岡部明美のスピリチュアルな旅で出会った”もの・人・場・言葉たち”

2007年04月

“自分という樹”が育つ時

okabe23a.jpg「癒し」という言葉は、いつからこんなに安っぽい言葉になってしまったのだろう。私の記憶では、「癒し」という言葉をここまで流布させるきっかけになったのは、文化人類学者の上田の紀之さんがお書きになった「覚醒のネットワーク」(カタツムリ社)ではないかと思う。


1990年代の半ば頃、私の周りでは、この本がかなり話題になっていた。私も非常に新鮮な感覚でこの本を読んだ記憶がある。現在14刷までいっているから、仙台の小出版社であるカタツムリ社にとっては大ベストセラー、ロングセラーの本だろう。上田氏は、この本の前書きにこう書いている。

「この本でいちばん言いたいこと、それは現在の世界の危機は私たちの力で解決できるということです。解決のための運動は、世界のいたるところで、様々な形でいま既に進行しつつあります。それは、「私」に気づき、「私」と世界のつながりに気づき、そして「私」と世界を同時に変革していく運動です。生き生きとした「私」を取り戻しながら、現実に深く関わり、生き生きとした世界を取り戻していく運動です」

上田氏は、この本の中で、社会変革は、自己変革から始まることを強調しているし、「いのちへの目覚め」「本来の私への目覚め」「他者と世界とのつながりへの目覚め」を体験した人たちこそが生き生きとした世界を創造してくと説く。

その生き生きとした世界を創造していく人たちは、まず自分自身が癒されることで本来の自己に気づき、大いなる宇宙の一部である自己に目覚め、すべてはつながっているこの世界の在り様に覚醒していく。まずは、生き生きした自分を取り戻すために癒しが必要であると言っているのだ。

すべての存在は有機的につながりあっているという事実、このつながりこそが実は大いなる宇宙の愛なのだということへの認識と目覚めこそが今最も求められているのだろう。

存在はすべて大いなる生命の網の目の中で生かされている。分離意識はエゴの恐れ、幻想なのだ。すべてがつながりあっていることがわかれば、他者を傷つけることは、自分を傷つけることであり、大自然を破壊するということは、最も身近な自己の肉体という大自然を破壊することになるのだから。

しかし最近は、この癒しという言葉が一人歩きし、まるで単なるストレス解消や、心身のリラクゼ-ション程度にしか思っていない人も多いのではないだろうか。「癒し」という言葉が嫌いという人には、この言葉にまとわりついている依存的で甘ったるいイメージがどうにも好きになれないのではないだろうか。

確かに最近の癒しの世界は玉石混交だ。いい仕事をしている人もたくさんいるけれど、中には、「癒し」の仕事を「卑しい」気持ちでやっているあぶない人も結構いるからだ。

私自身は、かつて自分の内側に向かう体験を重ねていくプロセスで、実際に心身が深く癒される体験を重ねていったら、この言葉に対する世間的なイメージが全く変わってしまった。

私にとって癒しとは、古いものに新しい気持ちで出会うことだったし、もういらなくなったものを手放すことだった。そして、過去への解釈が変わることで「今・ここを生きられる自分」になることであり、同時に切り離されていたものとの深いつながりを取り戻すことでもあった。

本来の自分とのつながり、人とのあたたかなつながり、この宇宙とのつながりを実感できた時の深く内側が満たされていく感覚は、癒しという言葉の消極的なイメージを超えて、とてもパワフルなものだった。私にとって心身の深い癒しは、“人生の再編集”をする上で欠かせないプロセスだった。

現在の私の仕事も癒しに関わる部分が多い。意識の変容のプロセスにはどうしても癒しがまず必要だからだ。気づきは、癒しのプロセスの中で自然に起きてくることが多い。そして、一度気づき始めたら、その気づきはどんどん早くなるし、深くなっていく。それはまるで自分という樹の根と幹の関係みたいだ。

人が“成長”していくためには、向上心や意志や夢が不可欠だ。太陽に向かって伸びようとする樹木や花々のように、私の中にもそのように、天に向かってどこまでもどこまでも伸びようとするものがある。

でも、人が人として、あるいは男として、女として“成熟”していくためには傷や痛みというものが不可欠なのかもしれない。人間に深さをつくるものは、痛みや苦しみや悲しみの体験、人生の不条理と無慈悲を心底味わうような「闇の季節」「魂の暗夜」を生きた体験なのだろう。

