岡部明美のスピリチュアルな旅で出会った”もの・人・場・言葉たち”

2007年06月

さようなら - Good Bye

okabe37a.jpg前々回と前回のコラムは、自分の信念が人生に与える影響について書きました。信念には、自分を支え、奮い立たせ、壁を乗り越えさせてくれる「魔法の言葉」になるもの、自分をいきいきと輝かせ、成長させる「人生の杖」になるもの、つまり、自分にとって“益”になるものがあります。


しかし、一方で人は、“無意識”に思い込んでいる否定的自己イメージや、こうあるべきという「理想的自己像」、一見ポジティブに思える信念の奥にある「脅迫的な思い込み」が、自分を小さくしたり、怯えさせたり、追い込んでしまう“害”や“毒”になるものもあります。


後者の方は無意識レベルに潜んでいるものであるため気づくことがなかなか難しかったりしますが、もし、自分の人生が悪循環を繰り返していたり、いきいきとした自分を生きられてないと感じる場合は、自己の内側にあるものを深く感じ、洞察し、気づいていく必要があるでしょう。今回は、後者の事例をもう少し具体的に書いてみたいと思います。


無意識レベルでの「否定的信念」、間違った思い込み、決め付けには、“気づき”という「意識の光」を当て、その否定的信念との“自己同一化”から離れることが自由への道の第一歩です。同化している限り、その信念に自分が振り回され、人生が支配・コントロールされ、自分が自分の人生のマスターになれないからです。


人の心の中には、灯りのともっていない暗い部屋がいくつかあります。仏教で言う「無明の世界」です。無明という闇は、意識・光の不在です。この暗い部屋の中には、置き去りにされ、その存在すら認めてもらえなかった自分の一部、無視されたり、大切にしてもらえなかった自分の一部が放置されたままになっていて、その部屋の中にいる自己の一部が人生に暗い陰を落としているのです。


この暗い部屋の中にうずくまったまま、息を潜めて生き続けている自分の一部を抱きしめ、救ってあげないと、無意識的、自動的、習慣的な反応パターン、行動パターンを繰り返してしまいます。


無意識に生きていると、新しい人生の選択はできず、自分が本当は生きたい人生に歩み出すこともできず、過去からやってくる反応そのものに自分が苦しみ続けてしまいます。


人は、事実そのものより、その事実に対する自分の“反応”に苦しんでいるということの方が多いのです。エゴというのは、自己中心性や我欲だけではなく、過去の記憶を「今・ここ」に持ち込んだことによって自動的にやってくる判断・分離感・孤独感・無力感なのです。


これは持ち込んだ瞬間にわかります。自分のエネルギ―が収縮する感じ、自分が小さくなって、ひきこもって、無力な感じになるからです。しかし、意識を「今・ここ」にとどめ、思考の絶え間ない判断から自由になると意識がふわーっと広がっていきます。そして、何の制限もない広大無辺の空につながっている自己の本質を感じることができます。


意識的に生きたい、人生の新しい扉を開けたい、繰り返す反応パターンから無意識にやってしまうドラマやゲームをやめたいと思った人は、その暗い部屋の存在を認め、中に入っていく必要があります。そこには傷ついたまま何の手当てもされずにうずくまったままの自分を発見するでしょう。


その置き去りにされた自分、封印されて、その存在すら認めてもらえなかった自分、一度も大切に扱われたことがない自分の一部は、他の誰よりも、自分自身によって灯りをともしてもらい、「そこにいたんだね」「ごめんね。ずっとひとりぼっちにさせて」と声をかけてもらえることをどれだけ待っていることでしょう。

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30代後半のとてもきれいで、仕事もできて、魅力的な女性が個人セッションを受けにいらっしゃいました。彼女はずっと結婚したいと思いながらも、彼ができても長続きしません。おつきあいをして半年もすると、いつも同じようなトラブルを作って自分から去ってしまうのです。


彼女とセッッションをしていて浮かび上がってきたことがあります。それは、彼女が20代前半の頃のことです。彼女にはとても深く愛し合っていて、結婚を約束していたパートナーがいました。でも、その彼が突然白血病で亡くなってしまったのです。


彼女は、彼を亡くした後、数年の間欝状態だったそうです。セッションを進めていくと、「こんな悲しい思いをするくらいなら、私はもう二度と男の人を愛さない」「私が、結婚したら、亡くなった彼が悲しむ。彼を裏切りたくないから私は結婚はしない」と、あの時、無意識に決意したことが蘇ってきたのです。彼女は、彼を亡くした悲しみを封印して生きてきたので、そんなことを自分が無意識に決意したことすら覚えていなかったのです。


つまり彼女は、表面意識では、どんなに結婚したいと思っていても、無意識レベルでは、結婚して幸せになることを自分に許していなかったのです。でもセッションを進める中で、亡くなった彼がどんなに彼女に幸せになってほしいと思っているのかを感じられた彼女は、やっと幸せになることを自分に許したのです。彼女は数年後に結婚して、今は幸せな家庭を築いています。


また、ある男性は、仕事で成功しそうになったり、トップリーダーになる寸前になると、いつも邪魔が入ったり、事故や病気、大きなトラブルが起きてきて挫折するということを繰り返していました。


彼の中に埋もれていた無意識の信念は、「目立ったらイジメられる。一番になったら仲間はずれにされる。無視される」という思い込みでした。彼は、小学校からずっと優等生で何をやっても一番でした。しかし、中学に入ったら、自分と同じように何をやっても1番だったという同級生がクラスのボス的存在として君臨していて、そのボスがクラス中の同級生に彼を無視するように命令したのです。


彼はクラスで誰も自分と話をしてくれず、無視され、友達のいない寂しい学校生活を送ったのです。それは彼にとって思い出すのもつらい記憶でした。しかし、あの時の体験が、「一番になってはいけない。目立ってはいけない。トップに立ってはいけない」という無意識の決意だったのです。


その結果、社会に出て仕事をするようになっても、成功寸前、トップリーダーになる寸前になるとわざわざ失敗することを無意識が創造していたのだということに気づき、彼は、その信念の書き換えをしました。今はリーダーとして仕事もうまくいき、ビジネスマンとして成功しています。


もうひとり、冷え切った夫婦関係に絶望している女性がいらっしゃいました。夫に触れるのも、触れられるのもいやと彼女はいい、仮面夫婦を数十年やってきたといいます。セッションを進めていくと、彼女の深い悲しみが浮上してきました。


彼女の息子さんが、5歳の時に自分の目の前で交通事故にあって急死してしまったのです。その時、夫は、息子を突然亡くしてしまったことへの憤りと深い悲しみを思わず奥さんにぶつけてしまい、「お前が殺したんだ!」と奥さんに言ってしまったのです。


その瞬間、彼女の心は凍りついてしまったのです。状況からすると彼女のせいで息子さんが亡くなったわけではないのですが、彼女は自分を責め続けました。自分のせいで息子が死んだと思いこんでしまったのです。


でも、セッションを進めていくと、彼女のさらに深いところから出てきた思いは、それでも、夫を愛しているという思い、もう一度昔みたいな仲のいい夫婦にもどりたいというのが、彼女の最も深いところから出てきた願いだったのです。


私は、ご主人のセッションもさせていただいたのですが、やはりご主人も、あの時、奥様にひどい言葉を投げつけてしまった自分を責め続けていたことがわかりました。


そして、あの時ご主人は、「覆水盆に返らず」と思い込んでしまい、「一度吐いてしまった言葉は取り返しがつかない」「自分たちはもう二度と昔のような仲のいい夫婦には戻れないのだ」と思い込んでしまったのです。


でも、最後にご主人の深いところからこみあげてきた気持ちもまた、やはり奥様を今でも愛していて、できることならまた昔のような仲のいい夫婦に戻りたいという願いだったのです。


息子を亡くした悲しみに触れるのがつらくて互いに背を向けていたのですが、本当は二人とも寂しくてたまらなかったとおっしゃっていました。でも、二人とも自分からは心を開くことができずにいたのですが、勇気を出して、自分の傷や痛みや恐れをさらけ出して、もう一度つながり直しをすることを選択されたのです。


私はお二人に、以前のコラムに書いたコクーンの歌「傷だらけのエンジェル」をお聞かせしました。お二人は、この歌が大好きになり、今では二人で一緒にコクーンのCDを聴いたりコンサートに行ったりしています。


