岡部明美のスピリチュアルな旅で出会った”もの・人・場・言葉たち”

2007年08月

世界中に散らばった“自分のかけら”

WS000182.JPG私の男友達の「ふう」君とは、かれこれ10年のつきあいになる。初めて彼に会った時、私は「なんてピュアな魂の人なんだろう」と思うと同時に、「これだけ繊細な感受性を持っていたらこの世界は生きにくいだろうなあ」と思ったことを今でも覚えている。


ふう君と親しくなってはじめて、彼が、長いこと心の病いで苦しみ続けてきたこと、精神病院に入院したこともあること、今でも精神科に通い、薬物療法を受けていることなどを私に話してくれるようになった。しかし、私は彼のことを精神病の患者とはどうしても思えなかった。


ある時本屋に行ったら『魂の危機を超えて』(春秋社)というタイトルの本が目に飛び込んできた。この本を読んで私は、ふう君が経験しているのは、まさにこの魂の危機(スピリチュアル・エマージェンシー)という、“実存的変容のプロセス”であって、ただ彼は、この苦しみの道を通して、“自己発見と癒しのプロセス”を歩んでいるだけのことではないのかと思ったのだ。


現れている症状が似ているので、本当の精神疾患なのか、魂の危機(スピリチュアル・エマージェンシー)なのかは、精神科医でもなかなか区別がつけにくいのだという。


この概念を精神医療に生かしている医療者は、基本的に人の霊的成長のプロセスに対する理解がある人だろう。しかし、現代医療は、まだまだ「機械論的生命観」「心身二元論」「要素還元主義」が人間観・生命観のベースになっているので、この概念を取り入れることはなかなか難しいだろう。まさに、精神文明の幕開けといわれている21世紀のテーマなのかもしれない。


ふう君とも、この本については何回か話したことがある。精神が安定している時の彼は透明感がり、洞察も鋭い。しかし、ふう君は、時々、パニックになったり、ものすごく落ち込んだり、動揺したり、混乱している真っ最中に、私に電話してくることもある。


でも私は、彼の純粋な意識であるところの本質を見続けてきたので、彼が過呼吸状態で電話してきて、最初のうちは言葉がよく聞き取れないときでさえも、全く動揺したことがなかった。話をしている間に、最後は二人でゲラゲラ笑って電話を終えたことも度々あった。


彼は、欧米の心理療法家の多くが影響を受けた「奇跡のコース(コース・イン・ミラクルズ)」がまだ日本では翻訳されていないので、自分で翻訳して、毎月、私に印刷したものを送ってくれたりもした。彼はとにかくメチャクチャ頭のいい人なのだ。


この「奇跡のコース」をベースにしたセラピーやワークをしている医師やセラピストとしては、ジャンポ-ルスキー(『愛と許し』『愛は、恐れをサバ折りにする』などの著者)や、ビジョン心理学のチャック・スペザーノ博士(『傷つくならば、それは愛ではない』などの著者)が有名だ。


「奇跡のコース」を自分で翻訳したものを毎月私に送ってくれた彼に、ある日私は言った。


「ねえ、ねえ、ふう君。この「奇跡のコース」が素晴らしいと思ったあなたこそが素晴らしいんだよ。誰かの、何かの素晴らしさに気づくというのは、自分の中に同じものがあるからこそ、共鳴しているんだよ」と。


しかし、当時の彼は、自分の価値や才能や魅力や個性をがんとして認めなかった。本当にもうあきれるくらいのがんこ者だし、自己否定のプロなのである。彼はいつも自分を責め、裁いてばかりいるのだった。


そんな彼から先日メールがきた。そのメールには、「あけみちゃん、こんな詩を作ったんだけど、読んでくれたらうれしいなあ。ついでに、感想なんかもらえるとメッチャうれしいんだけど、よろしくね」と書いてあった。


ふう君が、こんな言葉づかいをすること自体が私にとっては驚きだった。「ああ、ふう君は、いつの間にかすごく変わったんだなあ」と思った。そして、彼の詩は、さらに、とても共鳴・共感・感動を覚えるものだったのだ。


「ふう君は、ここまできたんだなあ・・。ふう君は、まさに、今回私に見せてくれた詩のひとつである、世界中に散らばった“自分のかけら”を拾い集めて生きてきたんだな、長い時間をかけて」と思ったら、思わず胸に熱いものがこみあげてきて涙がこぼれた。


ふう君は、あの長い、長い、魂の暗夜を通り抜けて、自らのいのちを断とうとうとしたことさえあったのに、こんな言葉で、自分を、人生を、世界を語るようになったのだ・・・・。


私は、ふう君に、「ねえ、ふう君、この詩とってもいいから、私だけ読むのはもったいない気がするの。私が今コラムを書いている「SQライフ」で紹介してもいいかなあ?」って聞いたら、ふう君は、快く引き受けてくれたので、以下にふう君の詩をご紹介します。



ものさし

自分のことは自分のこと
人のことは人のこと
よく人はそう言います

しかし よく見てみると
なぜか 人は
他人のものさしで 自分のことを測り
自分のものさしで 他人のことを測っています

それでは
自分が嫌いになるのも当たり前
人が嫌いになるのも当たり前

自分のことを測るのは 自分のものさしで
他人のことを測るのは その人のものさしで
そうすれば
なによりも自分が安心します




癒えるという言葉

「癒える」という言葉が 好きです
「癒す」「癒される」には わざとらしさを感じてしまいます
でも 「癒える」には 「自然とよくなる」という意味合いがあります

傷が癒えるのは自然の力です
ですから 自然の力にまかせれば 傷は癒えていくものです
いつまでも傷が癒えないのは 癒えることに抵抗しているからなのでしょうか

いわゆる「意識進化」「覚醒」もまた
自然の流れに逆らうことだけでは起こりません
流れに沿うところに本来の道があります
それが 「癒えていくみち」です

“逆らい”と“沿い”  その絶妙なつりあいに
人のありようはかたどられます




自我の目的

欲求がなぜ生じるかというと
欲求自体が解消されて満足することが目的なのです
つまり 欲求の目的は 欲求自体の消滅です

自我というものがあります
自我にもまた 目的があります

自我には「自分を超える」という欲求があります
すなわち 自我の目的は 自我自体の消滅なのです

けれども自我は恐ろしくてこのことを直視できません
あの手この手で 消滅せずに目的を果たそうとします
それは矛盾しているので かなうことがありません

自我は私の一部ですが 私が自我なのではありません
この世では 自我を使いこなす必要があります
そして 自我が消滅したとき わたしは本当にわたしになるでしょう




変わる

変わらなきゃ、という思いがある
変わることに一生懸命の人たち

なぜそこまでして変わらなきゃと思うのだろう
なぜ、ありのままの自分じゃいけないのだろう

今の自分が「ありのままの自分じゃない」という感覚
それが、「変わらなきゃ」という気持ちの原動力

でも本当は すでに「変わって」しまっている
つまり、「ありのままの自分」から遠ざかってしまって
自分以外の人間であろうとし続けている
だから、疲れるし、苦しい

でも、「変わる」というのは
さらに自分自身から遠ざかってしまうことではない
本来の自分自身に還ること
われにかえること
すでに「変わって」しまっているのをやめること
これが、本当の「変わる」じゃないかと思う




