岡部明美のスピリチュアルな旅で出会った”もの・人・場・言葉たち”

2008年09月

人間の本質は、肉体の生死を超越したもの

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それにしても、元々大学病院で、外科医、心療内科医をやっていたという伊東充隆先生が、どうして代替医療、バイブレーショナル・メディスンに取り組み始めたのだろう?


「僕は、大学病院で仕事を続けるうちに次第に西洋医学の侵襲的(身体を痛めつけ免疫を落としてしまう治療)、つまり、患者さんの心身への暴力的、攻撃的治療への懐疑が強くなっていきました。西洋医学は痛い治療が多過ぎます。僕が、痛いのが苦手、痛いのがいやだっていうのも少しは関係ありますが(笑)。ですから、僕は患者さんの心身に優しく、患者さん自らの自然治癒力を引き出し、エネルギーを活性化する様々な代替医療を学び、この10数年臨床を重ねてきました」


「今、代替医療、統合医療への道が開かれ始めていますが、何より重要なのは身体観のシフトです。人間の身体は“固体”であるというのがこれまでの常識であり、西洋医学も今尚その前提のもとに進められています。西洋医学はこれまで、人間を骨と肉の塊の“固体”として扱ってきたわけです。だから固体の中にある異物を徹底的に排除するというやりかたが主な治療手段になっていたわけです」


「しかし、人間の身体の殆どは液体(人体の60~70%は海水とよく似た成分の水)です。人間の身体は水袋と言ってもよいかもしれません。そう考えるとすこし見方が変わりますね。固体から液体への身体観のシフトです。いくぶん身体の自由度が増すように思うでしょう。ここで、さらに視点を変えてみましょう」


「人体を構成するのは原子です。原子は、原子核とその周囲を回る電子から成っています。原子核の大きさと、電子の周回軌道の大きさは、ボールと野球場の大きさにたとえられます。広大な電子軌道のわりになんと核の小さいことでしょう。原子における、実体:空間の比は、1:10万といわれています。 つまり、原子の99.99999%は空間なんです。最先端の量子論によれば100%が空間と言われています」


はーっ?人間の身体は、本当は“空間”、“からっぽ?”。こんなことにわかには信じられない。だって現に私はここにこうして存在しているではないか。 じゃあ、なぜ、人間の身体は、固体として存在しうるのだろうか? 伊東先生は、ここで実に巧みな比喩を用いて説明してくれた。


「人間の身体がなぜ固体として存在しうるのか。それは、竜巻と自転車のスポークを考えるとわかりやすいかもしれません。竜巻は、回転する大きな空気の渦といえます。回転による凄まじい力が空気をあたかも剛体のように変え、町を破壊するまでにいたります。自転車のスポークも同様です。止まっているときは隙間だらけなのに回転を始めると指がはじかれてしまいます」


「一方、最先端の量子論が展開する原子モデルでは、電子は、速度と位置を同時に決定されることは出来ないとされ、電子は、電子雲という、いわば電子が動き回りうる範囲を示すことで表現されます。この電子の動き、回転による電子雲こそが、竜巻、スポークに匹敵するような働きをなしうるといっていいでしょう」


「だとすれば、もし、粒子の回転運動が止まれば、人間の身体は剛性を失い、限りなくすきまだらけの空間に近づくということになるのです。人間を“固体”として見るのか、“液体”として見るのか、“空間”(エネルギー場)として見るのかでは、治療法の選択肢は大きく変わっていくでしょう」

うわあ、これって、般若心経でいうところの、色即是空、空即是色の世界そのものではないか。2500年も前にお釈迦様が悟られた世界を、今量子力学が証明し始めているのか。なんだか面白い時代になってきた。
古来の東洋哲学と最先端の量子論がここで交わることになるわけだが、改めて東洋哲学の奥深さに脱帽する。


さらに、量子論によれば、粒子の動きは、想念の影響を受けるとされている。となれば、想念は原子をめぐる電子の回転にも影響を与えるはずだ。回転はエネルギーも生じる。回転運動の調整をうまくおこなえば、人体の働きにも良い影響を与える。意識の変容が治癒への鍵となるクオンタム・ヒーリング(量子レベルでの治癒)、クオンタム・リープ(量子的飛躍)と言われるものはこういうことだったのか。


