
子供の頃からの悩みの種だった親との関係は、私の意識が内側に向き合い出したら少しずつ変容し始め、昔に比べたらずいぶん関係性が楽になってきた。もちろん両親は相変わらず夫婦ゲンカばかりしているし、弟たちも相変わらず問題を次々にこさえている。
問題が起きる度にいまだにみんなが私を頼ってくる。その度ごとに当然今まで通りの反応は起きてくる。なんでうちの家族ってこうなんだろうと、電話がかかってくる度にやはり気は重くなる。
でも、雲の向こうに青空が見えてからは、かつてのように、「じゃあ、私がなんとかしなきゃ」とか、「今度はどうすればいいのだろう、私は・・・」といった“深刻”なしょいこみ方をしなくなったのだ。私がやり過ぎてしまうことは、逆に、家族をコントロールしてしまうことになるのだということにやっと気づいたからだ。
どんなに頼られようが、ちゃんと距離をとって、私にできること、できないこと、やりたくないことをはっきり言えるようになったら、ずいぶん家族との関わり方が変わってきた。反応は起きてきても、今までのように深刻にならないでいられること、反応している自分を観られるようになっただけで大分気が楽になってきた。
おそらく家族というのが、この世で無償の愛というものを学ぶための最大の修行なのかも知れない。親子という縦糸の愛、夫婦という横糸の愛。このふたつの糸が織りなす悲喜こもごもの愛憎ドラマが、まさに人間関係の修行なのだろう。チベットとかヒマラヤの山奥にこもって瞑想修行している方がよっぽど楽なことなのだと思う。
愛という言葉は心地よいけれど、実はこの言葉はかなり曲者ものでもある。愛という名の支配、コントロール、束縛、依存、執着がいっぱいあるからだ。本当は、愛は相手を自由にしてあげること、幸せにしてあげること、幸せを願うことなのに。相手の喜びや幸せが自分のことのようにうれしいことであるはずなのに。
愛が呪縛になるから人は苦しむ。愛が自分のニーズを満たして欲しいという相手への要求になるから、人は愛に苦しみ、同時に、相手を苦しめる。一体、人はどれだけ泣くのだろう。痛い思いをするのだろうか。愛を学ぶために、愛を知るために。
親子の愛、夫婦の愛というものが、人が無償の愛を学ぶための最大のレッスンであるとするならば、そのメンバー、相手は一筋縄ではいかないタイプであることの方が多いのかも知れない。
とにかく自分に向き合い出したら、まず最初に直面しなければいけなかったことは、親との関係だった。「自分とは誰か?」というものを見ていけばおのずと自分のルーツである親との関係、家族関係にぶちあたってしまうのは当然のことなのかも知れない。
幼かった頃の心の痛みに触れることは苦しかったけれど、涙が流れる度に、私の中でしこりになっていたものが、一つひとつ終っていくような気がした。
< 涙 >
ふいに溢れてくる涙がある
感動の涙や悲しみの涙ではなく
なぜこんなときに こんなところで
突然溢れてきたのか自分でもよくわからない涙
思いがけずこみあげてきた涙に
自分が切ないほど求めていた何かや
大切にしていたもの
譲れないもの
傷ついていた心などを知らされるときがある
涙の流れてきた場所を辿って行ったとき
そこに立っているのは
まっすぐな眼差しをもった素のままの自分だったことに気づくことがある
ふいに溢れてきた涙は 自分の心の真実を教えてくれる
『もどっておいで私の元気!』より(岡部明美著:善文社)
(つづく)
*12月22日(土) 「リラクゼーション&メディテーションの会“シャンテイ”」が東京・自由が丘であります。~からだほぐして 心ほぐして 内側から元気になる~
http://anatase.net/work3.htm
*岡部明美の公式ホームページ:http://anatase.net/
私は、母が言った「末っ子の息子が一番かわいい」という言葉で、「私は母に愛されていない」と思い込んでしまったのだけれど、母は、そんな深い意味で言ったのではないということぐらい今ならわかる。
思い返せば、母にとって、私はかけがえのない存在だったのだし、母なりに私を愛してきたことくらいわかっていたのだ。私は、自分の間違った信じ込みを完了させるために、ある時、母に思い切って、自分が感じてきたことを言ってみた。そうしたら、母は驚くようなことを私に言うではないか。
「私こそ、あんたに愛されていないんじゃないかって思っていた。あんたは、子供の頃から本当にお父さん子で、私に頼らなかったし、甘えたことがなかった。この子は、私を必要としていないんだって思っていた。私はそれがずっと淋しかったんだよ。あんたは、私を責めることはあっても、お父さんを悪く言ったことは一度もない。あんただって、お父さんのお酒でずいぶん苦労してきたはずなのに。この子は、父親だけを愛しているんだって思っていた。あんたが、自活したいからと言って、家を出ていってからは私は1年くらい、淋しくて淋しくて、飲みたくもないお酒を泣きながら飲んだりしていたんだよ。あんたに言ったことはなかったけれど」
知らなかった。母も淋しかったなんて。私は、母が、父や弟たちのことでいつも心配をしたり、頭を悩ませていたからこそ、自分だけは母に心配をかけたくない、母の手をわずらわせたくない、母を助けようと思ってがんばってきたのに。
それなのに、そんな私を母は淋しく思い、自分はこの子に必要とされていないなんて思っていたなんて。信じられない。私は、30年近くも間違った信じ込みをしてきたのだ。私と母は一緒に泣いた。初めて母と和解できたと思った。
その夜ふと「人生のアルバム」「写真」という言葉が浮かんできた。人が、自分の人生のアルバムに貼る写真というのは殆ど「はい、チーズ」のポジフィルムだ。アルバムに貼られた私の写真、家族の写真はみんないつも笑っている。何の問題もない、ご機嫌な顔、楽しそうな顔をしている家族の写真ばかり。まるでアルバムだけを見れば「太陽の家族」みたいだ。
私の、そして、家族のネガフィルムなんて一枚もない。「ネガフィルム」はみんな自分の心の中にしまいこんでいるのだ。心の中にしまわれて思い出すことさえ自分に禁じられる悲しみの写真の何枚か。
アルバムに貼られた写真は、いつかセピアカラーになっていくのに、心の奥深いところにしまわれた写真たちは、しまいこんだ時の色のまま、傷ついた心のままひっそりと生き続ける。
その何枚かのネガフィルムがあるために、過去を振り返ることには心の痛みが伴う。キラキラと輝いていた日々、無邪気に笑っていた日々もたくさんあったはずなのに、思い出すことが苦しみにつながるそれらの写真が、過去を曇らせ光にあふれていた日々さえも遠くに追いやっていたのだ。
でも、母に愛されるためにがんばっていい子をやってきたことや、両親の板ばさみに合うことが本当はつらかったのだということを母に言えたら、幼い頃のやんちゃな自分や天真爛漫だった自分、家族の楽しい思い出なんかをいっぱい思い出せるようになったのだ。ほんとに不思議。
心の痛みというのは、まるで雲みたいだ。つらかったことや悲しかったことをたくさん話して泣いたら、その雲がいつの間にかすーっと流れて消えて行き、気がついたら、雲の向こうに清々しい青空が見えたのだ。
家族の痛みにばかりとらわれていた頃の私は、雲の向こうに常に存在している青空と太陽が見えなかった。つまり、父と母が、どんなに私を愛していたかという方に目を向けられなかったのだ。
青空も太陽も、私の人生に一度たりとも存在していなかったことなど無いにも関わらず。両親の愛がなければ、私は、今日まで生きてこられるはずもなかったのに。青空と太陽というのは、大きな大きな愛みたいだと思った。
< 必要 >
ネガティブな感情や行動を嫌悪してきたけれど
その背後には、表現されることを待っている願いや、
流れ出したいエネルギーがあることに気づいた時、
自分のことも、人のことも、より深く見つめられるようになった。
妬みの奥には、よりよく生きたい、
イキイキと自分らしき生きたいという願いが。
怒りの奥には、愛や正義、理想や自己尊厳、
新しいものを創造していくエネルギーが。
攻撃の奥には、自分をわかってほしい、
認めてほしい、愛してほしいという願いが。
自閉の奥には、人とつながりたい、自分を表現したい
というエネルギーが。
恨みの奥には、それほどまでに人を深く愛せる力があるということが。
ポジティブな感情が、眩い陽の光や、さわやかな風だとするならば、
ネガティブな感情は、降りしきる雪、吹きすさぶ嵐。
自然に一切の無駄がないように、自分の中にあるもの、