見えない宝

他の人を見ると
「あの人はあんなことができる」「あの人はあんなすてきな人だ」と見える
みんなすごいなあと見える

かたや 自分を見ると
何一つできないように見える
仕方のないやつに見える
自分は 自分にとっておなじみだから
自分は 自分にとって当たり前に感じる

自分という宝というものは
自分では見えないようになっているらしい
他の人の前で 自分を取り出してみて
はじめて自分は唯一無二であると気がつく

他人からしか見えない自分という宝
自分だけで抱え込んでいては 宝の持ち腐れ
その宝は いつも他の人にとって輝いているのだから




自分のかけら

歌の中に 本の中に 他人の話に
「この言葉はいい」「この言葉は真実だ」「この言葉は響く」というのがたくさんある
私はそれらをたくさん集めようとしていた

しかし なぜそれらの言葉を「いい」と感じたのか
それは 自分の中にそれらがすでにあったからだということに
あるとき 気が付いたのだ

外界に響きを求めるとき
あたかもそれは 自分のかけらを寄せ集めているかのよう
世界中に散らばった自分のかけらを
もういちど まとめ上げたいのだ

そのようにして 人は
自分自身を思い出す

内なる響きに耳を澄ませるとき
求めるものは そこにある


WS000183.JPG


*ふう君のHPに「癒えていくみち」という彼の詩集のコーナーがあります。
    
    http://www2.plala.or.jp/soundofwind/ieru/ierutop.html


*この公式スピリチュアルサイト「SQライフ」を運営しているデジパ(株)が、10月7日(日)~8日(祝日)に、私の「2 days ワークショップ ~人生の新しい扉~」(東京・自由が丘)を主催してくれることになりました。詳しくは下記をご覧下さい。

http://sq-life.jp/workshop/okabe_071007.shtml

* 9月22日(土)、「1 day ワークショップ」があります。(東京・自由が丘)

テーマ:今回は、第二チャクラのテーマを見ていきます。第二チャクラは、へその下、下腹部のエネルギーセンターです。第二チャクラのエネルギーバランスが悪いと、慢性の腰痛、坐骨神経痛、子宮、卵巣などの産婦人科系の病気、泌尿器系の病気にかかりやすくなります。

身体症状がない場合でも、人間関係でトラブルが多い方、同じ人間関係のパターンを繰り返している人、お金にまつわるトラブルが多い人は、第二チャクラに学びと浄化が必要であるというサインかもしれません。

この「1 day ワークショップ」では、カラーアートセラピー、気づきのワーク、各チャクラのエネルギーバランスを整える心地いいボデイワークなどによって、それぞれのチャクラが持っている学びとギフトをあるがままに見ていきます。
* 詳しくはホームページをご覧ください。
  岡部明美の公式ホームページ:http://anatase.net/

人間の弱さと神聖さが求めるもの

WS000180.JPG生命、いのち、宇宙、大自然という言葉の響きが好きだ。そう言えば子供の頃よく目を閉じて、人差し指で強く両耳をふさぎ、ゴーッという“からだの音”が聴こえるのを楽しんだ。あの音が不思議でたまらなかった。




川の流れるような音は血液の流れのようでもあり、津波のようでもあった。時には、太古の祭り太鼓のようにも聴こえたりした。地響きのようなくぐもった音が、鍾乳洞の岩肌を這う水流のようにも感じたこともある。

あの音は、生命の音だ。生きているからだの音楽のようにも思う。私は、からだというのも大自然のひとつなのだと、あの生命の音を聴いたときに思ったのだ。いのちというのはみんな独自の音楽を奏でているのだ。宇宙は、響き合っている。存在するものすべては、感じ合いながら、響き合っているのだ。

感じ合い、響きあっている私たちだからこそ、その存在から愛が溢れている人はすぐわかるし、誰かの真実の言葉、まことの言葉というのは、とても心地よく心に響いてくる。美しい自然の風景や、心に響く音楽も詩もアートも、みんな私の心とからだを震わせる。まるで60兆の細胞全部が歓びでダンスしているみたいに。

宇宙そのものが巨大な生命体・意識体であり、地球も生きている生命体であることを、理屈を超えたこところで深く感じられるようになった私は、だんだん見える世界が変わっていった。

全体と個、マクロとミクロ、存在と非存在、想いと形は実は相似形でありつながっているというのはなんという神秘だろうか。

以前のコラムで、自主上映映画の記録を塗り替えている「地球交響曲」のことを書いたが、あの映画のコンセプトであるジェームズ・ラブロックの「ガイア仮説」の元になっている“ホーリズム”という考え方は非常に納得できる。

ホーリズムとは、「より大きな全体の中のすべての部分が、有機的につながり合い、お互いに支え合ってひとつの生命体として生きている」という考え方だ。この考え方を敷衍すれば、地球は、宇宙の細胞のひとつなのだろうし、私たちの存在はこの地球の細胞のひとつと言えるのかも知れない。

からだという小宇宙もまったく同じなのだ。からだの中にある各臓器は、互いに助け合って生きている。細胞は臓器を生かし、臓器は個体を生かし、個体である全体がまた個を守るという巨大な生命システム。

役割を終えた細胞は、死んで新しい細胞が生まれる。細胞は、絶え間ない死と再生を繰り返している。個体の中にある細胞は、死ぬことによって全体を生かし続けているのだ。これは、この宇宙の中で生成必滅を繰り返している個々の星々と、宇宙(全体)との関係と同じだ。

私という個体そのものは、やがて消滅する時が来る。個体の死は次の個体(子供)に、あるいは大切な誰かを生かすために、その死をもって、“いのちのバトン”を渡す。こうして“いのちのリレー”は永遠に続いていく。私たちはみなバトンを渡された者なのだ。

自己犠牲のほんとうの意味は、自分のいのちを捧げることで他者を生かすことだというけれど、そういう意味では、死というのは、本当は最大の愛なのかもしれない。

こうして生命は、“永遠の連鎖”をするために生の中に死を予めプログラムしたわけだけれど、こんなすごいハードとソフトのプログラムを作った宇宙の源のエネルギーというのは驚愕ものだ。

生きとし生ける者、在りて在るもの、この「存在と世界」という生のアーティスティックな創造者を、私はやはり神さまと呼びたいと思う。

神という言葉は、あまりにも人間の手垢が付き過ぎてしまったけれど、私は探求の道を歩む過程で次第に宗教的な手垢がついていない、透明でまっさらな神の存在、その偉大なる力、エネルギー、大いなる愛と生命の意志を強く感じるようになっていった。

宇宙は慈愛と叡智に満ち溢れている。私たちは「無心」になっている時、「いま・ここ」に意識が集中している時、自分が「からっぽ」になっている時、その宇宙のエネルギーが自分を満たし、あらゆるサポートをしてくれていることを感じることができる。自分が「からっぽ」になっているときにだけ、大きな力が自分を通して働いてくれるのだ。

