岡部明美のスピリチュアルな旅で出会った”もの・人・場・言葉たち”

2007年02月

言葉の錬金術師のような人

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人生には、突然、予想もしていなかったような大変な出来事が起きてくる時がある。大変というのは、文字通り、人が“大きく変わる時”なのだが、やはりその出来事があまりに辛い時には、ピンチはチャンスとはなかなか思えない。


それでも、ある日、言葉の錬金術師のような人のメッセージに触れた瞬間、人生の苦しい状況を全く別の角度から見られる時がある。視点が変わると世界が変わるが、その視点そのものを変えうる力を持った言葉に出会うと、私は無上の歓びを感じる。


もちろん言葉の無力さを感じることもある。言葉は人の心を切り裂くナイフになることも知っている。しかし、たったひとつの言葉が、人のいのちを、彷徨える魂を救うことだってあるのだ。


おそらく錬金術師のような言葉を紡ぎ出せる人というのは、生という「いのちの織物」を大きな愛と魂の叡智で機織っている人なのだろう。まさにこのサイトのSQ="Spiritual Intelligence Quotient"、「精神の知能(スピリチュアル インテリジェンス)指数」の高い人なのだと思う。


私は、そういう言葉を紡ぎ出す人を探す名人である。なぜ名人かというと、私自身がいつも、愛のある言葉、力をもった言葉、魂が吹き込まれている言葉を探しているからだと思う。人はいつもアンテナを張っているものに出会えるのだ。アンテナとは、意識であり、感性であり、波動だ。


人は深いところで求めているものには必ず出会える。なぜなら、魂は楽器みたいなもので共鳴・共感装置だから。だからこそ、類は、友を呼ぶのだ。素晴らしい出逢い、幸せな人生を望むのなら、ただ、自分の魂・意識の波動をあげ、愛を深めていくだけでいい。深いレベルでの共感と共鳴、そして愛こそが、人と人をつなぐ架け橋であり、人が内なる神性に出会う一瞬の閃光なのだ。


今回、ご紹介する「病気になったら」「しみじみ教」という詩を書いた晴佐久昌英さんは、高円寺教会の神父さんだ。私はキリスト教徒ではないし、無宗教なのだが、以前、晴作久神父のお説教を聞いたことがあり、そのお話がとても面白くて、こんな神父さんもいるのかと驚いたのだった。


晴佐久さんの書いた本を読むと、晴佐久さんは、読者がキリストト教徒であるかどうかにかかわらず、人の深いところにある神性、仏性に目覚めさせてくれる言葉の錬金術師の一人だなあと私はいつも思う。


《   病気になったら   》


病気になったら どんどん泣こう
痛くて眠れないといって泣き
手術がこわいといって涙ぐみ
死にたくないといって めそめそしよう


恥も外聞もいらない
いつものやせ我慢や見えっぱりを捨て
かっこわるく涙こぼそう
またとないチャンスをもらったのだ
自分の弱さをそのまま受け入れるチャンスを


病気になったら おもいきり甘えよう
あれが食べたいといい こうしてほしいと頼み
もうすこしそばにいてとお願いしよう


遠慮も気づかいもいらない
正直に わがままに自分をさらけだし
赤ん坊のようにみんなに甘えよう
またとないチャンスをもらったのだ
思いやりと まごころに触れるチャンスを


病気になったら 心ゆくまで感動しよう
食べられることがどれほどありがたいことか
歩けることがどんなにすばらしいことか
新しい朝を迎えることがいかに尊いことか


忘れていた感謝のこころを取りもどし
この瞬間自分が存在している神秘
見過ごしていた当たり前のことに感動しよう
またとないチャンスをもらったのだ
いのちの不思議を味わうチャンスを


病気になったら すてきな友達つくろう
同じ病を背負った仲間
日夜看病してくれる人
すぐに駆けつけてくれる友人たち


義理のことばも 儀礼の品もいらない
黙って手を握るだけですべてを分かち合える
あたたかい友達をつくろう
またとないチャンスをもらったのだ
試練がみんなを結ぶチャンスを


病気になったら 安心して祈ろう
天にむかってすべてをぶちまけ
どうか助けてくださいと必死にすがり
深夜 ことばを失ってひざまずこう


このわたしを愛して生み 慈しんで育て
わが子として抱きあげるほほえみに
すべてをゆだねて手を合わせよう
またとないチャンスをもらったのだ
まことの親に出会えるチャンスを


そしていつか 病気が治っても治らなくても
みんなみんな 流した涙の分だけ優しくなり
甘えとわがままを受け入れて自由になり
感動と感謝によって大きくなり
友達に囲まれて豊かになり
信じ続けて強くなり
自分は神の子だと知るだろう
病気になったら またとないチャンス到来
病のときは恵みのとき