その闇にしか思えなかった季節、最もつらかった日々が「光の世界」への扉を開けてくれたのだということに気づいて感謝できた時に、その人の生は真の意味で輝き出すのかもしれない。

闇の季節を生きる力って何なのだろう。それは、誰の目にも触れないけれど、暗い月夜にひっそりと、土中の中に根を伸ばし続ける“いのちの力”なのかもしれない。

その時に、天の力に生かされ、地の力に支えられて生かされている“自分という樹”が育っているのかも知れない。ひっそりと、健やかに、逞しく。

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私たちは、亡くなった人たちの夢の時間を生きている

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私は、自分自身が死に直面するとう体験をしただけでなく、大切な人を突然亡くして途方に暮れ、しばらくの間全く身動きできずにいたという経験がある。喪失の悲しみが癒されるまでに長い時間が必要だった。


私の愛する人たち、大切な人たちが突然この世からいなくなり、声をかけても、応えてくれない、あの顔を、あの姿を二度と見ることはできないのだと思うと、本当に悲しいし、淋しい、切ない。 

私には今、そんな失いたくない大切な人、大好きな人がいっぱいいる。生きて別れるにしろ、死んで別れるにしろ、喪失の痛み、悲しみというのは、その人と共有した思い出の数や、共に過ごした時間の長さや密度に比例するのだと思う。

身近な人間を亡くしてみると人は驚くのではないだろうか。人生でこれが手に入ったら自分は幸せになれる、心が満たされると思って必死になって追い求めてきたもの一お金や成功、名誉や出世、他者からの評価や賞賛、大きな家や大きな会社、便利な生活、かっこいい車や美しい宝石やブランドものの洋服―そういったものが、実は、自分を本当に心の底から満たしてくれるものではなかったということに。

自分にとって大切な人と過ごした何気ない日常の触れ合いの中に、通い合う心の喜びの中に、どれだけ自分が本当は満たされていたかといことに、亡くなられてから初めて気がつくのかも知れない。

その人が傍にいるということ、一緒に生きているということ、ただ家族であったということ、友達であったということ、一緒に仕事ができたということ、出会えたということ、本当は、ただそれだけで充分幸せで満たされていたのだということに、人は失ってみて初めて気づくのではないかと思う。

私たちはみな、亡くなっていった人たちの“夢の時間”を生きているのだ。亡くなった人たちは、生きたかったのだと思う。もっともっと、生きてやりたことや体験したいことがあっただろう。

今こうして生きている人たちは、亡くなった人が一番ほしかった「生きる時間」をもっている。生は、死者の夢の残滓。時間は死者からの贈り物。きっと死者たちは、自分が残してきた大切な人たちに、こんなことを言っているような気がする。

「あなたには時間があるでしょう。なんでもできるはずだよ。あなたが望む人生を、あなたが生きたい人生を生きて。自分が心の底からやりたいことをやって生きていってほしい。もっと人生を楽しんでね。たくさん感動して、たくさん味わって、たくさん愛して、幸せになってほしい。時間があるということを大切にしないと、人生は、本当に、あっという間に終わってしまうよ」

本当に人生はあっという間に過ぎ去る。地上の人生一一このからだに住まう人生のなんという短かさ、儚さ。この宇宙の歴史からいったら、人の人生なんて一瞬の瞬き程度の長さだ。本当にこの世は夢幻だ。

でも、儚さゆえに立ち表れる一瞬の美がある。煌く朝露も、水平線から昇る太陽も、虹の七色も、すべては一瞬の美しさ、束の間の美だ。

朝に咲いていた美しい花は、夕方にはしおれる。しおれない花、造花には本当に深い美はない。桜が枯れずに1年中咲いていたら、きっとあの感動は薄まっていくだろうし、春が来たことのあの喜びもなくなってしまうのだ。

