岡部明美のスピリチュアルな旅で出会った”もの・人・場・言葉たち”

2010年08月

仏陀とキリスト

WS000675.JPGこんなタイトルの日記だと、なんだか私がとてもためになるような、徳の高い話でも書いているのではないかと思われた方もいるかもしれませんが、そんなことはあるはずもなく。なんせ私はメインストリートより路地裏の方が好きな人間です。美しく光り輝く聖人や素晴らしい人格者や雲上人に思われている人の「人間くさい部分」や「フツーの人の部分」がこよなく好きなの、私は。

よくね、憧れ、尊敬し、崇拝していた人のそういう部分を見ると「なんだ、自分とおんなじただの人間か」って、ガッカリしたり、幻滅したりする人がいるけれど、私は、逆。とても親近感が湧いて、もっと好きになる。魅力っていうのは、落差、ギャップだって私は思うから。


意識の境地がどれほど高い人だって、人間は、人間でしょう。ライトワーカーが花柄やレース模様のうんちしているわけでもないんだし、覚者がおならやゲップやHをしないわけでもないんだから。この人はすごい、素晴らしいと思えば思うほど勝手にその人を理想化し、完璧性を求めてしまうのですよね、人は。で、勝手に失望したり、幻滅したり。「人間に完璧性を求めるのは理性の迷い、幻想です」って感性論哲学の思風先生が教えてくれたっけな。


私の知っている覚者や素晴らしい先生として憧れられている人たちも、女房や恋人、パートナーは、ぶんぶん文句言っているし、愚痴こぼしているもの。そういうの聞くのもけっこう面白いけどね。そりゃあ、毎日一緒に暮らしている人や親密な関係にある人からすれば、「ムカー」っとくるとこや、「やってられないわ」って思うことだってあるでしょうからね。


お釈迦さんだって、女房や息子からしてみたら、ある日突然、自分たちを置いて勝手に家(城)を出て行ったわけだしね。悟りを開いたからといって突然帰ってきたって、「ジョーダンじゃないわよ、勝手なことして。あなたが出て行ったあと、私や子供はどんな思いで生きてきたと思ってるのよ」って、女房は怒ったんじゃないかしら。息子だって、自分を捨てて出ていった父親を恨んでいたかも知れないしね。


肉体を離れた聖人は、どんどんどんどん神格化されて、人間でなくなるけど、その時代にそばにいた人はいろいろ感じることも多々あったのではないでしょうか。お釈迦さんも、シッダールタ王子の時は、城の中でこの世の贅沢を全部味わい尽くしたような暮らしをしていたわけだし。この世の欲望をすべて満足させ、酒池肉林を堪能したゾルバのような生活、人生だったのでしょう、かつての王子様は。


だからこそ、欲望をどれほど追いかけ、満たしても、欲望を満足させて得られる幸福感、満足感はほんの一瞬、束の間、すべては必ず過ぎ去ることを誰よりもわかっていたのでしょう。王がどれほど「シッダルター王子には、病と死を見せてはいけない」と従者に隠し続けさせたって、城の外に出てみたら、人間の世界の現実―生老病死と煩悩に悶え苦しむ衆生がいたわけで。だからこそシッダールタ王子の永遠不変の真理探求が始まったわけですから。


この世の「快楽」と「苦行」という二極をとことん味わったからこそ、中庸の大切さを説いたのでしょう。両方を体験したからこそなわけで。禅が言う、「我、ただ、足るを知る」が、どれほど深い真実であるかを知るのは、求めても求めてもなお満たされぬ己を知った時だったりするのでしょう、人は。


私が人の魅力はギャップ、落差にあると感じるのはきっと「清濁併せのむ」っていうのが好きだからなのかもしれない。以前私はこの仕事をする上でお世話になった先生に「私は、神さまとご飯とうんことsexのことを同じ目線で語れるセラピストになりたいです」と言ったのも、きっと根っこの発想は同じですね。だって全部同じくらい大切なことではないですか。生と性と聖はひとつだって思っていますから。