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< し み じ み 教 >
 

しみじみ教の教祖は しみじみしている

いつでもどこでも しみじみしている

とってもうれしいことがあると

「とってもうれしいなあ」と しみじみしている

たまらなくつらいことがあると

「たまらなくつらいなあ」と しみじみしている


しみじみ教の教えは「常にしみじみすべし」 これだけ

朝目覚めて新たな一日のはじまりに しみじみ

夜寝る前に 過ぎし一日を思ってしみじみ

春夏秋冬 今生かされていることに しみじみ


重い病を患っても 老いて体が動かなくなっても

たとえ死の床にあっても 「しみじみすべし」 それだけ


しみじみ教の教祖は 何の役にも立たない

朝から庭のもみじを眺め しみじみお茶を飲んでいるだけ

悩める人の話を聞いても 何も言えず  何もできず

ま どうぞ一服と お茶をいれてるだけの自分にしみじみ

かえって相手になぐさめられたりして ますますしみじみ

もみじ散るこの惑星の小春日和の一期一会に しみじみ


しみじみ教はそれでも いやな思いをしたときに役に立つ

とってもいやな人に出会ったときも

「ああ とってもいやな人だ」と しみじみ

さらにとってもいやな人に出会っても

「いやあ 惚れ惚れするほどいやな人だった」と しみじみ

しみじみしているうちに ちょっぴり 惚れてきたりして


しみじみ教には教団も儀礼も戒律もない

もちろん献金もない(そもそも誰も教祖を知らない)

でも しみじみ教の教徒になるのは至って簡単

ひとりしみじみ お茶をすすればいいだけ

しみじみ教徒は集会を開かない(そもそもお互いを知らない)

この空の下のどこかに仲間がいると互いにしみじみ思うだけ

しみじみ教徒はそれでも ばったり出会ったりする

お互いに妙にしみじみしているからすぐわかる


「もしかしてあなたも」と しみじみ

「いやあいるもんですなあ」と しみじみ

お互い喜びも悲しみも察しあって しみじみ


しみじみ教徒は ばかにされても しみじみしている

損しても だまされても しみじみしている

ひどく裏切られても「人生だなあ」としみじみ

みんなに見捨てられた人と「人生だねえ」と しみじみ


しみじみ教徒が増えると つまらぬ争いが減り

しみじみ教がはやれば 世界はのんびり平和になるかも


しみじみ教の教祖は今日も しみじみしている

しみじみ教徒のことを案じて しみじみしている

きっといろいろ辛いであろうなあと しみじみ

なんとか耐えて 生き延びておくれと しみじみ

みな 苦しいときこそ 一層しみじみ道に励んで

しみじみお茶を飲むんだよと しみじみ


しみじみ教の教祖は しかし夢を見ている

いつの日か しみじみとこの世の生を終え

みな共にあの世に生まれでたあかつきには

初のしみじみ大祭を開いて しみじみ集い

「いろいろあったけれど いい人生だったねえ」と

みんなで しみじみお茶を飲む日を


しみじみ合掌

『だいじょうぶだよ』(晴佐久昌英著/女子パウロ協会)

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私の海に届いている 或る人の空を

okabe09a.jpg私は、好きな本は度々読み返すことが多いのだけれど、先日、吉野弘の詩集、「贈るうた」を本棚から取り出して読み直してみた。すると、以前読んだ時にはさらっと読み流していた詩がなぜかこのときの私の心に深く響いてきた。


それは、「空の色が」という詩だった。この詩集を最初に読んだ時は、「奈々子へ」と「祝婚歌」と「生命は」という詩がとても好きで、よくひとりで朗読していた。


しかし、この時の私には、この詩が心に染み入るように入ってきた。同じ本でも、その時の自分の心の状態で、響いてくる言葉やメッセージが変わるから好きな本は棄てられない。


なにげなく再び手にした時に、以前は少しも響いてこなかった言葉に心が揺さぶられるということがよくあるからだ。それによって、自分が変わり始めていること、自分が今どういう状況にあるのか、自分の意識がどこに向かっているのかを確認することがよくあるのだ。


<  空の色が  >

空の色が  海の色でした

遥かな隔たりに妨げられず  

空の青が海の青でした


或る人の心の空の色がそのまま

誰かの心の海に届いている

というようなことも

ある

などと思いながら、私は

海を

海に届いている空を 泳ぎました

正確には--私の海に届いている 或る人の空を


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<   生命(いのち)は    >  

生命(いのち)は 自分自身だけでは完結できないように つくられているらしい

花も めしべとおしべが揃っているだけでは 不充分で

虫や風が訪れて めしべとおしべの仲立ちをする


生命は その中に 欠如をいだき それを他者に満たしてもらうのだ

世界は 多分 他者の総和


しかし 互いに 欠如を満たすなどとは知りもせず 知らされもせず

ばらまかれている者同士 無関心でいられる間柄

ときに うとましく思うことさえも許されている間柄


そのように 世界がゆるやかに構成されているのは なぜ?

花が咲いている すぐ近くまで 虻の姿をした他者が 

光をまとって飛んできている

私も ある時 誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき 私のための風だったかもしれない


「贈るうた」(吉野弘・花神社)


「空の色が」を読んで思い出したことがある。ある時、飛行機の窓から美しく雄大なる海をずっと眺めていた時だった。海を眺めていたはずなのに、ある瞬間、海が空に見えたのだ。ドキっとした。海は、空の影なのだと思った。


そのままずっと見ていると、私の中でいつの間にか海と空の区別がつかなくなっていった。その感覚は、私の中にも、あの人の中にも空と海があるのだという不思議な幸福感をもたらしてくれた。こんな風に無心になってある対象を眺めている時、私は、時々すべてのものが溶け合ったような感覚を覚える。そんな時、私の心は深く満たされる。


「生命は」という詩も久しぶりに読み直してみた。また新たな感慨があった。それは、人は欠如しているものがあるからこそ他者とつながりたいと思うものなのだと。その思いでつながれた他者によって私は生かされ、同時にその他者を私も生かすのかも知れない。