伊東先生は、人類が集合意識として潜在的にもっている、“私とは、この肉体である” “肉体とは固体である”という固定観念、病気を“悪”とみなして戦うという発想、死に対する“怖れの観念”一その「幻想」そのものを根底から変えていきたいと言う。肉体を実体あるものと捉え、この肉体こそ自分だとみな思っているからこそ、人はこれほどまでに死を怖れるのだと。


「人間の本質というのは、肉体の生死を超越したもの、生まれることも死ぬこともない、永遠不滅の“意識”なんです。あの世もこの世も実はひとつなんです。幻想の幻想たるゆえんは、まさにそれが幻想であることに気づいていないところにあるわけですから、僕は何が幻想なのかを明らかにしていきたいと思う。本当の医療改革は、そこからしか始まらないと僕は思っています」


伊東先生によると、人間の本質は、たとえて言うならば、風と共に消え去る雲というモノ(物質・肉体)ではなく、そのすべてを包含している広大無辺の青空という空間(エネルギー・意識)なのだと言う。


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人間は、透明な光そのもの

WS000741.JPGそれにしても、光や色がどうして人の意識の変容や、病気治療に功を奏するのだろうか。私は、そのことを伊東充隆先生に聞いてみた。
「光は生命そのもので、すべての色には私たちと同じように意識と個性があります。光や色というのが、生命も意識もないただの波長と振動数の異なった電磁場に過ぎないなんて思いますか?」

「たとえば白黒の世界に色がついた瞬間、温かさとともに物に命が吹き込まれたように感じませんか? それが色の本質なのです。つまり私たちは、物質世界の属性としての色を体験しているのではなく、より主観的なものとして色をとらえている。言うならば、“私”という生命が、その時の自分の意識状態を周りの世界に投げかけているものを人は見ているのです」


トランスミッター・リレイのベースであるカラーパンクチャーというのは、西洋における光と色に関する知識と、東洋医学の陰陽五行論、鍼と経絡の理論、そして、バイオフォトン(生体光子)に関する生物物理学的研究の統合によって、ドイツのピータ・マンデル博士が考案し、1978年に誕生した色彩光線療法なのだという。


この背景には、ドイツの物理学者であるフリッツ・アルバート・ポップ博士の発見によって、すべての生体細胞が、バイオフォトン(生体光子)を発していることが実証されたという事実がある。


つまり、人間も含めすべての生命体は、“物質的肉体”の他に、“電磁場的エネルギー体”をもっているということだ。生体というのは、光コミュニケーションをするための“光ネットワークシステム”をもっており、東洋医学における経絡と経穴は、まさに、この光ネットワークと、その中継所に当たると伊東先生は言う。


伊東先生によると、人の意識や記憶は、脳だけが司っているのではなく、身体全体の細胞間光コミュニケーションの秩序の中で意識がつくられ、記憶が保持されているのだという。


つまり人間は、脳だけでなく、すべての細胞が意識と記憶をもっており、それらを統合し、秩序を保っているのが光という存在なのだ。こうした考え方は、現在の保守的な日本の医学会では、まだ全く受け入れられていないようだ。


しかし、代替医療の先進国であるドイツやアメリカなどでは、すでに色と光による癒しと病気治療が行われており、徐々にこうした新しい医学は世界的な潮流になりつつあるのだという。


「透明な光には、あらゆる色が含まれています。だからこそ、透明な光にとっては、あらゆる色が美しく、愛おしく見えるのでしょう。“色”とは“体験”なのです。それを体験するためにこの世界にやって来た“透明な光”とは、私たちなのです」


「この世界は色で満たされているので、私たちは、自分が何かの色だと思い込み、それと同化してしまいます。そこで、自分は他の色になれないという苦しみが生まれてきます。しかし、人は何色でもなく、透明な光そのものなのです。すべての色であって、しかも、何色でもない。意識的な気づきとは、まさに自分は何色でもなく、“透明な光そのもの”だということへの気づきです。」


