
駅のホームで電車を待っている間に、暇つぶしに広告を眺めたりしているときに思わず、面白いコピーやしみじみとした文章に出会うことがある。小樽での養成講座の最中に、なでしこジャパン優勝の報が流れ、日本中が盛り上がっていたときだった。
講座が終り、帰宅途上の駅でふと目にしたこの言葉がしみじみと心にしみわたった。サッカーか野球かの違いに関係なく、こういう道の方が実際には多いわけで、暗さの体験というのは内側のほのかな灯り、あるいは、静かだけれど確かに自分を押し出す光に支えられて生き続けるのだろうなあと思う。
プロになる夢を胸に抱きつつも
ドラフトとは無縁のまま
昨日も素振りをし、走り、ひとり黙々と汗を流した若者が
きっとどこかにいるだろう
カメラの放列とまぶしい照明のある道だけが
夢の扉に通じているわけではない
師の一人である感性論哲学の芳村思風から、「天分・素質の見つけ方」を以前教わった。その人の「天分・素質」というのは、どんなにコンピューターの天職診断をしても、占いやカードを見ても本当にはわからない。実際にやってみて、実感したものの中に見つかる。思風先生は、「プロ、一流、本者、オンリーワン、天職」を生きている人は、行動し、体験し、実感した下記の中の一つを特化させて努力してきたか、これらのいくつかに真剣に取り組み続けたか、これらの5つを無心にやってきたかですとおっしゃっていた。
< 天分素質の見つけ方 >
~体感と感性の実感がセンサー~
1.やってみたら、好きになれるかどうか?
2.やってみたら、興味関心が持てるかどうか?
3.やってみたら、得手・得意と思えるかどうか?
4.やってみたら、他人よりうまくできるかどうか?
5.真剣にやってみたら、問題意識が湧いてくるかどうか?
養成講座で私はいつも、「いっぱい失敗していいからね。いっぱい頭マッシロになっていいからね。失敗と書いて、「けいけん」と読むんだよ。ポイント高くなるからね、経験値の。ポイントカードいっぱい集めてね」と言っている。
『 なんども なんども 』
なんども なんども 繰り返す。
なんども なんども 繰り返す。 なんども なんども。
なんども なんども 繰り返すと はずみがつく。
なんども なんども 繰り返すと 勢いがつく。
はずみがつき 勢いがつくと おもしろ味が出てくる。
どうしようもない人間が 当たり前の人間になるには
ただ なんども なんども 繰り返すことだ。
あたりまえの人間が 専門家といわれる人間になるには
同じことを なんども なんども 繰り返すことだ。
専門家といわれる人間が 秀才や天才と呼ばれる人間になるには
唯一の道は 激しく 熱心に
なんども なんども 繰り返すことだ。
激しく 熱心に なんども なんども 繰り返すうちに
力が集まり 充実し 熟してくる。
機が熟したものは 何でもおもしろく うまいものだ。
作者不明
昨日まで、琵琶湖でカウンセラー&セラピスト養成講座卒業生の年に1回のスーパービジョン(SV)がありました。一人ひとりがすでに自分の道を歩きはじめていました。その人独自の個性が輝き、自分らしい仕事の仕方とオリジナルな世界を創造しはじめていたのです。セッションはまさに瞬間のアートでした。感動的なシーンがいくつもありました。ものすごく面白かったです。SVを主催してくれたのは、私の岡山ワークの主催者であるモンジュ&ブミカさんと琵琶湖ワークの主催者である田澤里永子さん。田澤家に泊まらせていただいて、美味しいお食事とくつろぎの時間をくださった里永ちゃんママとパパリもありがとう。再会できたみんなもありがとう。とても楽しかったです。
岡部明美公式ホームページ:http://anatase.net/
12月16日(金)~18日(日) 琵琶湖3daysワークショップ
いのちいっぱいに生きてきてほんとうによかった。
どんなときでも心の底からしみじみと言えるような