不完全であることで完全であるという生命の働き。欠如とは実は贈り物だったのだ。欠如を満たすもの、それが大きな意味での愛なのだろう。愛という一体感への欲求やつながることへの欲求は欠如という無意識の切なさが突き動かすものなのかもしれない。


この愛は、男女の愛だけではない。母なる宇宙への一体感を求める魂の希求でもある。肉体を持った人間は、独立した存在のように見えるが故、他者と宇宙との分離感を持っているが、本質を感じてみると、すべてのものがつながりあっていることがわかる。


地中海、日本海、カスピ海・・・名前はついているけれど、本当は全部つながっている。イラクの空、アメリカの空、日本の空、などないように。


あなたとわたしはすでに出逢っている。つながっている。空と海もすでに出逢っている。深くひとつにつながっている。


私は自分の内側を旅し始めたら、昔すでに知っていたこと、わかっていたことを思い出したり、再確認したり、意識的に体験したりすることがとても多くなってきた。


そういえばプラトンは「知るということは、思い出すということだ」(知るとは想起である)と言っていた。昔はこの意味が全くわからなかった。


でも今はなんとなくわかる。確かに「あれ、私はこのことを初めて知ったはずなのに、なんか、もうずっと昔にこのことをわかっていたような気がする」とか、「おかしいなあ。この人とは初めて出会ったのに、私は、この人を昔から知っていたような気がする」というような体験が多くなってきたからだ。


感性の実感に深く触れた瞬間の私はいつだって、“初めて知る”という感覚がなく、「私はこうなることをなんとなくわかっていた」、「やはりそうだったんだ」「この出逢いは、約束だったんだな」という、漠然とした、それでいながら妙な確信があった。


一言で言うと、「ああ、やっぱり」という感覚だ。


私は知りながら思い出していく。思い出しながら、さらに知っていく。その過程で私は、自分が誰であるのか、なぜこの人に出会ったのか、なぜあのことが起きたのか、何のために、この時代に、この肉体をもって、この私として生まれたのかを思い出していくのだろう。


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やはり僕たちの国は何処か大切な所で道を間違えたようです

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親しくさせていただいている医師の一人に堂園晴彦先生がいる。先生は、鹿児島市内で「堂園メディカルハウス」という、あたたかな愛のあるホスピスをされている。


ホスピスというと、末期がんの患者さんが行く病院というイメージがあると思うけれど、堂園先生は、ホスピスをそう定義していない。もちろん、末期がんの患者さんの看取りをたくさんしてこられた先生ではある。


しかし、堂園先生はこういうのだ。「病院には、ホスピタリテイ、つまり、おもてなしの心、一人ひとりの患者さんの心身の疲れを癒し、魂の渇きを癒すことこそが大切だと思う。今の病院には、あまりにも、病院本来のホスピタリテイというものが欠けているように思う」と。


そういう考え方をしている堂園先生が作られた「堂園メディカルハウス」は全く病院っぽくない。まるで、プチ・ホテル、ペンションのような雰囲気なのだ。病院独特のあのクレゾールの匂いもない。病室はまるで、居心地のいい自分の部屋みたいな雰囲気なのだ。


だからなのか、明らかに病人である人ももちろん入院しているのだけれど、不眠や不安神経症、慢性疲労の方で、このままいったら確実に将来大きな病気になるかも知れないと自覚している方が、ストレス・ケアの目的、あるいは、自分の仕事の仕方や生き方を見直す意味で、「お疲れ入院」と称して、養生のために短期入院、あるいは、週末入院して、自分の健康を守っている人も少なくないのだそうだ。


健康な人が一般的な病院に入院したら、本物の病人になってしまいそうなくらい、今の病院は病人を作ってしまう雰囲気がある。しかし、こんなペンションみたいな病院だったら、ちょっと心身の不調を自覚したときに、自分をいたわり、休ませてあげるために休憩入院してもいいなあと思える。


堂園先生は日本の医療改革への想いが熱く、それを実際に行動に移してやられていることがいくつかある。「NPO法人 風に立つライオン」もその一つだ。


堂園先生は、「風に立つライオン」から、医学生たちをインドのマザーテレサの「死を待つ家」に派遣して、死にゆく人たちへの奉仕活動を体験してもらっている。


医学生たちが医療現場に入る前に、愛ある医療とは何か、奉仕とは何か、人が癒されて逝くとはどういうことかということを体験してもらいたいとの願いからこのNPO「風に立つライオン」を作ったのだ。


堂園先生は、インドに行く医学生たちにいつもこう言うのだという。


「答を持ち帰らなくていい。いっぱい感じてきてほしい。そして、君たちが医療奉仕活動をする中で、それぞれ自分の胸に湧き上がってきた”問い”を持ち帰ってきてほしい。その問いを持ち続けて、医療の現場で働いてほしい。自分が感じたその大きな問いこそが、日本の医療を変えていく力になると思うから」


私は、堂園先生のこのメッセージを聞いて胸が熱くなった。


「風に立つライオン」は、さだまさしさんの歌からとったもので、さだまさしさんは、この「NPO 風に立つライオン」の賛同者で、「この活動は骨太の医者を育てる取り組みですね」とおっしゃったと言う。


さださんが、この歌のモデルとなった医師に捧げた下記の手紙も、読んでいて目頭が熱くなり知らずに涙が流れている。自分の深いところからこみあげてくる涙は自分のいのちの道筋を教えてくれているように思う。

さだまさし                 アルバム「夢回帰線」より


僕の尊敬し、愛する医師がいる。酔った時に一度だけ彼が医師になった理由を聞いた。少年の頃、シュバイツアーに憧れたのだ。そうして本当に医師となり本当にケニアへ巡回医療の医師として出かけていった。