私は、光も好きだけど、闇が黒光りして輝き始める「いのちの底力」もこよなく愛しています。精神世界の好きな人は、光の世界、美しく、清らかで、純粋な聖なる世界が大好きで、自分の闇、人間の闇を毛嫌いしている人が少なくないけれど、闇の中には確かに魔物も住んでいるけれど、宝物もまた同時にあるものです。闇が「気づき」と「愛と感謝の光」に照らされ、黒々とした輝きを放ちはじめる瞬間というのは、それはそれはすごいものです。


夜空に煌めく星たちも、あの漆黒の宇宙の闇に支えられ、深い沈黙の闇に包容されているわけだし。夜空の星があんなに美しいのは、コントラストとしての深い闇があるからだものね。いくら夜空の星が美しくても、星の光だけだったら、寝られないぞ。


★禅が唯一知っていることは、一切の矛盾を深い調和の内に包含する広大な生だけだ。夜は昼と調和し、生は死と調和し、大地は空と調和し、存在は不在と調和する。この途方もない調和、この和合こそが禅の本質だ。これこそが、何も否定せず、何も非難せず、ただ愛し、尊ぶ唯一の生き方だ。(OSHO)


なんて前置きが長くなりましたが、なんてことはない、「このマンガ面白かったよー」って言いたかっただけなんである。でも、なんつったって、主人公が、あの仏陀とイエス・キリストなので、ちょっともったいぶっちゃったわけです。(陰の声:わかるけど、前置き長過ぎ。はい、すんません)


私の周りではいまちょっとしたブームですし、かなり売れているマンガみたいですから、もう読んだ人も多いかもね。そう「聖☆おにいさん」です。マイミクの「あべ」ちゃんが面白いよとコメントに書いてあるのを見て、本屋に買いに行きました。


「ひじりお兄さん、ください」「ハっ?もしかして、セイントお兄さんのことですか?」「えーっ、ひじりじゃなくて、セイントって読むんですかあ」。そうなんです、大学がお茶の水にあって、聖橋(ひじりばし)に慣れていたものですから、自動的に私は、聖をひじりと読んじゃったのです。


仏陀は、すでにマンガ「愛のシッタカブッダ」でベストセラーになっていますから、仏陀の大衆化は土壌がありますからいいんですが、イエス・キリストを笑いの土壌にもってくるというのはけっこう勇気がいることでしょう。でもこのマンガでイエス・キリストに一気に親近感もった方もいるのではないでしょうか。宗教を超えて、真理、真実の教えに触れたい人が増えている時代なので
間口が広がっているのはきっとよいことなのでしょう。


「聖☆おにいさん」では、仏陀とイエス・キリストが天上界から下界にバカンスにきて、東京・立川のアパート「松田ハイツ」で下宿生活をはじめるところから始まります。この設定自体が楽しいではありませんか。で、仏陀はパンチパーマのお兄さんみたいな髪型で、デブなので、ダイエットに熱心です。内心、後世の芸術家が自分を下膨れの顔、肥満体形に描いたり、太った仏像を彫ったりしたことに不平・不満をもっています。


「聖☆おにいさん」の中の仏陀の愛読書が、手塚治の「ブッダ」ってとこが笑えます。そういえば、うちの息子の小学校時代の愛読書は、手塚治の「ブッダ」と「火の鳥」でした。全巻集めて何度も読んでいましたねえ。何が彼をそんなに夢中にさせたのかはいまだ謎ですが。


「聖☆おにいさん」の中での、ブッダとイエスとの共同生活では、お掃除やお料理はもっぱら仏陀の担当です。イエスはパソコンでブログばっかりやっていてあまり家事をしません。仏陀が風邪をひいた時は、料理ができないイエスは冷蔵庫に入っているレトルトの「乳粥」ですませようとします。この「乳粥」というのが笑えますね。スジャータ、スジャータ。余計なお世話ですが、私が作者だったら、「サット・チット・アーナンダ」というインコを3羽飼っているという設定にしますね。