人生を 生きてゆきたい。
友人から昨日メールがきた。シェアしてもいいよということなので、シェアさせていただきます。
あけみちゃん、お元気ですか。久しぶりに相田みつをさんの本を読んだら、なんとなくほっとしました。「いのちいっぱいに生きててよかった」って言葉がいまの私の心にしみじみ入ってきたんです。
たしかに時代は今大きな変革期を迎えているわけだし、私たちはいま意識の目覚めの時を生きている。でも最近の私はちょっと覚醒系のメッセージがお腹いっぱいって感じになっていて、こういうすごく人間くさい言葉に飢えていたんだなって思ったの。
相田さんの最後の著作もやはり、「人間だもの」っていう言葉が底辺にあった。いまの私は、人のいのちの営みや人間であるということのおかしみがいとおしく感じる。
人間だから…、成長し進化したくて、今ここに生きている人間なのだから、 完璧じゃなくてあたりまえ、いまここから、一歩ずつ前に進んで、少しずつ成長していけば、それでいい。大丈夫って思える。心がやわらかくほぐれていくのを感じる。
心が落ち込んだり、自分の未熟さや不甲斐なさ、情けなさにがっかりしたりしたとき、自分を慰め、励ましてくれる言葉や、人は、決して、りっぱ過ぎない人だったり、人間くさい言葉だったりします。最近の私、かなり落ち込んでいました。本当に落ち込んでいる時は、誰にも言えない私です。でも、少しだけ元気になったのでこうしてあけみちゃんにメールしています。
私は、何をやっても
万事のろまです。
だから、どんなことでも
人と競争すれば
かならず負けます。
子供の頃、運動会では
いつもビリでした。
体力も人並み以下で、
神経質で、気が小さくて臆病です。
そのくせ、自己顕示欲とうぬぼれだけは強いんです。
そういう弱さと我執の強さを、併せ持った人間の私が、
人と競争することなく、自分なりに、いのちいっぱいに
生きてゆくためにいつのまにか身についた、生活の智恵、
それがこのことばです。
七転八倒
つまづいたりころんだりするほうが
自然なんだな
人間だもの
*
古い昔の中国の話です。
大寧院可弘(だいねいいんかこう)禅師という人に、
ある修行僧が聞きました。
「この道さえ歩いていけば、絶対にまちがいのない、
真実の道(正真ノ一路)とはどういうものですか?」
可弘禅師が答えました。
「七転八倒」(七回転んで八回倒れる)
『七転び八起き』じゃありません。
転びっぱなし、倒れっぱなし。
つまり、失敗の連続。
それが真実の道だ、というんです。
人間は努力をしているかぎり、これでいい、これで満点、
なんてことはありません。
いつでも未完成、不完全です。
ただここで、大事なことは、転も倒も、
具体的に動かなければ起きない現象だということです。
常に具体的に動くことが前提。
つまづいたり
ころんだりしたおかげで
少しずつだが自分のことが
わかってきました
あやまちや失敗を
くり返したおかげで
人のことをいう資格のない
自分に気がつきました
そして…
いざという時の自分の弱さとだらしなさが
よくよくわかってきました
だから
つまづくのもおかげさま
ころぶのもおかげさまです
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12月16日~18日
琵琶湖3daysワークショップ「人間関係とパートナーシップ」
ありがとう。今日は世界で最も優秀と言われる大学の卒業式に同席できて光栄です。実は私は大学を出ていないので、これが私にとって最も大学の卒業に近い経験になります。今日は私の人生から3つのストーリーを紹介します。それだけです。大したことありません。たった3つです。
最初は、点と点をつなぐ話です。
私はリード大学を6ヶ月で退学しましたが、本当に辞めるまで18ヶ月ほど大学に居残って授業を聴講していました。ではなぜ辞めることになったか?
