
私は岩手県の釜石という所に生まれ、小学校高学年までそこで育ったことは、最初のコラムで書いた通りだ。私がまだ小学校の低学年だった頃、近所にウ-という脳性マヒの少年がいた。
ウ-は、もし学校に行っていれば中学の高学年だったと思う。だから、からだは私たちよりはるかに大きかった。しかし、脳性マヒのため言葉は「ウ-」しか言えず、いつも青い鼻をたらし、目ヤニをため、口を開けてよだれをたらし、手を翼のように広げて、奇妙な走り方をして私たちの遊んでいる所にやってきた。
私たちがどこで缶けりをしていようが、隠れん坊をしていようが、ウ-は必ず私たちを見つけて笑いながら、ウ-、ウ-といって仲間に混ざろうとした。しかし、私たちは自分たちよりもはるかにからだが大きく、異様な姿のウ-がこわかった。ウ-を誰かが見つけた瞬間、「ウ-が来た、逃げろ!」と言って、私たちは、蜘蛛の子を散らすようにして逃げて行った。
かつて私が闘病中、お見舞いに来てくれた弟が突然、ウーの話を切り出した。
「姉ちゃん、ウ-のこと覚えているだろう? 俺たち本当にひどいことをしたよな。ウ-は、どんなに俺たちが仲間はずれにしても、毎日、毎日、俺たちと遊びたくてやって来たんだよな。もし俺がたった1回でもあんなことされたらそいつらを一生許さない、恨み続ける。たぶん人間不信になってしまったと思う。自分はあんなことしておいて本当に勝手だよな。でも、姉ちゃん、こんなことがあったんだ。俺、足遅かったからさ、ある日、逃げ後れてウ-につかまってしまったんだ。こわかったよ、あの時。でも、ウ-は、自分のポケットからアメを出して俺にくれたんだ。俺たちに、あんなひどいことされていたのに、それでもウ-は俺たちと遊びたくて、仲間に入りたくて、毎日ポケットにアメを入れて来てたんだよ。俺、この話ずっと姉ちゃんに話そうと思っていたのにどうして今まで言わなかったんだろう。なんで、急にウーの話したくなったのかなあ」
私は、弟の話の途中から涙があふれて止まらなくなった。私はずっとウ-に対して自分がしたことを恥じ罪悪感を持っていた。あの頃、毎日のように、一緒に缶けりや鬼ごっこをした仲間の半分以上は、その名も顔も忘れてしまったのに、ウ-のことはずっと心にひっかかっていた。そして、それは弟も同じだったのだ。
弟は言った。「ウ-は脳性マヒだったけど、心は天使だったんだよな。傷つかない力や、恨まない力って、天使の力なんじゃないのかな」
弟がなぜあのような状況の中で、突然、ウ-の話を私にしたのかは、私はいまだにわからない。けれど私は、あの時、彼がこの話をしてくれたことがとてもうれしかった。
実際、子供は純粋で無邪気なだけではない。恐ろしいほどの残虐性もあるのだ。私は自分の中にそういう残虐で冷酷、卑怯で醜悪な自分がいることをずっと憎み恐れていた。どこかで私の本質は悪であると思っていた。
10代の一まだ人生をそう長くは生きていない頃に、すでに自分は誰なのか、人間はどう生きなければならないのかということに関心があったのも、きっとこのウ-とのできごとが私の心に深く影響を与えていたのではないかと思う。
弟が帰ってから私はベッドの上で1冊の詩集をひろげた。里帰りして、臨月のひと月を過ごすために育児マンガや育児エッセイの他に何冊かの詩集をもってきていた。
なぜか、高校や大学時代に読んで好きだった詩集を私は本棚から取り出していた。あの頃は、好きで好きで繰り返し読んだのに、もう15年以上も開くことはなくなっていたそれらの詩集を、久しぶりに読みたくなったのだ。
中原中也や吉原幸子や谷川俊太郎の詩集に混じってその1冊の詩集があった。その詩集には弟との思い出があった。本を全然読まなかった弟が、私の薦めで最初に読んだのがこの本だった。彼は、目をはらしてこの本を読んでいた。それは、食道がんで亡くなった作家高見順の遺稿の詩集『死の淵より』だった。
出産後に生死を彷徨うような病気をするなんて想像だにしていなかった私は、病院に持っていく本を選ぶ際に別に、この本が縁起でもないとは思わなかったのだ。