イエスはロン毛で、ネット好き。イエスは、Mixiもやっていて、足跡によく「ユダさん」がついていることが不安です。「ユダさん」にマイミク申請されたらどうしようと思っています。仏陀もそれについては心配しています。イエスはマニアックなところがあり、パンツは冷蔵庫で冷やしたものでなければはきません。生温かいパンツが嫌いなのです。ミラクル男のイエスに仏陀は言います。「ねえ、イエス、この水、ぶどう酒に変えてよ」って。


仏陀とイエスは、松田ハイツの近くのハッスル商店街でよくお買い物をするのですが、イケメン風なイエスは、歩いているだけで、女子高生から、「きゃあ、あの人、超ジョニー・ディップに似てるう」って騒がれます。さて、イエスは、どうやって生活費を稼ごうかいろいろ考え、リクルートのCMに出るのはどうだろうと考えます。キャッチコピーは、「30歳で、大工から救世主に転職した男!」、転職を天職に結び付けるところを狙ったりします。でも、この企画は妄想に終わります。


それでも、どこかの会社に就職しようと履歴書を書きます。名前は、「聖・イエス」、聖には、セイとルビがふってあります。「セイ・イエス」って、それじゃあ、チャゲ&飛鳥の歌みたいじゃないのサ。さて、貧乏な二人は、ある日、ハッスル商店街のお祭りで、一位のお米券を狙って、お笑いコンビとしてデビューします。コンビ名は「パンチとロン毛」です。けっこういい味を出しますが、メジャーデビューするところまではいけません。


二人の極貧ぶりを心配した仏陀の10大弟子の一人、アーナンダが天界からやってきます。二人が買い物したもので天界の経費で落とせるものがないかどうかいろいろと考えてくれます。さすが、仏陀に25年もお仕えした愛弟子ですね。仏陀への献身ぶりが相変わらずすごいのです。


仏陀は、相変わらずの美男子アーナンダを見て、弟子たちの修業時代を思い出します。教団の婦女子がみんなアーナンダに夢中になり、悟りを目指しているはずのサンガたちが、俗世間のメロドラマさながらに煩悩丸出しで、イケメンアーナンダの追っかけをしていることに胸を痛めていたことを仏陀は思い出すのです。悟りに至る三宝(師・教え・サンガ(修業仲間))も、サンガの質によっては俗世での修行と変わらぬようで、男女の色欲がやはり最大の修業であることはどこにいようが変わらぬもののようです。


アーナンダは、仏陀が寝息も立てずに静かに昼寝しているだけで、仏陀が死んだのではないかと焦りまくります。で、仏陀に「あなたは、まだ私のニルヴァーナ・トラウマがあるのですか。悟ったのではないのですか」と叱られてしょげるとこなぞとてもかわゆいです。アーナンダが悟ったのは、仏陀の入滅後でしたね。アーメン、ラーメン、ソーメン、南無阿弥陀仏・・・。


イエスは、「21世紀の地球は、覚醒の時代だから、再びボクたちのモテ期がやってきたね」とブッダに言います。ブッダも同意します。確かにモテ期みたいですね。私は仏教徒でもキリスト教徒でもないのだけれど、仏陀もキリストも好きです。人間の意識というものが、あのレベルにまで至れる可能性を潜在的には誰もが持っているという人間の素晴らしさに胸を打たれるから。


「聖☆おにいさん」は、その教えを説いたものではないけれど、神格化されて雲上人になり過ぎたお二人の人間くさい部分を描いてくれたとこがおもしろかったです。私は、結局、「人間味」という「味」が好きなんだなあ。「聖☆おにいさん」5巻とも読んじゃいました。しかし、暇だね、私も。


岡部明美公式ホームページ  http://anatase.net/


9月18日(土)~20日(月・祝日)
神奈川・三浦半島3daysワークショップ(定員・キャンセル待ち)
主催「まゆ亭くにおさん夫妻」
http://mixi.jp/view_event.pl?id=53799447&comm_id=982903


10月2日(土)~3日  岩手2daysワークショップ
主催:「かりん」ちゃんと「ココロ」さん
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1520748939&owner_id=9488290&comment_count=15