私たちのからだは、宇宙の叡智そのものであり、人の心の奥底にあるものも神性であり仏性であることに気づくと、自分の外側の権威にすがらなくてもよいことがわかり、自分の求めている答えや導きは内側にあるということがわかってくる。知恵は自分の内にあり、マスターは自分の中にいるし、私たちの本質は愛そのものなのだということがわかる。

ただ内側に意識を傾け、その静寂の中から微かに聴こえてくる声に耳を澄ませあふれてくる想いを感じ取る。目を閉じて、ただ在ることの奇跡に座る。そして、すでに知っていたことを思いだしていく。内側からあふれてくるいのちの願いに従って自己の中心から動き出すと、私たちの生は真に輝き始める。

自分の内側の宇宙に意識を傾けていると、不思議なことにある瞬間反転して、外側の大きな宇宙に出る。まるであのメビウスの輪のように。そして、外側の宇宙と内側の宇宙が同じものであったことに気づく。

この宇宙の森羅万象を創造し続けている無尽蔵のエネルギーを仮に神と呼ぶのならば、神というのは人間の言葉という限界を持った能力なんかでは決して定義されうるものではなく、一人ひとりが“感じる”もの、それも圧倒的な素晴らしさの感覚として感じるものなのではないだろうか。

生は管理されるべき仕事ではなく、まさしく生きられるべき神秘なのだ。この広い宇宙の中に自分が「在る」という不思議さや神秘さに対する、心の底からの驚きや畏怖なしに、いったいどんな不思議がこの世にあるというのだろう。

なぜこの宇宙は存在するのか、神とは何か、私は何者なのかという大きな問いを立てられる人間のすごさ、賢さ、けなげさ・・・。この迷宮の問いを立てずには生きられない人間の寂しさ、はかなさ、脆さ・・・。

幾千の時を超えてきてもなお、科学技術文明、物質文明をこれだけ発達させてもなお、個を超えた大いなる存在への眼差しを持ってしまうのが、人間の弱さでもあり、神聖さでもあると私には思える。

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*この公式スピリチュアルサイト「SQライフ」を運営しているデジパ(株)が、10月7日(日)~8日(祝日)に「2 days ワークショップ」(東京・世田谷・自由が丘)を主催してくれることになりました。詳しくは下記をご覧下さい。


http://sq-life.jp/workshop/okabe_071007.shtml

* 9月22日(土)、「1 day ワークショップ」があります。(東京・自由が丘)

テーマ:今回は、第二チャクラのテーマを見ていきます。第二チャクラは、へその下、下腹部のエネルギーセンターです。第二チャクラのエネルギーバランスが悪いと、慢性の腰痛、坐骨神経痛、子宮、卵巣などの産婦人科系の病気、泌尿器系の病気にかかりやすくなります。

身体症状がない場合でも、人間関係でトラブルが多い方、同じ人間関係のパターンを繰り返している人、お金にまつわるトラブルが多い人は、第二チャクラの学びと浄化が必要であるというサインかも知れません。

この「1 day ワークショップ」では、カラーアートセラピー、気づきのワーク、各チャクラのエネルギーバランスを整える心地いいボデイワークなどによって、それぞれのチャクラが持っている学びとギフトをあるがままに見ていきます。

* 詳しくはホームページをご覧ください。

岡部明美の公式ホームページ:http://anatase.net/

喜びの人生は、開かれた心に入ってくる

WS000176.JPGひと夏の「生」を生きた蝉が、夏の終わりと、自分自身の生の終わりをいい音色で知らせている。7年間も土の中にいて、たった一度の夏に、わずか数週間地上で生きるために脱皮して、蝉は、「我がいのち」を謳歌している。ミーン、ミーン、ミーン。


本当に自分自身の「生」を喜びに満ちたものにしようとした時、人は、自力で「脱皮」しようとする。でも、蝉と違って、人間の脱皮は大変だ。古い殻を脱ぎ捨てろといくら言われたって、その時期が来ていない人にとっては、生皮がはがされるくらいに痛くて苦しいことだから。


だって、今まで自分がかぶってきたこの殻こそが、この厳しくつらいことの多い現実社会の中で、唯一、絶対に裏切ることなく自分を守ってくれた天使の殻だったのだから。そんな安全で優しい殻をおいそれと脱ぐ勇気など、たいていの人は持ち合わせていないと思う。


でも、自分をずっと守り続けてくれたその殻が、いつ頃からかわからないけれど、重たいなあ、窮屈だなあ、不自由だなあ。なんか自分らしく生きている気がしないなあ。自分の人生は、こんな風にして終ってしまうのだろうか。そんなのいやだなあって思う時が突然訪れることがある。


私はこのままでは終りたくない。私はまだ本当の自分の人生を生きていない。本当にやりたいことはまだ何ひとつやっていないと、発作的に、それはもう殆ど内側から突き動かされる衝動というか、エネルギーのようなものがあふれてくる時がある。


そんな時に、ワークショップに参加された方は、まさに水を得た魚のようになり、いきいきと輝き出す。一回でコロっと変わっていく人。ゆっくり時間をかけて変わっていく人。


進んだり、後戻りしたり、なかなか変われないって落ち込んだりしながら、それでも自分なりに、自分の速度でみんな歩き始める。本当にひとり一人のプロセスはみんな違う。中には、自分の内側に初めて向き合ったために、来た時よりもっと苦しくなってしまう人もいる。


新たな自分の誕生の季節に味わう痛みや涙は、まさしく人が本来の自分に目覚める時、人生の意味や愛に目覚める時の魂の産声だ。しかし、魂の産声は、泣き叫んだ後からがまさに始まりで、新たな道を自分の足で歩き始めるまでの道のりの遠さ、苦しさに、人は何度も途方に暮れる。


でも、それさえも、その人が本来の自分を生きるための、かけがえのないいのちのプロセスなのだと思う。とても苦しいプロセスだけれど。ただ、変わりたい、変わりたいと思っていても、動き出せない時、あまりに抵抗が大きい時というのは、古い殻がまだ必死に自分を守ろうとしているのだから、そんな時は、「時」は、もう少し時間をかけていいということ、ゆっくりでいいということを告げているのだと思う。


一人ひとりの「時」がある。それぞれの人の中を流れる時間はみんな違う。それぞれのプロセスが、かけがえのないその人のいのちの川の流れ、より良く生きようとするいのちの働きなのだ。大切なことは、速度でも方法論でもなく、進む方向なのだから。


春が来て、雪が自然に溶けていくように、その人なりのペースで自分の道を歩み始めたなら、少しずつ、でも確かに、何かが動き出す。そして、その人のいのちの花を咲かせる時は、必ずやってくる。私はそれを信じている。


         <   扉  >

“喜びの人生”は、開かれた心に入ってくる
開いているかのように見えながら
本当は閉じられている心の扉のいくつか

閉じられた扉の重さだけ 生きることが苦しい
でもいつか 扉を開け放して 新鮮な空気を
思いっきり吸いたくなったとき

今までに行ったことのないような場所に向かって自然に歩き始める
あなたのいのちだけが知っている あなたの季節に
まるで導かれているかのように からだが動き出すときがくる

