 専門家といわれる人間になるには
同じことを なんども なんども 繰り返すことだ。
専門家といわれる人間が 秀才や天才と呼ばれる人間になるには
唯一の道は 激しく 熱心に
なんども なんども 繰り返すことだ。
激しく 熱心に なんども なんども 繰り返すうちに
力が集まり 充実し 熟してくる。
機が熟したものは 何でもおもしろく うまいものだ。
作者不明
昨日まで、琵琶湖でカウンセラー&セラピスト養成講座卒業生の年に1回のスーパービジョン(SV)がありました。一人ひとりがすでに自分の道を歩きはじめていました。その人独自の個性が輝き、自分らしい仕事の仕方とオリジナルな世界を創造しはじめていたのです。セッションはまさに瞬間のアートでした。感動的なシーンがいくつもありました。ものすごく面白かったです。SVを主催してくれたのは、私の岡山ワークの主催者であるモンジュ&ブミカさんと琵琶湖ワークの主催者である田澤里永子さん。田澤家に泊まらせていただいて、美味しいお食事とくつろぎの時間をくださった里永ちゃんママとパパリもありがとう。再会できたみんなもありがとう。とても楽しかったです。
岡部明美公式ホームページ:http://anatase.net/
12月16日(金)~18日(日) 琵琶湖3daysワークショップ
いのちいっぱいに生きてきてほんとうによかった。
どんなときでも心の底からしみじみと言えるような
人生を 生きてゆきたい。
友人から昨日メールがきた。シェアしてもいいよということなので、シェアさせていただきます。
あけみちゃん、お元気ですか。久しぶりに相田みつをさんの本を読んだら、なんとなくほっとしました。「いのちいっぱいに生きててよかった」って言葉がいまの私の心にしみじみ入ってきたんです。
たしかに時代は今大きな変革期を迎えているわけだし、私たちはいま意識の目覚めの時を生きている。でも最近の私はちょっと覚醒系のメッセージがお腹いっぱいって感じになっていて、こういうすごく人間くさい言葉に飢えていたんだなって思ったの。
相田さんの最後の著作もやはり、「人間だもの」っていう言葉が底辺にあった。いまの私は、人のいのちの営みや人間であるということのおかしみがいとおしく感じる。
人間だから…、成長し進化したくて、今ここに生きている人間なのだから、 完璧じゃなくてあたりまえ、いまここから、一歩ずつ前に進んで、少しずつ成長していけば、それでいい。大丈夫って思える。心がやわらかくほぐれていくのを感じる。
心が落ち込んだり、自分の未熟さや不甲斐なさ、情けなさにがっかりしたりしたとき、自分を慰め、励ましてくれる言葉や、人は、決して、りっぱ過ぎない人だったり、人間くさい言葉だったりします。最近の私、かなり落ち込んでいました。本当に落ち込んでいる時は、誰にも言えない私です。でも、少しだけ元気になったのでこうしてあけみちゃんにメールしています。
私は、何をやっても
万事のろまです。
だから、どんなことでも
人と競争すれば
かならず負けます。
子供の頃、運動会では
いつもビリでした。
体力も人並み以下で、
神経質で、気が小さくて臆病です。
そのくせ、自己顕示欲とうぬぼれだけは強いんです。
そういう弱さと我執の強さを、併せ持った人間の私が、
人と競争することなく、自分なりに、いのちいっぱいに
生きてゆくためにいつのまにか身についた、生活の智恵、
それがこのことばです。
七転八倒
つまづいたりころんだりするほうが
自然なんだな
人間だもの
*
古い昔の中国の話です。
大寧院可弘(だいねいいんかこう)禅師という人に、
ある修行僧が聞きました。
「この道さえ歩いていけば、絶対にまちがいのない、
真実の道(正真ノ一路)とはどういうものですか?」
可弘禅師が答えました。
「七転八倒」(七回転んで八回倒れる)
『七転び八起き』じゃありません。
転びっぱなし、倒れっぱなし。
つまり、失敗の連続。
それが真実の道だ、というんです。
人間は努力をしているかぎり、これでいい、これで満点、
なんてことはありません。
いつでも未完成、不完全です。
ただここで、大事なことは、転も倒も、
具体的に動かなければ起きない現象だということです。
常に具体的に動くことが前提。
つまづいたり
ころんだりしたおかげで
少しずつだが自分のことが
わかってきました
あやまちや失敗を
くり返したおかげで
人のことをいう資格のない
自分に気がつきました
そして…
いざという時の自分の弱さとだらしなさが
よくよくわかってきました
だから
つまづくのもおかげさま
ころぶのもおかげさまです
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12月16日~18日
琵琶湖3daysワークショップ「人間関係とパートナーシップ」
ありがとう。今日は世界で最も優秀と言われる大学の卒業式に同席できて光栄です。実は私は大学を出ていないので、これが私にとって最も大学の卒業に近い経験になります。今日は私の人生から3つのストーリーを紹介します。それだけです。大したことありません。たった3つです。
最初は、点と点をつなぐ話です。
私はリード大学を6ヶ月で退学しましたが、本当に辞めるまで18ヶ月ほど大学に居残って授業を聴講していました。ではなぜ辞めることになったか?
