岡部明美のスピリチュアルな旅で出会った”もの・人・場・言葉たち”

2009年07月

人生は、夏休み

WS001710.JPG


息子の夏休みが始まった。朝のお弁当づくりも当分お休みだ。息子にとっては高校生活最後の夏休みだけれど、受験勉強がいよいよ本番になるわけで、のんびり休んでもいられないだろうと思ってるんだけど、なんだかあんまり緊迫感もなく、マンガばかり見ています(苦笑)


私は子供の頃、親に「勉強しなさい」と言われると、かえってやりたくなくなるタイプだった。ヘソ曲がりというのでしょうか。逆に、信頼されて何も言われないと、自分でがんばるタイプでした。親もそれを察知してか、高校の時は一言も勉強しなさいと言わなかった。だから、一人で黙々と受験勉強しましたね。


私は、自分がそうだったから、息子にも「勉強しなさい」という言葉はほとんど言ったことがない。どうせ中学・高校に入れば、いやがおうでも勉強しなければいけなくなるし、大人になったらあまり遊んでいられなくなるから、小学生の時は「まあちゃん、今の内にいっぱい遊んでおきなよ」とばかり言っていた。私は、息子に二度とない「少年の季節」を存分に楽しんでほしかったのだ。


私は、息子を育てていて、「少年は、夏休みに大人になるんだなあ」と思った。必ずしも、夏休みに特別な体験をしたとかいうわけじゃないのに、夏の終わりの頃になると、表情や雰囲気が少しだけ大人びて見えたのだ。


陽に焼けた顔、ランニングシャツに半ズボン、麦わら帽子、素足にスニーカー、虫かご、花火、星座や昆虫図鑑一一“少年の季節”っていいなあって思う。この季節にいっぱい感じていたこと、体験したことが彼の感性を育むのだと思っていた。感性こそがその人の個性を形づくっていくものだから、私は彼にいろんことを体験して、いっぱい感じてほしかった。


それが大人になった時の、彼のいのちの根っこになるような気がした。大人になって、人生でどんなにつらいことがあっても、そこに戻れば自分の力を信じられる、本来の自分を思い出せる「いのちの根っこ、人生の根っこ」。


私に日頃から、「いっぱい遊びなよ。好きなことしなよ」とばかり言われていた息子は嬉々として得意のスポーツばかりやっていた。その成果があって、高校2年の時は、陸上部のエースとして県大会にも出場した。しかし、勉強の方は驚くほどサッパリ。ああ、私の作戦は、勉強に関しては功を奏さなかったみたいだ。


息子は今、学校に行く前のヘアースタイルを整えるのに30分くらいかけている。私なんか5分ですけど。息子は、私と同じ美容院に行ってるんだけど、この間、私が行ったら、美容師さんが、「お宅のボクちゃんが、うちの両親は勉強ができるんで、子供としてはプレッシャーかかりますよ。親のハードルはあまり高くないほうが子供としては楽です。でもボクは親を尊敬してます」って言ってたわよと言うのでびっくりした。


うそー?信じられません。確かに夫の方は勉強ができるし、頭のいい人だけど私は決して勉強はできる方ではなかった。松・竹・梅でいったら、竹の中程度だった。夫は、私のことを、「お前は、性格が頭悪い」と言う。グーの音もでません。


そういえば、息子も小さいうちは、「お母さんの脳みそはサル以下、トリの脳みそだ。早く、人間に成長しろ。なんでお母さんは、フツーのお母さんみたいじゃないんだ。ぼくは恥ずかしい」って言っていました。いつから、お母さんの昇格があったんだろ(微笑)


最近は父親とも全然しゃべらないから、父親を尊敬してるなんてほんと驚いた。夫にこのこと言ったら、「ほんとかよ。だったら少しは態度で表せ」なんて言ってたけど、目が喜んでいるのを私は見逃しませんでした。


息子と父親と言うのは、いつの時代も、どこの家でもビミョーな関係みたいです。息子が小さい頃は、夏休みといえば、沖縄だ、北海道だ、ハワイだと行っていましたが、最近は家族旅行に誘っても「二人で行けば」ですからね、つれないもんです。


