岡部明美のスピリチュアルな旅で出会った”もの・人・場・言葉たち”

2010年06月

アホは神の望み

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この本のタイトルを本屋で見た瞬間、「ワ、わたしの本だ!」と思わず手にとりました。著者を見たら、あら、村上和雄先生(筑波大学名誉教授・遺伝子の世界的研究者)ではありませんか。村上先生、よくぞこのタイトルで本を出してくれました、と私の心は小躍りしました。

講演ではお腹抱えて笑うくらい村上先生の失敗談やおっちょこちょいぶり、愚直な猪突猛進ぶりはお聞きししていましたが、世にいる「なんで自分はこうアホなんだろう」と自分の性格をのろいたくなるほど恥ずかしいと思っている人にどれほどの勇気を与えてくれる本でしょうか。


おバカとか、天然とか、もうその領域をはるかに凌駕したアホとしか言いようのない人というのがいるものです。私が、そうです。初期の頃からのマイミクさんは、私の数々の奇行、愚行、鈍行、言い間違い、聴き間違い、書き間違い、粗忽者ぶりを知ってらっしゃると思いますが(それでもほんの一部しか書いていませんが)、村上先生は、そのアホ人間をこの本で褒め称えてくださっているのです。


村上先生は、『アホは神の望み』(サンマーク出版)の冒頭で言っています。


「苦しい時こそ笑っていられるようなアホやバカが、いまこそ必要なのだとうことを、私はこの本で述べたいのです。世の中に笑いが減るのと並行するように利口な人が増えました。頭の回転が速く、目先のことに鼻がきいて、機を見るに敏。人に先行して、競争に強く、ムダや抜け目がなく、合理的かつ効率的で、どんな問題もすばやく解いて、決められた道を最短距離で行くことが得意」

「しかし、そういう利口な人たちを見ていて気づくことがあります。一つは、その利口やかしこさのスケールがどこか「小さい」点です。頭は切れる、学歴も高い、知識も豊富だ。しかし、ヘンに世間知らずだったり、人間関係がうまく結べなかったり、人の心の機微に疎かったり。あるいは、分析は鋭いけれど視野が狭かったり、理が勝ち過ぎていて柔軟性に欠けていたり・・」


「そのために、せっかくの知性に偏りが生まれて、そのせいで頭脳や人間のスケールが小さく感じられるのです。こういう人は、人間としての容量が小さいので、挫折に弱いところがあります。ちょっとしたことでつまずき、つまずくとなかなか立ち直れない」


村上先生は『アホは神の望み』の中で、アホの必須条件として、「おっちょこちょい」「感じたらすぐ動くフットワークの軽さと行動力。つまり軽率さ」「興味をもったらやらずにはおれない、行かずにはおれない関心を持ったら確かめずにはいられない好奇心の強さ」「感動することが好き「人からなんと言われようが、やりたいことをやる。やりたいことしかやらない」「愚直で、素直で、正直な器の大きいアホ」があげられていました。


村上先生は、京都大学も絶対にまぐれで入ったと思うとおっしゃっているし、実際、インテリだったら絶対に手を出さないような地味な研究ばかりしていて、全然日の目を浴びないので、同級生から「アホの村上」とよく言われていたそうです。学生時代は劣等感のかたまりだったそうで、ばかにされて学校の屋上で一人で泣いたこともあるそうです。


ですから、村上先生の世界レベルでの遺伝子研究の成果が新聞や雑誌をにぎわし始めた頃、同級生が、「これは本当にあのアホの村上がやったのか?同姓同名なんじゃないか」と揶揄されたそうです。


村上先生とは2年ほどシンポジウムの仕事でご一緒させていただき、私も大ファンなのですが、この本は村上先生の数ある講演ネタでも爆笑話が満載されているので最高に面白かったです。