その理由は私が生まれる前に遡ります。私の生みの母親は若い未婚の大学院生でしたので、彼女は私を養子に出すことを決めていたのです。彼女は育ての親は大学を出ているべきだと強く感じていたため、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることになっていました。
ところが、私が生まれる直前に、本当に欲しいのは女の子だと。そういういきさつで、養子縁組を待っていた今の両親は夜中に「予想外に男の子が生まれたので欲しいですか?」という電話を受けたのです。彼らは「もちろん」と答えました。しかし、生みの母親も後で知ったことですが、母親は大学を出ていない、父親は高校も出ていませんでした。そこで、生みの母親は養子縁組の書類へのサインを拒みましたが、何ヶ月か経って、今の両親が将来私を大学に行かせると約束してくれたので、気持ちが整理できたようです。これが私の人生の出発点になったのです。
17年後、実際に大学に入りましたが、私はあまり深く考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったので、労働者階級の親の収入のほどんどは大学の学費に使われていました。半年もすると、私はそこに何の価値も見出せなくなっていたのです。人生で何がやりたいのか私自身に考えがなかったですし、それを見つける手助けを大学がどうしてくれるか思いつきませんでした。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を使い果たしている。だから退学を決めたのです。それが全てうまく行く道だと信じて。もちろん当時はかなり怖かったです。ただ、いま振り返ると、これが人生で最良の決断だったのです。というのも、退学した時点で興味ない必修科目は受けなくてもよく、自分にとって面白そうな授業に集中できたからです。
寮には自分の部屋もなく、夢を見れる状態ではありませんでした。夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、食費のためにコーラ瓶を店に返して5セント集めしたり、日曜夜はハーレクリシュナ寺院のご飯を食べに7マイル歩きました。これが私の楽しみでした。こうした自分の興味と直感に従うだけの多くの体験があとになって値段がつけられない価値に変わったのです。ひとつ具体的な話をしてみましょう。
リード大学には、当時おそらく国内でも最高のカリグラフィ教育がありました。見渡せばキャンパスにはポスターから戸棚に貼るラベルまで美しい手書きのカリグラフィばかりだったのです。私は退学したのですから普通の授業はとる必要もないのでカリグラフィの授業を受けて手法を学ぶことにしたのです。私はそこでセリフやサンセリフの書体について習ったり文字と文字のスペースを変えていく概念についてつまり異なる文字のコンビネーション手法など素晴らしいフォントの作り方を学問として学びました。フォントは、美しく、歴史的にも、芸術的にも、科学で把握できないほどの緻密さでしたのでそれは私にとって魅力的な発見となったのです。
フォントは、人生の役立つという期待すらありませんでした。しかし、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する時にその知識が役に立ち、マックの設計に組み込むことにしました。こうして初めて美しいフォントを持つコンピュータが誕生したのです。
もし私が大学であのコースを寄り道していなかったら、マックには複数の書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるマネに過ぎないのでこうしたパソコンがいま世界に存在しないかもしれません。もし私が大学を退学していなかったら、あのカリグラフィの授業に寄り道することはなかったしパソコンには素晴らしいフォント機能がないかもしれない。もちろん大学にいた頃の私には、未来を見据えて点と点をつなげることはできませんでした。しかし10年後に振り返えると、とてもハッキリ見えることなんです。
もう一度言います。未来に先回りして点と点をつなげることはできない。君たちにできるのは過去を振り返ってつなげることだけなんだ。だから点と点がいつか何らかのかたちでつながると信じなければならない。自分の根性、運命、人生、カルマ、何でもいいから、とにかく信じるのです。歩む道のどこかで点と点がつながると信じれば、自信を持って思うままに生きることができます。たとえ人と違う道を歩んでも、信じることが全てを変えてくれるのです。
2つ目は、愛と敗北についての話です。