「この気づきの中にあって様々な景色や“人生のドラマ”はどのように見えてくるでしょうか。多くの人は、病気や、問題、苦悩がなくなったら幸福になれると思い、それらの不幸の種を無くす事や、自分を改善することに一生懸命になりますが、人というのは、本当はそれらを携えたまま美しいのです。自分の本質が何なのかを知れば、存在とは、ただそれだけで美しいものであることに気づくでしょう」


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現代医療は、魂を語ることを怖れている

WS000740.JPG伊東充隆先生は、ある日、セッッションが終わってからこんな話をしてくれた。
「僕の家系には医者はいないのだけれど、僕は4、5歳の頃、すでに親に対して、将来は医者になるから家の商売はつがないよと伝えていた。自分は医者になるために生まれたのだということを小さい頃にすでにわかっていた。幼稚園の頃、親戚の家に連れていかれる時なんか、大人の話は退屈だから、いつも“家庭の医学”を持って行って、解剖図なんかを絵に描いて一人で遊んでいる子供だった」


しかし、職業選択では迷ったことが一度もなかった伊東先生は、大学病院で実際医者として働くようになってからは迷いっぱなしだったという。先生は、大学病院での西洋医学的価値観や、現代の医療保険制度に対して、どんどん違和感と懐疑と葛藤が強くなっていったのだという。


伊東先生は、長い葛藤の末、大学病院を去る決意をする。医師として、西洋医学の現場を去るということはどれほどの勇気と決断だっただろうか。先生は、大学病院を去った後に「地球交響曲 第三番」を見たのだという。


この映画の中でアラスカインデイアンの語り部、ボブ・サムの言った、「魂を語ることを怖るるなかれ!」という言葉が先生の魂にとても静かに、かつ力強く響いてきたという。


先生が西洋医学の現場を去ることを決めたのは、まさにボブ・サムの言葉を借りるならば、“現代医療は、魂を語ることを怖れている”、それゆえ、現代医療は、病気や死というものを“悪と怖れ”という側面からしか見られなくなっているのだと。


私も、マサさんが亡くなった直後に見たのが、「地球交響曲 第三番」だった。この映画に出演予定だった星野道夫さんは、この映画の製作中にクマに襲われて亡くなったのだ。


監督の龍村仁さんの驚愕と絶望と深い悲しみがどれほどのものであったかはかりしれない。その想いを龍村監督は、「魂の旅 地球交響曲第三番」(角川ソフィア文庫)に書かれているが、この本もまた深く素晴らしい本だ。


この映画の中でシリア・ハンターが言った「人生とは、なにかを計画している時に起こってしまう“別の出来事”のことをいう」という言葉が、深い意味をもってこの映画の重低音になっている。


星野さんはまさに自分の死をかけてこの映画に魂を注ぎ込んだのではないかと思われるほど、「地球交響曲 第三番」は深い映画で、私を魂の旅路へと誘ってくれた。


奇しくも、人生の大きなターニングポイントに立たされた時期に、お互いにこの映画を見たということになにやら不思議なご縁を感じた。伊東先生は言う。


「自分の魂が何を語りたがっているのかを知らずして、どうやって患者さんの魂が語りたがっているのは何なのかを感じとれるでしょうか。自分は本当に何を怖れており、その怖れからどうしたら自由になれるのか。魂の師と言われる人たちは、“この宇宙には、怖れるべきものは何もない”とよく言うけれど、これを心の底から感じ、少しの怖れもなく生きていくためにはどうしたらいいのか。患者さんがそれを心の底から感じ、少しの怖れもなく生きていけるようサポートするにはどうしたらいいのか。そして、今の瞬間にこれを問うている私とはいったい誰か? 僕が、新しい医療のステージを求め、大学病院を去ったのは、このような“深い問い”が存在していたからです」


こうして大学病院を去った伊東先生は、この後、自己の探求をさらに深めることと、様々な代替医療を学ぶために海外に行かれる。先生が学んできた代替医療は、アーユルヴェーダ(古代インドの伝統医学。サンスクリット語で、“生命の科学”という意味)、東洋医学、様々なサイコセラピー(心理療法)、アートセラピー(芸術療法)、アロマセラピー(芳香療法)、ボディワーク、ブリージング・セラピー(呼吸法を使ったセラピー)、サウンド・レゾナンス(音の波動を使って各チャクラのエネルギーに働きかけるセラピー)、カラーパンクチャーなどの色と光を使ったセラピー等々。先生はその後、それらを活かした活動を東京で始められ、ちょうど10年になるという。