コクーンの「傷だらけのエンジェル」という曲は、先天性の病気で息子のひかる君をわずか4ケ月半で亡くしたキーボード奏者、本田裕子さんのひかる君への思いを唄った歌です。


裕子さんは、結婚して、かわいい娘が生まれ、その後、念願の男の子も産まれ、「すべてのしあわせを手に入れた」と思うほど、歓びの日々を生きていました。しかし、赤ちゃんだったひかる君は、度重なる手術で、本当にからだ中、傷だらけ、チューブだらけのからだになって亡くなっていったのです。


「傷だらけのエンジェル」というタイトルは、文字通り、傷だらけのからだで亡くなっていったひかる君のことを表しているのです。赤ちゃんのあのかわいらしい柔肌にいくつものメスが入り、傷だらけの姿になっていくのを見ることは母親としてどれほどつらいことだったでしょう。


裕子さんは、ひかる君が天に召された時に、どこからともなく美しいメロディが流れてきたのだと言います。それは当然みんなにも聴こえていたと思っていたのに、後で聞いてみると家族の誰もそんなメロディなど聴いていなかったのです。


「傷だらけのエンジェル」のメロディは、あの時、裕子さんに聴こえていたものだったのです。ひかる君はわずか4ケ月半の人生だったけれど、すごい使命をもって生まれた魂なのだと思います。使命とは生きて果たす使命と、死をもって果たす使命があるのかもしれません。


幼くして亡くなった子供、不慮の事故で亡くなった人、若くして亡くなった人、無慈悲、不条理な出来事によって亡くなった人というのは、自分と深いつながりのあった人たちに、神への道を歩ませようとしているのではないでしょうか。


神への道というのは、愛と許しと慈悲への道に他なりません。コクーンのライブでは、誰しもが何かの曲で泣いてしまいます。前回のコラムに書いた24歳の青年は、「I will フォーラム」でコクーンが歌った時、「ごめんね」という曲で泣き崩れていました。


裕子さんは、ひかる君が病気で亡くなったにも関わらず、やはり、自分が死なせてしまったのではないかと自分を責め続けたといいます。そして、「こんな自分は幸せになんかなってはいけない」と思い込み、好きな音楽などをやって人生を楽しむ自分など許せなかったと言います。


しかし、ボーカルの悠里加さんとの運命的な出会いがあって、もう一度大好きだった音楽の世界に歩み出したのです。


コクーンは、ひかる君の死=愛に深く支えられているバンドです。ひかる君は自らの死をもって、「お母さん、自分も周りの人たちも幸せになるような歌を創って! もう一度お母さんが大好きな音楽をやって!」と伝えたかったのではないでしょうか。


私は、裕子さんにこう言いました。


「ひかる君は、まさに神さまの子供、天使としてこの世に生まれ、裕子さんの魂が本当に求めている音楽の道に押し出してあげたように私には思えるの。ひかる君は、見えないからだになって、コクーンの歌の中で永遠に生き続けているのよ」


裕子さんはこう言います。「“傷だらけのエンジェル”だけは、何度歌ってもどうしても涙が出てくるの。悲しみはなくならないのね。ただ、悲しみとのつきあい方がうまくなるだけみたい」と裕子さんはポツリと呟く。


さよならの悲しみは、時が癒してくれると言うけれど、自分の子供を亡くした親の悲しみというのは、決して癒えることはないのかも知れない。その深い深い悲しみこそが、逝ってしまった我が子へのまぎれもない愛なのだから。


そう言えば、英語の「Good-Bye」の語源には、「神があなたと共にいるように」とか「神さまそばにいて」という意味があるというのを聞いたことがある。人は「さよなら」という喪失の悲しみに打ちのめされ、立ちすくんでいる時に、“神さまそばにいて”と心から願うからだろうか。あまりの淋しさ、悲しみに耐え切れなくて。


悲しい時は、涙をこらえないで思いっきり泣けばいい。その涙がひとつの歌になるまで、一編の詩、ひとつの物語になるまで泣き続ければいい。人は、身が引き裂かれるような別離を体験する度に、強く、そして、優しくなっていくのかも知れない。


深い悲しみの奥には、人としてのもっとも美しいものやあたたかな愛があるような気がする。人は、Good-Bye、「さよなら」を重ねる度に大人になっていく。悲しいさよならの涙を流すごとに、人はだんだん神さまに近づいていく。

《 傷だらけのエンジェル 》


作詞・作曲/本田裕子 歌/コクーン


 1  傷だらけのエンジェル きみが 目の前に降り立った日から
    すべての幸せを 手に入れたと思っていた


    傷だらけのエンジェル きみを ガラス細工より脆い きみを
    どんな宝を投げ打ってでも 守り通したかったのに


    きみが天に舞い戻った日 私の時間が止まった
    悲しみが大き過ぎて 心の片隅じゃ しまいきれない


    本当の天使っているんだね
    お星さま お願い 夢の中で 会わせて お願い


 2  傷だらけのエンジェル きみと 過ごした短い季節は
    この夏の日より輝いていた 決して無駄にはしないから


    傷だらけのエンジェル きみは 何も話はしなかったけど
    わかってたよ 刻(きざ)んでおくよ 伝えたかったメッセージ


    きみが天に舞い戻った日 きれいな歌が流れてた
    悲しみが大きすぎて 心の片隅じゃ しまいきれない


    本当の天使っているんだね
    お星さま お願い いつかきっと 会わせて 
    お星さま お願い
    傷だらけのエンジェル きみが 目の前に降り立った日から


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 < お 知 ら せ >

* 7月27日(金)~29日(日)、那須で行われる2泊3日のワークショプはまだ若干残席があります。

* 8月4日(土)、京都で講演会があります。

* 8月25日(土)心身のリラクゼーションとメディテーションの会「シャンテイ」の第二回目があります。シャンテイとは、サンスクリット語で、平和・やすらぎ・静寂という意味があります。6月23日の第1回目は満席になりありがとうございました。参加者の感想文は下記です。

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=20009029&comm_id=982903

* 詳しくはホームページをご覧ください。

岡部明美の公式ホームページ:http://anatase.net/

人間って、愛が形になった存在なんだ!

okabe36a.jpg私が子供の頃、酒乱の夫に苦しみ続けた母は、毎日、毎日、私に父の愚痴をこぼしました。父はお酒を飲んでいない時は、生き仏みたいな善人ですが、お酒を飲むと人が変わったように荒れました。


 
 
 
父のお酒によって我が家は一瞬にして修羅場と化しました。でも私は、父がどんなに大声でわめき散らそうが、電球や窓ガラスをこわそうが、父が大好きでした。だから父の悪口を毎日母から聞かされることはとてもつらいことでした。


母のつらさも痛いほどわかるのですが、私には、ここまで正体不明になるほどお酒を飲まずにはいられない父の弱さも悲しみも辛さも感じていたので、子供時代は、二人の間で引き裂かれそうな思いをしながら育ちました。いつも、「家族が崩壊してしまうのではないか」という不安の中で生きていました。

父の愚痴を毎日聞かされ続けた私の中には、いつの間にか、「愚痴や弱音は絶対人に吐いてはいけない。人を自分の感情のゴミ箱にしてはいけない。自分の苦しみを人に言うことは、人に重荷を背負わせてしまうことだからやってはいけない」という信念ができてしまいました。


前回のコラムに、信念が人生を創造するという話を書きましたが、その信念が否定的な思いからできてしまったものである場合、自分を苦しめ、追い詰めてしまうこともあるということを私は人生で体験してしまいました。


私は、36歳の時に、脳腫瘍と水頭症を発病したのですが、あの時、私は、ハンマーで頭を何度も殴打されるような頭痛に苦しめられていたのに、頭痛薬さえ飲めば頭痛は治ると思い、その耐え難いほどの頭痛をお医者さんに言うことすらできなかったのです。意識不明になってはじめて、その頭痛がただの頭痛ではなくて、脳腫瘍からくる頭痛であることが判明したのです。


私は、脳外科のお医者さんに叱られました。「なんでここまでの痛みを我慢していたのですか!あと半日遅かったら手遅れだったんですよ。意識不明になるということは、人間が耐えうる限界を超えた痛みだったということなんですよ。痛い時は、痛い、苦しい時は、苦しいって、なんで言わないんですか!」と。


