岡部明美のスピリチュアルな旅で出会った”もの・人・場・言葉たち”

2008年03月

少年の季節 

WS000443.JPG息子の夏休みにリトリートに連れてきたことがある。息子は、ついこの間、ピカピカの1年生になったばかりだと思っていたのにもう3年生になる。早いものだ。初めて来た「いりあい村」で一番気に入っていたのは、犬と猫と遊べることだった。


息子は、スタッフルームや外で遊んでいたけれど、時々、部屋の中の様子を覗き、母親の仕事を見ている。家事と原稿を書いている以外では、初めて見る母親の仕事の姿だ。
 


休憩時間に、私のそばに来て、こっそり尋ねる。
「お母さんて、リーダーなの?」
「うーん、そうねえ。リーダーっていうのかな、こういうのも」
「でも、お母さん、みんなに何にも教えてあげないじゃない。お母さんは何もしないで、ただボーっと座って見ているだけじゃない。みんなは、あんなに一生懸命いろんなことやっているのに。僕のクラスの先生は、授業でいろんなことを教えてくれるよ」

「教えない授業なの、これは。自分で見つけるの、大事な事を。そして、思い出すとこなの、忘れていた大切な自分を。これは、そういう大人の授業なのよ」
「ふーん。大人の授業って変わっているんだね」

息子は、わかったような、わからないような顔をしていた。それでも、私の仕事を興味津々という感じで見ていた。「いりあい村」のことは、この後も度々思い出したように口にするから、彼としてもかなり印象深い体験だったみたいだ。

息子を育てていて、「少年は、夏休みに大人になるんだなあ」と思った。必ずしも、夏休みに特別な体験をしたとかいうわけじゃないのに、夏の終わりの頃になると、表情や雰囲気が少しだけ大人になったように見えるのだ。

陽に焼けた顔、ランニングシャツに半ズボン、麦わら帽子、素足にスニーカー、虫かご、花火、星座や昆虫図鑑一一“少年の季節”っていいなあって思う。この季節にいっぱい感じていたこと、体験したことが、大人になった時の、その人の根っこになるような気がする。どんなにつらいことがあっても、そこに戻ればいいんだよっていう人生の根っこ。
 


私は、息子に少年の季節を存分に楽しんでほしいので、「勉強しなさい」という言葉はほとんど言わない。どうせ中学に入れば、いやがおうでも勉強しなければいけなくなるし、大人になったらあまり遊んでいられなくなるから、「今の内にいっぱい遊んでおきなさいよ」とばかり言っている。

私に日頃から、「いっぱい遊びなよ。好きなことしなさいよ」とばかり言われているので息子は全然勉強しない。スポーツばかりやっている。しかし最近は、ちょっと悩んでいるみたいだ。自分で好きだと思って始めたサッカーで、いまひとつ伸び悩んでいたからだ。

「僕、サッカーの才能ないのかなあ」なんてこぼしている。私から見ると息子はサッカーを心から好きじゃないんだと思う。テレビでJリーグをやっていても見ないんだからきっとそうだろう。彼は、まだ自分が本当に何が好きなのかがわからないみたいだ。

いくら私に「好きなことをやれ」と言われても、もちろん、いろいろやってみなければ自分が何が本当に好きなのかはわからないだろう。好きなことというのは、体験しながら、行動しながら、感じながら、本人が見つけていくしかないのだ。いくら親でも、それだけはわからないのだから。自分が本当に好きだと思えるものの中にこそ、才能は宿っているから、彼が自分の好きなものにその内出会ってくれればと思う。

好きなことに一生懸命取り組んで、成功したり、失敗したり、スランプになったり、くじけそうになったり、もうやめてしまおうか、でもやっぱり好きだからやめられない、そんなことを繰り返しながら、何か大切なものを彼なりにつかんでくれるといいなと思っていた。嬉し涙も、悔し涙も、悲しい涙も、感動の涙も、いろんな涙をいっぱい流して大きくなってほしかった。

小学3年生の終わり頃のある日、野球部の監督から、「岡部、お前、顔がイチローに似ているし、足も速いから野球部に入れ」と声がかかった。保育園時代に通っていた水泳もいまいち本気になれず、サッカーでも自信を失くしていた息子は、そう言ってもらったことがすごくうれしかったらしく、突然、野球部に入ると言いだした。

入ってみると水泳やサッカーの時とは打って変わって、自分から進んで一生懸命練習するのには驚いた。暗くなるまでマンションの駐車場で一人で素振りの練習をしている。手首にイチローの背番号「51」のバンドを巻いて。

父親は、背番号「3」の人を野球の神さまのように思っているが、息子は、「51」の人が神さまらしい。夫で慣れてはいたけれど、息子までがプロ野球中継を見ている時は話しかけても返事もしなくなった。つい1年前では、父親がプロ野球を見ていても見向きもしなかったのに。変われば変わるものである。自分の好きなものに出会うと、人は本当に変わる。

野球部の監督はものすごく厳しいが、ほめるのも半端じゃなくうまい。人の能力を引き出すことがうまいリーダーに出会うと人はどんどん成長していく。息子はほめられるとすごくやる気になるタイプだ。

毎週末、父親とバッティングセンターに通いだした。野球をやっている時は本当にイキイキしている。この変化は、私にとってもとてもうれしかった。今まで息子を見ていて、もうひとつ自分に自信がもてない様子が、親として気がかりではあったのだ。

よし、私も彼を応援しようと思い立ち、突然、「お母さん、明日から、放課後に、“愛の千本ノック”をしてあげる」と言った。


「えっ、お母さん、ノックなんかできるの?」
私のことを、ものすごくどんくさいと思っている息子は、目を丸くして聞いた。
「みてらっしゃい。びっくりするよ。お母さんはノックの女王だったんだ、昔」と多少の誇張を混ぜて言った。しかし、本当に昔からノックだけは得意だったのだ。愛の千本ノックというのはもちろんウソで、本当は百本ノックが限界。でも、千本ノックの方が語呂がいいから、それで通すことにした。