そうそう、夏休みといえば、この間、広島でのカウンセラー&セラピスト養成講座の最終回に受講生の「みかめ」ちゃんが、「人生は夏休み」という話をしてくれて、とてもいいお話だったので、「みかめ」ちゃんに許可をいただいて、あのときに聴いたお話を書かせていただきます。


これは佐賀のシンガーソングライター、弓削田さんが、ホスピスでボランティア演奏をしていたとき出会った、余命いくばくもないある患者さんから聞いたお話です。

そのおじさんは、弓削田さんに向かって、
「兄ちゃん、人生って一体どういうものか知ってるかい?」と尋ねるのでした。

まだ若いぼくにはわかりませんと答えると、おじさんはこう言った。
「人生はな、たとえて言えば夏休みみたいなもんよ。 夏休みみたいに、あっという間に終わっちまう」

「夏休みみたいに、宿題みたいな、やらなくちゃいけないこともある」

「そして何より大事なのは、夏休みみたいに、どれだけ沢山のいい思い出を、誰とつくれたかってことなんだよ。」

私は最後の言葉にじーんとして、思うわずウルっときたのでした。


<お知らせ>

「愛と平和の翼を携えて  ~響き合う生命~」

8月14日(金)に私とウクライナの歌姫、ナターシャ・グジーさんのジョイントが広島であります。ナターシャさんは、6歳の時(1986年4月26日未明)に父親が勤務していたチェルノブイル原発で爆発事故が発生し、原発からわずか3、5キロで被爆。ナターシャさんの美しく透明な水晶の歌声と哀愁を帯びたパンドウーラの可憐な響きは今日本全国で多くの人を魅了している。

このジョイントのチラシに何かメッセ-ジを下さいと主催の鈴光美恵子さんに言われたのでこんなことを書きました。

「愛・幸福・平和を願わない人はいないにもかかわらず、なぜ私たちの世界は、こんなにも憎しみと暴力、恐れと対立、戦争、殺戮、闘争の世界になっているのでしょうか。その答のひとつは「自分が、自分とどういう関係であるか」にかかっています。自分が、自分自身と平和な関係を築けない人が、どうやって平和な世界を創造できるでしょうか。自分を愛せない人が、どうやって人を愛することができるでしょうか。自分を丸ごと受け入れられない人が、どうやって人を丸ごと受け入れられるでしょう。世界の平和・・・それは、一人ひとりの心の平和からではないでしょうか」

企画・主催:B-breth 鈴光 美恵子  TEL:070-5528-0648 
FAX:082-253-0225    E-mail: bright-ring@s8.dion.ne.jp
mixi:http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1218030513&owner_id=10000704#comment

広島在住の「ローズ」さんが、ナターシャさんの歌声を聴ける日記をアップされていますので、どうぞ一度お聴きになってみてくださいね。
mixi:http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1217072239&owner_id=7336253&comment_count=15 


岡部明美個人セッション&ワークショップ
公式ホームページ  http://anatase.net/

8月13日(木)広島 個人セッション(定員・キャンセル待ち)
8月15日(土)広島 1dayワークショップ(残席数名)  “
8月16日(日)広島 個人セッション(定員・キャンセル待ち)  
9月21日~23日 琵琶湖ワークショップ(2泊3日)(残席数名)

愛と平和の翼を携えて  ~響きあう生命~

WS001659.JPG

中・高生の頃、私は、何か得体の知れない不安や淋しさや虚しさのようなものを感じたとき、いつも夜空を見上げていた。何時間でも、ぼーっと空を見上げていた。


2階の私の部屋の窓から、1階のリビングの屋根に降りることができた。屋根の上にマットレスを敷いて、その上に寝転びながら、ずっと星空を眺めていたことを思い出す。


私が、子供の頃から何度も見ている夢がある。それは、夜中に目をさまして夜空を眺めると、まるでプラネタリウムのように、星たちがみんな線でつながっていて、天体がすべて美しい星座のショーになっていて、私は、そのあまりの美しさに息を呑んで立ちつくしているという夢だ。