もし虹やオーロラが、どこでも毎日のように見られたとしら、人は、あの“光の芸術”を見た瞬間にあんなに感動するだろうか。

終わるから、消えるから、束の間、刹那、幻だからこそ美があり、感動があるのだ。この世の美と感動は、変化と消滅の上に成り立っているのだということを改めて感じる。


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去り逝く人への鎮魂歌

okabe21a.jpg私の父の「生活の顔」はエンジニアだが、父の「人生の顔」は歌人だ。父は、20代の頃からずっとアララギ派の歌人として生きてきた。

父は、私がかつて死の淵を彷徨う病気をしていた時に書いたという短歌を、私が生還して9年以上たって初めて見せてくれたことがある。

私は、この短歌を見て、父と母がどんな思いで私の病の時を生きていたのかを知り、胸が熱くなり、泣いた。

*子の病い気遣ふ妻の手を引けば 冴える寒さの海面はまぶし

*海に向く遊歩道ゆく妻と子の 透明にして失ふものなし

*空洞の心埋めゆく刻どきに 冬の陽一面 湾に広がる

*元旦の 朝のしじまに こだまして 岬を遠く 客船消ゆ

私は、この短歌を見て、久しく忘れていたものを思い出した。それは、私がとても好きだった家族の風景だった。 子供の頃よく、父が勤めている新日鉄の保養所に家族で旅行した。その保養所は山の中にあり、散歩のコースにとてもいい滝があった。父と私はこの滝が大好きだった。

父はいつもその滝の前の木のベンチに座って、滝の流れを見ながらノートに短歌を書いていた。その父の姿を後ろから眺めているのが私はとても好きだった。今でも覚えているいくつかの歌がある。

*われを見る親父の顔の死に近く その微笑に涙出づる日

*律儀とも愚鈍とも見ゆ六十年 荷馬車引き老いる母も親父も

*菜の花を剪りては姉の忌に供えし 母も逝きたり 父もはやなし

*亡き歌友を葬らんとする読経に 悔いなき過去と強いて思わん

父は、大好きだったお姉さんを若くして亡くし、両親を亡くし、親友を亡くし、その度ごとに歌を詠んでいた。自分の愛する者、大切な人を亡くす度に、その人にまつわる歌を何十篇も書き綴っていたのだ。

それが、父の愛する者たちへの供養だったのだろうし、父もまた鎮魂歌を詠むことによって、自分の悲しみを癒してきたのだろう。

私も、私の人生に深く関わってくれた家族や友人や師など、愛する者、大切な人が亡くなった時には、その人のことを小説やエッセイ、あるいは詩や短歌にして残したい。

その人が、確かに、この世界に生きていたという証・・・その人生を、その愛を、その英知を、私は書きたい。去り逝く人への鎮魂歌一私の魂が最も書きたいのは、それなのかも知れない。

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人が、人でなくなるのは自分を愛することをやめた時

okabe20a.jpg昔、昔、大昔。私はいわゆる文学少女だった。好きな童話や小説や詩を読んでいると、ただそれだけで私の心は満たされ幸せだった。

いまだに心が小さく波立っている時などは、一人で好きな詩を朗読する。そうすると心はいつの間にか静かになっていくから不思議。

時々、ワークショップで、詩の朗読などをしてもらうときがある。それぞれのグループで各自が、自分が好きだと思った言葉、共感するセンテンスを朗読すると不思議とグループ全体のハーモニーが奏でられるのだ。

言葉の上っ面を読むのではなく、一人ひとりがその言葉にこめられた作者の魂、いのちの息吹、人生を感じて朗読してもらうと、読み手のそれぞれの個性と人生が見事に浮かび上がってくる。

そんなハーモニーを聴くと私はいつも思う。一人ひとりが自分の色で生きることが、本当は全体と調和して、心地よく美しいことなんだなあって。

それはまるで、それぞれの色で咲いている小さな野の花たちを摘んで花瓶に生けた時に、その見事に調和したひとつの美に感動するのに似て。

各グループのエネルギーを感じると、どの詩がそのグループにぴったりなのかがなんとなく直感で感じられる。新川和江の「私を束ねないで」と、吉野弘の「奈々子へ」という詩は特に人気がある。

      < わたしを束ねないでください >       新川和江


わたしを束ねないで あらせいとうの花のように
白い葱のように 束ねないでください
私は稲穂 秋 大地を焦がす 見渡す限りの金色の稲穂

 

わたしを止めないで 標本箱の昆虫のように 高原からきた絵葉書のように 止めないでください

 

わたしは羽ばたき こやみなく空の広さをかいさぐっている
目には見えないつばさの音

 

わたしを注がないで 日常性に薄められた牛乳のように
ぬるい酒のように 注がないでください

 

わたしは海 夜とほうもなく満ちてくる 苦い潮 ふちのない水

 

わたしを名づけないで 娘という名 妻という名 重々しい母という名でしつらえた座に 座りきりにさせないでください

 

わたしは風 りんごの木と泉のありかを知っている風

 

わたしを区切らないで コンマやピリオド いくつかの段落
そして おしまいに「さよなら」があったりする手紙のようには こまめにけりをつけないでください

 