小学校の校庭で、放課後、息子相手に「愛の千本ノック」をしていると、同じ野球部の子が「僕も混じっていいですか」と言ってきて、多い時は6人くらいの子を相手にやっていた。「岡んちのお母さんかっこいい」なんて言われると、私もすごく気分がよくて、ますます張切ってノックするのだった。

息子は最近ボキャブラリーも豊富になってきて、言うこともすごく面白くなってきた。私が落ち込んでいると、「お母さん、瞑想すると体力が500ポイント上がるよ」とか、「お母さん、どうしようもない時は、祈るしかないんだよ。祈っていると神のご加護が受けられるよ」とか、「人生楽ありゃ苦もあるさ。いいことばかりは続かない。まだまだ修行が足りないんだよ、お母さんは。人生って、魂の修行するとこなんだってさ」などと、びっくりするような言葉を使うのだ。それも、絶妙のタイミングで。

息子は、私が考え過ぎて固まっている時や、落ち込んでいる時、元気がない時は、瞬時にわかるみたいだ。私はいつも通り、音楽を聴いていたり、本を読んだりしているつもりなのに必ず見破られてしまう。

「お母さんは、わかりやすいんだよ。単純だから」なんて生意気なことを言う。それにしても、瞑想だの、神のご加護だの、魂の修行なんていう言葉をどこで覚えたのだろうと思ったら、どうやらファミコンで覚えたらしい。ドラゴンクエストとかいうやつにはまっているから、きっとそういうので覚えたのだろう。それ以来、気をつけて見ていると、確かに、ああいうゲームソフトって、会話がものすごくスピリチュアルなのでびっくりした。

一度、私もやってみようと思って、彼にやり方を教わった。しかし、痛恨の一撃。


「あ、ダメだこりゃ。お母さんには全く才能ないや。敵をボカスカやっつけることしか能がないんだもん。ロールプレイなんだから物語を読めなきゃだめなんだよ。予測がつかなきゃ。展開をよまなきゃ。お母さんには、頭脳プレーはムリだね」とか言われ、いきなり“退場”させられてしまった。

しかし、彼の幼顔に似合わない精神世界用語を突然使ったり、生意気なことを言うかと思えば、とんでもなく勘違いしている日本語を時々使うので笑える。ある時、野球の試合がある祝日だったのに、私がそれを忘れて、朝、彼を起こさなかったことがある。

彼は自分で起きてきて、「なんで起こしてくれなかったんだよ! 弁当はどうすんだよ!」と怒っている。私がうっかり忘れてしまったことを言うと、「お母さんは、うっかりばっかじゃないか! パパがいつもあきれてるよ。あんまり僕とパパに迷惑かけないでよ!」と言いながら、時間がないため、何も食べず、あわてて野球道具をもって玄関に向かった。

「ごめん、ごめん。試合がんばってネ! お母さん、後でお弁当作ってもって行くから」と言ったら、ドアを閉める時に、彼はプンプン顔でこう言った。
「ったくなあ、やってらんないよ。お母さんの親ばか!」 

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岡部明美の新刊『私に帰る旅』(角川学芸出版)が全国発売されました。

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岡部明美の講演会&ワークショップのお知らせ

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■4月5日(土)  岡山講演会 テーマ「私に帰る旅 ~いのちをゆさぶる言葉の風に乗って~」

■4月6日(日) 岡山「1 day ワークショップ」

テーマ:「からだの声を聴く 心の声を聴く」

~いのちに響くことばの力をガイドとして、からだとこころの深みへと旅をする自己発見のワークショップ~


■4月20日(日) 東京・自由が丘「1 day ワークショップ」

テーマ:「自分の人生の使命、役割を見つける」

    ~ いのちの願いに寄り添って生きる道 ~

食は祈り、そして母の愛

WS000441.JPG和ちゃんは、清子ちゃんと同じ月に参加してくれた人だ。和ちゃんがどういうことをしている人なのか全くわからないのに、その存在からあふれているあたたかさに、何かピーンとくるものがあった。私は、清子ちゃん同様、和ちゃんにもリトリートを手伝ってもらえないかと思った。


話をしてみると、なんと和ちゃんは薬剤師であるとともに、気功の先生であり、自然医食料理の先生でもあった。その上、自然療法の手当て法から、砂療法(砂浴)まで含めて人に指導している人だったのだ。ピーンという直感には、本当に不思議な力があるものだ。

和ちゃんは、某国立大学の医学部の薬学科で、西洋医学を学んできた人だった。しかし、息子さんが小さかった時、風邪を引いた、お腹が痛いといっては病院に飛んで行き、薬をもらったり、注射をしてもらったりの繰り返しに、次第に疑問をもつようになる。

また、病気になると全部お医者さん任せにして、愛する子供たちに何もしてあげられないことが歯がゆくて、何かないかなあと思い続け、自然療法や食事療法などを学んで生活に活かすことを始めたのだという。そのうち、和ちゃんは自分が身に付けたものを周りの人たちにお知らせするようになったのだ。

栄養士の清子ちゃんとお料理の先生である和ちゃん。さらに、清子ちゃんには歌があり、和ちゃんには、気功と自然療法の手当法を伝えられる力がある。これ以上のスタッフはいないという出会いだった。それも、リトリートを初めて数ヶ月後の参加者として二人が同じ月に来てくれたのだ。なんという幸運だろう。
 


和ちゃんも清子ちゃんもやさしくて、とても母性のエネルギーにあふれた女性だ。そんな二人が、共にスタッフとして手伝ってくれることを快く引き受けてくれたことがうれしかった。半断食の時も玄米菜食の時も、二人は台所を一手に引き受けてくれた。

和ちゃんは大きな籠に「いりあい村」の畑の野菜をきれいに盛り付けて、「これをこれから料理しますからね」と言ってみんなに見せるのだ。盛り付けられた野菜たちが、みんな輝いて見えた。和ちゃんが盛ると、野菜たちが芸術作品のように見えるのが不思議だった。玄米ご飯と野菜と海草、豆腐などの植物性タンパクだけで、最高のごちそうを二人は次から次へと作ってくれた。