少しずつ ゆっくりと開かれはじめた心の扉から
あたたかな人の息づかいや 
さわやかな自然の息吹が流れ込んでくる

『もどっておいで私の元気!』より(岡部明美著 ・善文社)


*この公式スピリチュアルサイト「SQライフ」を運営しているデジパ(株)が、10月7日(日)~8日(祝日)に、私の「2 days ワークショップ」(東京・自由が丘)を主催してくれることになりました。詳しくは下記をご覧下さい。

http://sq-life.jp/workshop/okabe_071007.shtml

* 9月22日(土)、「1 day ワークショップ」があります。(東京・自由が丘)

テーマ:今回は、第二チャクラのテーマを見ていきます。第二チャクラは、へその下、下腹部のエネルギーセンターです。第二チャクラのエネルギーバランスが悪いと、慢性の腰痛、坐骨神経痛、子宮、卵巣などの産婦人科系の病気、泌尿器系の病気にかかりやすくなります。

身体症状がない場合でも、人間関係でトラブルが多い方、同じ人間関係のパターンを繰り返している人、お金にまつわるトラブルが多い人は、第二チャクラに学びと浄化が必要であるというサインかもしれません。

この「1 day ワークショップ」では、カラーアートセラピー、気づきのワーク、各チャクラのエネルギーバランスを整える心地いいボデイワークなどによって、それぞれのチャクラが持っている学びとギフトをあるがままに見ていきます。

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時間がゆったり流れている

WS000163.JPG階段に踊り場があって息を整えられるように、本当は人生にも何度かは踊り場が必要なのだと思う。私は今どこにいるのか、どこに向かおうとしているのか、私はこれでいいのか、私が人生に本当に求めているものは何なのか・・・。




大人には心の夏休み、人生の夏休みというものが必要な時があるように思う。心と人生の夏休みというのは、ゆったりとした時の流れに身を任せる時、自然なまんまの”素の自分”を思い出す時、自然のリズムで生きる心地よさを思い出す時なのではないだろうか


子供の頃の夏休みは、永遠に近い感覚があった。時間が本当にゆったり流れていた。そして、あの頃の私は、いつも何かを発見したり、創造したりして、今を存分に楽しんでいた。


今日はクワガタ採りをしようかな。川に行ってメダカすくいもいいな。朝顔の露を絞って色水を作ろうか。山に行って山菜摘みや、ターザンごっこもいいかな・・・と、好きなことややりたいことで、それこそ頭がいっぱいだった。


一つひとつの夏休み、一つひとつの誕生日。そのどれもが私の人生にもう二度とはやってこない大切な時として感じていた、子供心にも。


私は夏生まれのせいだろうか、子供の頃の記憶には夏の風景が多い。電線に連なる赤トンボの群れ。ウニやサザエを採って遊んだ海。筏下りを楽しんだ川遊び。天の川を見ながらの山のキャンプ。蝉時雨を聴きながら木陰に吊るしたハンモックで昼寝した時の心地よさ。蚊帳の中で弟たちと騒ぎながら寝た真夏の夜の眠りの楽しさ・・・。


からだが、それぞれの夏を記憶している。子供の頃の夏休みは、永遠の一秒前だった。だから「去り行く夏」はいつも少しだけ淋しかった。「去り行く春」も「去り行く冬」も全然淋しくなんかならないのに、夏の終わりは、もう二度とは戻らない大切なものを失くした時の感覚に似ていて、私はいつも少しだけ物悲しかった。


大人になってからの夏は、去年も今年もそう変わらないのに、子供の頃の夏休みは、不思議に毎年新しかった。うれしいことや悲しいこと、こわいことや感動も、それぞれの夏にいつも新しい体験が加わった。時がゆるやかに過ぎていた頃だ。「時間がゆったり流れている」と感じるのは、自分がやさしい気持ちになっている時なのかもしれない。


振り返ってみると、子供の頃や、10代の頃の私は、今よりもはるかに自分の内的な感覚や感性を大事にしていたように思う。自然と私はひと連なりだったし、宇宙は仰ぎ見るものではなく、私を包みこんでいるものだった。


そういえば、子供の頃はいつだって、自然から、季節の訪れを教えてもらっていた。道端の草花や虫の音に、雲の形や風の匂いに、空の高さや巡る星座に。


今はもう一度そういう自分に帰ってきたけれど、社会人としてバリバリ仕事をしていた20代、30代の私は、だんだん季節の草花も夜空の星もゆっくり眺めることなどしなくなっていったことを思い出す。だんだん、瑞々しい感性を失っていったんだと思う。おそらく、その頃から、私の心は、少しずつ病み始めていたのだろう。


頭の中はいつも次にしなければならないことや、事業計画、人事、経営戦略のことでいっぱいだった。時計、カレンダ-、目標の数値、業績。「数字がすべて」「結果がすべて」


とにかくいつも数字によって自動的に頭もからだも動いていた日々だった。私は全く「今を味わうこと・楽しむこと」「今・ここを全面的に生きること」から遠ざかっていったのだ。


私の人生に空と星と花を眺める日常が戻ってきたのは、34歳で結婚してからのことだった。私が住んでいたマンションの7階は、180度のパノラマで風景が広がっていた。


夕暮れ時の空の美しさったらなかった。空色が次第に茜色から群青色、そして漆黒の世界へ変わってゆく。この微妙な夕空の色彩の変化は、夜の闇の序章みたいで、いつ見ても感動的な美しさだった。
 

子供の頃からこの時間帯が一番好きだった。けれど独身時代の、長い一人暮らしの中で、次第に私はこの時間帯を避けるようになっていったのだ。夕暮れ時は暮らしの匂いと音がする。子供たちの声がする。淋しくて涙が出そうになるこの時間帯を私は次第に避けるようになっていった。


私はあの頃、体温を感じない部屋で、生きているものの気配がない部屋で、ただ一人寝起きするだけの生活をしていた。孤独だった。


結婚してもう自分を守るための鎧兜はいらないんだと思った時の深い安堵感。やっと自分が自分のまんまでいられる場所を見つけた。10数年のひとり暮らしの時間は、自由の喜びと共に、最も味わうことを怖れていた、底冷えのするような淋しささえ味あわせてくれた。自由は、いつだって淋しさと隣り合わせにあった。


私は、生活という言葉よりも、暮らしという言葉の方が本当は好きだ。暮らしという言葉には夕餉の匂いと音がする。人間の息遣いが聴こえる。生きているものの気配がある。暮らしという言葉の響きの中に、人の世の営みの中にあるささやかな幸せを感じる。


長い一人暮らし、いや、一人生活でわかったことは、自分がどんなに弱い人間であったか。どんなに孤独を怖れている人間であるか。どんなに心の拠り所を求めているかということだった。自立だけじゃ人は幸せになれない。寄りかかるだけでも人は幸せにはなれない。幸せのバランスって、すごく難しい。  


