岡部明美のスピリチュアルな旅で出会った”もの・人・場・言葉たち”

2010年03月

家族のアルバム

WS002832.JPG私の父と夫の母はいま特別養護老人施設に入居している。家族で介護できる限界がきて、申し込みを半年ほど前からしていたのだが、何百倍という倍率だったため、かなり高い施設の方に申し込みをしてそこに入れることになったのだ。


一人部屋だからプライバシーは保たれている。新しい施設なのできれいだ。認知症4、要介護度4の父の介護疲れで母がうつ状態になり眠れなくなっていたので、とにかく母をこれ以上疲れさせてしまったら、母が入院することになりそうだったので、私が母を説得して入居を決めたのだ。


父が入居してから、母も自分の時間が持てるようになったため、少しづつ元気になり始めている。それでも時々、「お父さんがかわいそう」と言っているが。父はやはり長年連れ添った母の料理がいちばん口に合うのだろう、最初の頃は施設の料理をあまり食べず、残すことが多かったという。


それでも、1ケ月過ぎた頃から、全部残さず食べるようになったのでほっとした。父を担当してくれている若い男性スタッフがとても優しい人で、いろいろと気遣ってくれてありがたい。頑固で、人づきあいがあまり得意でない父も彼には安心して心を開いているようだ。


入居前に夫と家具屋と電気屋に行って、個室に置くテレビや箪笥やミニ冷蔵庫やソファーを買いに行った。少しでも快適で居心地のいい部屋にしてあげたかった。それでも何かもっと父と義母がほっとするようなもの、楽しめるものが部屋に置けないだろうかと考えていていた。


「そうだ、家族の写真をコラージュして額に入れて飾ってあげよう」と思い、夫と私はそれぞれ家族のアルバムから、思い出深い写真を選んで貼りつけた額を創った。アルバムを見はじめると途中でやめられなくなって深夜3時頃まで見ていた。いろいろな思いが湧き上がってきて切なかった。


新婚当初の幸せそうな父と母の写真。家族で温泉旅行した写真。海水浴やキャンプに家族で行った写真。父がハツラツとカッコよく仕事をしていた頃の写真。ラグビーに夢中になっていた頃の写真。孫たちを海や山に連れて行って一緒に楽しそうに笑っている写真。年老いた夫婦の日常の何気ない食事風景の写真。


私にとってはしんどいことの多かった家族だったけれど、アルバムを見ていたら楽しいこともいっぱいあった家族だったんだなと思った。何十回も離婚騒動で大騒ぎした夫婦が、年老いてやっと互いに感謝できるようになってきている。共に過ごした月日の重さが、家族の笑顔の写真の影に隠れている。


大変な家族だったけれど、私はこの父と母の子供に生まれたかったんだなと深いところで感じている自分がいた。あれほどの家族の悲喜こもごも、今こうして父の人生最期の季節にアルバムを開いてみると懐かしさに涙がでてくる。なんて濃い家族だったろう。なんて、家族らしい家族だっただろう。


先日、額に入れた2つの家族の写真のコラージュを父に見せに行った。1つは、モノクロームの写真だけをコラージュした額だ。若い頃の父と母、私と弟二人の3、4歳頃の写真。家族がみんなで笑っている写真。もうひとつは、カラー写真で、年老いた父と母が楽しそうに孫たちと遊んでいる写真をコラージュしたものだ。


父はふたつの額に入れた写真を見たとたんに肩をふるわせ、声をあげて泣いた。もうほとんど感情表現をしなくなった父が涙をボロボロ流している。何も言わず写真を食い入るように見ている。そばにいた母も一緒に泣いている。


写真の中に父の歩いてきた道、父の人生があった。残り少ない人生の時間を生きている父の今を支えているのは過去の自分、自分が生きてきた足跡なのだ。

<お知らせ>

5月4日(火・祝日)第二回市民公開講座「愛ある医療 東洋の叡智との出逢い」(調布)