涙が出ました。どうして私はこうなんだろう・・・強がりの性格だからなのか、意地っぱりなのか、プライドが高くて、人に弱みを見せたくない勝気な性格だからなのか・・・本当になんて私はばかな性格なんだろうと思いました。


我慢強いことはいいことだ、忍耐強いことはいいことなんだ、弱音を吐かない、人に愚痴をこぼさないのはいいことなんだとずっと思って生きてきたのに、その信念によって、自分を破壊してしまう寸前まで追い詰めてしまったのです。


私は、病気をきっかけにして、自分の生き方を見直すためにワークショップに度々参加するようになりました。最初に受けた手塚郁恵先生のワークショップで、手塚先生は、こう言われました。


「自分はどうしてこんな性格なんだろう。どうして私ってこうなんだろうと思う自分の下には、たいてい傷ついた子供の自分、そうする以外に生きるすべがなかった自分がいるの。あけみさんは本当によくがんばって生きていらしたのね。あけみさんは、家族の中でそこまで我慢して、いい子やって、しっかりものの長女をやらなければ生きてこられなかったのね」


私は、こう言われた瞬間、胃のあたりがぎゅーっと痛くなり、振り絞るような涙がこみあげてきました。号泣しました。今まで泣いたことは何度もあるけれど、こういう涙が嗚咽と共にあふれたのははじめてでした。


人に、わかってもらえたと思えること、自分に寄り添ってもらえたということ、ただ受け止めてもらえたということが、これほどうれしいものかということを全身で喜びと共に知ったのです。


あの瞬間です。私は、健康を取り戻して、こう仕事を将来必ずやいたい!と思ったのは。


人は、心から自分を受け止めてもらえたり、わかってもらえたという安心感を得ると確実に変わっていきます。どんなネガティブな感情も否定されずに受け止めてもらうと、ネガは自然にポジに反転し、自然に次のステージに行くようです。


このことを改めて実感することが起きました。現在24歳の青年が、私が感性論哲学の芳村思風先生とやっている「I will フォーラム」に先日参加してくれました。


彼はとても聡明で仕事ができるために、20代初めに会社の重要な仕事の責任者、リーダーになり会社の期待の星でした。彼は、心身がボロボロになるまで働きました。自分より年上の部下を何十人も使って、その育成にも力を注ぎました。故郷で両親が会社を経営しているので、無意識ながらも親からの期待に応えようとがんばってもいたと思います。

でも彼は行き詰まってしまいました。もうどうしていいか全くわからなくなり、心はパニック状態だったといいます。そしてある日、彼は発作的に部屋の中のガス栓を抜き、自らのいのちを断とうとしました。


幸い、会社の人が無断で仕事を休んだ彼を心配して部屋を訪れたために未遂に終わりました。その彼が生き直しをするために参加してくれたのです。


下記の文章は、彼がミクシーの日記に書いたものを、許可をいただいてご紹介させていただきます。ミクシーの日記では、初めて読んだ人はわからない部分もあると思ったので、その部分には、本人の許可を得て加筆させていただきました。


長野は上田「女神山ライフセンター」にいってきました。
「I will フォーラム」というワークショップに出る為に。


僕は、おととしの2月自殺を試みました。 今年の3月にもとても強い衝動にかられました。 函館の家で、昼も夜も1人で、身も心もボロボロにしながら、慟哭し、身をよじって衝動に耐えていました。


今回は実行はしませんでしたが、今までの生き方に疑問を持ち、今までの「人生」を捨てて実家に帰ってきました。


その時に、婚約していた大切な人、俺と一緒に働いてくれていた、大切な人たちには「大きな心配」「大きな迷惑」を掛けましたね。


けど、あの時の僕にはああするしかなかったです。
弱い僕を背負わせて、ごめんなさい。ごめん。


あの時の自分は「自分」の価値観に押しつぶされてました。


これがいいんだ!
これは弱さだ!
「まだまだ」だ!
こうならないとあかん!
なんでわからんの?
なんで、できない!


今まで、積み重ねて来た価値観が俺を少しずつ、確実に弱らせ・蝕み・殺してた。
成長・強さ・自立を手に入れてつもりだったのに。
パニックでした、なにもわからない、なにもできない。


家族も見ていてつらかったでしょう。


その時、母が、岡部明美さん(以下、あけみちゃん)と福島康司さん(ふくちゃん)、みちえさんが3人でやっている個人セッションを紹介してくれました。


母は、僕を助けたくて、助けたくて、ワラにもすがる気持ちだったとおもいます。


そして兵庫から東京に行って個人セッション受けて、人生を変えてくれる人達に出逢いました。


一番嬉しかったのは、話を引き出し、ただ聞いてくれた事。


僕の持っているスゴイ才能をオーラソ-マのセッションで教えてくれた
「みちえちゃん」


初対面の僕に自分の傷を見せて、安心をくれた
「ふくちゃん」


自分でも気づいていなかった「怒り」「悲しみ」「心の重り」に気づかせてくれた
「あけみちゃん」


出会いを繋げてくれた
「けんちゃん」


体との会話のしかたを、改めて教えてくれた
「みぎわちゃん」


普通は4時間の個人セッションなのだけれど、僕は、みぎわちゃんのボデイワークも入れてもらって、まるまる2日間セッションしてもらいました。みちえちゃんが手作りの美味しい料理を作って僕に食べさせてくれました。この二日間の体験からすべてが動きだしました。


それから、6月に参加することを決めた「I will フォーラム」までニートをしながら
「自分」を静かに見つめ続けました。


色々な事を感じ、堪えながらの2か月チョット。
とても必要だった時間。


そして今回の「I will フォーラム」 前期の2泊3日です。
山の中に或るとても静かな所です。


そこで、たくさんの新しい「親友」に出会い、お互いに「そのまま受け入れる」ことで繋がり、認め合う時間を過ごしました。


ある瞬間、みんなの「優しさ」と「パワー」のお陰で、今までの「人生」からの生まれ変わりを体験できました。


ずっと苦しめられた「価値観」が心の中にスッと入って行くのが良くわかりました。


弱くて
ずるくて
卑怯で
ウソつきな俺


けど
やさしくて
かしこくて
すごい才能がある俺  


そんなおれが大好き!
なんて愛おしい存在


って、初めて心からおもえた。
人生で初めて自分の存在に気付けた。


ここにいたんだ、「俺」は
ずっと気付けなくてごめんね


そしたら横に居るみんなが
どれほど素晴らしい存在か
どれほど傷ついてるか


いきなり「わかった」


これが愛なんだとおもった
そして人間って愛が形になった存在なんだと


人にこの愛を伝えたい、そして、人の愛を等身大の俺で受け取りたい。
だから今日の日記の題は「愛」です。


泣きながら気づいた事を、泣きながら書いたから、理解出来ないかもしれませんが(文才ないし )


でもやっぱり、伝えたいから。


そして、同時に気づいた事


俺がこの世に生を受けた理由


俺の持ちうる全パワーを使ってやらせて貰える仕事にも気づいた。


けど、これはまた別の機会に書きます。


読んでくれたみんなに感謝と愛を。


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<   お 知 ら せ  >

* 7月7日の「1 day ワークショップ」はお蔭様で定員になりました。これ以降のお申し込みはキャンセル待ちになりますのでご了承下さい。


* 7月27日(金)~29日(日)、那須で開催される2泊3日のワークショプ、本来の自分に帰る旅「 be-work 」は、まだ若干名の残席があります。

このワークショップは、本来の自分らしさ、パワー、豊かさ、愛、魂の目的、いのちの輝きに触れ、癒し、気づき、目覚めによって、新しい人生の選択と創造を可能にするワークショプです。本来の自分とのつながり、人とのあたたかなつながり、大自然とのつながりを深く実感し、自分が本当にやりたいこと、本当に生きたい人生に歩み出すためのワークショップです。


* 詳しくはホームページをご覧ください。

岡部明美の公式ホームページ:http://anatase.net/

みんなこの星に遊びにきたんじゃないの?

okabe35a.jpg最近、つくづく思うのは、人は、この世界、この星に生まれた意味や目的を漠然とながら、あるいは、ちゃんと信念のようなものとして持っていて、その信念を学び、その信念に賭け、その信念を生き、その信念を人生に創造するのだなあということです。それは、その人の人生観、世界観につながっているのですね。