生きることは、依存期、自立期を経て、相互依存期(相互補完関係・互恵)を学ぶプロセスでもあるし、自我の確立から、自我を超えた世界に進んでいくプロセスでもある。そして、それは、自然、宇宙と同期(シンク)して生きていく生き方を学ぶプロセスでもあるのだろう。


私が最近特に実感するのは、自然体で生き始めると、自然・宇宙のリズムとシンクしていき、自分ひとりでがんばらなくても、何か大きなものに自分が守られ、助けられ、導かれていくということだ。


今、地球は加速度的なエネルギー変化が起きているが、それは目覚めと浄化を促すエネルギーなのだけれど、もし今の自分の心の中に全く内なる平和の感覚やイキイキ、ワクワクするような感じがないのだとしたら、少し立ち止まって内側に入る時期なのかも知れない。感動することを忘れていないか、自然の中で癒されるという体験が極端に減っていないか、自分の深いところにある心の静寂を味わう時間を全くもっていないのかも知れない。


それは大切なサインだ。「感じることを大切にして」「ゆったりとした時間に身を委ねてみて」「自分の内側から聴こえてくる、本当の声に耳を澄ませてみて」「大自然・宇宙の大きな流れの中で、生かされている自分を感じてみて」という・・・。


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          <  お 知 ら せ >

         
* 8月25日(土)、心身のリラクゼ-ション&メディテーションの会があります。(東京・自由が丘)
上記の「リラクゼーション&メディテーションの会」は、定員になりました。これ以降のお申し込みはキャンセル待ちになります。
  
テーマ:体ほぐして 心ほぐして 内側から元気になる


* 9月7日(金)~9日、長野県、女神山で2泊3日のワークショップ「Be―Work」があります。

テーマ:本来の自分のいのちの輝きを取り戻し、イキイキ、ワクワクした自分を取り戻すワークショップです。豊かな自然の中で、自分とつながり、人とつながり、自然とつながり、もういらなくなったものを手放し、本当に生きたかった人生に歩み出すワークショップです。

* 9月22日(土)、「1 day ワークショップ」があります。(東京・自由が丘)


テーマ:今回は、第二チャクラのテーマである「よりよい人間関係の作り方」と「自分の人間関係のパターンとギフト」をみていきます。カラーアートセラピー、気づきのワーク、第二チャクラのエネルギーバランスを整える心地いいボデイワークなどがあります。

* 詳しくはホームページをご覧ください。

 岡部明美の公式ホームページ:http://anatase.net/

人生は、永遠の旅の途上

WS000160.JPG先日、ニュースで、この数年、沖縄へ移住する人が急激に増え不動産が急騰しているというようなことを言っていた。私は、どこか浦島太郎みたいなところがあるので(相撲は大鵬と柏戸、野球は王と長島の活躍が最後の記憶)、世間がもう10年くらい沖縄ブームであることを知ったのはつい3,4年ほど前のことだ。


そんな世間の流行など露知らず、実は私も5、6年くらい前から、老後は沖縄で暮らしたいなあと密かに夢見ていたので、同じことを考えている人がたくさんいるものなんだなと思った。団塊世代の大量定年で、第二の人生は田舎暮らしみたいな流れもあるらしく、最近はテレビでそういう番組が多い。


しかし、私の老後はまだまだ先なので(ほんと言うと、私には老後というイメージが全くなく、たぶん80歳になっても私はその時代を老後なんて思っていないと思うが)、今の内にセカンドハウスでも持って、東京一沖縄、行ったり来たりもいいなあなど言いふらしていたら(先立つものがないことも考えずに)、なぜか最近は、研修の受講生に沖縄から参加される方が多くなってきたのだ。以前は一人もいなかったのに。


沖縄から参加してくれた受講生は、「あけみちゃん、いくらでも安い家探してあげるよ。草ぼーぼーの土地ならあいているから適当に使っていいからね。久高島も案内してあげるよ」とか言ってくれる。(私は、先生と呼ばれるのが嫌いなので、受講生はみんな私をあけみちゃんと呼ぶ。お金も考えなければ、年も考えない!)


意識を一つの方向に集中すると、こういう現象が起きてくる。想いが現実を引き寄せる、意識が現実を創造するというやつでしょうかね。私はミクシーでもブログを書いているのだけれど、なぜか最近は沖縄在住の方や、沖縄に移住したという方がマイミクさんに増えているのだ。


「私、満月の夜に沖縄の浜辺で火を焚きながら、太鼓を叩いて踊り狂うワークショップやりたいなあ。ワークショップのキャッチコピーは、“満月の夜、あなたも月に吠えてみませんか?”というのはどうかしら」なんて言っていたら、受講生たちからは、あまりに似合い過ぎるからこわいと言われた。


誰が言ったのかは忘れたけれど、「この世は夢よ、ただ狂え!」っていうの私好きなんだけどなあ。なんとなく私の深い部分には、シャーマニズムやアニミズムに共振してしまう感性があるような気がする。

「あけみちゃんは、天使系、女神系は全く似合わないけれど、土着のシャーマンの路線はイケるよ」とこの間受講生に言われた。前回のコラムに書いた3先生からは“猛獣使い”と言われるし、受講生やクライアントさんからは、地下足袋系セラピストとか、精神世界の泉谷しげるとか言われるし、なんだか全然オシャレじゃないなあ。


そうそう、前回のコラムに、「サムシング・グレートは語る」というシンポジウムのことを書いたが、このシンポジウムは沖縄でも開催されたのだ。パネラーである村上和雄先生、芳村思風先生、行徳哲男先生とシンポジウムが終わった後の打ち上げで、喜納昌吉さんのライブハウスに行った。行徳先生と喜納さんは盟友らしい。喜納さんは、名嘉睦稔さんと共にシンポジウムにも参加してくださったのだ。


喜納さんは、あの名曲「花」を歌ってくれて感動的だった。私は、カラオケに行くと必ずうたう歌のひとつがこの曲なのだ。大好きなの、この歌。でも、やっぱり歌はライブが最高! そう、人生はライブなのよー!