自分が何をしたいのか人生の早い段階で見つけることができたことは幸運でした。実家の車庫でウォズとアップルを創業したのは、私が20歳の時でした。私たちは仕事に没頭し、10年間でアップルはたった2人の会社から4千人以上の従業員を抱える20億ドル企業に成長しました。私たちは最高傑作であるマッキントッシュを発表しましたが、そのたった1年後、30歳になってすぐに、私は会社をクビになってしまいました。自分が始めた会社を首になるなんて不思議ですが、こういうことなんです。
アップルの成長にともなって、私は一緒に経営できる有能な人間を雇い最初の1年はうまくいっていました。しかし、やがて将来ビジョンについて意見が分かれ、仲たがいに終わったのです。取締役会は彼に味方し、私は30歳にして会社を去りました。まさに社会的に追放された感じでした。私の人生のすべてを注ぎこむものが消え去ったわけで、それは心をズタズタにされた状態になりました。
数ヶ月は本当にどうしたらいいのか分かりませんでした。自分が前世代の起業家の実績に傷をつけてしまい、手渡されたリレーのバトンを落としたように感じました。私はデイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスに会いひどい状態にしてしまったことをお詫びしようとしました。まさに社会的脱落者となりシリコンヴァレーから逃げ出そうと考えたほどです。しかし自分がやってきたことをまだ愛していることに少しづつ気づきました。アップルの退任劇があってもは私の気持ちは全く変わらなかったのです。私は会社で否定されても、私はまだ好きだったのです。だからもう一度やり直すことに決めたのです。
その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは、自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者の重圧が消え、再び初心者の気軽さが戻ってきたのです。あらゆるものに確信はもてなくなりましたが。おかげで、私の人生で最も創造的な時期を迎えることができたのです。
その後の5年間に、私はネクストという会社とピクサーという会社を設立しましたし、妻となった素敵な女性と恋に落ちました。ピクサーは世界初のコンピュータによるアニメーション映画「トイ・ストーリー」を創りました。いま世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。思いもしなかったのですが、ネクストがアップルに買収され私はアップルに復帰することになり、ネクストで開発した技術は現在アップル再生の中核的な役割を果たしています。さらには、ロレーヌと私は素晴らしい家庭を一緒に築いています。
ここで確かなのは私がアップルをクビになっていなかったら、こうした事は何も起こらなかったということです。それは大変苦い薬でしたが、患者には必要だったのでしょう。人生には頭をレンガで殴られる時があります。しかし信念を失わないこと。私がここまで続けてこれたのは、自分がやってきたことを愛しているからということに他なりません。
君たちも自分が好きなことを見つけなければなりません。それは仕事でも恋愛でも同じこと。これから仕事が人生の大きな割合を占めるのだから、本当に満足を得たいのであれば進む道はただひとつ、それは自分が素晴らしいと信じる仕事をやること。さらに素晴らしい仕事をしたければ、好きなことを仕事にすること。もし見つからないなら探し続けること。落ち着かないこと。心の問題と同じで、見つかったときに分かるものですし、愛する仕事というのは、素晴らしい人間関係と同じで、年を重ねるごとに自分を高めてくれるものです。だから探し続けること。落ち着いてはいけない。
3つ目は、死についての話です。
私は17歳の時、こんな感じの言葉を本で読みました。「毎日を人生最後の日だと思って生きてみなさい。そうすればいつかあなたが正しいとわかるはずです。」これには強烈な印象を受けました。
それから33年間毎朝私は鏡に映る自分に問いかけてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だしたら今日やる予定のことは私は本当にやりたいことだろうか?」それに対する答えが「ノー」の日が何日も続くと私は「何かを変える必要がある」と自覚するわけです。
自分がもうすぐ死ぬ状況を想像することは最も大切な方法です。私は人生で大きな決断をするときに随分と助けられてきました。なぜなら、他人からの期待、自分のプライド、失敗への恐れなど、ほとんど全てのものは…死に直面すれば吹き飛んでしまう程度のもので、そこに残るものだけが本当に大切なことなのです。自分もいつかは死ぬと思っていれば、何か失うのではかないかと危惧する必要はなくなるので、私の知る限りの最善策です。失うものは何もない。思うままに生きてはいけない理由はないのです。