食養は、戒律が多く、厳しくて、食が苦行のように難じるメッセージが多いのだけれど、和ちゃんの食のメッセージは全然違う。和ちゃんのメッセージは温かくて、優しくて、お母さんの愛と祈りがメッセージの底にあった。和ちゃんは、「ガイアシンフォニー 第2番」に出ている、佐藤初女さんが大好きなのだが、台所で食事を作っている和ちゃんの姿は、あの映画でおむすびをにぎっている初女さんの醸し出している雰囲気にそっくりだった。

和ちゃんの食に対する姿勢にも“祈り”があった。いつも、参加者の一人ひとりの顔を思い浮かべながら作っていると言っていた。和ちゃんのお料理に対する姿勢は、まさに母親が子供の健康を思って、心をこめて作る毎日の「うちのごはん」だった。

リトリートは、殆ど4人の打ち合わせなしでいつもやっていたのに、なぜかスムースに仕事が流れていった。4人の呼吸は自然に合っていた。「一人ひとりが、自分にできること、自分がやりたいこと、好きなこと、得意なことを、自分のペースでやる、精一杯やる」という、ただそれだけの約束事だったのに、不思議に調和していてとても心地よく仕事ができた。


岡部明美の新刊『私に帰る旅』(角川学芸出版)が全国発売されました。

私の新刊『私に帰る旅』(角川学芸出版)が、ミクシーのブログを読んでくださっている方や、「SQライフ」の読者のみなさんのお陰で、発売1週間でアマゾンで品切れになりましたが昨日再入荷されました。3月13日の発売当日は、アマゾンで最大瞬間風速77位までいきました。すでに読了され、メッセージを下さったみなさん、アマゾンやミクシーにレビューを書いて下さったみなさん、本当にありがとうございます。とてもうれしいです。


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3月29日(土) 京都講演会&コクーンコンサート

4月5日(土)  岡山講演会

ふるえながら生きてきた人の透明な声

WS000063.JPG「1回参加したら、コロっと自分が変われる、楽になれると思ったのに、ちゃうやん。全然、元取れんかった。余計しんどなったわ」。清子ちゃんが笑いながら言う。清子ちゃんは、乳がんを経験して、再発防止のために「帯津三敬病院」(埼玉県・川越市)に体験入院していた時に、親しくなった患者仲間の一人から、「もどっておいで私の元気!」をプレゼントされたことがきっかけになってリトリートに来てくれた。


リトリートでは、日頃の「役割」や「肩書き」から離れて、素のままの自分に戻ってほしかったので、苗字ではなく、みんな名前で呼び合っていた。私やマサさんも同じように名前で呼んでもらっていた。清子ちゃんもすぐ私を明美ちゃんと呼ぶようになった。

清子ちゃんは、48歳でリトリートに出会って、初めて自分と向き合い始め、自分の人生を生きるということに歩みだしたのだが、なぜこの年齢になるまで自分を生きることができなかったということを語ってくれたものがあるので、彼女の了解を得て、ここに書かせていただく。以下の文章の「私」は、清子ちゃんのこと。

私は、両親ともに教師だったために、小さい頃から“いい子”であることを期待されて育てられた。特に、父親が校長に就任してからは、成績がいいこと、あらゆる面で優等生であることが無言のうちに義務付けられていたように思う。おまけに、長女だったから、しっかり者であることも期待された。

そんな家庭で育った私は、今度は、妹を助けることも自分の役割として親から期待されることになる。妹のM子は、中学生になったとたん、「勉強がわからない! 何もわからない!!」と混乱し、泣き、叫び、日常生活もできなくなってしまったのだ。今なら不登校の始まりかも知れないと、少しは落ち着いて対処できただろうが、1970年頃は、まだ「登校拒否」や「不登校」という言葉すらなかった時代だった。 

両親は、小学生までは抜群に成績の良かった末娘の突然の変化に戸惑い、恐れ、混乱したまま精神病院に駆け込み、以来、病院を転々とした。はっきりとした診断がつかないまま、M子は、拒食や過食を繰り返し、薬への依存など、たくさんの症状を抱えたまま、ずっと心を病み、それ以来、今日までの35年間、ずっと引きこもりの状態が続いている。

家庭はすべてM子が中心に回っていた。家族はみな、腫れ物にさわるようにしてM子に関わり、M子がパニックになることを何よりも恐れて暮らしていた。私も、たえずM子の心の状態ばかり気にかけていたから、自分の気持ちや、自分がどんなにしんどい毎日を過ごしているかなんて感じたこともなかった。

また、私は、どこにいても家族の調停役をやっていた。仕事をしていても、山に登っていても、結婚してからも、実家からの“助けてコール”はやむことがなかった。M子からは、「お姉ちゃん、お父さんが、お母さんを殴ってる! すぐ来て!」、母親からは、「M子のパニックがおさまらない。清子、すぐ来て、どうにかして!」と電話がくる。こんなことが、日常茶飯事だった。

「妹が大変やから、両親も大変やから、私は生活を楽しんでなんかいられない。それどころじゃないんだ、私は」といつも思っていた。私は、自分が幸せになることや、人生を楽しむことにだんだんと罪悪感を持つようになる。

妹のひきこもり、摂食障害、両親と妹の“共依存”(これは、“機能不全家族””と共に、後に学んで知った言葉)の問題に加え、今度は私の娘の問題が起きてきた。結婚後6年目でやっとさずかったかわいい娘が小学校に入ったとたん元気がなくなり、4年生で学校に行けなくなってしまったのだ。

「何で私を生んだん? 生きてんのがつらい」と胸をえぐるような娘の言葉に、「たったひとりの子供さえよう育てんかった」と自分を責めた。この子を妹のようにだけはさせてはいけないと、心の中は葛藤や恐れや自責でひどく混乱していた。