自分の中から湧き出てくるものにも無駄なものはない。
すべては生きてゆくために必要なもの、いのちの自然な営み。
いのちは未来に向けて絶えず変わり続ける存在だから、
今をそのままに受け入れられた時、
新しい季節は巡ってくるのだということを知った。
『もどっておいで私の元気!』より(岡部明美著:善文社)
(次回に続く)
*12月22日(土) 「リラクゼーション&メディテーションの会“シャンテイ”」が東京・自由が丘であります。~からだほぐして 心ほぐして 内側から元気になる~
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自分が子供時代にちゃんと子供をやってこなかったということが、大人になった自分の人間関係や生き方にこんなに影響を与えていたなんて思いもしなかった。
親を精神的に頼れないと思い込んでしまった私は、「自分のことは自分で解決するしかないんだ」「頼れるのは自分しかいない」という信念をかなり小さい内にもってしまったのだ。つっぱり人生はすでに子供時代から始まっていたのだ。
確かに私は親に甘えた記憶がほとんどない。私が甘えるというのは、自分のやりたいことを押し通すというわがままな形の甘えだった。私は、甘えられないことの反動で妙に自立心、独立心が強くなっていったのだ。
でも、子供時代に親に甘えて依存してということをちゃんとやれなかった人間の自立は、偽の自立なのかもしれない。自立の仮面の下に、私は、依存心や不安や脆さを隠していた。
私は、本当は親に甘えたかったのだ。甘えられないことがすごく淋しかったのだ。親に無条件に甘えていたのは、末っ子の弟だけだった。実際、末っ子の弟は、憎めない性格でかわいい子だった。私と年子の弟は親に甘えそびれてしまったのだ。
年子の弟が生まれた時、私はまだ自分も乳飲み子だったのに母が乳首に唐辛子を塗って「弟が生まれたから今日でおっぱいは終わり」と1回言っただけで、二度とおっぱいを要求しなかった子供だったらしい。
母は、そのことを「明美は聞き分けがいい。手がかからない」と人に自慢話をするようにして話していた。私はその話を聞く度にいつも淋しくなった。私には、一度相手から拒絶・拒否されたと思うと瞬時に心を閉ざしてしまい、もう二度と自分の要求や気持ちを言わなくなるというパターンがあるのだけれど、それはすでにこんな小さい頃から始まっていたのだ。
私は、おそらく無意識に、親の手をわずらわせない子供でいることで親からほめてもらえるということを学習していったのだろう。でも、郁恵さんのワークで、子供時代自分がどんなに淋しかったか、どんなに親に甘えたかったかという感情が突然あふれてきたのだ。
大人になっても、人は、「未完了の感情」とか「未完了の体験」というものが記憶の中に残っていて、それは表現されること、癒されることを待っているというのはこういうことだったのかと思った。
私の記憶は、どんどん過去に遡っていった。もう思い出すこともなくなっていたことがワークをやっていると、ふと鮮烈に浮かび上がってくることがよくあった。確か、小学生3、4年の頃だったと思う。夜中に目を覚ますと、遊びにきていた母の友達と母が話していた。その時の母の言葉にショックを受けたことを思い出した。
「母親っていうのは、やっぱり息子がかわいいわね。末っ子は特にかわいい」
私は、この母の言葉にすごいショックを受け、私は、母に愛されていないのだと思いこんでしまったのだ。私は、あの時、母に認めてもらうために、愛されるために母の助けになることならなんでもしようと心に決めたのだと思う。
私は、母に愛されたくてしっかりものの長女をやり、いやな顔もせずに愚痴も聞き、勉強をし、クラス委員をやり、運動会でもいろいろなコンクールでも一等賞をとるためにがんばったのは、すべて母にほめてほしかったからなのだと思った。私は、母の“自慢の子”になりたかったのだ。
私は、高校、大学時代、ボーボワールや、明治時代の「青鞜の女たち」の生き方に大きな影響を受け、女性解放運動などのフェミニズムに密かに傾倒していたから、そのせいで独立心、自立心が強くなったのだとずっと思い込んでいたのだ。
でも、郁恵さんのワークを受けて初めて、私はフェミニズムの影響以前にすでに親との関係の中で甘えそこなったために、自分で立つしかなくて、そのために妙に自立心、独立心が強くなったのだということに気づいたのだ。
子供時代というのは親への依存期なわけで、その時期にちゃんと親に甘えて、抱きしめられて、守られてという安心感の体験がないと、人は心の奥に脆さを抱えてしまうのではないだろうか。私の自立心、独立心の柱は、確かに脆かった。シロアリにすぐやられてしまうくらいに脆い柱だった。
一見、強そうに見える人、理性的(クール)に見える人、虚勢を張っている人、猛々しい人、反対に、あまりにも善い人、明る過ぎる人というのは、もしかしたら、自分のそんな脆さや弱さや淋しさを一生懸命隠し、自分の悲しみを頭で納得させることで必死に生きてきた人たちなのではないだろうか。
人は、子供時代に丸ごとの自分を愛してもらい、認めてもらい、大切にしてもらったという体験をすることで、初めて本当に自立していけるのではないだろうか。
それが満たされていないと、大人になってから愛と承認をもらうために必要以上にがんばり過ぎたり、相手が自分を本当に愛しているのかどうかを試すようなことを言ったり、やったり、愛をもらいたいために与えるという犠牲的な生き方をしてしまうのかも知れない。
私はこれに気づいた時からだんだん人の見方が変わっていった。第一印象だけで人を決め付けてしまうようなところがあったのだけれど、その表面の“感じ”の奥にある悲しみや淋しさが感じられるようになると、だんだん苦手な人や嫌いな人が少なくなっていったのだ。
自分を防衛するための鎧兜というのは、もう二度と傷つきたくない、こんな悲しい思いはもう二度としたくないという自分を守るための繭のような存在だったのだ。鎧兜の厚さや堅さというのは、きっとその人の心の痛みの大きさに比例しているのだと思う。
< 自立 >
自立した生き方を目指して生きてきたら
いつの間にか人に弱さを見せられないようになり
人とつながれない自分になっていった
自立とは、自分の意志で選択し、行動し、その結果を
自分で引き受けるという生き方ができること
同時に、自分をゆだねたり、甘えたり、頼ったり、
相手のそういう部分も受け入れられる関係性の柔軟さを
楽しめること
自立とは、ひとりでも生きてゆく力を身につけながら
人は、ひとりでは生きてゆけないことを心とからだの芯から
感じとること
「自由と孤独」「愛と憎しみ」が背中合わせにあることを知り、
臆病になってしまったとしても、なおもう一度、真から人と一緒に
生きていこうという気持ちが湧き上がるのを静かに待てる自分になること
『もどっておいで私の元気!』より(岡部明美著:善文社)
(次回に続く)
*12月22日(土) 「リラクゼーション&メディテーションの会“シャンテイ”」が東京・自由が丘であります。~からだほぐして 心ほぐして 内側から元気になる~
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人は、自分や人間や人生に対してポジティブな信念を持ったり、夢を抱いたりすると同時に、痛みの体験と共に無意識に作ってしまったネガティブな信念体系と人生脚本もあるというお話を郁恵さんから聞いた。郁恵さんはこう言う。
「人は、自分が傷ついた時、つらい気持ちを味わった時に、無意識に何かを決めることがあります。自分を守るために、生き延びるために、ある信念、信条をもってしまうのです。たとえば、親から丸ごとの自分を愛してもらえなかったら、“私はいい子でなければ愛されない。いつもいい子でいよう”と決め、自分の欲求を抑えて、人の期待に応える人生を選んだりします」
「自分の気持ちを素直に言うと、親から否定されたり、ワガママだと言われ続ければ、“本当の自分を見せたら、人から受け入れられない”という信念を持ち人と表面的にしか関われなくなったりします。また、母親が苦しんでばかりいるのを見てきた子は、自分はどうなってもいいから母親を楽にしてあげたい、母を助けたいと思い、自分を犠牲にしてでも人を喜ばせ、人を助ける人生を選んだりします」
「幼少時代だけではなく、人は思春期や大人になってからも、心が傷つく体験をすると同じように心の中で何かを決めることがあります。たとえば、愛する人に裏切られたら“もう私は誰も愛さない”、“人は必ず自分を裏切る、自分の元を去っていく”という信念をもったりします」
