
息子が5歳頃のこと。ふと私の顔を見上げて「ぼくは、お母さんを助けるために生まれたんだよ」と言ったことがあります。驚きました。息子は、中学生になるまでは、自分の誕生の直後に母親が脳腫瘍を発病して死にかけたことなど知りません。
実際、私は、「生まれたばかりのこの子を残して死ぬわけにはいけない」という、その強い思いだけで過酷な闘病生活を乗り越えたわけですから、あの子が私の消えかかったいのちを助けてくれたのは本当なのです。
でも、炬燵でミカンを食べながら何の脈絡もなく「ぼくは、お母さんを助けるために生まれたんだよ」と突然言ったのには本当に驚きました。息子は、続けて、「お母さん、ぼくは何でも知ってるんだよ」とも言ったのです。
何でも知っているってどういうことだろう?知られたら困ることも多々ある脛に傷もつ私は一瞬ギクリとして、「まあちゃん、何でも知っているってどういうこと?」って聞いたら、「なんでもだよ」と答えたのです。不思議なことを言う子だなあと思いました。
昔から、子供は親を選べないと言われてきたわけですが、最近、スピリチュアルな世界では、子供は親を選んで生まれてくるということが言われています。それだけでなく、自分がこの人生で何を体験し、何を学び、どんな働きをし、何を創造するかまで人生の青写真(プリープリント)に書いて生まれるとも言われます。だからこそどんな困難や試練があったとしても越えられない壁はないのだと。
最初は「ほんとかあ?!」「どこにそんな証拠があるのよー!」と理性的な懐疑心が頭をもたげていたのですが、だんだん「ほんとかも」「どうやら本当みたいだなあ」と思うようになりました。自分の人生を振り返ってみたときに妙に納得するものがあったからです。
この間、実家に帰った時、母がしみじみと「あんたがいなかったら、私はとっくにお父さんと離婚していたと思う。あんたには苦労かけたね」とポツリと言いました。母からこんな言葉を言ってもらったのは初めてでした。
子供の頃から不仲な両親の調停役をやってきた私ですが、うんと小さい頃から、家族の中での自分の役割を自覚していました。私の息子が5歳の時に言った言葉のように、私もまたこの父と母を助けるために生まれたと子供ながらに思っていたのです。
今日、正確にはもう昨日ですが、マイミクの紅林千賀子さんが主催する、ベテランカウンセラーである澤谷先生と産婦人科医の池川明先生のトークライブショー「家族の絆の糸を紐解く~魂からのメッセージ~」に行ってきました。千賀子さんは自分が子育てで苦しんでいる時に澤谷先生に助けられいのちの恩人と尊敬されています。
澤谷先生は「絆の法則」(学習研究社)などの著者でもありますし、池川先生は体内記憶で有名で「ママ、生まれる前から大好きだよ」(学習研究社)「ママのおなかをえらんできたよ」(リヨン社)著者でもあります。
池川先生は数千人のお母さんたちから、自分の子供が言った「おなかの中にいたときの記憶」「誕生の記憶」「生まれる前にいた世界の記憶」を聞き出して調査しています。約3分の1の子供が、5歳くらいまでにそれらの記憶を自分の言葉でしゃべっているそうです。まさに私の息子もその一人だったわけです。
池川先生によると、ママを選んだ1番の理由は「やさしそうだったから」。そして2番人気は、「悲しそうにしていたから。つらそうだったから。苦しんでいたから、助けてあげなきゃ」と思ってママのお腹に入ることを決めたというそうです。
親の精神状態が悪く、置かれた家庭環境が複雑で過酷な親の元に生まれることを選んだ子供たちというのは、魂レベルでははるかに親よりも進化している魂なのだそうです。
池川先生は、あたたかな笑顔で、飄々とスピリチュアルな世界のことを語るドクターでした。また一人素晴らしいドクターに出会えました。コクーンも先日池川先生とジョイントして、池川先生ってすごいよーと言っていましたが。私は、池川先生にコクーンのボーカルのゆりちゃんとは高校1年からの友人なんですと言ったら、いやあ、あの二人は面白いねえとおっしゃってました。
こんなことを日記に書いていたら、反対に親から子供へのメッセージでとても素敵な吉野弘の「奈々子へ」を思い出しました。とっても好きな詩です。
< 奈々子へ >