障害者の作業所での栄養士の仕事に忙殺されながら、心の中は、実家のことや、娘のことで、いつもどうしていいかわからなくて、悩み苦しみは果てることもなく続いていた。そんなある日、職場の集団検診で、今度は私の乳がんが見つかったのだ。ものすごいショックだった。なんで私の人生にはこんなにつらいことばかり起きてくるのか・・・・。

私は栄養士の仕事は自信をもってやってきたし、生活の中でも特に食事のことは大切にしてきた。農薬、添加物、化学合成物質には気をつけていたし、自然食も取り入れていた。その私が、なぜがんになんかなるのか。

「栄養士の仕事をしている自分が、がんになるなんて・・・」。私はなってはいけない病気になったと思い、またしても自分を責めた。職場の人や、回りにいる人たちには、自分が、がんになったことも、妹の心の病気のことも、娘の不登校のことも知られたくないと思って心を閉ざしていたから、いつも孤独だった。

私は、栄養士の仕事の他に、日々の生活の中での想いをうたにして唄い広げていくというフォークソング運動をもうひとつのライフワークにしていた。夫と同じグループに入り、オリジナルのうたを唄うコンサート活動を20年近くやってきたのだ。

しかし、がんになったショックで声が出なくなり、大切な生きがいであった歌まで失いかけていた。八方(はっぽう)塞(ふさがり)で、どこにも出口が見つからず、私はだんだん、うつ状態になっていった。

再発防止のために、日本のホリスティック医療の先駆者的存在である帯津三敬病院に体験入院したのは、人生のどん底を生きていた時だった。そこで、患者仲間の一人から、明美ちゃんの「もどっておいで私の元気!」をプレゼントされ、読んでみたら、共感できるところがすごくいっぱいあって、「この人ならわかってくれるかも知れない、助けてくれるかも知れない」と思ってリトリートに参加した。

でも、明美ちゃんもマサさんも、ちっとも答を教えてくれなかった。「答は自分の中にある」なんて私には信じられなかった。私は答を教えてもらいに来たのに、この苦しみを1回でのけてもらおうと思って来たのに、「これじゃあ、全然元取れんやん!」と思った。

でも、それやから良かったんやと今は思う。答を教えてくれる人、自分を救ってくれる人には依存してしまうこわさがあるもんな。明美ちゃんとマサさんの、「とにかく自分の中の“心地よさの感覚”を大事にして」っていうメッセージがなんとなくわかってきた。

何十年もしんどい人生を生きてきたんやから、ゆっくり時間をかけて、本当の自分を取り戻していこう。いろんな自分に出会っていこう。自分のペースで歩いて行こう。私は急には変われん人間みたいやし。旅は、これからや・・・。

清子ちゃんは、リトリートに来るまでの自分の人生をこんな風に語ってくれた。私は、リトリートで初めて清子ちゃんの歌を聴いた時、涙が止まらなかった。清子ちゃんの声は透明で、美しくて、とても“切ない”。清子ちゃんの声の微かなふるえが、自分の中にあった哀しみや淋しさに触れて、知らず知らずの内に涙があふれてくる。「この人は、声だけで人を癒せる人だ」と思った。

清子ちゃんの声には、彼女の人生のすべてがこめられているように思う。ふるえながら生きてきた人生が、声から全部伝わってくるのだ。清子ちゃんは、きっと、その声で、歌で、同じ痛みを生きてきた人々を癒していく人になっていくと思った。
 


生まれては消えていく歌よりも、心に残るひとつの歌がほしい。あふれる情報よりも、心に届くひとつの真実がほしい。あたりさわりのない優しさよりも、本気になって自分に向き合ってくれるたった一人の人がほしい。出口の見つからない闇の中に一筋の光を灯してくれる人に出会いたい。そっとやさしく、心を抱きしめてくれる人に出会いたい。そんな気持ちの人たちに、彼女の声は、歌は、きっと深く染みていく。

自分が最も苦しんできたことが、実は、他者への贈り物なのだというメッセージに励まされたことがある。魂の闇夜を体験してきた人というのは、他者を助ける仕事をするために、絶望の淵に佇(たたず)む人を癒し、希望や勇気を与えるために、その苦しみを味わうことを、神さまから与えられるのだという。清子ちゃんは、“声という贈り物”を神さまから戴(いただ)いて生まれた人だと思う。
 


私は、マサさんに、「清子ちゃんにスタッフになってもらえないかなあ。清子ちゃんの歌は、がんの患者さんだけでなく、つらい人生を歩んできた人や、疲れ切った人の心を癒す歌だと思うの。清子ちゃんの歌をもっとたくさんの人たちに聴いてほしい」と言ったら、マサさんも「僕もそう思っていたところだよ」という返事だった。清子ちゃんにその旨を伝えたら喜んで引き受けてくれた。

「一回で元とろうと思って参加したのに、楽になるどころか、自分がどれだけしんどい人生やってきたのかに初めて気づいて、そやけど、すぐに変われんということもようわかって、余計にしんどなったから、ちょうどええわ。スタッフやりながらでも、ワークに参加できるんやろ?」

「もちろんだよ」とマサさん。
「清子ちゃん、毎回、最終日の夜に歌をうたってや。1時間、時間をあげるから、夜は、清子ちゃんのコンサートにしようよ」

「1時間も? ほんまあ。どないしょー、えらいこっちゃ。うち、今まで3人で唄ってきたから、一人のコンサートなんて初めてや。大丈夫やろか」
「大丈夫さ。清子ちゃん、自分のために唄いなよ。もう誰かのための人生を生きるのはやめにしい。自分の人生を生きるんや。どんな時にも自分のために唄うんだよ。いい声でなんて唄わなくていい。自分の声に辿りついたらいいんだよ。な、清子ちゃん!」とマサさんが言った。

そうしたら「私はみんなみたいに感じられへん。泣かれへん。何にも感動できへん」と言っていた清子ちゃんの目が少しだけ赤くなった。清子ちゃんの声に、私は“祈り”を感じる。清子ちゃんの歌は、清子ちゃんにしか歌えない。まさに、世界でたったひとつの清子ちゃんの世界を歌にしているのだ。


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岡部明美の新刊『私に帰る旅』(角川学芸出版)が全国発売されました。

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アマゾンでは現在品切れですが、21日に再入荷します


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新刊 『私に帰る旅』が角川学芸出版から全国発売!