わたしは終わりのない文章 川と同じに
はてしなく流れていく 拡がっていく 一行の詩

 

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       < 奈々子へ >        吉野 弘

赤い林檎の頬をして 眠っている奈々子
お前のお母さんの頬の赤さは
そっくり 奈々子の頬にいってしまって
ひところのお母さんの つややかな頬は
少し青ざめた

 

お父さんにも ちょっと酸っぱい思いがふえた
唐突だが 奈々子
お父さんは お前に多くを期待しないだろう

 

人がほかからの期待に応えようとして
どんなに自分を駄目にしてしまうか
お父さんは はっきり知ってしまったから

 

お父さんが お前にあげたいものは
健康と 自分を愛する心だ

 

人が人でなくなるのは 自分を愛することをやめた時だ
自分を愛することをやめる時
人は他人を愛することをやめ 世界を見失ってしまう
自分があるとき 他人があり 世界がある

 

お父さんにも お母さんにも 酸っぱい苦労がふえた
苦労は 今は お前にあげられない

 

お前にあげたいものは 香りのよい健康と
かちとるにむずかしく はぐくむにむずかしい
自分を愛する心だ


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             <  お 知 ら せ  >

*4月28日(土)
 愛知県岡崎市の古民家カフェ「石原邸」で交流会があります。
 テーマは「風のように 水のように 流れのままに 自分のままに」
      
  http://anatase.net/event.htm

*4月29日(日)・30日(月・祝日)
 愛知県名古屋市で開催されるワークショップはあと2名で定員になります。
 定員オーバー後にお申し込みされた方は、キャンセル待ちになりますのでご了承ください。 

  http://anatase.net/work1.htm

悲しみから逃げているから、悲しみが追いかけてくる

okabe19a.jpg前々回のコラムに書いた芳村思風先生の盟友に行徳哲男先生(日本BE研究所所長・教育者)という人がいる。私はずい分前に、行徳先生の研修を受けたのだが、私はいままで生きてきて、こんなに強烈な存在感をもった人に出会ったことがない。

行徳哲男先生に会った時、私は心底驚いた。存在がメチャ濃い。濃過ぎる。ついでに、顔も情も髭もすごく濃い。先生に出会った瞬間、私は、いきなりカウンターパンチをくらった感じがした。とても70代とは思えないパワーとバイタリテイ。行徳先生というと、なぜか、そのイメージが四字熟語で次々に出てくる。

まさに豪放磊落、天衣無縫、泰然自若、意気軒昂、唯我独尊。先生の厳しさの奥にある、底知れない大きな愛と人間くさい情の細やかさ。人の痛みや悲しみにこれほど共感同苦し、その人の魂の叫びや願いを引き出す力は本当にすごいと思った。

「現代人の最大の病は、感受性微弱、シリアス(深刻)病です。みんな感じることを忘れて考えてばかりいる。感じている自分こそがまぎれもない自分なんですよ。考えるから動けなくなる。考えるから臆病になる。考えるから不安になってしまう。考えるから深刻になる。考えて解決したことなど今までありますか。考えれば考えるほどわからなくなるでしょう」

「人の目、世間の目ばかり気にし、人にこう思われたい自分、こう見せたい自分ばかり作って生きているからみんな自分がわからないんです。人が自分をどう見ているのか、自分は人からどう思われているのかの方が、自分が自分を生きることよりも大事になってしまっている。これでどうやって自分の人生が生きられますか。誰が自分の人生を生きるというのですか」

「正しいか間違っているか、善か悪か、損か得か、そんな理性の物差しだけで生きているから人生がつまらなくなるし、スケールの小さい人間になってしまうんです。一度ちゃんとわがままに生きてごらんなさい。楽しいか、楽しくないか、好きか、嫌いか、快か、不快か、面白いか、面白くないか、やりたいか、やりたくないか、行きたいか、行きたくないか、そんな感性の物差しで生き始めたら人生が楽しくてしかたないですよ。自分に正直に生きている人間というのは、人がその人らしく生きていることも認めることができるものなのです。我なればこそ、あなたなればこそ、だからです」

「悲しみから逃げているから悲しみが追いかけてくるんです。心の痛みというのは、逃げないでその中に飛び込んでみれば自然に流れていくんです。自分のどんな感情も粗末に扱ってはいけませんよ。自分が不鮮明になりますから」