あなたの大好きだった歌

WS000651.JPG21日は、父の79歳の誕生日でした。2週間ほど前に父の入居している老人ホームに行った時に、スタッフの人から、「お父様の誕生日に何かお父様が喜びそうなことをしてあげたいのですが、何かいい企画はありません?」と聞かれました。

その時、以前私がコクーンのゆりちゃんに「うちのお父さんは、ゆりの歌が大好きなのに、もう歩けないからコクーンのコンサートには二度と行けないんだなあ」って言った時、ゆりちゃんは、「何言ってるの! お父さんのためだったら私がホームに行って歌うよ。そのときは、お父さんの好きな歌を何でも歌うから!」と、言ってくれたのを思い出し、ゆりちゃんに電話して頼んでみました。


するとゆりちゃんは快くOKしてくれて、「じゃあ、コクーンの歌を数曲と、あとは、あけみのお父さんが好きな歌うたうから曲名おしえて」と言いました。父は歌が大好きな人で、しょっちゅう家でうたっていましたから、父の十八番は全部わかっています。耳にたこができるくらい聴いていたので、これらの歌は私も全部歌えます。


三橋美智也の「古城」、春日八郎の「別れの1本杉」、井沢八郎の「ああ、上野駅」、並木路子の「リンゴの歌」、マヒナスターズの「北上夜曲」、「ゴンドラの歌」・・。ゴンドラの歌は、黒沢明監督の名画「生きる」で、志村 喬さんが公園のブランコに乗っているラストシーンで流れた曲ですが、あのシーンは鮮烈でした。


父の大好きな曲の多くは、昭和30年代から40年代の曲で、私の子供の頃に流行っていた曲ばかりです。日本が高度成長期に突入していく時期で、今振り返ると、日本という国の青春期だったんだなと思います。みんなが未来に夢をもっていました。物質的に、経済的に豊かになれば幸せになれるのだとみんなが信じて頑張って働いた時代です。まさに日本人がみんなで希望に向かって走り始めた頃でした。これらの曲を私は、「ロッテ歌のアルバム」なんかでよく聴いていました。


ゆりちゃんは高校時代から我が家に何度も泊まりに来て、父の歌なんかも一緒に聴いていました。うちの両親はコクーンコンサートには何回か行っています。まさか娘の高校時代の友人がプロとしてデビューするなんて思ってもいなかったみたいで、ゆりちゃんが歌っているのを泣きながら、目を細めながら見て、とても喜んでいました。


父の誕生日にゆりちゃんが歌をうたってくれるなんて最高のバースデイ・プレゼントだと思ったけれど、はたして認知症の父がゆりちゃんをすぐわかるだろうか、コクーンの歌も忘れていないだろうか、何より自分の大好きだった歌を覚えているのだろうかと、私は少し心配でした。


ゆりちゃんは、父の好きな曲をユーチュ-ブで何度も聴いて、歌詞も覚え、ギターで何日も練習してくれたそうです。コクーンの曲で、私がゆりちゃんにリクエストしたのは「お父さんの子守唄」「チャンス」「待っていてね」「祝福の歌」「永遠の絆」です。父の好きな歌とコクーンの歌と合わせて1時間15分のコンサート。


父はゆりちゃんを見た瞬間、無表情だったので、ああ、やっぱり忘れたのかなと思いました。最近は喜怒哀楽の感情を殆ど顔に表さない父です。ところが、ゆりちゃんが、「おじさん、高校時代、私が泊まりに行った時に、私がその時すごく悩んでいたことをおじさんに相談したら、おじさんさんは的確なアドバイスをくれて、私はあの時とても助かりました。おじさん、あの時は本当にありがとう」と言った瞬間に、父はポロポロと涙を流し、笑顔になったのです。あ、思い出したんだと思いました。


父と共に、ホームに入居している約30名くらいのおじいちゃん、おばあちゃんがコンサートホールに集まってくれていました。ほとんどの方が車椅子でした。コンサートが始まり、1曲目はコクーンの「お父さんの子守唄」。セリフのところで父は顔をクシャクシャにして泣きだしました。2曲目の「チャンス」3曲目の「待っていてね」も何か感情が動いているのがわかりました。4曲目からは父の大好きだった曲です。