酔うと少しだけ饒舌になる彼は、遠くを見るように宙をみつめながら、僕にケニアの大自然を語った。そんな時、彼はいつも少年になる。


彼は極めて優秀な外科執刀医である。故に人の生命に対して敏感である。人々の生と死の間の戦いを、共に戦うのだと彼は言う。


仮に助かっても、それは医師が助けるのではなく、神様が助けるのだと彼はまじめな顔で言う。


駄目な時もある。その度に、現代医学では絶対に無理だとわかっていても、自分以外の誰かが執刀したら、もしかしたら助かったのではないかと悔やむ人なのだ。


もしも彼が言うように、人が助けるのではなく、神が助けるというのなら、もしかしたら、彼は天使なのではないかと思うことがある。それに彼は優しく、あたたかい。


「僕は野たれ死ぬとです」。彼は酔いが回ると、そうつぶやく。生命の尊厳と常に対峙しているからこそ、神の領域に挑む不遜さを知っている。


ケニアの大自然の中で、彼は神と共にあったのかも知れない。この歌は、そんな彼の青春の一片を歌おうとした。


僕も、僕の草原の、風に立つライオンでありたい。この歌を、宮崎医科大学の柴田紘一郎先生に捧ぐ。


     <  風に立つライオン  >     歌 さだまさし

突然の手紙には驚いたけれど嬉しかった
何より君が僕を怨んでいなかったということが
これから此処で過ごす僕の毎日の大切なよりどころに
なります


ありがとう ありがとう


ナイロビで迎える三度目の四月が来て今更
千鳥が淵で昔君と見た夜桜が恋しくて
故郷ではなく 東京の桜が恋しいということが
自分でもおかしいくらいです おかしいくらいです


三年の間あちらこちらを廻り その感動を君と
分けたいと思ったことが沢山ありました


ビクトリア湖の朝焼け 100万羽のフラミンゴが
一斉に翔び発つ時 暗くなる空や
キリマンジャロの白い雪 草原の象のシルエット
何より僕の患者たちの 瞳の美しさ


この偉大な自然の中で病いと向き合えば
神様について ヒトについて 考えるものですね
やはり僕たちの国は残念だけど何か
大切な処で道を間違えたようですね


去年のクリスマスは 国境近くの村で過ごしました
こんな処にもサンタクロースはやって来ます
去年は僕でした


闇の中ではじける彼等の祈りと激しいリズム
南十字星 満天の星 そして天の川


診療所に集まる人々は病気だけれど
少なくとも心は僕よりも健康なのですよ


僕はやはり来てよかったと思っています
辛くないと言えば嘘になるけど しあわせです


あなたや日本を捨てた訳ではなく
僕は現在(いま)を生きることに思い上がりたくないのです


空を切り裂いて落下する滝のように
僕はよどみない生命を生きたい


キリマンジャロの白い雪  それを支える紺碧の空
僕は 風に向かって立つライオンでありたい


くれぐれも皆さんによろしく伝えてください
最後になりましたが あなたの幸福を
心から 遠くから いつも祈っています


おめでとう さようなら


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*堂園メディカルハウス

http://www.dozono.co.jp/

*NPO 風に立つライオン

http://www5.synapse.ne.jp/lion/index.htm

生を深く生きる人の旅は巡礼のよう

okabe07a.jpg最近は、インターネットで本を購入できるという便利な時代になったが、私は本屋が好きなので、暇さえあれば街の本屋に出掛ける。インターネットで本を買う場合、主体は必ず買い手側にあるが、本屋の場合は、時折、本の方が読者を選ぶということがある。


私はよく本に呼ばれる。本が好きだからだろうか。あれだけ膨大な本が並べられるているというのに、ある1冊の本が光って見えて、「僕は、ここにいるよ」「私を見て」「あなたが求めているのはこれだよ」という感じで、私に自分の存在をアピールしてくるのだ。


ある日、また、本に呼ばれた。昔の恋人に再会できたような歓びがあった。その本は、私の好きな写真家であり作家、藤原新也の著作「メメント・モリ」。私は20代の半ば頃、彼の著作である「東京漂流」「印度放浪」「全東洋街道」を夢中になって読んでいた時期がある。彼の文章も好きだったが、何より私は、この藤原新也という男の生き様に惚れたのだと思う。


あれから長い年月が過ぎた。久しぶりに彼の本を読んで最初に感じたのは、「私も変わったけれど、彼も変わったんだなあ」ということだった。年月は、人を変える。当たり前だけれど。自分の変化は、自分ではよくわからないものだが、人が変わったというのはよくわかるものだ。


しかし、あの頃、私が惹かれた彼の魅力そのものは変わっていないと思った。私がかつて彼に魅了されたのは、彼の生死に関する洞察、人間の心の闇の深さと光を見る眼、混沌の中に生の本質を探ろうとする姿勢、東洋に対する眼差し、この時代への“問い”に、ただならぬ感性と、洞察の鋭さ、深さを感じたのだ。何か、私の心の深い部分をえぐられたような感じがした。


日本が、ひたすらアメリカの成功と栄光、豊かな消費社会に目を向けていた頃、彼は時代の風に逆行するかのように、ただ東洋を見続けていた。アジアの持っている猥雑なるエネルギーと混沌、この世の行き止まりと吹き溜まりのような世界・・・。