3先生も喜納昌吉バンドの琉球音楽に合わせて、歌うわ、踊るわで最高に楽しい打ち上げだった。行徳先生や村上先生は、なんとマイクを持ってミニ講演までしてくれて、ライブハウスに来ていたお客さんたちは予想外のオマケがついて大喜びだった。


ライブハウスでの村上先生のお話。

「科学者の私がこういうこと言うのもなんですが、昼間のサイエンスは堅苦しくて面白くないです。データ、データって(笑)。ミッドナイトサイエンスこそが本当の神秘なんです。子供の誕生は、男と女のミッドナイトサイエンスから生まれるでしょう(笑)。科学の研究というのは、仮説を立てることから始まるのですが、この仮説というのは直観、インスピレーションという、感性のひらめきなんです。偉大な科学者はみな感性が鋭くて豊かですね。みなさんも感性が歓ぶことをしてくださいね。いのちがイキイキして、輝きだしますよ」


その夜、打ち上げが終って、ホテルに帰り、お風呂に入った。その後、ベッドの上で沖縄の海を思い浮かべながら瞑想していたら、急に言葉があふれてきたのでノートに急いで書き写した。



   < 永遠の旅の途上 >


一人ひとりの人生というのは、
この宇宙という“生命の織物”を機織っている大切な一本の糸


人は、この宇宙、大自然のつながりの中で生かされている存在であり、
美しく調和に満ちた“生命の織り物”に参画している


人生に起きるつらい出来事は、美しく、心地よく、
肌触りのいい糸(愛ある存在)になるために、
この宇宙から与えられたかけがえのない魂の成長の体験


人は、美しい生命の織物を編んでいくために
様々な色をもつ、他の縦糸、横糸との出会いを大切にしながら、
自分の“生という織物”を機織っていく


幾世にも渡って機織られてきた私のいのちのタペストリー
時を超えて紡がれる、それぞれの魂の物語
人生は、“永遠の旅の途上”・・・。

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     <  いのちの花  > 


私が この世界に生まれた朝の光は どんな美しさだったのだろう
窓から差し込む陽の光 通り抜けていく風
庭の木々たちは 私がこの世界に生まれたことを祝ってくれただろうか


私がこの世界に生まれた日に 初めて聴いた音は何の音だったのだろう
私がこの世界に生まれた日に 初めて見たものは何だったのだろう
私がこの世界に生まれた日に 初めて聴いた声は誰の声だったのだろう


父と母は目を細めて 私が生まれたことをどんなに喜んでくれただろう
父と母は きっと目を細めて 私を見つめ続けてくれたのだろう
抱くことがこわいくらいに やわらかくて 小さくて 
繊細な私のいのちを 守り続けてくれた父と母


たくさんの愛をもらって 今日まで生きてきた
たくさんの人たちから愛をもらわなかったら
今日まで生きてこれはしなかった


今日まで 生きてきた道のりで この世界の美しさに
何度 心が ふるえただろう


沈む夕日の美しさ 黄金色に縁取られた夕焼け雲の神々しさ
降り積もる雪のあたたかさ 台風一過のあの抜けるような空の青さ


朝露に濡れた緑の葉の輝き 電線に連なる赤とんぼの群れ
銀河の流れ その星々の輝き


世界中の青をすべて集めたような海の青さ 空の蒼さ
天と地をつなぐ虹の架け橋の美しさに 思わず息を飲み立ち尽くした日

  
神さまがいるかどうかはわからなかったけれど
この世界の美しさに触れるたびに感じてきた


こんなに美しい世界を創った大いなる存在が
確かにいるということを

  
私をこの世界に本当に送り出してくれたのは その存在であることを
その存在は 私が 私のいのちの花を咲かすこと 
私が自分のいのちを輝かせ 幸せな人生を送ることだけを願って
この世界に送り出してくれた


でも私は 自分がどんないのちの花を咲かせるために
この世界に生まれたのか ずっとずっとわからなかった
やみくもに追い求めて 探し回って 行き詰まって
何度 途方にくれて 立ちすくんだだろう


今日まで 一生懸命生きてきた道のりで
どれだけ涙を流してきただろう


悲しくて 苦しくて 淋しくて ひとり暗い夜の底で
膝小僧抱えて泣いていた夜
つらくて 切なくて どうしていいかわからなくて
ひとり泣き続けた 夜が明けるまで


でも そんな時に いつも誰かが手を差し伸べてくれた
誰かが やさしく抱きしめてくれた 
誰かが 笑顔で手招きしてくれた
誰かが そっと背中を押してくれた    


ありがとう ありがとう 私は あなたに出逢えなかったら
私の歩いて行く道がわからなかった
あなたが 私が咲かすべきいのちの花に 水と光をくれた


あなたに出逢えたことが 私の人生の宝物でした
あなたの存在こそが 大いなる存在からの
私の人生への贈り物でした


私は 私の描きたい色を この人生のキャンバスに塗っていきます
世界でたったひとつの 私の人生を描いていきます
世界で たったひとつの 私のいのちの歌をうたっていきます

私は そのキャンバスに描いた夢を生きていきます
そして あなたの描いた夢と どこかで重なり合い
分かち合える 人生を共に生きていけたら幸せです


ありがとう ありがとう この広い宇宙の中で
あなたに巡り会えたことの奇跡にありがとう

私は、いつかこの人生の旅を終える時、振り返ってみたら、クネクネに曲がりくねった道だと思っていたものが、実は、まっすぐな道を、自分はただひたすら歩いてきたのだということに気がつくのかもしれない。


そして、人はきっと、真摯に自分に問い、大いなる存在に問う人生を生きていたら、問い続けていたことの答をいつしか生きているのではないだろうか。それが、焦がれるほどに、自分が求めていた答であったということに気づきもせずに。


私もきっと、今回の人生の旅のどこかで、あるいは、旅の終わりに、それを深く納得するのだと思う。その時に私は、かけがえのないこの人生の旅のすべてを抱きしめながら、私の本当の故郷である母なる宇宙の源に還ってゆくことを受け入れるのだろう。


かつて生死を彷徨う体験をした時に体験した、あの平和でやすらかでとても懐かしい場所へ。



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          <  お 知 ら せ >

         
* 8月25日(土)、心身のリラクゼ-ション&メディテーションの会があります。(東京・自由が丘)
  
テーマ:体ほぐして 心ほぐして 内側から元気になる


* 9月7日(金)~9日、長野県、女神山で2泊3日のワークショップ「Be―Work」があります。

テーマ:本来の自分のいのちの輝きを取り戻し、イキイキ、ワクワクした自分を取り戻すワークショップです。豊かな自然の中で、自分とつながり、人とつながり、自然とつながり、もういらなくなったものを手放し、本当に生きたかった人生に歩み出すワークショップです。

* 9月22日(土)、「1 day ワークショップ」があります。(東京・自由が丘)


テーマ:今回は、第二チャクラのテーマである「よりよい人間関係の作り方」と「自分の人間関係のパターンとギフト」をみていきます。カラーアートセラピー、気づきのワーク、第二チャクラのエネルギーバランスを整える心地いいボデイワークなどがあります。

* 詳しくはホームページをご覧ください。

 岡部明美の公式ホームページ:http://anatase.net/

私たちは今“意識革命の夜明け”に生きている

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あれはたしか2002年の春。致知出版社の月刊誌『致知』で、村上和雄先生(筑波大学名誉教授・遺伝子工学の世界的権威)と、行徳哲男先生(日本BE研究所所長・教育者)と芳村思風先生(感性論哲学創始者・哲学者)の鼎談に同席させていただく機会を得た。




私は、村上先生とだけは初対面だったけれど、数年前に、村上先生のベストセラー『生命の暗号』(サンマーク出版)を読んで感動していたので、生で村上先生のお話を目の前で聞けたことが何よりもうれしかった。


私は昔から、宇宙の真理や法則、神や仏という大いなる存在のことを科学や哲学や文学の世界からも知りたいと思っていたので、こうして科学者である村上和雄先生、哲学者である芳村思風先生、教育者である行徳哲男先生とご縁をいただけたことが本当に有難かった。