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<カバー写真  星野道夫>


私の新刊『私に帰る旅』が、角川学芸出版から本日全国発売されました。『もどっておいで私の元気!』(善文社)から12年ぶりの新刊です。どうして12年もかかったかというと、大病後、私の人生は一変し、それまでの人生では体験したことのないようなことが次々と起きてきたため、それを私の中で消化して、自分の言葉として紡ぎ出せるようになるまで、私にはそれだけの時間が必要だったのです。それくらい一つひとつの体験や出会いが意味深く、不可思議で、まるで別次元の人生が転がり始めたような感じだったのです。

この本の担当編集者の小島直人さんは、「青土社」「春秋社」時代は、主に、哲学、心理学、心理療法、思想、哲学系の本を編集されてきた方です。角川学芸出版に移ってからは、今まで手がけたことのないような本も編集するようになり、今回の私の本は、彼の編集者人生では異色の本のようです。

小島さんとは妙に気が合い何度も繰り返された編集会議はとても楽しいものでした。でも、削る作業は、書き手としてはやはりかなりつらかった。それでも、やはり冗長になり過ぎているところは多々ありましたので、エイヤっと、バッサバッサ削りました。文章は、削る作業によって、やはりシャープになっていきます。

文章にしろ、絵、音楽にしろ、表現されたものの背後には、捨てられた何枚、何十枚、何百枚があるものです。具体的に捨てたもの、心の中で捨てたものも含めて。捨てられたものが、最終的に生かされたものにいのちを与えるような気がします。以下は、「表紙帯」と「裏帯」のコピーです。

■表紙帯のコピー

死の病からの奇跡的生還──。
再び与えられたいのちに向きあう日々の中で、
本当の私への旅が始まる。

脳腫瘍と水頭症からの生還を機に人生を見つめ直し、

魂の願いに寄り添って生きようとする著者。

真摯なる自己探求の道程に光を放つ幾つもの気づきを杖に、

いのちの根源からの“再生”へと向かう、魂の航跡。


■裏表紙帯のコピー

いのちの痛みと、いのちの輝きと。

人生の不条理と無慈悲を心底味わう闇の季節。

しかし、この最もつらかった日々が

「光の世界」への扉を開けてくれたことに気づき、

感謝できた時に、人生は真の意味で輝きはじめる。

「魂の暗夜」、その彼方にいのちの暁を求めて、

私は、私へと帰ってゆく──。


■本の背のコピー

~いのちを揺さぶることばの風~


■プロローグより一部抜粋

自立と自己実現を目指し、ひたすら前と上だけを見て走り続けてきた20代、30代の日々。しかし「死へと至る病い」をきっかけに、私は生まれて初めて自分の内面に向き合うことになった。

その中で生まれた幾つもの“気づき”を詩や散文の形で書き留めたのが、拙著『もどっておいで 私の元気!』(善文社)だった。この自己の内面への気づきは、私の生き方を大きく変えてくれた。

そして本書『私に帰る旅』では、前著には全く書かなった、その具体的な内なる旅のプロセスを書こうと思う。前著から約12年もの歳月が流れたのは、私自身の体験をきちんと消化できるまでに、それだけの時間が必要だったからだ。それほどに一つひとつの体験や出会いが意味深く、不可思議で、ある大きなものの導きを感じさせるものだった。

心の深い海に漕ぎ出した私の内なる旅──。何度も暴風雨に見舞われ、右往左往、七転八倒だらけの、とてもぎこちない探求と気づき、そして変容の航海記録。私のそんな体験が、本書を手にとってくださった方々の「心の小さな灯台」と「内なる自由の翼」になってくれたらとてもうれしい。

「人生の試練を、幸福の扉を開けるチャンスにしたい」
「自分を愛し、人を愛し、人生を愛し、自分のいのちを輝かせて生きたい」
「健康を取り戻して、自分が本当にやりたい仕事を見つけたい」
「自分の人生の目的や、この世界への贈り物として自分が携えてきたものを知りたい」

もしあなたが今、心からそう思っていらっしゃるのなら、この本の中には、あなたの“いのちに響き合う言葉”がきっとあるはず。そう信じ、願っている。

■あとがきより一部抜粋

本書を書き終えた今、私が思うのは、人はみなこの世にはるばるやってきた時に、目には見えないけれど、自分が自分の人生の主人公として生きていくための“人生の杖”も、幸せになるための“魔法の羽根”も共に携えて生まれてくるのだということ。

そして、人生の試練の時に、自分の内側に問いを立てた人、自分を超えた大いなるものに眼差しを向けた人たちというのは、理屈では説明し切れない何かによって、遅かれ早かれ、ある“ひとつの道”へと呼び込まれていくのだということです。

この“ひとつの道”は、この世に自分が生まれてきた目的を思い出させ、人生を輝かせ、心の内側に平和とやすらぎをもたらし、人と人とが存在の深いレベルでつながってゆく道です。この旅の途上で出会ったすべての人に、ありがとう。 


『私に帰る旅』は、全国の大手書店には配本されるそうですが、小さな書店の場合は、タイトルと著者名と出版社名をお伝え下さい。

アマゾンでも注文できます。


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3月16日(日) 広島講演会

3月29日(土) 京都講演会&コクーンコンサート

4月5日(土)  岡山講演会(主催:「monju」さん、「Bhumika」さん)


人生の「踊場」のようなスペースを創りたい

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息子が保育園に行っている間にリトリートのパンフレットや案内をワープロで作っていた。こういう仕事をしている時はとても楽しい。いくらでもアイデアが湧いてくる。