「誰かを深く傷つけてしまったことに対して罪悪感を持っている人は、“自分は愛される資格、幸福になる資格なんかないんだ”と思い込み、自分が幸せになることを深いところでは許していなかったりするのです」
私は、郁恵さんのこのお話がものすごく納得できた。思い当たる節がいっぱいある。人は人生でつらい体験をした時に無意識レベルで、自分とは、人間とは、人生とは、世界とはこういうものだという思い込みをしてしまうのだ。
今はもう自分の環境はすっかり変わっているにも関わらず、その“無意識の否定的な信念”に人生が支配され、不必要な苦しみを生み出し、その信念を証明するかのように人生に何度も同じようなつらい状況を作りだしてしまうのだ。
「その信念がどこから形成されてきたか気づくことによって、私たちはもっと新しい、もっと柔軟な信念を選ぶことができます。こういう生育歴、こういうトラウマがあるから自分はこうなったんだと人は思いがちなのですが、実は強い心の痛みを経験した時に自分がそこで何を間違って“学んでしまったのか”、自分や人や世界に対して“どのような思い込み、信念”を持ってしまったのかに気づくことが大切なのです。気づきは、自由と解放への道なのです。それによって人は、生命の自己修復力や自己形成力が働き出し、本来の自分を生きるという目的に向かっていけるようになるのです」
私は、郁恵さんのこのお話を聞いてとてもほっとした。私は今まで、自分が人に愚痴や弱音を吐けないのは、見栄っ張りで、ええかっこしいの性格だからだと思っていたのだけれど、違うのだ。
私は、愚痴を聞かされ続けてきたことが本当につらくて、「私は絶対、人に愚痴なんかこぼさない」「否定的な感情を人に言うことは、人に重荷を背負わせてしまうこと。人を、自分の感情の捌け口、ゴミ箱にしてはいけない」と子供心に決めたのだ。これが人は傷ついた時に何かを決めるということなのだ。
私は、人の愚痴や弱音や嘆きを聞くのは、たまにだったらいくらでも聞ける。それによって相手とより深くつながれる感じがするからいやだとは思わない。私を信用してこんなことまで話してくれたんだってことをうれしくさえ思う。
実際、私が人と深くつながったり、その人を好きになるのは、決してその人の“陽の部分”(明るさや聡明さ、りっぱな部分、素晴らしいところ”を見たからではない。その人が自分の“陰の部分”一弱さや淋しさ不安、葛藤や罪悪感や悲しみをさらけだしてくれた時、その陰の部分が、私にとって共感できたり、信頼できたり、いとおしいと思えたりした時なのだ。
でも、たまにさらけ出すから、共感し、つながれるのであって、年がら年中聞かされる愚痴というは、やはりたまらなかった。母は、「あんたにしかこんなこと言えない」っていつも言っていたけれど、じゃあ、私は誰に言えばいいというのか。家族のゴタゴタなんか人には言いたくない。私はいつも聞かされ続けて、溜まる一方ではないか。
私は、「愚痴や弱音は絶対に吐かない」という信念をもってしまったために、人に自分の弱さをさらけ出すことが苦手だったのだということに、初めて気づいた。なんでも一人で解決して、事後承諾として、あの時はこうだったと報告するパターンを繰り返してきたのだ。
たまに我慢の限界がきて、人に愚痴や弱音を吐いてしまった後は、後味が悪くて、罪悪感や後悔が生まれた。言わなきゃ良かったと思った。これも自分の信念を裏切るように思うから出てくる感情であったということに気づいた。
でも、人間だもの、たまには愚痴のひとつもこぼしたくなることだってあるし弱音を吐いて人に甘えたい時だってある。そういうことを自分に許せなかったのは、自分が傷ついた時に決めた信念が、自分の素直な感情を表現することを阻んでいたからだなんてほんとにびっくりだ。心のカラクリを知ることは、自由になっていくことなのだと思った。気づくことは、罠から自分を抜け出させる方法なんだな。
*12月22日(土) 「リラクゼーション&メディテーションの会“シャンテイ”」が東京・自由が丘であります。~からだほぐして 心ほぐして 内側から元気になる~
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静かで、心地よい音楽が流れながら、郁恵さんが語りかける。
「目を閉じて、ただ、自分のからだの感覚を静かに感じてみてください。どこかが緊張していたら、その緊張を感じてみてください。どこかに、痛みや、だるさ、重い感じやつらい感じがあったら、それをただありのままに感じてみましょう」
「そのからだの“感じ”に、ちょっと意識を集中してみてください。その“感じ”にもし言葉があって、何かを言っているとしたら、それは何を言っているのでしょう。あるいは、その感覚を感じていると、何か、言葉とかイメージとか、何か出てくるかもしれません。何がでてきてもOKです。ただ、それを注意深く感じてみましょう」
目を閉じて、深い呼吸をしながら、自分のからだの感覚や心の中で起きていることにずっと注意を向けているだけで、なぜだか涙がでてくる。私が、私をわかってあげようとしていることを、私のいのちが喜んでいるみたいに思えた。心とからだがひとつにつながって生きようとしていることを感じた。
何を感じても、どんなふうに感じてもそれが許される。今、自分が感じていることを“生きる手がかり”にしていいんだというメッセージがすごくありがたかった。
今はこれといった身体症状がないので、私は、かつての慢性的な偏頭痛や脳腫瘍の痛みに自分の意識を集中してみた。すると、私の中から「もう、イヤ!」っていう声が聴こえてきた。その「もう、イヤ!」っていう感じをさらに深く感じていったら、急に重たい感情が湧き上がってきた。
本当は、からだも心も疲れ果て、つらくてつらくて仕方がなかったのに、その自分にさらにプレッシャーをかけて、自分を追い込んでいった日々の記憶が生々しく蘇ってきた。まるで自分への虐待、いじめだった。
その感じを味わい続けていたら、心の深いところから、悲しみがこみあげてきた。「もっと自分にやさしくしてあげて。もっと自分を大切にして」って言う声が自分の中から聴こえてきた。そうしたら涙がボロボロ流れてきた。
自分を粗末に扱ってきた。自分をいっぱい批判してきた。自分の世話をしてこなかった。自分の痛みも悲しみも感じないようにして生きていた頃の私は、人の痛みも悲しみも本当には感じていなかったのだと思う。
私が、自分を大切にしていないのに、どうやって人を大切にできるだろう。私が、自分の気持ちをわかってあげないのに、どうやって人の気持ちをわかってあげることができるだろう。私が、自分を愛していないのに、どうやって人を愛せるだろう。
私は、自分にやさしくすることを、自分を甘やかすことだとずっと思っていたのだ。自分を愛するなんて、ナルシシズム、エゴイズムで、恥ずべきものだと思っていた。自分はさておき、相手の為に、人の為に、会社の為に、世の中の為に生きることが良いことだと教わってきたから、そうしようと思って生きてきた。
でも本当は、自分のことしか考えていないということは、自分が一番わかっていた。だからこそ、そんな自分の偽善性が嫌いだったのだ。
「私、自分が嫌いだったんですよね」と郁恵さんに言った。
「そう、明美さんはご自分が嫌いだったのね」と郁恵さん。
「はい、嫌いなところなんか山ほどありました。気が強いし、強情だし、頑固で、頭でっかちで、わがままです。おまけに負けず嫌いで、軽率で、ガサツで、人に弱みを見せたくない見栄っ張り。それだけじゃなく傲慢なところもあるし、プライドも高いし、いつも強気なんです。本当は臆病者のくせに、弱虫のくせに、自信がないくせに。いつもフリばかりなんです。賢そうなフリ、平気なフリ、強いフリ、いい人のフリ」
「でも、明美さんは、そうしなかったら生きて来られなかったのでしょう?悲しいとか、つらいとか、疲れたとか、こんなのはもういやだなんて感じていたら、生きてこられなかったんでしょ。大きな病気をするくらいまで、がんばり続けてきた人生だったのでしょう。よくがんばってきたんじゃないの、明美さんは」
郁恵さんにこう言われた瞬間、涙がどーっと滝のように流れてきた。みぞおちのあたりがぎゅーっと痛くなって、そこにたまっていた痛みが搾り出されてこみ上げてきたような涙だった。