今から1年ほど前、私は癌と診断されました。朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。医師たちは私に、これはほぼ確実に治療ができない種類の癌であり、余命は3ヶ月から6ヶ月と言いました。そして家に帰ってやるべきことを済ませるよう助言しました。これは医師の世界では「死」を意味する言葉です。それは、子供たちに伝えた10年分のことを数カ月で済ませておけ、という意味です。それは、家族が心安らかに暮らせるよう全て引継ぎをしておけ、という意味です。それは、さよならを告げる、という意味です。
私はその診断書を一日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方に生体検査を受けました。喉から内視鏡を入れ胃から腸に通してすい臓に針を刺して腫瘍の細胞を採取しました。私は鎮静状態でしたので、妻の話によると医師が顕微鏡で細胞を覗くと泣き出したそうです。というのは、すい臓ガンとしては珍しく手術で治せるタイプだと判明したからなんです。こうして手術を受け、ありがたいことに今も元気にです。
これは私がもっとも死に近づいた瞬間で、この先何十年かは、これ以上近い経験がないことを願います。こうした経験をしたこともあり、死というのが有用だが単に純粋に知的な概念だった頃よりも、私は多少は確信も持って言えます。
誰も死にたいと思っている人はいません。天国に行きたくても、そこに行くために死にたい人はいません。それでいて、死は誰もが向かう終着点なのです。かつて死を逃れられた人はいない。それはそうあるべきだから。なぜなら「死」は「生」による唯一で最高の発明品だから。「死」は「生」のチェンジエージェントだから。つまり古いものが消え去り、新しいものに道を開ける働きです。
いまの時点で、新しいものとは、君たちのことです。でもいつかは、君たちもだんだんと古くなり、消え去るのです。あまりにドラマチックな表現なのですが、それが真実なのです。
君たちが持つ時間は限られている。人の人生に自分の時間を費やすことはありません。誰かが考えた結果に従って生きる必要もないのです。自分の内なる声が雑音に打ち消されないことです。そして、最も重要なことは自分自身の心と直感に素直に従い、勇気を持って行動することです。心や直感というのは、君たちが本当に望んでいる姿を知っているのです。だから、それ以外のことは、全て二の次でも構わないのです。
私が若い頃 "The Whole Earth Catalogue 全地球カタログ" というすごい出版物があって、私と同じ世代ではバイブルのように扱われていました。それはステュアート・ブランドという人が、ここからそれほど遠くないメンローパークで制作したもので、彼の詩的なタッチで彩られていました。1960年代の終わり頃はパソコンもDTPもない時代ですから、全てタイプライターとハサミとポラロイドカメラで作られていました。それはまるでグーグルのペーパーバック版のようなもので、グーグルが35年遡って登場したかのような理想的な本で、すごいツールと壮大な概念に溢れかえっていました。
スチュアートと彼のチームは ”The Whole Earth Catalogue” を何度か発行しましたが、ひと通りの内容を網羅した時点で最終号を出しました。それは1970年代半ばで、私がちょうど君たちの年代だった頃です。最終号の裏表紙は、朝早い田舎道の写真だったのですが、それはヒッチハイクの経験があればどこか見たことある光景でした。写真の下には "Stay hungry, Stay foolish." という言葉が書かれていたのです。 Stay hungry, Stay foolish. それが、発行者の最後の言葉だったのです。それ以来、私は常に自分自身そうありたいと願ってきました。そしていま、卒業して新しい人生を踏み出す君たちに、同じことを願います。Stay hungry, Stay foolish. 貪欲であれ、愚直であれ。
ご清聴ありがとうございました。(翻訳:小野晃司)
岡部明美公式ホームページ:http://anatase.net/
11月4日(金)~6日(日)
名古屋3daysワークショップ「人生の贈りものー天命、使命の道を生きる歓び」
11月16日(水)「ほおずきの会」
12月16日~18日
琵琶湖3daysワークショップ「人間関係とパートナーシップ」

父といずみちゃんの旅立ちに続き、20代からファンだった柳ジョージの訃報、スピリチュアルな世界ではファンが多い小林正観さんの訃報、アップル社の創業者スティーブ・ジョブズの訃報に接し、何かが今私の中で動いている。
この動きは、あの3・11から続いている私の内側の波だ。その波は世界を感じ取るときに私の中で動く波なのだ。内側の波の動きを感じるにつれ、立ち止まって空を見上げることが多くなった。
