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      <title>岡部明美のスピリチュアルな旅で出会った”もの・人・場・言葉たち”</title>
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      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2011</copyright>
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         <title>プロになる夢を胸に抱きつつも</title>
         <description><![CDATA[<span class="fl"><img alt="WS000100.JPG" src="http://blog.sq-life.jp/okabe/post-img/WS000100.JPG" width="178" height="120" /></span>駅のホームで電車を待っている間に、暇つぶしに広告を眺めたりしているときに思わず、面白いコピーやしみじみとした文章に出会うことがある。小樽での養成講座の最中に、なでしこジャパン優勝の報が流れ、日本中が盛り上がっていたときだった。




講座が終り、帰宅途上の駅でふと目にしたこの言葉がしみじみと心にしみわたった。サッカーか野球かの違いに関係なく、こういう道の方が実際には多いわけで、暗さの体験というのは内側のほのかな灯り、あるいは、静かだけれど確かに自分を押し出す光に支えられて生き続けるのだろうなあと思う。


プロになる夢を胸に抱きつつも
ドラフトとは無縁のまま
昨日も素振りをし、走り、ひとり黙々と汗を流した若者が
きっとどこかにいるだろう

カメラの放列とまぶしい照明のある道だけが
夢の扉に通じているわけではない


師の一人である感性論哲学の芳村思風から、「天分・素質の見つけ方」を以前教わった。その人の「天分・素質」というのは、どんなにコンピューターの天職診断をしても、占いやカードを見ても本当にはわからない。実際にやってみて、実感したものの中に見つかる。思風先生は、「プロ、一流、本者、オンリーワン、天職」を生きている人は、行動し、体験し、実感した下記の中の一つを特化させて努力してきたか、これらのいくつかに真剣に取り組み続けたか、これらの５つを無心にやってきたかですとおっしゃっていた。

 
＜　天分素質の見つけ方　＞

～体感と感性の実感がセンサー～

１.やってみたら、好きになれるかどうか？

２.やってみたら、興味関心が持てるかどうか？

３.やってみたら、得手・得意と思えるかどうか？

４.やってみたら、他人よりうまくできるかどうか？

５.真剣にやってみたら、問題意識が湧いてくるかどうか？ 


養成講座で私はいつも、「いっぱい失敗していいからね。いっぱい頭マッシロになっていいからね。失敗と書いて、「けいけん」と読むんだよ。ポイント高くなるからね、経験値の。ポイントカードいっぱい集めてね」と言っている。


<strong>『　なんども　なんども　』</strong>

なんども　なんども　繰り返す。

なんども　なんども　繰り返す。　なんども　なんども。

なんども　なんども　繰り返すと　はずみがつく。

なんども　なんども　繰り返すと　勢いがつく。

はずみがつき　勢いがつくと　おもしろ味が出てくる。

どうしようもない人間が　当たり前の人間になるには

ただ　なんども　なんども　繰り返すことだ。

あたりまえの人間が　専門家といわれる人間になるには

同じことを　なんども　なんども　繰り返すことだ。

専門家といわれる人間が　秀才や天才と呼ばれる人間になるには

唯一の道は　激しく　熱心に

なんども　なんども　繰り返すことだ。

激しく　熱心に　なんども　なんども　繰り返すうちに
力が集まり　充実し　熟してくる。

機が熟したものは　何でもおもしろく　うまいものだ。

作者不明


昨日まで、琵琶湖でカウンセラー＆セラピスト養成講座卒業生の年に１回のスーパービジョン（SV）がありました。一人ひとりがすでに自分の道を歩きはじめていました。その人独自の個性が輝き、自分らしい仕事の仕方とオリジナルな世界を創造しはじめていたのです。セッションはまさに瞬間のアートでした。感動的なシーンがいくつもありました。ものすごく面白かったです。SVを主催してくれたのは、私の岡山ワークの主催者であるモンジュ＆ブミカさんと琵琶湖ワークの主催者である田澤里永子さん。田澤家に泊まらせていただいて、美味しいお食事とくつろぎの時間をくださった里永ちゃんママとパパリもありがとう。再会できたみんなもありがとう。とても楽しかったです。


岡部明美公式ホームページ：<a href="http://anatase.net/">http://anatase.net/</a>

１２月１６日（金）～１８日（日）　　琵琶湖３daysワークショップ




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         <pubDate>Mon, 28 Nov 2011 12:36:07 +0900</pubDate>
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         <title>いのちいっぱいに生きてきてほんとうによかった</title>
         <description><![CDATA[<span class="fl"><img alt="WS000625.JPG" src="http://blog.sq-life.jp/okabe/post-img/WS000625.JPG" width="154" height="107" /></span>
いのちいっぱいに生きてきてほんとうによかった。
どんなときでも心の底からしみじみと言えるような
人生を 生きてゆきたい。






友人から昨日メールがきた。シェアしてもいいよということなので、シェアさせていただきます。 


あけみちゃん、お元気ですか。久しぶりに相田みつをさんの本を読んだら、なんとなくほっとしました。「いのちいっぱいに生きててよかった」って言葉がいまの私の心にしみじみ入ってきたんです。 


たしかに時代は今大きな変革期を迎えているわけだし、私たちはいま意識の目覚めの時を生きている。でも最近の私はちょっと覚醒系のメッセージがお腹いっぱいって感じになっていて、こういうすごく人間くさい言葉に飢えていたんだなって思ったの。 


相田さんの最後の著作もやはり、「人間だもの」っていう言葉が底辺にあった。いまの私は、人のいのちの営みや人間であるということのおかしみがいとおしく感じる。 


人間だから…、成長し進化したくて、今ここに生きている人間なのだから、 完璧じゃなくてあたりまえ、いまここから、一歩ずつ前に進んで、少しずつ成長していけば、それでいい。大丈夫って思える。心がやわらかくほぐれていくのを感じる。 


心が落ち込んだり、自分の未熟さや不甲斐なさ、情けなさにがっかりしたりしたとき、自分を慰め、励ましてくれる言葉や、人は、決して、りっぱ過ぎない人だったり、人間くさい言葉だったりします。最近の私、かなり落ち込んでいました。本当に落ち込んでいる時は、誰にも言えない私です。でも、少しだけ元気になったのでこうしてあけみちゃんにメールしています。 


私は、何をやっても 
万事のろまです。 
だから、どんなことでも 
人と競争すれば 
かならず負けます。 


子供の頃、運動会では 
いつもビリでした。 
体力も人並み以下で、 
神経質で、気が小さくて臆病です。 


そのくせ、自己顕示欲とうぬぼれだけは強いんです。 


そういう弱さと我執の強さを、併せ持った人間の私が、 
人と競争することなく、自分なりに、いのちいっぱいに 
生きてゆくためにいつのまにか身についた、生活の智恵、 
それがこのことばです。 


七転八倒 
つまづいたりころんだりするほうが 
自然なんだな 
人間だもの 

* 

古い昔の中国の話です。 
大寧院可弘（だいねいいんかこう）禅師という人に、 
ある修行僧が聞きました。 


「この道さえ歩いていけば、絶対にまちがいのない、 
真実の道（正真ノ一路）とはどういうものですか？」 


可弘禅師が答えました。 
「七転八倒」（七回転んで八回倒れる） 
『七転び八起き』じゃありません。 


転びっぱなし、倒れっぱなし。 
つまり、失敗の連続。 
それが真実の道だ、というんです。 


人間は努力をしているかぎり、これでいい、これで満点、 
なんてことはありません。 
いつでも未完成、不完全です。 


ただここで、大事なことは、転も倒も、 
具体的に動かなければ起きない現象だということです。 
常に具体的に動くことが前提。 


つまづいたり 
ころんだりしたおかげで 
少しずつだが自分のことが 
わかってきました 


あやまちや失敗を 
くり返したおかげで 
人のことをいう資格のない 
自分に気がつきました 


そして… 
いざという時の自分の弱さとだらしなさが 
よくよくわかってきました 


だから 
つまづくのもおかげさま 
ころぶのもおかげさまです



岡部明美公式ホームページ：<a href="http://anatase.net/ ">http://anatase.net/ </a>

１２月１６日～１８日　
琵琶湖３daysワークショップ「人間関係とパートナーシップ」






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         <link>http://blog.sq-life.jp/okabe/log/message/005268.shtml</link>
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         <pubDate>Thu, 17 Nov 2011 12:20:14 +0900</pubDate>
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         <title>スタンフォード大学行われたスティーブ・ジョブズの伝説のスピーチ</title>
         <description><![CDATA[<span class="fl"><img alt="okabe.png" src="http://blog.sq-life.jp/okabe/post-img/okabe.png" width="182" height="148" /></span>ありがとう。今日は世界で最も優秀と言われる大学の卒業式に同席できて光栄です。実は私は大学を出ていないので、これが私にとって最も大学の卒業に近い経験になります。今日は私の人生から３つのストーリーを紹介します。それだけです。大したことありません。たった３つです。






最初は、点と点をつなぐ話です。


私はリード大学を６ヶ月で退学しましたが、本当に辞めるまで18ヶ月ほど大学に居残って授業を聴講していました。ではなぜ辞めることになったか？
その理由は私が生まれる前に遡ります。私の生みの母親は若い未婚の大学院生でしたので、彼女は私を養子に出すことを決めていたのです。彼女は育ての親は大学を出ているべきだと強く感じていたため、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることになっていました。


ところが、私が生まれる直前に、本当に欲しいのは女の子だと。そういういきさつで、養子縁組を待っていた今の両親は夜中に「予想外に男の子が生まれたので欲しいですか？」という電話を受けたのです。彼らは「もちろん」と答えました。しかし、生みの母親も後で知ったことですが、母親は大学を出ていない、父親は高校も出ていませんでした。そこで、生みの母親は養子縁組の書類へのサインを拒みましたが、何ヶ月か経って、今の両親が将来私を大学に行かせると約束してくれたので、気持ちが整理できたようです。これが私の人生の出発点になったのです。


17年後、実際に大学に入りましたが、私はあまり深く考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったので、労働者階級の親の収入のほどんどは大学の学費に使われていました。半年もすると、私はそこに何の価値も見出せなくなっていたのです。人生で何がやりたいのか私自身に考えがなかったですし、それを見つける手助けを大学がどうしてくれるか思いつきませんでした。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を使い果たしている。だから退学を決めたのです。それが全てうまく行く道だと信じて。もちろん当時はかなり怖かったです。ただ、いま振り返ると、これが人生で最良の決断だったのです。というのも、退学した時点で興味ない必修科目は受けなくてもよく、自分にとって面白そうな授業に集中できたからです。


寮には自分の部屋もなく、夢を見れる状態ではありませんでした。夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、食費のためにコーラ瓶を店に返して5セント集めしたり、日曜夜はハーレクリシュナ寺院のご飯を食べに７マイル歩きました。これが私の楽しみでした。こうした自分の興味と直感に従うだけの多くの体験があとになって値段がつけられない価値に変わったのです。ひとつ具体的な話をしてみましょう。 


リード大学には、当時おそらく国内でも最高のカリグラフィ教育がありました。見渡せばキャンパスにはポスターから戸棚に貼るラベルまで美しい手書きのカリグラフィばかりだったのです。私は退学したのですから普通の授業はとる必要もないのでカリグラフィの授業を受けて手法を学ぶことにしたのです。私はそこでセリフやサンセリフの書体について習ったり文字と文字のスペースを変えていく概念についてつまり異なる文字のコンビネーション手法など素晴らしいフォントの作り方を学問として学びました。フォントは、美しく、歴史的にも、芸術的にも、科学で把握できないほどの緻密さでしたのでそれは私にとって魅力的な発見となったのです。 


フォントは、人生の役立つという期待すらありませんでした。しかし、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する時にその知識が役に立ち、マックの設計に組み込むことにしました。こうして初めて美しいフォントを持つコンピュータが誕生したのです。


もし私が大学であのコースを寄り道していなかったら、マックには複数の書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるマネに過ぎないのでこうしたパソコンがいま世界に存在しないかもしれません。もし私が大学を退学していなかったら、あのカリグラフィの授業に寄り道することはなかったしパソコンには素晴らしいフォント機能がないかもしれない。もちろん大学にいた頃の私には、未来を見据えて点と点をつなげることはできませんでした。しかし10年後に振り返えると、とてもハッキリ見えることなんです。


もう一度言います。未来に先回りして点と点をつなげることはできない。君たちにできるのは過去を振り返ってつなげることだけなんだ。だから点と点がいつか何らかのかたちでつながると信じなければならない。自分の根性、運命、人生、カルマ、何でもいいから、とにかく信じるのです。歩む道のどこかで点と点がつながると信じれば、自信を持って思うままに生きることができます。たとえ人と違う道を歩んでも、信じることが全てを変えてくれるのです。


２つ目は、愛と敗北についての話です。 


自分が何をしたいのか人生の早い段階で見つけることができたことは幸運でした。実家の車庫でウォズとアップルを創業したのは、私が２０歳の時でした。私たちは仕事に没頭し、１０年間でアップルはたった２人の会社から４千人以上の従業員を抱える２０億ドル企業に成長しました。私たちは最高傑作であるマッキントッシュを発表しましたが、そのたった１年後、３０歳になってすぐに、私は会社をクビになってしまいました。自分が始めた会社を首になるなんて不思議ですが、こういうことなんです。


アップルの成長にともなって、私は一緒に経営できる有能な人間を雇い最初の１年はうまくいっていました。しかし、やがて将来ビジョンについて意見が分かれ、仲たがいに終わったのです。取締役会は彼に味方し、私は３０歳にして会社を去りました。まさに社会的に追放された感じでした。私の人生のすべてを注ぎこむものが消え去ったわけで、それは心をズタズタにされた状態になりました。


数ヶ月は本当にどうしたらいいのか分かりませんでした。自分が前世代の起業家の実績に傷をつけてしまい、手渡されたリレーのバトンを落としたように感じました。私はデイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスに会いひどい状態にしてしまったことをお詫びしようとしました。まさに社会的脱落者となりシリコンヴァレーから逃げ出そうと考えたほどです。しかし自分がやってきたことをまだ愛していることに少しづつ気づきました。アップルの退任劇があってもは私の気持ちは全く変わらなかったのです。私は会社で否定されても、私はまだ好きだったのです。だからもう一度やり直すことに決めたのです。


その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは、自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者の重圧が消え、再び初心者の気軽さが戻ってきたのです。あらゆるものに確信はもてなくなりましたが。おかげで、私の人生で最も創造的な時期を迎えることができたのです。


その後の５年間に、私はネクストという会社とピクサーという会社を設立しましたし、妻となった素敵な女性と恋に落ちました。ピクサーは世界初のコンピュータによるアニメーション映画「トイ・ストーリー」を創りました。いま世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。思いもしなかったのですが、ネクストがアップルに買収され私はアップルに復帰することになり、ネクストで開発した技術は現在アップル再生の中核的な役割を果たしています。さらには、ロレーヌと私は素晴らしい家庭を一緒に築いています。


ここで確かなのは私がアップルをクビになっていなかったら、こうした事は何も起こらなかったということです。それは大変苦い薬でしたが、患者には必要だったのでしょう。人生には頭をレンガで殴られる時があります。しかし信念を失わないこと。私がここまで続けてこれたのは、自分がやってきたことを愛しているからということに他なりません。


君たちも自分が好きなことを見つけなければなりません。それは仕事でも恋愛でも同じこと。これから仕事が人生の大きな割合を占めるのだから、本当に満足を得たいのであれば進む道はただひとつ、それは自分が素晴らしいと信じる仕事をやること。さらに素晴らしい仕事をしたければ、好きなことを仕事にすること。もし見つからないなら探し続けること。落ち着かないこと。心の問題と同じで、見つかったときに分かるものですし、愛する仕事というのは、素晴らしい人間関係と同じで、年を重ねるごとに自分を高めてくれるものです。だから探し続けること。落ち着いてはいけない。


３つ目は、死についての話です。


私は１７歳の時、こんな感じの言葉を本で読みました。「毎日を人生最後の日だと思って生きてみなさい。そうすればいつかあなたが正しいとわかるはずです。」これには強烈な印象を受けました。


それから３３年間毎朝私は鏡に映る自分に問いかけてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だしたら今日やる予定のことは私は本当にやりたいことだろうか？」それに対する答えが「ノー」の日が何日も続くと私は「何かを変える必要がある」と自覚するわけです。


自分がもうすぐ死ぬ状況を想像することは最も大切な方法です。私は人生で大きな決断をするときに随分と助けられてきました。なぜなら、他人からの期待、自分のプライド、失敗への恐れなど、ほとんど全てのものは…死に直面すれば吹き飛んでしまう程度のもので、そこに残るものだけが本当に大切なことなのです。自分もいつかは死ぬと思っていれば、何か失うのではかないかと危惧する必要はなくなるので、私の知る限りの最善策です。失うものは何もない。思うままに生きてはいけない理由はないのです。


今から1年ほど前、私は癌と診断されました。朝の７時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。医師たちは私に、これはほぼ確実に治療ができない種類の癌であり、余命は３ヶ月から６ヶ月と言いました。そして家に帰ってやるべきことを済ませるよう助言しました。これは医師の世界では「死」を意味する言葉です。それは、子供たちに伝えた１０年分のことを数カ月で済ませておけ、という意味です。それは、家族が心安らかに暮らせるよう全て引継ぎをしておけ、という意味です。それは、さよならを告げる、という意味です。


私はその診断書を一日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方に生体検査を受けました。喉から内視鏡を入れ胃から腸に通してすい臓に針を刺して腫瘍の細胞を採取しました。私は鎮静状態でしたので、妻の話によると医師が顕微鏡で細胞を覗くと泣き出したそうです。というのは、すい臓ガンとしては珍しく手術で治せるタイプだと判明したからなんです。こうして手術を受け、ありがたいことに今も元気にです。


これは私がもっとも死に近づいた瞬間で、この先何十年かは、これ以上近い経験がないことを願います。こうした経験をしたこともあり、死というのが有用だが単に純粋に知的な概念だった頃よりも、私は多少は確信も持って言えます。
誰も死にたいと思っている人はいません。天国に行きたくても、そこに行くために死にたい人はいません。それでいて、死は誰もが向かう終着点なのです。かつて死を逃れられた人はいない。それはそうあるべきだから。なぜなら「死」は「生」による唯一で最高の発明品だから。「死」は「生」のチェンジエージェントだから。つまり古いものが消え去り、新しいものに道を開ける働きです。


いまの時点で、新しいものとは、君たちのことです。でもいつかは、君たちもだんだんと古くなり、消え去るのです。あまりにドラマチックな表現なのですが、それが真実なのです。


君たちが持つ時間は限られている。人の人生に自分の時間を費やすことはありません。誰かが考えた結果に従って生きる必要もないのです。自分の内なる声が雑音に打ち消されないことです。そして、最も重要なことは自分自身の心と直感に素直に従い、勇気を持って行動することです。心や直感というのは、君たちが本当に望んでいる姿を知っているのです。だから、それ以外のことは、全て二の次でも構わないのです。