「人がね、どうして自分はこうなんだろうって思う自分の下には、傷ついた自分、そうする以外に生きるすべがなかった自分がいるの。人は、その時、その時で、精一杯の自分を生きているのだと思うの。大人だけじゃなくって、たとえ、小さな子供であってさえもよ」と郁恵さんは言った。
郁恵さんの「たとえ小さな子供であってさえもよ」という言葉が胸に響いてきた。私の家庭は、母の明るさで、父の善良さで救われている面があったのだけれど、この二人が極めて仲が悪かった。とにかく、ことごとくぶつかるのだ。父も母も、それぞれはすごくいい人だし、魅力的な人間なのに、パートナーとしては最悪だった。
私は、父も母も好きだけれど、両親という“対”で見たときには、憎しみさえ覚えるほどにこの二人の関係性に悩み苦しんできた。私は、家庭内の不調和な雰囲気に耐えられなくて、ピエロの役をやったり、争いごとが起きれば平和交渉に乗り出し、大きな問題が起きてくれば判事になり、こまごまとした事件の時は使いっぱしりをやっていた。
私の意識が常に外に向きがちなのはこういうところからも生まれたものだと思った。とにかく人の機嫌や顔色が気になる。場の不調和な雰囲気に耐えられない。自分の中のバランスより、自分の外にある場のバランスを整える方に意識が向いてしまう。
私が書くという行為だけはどんな状況の中でもやり続けてきたのは、書くというのは私が私の中心に戻ってくること、自分の内側に意識を傾けられる唯一の方法だったからなのだと思った。書くことは、私にとって、単なる趣味などではなく、いのちの知恵だったのだ。
私が、郁恵さんのメッセージがとても好きなのは、性格ということひとつとってみても“いのちの働き”、“生きていくための知恵”という視点からメッセージをくださるからなのだ。自分の性格を変えようとして、あらゆる本を読んできたけれど、郁恵さんのようなメッセージはなかったように思う。
私は、郁恵さんが言った、“そうする以外に生きるすべがなかった自分”という言葉によって、子供の頃の記憶が急に蘇ってきた。私は、諍いのたえない両親に間に挟まれて、父が母の愚痴を言えば、母の良いところを父に話し、若い頃に一目ぼれした母のどんなところが好きで結婚したのかを、父に聞いてみたりするような子供だった。
反対に、母が父の愚痴をこぼせば、父がどんなに家族のことを思って仕事をしているか、お金を稼ぐということがどんなに大変なものか、父にどんな才能やいいところがあるかを母に話していた。
「お父さんは照れ屋だから、言葉でうまく表現しないけれど、お父さんがどんなにお母さんを愛しているのか、感謝をしているのか、私にはわかるよ」という話をよく母にしていた。
おそらく母は、時々でいいから、父から、愛や感謝の気持ちを言葉で表現してほしかったのだと思う。でも、昭和一桁世代の男である父は、「こっぱずかしくてそんなこといちいち言葉でなんか言えるか!」と思っているみたいだった。
心は見えないし、愛は形がないのだから、時々は、言葉で伝えることって大事なことなのに、どうして男というのは、それがわからないのだろう。それだけで、相手のいいところを再確認できたり、自分の中にある、「やっぱり好きだ」という気持ちに気づけたり、「自分の中にも至らないところが多々あったな」と反省できたりもするのに。
私は、父と母に思い出してほしかったのだ。最初は、互いのことを大好きだったということを。日々の生活に追われて、忘れてしまったこと、どんなところが気にいって結婚しようと思ったのかを。今は、それが見えなくなっているだけなのだということを。
私は、姉弟のなかで一番わがままで、自分勝手な人間だとずっと思っていたのだけれど、子供だった自分を思い出してみると、両親の間をとりもってばかりいた自分が、実はすごくけなげな子で、良い子をやってきたのだということを初めて実感として感じた。
そうしたら涙が次から次へあふれてきて止まらなくなった。それは、今の自分ではなくて、泣けなかった子供時代の自分が、おいおい泣いているみたいだった。
同時に子供だった私は、両親の板ばさみにあうことが本当はとてもつらかったのだという“生の感情”が初めてこみあげてきた。母に対しては、「なぜ、父の淋しさや悲しみがわからないのか!」という怒り。
父に対しては、「なぜすぐお酒に逃げるのか。どうして、そんなに弱い人間なのか。男のくせに、大人のくせに。子供の私を保護するのが、親の役目ではないか!」という、父の弱さへの怒りがあった。
小さかった私の心は、争いが起きる度に「家族が壊れてしまうんじゃないか」と不安でたまらなかったのだ。なぜ、父も母も、子供の私を頼りにするのか。頼りたいのは、私の方ではないか。私は子供なんだから。
私は、酔って大声を出す父の声や物が壊れる音に怯え、ヒステリーを起こす母の声に嫌悪し、なぜ大人なのに自分の感情をコントロールできないのかと本当はすごく怒っていたのだ。私が、感情的な人が苦手だったり、自分の感情をコントロールできない人が嫌いなのは、こういうところから生まれたものだったのだと思った。
私は、子供時代に、両親や周囲の大人たちが、感情をむき出しにして、いがみあっている姿を見過ぎてきたために、否定的な感情を嫌悪し、感情をぶつけあうことを怖れるようになってしまったのだ。
私は、思考レベルでの議論やケンカはいくらでもできる。議論なんかレジャーとして楽しめるくらいだ。でも、自分の深いところにある生の感情を相手にぶつけることはとても苦手だった。
怒りとか悲しみの感情にレベルがあるとすれば、私は、軽い怒りや悲しみだったらいくらでも表現できる。でも、深い怒りや悲しみや不安になると感情が凍りついてしまって、全く言葉が出なくなってしまうというのは、こういうところから生まれたのかと思った。
家族と別れて暮らし始めても、その感情処理のパターンは同じだった。それを感じていたら痛すぎる感情、生きていけない感情は、自動的に「ないこと」にして、前に進もうとする癖。それは、私の無意識が選んだ、生きていくための知恵だったのだ。
家族の中で、私がやってきた役割行動が見えたら、私が大人になってから、人間関係の中で繰り返してきたパターンが全く同じであったことに気づいた。つまり、私にとって大切な二人が、互いに嫌いあったり、牽制しあったり、争ったりする間に挟まれて苦しむというパターンだ。
で、なんとか二人が仲良くなれるようにと、がんばってしまう。私がなんとかできるという範疇ではないのに、つい“調停役”をやってしまう。よけいなおせっかいをする。
自分の問題と他者の問題の境界線を見失い、感じなくてもいい責任を感じ、背負わなくてもいい責任をしょいこんでいた。そして、自分の本当の感情であるいやだという気持ち、つらいという気持ちを感じないようにして、今目の前にある“対立”を何とかしようとがんばってしまうのだ。
殆どの場面では、私は自分の意見をはっきり言うし、NOも言えるし、自己主張もはっきりしている。でも、自分にとって大切な二人の間の板ばさみ状況になると、自動的に家族のパターンが出てきて、「これは私の問題ではない。自分たちで解決して」という言葉すら言えなくなってしまう。
“私がなんとかしなければ”という反応が私を動かすのだ。私は、子供時代からの家族の中の役割行動というものが、自分の生き方にこれほどの影響を与えていたことを知り本当に驚いた。
(次回に続く)
*11月23日(金・祝日)に広島で講演会があります。
http://anatase.net/event.htm
*11月24日(土)~25日(日)、広島でワークショップがあります。
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*岡部明美の公式ホームページ:http://anatase.net/
私は、郁恵さんから聞いた“人間は誰もが愛と意志の二大欲求をもっている”という話もすごく面白かった。なるほど、確かにそうだなあと思えた。郁恵さんは言う。
「人は、愛と意志をバランスよく成長させていくことが大切なのですが、多くの人はどちらか一方をより大きく発達させてしまうのです。どちらかと言うと男性は意志を発達させ、愛を成長させることが疎かになり、女性は愛が中心になって、意志を育てていくことが二の次になる傾向があります」
「でも、人間は誰でもこの二つの大きな力と欲求をもっているのです。人間が成長していくためには、この二つの力を自分の中でうまく統合してバランスをとっていく必要があります」