愛に意識を置いている人は、やはり、同じような意識の人とつながっていくし、愛から行動しようということを心がけているでしょう。自己成長や自己探求に意識が向いている人は、やはりそういう人たちと出会っていくし、そういう場を求めて行動していきます。

「この世界は多様なものが多様なままに共生している」ということを知っている人や、「人は人智を超えたものの力によって生かされていること」を信じている人は、人と助け合い、支え合い、生かし合う世界を創造しようとするでしょう。

「人生はサバイバルゲームだ!この世は弱肉強食の世界なんだ」と信じている人は、勝ち組を目指して絶え間ない競争の中に身を投じていくでしょう。心身がボロボロになりながらも自分に鞭打って頑張り続けることでしょう。幸福になるために、豊かになるために、もっともっととエンドレスの欲望を募らせながら。

「人はこの世界をよりよい世界にするために何らかの役割をもって生まれる」と思っている人は、自分の使命や役割を自らに問い、今自分が生きている場所で自分にしかできないことを心をこめてやろうとするでしょう。また社会変革のために行動している人や、存在の仕方そのものから、そのようなメッセージを出している人と出会える場に積極的に足を運ぶでしょう。

ためしに、人がよく口にする信念、人生観、世界観を書き出してみたら、こんなにたくさん出てきました。

「人は、幸せになるためにこの世に生まれる」

「人は、愛を学ぶためにこの世に生まれる」

「人は、感動するためにこの世に生まれる」

「人は、人生を楽しむために生まれる」

「人は、自分自身を知るために生まれる」

「人は、自分の夢を実現させるために生まれる」

「人は、神の意志を実現するために生まれる」

「人は、意識を成長・進化させるためにこの世に生まれる」

「人は、カルマを解消するために生まれる」

「人は、この時代を一歩前に進めるために生まれる」

「人は、あらゆる体験を通して成長するために身体を持って生まれる」

「人は、悟りを得るまでは何度でもこの世に送り出される」

「人は、人の役に立ち、人に喜んでもらえる存在になるために生まれる」

「人生は、旅だ」

「人生は、アートだ」

「人生は、博打だ」

「人生は、死ぬまでの暇つぶしだ」

「人生は、ゲームだ」

「人生は、カーニバル(祝祭)だ」

「人生は、意味なし、からっぽ」

「人生は、この世は、魂を磨く学校であり、修業道場である」

「人生は、この世は、マーヤ(幻想)である」

「人生は、遊びであり、演劇であり、この世は、ディズニーランドである」

「人生は、愛と意志のドラマである」

「人生は、自分の想い、自分の思考、信念が現実化したものである」

「人生は、サバイバルゲームだ。食うか食われるか、勝つか負けるかだ」

「人生は、修行であり、この世は、苦である」

「人生は、この世は、宇宙的冗談であり、神のリーラ(遊戯)である」

「人生は、神と自分との共同創造の魂の物語である」

「人は、この星に遊びに来た」

「人は、自分を生きるために生まれてきた」

「人は、宇宙の真理を学ぶために生まれる」

「人は、自分の人生を意味あるものとするために生きる」

「人は、この宇宙の永遠の成長・進化に参画している」

「人は、自分の本質が光(神・愛)であることに気づくために生まれる」

「人は、この地球の次元を上げるため(アセンション)に今生きている」

「人は、霊的覚醒のために何度も生まれてくる」

「人は、この星は、愛と慈悲と感謝を学び、実践する菩薩業の場である」

「人は、この世界をよりよい世界にするために自分の役割をもって生まれる」

「人は、我欲を超えて、真・善・美に向かって進化するために生きる」

「人は、自分のいのちの花を咲かせるために生まれる」

本当にたくさんありますね。まだまだあることでしょう。自分が苦しんでいた時に、こういう考え方があることを知って救われた、目覚めたということもあるでしょうし、本にそう書いてあったから、尊敬する人がそう言っていたからそうなんだと思うようになったということもあるでしょう。いろいろな人生体験を経て自然にそう思うようになったというのもあるでしょうね。

私はというと、人生のその時々で、これらの信念がけっこう変わっています。

「人生なんて、死ぬまでの暇つぶし」と思っていた頃は、自暴自棄に生きていました。何をやっても心から楽しむことができませんでした。「いつ死んでもいいや、こんな人生」と思っていました。

「幸せになるために生まれた」と信じていた頃は、「幸せっていったいなんだろう?」って考えてしまうことばかり人生に起きていました。「人は、愛を学ぶために生まれる」と思っていた頃は、愛で痛い思いをいっぱいして、確かにたくさん愛について学びました。

「人生は修行なんだ!この世は、魂を磨く学校なんだ!」と思っていた頃は、それこそ、断食・ビパッサナー瞑想、滝行、坐禅、西式甲田療法(究極の修行系養生法)なんかを一生懸命やっていました。まるで修行僧にでもなったかのようでした。

ありとあらゆる自己成長のセミナーやワークショップにも参加して、自分磨きをしていました。確かに、人生は修行なんだ、この世は魂を磨く学校なんだと思うことは、様々な困難や壁を乗り越える力になりますが、修行がけっこう好きな自分も発見しました。

「人は、霊的覚醒のために生まれるのだ」と思っていた頃は、そのような指導者に次々に出会うようになりました。それまでの人生では一度も出会ったことのないような人たちで、とても深い学びを経験させていただきました。いまでもお世話になっている方が何人かいます。

「でも、やはり人生は楽しむためにあるんじゃないかなあ」と思い始めた頃は、自分の好きなことをやりながら、人に喜んでもらえる仕事をしている人たちにたくさん出会いました。軽やかに人生を楽しんで生きている人たちからたくさん目に見えない贈り物をもらいました。修行系だけではなんとなく自分らしくないなあと思い始めていた頃だったので、別の意味でまた自分が楽に自由自在になっていきました。

「人は、より良い世界を創造するためにみんな何らかの役割をもって生まれる」のだという認識が起き始めた頃は、この社会を変革するために素晴らしい活動をされている方に次々に出会っていきました。現実の社会、足元の暮らし、大地にちゃんと足をつけて自分がやるべきことをやることに対して肝が座りました。

こうして見ると、いろいろな信念が人生のその時々でシフトしてきた感じもするし、いくつかの信念が重複しながら人生の根っこが太くなってきた感もあります。ただ、今この文章を書いてみて改めて思うのは、「うん、でも結局、全部アリなんだな」ということです。

そんなことをつらつら考えていたせいか、久々に、私の好きな晴佐久昌英神父さんの詩集「だいじょうぶだよ」を読み直していたら、今回は、この「宇宙的あまのじゃく」がとっても私の心に響いてきて、「あ、この感覚が今の私に一番近いなあ」と思いました。

宇宙的あまのじゃく



 

みんなが競って争って人を蹴落としてまで働くので

なんだか居心地が悪い あまのじゃく

「みんな この星に仲良く遊びにきたんじゃなかったの?」



 

みんなが必死に効果と効率ばかり追い求めるので

どうにも窮屈でやってられない あまのじゃく

「無駄が大切なんじゃない? 宇宙は壮大な無駄なんだから」



 

みんなが何でもすぐに決め付けて大騒ぎするので

ついついよけいなことを言って混乱させる あまのじゃく

「まだ宇宙も始まったばかりだし もう一億年は待ってみようよ」



 

みんながあんまりだれかの悪口で盛り上がるので

いいかげんにしなよとたしなめる あまのじゃく

「星雲が美しいのは どの星も他のすべての星と引き合っているからだよ」



 

みんなが潔癖な聖人のごとく正義を振りかざすので

ちょっとついていけずにため息をつく あまのじゃく

「銀河系中探し回っても 正しいやつは一人もいないと思うがね」



 

みんなが男だ女だ 日本人だ外国人だとうるさいので

せせこましい分類にあきれ果てる あまのじゃく

「あんたたち全員 この宇宙に生まれた宇宙人でしょうに」



 

みんながこれは俺のもの ここが私の土地とこだわるので

このままじゃまずいんだよと教えてあげたい あまのじゃく

「今どき個人所有なんてことしてるの この地球くらいだろうな」



 

みんなが苦しみを避けることばかり考えているので

それじゃ生きる喜びもなくなると知ってる あまのじゃく

「次の星に行くときも やっぱり苦しみのある星を選びたいな」



 

みんなが自分なんか大した価値はないと落ち込んでいるので

これだけははっきり言っておきたい あまのじゃく

「この星にいることがどんなに尊い奇跡か 宇宙を旅すりゃわかるよ」



 