<問い合わせ、お申し込み:コクーン事務所>
Tel&fax:03-3326-6601  月~金:12:00~18:00(担当:渡辺)
大会ホームページ   http://www.cocoon-japan.com/

<岡部明美公式ホームページ>  http://anatase.net/

4月3日(日) 名古屋1dayワークショップ(残席2名)

4月27日(火)~29日松山市・中島3daysワークショップ
(定員・キャンセル待ち)

5月18・19日 岐阜・関市2daysワークショップ(残席5名)

5月23日(日) 東京1dayワークショップ(残席5名)

偉大なる素人  青春の後書き

clip_image002.jpg私が20代から30代前半まで勤めていたシンクタンクは女性の多い職場だった。なかなか個性的な女性が集まっていた。奇人、貴人、怪人、変人のつわものぞろいだった。みんな本当によく働いた。



私は、入社してすぐに原稿なんて書いたことがなかったにもかかわらず、おまけに学生時代は理数系のテスト赤点常連だったのに、いきなり所長(著名な科学評論家・宇宙工学博士)のゴーストライターで新聞のコラムの連載を書かされたり、企画書の書き方なんて教えてもらったこともなかったのに毎月何本もの企画書を書くはめになった。


電通だの博報堂だの旭通だの大手の広告代理店とのコンペに出すものをど素人の私に書かせる会社も会社だが、所長に「偉大なる素人だ」と言われた私は調子こいて書いて書いて書きまくった。でも、コラムや企画書を書く仕事を与えられて初めて自分が文章を書くことが好きなんだということを発見した。


さらにマーケティングのマの字も知らなかった私にいきなり、大手企業の事業開発室に提出するため、消費者ニーズの変化と社会のメガトレンドとの関係性をまとめた調査報告書を書くようにとのお達しがきた。どっひゃあーと叫びながらも、腹をくくった私は、社会のメガトレンドを学ぶためにジョン・ネイスビッツやアルビン・トフラーやフリッチョフ・カプラなんかの本を読みまくり、どうにかこうにか報告書をまとめあげた。


懇切丁寧に仕事を教えてくれる人などいなかったため、独学で学ぶという習性がつき、予想もしていなかったようなことや、まったく経験がないことに対して怖気づかずにチャレンジしてみるということに対して腹が座るようになった。ほんと鍛えられました、あの職場では。毎回、初級の実力で上級者ゲレンデに挑戦させられました。(心臓に毛がはえてアフロヘアになっているとか三つ編み編みになっていると言われるようになった土壌はこのへんからだね、たぶん)


この時のシンクタンクで一緒に働いていた仲間が今ではすっかり有名になったコクーンのボーカルのゆりちゃんと、マイミクの「ふくちゃん」(ヒーリングアーティスト)のパートナーである「みちえちゃん」だ。


みちえちゃんは今では、クロスアートデザイナーとして活躍し全国で個展を開いたり、作品がニューヨークの紀伊国屋書店や旭日屋書店のウンイドウディスプレイとして数ヶ月もの間展示されたりした。


あの頃、ゆりちゃんは編集部のリーダーとして大手企業のPR誌を何冊も編集していた。ゆりちゃんが手がけたキリンビールのPR誌は大賞をもらうほどの辣腕編集者だった。私は市場調査部のリーダーをし、みちえちゃんは社長秘書&経理として会社の縁の下の力持ちとしてみんなを支えていた。


3人共、それぞれに互いの長所も短所もよくわかっているし、どんな部分を曝け出しても、丸ごとの相手の存在を受け入れているから安心してケンカもできた。そういう友だちがいるというのは人生の財産だ。お互いのいいところしか受け入れられない人間関係は淋しいものね。