この夢は大人になってからも何回か見ている。すでに十数回は見ている夢だ。高校生の頃、屋根の上にマットレス敷いて星空を見ていた時は、寝転んでいる屋根の上が、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』に出てくる「天気輪の柱」に思えてきて、もしかしたら夜空を駆け抜けていく蒸気機関車が見えるのではないかと夢想していた。私はすっかりジョバンニになっているのだった。こういう妄想スライドショーはとっても楽しかった。


夜中に屋根の上で何時間でも星空を眺めていると、時に、天の川が見えて、「ああ、ミルキーウエイだわ」と思うと『銀河鉄道の夜』のトップシーンに出てくる「午後の授業風景」を思い出した。そんな夢想を楽しんでいると、いつの間にか抱えていたわけのわけのからない不安や淋しさみたいなものが流れ星のようにすーっとどこかに消えていくのだった。


で、最近の私はというと、逆に宇宙から地球を見るという視線がとても広がりがあって心地よいのだった。漆黒の宇宙に浮かぶ美しい水の惑星。あの青く輝く丸い星の上を私は毎日歩いているのだ。まっすぐな、平らな大地の上を歩いているのではない。宇宙に浮かんでいる球体の上を歩いているなんてなんてすごいことだろう。


人間や地球というものを宇宙からただ静かに眺めていると、過去・現在・未来と一直線上に進んでいるかのように思い込んでいる“時間感覚”や、確固として実在していると思っている“自我意識”や“国境意識”みたいなものも溶解していくような気がする。「局在意識」が自然に「非局在意識」にシフトするのが楽しい。


量子物理学の世界では、すべての形あるものは一一私たちの存在も含めて一一宇宙エネルギー(意識)が物質に転換したものであると言っている。存在するもの、形あるものをひとつのエネルギー体として見てみると、本当に世界が違った風に見える。


桜の木として生きようとするエネルギー、バラの花として生きようとするエネルギー、大根になろうとしているエネルギー。星になろうとしているエネルギー。私は私として生きようとするエネルギー、彼は彼として生きようとするエネルギー。エネルギーとして見てみると、分離なんて本当はどこにもないのだということがよくわかる。


どんなに壁や窓や扉で区切ろうが、部屋の中の空気と外の空気は同じものだし、台所の空気とベッドルームの空気だって同じものだ。アメリカの空、イランの空、北朝鮮の空、日本の空なんて実際はないわけだし。


空や海をどうやって分けることができるだろう。すべては、分かちがたくつながりあい、関わりあって、相互補完的に成り立っているのがこの世界の真実なのに。


でも、地上はすべて分割し、所有し、対立する。境界を作り戦争をする。天上は何も別れていない。すべてがつながりあっているひとつの世界だ。不変の大いなる生命の働き、無限の創造と進化がそこにあるだけだ。地上の論理から、空と海の論理に変わらなければ、この世界はもう救われないのだと思う。


私というひとつの生命体は、地球という生命体の中で生かされており、その地球という生命体は、より大きな宇宙という生命体の中で生かされている。この宇宙の完璧なる秩序を創造し続けているもの、宇宙に存在するあらゆる生命、存在、物質を創ったのも人間ではないのだ。


私たちをこの世界に在らしめたその大いなる存在・源の純粋意識・愛・叡智を仮に神と呼ぶならば、そして、その源につながっている高次の意識が私たちの人生を創造してるのであれば、やはり、私たちの人生には神の計らいというものがあるのだろうと思う。

<お知らせ>

「愛と平和の翼を携えて  ~響き合う生命~」

8月14日(金)に私とウクライナの歌姫、ナターシャ・グジーさんのジョイントが広島であります。ナターシャさんは、6歳の時(1986年4月26日未明)に父親が勤務していたチェルノブイル原発で爆発事故が発生し、原発からわずか3、5キロで被爆。ナターシャさんの美しく透明な水晶の歌声と哀愁を帯びたパンドウーラの可憐な響きは今日本全国で多くの人を魅了している。