赤い林檎の頬をして 眠っている奈々子お前のお母さんの頬の赤さはそっくり 奈々子の頬にいってしまって
ひところのお母さんの つややかな頬は少し青ざめた
お父さんにも ちょっと酸っぱい思いがふえた。
唐突だが 奈々子
お父さんは お前に多くを期待しないだろう。
ひとが ほかからの期待に応えようとして
どんなに 自分を駄目にしてしまうか
お父さんは はっきり 知ってしまったから。
お父さんが お前にあげたいものは
健康と 自分を愛する心だ。
ひとがひとでなくなるのは 自分を愛することをやめたときだ。
自分を愛することをやめるとき
ひとは他人を愛することをやめ
世界を見失ってしまう。
自分があるとき 他人があり 世界がある。
お父さんにも お母さんにも 酸っぱい苦労がふえた。
苦労は 今は お前にあげられない。
お前にあげたいものは
香りのよい健康と かちとるにむずかしく
はぐくむにむずかしい 自分を愛する心だ。
岡部明美の講演会・個人セッション・ワークショップ
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(主催:マイミク「まゆみ」さん・和みのヨーガインストラクター、マイミク「月」さん(諏訪部みなみさん)
まゆみさんの日記
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りえちゃんからのメッセージ
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どういう巡り合わせか、大学の教壇に立っている。かつて、あらゆる授業で居眠りをしていた自分が、こんなところに立っていていいのだろうかという戸惑いはあるが、ひとたび学生たちと向かい合えば必ずさまざまな発見と感動があり、授業とはこんなに楽しいものかと、教える側になって初めて知った。
授業の初めに、出席を取っている。
「○○さん」
「はい」
単なる出欠の確認であるが、繰り返すうちに何か奥深いものを感ずるようになった。教師が名前を呼び、学生が返事をする。単純なその応答の中に、人間存在の本質が秘められているような気がする。
学生たちの返事は、それぞれ個性があって味わい深い。大きな声、小さな声。自信に満ちた声。自信をもてない声。たったひとことの「はい」でも、その声はその人の内面をよく表している。
本人は何気なく返事しているつもりでも、そのときの体調や精神状態で声は変わってくるし、何よりその人が本当に自分自身を受け入れているか否かで、返事の質は決定的に変わってくる。
名前を呼ぶということは、その人がそこに「存在」しているかどうかを問う、ということである。「あなたが、あなたとして、この世界に本当に存在していますか」。その問いに「はい」と返事をすることは、「わたしは、わたしとして、たしかにこの世界に存在しています」と宣言することである。
自分の存在を全面的に肯定するそのような「はい」を言うことは、実はとても勇気のいることだけれど、その「はい」を言えないからこそ、出席ひとつに返事をするのでも、どこか自信なげになってしまうのだと思う。
呼んでも返事のないこともある。聞きそびれたのかともう一度呼んで見回すが、返事はない。いたしかたなく出席簿には斜線を引くことになるが、「欠席」という事実は、限りなく重い。
もちろん単なるずる休みかもしれないし、風邪をひいているのかもしれない。だが、もしかするとこの授業をとるのをやめたのかもしれない。学校自体をやめたのかもしれない。何か事件に巻き込まれたのかもしれない。すでに死亡しているなんてことだって、ありえなくはない。返事がないということは、相当旋律すべき出来事なのであり、返事があるということは、相当感動すべき出来事なのである。
わたしたちは、いつも呼ばれている。何か、とても大きな存在から、とても大きな愛を込めて。その大きな存在は、わたしたちに存在してほしいから私たちを生んだのだし、わたしに答えてもらいたいから、わたしの名を呼ぶ。
「わたしはあなたを生んだ。存在の喜びを与えるために。あなたは、あなたを引き受け、世界にひとりだけのあなたとして存在してくれるか?」