しかし、あろうことか、結果として私はまさに死の淵にたたされてしまったのだ。あの状況の中でこの詩集を読む気にはさすがになれなかった。私は元気になりたかったから、笑いたかったし、ご機嫌でいたかった。からだがズタズタに裂かれて衰弱仕切っているのだから、せめても心だけは優しい気持ちでいたかったのだ。
でも、弟が来たことでこの詩集が読みたくなったのだ。高校時代、友人たちには暗いと思われそうなので、私がそのころ読みまくっていた生や死に関する書物のことはあまり話さなかった。
その後の私に、死生観も含めて思想的な影響を与えたいい本にたくさん出会ったが、その最初のきっかけになったのが『死の淵より』だった。私は高校時代この詩集を嗚咽しながら読んだ記憶がある。
なぜ私は青春のただなかにいて、あふれるような未来の光の時間を前にして、死を目前にしたがん患者の悲しみや恐れや慟哭にあれほど心が揺さぶられたのだろう。若くて健康で、明るく元気に生きていた私が、死の恐怖と悲しみに打ちのめされていた一人のがん患者、高見順の気持ちに自分の心を重ね合わせていたのだ。
< 帰 る 旅 >
帰れるから
旅は楽しいのであり
旅の寂しさを楽しめるのも
わが家にいつかは戻れるからである
だから駅前のしょっからいラーメンがうまかったり
どこにもあるコケシの店をのぞいて
おみやげを探したりするこの旅は
自然へ帰る旅である
帰るところのある旅だから
楽しくなくてはならないのだ
もうじき土に戻れるのだおみやげを買わなくていいか
埴輪や名器のような副葬品を
大地へ帰る死を悲しんではいけない
肉体とともに精神も
わが家へ帰れるのである
ともすれば悲しみがちだった精神も
おだやかに地下に眠れるのである
ときにセミの幼虫に眠りを破られても
地上のそのはかない生命を思えば許せるのである
故人は人生をうたかたのごとしと言った
川を行く船がえがくみなわを
人生と見た昔の歌人もいた
はかなさを彼らは悲しみながら
口に出して言う以上同時にそれらを楽しんだに違いない
私もこういう詩を書いて
はかない旅を楽しみたいのである
< 黒板 >
病室の窓の
白いカ-テンに
午後の陽射しがさして
教室のようだ
中学生の時分
私の好きだった若い英語教師が
黒板消しでチョ-クの字を
きれいに消して
リ-ダ-を小脇に
午後の陽を肩先に受けて
じゃあ諸君と教室を出ていった
ちょうどあのように
私も人生を去りたい
すべてをさっと消して
じゃあ諸君と言って( 詩集 『死の淵より』・高見 順(講談社文庫))
この世にあるもので、変化しないものなどひとつもないことを知っていても、人生の試練はすべて自分を成長させるために起きてくるのだということがわかっていても、人は、こと男女の関係になると変化を恐れ、安定が崩れることを恐れる。
変化や問題やトラブルが起きると、もう自分たちの関係は終わりだとすぐ結論を出そうとする。最高の気分を味わえた時を本来の自分たちの姿だと思い、その状態がずっと続くものだと思い、ずっとこの状態や気分が続くことを願う。
しかし、心ほど当てにならないものはなく、昨日好きだったものが今日は嫌いになったりする。愛の最初のさざめきは、努力などしなくても自然に起きてくるものだけれど、じきに互いの恐れや条件づけやエゴが姿を現し、二人の関係に問題が起きてきて、愛は試練を向かえる。
長いつきあいになれば、行き詰まり感が出たり、倦怠感が生まれたり、思ってもいなかったような大きな問題が起きてきたりもする。愛は生き物だから、たえず水や光を与えていないと枯れてしまうのだということを頭ではわかっていても、人は本当に大切なことを時の流れの中で忘れてしまう。慣れが一番の曲者なのだ。思いやりや優しさや忍耐を置き忘れると、愛は知らず知らずのうちに風化してしまう。