「人はみな、“自分でやりたい”“自分は、自分でありたい”“人と同じではいやだ”、“この夢を実現したい”といった意志の欲求があります。同時に人は、人を“愛したい、愛されたい”、人とつながりたい、仲良く生きていきたい、喜びを分かち合いたいという愛の欲求があります。一見矛盾したふたつの欲求が、ひとりの人間の中に同時に存在しているのです」
「自分が、自分の人生の主人公として生きていくためには、意志の力が不可欠なのです。でも、意志の欲求は、自己中心的な欲求ですから、愛の力を同時に育てないと、いつしか孤独になっていくのです」
「また、愛を育てるだけで、意志の力を育んでいかないと、自分らしく生きているという実感がもてません。愛だけに生きていると、どんなに人から、“あなたは、やさしいね。いい人ね”と言われても、自分自身は、ちっとも人生が楽しくない、自分らしくイキイキと生きている実感がもてなかったりします」
「よく、私は意志が弱いと言う人がいますが、それは、今まで意志の力を育ててこなかっただけであって、自分でこれから育てていくことができるのです。同じように、自分には愛がない、愛が足りないという人もいますが、それは、今まで、意志を発達させてくることに一生懸命で、愛がないわけではないのです。私たちの本質は愛そのものなのですから、自分の中に本当はある大きな愛をこれから育てていけばいいのです」
私は片肘張って生きている自分がすごくいやだったのだけれど、育った環境や30代半ばまで女ひとりで生きてきた人生を考えれば、当たり前だったのだと思った。がんばらなければ生きて来られなかったのだ。つっぱってなかったら自分が折れてしまいそうでこわかったのだ。
私は、これまでの環境の中で、「意志」を強く発達させてきたのだということがわかった。いろいろなことを達成したり、実現できたのは、この意志の力が強かったからなのだ。でも、それゆえ、力を抜くことや、リラックスすること、委ねること、自分の弱さをさらけだして人に助けを求めることができなかったのだ。
ひとりの人間の中には、男性性と女性性の両方があって、その資質やエネルギーを統合していくことが人間として成熟していくことというのは、知識としては知っていた。でも心で深く納得したのは初めてのことだった。
この男性性を「意志の力」、女性性を「愛の力」と捉えると、とてもわかりやすい。どんな人の中にも、この両方の資質、力、エネルギーがあるわけだから、片方だけを大きく発達させてしまうと、自分の中でバランスを崩してしまうのだ。
意志の力を発達させていけば社会的に成功したり、物事を実現させる喜びはあるかもしれない。でも愛の力が伴わないと、人と共に生きる喜び、人と力を合わせることの喜びを後回しにするからだんだん孤独になっていく。
意志の力ばかりを発達させれば、当然エゴが強くなり、競争と闘争の人生になってしまう。そうすると、成功はしても幸福ではない。人からの承認や賞賛は得ても、孤独で淋しいという人生になってしまうのだ。
でも逆に、愛だけに生きて、意志の力を育てることをしないと、自分がこの世に生まれた時に天から戴いた個性や才能を開花させることに対して力を注ぐことが疎かになってしまうため、いつしか心にさみしさや空しさ、倦怠感が生まれてしまうものなのかもしれない。
人の幸福感や、人生の充実感、自分が自分の人生の主人公としてイキイキと生きている感覚というのは、「愛の力」と「意志の力」を共に育てていくことと、とても深い関係があるのだ。
私は、意志の力と愛の力、男性性と女性性のバランスが大きく崩れていたのだろう。意志の力とは、“自分を生きる力”“自分の人生を切り開いていく力”。
そして、愛の力とは、自分とは違う人間と“共に生きる力”、人と力を合わせて“喜びを分かち合う生き方”なのだろう。
おそらく、私の賢いからだは、病気を作って、その崩れたバランスを修正しようとしてくれたのだと思う。病気は私に、「自分の中の女性性をもっと大切にしなさい」「愛の力をもっと育んでいきなさい」と教えたかったのだろう。
< 行き詰まる >
生きる意味を求めて 走り続け 求め続け 迷い続け
何度も壁にぶつかっては 倒れた
行き詰まって一歩も前に進めなくなり
途方に暮れていたあの頃の自分がやっと見えてきた
「自分に絶望していることを認めずに、ただひたすら動き回り、
自分が今何を感じているかということに
ひたすら目をそむけ続けていたということ」
「自分が今やっていることと、本当の願いが違ってきたことを感じながら、
それを認めてしまうことは多くのものを失うことであり、
その失うものに価値を置いていたということ」
「先が見えないということがとてつもなくこわかった。
未来の暗闇より、今の葛藤の方がまだ救いがあるように思えた」
「ただひたすら疲れていたはずなのに、
疲れているという感覚すらわからなくなっていた」
今になってわかるのは、行き詰まっていた私は、
過去の人生パターンに決別し
新しい生き方を無意識ながら選択していたのだということ
すでに新しい世界に片足だけは踏み出しているものの
もう片方の足が怖がってついてこられない状態だったのだ
ついてこられない足(心)の方にそっと尋ねてあげればよかった。
「もう少し休憩していたい?
視界がもう少し開けるまで待とうか?
急ぐ必要は何もないのよ」と。
私は、こんな風に自分に優しく尋ねたことが一度もなかったことに気づいた。
『もどっておいで私の元気!』(岡部明美著:善文社)
(つづく)
*11月23日(金・祝日)に広島で講演会があります。
http://anatase.net/event.htm
*11月24日(土)~25日(日)、広島でワークショップがあります。
http://anatase.net/work.htm
*岡部明美の公式ホームページ:http://anatase.net/
郁恵さんが、「自分の長所と短所をノートに書いてみてください」と言ったので思いつくままに書いた。長所は5個くらいしか書けないのに、短所ならいくらでも出てきた。長所の倍以上は出てきた。
「では、自分で、長所だと思っている所、短所だと思っている所がいつも必ずそうなのか。誰と一緒にいても必ずそうなのか。どんな状況においてもそういう自分が出てくるのかをちょっと見てみてください」と郁恵さんが言ったのでじっと自分が書いたものを眺めてみた。
あれって思った。長所だと思っているところが、必ずしもいつもそうであるとは限らない。誰といてもそういう自分がでてくるとは限らない。長所だと思っていたことが短所として出てしまうこともある。
自分では長所だと思っていたところを、短所として指摘されたこともある。自分は、この短所さえなくなればと思っている所を、そこが好きだと言われたりそういう部分があるからホッとすると言われたりすることもある。
「多くの人は、“欠点を直しなさい。欠点をひとつでも減らしなさい”という教育を受けていますので、自己成長というと、ダメな自分をどうにかしよう、ダメなところを失くそうとして性格を変えようとします」
「しかし性格は個性ですし、その人が与えられた環境の中で生きていくために作り出したいのちの賢さ、知恵、働きでもあるのです。大切なのは、多くの人は、自分のある性格が偏って発達していますから、反対側の未発達の部分を育てて、バランスを取るように心がければいいのです」
確かに、私はある性格が極端に現れているために、反対側の極が未発達になっていてバランスを崩しているところが多々ある。でも、その極端な性格さえ、私が与えられた環境を生きていくために発達させてきたいのちの知恵、賢さなのだとわかるとなんだかすごく救われる思いがした。
「人は、自分が意識を集中しているものを育てるんです。欠点を無くそうと思えば思うほど、欠点に意識が注がれるわけですから、逆にその欠点を育ててしまいます。他者に対しても、その人の欠点にばかり意識を向けていたら、そればかりが目に付いてしまいイライラするわけです」
「人は、自分が“意識の焦点”を当てたものを”感情“として体験するんです。自分がいつも意識を傾けているものを”現実“に作るのです。それがいいものであれ、いやなものであれ。だから、自分の意識が何に焦点を当てやすいのか、今、自分は何に意識を傾けているのかに気づいていることが大切です」
意識を傾けているものを感情として体験する、意識が現実を作るということは今までの人生を振り返れば納得できる。いやだいやだと強く思っていたこと、絶対体験したくないと思えば思うほど、その体験を引き寄せてきた。逆に、いいイメージを強くもつことで、その状況を引き寄せてきたことも多々あった。