みんなが全てはいずれ滅びるだなんて信じているもんだから

ついに天地創造の秘密を打ち明けてしまう 宇宙的あまのじゃく

「今はまだ寒いけど 宇宙はもうすぐうれしい春になるところなんだよ」



 

晴佐久昌英著「だいじょうぶだよ」(女子パウロ会)より


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          < お 知 ら せ >

* 7月7日の「1 day ワークショップ」は定員まで残り2席になりました。

* 7月27日(金)~29日(日)、那須で2泊3日のワークショップがあります。

本来の自分らしさ、パワー、豊かさ、愛、魂の目的、いのちの輝きに触れていくワークショップです。癒し、気づき、目覚めによって、新しい人生の選択と創造を可能にするワークショップです。本来の自分とのつながり、人とのあたたかなつながり、大自然とのつながりを深く実感し、自分が本当にやりたいこと、本当に生きたい人生に歩み出すためのワークショップです。

* 詳しくはホームページをご覧ください。

岡部明美の公式ホームページ:http://anatase.net/

父と息子の微妙な関係

okabe34a.jpg今日は3人分の夏服への衣替えをした。いつものことなのだが、衣替えをし始めると、他のいろいろなものもついでに整理したくなって、結局一日がかりで家の中にあるものをあれやこれや動かしたり、捨てたり、収納し直したりする。そういう意味では、衣替えの季節とか、引越しというのは、いやおうなく捨てる作業を含めた生活のリセットになるからありがたい。



衣替えが一段落した後、息子の小学校時代の作文や成績表や絵などを整理し始めた。そうしたら妙に懐かしくなって、つい座り込んでしまい、作文や読書感想文などを全部読んでしまった。本好きの私と違って、息子は昔からあまり本を読まない子だった。



読書感想文なんかいつもいやいや書いていた。しかし、私からみると本を読まないわりにはけっこういい作文を書くので、私はいつも感心していた。もちろん半分は親ばかのひいき目ではあるが。



息子が小学校5年生の夏休みの読書感想文に書いた、『葉っぱのフレディ ~いのちの旅~ 』なんかはけっこう面白かった。


ぼくはこの本を読んで、葉っぱのフレディは“心のある葉っぱ”だと思いました。理由は、木や葉っぱや花は生きているからです。生きているということは、心があるからです。



人間も猿も犬も猫も小鳥も木も花も、生き物はみんな心をもっているからです。葉っぱのフレディは、友だちや親友だっています。だから、心強い葉っぱだと思いました。理由は、親友がいるということは心強いからです。フレディは、「葉っぱに生まれてよかった」と言いました。ぼくは、フレディは正直者だと思いました。



ぼくも、「人間に生まれてよかった」と思っています。そして、ぼくも親友がいるので心強いのだと思いました。フレディは、親友のダニエルが言った言葉、「人間がすずしくなれるように、みんなで影をつくろう」と言ったことに賛成したから、やさしい葉っぱだと思いました。フレディはいい友だちがいてよかったと思いました。



冬にはいってから、親友のダニエルが、「みんな、引越しをするときがきたんだよ。とうとう冬がきたんだ。ぼくたちは、ひとり残らずここからいなくなるんだ」と言った時、ぼくは信じられませんでした。



フレディが「この木も死ぬの?」とダニエルに聞くと「いつかは死ぬさ。でも、いのちは永遠に生きているんだよ」と言った時、ダニエルはなんでも知っていてすごいと思いました。ダニエルが言ったとおり、雪が降って、全部の葉っぱがうもれて、かわいそうでした。



そして、ほんとうに葉っぱたちはみんないなくなってしまいました。でも、春がやってきて、木はまたフレディやダニエルたちを生んでくれました。また一からやりなおしだけれど、また生まれたんだから、ぼくはこれでいいのだと思いました。



朝には、小鳥が、「おはよう」とあいさつにきます。小鳥も、フレディやダニエルとお友だちなのでしょう。ぼくも、セキセイインコのチッチとポッポと友だちなので「おはよう」とか「おやすみ」とちゃんとあいさつをします。



ぼくは、この本を読んで思いました。フレディは死んじゃったけれど、また同じところに生まれたから、きっと、人間も死んだら、また、自分の好きな場所に生まれるんだと思いました。ぼくは、今度生まれてくる時も人間になりたいと思います。理由は、人間だといろいろなことができるからです。



ぼくは、ひとつ気になることがありました。フレディたちは葉っぱだから動けなくて、遊びにもいけなくて、たいくつじゃないかとしんぱいになりました。もうひとつ気になることがありました。この本を書いた、レオ・バスカーリアさんは、この本で、読む人にいちばん伝えたかったことはなんなのかということです。でも、ぼくは、考えて思いつきました。レオ・バスカーリアさんは、「葉っぱにだって親友はいる」ということをいちばん伝えたかったのだと思います」


これを最初に読んだ時、私は最後のオチで笑ってしまった。大うけした。私は、それまで息子を育ててきて、顔も性格も私には全然似ていないなあと思っていたのだけれど、やっぱりこの子は私の子らしいなあと思ったものだ。



あの時、私が彼の読書感想文を読んで「とてもいい感想文だね」と言ったら、



「お母さん、人間は死んだらお星さまになるってほんと?」と聞いてきた。



「うん、そういうね。光になるんだよね。人間は」と私は答えた。



「パパもお母さんも僕もいつか死んじゃうんでしょ。そうしたら、できるだけ近くのお星さまになろうよ、星座みたく。岡部座っていうの」



「それはいい考えだね。なかなか冴えてる。さすがお母さんの子供だ!」



「僕がまた、パパとお母さんの子供になるにはどうしたらいいの?」



「えっ、またお母さんでいいの? 世の中には、もっと賢いお母さんとか優しいお母さんがいっぱいいるんだよ。お母さんはどうして普通のお母さんみたいじゃないんだ、僕は苦労がたえないって、いつも文句言っているじゃない」



「いいよ、お母さんで。慣れてる方が楽だから。それにお母さんて結構、面白いし」



「あ、そう。それはどーもありがとう」



「そうだ、パパとお母さんが、死ぬ時に、また結婚できますようにって、神さまにお祈りしながら死ねば、また僕が生まれるんじゃないの?」



「すごい、天才!ノーベル賞もんのアイディアだね、それ!」



私はあの時、マジで感動したのだった。こういう発想って好きだなあ。



ああ、それにしても、こんなかわいいことを言っていた息子も今や高校1年生。髪はワックスつけてツンツンヘアーだし、身長も足も私よりはるかに大きい。親とはあまりしゃべらないけれど、友だちとは1時間でも電話で話している。



夫が言う。「お前はまだいいよな。お母さん、今日の晩御飯なーに?とか、風呂湧いてる?とかあいつから話しかけてもらえるじゃないか。俺なんか、この数年、パパなんて話しかけられたことないぞ。でもまあ、、俺も、中学、高校のときは親と話をしても全然面白くないから家では無口だったもんな。宿命だな、自立していく息子に接する父親の」



夫はしみじみとこう呟くのだった。でも目が寂しいって言ってるのがわかる。父と息子というのはいつの時代も微妙な心理的絢があるのですね。でも息子は小さい頃ものすごいパパっこだったのだ。



私は脳の手術の後遺症で、右手がふるえて字もかけず、包丁握るのも満身の力をこめないとできなかった。だから家事・育児がとても大変だったので、夫は本当に育児に協力してくれた。100点パパだったと思う。



当然、息子は父親にものすごくなついていた。小学校高学年の頃までは、ゲームをするときまで、父親の膝の上に座ってやっていたくらいだ。それが今じゃほとんど父親と話をしない。かわいそうなくらいである。



ところがである。息子が、高校入学の時のアンケート用紙に記入している内容を見て私は驚いた。



「修学旅行に行きたい場所とその理由」の欄には、「北海道・函館。理由:父親の故郷だから。父が子供の頃に育った町を見てみたいから」



「尊敬する人」の欄には、「父親。理由:頭がよくて、仕事ができて、やさしくて、思いやりがあって、強くて家族を大切に守ってくれるから」



夫にこのことを話したら、なんだかすごくじーんとしたみたいで目が少し赤くなっていた。本当は涙がチョチョギレそうなほどうれしかったのだと思う。それにしても、こういうことを知るにつけ、改めて、父と息子というのは微妙な関係なのだなあとしみじみ思う。