この鼎談が好評だったことから、友人の松前兼一郎さん(日本SG研究所代表)が、この素晴らしい鼎談をより多くの人にライブで聞いてほしいと思い立ち、シンポジウム“サムシング・グレートは語る”を全国で開催するために2002年から動き出した。大阪を皮切りに福岡、沖縄、横浜、徳島、滋賀で開催したのだけれど、驚いたことに毎回、600~1400名もの人が集まるほどの盛況のシンポジウムだった。


テーマは「21世紀・日本の使命」という今日の日本の歴史的使命について。「サムシング・グレートは語る」という大自然の偉大なる力、見えざるものの不思議な力について。「このいのち何に使うか」という人生の使命に関するもの。21世紀という新しい「精神文明の幕開け」についてなど、多岐にわたり幅広い、非常に深みのあるテーマでのシンポジウムとなった。


私は、松前さんからいきなりシンポジウムの進行役、つまり3先生からお話を聴きだすコーディネーターをやってほしいと言われた。私は毎日、深夜、あるいは明け方近くまで、3先生のご著書をすべて読み直し、ノートを3冊作って、それぞれの先生にお聞きしてみたいことを書いていった。


最初のシンポジウムは、2002年に大阪から始まった。1350人もの人が集まってきて会場は熱気にあふれていた。このシンポジウムのメインスピーカーは村上和雄先生だった。


村上先生は、科学が苦手という人にも、とてもわかりやすくお話してくださるし、見えない世界の話には、最初から懐疑的な態度を示す人にも、すっと入っていけるような巧みな話し方をされる。今、求められているのは、こうした見えない世界の話を、理性や知性に抵抗感を与えずに話せる人なのだと思う。


「ヒトの細胞の一個の核に含まれる遺伝子の基本情報量は、“30億もの化学文字”で書かれていて、これをもし本にすると、千ページの本が三千冊分にあたります。この超ミクロな物質に万巻の書物に匹敵するような情報が書き込まれているのです。私たちのからだの中の超ミクロの世界が一刻の休みもなく、間違いなく活動してくれているお陰で、私たちはこうして生きていられるわけですが、これはよく考えてみたら一体何事ぞ!というほどの奇跡なわけです」


「僕はこの遺伝子の“暗号解読”に日夜没頭していたある日、はっとしたというか愕然としたんです。なぜなら、遺伝子の暗号解読をしている我々もすごいけれど、これを書きこんだものがいる!ということに突然気づいた時の驚き。一体誰がこれだけのプログラムを設計し、30億もの化学文字を遺伝子という超ミクロな世界に書きこんだのか?親でないことだけは確かですよね。親が書いたとしたら、もうちょっとはましな子供が生まれているでしょうから(笑)とにかく遺伝子の研究を突き進めていくともう人間の知識や知恵や想像力では及ばない世界にぶちあたってしまうわけです」


村上先生は、その30億もの化学文字を超ミクロの遺伝子に書き込んだものを目に見えない大自然の働き、偉大なる何者か、大いなるいのちの働きという意味で、“サムシング・グレート”と名づけられた。このサムシング・グレートのことを、古来宗教が神とか仏とか言ってきたのだということはすぐわかるだろう。


村上先生は遺伝子の研究を進めていくうちにさらにすごいことに気づかれる。すべての生き物は、みな、同じ遺伝子の暗号を使っているということがわかったのだ。これまで地球上に存在したすべての生き物が同じ遺伝子の暗号を使っているというのは、“20世紀最大の発見です”と、村上先生はおっしゃる。


つまり、生き物はすべてどこかでつながっているというのだ。すべてのいのち=存在は同じひとつの“源”につながっている。生命あるもの、存在するものすべては、“ひとつのいのち”から生まれていることを科学が発見したのだ。


村上先生は、環境問題の鍵を握るのも、世界平和の鍵を握るのもこの事実だとおっしゃる。本当になんという発見なのだろう。科学の醍醐味、偉大さは、こういうところにある。


「私たちの肉体を構成する元素、水素、酸素、窒素、これはすべて地球の元素です。その地球の元素はどこから来るかというと宇宙から来ている。だから私たちのこのからだは宇宙からできているのです」


「私たちのからだは全部宇宙からの借り物なのにサムシング・グレートは無担保で貸してくれるんですよ。借用書書けとか、レンタル料払えなんて言わないんですからね(笑)。サムシング・グレートの愛は、ただただ与えるだけなんです。やさしいですね。ほんとに有り難い。だから、我々は死んだらお借りしたこのからだは全部、地球に、宇宙に返さなければいけないわけです」


生命あるものがすべて同じ遺伝子の暗号を使っているのみならず、私たちのからだを構成している元素も他の生物の元素も、太陽も地球も、夜空に煌く数多の星も、この宇宙におけるすべての物質は同じものからできているなんてなんという発見だろうか。 


このことを理解すると私たち一人ひとりの存在は、本当に星のかけらでもあり、海の一滴でもあり、砂の一粒、1本の樹木、空翔る一羽の鷲、一輪の花、ひとひらの雪でもあるということなのだ。まさしく「千の風になって」である。


存在は、すべてであるものを含んでいる。部分は全体を現している。“存在とはすべてである”ということは、私たちは、一人ひとりが宇宙そのものを体現しているということなのだ。


私は、村上先生のお話を伺いながら、究極の科学は、究極の宗教性と結婚するんだなと私は思った。あの天の川で、1年に1回出会える“織姫と彦星”のように、科学と宗教が楽しくデートできる日が早く来るといいなと思う。


「日本の学会、アカデミズムの世界はほんとに保守的だから、神さまのことなど言い出したら、“あいつもとうとう神頼みか(笑)”と、ばかにされるんです。しかし、遺伝子の研究を進める中で、こうして古来、神とか仏と人々がいってきた大自然の偉大なる力、この宇宙の法則を創り、創造し続けている大いなる存在のことを科学的に立証でき、サムシング・グレートという言葉で語れるようになったことは大きな可能性が広がったと思います」


「サムシング・グレートは自分の中にもいるのですから、みなさん、感性を研ぎ澄ませて自分の内側からくる情報に対してもっと耳を傾けて下さい。内側には計り知れない、大いなる“いのちの知恵”があるのですから」


自分の中にいるサムシング・グレート、宇宙の偉大なる愛と叡智こそが、古来宗教が、神性、仏性、真我、大我と言われてきた人間の純粋なる意識の光なのだろう。


神も仏も本当は自分の中にいるのだから、自分を寄る辺として生きていっていいのだ。外側の権威にすがると、人は何か大切なものを見失い、取り違えてしまう可能性が多々あるから。


そういえば、お釈迦様も、「自らの光となりなさい」という“自灯明”の教えを残している。人の最も奥深いところにある純粋意識、真我に目覚めることとすべての生命はつながりあっていることに目覚めることは、今や人類の集合意識レベルでの焦眉の急なのだ。