「お父さん、あなたの大好きだった歌を覚えていますか?」


私は、こんな気持ちで、父がどんな反応をするかを見守りました。驚きました。父がどの曲でもからだをふるわせて泣いているのです。ゆりちゃんが、「ああ、上野駅」を歌った後に父に声をかけました。


「おじさん、故郷を離れ、最初に上野駅に着いた時にどんな気持ちだったでしょう。故郷にはもう戻るまい。家族のために、会社のためにと、どれほどがんばって東京で働いてきたことでしょう。おじさんは、故郷が大好きでしたよね」。故郷・釜石をこよなく愛していた父は号泣です。肩を震わせて、涙をぬぐおうともしませんでした。それを見ていた母も弟も目を真っ赤にしていました。


並木路子の「リンゴの歌」では、みんなが手拍子を打ち、一緒に歌っていました。日本が、敗戦の痛手から立ち上がって生きなければならなかった当時、この歌がどれだけの人たちを励ました歌だったのかが手に取るようにわかりました。

コクーンの代表曲「永遠の絆」では、語りのところでゆりちゃんは私にマイクを渡しました。私は父に言いました「お父さん、お誕生日おめでとう。お父さん、生まれてくれてありがとう。生きててくれてありがとう。私、お父さんの子供に生まれてよかったよ」と。


前にてれくさいながらも言った言葉でしたが、永遠の絆の歌の中で伝えたものですから私もこみあげてくるものがあって声がふるえました。父はその場で泣き崩れそうになりました。父だけでなく、その場にいたおじいちゃん、おばあちゃんもみんな涙を浮かべていました。ゆりちゃんが、その場にいたおじいちゃん、おばああちゃんの手を一人一人握りながら、目を見て、「生まれてくれてありがとう、生きててくれてありがとう」と言いました。みなさんが顔をほころばせて喜んでいるのがすごく伝わってきました。


もうあとどのくらい生きるかわからない父ですが、人生の締めくくりに、妻や子供たちから、夫でいてくれてありがとう、お父さんの子供に生まれてよかったよと言われたら、その人生がどれほど苦渋に満ちたものであったとしても、生まれてよかった、生きててよかった、この人生でよかったと思って、もうひとつの世界に還れるのではないでしょうか。


親子や夫婦はこの世で最も愛を学ぶための出会いですから、一筋縄ではいかない相手であることが多いものです。簡単な相手だったら、愛は学べませんから。忍耐すること、許すことという、愛の最大の学びに最適な親だったり、パートナーだったりすることが多いものです。母もこの年になって、やっと夫に対する感謝の気持ちを述べるようになりました。


ゆりちゃんのお陰で、父の79歳のお誕生日は最高の1日になりました。私はゆりちゃんにお礼と共にこう言いました。「ゆりさあ、こういうのもっとやっていったらどうだろう。人生の最後の季節を生きている親にその人の大好きだった歌を、その人のために、その家族のためにゆりが歌ってあげるって、すごくいいと思うよ。最高のアニバーサリーになると思う」と。


そうしたら、ゆりちゃんは、「うん、おじさんにあんなに喜んでもらえて私もすごくうれしかったよ。おじさんに喜怒哀楽の感情がほとんどなくなっていたなんて信じられない。おじさんの涙と笑顔を見て、歌の力ってすごいんだって改めて思ったよ。必要としてくれる人がいたら歌いに行こうかなあ」と言っていた。


コクーンのゆりちゃん
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=2694409


PS:夏休みを1ケ月半とろうと今年のはじめに決めた私は、この夏休み、仕事はせずにゴロン、ゴロンと、ゆるゆると、過ごしております。(夫からは、お前はいつだって、毎日が夏休みだろうが、と含蓄のあるお言葉をいただきましたが)。


昨日までは、マイミクの桐ちゃん(この「SQライフ」のサイトを運営している(株)デジパの社長)が房総半島の千倉に作ったリトリートで仲間たちと遊んできました。最高に楽しかった。とってものんびりできて、心地よかったなあ。「今度は稲刈りにおいで」と言われました。自給自足の生活を楽しんでいるIT会社の社長さんはとてもしあわせそうでした。桐ちゃんは、将来はエコビレッジを千倉に作るそうです。