私は、この本を読んで、自分の「アホ力」に自信をもちました。太鼓判を押してもらったような気がします。一昨年出した『私に帰る旅』(角川学芸出版)を読んでくださった方はもうおわかりだと思いますが、私が生死を彷徨う病気から生還できたのは、優秀な脳外科医に巡り合えた幸運だけでなく、私のこの偉大なるアホ力も大いに貢献してくれたと思うのです。


どこの世界に、生きるか死ぬかという状況に立たされている面会謝絶の重病患者が、毎日、マーサージやパックを病室でやるでしょうか。毎日、マンガを読んでゲラゲラ笑うでしょうか。無愛想な担当医師を笑かすネタを毎朝考えるでしょうか。


現状認識不足も甚だしいとはこのことですが、私は、ただただ、おばあさんみたいになっていく自分の顔が悲しいからマッサージとパックをしたかっただけなのです。笑うと楽しいからマンガを読んでいただけなのです。とてもハンサムなのに全然笑わない担当医師を笑わせてやろうと闘志がみなぎってきただけなのです。


あのような深刻な状況にありながら、どうしてもシリアスになり切れないのは、私の天与の才能である「あほ力」が半端じゃないからです。どのような状況の中であれ「あほ力」がいかんなく発揮されるのは、神さまからいただいた才能だったからなのね。


アホが神の望みなのであれば、私は神さまの秘蔵子じゃーん。うれしいなあ。そうなのです、「生」は、本来深刻なものではありません。シリアスになってしまうのは、頭・思考のクセなのです。マインドの嗜癖なのです。


無駄な思考や思考過多になるとたいてい深刻病になり、人生が重たくなってしまうのです。深刻な顔をしたネコや犬やサルを見たことがあるでしょうか。リラックスの達人であるネコちゃんは、シリアス人のお師匠さんです。


自分が自分を生きていない感じがする人、人生が重たいエネルギーで暗雲たれこめている人、自分が何をやりたいんだかよくわからない人、人生が全然面白くない人は、自分の感性を取り戻すだけでいいのです。その人の個性や無邪気さや純粋さという「いのちの輝き」は、その人の感性が溢れ出しているところに存分に表現されているのです。


さて、この『アホは神の望み』は、小見出しを見ただけでも垂涎ものです。この小見出しを見て、よだれが垂れた人は、間違いなく豊かな「あほ力」を持った感性あふれる人だと思います。

・「でくのぼう」という愚かで深い生き方
・神の好きなものは「器の大きなバカ」「素直で正直なアホ」
・鈍くて大きな人がいちばん遠くまで行く
・神はバカ正直な人に微笑む
・枠にはまった優等生、みんなから褒められるようなお利口さんになるな。
・こざかしく小さくまとまるくらいなら、愚か者であるほうを選べ。それも常識をはみ出してしまうくらいの器の大きなバカになれ。
・インテリの悲観論よりアホの楽観論
・いい頭で、「できない理由ばかり」探していないか
・偉いひとほどいばらない
・根拠のない自信をもて
・科学はみずみずしい感性から生まれる
・理屈を超える「思い」の強さが成否を分ける
・腹を決め、天にまかせると楽天的になれる
・陽気であきらめない心が奇跡を生み出す
・愚か者こそ幸せ者
・「愚かであれ」こそ、神が授けた知恵


さて、「アホ力」を神さまからいただいた私が講師をつとめる第二期の京都カウンセラー&セラピスト養成講座が先週末に終了いたしました。8ケ月の航海を一緒にした旅仲間のみなさまお疲れ様、そして、ありがとう。


私がやるのですから、普通の、常識的な養成講座であるわけがないのは、受講したみなさんがいちばんよくおわかりです。特に最終講座は、「アウエアネス」(気づき・覚醒)よりすごい「アホヤネス」が炸裂して本当に楽しかったです。