その地上世界の上に広がるどこまでも澄み切った天上の蒼さ、青さ。アジアの子供たちのもっている美しい目の輝き。彼は、ファインダーを通して一体何を見続けていたのだろうか。ファインダーとは、彼のスピリットそのものだったに違いない。


私は、彼が見ようとしているもの、探そうとしているもの、求めているものが知りたかった。彼の意識が向かうものを感じていたかった。この世の果てにあるものを私も知りたかった。


彼の作品を貪るようにして読んでいた20代の私には、十分な若さと時間があり、ほしいものも少しずつ手に入るようになっていたのに、何かがいつも満たされていなかった。


心が求めているものとは違う何か、私の存在の奥深くで求めているもの。それは、今にして思うと、私の“魂の渇き”、“魂の飢え”のようなものだったのかもしれない。


10代から20代半ば頃までーまだ、社会に適応していく自分というものを作り上げる前までの素のままの自分で生きていた頃に、心がブルブル震えた読書体験や、大きなインパクトのあった“出来事や出会い”というものが、結局はその後の自分の“生の核”になり、人生を方向付けてしまうのかもしれない。


あれから長い年月が流れ、この「メメント・モリ」には、余分なものをどんどん削ぎ落としてきた人のもつ、さらに透徹な眼差しを感じた。かつての彼の作品には本を開いた瞬間に立ち上ってくる、ある“匂い”があったのだけれどそれがなくなっていたことに少しだけ物足りなさを感じた。


しかしそれは、物事に“意味”を求めずにはいられない、私自身の性分が感じてしまう物足りなさなのだろう。藤原新也は、ある時点から、物事に意味を求める人生をやめてしまったのだなと思った。


メメント・モリとは、元々、ラテン語で、“自分が死ぬべき存在であることを思い出せ”という意味らしい。なにしろ読み始めたらいきなり、「死の瞬間が生命の標準時」なんていう言葉がでてくるのだ。うっ、なんだ、これ! ほんとドキドキさせるこの男は、昔から。


本当の死が見えないと、本当の生も生きられない。
等身大の実物の生活をするためには、等身大の実物の生死を感じる意識をながめなくてはならない。
死は生の水準器のようなもの。
死は生のアリバイである。
MEMENTO―MORI

「メメント・モリ」より(情報センター出版局・藤原新也著)


“死は生のアリバイ”・・・どこから出てくるんだろう、こんな言葉。
<死は、病気ではない>、<人間は、犬に食われるくらいに自由だ>、<市場があれば、国家はいらない>、<誰にも氷点はある。必ずやって来る>、<人間の氷点を溶かしてくれるものはニンゲンだ。ニンゲンの体温だ>、<旅やがて思想なり。>


この人の言葉にどれだけ今までドキンとさせられただろう。人生を深く生きようとする人の旅というのは“巡礼”みたいだと思う。そんな旅を私もしてみたい。


死というものから生きるということはどういうことかをずっと考え続けてきた私は、必然的にそういうことに答えてくれそうな人との出会いを求めてきた。だから、若い頃に彼の本に出会ったのも今にして思えば必然だったのだろう。しかし、本だけにとどまらず結果として私は、自分の死を実感するという体験まで引き寄せてしまったのだ。


世界は、生にあふれているかのように見える。そして、誰もが生きることを考えている。しかし、生の輝きを見る意識だけでなく、死を眺める意識というのも、人生の深さや、真の喜び、この世界の美しさに深く触れていく意識の水路なのではないかと思える。


死は、生の一部であること、生の中には、常に死が“包含”されているということを“体験”として知り、もう一度この世界に戻ってきたという事実が私に教えてくれたことは計り知れない。


死は、ある日突然、その姿を現した。本当にあっけないほど、死はいつもの日常の前に忽然と立ち塞がった。そして、ありふれた日常生活は一瞬にしてありえない日常の光景に取って代わった。


あの時私は、自分が死ぬということ、自分が消滅するということを逃れようのない事実として突きつけられたのだ。それが、どれほど耐え難い不安と苦痛と絶望であったか・・・。


いつかは自分も死ぬということを、“頭でわかっていた時”と、現実に目の前に出現した“死の恐怖”とは天地の差だった。想像と実感は、全く別次元なのだということを私はあの時痛感したのだ。


今でも時々思う。私はあの時に死んでしまってもなんの不思議もない人間だったのだということを。あれで私の人生は「THE END」だったのかもしれなかったのだ。


本当に人生の幕というのは突然降りて来るものなのだと思った。ものすごくリアルな“死の感覚”が、あの時、私のからだに刻み込まれた。


私は、あの時、「この世に、この私として生まれたということ」、「今、こうして生きているということ」、「存在している」ということが、最大の奇跡なのだということを知ったのだ。


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風の谷のナウシカと千島学説

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もうずい分前のことになるが、ある日、がん細胞って何なのかなあと、ぼーっと考えていたことがある。すると、宮崎駿アニメの中で私が一番好きな「風の谷のナウシカ」のイメージがふっと浮かんできた。


あの“腐海の森”で、毒を出して人を寄せ付けないオウムを始めとする昆虫たちが、なぜか突然、がん細胞と重なって見えたのだ。


「火の7日間」一それは、人間が作り上げた文明を焼き尽くす恐ろしい戦争でした。

それから、千年という長い長い年月が過ぎ、地球には、“腐海”と呼ばれる毒を出す植物たちの森が広がっていきました。腐海は、巨大化した昆虫「蟲」たちの住処。人間はその外側、残された土地に国を作り、腐海や蟲たちに怯えながら暮らしていました。誰も近寄らないその腐海の中を、たったひとりで歩いている少女がいました。少女の名はナウシカ。ナウシカは、自然や生き物を愛するやさしい少女でした。