このジョイントのチラシに何かメッセ-ジを下さいと主催の鈴光美恵子さんに言われたのでこんなことを書きました。

「愛・幸福・平和を願わない人はいないにもかかわらず、なぜ私たちの世界は、こんなにも憎しみと暴力、恐れと対立、戦争、殺戮、闘争の世界になっているのでしょうか。その答のひとつは「自分が、自分とどういう関係であるか」にかかっています。自分が、自分自身と平和な関係を築けない人が、どうやって平和な世界を創造できるでしょうか。自分を愛せない人が、どうやって人を愛することができるでしょうか。自分を丸ごと受け入れられない人が、どうやって人を丸ごと受け入れられるでしょう。世界の平和・・・それは、一人ひとりの心の平和からではないでしょうか」

企画・主催:B-breth 鈴光 美恵子  TEL:070-5528-0648 
FAX:082-253-0225    E-mail: bright-ring@s8.dion.ne.jp
mixi:http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1218030513&owner_id=10000704#comment

広島在住の「ローズ」さんが、ナターシャさんの歌声を聴ける日記をアップされていますので、どうぞ一度お聴きになってみてくださいね。
mixi:http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1217072239&owner_id=7336253&comment_count=15

岡部明美個人セッション&ワークショップ
公式ホームページ  http://anatase.net/

8月13日(木) 広島 個人セッション
8月15日(土) 広島 1 day ワークショップ
8月16日(日) 広島 個人セッション

人間関係のコントロール・ドラマ、パワーゲーム

WS001644.JPG
人は、事実そのものより、その事実に対する自分の反応に苦しんだり、振り回されたりすることが多い。ここで大事なのは、「事実とストーリー」を区別することや、ネガティブな感情的反応のカラクリ、自動的に○×、善悪の判断をすぐしてしまう思考のカラクリなどを知ることだ。

ストーリーというのは、自分の思考が作り出す作文だ。これは金魚の糞みたいに限度なしに長~くつながっていく。この長糞によって頭の中を同じものがグルグルと回り出す。きりがない思考の連鎖。ストーリーとは、自分の思い込み、推測、憶測、投影、執着、妄想、決め付け、欲望、善悪の判断など。


確かに人は、ある過去の“出来事・物語”と、ある“人”に対して、自動的に反応する心のパターンがある。特定の刺激に対する「毎回お馴染みの反応」。これは、スイッチが入ると勝手に動き出す全自動洗濯機みたいな心だ。別名、わかっちゃいるけどやめられない妄想スライドショーともいう。


この刺激一反応の“全自動洗濯機”が回り出したら止めるのは一苦労だ。すでにご飯と味噌汁、カレーと福神漬けみたいにセットになっているからだ。一人ひとりそのセットメニューが違うだけなのだろう。


でも、グルグル回り出した自分の反応そのものに苦しむというのはきっと一緒だと思う。確かに、ある過去の出来事、ある人の言動、態度が自分を傷つけ苦しめるのだと人は思いがちだが、よく観察してみると、それらに対する“自分の反応”そのものが、もっと自分を傷つけ、苦しませているのだということがよくわかる。


思考は、基本的には二元論だから、絶え間なく「いい・悪い」「正しい・間違っている」の判断をして、自分を責めるか、相手を責めるかのどちらかをしてしまう。そして、過去の“悲劇のストーリー”を自分のアインデンティティに組み込み、何度も何度もその痛みを反復したりする。


あるいは、自分の“期待”通りに動いてくれない人、思い通りにならない人、自分の“要求と欲望”を満たしてくれないある人に対し、イライラと失望と怒りを募らせ、逆恨みしたり、その感情そのものに自分が振り回されて苦しむというのもよくやる。


そういう時は、自分のネガティブな反応の元になっている自分の側の「期待・要求・欲望・判断・怖れ・執着・信念、決め付け、思い込み」を“ただ観る”ということ。これは15年位前に瞑想を始めた頃に学んだことだった。無意識にしている呼吸を見守るように、ただ、自分の反応を観察する、ただ、それが今起きていることに気づく。