私は子供の頃から我慢強くて泣かない子だった。感動の涙はすぐ出てくるのだけれど、心に痛みを覚える感情は、歯をくいしばってこらえてきた。その我慢強さを自分の大きな長所だと思ってきた。私は、痛みを感じないようにして前に進むという方法しか知らなかったのだ。

抑圧され続けてきたマイナスの感情は出口を失い、体や心を病ませるということを自分が病気になってはじめて知ったのだ。感情はエネルギーそのものだから、滞ってしまったら病むのだ。水が流れなくなったら澱むように。

忍耐力、我慢強さは、社会で生きていく上ではある程度必要なことだが、どんなことであれ、それが過剰になればバランスを崩しているよというサインを出してくるのだ。適応が、過剰適応になれば自分を見失うように。いのちは絶え間ないバランス感覚の上に成り立ち、恒常性の原理の元に私たちをたえず中庸にもっていこうとするけなげな働きをしてくれているのだ。

私が行徳先生の研修を受けたときは、道を失い、途方に暮れている時だった。やっと自分のライフワークを見つけて、その仕事を一緒にやるパートナーにも出逢え、素晴らしいスタッフにも恵まれ順調に仕事が進んでいたのに、そのパートナーが一緒に仕事をやり始めて僅か3年半で、病気で突然他界してしまったのだ。

あまりのショックに立ち竦んでしまい、しばらく身動きできなかった。いろいろなことを乗り越えて、やっと自分が本当にやりたい仕事にも出逢えたのに・・・。なんで人生にはこんなに次々と試練がやってくるのか。人生の試練の意味はすでにわかってはいたけれど、感情が納得できなかった。

そんな時期に行徳先生の研修を受けたのだ。こらえていた涙が振り絞るようにして流れてきた。怒り、くやしさ、自責、悲しみ、寂しさ・・・いろいろな感情があふれてきた。

人は、深い悲しみを悲しむ力がないと、本当の意味で立ち直ることはできないのだと思う。先生は、人があまりに痛くて、その悲しみから逃げているものに直面させる。その人の中にある深く悲しむ力を引き出して、真に立ち上がらせるのだ。そして、その人本来の自分、無垢な心を思い出せる。

泣き疲れてぼーっとしていたら、行徳先生に「お、やっと童女の顔が出てきたな。その顔こそが、本来のあなたの顔なんだよ」と言われた。

「自分の中を見る、内側に向かうということを始めた人は、ただもうそれだけですごいことなのです。素晴らしいんです。中を覗けば痛みがいっぱい出てきます。自分のいやなところも見えてきます。封印してきた悲しみが噴出してきます。でもそれを見ることができるのは、勇気がある人だけなんです」

「自分探しというのは、実は、“自分に帰る”ということなんです。それはある意味、幼心に戻ることと言っていい。四国の宇和島に、蓮華寺という寺がある。その山門には、“人間にとって最も大切なもの、それは、童心を忘れないこと。童心とは、神に最も近く接する姿である”と書いてある。人は、子供心に近づけば近づくほど、神さまと一緒になれるということです。人間的に魅力がある人というのはみな、どこかしら子どもっぽさ、あどけなさ、無邪気さ、ちゃめっけ、純粋さをもっています。そして、それは、長生きの秘訣、健康の秘訣、いきいきと輝いて生きる秘訣でもあるんです」

私は行徳先生にこの話を聴いていた時、あのイエスの言葉を思い出した。「幼子のような者だけが神の王国に入れる・・・」

幼子のような人とは、一度ちゃんと大人になって、大人として生きて、再び子供になった人、再び無垢になった人なのだろう。赤ちゃんが無垢なのはそのままだ。なんの努力もいらない。

でも、人間の世界の汚さ、醜さ、自分の心の修羅にもとことん向き合って、そしてもう一度、純粋さ、無垢さに戻ってきた人の透明感は途方もない。まさに泥の中で咲くあの美しい蓮の花のようだ。

俗世にいながら俗世を超えて生きている人。耐え難いほどの現実の重さを抱えているにも関わらず、それでもただ淡々と生きている人。大人でありながら子供のような純粋さをもっている人。自分を小さくできる大きな人。すでに悟られているのにその辺のおじさん、おばさんと何ら変わらず“普通の人”として生きている人。汚泥のような人間の心を熟知しながら、それでも人間を、この世界をこよなく愛している人。いるだけですごい存在感のある人。そんな途方もない人間が時としているものだ。

行徳先生は、その途方もない、いや、とんでもないお方の一人である。先生は、高血圧で心臓の病気もあり、いつ心臓発作が起るかわからないので、いつもニトログリセリンを持っているのだという。