ナウシカは、キツネリスのテトが牙をむいて、自分の指にかみつき血を流しても「こわくないのよ、ほら、こわくない。ねっ」と言って、指を差し出し続ける。するとテトは、自分が噛んで傷つけたために流れているナウシカの指の血を、次第になめはじめる。


「怯えていただけなんだよね。こわかっただけなんだよね」と言いながらテトに触れる。ナウシカは、こうして自分を攻撃してくるものと一瞬の内に仲良くなってしまう。ナウシカは知っていたのだ。攻撃してくるものは怯えているものであることを。怒っているものは、傷ついているものであることを。


人間が、毒を出す森である腐海を焼き尽くしてしまおうと攻撃を始めると、腐海の王である強大な蟲オウムが人間を殺そうと暴動を起こす。ナウシカは「怒らないで、こわがらなくていいの。私は敵じゃないわ」と言ってオウムを抱きしめる。


オウムは人間に攻撃されたため、足はちぎれ、からだから青い体液を流し続ける。目は怒りで赤く燃えている。死にかけているオウムに寄り添いナウシカは言う。


「ごめん・・ごめんね・・。許してなんていえないよね。ひどすぎる・・・」


すべてを破壊し尽すほど荒れ狂っていたオウムたちも、ナウシカのやさしい語りかけによって静まってゆく。ナウシカの愛だけが、オウムの怒りと凶暴性を失速させられるのだ。私はこの場面で毎回泣いてしまう。


ナウシカは知っていたのだ。腐海は、人間が汚した世界をきれいにするために生まれた森であることを。腐海の樹木は、汚れた土や水の毒をからだに取り入れて、地下で美しい水、空気、胞子、結晶を作っていたことを。腐海の蟲たちは、本当はみなその森を守る精であるということを・・・。


「風の谷のナウシカ」と「千島学説」が私の中で不思議に重なってしまった。千島学説(故・千島喜久男医学博士の学説)では、がんは、血液の汚れを警告しているものであり、がん細胞は汚れた血液の浄化装置だという考え方をしている。現代西洋医学のがんに対する考え方とは全く違う。


千島学説は、血液は骨髄ではなく小腸の絨毛で作られているという学説だから今の医学会では認められていない。この学説を認めてしまったら、現在の医学教育を根底から塗り替えなければいけなくなるからだという。


私は医療者ではないから、医学的にどちらが正しいのか、何が正しいのかはわからない。ただ、患者は“素人”ではあるが、“当事者”なわけだから「偉大なる素人」になって、自分にとってのより良い選択をしていくしかないと、当時患者だった私は思ったのだ。いのちや人生がかかっているのは患者の方なのだから。


「偉大なる素人でありたい」と思った私は、医学的にどちらが正しいかというより、どういう考え方が私にとってより納得できるのか、前向きになれるのか、行動に移せそうなのかという物差しで選択していくしかないと思ったのだ。


そういう意味では、がん細胞=極悪非道の超悪玉、故に、どんな手段を使ってでも殺す、叩き潰すという、西洋医学の好戦的な考え方より、がん細胞は、血液の汚れを警告するため、血液を浄化するために生まれるのだから、まず、宿便をとって、腸の大掃除をして、腸内細菌叢のバランスを整え、血液をきれいにし、酸化したからだを中庸に戻し、がん細胞が生きにくい体内環境を作ろうという千島学説のメッセージの方が腑に落ちる感覚があったのだ。


西洋医学のがん医療にたいする基本的な姿勢は、がん細胞を、親の敵とばかりに憎み、抹殺するという考え方だ。おそらくこれは西洋にある“善悪二元論”の考え方がベースにあるのではないだろうか。


西洋は、病気そのものを悪いものと考えているから、症状をとにかく抑える、無くす、消す、叩くということに懸命になる。これがなぜ、西洋医学は“対症療法”と言われるかのゆえんだ。


確かに西洋医学のお医者さんは、病気、病巣、症状を「叩く」という表現をよく使うし、すぐ「切りましょう」と言う。まるで、肉や魚をさばくような感じだ。なんとなく、ああいう表現って、自分のからだを乱暴に扱われている気がする。


西洋医学のがん治療の言葉に、戦争用語が多いのも気になっていた。絶滅、根絶、戦略、一網打尽、闘病・・・これは、感染症、伝染病のように、病気の原因が“外”にある時の疾病観のまま、がんという病気を考えているからではないだろうか。


おそらく西洋医学は、がん細胞を外からやってきた、エイリアン、悪魔、テロリストと考えるから“悪の打倒”という戦争医学用語になってしまうのではないだろうか。


「病気は悪」という考え方が根本にあれば、必然的に、その悪・テロリストを徹底的に叩きつぶすという発想が治療の考え方になるのは頷ける。西洋医学は基本的に好戦的で攻撃的な医学なのだと思った。


それ故、がん細胞を叩きつぶすためには、その治療でどれだけ患者が苦しもうが我慢すべきだという考え方になるのかもしれない。そう考えると、西洋医学のがん治療には拷問に近いような痛み苦しみが多いことが納得できるのだ。

がんというものが“死の象徴”になっているのかもしれない。まるで、がんを叩きつぶせば死が消えてしまうかのように。死は決してなくならないのに。もちろん、死とは肉体という物資が消える現象に過ぎないのだが。