私は、リトリートを人生の「踊り場」のようなスペースとして考えていた。人は、生きていれば、時に、行き詰まって身動きできなくなったり、道に迷って途方に暮れてしまう時がある。からだや心が病む時もある。病気にまではいたらなくても、疲れ切って何もする気になれず、ただ日々がむなしく過ぎていくこともある。  

 

そういう時というのは、たいてい人生の節目、ターニングポイントを迎えているという印なのだと思う。“人生の新しい扉”が開かれる前というのは、たいていつらいことが起きてくる。

そんな時は、日常を離れ、いつもの役割を離れ、ひとりの時間、自然に触れる時間が必要だ。私は、そんな季節(とき)を迎えている人たちにとっての、人生の「踊場」のようなスペ-スを作りたかった。

自分の心とからだに向き合い、慈しみ、かけがえのない自分の「生」を取り戻せるような場。安心してくつろぎ、どんな自分を出しても受け入れてもらえ、素のままの自分でいられる場。

自然とのつながり、人とのあたたかなつながりを取り戻し、“自分自身に帰れる場”。私は、そんな場を創りたかった。私自身が、ここ数年、そういう場に出会って、どんどん元気になり、本来の私らしさを取り戻せたからだ。

自分の中で、本来の自分が目覚める時、自分の中から新しい自分が生まれる時、人はいっぱい涙を流す。そんな“魂の産声”とでも呼ぶべき泣き声、喜びの声をたくさん聴いてきた。私も本当によく泣いた。よくこんなに泣けるものだと思うくらい涙があふれてきた。いのちが喜ぶ涙は、いろいろなものを流しながら、ある豊かさに注ぎ込まれて、川に、海に、空に還ってゆくような気がした。

いっぱい泣いたら、いっぱい元気になれたし、いっぱい怒ったら、いっぱい笑えるようになった。「話す」ことは「放す」ことにつながり、「言える」ことは「癒える」ことにつながるのだということも知った。この数年、私が体験した世界は、10年、20年の時間に匹敵すると思う。そのくらい、いのちが凝縮した密度の濃い時間だった。

マサさんは、「いりあい村」のことを、環境、建物を含め、瞑想的な空間だと言っていた。私は、母親の子宮の中のような空間だなと思った。こんな素晴らしい自然環境に恵まれた「いりあい村」で、みんながいのちの洗濯をして、生きることが楽になり、自分のいのちがピカピカに輝いていく方向に歩いていってくれたらどんなに幸福だろう。 

毎月、毎月、新しい出会いがあった。来た時の最初の顔と、帰って行く時の顔が全然違った。帰る時のみんなの顔は、本当に「なんていい顔なんだろう。これが、この人の本来の顔なんだなあ」と思った。

人は、批判されたり、評価、判断されない安心な場所にいると、その人のありのままの姿が出てくる。その自然なあり方が、最もその人らしさがあふれていて素敵なのだ。ひとり一人が自分の色で生きることが、本当は全体と調和して、心地よく、美しいことなんだなあとつくづく思う。その人の本来のいのちの輝きに出会えること、その人の最高の笑顔に出会えることが、私の無上の喜びだった。

悲しみ、怒り、喜び、やすらぎ・・どんな感情でも表情でも、その人の真実に触れた瞬間というのは、なんとも言えない感動があった。その人の中でふるえているもの、わきあがってくるもの、込み上げてくるものは、みんな美しいと思った。

振り返ってみても、一人ひとりの何かを、私は記憶している。その人がふと呟いた言葉、囲炉裏の火をただ黙って見つめていた姿、その人の怒りの奥にあった深い悲しみ、笑い転げたその笑顔、膝小僧を抱えてうつむいていた姿、廊下で瞑想している姿、からだがゆるんで気持ち良さそうにやすらいでいる顔、声の限りに叫んだこと、バンザーイと飛び上がった姿・・・。

そんな、なにげないなにかしらを、今でも記憶している。一人ひとりの残像が心の中に刻み込まれた。共に過ごしたかけがえのない時間が、存在の余韻を残していった。

四季折々の花が咲き、季節の野菜や果物が豊かに実っている「いりあい村」という自然環境、そして、半断食という、否が応でも、自分のからだの感覚がシャープになり、感性が研ぎ澄まされるような体験をしながらのワークショップだったから、自然にみんなの感性の扉が開いていったのだと思う。

自分らしく生きるというのは、自分の感性の欲求に寄り添って生きていくことなのだと私は思う。感性は、個性、自分らしさだから。個性は競争しない。する必要がないのだ。ただ自分の個性を磨き続ければいいのだから。

バラがチューリップに嫉妬したり、楓が松と競争したり、大根が茄子と張り合ったりするだろうか。自分でないものを落とせばいいだけなのだと思う。人と比較し、競争する人生から降りると、ほんとに、人生はだんだん楽で、楽しくなっていく。

自分を知り、自分を学び、自分を愛し、自分の人生に責任をもつようになると、人は、自分の人生のプロになっていく。そういう生き方ができるようになると、不思議なことに、新しい人生の可能性が開けていくのだ。

新しい自分、いろいろな自分に出会っていくためには、いつもの慣れ親しんだ習慣、よく知っている世界から、ちょっと離れてみることが必要だ。新しい人生の扉というのは、いつも知っている道ばかりを歩いていたり、いつもの習慣的なパターンを繰り返していては開いていかないから。予想、予測がつくような慣れ親しんだ世界では、新しい自分にはなかなか出会えないのだ。習慣の中にいては、自分の習慣に気づけないように。

人は、自分が何をしているかに気づいていなかったら、自分が本当は何をしたいのかはわからない。自分の中で今何が起こっているのかに気づけなかったら、人生の中で今何が起ろうとしているのかはわからないのだ。

日常生活というのは、ほとんど自動的、機械的にやっている“習慣の集積”だから、外側から自分を眺める意識が持ちにくいし、自分の中で本当は何が起きているのかなどと内側に意識を向けることもほとんどない。