関係性の中で起きてくる問題やトラブルは、すべて自分たちの関係性をさらなる成長や進化や成熟、意識の覚醒に向かって促す宇宙(神)の計画なのだという理解がもしお互いにあれば、愛は、未知なる可能性への挑戦と冒険に満ちた道になり、人生の旅は楽しいものになるのだろう。
ガイド付のパックツアーではない、この極めて個人的な旅には安全保障などないのだ。だから当然、危険や困難、不測の事態や予想外の出来事に出会うのは当たり前で、それだからこそこの旅は、神秘と創造性と挑戦に溢れた道になるのだろう。
人はみな自分の人生の旅、愛の旅路で、喜びも悲しみも、切なさも苦しみもすべて含めて、誰と何を経験し、何を味わい、何を学び、何を創造し、何を実現するかを、生まれる前に決めてきたのではないだろうか。私は最近なんとなくそんな気がしている。
同時に私は、“愛と病気の治癒”は、とても似ているように思う。愛と健康は、どちらも、それに辿り着くために、それを得るために、かけるべき正しい時間というのがあり、通らなければいけない“難関”というものが必ずあるという点において、両者は似ている。
愛はまさしくそうだ。時間をかけて、山あり、谷ありと、通るべきところを通らないと納まるべきところには決して納まらない。恋は瞬間風速のように始まり、疾風怒濤の情熱期間が過ぎると終息する。
恋がどんなに思い込みであり、渇愛、情欲、憧れ、ファンタジーから生まれる幻想の「ドラマ」だとしても、孤独や退屈を紛らわしてくれる一時の情熱的で刺激的な「ゲーム」だと知っていても、落ちる時には落ちるのが恋だ。
でも、恋が熱病である以上、いつかは“正気”に戻ってしまう時が必ずやって来る。恋の病は、結婚すれば完治するというのはけだし名言だ。美しい季節は移ろいやすく、蜜月は短い。
恋が愛に発展していくことは極めて稀だ。甘く、楽しく、切ない恋が、愛の静寂さや寛大さに成熟していくためには、霜が降りる季節の体験が必要なのだろう。
あらゆるつらい感情を味わう時、相手への失望、自分への絶望、無力感、自己嫌悪、ショックに立ち竦んでしまう時、底冷えのするような淋しさ、この広い宇宙にたったひとり放り出されたような孤独感にうちのめされる時・・・。
こんな心を抱えて、凍えた夜の底で、眠れない夜を幾度も繰り返しながら、人は、人をあるがままに愛することがどういうことなのかを学んでいくのだろう。愛に辿り着くために通らなければならない道の険しさと、困難な病気の人が、治癒への道のりで体験する試練の道程はとても似ている。
それでも人が、この道を歩き続けるのは、愛も、健康も、自分の人生にとってどれほど大切な宝物なのか、かけがえのないものかを知ってしまったからなのだと思う。愛も健康も存在も、失うまでは、その本当の大きさがわからない。


最近、よくベランダに出て空を見上げる。たくさんの星々が夜空に瞬いている。なんてきれいな光なのだろう。私たちの毎日の夜の闇を照らしてくれている星たち。
もうすでに物質としては存在していない遠い遠い“過去”の星たちが、光となって、私たちが“今”生きている世界を照らしてくれている。何十億年もかかって光が旅してきたその姿を今の私が見ている。
そして、この星の光は、明日の世界も照らし続けるのだ。過去の星の光が、現在も未来も照らし続ける光になる。光の世界では、過去も現在も未来も同じひとつの世界なのだ。
天体体望遠鏡でのぞけば、100億光年向こうの星の姿だって見られる。不思議だ。なぜ100億年前の星の姿を今の自分が見られるのだろう。100億年前なんて、地球は存在していないわけだし、ましてや自分なんか影も形もないはずなのに。
でもこの私のからだは、本当は100億年前のあの星のかけらからもできているのかもしれないし、あのプレアデス星団、アンドロメダ星雲、オリオンやシリウスやペガサスの星のかけらからだってできているかもしれないのだ。
この宇宙に存在するものはすべて同じ物質からできているなんて、なんという科学の発見だろうか。星も月も、花も木も、猫も犬も人間も、同じ宇宙の構成物質からできているなんて!