「私は、心臓病という病気は持っているが、全体の私はこんなに元気です。病気を持っていたって人は元気に生きられるんです。全体を見ることが大事なんですよ。部分にとらわれていると大事な全体を見失います。元気も自然、病気も自然、老化も自然、死も自然。すべてが生きているものの自然の姿、自然の出来事です。でも、自分が自分の人生を生きていないことは不自然なんです」

行徳先生は、まさにいのちがけでお仕事をされているのだ。いや、いのちがけなんていう深刻さは、行徳先生にはない。ただ、いのちを燃やして生きている、完全燃焼の人生なのだ。

私はこれまでたくさんの先生に学んできたが、理論、技法、在り方として最も学ばせていただき、影響を受け、かつ親しくおつきあいさせていただいているのが、3回連続でこのコラムに書いた芳村思風先生、手塚郁恵先生、行徳哲男先生だ。ご縁があったのだと思う。

自分の道に押し出してくれたのが、芳村思風先生、手塚郁恵先生、自分の歩き出した道に躓き、途方に暮れていたときに、再び、歩き出す勇気をくれたのが行徳哲男先生だった。

私が、行徳先生のお話の中で最も好きなのは、先生が大好きだという弥勒菩薩の話だ。

・・・・    ・・・・    ・・・・・   ・・・・・

私は、苦しい時、つらい時、どうしていいかわからなくなった時は、京都の広隆寺にある弥勒菩薩に会いに行くんです。何時間でも弥勒菩薩の姿を眺めるのです。すると不思議に気持ちが和らいでくる。時には涙さえ流れる。私には、その訳がわからなかった。

その訳を教えてくれたのが、ドイツの哲学者、カール・ヤスパースです。世界中の仏像を研究していたカール・ヤスパースは、弥勒菩薩を見てこう言ったのです。

世界中にある仏像の中でも、これほど美しい微笑の菩薩、これほどいい姿、いい顔をした仏像はない。しかし、これほどの顔になれるのは、たくさんの過ち、罪、悪、失敗を犯した人間でなければ、こんな顔にはなれないと言ったのです。

この姿こそ、人間が到達しうる最高の姿であると。本当にその通りだと思いました。だからこそ、こんな、私のような間違いだらけ、失敗だらけ、罪や過ちばかりの、こんな自分さえ、弥勒菩薩は許してくれる。

その深い深い慈悲の心を感じるからこそ、私は弥勒菩薩が好きで好きでたまらなかったのだということがわかったのです。


・・・・・  ・・・・  ・・・・・  ・・・・・  ・・・・・


私は、友人を誘って広隆寺の弥勒菩薩に会いに行った。弥勒菩薩を見ていたら、脚が床に張り付いたようになり、その場を動くことができなくなった。

気がつくと私は静かな涙を流していた。自分が泣いていることさえ最初は気づかずにいた。これほどの美しい微笑みが、人間の持つあらゆる煩悩や過ちを犯した人間でなければ到達できない姿だなんて・・・。

泥水の上に咲くあの美しい蓮の花・・・泥水の意味、泥にまみれた時間が育てるものは何かということを初めて知った瞬間だった。

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 <  お 知 ら せ  >

*4月28日(土)
 愛知県岡崎市の古民家カフェ「石原邸」で交流会があります。
 テーマは「風のように 水のように 流れのままに 自分のままに」
      
  http://anatase.net/event.htm

*4月29日(日)・30日(月・祝日) 
 愛知県名古屋市でワークショップがあります。   
 テーマは、「心の声に耳を澄ませて」です。

  http://anatase.net/work1.htm

人は、自分にできないことは夢みない

okabe18a.jpg私がワークショップなる体験と学びの場を初めて知ったのは、12年前、手塚郁恵先生(公認ハコミセラピスト)がやっていらしたワークショップだった。それまでの私が知っていた学びの場は、先生と呼ばれる講師が一段高い所に立って、受講生や参加者に対して、新しい知識、情報、様々なスキル、成功哲学、問題解決の方法や答を教えるといった一方通行の情報伝達だった。受講生はどこまでいっても受身で、講師と受講生には上下関係があった。


ところが、手塚先生のワークショップは参加した一人ひとりが主役で、「今・ここ」での自分の体験、体感、実感からの“気づき”を大切にする学びの場だった。私にとって人生で初めてのワークショップ体験は本当に新鮮だった。