意識というのは本当にすごいエネルギーなのだと思った。現実を変える力というのは意識にその根を降ろしているということを改めて感じた。逆に言うと、現実が変わらないということは、自分が習慣的に意識の焦点を合わせやすいものが変わっていないからなのだろう。
私は、長所や短所を、“いい・悪い”という「判断の視点」ではなく、ただ、自分の中にあるものという意識で、自分の内側を静かに眺めてみた。すると、先ほどノートに長所、短所として書いていた時とは全然違った感覚が生まれ、柔らかなエネルギーが流れてきた。
私の中には全部あるという感覚。いろんな自分がいるという感覚。様々な状況や環境の中で、あるいは多様な関係性の中で引き出される私、自然に立ち表れてくる私は確かに違う。私は、こうだと思い込んでいるより私よりも、もっとやわらかで、多様で、多面体なんじゃないかという感覚。
確かに、ある人といる時は、決して表れてこない自分が、別の人といると自然に表れてくるということがよくある。こういう環境、状況では、決して出てこない自分が、ある状況にたたされると自動的に出てくる私というものもある。
自分を肯定的に見てくれる人、認めてくれている人、大切に思ってくれている人といると、私のいい所は自然に出てくる。そういう時は、「私ってけっこういい奴じゃん」と思う。
でも、私を否定的に見る人、批判的に見る人の前では、すごく意固地で防衛的で攻撃的でいやな自分がいっぱい出てくる。そういう時は、「私は、なんてイヤな奴なんだろう」と自己嫌悪に陥る。
長所も短所も関係性の中で生まれるものなのに、相対的なものなのに、どうしてこんなに固定したものとして私は捉えていたのだろう。他者の趣味嗜好、好き嫌い、価値観、信念、その時の気分で、私の中にある、“ある資質”を、長所として感じる人もいれば短所として感じる人もいるのだ。
その短所が許せないと思う人、そこが嫌いだ、直せと言う人もいれば、同じ短所を大目にみてくれる人、笑って済ませてくれる人、困った奴だなあくらいに思ってくれる人もいる。私自身も、他者のある資質に対して、ある時はそういうところが好きだなあと思う時もあれば、違う風に感じてしまう時がある。
たとえば、ある人の、ある資質を、いつもは、やさしくて、ナイーブな感性をしている人だなあ、この繊細さが素敵だなあと思っているのに、同じ資質を、ある場面においては、神経質に思えたり、軟弱、優柔不断に感じたりする。
この人は、なんて信念の強い人なのだろう、どうしてこんなに意志が強いのだろうと尊敬の念で見ていた人を、時には、それが、ものすごい頑固さに感じたり、融通のきかない堅物に思える時もある。
この人は、どうしてこんなに愛情豊かで優しくて、ここまで人に気を使えるのだろうと思っていた人を、ある時は、その愛情の押し付けが重いなあ、こんなに気を使われるとちょっと疲れるなあと思う時もある。
もしかしたら、人の性格というのは、水の姿の変化みたいなものかもしれないと思った。水の温度をどんどん上げていけばいつかはお湯になる。やがて、沸騰して熱湯になる。水の温度をどんどん下げていけば冷水になり、やがて氷になる。
「熱湯」と「氷」は、一瞬、全くの別物に見える。でも、元は水だ。元をただせば同じもの。水の温度変化によって、状態が変わっただけ。長所と短所も、自分のある資質がよりプラスの方向に動けば長所となり、よりマイナスの方に動けば短所として出る。
リーダーシップ、カリスマ性、統率力といった資質がマイナス方向に働いていけば、支配性、傲慢さ、強引さに変わりうる。明るさや、素直さ、純粋さがマイナス方向に出れば、軽薄さ、幼稚さ、世間知らずと人に思われることにもなる。
神経質で人の目を気にしてしまうという資質が、プラスの方向に働けば、他者へのきめ細やかな配慮、思いやりに変わりうるし、臆病、ネクラという資質がプラスの方向に働けば、慎重さや人間的深みにもなるのだ。
胸が張り裂けそうな痛みを感じる心は、喜びで胸がいっぱいになる心でもあるのだ。切ないほどのいとおしさを感じる心は、切ないほどの悲しみを味わう心にもなる。
人の心はいつも行ったり来たりしている。生まれたり、消えたりしている。決して、ひと所になんか止まってなんかいない。あるのは、ただエネルギーの動きだけなのだ。
性格も同じなのだと思った。長所と短所も、本当は行ったり来たりしている。育てていくこともできる。注意深くあれば変容させていくこともできる。エネルギーがどちらかだけの極に止まってしまったり、一方の極だけしか見られなくなった時に、人は苦しくなったり、トラブルを起こしたり、生きづらくなってしまうのだろう。
実際、今までの私は、長所と短所をはっきり二分して、自分の不変のものとして捉え欠点はなくさなければいけないと思い込んでいたから、全然変わらない自分をダメな人間だと思い込んでいたのだ。
でも、これは大きな勘違いだった。ある短所をなくしたらある長所まで一緒になくなってしまうのだ。大きな長所は、大きな短所になりうるし、大きな短所は、大きな長所として花開かせることもできるのだから。
人間は、本来、光と闇、長所と短所、マイナスのエネルギーとプラスのエネルギー、その両極をもてるだけの力があり、両極の揺れ幅を包含してしまえる力さえもつ存在なのかもしれない。
そう考えると、人からこう思われたいとか、こう思われたくないとか、こうあるべきと思って生きていることって、何かすごく無駄な努力をしてきたのではないだろうかと思えてきた。
私は、私でしかないのに、いつも何か他のものになろうとしてきた。私が私の人生を生きないで、誰が私の人生を生きるというのだろう。
振り返れば私は、いつも自分を人と比較してきたように思う。他者からの評価や、私への好意のあるなしによって心が満たされたり、満たされなかったりしたから、心はいつもジェットコースターのように上がったり、下がったりと大忙しだった。
生きることはなんでこんなに苦しいのだろうとずっと思っていたけれど、そもそも“他人の目”を意識し過ぎる限りそうなるのは当たり前だったのだ。
それに私は、“楽に生きる”ということに、どこかで罪悪感をもっていたからなおさらだ。私は、本当は人生を楽しみたいし、謳歌したいだけなのに、私の頭はすぐに、「そんなに楽していいのか。好きなことだけやっていていいのか。自分をそんなに甘やかしていいのか。人生を楽しむだけじゃ成長がないじゃないか」と言って私を責めるのだ。私の頭と、私のハートはまるで敵対関係にあるようだった。
私は今まで、楽に生きるということを、手抜きとか、いい加減、ぬるま湯人生、怠け者の人生だと思っていた。私は、なんという人生の貧乏症だったのだろうか。
楽に生きるというのは、本当は、自分の妙なこだわりやとらわれ、自分で自分をがんじがらめにしている自縄自縛の罠をほどいて、もっと自由に、もっと自分らしく、人生を楽しんで生きるということなのに。
自分の中の「好き、楽、心地いい、ワクワクする、楽しい、私がそうしたい」という感覚で人生を選んでいったら、苦しいことや問題が起きてきた時に人のせいにすることはなくなると思った。
いや、人のせいになんかできないのだ、自分が選んでいるのだから。責任転嫁は、その時には一瞬自分は楽だけれど、決して本当には、自分の人生の主人公にはなれないし、自分を幸せにしないのだ。
私は、この自分を縛っているもの、たくさんのとらわれ、固定観念に気づいて手放していこう。もういらないものは捨ててしまおう。もっと楽に生きよう。私が肩の力を抜いて、もっと楽に生きられれば、周りの人たちだって、きっと楽になるし、居心地がよくなるだろう。私が自分にあまりに厳しく生きていたら、一緒にいる人だってしんどいはずだから。
< 全部 >
「かたくなな自分」が嫌いなのは、自分の中に素直さがあるから。
「強がっている自分」が嫌いなのは、「無邪気な自分」がいるから。どうして自分はこうなんだろうと思っているところは、
これまでに経験してきた苦い記憶がつくりだしているもの。
癒されることを願っている心の痛み。本当は、自分の中に全部あることを知っていた。
明るく強い自分と暗く脆い自分。
おおまかでおおらかな自分と、狭量で依怙地な自分。
まじめで深刻な自分と、いい加減で楽天的な自分。
一人が好きな自分と、一人ではいられない自分。
愛に溢れた自分と、愛を乞う自分・・・。自分の中には相反する顔が共存していて、
人との関係や状況、環境によって
まったく違う自分が現れていることに気づいていた。ただ、全部あるということを受け入れていないだけだった。
全部丸ごと私と認めてみたら、自分という存在が