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あなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望しない 

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私は、名古屋から千葉に引っ越してきた時、一番望んでいたのは、私にとってのホームドクターのような先生がほしいということだった。

病気になったり、心身が不調になった時に、その時だけかかる“見ず知らずの医師”ではなく、常日頃から親しくさせていただいて、何でも相談ができて、私の心身のプロセスをずっと見ていてくれる、私にとっての“かかりつけ医”のような存在がほしかった。だから、このTMの体験以降、伊東先生には、私の主治医のような存在になってもらえたことがとても有り難かった。


伊東先生は、かつては大学病院で外科医としてメスを握り、人間の“肉体”に関わっていた。その時は、外科医はとてもやりがいのある仕事だと思ったという。しかし、人間の“意識”というものに元々深い関心があった先生は、ある出来事を体験した時に大きな気づきがあり、本来やりたかった心療内科医になることに決め、違う大学病院に移り、心療内科医になる。


ここで先生は、今度は、人の“心とからだ”のつながりから患者さんを診る仕事をするようになった。心療内科医になってからの伊東先生は、かなり精力的に活動されたようだ。


あの世界的大ベストセラー『夜と霧』(みすず書房)を書かれたウイーン大学教授であり、心理学者、精神科医のV・E・フランクルを講演に招くために、恩師である浜松医大の心療内科医、永田勝太郎先生と一緒にウイーンまで行き、日本における心療内科の世界に一石を投じるような働きをしてもらったと聞いた時はびっくりした。


私が20代に読んだ本で最も衝撃を受けたのが、藤原新也の本と共に、フランクルの『夜と霧』だったからだ。この本は、人類史上最大の地獄、ナチスドイツの強制収容所、アウシュビッツでのフランクル自身の体験記だ。


フランクルは、『夜と霧』の中で、人間というのはここまで残虐になれる生き物であるということを、ナチスドイツのやったことを詳細に記録することで世に知らしめた。


と同時にこの本の素晴らしさは、強制収容所に送り込まれた人間たちの中に、これほどまでの極限状況に置かれながらも、かくも高貴に、自由に、感動する心を失わないで生きた人々もいるということを世に知らしめた本でもあるということだ。


同じ極限の飢餓状態にありながら、人肉を食べる人もいれば、一片のパンを人に分け与えた人もいた。拷問に耐え切れなくて自殺する人もいれば、夕焼けの美しさに感動し「世界はどうしてこんなに美しいのだろう」と呟き、涙を流す人もいた。


フランクルは、拷問の苦しさから逃げるために自殺しようとしている人や、「もはや人生に何も期待できない」と生きる意味を見失って絶望にうちのめされている人たちに向かってこう言った。


「人間は誰しも心の中にアウシュビッツを持っている。でもあなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望しない」

「人は神に“問う存在”なのではなく、神の期待に“応える存在”である」

「私が人生に何を期待するかではなく、人生が私に何を期待しているのかを考えてみよう」

「それでも、人生にイエスと言おう」

人類史上例を見ないあんな地獄のような状況の中で、まだなお、人生が自分に何を期待しているのかを考えた人たちがいたということに私は深い感動を覚えた。


さらに、たとえどのような状況に立たされようが、“人間は、人間の精神の自由までは奪うことはできない”と言った人がいたこと。人間は、自分が置かれた状況に対して、“どのような態度をとるか”を自分で選択できるのだと言った人がいたという事実。このことは、私の人生観に大きな影響を与えた。


私は、20代の頃にこの本を読んで、人間として生きるということはどういうことなのか。集団の狂気というのはどこから生まれてくるものなのか。なぜ人間は戦争をやめられないのか。自分の人生に対する態度が自分の人生を創るのだとすれば、私は人生に対してどのような態度で生きているのだろうかということを深く考えさせられたのだ。


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“光の医学”の先駈け、伊東充隆ドクターとの出会い

WS000738.JPG知る人ぞ知ると言われている伊東充隆先生のことは、随分前からお名前と評判は聞いてはいたが、まだ時が満ちていなかったのだろう、出会いの機会は巡ってこなかった。それが、ひょんなところで突然出会ったのだ。