自分を知る、自分を学ぶというプロセスが本当に面白かった。もちろん、楽しいだけでなく、封印していた心の痛みにもたくさん触れたから涙もいっぱい流したが、それ以上に自分がどんどん解放されて、自由になっていくのがうれしくてたまらなかった。


私が自己探求を始めるきっかけになった最初のワークショプのファシリテーターが手塚先生だったことは、私にとってとても幸運だったと思う。なぜなら、手塚先生自身、乳がん(両方)、子宮がん、胃がんの体験があり、特に胃がんなど、ステージ4の末期がんだったという。


そこから生還されて20年以上たっているという事実は、当時の私にとって何よりの希望の光だった。手塚先生が、もう一度この世界に戻ってこられたのは「私はこの世でやるべき自分の仕事をまだやっていない。私はまだ本当の自分を一度も生きていない。このままでは私は死ねない」という熱い思いだったという。


私も、自分の死を目の前に突きつけられた時に、同じことを思った。そして同時に何者かから、私自身が厳しく問われていることを感じたのだ。


「あなたは、今まで何を求めて生きてきたのか」
「あなたは、本当に自分のやりたいことをやって生きているのか」
「あなたは、その生き方で、本当にいい人生だったと思って死ねるのか」
「あなたは、何をするために生まれてきたのか」


この厳しい問いかけは、私の心の深い部分に刻み込まれた。平凡な日常の小さな幸せを感じている時でも、子供の健やかな成長を目を細めて喜んでいる時でさえも、この問いかけは、私の中で失われることなく生き続けていたのだ。


私は、何回かの参加の後、手塚先生のワークショプのお手伝いをしばらくさせていただくことになった。ある時、手塚先生が「明美さんは、本当は何がやりたいの?」と尋ねられた。私はこの時、思わず「手塚先生みたいな仕事がしたいです」と言ってしまったのだ。


言った後、恥ずかしくて涙がでてきた。身の程知らずもいいとこだと思ってしまったのだ。人間の、こんな深みに触れていく大変な仕事など、私なんかにできるわけがないのに、なんて恥知らずなことを口走ってしまったのかとものすごく後悔してしまった。


そうしたら、手塚先生は、「人は、自分ができないことは夢見ないのよ」と言ってくださったのだ。そして「明美さんの経験そのものを活かして、明美さんらしさを生かした仕事を作っていけばいいじゃの」という励ましのメッセージも下さったのだ。手塚先生のこの言葉が、この時の私にどれだけの勇気を与えてくれたことか。


そうか、人は自分にできないことは夢見ないのか。確かに私は今までの人生でただの一度も、画家やダンサー、建築家や音楽家やスポーツ選手になりたいと思ったことがない。考えてみれば当たり前なのだ。自分に全く才能も与えられていないものに対してやる気や興味なんて湧いてくるはずないもの。


でも、物書きや編集者、教師や研究者、プロデューサーやコーディネーターやカウンセラーになりたいと思ったことはある。だから、そういう仕事は確かにやってきた。まったくやってこなかったのは、この中でカウンセラーなどの援助職の仕事だけだ。


私があのとき、セラピストであり、カウンセラーであり、ワークショップのファシリテーターである手塚先生と出会ったのは、いまだ実現していない私の夢のかけらが出会いを引き寄せたのかも知れない。


人が、こういう自分になりたい、こういう自分でありたい、こんな仕事をしたいと思うのは、いのちの中に“潜在能力”としての種がすでにあるからこそ、そういう欲求が湧き上がってくるのだろう。あとは、その潜在能力をどう磨き続けるかだけなのだ。


私は、私自身にしか咲かせることができない“いのちの花の種”に、いっぱい水や光をあげようと思った。


「よし、私は、自分の人生の応援団長になろう!」


私の人生を豊かにし、面白くし、幸福にする“魔法の杖”は、自分のいのちの中にちゃんと潜んでいるのだもの。“転ばぬ先の杖”だけじゃ、人生は面白くないから。


私は、手塚先生に出会って、学ぶということは、なんと楽しいことなのだろうと思った。人間は学べば、学ぶほど、成長すればするほど、人生が豊かになり自分の内側が深く満たされていくのだと思った。


誰かによって、何かによって得られる満足感や幸福感は、いつなんどき満たされなくなるかも知れないし、突然失うかも知れないのだ。しかし、自分が学び成長し、目覚めていくことで得られるこの満たされた感覚、自由の感覚は、外側の何かに、誰かに依存しないでもいい幸福感なのだ。