その呼びかけに、きちんと「はい」と答えたい。そのとき初めて、私はこの世界に存在するのであり、その「はい」を言えるなら、それがどれほど苦渋に満ちた世界であっても、私として生き抜くことができるのである。
そして、いつの日か、だれもがこの大きな存在から、最終的に名前を呼ばれる日がくる。その日、すなわちこの世から天へ呼び出される日、ぼくは自分の名を呼ぶその声に、全面的な信頼を込めて、まっすぐに答えたい。
「はい」
『生きるためのひとこと』より。(晴佐久昌英著/女子パウロ会)
私には、その人から紡ぎ出される言葉がとても好きな人がいる。恋焦がれるほどに憧れている人たちだ。まず、この本を書いた晴佐久昌英さん。私は無宗教だけれど(でも、信仰心はすごくあるような気がする。ただ、大いなる存在を信じ、深く愛しているという意味で)晴佐久神父の書かれる文章は本当に好きだ。この『生きるためのひとこと』の中にある「はい」という文章を読んだ時、シビレましたね、私。
私が感じていながら言葉にできなかったもの、私がそう思っていながらその想いを表現できるうまい言葉がなかなか見つからない時、「あ、これこれ、私が感じていたことは、これなのよー、私がずっと想っていたことはこのことだったのよー」という文章に突然出会う時がある。私は、そんな時、しみじみ幸せを感じ、途方もなく満ち足りてゆくのだ。
それは、その言葉に乗っかっている、その人の魂のバイブレーションが私にとってとても心地いいからなのだと思う。それはまるで、深い深い海の底の静寂と豊穣、そして、あの青空の無限の広がりと解放感のようだ。
詩人の長田弘、吉野弘、中原中也、谷川俊太郎、茨木のり子、新川和江、吉原幸子が紡ぎ出す言葉も好きだなあ。肌に合うっていう感じかな。以前も書いたけど、写真家であり作家の藤原新也と星野道夫、教師であり科学者であり農学者であり作家の宮沢賢治、20世紀の覚者のひとりOSHOの言葉も本当に好き。
私は子供の頃から大の本好きだった。勉強はあまりできなかったけれど、国語だけは成績が良かった。長じて自分が物書きになるなんて想像もしていなかったが、結果として好きこそものの上手なれの言葉通りになってしまった。本の虫は年季が入っているので、その時々の自分に必要な本をピピっと感じるアンテナはかなり発達している。
だからいい本、面白い本、優れた作品にはよく出会う。私が大好きな作家は、作品のよしあしだけでなく、文体に香りがあり、音があり、行間の沈黙や静寂が途方もなく豊かで広がりがある人たちに思える。それは、おそらく、人間とこの世界を見る眼差しの深さが生み出すものなのだろう。
文体とは、その人の魂の音色のように思う。感性の巨人、魂の語り手、覚醒の巨人としての彼らは、私にとって、あまりにも大きな、大きな存在だけれど、物書きのはしくれとして、繰り返し読み続けて、感じ、学び、憧れ続けていられる存在がいることをとても幸せに思う。
PS1:マイミクの「さんかるぱ」さんが、歴史に残る名スピーチとされる村上春樹の“エルサレム受賞”のスピーチを全文日記に書かれていた。私は彼の小説は殆ど読んでいるが、不覚にもこの名スピーチのことは知らなかった。読んだら、魂が震えた。涙が出てきた。やはり、すごい作家だ。さんかるぱさん、教えてくれてありがとう。
「さんかるぱ」さんの日記
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本屋が好きなので暇があればよく足を運ぶ。いつもながら、よくもまあこれだけ次から次へと成功するためのハウツー本が生み出されるものだと感心する。私はハウツー本とか願望達成本の類は殆ど読まないなあ。
「こうなりたきゃこうしろ」「こうすれば、こうなる。ああすれば、こうなる」「こうすれば必ず願いが叶う」「これであなたも今日から○○」。ありとあらゆる成功本と幸福本が本屋の一角に鎮座している。
これらの願望達成本を何冊読んでもその通りにならない人は新しいハウツー本が出るとまた手を出すようだ。それはおそらく読めば読むほど「絶対」「必ず」こうなりたいという執着が生まれるからなのだろう。執着とは、“こうじゃなきゃいや”という強いとらわれだ。しがみつけばしがみつくほど欲しいものは逃げていくのはこの世の常だし。まあ、余程、不撓不屈の精神がある人は別だけど。