その理由は私が生まれる前に遡ります。私の生みの母親は若い未婚の大学院生でしたので、彼女は私を養子に出すことを決めていたのです。彼女は育ての親は大学を出ているべきだと強く感じていたため、ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることになっていました。
ところが、私が生まれる直前に、本当に欲しいのは女の子だと。そういういきさつで、養子縁組を待っていた今の両親は夜中に「予想外に男の子が生まれたので欲しいですか?」という電話を受けたのです。彼らは「もちろん」と答えました。しかし、生みの母親も後で知ったことですが、母親は大学を出ていない、父親は高校も出ていませんでした。そこで、生みの母親は養子縁組の書類へのサインを拒みましたが、何ヶ月か経って、今の両親が将来私を大学に行かせると約束してくれたので、気持ちが整理できたようです。これが私の人生の出発点になったのです。
17年後、実際に大学に入りましたが、私はあまり深く考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを選んでしまったので、労働者階級の親の収入のほどんどは大学の学費に使われていました。半年もすると、私はそこに何の価値も見出せなくなっていたのです。人生で何がやりたいのか私自身に考えがなかったですし、それを見つける手助けを大学がどうしてくれるか思いつきませんでした。なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を使い果たしている。だから退学を決めたのです。それが全てうまく行く道だと信じて。もちろん当時はかなり怖かったです。ただ、いま振り返ると、これが人生で最良の決断だったのです。というのも、退学した時点で興味ない必修科目は受けなくてもよく、自分にとって面白そうな授業に集中できたからです。
寮には自分の部屋もなく、夢を見れる状態ではありませんでした。夜は友達の部屋の床に寝泊りさせてもらってたし、食費のためにコーラ瓶を店に返して5セント集めしたり、日曜夜はハーレクリシュナ寺院のご飯を食べに7マイル歩きました。これが私の楽しみでした。こうした自分の興味と直感に従うだけの多くの体験があとになって値段がつけられない価値に変わったのです。ひとつ具体的な話をしてみましょう。
リード大学には、当時おそらく国内でも最高のカリグラフィ教育がありました。見渡せばキャンパスにはポスターから戸棚に貼るラベルまで美しい手書きのカリグラフィばかりだったのです。私は退学したのですから普通の授業はとる必要もないのでカリグラフィの授業を受けて手法を学ぶことにしたのです。私はそこでセリフやサンセリフの書体について習ったり文字と文字のスペースを変えていく概念についてつまり異なる文字のコンビネーション手法など素晴らしいフォントの作り方を学問として学びました。フォントは、美しく、歴史的にも、芸術的にも、科学で把握できないほどの緻密さでしたのでそれは私にとって魅力的な発見となったのです。
フォントは、人生の役立つという期待すらありませんでした。しかし、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを設計する時にその知識が役に立ち、マックの設計に組み込むことにしました。こうして初めて美しいフォントを持つコンピュータが誕生したのです。
もし私が大学であのコースを寄り道していなかったら、マックには複数の書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、ウィンドウズはマックの単なるマネに過ぎないのでこうしたパソコンがいま世界に存在しないかもしれません。もし私が大学を退学していなかったら、あのカリグラフィの授業に寄り道することはなかったしパソコンには素晴らしいフォント機能がないかもしれない。もちろん大学にいた頃の私には、未来を見据えて点と点をつなげることはできませんでした。しかし10年後に振り返えると、とてもハッキリ見えることなんです。
もう一度言います。未来に先回りして点と点をつなげることはできない。君たちにできるのは過去を振り返ってつなげることだけなんだ。だから点と点がいつか何らかのかたちでつながると信じなければならない。自分の根性、運命、人生、カルマ、何でもいいから、とにかく信じるのです。歩む道のどこかで点と点がつながると信じれば、自信を持って思うままに生きることができます。たとえ人と違う道を歩んでも、信じることが全てを変えてくれるのです。