人間関係はいい時ばかりではない。関係性という空には、時に雨や嵐や台風だって吹く。雷も落ちるし、豪雪になることもある。それでも、快晴の青空だけでなく、心地よくない天候も、暴風雨にみまわれた空になっても、「あなたが私の人生にいないことはいくらなんでも寂しすぎるよ」と思える人に出逢えるというのはなんて幸せな人生なんだろうと思う。山あり谷ありといろいろな季節を共に過ごし、共に超えてきた相手というのは、熟生したワインのように美味しい関係になっていくのだ。みちえちゃんは吟造酒だな。


まさか、あれからフン十年たって、ゆりちゃんがプロ歌手になるなんて誰が予想しただろう。本人だっていちばんびっくりしてるんじゃないだろうか。確かにあの頃からカラオケの女王ではあったけれど(越路吹雪、美空ひばりを歌ったら天下一品でした)


みちえちゃんだって、「私なんて」で何十年生きてきたのに、まさか自分が趣味で始めたことが仕事になるなんて思ってもいなかったみたいだ。みちえちゃん(アーティスト名:風花)が始めたクロスアートの根っ子はみちえちゃんの子供時代にすでにあったようです。みちえちゃんは、お父さんを生まれてすぐ亡くしています。お母さんが必死に働いてみちえちゃんを育てますが、仕事で家にいない時間が多いためおばあちゃんが日常のお世話をしてくれました。


みちえちゃんは「おばあちゃんの引き出し」が大好きでした。その中には色とりどりの布の端切れがきれいに折りたたんでしまってありました。おばあちゃんはこの端切れでみちえちゃんのお弁当袋や上履き入れを作ってくれたのです。おばあちゃんの引き出しは、宝箱のようだったと言います。


みちえちゃんが今、着物の端切れ(古布)を使って、クロスアートという作品に仕上げるようになったのは子供時代にドキドキ、ワクワクして開けた「おばあちゃんの引き出し」がきっかけになっていることに気づいたそうです。


亡くなった母親や祖母の形見の着物と帯ですと送ってくださったものを再生してクロスアートのメモリアル作品に仕上げてあげたり、お店やヒーリングサロンに飾りたいから作って下さいという注文も多く、そのお店やサロンの雰囲気にぴったりの作品を何ヶ月もかかって仕上げます。すべてが緻密で途方もなく細かな手作業で世界でたったひとつの作品です。


そのみちえちゃんが、4月8日(木)~13日(水)に東京・自由が丘の「茶房ギャラリー」で個展をやります。私も夫と一緒に見に行く予定です。下記がみちえちゃん(風花)のクロスアートの個展情報です。


「風花の個展情報」はパートナーのマイミク「ふくちゃん」が書いています。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1426159300&owner_id=4340132


「風花の作品集」 http://fuka-art.jp/cloth.html


今日の日記はまさに「偉大なる素人たちの青春の後書き」だ。3人共あの頃には想像だにしていなかった仕事に今はついている。ライフワークにやっと出会えたのは3人共40歳を過ぎてからだ。いつでも始められるんだね。あきらめさえしなかったらいつか出会えるようになっているみたいだね。


そう、みちえちゃんのこと言えないくらい、私も若い頃は「私なんて人生」でした。コンプレックスも多く、自己評価も低く、自分を好きでありませんでした。自分にいつもペケばかりつけていました。


あるがままの自分を受け入れられず、理想の自分を追い求めていること自体が自分を傷つけていたことに気づいたのはうんと後になってからです。私の中にいて、私にないがしろにされた子、批判ばかりされた子、認めてもらえなかった子、置き去りにされた子、愛してもらえなかった子は、本当は誰よりも、私自身に愛されたかったのです。誰よりも私に認めてもらいたかったし、大切にしてもらいたかったし、信頼してほしかったのです。本当にごめんなさい、私の中の小さい人、でした。


人からの愛や承認や感謝や評価をもらいたくて無意識に自己犠牲して、誰かに尽くし過ぎたり、会社や上司の期待に応えようと頑張り過ぎると、バーンアウト(燃え尽き症候群)したり、空回りしたり、報われない感が残って逆恨みしたり、底冷えのするような空虚感を味わいます。