「物は、人にあげると減るけれど、幸せは人にあげるとどんどん増えるんですよ。人を幸せにする人は、自分が幸せになっていくんです。幸せは分かち合えば合うほど、大きくなる。すべてのいのちはつながっているから、いいものも悪いものも、とにかく自分が人に与えたものが自分に返ってくるんです」


「自分が幸せになりたかったら、人を幸せにしてあげればいいんです。自分が愛がほしかったら、無心になって人に愛を与えればいいんです。サムシング・グレートはすべての生命の親。だから自分の子供であるみんなが仲良く暮らすこと、幸せになることだけを望んでいるんですよ」


私たちひとり一人がどれだけかけがえのない存在であるのか、生まれるべくして生まれた存在であるのかをこうした科学の言葉で理解できることの素晴らしさ。


私たちはみなひとりぼっちの孤独な存在なんかじゃないのだ。人はみな慈愛に満ちたこの宇宙の大いなる源から生まれ、すべての存在はその源につながっているのだから。


このことを理解すると、人生は意味のない経験の砂漠をただ彷徨うだけの時間でもなければ、人生に起きてくる出来事が、ただ無秩序に、無意味に起きてくるわけではないということが本当に納得できる。そう思うと、一人ひとりの人生というのは、なんという壮大ないのちのドラマ、魂の物語なのだろうか。


村上先生は「僕の使命は、科学をエンターティメントにすること。そして、サムシング・グレートのメッセンジャーになることです」とおっしゃる。先生は現在チベット仏教の最高指導者、ダライ・ラマ法王14世と「科学と宗教の統合」を目指して積極的に対話をされている。


ダライ・ラマ法王は、今、世界中の科学者と対話をしており、その中でも、遺伝子の研究によってサムシング・グレートのことを語る村上先生とはとりわけ親しくされているようだ。


ダライ・ラマ法王は愛とユーモアに溢れた人だそうで、村上先生と一緒に肩を組んで写真を撮った時に、法王が村上先生の耳たぶをくすぐるので、「これは何か重要な宗教的儀式なのですか?」と村上先生が尋ねたところ、「ちょっとイタズラをしたくなっただけ」と言ってニコっと笑われたのだそうだ。


そして、村上先生に「僕たちはきっと前世で兄弟だったと思いますよ」とウインクしながらおっしゃられたのだという。「科学と宗教の統合」なんて夢のようなことだと思っていたけれど、もしかしたら、本当にその日は近いのかも知れない。古来、宗教は、「人間はみな神の子、仏の子」と言ってきたわけだけれど、それを科学の言葉で語れる時代になったなんて。


それにしても、村上先生は本当に腰が低い。そして、ユーモアたっぷりなのでお話が最高に面白い。村上先生はこんなこともおしゃっていた。


「いばっている人に本物はいませんね。本物は、そのへんにいる普通のおじさん、おばさんに見える人ですよ。本物はみな謙虚で、自分が特別であることをひけらかしたりしませんし、人を依存させません。上からものを言って、真理を教えやるみたいな人も本物ではありませんね。科学的な研究をしていて痛切に思うことは、知れば知るほど、わからないことが増えていくんです。宇宙は、生命は、本当に驚愕すべき神秘なんです」


私は、量子物理学者や生命科学者が、その研究の果てに、驚きと感動をもって宇宙の真理や生命の神秘に言及しているメッセージが好きだ。だから、村上和雄先生や柳澤佳子さんの本などは本当に面白い。柳澤佳子さんは、もちろん生命科学者としての研究だけでなく、大変な難病に何十年も悩まされ、医療の中で傷ついてきた体験がおありだから、その語る言葉には説得力がある。柳澤さんは、『 生きて死ぬ智慧』」がベストセラーになったが、それ以前の『二重らせんの私』『卵が私になるまで』『お母さんが話してくれた生命の歴史』も面白いし、作られた短歌も素晴らしい感性だ。


私はどうして精神世界のメッセージや情報、たとえば、アセンション、2012年の話、フォトンベルト、アトランティス、レムリア、ワンネス、コースインミラクルなどの話には、あまりワクワクしないのかなあと思っていたのだけれど、これはあくまで趣味の問題なんだということが最近よくわかってきた。決して嫌いではないのだが、ぐわーんとした感動や心の奥底までの共振・共鳴が起きてこないのだ。


私は、個人の体験からつかんだものや気づいたことを、その人がいかに”普遍的”に、かつ、”自分の言葉”として語っているかどうかが最も惹かれる点なのだ。その人の問いの立て方、その人の感じ方から、あるテーマに向かって地道に、真摯にそれ追いかけ、悪戦苦闘、紆余曲折を経て、感動を持って真実を語る、その「人生」と語る「内容」と「人間としての魅力」に私は最も惹かれるみたいだ。


村上先生は、最後のメッセージとして、こういう話をされた。

「日本はこれから東西両文化の統合・融合という役割、科学技術文明と精神文明を統合・融合していくという世界的な役割を担っているんです。みなさんは今、人類史上例をみない意識革命の時代の目撃者なんです。そしてこんなすごい時代に生まれてきたのですから、お一人ひとりが、この世界をよくしていくためにどれほどの役割を担っているか計り知れないんですよ」


それにしても、私たちはみななんというすごい時代に生まれたのだろうか。私はこんな面白い時代に日本人として生まれてきて本当に良かったなあと思う。


*今年もまた、9月15日(土)に名古屋で、村上和雄先生、芳村思風先生、行徳哲男先生、土橋重隆先生(医師)のシンポジムがあります。

http://anatase.net/event.htm


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          <  お 知 ら せ >

         
* 8月25日(土)、心身のリラクゼ-ション&メディテーションの会があります。(東京・自由が丘)
  
テーマ:体ほぐして 心ほぐして 内側から元気になる


* 9月7日(金)~9日、長野県、女神山で2泊3日のワークショップ「Be―Work」があります。

テーマ:本来の自分のいのちの輝きを取り戻し、イキイキ、ワクワクした自分を取り戻すワークショップです。豊かな自然の中で、自分とつながり、人とつながり、自然とつながり、もういらなくなったものを手放し、本当に生きたかった人生に歩み出すワークショップです。

* 9月22日(土)、「1 day ワークショップ」があります。(東京・自由が丘)


テーマ:今回は、第二チャクラのテーマである「よりよい人間関係の作り方」と「自分の人間関係のパターンとギフト」をみていきます。カラーアートセラピー、気づきのワーク、第二チャクラのエネルギーバランスを整える心地いいボデイワークなどがあります。

* 詳しくはホームページをご覧ください。

 岡部明美の公式ホームページ:http://anatase.net/

プロフィール

岡部 明美岡部 明美

ワークショップ・トレーナー/セラピスト/カウンセラー/研修講師/文筆家/東海ホリスティック医学振興会顧問。

独身時代は、シンクタンクにてマーケティングプロデューサーとして活躍。30代半ばで結婚。長男出産直後に脳腫瘍と水頭症を発病し生死を彷徨う。自分の死に直面するという体験を通して、いのちの根源からの問いの答を求めて自己探求の道に歩みだす。著書に「もどっておいで私の元気!」(善文社)「私に帰る旅」(角川学芸出版)

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