ああ、この人が伊東充隆先生か。もっとお年寄りの仙人っぽい、浮世離れしたお医者さんをイメージしていたから、カジュアルな雰囲気にびっくりした。私は、今まで聞いてきた伊東先生の評判から、てっきり白いあごひげをはやして、作務衣なんか着て、杖でもついているような、“枯れ切ったおじいさん先生”を想像していたのだ。まさか、私よりも若いお医者さんだったなんて思ってもみなかった。


21世紀は、バイブレーショナル・メディスン(量子医学・エネルギー医学)の時代になっていくであろうと言われているが、伊東先生は、日本における「光の医学」の先駆者的存在のお一人だったのだ。


私は、ホリスティック医学との出会い以降、医療のパラダイム・シフトにとても関心を持つようになったので、伊東先生のお話は本当に面白かった。お話だけでなく、実際に体験したトランスミッター・リレイ(略してTM。超越瞑想のTMとは違う)という光と色を使ったセラピーは、今まで私が体験してきたものとは全く別次元の体験だった。


伊東先生は、セッションの最初に、キルリアン写真を撮って診断される。私もかつて一度、キルリアン写真をとってもらったことがあるけれど、その時の医師は、単に私のエネルギー=気の状態、強弱を診られただけだった。


しかし伊東先生は、キルリアン写真の結果から、クライントの身体のどこに毒素がたまっているか、どういう感情が身体のどの部分に滞っているか、魂レベルで今何がその人の人生に起きているのかを解析されるのだ。キルリアン写真は、予防医学的にも使える診断法なのだという。


とにかく私にとって、月に一回、1年間受けたTMのセッションは本当に不思議な体験だった。どうしてある経絡に、ある色の光を入れると、肉体のある部分にこんな反応が出てくるのだろう? どうしてこんな感情が突然こみあげてくるのだろう?と、毎回自分の反応に驚いた。時には予想もしていなかったようなイメージやメッセージが自分の中から湧き出てきて驚いたこともある。


TMは、人間の表面意識下にある広大無辺の潜在意識、無意識の中に眠っている輪廻転生、過去生の記憶を浮上させる。光と色のもつ最大の効用のひとつは、表面意識と潜在意識の間にある厚い壁に穴を開けてその下の深海に意識の光をもたらせることにあるのだと言う。


TMは、光エネルギーの強力なトリートメントで、個人の輪廻転生を含めた人生のすべてのフェーズのトラウマを癒し、条件付けされた固定観念を取り除くための強力なトリートメントだ。本人が“本気で取り組む”ならば、実際に人生が大きく変容していく可能性を秘めたものだと先生は言われる。


私に「トランスミッター・リレイを一緒に受けない?」と声をかけてきたのは、修行仲間、探求仲間である友人の笹本えみちゃんだった。えみちゃんは、重度の喘息を長期に渡って患っていた人で、何度も死にかけたことがある人だ。


えみちゃんから誘われたのと同時に、伊東先生からも声をかけられたことで、最初はかなり抵抗していたのだけれど受けることに決めたのだ。新しい扉が開かれる前には、たいてい大きな抵抗が生まれることは知っていたし、その抵抗の向こうには新しい世界、出会い、道が用意されることもわかっていたので、えいやっと飛ぶことにした。


伊東先生のTMの説明会の時に心が動いたフレ-ズは、「今回の人生に自分が計画してきた魂のプログラムに気づくと同時に、その魂のプログラムを発動させないようにしているブロックに気づき、それを解放していくセッションです。未来に向けて自分が変容していくことを強く望んでいる方のためのものです」というところだった。


私は、自分の“人生の暗号解読”は、かなりやってきてはいたけれど、それをもっとはっきり“自覚化”したいと思った。それに私は、マサさんの死によって、いやおうなく人生の大きなターニング・ポイントに再び立たされてしまい、これから先私は、どんな道を歩んでいったらいいのかわからなくなっていた時だったので、これはやはり受けるしかないなと思ったのだ。


私は、このTMのセッションによって、終わるべきものは終わり、手放すべきものは手放し、始まるべきものは始まり、直面すべき課題には直面させられ、受け取るべきものは受け取った。全く予想外、予定外のことが人生に起きてきた。自分の中でエネルギーが変わったことがはっきりわかり、人生の大きな転機になった体験との出会いだった。