受講生は、医師、ナース、カウンセラー、セラピスト、ヒーラーなどの援助職をすでにやっている方、経営者の方々、援助職の仕事を目指している方、自己探求を目的とされている方など様々でしたが、本当に面白い8ケ月の旅でした。主催してくれた「Bhumika」ちゃん、「Rebirthりえちゃん」「monjyu」さん、本当にありがとうございました。事前の準備をしてくださった「LOHASU」さん、「あんあん」さん、ありがとうございました。受講生の感想文は、私のコミュに主催の「Bhumikaちゃん」が掲載してくれました。


第3期は、9月から、名古屋と岐阜(関市)で開催されます。名古屋の主催者は、2期の京都講座を受講してくださった医師の「具現びと」さんです。関は、先日の関での2daysワークショップを主催してくださった「雅恵」さん(霊気師範)と「あんこう」さん(僧侶)です。関はすでに定員・キャンセル待ちです。名古屋はあと3名の枠があります。


第3期名古屋・関の養成講座のご案内と2期京都の受講生の感想文mixiコミュ
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=54243393&comment_count=16&comm_id=982903


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永遠とは、実は、今であることの神秘

WS000372.JPG最近、よくベランダに出て空を見上げる。たくさんの星々が夜空に瞬いている。なんてきれいな光なのだろう。私たちの毎日の夜の闇を照らしてくれている星たち。もうすでに物質としては存在していない遠い遠い“過去”の星たちが、光となって、私たちが“今”生きている世界を照らしてくれている。何十億年もかかって光が旅してきたその姿を今の私が見ている。


そして、この星の光は、明日の世界も照らし続けるのだ。過去の星の光が、現在も未来も照らし続ける光になる。光の世界では、過去も現在も未来も同じひとつの世界なのだ。


天体体望遠鏡でのぞけば、100億光年向こうの星の姿だって見られる。不思議だ。なぜ、100億年前の星の姿を、今の自分が見られるのだろう。100億年前なんて、地球は存在していないわけだし、ましてや自分なんか影も形もないはずなのに。


でもこの私のからだは、本当は100億年前のあの星のかけらからもできているのかもしれないし、あのプレアデス星団、アンドロメダ星雲、オリオンやシリウスやペガサスの星のかけらからだってできているかもしれないのだ。


私であるところのエネルギー、意識は、100億年前にもあったのかもしれないし。なんだかそう思うとワクワクする。100億年前の星を今の自分が見ているということは、本当は今しか存在していないということではないか。100億年前と今を同時に体験できる不思議。「永遠」とは実は「今」であることの神秘。時間は、流れているのではなく、積み重なっているのだろうか。幾層にも、幾層にも、今という瞬間(とき)が。


なぜ人は、時間のあるこの三次元の世界に肉体をもってはるばるやってくるのだろう。きっと、この三次元の世界の“体”を通して、一つひとつ順番に、その時には、そのことだけを体験するために時間があるのではないだろうか。文字通り、体とは、“体験”するための道具、ツールだ。


体があるということは、同時にふたつの体験はできない。違う場所には同時にいられないからだ。体があるからこそ、“今・ここ”での体験に集中し、そこから私たちはかけがえのないものを味わうことができ、大切なことにも気づける。時間は幻想であるというけれど、この肉体をもって、この星の「社会的時間」という制約の中で生きている私たちの「いま」を私は大事にしたいのだ。


時間は、体があるからこそ意味をもってくる。時間のある世界だから、順番に体験してきたことがすべて生かされ、その体験がその人の血となり肉となっていくのだろう。人生には無駄な体験なんて本当は何ひとつないから。


今、自分がとても幸せで、満たされていて、自由であることを謳歌している人のほとんどは、過去の時間の中で、相当の苦しみや嘆きや悲しみを体験してきている。私は、そんな「魂の暗夜」を懸命に生きてきた人がとてもいとしい。どれだけ一人で泣いてきたことだろう、どれだけ胸が引き裂かれるような痛みをこらえてきたことだろう・・・。そして、そんなときでさえ、どれだけ私たちは大いなる存在に見守られ、愛され、支えてもらってきただろう・・。