桐ちゃん
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1538899002&owner_id=1282408#write


<お知らせ>

岡部明美公式ホームページ  http://anatase.net/

9月18日(土)~20日(月・祝日)神奈川・三浦半島3daysワークショップ(定員・キャンセル待ち)
主催「まゆ亭くにおさん夫妻」
http://mixi.jp/view_event.pl?id=53799447&comm_id=982903


10月2日(土)~3日  岩手2daysワークショップ
主催:「かりん」ちゃんと「ココロ」さん
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1520748939&owner_id=9488290&comment_count=15


私のさみしさ

WS000628.JPG
マイミクの「ディル」ちゃんが、前々回のコラム「宇宙的あまのじゃく」を読んだら、詩のような言葉があふれてきて、初日記が書けたそうです。下記がそれです。


      「宇宙的さみしさ」

今日は、とってもいい天気。
外は、太陽がさんさんと照っている。
なのに、私の心は曇り空。

感じるこの「さみしさ」は、何だろう。
この離れないさみしさは、もしかして、
誰かの、たった一言で、
晴れる さみしさなのかもしれない。

たった一言、あの人からの「ありがとう」。
・・・これに、
世界の全てをかけるくらいの さみしさを
持ってる 私は、もしかしたら、
”あほ” なのかもしれない。

でも この「さみしさ」に、「宇宙的さみしさ」と 名付けてみた。
そしたら、不思議、ちょっとだけ、
自分が、おかしくせつなく見えてきて、
「さみしさ」が、少し はがれ落ちた気がした。

そして、はがれ落ちた さみしさ を、
そっと 抱きしめてあげる。


「ディルちゃん」は、この詩を書いたあと、『私に帰る旅』の第3章「心の深いところにあるブラックホール」(P112)に私が引用して書いた『出家とその弟子』(倉田百三著・新潮文庫)の親鸞と弟子の唯円との会話を思い出して再読したのだそうです。そしたら自分のさみしさが少し穏やかになったのだそうです。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

『私に帰る旅』(角川学芸出版・岡部明美著)第3章より抜粋


唯円「お師匠様、私は淋しくて淋しくてしかたがありません。あまりの淋しさにひとりでに涙が出てきます。私は、自分の心がわかりません。私は、淋しくてもいいのでしょうか」

親鸞「淋しいのが本当だよ。淋しい時には淋しがるより仕方がないのだ」

唯円「今に淋しくなくなりましょうか」

親鸞「どうだかね。もっと淋しくなるかもしれないね。今はぼんやり淋しいのが、後には餓えるように淋しくなるかもしれない」

唯円「あなたは淋しくありませんか」

親鸞「私も淋しいのだよ。私は一生淋しいだろうと思っている。もっとも今の私の淋しさはお前の淋しさとは違うがね」

唯円「どのように違いますか」

親鸞「(憐れむように唯円を見る)お前の淋しさは対象によって癒される淋しさだが、私の淋しさはもう何物でも癒されない淋しさだ。人間の運命としての淋しさなのだ。それはお前が人生を経験して行かなくてはわからないことだ。お前の今の淋しさは段々形が定まって、中心に集中してくるよ。その淋しさを凌いでから本当の淋しさがくるのだ、今の私のような淋しさが。しかしこの様な事は話したのでは分かるものではない」

唯円「では私はどうすればいいでしょうか」

親鸞「淋しい時は淋しがるがいい。運命がお前を育てているのだよ。只何事も一筋の心で真面目にやれ。ひねくれたり、ごまかしたり、自分を欺いたりしないで自分の心の願いに忠実に従え。それだけ心得ていればよいのだ。何が自分の心の願いかということも、すぐには解るものではない。様々な迷いを自分で作り出すからな。しかし、真面目でありさえすれば、それを見出す智慧が次第に磨き出されるものだ」