私が若い頃 "The Whole Earth Catalogue 全地球カタログ" というすごい出版物があって、私と同じ世代ではバイブルのように扱われていました。それはステュアート・ブランドという人が、ここからそれほど遠くないメンローパークで制作したもので、彼の詩的なタッチで彩られていました。１９６０年代の終わり頃はパソコンもDTPもない時代ですから、全てタイプライターとハサミとポラロイドカメラで作られていました。それはまるでグーグルのペーパーバック版のようなもので、グーグルが３５年遡って登場したかのような理想的な本で、すごいツールと壮大な概念に溢れかえっていました。


スチュアートと彼のチームは ”The Whole Earth Catalogue” を何度か発行しましたが、ひと通りの内容を網羅した時点で最終号を出しました。それは１９７０年代半ばで、私がちょうど君たちの年代だった頃です。最終号の裏表紙は、朝早い田舎道の写真だったのですが、それはヒッチハイクの経験があればどこか見たことある光景でした。写真の下には "Stay hungry, Stay foolish." という言葉が書かれていたのです。 Stay hungry, Stay foolish. それが、発行者の最後の言葉だったのです。それ以来、私は常に自分自身そうありたいと願ってきました。そしていま、卒業して新しい人生を踏み出す君たちに、同じことを願います。Stay hungry, Stay foolish. 貪欲であれ、愚直であれ。
ご清聴ありがとうございました。（翻訳：小野晃司）


岡部明美公式ホームページ：<a href="http://anatase.net/ ">http://anatase.net/ </a>

１１月４日（金）～６日（日）
名古屋３daysワークショップ「人生の贈りものー天命、使命の道を生きる歓び」 

１１月１６日（水）「ほおずきの会」

１２月１６日～１８日
琵琶湖３daysワークショップ「人間関係とパートナーシップ」


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         <link>http://blog.sq-life.jp/okabe/log/message/005252.shtml</link>
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         <pubDate>Fri, 21 Oct 2011 00:12:30 +0900</pubDate>
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         <title>そして、柳ジョージ、小林正観、スティーブ・ジョブズ</title>
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父といずみちゃんの旅立ちに続き、２０代からファンだった柳ジョージの訃報、スピリチュアルな世界ではファンが多い小林正観さんの訃報、アップル社の創業者スティーブ・ジョブズの訃報に接し、何かが今私の中で動いている。






この動きは、あの３・１１から続いている私の内側の波だ。その波は世界を感じ取るときに私の中で動く波なのだ。内側の波の動きを感じるにつれ、立ち止まって空を見上げることが多くなった。


今朝、私の「faceboook」のお友達の一人、鈴木規夫さん（ケン・ウイルバーのインテグラル想想の翻訳家・研究者）の書いているものを読んでいたら、ステイーブ・ジョブズについて語られているものがいくつもあった。


スタンフォード大学の学生に向けて話したステイーブ・ジョブズの伝説のスピーチは有名だけれど、彼が、仏教、禅の世界を学んで、精神的支柱にしていたことははじめて知った。伝説のスピーチも彼が亡くなった今、もう一度読み直してみると、深く身にしみる珠玉の言葉がちりばめられていることを改めて感じた。長くなるので、２回かに分けて転載してみます。


5日、アップル社の創業者スティーブ・ジョブズが死去したと報じられた。どこで、何時に亡くなったのか、何が死因なのかなどは明かされなかったため、"ミステリアスな死"とゴシップする人もいるが、最期くらい静かに見送って欲しいということなのだろう。
ここ30年の間、世界で最もパワフルでカリスマ的なCEOだった、といわれるスティーブ。そんな彼の成功を支えたのは、「仏教」、そして「禅の教え」だと伝えられている。


激動の60年代に多感な思春期を過ごしたスティーブは、ビートルズとボブ・ディランをこよなく愛し、彼らの人生観にも強い影響を受けたそう。LSDなどサイケデリック・ドラッグもやったことがあると告白しているくらいなので、ヒッピーたちのバイブルといわれたスピリチュアル・ガイダンス本『ビー・ヒア・ナウ』もおそらく読んだことだろう。この本を執筆したのは、ヒンドゥー教の聖人ニーム・カロリ・ババの弟子である、アメリカ人のラム・ダス。当時、この本を読み、ババに会いにインドを訪れたアメリカ人はとても多くいた。


スティーブもその1人だ。大学を中退してしばらくたった1974年、アタリに入社しているが、その理由は「ババに会いにインドへ行く資金を稼ぎたかった」から。まとまった金を手に入れたスティーブは、後にアップル社員第一号になる大学時代の友人ダニエル・コッケと共にインドへ行った。


インドに到着した彼は、まず貧困のひどさに大きな衝撃を受け、すぐさま、生きるために必要ないものを捨て、剃髪し、身軽になり、ババの教えをもらうために寺へと急いだとのこと。残念ながらババは彼らが到着する1カ月前に他界しており、念願は叶わなかったが、スティーブは、このとき仏教徒に改宗。アメリカに帰り、その後、大成功を収め億万長者になってからも、極力贅沢品は持たない質素な生活を続けた。近所でも、会社でも、裸足でウロウロ歩くことが多かったそうだが、インドでの経験がそうさせていたのだろう。


また、スティーブはインドで、ババの名声で人を集めようとする人たちを目の当たりにする、というあまりよくない経験もした。その時、「素晴らしいアイデアがあっても、行動を起こさなければ、何もないに等しい」「カール・マルクスとニーム・カロリ・ババ、2人合わせたよりも、トーマス・エジソンの方が世の中にとって大切なことをしたのではないか」と思ったとのこと。夢を、アイデアを、実現するために全身全霊でプロデュースする。夢を形にして、世界を人々の生活をよりよくする。アップルを成功へと導いた強いモチベーションは、この時、生まれたともいわれている。


ユマ・サーマンの父親で、ダライ・ラマの下で修行をし、欧米人初の得度を受けたコロンビア大学チベット仏教学教授ロバート・サーマンは、「スティーブ・ジョブズを仏教徒だとはいえない」「しかし、彼は、東洋の精神鍛練と禅ビジョンを仰ぎ望む人間と同じくらい、独創的な人間である」と分析している。また、仏教のエキスパートであるロバートは、スティーブを仏教徒のように「フォーカスでシンプル」な男だともいっているが、この2つは、まさしくアップルの倫理。スティーブは敬虔な信者でないにせよ、仏教の教えを忠実に取り入れていたのだ。


スティーブは少々強引で口も悪く、かなり短気だった。そのため、人間関係におけるトラブルは少なくなかったと伝えられている。85年、自分が立ち上げたアップル社から事実上追放されるという苦い経験もしている。しかし、彼はめげることなく、高等教育用のコンピュータを作ろうと新しい会社NeXTを作った。


新会社を作るもなかなか思うようにいかず、スティーブは苦悩するように。この時、彼を精神的に救ったのが、曹洞宗の僧侶、乙川弘文だった。乙川氏は、先生、老師（中国語で先生）と呼ばれるのを嫌い、弟子たちに名前の「KOBUN」と呼んで欲しい、「師匠ではなく、友人だと思ってください」というような、堅苦しくない人物。弟子に結婚を勧め、自身は離婚を経験するなど、型にはまらぬ僧侶だったと伝えられている。短気で口の悪いスティーブを禅の世界に導くことができたのは、乙川氏をおいてほかにはいなかったのかもしれない。


スティーブと乙川氏は、2人共イノベーターであり、アートとデザインに情熱を持つなど、多くの共通点を持っていた。スティーブは彼から、禅だけでなくデザインのコンセプトが何かということも学んだ。ローレン・パウエルと結婚した時に、式を執り行ったのも乙川氏で、2人は深いスピリチュアルな部分で結ばれていたそう。


80年代半ば、スティーブが乙川師から学んだことは何か、アップルにどのような影響を与えたか、そのことは、近日発売されるコミック本『The Zen of Steve Jobs』にまとめられている。米フォーブス誌でプレビューを読むことができるので、少しご紹介しよう。


スティーブは乙川氏から、心身を整えるため一定の場所をゆっくり歩く、「経行（きんひん）」の手ほどきを受けている。仕事のことが頭から離れずイライラするスティーブに、氏は「正しく瞑想するには、全ての思考を取り去ることが必要。その思考がよいものであれ、悪いものであれ、捨てることです」と伝えたそうだ。


氏に導かれるまま、「呼吸をしてから、一歩進む」を繰り返すスティーブ。氏が座禅を組む岩を中心に、円を描く様に歩むスティーブに、「かどを回ることは必要不可欠なことなのですよ」と、氏は教える。


次に、今年7月にクパチーノ市役所で新しいアップルの社屋を作りたいと、スティーブがプレゼンするシーンへと飛ぶ。スティーブが描く夢の新社屋は大きな円状の建物。完成図を見せながら、「UFOが着陸したみたいだろう？」とジョークを飛ばし、「円なんだ。まっすぐなものは何もない。円なんだよ」と誇らしげにいう。と、ここで、乙川氏から禅を指導してもらっているシーンへとフラッシュバックする。


このクパチーノ市役所でのプレゼンの様子は、YouTubeで見ることができる。痛々しいほど痩せてしまったスティーブは最初、息苦しそうにしているが、次第に新社屋に込めた熱い思いを語りだす。「駐車場は地下に作る。なので、地上の緑が増える。木もたくさん植える」「ビルは禁煙にする。私は育ての親を肺ガンで亡くしているので、この点は譲れない」などなど。最後の方で、「この新社屋は、世界一のオフィスと呼ばれるようになる。絶対にね。世界中から建築を学ぶ若者が、この新社屋を一目見に集まってくるだろう」と発言した時は、気のせいか、少し涙ぐんでいるようにも見えた。

　スティーブは禅における「簡素」の教え、「余白の美」にも大きな影響を受けたとのこと。何が必要なのか見極め、いらない部分は思い切って削る。これはアップル社での商品作りに大いに役立ったといわれている。


また、スティーブの有名なスピーチは、その多くが、「道元」など、禅僧の言葉とよく似ているといわれている。禅僧の本を読みスピーチに取り入れたのか、自分で同じような悟りを開いたのか、どちらなのかは定かではない。しかしながら、多くの人の心に響き、強く影響を与えた彼の言葉は、禅を深く学び理解したからこそ。スティーブは、彼のスピーチを聞く多くの人にとって、禅の師匠でもあったのだ。


思い入れのあるクパチーノの地に、禅の教えを反映した彼の理想とするアップルの新社屋が完成するのは2015年。新社屋を見届けられなかったことは、心残りだっただろうか？　まだまだ、新しい製品を世に送り出したかっただろうか？
いや、スティーブは、きっと禅における死の悟りを開き、この世に執着を残すことなく逝った。そう思わずにはいられない。


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１１月４日（金）～６日（日）
名古屋３daysワークショップ「人生の贈りものー天命、使命の道を生きる歓び」 

１１月１６日（水）「ほおずきの会」

１２月１６日～１８日
琵琶湖３daysワークショップ「人間関係とパートナーシップ」
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         <pubDate>Wed, 19 Oct 2011 21:47:17 +0900</pubDate>
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         <title>“さよなら”なんて言わないからね</title>
         <description><![CDATA[<span class="fl"><img alt="%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%88%202011-10-07%2021.44.45.png" src="http://blog.sq-life.jp/okabe/post-img/%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%88%202011-10-07%2021.44.45.png" width="162" height="124" /></span>9月4日の父の旅立ちをあんなに静かに感謝と祝福に変えて送ることができた私は、この先、自分にとってどれほど大切な人が私の前からいなくなっても、もう私はだいじょうぶだって思えて心からの安心を得たのだた。






私はすでに人間の本質が肉体ではないことは腹の底に落ちているし、ご縁の深い人とはまた会えることも知っているし、肉体がなくなった人が残してきた人に不思議なサインを送ることも経験しているし、だてに瞑想を続けてきたわけでもないし、もう何人もの人を見送って、さんざん泣いてきたし、そのお陰で、やっとこの境地に至ることができたのだと、父の逝去を通して私は自分自身に安心したのだった。


ところが、とんでもなかった。全然だめだった。あまりの不意打ちに動揺した。何が起きたのか、わけがわからなかった。起きている現実がまるで夢のように感じ、一切のリアリティがなかった。「うそでしょ、そんなこと・・・」


いずみちゃん（mixi名：華ちゃん）がお風呂場で倒れ、意識不明の重体、いま病院の集中治療室で治療を受けているが、もう心臓が微弱にしか動いていない状況ですと、いずみちゃんの娘さんから２日の深夜に電話を受けた時は頭が真っ白になった。朝まで眠ることができず、祈ったり、遠隔ヒーリングをしたり、元気になってまた会っているイメージを描いたり、瞑想したりして、明け方うつらうつらしてきたのでソファーでそのまま寝込んでしまったら、いずみちゃん逝去の報が入ってきた。


１０月３日　　朝８時３４分　　いずみちゃん永眠。享年５２歳。くも膜下出血でほぼ即死の状態だったことを知らされた。


うそでしょ、いずみちゃん。あなたの冗談好き、遊び好き、ヒョーキンで、おちゃめで、オキャンピーで、好奇心の塊の新しもん好き、いたずら好きは知っているけれど、悪い冗談だよね、うそだよね、いずみちゃん。


悲しみと絶望と寂しさとくやしさとむなしさと・・・ありとあらゆる感情が千路に乱れて、私は、途方に暮れた。


父が亡くなったほぼ１ケ月後に、今度はものすごく仲良しだったいずみちゃんの旅立ちを私は経験しなければならなかった。


あんまりだよ、いずみちゃん。もっともっとあなたと一緒に体験したいことがたくさんあったよ、私。一緒に泣いたり、笑ったり、怒ったり、感動したり、しみじみしたり、まったりしたり、ニヤニヤしたり、ホコホコ、ヘラヘラしたりしたかった。今までいっぱいそんな時間を共有してきたようにね。ほんとに楽しかったんだ、私、いずみちゃんと一緒にいると。


「楽しいか」「楽しくないか」があなたのものごとを選択する基準だったよね。みんなは、いずみちゃんは、すごい勉強家で、メモ魔で、向上心が強くて、その上愛に溢れた人みたいに思っているみたいだけれど、そしてそれは事実ではあるけれど、本当はあなたは、楽しいことしかやっていなかったし、自分がやりたいから、行きたいから、会いたいから、体験したいから、ただそれをしているだけなんだってこと、知っていたよ。


ぜんぶ、自分からだったね。相手にハートを開くことも、声をかけることも、相手を受け入れて、認めることも、好きになることも、つながることも、慰め励ますことも、相手のよさをいち早く見つけてちゃんと言葉にして伝えることも・・。


あなたは、ぜーんぶ、自分からの人だった。あなたに受け入れられて、好きになってもらえて、認めてもらえて、ほめてもらえて、優しく寄り添ってもらえて、そんなあなたをみんなが大好きになるのはあたりまえ、自然のことでした。


あなたは、ハコミセラピーでいう、ラビングプレゼンスそのものだったし、ナリッシュメント（魂の滋養になる言葉、心の糧になるような言葉かけ）の名手だった。どれだけの人があなたの存在の仕方と関わり方と言葉かけで支えられただろう。


時々、大ハズレーをやって、ペロっと舌を出して、「ヘヘヘ、また失敗しちゃった」とやるとこも笑えたし、身近な人、特に家族には、はずしっぱなしで怒られてばかりいて、しょげているあなたも本当に人間くさくて面白かった。


私は、常々、魅力というのは、「この人にまた会いたい」って思わせるその人の中の磁力のような個性と、「すんごいとこ」と「全然すんごくないとこ」（相当にヒンシュクをかったり、迷惑をかけたり、あきれられたりするところ）のギャップの大きさだって思っているから、そういう意味ではいずみちゃんは本当に魅力がありました。まさに清濁併せもつ人でした。


もし、いずみちゃんが、愛と光だけの清らかな存在だったり、聖人君子のような人だったり、お悟りモードの人だったり、天使のような愛らしい人だったり、スーパーウーマンみたいにできる女だったりしたら、私はいずみちゃんをこんなに面白い人だなあと思わなかったかも知れない。


確かにあなたは、かつては高校の教師をやっていたり、その後にプロのマンガ家や挿絵画家として驚くような絵の才能を発揮していたり、カウンセラーやセラピストとしても天性のものを持っていました。そして、私のやっている仕事の、そして、私という人間のよき理解者でした。私は、あなたには、自分のことを本当にわかってもらえているという歓びと信頼と感謝がありました。それは、私だけでなく、あなたに関わった人の多くが感じているものだと思います。


あなたは本当に愛に溢れた極道セラピストでした。あのヤクザの組長もマッツァオになるような地響きがするような低い声でやる迫力あるセッションも、天使のような、観音さまのような雰囲気でやる優しいセッションも、あなたの両刀使いは相当のものでした。


いずみちゃんは、私のワークショップや養成講座の最多参加者でした。9月から始まった東京での４期のカウンセラー養成講座も再受講してくれていて、この間、「じゃあ、次回、１０月の講座でね」と言って別れたばかりだったのです。


いずみちゃんと初めて会ったのは、４年前の名古屋での2daysワークショップだったと記憶しています。３０年来の友人である香川のナオちゃんと一緒に参加してくれたのですが、妙に不思議な存在感のある人で、インパクトが強かったことを今でも覚えています。


それ以来各地でやっている私のワークショップに何度も来てくれました。いずみちゃんは、最も親しくしているクライアントさんであり、受講生であり、友人であり、同士であり、魂の旅仲間でありました。愛のかたまりみたいなところがある一方で、人間臭いところも満載で、波乱万丈人生は私と一緒だったし、それでもとことん自分に向き合って、いろいろなことを超えてきた人でした。


いずみちゃんは、名コピーライターでもあり、私のことを「土木建築系地下足袋セラピスト」と呼んだり、「あけみちゃんは、野生のチータ。知識も理論もいっぱい持っているけれど、ワークは草原を駆け抜けていくチータも驚くような野生のカンだけでやっていく」なんて言ったりもしていた。


人にそんなこと言っていたくせに、自分は、チータどころじゃない、ピューマのような速さであっという間にこの人生を駆け抜けて逝ってしまったくせに。


私は、さよならなんて言わないからね、いずみちゃん。ぜったいに言うもんか、さよならなんて。


私が不意打ちに、突然に弱いこと知っているでしょう。別れの、身が引き裂かれるような悲しみを超えるために、私には別れの予感と別れの準備の時間、覚悟の時間が充分に必要だってこと知っていたでしょう。父の時はそれができたからだったんだよ。それなのに、いずみちゃん、唐突過ぎるじゃないの、このいなくなり方は