今朝、私の「faceboook」のお友達の一人、鈴木規夫さん(ケン・ウイルバーのインテグラル想想の翻訳家・研究者)の書いているものを読んでいたら、ステイーブ・ジョブズについて語られているものがいくつもあった。
スタンフォード大学の学生に向けて話したステイーブ・ジョブズの伝説のスピーチは有名だけれど、彼が、仏教、禅の世界を学んで、精神的支柱にしていたことははじめて知った。伝説のスピーチも彼が亡くなった今、もう一度読み直してみると、深く身にしみる珠玉の言葉がちりばめられていることを改めて感じた。長くなるので、2回かに分けて転載してみます。
5日、アップル社の創業者スティーブ・ジョブズが死去したと報じられた。どこで、何時に亡くなったのか、何が死因なのかなどは明かされなかったため、"ミステリアスな死"とゴシップする人もいるが、最期くらい静かに見送って欲しいということなのだろう。
ここ30年の間、世界で最もパワフルでカリスマ的なCEOだった、といわれるスティーブ。そんな彼の成功を支えたのは、「仏教」、そして「禅の教え」だと伝えられている。
激動の60年代に多感な思春期を過ごしたスティーブは、ビートルズとボブ・ディランをこよなく愛し、彼らの人生観にも強い影響を受けたそう。LSDなどサイケデリック・ドラッグもやったことがあると告白しているくらいなので、ヒッピーたちのバイブルといわれたスピリチュアル・ガイダンス本『ビー・ヒア・ナウ』もおそらく読んだことだろう。この本を執筆したのは、ヒンドゥー教の聖人ニーム・カロリ・ババの弟子である、アメリカ人のラム・ダス。当時、この本を読み、ババに会いにインドを訪れたアメリカ人はとても多くいた。
スティーブもその1人だ。大学を中退してしばらくたった1974年、アタリに入社しているが、その理由は「ババに会いにインドへ行く資金を稼ぎたかった」から。まとまった金を手に入れたスティーブは、後にアップル社員第一号になる大学時代の友人ダニエル・コッケと共にインドへ行った。
インドに到着した彼は、まず貧困のひどさに大きな衝撃を受け、すぐさま、生きるために必要ないものを捨て、剃髪し、身軽になり、ババの教えをもらうために寺へと急いだとのこと。残念ながらババは彼らが到着する1カ月前に他界しており、念願は叶わなかったが、スティーブは、このとき仏教徒に改宗。アメリカに帰り、その後、大成功を収め億万長者になってからも、極力贅沢品は持たない質素な生活を続けた。近所でも、会社でも、裸足でウロウロ歩くことが多かったそうだが、インドでの経験がそうさせていたのだろう。
また、スティーブはインドで、ババの名声で人を集めようとする人たちを目の当たりにする、というあまりよくない経験もした。その時、「素晴らしいアイデアがあっても、行動を起こさなければ、何もないに等しい」「カール・マルクスとニーム・カロリ・ババ、2人合わせたよりも、トーマス・エジソンの方が世の中にとって大切なことをしたのではないか」と思ったとのこと。夢を、アイデアを、実現するために全身全霊でプロデュースする。夢を形にして、世界を人々の生活をよりよくする。アップルを成功へと導いた強いモチベーションは、この時、生まれたともいわれている。
ユマ・サーマンの父親で、ダライ・ラマの下で修行をし、欧米人初の得度を受けたコロンビア大学チベット仏教学教授ロバート・サーマンは、「スティーブ・ジョブズを仏教徒だとはいえない」「しかし、彼は、東洋の精神鍛練と禅ビジョンを仰ぎ望む人間と同じくらい、独創的な人間である」と分析している。また、仏教のエキスパートであるロバートは、スティーブを仏教徒のように「フォーカスでシンプル」な男だともいっているが、この2つは、まさしくアップルの倫理。スティーブは敬虔な信者でないにせよ、仏教の教えを忠実に取り入れていたのだ。
スティーブは少々強引で口も悪く、かなり短気だった。そのため、人間関係におけるトラブルは少なくなかったと伝えられている。85年、自分が立ち上げたアップル社から事実上追放されるという苦い経験もしている。しかし、彼はめげることなく、高等教育用のコンピュータを作ろうと新しい会社NeXTを作った。
新会社を作るもなかなか思うようにいかず、スティーブは苦悩するように。この時、彼を精神的に救ったのが、曹洞宗の僧侶、乙川弘文だった。乙川氏は、先生、老師(中国語で先生)と呼ばれるのを嫌い、弟子たちに名前の「KOBUN」と呼んで欲しい、「師匠ではなく、友人だと思ってください」というような、堅苦しくない人物。弟子に結婚を勧め、自身は離婚を経験するなど、型にはまらぬ僧侶だったと伝えられている。短気で口の悪いスティーブを禅の世界に導くことができたのは、乙川氏をおいてほかにはいなかったのかもしれない。
