
どうしてこんなに嫌いなのか、苦手なのか、苦痛なのか。延ばし延ばしにしたら、もっと気が重くなるのはわかっているのに・・・・。
「だって嫌いなんだもん。顔見るのもイヤなんだもん。性に合わないの」(あけみA)
「そんなこと言ったって、逃げられないのよ。全く、言い訳ばかりして」(あけみB)
「ハイ、ハイ、向き合えばいいんでしょう。わかりましたよ、やりますよ。やりゃーいいんでしょ」(あけみA)
「ハイは1回ね。そう、ジタバタしても無駄なんだから、腹くくることね」(あけみB)
というわけで、観念した私はこの1週間、4ケ月も延ばし延ばしにしていた青色申告用の帳簿付けをやったのでした。それも初めてのパソコンで入力です。税理士さんが自分で入力するようにと用意してくださった発展会計というソフトに入力するというのが私の初体験の難行、苦行です。
パスワードを入れて、このソフトを開いた途端私は頭がクラクラした。卒倒しそうになった。自慢じゃないが、私はワードしかできない人間なのだ。エクセルとかいう表に打ち込むのさえやったことがないっちゅうのに。表恐怖症なのだ。見るのはOK、作成はカンベン。
「表と数字だけの世界」なんて眩暈がするほど苦手な世界だ。加えてPCだって苦手なのに・・・。ああ、まさしくこれは私にとってはモンブラン登頂に匹敵するほどの大兆戦なのである。
で、この1週間、がんばってやったのだが、案の定、頭痛がしてきた。気分がウツっぽくなってきた。毎朝気分がどよよ~んと重い。こんなの毎日やっていたら私は確実に半年で鬱病になるだろう。
税理士さんが「月に1回、1日あれば入力がすむ程度の仕事しかしていないんですからがんばって自分でやってください。カンタンですから!」と言うのだけれど、普通の人だったら1日ですむかも知れないが、私がどれほどこのような仕事が苦手か税理士さんはよくわかっていないようだ。普通の人が普通にできることが私にとっては苦行なのだ。
能力のある人というのは、能力のない人が、どれほどわからないか、どれほど苦痛なのかがまるでわからないみたいだ。パソコン教室に通ったときも、インストラクターの方がポンポン言う専門用語が私にはまったくわからなかった。宇宙人としゃべってるみたいだった。「シャットダウンしてください」って言われて、「は?なんですかソレ?」って数年前には聞いていたのだ、私は。
パソコン教室の最劣等性だった私は、教室のブラックリストに載っていた。ちょうど新刊の「私に帰る旅」が脱稿して編集作業をするために教室に通って、編集のいろいろな方法を教わっていたのだが、私のあまりの能力のなさに驚いた教室の担当者が、私のPCだけでなく、教室のPCにも毎回バックアップ(これも初めて聞いた!)をとってくれたのだ。
「岡部さんは、とんでもないキーをポンと押して、きゃあああ~、書いた原稿が全部消えたー!!」と大騒ぎしそうですので、念のために教室でも全部保存しておきますね。大事な原稿ですから」と言ってくださったのだ。
角川学芸出版の担当編集者の小島直人氏(mixi名なおと)からも、「あけみさん、内容に関しては全然心配していませんが、お願いですから、PC操作間違えて原稿を全部なくしたなんてことだけにはならないようくれぐれもご注意くださいね」と再三言われていたのよね。
中途半端な能力のなさだと、「がんばれ!やればできる!」と励まされるけど、致命的に能力がないと、人というのは、慈悲の心で接してくれるからありがたい。(しかし、後に、なおとも編集者なのに私と同じくらいPC音痴であることがわかり、原始人同盟に強制加入するよう迫ったら、捕虜のような顔をして入ってきた)
mixiで写真を日記に載せている人なんかすごいなあと関心する。私はデジカメさえ使えない。デジカメをデバガメと間違えて言ったこともある。さらに驚異的なのは、「ゆーちゅーぶ」とかの画面を日記に載せている人。私は、見る専門で、なんでこんなことができるのだろうと不思議でしょうがない。「スカイプ」で友達とおしゃべりしているなんて技なんかもう私の理解の範疇を超えているのでついていけません。
で、最近、毎日のようにmixiアプリのお誘いがたくさん来るのだが、全部、「使わない」をポチって押しています。はい、私はゲームもできません、やりません。正真正銘のクロマニヨン人なのです。(でも、サンシャイン牧場とか、みんなの農園とか、飼育系、大地系、農業系、動物系、作物系アプリが人気があるらしいとうのは知ってるよーん)