しかし、その魂の暗夜くぐり抜けてきた人たちはみな、歳月を経て、「あの体験があったからこそ、今の自分がいる」と異口同音に言う。時間のもつ意味、体という“体験の器”を持って生まれてきた意味は、苦を、生のもたらす“恵み”や“実り”へと変容させるためにあるのだろう。時間は、その時に眩い光、輝きとなってその人の人生を照らしだす。


この世、三次元の世界は、本当にパラドックス(矛盾、逆説的)だ。人はみな、幸せになりたいというけれど、不幸というものがどんなものがわからなかったら、何が幸せなのかはわからないわけだし、傷つけあい、憎しみあうことのつらさを全く知らずして、愛の喜び、愛の至福感を味わうことはできないのだから。自分が本当にほしいもの、体験したいことを味わうためには、その反対側のものを体験しなければ、それを、それとして認識できないというこの世のパラドックス。


同様に、人は人生に夢を見ることでワクワク生きられるわけだけれど、夢は叶ってしまったら、それはもう夢ではなくなるという、この世のもうひとつのパラドックス。手に入れてしまった夢は、もはや日常に、当たり前になってしまい、ワクワク感は次第に薄れていく。恋愛と同じだ。そして、人はまた次の夢、次の人を追いかける。永遠の夢の狩人。


夢というものが、現実への満たされぬ思いの補償行為として追いかけられるものである限り、人は一生満たされることはないのだと思う。エゴの欲望には切りがないからだ。もっともっとと追いかけてみても、決して満たされる地点には辿りつけないのがエゴの欲望のカラクリだから。


幸せというものが、何かを得ること、勝ち取ること、達成すること、自分のものにすることで得られる満足感であると考えている限り、今度は得たものを失う恐怖と共に生きていくことになるから決して心の平安は生まれないのだ。幸せの源泉を外に求めている限り、その求めている対象そのものに依存してしまうので、結果としてその対象に支配されてしまうことになるからだ。


でも、もし人が、自分が生きているのではなく、生かされているのだということが腹の奥底で本当にわかり、自分の中にすでにある豊かさを感じ、すでに手に入れているものがたくさんあることに気づき、今自分に関わってくれている人がどれだけの優しさや愛を自分にくれているのかに感謝し、日々の暮らしの中のささやかな出来事に幸せを感じ、平凡な日常が本当は奇跡のようなことであることを悟り、この世界の美しさに感動する感性を持っていたとしたら、現在も未来も自動的に幸福になるように思う。未来はいつだって今の写し絵だから。


そして、もし自分の見る夢がエゴを超えて、人と分かち合える喜びや幸福であったり、社会の豊かさや進化にとって必要なものであれば、宇宙はちゃんとその夢を叶えてくれるのだと思う。


そして、そういう夢はみんなのいのちが吹き込まれてどんどん大きくなっていくような気がする。宇宙、神が自分に望んでいることを実現すること、それを生きることが、幸福な人生への道なのだろう。感性を研ぎ澄ましていれば、その声は感じる。聴こえてくる。私たちは、いつも、呼ばれているし、導かれているのだ。彼方からの声に。


人が求めてやまない幸せというものが、“今・この瞬間”にしかないのだということが本当にわかれば、それを感じている時間が、宝物のような時間になる。その時人は、指の隙間から幸せがこぼれ落ちてしまわないように、そのかけがえのない体験を抱きしめることができる。時間とは、あらゆる体験の“尊い一瞬”を味わい尽くし、楽しみ、抱きしめるためにあるのかもしれない。


PS:大分に行ってきました。マイミクの「sarisariちゃん」こと、温水晶子ちゃんが、大分で私の講演会と1dayワークショップを主催してくださったからです。Sarisariちゃんは、整体士、ボデイワーカーでしたが、広島でのカウンセラー&セラピスト養成講座に大分から毎月、8ケ月間通ってくれました。今では心とからだのケアをするボディサイコセラピストとして大分で活躍されています。