対象によって癒されない淋しさ・・・。この言葉が私の胸を深く突き刺した。思えば私はずっと自分の淋しさを埋めてくれる対象を探し続けてきたのではないだろうか。じゃあ一体この淋しさは何によって埋まるというのだろう。


何によっても埋まらない淋しさがあるのだとしたら、生きていくことって何て悲しいのだろうと思った。私はこの場面と最後の場面で涙がこみあげてきて仕方がなかった。


最後の場面。息子の善鸞が仏の道をはずれ、罪を重ねていく。親鸞は、善鸞を赦せず放免した。しかし、親鸞が自分の臨終に際し、最も願ったのが善鸞を赦したいということだった。息子を赦さずに逝くことはできないと言った。弟子たちがすべて集まり、聖者である師匠との最後の別れをしている席に最後まで善鸞は来ない。いよいよ、親鸞が逝くという寸前に善鸞が駆けつける。


善鸞「(涙をこぼす)遭いとう御座いました・・ゆるして下さい。わたくしは・・」

親鸞「ゆるされているのだよ。だあれも裁くものはない」

善鸞「わたくしは不孝者です」

親鸞「お前はふしあわせだった」

善鸞「わたしは悪い人間です。わたし故に他人がふしあわせになりました。私は、自分の存在を呪います」

親鸞「おお畏ろしい。われとわが身を呪うとは! お前自らを祝しておくれ。悪魔が悪いのだ。お前は仏さまの姿に似せてつくられた仏の子じゃ」

善鸞「もったいない。私は多くの罪を重ねました」

親鸞「その罪は億劫の昔阿弥陀様が先に償うて下された・・赦されているのじゃ、赦されているのじゃ。わしはもうこの世を去る。お前は仏様を信じるか」

善鸞「・・・・・・・・・」

親鸞「お慈悲を拒んでくれるな。信じると言ってくれ・・・わしの魂が天に返る日に安心を与えてくれ・・・」

善鸞(魂の苦悶のために真青になる)

親鸞「ただ受け取りさえすればよいのじゃ」

善鸞(唇の筋が苦しげに痙攣する。何かを言いかけてためらう。遂に絶望的に)「わたしの浅ましさ・・・わかりません・・・きめられません」

親鸞「おお」(目をつむる)   (一座動揺する)

侍医「どなた様も、今がご臨終で御座いますぞ」

親鸞(かすかに唇を動かす。苦悶の表情顔に表わる。やがてその表情は次第に穏かになり、終にひとつの静かなる、恵まれたるもののみの持つ平和なる表情にかわる。小さけれどたしかなる声にて)

親鸞「それでよいのじゃ。みな助かっているのじゃ・・・善い、調和した世界じゃ(この世ならぬ美しさ顔に輝きわたる)おお平和!もっとも遠い、もっとも内の。なむあみだぶつ」


父であり、師である親鸞の、その死の際においてさえ、嘘でも仏を信じるといえぬ善鸞。仏の道を歩きますと言えぬ善鸞の、もうひとつの真摯さ、純粋さ、正直さ。その善鸞に「それでよいのじゃ」と最後の言葉をかけた親鸞。私は、この場面で声をあげて泣いた。まるで、自分までも赦してもらえたかのように思えた。最後の親鸞の言葉は、私の内側を深く深く満たしてくれた。私は、おそらく心の深い部分では、“善悪の彼岸”にある、美しきもの、貴きもの、聖なるもの、平安なるものを求めて生きているのだと思う。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


『私に帰る旅』が出版されたのは、おととしだけれど、実際にこの文章を書いていた時期はもっと遡る。時が流れ、人と深いレベル、魂レベルでの出会いをする仕事を積み重ねる中で、人は誰もが心の奥底にさみしさを抱えながら生きていることを知った。それは、肉体をもって存在している人間ゆえにどうしようもなくあるさみしさなのだ。肉体意識は、個の意識であり、それはひとりぽっちという分離意識だから。


しかし、人はまた、その深奥に本質としての「愛」「歓び」「平和」「静寂」なる世界をもっていることも知った。その純粋意識・純粋感性、無限の創造性こそがまことの世界であることを。これは、源、全体につながってる意識だ。これらは感情ではなく、感情より、さらに深いところから湧き出てくるものであり、感情を超えたものであり、個を超えた世界なのだ。