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< お 知 ら せ >

* 7月7日の「1 day ワークショップ」は定員まで残り3席になりました。

* 7月27日(金)~29日(日)、那須で2泊3日のワークショプがあります。

本来の自分らしさ、パワー、豊かさ、愛、魂の目的、いのちの輝きに触れていくワークショップです。癒し、気づき、目覚めによって、新しい人生の選択と創造を可能にするワークショプです。本来の自分とのつながり、人とのあたたかなつながり、大自然とのつながりを深く実感し、自分が本当にやりたいこと、本当に生きたい人生に歩み出すためのワークショップです。

* 詳しくはホームページをご覧ください。

岡部明美の公式ホームページ:http://anatase.net/

なぜ生きていることはこんなに悲しいのだろう

okabe33a.jpg私が自己探求の道に歩み出した大きなきっかけは病気だったけれど、振り返れば私には、昔から求道者のような精神があったように思う。子供の頃から、私の心の一番深い所にブラックホールみたいなものがあって、いつもそこがとても怖くて、不安で、淋しくて、虚しくて、怯えていた。それは、大人になってからも長いこと同じだったのだ。

空白、空虚、空疎、空洞・・・。空(くう)と名づけられる“それ”の正体がどうしてもわからなかった。空(そら)が、あんなに青く、美しく、広く、高いことに限りない開放感とやすらぎを感じるのに、同じ字が、「くう」と呼ばれるものになるとなぜこんなにも心もとなくて不安で、足元の地面が崩れていくような恐怖を感じるのだろうと思っていた。

愛する人がいても、打ち込める仕事があっても、いろいろなことに満たされているはずの時でさえ、ふと訪れるこの淋しさは、一体どこからくるものなのだろう。

なぜ私は生きていることがこんなに悲しくて悲しくて仕方がないのだろう。ここを見出すと底なし沼にひきずりこまれるような不安と恐怖がでてくるのでできるだけ見ないようにして生きてきた。日常を生きるには見ないほうがいいものだと思っていた。

それでも、この淋しさがどこからくるものなのかを知りたくて、私は10代の頃から、その答が書いてありそうな本を貪り読んでいた。一番最初にこれがそうなのかもしれないと思ったのは、高校時代に読んだ倉田百三の『出家とその弟子』(新潮文庫)のこの箇所だった。親鸞が、弟子の唯円の問いに答えているところだ。

唯円「お師匠様、私は淋しくて淋しくてしかたがありません。あまりの淋しさにひとりでに涙が出てきます。私は、自分の心がわかりません。私は、淋しくてもいいのでしょうか」


親鸞「淋しいのが本当だよ。淋しい時には淋しがるより仕方がないのだ」

唯円「今に淋しくなくなりましょうか」

親鸞「どうだかね。もっと淋しくなるかもしれないね。今はぼんやり淋しいのが、後には餓えるように淋しくなるかもしれない」

唯円「あなたは淋しくありませんか」

親鸞「私も淋しいのだよ。私は一生淋しいだろうと思っている。尤も今の私の淋しさはお前の淋しさとは違うがね」

唯円「どのように違いますか」

親鸞「(憐れむように唯円を見る)お前の淋しさは対象によって癒される淋しさだが、私の淋しさはもう何物でも癒されない淋しさだ。人間の運命としての淋しさなのだ。それはお前が人生を経験して行かなくては解らないことだ。お前の今の淋しさは段々形が定まって、中心に集中してくるよ。その淋しさを凌いでから本当の淋しさがくるのだ、今の私のような淋しさが。しかしこの様な事は話したのでは分かるものではない」

唯円「では私はどうすればいいでしょうか」

親鸞「淋しい時は淋しがるがいい。運命がお前を育てているのだよ。只何事も一筋の心で真面目にやれ。ひねくれたり、ごまかしたり、自分を欺いたりしないで自分の心の願いに忠実に従え。それだけ心得ていればよいのだ。何が自分の心の願いかということもすぐには解るものではない。様々な迷いを自分で作り出すからな。しかし、真面目でありさえすればそれを見出す智慧が次第に磨き出されるものだ」


対象によって癒されない淋しさ・・・。この言葉が私の胸を深く突き刺した。思えば私はずっと自分の淋しさを埋めてくれる対象を探し続けてきたのではないだろうか。じゃあ一体この淋しさは何によって埋まるというのだろう。

何によっても埋まらない淋しさがあるのだとしたら、生きていくことって何て悲しいのだろう。私はこの場面と最後の場面で涙がこみあげてきて仕方がなかった。

最後の場面。息子の善鸞が仏の道をはずれ、罪を重ねていく。親鸞は、善鸞を赦せず放免した。しかし、親鸞が自分の臨終に際し、最も願ったのが善鸞を赦したいということだった。息子を赦さずに逝くことはできないと言った。

弟子たちがすべて集まり、聖者である師匠との最後の別れをしている席に、最後まで善鸞は来ない。いよいよ親鸞が逝くという寸前に善鸞が駆けつける。

善鸞「(涙をこぼす)遭いとう御座いました・・ゆるして下さい。わたくしは・・」

親鸞「ゆるされているのだよ。だあれも裁くものはない」

善鸞「わたくしは不孝者です」

親鸞「お前はふしあわせだった」

善鸞「わたしは悪い人間です。わたし故に他人がふしあわせになりました。私は、自分の存在を呪います」

親鸞「おお畏ろしい。われとわが身を呪うとは!お前自らを祝しておくれ。悪魔が悪いのだ。お前は仏さまの姿に似せてつくられた仏の子じゃ」

善鸞「もったいない。私は多くの罪を重ねました」

親鸞「その罪は億劫の昔阿弥陀様が先に償うて下された・・・赦されているのじゃ、赦されているのじゃ。わしはもうこの世を去る・・お前は仏様を信じるか」

善鸞「・・・・・・・・・」

親鸞「お慈悲を拒んでくれるな。信じると言ってくれ・・・わしの魂が天に返る日に安心を与えてくれ・・・」

善鸞(魂の苦悶のために真青になる)

親鸞「ただ受け取りさえすればよいのじゃ」

(一座緊張する。勝信は顔青ざめ眼を火の如くにして善鸞を見ている)

善鸞(唇の筋が苦しげに痙攣する。何かを言いかけてためらう。遂に、絶望的に)

「わたしの浅ましさ・・・わかりません・・・きめられません」

(前に伏す。勝信の顔真っ白になる)」

親鸞「おお」(目をつむる)       (一座動揺する)

侍医「どなた様も、今がご臨終で御座いますぞ」

深い内部の動揺その極に達する。されど、森として、声を立つるものなし。弟子衆枕元に寄る。代わる代わる親鸞の唇をしめす。

親鸞(かすかに唇を動かす。苦悶の表情顔に表わる。やがてその表情は次第に穏かになり、終にひとつの静かなる、恵まれたるもののみの持つ平和なる表情にかわる。小さけれどたしかなる声にて)

親鸞「それでよいのじゃ。みな助かっているのじゃ・・・善い、調和した世界じゃ(この世ならぬ美しさ顔に輝きわたる)おお平和!もっとも遠い、もっとも内の。なむあみだぶつ」


父であり、師である親鸞の、その死の際においてさえ、嘘でも仏を信じるといえぬ善鸞。仏の道を歩きますと言えぬ善鸞の、もうひとつの真摯さ、純粋さ、正直さ。

その善鸞に「それでよいのじゃ」と最後の言葉をかけた親鸞。私は、この場面で声をあげて泣いた。まるで、自分までも赦してもらえたかのように思えた。

この本を読んでいた頃の私は高校生だった。生と死について、私が生まれたことの意味、人生の意味と価値について真剣に悩み、苦しみ、模索していた時期だった。表面上は、友だちと仲良く遊び、バスケット倶楽部と生徒会活動を熱心にやっている普通の女子学生だったが、内面世界では最も本質的な問い、実存への問いを持って生きていた頃だった。

そんな時期に読んだこの本は今でも私の座右の銘である。この本の最後の場面の親鸞の言葉は、私の内側を深く深く満たしてくれた。あの頃の私は自分というものも、人生の何たるかもさっぱりわかっていなかったのだが、今こうして振り返ってみると、私は、昔から心の深い部分では、“善悪の彼岸にある、美しきもの、貴きもの、聖なるもの、静寂なるもの、平安なるものを求めて生きていたのだということがわかる。