そうすると、自分の反応の奥にあったものが見えてくる。たとえば、自分をこう扱ってほしかった。こういう対応をしてほしかった。自分をこんな風に評価して欲しかった。こんな風に愛してほしかった。こんな風に認めてほしかった。こんな風に関わって欲しかった。相手にこうなって欲しい。こう言って欲しい。こう変わって欲しい、などなど、まあいろいろとあるわ、あるわ。


また、自分の観念や信念、つまり、こうすべき・こうであるべきだ・こうでなければならないという自分の価値観や考えに合わないことを相手に言われたり、されたりする時も、自動的にネガティブな反応が起きてくるので、それもただ観察すること。


さらに、相手に怒りなどのネガティブな反応を起こしている時や、相手を批判的な目で見ている時は、自分の“シャドーの投影”つまり、自分の中に“相手と同じもの”が本当はありながら、自分でそれを否定している部分、許していない部分、怖れている部分、嫌っている部分を相手に“投影”して批判していないかどうかを見ることも大切だ。


「自分が最も嫌いな人は、最も自分に似ている」「自分がネガティブな反応を起こす相手は、実は、自分と同じ心の痛みや悲しみを持っていたり、同じ質の怖れという心の闇を持っている相手であることが多い」「エゴというのは、過去の心の痛みや記憶を、“今・ここ”に持ち込んだことによって、自動的に湧き上がってくるネガティブな感情、善悪の判断、分離感、孤独感」という言葉には、思わず納得でした。


自分の期待や要求という欲望が満たされない時、傷つけられたと感じた時に、人は瞬時にしてネガティブな反応が起きてくる。この反応に判断を加えず、“ただ気づいている”ということ。“心を閉ざさないこと”。そうすれば変化が起こる可能性が生まれる。スペースができるからだ。


人は感情を持っている以上、刺激が来た瞬間の第一次反応そのものが全く無くなることはないが、少なくとも醒めて観察できるようになると、自動的な反応によって繰り返されるお決まりのネガティブ反応や行動、そういった無意識の人間関係のコントロール・ドラマ、パワーゲームを「やめる・やらない・手放す・違う態度をとる・仕切り直しをする・見守る・今は静観する・距離をとる」とか、そういった選択ができるようになるのだ。“反応”から“応答”へ変わるのだ。


ネガティブな“反応”の多くは、過去の心の痛みと、自分の満たされぬ思いから湧き上がってくるから苦しいのだ。過去と欲望は本当に罠だと思う。それに対して“感応”というのは美しい。感応は、“今・この瞬間”の純粋な想いや感性から湧き上がってくるものだから。


そういえば、感応から自然に起こる行為や言葉は、いつだって楽しく、心地よく、美しく、パワフルだ。過去の条件付けに縛られていない無垢なるところから湧き出てきた想いや透明な言葉は、不思議に相手のハートに届くし、つながり直しもできる。


私は、自分が誰かにネガティブな反応を起こして苦しんでいる時、人間関係でトラブルを起こした時に、自分がどこに立ち返ればいいのか、自分の側の何を観なければならないのかを知ったことで本当に救われた。人を変えることができない以上、自分が成長するしかないことはわかっていたからです。


もちろんこのことがわかっても、お得意の反応パターンや人間関係のトラブルや苦悩が全く無くなるわけはないだろうけれど、学び方を知っているのと知らないのでは、人生の苦の大きさは雲泥の差です。本当に自分を救えるのは、自分なのだということを私は人生のある時点で深く理解したのでした。


そして、瞑想初期の頃の観察は、理性的観察でしたが、瞑想を深めていくと、理性すら超えて、ただ観ているもの、ただ気づいているもの、すでにすべてを許し、無条件の愛で見守っているもの、静寂と歓びが自分の本質であることが腑に落ちる瞬間がやってきたのでした。ああ、今日も青空がきれいだったなあ。