私がこうした本があまり好きでないのは、あまのじゃくのせいでもある。私は、こうしろ、ああしろと言われるほどそうしたくなるという性分なのだ。それにマニュアル通りにやることにすぐ退屈を感じるはみ出し者だからというのもある。自分のひらめきや創造性がそこに発揮されるものは好き。最近になってやっと私はかなりのオタクでマイペースらしいということに気づいた。気づくのが遅すぎる。
誰だってみんな幸せになりたいって思うものだけれど、すでに満たされているものがたくさんあることや、小さなことにも幸せを感じる感性があると不思議と幸せになっていくような気がする。もっともっとという欲望達成ゲームにはまると達成しても、成就してもまた次の欲望が出てくる。
自分が追いかけているものというのはそれがなんであれ、深いところではハートが“満たされる感覚”であることに気づく。その感覚を外側の何かや誰かに満たしてもうらおうとすると依存や執着が生まれるから苦しみが生まれるのだということに、私は死に直面したり、障害者になって自分の体が思うように動かせない惨めさや歯がゆさやくやしさを経験するまで気づけなかったのだ。
それに気づいてからは、不足感を元に何かを願う人生から、すでに幸せであること、すでに満たされているものがたくさんあることを味わい、楽しみながら、自分の願いが叶うことが、誰かの歓びや幸せや元気や心の平安やいのちの歓びにつながることをイメージしながら生きていると、不思議と最高のタイミングで何か大きな力が働いて願いが叶うということを経験するようになった。
叶っちゃうなあ~、デートに誘われて~、困っちゃうな~でしょうが(リンダ、リンダ~、ブルーハーツは山本リンダが好きだったのかしらん?)。何を言ってるんだか、私は。
願いが叶うコツみたいなのを体験的にこんな風に私は理解するようになったのだけれど、他にもこんな考え方や感じ方が私を助けてくれた。
「結果には執着せず楽しみながらベストを尽くす」「うまくいかなくて当たり前、叶ったらラッキー」「どっちでもよろし」「なるようになる」「たぶん、なんとかなる」「なるようにしかならない」「白鳥主義(水面上は優雅にスイスイ、水面下では一生懸命水をかいてる。つまり現実でやるべきことはちゃんとやること)」
「足りないもの、できていないことを数えるより、すでにあるもの、やれていること、すでに満たされているものに感謝しつつ祈る」「すでにそうなっているところを淡々と心地よくイメージし続ける」「そうなることは決まっとるんじゃ、おそらくと脳天気に自分の夢を信じる」・・この程度のお気楽さがかえっていいような気がしますね、体験的に。
ハウツー本でみんなが同じように成功したり幸福になったりするほど人間って粗雑にできていないと思うし、人はみな本当は、自分の内側にちゃんと真実や答えや知恵を持っているのですから。
なにより、生命は変化し続けるエネルギーそのものだから、その変化の波に抵抗せずに乗ってみること、どんな変化が今自分の人生に起きつつあるのかを感じ取る感性こそが大事なのではないかと思うようになりました。
それを体験的に理解するようになってから私は、ハウツー、方法論よりも、本質的なことを言っているメッセージに触発されて、直感的に自分にとってのベストな選択や、内側にすでにあった答や知恵に出会ってきたように思うのです。
援助職の仕事をする上でもそれは同じで、ハウツー、スキルを超えた本質的なメッセージからインスピレーションをもらって動いた方が自分にとっても他者にとってもベストな答えに行き着くということがわかってきました。
私が共感したメッセージには共通した考えがありました。それは、人間の本質とは何かというスピリチュリテイの眼差しがあったこと。人間をボディ・マインド・スピリットが有機的につながりあった存在として見ていること。
東洋と西洋の知恵を融合、統合していること。問題を悪と捉えていないこと、むしろ、スピリット、大いなる存在からのメッセージで、問題や試練を「人生の新しい扉を開く鍵」であるという考え方をしていること。問題は、その人の「自己成長」や「覚醒」の大いなる機会であると捉えているところことでした。
例えば、私が好きなメッセージにこんなのがありました。