５日の告別式・・・。2期、3期の養成講座のメンバーと名古屋駅で待ち合わせた。誰も言葉を発せず、涙をいっぱいためながら、互いの手を握り、肩を抱いた。いったい、こんなときに、どんな言葉が出るというのか。


私は、いずみちゃんの娘さんに養成講座でいずみちゃんが毎月描いた絵のスケッチブックを見せていただけないか頼んだところ、持ってきていただけたのだ。素敵な絵がいっぱい描かれていた。中でも、モンちゃんとバディになった月に描いてきてもらった「世界でいちばん大好きな場所」の絵はみんなも記憶に残るほど幻想的な、宇宙的な美しい絵だった。絵の裏には、モンちゃんがいずみちゃんの絵につけたタイトルが書かれていた。
「刹那に燃える　　永遠の青」


いずみちゃんが亡くなる前の最後のメールに「あけみちゃん、１０月１日に高野山に「結縁灌頂」を受けに行っていました」と書いてあった


「結縁灌頂」の意味のわからない私は、高野山の奥の院で長いこと僧侶をしていた「まさあき君」に尋ねたらこんな返信がきた。これを読んで私は、ああ、いずみちゃん、決めいったんだな。人が「これからだったのに」と思おうが、いずみちゃんは、やり尽くした、遊びつくした、充分生き切ったんだなと思った。そして、いずみちゃんは、私が理解していたよりもすんごいところにもう行っていたんだなと思った。


あけみちゃん


ああ、やはり、いずみちゃんは、高野山に行っていたんだね。高野山では春（５月３～５日）と秋（１０月１～３日）の２回、結縁灌頂というのをします。春は金剛界の結縁灌頂、秋は胎蔵界の結縁灌頂。 


そう、あけみちゃんがこの間持っていたあの曼荼羅のクリアファイル。片方が金剛界曼荼羅で、そしてもう片方が胎蔵界曼荼羅です。春は金剛界曼荼羅の上に、秋は胎蔵曼荼羅の上に花を落として、宇宙の絶対的真理「大日如来」とご縁を結ぶ儀式です。 

いずみちゃんは毎年、春と秋には必ず高野山へ結縁灌頂を受けに行っていたそうです。高野山の結縁灌頂は彼女にとって、とても重要なものであったような気がします。 


秋の結縁灌頂は「胎蔵界」。胎蔵とは宇宙的な子宮を意味します。そしてこの胎蔵界曼荼羅の中心にいるのが生命の根源である「大日如来」。そしてこの「胎蔵界の大日如来」は梵字の「ア」で表します。実は真言密教の「阿字観」とは、この大日如来と一体となる瞑想法です。 


この世に存在するすべてのものは、この「ア」という文字が表す「宇宙生命の根源」より生まれ出で、そして最後には再びこの「宇宙生命の根源」に帰るのだと解釈します。 


弘法大師空海作と伝えられて歌に 

阿字の子が阿字のふるさと立ち出でて　また立ち帰る阿字のふるさと 

というのがあります。 


いずみちゃんは極めて意識レベルの高い人です。すでに肉体を離れる準備ができていたのでしょう。いずみちゃんは大日如来のもとへ導かれて行ったのだと思います。 


高野山へ行って、そして「阿字のふるさと」へ帰って行かれたのだと思います。とても素敵な旅立ちです。だからあけみちゃん、悲しまないで。彼女は少し形を変えただけで、いつもみんなのそばにいますよ。 
いずみちゃんが肉体を離れたことを祝福しましょう。　　　まさあき


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         <pubDate>Fri, 07 Oct 2011 21:40:35 +0900</pubDate>
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         <title>わたしの中に</title>
         <description><![CDATA[<div style="text-align: center;"><img alt="%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%88%202011-09-22%2015.57.44.png" src="http://blog.sq-life.jp/okabe/post-img/%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%88%202011-09-22%2015.57.44.png" width="199" height="137" /></div>



わたしの心がしんと静まる水面のように穏やかなとき、 
わたしの中にかなこがいる 


わたしの声が、魂の仲間たちところころと笑い声を立てるとき、 
わたしの中にかなこがいる 


わたしの頭が悲しみで埋め尽くされ、涙がとめどなく流れるときも 
かなこはわたしの中にいる 


わたしの腹が怒りに震え、燃え盛る炎のように激しく揺れるときも 
かなこはわたしの中にいる 


わたしは、かなこと繋がりたくて、繋がりたくて、 
ずっと、ずっと、天を仰ぎ、空を見上げていたけれど、 


かなこは 
天の彼方にいたのではなく 
わたしの傍にいたのでもなく 
わたしの中に、いたのだった 


わたしの中の不要なものがひとつ、失くなったとき、 
わたしは、自分の中のかなこに気がついた。 


こんなにも近くで共に歩いていてくれていたことに、やっと気付いた。 
わたしの手が妹を抱きしめるとき、 
わたしの目が父に注がれるとき、 
わたしの声が家族に届くとき、 


どんな時も、どんな時も、 
かなこはわたしの中で、笑っている 


わたしもまた、かなこと重なりあうことのできる魂の存在なのだと、 
やっと、、、気付いた 


（まっしろな雲の中　機中にて） 


あけみちゃん養成講座から、家に帰り、 
空気が穏やかに、穏やかに、流れています。 


ずっと、ずっと、直視できなかった義母の目をみながら、 
義母の言葉をこころの奥でゆっくりとかみ締めることができる、 


そのしあわせが、わたしを包んでいます。 


楽になりました。 ありがとうございました。 
わたしに真剣に向き合ってくれたひろちゃんに、 
セッションしてくれたあけみちゃんに　ゆりちゃんに 
かなこの言葉を伝えてくれたしげちゃんに 
踊ってくださった方に 
よかったね、と言ってくださった方に、 
ありがとう、と言ってくださった方に、 
背中にそっと手を置いてくださった方に、 
一緒に泣いてくださった方に、 
喜んでくださった方に、 
見守ってくださった方に、 
気持ちを推し量ってくださった方に、 
時間を共有してくださったすべての方に、心からありがとうございました。 


東京での４期のカウンセラー＆セラピスト養成講座の初級１回目が終わった。この詩は、松山からの受講生である「花菜ちゃん」が、講座が終わってからアップされた日記に書かれたものを花菜ちゃんの許可を得てご紹介させていただきました。花菜ちゃんの娘さんのかなこちゃん（長女）は、７歳の時に自宅の３階から転落して亡くなりました。


花菜ちゃんは、いまは松山で子供を亡くした親の会を主催したり、私のワークショップを毎年１回、松山の中島で主催してくれています。花菜ちゃんは、作文は好きだし、得意だったけれど、詩を書いたことなどほとんどなかったのに、講座が終わって、松山に帰る飛行機の中で、一面の真っ白い雲を見ていたときに、この詩が溢れてきたそうなのです。


私にはそれがとてもよくわかるのでした。私も作文は子供の頃から得意だったけれど、詩なんて書いたことがなかったのです。詩集を読むのは大好きでも、自分には、詩を書くセンスはないと思っていました。でも、私自身が自分の死に直目するという体験の後から始めた私に帰る旅という探求の道の中で、私の心の痛みやとらわれがひとつひとつ流れていき、ハートにスペースができてくると、そのスペースから、詩のような言葉が次々に溢れてくるようになり、それをずっとノートに書き綴っていたのです。


そうしたら、あるとき、出版社の社長との出会いがあり、その場でそのノートが本として出版化されることになったのです。それが、「気づきのノート　もどっておいで私の元気！」（善文社）でした。アマゾンでもこの本は詩集の分野に分類されています。でも、自分では、詩を書いたつもりもないし、詩集を出版したという自覚はないのです。


だから、花菜ちゃんが、松山に帰る飛行機の中で、一面の真っ白い雲を見ていたら、この言葉が溢れてきて、日記に書いたら、４期の他の受講生や友人たちに「いい詩だね」って言われてびっくりしたのがよくわかります。


前回の日記で、私は父の旅立ちのことを書きました。今回の講座で花菜ちゃんが体験したものとまったく同じ感覚が私の中にありました。私のハートの中には父がいて、いつも一緒に生きている感じがあって、私は父を喪失した感覚は全然なくて、ハートに意識を向けると父の大きな愛に満たされて、幸せで、幸せで仕方がないくらいなのです。


「かなこに見守られている感覚はずっとあったけれど、かなことつながっているという実感がほしい」と言っていたふみちゃんが、４期の講座の中でかなこちゃんとのつながりをしっかり感じられる体験があったことが本当に自分のことのようにうれしかった。


花菜ちゃんは、実は、東京講座の後はぜひ松山講座を開きたいということで、そのためにはまず自分が受講しておかなくてはということで来てくれることになったのです。


あの３・１１は、人の意識を大きく変えるきっかけになったのではないだろうか。その後、父も旅立ち、私の中では、私がいつ旅立つかはわからないけれど、もうそろそろ私が学んできたことは、必要としている人がいれば、みんな伝えていこう、そして、その人なりにそれをなんらかのかたちで人様のお役にたてることに使って、その人自身が輝いて生きていくことができたらいいなあという思いで講座を始めた。


講座ではたくさんの援助の手法は伝えるけれど、私は、援助で最も大切なことは、援助者（カウンセラー、セラピスト、ヒーラー、リーダー）の“Being”「自分自身がどのように在るか＝存在の仕方」「どのように生きている人なのか」「どのような空気感が存在から滲み出ているのか」「どのような愛の質をもっているのか」ということが一番大事なことで、テクニック、スキル、メソッドというのは本当は二の次なのだと伝えている。


別に聖者になる必要などない。その人の本質的なエネルギーはみなキラキラしたものだけれど、泥の中に咲く蓮のように、この世での泥にまみれた時間を生き抜いてきた人が咲かせるいのちの花はみな美しいのだ。
ああ、そういえば、受講生の一人が、「人生は、泥んこ遊び！みんな一緒に遊ぼう！」って言っていたな。賛成、賛成。 


花菜ちゃん（ふみちゃん）
<a href="http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1777100013&owner_id=9914691&comment_count=11">http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1777100013&owner_id=9914691&comment_count=11</a>


私たちは、肉体を持って生きていることを「存在」していると思いこんでいて、死は消滅で、不在で、無になることで、悲しみだと思いこんでいるけれど、本当は、肉体を持って「在る」者も、肉体を持たずに「在る」ものも、同じひとつの生命を生きている、それぞれの表れなのです。形として「在る」か、意識、エネルギーとして「在る」かの違いだけであって。究極的には、「在る」のは、ただひとつの存在、意識だけです。その次元ではもうあなたと私という分離さえありません。ひとつなのですから。


４期の東京講座は、受講生３５名、再受講生５名、計４０名の船出です。いままででいちばん受講生数が多いのですが、なんといっても主催が、まゆ亭くにお＆まゆみちゃん夫妻、福島康司＆みちえちゃん夫妻という、とても愛に溢れたあたたかいハートの人たちが主催者ですから私は安心してできます。再受講生がとてもいいサポートをしてくれるので心強いです。コクーンのゆりちゃんのサポートも強力です。

すでにカウンセラーやセラピストやヒーラーとしてお仕事している人も多いですし、これから援助の仕事をしていきたいと思っている人もいます。社長さんも６名もいますし、ビジネスマンや大学院生もいます。男性がかなり受講してくれているのもありがたいですし、遠くは大分、松山、香川、愛知、岩手、福島、新潟から来てくださる方もいます。


あの３・１１の大震災で津波に飲み込まれて亡くなった方と同じくらいの数、毎年３万人以上の方が、自らいのちを断っているという社会にいま私たちは生きています。いのちの電話が１日中つながらないという状況がもう何年も続いています。幼児の虐待など目をおおうような事件も後をたちません。鬱病の人も激増しています。


西欧の文明、いま私たちが生きている社会は、根底から変容を迫られています。人類史はじまっていらいのパラダイム・シフトが起きています。いますべてが変わろうとしているのです。こんな大変革の時代に生まれることを選んできた私たちは、みんな勇猛果敢な魂のチャレンジャーなんだろうなあ。


岡部明美公式ホームページ：<a href="http://anatase.net/ ">http://anatase.net/ </a>

１０月８日～１１日　岡山３daysワークショップ「いのちの痛みといのちの輝きと」 

１０月１６日（日）「ほおずきの会」

１１月４日～６日　名古屋３daysワークショップ
「人生の贈りものー天命、使命の道を生きる歓び」


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         <pubDate>Thu, 22 Sep 2011 15:50:13 +0900</pubDate>
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         <title>父が、魂の故郷へ、旅立った</title>
         <description><![CDATA[<span class="fl"><img alt="%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%88%202011-09-08%2010.16.37.png" src="http://blog.sq-life.jp/okabe/post-img/%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%88%202011-09-08%2010.16.37.png" width="138" height="104" /></span>９月４日・・・母から、父が旅だったという電話をもらった。「お父さん、ほんとうに穏やかな顔で逝ったよ。私たちを安心させてくれるような、この世になんの未練も悔いもないような、静かで、いい表情をして逝ったよ」




私は、父が旅立った知らせを受けた時、不思議なことにショックも驚きも悲しみも寂しさもなかった。一切の感情的な反応や動揺がなかったのだ。ただただ、私は静けさの中にいた。途方もない静寂に私は包まれ満たされていた。


母からの電話を切ったあと、１時間くらいずっと瞑想していた。ずっと時のない沈黙の世界の静けさの中にいたが、少ししたら、海の潮の満ち引きのような音が微かに聴こえてくるようになった。キラキラと光る波の中に私自身がいるようだった。いや、その光る波は、私なのか父なのか、どちらでもあるのか、もうわからないという感じだった。時空を超えた悠久の流れの中に父の魂が還っていったことを感じた。


私には父がいなくなったとはとても思えなかった。父と永遠の別れになったとも感じていなかった。父がいなくなってしまったことが信じられないのではなく、肉体という形はなくなっても、父の存在はまったく消えていないことを、私はありありと感じていたからだ。私自身、死に直面する病気をした時に、あちらの世界に一度行ったから、あちらの世界がどんなにやすらかで穏やかで平和な世界であるかは垣間見ている。大切な人を突然亡くした後も、その人が死んでなんかいないことを知らせるような面白い体験があったので、私は昔のような死の恐怖はいまはないのだ。


しかし、父の死をずっと覚悟していたとはいいえ、やはり大好きな父が亡くなった知らせを受けたら、やはりその瞬間、私は泣きだすだろうと思っていたから自分でも本当に意外だった。この感覚は、これまで瞑想している時に、時々感じていたものと似ていたが、それよりももっと静けさは深く、満たされた感覚は宇宙の果てまで、波のように、波紋のように広がっていった。


父はきっとこのような意識の状態で、この世での肉体の人生を終えたのだと思った。お父さん、こんな気持ちでこの世での人生の幕引きができたなんてすごいなあ。お父さんはいい人生だったんだね。辛いこと、苦しいこと、悲しいこといっぱいあったはずなのに、お父さんは、人生の最後の時に、「俺はこの人生でよかった。俺はこの人生を生き切った。この人生での自分の仕事はやり切った。俺はこの家族でよかった」って思って、もう逝くことを決めたんだね、きっと。


父の旅立ちのときに、こんなに静かな気持ちでいられたのは、父がもうそう長くないということを感じたときから、父に対して自分がやれることは全部やろうと思ってやってきたし、言い残したことはないと言い切れるくらい、伝えたいことは全部伝えてきたからかもしれない。


父が魂の故郷に帰る前に、地上の故郷である父の大好きな釜石に父を含めた家族全員で行くこともできた。あの３・１１の大震災が起きる前に連れていくことができたのは奇跡のようなことだったのだと今は思える。父は、大槌の大好きな姉に２０年ぶりに会えて大歓びだった。父があんなに笑っているのを何年かぶりに見て、私もとてもうれしかった。


父の入居している老人ホームで、コクーンのゆりちゃんに父の大好きだった昔の歌をたくさん歌ってもらったら、ふだん感情表現をほとんどしなくなっていた父が肩を震わせて泣いていた。昔の思い出につながる音楽が認知症の人の感情を取り戻す力というものを目の当たりにして驚くと共に私も感動した。父の見舞いに行くたびにヒーリングや手当をしてあげることもできた。


この一言をいうのは本当はとても気恥かしく勇気がいったけれど、「私、お父さんの子供に生まれてよかったよ」とちゃんと伝えることもできた。父は泣いていた。親が自分の子供から聴きたい言葉はもしかしたらこの一言なのかもしれないとも思った。「お父さん、私が娘で本当によかったなあって思ってるでしょ？」と言ったら照れ笑いしながらコクンと頷いてくれた。父の入居しているホームの部屋に飾ろうと思って作った、子供の頃からの家族の写真をコラージュした額を作ってもっていったときもポロポロ泣きながらずっとその写真を見ていた。最後は家族なんだな、人の人生は、と思った。


父は、私のワークショップに母と一緒に参加してくれたことがあり、初めてこういう世界を知ったのに、「あけみ、お前はいい仕事をしてるな。これは一生できる仕事だ。どんな人生の体験も、それが苦しいことやつらい体験であればあるほど、それが全部お前の人生の糧になり、肥やしになってこの仕事に深みがでるだろう。お父さんもお母さんもお前を応援しているから精一杯やらせてもらいなさい」


父から有難い言葉をもらった。私がどんな仕事をしているのかまったくわかっていない両親だったが、両親に自分の仕事を認めてもらえたこと、応援していると言われたことは本当にうれしいことだった。


父が亡くなる前―8月２１日は、父の８０歳の誕生日だったが、その日は「ほおずきの会」があったので、２日前に父の見舞に行った。「お父さん、あさっては、お父さんの８０歳の誕生日だね。おめでとう。日本の男性の平均寿命は７９歳だから、お父さん、１歳超えたよ。ヤッタネ！」と私が言ったら、父は手を微かに動かしてピースをしたのだ。それが、私が最後に見た父の姿だった。ピースサインが私に見せた人生最後の姿なんて、お父さん、出来過ぎだよ。


「ほおずきの会」では、この間東北の被災地のボランティアに行った時にやらせていただいた通りにコクーンの歌と私の詩の朗読をしたのだが、この日は、なぜか、最後の「いのちの花」を朗読していたときに涙がこみあげてきてしょうがなかった。まるで、父がもうすぐ旅立つことを予感していたかのように・・・。


父は、繊細で傷つきやすくて、頑固で強情で、孤独に弱くて寂しがり屋で脆い人だったけれど、感性が豊かで、努力家で、勉強家で、優しくて、あたたかい人だった。大酒飲みの父が酔っぱらって、どんなに大声を出そうが、暴れて部屋を壊そうが、物を壊そうが、私の「お父さん大好き」は、１ミリも減らなかった。