携帯は電話の受発信のみです。携帯メールはやっていません。携帯でmixiやったり、電車の時刻調べたり、地図を調べたり、いろんなことの予約とかしている人をみるとすごいなあと思う。尊敬の眼差しである。
電脳ホームレスと言われる私は最近の輝かしいITツールが何も使えず、ただただ「すごいねえ」と関心していると、親しくしているマイミクさんが「あけみさん、こんなのカンタンだよ。誰にでもできるわよ。教えてあげるから」と親切に言ってくれたのだが、私は、キッパリお断りした。この分野で新しいことを覚えなきゃいけないと思うだけでストレスになるのだ。
とにかく、超アナログ人間には住みずらい世の中です。ストレス満タンのこの世をどう生き抜いていけばいいのでしょう。苦痛のPC帳簿付けでバッテリーが切れそうになった私は、「キヨシローよ、“どうしたんだあ、ヘヘイ、ベイビー、バッテリーはビンビンだぜー!”」って、あなたの生歌がもう聴けなくなったのはさびしいぜ!って言いたくなるのです。
だから、これです。はい、息を抜いて、からだゆるめて、からだと心が心地いいと思う時間をいっぱいつくりましょう。メディテーションしましょう。自然の中で思いっきりいい空気を吸いましょう。これだけでどれほど心の中が平和になることでしょう。
あとは、ガス抜きのイッパイですね。PC帳簿つけがやっと終わった私は、久しぶりに編集者のなおととお茶の水でデート。なおとが行きつけの沖縄料理のお店でしゃべりまくりました。来年、「私に帰る旅」の続編を出しましょうということで、その打ち合わせで会ったのですが、その話は10分ほど。「あけみさん、いつ頃出しますか」「そうねえ、○月頃がいいかなあ」「じゃあ、○月から編集作業しましょう」「はーい」で終わり。あとは、出版界の名物編集者の奇怪な言動、抱腹絶倒の裏話と、なおとが担当している作家さんたちのおもしろ話をたくさん聴いて大笑い。楽しかったあ。
なおとが、最近編集したという本も何冊かいただいた。私的には、高橋巌さんの「シュタイナー 生命の教育」と、山田規畝子さんの「壊れた脳 生存する知」が興味深い。なおととしては、帯に~脳は回復し続ける!!理学療法士、看護系受験生必読!脳障害者の苦しみと、諦めない心の奇跡~と書かれた、山田規畝子さんの本をぜひ私に読んでほしいと言っていた。
そして、昨日は、マイミクの「まゆみ」さんが企画・主催してくれた、岡部明美講演+和みのヨーガの体験会がありました。和みのヨーガはほんと気持ちいいです。私は、インストラクターの「月さん」(諏訪部みなみさん)にやっていただいたのですが、あんまり気持ちがよくてまた寝てしまったみたいです。壇上でやっていたのに、ヨダレたらしていたんではないだろうか。
和みのヨーガを家族で、病院で、老人ホームで、デイケアセンターなどで、みんなでやりあえたらどんなにいいだろう。からだがゆるんで心もほっこりしたらみんな気持ちが優しくなるものね。
大企業のビジネスマンである「ドルフィン雅晴さん」は、和みのヨーガのインストラクターでもあるのですが、今日から中近東への出張だというのに駆けつけてくれました。そして、あの紛争地域で、和みのヨーガをみなさんに体験してもらうのだとおっしゃっていました。素晴らしいですね。
思想が違ったり、宗教が違ったりすると、人と人は対立ばかり人はするけれど、人間として同じところのほうが本当は多いのだからね。世界の平和は、一人ひとりの心の平和からしか生まれない。遠回りみたいだけれど、かだがゆるみ、気持ちが優しくなることって、その道への架け橋になるような気がします。
主催の「まゆみさん」そして、最強のパートナーの「いまてんさん」いろいろお世話になりありがとうございました。PC帳簿つけで頭がパンパン、コンクリートヘッド状態になっていた私は本当にほっこりとゆるみました。
岡部明美の講演会・個人セッション・ワークショップ
公式ホームページ http://anatase.net/
★12月11日(金)、12日(土) 京都個人セッション(定員になりました)
★12月13日(日) 京都 1day ワークショップ
(主催:マイミク「Rebirthりえちゃん」&「ノリノリ」)
りえちゃんからのメッセージ