★慢性の身体症状や、人間関係のもつれや別離、さまざまな嗜癖、さらには、人種間の葛藤や戦争といった、一般的には否定的にしか捉えられない出来事、人生の闇の部分とじっくり瞑想的につきあうなら、そこから私たちにとって決定的に重要な意味を持つ、何らかのメッセージを獲得できる。(プロセス指向心理学創始者・アーノルド・ミンデル)
★病気はあなたの身体がビッグ・ドリーム、すなわち大きな意味を秘めた「夢」を抱いているということであり、沈黙の力から重要なメッセージを受け取ることができる絶好のチャンスとも言える(ア-ノルド・ミンデル)(あけみちゃん注:沈黙の力とは、無、空、タオ、グレート・スピリット、ブラフマン、真我と古来から言われてきたそれです)
★私たちは、タオについて知れば、知るほど、セラピーを可能にする基本的な逆説に目覚めていきます。一方で私たちは、何かが変わらなければ、何かを変えなければと思っています。しかし、生命の本質は変化そのものです。私たちはただ、その変化に気づき、それと共に自由に動いていくだけでいいのです(ハコミセラピー創始者・ロン・クルツ)
★愛による癒しとは、その人が、その人自身の道に戻る手助けをすることだ。我々は誰しも「青写真」を持って生まれてくるが、その青写真には、体型や体質の設定だけでなく、心理的、知的、霊的な成長の設定も描かれている。内なる青写真からそれてしまうと「おい、おい、君らしくないぜ。自分の道に戻りなよ」というように、精神的、肉体的な病気をもたらして本来の状態に戻そうとするのだ(バーニ-・S、シーゲル博士)
★決定的に重要なのは、治療家が自己の痛みを見つめ、それに対処するのを忘れてはならないということだ。患者にとってそれがどんなに難しいことかも知らずに、自分が体験も実行もしていないような忠告を与えているだけではだめなのだ。治療家自身の生きた体験から生まれた治療、セラピー、ヒーリングの愛は本物になる。そして、本物の愛でなければ説得力を持たない。治療家が自分をさらけだすことによって、治療は患者と治療家が互いに痛みを癒しあうプロセスになる。(バーニー・S・シーゲル博士)
★現在起きている問題は、過去の痛みが変装したものである。(ビジョン心理学創始者・チャック、スペザーノ博士)
★私たちは常に癒しと成長に必要なレッスンを学ぶのにピッタリの場所にいる。(チャック、スペザーノ博士)
★問題の下には必ずギフトがある。問題には高次の目的がある。どんな問題も贈り物を隠し持っている。問題の大きさに関わらず、それを変容させる最も簡単な方法の1つは、問題が隠している贈り物に気づくことです。贈り物の一つひとつを受け取り、分かち合うことで、エゴが小さくなり、恩恵(天の恵み、宇宙からの無償の愛)への扉が開かれます。(チャック・スペザーノ博士)
★問題そのものの中に答えがある。(ゲシュタルト心理学創始者/フリッツ・パールズ)
★私たちは、性格をはるかに超えた存在である。性格というのは、誰もがもつ大きな可能性のうち、なじみのある限定された部分に過ぎません。私たちひとりひとりは、性格という限界を超え、「本質(Essence)」と呼ばれるほとんど認知されていない、大きな広がりの「存在(Being or Presence)」として生きているスピリチュアルな自己なのです。(リソ&ハドソン)
★あなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望しない(フランクル)
★あなたが人生に何を期待するかではなく、人生があなたに何を期待しているのかを考えてみよう(フランクル)
★挫折、喪失、病気、苦痛が、自分にとって“最大の教師”でした。(エックハルト・トール)
★新しい意識の境地で大切にすべき指針の3つ。受け入れること・楽しむこと・情熱を燃やすこと(エックハルト・トール)
★現実は、自分の“考え”より、優しい(バイロン・ケイティ)
★その問題は、自分の領域なのか、相手の領域なのか、神の領域なのかをしっかり区別する。人が取り組むことができるのは自分の領域だけ(バイロン・ケイティ)