父はエンジニアだったが、それは「生活の顔」だった。父の「人生の顔」は、歌人だった。「潮音」という短歌の本があるのだけれど、父の作った短歌は、毎号掲載されて、家の本棚には山ほど「潮音」がある。いま、これを書いていてちょっとびっくりしたのだが、前述したように、父の訃報を聴いたあと、瞑想している時に海の潮の満ち引きのような音がずっと聴こえていたと私は書いたが、あの音は「潮音」だったのではないか・・・。父は私に潮音を聴かせることで、存在していることを知らせたかったのではないだろうか。なんかちょっと鳥肌が立った。私が長じて物書きになったのは、明らかに父から受け渡されたものだと思う。本当によく本を読む人だったし、文章を書くのが好きな人だったから。


父が亡くなる前にもうひとつでだけ、しておこうと思ったことがあった。内観である。この間の屋久島の旅では、後半の晴れた日に楽しんだ屋久島の大自然の中でのアドベンチャーの日々しか日記には書かなかったけれど、前半の雨降りの５日間は、ずっと瞑想と内観をしていたのだった。


内観は、生まれた時から今日まで、身調べをする対象に「していただいたこと」「して返したこと」「迷惑（心配、苦労）をかけたこと」の３つを小さい頃から順に思い出して、どんな小さなことでも思い出したものをひたすら書いていくもので、日本独自の素晴らしい心理療法であり、自己観察であり、心の修養なのだが、これを集中して真剣にやると本当に心の底からの感謝が湧いてくるのだ。


これまで一度も自己探求をしてこなかった人や、親との関係での心の痛みやとらわれから解放されるというプロセスを踏んでこなかった人は、いきなり内観しても集中できずにあまりいい体験にはならなかったという人もいるようだが、私は１５年ほど前の数年間、自分の根っこである両親との関係の再編集をやった。両親に対してずっとあった抵抗や怒りや悲しみや、いくつものしこりやわだかまりは、私の中の小さな人が癒えていくにつれ、過去が過去になっていった。


それまではどんなに本を読んでもスピリチュアルな教えを学んでも、頭ではわかっても体験が伴わないので、何度も何度も「心の痛みの物語」や「お馴染みのストーリー」に戻るということを繰り返していたのだということにも気づいた。被害者をやっていたということにも、家族の中で犠牲者の役割もやっていたということにも気づけた。


ところが内観をやってみたらそんな気づきどころではなかった。私は子供の頃から夫婦仲が悪い両親の調停役ばかりやっていたし、母親の愚痴の聞役もずっとやっていたし、酔っぱらった父の世話もいつもしていた。働いていた母を手伝って家事もやっていた。小さかった二人の弟の世話もしていたから、半分は弟たちの母親のようでもあった。だから、私の中では、傲慢にも自分が家族にしてあげたことばかりが記憶に残っていたのだ。私の中の小さな人の痛みはもうなくなっていたけれど、自分の中にあったこの傲慢さを内観によってしっかり見切ることができたことは本当によかった。


内観してみると、記憶の底にあったような、一度も思い出したこともなかったようなことがだんだん意識に浮上してきて、私がどれだけ父から愛され、世話され、守られ、心配をかけ、苦労をかけ、迷惑をかけ、支えられ、保護されてきたのがどんどん思い出され涙が溢れてきてしかたがなかった。父のことは大好きだったが、心の底から父に対する感謝がこみあげてきた。

９月６日・・・葬儀の日。父の遺体に初めて対面した。きれいな顔だなあと思った。４０代くらいまでは、俳優の山本学にそっくりだったが、その頃の顔だった。父は本当に仏さまのような表情だった。人間は本当はみな仏。一人ひとりが仏陀なのだ、それを父の顔を見て実感した。父の子供に生まれて、家族として一緒に生きてこられたことに感謝の気持ちだけが溢れてきて、その気持ちが、私を悲しみよりも寂しさよりも、父の存在の温かさと父の大きな愛で満たされ、有難くて有難くてしかたがなかった。


母は、父の冷たくなった遺体に触れながら、「お父さん、けんかばかりしてごめんなさい。意地を張って、あやまらなくてごめんなさい。お父さん、私を許してください。もうお父さんとけんかもできなくなって、世話もできなくなって、私はさみしいです。お父さん、私が向こうの世界に逝ったら、私を迎えにきてください。お父さんにまた会いたいです」。母は溢れる涙をハンカチでぬぐおうともせず父に話しかけていた。


弟は「オヤジ、よくがんばった人生だったな。できの悪い息子で申し訳なかったな、俺たちのことでは最後までオヤジに心配かけて、苦労かけてしまったな。オヤジにたくさん反発したけど、本当は尊敬していたよ。オヤジにはとうていかなわないって思っていたよ。オヤジ、本当にありがとな。ゆっくり休んでくれ」


まだ父が元気だった頃、父にこう言ったことがある。「お父さん、私、病気して自分が本当に死ぬんだということが実感としてわかっただけでなく、すべての人がみな間違いなく死ぬのだということ、明日があることなど誰にも保障されていないのだということが腹の底でわかったの。だからね、私、あの時から、今日死んでも後悔しない人生を生きることにしたんだ。自分の人生を私は生き切るって決めたら、世界が本当に美しいって思えたんだ」「お父さん、私ね、人生の最後はこんな風にしてこの世を去りたいと思った詩があるの。高見順が書いた「黒板」っていう詩だよ」と言って、父に一偏の詩を見せた。


<blockquote>＜　　黒板　　＞

病室の窓の
白いカ－テンに
午後の陽射しがさして
教室のようだ
中学生の時分
私の好きだった若い英語教師が
黒板消しでチョ－クの字を
きれいに消して
リ－ダ－を小脇に
午後の陽を肩先に受けて
じゃあ諸君と教室を出ていった
ちょうどあのように
私も人生を去りたい
すべてをさっと消して
じゃあ諸君と言って</blockquote>

（　詩集　『死の淵より』・高見　順（講談社文庫））


父はこの詩を読んで「あけみ、じゃあ諸君は、オッサンみたいだから、やめなさい。せめて、それではみなさん、ごきげんようくらいにしなさい」と笑って言った。「お父さん、それではみなさん、ごきげんよう、なんて私らしくないよ。あー、おもしろかった、私の人生。ほんじゃ、みなさんお先に、バイバーイはどう？」「ああ、その方がお前らしくていいな」


父との思い出は、いまとなっては、悲しい思い出とか、楽しかった思い出なんてなくて、すべてが懐かしくていい思い出だ。本当にありがとう、お父さん。また会おうね・・・。２０１１年　９月４日　祝・父８０歳の新しい旅立ち。


岡部明美公式ホームページ：<a href="http://anatase.net/">http://anatase.net/</a>

９月１４日　　ほおずきの会

１０月８日～１１日　岡山３daysワークショップ
「いのちの痛みといのちの輝きと」

１１月４日～６日　名古屋３daysワークショップ
「人生の贈りものー天命、使命の道を生きる歓び」
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         <pubDate>Thu, 08 Sep 2011 10:11:51 +0900</pubDate>
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         <title>孤独と不安のレッスン</title>
         <description><![CDATA[<span class="fl"><img alt="%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%88%202011-09-05%2012.01.36.png" src="http://blog.sq-life.jp/okabe/post-img/%E3%82%B9%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%83%E3%83%88%202011-09-05%2012.01.36.png" width="120" height="160" /></span>この間、息子が、「お母さんは、なんでお父さんに怒られるといつもあやまってばかりいるの？たまにはムカつかないの？」と聞いてきた。


「だって、お母さんが怒られてもしょうがないことばっかりするんだから、しょうがないじゃん」




「そりゃあそうかもしれないけど、俺は時々、ムカつくときあるよ。まあ、オヤジは滅多には俺には怒らないけど、怒る時の言い方がきつ過ぎる」


「ああ、あの時のアレね。あれは、お母さんから見ても、あなたはやっぱり怒られてもしょうがなかったと思うよ。でも、パパは小さい時から、本当にあなたに優しかったし、よくあなたの面倒を見てくれたし、子育ての半分はパパがやってくれたと思っているよ。お母さんよりよっぽどきめ細やかな子育てだったからね」


夫は、基本的に温厚な人なので滅多に怒ることはない。怒るのは、私や息子がやるべきことを自分勝手な理由でやっていない時、思いやりや優しさが足りない時、やることに丁寧さがない時、注意深さが足りないためにバカな失敗を繰り返す時、筋の通らないことをした時と相場が決まっていて、ここにかすったときに叱られるのである。つまり、不注意でおっちょこちょいの私は、几帳面で繊細で丁寧な夫にたびたび叱られるというわけである。だから、しょうがないんである。


私が友人に「うちは閏年に1回くらいしか夫婦ゲンカをしない」というと「へえオリンピックみたいな夫婦なのね、もともと相性がいいから仲良しなのね。うちなんか年がら年中ケンカばかりしてるわよ」などと言われるが、ちとニュアンスが違うのである。


私と夫は性格も価値観も正反対といっていいくらい違う。趣味や好きな世界もまったく違う。好きで読む本など、お互いがまったく興味がない作家だったり、分野だったりする。私がこだわるところに夫は全くこだわらず、夫がすごくこだわるところに私は全くこだわらなかったりする。離婚の理由のトップは、性格の不一致、価値観の相違だそうだが、そういう理由だったら、私達は合わないところだらけである。


じゃあ、なんで２０年も続いてきたのかなあって思うと、お互いが、お互いを変えようとしないからなんだろうと思う。相手に対するニーズがあんまりないのだ。こうしてよ、ああしてよ、こうあるべきだ、みたいなものもほとんどない。主導権争いのパワーゲームもない。ああ、あとは、恋愛の幻想が終わったあとに結婚したからかな。


いや一番の理由は、「コイツは何を言っても変わらん」と夫が早々に悟ってくれたからかも。諦めるというのが悟りの一歩らしいし。諦観―明らかに観る・。あるがままを受け入れるっていうやつですね。なので私は菩薩の夫に頭があがらない。夫に怒られるのがいちばんこわいのである。


夫婦ゲンカに限らず、ケンカというのは、双方が「自分が絶対に正しい」「自分は何も悪くない、間違っているのは全面的に相手」と互いに思っているからケンカになるわけで、そういう意味では、私は自分が絶対に正しいなんて言い切れる自信なんて全然ないのである。それどころがたいていは私が悪いよなあ、だめだよなあ、あーあ、またやっちゃった・・と思うことのほうが圧倒的に多いのだ。


違うということで、人と人は対立するけれど、本当は、違うからこそ、人と人は助け合うことができるし、価値観が違うからこそ相手から学ぶことも多いのだ。「考え方や価値観が違うということで対立する相手というのは、本当は、自分にないもの、足りないものが何であるかを教えてくれる相手であることが多い。責め合ったら地獄。許し合ったら天国」と教えてくれたのが思風先生だったな。


もちろんわかってはいても、うちだって時々派手に喧嘩することもある。だいたい私がふっかけるんだけどね。明け方まで延々議論したりすることもある。いくら温厚な夫でも私の物言いにさすがにキレル。でも相手が怒り出すことによって、本音がわかって、ああ、本当はそう感じていたのね、とわかって私は納得したりする。喧嘩は悪いことだけでもない。互いの本音を聴けるいいチャンスでもある。


雨降って、地固まるのケンカは時々はやってみるもんだと思う。地固まらなかったという結果になったときでさえ、より高い次元から見たら、人生の軌道修正だったり、自立への大きな一歩だったり、自己の尊厳を守るための離別であったり、新しい出会いの扉になったり、真実の愛や自己の本質への大いなる目覚めのチャンスを天からいただいたことがあとになってきっとわかるだろう。


そういえば、この間、夫婦関係で長年葛藤を抱えていた友人が読んで気が楽になった本と言って貸してくれた鴻上尚史さんの『孤独と不安のレッスン』（大和書房）という本を読んでいたら、こんな文章があった。


●とことんだから次へ行ける
恋人や夫婦の喧嘩の時も、とことんやる方が、不安は少ないし、回復は早いのです。いくらもめても、片方がずっと黙っていたり、捨てゼリフの形でしか話合わなかったり、どちらかの親が代りに発言したりすれば、すべて、中途半端な会話ですから、妄想はどんどん膨らみ、不安に押しつぶされそうになります。


直接、ぶつからないから、不安は妄想の中でどんどん膨らみます。そして、お互いの孤独も深まります。当人たちの想像力が、当人たちをどんどん苦しめるのです。ですが、罵り合うのも、とことんやれば、お互いの関係ははっきりします。特に、まだお互いがお互いの関係をなんとかしようと思っている場合、前向きに考えようとしている場合、喧嘩はとことんやった方が、はるかに有効なのです。


中途半端に短い時間しか言い争わないから、問題は深く、陰湿になるのです。一度、文句を言いだしたら、最低でも８時間は言い争いを続けるのです。決して途中でやめてはいけません。悪口も、８時間言い続けるとだんだん言うことがなくなります。８時間も「バカ」とか「頭おかしいんじゃないの」とかだけ言っていると、言う方も，聞く方も飽きてきます。で、「おたんこなす」とか「すっとこどっこい」とか「アンポンタン」とか、だんだん、なんのダメージもない言葉を使うしかなくなるのです。で、笑うしかなくなるのです。


お互いが本気でもめている時は、８時間も罵り合うことは不可能で、だんだんと話し合うようになり、結果、煮詰まった二人の関係が回復する可能性があるのか、ないのかが、はっきりしてくるのです。とことん話し合って、二人の考えていることがまったく違うことがお互いにわかり、これはもう別れるしかないと結論したとしても、それはとても前向きで健全なことだと僕は思います。


その時には胸が張り裂けるくらいつらいことですが、問題に区切りをつけられるとうのは、実は希望です。もう同じところでぐだぐだと悩む必要がなくなるからです。陰湿な妄想に苦しめられることもないのです。不安に押しつぶされそうになることもないのです。関係を終わらせ、次に行けば、きっと新たな出会いがあるのです。そもそも、二人はもう、お互い中途半端なままで、毒薬を飲み続けるという不健康なことをしなくていいのですから、それだけでも、ずいぶん、精神衛生上はいいのです。


そういえば、友人のコクーンのゆりちゃんから大笑いの話を聞いたことがある。ゆりちゃん夫婦はふだんはとても仲が良い。最高のパートナーシップである。ゆりちゃんはダンナを尊敬しているし、ダンナもゆりちゃんの存在を丸ごと愛し、コクーンの音楽活動も全面的に協力し、応援している。ダンナが本当によくできた人なのだ。それなのに、ゆりちゃんは、ダンナにいつも「私と結婚できてよかったね。しあわせでしょ」と言っているのだから、ズーズーしいにもほどがあると思うのだが、ダンナはそれを聞いてもいつもニコニコしている。


うちのダンナとゆりちゃんのダンナは、会うと必ず互いを褒め称え合う。というか「同病相哀れむ」みたいな目をして互いを見る。「僕たちはよくぞ、あんなブっ飛んだとんでもない女房に耐えてるよね」「僕よりあなたの方がエライ！」「いやいや、あなたの方が僕よりずっとエライ！」と言い合うのだ。


ゆりちゃんちはあまり夫婦ゲンカはしないらしいが、笑えるエピソードがあって、結婚当初、ゆりちゃんは、たまたまダンナの言葉に腹を立て、大喧嘩になり、家出しようと思った時に「よおし、スゴい啖呵を切ってやるゾ！！」と意気込み、玄関で捨てゼリフを吐いたらしい。

その時に切った啖呵は、「私には、あなたはもったいないよ！！！」

本人は、「あなたには、私はもったいないよ」というつもりだったらしいが、出たのはこのセリフ。二人は大笑いになり、「なんでケンカしてたんだっけ？」とめでたくチャンチャンだったらしい。いやあ、まったくもってゆりちゃんらしい。やはり、アホは人生を救うのだ。アホ力が足りないと深刻になり過ぎて、コトを大きくし過ぎてしまうからね。夫婦ゲンカは犬もくわないというけれど、どうせだったら犬がおかわりするくらいのケンカはたまにはいいかも。


PS：というわけで、私と同様、夫を悟りの境地まで成長させてしまったコクーンのゆりちゃんが先週末の三浦ワークで人気のボイスワーク「Song　of　your　Life」をやってくれて大好評でした。今回は珍しく参加者の半数が男性。それも殆どが経営者やリーダーでした。主催者の「まゆ亭くにおちゃん」もいつもとはかなり雰囲気が違うことに驚いていたみたいです。くにおちゃんが三浦ワークの様子を「天命・使命の道は、宇宙のフローに乗ること、コア・ステートの発見から」というタイトルで日記に書いています。 

<a href="http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1769925196&owner_id=3666589#write">http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1769925196&owner_id=3666589#write</a>


今回の三浦ワーク同様「いのちの輝きは、天命・使命を生きる歓び」というテーマでやるのは、１０月８日～１１日の岡山３daysと、１１月４日～６日の名古屋３daysです。１２月１６日～１８日の琵琶湖ワークは、「人間関係とパートナーシップ」のテーマでやります。詳しくはHPをご覧ください。

岡部明美公式ホ－ムページ：<a href="http://anatase.net/">http://anatase.net/</a>

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         <pubDate>Mon, 05 Sep 2011 11:54:44 +0900</pubDate>
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         <title>『ひかりのあめふる屋久島』に誘われて</title>
         <description><![CDATA[<span class="fl"><img alt="WS000000.JPG" src="http://blog.sq-life.jp/okabe/post-img/WS000000.JPG" width="204" height="130" /></span>


「当機は、屋久島空港の上空が台風接近による強風で荒れているため、やむなく、鹿児島空港に引き返す可能性がありますことをご了承ください」 






そんなー、せっかくの年に一度の長期バカンスのはじまりなのにー。そういえば、去年の沖縄ひとり旅も、台風上陸で、到着したホテルは停電のため真っ暗だった。数日間は、雨のため、ホテルに缶詰めだったっけ。


数年前に家族で行ったハワイも、１週間雨降りで、結局一度も泳がず、ハワイ島のマウナケアに登って、頂上で家族３人で雪合戦して帰ってきたのだった。ハワイ島の海で子供と一緒にイルカと遊ぼうと思って行ったのに、常夏のハワイの思い出が雪合戦って、どーよ。ま、忘れられないエピソードではあるが。


しかし、なんと飛行機は幸運にも無事屋久島に着いたのだった。やったね。着きさえすればこっちのもんだ。とはいうものの、雨は毎日続くのだった。まあ、２，３日したら晴れるだろうと思っていたら、とんでもなかった。台風、集中豪雨が毎日続き、なんと、５日間、雨、雨、雨・・・。今回は、はじめて８日間の一人旅だったが、最後の３日間は、台風一過の抜けるような青空が広がって、最高に気持ちのいい天気だったからよかった。


でも、結果として、５日間の雨降りはよかったのだ。なぜなら、今回の屋久島の旅では、屋久島の大自然に触れることだけが目的ではなく、ひとり静かな瞑想の時間をもつことと半断食をすることも併せて目的にしていたからだった。