とにかく私は、セッション中に記憶の底にあった様々なものが浮上してきた。今世レベルのことだけでなく過去生レベルのことまでも。ただ、トランスミッター・リレイを受けると全員がみなこういう体験をするのかというとそうではなく、あくまでも私にとってはそういう体験だったということに過ぎない。


それこそ人の数だけ体験はあり、まさしく先生も「体験は千差万別です。過去生も見る必要がある人は見るし、必要のない人は見ませんから。自分の過去生が知りたいとか、なんか面白そうといった興味本位のノリで受けた人は何も感じなかったり、これといった変化が起きない人もいます。自分の越えたい課題に対して意識化できていること、人生を進めたい、変容させたいと強く望んでいる人であれば大きなギフトを受け取るでしょう」とおっしゃっていた。


TMは、自分のからだや心と十分向き合ってきた人、感じることや気づくことをしてきた人、自己観察、自己探求をちゃんとやってきた人、微細なエネルギーを感じ取れる心身の感受性がある人、瞑想など深く内側に入る体験をしてきた人、つまり、“準備ができている人”であればあるほどギフトが大きいことが長年の経験でわかってきたと先生は言う。


伊東先生のとても自然で穏やかなリードのお陰で、私はこれまで体験してきた中でも最も深い意識の領域に触れることができた。それによって、これまでバラバラのピースにしか思えなかった人生のジクゾーパズルがピタっと収まったような感じがした。


私は、伊東先生には最高のタイミングで出会えたように思う。もし私が、マサさんの死を体験する前に伊東先生にお会いし、このセッションの説明を聞いたとしても、たぶん私は全く興味を示さなかったと思う。


伊東先生のことも、「風変わりなお医者さんがいるなあ」くらいにしか思わなかっただろう。まさに、今だからこそ出会いは意味を持ち、セッションの体験が深まり、新たなエネルギーが流れ出したのだと思う。とにかく私は、伊東先生が言う「魂の計画」という言葉に感じるものがあったのだ。


私たちがみな、今回の人生の苦難や、使命、役割、学び、遊びを計画した上で、はるばるこの世にやってきた魂だとしたら、果たして自分の人生はどう見えるだろうか?


この考え方を受けいれてみると、人生で深いトラウマを負った人や、困難、苦難の多い人生を生きてきた人というのはみな“菩薩行”(人を慰め、励まし、助け、救う仕事)をするために生まれてきた“勇気ある魂”なのではないかと私には思えるのだ。


そうすると過去の見え方が全く変わる。人生の苦しみを恨んだり、悲しみ嘆く人生から解放されて、泣きながらも、歯を食いしばりながらも、精一杯生きてきた自分の人生がいとおしく思えてくるのではないだろうか。


人にはみなそれぞれの魂の計画があるという考え方が“事実”かどうかは、私にはどうでもいいことだった。私にとって大事なことは、その考え方が、私に生きる喜びや、成長する喜びを与えてくれるかどうか。意識が大きく広がっていくような感覚や、心の平安を感じられるかどうかが大切なのだ。私は人生に客観的な答を求めているわけではなく、私の全身で深く納得すること、私にとって真実と思えることを求めているのだ。

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この世を生きるに値する“魂の目的”

WS000731.JPG人生には大いなる存在の意図と計画があること。人は幾多の生を生きてきた永遠の生命であること。人はこの世を生きるに値するそれぞれの魂の目的があること。自分のいのちを本当に輝かせるものは感性であること。感性こそが個性であり、世界でただ一人のユニークな存在である自分のいのちを輝かせてくれるものであること。

このことを理論で私に教えてくれたのが、以前に書いた感性論哲学の創始者であり哲学者の芳村思風先生であり、深く全身で感じさせてくれたのが医師でありセラピストの伊東充隆先生と、行徳哲男先生(日本BE研究所所長)だった。


もし、マサさんが突然この世を去った後のあの混乱の時にお二人の先生に出会っていなかったら、私はもっと長いこと途方に暮れ、原稿の続きも書けないまま立ち往生していたかも知れない。