でも、この闇こそが光への入口。入り口に辿り着くまで、たとえ愚かであったとしても、その時、その時を精一杯生きてきた自分をまず認めてあげようね、ほめてあげようね。よしよし、わたし。


人はその人の「いのちの歓び」を生き始めると、あるいは、今生決めてきた「魂の仕事」をやり始めると必ずそれを応援してくれる人、支えてくれる人、必要としてくれる人、一緒に学ぶ人、一緒にこの道を楽しみながら歩いて行く人に出逢っていきますね。


それはまるで共鳴波動が奏でるひとつのオーケストラのようで、グループ全員がある「ひとつの道」に呼び込まれていきます。これだけが唯一の道、正しい道、早い道なんてありません。どんな道もその「ひとつの道」につながる道なので出会った道が、自分の道。


自分がこの宇宙に生かされていること、この宇宙の生命エネルギー(無限の創造性と愛と意志と叡智)が、自分を生かし続けてくれている生命エネルギーとまったく同質のものであることがわかると微かに聴こえてくるようになります、召還、コーリングの声が。それはインスピレーションという形でやってきます。導かれていると感じることがとても多くなるのですね。


外なる宇宙と内なる宇宙は同じ一つの生命です。からだの中で自分が動かしているものなど何ひとつありません。誰がこんなに私を生かし続けてくれているのでしょうか。夜寝ているときでさえ呼吸しているものはいったい誰なのでしょう。私とあなたはからだが別々だから違うもののように思えますが、すべての存在はまったく同じ「ひとつの生命・ひとつの意識」によって生み出され、生かされ、そのいのちの源につながり続けているのです。


私を生かしてくれている存在、私を通して働こうとしているもの、創造しようとしているものにおまかせして、自分は今できることをただ淡々とやるだけ、あるいはリラックスして楽しみながらやればいいだけです。この宇宙は慈愛に満ちていますから、全部見てくれています、聴いてくれています、一人ひとりの本当の想いを、いのちの願いを、創造の意志を、あらゆる内なる声を。


PS:昨日は私の講演と和みのヨーガのコラボの2回目でした。心もからだもほっこりゆるんで楽しい1日でした。来てくださったみなさん、ありがとうございました。


<お知らせ>

前回、前々回の日記でお伝えしました、
5月4日(火・祝日)第二回市民公開講座
「愛ある医療 東洋の叡智との出逢い」(調布),は
チケットが販売されました。お申し込みは下記です。
★問い合わせ、お申し込み:コクーン事務所
Tel&fax:03-3326-6601  月~金:12:00~18:00(担当:渡辺)
大会ホームページ   http://www.cocoon-japan.com/

岡部明美公式ホームページ http://anatase.net/

4月27日(火)~29日(木・祝日)松山市・中島3daysワークショップ
4月3日(日) 名古屋1dayワークショップ
5月18(火)・19日(水) 岐阜・関市2daysワークショップ
5月23日(日) 東京1dayワークショップ

子育ても一段落 

WS002650.JPG専業主婦をしていた頃は、けっこう時間に余裕があったから、息子のアルバムの写真には1枚、1枚全部キャプションをつけていた。育児日誌もまめに書いていた。キャプション付きのアルバムや育児日誌は今見てもけっこう面白い。


この間、本棚を整理していたら、息子が小学校2年くらいの頃に書いていた「ぼくのおりょうりレシピ」というノートが出てきた。私が、子供にも作れそうな簡単なお料理を教えたものを息子が面白がって作っていた時期があるのだ。


「やきそば」「おこのみやき」「タラコスパゲッティ」「ホットケーキ」などの項目の横にレシピが書かれていて、一番上には「しどうしゃ:あけみ」と書いてある。「しどうしゃ:お母さん」と書いていないところが笑える。


「ぼくのおりょうりレシピ」なんてかわいいノートを作っていた息子も今じゃまるで亭主みたいに「腹減ったー、メシー」しか言わなくなったけど、とりあえず大学には行けることになってほっとしています。息子から、「俺がどこの大学に受かったかなんかブログに書くなよ、個人情報なんだからな」と言われました。