< お知らせ >
7月24日(金)~26日(日)に私のホームドクターである伊東充隆先生(心療内科医&セラピスト)の青空禅フォーラムの瞑想合宿が琵琶湖であります。私は今回スタッフ参加です。伊東先生の面白い量子医学やスピリチュアルな世界のお話と、静かで淡々とした深い本質への気づきのワーク、心地よい瞑想三昧の合宿はおススメです。

<問い合わせ・お申し込み>
グループ・くりあ   山口加代子(LOHASU)
E-mail: kayo@io.ocn.ne.jp
詳細 mixi
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1213157486&owner_id=10211656

岡部明美個人セッション&ワークショップ
公式ホームページ  http://anatase.net/

7月12日(日)  京都1 day ワークショップ
「からだの声を聴く 心の声を聴く」
主催:マイミク「Rebirthりえちゃん」&「ノリノリ」さん
詳細 mixi
http://mixi.jp/view_event.pl?id=44099837&comment_count=0&comm_id=982903

人と人は、責め合ったら地獄

WS001643.JPGフランスのことわざに、「結婚は、判断力の欠如、離婚は、忍耐力の欠如、再婚は、記憶力の欠如」というのがあると聞いて思わず笑ったと以前のブログに書きましたが、うちの場合は、夫のものすごい忍耐力のお陰で持っているのかなあと思います。


子供が4歳の時から、今の仕事をしているので、週末の家事、育児は夫がやってくれていました。几帳面な夫は、私が仕事から帰ると、窓までピカピカに磨いてあったり、収納棚がピシーっと整理整頓されていたりして、会社の仕事も家の仕事も本当に丁寧にやる人だなあと私はこっそり尊敬するのでした。主婦をリストラされないようにしなきゃなあ。


フランスのことわざと同じくらいウケたと言いますか、納得したのが、師である感性論哲学の芳村思風先生の思風塾で聞いたこの言葉でした。

「多くの人は結婚して数年、いや数ヶ月ですでに“選ぶ相手を間違えた”と後悔するでしょう?(笑)。生活を共にし始めたらすぐ正気に戻りますからね。恋の病は、結婚すれば完治します(笑)」


「“結婚は、恋の墓場、愛の始まり”。恋は生物学的には“種族保存”のための生殖欲求、性衝動に突き動かされた欲望ですから正しい判断能力が働かないのです。相手の本当の姿を知ったら誰も結婚したいなんて思わないですからねえ(笑)」


「恋をするとみんな魔法にかかったように盲目になりアバタもエクボ状態になりますが、それは、盲目にして冷静な判断力を奪って結婚させ子供を産ませるための、大いなる生命の戦略なのです。自己保存本能という時の“自己”とは、実はこの自分ではなく、宇宙の根源的実在のことです。僕はそれを純粋感性と呼ぶのですが、私たちの本質は、この肉体や心を超えた純粋感性という永遠の生命エネルギーなんですよ」


「結婚がなぜ愛の始まりかというと、愛には、忍耐力、責任感、包容力、努力、信じる力、許す力、相手を丸ごと受け入れる力など崇高なる力があって、それが試されるのが結婚なのです。結婚というのはそういう意味で、最も偉大な愛の力が求められる人間関係の修行の場なのです。僕も、外に行けば、哲学者として先生、先生と言われますが、家に帰れば、妻からはボロクソ言われてます。僕は、どれほど妻に成長させてもらったことか(笑)」


「この宇宙がプラスとマイナスの両エネルギーのバランスで成り立っているように、すべてのものは陰陽から成り立っています。ですから人間にも長所と短所が半分ずつあるわけです。これは社会的に尊敬されているりっぱな人でも同じです。人と人は、身近になり、つきあいが長く深くなれば、いやなところがいっぱい見えてきます。失望も不満も出てきます。当たり前なのです。同じ人間なのですから」


「相手の欠点というのは自分が気にくわないところです。自分の気に入らないとこ、むかつくとこ、いやだなと思うところを半分もっているのが“他者という存在”なのです。でも相手からしてみたら、自分も嫌がられるもの、失望されるものを半分もっている存在なのです」