宿泊施設は、テレビなし、ラジオなし、新聞・雑誌なし、パソコンなし、CDプレーヤーなし。つまり、私は最初から情報断食とからだの断食をしようと思っていたし、文明の力から遠い環境に身を置くことを旅の目的にしていたからだ。私は携帯電話ではメールをしていないから、本当に日常的な情報やコミュニケーヨンから完全に遮断された環境だったのだ。


それでも、外部からの情報は断食しようと思ってはいたけれど、雨降りが多いことで有名な屋久島である。雨降りの日は、瞑想するにはもってこいだけれど、長期に雨が続くことも考えて、何冊かの本は持っていこうと思った。 


まず、５，６年前に読んで、いつか屋久島に行きたいなあというきっかけをつくってくれた田口ランディの『ひかりの雨ふる屋久島』と、屋久島在住の詩人の故山尾三省さんの詩集を再読しようと思ってバックに入れた。


それから、この間、書店に平積みされていたので思わず購入した北山修の『最後の授業　～心をみる人たちへ～』も入れた。北山修が歌手から精神科医になったのは知っていたが、九州大学の教授になっていたのは知らなかった。この本は、精神科医や心理療法家を目指す九州大学の学生に向けて行った、北山修の教授退官前の「最後の授業」の様子が記録されているので、興味深かったので買ったのだった。


バックに入れようかどうか迷ったのが、再読してみようと思って机の上にずっと置いていた鎌田東二の『神道のスピリチュアリティ』と鈴木大拙の『日本的霊性』。でも、精神世界系の人の移住が多いことでも有名な屋久島で、この２冊の本を読むことはちょっとくさいよなあと思って持っていくのはやめた。


雨降り５日間。迷った２冊の本も入れたら５冊の本！なんだ、もしかしたら私の無意識は屋久島の旅は長期の雨降りになることを予感していたのかしらん？無意識はなんかとっても賢い知恵があるからなあ。

晴れていたら毎日、海岸まで朝陽と夕陽を見に行こうと思っていたのだが、しょっぱなからそれはかなわなかった。しかし、毎朝４時半になると十数羽のニワトリたちが一斉にコケコッコーと鳴きだすので、バシッと目が覚める。そのまま１時間ほど瞑想してから、おもむろにカッパと傘を持って海岸に出かける。台風の影響で荒れている海をただ静かに眺めていた。


その後は、朝７時からやっている町営の温泉に行く。毎朝一番乗りなので、ほぼ貸し切り状態。回数券を買うと１回１５０円。硫黄が含まれた温泉は肌がツルツル状態なる。なんとも贅沢な時間だった。「ああ、極楽、極楽」


宮崎駿のジブリ映画「千と千尋の神隠し」のモデルになったといわれる「千尋の滝」も、日本の滝１００選に選ばれた「大川の滝」も集中豪雨のため、水量がふだんの何倍にもなっており、落下する滝の炸裂する様は、水の落雷のようで身が震えるほどだったが、自然の激しさには独特の美しさがあった。


今回の屋久島の旅では、とにかく観光客がわんさかいる場所は避けようと決めていた。なので、屋久島といえば縄文杉だが、私は最初からここははずしていた。オンシーズンは、７００人くらいの人がぞろぞと縄文杉を目指して山登りするこのコースは私にはまったく魅力的ではなかったからだ。


千尋の滝も大川の滝も観光客がたいてい寄る場所だから、敢えて朝早い時間帯に行った。大雨が降っている朝の早い時間帯に来ている人など案の定だーれもいなかった。人はいないのに緑深い山々や、鬱蒼とした照葉樹林の森たちや、苔むした森の中は、生き物たちの気配で満ち満ちていた。


亡くなられた屋久島の詩人、山尾三省さんの家を見に行った。屋久島に移住した方は、自分で家を建てられる人も多いようだが、決してりっぱとはいえない山尾さんの家もおそらくご自身で建てられたのだろう。母屋と書斎と畑がある。書斎は川のほとりにあった。


この書斎で川の流れる音を聴きながら、蝉の鳴き声や樹木の葉の揺れる音や鳥の囀りを聞きながら、あの言葉たちが生まれていったんだろうな。言葉が生まれる以前に音がある。自然の音に繊細に耳を澄ますと、身体の内側に流れている微かな音と共鳴し合い、語り部の意識と感応し合い、意味のある言葉が自然に紡ぎだされていくのだろう。 



　　＜　大　工　＞ 

太郎　中学３年　後輩にあとをゆずって　 
野球部を引退したお前に　この夏休みの宿題を与える 

大きくなったお前と　やがて大きくなる次郎 
二人の部屋を　自分たちの手で立て増しをすること 

父は棟梁　　図面を引き　ネダ材のホゾを切る 
お前は弟子　柱材にホゾ穴を掘る 
次郎はやがて１２歳　　今はまだ川で　うなぎの仕掛けに熱中している 

何をすることが　本当に楽しいことなのか 
何をしているときに　胸に希望があり　それが静かな力となるのか 

父は子に教えようとし　父はまた　子から学ぼうとしている 

大工　　おおいなる　たくみ 



　　＜　びろう葉帽子の下で　　＞ 

ただの　　なんのへんてつもない　びろう葉帽子 
奄美大島の倒産した問屋が放出した　手作りの　びろう葉帽子 

それなのに　それをかぶれば　その瞬間から 
敗れ去って行ったものの　不可思議の力がはじまる 

わたくしが　わたくしであるということは 
必ず　敗れ去ったもののもとにある　ということー 

そして　その同じ瞬間に　喜びが　はじまる 
生きてあることの　　美しいできごとが　　はじまるー 

ただの　なんのへんてつもない　びろう葉帽子 

びろう葉帽子の下で　ゆっくりと鍬を振り　じゃがいもを掘る 


 
屋久島は隆起した花崗岩でできている。島の表面は雨が降ったら流れ出してしまうほどの薄い土の層で覆われている。その１メートルにも満たない薄い表土に植物たちが根をはやす。屋久杉は老賢者のような佇まいだ。森の中の透明で、清冽な川にある大小の石はビロードのような苔で覆われていて本当に美しい。


屋久島の山は、世界中の緑をすべて集めたような野生の力が漲っていた。大手資本によって開発された南の島のリゾート地とは、圧倒的に何かが違う。太古の森に彷徨ったような感覚におそわれる屋久島の森は生命力に溢れていて闇が濃い。過酷な自然条件で生き延びてきた自然の中には深い闇がたくさん残っている。闇が深い分、晴れた日の満天の星の美しさは言葉を失うほどだった。


屋久島の自然散策をガイドしてくださった方は、快晴になってからは、毎日、朝から晩までマンツーマンで、観光客の誰もいないようなところばかりを選んでくれて、山登り、シュノーケリング、沢登り、朝陽や夕陽スポットをガイドしてくれた。ガイドというより一緒に海に潜り、沢登りをした。透明で美しい海の中は、地上とは全く違う別の宇宙だった。様々な色とりどりの魚たちが悠々と泳いでいて目を楽しませてくれる。


沢登りは、初めての体験だったが、最高にエキサイティングだった。ヘルメットをかぶり、軍手をはめ、膝当てをし、地下足袋を履き、大小の石がゴロンゴロンあり、流れも速く、小さな滝のようになっているところもある沢を上流に向かってどんどん登っていくのだ。一瞬たりとも気を抜いたら流れに足元をすくわれる。沢というよりは川に近い。からだひとつで上流に向かって忍者のようにピョンンピョンと適切な石を見つけて動いていく。ところどころで水の中で泳ぐ。これを経験したら、もうリバーカヤックでの川下りなどつまらないと感じるほどだった。


森の中にいても、私が森を見ているのか、森が私を見ているのかよくわからなくなった。何か大きな大きなものに私が見つめられ、見守られていることをひしひしと感じて、ちょっとだけ涙が溢れてきた。山も川も沢も滝も海も、その中で私は時を忘れ、すべてのものと一体になり、私は苔むした石であったり、一滴の雫であったり、流れる川であったり、満身創痍の屋久杉であったり、泳ぐ魚であった。ただ、ウツボとまむしに合ったときだけ、私は恐怖で、私の形の中に即攻で逃げ込んだ  。恐怖が分離を生むことが本当によくわかった。  


海亀の産卵で有名ないなか浜の夕陽の美しさ、チャペルのようなオシャレな灯台、深く静かな渓流、グランドキャニオンみたいな秘密のスポットの大きな石の上で静かに瞑想していた時の心地よさ、観光ガイドにはのっていない広い芝生とブランコがある庭のある喫茶店で食べたイチゴミルクのふわふわかき氷の美味しさ、満天の星を見つめていた時に何十個も見た流れ星・・・ 


屋久島でのひと夏の体験は私を深く、深く満たしてくれた。この満たされたエネルギーを私の日常に関わる人たちに、仕事で関わる人たちに静かに溢れていくといいなと思う。  


いのちは、バランスを求めて、最適の時期に、自分にとって必要な場所に、からだを運ぶことを私は知っている。  


生命の島、屋久島がまた私を呼ぶ時が来るだろう・・・。今度は、仲間たちと一緒に行くのもいいかな。


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８月２１日（日）「ほおずきの会」（コクーンのコンサートもあります） 

８月２６日（金）～２８日（日）三浦３daysワークショップ（定員・キャンセル待ち） 

９月９日（金）・１０日（土）　京都個人セッション（定員・キャンセル待ち） 

９月１１日（日）琵琶湖１dayワークショップ 

９月２３日（金・祝日）出雲（島根県)
岡部明美講演＋伊藤まな＆ひろのクリスタルボウルコンサート
（東日本大震災のチャリティ） 
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１０月８日（土）～１０日（月・祝日）岡山３daysワークショップ 

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         <pubDate>Mon, 15 Aug 2011 18:11:22 +0900</pubDate>
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         <title>東北の被災地へ　　鎮魂とペイフォワード</title>
         <description><![CDATA[<span class="fl"><img alt="WS000afdas206.JPG" src="http://blog.sq-life.jp/okabe/post-img/WS000afdas206.JPG" width="175" height="122" /></span>７月２日の夜１０時に東京を出発し、まず岩手県に向かった。コクーンのマネージャーである雨宮さんことマイミクの「雨ちゃん」が演奏機材とコクーンのボーカルゆりちゃんとキーボードの裕子ちゃんと私を乗せて出発した。




雨ちゃんは、世田谷区の社会福祉協議会の所長であり、実家は曹洞宗のお寺なので、実は雨ちゃんはお坊さんでもあるのだ。雨ちゃんはすでに世田谷区の社会福祉協議会の部下を連れて、震災後すぐに南三陸町を訪れ、そのあまりの惨状に言葉をなくすという経験をしている。


私たちが最初に向かったのは、南三陸町と並ぶ、街全体が津波に飲み込まれて壊滅状態になった陸前高田町の中学校の避難所。雨ちゃんは仕事を終えて疲れているのに、車を運転し続けてくれたのだ。途中サービスエリアで何度かの休憩はしたけれど、陸前高田町に着いたには３日の午前８時。都合１０時間かかった。


皆車中１泊ということだったが、ほとんど寝ていない。私は一睡もできなかった。足を伸ばしてまっすぐに寝られる、布団の上で寝られるということが、ただそれだけでどれだけありがたいことなのかと思った。私たちの乗っている車が岩手に入ると、コンビニの窓に「ボランティアのみなさん、ありがとうございます。支援をありがとうございます。つながってくれてありがとう！」と書いた張り紙のある店がいくつもあった。 


テレビの映像や雑誌の写真では見ていた。しかし、陸前高田町の地に着いた時、これが本当に現実なのかと、いったいこれはなんなのだと、そのあまりの惨状に身体が固まり、目を覆いたくなった。でも、見なければいけない、この現実を直視しなければいけないのだ。


ペシャンコになった車がうず高く積まれている。瓦礫の山の数はかぞをきれないほどある。おそらくここに駅があったのだろうという場所があった。線路が折れ曲がり、地面にくい込み、途中で切断されている。家屋は全滅。どこが道路だったのかもわからない。かろうじて残っていた鉄筋コンクーリートの建物はすべて窓ガラスが割れ、穴ぼこだらけだった。大木が無残に引き裂かれ、人っこ一人歩いていない。カモメの泣き声だけが聞こえる。


廃墟―この目で見た、はじめての、ほんとうの、廃墟。ここに暮らしていた人々の日常が跡形もなく消えていた。ここで暮らしていた人の多くが、あの海の中に飲み込まれ消えていったのだ。言葉を失った。４人とも黙りこんでしまった。


陸前高田町の避難所になっている中学校に行った。地元の方は、「これでもきれいになったんです。自衛隊の人たちが毎日、毎日本当にがんばって働いてくれて、ここまで片づけてくれたんです。全国からたくさんの方がボランティアに来てくれて本当に有難いです」とおっしゃる。


私たちが避難所である中学に行くと、やさしそうな顔をしたおばあちゃんが体育館の入り口で「よぐきてくれたねえ。疲れだべ。外は暑いから、はやぐ中さ、入ってけで」と言う。懐かしい岩手弁。あったかいんだ、岩手弁、東北弁は。長期にわたる避難所生活でどれだけ疲れているかしれないのに、その人たちがボランティアの私たちにねぎらいの言葉をかけ気遣ってくれる。体育館が避難所になっていた。ダンボールで仕切られたわずかなスペースが家になっていた。一人畳一畳ほどのスペース。３人家族で３畳くらいしかプライベートスペ－スがない。横になって寝られるだけのスペースが与えられていた。


１１時過ぎにクリスタルボウルの奏者である友人の伊藤真奈＆ひろ夫妻が到着。陸前高田町の人にとっては、私もコクーンの歌もクリスタルボウルもすべてはじめてだっただろう。


少し前に、北島三郎や天童よしみやエグザイルが来てコンサートをしたという。穏やかな岩手の人が珍しく怒りを少し抑えながらも、「地元なのに小沢一郎はまだ来ていない。地元の人の支持があって中央の政界に出られたのに、偉くなるとだめになる。権力をもつと人間はだめになる。普通の人たちがこれだけ毎日のように全国から支援に来てくれているというのに、政治家かいちばんだめだ。あてにならない。普通の人たちが今いちばん力を貸してくれて、本当にありがたい」と言っていた。


避難所の前には、大阪からやってきた炊き出しボランティアの人たちがたくさん来ていて、「イカ焼き」を避難所の人たちに配っていた。いい匂いがした。地元の岩手で被災を免れた人たちが「チャグチャグ馬子」を２頭連れてきて、子供たちを乗せて楽しませていた。父が釜石で民謡保存会の会長をしていたお陰で、私も「チャグチャグ馬子」他、東北の民謡はたいてい歌えるので、一緒に歌った。


避難所に文字が書かれた木がたくさん積まれていた。津波の被害を受け、薪として再利用されている高田松原のマツが、大文字焼きで知られる京都の夏の風物詩「五山の送り火」に使われることになったのだ。遺族がかがり火をともす割木にメッセージを書き、思いを綴り、犠牲者の「鎮魂」を祈るのだ。発案したのは、「大分エコクラブ鎮魂の大文字」の方々だという。


●私の大切な、愛する孫　あきちゃん　バアバは、あきちゃんと遊んで楽しかったよ。天国でもいっぱい遊んで楽しんでね。バアバもそのうち行くから待っててね。また一緒に遊ぼうね。


●希望を持ちたいと思います。あの日以来、いままで当り前に思っていたことが、どんなに幸せなことだったかに気がついたのです。家族がいること、家があること、お金があること、物があること、学校に行けること、職場に行けること。いのちがあること。今まで全部あって当り前と思っていたのです。


●じいちゃん、息子よ、やすらかに眠ってくれ、みんなで少しづつがんばっているからな。


●忘れない　　ずっとずっと　　お父さん　　ばあちゃん　　ひろみ　天国でやすらかに眠ってください


●オフクロ様　　あの世でも　元気に　飛んで！　　跳ねて！この世でそうだったように。


●一歩一歩体も心も元気を取り戻しつつあります。貴方も天国で私たちを見守っていてくださいね。


●全国の皆様、力を貸してくれて、助けてくれて本当にありがとうございます。このご恩は一生忘れません。帰らぬ人となった私の妻、子供たち、いい家族だった。しあわせだった。天国でまた会おう！


●散り逝きて　心に残る面影よ


コクーンが、「傷だらけのエンジェル」（裕子ちゃんの亡くなった息子さん、ひかる君の歌）を歌っているとき、避難所である体育館に突然一羽のツバメが入ってきて鳴きながらクルクルと何度も旋回した。ツバメの巣などないにもかかわらず。曲が終わるとさっと窓から出ていった。きっとあれは、ひかる君だね、とみんなで話した。


クリスタルボウルの演奏を終えた伊藤真奈さんが言った。「この避難所には身体という魂の衣装を脱いだ人たちがたくさんきていて満席だったね。津波に突然飲み込まれて亡くなった人たちの中には、自分が死んだということをまだ認識できていない霊もたくさんいて、今日のコクーンの演奏と私たちのクリスタルボウルの演奏は、鎮魂の歌であり、弔いだったね」と。


陸前高田町の翌日は花巻へ。花巻ホテルが、釜石や大槌や山田や宮古で津波によって家を失った人たちを大勢受け入れていて、ホテルが避難所になっているのだ。大きな和室を使ってやらせていただけた。私が最初に岩手弁で話をして、コンサートの最初と最後に私の本の朗読をした。私の父と同じ、新日本製鉄で働いていた夫を亡くした方がいたり、大槌の叔母の近所に住んでいたという人もいて、自分以外の家族と家を失くしたという人もいらした。最初から私たちを受け入れてくれている雰囲気だった。


コクーンの歌では多くの人が涙を流していた。クリスタルボウルの演奏ではみなさんリラックスして心地よさを味わってくれたようだ。ここでやる段取りをつけてくれたのは、私の岩手ワークの主催者であるマイミクの「ココロ」さんと「かりん」ちゃん。帰られるときにみなさんがとてもいい顔をして、ココロさんに「あの３月１１日以来、時間がとまってしまった。でも、今日はじめて、もう一度時間が動きだした」と言って帰られた人がいたという。私たちにも「こんなにリラックスできたのは、震災以来はじめて。よく来てくれました。しあわせな時間でした」と言ってくださった人がたくさんいました。


震災は本当に深い爪痕を残した。身体の不自由な母親を背負って高台の方に向かって走っていると、津波が腰までやってきた。その時背負われていた母親が、息子の背中をバン！と押して「お前だけ逃げろ！と言い、次の瞬間母親は津波に飲み込まれ亡くなったという方、仕事に行っている間に家族全員が津波に飲み込まれ、家族と家を一瞬にしてすべて失くしたという方、お一人お一人がつらい体験をされている方ばかりだった。