そして、人間の本質は、肉体ではなく、永遠の生命だったなんて眩暈がしそうな真実ではないか。私であるところのエネルギー(意識・魂)が、100億年前にもあったのかもしれないとワクワクする。
100億年前の星を今の自分が見ているということは、本当は今しか存在していないということではないか。100億年前と今を同時に体験できる不思議。“永遠とは実は今である”ことの神秘。時間は流れているのではなく、積み重なっているのだろうか。幾層にも、幾層にも、今という瞬間が。
なぜ人間は、時間のあるこの三次元の世界に肉体をもってはるばるやってくるのだろう。きっと、この三次元の世界の“からだ”を通して、一つひとつ順番に、その時には、そのことだけを体験するために時間があるのではないだろうか。喜びも悲しみも、絶望も感動も、からだという“体験の器が”があるために味わえるのだから。
からだがあるということは、同時にふたつの体験はできない。違う場所には同時にいられないからだ。からだがあるからこそ、時間があるからこそ、“今・ここ”での体験に集中し、そこから私たちはかけがえのないものを味わうことができ、大切なことにも気づける。
時間は、からだがあるからこそ意味をもってくる。時間のある世界だから、順番に体験してきたことがすべて生かされ、その体験がその人の血となり肉となっていくのだろう。
今、自分がとても幸せで、満たされていて、自由であることを謳歌している人のほとんどは、過去の時間の中で、相当の苦しみや嘆きや悲しみを体験してきている。そして、あの体験があったからこそ、今の自分がいるとみんな異口同音に言う。
私も全く同じだ。あの生き地獄のような肉体的苦痛、死の恐怖という心理的苦痛を経験しなかったら、私は自己探求なんていう、修行僧がやるような道になんか決して歩み出さなかったと思う。
「私は誰か?」「人はいつか必ず死ぬのに、なんのために人は生まれるのか」「死んでいたかも知れない私が、こうしてもう一度この世に戻してもらえたのは何のためなのか」「もし人に、自分だけの使命や役割があるのだとしたら、私は何をするためにこの世に生まれたのだろう」
こうした生への根源的な問いが生まれたのは、苦の体験がもたらしてくれたのだ。時間のもつ意味、からだという“体験の器”を持って生まれてきた意味は、苦を、生のもたらす“恵み”や“実り”へと変容させるためにあるのではないだろうか。
心の傷は癒されて恵みとなり、人生の苦難は、それを超えた時に、自分の人生を幸せな方向に導いてくれる“人生の杖”となるように思う。心の底からそう思えるようになると、時間は、眩い光、輝きとなってその人の人生を照らしだす。
そして、光はこの世界を照らし出すと共に、まさに自分の本質であることを、その時、人は知る。光は、生命・存在・愛・神の別の名であったことに気づくと共に。
人が求めてやまない幸せというものが、“今・この瞬間”にしかないのだということが本当にわかれば、それを感じている時間が、宝物のような時間になる。その時人は、指の隙間から幸せがこぼれ落ちてしまわないように、そのかけがえのない体験を抱きしめることができる。
時間とは、あらゆる体験の“尊い一瞬”を味わい尽くし、楽しみ、抱きしめるためにあるのかもしれない。

私は、好きな作家はたくさんいるのだけれど、宮沢賢治もその一人だ。私が賢治の世界に夢中になっていったのには大きなきっかけがあった。私は、小学校6年生の1学期に、岩手県の釜石から、神奈川県の小学校に転校した。私はそのクラスで初めて、いじめと仲間はずれにされるという体験をした。私が、ただ岩手県生まれであるということで都会の子にばかにされたのだ。
私は、大好きだった故郷の野山や川や海が汚されたと思った。私の家族や大好きだった友だちまで侮辱されたみたいで、私は深く傷ついた。私には、なぜ岩手が蔑みの対象になるのかが全くわからなかった。私はもって行き場のない怒りで、次第に心を閉ざすようになっていった。友だちができないことなんか初めてだった。
友だちのいない学校生活は、たとえ1年間であっても、その頃の私には永遠に等しかった。遠足ではグル-プでお弁当を食べることになっていたが、お弁当の時間になるとクラスの女王様みたいな子が、私のグル-プの子を全部自分のグル-プに連れて行って私は一人で泣きながら母の作ってくれたオニギリを食べた。あんなにしょっぱいオニギリは初めてだった。