2つ目は、愛と敗北についての話です。
自分が何をしたいのか人生の早い段階で見つけることができたことは幸運でした。実家の車庫でウォズとアップルを創業したのは、私が20歳の時でした。私たちは仕事に没頭し、10年間でアップルはたった2人の会社から4千人以上の従業員を抱える20億ドル企業に成長しました。私たちは最高傑作であるマッキントッシュを発表しましたが、そのたった1年後、30歳になってすぐに、私は会社をクビになってしまいました。自分が始めた会社を首になるなんて不思議ですが、こういうことなんです。
アップルの成長にともなって、私は一緒に経営できる有能な人間を雇い最初の1年はうまくいっていました。しかし、やがて将来ビジョンについて意見が分かれ、仲たがいに終わったのです。取締役会は彼に味方し、私は30歳にして会社を去りました。まさに社会的に追放された感じでした。私の人生のすべてを注ぎこむものが消え去ったわけで、それは心をズタズタにされた状態になりました。
数ヶ月は本当にどうしたらいいのか分かりませんでした。自分が前世代の起業家の実績に傷をつけてしまい、手渡されたリレーのバトンを落としたように感じました。私はデイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスに会いひどい状態にしてしまったことをお詫びしようとしました。まさに社会的脱落者となりシリコンヴァレーから逃げ出そうと考えたほどです。しかし自分がやってきたことをまだ愛していることに少しづつ気づきました。アップルの退任劇があってもは私の気持ちは全く変わらなかったのです。私は会社で否定されても、私はまだ好きだったのです。だからもう一度やり直すことに決めたのです。
その時は分からなかったのですが、やがてアップルをクビになったことは、自分の人生最良の出来事だったのだ、ということが分かってきました。成功者の重圧が消え、再び初心者の気軽さが戻ってきたのです。あらゆるものに確信はもてなくなりましたが。おかげで、私の人生で最も創造的な時期を迎えることができたのです。
その後の5年間に、私はネクストという会社とピクサーという会社を設立しましたし、妻となった素敵な女性と恋に落ちました。ピクサーは世界初のコンピュータによるアニメーション映画「トイ・ストーリー」を創りました。いま世界で最も成功しているアニメーション・スタジオです。思いもしなかったのですが、ネクストがアップルに買収され私はアップルに復帰することになり、ネクストで開発した技術は現在アップル再生の中核的な役割を果たしています。さらには、ロレーヌと私は素晴らしい家庭を一緒に築いています。
ここで確かなのは私がアップルをクビになっていなかったら、こうした事は何も起こらなかったということです。それは大変苦い薬でしたが、患者には必要だったのでしょう。人生には頭をレンガで殴られる時があります。しかし信念を失わないこと。私がここまで続けてこれたのは、自分がやってきたことを愛しているからということに他なりません。
君たちも自分が好きなことを見つけなければなりません。それは仕事でも恋愛でも同じこと。これから仕事が人生の大きな割合を占めるのだから、本当に満足を得たいのであれば進む道はただひとつ、それは自分が素晴らしいと信じる仕事をやること。さらに素晴らしい仕事をしたければ、好きなことを仕事にすること。もし見つからないなら探し続けること。落ち着かないこと。心の問題と同じで、見つかったときに分かるものですし、愛する仕事というのは、素晴らしい人間関係と同じで、年を重ねるごとに自分を高めてくれるものです。だから探し続けること。落ち着いてはいけない。
3つ目は、死についての話です。
私は17歳の時、こんな感じの言葉を本で読みました。「毎日を人生最後の日だと思って生きてみなさい。そうすればいつかあなたが正しいとわかるはずです。」これには強烈な印象を受けました。
それから33年間毎朝私は鏡に映る自分に問いかけてきました。「もし今日が自分の人生最後の日だしたら今日やる予定のことは私は本当にやりたいことだろうか?」それに対する答えが「ノー」の日が何日も続くと私は「何かを変える必要がある」と自覚するわけです。