私は、道を失ったのではなかったのだ。どんなに曲がりくねった道だろうと、途中で崖から落ちるようなことがあったとしても、私は、いつだって私の道を歩いてきたのだと今は思える。

スピリチャルな道に歩み出した人の中には悟りを求めている人が少なくないと思うが、私は、人というのは、それを求めて歩きながら、躓き、落ち込み、迷い、苦しみ、葛藤し、絶望し、気づき、そしてまた立ち上がり・・・といった、その人の“人生のプロセスそのもの”の方が、はるかにかけがえのないものなのではないかと思っている。


そして、私という存在そのものの本質が求めているものの究極の答であり、それぞれの人生そのものが、すでにして道なのだということも・・・。



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          < お 知 ら せ >

* 6月23日の「心身のリラクゼーションと内なる静寂を味わうメディテーション(瞑想)の会」は、定員まで残り2席になりました。

* 7月7日(土)「1 day ワークショップ」があります。

私たちは、この人生の旅を楽しむための道具も、夢にチャレンジするための道具も、問題を解決するための道具も、各チャクラにパワー因子としてちゃんと持って生まれています。このワークショップでは、それぞれのチャクラのバランスを整えながら、そのパワー因子に気づき、からだという無意識層から、自分らしくイキイキと生きるためのメッセージを聴きます。

また、カラーアートセラピーを使って今自分にできる最善のことと、自分の本来のギフトを見ていきます。いままであまり気づかなかった自分を楽しく学び、人生を創造的に生きていきたいと思う人のためのワークショップです。

* 7月27日(金)~29日(日)、那須で2泊3日のワークショプがあります。

本来の自分らしさ、パワー、豊かさ、愛、魂の目的、いのちの輝きに触れていくワークショップです。癒し、気づき、目覚めによって、新しい人生の選択と創造を可能にするワークショプです。本来の自分とのつながり、人とのあたたかなつながり、大自然とのつながりを深く実感し、自分が本当にやりたいこと、本当に生きたい人生に歩み出すためのワークショップです。

* 詳しくはホームページをご覧ください。

岡部明美の公式ホームページ:http://anatase.net/

運がいい人 ツイてる人 流れに乗った人

okabe32a.jpg私がこのコラムを連載するようになったのは、友人のセラピストであるティム・マクリーンと高岡よしこさんからのご紹介で、このサイトの「あの人にインタビュー」のペ-ジで取材されたことがきっかけだ。


その最近のインタビューページに今ブレークしている主婦ユニットの「コクーン」が登場している。コクーンのボーカルである水月悠里加は私の高校時代からの親友である。


彼女は昔から歌がうまかった。カラオケの女王であった。しかし、歌をうたうことは好きだけれど音楽で食べていけるわけがないと思い込んでいて、長いこと雑誌の編集の仕事を生業としていた。


水月のパートナーであるキーボード奏者・本田裕子は元々プロのジャズピアニストだ。しかし、ジャズでは食べていけないために有名アーティストのバックバンドをやっていた。当然、収入は格段に増えた。


しかし、自分が本当にやりたい音楽をやっていなかったから、いくらお金が入ってきても全然幸せじゃなかったと本田裕子は言う。商業音楽の世界で生きているうちに、あんなに好きだった“音楽”がだんだん“音苦”になり、出産を契機に彼女は一切の音楽活動から身をひいてしまったのだ。


その二人が当時小学生だった子供のPTAで出会い、いろいろな偶然が重なりあってバンドを作りオリジナルの歌をうたい始めた。今やコクーンは、4大新聞全部に取材記事が載り、PHP、婦人公論、壮快など、多数のメディアに取材記事が掲載されるようになった。NHKでも「時の人」として紹介された。


その時のNHKの番組の女性ディレクターは、「40歳を過ぎて、PTAで出会った主婦ふたりがバンドを創り、自分たちの夢を形にしているなんて本当に素晴らしい。女性は結婚しても、子供を産んでも、いくつになっても夢を叶えられるのだということに、世の女性たちはどれだけ勇気と希望を与えてもらえることでしょう」と語ったと言う。


NHK出演後のコクーンはさらに波に乗り、前々回のコラムに書いた自主上映の映画「地球交響曲2番」で一躍有名になった佐藤初女さんや、名著「死にゆく者たちからの言葉」で知られる鈴木秀子さん、「ツキを呼ぶ魔法の言葉」で有名な五日市剛さんとのジョイントとの成功など今やノリにのっている。


今、私の周りでは”流れに乗った人たち“がどんどん増えてきている。類は友を呼ぶというのは波長の法則を考えれば自然なことなのだろう。最近、完璧に流れに乗ったなと思う友人がもう一人いる。


コクーンの水月と共に私の長年の友だちであり、妹のような存在、福島みちえは長いこと事務や経理の仕事をしていた。彼女もまた自分が本当は何がやりたいのか、何ができるのかがわからず、自己実現とはほど遠い人生を40歳まで歩んでいた。


しかし、福島みちえは今や、オーラソーマのプラクティショナーであり、カラーセラピストであり、クロスアートデザイナー“風花”として八面六臂の活躍をしている。彼女の「クロスアート」は今ニューヨ-クの旭屋書店、紀伊国屋書店のウンインドディスプレイを飾り、ニューヨーカーに「ワンダフル!」と絶賛されている。


7月からは、パートナーのアートセラピストである福島康司と共に私と一緒に「1 day ワークショップ」のファシリテーターも務める。色彩の言語を学んだ二人がクライアントさんの選んだ色の組み合わせから、潜在意識からのメッセージとクライアントさんが本来持っている存在のギフトを読み解いていくのだ。


私も水月も福島もみんな40代からの再出発だった。それまでは3人共、自分の“道”がわからず、かなり右往左往し、紆余曲折の人生を歩んできたのだ。


何が変わったのだろう?


昔の私はこう思っていた。「物書きになりたい。でも私なんかがなれるわけがない。カウンセラーやワークショップのファシリテーターになりたい。でも、私なんかができるわけがない。仕事というのは、苦労して、頑張って、いやなことを我慢して、だからこそそのご褒美としてお金がいただけるのだ」


水月はこう思っていた。「歌が好き。でも、音楽で食べていける人なんか一握りの人。好きなことは収入の道にはつながらない。歌がうまい人はいくらでもいる。好きなことは趣味の世界、道楽の世界。私はプロの編集者だ。編集の仕事で十分食べていけるのだから、好きな音楽は趣味として楽しむだけでいい」


福島はこう思っていた。「私の人生にはどうして次から次へとつらいことばかり起きてくるのだろう。私に何かいけないところがあるのだろうか。運がいい人、悪い人は最初から決まっているのではないか。好きなことを仕事にできる人は特別な才能があって、特別に運がいい人。世間はそんなに甘くない」


それぞれがこんな風に自分の可能性を制限する否定的な信念を持っていたのだ。人は自分が信じていることを人生に創造するのだから、いくら、表面意識がプラス思考であっても、無意識レベルでこんな否定的な信念があったら楽で、楽しくて、創造的な人生などおくれるわけがない。


かつての私は、表面意識は超プラス思考だった。しかし、自分の内面に向き合いだしたら、かなりネガティブな信念や抑圧された感情があることがわかって愕然としたことがある。


「私は、私を全然知らない!」。これが、私が10数年前に自己探求の道に歩み出すきっかけだった。ある時期、私は、「自分が何者なのか、何をするためにこの世に生まれたのか」を知りたくてワークショップに頻繁に参加していた。


いろいろな気づきのワークを受ける中で、封印してきた悲しみが表出してきて涙があふれてきて仕方がなかった。本当にあの頃の私はよく泣いていた。心の中の地雷撤去にはかなりの時間がかかった。でも、涙と共に、少しずつ、一つずつ、いろいろなものが流れていって、終わっていったのだ。


あの時の流れていった涙と共に書き綴ってきた文章が「気づきのノート」だった。もともと本にするために書いていた文章ではなく、内側からこみあげてくるものがあって書かずにはいられなかったのだ。おそらく自分の内側を見つめる過程で、ダムの堰が決壊し、私のいのちの本流が溢れ出てきたのだと思う。


その「気づきのノート」を当時お世話になっていた東海ホリスティック医学振興会会長の恒川洋医師(恒川クリニック院長)に見せたところ、恒川先生から「これは本になるよ」と言われ、善文社の社長を紹介された。