とにかく、多くの人の日常というのは、自分にかまけている時間、自分の世話をする時間が本当にないのだと思う。やらなければいけないことを次々にこなしているというのが大方の人の日々の暮らしだろうから。自分を生きる時間がほとんどないのが日常生活なのだ。その日常の集積が人生だとしたら、一体、誰が自分の人生を生きるのだろう。

そういう意味では、仕事に追われ、生活に追われ、自分を見つめることも、自分の人生を振る返ることもなく、ただ前だけを見てひた走ってきた人にとっては、人生の試練の時というのは、自分の人生を、自分の手に取り戻せる最大のチャンスなのだと思う。

新しい自分、今まで気づかなかった自分というのは、感性が揺さぶられている時に、ふっと立ち現れる。鮮やかにその自分に出会う瞬間がある。未知の体験の中で、感性が揺さぶられると、自分がハッキリし、生が鮮やかになる。揺れている時に、自分の中に埋もれたままになっていた双葉がふっと芽を出す。 


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必要なことが向こうからやってくる

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「自分の魂の願いに寄り添って生き始めると、不思議に絶妙のタイミングで人や場に出会っていくし、必要なことが向こうから歩いてくる感じになるわよ。人は、自分の魂が本当に喜ぶことを始めると、必ず、それを応援してくれる人に出会っていくの」

すでにいろいろな問題や苦悩を乗り越えて、自分の道を歩き出していた友人に言われた言葉が、新しい道を歩み出すことに多少の不安を抱えていた私の背中を押してくれた。

そして、彼女が言う通り、リトリートをやることに決めた半年後に、なんと夫が名古屋から千葉に転勤になることになったのだ。転勤というより、元に戻ることになったのだが。千葉には夫の両親、神奈川には私の両親がいる。

リトリートは合宿だから、週末、夫に子供の世話をお願いしなければならなかったのだが、千葉に引っ越すことになったので、仕事の時に子供を親に見てもらえるようになったのだ。

私は、親の援助を受けられるようになったので、安心してその間、家をあけられるようになった。本当に有難かった。人の支えがなければとうていできない仕事だった。

引っ越し作業は大変だった。いや、大変だったのは実は夫だけだったが。なにしろ私は、ダンボールの空き箱を見ると物を詰めるよりも、子供と一緒になってダンボールの中に入りたくなるので戦力にならなかったのだ。

息子は、最近覚えたてのひらがなで、「かわいそうなすてねこです。ぼくをひろってください。おねがいします」なんてダンボール箱にマジックで書いて、中に入って、ミャーミャーと鳴いているのだ。そんなのを見たら、もうかわいくって、新聞紙で皿を包んでいるどころじゃなくなる。そして、ついつい息子と捨て猫遊びごっこに夢中なってしまう。

こうして、私の仕事は全然はかどらない。ふだん寛大な夫も、この時ばかりはイライラして、「早く片付けろ!」「使い物にならない!」「無能!」「もう少し頭を使え!」と怒ってばかりいた。

新居は、幸運なことに、名古屋時代と同じように、180度のパノラマで景色が見える高台にあるマンションの8階が見つかった。角部屋なので、ベランダからは朝日が、リビングの出窓からは、富士山に沈む夕日が見えるので最高だった。

息子も、新しい保育園生活で仲良しのお友だちがすぐできたのでほっとした。息子はスクスク成長していた。おしゃべりもやることもすごく親を笑わせてくれるので楽しい。でも息子は、私がワープロに向かっている時だけは、「遊ぼう、遊ぼう」とじゃれついてこない。きっと、何かを書いている時の私は、ふだんにないマジな顔になっているのだろう。

ある時、かなり長時間ワープロに向かっていたら、私に遊んでほしい息子がいい加減しびれをきらしたらしく、何か文字を書いた紙飛行機を折って私に向かって投げてきた。紙飛行機はちょうど私の頭にコツンとぶつかった。

開いてみると、「おかあさんのばか あほ おたんこなす うんこ しっこ ちんぽ でべそ おしり あそぼー」と書いてあった。うーん、負けた。日本一私の落とし方がうまい、うちの息子は。

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自然の懐に抱かれている心地よさ

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タクシーは曲がりくねった山道をどんどん上っていく。両脇にはみかん畑が続く。おいしそうなサマーオレンジがたわわに実っている。キラキラ輝く伊豆の海をあとにして、タクシーはだんだん人里離れた深い山の中に入っていく。

こんな急勾配の坂をタクシーは上れるのかしらと思ったが、運転手さんは慣れているらしく、目指す「いりあい村」を目指して一気に坂を駆け上がった。タクシーが止まった。右手には畑があって、夏野菜や果物や花々が元気に実り、咲いている。

桑の実がなっている左手の細い坂の上を見ると、北陸の古い民家を移築して作ったという宿泊施設が見えた。空に包まれ、樹木に抱かれ、風景の中に建物がやさしく溶け込んでいた。その佇まい、雰囲気にとても魅かれた。中はどんな風だろうとワクワクした。

初めて来た「いりあい村」はとてもホッとする空間だった。場の雰囲気も、建物の感じも、空も海も大地も、とても気持ちがいい。初めて来た場所なのに、なぜかとても懐かしい感じがした。私の原風景、心の奥にずっとしまってあった心象風景にもどこか似ている。前方には、この「いりあい村」を運営されている菊池さんご夫妻のご自宅があった。

マサさんと、半断食&ワークショップの「リトリート」を始めることになって、これまで10件近い研修施設を見て歩いたが、一目ぼれしてしまうほどの場にはまだ出会えなかった。“場の力”というのはとても大きいから、妥協はしたくなかった。私は、自然が人を癒す力がどれだけ大きいものかをいっぱい体験してきたから、「ここだ!」と思える場に出会えるまで何件でも見て歩くつもりだった。

探していた場のイメージは・・・。そこにいるだけで、心身が癒されるような場所。ほっとできる場所。自然が豊かで、四季の美しさや移ろいを味わえる所。近くにあまり民家がなく、静けさと落ち着きのある所。自然の懐に抱かれて、いのちの洗濯ができたと思ってもらえるような場所。建物にも風景にも土地の磁場にも、いい気が流れている所。私は、そんな場所がきっとどこかにあると思っていた。