スティーブと乙川氏は、2人共イノベーターであり、アートとデザインに情熱を持つなど、多くの共通点を持っていた。スティーブは彼から、禅だけでなくデザインのコンセプトが何かということも学んだ。ローレン・パウエルと結婚した時に、式を執り行ったのも乙川氏で、2人は深いスピリチュアルな部分で結ばれていたそう。
80年代半ば、スティーブが乙川師から学んだことは何か、アップルにどのような影響を与えたか、そのことは、近日発売されるコミック本『The Zen of Steve Jobs』にまとめられている。米フォーブス誌でプレビューを読むことができるので、少しご紹介しよう。
スティーブは乙川氏から、心身を整えるため一定の場所をゆっくり歩く、「経行(きんひん)」の手ほどきを受けている。仕事のことが頭から離れずイライラするスティーブに、氏は「正しく瞑想するには、全ての思考を取り去ることが必要。その思考がよいものであれ、悪いものであれ、捨てることです」と伝えたそうだ。
氏に導かれるまま、「呼吸をしてから、一歩進む」を繰り返すスティーブ。氏が座禅を組む岩を中心に、円を描く様に歩むスティーブに、「かどを回ることは必要不可欠なことなのですよ」と、氏は教える。
次に、今年7月にクパチーノ市役所で新しいアップルの社屋を作りたいと、スティーブがプレゼンするシーンへと飛ぶ。スティーブが描く夢の新社屋は大きな円状の建物。完成図を見せながら、「UFOが着陸したみたいだろう?」とジョークを飛ばし、「円なんだ。まっすぐなものは何もない。円なんだよ」と誇らしげにいう。と、ここで、乙川氏から禅を指導してもらっているシーンへとフラッシュバックする。
このクパチーノ市役所でのプレゼンの様子は、YouTubeで見ることができる。痛々しいほど痩せてしまったスティーブは最初、息苦しそうにしているが、次第に新社屋に込めた熱い思いを語りだす。「駐車場は地下に作る。なので、地上の緑が増える。木もたくさん植える」「ビルは禁煙にする。私は育ての親を肺ガンで亡くしているので、この点は譲れない」などなど。最後の方で、「この新社屋は、世界一のオフィスと呼ばれるようになる。絶対にね。世界中から建築を学ぶ若者が、この新社屋を一目見に集まってくるだろう」と発言した時は、気のせいか、少し涙ぐんでいるようにも見えた。
スティーブは禅における「簡素」の教え、「余白の美」にも大きな影響を受けたとのこと。何が必要なのか見極め、いらない部分は思い切って削る。これはアップル社での商品作りに大いに役立ったといわれている。
また、スティーブの有名なスピーチは、その多くが、「道元」など、禅僧の言葉とよく似ているといわれている。禅僧の本を読みスピーチに取り入れたのか、自分で同じような悟りを開いたのか、どちらなのかは定かではない。しかしながら、多くの人の心に響き、強く影響を与えた彼の言葉は、禅を深く学び理解したからこそ。スティーブは、彼のスピーチを聞く多くの人にとって、禅の師匠でもあったのだ。
思い入れのあるクパチーノの地に、禅の教えを反映した彼の理想とするアップルの新社屋が完成するのは2015年。新社屋を見届けられなかったことは、心残りだっただろうか? まだまだ、新しい製品を世に送り出したかっただろうか?
いや、スティーブは、きっと禅における死の悟りを開き、この世に執着を残すことなく逝った。そう思わずにはいられない。
岡部明美公式ホームページ:http://anatase.net/
11月4日(金)~6日(日)
名古屋3daysワークショップ「人生の贈りものー天命、使命の道を生きる歓び」
11月16日(水)「ほおずきの会」
12月16日~18日
琵琶湖3daysワークショップ「人間関係とパートナーシップ」
9月4日の父の旅立ちをあんなに静かに感謝と祝福に変えて送ることができた私は、この先、自分にとってどれほど大切な人が私の前からいなくなっても、もう私はだいじょうぶだって思えて心からの安心を得たのだた。
私はすでに人間の本質が肉体ではないことは腹の底に落ちているし、ご縁の深い人とはまた会えることも知っているし、肉体がなくなった人が残してきた人に不思議なサインを送ることも経験しているし、だてに瞑想を続けてきたわけでもないし、もう何人もの人を見送って、さんざん泣いてきたし、そのお陰で、やっとこの境地に至ることができたのだと、父の逝去を通して私は自分自身に安心したのだった。
ところが、とんでもなかった。全然だめだった。あまりの不意打ちに動揺した。何が起きたのか、わけがわからなかった。起きている現実がまるで夢のように感じ、一切のリアリティがなかった。「うそでしょ、そんなこと・・・」
いずみちゃん(mixi名:華ちゃん)がお風呂場で倒れ、意識不明の重体、いま病院の集中治療室で治療を受けているが、もう心臓が微弱にしか動いていない状況ですと、いずみちゃんの娘さんから2日の深夜に電話を受けた時は頭が真っ白になった。朝まで眠ることができず、祈ったり、遠隔ヒーリングをしたり、元気になってまた会っているイメージを描いたり、瞑想したりして、明け方うつらうつらしてきたのでソファーでそのまま寝込んでしまったら、いずみちゃん逝去の報が入ってきた。