いやあ、それにしてもいくつか受けた大学合格発表の日は朝からそわそわ、ドキドキでした。部屋の中を熊みたいにウロウロしていましたー。母に電話で合格の報告したら電話口で「よかっかたねえ、うれしい」と泣いていました。孫でも泣くんだ。私の時もどれだけ心配してたんだろう。私の子育ては、親になって初めて知る親心の日々でした。

子育て日誌より


息子が小学校3年の頃のこと。私と息子の二人、息子の友だちとそのお母さんと一緒にスキーに行った。私はボーゲンしかできないヘタッピーだし、息子はスキーは初めてだった。あちらは、毎年家族で北海道にスキーに行くというスキー大好き一家だった。息子は半日スキー教室に入ったので、ボーゲンくらいはできるようになった。それでも初級ゲレンデで5、6回は転んでいる。


かなりうまくなってきたので、息子に「中級者ゲレンデに挑戦してみる?」と聞いたら「うん」と言うので、中級者ゲレンデのリフトに向かった。二人でリフトに乗り「がんばろうね。きっとこっちのゲレンデの方がスリルがあって面白いよ」などと話しながら乗っていたのだが、いつまでたっても着かない。


リフトはどんどん山のてっぺんに向かっていく。山のてっぺんは雲と霧がかかっていてちょっとこわい雰囲気。滑っている人もだんだん少なくなってきた。私はだんだん不安になってきた。


息子が「なかなか着かないね、お母さん」と聞くから、「うん、おかしいね。もう着いてもいい頃だよね」と言いながら、私は冷や汗がでてきた。不安は的中。着いた所はやはり上級者ゲレンデだった。


びびった。下を見てみたら眩暈がした。まさに、まっさかさまの世界。狭い雪道の両脇は谷底だ。こんなところ、どうやってボーゲンしかできない私と、スキー若葉マークの息子が滑っていけるだろう!


無理だ、危険過ぎる。私は理性的に判断し、リフトのおじさんに事情を説明した。しかし、非情にもおじさんは、「下りのリフトは、ケガをした人と急病の人以外は利用できません」と冷たく言い放つではないか。


そんな殺生な。まるで役所の仕事みたいなこと言わないでよ、まったく。ここは楽しいスキー場でしょう。それじゃ、税務署のおじさんみたいじゃないの。私は、かなり食い下がってみたが問答無用という感じで切り捨てられてしまった。


仕方がない。私は腹をくくった。「よし、今から、お尻スキーで下まで降りるよ。左肩にスキーの板とスティックを乗せて。右手と両足はブレーキとハンドルだよ。はい、お尻ついて、滑るよ今から。前のめりにならないように気をつけてね」


「ウソー、お尻でスキーするのー? 信じられないよ。だってもし、スキーズボンのお尻が破けたらどうするのさ? 雪がお尻に入ってきて冷たいじゃない。お尻のシモヤケなんか恥ずかしいよ。ほんとに、あんな麓までお尻スキーで行けるの? 摩擦熱でお尻が熱くなってヤケドしたらどうするんだよ!」


「そんなのはやってみなきゃわかんないでしょ! 人生にはね、予想もつかないような出来事が次々に起きてくるものなの。その時が知恵と力の使い時なのよ。腹がくくれればなんだって超えられるの。とにかく、一度決めたら、四の五の言わないでやる!」


「一度決めたらって、僕が決めたわけじゃないのに・・・」


「はい、出発進行、茄子のおしんこーって、いつもまあちゃん言ってるよね。そのノリで行くよ。ランランラン♪♪」


口ではこうやって気合を入れてみたものの、実は、私は相当びびっていた。ゲレンデに鳴り響いているユーミンの歌が空々しく聴こえてくる。「こっちはそれどころじゃないのよ。八甲田山なんだから、私たちは」と、お門違いに私はいらついていた。