東北にボランティアに行く前に何を救援物資として持っていくかコクーンと相談したとき、私は、自分の２冊の本を、コクーンは私とのコララボ朗読cd「いのちの花」とコクーンの歌のCDを贈呈しようということになって持っていった。終わったあと、わっと人が集まり、ありがとう、ありがとうと、喜んでみなさんが本とCDを持ち帰ってくれたことがとてもうれしかった。


この間の松山・中島ワークに来てくれたかずちゃんは、化粧品やエステの会社の社長さんですが、化粧水や乳液や美容液や洗顔フォームがセットになったものを救援物資としてたくさん送ってくださり、それも飛ぶようになくなった。こういうのは本当にありがたいと喜んでくださった。


花巻の翌日は、福島の郡山。郡山に向かう途中、ものすごい豪雨と落雷と強風だった。まさにいまの福島の状況を暗示するかのような天候だった。避難所になっているのは、ビッグパレットというふだんは６千人入るコンサートホール。陸前高田と花巻と違うのは、ここに避難されている方々は、福島第一原発事故による避難指示により、地震発生後の３月１６日から避難してきた富岡町、川内村の住民の方々だったということ。当初は、２４００人の以上の人が避難していたが現在は仮設住宅にどんどん移られ、５００人ほどの方がここで生活している。


ここはお掃除ボランティア、炊き出し、足湯、美容カットボランティア、マッサージボランティアの方々が全国からきている。ここには、生活支援ボランティアの「おたがいさまセンター」があり、長期化する避難所での生活や、仮設住宅に移ったものの知り合いもいなく孤立化する入居者のメンタルケアも含めて「住民の交流と自治を守り、コミュニティを再生する」役割を果たそうとする取り組みをしている。


もうひとつ私が注目したのは、「ペイ・フォワードこおりやま」の活動だ。「ペイ・バック」は、人から受けた厚意や親切をその相手に返すことだけれど、「ペイ・フォワード」は、映画「ペイ・フォワード」からアイディアをいただいたそうで、自分が受けた他者の思いやりや善意や親切を、その相手に返すのではなく、別の３人に渡す、「次へ渡す」ことで助け合う世界を広げていこうというムーブメントのことだ。自然災害と原発事故という人災の二重苦にあえぐ福島の方々が新しい社会を構築しようとしているその姿勢に頭が下がる思いだった。


伊藤真奈さんとひろさんは、私たちよりも長期で東北に滞在するので、郡山の前にお二人は石巻に行ったため、ビッグパレット郡山に行ったのは私とコクーンだけだった。コクーンのコンサートが終わったあと、多くの人がかけよってきて、「ありがとう、ありがとう、私たちは負けないよ、福島はがんばるよ」「ここにはいろんな歌手が来てくれたけど最後までいたのは初めてだ。あんたちみたいなのは初めでだ」とコクーンに言っていた。ここでボランティアができるように段取りしてくれたのは、私のワークショップに何度も参加してくれたマイミクの「むっちゃん」だ。むっちゃんは、郡山の隣の本宮市役所の福祉課に勤めている。むっちゃんに再会できてよかった。


私たちの東北ボランティアの活動資金は、毎月の「ほおずきの会」に参加してくれた人たちのお陰です。「ほおずきの会」の収入を東北の被災地の支援に回そうと決めてくれた「まゆ亭くにおちゃん」本当にありがとうございます。


７月２７日（水）の「ほおずきの会」でコクーンと私がお礼とご報告をします。８月２１日（日）の「ほおずきの会」では、コクーンが、避難所で歌ったうたを全部唄うコンサートがあります。「ほおずきの会」は、どなたでもご参加いただけます。
<a href="http://anatase.net/hoozuki.html">http://anatase.net/hoozuki.html</a>


岡部明美公式HP　<a href="http://anatase.net/">http://anatase.net/</a>


７月３０日～３１日　　名古屋2DAYSワークショップ
主催：伊藤真奈＆ひろさん（クリスタルボウル奏者・セラピスト）
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テーマ：自分を活かし、人を活かす、愛と思いやりに溢れた内なる旅　　


8月２６日（金）～２８日（日）　三浦半島2泊３日ワークショップ
主催：まゆ亭くにおちゃん
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テーマ：「聖なる扉を開く」～彼方からの声に耳を澄まし、自分の人生の贈り物を見つける～

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         <pubDate>Wed, 06 Jul 2011 19:40:15 +0900</pubDate>
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         <title>我々日本人は、核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった</title>
         <description><![CDATA[<span class="fl"><img alt="okabe0621.JPG" src="http://blog.sq-life.jp/okabe/post-img/okabe0621.JPG" width="176" height="125" /></span>７月３日からコクーンと伊藤真奈さん＆ひろさん（クリスタルボウルの奏者）と一緒に行くことになっている東北地方の被災地ボランティア。最初は釜石に行く予定にしていたが、釜石の復旧作業が急ピッチで進んでおり、６月末には避難所にいる方々が皆仮設住宅に住めることになったという。


そこで、岩手県内で最も被害が大きかった陸前高田町の中学校が避難所になっているため３日はそこに行くことになった。４日は、花巻の避難所、５日が福島県の郡山の避難所。伊藤真奈さんとひろさんは、長期で滞在する予定で、宮城県の避難所もいくつか回る予定にしている。


震災直後より、現在の方が、メンタルなケアを必要としている人がとても増えているという。長期的に、継続的に、自分のできる範囲で支援してきたいと思っている。毎月１回やっている「ほおずきの会」の収入をボランティアの活動資金として使わせていただけてとてもありがたいです。ありがとうございます。今月は、６月２６日（日）に「ほおずきの会」（瞑想、リラクゼーションのボディワーク、オープンカウンセリング、私の話などがあります）がありますので、お時間ある方はぜひいらしてください。

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名古屋から東北のボランティアに向かう伊藤真奈さん＆ヒロさんが、その活動資金を集めるため、７月１日、２日に東京でチャリティ・クリスタルボウルの演奏会をします。とても素敵な演奏会です。ぜひお出かけください。

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村上春樹氏　『 カタルーニャ　国際賞での演説 』 


「非現実的な夢想家として」 


ご存じのように、去る３月１１日午後２時４６分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の１．８秒短くなるほどの規模の地震でした。 


地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は３９メートルの高さにまで達しました。３９メートルといえば、普通のビルの１０階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。 


日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。 


台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの２０年か３０年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード８クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。 


にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。なぜか？あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか？恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。 


日本語には無常（ｍｕｊｏ）という言葉があります。いつまでも続く状態＝常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。 


「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。 自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。 


どうしてか？ 桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。 


そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。 


今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。 でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。 


結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。 

 
ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。 


僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。 
みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。 


十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。 


なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。 


また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。 我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。 


日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。 


しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。 


ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。１９４５年８月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて２０万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。 


僕がここで言いたいのは、爆撃直後の２０万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。 


戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。 


広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。 
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」 


素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。 


そして原爆投下から６６年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。 


何故そんなことになったのか？戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう？我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう？ 


理由は簡単です。「効率」です。 


原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。 


そして気がついたときには、日本の発電量の約３０パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。 そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。 


そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。 原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。 


それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。 


「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」 
我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。 


ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。 


「大統領、私の両手は血にまみれています」 
トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」。 しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。 


我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。 我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。 


それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。 


前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。 


壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。 


その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々＝職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。 


最初にも述べましたように、我々は「無常（ｍｕｊｏ）」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。 


僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。 


カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。 日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。


我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしｈｕｍａｎｉｔｙは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。 


最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。（バルセロナ共同） 
村上春樹氏のこのスピーチを教えてくれたチカちゃん、月さん、ありがとうございました。


「脱原発」へ1000万人署名開始 
<a href="http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1638370&media_id=4 ">http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1638370&media_id=4 </a>


「さようなら原発１０００万人アクション」 
<a href="http://www.peace-forum.com/no_nukes/">http://www.peace-forum.com/no_nukes/</a>


日本人の夢、送電線国有化1000万人署名
<a href="http://maketheheaven.com/japandream/">http://maketheheaven.com/japandream/</a>


岡部明美公式ホームページ：<a href="http://anatase.net/ ">http://anatase.net/ </a>


７月３０日（土）～３１日（日）名古屋２daysワークショップ 
内容：内なる旅の中に見つける自分を活かし、人を活かす道――愛のある援助の方法を体験します。医療関係者、援助職の人、福祉関係の方、人材教育や社員教育に関わるリーダーに最適です。自分を深く知り、自分の道を探求したい方にも最適です。 


８月２６日（金）～２８日（日）三浦３daysワークショップ 
テーマ：「聖なる扉を開く」～自分のいのちを輝かせる贈り物はすでにみな持って生まれてきた。彼方からの呼び声に耳を澄まし、魂がワクワクする人生を生きよう～
コクーンのボーカルゆりちゃんのオリジナルボイスワーク「Song　of　your　Life」のワークもあります。 

]]></description>
         <link>http://blog.sq-life.jp/okabe/log/message/005169.shtml</link>
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         <pubDate>Tue, 21 Jun 2011 10:29:35 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>未来に向かって歩いて行く力</title>
         <description><![CDATA[<span class="fl"><img alt="WS000191.JPG" src="http://blog.sq-life.jp/okabe/post-img/WS000191.JPG" width="135" height="166" /></span>


年老いた両親と離れて暮らしていると、実家からの朝早い電話や深夜の電話には毎回ドキッとする。いつ別れの時がきてもおかしくない状況だから、覚悟はできているとはいえ、慣れるわけでもなく、微かなうろたえを胸の内に静かに抱えながら日々暮らしをしているような状況だ。






いつの頃からか、親が小さく見えるようになった。親の、一人の人間としての弱さも脆さも惨めさも無力感も淋しさも、透き通った風の中に舞い散る木の葉のように見えるようになった。こんなに小さかったのか、こんなに弱かったのか、私のお父さん、私のお母さん・・。それは、私が大人になったことを悟った日だったのかもしれない。


その感覚は、何かに似ていた。そうだ、あれだ。故郷を離れて何十年、都会の生活に慣れ、都会の喧騒も刺激も贅沢も味わい尽くした頃、ふと、故郷を訪れたくなって旅に出た。すでに故郷は帰る場所ではなく、旅する場所に変わっていた。


釜石の駅に着いて、驚いた。駅前にあった新日鉄釜石の工場にあった何本もの溶鉱炉の煙突からまったく煙が出ていない。モクモクと、モクモクと、まるで天まで立ち昇るような勢いでゆらめいていた煙がもはや跡形もなく消えていた。灯りの消えた町になっていた。


あの立ち並び、聳え立つ、大きな大きな煙突群は、釜石という小さな田舎町の中にある唯一の「強さ」と「豊かさ」と「未来に向かって歩いていく力」を象徴していた。


人に青春時代があるように、町にも、国にも、青春時代があり、成熟した大人の季節があり、老齢期に向かっていく季節がある。ずっとずっと続くと思っていた、この活気が、この輝きが、このエネルギーが。しかし、故郷を離れて何十年かして訪れた町は、老いていた。活力をなくし、さびれ、沈んだいた。


私たち家族は、釜石という町の青春時代に暮らしていたのだとうことがいまになってわかる。あんなに若くて、大きくて、強かった町が、年老いて弱くなったのを見たときに感じた切なさは、子供だった私にとって、永遠に私より、強くて、大きくて、かなわないと思っていた両親が、もうそのような存在ではなくなったことを知った日のさみしさであり、切なさであり、それを感じて初めて湧きあがってくる感謝でもあった。


先日、３期の名古屋カウンセラー養成講座の受講生だった香川の「ナオちゃん」が、「釜石橋上市場」というタイトルの写真集を私にプレゼントしてくれた。今回の東日本の大震災で釜石の沿岸部が壊滅状態になって、うちの両親が心を痛めていることを日記に書いたからだろうか、「あけみちゃん、もしよかったら」と言ってくださったのだ。ナオちゃん、ありがとう。


その写真集には、活気のあった釜石橋上市場とそこで働く人々のくったくのないいい笑顔がたくさん掲っていた。モノクロームの写真集であったことがまた郷愁をさそったのだろう、父に見せたらポロポロと泣きながら見ていた。


私が父に、「７月になったら、私とコクーンのゆりちゃんとゆうこちゃんとマネージャーの雨ちゃんと名古屋のお友達と一緒に釜石の避難所にボランティアに行ってくるからね。大槌のおじちゃんとおばちゃんにも会ってくるよ。福島にも行ってくるね。郡山にある大きなイベントホールがいま避難所になっていて、私のクライアントさんだった女性が市役所の福祉課に勤めていて、連絡とって、ボランティアに行こうと思うって言ったら、とても喜んでくれて、その大きな避難所でコンサートや手当やヒーリングや傾聴ボランティアができるよう今準備してくれてるんだよ。私は、私のできることをしてくるね」言ったら、もうほとんどしゃべれない父は、親指と人差し指で丸を作り、うんうん、と頷いてくれた。


その時は、いつもとそう変わらなかったから私は安心して家に帰ってきたのだが、その１０日後に、弟から電話があって、父がまた肺炎になり、脳梗塞も起こし、老人ホームから救急車で運ばれて入院したという知らせがあり、急遽、入院先の病院に行ったら、酸素マスクをつけて横たわっていたので、驚いた。かろうじて目をあけてくれて私がきたことを認めたようだった。


数日後に松山・中島でのワークショップが控えていた。今回はもう無理だと思い、主催者の「花菜ちゃん」に電話入れて、中止にせざるえない状況にあることを伝えた。芸人は親の死に目に合えないとか、プロの仕事というのは親の死に目に合えないのが普通だとか言われるが、だったら私は、アマチュアと言われようが、素人仕事だと呼ばれようがかまわない。私は芸人じゃないし、仕事の鬼でもない。仕事は愛しているが、緊急事態になったら、私は、仕事よりも親をとる。もし、仕事中だったら、土下座してでも帰らせてもらう。


これまで２回、父の状態の悪化で入院があった。去年の三浦ワークの前と、３期の養成講座の途中だった。私は腹をくくったのだが、父はなんと２回とも危機を乗り越えてくれたのだ。しかし、今回は、これまでと違う。酸素マスクをつけて、全身管だらけになっているのだ。私は覚悟を決め、実家の近くの葬儀屋をインターネットで検索したほどだった。


しかし、松山・中島ワークの３日前に、医師から、お父さんは、だいじょうぶそうだから仕事に行ってくださいと言われたのだ。父はまるで「仕事に穴をあけてはいけない」とでも言いたいかのように、結局、毎回、持ち直して、私を仕事に行かせてくれるのだ。私の仕事を応援してくれている父の愛を感じて涙が出てきた。


松山の港から、船で３０分くらいのところにある中島は、本当にのどかでのんびりとした癒しの島で、ここで「花菜ちゃん」が年に１回私のワークショップを主催してくれているのだ。私のワークショップでは珍しく、男性の参加者が７割という珍しい構成で、そのほとんどが経営者か経営幹部の男性たちだ。今回の中島ワークは、これまでで最もパワフルで、ダイナミックなエネルギーの流動を感じた。


男性たちが本来の自分を思い出し、本来のエネルギーの発露が表現され始めると、女性たちがしなやかに、軽やかに舞い踊り出す。男性性と女性性が混じり合い、統合されたいのちの祭りのようなワークショップだった。


コクーンのボーカルのゆりちゃんが、この間の三浦ワークに引き続き、中島ワークでも、オリジナルのボイスワーク「Song　of　your　Life」をやってくれて、参加者一人ひとりのいのちの歌を即興で歌ってくれた。これがまた笑いと感動が入り混じり、参加者に大受けだった。


松山・中島ワークから帰ってくると、「まさあき君」から、出雲の瞑想合宿の打ち合わせメールがきていた。この間終わった３期のカウンセラー＆セラピスト養成講座in関（岐阜）で、ひとつの歌が生まれたのだ。「未来に向かって」という歌だ。作詞は、「まさあき君」。作曲と歌は、同じ関の受講生だった「ちいちゃん」。これがとてもいい歌で、一回聞いたらすぐ口ずさめる親しみやすい詩とメロディだ。


こんなに明るい詩を書いたまさあき君が、どれほどつらい人生を生き抜いてきたかは以前、「弘法大師・空海と坊主セラピスト」というタイトルで日記を書いたことがあるから覚えていらっしゃる人も多いと思う。
<a href="http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1605788011&owner_id=3515288#comment">http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1605788011&owner_id=3515288#comment</a>


そして、この歌を歌っているちいちゃんも、これまでの人生では、自分の夢をあきらめたり、鬱病になったり、離婚をしたりして、苦しい人生を歩いてきた女性だ。ちいちゃんは、セラピストになろうと思って、関の講座を受講したのだが、最終回の講座の後に提出してくれた感想文には、こんなことが書いてあった。


「セラピストになりたいと思いこの講座に参加したのですが、自分自身がすっかり忘れてしまっていた歌への情熱がよみがえり、オリジナルの歌ができ、ＣＤまででき、最後には素敵なパートナーまででき、なんだか夢のように嬉しい事が数珠繋ぎのように叶えられた事に驚いています。あけみちゃんが言っていたように、心の底から望んでいるものとアクセスできるとこうなるんだということを身をもって体験させて頂きました。今まで体験してきた辛い事は全てギフトだったこと、あの体験があったからこそ今の私があること、人の優しさ、有り難さが身に染みること。なんて私は幸せ者なのかと嬉しく思いました。そしてたくさんの魂友が出来たことも、私の大切な宝物です。まだまだ、数多くのギフトがやって来ると思いますが、一つ一つ有り難く受け止め、人生を歩いて行こうと思います。本当にありがとうございました。これからも、よろしくお願いします(^0^)/」 


ちーちゃんが、「未来へ向かって」 という歌を YouTubeで一般公開しましたので聴いてください。

<a href="http://www.youtube.com/watch?v=W-xU9HawK2Q ">http://www.youtube.com/watch?v=W-xU9HawK2Q </a>


　　　「未来へ向かって」 

　　作詞：Masaaki （まさあきくん）
　　作曲：Chii （ちいちゃん）
　　歌：Chii 

　　苦しくて　悲しくて 
　　絶えられずに　泣いてしまう 
　　私はもう　過去の出来事を 
　　思い出すのは　やめにするわ 

　　これから　希望に満ちた 
　　人生が私を　待っている 
　　素敵な　人と出逢い 
　　私は必ず　幸せになる 

　　楽しくて　嬉しくて 
　　堪えきれずに　笑ってしまう 
　　私は今　未来へ向かって 
　　輝きながら　生きてゆくわ 

　　これから　夢に溢れた 
　　人生を私は　歩いてゆく 
　　素敵な　人と出逢い 
　　私は必ず　幸せになる


ちいちゃんは、まさあき君の詩にメロディをつけて歌い始めて、本当に素敵な彼が表れて、いま、ラブラブなのですが、そのお相手は、まさあき君ではありません。YouTubeにアップするときも、作詞のまさあき君を映像に出すかどうかでもめました。私曰く：「まだ、まさあき君の福山伝説を信じている人がいるみたいだから、映像には出さない方がいいよ、夢がこわれから」