10月3日 朝8時34分 いずみちゃん永眠。享年52歳。くも膜下出血でほぼ即死の状態だったことを知らされた。
うそでしょ、いずみちゃん。あなたの冗談好き、遊び好き、ヒョーキンで、おちゃめで、オキャンピーで、好奇心の塊の新しもん好き、いたずら好きは知っているけれど、悪い冗談だよね、うそだよね、いずみちゃん。
悲しみと絶望と寂しさとくやしさとむなしさと・・・ありとあらゆる感情が千路に乱れて、私は、途方に暮れた。
父が亡くなったほぼ1ケ月後に、今度はものすごく仲良しだったいずみちゃんの旅立ちを私は経験しなければならなかった。
あんまりだよ、いずみちゃん。もっともっとあなたと一緒に体験したいことがたくさんあったよ、私。一緒に泣いたり、笑ったり、怒ったり、感動したり、しみじみしたり、まったりしたり、ニヤニヤしたり、ホコホコ、ヘラヘラしたりしたかった。今までいっぱいそんな時間を共有してきたようにね。ほんとに楽しかったんだ、私、いずみちゃんと一緒にいると。
「楽しいか」「楽しくないか」があなたのものごとを選択する基準だったよね。みんなは、いずみちゃんは、すごい勉強家で、メモ魔で、向上心が強くて、その上愛に溢れた人みたいに思っているみたいだけれど、そしてそれは事実ではあるけれど、本当はあなたは、楽しいことしかやっていなかったし、自分がやりたいから、行きたいから、会いたいから、体験したいから、ただそれをしているだけなんだってこと、知っていたよ。
ぜんぶ、自分からだったね。相手にハートを開くことも、声をかけることも、相手を受け入れて、認めることも、好きになることも、つながることも、慰め励ますことも、相手のよさをいち早く見つけてちゃんと言葉にして伝えることも・・。
あなたは、ぜーんぶ、自分からの人だった。あなたに受け入れられて、好きになってもらえて、認めてもらえて、ほめてもらえて、優しく寄り添ってもらえて、そんなあなたをみんなが大好きになるのはあたりまえ、自然のことでした。
あなたは、ハコミセラピーでいう、ラビングプレゼンスそのものだったし、ナリッシュメント(魂の滋養になる言葉、心の糧になるような言葉かけ)の名手だった。どれだけの人があなたの存在の仕方と関わり方と言葉かけで支えられただろう。
時々、大ハズレーをやって、ペロっと舌を出して、「ヘヘヘ、また失敗しちゃった」とやるとこも笑えたし、身近な人、特に家族には、はずしっぱなしで怒られてばかりいて、しょげているあなたも本当に人間くさくて面白かった。
私は、常々、魅力というのは、「この人にまた会いたい」って思わせるその人の中の磁力のような個性と、「すんごいとこ」と「全然すんごくないとこ」(相当にヒンシュクをかったり、迷惑をかけたり、あきれられたりするところ)のギャップの大きさだって思っているから、そういう意味ではいずみちゃんは本当に魅力がありました。まさに清濁併せもつ人でした。
もし、いずみちゃんが、愛と光だけの清らかな存在だったり、聖人君子のような人だったり、お悟りモードの人だったり、天使のような愛らしい人だったり、スーパーウーマンみたいにできる女だったりしたら、私はいずみちゃんをこんなに面白い人だなあと思わなかったかも知れない。
確かにあなたは、かつては高校の教師をやっていたり、その後にプロのマンガ家や挿絵画家として驚くような絵の才能を発揮していたり、カウンセラーやセラピストとしても天性のものを持っていました。そして、私のやっている仕事の、そして、私という人間のよき理解者でした。私は、あなたには、自分のことを本当にわかってもらえているという歓びと信頼と感謝がありました。それは、私だけでなく、あなたに関わった人の多くが感じているものだと思います。
あなたは本当に愛に溢れた極道セラピストでした。あのヤクザの組長もマッツァオになるような地響きがするような低い声でやる迫力あるセッションも、天使のような、観音さまのような雰囲気でやる優しいセッションも、あなたの両刀使いは相当のものでした。
いずみちゃんは、私のワークショップや養成講座の最多参加者でした。9月から始まった東京での4期のカウンセラー養成講座も再受講してくれていて、この間、「じゃあ、次回、10月の講座でね」と言って別れたばかりだったのです。
いずみちゃんと初めて会ったのは、4年前の名古屋での2daysワークショップだったと記憶しています。30年来の友人である香川のナオちゃんと一緒に参加してくれたのですが、妙に不思議な存在感のある人で、インパクトが強かったことを今でも覚えています。