二人の先生のセッションを受けたことで、私の中で滞っていたエネルギーが流れ出し、まるで子供の頃のヤンチャだった私までが戻って来たみたいだった。私は、2人の先生のセッションを受けて何か共通するもの感じた。

それは、それぞれの先生がおやりになっていることは、方法論は違うけれど、何に働きかけているか、何を揺さぶっているかというと、まさにその人の感性、生命エネルギー、潜在意識、つまり魂を揺さぶり、目覚めさせているのだ。


その揺さぶりによって、人の“心の氷河”が溶けて、流れていき、新しい春がやってくる。その新しい季節に、それぞれの人が咲かすべきいのちの花がそっと芽を出すのを見る喜び。きっと2人の先生は、それが本当に見たくてこんな大変なお仕事をされているのだと思った。


私から見ると2人の先生は、「同じ人間という“種”だろうか? もしかしたら、違う星からやって来たのではないだろうか?」と思えるほど、雰囲気もタイプも全く違う人種だった。しかし、共通して感じたのは、どちらも“求道者(ぐどうしゃ)”だと思ったことだ。


自分の道をどこまでも追求されてきたという点でも。人生の死線をくぐり抜けられたことで辿り着いた意識の境地、開かれた地平があることにおいても。禅や瞑想を大切にしている点でも。そうでなければ、人間の根源的な苦悩や悲しみを癒すことなどなかなかできないだろうし、人を導くこともできないだろう。


私がこの2人の先生に出会った時期は、マサさんを突然亡くし、自分が歩いて行こうとしていた道がいきなり消えて、深い混乱と喪失感と無力感に襲われていた時期だった。しかし、今にして思うと、私は道など本当は何も失っていなかったのだと思う。


2人の先生がおやりになっていることは、方法論は違っても、まさに私自身が追求してきた世界でもあったし、これから先もっと深めて、高めて、極めていきたい私の“道”でもあった。行徳先生は、見るからにして極道の風貌で、伊東先生は、道を極めるという意味で生き方が極道だ。私も願わくば、極道人生を生きたいと思っている。


しかし、私にとって二人の先生は、私が次に進むために背中をポンと押し出してくれた“ただ一度の出会い”だと思っていたのだが、何か深いご縁があったようで、あれから後もつながりが深まっていくのだった。でもまあ、あんな風変わりな先生たちと妙に気が合って仲良くなるということは、私も相当の変わり者なのだろう。次回からは、あの時のセッション体験を書こうと思う。


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■9月10日(水)群馬市民大学で講演

■10月4日(土)仙台で講演

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感応するのは、いのちある言葉

WS000720.JPG思わず息を呑む自然の風景があるように、目が釘付けになってしまうような写真や絵があるように、思わず深呼吸をしてしまう文章がある。心が正座してしまうような文章がある。


立ち止まらせる力を持つものは、存在の中に限りなく深い愛と、限りなく広い心の宇宙を持っている人なのかもしれない。この夏に読んだ、PHP文庫から出ている星野道夫さんの写真とエッセイ『Michio‘s Northern Dreams』シリーズはとてもよかった。


6冊のシリーズになっている。1・オーロラの彼方へ 2・ラブ・ストーリー 3・最後の楽園 4・森に還る日 5・大いなる旅路 6・花の宇宙。


私は読みながら、写真に、文章に、何度立ち止まり、息を呑み、深呼吸しただろう。


自然の風景も動物も、それ自身が有機的な生命だが、言葉にはいのちが宿っている言葉と、単なる情報としての言葉がある。どこが違うのだろう。いのちが宿っている言葉は、それを読む側、聴く側、受け取る側に、なんらかの感応が起きてくること。ハートに、全身に、響いてくる感じがあること。発信する側と受信する側が、その言葉によってつながりを感じ、私はあなたであり、あなたは私であるという、ひとつらなりの生命意識を感じられるところにあるように思う。


魂は共鳴し合う楽器のようなものだから当然のことなのかもしれない。いのちある言葉は、共鳴という現象を通して、他者になんらかの影響を与える。個のいのちを超えて、大いなるいのちに内包されている自己の果てしない広がりと深さを感じさせる力が言葉に宿っているのだ。