講演会やワークショップの主催など初めてであるにもかかわらず、100人近くの人を講演会に集めてくださり、ワークショップも定員オーバーになりました。ご本人は、半年前に「あけみちゃん、友達と親戚に声かけたら、30人くらいは、人が呼べると思うから、大分に来てくれる?」と言っていたのに、なんと蓋をあけてみたら100人の会場がほぼ満席。親しくしているマイミクさんたちが協力してくれたおかげだそうです。


私も懐かしい人たちにも会えたし、初めての出会いもたくさんあってとても楽しかったです。ワークショップもとても1dayとは思えないような深さまでいくことができたのは、いらしてくださった方々の生きることへの真摯さと、人生を深く生きてきた人の香り立つような存在の深さでした。


Sarisariちゃん、協力してくださったみなさん、講演会やワークショップに来てくださったみなさん、本当にありがとうございました。体験を共有できることのかけがえのなさは言葉にはなかなかできません。出会えてとてもうれしかったです。


しかし、大分はやはり雨でした。空港までお迎えに来てくれたsarisariちゃんが、笑いながら「あけみちゃんが大分に来る日に梅雨入り宣言!。ハハハ」。そんでもってワークショップの朝は豪雨でした。

「sarisari」ちゃんのmixiの日記
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1514266128&owner_id=21407761&comment_count=28


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からだこそスピリチュアルなんだ

WS000324.JPG岡山で私のワークショップを主催してくれている「monju」さんことモンちゃんが最近書いた日記にハートを直撃する言葉がいくつかあった。それは、モンちゃん自身がまさに深く胸に響いた言葉であったからこそ日記に書いたわけだが、改めて日記で読むと実に深い言葉だなあと思う。

モンちゃんは、現代医療では治療法のない病を抱えている。6年前に入院したとき、パートナーの「Bhumika」ことブミちゃんは、医師に「退院することはもうないでしょう」と言われたのだ。つまり死の宣告である。


それなのにモンちゃんは、何度も何度も奇跡を起こし、不死鳥のように死の淵から蘇ってくるのだ。驚くべき生命力だ。時にはからだの痛みのために横になって寝ることもできず、座りながら寝るという日も続くことがある。


それでも不思議なことに私と一緒に仕事をすると元気になるようで、いつもコラボワークの後の1週間はデータの数値がよくなるのだという。いま京都でやっているカウンセラー&セラピスト養成講座でもモンちゃんは私のサポートをしてくれているのだが、たぶん受講生の誰ひとりとして、モンちゃんが前日まで声も出ず、からだも動かせないような状態にあったなんて信じられないだろう。


だって、講座の2日間のモンちゃんのパワー、ユーモア、切れ味鋭いワーク、深く、温かく、英知にあふれた発言の数々にみんないつも感動しているし、ほんとうにモンちゃんが重病人だとは誰も思えないのだ。みんなにミラクル男とばれているモンちゃんである。


モンちゃんは長く続いてきた禅寺の息子として生まれるが、寺は継がず、カウンセラー、セラピストの道を歩んできた。モンちゃんは、OSHOの本の翻訳家でもあるし、オーラソ-マのテキストの翻訳もしているし、生化学の知識や代替医療の知識も半端じゃない。


「みんなからだは物質なんて簡単に言うけど、からだこそ最もスピリチュアルなんだ。からだは、宇宙の叡智そのものなのだから」といつも言っている。道を究めるという意味では、この人もまた極道である。そう、なぜか最近、私の周りは極道だらけなのである。


以下は「monju」さんことモンちゃんのmixiの日記から


2008年の9月のこと……個人セッションのために岡山の heart of life に滞在中のあけみちゃんから、僕の身体症状を扱うセッションをやっていただいたことがあります……そのときのテーマは僕の病気である染色体欠損そのものとの関係でした……。

染色体20番の不具合
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=851175839&owner_id=64170