私たちは、まるで冬山登山で遭難した親子みたいに、ほとんどまっさかさまに見える上級者ゲレンデをスキー板を肩にかついで、必死になってお尻で滑り降りた。リフトに乗っている人たちは、私たちに「がんばってー」と手を振っているが、さすがに手を振り返す余裕はなかった。私の顔はひきつっていた。


息子は「こわいよー、寒いよー、冷たいよー」とベソをかきながらも、アイスバーンになっているデコボコした上級者ゲレンデを一生懸命お尻スキーで滑り降りていた。山ひとつをお尻だけで滑り降りるという経験は、普通あまりないだろう。私もこの経験だけは人生で一度でいいと思った。


息子は、山の中腹まで降りてきたら少しは余裕がでてきたのか、「僕もがんばるから、お母さんもがんばってよ」などと言って私を励ますのだった。やっと初級者ゲレンデまで来た。ここからはもう大丈夫だ。息子に「さあ、ここからはもうスキーで滑っていこうね」と言う間もなく、すでに息子はスキー板に足を乗せ滑り出した。


するとどうだろう。驚いたことに、息子は直滑降でまっしぐら、一度も転ばずに下まで降りていったのだ。私も思わず直滑降で彼の後を追った。すごいスピードで彼は飛ばした。彼はかっこよく止まって、私にガッツポーズを見せた。得意満面の顔。


「すごーい、かっこよかったよー、直滑降なんて習ってないのによくできたね」


「うん、人のを見ていたから、なんとなく自分でもやれそうだと思ったんだ」


「それにしても一度も転ばなかったなんてすごい。さっきまで初級者ゲレンデでも、5、6回は転んでいたのに。やっぱ、上級者ゲレンデで修行したから、もう初級者ゲレンデなんかなんともなくなったんだね。いい体験をしたね。日本には昔から、苦労は買ってでもしろとか、かわいい子には旅をさせろっていうことわざがあるんだけど、ほんとにその通りだね。昔の人はいいことを言う」


「お母さん、言っとくけど、自分の不注意で僕を危険な目に合わせたってこと、少しは反省しているの? パパがいつも、お母さんは反省しないって言っているよ」


いや、この時ばかりは少し反省した。そして、息子はいつになく毅然とした眼差しで私にこう言い放ったのだ。


「僕の人生最大の修行は、お母さんが、僕のお母さんだってことだ!」

<お知らせ>

前回と前々回の日記で、5月4日(火・祝日)第二回市民公開講座「愛ある医療 東洋の叡智との出逢い」(調布)のゲスト講師のバリー博士と上田紀行先生のことを書きましたが、今日からチケットが販売されました。チケットとチラシは私も持っていますので、参加希望の方は私の個人メッセの方に「氏名・郵送先・枚数」をお知らせくだされば郵送させていただきます。


<問い合わせ、お申し込み:コクーン事務所>
Tel&fax:03-3326-6601  月~金:12:00~18:00(担当:渡辺)
大会ホームページ   http://www.cocoon-japan.com/


岡部明美公式ホームページ http://anatase.net/

4月27日(火)~29日(木・祝日)松山市・中島3daysワークショップ

4月3日(日) 名古屋1dayワークショップ

5月18(火)・19日(水) 岐阜・関市2daysワークショップ

5月23日(日) 東京1dayワークショップ

プロフィール

岡部 明美岡部 明美

ワークショップ・トレーナー/セラピスト/カウンセラー/研修講師/文筆家/東海ホリスティック医学振興会顧問。

独身時代は、シンクタンクにてマーケティングプロデューサーとして活躍。30代半ばで結婚。長男出産直後に脳腫瘍と水頭症を発病し生死を彷徨う。自分の死に直面するという体験を通して、いのちの根源からの問いの答を求めて自己探求の道に歩みだす。著書に「もどっておいで私の元気!」(善文社)「私に帰る旅」(角川学芸出版)

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