しかし、私は、決してアンチ西洋医学ではない。実際、1991年、意識不明になった私が脳腫瘍と水頭症を発症しているのを見つけたのはCTスキャン、MRI検査という西洋医学の優れた検査技術があったお陰だ。


生死を彷徨っていた私のいのちを救ってくれたのも脳外科医の優れた執刀技術によるものだったわけだから、私は西洋医学の素晴らしさを知っているし、感謝もしている。

ただ私がずっと疑問に思っていたのは、現代医学が日進月歩の勢いで進化しているというのに、なぜ、がんになる人が一向に減らないのか、腫瘍が再発、転移した人たちに対しての治療成績がなぜこんなに悪いのか、なぜがんで亡くなる人が増える一方なのか、ということへの疑問だった。

がんを始めとする現代病、慢性病、生活習慣病、精神病に対しては、西洋医学は不得意分野であることを知ってからの私は、「患者はまな板の上の鯉」なんて悠長なことを言っている場合ではないと思い、自分で学び、自分で感じ、自分で考え、自分の体の主治医は自分であることを自覚していったのだ。


こうして現代西洋医学の長所と短所、得意と不得意を学んでいた私だったので前述したように、ある日突然、「風の谷のナウシカ」を見ながら、「千島学説」との符合を発見してしまったのだと思う。


がんは耐え難いストレス、極度の疲労、遺伝子を傷つけるものの体内摂取、間違った食習慣、毒素・老廃物・科学合成物質の体内蓄積、深い悲しみや、絶望感、無力感、自己否定感、加齢による細胞や肉体の老化、個々の患者の未知のⅩ・・・。


それらが、からだの抵抗力、免疫力という“生命力”そのものを落として発病の引き金を引くと言われている。だから、これに追い討ちをかけるような攻撃的な治療が次々に施されるのは患者にとってはつらい事だ。まるで傷口に塩や明太子をすり込むような治療ばかりだ。正常細胞もがん細胞もどちらも身内なのに。


窮鼠ネコを噛むじゃないけれど、追い詰められればられるほど、窮鼠(がん細胞)はバカ力を出してしまうのではないだろうか。風の谷のナウシカに出てくる、あの腐海の森のオウムと同じように。


私だって、自分を攻撃されれば必死になって自分を守ろうとする。ましてや自分が殺されそうになったら、何が何でも生き延びようとすると思う。私たちのからだの中にはがん細胞ができても、ちゃんとそれを消してくれる免疫細胞たちがいるのだからこの免疫細胞たちが元気になること、働き者になってくれること、いい仕事をしてくれることの方に働きかけていく治療法、健康法の方に私の関心は向かっていったのだ。


免疫力、生命力があることが何よりの鍵なのだから。私たちのからだには、毎日数千、数万個のがん細胞が生まれているのだという。なぜそれが、がんとして発病しないかというと、免疫力、生命力があれば、からだ自身が、がん細胞を退治し癒してくれるので発病には至らないのだという。


私が、からだにやさしい治療法や様々な代替医療や予防医学に非常に関心をもってしまったのは、やはりもう二度とあのような耐え難い肉体的苦痛を味わいたくないからだった。それに女だから、髪が全部なくなるのももういやだったのだ。髪を失うというのは女性にとっては本当に辛く悲しいことだから。


がんをはじめとする生活習慣病、現代病には、全員が必ずこの方法で完治するという“決定打”がないのだと言う。だったら私は、このからだで実験しながら、自分に合うものを見つけていこうとあの頃の私は思っていた。


どんな治療法を選ぶかは人それぞれだけれど、私は苦痛は最小限で、あとは自然治癒力を増幅してくれるような療法を選びたいと思っていた。ただ、現代はあまりにも情報過多で、患者は逆に何を選んでいいか選択に困っている人が多い。その時、自分を救うものは、基本、根本、根源に戻ることだ。


自分自身が、生とは何か、死とは何か、私とは誰かという、自分なりの生命観、死生観、人生観、身体観、疾病観、健康観、、幸福観、そういった思想、哲学を持ち、その上で、自分のからだの実感、心の実感を手がかりに、自分にとっての最良のものを自己責任の元に選んでいくという姿勢が何より大切なことなのだと思う。


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真理の大海は、いまだ発見の手がつけられないまま

okabe05a.jpg私は瑞々しい感性を持った科学者、この大自然の不思議に頭を垂れている科学者、文学的感性をもった科学者、科学の限界を知っている科学者、人間への深い愛をもった科学者の語り口が好きだ。


そういう眼差しをもった科学者、医師の書いた本はどれもとても面白かった。今流行の安っぽい“癒し”や“ヒーリング”という言葉に対する抵抗感はこれらの本を読むと吹き飛んでしまう。


病気がきっかけになって、私は、それまであまり縁がなかったニューサイエンス&スピリチャリテイの本にどんどん傾倒していった。科学だけでもつまらない。スピリチュアリティだけでも満たされない。私はその両方があって深く納得し満たされる。この道を探求し始めた初期の頃の私に最も影響を与えてくれたのは下記の本だった。


ホリスティック医学の普及に世界最大の影響力を持つアメリカの医師、アンドルー・ワイル博士(現、アリゾナ大学、統合医学部教授)の『人は、なぜ治るのか』(日本教文社)、『ナチュラル・メディスン』(春秋社)、『癒す心・治る力』(角川書店)。そのアンドルー・ワイル博士が師と仰ぐオステオパシー医、ロバート・フルフォードの『いのちの輝き』(翔泳社)。