からだを構成するための基礎設計図に欠陥があるため、からだがうまく働かなくなってしまっている現状に対して、新しい関係が築けるかどうなのか。


セッションの導入部で、イマジネーションの快適な部屋を思い浮かべ、その一角にあるドアから何かが入ってくる……今回のセッションでは、その何かは「欠けているもの」「欠けていること」を暗示する何かということでした……


プロセスが進んでいったとき、まったく思いがけないことに、突然、そのドアから、でかい「虹色のカブトムシ」が飛び込んできました。普通のカブトムシではなくて、等身大の大きさで、立って歩いて入ってくるのです。その背中は虹色の光沢を放って、ほんとうにキラキラと奇麗だったのです……。

ただし、「そのカブトムシから何かメッセージが聴こえるかな?」とあけみちゃんにうながされても、何にも聴こえてこない。ただ、ただ、圧倒的な臨在感のある虹色のカブトムシがいるだけでした……。


カブトムシについての連想は幾らでも広げることができるのだけれど、このときばかりは、不用意に掻き回さず、ただ、それをそこに寝かせておいて、醗酵するにまかせることが一番だという気がしたので、調べまわることもなく、そのうちいつかタイミングが熟せば、自ずと明らかになってくるだろうと思って放っておくことにました……。あけみちゃんも同じ意見でした。


そしてそれから1年と約9ヶ月を経た、つい先日の5月上旬、浅草で行われたミーティングの席上のことでした。この浅草ミーティングには色々な業種のひとたちが7名ほど集まっていたのだけれど、その中のひとり小島直人さんは、昨年出版したあけみちゃんの『私に帰る旅』を編集した腕利きの角川学芸出版の編集者。


この春から単行本の編集長に就任したやり手です。なにしろ、当時はまったく無名に近かったあけみちゃんの本の出版を上司にかけあって説得、4000部刷り上げた実績がある(すでに3600部以上が売れており、残りはあと400冊。初版が売り切れた時点で、すでに用意してある続編が出版される運びとなるそうですので、もうあと少し)


しかも小島直人さんがこれまで手がけて来た編集本を振り返ってみると、ハコミセラピー三部作、ケンウィルバー関係、シュタイナー関係など、かなり興味津々である領域を斜め横断してきているし。


ところがです、あけみちゃんによると、小島直人さんにはマニアックなほどの収集癖があるというのです、なんでもマンションの一角を借りて、あるものをかこっているとかで、そのあるものというのがなんと「カブトムシ!」


小島直人さんは、こよなくカブトムシを愛するコレクターだったのです。しかも、本人もまたいつも黒づくめで「体型などからしてもカブトムシっぽいよ」とあけみちゃん。確かにミーティングで初めてお目にかかった直人さん、厚手の黒ジャンぽい服を着ていて、なんだかカブトムシっぽい。


お酒を飲みながら、色々と話しが弾んでゆくなか、ある時点に差し掛かったときのことでした。あけみちゃんが直人さんに仕掛けました。


「直人さ、もんちゃんのワークを前にやったとき、虹色のカブトムシが出てきたんだけどさ、直人って、存在そのものがカブトムシっぽいじゃない。だから、もしかしたら直人を通して、なにか手がかりが得られるかもしれないから、まず、黒いカブトムシに成り切ってみて、どんな感じがするか言ってみてくれる?」


「…………なんだか遠慮している感じ、抑えてる感じ、、、かな」


「じゃあさ、こんどはイメージのなかで虹色のカブトムシに変身してみてよ、どんな感じになる?」


「……あぁ、ずいぶんと違うなぁ。まず “なんにもしていないけれど自信がある”、 そして“止っているのに早い”……」


胸を開き、両手をVサイン状にしてカブトムシの手を表わしながら直人さんがそうつぶやきます。


■ なんにもしてないけれど自信がある
■ 止っているのに早い


テーブルの反対側からこのショートセッションを眺めていたのですが、直人さんの口からこぼれ出た、このふたつのことばが矢のように僕の深いところに飛び込んできたのでした……。