善文社の社長は、私の気づきのノートを10分ほどパラパラ見た後「これはうちから出版しましょう」と言ってくださった。なんと10分で出版が決まったのだ。タイトルは、私の実感だった「もどっておいで私の元気!」にした。


この本を出版してから、私の人生は一変してしまった。人生にどんどんいいことが起こるようになり、素晴らしい出逢いが次々に起こるようになった。何か問題が起きてもすぐ救いの手がやってくるようになった。人生が悪循環のスパイラルから抜け出て、良循環のスパイラルに乗ったことを感じた。


私はその後自分のワークショップを始めるようになったのだが、そこに当時はまだアマチュアだったコクーンの二人が参加してくれた。この時のワークの最後で二人は「1年後に自分たちのCDを出します! 全国でライブコンサートをやります!」とみんなの前で決意表明をした。そして、まさにコクーンは今あの時の夢を実現させているのだ。本人たちの想像以上の展開で。


福島みちえは、感性論哲学の芳村思風先生と私が講師をやっている「I will フォーラム」という研修の前身である「Iの学校」を何度も受講した。かつての彼女は自己否定と罪悪感がとても強かったが、涙と共にいろいろなものが浄化され、昇華していったようだ。その後、本来の彼女の才能と魅力があふれてくるようになり、自己表現への強い欲求と意志が彼女のいのちの底からあふれてくるようになったのだ。


私の今世の使命、役割は、「一人ひとりが自分のいのちの花を咲かすこと」をサポートし、応援し、祈ることなのだということが、ある時、ふっと腑に落ちてからは、自分が新しく選んだ仕事に対する迷いが全くなくなった。


何より、30年来の最も仲の良かった友だちが、自分の本当にやりたかったことを始めて輝き出したことが本当にうれしい。二人とも、自分を見つめる過程で、自分の可能性を制限していた「無意識下の不定的なビリーフ(信じ込み・思い込み・信念)に意識の光を当てて解放していったのだ。


それによって、過去を過去に置いてこれるようになり、「今・ここ」を生きられるようになったのだと思う。実際、「今」だけがありうる唯一の瞬間であり、「ここ」だけがありうる唯一の空間なのだ。


この「今・ここ」こそが、宇宙のパワーがいのちの根源からあふれてくるところなのだ。これは一人でがんばらなくてもいい人生の始まりだ。宇宙が応援してくれるようになるから。こうなったら面白いように流れに乗り始める。シンクロがバンバン起きるようになる。


人は、過去を過去に置いてくると、いのちの根源から湧き上がってくる感性の欲求や願いを感じられるようになって、だんだん自分の“道”が見えてくるようになる。


5月中旬に出版されたマキノ出版のムック「五日市剛さんのツキを呼ぶ“魔法の言葉2」に私とコクーンの記事が隣り合わせのページで出ているのだが、この本の中で五日市さんが言っている、「幸福というのは、ときどき不幸な姿でやってくる」というのはけだし名言だ。


実際、コクーンの本田裕子は赤ちゃんだった息子を亡くし、中学生だった娘のイジメ体験に悩んだこともあり、離婚も経験している。ボーカルの水月悠里加は、編集者時代、前癌状態と指摘されたほど心身が疲弊し免疫が落ちていたし、結婚後は息子のイジメの体験で悩んでいた時期が長かった。


福島みちえは父親を生まれてすぐ悲しい事件で亡くし、慕っていた人を次々に亡くし、親友までも自殺で亡くしている。20代は母親の借金返済のために昼も夜も身を粉にして働いていた。結婚後は息子の病気やイジメに悩み、夫との関係にも悩み続け、結局離婚した。


私は、父親の酒乱、仲の悪い両親の調停役、父と弟の借金返済のために自分で稼いだお金をつぎ込むという家族の修羅場を体験してきた。結婚後は、長男出産直後に生死を彷徨う大病を体験し、肉体的苦痛の限界と死の恐怖をいやというほど味わった。元気になってから、やっと出会えた自分のライフワークであるワークショップのパートナー、片腕を突然病気で亡くし、しばらく欝状態から抜けられなかったという体験もした。


改めて振り返ってみるとみんなかなりの人生を生きてきたんだなと思う。活字にして読むとものすごく暗い。悲惨に近い。会えば、冗談ばかり言って笑いあっている仲間たちだけれど、こうして一人ひとりの生きてきた軌跡を見てみると、それぞれが「魂の暗夜」をちゃんと超えてきたことがまるで奇跡のようだ。


今でこそみんな自分のいのちを輝かせて生きているけれど、悩んでいた時、苦しくて仕方がなかった時は、誰でもそうであるように、やはり「なぜ自分だけが・・」「なんて運が悪いんだろう。ツイていない」「どうしてこんなににつらいことばかりが次々と私に・・・」と思っていたのだ。


しかし、いろいろな出逢いからたくさんのことを学ばせてもらっている内に、いつ頃からか、「あの体験があったからこそ、今の自分があるんだな」と心から思えるようになり、そうしたら幸運の女神がやってくるようになったのだ。


それぞれが、自分に向き合う過程で、深い悲しみを癒し、人生の苦の「体験」から学んで「経験」という生きる知恵に変え、悩み、苦しんだことをバネにして成長し始めたのだと思う。


だからこそ、今では、自分を嫌いだったり、自分を批判してばかりいたり、自分を人生の被害者、犠牲者と思っている間は、運は開けてこないのだということがよくわかるのだ。かつての私は自分が好きでなかったし、家族の犠牲者、病気の被害者のように感じていたから。


しかし、自己の探求を深めていく中で、自分に対する見方、人に対する見方、物事の受け止め方が変わっていき、だんだん、人生や世界の見え方も大きく変わっていったのだ。


だからこそ今は、意識の成長、変容こそが何よりも人生を良循環のスパイラルに変えていくマスターキーなのだということがわかる。意識が変容し、本来の自分を生き始めるようになると、幸運の扉が開き、自然に流れに乗り始める。宇宙のフローに乗るという言い方もあるが、そんな感じだ。


コクーンがブレークし始めたある日、水月は私に電話してきてこう言った。


「明美は、私がコクーン活動を始めた頃にこう言ってくれたことがあったよね。自分の魂が喜び、人が喜んでくれる仕事をするようになると、宇宙が応援してくれるようになって、どんどん導かれるよ。“無心”であればあるほどそうなってくるって。自分の魂が喜ぶことをすると、どんどん人とつながっていくので本当にびっくりする。魂の世界はひとつだからなんだね。前に明美に聞いた時は、『そんなこと、本当に自分にも起きるのかな?』と、半信半疑だったけど、今は本当だとわかるよ」


福島みちえ(クロスアートデザイナー“風花”)は、この原稿を見てこんなことを言っていた。


「改めて自分の人生を活字で読むと、私ってけっこう凄まじい人生を歩いてきたんだね。よく生きてきたね、私、エライじゃん(笑)。昔は、父も母もなんて不幸な人生だって思っていたけれど、今は、あんなつらい人生を生きた私の親は素晴らしい人生のチャレンジャー、勇気ある魂なんだって思えてすごく愛おしいの。不思議だね、自分のことが好きになり、自分の人生を肯定できるようになったら、親に対する見方が変わり、幸せな再婚もできたし、好きなことが今どんどん仕事になり始めているし。私ね、今心から、私は、私に生まれてよかった、この人生で本当によかったって思えるの」


通るとこ通ってきた人間は強い・・・。そして、やさしい。


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*岡部明美の公式ホームページ:http://anatase.net/

*コクーンの公式ホームページ:http://www.yy-cocoon.com/

*福島みちえ(風花)の公式ホームページ:http://www.nihon-sg.com/
(クロスアートデザイナー&カラーセラピスト)

プロフィール

岡部 明美岡部 明美

ワークショップ・トレーナー/セラピスト/カウンセラー/研修講師/文筆家/東海ホリスティック医学振興会顧問。

独身時代は、シンクタンクにてマーケティングプロデューサーとして活躍。30代半ばで結婚。長男出産直後に脳腫瘍と水頭症を発病し生死を彷徨う。自分の死に直面するという体験を通して、いのちの根源からの問いの答を求めて自己探求の道に歩みだす。著書に「もどっておいで私の元気!」(善文社)「私に帰る旅」(角川学芸出版)

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