過去の痛みにとらわれ、未来の不安に彷徨う、騒がしいマインド(思考・感情)が鎮まり、心がからっぽの時、無心状態の時、意識が「いま・ここ」に在る時は、大いなる存在とつながり、いつでも「愛」「歓び」「平和」「静寂」を内側深くに感じることができる。瞑想を習慣にすることで、あるいは、無心に、無邪気に、リラックスして、心身共にくつろいでいるときに私たちはその意識、世界を体験的に知っていく。


これらは何かを達成するとか、何かを得るとかいった「条件つき」の幸福や愛や歓びではなく、「理由・理屈抜きの幸せ感」であり、外側の誰かから、何かから与えてもらって感じる幸せ感ではなく、自ずと触れる、自然に感じられる心の静けさや安らぎであり、ふとこみあげてくる歓び、満たされた感覚、自由な感じ、幸せ感なのだ。


しかし、自分の感情をしっかり感じ、自覚できるようにならなければ、感情より深い場所に存在する「愛」「歓び」「平和」「静寂」を感じることは難しい。大いなる存在、源につながる意識の扉は、感情を深く感じるというプロセスを通ってくることが大切なのだ。それによって、感情を超えていくことができる。そうでないと精神世界でよく言われている「すべてはひとつ」「すべてはつながり合っているワンネスの世界」などは、単なる知識や観念になってしまうからだ。


感じること、気づくこと、無駄な思考を少しづつ減らして、内側にあるハートのスペースにくつろぐことが増えれば、時が満ちたときに自然に触れる静寂、愛、平和、歓びがある。それは、自然に起こる。焦らなくても、ただ、扉さえ叩き続けていれば。


もちろん、人間として生まれた以上、「生きとし生けるものの運命としてのさみし」さをあたためあえる関係、一緒に「生のタペストリー」をつむぎ合える人との出会いは、同じくらい素晴らしい人生だと私は思う。


「人と共に生きる道」と「ひとり在ることの道」・・・愛と瞑想を存在の両翼として生きることの豊かさは、垂直の次元と水平の次元が交差する生の息吹そのものだ。


PS:父の入居している老人ホームに行ってきました。認知症の進行は止まっているみたいで、肌つやもよく、私が行くとほんとうにうれしそう。父は昔からものすごいさみしがりやだった。からだをこわすほどお酒に溺れた父もいまは昔。私が、物書きになったのは、サラリーマンでありながら、詩人、歌人であることをやめなかった父の血を受け継いだのだろうな。あなたがこの世からいなくなる日がくることを想像しただけで、さみしくて、泣きたくなるよ、私は


<お知らせ>

岡部明美公式ホームページ  http://anatase.net/

9月18日(土)~20日(月・祝日)
神奈川・三浦半島3daysワークショップ(定員・キャンセル待ち)
主催「まゆ亭くにおさん夫妻」
http://mixi.jp/view_event.pl?id=53799447&comm_id=982903

10月2日(土)~3日  岩手2daysワークショップ
主催:「かりん」ちゃんと「ココロ」さん
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1520748939&owner_id=9488290&comment_count=15

プロフィール

岡部 明美岡部 明美

ワークショップ・トレーナー/セラピスト/カウンセラー/研修講師/文筆家/東海ホリスティック医学振興会顧問。

独身時代は、シンクタンクにてマーケティングプロデューサーとして活躍。30代半ばで結婚。長男出産直後に脳腫瘍と水頭症を発病し生死を彷徨う。自分の死に直面するという体験を通して、いのちの根源からの問いの答を求めて自己探求の道に歩みだす。著書に「もどっておいで私の元気!」(善文社)「私に帰る旅」(角川学芸出版)

プロフィール詳細 »

最新のエントリー

全てのエントリー

カテゴリー

月別アーカイブ

携帯でもSQ Lifeメッセンジャー・ブログが閲覧できます。
http://blog.sq-life.jp/m/
メッセンジャー・ブログ QRコード