★あなたは空を求めていて、大地を完全に忘れている。それもよい。空にも到達できるだろう。だが、それができるのは、深く大地に根を降ろした者だけだ。もしも木が、空高く飛び、雲と語らい、風と戯れ、星々と交わることを望むなら、それは大地に深く、より深く、根を降ろしていなければならない。それからのことはひとりでに起こる。根が深くなるほど、木はより高く伸びる(OSHO)
★禅が唯一知っていることは、一切の矛盾を深い調和の内に包含する広大な生だけだ。夜は昼と調和し、生は死と調和し、大地は空と調和し、存在は不在と調和する。この途方もない調和、この和合こそが禅の本質だ。これこそが、何も否定せず、何も非難せず、ただ愛し、尊ぶ唯一の生き方だ。(OSHO)
★最高の善は、水のようだ。水は、地球上のすべてのものに生命を与え、争ったり、闘ったりしない。水は、人がいやがるような、どんな低いところにも流れていく。水はタオに似ている。(老子)
★車輪のなかにはたくさんの輪止めがある。車輪として使えるのは、その中心に穴があるからだ。土から花瓶をつくる。花瓶として使えるのは、その真ん中に空洞があるからだ。部屋には窓や戸口を空ける。部屋として使えるのは、こういう穴が空いているからだ。このように、存在するものがあるから役にたつのだが、その内部に空間があるからこそ、本当に活きるものとなる。(老子)
★光に向って進む道は、暗く見える(老子)
PS:岡山での合宿ワークショップが昨日終わりました。今回の岡山ワークは、今日日記に書いたことをベースに「このいのちの使いどころ」「魂の願いを現実化する」がテーマでした。今回の参加者は、ドクター、セラピスト、カウンセラー、ヒーラー、ボディワーカーなど援助職の仕事についている人が多くて、夜はみなさんが互いが持っている技を披露し合って、とっても楽しかったです。ありがとうございました。またお会える日を楽しみにしています。
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昨日、大阪で「自然治癒力を高める理想の医療セミナー」(~ドクターとあなたで、一緒に医療を変える、人生を変える!~)がありました。主催はマイミクのドクター「具現びと」さんと整体士の「ゆうちゃん」、そしてお二人の素敵な仲間たちです。
「具現びと」さんと「ゆうちゃん」とは、今年1月31日に世田谷でやった「心を見つめ、いのちを見守る愛ある統合医療とは」のイベントで初めてお会いしました。私は、この1月31日のイベントの実行委員長であるドクター「ながちゃん」と、対談の司会、進行の役で昨日出席させていただきました。
1月のイベントの時もそうでしたが、何かをしようと決断すると、まるで天から「お前は本気でそれをする気があるのか!」と言われているような「お試し」いわゆるシャーマンズテストが次々にやってくるものです。それは、個人の人生においても同じなのですが。
そして、人と一緒に力を合わせて何かをしようとすると、分離、分裂の方向に向う様々なトラブル、試練もグリコのおまけのようにもれなくついてきます。でも、問題というのはその人を、そのパートナーシップの関係性を成長させるために宇宙から与えられる宿題だから、逃げずにちゃんと自分の課題として取り組めば意識のレベルが上がって、まったく新しい地平が見えてきます。
昨日の大阪での「自然治癒力を高める理想の医療セミナー」も開催にいたるまでいろいろなテストが次々にやってきて大変だったようですが、蓋をあけてみたら、関西在住の方だけでなく、全国各地から参加者がいらしてくださったようです。
私はこの大阪セミナーで初めて、統合医療を長年実践されてきた医師である「堀田忠弘」先生(著書「身体はなんでも知っている」)や心療内科医の竹林直起先生、精神科の医師から僧侶になられた斉藤大法先生、ビジョン心理学の創始者チャック・スペザーノ博士の名通訳で有名な大空夢湧子先生のお話を伺いましたが、それぞれの先生のお話はいずれもとても素晴らしいものでした。よくぞこれだけのゲストを集められたものだと思います。
私は、前述のドクターたちとマイミクのナースセラピストの「あゆりん」さんと、元がん患者で、今は元気にがん患者さんをサポートするメチャクチャ明るいがん患者会「Asuka」を運営している「LOHASU」さんと「あんあん」さんたちとの対談の司会、進行を「ながちゃん」と共にさせていただきました。短いお話の中でみなさんがとても本質的なことに触れていました。