それ以来各地でやっている私のワークショップに何度も来てくれました。いずみちゃんは、最も親しくしているクライアントさんであり、受講生であり、友人であり、同士であり、魂の旅仲間でありました。愛のかたまりみたいなところがある一方で、人間臭いところも満載で、波乱万丈人生は私と一緒だったし、それでもとことん自分に向き合って、いろいろなことを超えてきた人でした。
いずみちゃんは、名コピーライターでもあり、私のことを「土木建築系地下足袋セラピスト」と呼んだり、「あけみちゃんは、野生のチータ。知識も理論もいっぱい持っているけれど、ワークは草原を駆け抜けていくチータも驚くような野生のカンだけでやっていく」なんて言ったりもしていた。
人にそんなこと言っていたくせに、自分は、チータどころじゃない、ピューマのような速さであっという間にこの人生を駆け抜けて逝ってしまったくせに。
私は、さよならなんて言わないからね、いずみちゃん。ぜったいに言うもんか、さよならなんて。
私が不意打ちに、突然に弱いこと知っているでしょう。別れの、身が引き裂かれるような悲しみを超えるために、私には別れの予感と別れの準備の時間、覚悟の時間が充分に必要だってこと知っていたでしょう。父の時はそれができたからだったんだよ。それなのに、いずみちゃん、唐突過ぎるじゃないの、このいなくなり方は
5日の告別式・・・。2期、3期の養成講座のメンバーと名古屋駅で待ち合わせた。誰も言葉を発せず、涙をいっぱいためながら、互いの手を握り、肩を抱いた。いったい、こんなときに、どんな言葉が出るというのか。
私は、いずみちゃんの娘さんに養成講座でいずみちゃんが毎月描いた絵のスケッチブックを見せていただけないか頼んだところ、持ってきていただけたのだ。素敵な絵がいっぱい描かれていた。中でも、モンちゃんとバディになった月に描いてきてもらった「世界でいちばん大好きな場所」の絵はみんなも記憶に残るほど幻想的な、宇宙的な美しい絵だった。絵の裏には、モンちゃんがいずみちゃんの絵につけたタイトルが書かれていた。
「刹那に燃える 永遠の青」
いずみちゃんが亡くなる前の最後のメールに「あけみちゃん、10月1日に高野山に「結縁灌頂」を受けに行っていました」と書いてあった
「結縁灌頂」の意味のわからない私は、高野山の奥の院で長いこと僧侶をしていた「まさあき君」に尋ねたらこんな返信がきた。これを読んで私は、ああ、いずみちゃん、決めいったんだな。人が「これからだったのに」と思おうが、いずみちゃんは、やり尽くした、遊びつくした、充分生き切ったんだなと思った。そして、いずみちゃんは、私が理解していたよりもすんごいところにもう行っていたんだなと思った。
あけみちゃん
ああ、やはり、いずみちゃんは、高野山に行っていたんだね。高野山では春(5月3~5日)と秋(10月1~3日)の2回、結縁灌頂というのをします。春は金剛界の結縁灌頂、秋は胎蔵界の結縁灌頂。
そう、あけみちゃんがこの間持っていたあの曼荼羅のクリアファイル。片方が金剛界曼荼羅で、そしてもう片方が胎蔵界曼荼羅です。春は金剛界曼荼羅の上に、秋は胎蔵曼荼羅の上に花を落として、宇宙の絶対的真理「大日如来」とご縁を結ぶ儀式です。
いずみちゃんは毎年、春と秋には必ず高野山へ結縁灌頂を受けに行っていたそうです。高野山の結縁灌頂は彼女にとって、とても重要なものであったような気がします。
秋の結縁灌頂は「胎蔵界」。胎蔵とは宇宙的な子宮を意味します。そしてこの胎蔵界曼荼羅の中心にいるのが生命の根源である「大日如来」。そしてこの「胎蔵界の大日如来」は梵字の「ア」で表します。実は真言密教の「阿字観」とは、この大日如来と一体となる瞑想法です。
この世に存在するすべてのものは、この「ア」という文字が表す「宇宙生命の根源」より生まれ出で、そして最後には再びこの「宇宙生命の根源」に帰るのだと解釈します。
弘法大師空海作と伝えられて歌に
阿字の子が阿字のふるさと立ち出でて また立ち帰る阿字のふるさと
というのがあります。
いずみちゃんは極めて意識レベルの高い人です。すでに肉体を離れる準備ができていたのでしょう。いずみちゃんは大日如来のもとへ導かれて行ったのだと思います。
高野山へ行って、そして「阿字のふるさと」へ帰って行かれたのだと思います。とても素敵な旅立ちです。だからあけみちゃん、悲しまないで。彼女は少し形を変えただけで、いつもみんなのそばにいますよ。
いずみちゃんが肉体を離れたことを祝福しましょう。 まさあき
岡部明美公式ホームページ:http://anatase.net/
10月16日(日)「ほおずきの会」
11月4日~6日
名古屋3daysワークショップ「人生の贈りものー天命、使命の道を生きる歓び」
12月16日~18日
琵琶湖3daysワークショップ「人間関係とパートナーシップ」
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