私は、学校から帰っても一緒に遊ぶ友だちがいなかったのでいつの間にか、空想の世界で遊ぶこと、物語の世界で幸せになる方法を見つけたのだ。私はこの頃から、岩手県の生んだ最大の天才、宮澤賢治の書いた詩や童話を好んで読むようになった。
彼は、岩手を「イーハトーヴォ」と呼んだ。イーハトーヴォという響きに、私は宇宙の限りなく大きな愛と神秘を感じた。みんなが幸せに暮らしている不思議な国を連想させる言葉だと思った。
私は、賢治の感性、とりわけ、その独特の透き通った言葉、ユニークな表現力にとても魅力を感じた。同じ岩手の風景を見ながら、賢治には世界がこんなふうに見えるのか、感じたことをこんな言葉で表現するのかという新鮮な驚き。私は、中学、高校に行っても賢治の世界に惹かれ続けた。賢治のこんな言葉、こんな表現に出会う度に、私はドキドキした。
「やさしい光の波が 一生けん命一生けん命ふるえているのに いったいどんなものがきたなくて どんなものがわるいのでしょうか」
「みんな時間のないころのゆめをみているのだ」
「青ぞらいっぱい鳴っている あのりんとした太陽マジックの歌をお聴きなさい」
「なべての悩みをたきぎと燃やし なべての心を心とせよ 風とゆききし 雲からエネルギーをとれ」
「僕 もうあんな大きな闇の中だって怖くはない きっとみんなの本当のさいわいをさがしに行く どこまでもどこまでも僕たちは一緒に進んでいこう」
「感ぜられない方向を感じようとするときは 誰だってみんなぐるぐるする」
「ただそこから 風や草穂のいい性質が あなたがたのこころにうつって見えるならどんなにうれしいかしれません」
「すべてが わたくしの中の みんなであるように みんな おのおのの中の すべてですから」
「なにがしあわせかわからないのです ほんとうにどんなつらいことでも それが ただしい道を進む中でのできごとなら 峠の上りも下りも みんなほんとうの幸福に近づく一足ずつですから」
賢治はきっと、野を渡る風の歌を聴きながら、花や樹や鳥や虫たちとも話をしていたのだろう。自然にはみな心があって、宇宙は歌をうたっていると思っていたのかもしれない。自然や宇宙の心、宇宙の物語り、そのリズムやメロディやハーモニーを言葉化したものが賢治の文学なのではないだろうか。
賢治は、詩や童話を書く文学者であり、貧しき農民たちを救った農学者であり、星や鉱石を愛する科学者でもあった。農学校の教え子たちには、一生忘れられない先生として慕われた教師でもあり、自分の死の間際に、法華経の経を読みながら死んでいった信仰者でもあった。「人間のまことの幸せとは何か」を生涯問い続け、世界の平和を願い続けた賢治。
友だちがひとりもいなかったその頃の私にとって、賢治の本は、世界に開かれたドアだったのだ。今にして思えば、賢治は、意識というものの広がりが無限であること、自分の意識が世界を見ているのであって、世界というものが客観的に存在しているのではないということ、自分の意識が変われば、世界が変わるということを私に教えてくれた初めての人だった。
私が、スピリチュアルな人、スピリチュアル・ライフという言葉から真っ先に思い浮かべたのが宮沢賢治だ。そして、賢治はまさしく、今スピリチュアルな世界でいわれている、生命はすべて同じ源から生まれ、その源につながっていること、“存在は一連らなりのワンネスの世界”であることへの覚醒を100年も前に自分の感性の言葉で語っているのだ。
世界がぜんたいに幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない
自我の意識は個人の意識から集団社会宇宙へと次第に進化する
この方向は古い聖者の踏みまた教へた道ではないか
新たなる時代は世界が一の意識になり生物となる方向にある正しく強く生きるとは銀河系を自らの中に意識してこれに
応じて行くことであるわれらまずもろともにかがやく宇宙の微塵となりて
無方の空にちらばろうわれらは世界のまことの幸福を索ねよう
求道すでに道である宮沢賢治「農民芸術概論綱要」より
携帯でもSQ Lifeメッセンジャー・ブログが閲覧できます。
http://blog.sq-life.jp/m/