星野道夫さんのこの文庫シリーズは、写真も言葉も本当にイキイキと生きている。生命の“躍動”を感じさせる。私は何度も写真の美しさに息を呑み、いのちある言葉に感応し、心を正座させられ、深呼吸しながら読んだ。

星野道夫さんの写真とエッセイ『Michio‘s Northern Dreams』文庫から。

■結果が、最初の思惑通りにならなくても、そこで過ごした時間は確実に存在する。そして、最後に意味をもつものは、結果ではなく、過ごしてしまった、かけがえのないその時間である。


■人の気持ちは、めぐる季節の移ろいに立て直されてゆく。


■想い続けた夢がかなう日の朝は、どうして心がシーンと静まり返るのだろう。


■子どもの頃に見た風景がずっと心の中に残ることがある。いつか大人になり、さまざまな人生の岐路に立った時、人の言葉ではなく、いつか見た風景に励まされたりすることがきっとある。


■夏になると、この豊かな海へ、クジラは毎年帰ってくる。そしてそのクジラの姿を求め、人もまたこの海に帰ってくる。きっと、自然とは、それ自身何の意味さえもたないのかもしれない。何か意味を見出そうとするのが私たち人間なのだろうか。もし、そうならば、ひたすら袋小路へと走り続ける人間の歴史には、誰がどんな意味を与えようとしているのだろう。


■植物たちの声、森の声を、私たちは聞くことができるだろうか。あらゆる自然に魂を吹き込み、もう一度私たちの物語を取り戻すことはできるだろうか。


■これから時代が大きく変わってゆくだろう。だが、森だけは守ってゆかなければならない。森は私たちにあらゆることを教えてくれるからだ・・・。


■太古からの呼び声に、人々はどこかでそっと耳をすましている。


■壮大なアラスカの自然は、結局人間もその秩序の中にいつか帰ってゆくという、あたり前のことを語りかけてくる。


■人間の為でも、誰の為でもなく、それ自身の存在のために自然が息づいている。そのあたりまえのことを知ることが、いつも驚きだった。


■森の中から、コーン、コーンと不思議な声が聞こえてくる。何だろうと思ってあたりに気を配りながら歩いてゆくと突然、空から木の枝が降ってきた。じっとたたずんで耳をすましていると、森のあちこちでまるでスローモーションの雨のように木の枝が降っている。年老いた森が少しづつ古い衣を脱ぎ捨て、
次の時代へ移ろうとしているのだ。風が渡ってゆくたびに、森の中はその不思議な音でさらに満たされていった。


■かけがえのない者の死は、多くの場合、残された者にあるパワーを与えてゆく。


■きびしい冬の中に、ある者は美しさを見る。暗さではなく、光を見ようとする。キーンと張りつめた厳冬の雪の世界、月光に照らしだされた夜、天空を舞うオーロラ・・・そして、何よりも過酷な季節が内包する、かすかな春への気配である。それは希望といってもよいだろう。だからこそ、人はまた冬を越してしまうのかもしれない。

きっと同じ春が、すべての者に同じよろこびを与えることはできないだろう。なぜなら、よろこびの大きさとは、それぞれが越した冬にかかっているからだ。冬をしっかり越さない限り、春をしっかり感じることはできないからだ。それは、幸福と不幸のあり方にどこか似ている。


■大切なことは、出発することだった。


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<お知らせ>
岡部明美の公式ホームページ
http://anatase.net/


■9月10日(水)群馬市民大学で講演

■10月4日(土)仙台で講演

■10月11日(土)~13日(月・祝日) 岡山で2泊3日のワークショップ
テーマ:3つの扉 ~からだとこころの浄化、スピリットの目覚め~
玄米少食・坐禅・気づきのワーク

プロフィール

岡部 明美岡部 明美

ワークショップ・トレーナー/セラピスト/カウンセラー/研修講師/文筆家/東海ホリスティック医学振興会顧問。

独身時代は、シンクタンクにてマーケティングプロデューサーとして活躍。30代半ばで結婚。長男出産直後に脳腫瘍と水頭症を発病し生死を彷徨う。自分の死に直面するという体験を通して、いのちの根源からの問いの答を求めて自己探求の道に歩みだす。著書に「もどっておいで私の元気!」(善文社)「私に帰る旅」(角川学芸出版)

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