そして、最後のステージで、お二人のドクター「具現びと」さんと「ながちゃん」と対談させていただきました。この対談の中で私は、以前、「SQライフ」のコラムに書いたお話をさせていただきました。今回のセミナーのテーマにピッタリの内容だと思ったからです。それは、マイミクの「シュワちゃん」の亡くなられた奥様である由樹ちゃんとご主人である「シュワちゃん」とドクターとの関わりとつながりのお話です。
由樹ちゃんは、がんが再発して入院するのですが、主治医が思いやりのないドクターであったため、自分から担当医を変えてもらったのです。それが、ドクター「ひろちゃん」でした。 なんと偶然にも、ご主人の「シュワちゃん」と同じ名前、ひろゆきさんでした。
由樹ちゃんは、友人から私の本をプレゼントされたことがきっかけで、私のワークショップに出たいと思い、自分の主治医になってくれたDr‘ひろちゃんに、「明美さんのワークショップに一緒に参加してほしい」とお願いし、ご主人である「シュワちゃん」こと、「ひろゆき」と3人で参加してくれたのです。
ドクターが自分の患者さんと一緒にワークショップに参加するなんてこと自体が考えられないことでしたから、私は、なんというお医者さんなんだろうと、そのこと自体に驚き、感動しました。そんな経験は私にとっても初めてでした。
「シュワちゃん・ひろゆき」は、奥様の看病をするために会社に長期の休みを申請し、習った“市川式手当て法”を一生懸命奥様にやってあげていました。ワークショップの休憩時間も毎回、全身生姜罨法(発汗作用・解毒効果があり、とても気持ちがいい手当て法です)をしてあげていました。私が薦めたテルミーもやってあげていました。私はいまだかつて、こんなに完璧に手当て法を習って、奥様の看病に一日のすべてを費やしているご主人など見たことがなく、その姿を見ているだけで涙がこみあげてきました。
1回目のワークショップに参加した由樹ちゃんは、「生きたい!生きたい!神さま、助けて!みんな助けて!私は生きてやりたいことがあるの!お願い私を助けて!」と泣きながら叫びました。由樹ちゃんはまだ30代で小さな子供が二人もいたのです。夫であるひろゆきは、「もし、由樹が死んだら、俺は神さまなんか絶対信じない!」と言い放ちました。
翌月、2回目に出てきた時は、由樹ちゃんは車椅子になっていました。ひろゆきと、Dr‘「ひろちゃん」が由樹ちゃんの車椅子を押しながら参加してくれたのです。3人とも次の月も参加する予定でしたが、由樹ちゃんの容態がかなり悪くなっていて外出は不可能になってしまいました。
由樹ちゃんが3回目は参加できそうもないと知った私は、画用紙とクレヨンを持って、由樹ちゃんが入院している病院に行き、病室の中で、二人に「自分の夢」を絵に描いてもらいました。離れた場所で絵を描いてもらったのに、二人が描いた絵は、色使いから、構図から、内容までソックリの絵だったのです。
由樹ちゃんとひろゆきは、由樹ちゃんの病気が治ったら、二人が住んでいる淡路島に「癒しの家」を作って、そこで、がん患者さんたちに食養生や手当て法を体験して学んでもらうスペースを創るのが夢だったのです。
しかし、残念ながら由樹ちゃんはこの後亡くなられたのです。ふつうだったらもうワークショップには来ないと思います。それなのに、ひろゆきと、Dr‘「ひろちゃん」は、3回目のワークショップに、由樹ちゃんの遺影の写真を持って参加してくれたのです。ひろゆきは、胸に由樹ちゃんの遺影の写真を抱きながら、唇をかみしめてずっと下を向いていました。右手の握りこぶしが震えていました。
どこにぶつけていいかわからない怒りと悔しさをからだ全体に押し込めているのがわかりました。 私は、「ひろゆき、神さまのバカヤローって言っていいよ!!」と言いました。ひろゆきは立ち上がり、天を睨み付け、こぶしを握り締め、溢れる涙を拭おうともせず、叫びました。
「俺は、神さまなんか絶対信じない!なんで由樹を助けてくれなかったんだ。由樹が何を悪いことしたというんだ。なんでこんな若さで死ななきゃならないんだ。由樹を返してくれ!由樹を返せ!バカヤロー!バカヤロー、神さまのバカヤロー!!」