同じく医師でありアメリカ・アーユルヴエーダ医学協会会長、ディーパック・チョプラの『クオンタム・ヒーリング ~心身医学の最前線を探る~ 』(春秋社)、『内なる治癒力 ~心と免疫をめぐる新しい医学~』(スティーブン・ロック+ダグラス・コリガン/創元社)。シーゲル博士と共にホリスティック医学に携わっている医師たちの書いた共著、『癒しのメッセージ』(春秋社)など。


私が、これらの本を夢中になって読んでいたのは今から12年くらい前だったろうか。病気が再発してパニックになっていた頃だった。しかし、これらの本が私の固定観念を見事にひっくり返してくれて、まさに目からウロコ状態が毎日という日々だった。


日本では、故関英男先生(工学博士。高次元科学の世界的権威)の本を興味深く読んでいた時期もある。特に面白かったのが、関先生の『心は宇宙の鏡』(成星出版)に中で書かれていたニュートンのことだ。


私にとっては、「この宇宙も人間も機械のようなものだ」と説いた機械論的宇宙観、人間観の提唱者であるニュートンは、前述した本を読み進むうちに、もう古いパラダイムの科学者で、過去の人なんだなと思っていた頃だった。ところが、この本の中にあった、ニュートンの晩年の話とメッセージに私の心がいたくふるえたのだ。


関先生はこの本の中で、「現代物理学の基本原理であるニュートン力学はもう終わったと言われているけれど、ニュートン力学は、実はニュートンが20代で完成させたもので、その後のニュートンが何を研究していたかは世間でほとんど知られていない」と書いている。


ニュートンは、自分が発見した原理は、天体の運動法則の一部を説明しただけで、人間を含めた生物の運動を考えた時に、どうしてもその原理だけでは説明がつかないものがたくさんあることに気づいていたのだという。


ニュートンは、45歳から85歳までの40年間、神学や錬金術に関する多くの論文を書いたにも関わらず、周りの人たちは誰もその価値を認めなかったという。


世界的な科学者であるニュートンが、神の世界だの、見えない世界を研究していることがわかったらまずい、困るという人たちがニュートンの論文の多くを葬り去ったのだという。


どうしてそんなことをするのだろう? 科学を万能だと思っている人、権威が何よりのごちそうである人って、もしかしたら、肝っ玉が小さいのかしらん。


しかし、関先生は、この本の中で、ニュートンの「光」という著書の終章には「宇宙のいたるところに神が遍在し、運動を支配しているのではないか」といった内容が述べられていると書いている。そして、ニュートンはこんな言葉も残しているのだ。


「世界中の人々がわたくしをどうみるかわからないが、わたくしから見るとわたくしの生涯は海辺に遊んでいる少年のようなものだったに過ぎない。ときたま、普通よりなめらかな小石や、もっと美しい貝殻を見つけてみずから楽しんでいただけで、真理の大海はまだ、全然発見の手がつけられないままに、わたくしの前に広がっていたのだ」


私は、関先生の本の中で紹介されていたニュートンの残したこの言葉を知って急にニュートン様のファンになってしまった。私は、ヨン様より、ニュー様だわ。いいなあ、少年の純粋さを残したままの大人の科学者の感性って。


そういえば、アインシュタインのこの言葉に出合った時も、私は感動した。


「自然法則の調和の完璧さに打たれた時、私は恍惚的感動ともいうべき一種の宗教的心情にひたる。その知性の崇高さに私はただただ感嘆するのみで、人間の系統だった思考だの行動だのが無意味な悪あがきのように思える」
(『シルバーバーチのスピリチュアルな法則 ~宇宙と生命のメカニズム』
フランク・ニューマン著・ハート出版より抜粋)


日本では、スピリチュアルという言葉は、「霊性」と訳されているが、私の感性の実感では、スピリチュアルは、宗教的感性、宇宙的感性という言葉の方がしっくりくる。この感性は、C・G・ユングの言う、すべての人間の最も奥深いところにある「普遍的無意識・集合無意識」とも言えるかも知れない。


私は、真の科学者というのは宇宙大のロマンティストなのではないかと思う。そして、この宇宙の神秘、生命の神秘に対して、ひれ伏すほどの感動と謙虚さをもっている人なのではないだろうか。


関先生は、『心は宇宙の鏡』の中で、「科学を極めると“神の領域”にたどりつく」「技術というものは、神の領域に入れば自ら正しくなる」と書いていて、私はこの言葉にいたく感動した。


私は、本物のサイエンティストというのは、アーティストの感性と詩人の感性を併せ持ち、かつ、人類への愛と叡智に対する哲学を持った人なのではないかと思う。そういう科学者の書いた文章は理性的でありながら冷たさがなく、むしろ温度がある。人間性という体温があり、人間味という味がある。


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プロフィール

岡部 明美岡部 明美

ワークショップ・トレーナー/セラピスト/カウンセラー/研修講師/文筆家/東海ホリスティック医学振興会顧問。

独身時代は、シンクタンクにてマーケティングプロデューサーとして活躍。30代半ばで結婚。長男出産直後に脳腫瘍と水頭症を発病し生死を彷徨う。自分の死に直面するという体験を通して、いのちの根源からの問いの答を求めて自己探求の道に歩みだす。著書に「もどっておいで私の元気!」(善文社)「私に帰る旅」(角川学芸出版)

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