「生きることは、絶えざる気づき、新たな発見、成長と変容の連続です。だからこそ喜びがあり、感動があり、発展があり、創造があるのです。そのプロセスを生きるということが人生なのだと私は思っています。私も変わり続け、成長し続けています。これからも私は成長し続けていくでしょう」


60代の時にこう言っていた手塚先生は、70代に入ってからも、「私には、まだまだやりたいことも、学びたいこともたくさんあるの」と言っているのだ。本当にすごいなあと思う。人は学ばなくなり、感動しなくなった時から、老いが始まるのだろう。


手塚先生は、「私が本当にやりたい仕事に出会ったのは50歳を過ぎてから」と言っていたけれど、それは、手塚先生自身が40代までの人生や仕事を一生懸命にやってこられたからこそ出会えたのだと思う。


人はみな、人生のその時々で、学ぶべきことを学び、やるべきことをちゃんとやり続けていれば、それがすべて“人生の堆肥”となって、道が自ずと用意されるのではないだろうか。自分の準備が整った時に、思いもかけないような大切な出会いが起こるというのはそういうことなのだろう。


そして、どの道を選ぶかは、まさにその人いのちの道筋がちゃんと知っていて最適の道を選ぶような気がする。


私も、手塚先生が末期がんになった時に思われたように「この世でなすべき自分の仕事」を見つけたいと心の底から思い、そのためのさらなる学びの道に歩み出す決心をしたのだ。その道は、その本当の深さが想像できないほどに深く神秘と冒険と愛に満ちた道だった。もちろん、この道は、永遠の旅の途上であるのだが・・・。


そう言えば、私は、青春時代、自分の生きたい人生をイメージしていた時に突然、「根っこと翼」という言葉が浮かんできたことがある。根っこというのはこの大地という現実にちゃんと根を生やし、日常、暮らしを大切にしながら、家族や友人たちと一緒に幸せになっていきたい、ささやかな喜びを分かち合う人生を生きたいという気持ちを表していたのだと思う。


そして、翼というのは、同じ“夢や志”をもつ人たちと力を合わせて、人の喜びや幸せに貢献する仕事をしたいという気持ちを表していたのではないかと思う。私は、この大空を飛びたい。自由に、のびのびと、軽やかに。そして限りある生を、限りない空に解き放ちたい。


私のいのちが輝くことが、誰かのいのちの輝きにつながる。私の喜びが、誰かの喜びにつながる。私の幸せが、誰かの幸せにつながる。そんな、生きる喜びや幸福感を人と分かち合える仕事を見つけたいと心の底から思った。


当時、心の深い海に漕ぎ出した私の目の前には、遥かなる大海原が広がっていて、この大海原は、心の世界を超えて、私を遥かなる魂の旅路まで誘った。


今私は、12年前に願った通り、想った通りの仕事をさせていただいている。人生は“思い通り”にはいかないけれど、“想いの通り”にはなるのだということを最近つくづく感じている。

《 わたしが わたしであることを 》

わたしが わたしであることを

こころから うれしいと感じるとき

あなたが あなたであることを

心から 喜べる

            

わたしが わたしを生きて

わたしのこころがみたされるとき

あなたが あなたを生きるのを

こころから いいな と感じる

そんなとき 自分をひととくらべる必要もなく

ひとのようになる必要もない

 

ほめられても けなされても

わたしは わたしを生きるだけ

 

わたしが 生まれてきたのは

わたしを生きるためだし

あなたが 生まれてきたのは

あなたを生きるためなんだよね

「こころ ことば いのち  ~ ハコミの風にのって ~」

  (手塚郁恵著  春秋社)


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< お知らせ >

*4月28日(土)に、愛知県岡崎市の古民家カフェ「石原邸」で、私のお話と交流会があります。

     http://anatase.net/event.htm


*4月29日・30日にワークショップが名古屋市内で開催されます。

     http://anatase.net/work1.htm

プロフィール

岡部 明美岡部 明美

ワークショップ・トレーナー/セラピスト/カウンセラー/研修講師/文筆家/東海ホリスティック医学振興会顧問。

独身時代は、シンクタンクにてマーケティングプロデューサーとして活躍。30代半ばで結婚。長男出産直後に脳腫瘍と水頭症を発病し生死を彷徨う。自分の死に直面するという体験を通して、いのちの根源からの問いの答を求めて自己探求の道に歩みだす。著書に「もどっておいで私の元気!」(善文社)「私に帰る旅」(角川学芸出版)

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