思っていたより、ずっとやわらかな存在であることに気づいた。
『もどっておいで私の元気!』(岡部明美著・善文社)
*11月23日(金・祝日)に広島で講演会があります。
http://anatase.net/event.htm
*11月24日(土)~25日(日)、広島でワークショップがあります。
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私は、2枚の自己イメージの絵を描いたことによって、月の自分も愛してあげたいという気持ちがこみあげてきたことが何よりもうれしかった。自分の内側に意識を向ける世界は、私にとっては、月の自分に出会っていく旅のような感じがした。
暗い夜道を一人で歩くのはこわい。誰か一緒に歩いてくれる人がほしい。どっちに歩いていったらよいのかを懐中電灯の光で照らしてくれる人が必要だ。郁恵さんのような仕事をしている人は、講師ではなく、ファシリテーター(促す人という意味)と呼ばれるらしいが、なんとなくわかるような気がした。水先案内人、道先案内人、ガイド、そんな感じがした。
私には、今、ガイドが必要だと思った。もちろん、自分の人生の主人公は自分だし、私以外の誰も私の人生を生きることはできないのだから、問題も苦悩も自分が乗り越えていくしかないのだということはわかっている。
でも、あまりにも問題が大きかったり、困難、苦難が自分ひとりの力ではとても手に負えない時には、素直に人の援助を求めていいのだと思った。人は時に乗り越えなければいけない壁が大き過ぎて立ち往生してしまう時がある。道に迷って途方に暮れてしまう時もある。
そんな時は、ちょっと休憩して、自分の現在の立ち位置を確かめる時間と場所が必要だ。郁恵さんの仕事というのは、そういう、人生のプロセスを自然な形で変容させていく場なのだと思った。郁恵さんは言う。
「私たちは、自分で勝手に思い込んでいる“自己イメージ”=「これが私」「私はこういう人間」という自己像をもっています。イメージにしか過ぎない自己像なのに、頭の中では固定化されているため、変化している自分に気づけなかったり、自己イメージからはずれる自分を認識できなかったりします。その固定化した自己イメージのとらわれから自由になると、自分の中にはもっと多様な面、多様な可能性、いろいろな人生の選択肢もあるのだということがわかってきます」
もしかしたら私は、自分が思っているような私じゃないのかもしれない。私は今まで自分のことは、自分が一番わかっていると思っていたのだけれど、どうもそうでもないみたい。案外、他人の方が見えやすかったりする。
でも、長いことつきあっている人やいつも傍にいる人に対しては、固定化した自己イメージ同様、“この人はこういう人”“この人は変わらない”という決め付けを無意識にしていたように思う。
でも、そうやって相手を決め付けて見てしまうと、自分が思い込んでいるその人のイメージでないものは気づけなかったり、わかりたくないと思ったり、変わり始めている相手を受け入れられなかったりする。相手が変わり始めたことを認めてしまうと、自分を変えなくてはならなくなるから。
「人には、自分が見たいように見、聞きたいように聞くという“知覚の法則”があるので、“あるがまま”に自分や他者や物事を見るということは、言葉で言うのは簡単ですが、実はとても難しいことなのです。人間は本当に自分の都合のいいように解釈する傾向があるのです」
「でも、このことをちゃんと理解できていれば、簡単に人に“レッテル”を貼ることの傲慢さと危険性に対する自覚が出てくると思います。レッテルを貼ると、それが枠になって、その人の中にある多様性や多面性が見えなくなるし、相手の変化、成長も感じられなくなるのです」
確かに人は、相手の言動を自分の都合のいいように解釈したり、自分勝手に受け取ったことをまるで事実のように思いこんでしまったり、事実を捻じ曲げて解釈して勝手に傷ついたりするということを日常茶飯事でやっているのかも知れない。
自分には自分の色眼鏡、物差し、フィルターがあって、人やこの世界を見ているのだということにまず気づくことが大切なのだ。色眼鏡というのは、ある人とない人がいるのだと思っていたけれど、人間であるということはみんなそれをかけてこの世界を見ているのだ。度数の強い、弱いはあるにしろ。
それにしても、自分や人や物事に対する思い込み、固定観念というのは、改めて見ていくと想像以上にありそうだ。それに一つひとつ気づいて、手放していくプロセスこそが自分を自由にしていくということなのかも知れない。
いやしかし。初めてのワークショップ体験は、未知なるゆえにドキドキものだったけれど、自分に気づく、自分を発見していくプロセスというのは、なんだかとても面白い内なる旅なんだなあって思えてきた。私は、今までずいぶん自分のことも、人のことも、世界のことも、決めつけて見てきたように思う。
ワークショップでは、他の参加者との出会いもまたとても楽しかった。今までの私の人生では出会わなかったような人たちとの出会いがたくさんあった。
中でもTさんは、女性性が豊かな人で、温かくて、優しくて、とても繊細なエネルギーの人だった。月のような雰囲気の魅力的な女性だなあ、友達になりたいなと私は思った。それなのに、彼女は私にこう言うのだった。
「私は、臆病で、弱虫で、自己主張ができなくて、人間関係がヘタで、ノロマで愚図な自分を変えたいの。生き方があまりにも不器用なの、私は」と。私はそれを聴いて、「えー、どうして? そのまんまですごく素敵なのに」って思った。私は、生き方が不器用な人って好きなのだ。枠からこぼれてしまうものを持っている人は面白い。正直で、自分にウソつけなくて、どこかピュアなものをずっと心の奥に持っている人が多いから。
それにしてもYさんは、極端に口数の少ない人だった。そして、彼女は自分が本当に“感じた”ことしか言葉にしなかった。だから、私は彼女が何かを言おうとすると、全身が耳になった。私は、言葉がハートから出てくる人の言葉というのは聴き逃せないのだ。
< 正しさ >
「正しさって、相手を傷つけやすいよね。正しいことを言うときには、
少し控え目に言った方が、本当に伝えたいことが伝わるような気がする。
正しさで生きている人って、一緒にいるとちょっとしんどいものね」
なぜ私は、あなたの言葉を、耳だけではなく、
全身で聴こうとするのかがわかったような気がした。
あなたの声が小さいからでも、口数が少ないからでもなかった。
あなたの正しさには、やわらかさとあたたかさがあるからだった。
一人ひとりがみんなしあわせになるために生まれてきたのに
自分の正しさを主張し合うことで、互いを傷つけあい、
人間関係をこわしていることをあなたは知っている。
そんなあなただからこそ私は、安心して、自分の愚かさや、
正しさの物差しだけでは生きられない自分を見せることができる。
『もどっておいで私の元気!』より(岡部明美著/善文社)
(次回に続く)
*11月10日(土)に「1 day ワークショップ」が東京・自由が丘であります。
http://anatase.net/work2.htm
*11月23日(金・祝日)に広島で講演会があります。
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自己イメージの絵を描くワークがあった。人はみな、“自分はこういう人間”と思いこんでいる「自己像」をもっている。もちろん私にもあるのだけれど、改めてそのイメージを色や絵で表現しようとすると、「えっ、私は、私という人間を一体どう観ているのだろう?」という疑問の方が出てきて、何を描いていいかさっぱりわからずしばらくぼーっと画用紙を眺めていた。
ふだん漠然と思っていることやイメージしていることを、はっきり“意識化”するというのはとても難しいことなのだと思った。何を描けばいいかわからずにいたのだけれど突然、黒のクレヨンを手に取った。
そして、手が動くままに真っ白の画用紙を真っ黒に塗りつぶしていった。最初は何気に塗っていたのにだんだん力が入っていき、なんだかよくわからない涙が急にあふれてきた。真っ黒に塗りつぶそうと思えば思うほど頭の中は真っ白になっていった。
何か今までの自分を1回葬りたいという衝動がこみあげてきたのだ。なんでこんな暗い絵を描いてしまったのだろう。黒のクレヨンを真っ先に手に取った瞬間、その色を選んだこと自体に私はかなり驚いた。黒は嫌いな色だったから。自分で塗りつぶした真っ黒な画用紙を見ていたら、だんだん悲しみがこみあげてきた。