まああき君：「ちょっと、あけみちゃん、その福山伝説を流布したのは、あけみちゃんでしょ。僕が言ったのは、僕は、福山雅治に右足のくるぶしがソックリって言ったんだよ。それをあけみちゃんが、福山雅治にソックリのお坊さんなんて日記に書いたもんだから、一気にマイミクさんが１２０名も増えて、それもマイミク申請してきたのが全員女性で、あれから僕は、リアルで会ったマイミクさんに、すみません、ごめんなさいって、まず謝ることから始めるんだからね、ああ、情けない。それにしても、“未来に向かって”の歌で、私は必ず幸せになるって詩を書いた僕より、この歌をうたいはじめたちいちゃんが先に幸せになっちゃって、ぼくの幸せは・・いつ・・・」


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６月２６日（日）「ほおずきの会」（岡部明美の話・瞑想・リラクゼーション・オープンカウンセリング）


７月３０日（土）～３１日（日）名古屋２daysワークショップ 
内容：内なる旅の中に見つける自分を活かし、人を活かす道――愛のある援助の方法を体験します。医療関係者、援助職の人、福祉関係の方、人材教育や社員教育に関わるリーダーに最適です。自分を深く知り、自分の道を探求したい方にも最適です。 


８月２６日（金）～２８日（日）三浦３daysワークショップ 
テーマ：「聖なる扉を開く」～自分のいのちを輝かせる贈り物はすでにみな持って生まれてきた。彼方からの呼び声に耳を澄まし、魂がワクワクする人生を生きよう～
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         <link>http://blog.sq-life.jp/okabe/log/message/005164.shtml</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">メッセージ</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 09 Jun 2011 15:29:21 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>バイロン・ケイティワーク　自分の領域・相手の領域・神の領域</title>
         <description><![CDATA[<span class="fl"><img alt="WS000167.JPG" src="http://blog.sq-life.jp/okabe/post-img/WS000167.JPG" width="193" height="131" /></span>最近は、殆どアマゾンで本を買う。注文者の読書傾向がわかるものだから、アマゾンはお勧めの本の情報を定期的に送ってくる。それを見ると、私の食指が動きそうなものが並んでいるものだから、ついついまた注文をしてしまう。送られてきた請求書を見て、目の玉が飛び出そうな数字が並んでいる時もある。




本屋で本を買うことがとんと少なくなった最近の私が、これに関する本だけは、この目でタイトル・サブタイトル・リード文・目次・「はじめに」と「あとがき」などを読んで選ぼうと思って、本屋に行こうと思った。原発関係の本である。


今まで専門書、マニアックな本を買う時は、たいてい新宿の紀伊国屋か八重洲ブックセンターに行っていた。今回は、名古屋行きの新幹線に乗る前に八重洲ブックセンターに寄った。いつもだったら、「著者が好き。内容が面白そう。私の知的好奇心や問題意識を満たしてくれそう。タイトルや装丁に何か惹かれる。信頼している人がいいよって言っていたからとりあえず読んでみよう。これは、私の心や魂が深く満たされそう」というのが本を選ぶ基準だった。


しかし、原発感関係の本に関してだけは、私のいつもの趣味嗜好を超えて、様々な立場の人の、様々な意見を幅広く読んでみようと思った。多角的に、大局的に、理性的に、専門的に書かれたものから、いのちの実感、感性の実感、現場の実感、一人の人間として、一人の生活者の実感・・そういうものまで含めて全体性を持ちたいと思い、選んだ本が９冊。あ、９って、数秘では、神さまの数字って呼ばれているなあ。偶然にしろ、不思議。


『いのちと放射能』（柳澤桂子）『３・１１クライシス』（佐藤優）『原発震災の真実』（広瀬隆）『大津波と原発』（内田樹・中沢新一・平川克己）『日本復興計画』（大前研一）『列島強靭化論』（藤井聡）『私たちはこうして原発大国を選んだ』（武田徹）『原発の空の下』（藤林和子）『日本中枢の崩壊』（古賀茂明）


東北にボランティアに行ける機会もずっとうかがっていた。一緒に行けそうな仲間を探していた。震災直後、被災者へ「いまいちばんほしいもの」をたずねたところ、１・お水　２・正確な情報　３・歌、音楽という答えがかえってきたという。あの状況の中で、歌、音楽というのが驚いた。


３・１１から２ケ月半たっているので必要としているものはどんどん変わってきているとは思うが、音楽の仕事をしている仲間や傾聴などの援助の仕事をしている人、手当やヒーリングなどができる人たちと一緒に行けそうだ。何もできなくても、ただ寄り添うこと、お話を聴くことだっていいし、心をこめてマッサージしてあげるだけだっていいのだもの。


一緒にボランティアに行く音楽の仕事をしている仲間は、私の名古屋でのワークショップを主催してくれているマイミクの「mana＆hiro」さんこと伊藤真奈さんとひろさんご夫妻。お二人は夫婦でクリスタルボウルの演奏をしている。
真奈さんは、高野山で修業して僧侶にもなられた女性で、天川神社では、奉納のう舞いなども何度もしていて、「地球交響曲７番」にも顔は出ていないが、五十鈴を振って舞いを踊るシーンで出演している。


もう一人が、コクーンのボーカルをしているゆりちゃん。ゆりちゃんのご主人の親戚は気仙沼に多く、今回の大津波で何人もの親戚が津波に飲み込まれて亡くなられたことから、ゆりちゃんも気仙沼に行って歌のボランティアに行きたいと思っていたことから、一緒に行くことになった。いまのところ私の故郷釜石とゆりちゃんの親類が多い気仙沼に行こうと思っている。


もうお二方は、私の岩手ワークショップの主催者の「かりん」ちゃんと「ココロ」ちゃん。「ココロ」ちゃんは、枇杷の温熱療法の施術師で、すでに毎週末、釜石の避難所に行って施術ボランティアをしている。「かりん」ちゃんはお話を聴いてあげるだけでもやりたいと言っている。


前述したように名古屋に行く前に八重洲ブックセンターに寄ったのだが、名古屋行きの目的は、バイロン・ケイティワークに参加するため。ケイティご本人が日本に来られなくなったため、伊藤真奈さんが急遽、日本でケイティ・ワークの唯一の公認ファシリテーターであるティム・マクリーンとパートナーの高岡よしこさんを名古屋に呼んでくれたのだ。２daysワークだったが、とても有意義な２日間で、養成講座の受講生もとても喜んでいた。


「バイロン・ケイティワーク」は、自分の思いこみ、無意識の信念、自分にストレスを与えている思考の問い直しをして、意識をクリアにする上では、とても有効なメッソドだと私は思っているので、カウンセラー＆セラピスト養成講座の課題図書のひとつにもしているのだ。


バイロン・ケイティワークの本としてはこれまで「探すのをやめたとき愛は見つかる」「人生を変える４つの質問」があった。だが、これらの本は、受講生にはあまり評判がよろしくなかった。


曰く「あけみちゃん、この本なんでかスイスイ読めないの、途中で止まってしまう。自分に当てはまる事例が全然ないからピンとこない、やはりアメリカと日本では文化が違うから日本人には合わないんじゃないの？理性的で頭でやってしまう感じで私のハートがワクワクしない。理屈っぽい感じ。マニュアルっぽい感じ、冷たい感じ。援助の手法としてそんなにすごいメソッドだと思えない」などなど。デモをやったあとでは感じ方が変わったみたいだが。


しかし、先週発売された、高岡よしこさんが監訳した「ザ・ワーク」（バイロン・ケイティ著・ダイヤモンド社）はてもわかりやすい。今までの中で一番読みやすいと思う。私はいつも言っているのだけれど、援助の手法、テクニックが一番大事なのではなく、それを使う人の在り方、生き方、存在から醸し出される空気感＝オーラ、愛のある眼差し、愛ある態度、個性、感性―そうしたBeingが最も大切なことであると・・・。どのような人が、どのようにそのツールを使うかでまったく違ったものになるからだ、


バイロン・ケイティを初めて映像で見た時もそれをまさに感じた。今はこれほど慈愛に充ち溢れた眼差しと明晰な思考のこの人が、かつては、重度の鬱病に長年苦しみ、自分は全く価値のない人間だと思いこみ、毎日自殺することばかり考え、枕の下に拳銃を入れて寝ていた人だったなんて！子供たちを毎日怒鳴りちらし、怯えさせ、夫への不平・不満ばかりを言い散らし、離婚を繰り返した人だった。ケイティは、摂食障害でひどく肥満体で、ついに摂食障害の社会復帰センターに入所するが、他の患者を怖がらせるという理由で屋根裏部屋に隔離されるという、まさに人生の底つき体験をしたのだ。


しかし、そこで大きな気づきがやってくる。それは、自分を苦しめるのは、「現実」ではなく、自分が信じている「考え」であることに気づくのだ。ケイティは自分が信じている考えをたった４つの質問で問い直し、置き換えをするというシンプルなやりかたで人生がまったく変わってしまったのだ。そのメソッドがいまとても注目されている。ケイティの例でも思う。まさに闇の底にギフトがあるのではなく、闇そのものが光でもあること、人生の底つき体験という闇こそが神さまからの贈り物であると・・・。


宇宙はその人を苦しめるために試練を与えるのではないのだ、その人が覚醒するために、その人が本来の魂の仕事をするために、その人が生まれる前に神さまと約束してきた天命を生きるためにその試練を与えられるのだ。


それは、人だけでなく、国も同じなのだと思う。いま、日本が体験させられていることも、宇宙的視野から見たら、日本という国は、この星にとって、どれだけの新しい大きな役割を期待されていることだろう。人類が死滅の方向に行くのか、持続化可能性社会を創造してくのかという究極の選択を人類は今問われているわけだから。個人の人生も、国や星の運命も、すべては自分が意識的に何を選択するのかで変わっていくのだから。


バイロン・ケイティワークがユーチューブで見られます。


「お父さんは僕のためにいてくれない」
http://www.youtube.com/watch?v=Kpa-b60ACCQ&feature=related


「娘には学校に戻ってほしい」
http://www.youtube.com/watch?v=qQIOwhzdTbM&feature=related


「あなたが創るストーリーがないとしたら、あなたは誰なのですか？」
http://www.youtube.com/watch?v=g0c26Z2MnkE&feature=related



<strong>★バイロン・ケイティワークの創始者・ケイティ語録</strong>


１・現実と争う時、あなたは負ける。それはもう必ず。


２・自我は愛さないーそれは必ず何かを手に入れようとする。


３・私を苦しめている長本人、苦しめている犯人は私だ。それはもう間違いなく。


４・先生、教師にたずねたいと思うことは、あなた自身にたずねてみること。もしあなたが本気で真実を知りたいと思った時には、答えは必ずあなたからやってくる。


５．私を好きになること、私を大切にすること、私を愛することは・・・あなたの仕事ではない。―それは、私自身の仕事だ。


６・今まで起こった最悪なことは、「調べ直し」をしていない、あなたの思考が創り出したものだ。


７．あなたが必要としている教師、マスターは、あなたの中に一緒に住んでいる人です。


８．私が自分の観念を手放すのではない。私は、その観念、思いこみと出逢い、問い直しをする。すると、それが、私を手放す。


９・現実はつねに、それについてのストーリーよりも優しい。現実は常に、あなたの考えより、優しい。あなたの思考が、最もあなたに厳しく、いたわりと優しさがないのです。


１０・私を自由にできるのは、私しかいない。私をしあわせにできるのは私しかいない。もし、あなたが、あなたの考えの「問い直し」をちゃんとやるならば、それがきっとわかる。


１１・問題には３つの領域がある。自分の領域。相手の領域。神の領域。人が取り組むことができるのは、自分の領域だけ。


PS：昨日は「ほおずきの会」がありました。毎月１回開催されるこの会は、からだをゆるめてリラックスし、無心であるときの心地よさを味わい、流れにゆだねること、祈り、瞑想など、内なる静けさや歓びや、いのちのハーモニーを大切にする時間です。今回は「ふくちゃん」のアートセラピーを楽しみました。無邪気な子供になって、無心になって、時を忘れるのはとても楽しく、心地よく、みなさんがいい顔されていました。この会の収益は東日本大震災の義援金として活用させていただいております。次回は、６月２６日（日）です、詳細はこちらです。
<a href="http://mixi.jp/view_event.pl?id=62589881&comment_count=0&comm_id=982903">http://mixi.jp/view_event.pl?id=62589881&comment_count=0&comm_id=982903</a>


岡部明美公式ホームページ：<a href="http://anatase.net/ ">http://anatase.net/ </a>


７月３０日（土）～３１日（日）名古屋２daysワークショップ 
内容：愛のある援助の方法を体験します。医療関係者、援助職の人、福祉関係の方、人材教育や社員教育に関わるリーダーに最適です。自分を深く知り、自分の道を探求したい方にも最適です。


８月２６日（金）～２８日（日）三浦３daysワークショップ
テーマ：「聖なる扉を開く」～自分のいのちを輝かせる贈り物はすでにみな持って生まれてきた。彼方からの呼び声に耳を澄まし、魂がワクワクする人生を生きる～
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         <link>http://blog.sq-life.jp/okabe/log/message/005155.shtml</link>
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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">メッセージ</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 26 May 2011 17:19:19 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>泣くのを我慢した</title>
         <description><![CDATA[<span class="fl"><img alt="WS001555.JPG" src="http://blog.sq-life.jp/okabe/post-img/WS001555.JPG" width="204" height="144" /></span>５月はGWがあるので世間は長期の休みですが、私はGWが終わってもずっと休みが続いています。GWは毎年恒例のアーノルド・ミンデル（プロセス指向心理学創始者・プロセスワーク・通称POP）セミナーに参加して、今年もまた有意義な学びと、おまけの遊び付きで楽しかったです。






ミンデルさんはもう完璧に心理療法の世界を超えちゃっています。タオそのものという感じです。ミンデルさんのワールドワークは、世界平和につながるものと私は思っているので、真剣に学んでいきたいと思っているもののひとつです。


いつかミンデルご夫妻が住むアメリカのポートランドにあるプロセスワークセンターに行きたいなあと思っているのだけれど、英語が全然しゃべれないので、そこでくじけそうになっておりますが。エッジですかね。


ミンデルご夫妻のパートナーシップも素晴らしく、このお二人のパートナーシップを見るために私は毎年行っているのかもしれないと思うほどです。そうそう、奥様のエーミーの「メタスキル」という本は、援助職についている人にはお勧めのいい本です。


８日は、マイミクの「キミさん」のご主人である根本昌明さんのモーツアルトを聴きにいきました。クラッシックを生で聴くのは初体験でした。根本さんはベートーベンの「第九」＆「皇帝」で東京オペラシティコンサートホールを満席にしたという伝説の指揮者です。


天才は型破りなものですが、根本さんの存在感、指揮をしている姿、繰り出され、奏でられる音は鳥肌ものでした。キミさんが、先月の「ほおずきの会」に来てくださって、その時、今回の８日のコンサートのことを知り、行ったのですが、会場にはたくさんのマイミクさんたちがいらっしゃいました。キミさんと根本さんは、かつては先生と教え子という関係だったそうですが、素晴らしいご夫婦で、ミンデルとエイミーに匹敵するほどの夫婦愛を感じました。


ずっと長期の休みが続いているので、家でたくさんの本を読むことができ幸せです。ミヒャエル・エンデの「モモ」も久しぶりに読み返しました。ミンデルさんのお弟子さん的立場のプロセスワーカー（プロセスの指向心理学のカウンセラー）の藤見幸夫さんが、以前、スーパービジョンで、「モモは、傾聴の天才児。対人援助職の人は、モモに学ぶべきことがたくさんある」と言っていたので再読してみたのです。


確かに昔読んだ時とは違うところで、モモはすごいなあと思いました。モモは浮浪児なのだけれど、なんだか天使のような心を持っている女の子で、モモに話を聴いてもらうだけで、大人たちが勝手に自分の本音に気づいたり、勝手に問題解決の鍵を見つけたり、気が楽になったり、しあわせな気持ちになったり、自由になっていったりするのです。


モモは子供だけれども天性のカウンセリング・マインドを持った子なのです。街の大人たちは、悩んでいる人がいると「とにかくモモに会いに行ってごらん」が合言葉になっているのです。それにしても、「モモ」という小説は、「時間とは何か？」という実に深遠なテーマに挑んでいるわけだけれど、「時間泥棒」「灰色の男たち」は、ますます現代社会で跳梁跋扈していることを感じます。


今の世の中どう考えてもおかしいよなあ、大事なことが置き去りにされている、本当に大切なことって何だろうと思っている方には、いまだからこそ「モモ」を読んでみるのもいいかもしれません。「モモ」「星の王子様」「アミ　小さな宇宙人」「ライ麦畑でつかまえて」「赤毛のアン」「ゲド戦記」は、現代の大人たちにこそ読んでほしい児童文学だなあと思います。


児童文学といえば、マイミクの「いずみさん」は児童文学をとても愛されている方ですが、そのいずみさんが、今年３月に刊行された「お月さん、飛んでるね」（銀の鈴社）を先日読ませていただきました。いずみさんには障害をもつ娘さんがいらっしゃいます。母親であれば誰でも、生まれてくる我が子が元気に健康に生まれてきてほしいと願うでしょう。しかし、いずみさんの娘さんは、生まれて間もなく病気があることがわかり、障害をもつことを医師に告げられます。その時のいずみさんのショックと混乱と動揺がどれほどのものだったかは計り知れません。いずみさんの苦悩が始まります。


障害をもつ子供を育てるときにぶち当たる世間の無理解、差別、夫婦間での価値観の相違、学校教育の壁、教師との軋轢、進学を目指す健康な子供をもつ母親たちからの心ない言葉にいずみさんは何度も傷つき、打ちのめされます。それでもいずみさんの文章には、恨みつらみも、批判も非難もありません。たくさんの怒りを感じた場面が出てきますが、それはこうあってほしい学校教育や社会への願いとして表現されています。


いずみさんに以前お会いした時、「私は、攻撃的な言葉、強い非難の言葉、力づくの言葉や批判的文章を書くことを好みません」とおっしゃっていたことを思いだしました。これだけの体験をされていたら、そのような言葉がたくさん出てきてもおかしくないのに、いずみさんの文体は静かなのです。


しかし、淡々としているがゆえに、抑制がきいているがゆえに、逆に、私はいずみさんの痛みを感じて涙が出てくるのです。娘さんへの愛が溢れていて胸が熱くなるのです。クラスの子供たちが障害をもっているいずみさんの娘さんを助けて、支えて、一緒に遊び、一緒に学ぶのです。その子供たち同士の交流の場面が最も心打たれました。