http://mixi.jp/view_event.pl?id=46726144&comm_id=982903
秋の夜長だけでなく、冬の夜長もたいてい私は好きなCDをかけ、ソファーに寝そべりながら、好きな本を読んだり、好きな詩集などをペラペラめくる。私の本棚の一角は、詩集のコーナーだ。10代の頃に読んだものから全部とってあるからかなりの数だ。もうセピアカラーになってしまったものも相当ある。
「もどっておいで私の元気!」を出版したとき、「あけみさんは、昔から詩を書いていたの?」と何人もの人から聞かれたが、私は詩集を読むのは大好きだったけれど、自分で書いたことはほとんどなかったのだ。
でも、あの当時は、自分の中からいらないものがどんどん削ぎ落とされていった時期だったので、表現形態として、あのような形しかとれなかったのだ。詩のような、散文のような。本屋さんがこの本を詩集のコーナーに置いたらいいのか、エッセイのコーナーに置いたらいいのか、ジャンルの分類に悩む本だと善文社に言ったらしい。私は、はみだしものなんだなあ、なにかにつけ。
本を書くまで自分で詩を書いたことはほとんどなかったとはいえ、詩集はずいぶん読んできたから、知らずのうちにそのリズムやテンポや、言葉と言葉の空間のようなものをからだで覚えてしまったのかも知れない。今夜もまた本棚から好きな詩集を引っ張り出して読んでみた。繰り返し読んできたものだか、やはり好きな詩は何度読んでもいいなあ。映像が浮かんでくるような詩が私はとりわけ好きみたい。
< 空の色が >
空の色が 海の色でした 遥かな隔たりに妨げられず 空の青が 海の青でした或る人の心の空の色が そのまま
誰かの心の海に届いている
というようなこともある
などと思いながら、
私は 海を
海に届いている空を 泳ぎました
正確には一私の海に届いている 或る人の空を
< 生命(いのち)は >
生命は 自分自身だけでは完結できないように つくられているらしい 花も めしべとおしべが揃っているだけでは 不充分で 虫や風が訪れて めしべとおしべの仲立ちをする 生命は その中に 欠如をいだき それを他者に満たしてもらうのだ 世界は 多分 他者の総和しかし 互いに 欠如を満たすなどとは知りもせず 知らされもせず
ばらまかれている者同士 無関心でいられる間柄
ときに うとましく思うことさえも許されている間柄そのように 世界がゆるやかに構成されているのは なぜ?
花が咲いている すぐ近くまで 虻(あぶ)の姿をした他者が
光をまとって飛んできている私も ある時 誰かのための虻だったろう
あなたも あるとき 私のための風だったかもしれない
「吉野弘の詩集」より
< 未 生 >
あなたがまだこの世にいなかったころ 私もまだこの世にいなかったけれど 私たちはいっしょに嗅いだ 曇り空を稲妻が走ったときの空気の匂いを そして知ったのだ いつか突然私たちの出会う日がくると この世の何の変哲もない街角で
< 日 々 >
私たちは別々の家で別々の物語を生きていた 雨だれが聞こえる朝 風が窓を鳴らす午後 その終わりがただひとつであることを知らずに あなたの眠らなかった夜を私は眠ったが 私の知らないあなたの日々は 私の見た夕焼け雲に縁取られていた
< 未 来 >
たった今死んでもいいと思うのにまだ未来がある あなたが問い詰め 私が絶句する未来 原っぱでおむすびをぱくつく未来 大声で笑いあったことを思い出す未来 もう何も欲しいとは思わないのに まだあなたが欲しい
< 会 う >
始まりは1冊の絵本とぼやけた写真 やがてある日ふたつの大きな目と そっけないこんにちは それからのびのびしたペン書きの文字 私は少しずつあなたに会っていた あなたの手に触れる前に 魂に触れた
「谷川俊太郎の詩集」より
<お知らせ>
公式ホームページ http://anatase.net/
★11月20日(金)~22日(日)群馬・草津温泉ワークショップ
★11月29日(日)岡部明美講演+和みのヨーガの体験(定員になりました)
★12月11日(金)12日(土)。京都個人セッション(定員になりました)
★12月13日(日)京都1dayワークショップ
携帯でもSQ Lifeメッセンジャー・ブログが閲覧できます。
http://blog.sq-life.jp/m/