そうしたら手が自然に赤のクレヨンに延びた。画用紙の真ん中にマッチの頭の丸より少しだけ大きい丸を描き始めた。赤いクレヨンの角を使って小さく小さく円を描く。丁寧に、ゆっくり。
気持ちが少しだけ温かくなった。嫌いな黒を使って描けたこと自体をうれしく感じた。そして、闇の中に灯る明かりのようなポツンとした真ん中の小さな赤い丸がとてもいとおしく思えた。黒い色は、その時から嫌いな色ではなくなった。
別の月に参加した時に描いた自己イメージの絵は、青空と太陽とひまわりだった。子供の頃から周囲の人たちに、そんな風に思われてきたし、自分でもそうありたいと思っていたから、この時は鼻歌を歌いながらスラスラと描けた。
描き終った絵を眺めて何を感じるかという時間があった。目を開けたり、閉じたりを何度も繰り返して、自分の描いた絵をよく眺めた。そうしたら急にいやになってきた。「こんなんじゃない」「これだけじゃいやだ」という気持ちがこみあげてきたのだ。
三日月と雨雲と雨を加えてみた。そうしたら自分の中が球体になったような、丸ごとになったような気がしてうれしかった。その時にハッとした。私の、明美という名前の明には、お日様とお月様の両方が入っているんだということに初めて気づいたのだ。私は今まで、半分の私しか認めてあげない生き方をしてきたのではないだろうか。陽の部分、プラスの部分、光の部分だけ。
月の自分というのは、私が人に見せている明るくて、陽気で、元気な自分じゃない。暗くて、重くて、自信がなく、矛盾と葛藤だらけで、落ち込みやすく、すぐ自分を責めてしまう自分。ひとりぼっちでふるえながら膝小僧抱えて泣いているような自分だ。月の自分、月の世界は、私の陰の部分だ。
陰になって見えないから、意識を傾けてあげることが疎かになる部分。見えないから「ある」ということにさえ気づきにくい部分。月の世界、月の自分、月のからだ、月の時間。何か、月というものが象徴しているものに、私が大切にしてこなかったものがあるような気がした。
この時に、「ああ、でも、これは自分のことだけではない。私たちが今生きているこの社会も、陽の部分、光の部分、プラスの部分しか認めていないし、価値を置いてこなかったのではないか」と思った。
だから、若さや健康、生きること、上昇すること、プラス思考ばかりが讃えられ、マイナスの感情や欠点や、降りること、休むこと、弱さ、老い、病気、死に対しては、不安と否定、嫌悪と怖れという側面からしか見られなくなっているのだと思った。
私もこの側面に関しては、世間一般の、ものの見方、考え方というものをそっくりそのままとりこんで生きてきた。暗闇、マイナスの自分を受け入れられず愛することができなかった。
陽の部分、光の面だけになりたかった。そんなことは不自然だし、ありえないことなのに。長所だけの人間なんていないし、プラスの感情しか生まれないなんてこともありえないのに。
ましてや、老いや病気や死を避けることは誰にもできないのだ。私たちが生きている社会は、どこか無言で、陽の部分、光の部分だけを求めているような気がする。だから人は、自分のマイナスの部分、闇の部分を嫌悪し、許せなくなっているのではないだろうか。
これでは“歪み”が生じる方が自然だと思う。自然というものがバランス・調和の象徴であることを考えれば、心身の不調や病気というのは、不自然であること、アンバランスな状態であることを自分に教えてくれている現象なのかも知れない。
人間も自然の一部なのだから、自分がバランスを崩している時というのは、「何かが過剰になっているよ。何かが極端に不足しているよ。大切な何かを置き忘れて生きているよ」というサインなのかも知れない。
月の世界の真実、月の時間の豊かさ、月の価値観、月のエネルギーの活用、月のからだへの労わり。もしかしたら、これからの時代は、そんな風に、月の世界への眼差しというものがクローズアップされていくのかも知れない。
そう言えば、からだの“中”にある見えない臓器や血液には、“月編”がついているものが多い。私が病んだ「脳」も、なんだか、月が悩んでいるみたいな字だ。月の自分が悩んでいたっていうのがすごく“腑”に落ちる感じがした。
心臓、肝臓、腎臓、脾臓、膵臓、大腸、小腸、胃、動脈、静脈。こんなに一生懸命働いている、いのちの形に、みんな“月”という字がついていることがとても不思議。顔や皮膚や髪は、人から見える部分だから、みんなこの部分にはよく手をかけるし、お金もかけるし、気にもかける。
でも、自分でも見えない、人からも見えない、からだの中にあるものに対しては、人は、その存在にすら、そのけなげな働きにすら意識を傾けてあげることがほとんどないのではないだろうか。
太陽の世界と月の世界は、「生と死」「肉体と魂」「存在と無」の世界の象徴なのかもしれない。私は今まで、半分の私でしか生きてこなかったのだ。だとしたら、これからの私は、陰なる世界を見つめ、陰なる自分も受け入れて、丸ごとの自分として生きていくことが必要なのかも知れない。
「私は、私の中にいる“月の自分”を育てていきたい」と思った。月の自分を受け入れられないこと、いつも太陽みたいな存在でいたいと思ってきたことがしんどかったのだと思った。
月は自分では光れない。太陽の存在がなければあの美しい光の瞬きはない。自分ひとりでは輝けないものがある。誰かの力や存在があって初めて輝けるものがある。月の自分は誰かとつながって輝ける自分だ。その光の存在に感謝できる自分だ。
自分が病んだ時や心が弱くなっている時に、太陽のような人が眩し過ぎてつらかったことがある。あまりの明るさが痛かった。そんな時は、月のようなエネルギーの人といるとほっとした。燦燦と降り注ぐ太陽の光。心をほっと落ち着かせる月の光。どちらも美しい。どちらの光も生きていくためには必要だ。
太陽は本当は月に癒されている。ただ、それを知らないだけなのだと思った。私は私の中の暗闇を感じてくれる人、受け入れてくれる人、ただ黙って見守ってくれる人といると自分が自分のまんまでいられる感じがあってほっとする。
私が落ち込んでいても、前向きになれなくても、そんな私をただ静かに見ていてくれる人といると、心がとても落ち着く。私が人と共にいてやすらいでいる時というのは、その人の中の月の世界で憩わせてもらっている時なのかもしれない。
1回目と2回目の自己イメージの絵は、全く正反対の絵を描いたわけだけれどそれで気づいたことは、太陽のように明るい存在でない自分は、人から愛されないと思い込んでいたということだった。陰気な自分、暗い自分は、人から受け入れてもらえないと思っていたのだ。
暗さや沈黙や混沌が苦手だった。暗さの中にあるやすらぎ、沈黙の中でこそ触れ合える豊かさ、混沌の中にある瞬間の真実。そういうものの中にある意味や価値にうすうす気づいていたのに、それがどれだけ大切なものかということに対して思いや感謝が足りなかった。
私は、この時、「私の病気の根っこにあるのは、自分の“暗い感情とのつきあい方”がわからないことだったんだ」と思った。私は、否定的な感情というものを、どこかで“制御不可能な魔物”のように思っていた。
感情というものがすごいエネルギーをもっていることがわかっていたから、否定的な感情をコントロールして、肯定的思考によってそれをなくそうとしてきた。でも、私がやってきたことは、感情のコントロールではなく抑圧だったのだ。抑圧されれば病むのだ、からだや心というものは。
受け入れられない感情があった。受け入れられない自分がいた。そのことこそが、実は自分を、生きづらくしていたのだということに初めて気づいたのだ。
今の私に最も必要なことは、感情に、いいも悪いも付けず、あふれてくるものこみあげてくるものを止めないで、ただ、感じ尽くす、味わい尽くしてみるということなのだと思った。
そうやって、私は少しずつ思い出していきたい。小さな心でいっぱい感じていたことを。うれしかったことや楽しかったこと、悲しかったことやくやしかったことのすべてを。私の心がふるえていたことが今の私を形作ってきたのだから、その小さな自分を抱きしめてあげようと思った。
感じないようにして生きてきたものを、もう一度ちゃんと感じ直して、追体験して、今の、大人の私に戻ってこよう。そうしたら、人生のキャンバスがまだ真っ白で、ここにどんな絵も描いていけるんだと思っていた、あの頃のエネルギーが戻ってくるような気がした。
(次回に続く)
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