「しかし人は、結構自分のことは棚にあげて簡単に人を批判するものです。自分がどれだけ人に対してすぐ批判的になるかを観察してみたことがありますか? もちろん正当な怒りというのはありますが、それ以上に自己中心的な価値判断で人を簡単に批判する言葉を使っていないでしょうか。自分を善人だと思っている人ほど、自分は正しいと思って人を批判し、裁きます」


「人は、互いに半分ある欠点を許しあう、認め合う、補い合うことができなければ、他人と一緒に仕事をしたり、他人と一緒に生活していくことはできません。人を愛するとは、不完全な人間を愛するということなのです。人と人は責め合ったら地獄。助け合い、許し合い、支え合って生きたらこの世は天国になるんです」


確かに、男と女の蜜月は、はかなく短い。本当に男女の愛ほど、この世が“二極の世界”であることを味あわてくれるものは他にないだろう。至福と絶望、魅惑と幻滅、情熱と倦怠、高揚と落胆、自由と束縛、快楽と苦痛、愛と恐れ、創造と破滅・・・。


男女の愛は、天国と地獄の両方を体験することが多い。でも、それゆえ、人間を最も成長させ、真実の愛に目覚めさせ、神聖なるものへと導いてくれるのも男女の愛なのだと思う。


恋愛も含め、男女の愛は、自分の中と相手の中の最良なるものと最悪なるものとを同時に味わう体験だ。愛憎という大きな二極性を持ったエネルギーに触れるという意味では男女の愛ほどそれを痛感するものはない。だからこそ人は、人生で何度も苦い体験をすることによって、真に人を愛するということがどういうことなのかを学んでいくのだろう。


今自分の目の前で繰り広げられている男女の関係性の葛藤やトラブルは、双方の潜在意識に埋め込まれた人間関係での愛の傷つき、心の痛みが変装して問題として出ている場合が多い。潜在意識に埋め込まれているのは今生だけではない。まさに綿々と受け継がれてきた心の痛みのドラマを含んだ“ペインボディ”が反応して“被害者と加害者のドラマ”を人生に創っているのだ。


ヒューレン博士の「ホ・オポノポノ」やエックハルト・トールの言うペイン・ボディという概念は、そういう意味で救いがある。「今のあなたの問題は過去の記憶が再生されているだけなのだ」と。


そう、だからもう、自分を責めたり、罰したり、惨めにすることはないのだ。自分や相手を責め続けても本当の解決にはならないから。どんなネガティブな感情も癒され、手放すことができればすべては愛に還元していく。だから自分の心の平安を取り戻すためには、過去に支配されないように瞬間、瞬間に目覚めていることと、自分を癒し、許し、愛し、浄化し続けることが何より大事なのだ。かけがえのない自分の人生をこの腕にもう一度抱くために。
      

岡部明美個人セッション&ワークショップ

公式ホームページ  http://anatase.net/

7月10日(金)・11日(土) 京都個人セッション
(定員・キャンセル待ち)

7月12日(日)  京都1 day ワークショップ
「からだの声を聴く 心の声を聴く」
主催:マイミク「Rebirthりえちゃん」&「ノリノリ」さん

プロフィール

岡部 明美岡部 明美

ワークショップ・トレーナー/セラピスト/カウンセラー/研修講師/文筆家/東海ホリスティック医学振興会顧問。

独身時代は、シンクタンクにてマーケティングプロデューサーとして活躍。30代半ばで結婚。長男出産直後に脳腫瘍と水頭症を発病し生死を彷徨う。自分の死に直面するという体験を通して、いのちの根源からの問いの答を求めて自己探求の道に歩みだす。著書に「もどっておいで私の元気!」(善文社)「私に帰る旅」(角川学芸出版)

プロフィール詳細 »

最新のエントリー

全てのエントリー

カテゴリー

月別アーカイブ

携帯でもSQ Lifeメッセンジャー・ブログが閲覧できます。
http://blog.sq-life.jp/m/
メッセンジャー・ブログ QRコード