翌々日の日記


春のなかをゆく修羅


先週、東京・鎌倉方面への旅を終え、岡山に帰る道中、名古屋で下車して、再び、樋田耳鼻咽喉科を訪れました……樋田先生の2度目の診察を受けるためです。


(樋田先生を僕に紹介してくれたのはあけみちゃんです。あけみちゃんも病気が再発しているときお世話になった先生だそうで、とても信頼している先生だそうです)


前回の受診の後、樋田先生から連絡があり、ぼくが先生に渡しておいた病状履歴を読まれ、もう一度、来て欲しいと言われていたので、何か病院やクリニックとの付き合いの上で生じた特定のストレスに関して詳しいリーディングでもあるのかと想定していたのですが、ちがいました。


特定の何かについてのストレス反応ということではなく、そうした病歴一覧のような情報そのものが、ぼくのエネルギー的な反応をダウンさせ、ストレス反応を生じさせているということがポイントだったのです……つまり、そのように過去を振り返り、特定の原因を見つけ出そうとするアプローチそのものが生体エネルギーをダウンさせる要因になっているということです。


それからしばらくは樋田先生の健康感・疾病感についてのお話が、、。


■健康と病気のふたつにいのちを分けること自体が誤り……病というなら病に罹っていない人、悩んでいない人なんてひとりもいないわけだし、健康というなら今の症状もまた健康の一環であり、一種の健康回復運動にすぎないですからね。症状を病と言わずに、健康回復運動と呼びましょう。


■あなたの「生きたい!」とあなたのまわりをいつも取り巻いている「あなたを生かせよう!」とする力が出会うところに今があるんです。


■色んな病名があります……例えば染色体欠損とか重症筋無力症、そういう病名は誰が決めたの? そんな客観的な冷たいことばにすり寄ってエネルギーを落としちゃいけない!、、、、大切なのはあなたのいのちの実感、そのいのちの実感が生き生きと感じる方向へ動くこと、、、、


■あなたのからだの芯は、こうしたことがよくわかっていると答えています……ただ、8、9年ほど前にあったある出来事とその頃決断したことに何かもつれが残っているようなので、それが現在の痛みに反映されているようです。それについてはご自分でわかってらっしゃることなので、ここではもうこれ以上はサーチしません……その理解と調整が第一で、もう鍼もお灸もやらなくてもいいみたいですね。 
 

「病と健康を分けることが間違い」
「“生きたい”と“生かせたい”とが出会うところに今がある」
「客観的な判断にすり寄ってはいけない、今のいのちの実感を第一に」


これらのことばもまた、先日紹介した“虹色カブトムシ”のメッセージと同じように、深く深くからだの奥の方にしみ込んできたのでた……。


とりわけ「“生きたい”と“生かせたい”とが出会うところに今がある……」ということばはなんだか決定的でした……昨年秋の緊急手術やそれに続く合併症との闘い、また、痛みとの闘いのなかでも、うっすらと感じていたものが、樋田先生のことばではっきりとしてきたというか、、。


宮沢賢治の『春と修羅』ということばが思わず脳裏に浮かんできます……。


痛烈な痛みとともに修羅を生きつつも、それでもどこかでいつもまわりを取り巻いてくれている暖かくおぼろな光の気配、、、、、生かせようと働いてくる力にかなり敏感になってきているので、なおさらです……


この樋田先生の「ことば」は、どんな薬よりも強烈で、どこかで欠落し、結ばれ切れていなかった回路を復活させたようです……


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プロフィール

岡部 明美岡部 明美

ワークショップ・トレーナー/セラピスト/カウンセラー/研修講師/文筆家/東海ホリスティック医学振興会顧問。

独身時代は、シンクタンクにてマーケティングプロデューサーとして活躍。30代半ばで結婚。長男出産直後に脳腫瘍と水頭症を発病し生死を彷徨う。自分の死に直面するという体験を通して、いのちの根源からの問いの答を求めて自己探求の道に歩みだす。著書に「もどっておいで私の元気!」(善文社)「私に帰る旅」(角川学芸出版)

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