体は大きくなっても、少しの言葉でしかコミュニケーションをとれない娘さんが言った言葉の数々が一タイトルの言葉もそうですーたくさん散りばめられたこの本は、障害をもった子供を育てている親ごさんだけでなく、学校の先生たちにもぜひ読んでいただきたい本だと思いました。


北欧で提唱されている「ノーマライゼーション」について、本の最後に書かれていました。


障害者と健常者が区分されることなく、社会生活を共にするのが正常なことであり、本来の望ましい姿であるという考え方です。社会をノーマルにすることが目的であり、障害そのものをノーマルにすることではありません。と…。


いずみさんの日記
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体験をした人でなければわからないことってたくさんあります。その体験をしてきた人だからこそ、安心して話せることってあります。プロのカウンセラーやセラピストでなくても本当に聴き上手な人がいます。聴き上手な人に話すと、話すつもりがなかったことまで、いつの間にか話していたり、話ながら自分の考えが整理できていたり、気になっていたことが、話し終わるともうどうでもよくなっていたり、心が軽くなっていたりします。聴き上手な人というのは、それだけで大きな才能をもっている人ですし、周囲の人をしあわせにしてくれる力があります。


自分の気持ちを受けとめてもらえたことの喜び、わかってもらえた喜びは何ものにもかえがたいものです。そうするとそこにスペースができて、いろいろなことに気づけるようになりますから。聴いてくれる人がいるということ、わかってくれる人がいるということは何よりも有難いことです。


聴くことよりもアドバイスすることの方がずっと簡単なのです。人の話を心から聴くということには、忍耐力と包容力と共感能力と相手を信頼する力が不可欠です。それは愛の力と言ってもいいでしょう。それによって、人はスペースが出来て、自分の中にある真実や答えに出会っていけるのですから。


しかし、最近のスピリチュアルブームの盲点として、何か悩みを相談すると、どこかのスピ系の本に書いてあったようなことをアドバイスされることが多くて、言わなきゃよかったと思うと言っている人も少なくありません。人はスピリチュアルな体験や知識を持てば持つほど、答えを教えたくなるみたいで、人の話を心から聴けなくなってくるようです。


今年の2月に松山の中島でお子さんを亡くされた親ごさんたちのワークショップをしたときに何人かのお母さんたちが言っていたのは、「子供を亡くしたことで混乱していた時にスピリチュアルな世界を知り救われた部分はあったのだけれど、いわゆるスピリチュアルな世界の先生と呼ばれている人に「子供を亡くしたことを親がいつまでも悲しんでいるのは親のエゴ。親が悲しんでいる限り、亡くなった子供は成仏できない」と言われたことだそうです。


「だから私は必死で泣くことをやめたんです」「子供が亡くなってからまだ一度も泣いていません」とおっしゃっているお母様が何人かいらしたのです。我が子を亡くして身が引き裂かれそうなほど悲しい時に泣くのを我慢したなんてどんなにつらかったことでしょう。涙が枯れ果てるほど泣いたって、それでも涙が流れ続けて当たりまえなのに。それが自然なプロセスなのに。


それでも、時が流れ、少しづつ動き出した方々が「子供を亡くした親の会」を作り、同じような体験をされた方をサポートし始めていて、マイミクさんには、そういう方が何人もいらっしゃるのです。まだいまは動けないけれど、時がきたら自分も動きだすだろうと感じていらっしゃる人もいるでしょう。


自分が人生で体験した耐え難い苦しみや困難や闇は、同じ体験をされた方々にとっての希望の光になるのです。「やっとわかってくれる人に出会えた」と言ってくれる人たちがきっといます。その出逢いの喜びは、なにものにもかえがたいものになるでしょう。そして、自分が体験した現実への違和感には、自分にしかできない仕事、働き、役割があることを教えてくれているものであるという理解が起きると、現実が動き出します。違和感は創造の種だからです。


マイミクの「ろっこちゃん」は、２月の松山ワークにご主人と一緒に参加してくださいました。ろっこちゃんは、障害を持って生まれた息子さんを無条件の愛で包みこみ、医師や介護士もかなわないほど、息子さんのそのいのちが尽きるまでずっと病院で全身全霊で介護をし続けましたが、残念なから息子さんは光の世界に還られました。でも、旅立たれた直後のろっこちゃんは、「ああ、これでもうあの子は苦しまないですむんだ。本当にずっと苦しみ続けていたから」と安堵感さえあったといいます。


でもそれは長くは続きませんでした。その後のろっこちゃんの悲痛はお子さんを亡くしたことのある親御さんがみな体験する長い、長い、苦しみと悲しみの道でした。しかし、そのろっこちゃんが新潟で「子供を亡くした親の会」を作ったという日記が一昨日アップされました。その会の名前と由来がまたとてもいいのです。いい日記を読ませていただきました。ろっこちゃん、ありがとう。

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＜お知らせ＞
「まさあき君」の日記より
　～ 岡部明美さんと行く出雲パワースポット巡りと瞑想の旅～ 
神話の国、出雲に４００年の歴史を持つ「西光院」という禅寺があります。ここは、あけみちゃんこと、岡部明美さんの第３期カウンセラー＆セラピスト養成講座を受講した私・金森正晃（講座では「まさあき君」」と呼ばれていました）の生家です。私は長年、高野山の奥の院で弘法大師・空海のお世話をさせていただいた僧侶です。 この度、明美ちゃんとのご縁により、来る６月１１日～１３日に上記のタイトル通り、出雲の「西光院」での瞑想合宿と出雲パワースポット巡りを企画させていただきましたので、ここにご案内いたします。 

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 岡部明美公式ホームページ：<a href="http://anatase.net/">http://anatase.net/</a> 


 ５月２３日（水）「ほおずきの会」（岡部明美の話・瞑想・リラクゼーション・パステルシャインアート） 
<a href="http://mixi.jp/view_event.pl?id=61508122&comment_count=1&comm_id=5268827 ">http://mixi.jp/view_event.pl?id=61508122&comment_count=1&comm_id=5268827 </a>

 ５月２９日（日）札幌１dayワークショップ 

 ７月３０日（土）～３１日（日）名古屋２daysワークショップ



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                  <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">メッセージ</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 16 May 2011 11:25:14 +0900</pubDate>
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         <title>ひきこもり</title>
         <description><![CDATA[<span class="fl"><img alt="WS000157.JPG" src="http://blog.sq-life.jp/okabe/post-img/WS000157.JPG" width="215" height="147" /></span>この間、『私に帰る旅』の編集者である角川学芸出版の小島直人氏に久しぶりに会った。偶然にも私の家と小島直人氏の家は同じ沿線で３つ隣の駅というご近所さん。ちょっと会おうか、となると「じゃ、あの店でね」とうお馴染みの店がいくつかあるのだ。




直人（と私はいつも言っている）の話にのっけから驚いた。なんと編集長を降りたというのだ。降りたといっても、自主降格である。


「えっ、なんで？」と私。
「あけみさんは、僕が編集長になってから、どんどん心身がボロボロ状態になっているのを見て、“直人は、建築コンサルタントでも、建築デザイナーでもなく、現場の棟梁タイプだから、心配だなあ”って言っていたでしょう。その通りでしたよ。いや、棟梁より、大工、左官屋が僕の肌に合っている。職人気質なんですよ、僕は、根っから」


「直人は棟梁！　私、そんなこと言ったっけ？」
「言いましたよ。実際、あけみさんの本を編集していた一編集者だった時代から、あれから少しして、たまたま自分が１年間で企画して出したすべての本の売り上げが社内でトップになったことで、編集長に抜擢されたわけだけど、編集長になってからは、本を創る仕事より、売り上げの数字ばかりを見る毎日。売り上げの数字と売上目標と部下のマネージメントの仕事ばかりになっていった。好きな企画・編集の仕事がなくなっていくにつれ仕事に歓びを感じることがなくなっていった。心身は本当にボロボロ状態、たぶん鬱だったと思う。休日も返上で仕事、仕事、数字、数字の毎日でした」


「ああ、そのボロボロの頃、メールで、あけみさん“SOS”、イッパイつきあってくださいって言ってきて、会ったんだよね。その時に私は、直人は、職人気質で、現場の棟梁みたいだから、企画書も書かず、編集にも携わることもなく、経営者みたいな、マネージャーみたいな責務である編集長はしんどいだろうねえ。人間やめますか、自分やめますか、自分に正直に生きますかっていう選択を迫られるだろうねって言ったんだよね」


直人は、自ら編集長を降りて、また一編集者に戻ったわけだが、自分としては納得の選択だったけれど、親父に対しては本当に申し訳なく思ったと言っていた。父親は、大手出版社の編集長になった息子の出世を誇りに思ったのだろう、当然とても喜んでくれたそうだ。しかし、父親にまた一編集者に戻ったという電話すると、「そうか、自分の好きな仕事をするのがいちばんだよ。よかったじゃないか、お前は編集の仕事が本当に好きだからな」と言われ、父親のその平静さと優しさが逆につらかったと目を赤くして言っていた。


「直人、降りるというのは、振り出しに戻るわけじゃないよね。現場とマネージメントの両方やってみて、全体性の視点を持った上で、より自分らしい仕事のやり方や、より自分を活かすものを今度は意識的に選択したわけだから、同じ編集の仕事でも、直人の仕事への取り組み方が変わるような気がするよ」と私は言った。


私も会社とか組織に属して働くという働き方から降りた人間だ。「降りる」というのは、まるまるやめてしまうことだけでなく、立場や役割の再考、仕事の仕方や働くことの意味の再考、少しの間、会社や仕事から距離をとって、もう一度「働くこと」「生きること」「私が私であること」を自分の内側に深く問い直す時間なのだと思う。


現象だけ見れば、まるで、ひきこもり、落ちこぼれ、脱落、ドロップアウトした人間のように思えるかもしれないが、降りることの本質的意味は、今までとは異なる“幸せや豊かさの価値体系”に自分を開いていくことなのだと思う。あるいは同化していたもの（会社・組織・肩書き、役職、いまでの自分の仕事の仕方、人との関わり方。これまでの仕事観・人生観など）を問い直し、より自分らしい生き方、自由自在な生き方を選択していくことなのではないだろうか。あるいは、心の深みに降りていくことによって生じ始める人生の喜びの“質的な転換”を意味するのかもしれない。そんなことを直人と話をした。


私が読書好きであることを知っている直人は、会うと必ず「あけみさん、最近はどんな本を読んでいるんですか」と聞く。今回も聞かれた。


「私は最近、人が“働くということ”の本質的な意味と価値と目的が変わりはじめているような気がして、いや、むしろ、変わっていかなければいけないと感じていて、そういう本ばかり読んでいる。そういう視点で目についたものを何冊か読んで、最近とても気に入ったのが『宇宙を感じて仕事をしよう～幸せに働くために大切なこと～』（天野敦之著・サンマーク出版）、『仕事の思想』、『なぜ働くのか　～生死を見据えた仕事の思想』（田坂広志著・PHP文庫）がとても面白かったし、共感するものが多々あったよ」


「働く人間の意識が変わっていったら、企業も変わらざるをえなくなるでしょう。政治と産業界の癒着による問題は原発だけでなくあらゆる産業界・企業にあるよね。人間が経済の奴隷、お金の奴隷になってしまったこの資本主義経済の暴走に歯止めをかけるものを考えていかなければいけない時期にきているでしょう、今。だから、脱資本主義経済、脱政党政治、脱中央集権という流れがどのような社会構造の変革をもたらすのかを考え直してみたくて、働く人の意識の変化の本を読む一方で、芳村思風先生の「２１世紀・日本の使命」を最近読み直していたの」


「ところで、直人は、最近どんな本を編集したの？」と聞いたら、カバンからごそごそと新刊を数冊取り出し、「これ、あけみさんにプレゼント用で持ってきました」と言って数冊の本をいただいた。『太宰治の作り方　～なぜ、太宰治に惹かれるのか～』（田澤拓也著）、『無常の日本思想　花びらは散る　花は散らない』（竹内整一著）、『サウンドコントロール　声の支配を断ち切って～』（伊東乾著）、『今、ここにあなたといるということ』（兵頭友彦著）。

私の、平日主婦、週末仕事のライフスタイルを知っている直人が「あけみさん、あさってからの週末の仕事はどこですか」と聞いてきたので、「第３期のカウンセラー養成講座の最終回が名古屋と岐阜（関市）であるので、名古屋入りからだよ」と言うと「僕もあさってから名古屋入りなんです。『今、ここにあなたといるということ』の著者である兵頭友彦先生（愛知県刈谷東高校教師）の本が書店で平積みされるので、書店挨拶で名古屋に行くんです」と言う。


「まあ、偶然ね」と私が言ったら、「あけみさんに兵頭先生を紹介したいなあ。講座の休憩時間にでも二人で行ってもいいですか」と言うのでみんなに了解をもらって来てもらった。兵頭先生は、愛知刈谷東高校の教師であると共に演劇部の顧問をしている。風貌は、つかこうへいとよく似ていて、名古屋講座の受講生はみんな、兵頭先生が編集者で、直人が、高校の先生だと思ったと言っていた。


愛知刈谷東高校は、定時制の高校で、生徒の６割は不登校、ひきこもりの体験者だ。この本の冒頭に書いてあるが、今、全国には、１００万人のひきこもりの人がいて、内、１８万人は不登校の生徒なのだという。１００万人のひきこもりの人の背後には、その家族メンバーのことで悩み苦しんでいる家族が数百万人はいるはずだから、これはもはや個の問題を超えた社会現象だ。


『今、ここにあなたといること』の中で、兵頭先生が、不登校経験者の生徒たちと演劇部で、それぞれの生徒たちの不登校物語を演じ、この演劇が愛知県の演劇コンクールで優勝し、中部６県の演劇コンクールでも優勝し、全国大会に出場するまでの実話が物語られている。生徒たちとのやりとりの中で、兵頭先生自身がたくさんのことに気づかされ、教師としての自分の在りようを何度も問われ、考えささせられていくのだ。


ひきこもりといえば、３期の名古屋講座の受講生の「かよちゃん」は、娘さんの不登校をきっかけに「学校と距離をとっている子供をもつ親の自助グループ“YOU”」の世話人になり、その活動はすでに１４年にもなる。かよちゃんは、その存在からあたたかさや慈悲心が溢れている人だ。その「YOU」の機関誌の最新号に『存在論的ひきこもり論～わたしは“私”のために引きこもる～』（芹沢俊介著）が紹介されていた。この本のタイトルを見た瞬間、感じるものがあったのですぐに注文した。かよちゃんは、「YOU」の活動の中で、この本の読書会なども行っている。


かよちゃんのmixi
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子供たちだけではなく、今は大人のひきこもりも多い。しかし、ひきこもりのことを今書いているが、これはとても人ごとではない。私はたまたま勇気がなかったから学校に行かないとか会社に行かないという選択ができなかっただけであって、病気になることで大義名分を作って私はひきこもりたかったんだなということが今はよくわかる。私は、降りたかったのだ、ある人生から。


あの時だけではない。精神的ひきこもりだったら人生で何度かやってきた。人間関係がめんどくさく、人がうっとおしく、誰にも会いたくない時があった。隠遁したい、尼さんになりたいと本気で思ったこともあった。生きていたってなんにも面白くない。なんで生きているのかわからないと、真っ暗なトンネルの中で一人うずくまって生きていた。自分も人も信じられず、人生も、神も仏も何もかもが信じられず、真っ暗闇の季節を生きていた。


しかし、やはり、季節は巡るのだった。あの精神的ひきこもりの季節を生き切ってよかったと思う。つらい季節だったけれど、あの闇の中でしか見えないものがあった。闇の中だからこそ感じられたこと、気づけたことがあった。暗闇の中で自分の生きる方向性を真剣に求めたからこそ導かれた道があった。実際は、一旦降りるというプロセスやひきこもりの季節は、私にとっては、魂の休息であり、自分の魂が本当に望んでいる生き方を探す期間だったのだ。


人が“成長”していくためには、向上心や意志や夢が不可欠だ。太陽に向かって伸びようとする樹木や花々のように、私の中にもそのように、天に向かってどこまでもどこまでも伸びようとするものがある。でも、人が人として、あるいは男として、女として“成熟”していくためには傷や痛みは後になって役に立つことがある。あえてそれを求める必要はないが、やむなく経験してしまった痛みや不安、無力感や惨めさや孤独感は、人間に深さを作るものでもあるのだ。


その闇にしか思えなかった季節、最もつらかった日々が「光の世界」への扉を開け、新しい出会いの歓びを作ってくれたのだということに気づいて感謝できた時に、その人の生は真の意味で輝き出すのかもしれない。闇の季節を生きる力って何なのだろう。それは、誰の目にも触れないけれど、暗い月夜にひっそりと、土中の中に根を伸ばし続ける“いのちの力”なのかもしれない。その時に、天の力に生かされ、地の力に支えられて生きる“自分という木”が育っているのかも知れない。ひっそりと、健やかに、逞しく。


＜お知らせ１＞
次回、第４期のカウンセラー＆セラピスト養成講座は、９月から東京で開催されますがすでに満席になりました。これ以降のお申し込みの方はキャンセル待ちになりますのでご了承ください。東京４期の主催者は「まゆ亭くにおさん＆まゆみ夫妻」と「福島康司さん（ふくちゃん）＆みちえさん」の共同主催です。

まゆ亭くにおさん
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福島康司さん（ふくちゃん）
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第３期の受講生で講座の感想を日記に書いていらっしゃる方です。あとの方は、コミュに感想をアップされていますので、後ほど私のHPに掲載いたします。

まさあき君（僧侶）
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雷電穂之男さん（会社員）
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華ちゃん（セラピスト）
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雅恵ちゃん（レイキヒーラー＆セラピスト）
<a href="http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1713699200&owner_id=7149828&comment_count=2">http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1713699200&owner_id=7149828&comment_count=2</a>


＜お知らせ２＞
６月に予定されていた高野山瞑想合宿はmonjuさんの体調が芳しくないことから延期になりました。６月１１日（土）～１３日（月）に高野山で弘法大師・空海のお世話をしていたまさあき君の生家、島根県にある「西光院」という禅寺で瞑想合宿があります。精進料理が有名で、美しい自然環境に恵まれたお寺での瞑想合宿です。詳細は、まさあき君の日記をご覧ください。
<a href="http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1715390326&owner_id=29595168&comment_count=">http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1715390326&owner_id=29595168&comment_count=</a>5

岡部明美公式ホームページ：<a href="http://anatase.net/ ">http://anatase.net/ </a>

５月２３日（水）「ほおずきの会」（岡部明美の話・瞑想・リラクゼーション・パステルシャインアート）
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５月２９日（日）札幌１dayワークショップ

７月３０日（土）～３１日（日）名古屋２daysワークショップ
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         <pubDate>Mon, 09 May 2011 10:16:15 +0900</pubDate>
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