しかし、いろいろ見て歩いたけれど、それだけの条件を満たしている場所にはなかなか出会えなかった。でも、「いりあい村」は、見た瞬間に、「あ、ここだ!やっと出会えた」と思った。

すごい“シンクロ現象”にびっくり 

「いりあい村」のオーナーの菊池さんご夫妻は、やさしく私たちを迎えて下さった。菊池さんご夫妻が住んでいる母屋もとても素敵なお家だった。一枚板の重厚で温かみのあるテーブル。白壁と木のぬくもりのある家。一面ガラス張りのリビングからは、「いりあい村」の樹木や花々や、畑の野菜たちが見える。朝には、樹木の間から海が見えるらしい。とても豊かな暮らしの匂いがした。

マサさんが、本や8ミリ映画やビデオが並べられている本棚を見て、突然びっくりして叫んだ。「ああ!“根の国”じゃないですか。これは、素晴らしい記録映画ですよね。僕は、有機農業運動をずっとやってきたものですから、農家の人たちや消費者たちに、この映画を使ってどれだけ講義してきたことか。ここ10年は、大学の授業でも学生たちにこれを見せて講義をしてきたんですよ。みんなこれを見て、土の中の微生物たちの世界、樹木の根が這う地中が、もうひとつの宇宙なのだとわかってすごく感動するんです。でも、よくこんな知る人ぞ知るという名画をお持ちですね」と尋ねると、ご主人の菊池周さんは、頭をポリポリかいてニヤーっと笑った。

「いやあ、実は、これを撮ったのは、私なんです」と菊池さん。マサさんは椅子からひっくり返りそうになるほど驚いていた。「うわあ、こんなことってあるんですねえ!信じられない。参ったなあ。うれしいなあ」と、マサさんは満面の笑みを浮かべていた。

マサさんは、「僕の大好きな“根の国”を監督した菊池周さんが、このいりあい村のオーナーだったなんて、なんという導きだろう」とまだ興奮冷めやらぬ様子で、一気に菊池さんご夫妻と打ち解けていった。

菊池さんとマサさんは、話が尽きないという感じで、日本の農業問題や環境問題について次から次へと話題を展開していった。菊池周さんは、戦中戦後の混乱時代に、社会派の記録映画を撮り続け、人間の解放と自然環境保護、地球のあらゆる生命の共存共栄を啓蒙してきた映画監督さんなのだという。
 


菊池さんご夫妻が畑を案内してくれた。「いりあい村」の土はやわらかくてフカフカしている。土がやさしいって感じた。生きている土というのはこういう土を言うのかなあと思った。

菊池さんとマサさんの土や樹木や野菜を見る目は、まるでかわいい我が子を見るような目だった。マサさんは畑のトマトやきゅうりを、ボリボリ食べて「うまい!」と唸っている。唸り方がすごい。プロの唸り方だと思った。

いりあい村には、元気な野菜だけでなく、ニューサマーオレンジや、ブルーベリー、桑の実、山モモなど美味しそうな無農薬の果物もたわわに実っている。枇杷やキウイやぶどうがなる季節もある。マサさんは、野菜や果物をじーっと見ながらこう言った。

「よし、半断食をしながらのワークショップと、玄米菜食をしながらのワークショップと2種類やろう。半断食を体験したい人もいるだろうし、玄米菜食の食養生を体験してみたいと思う人もいるはずだから。こんなにおいしくて安全な野菜や果物を使わせていただける“いりあい村”で、半断食だけではもったいないものな」

「賛成、賛成。私もそう思っていたところ」と私は言った。
「いりあい村」は、素泊まりだから、食事は自分たちで用意しなければならない。個人が使える宿泊施設ではないし、観光、娯楽で利用できる場所でもない。

食事がないということでは半断食にはぴったりの場ではあるが、玄米菜食をやるとなるとスタッフが必要だ。同じことをマサさんも考えていたみたいで「スタッフは、きっと参加者の中から手伝ってくれる人が見つかると思うよ」と言っていていた。私も、そんな気がした。

畑を見た後、坂の上にある宿泊施設を見せていただいた。木の引き戸を開けると、なんと広い土間。今どき、土間のある家というのは珍しい。台所には竈もあるし、小さな囲炉裏もある。食器棚には、素敵な陶器、磁器がいっぱい。焼き物の好きな人にはこたえられない。

中央の約30畳ほどの畳の部屋にも大きな囲炉裏がある。ここでワークショップをするのだ。気持ちがいい部屋だなあと思った。天上は高いし、黒々した太い梁が部屋に重厚感を与えている。でも、威圧感はまったくなく、むしろ、包まれているような、守られているような、あたたかみのある優しい空間だ。

廊下も柱もピカピカに光っている。隣の部屋にはピアノや和太鼓。2階の宿泊部屋もシンプルで落ち着く。調度品はどれもアンティークで、趣味がいいものばかりだ。なんと屋根裏部屋まである。まるで、忍者屋敷みたい。

屋根裏部屋の小さな窓から、庭の樹木や花々が見える。ここで瞑想したら気持ちがいいだろうなあ。特に雨が降った日などは最高だろう。驟雨がとても似合いそうな屋根裏部屋の小さな窓。雨の音を聴きながら、この小さな窓辺に座って瞑想したらどんなに心の静けさを味わえるだろう。想像しただけで、しあわせな気持ちになってくる。

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プロフィール

岡部 明美岡部 明美

ワークショップ・トレーナー/セラピスト/カウンセラー/研修講師/文筆家/東海ホリスティック医学振興会顧問。

独身時代は、シンクタンクにてマーケティングプロデューサーとして活躍。30代半ばで結婚。長男出産直後に脳腫瘍と水頭症を発病し生死を彷徨う。自分の死に直面するという体験を通して、いのちの根源からの問いの答を求めて自己探求の道に歩みだす。著書に「もどっておいで私の元気!」(善文社)「私に帰る旅」(角川学芸出版)

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