ひろゆきの激しい怒りの奥には由樹ちゃんを亡くしたことへの深い深い悲しみと愛が溢れていました。Dr‘ひろちゃんは、ひろゆきの叫びを聴きながら、ずっと下を向き、肩をふるわせて泣いていました。
そして、突然立ち上がり、ひろゆきに抱きつき、「ひろゆき、ごめんな。由樹ちゃんを助けてあげられなくてごめんな。ひろゆき、俺を許してくれ。俺の力不足だ。俺がもっともっと治す方法を知っていれば助けられたかも知れないのに。ひろゆき、俺を許してくれ」と言って泣き崩れたのです。
こんな医師がいるだろうか。自分の担当の患者さんと一緒にワークショップに参加し、その患者さんを亡くしたことへの自分の非力を、その家族に泣いて謝る医師など、私はいまだかつて見たことがない。 私も含め、その場にいた全員が号泣した。
ひろゆきは言った。「先生のせいじゃないよ。先生は本当によくやってくれた。由樹は先生が大好きだったんだ。先生ありがとう。本当にありがとう。先生のせいでも、神さまのせいでもないんだ。しょうがなかったんだ。由樹は寿命だったんだよ。先生、俺は生まれ変わっても、また由樹と結婚するから大丈夫だよ。先生に出会えて由樹も俺も本当に幸せだったよ」
私は、この時ほど、医療の中で最も必要とされる真の癒し一魂がふるえるほどの一感じたことはなかった。私たちは、がんでなくてもいずれみな死ぬけれど、人生の最後の場面で、「いろいろなことがあったけれど、やっぱりこの人と夫婦になれてよかった。この家族で、この人生でよかった」と思えること。そして、「この先生に看取られて死ぬのなら本望だ」と思えるような医師に出会えることはなんと幸せなことだろう。
由樹ちゃんは、自助療法も、代替療法も、病院も、医師も、自分を見つめるためのワークショプも、全部自分の意志で決めた。最後まで自分の人生に責任をもって、イヤなことにはイヤと言い、自分がこうしたいと思うことは最後まであきらめずに取り組んだ。そして、いつも「ありがとう」という感謝の言葉と笑顔を忘れなかった。由樹ちゃんが私たちに残してくれた贈り物はあまりにも大きい。
この時のメンバーだった、シンガーソングライターの村上清子ちゃんは、由樹ちゃんが亡くなった後、由樹ちゃんとひろゆきが暮らしていて、いつかここに「癒しの家」を作りたいと言っていた淡路島に行った。 そして、亡くなった由樹ちゃんに捧げる歌「約束」を創ったのだ。私は、この歌を聴く度に由樹ちゃんを、由樹ちゃんの夢を、そして、あの時のワークショップでの3人の姿を思い出す。 由樹ちゃんにとって、「生きる時間がほしい!」というのは、見果てぬ夢になってしまった。
私たちは、今、由樹ちゃんの「夢の時間」を生きているのだ。「生きたい!生きたい!生きたい!」と叫んだ、由樹ちゃんの想いの中に、今、私たち生きている。 あの時、由樹ちゃんと共に過ごした私たちが、たったひとつの使命(いのち)を生きて、自分だけの“いのちの花”を咲かせて生きることが、私たちが交わした由樹ちゃんとの「約束」であり、由樹ちゃんからの贈り物なのだと思う。 由樹ちゃん、ありがとう。私たちは、由樹ちゃんがあれほどまでにほしかった生きる時間=夢の時間を大切にして、かけがえのない自分の使命(いのち)を生き切るからね。
『 約 束 』
この海で 砂を浴びて
寄せては返す 波の音に
夢を語り 今を唄う なんてうれしい 小さな約束
流れる雲と ゆれる稲穂みのり豊かな びわの里
耳をすませば 大地も唄う
いのちの芽吹きが また始まる
さみしい夜には 空を見上げて私の星をさがしてほしい
やさしく やさしく またたいて
光の束を届けたい
泣かないで 顔をあげて
私の夢を 紡いでほしい
たった ひとつの 使命(いのち)を生きて
あなただけの 花を 咲かせて
岡部明美個人セッション&ワークショップ
公式ホームページ http://anatase.net/
★10月10日~12日 岡山ワークショップ(2泊3日)
★10月31日 広島個人セッション(残席1名)
★11月2日(月):岐阜 1day ワークショッップ
★11月3日(火・祝日):岐阜 講演会
★11月20日(金)~22日(日)群馬・草津温泉ワークショップ
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