自分がもうすぐ死ぬ状況を想像することは最も大切な方法です。私は人生で大きな決断をするときに随分と助けられてきました。なぜなら、他人からの期待、自分のプライド、失敗への恐れなど、ほとんど全てのものは…死に直面すれば吹き飛んでしまう程度のもので、そこに残るものだけが本当に大切なことなのです。自分もいつかは死ぬと思っていれば、何か失うのではかないかと危惧する必要はなくなるので、私の知る限りの最善策です。失うものは何もない。思うままに生きてはいけない理由はないのです。
今から1年ほど前、私は癌と診断されました。朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと腫瘍が映っていたんですね。私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。医師たちは私に、これはほぼ確実に治療ができない種類の癌であり、余命は3ヶ月から6ヶ月と言いました。そして家に帰ってやるべきことを済ませるよう助言しました。これは医師の世界では「死」を意味する言葉です。それは、子供たちに伝えた10年分のことを数カ月で済ませておけ、という意味です。それは、家族が心安らかに暮らせるよう全て引継ぎをしておけ、という意味です。それは、さよならを告げる、という意味です。
私はその診断書を一日抱えて過ごしました。そしてその日の夕方に生体検査を受けました。喉から内視鏡を入れ胃から腸に通してすい臓に針を刺して腫瘍の細胞を採取しました。私は鎮静状態でしたので、妻の話によると医師が顕微鏡で細胞を覗くと泣き出したそうです。というのは、すい臓ガンとしては珍しく手術で治せるタイプだと判明したからなんです。こうして手術を受け、ありがたいことに今も元気にです。
これは私がもっとも死に近づいた瞬間で、この先何十年かは、これ以上近い経験がないことを願います。こうした経験をしたこともあり、死というのが有用だが単に純粋に知的な概念だった頃よりも、私は多少は確信も持って言えます。
誰も死にたいと思っている人はいません。天国に行きたくても、そこに行くために死にたい人はいません。それでいて、死は誰もが向かう終着点なのです。かつて死を逃れられた人はいない。それはそうあるべきだから。なぜなら「死」は「生」による唯一で最高の発明品だから。「死」は「生」のチェンジエージェントだから。つまり古いものが消え去り、新しいものに道を開ける働きです。
いまの時点で、新しいものとは、君たちのことです。でもいつかは、君たちもだんだんと古くなり、消え去るのです。あまりにドラマチックな表現なのですが、それが真実なのです。
君たちが持つ時間は限られている。人の人生に自分の時間を費やすことはありません。誰かが考えた結果に従って生きる必要もないのです。自分の内なる声が雑音に打ち消されないことです。そして、最も重要なことは自分自身の心と直感に素直に従い、勇気を持って行動することです。心や直感というのは、君たちが本当に望んでいる姿を知っているのです。だから、それ以外のことは、全て二の次でも構わないのです。
私が若い頃 "The Whole Earth Catalogue 全地球カタログ" というすごい出版物があって、私と同じ世代ではバイブルのように扱われていました。それはステュアート・ブランドという人が、ここからそれほど遠くないメンローパークで制作したもので、彼の詩的なタッチで彩られていました。1960年代の終わり頃はパソコンもDTPもない時代ですから、全てタイプライターとハサミとポラロイドカメラで作られていました。それはまるでグーグルのペーパーバック版のようなもので、グーグルが35年遡って登場したかのような理想的な本で、すごいツールと壮大な概念に溢れかえっていました。
スチュアートと彼のチームは ”The Whole Earth Catalogue” を何度か発行しましたが、ひと通りの内容を網羅した時点で最終号を出しました。それは1970年代半ばで、私がちょうど君たちの年代だった頃です。最終号の裏表紙は、朝早い田舎道の写真だったのですが、それはヒッチハイクの経験があればどこか見たことある光景でした。写真の下には "Stay hungry, Stay foolish." という言葉が書かれていたのです。 Stay hungry, Stay foolish. それが、発行者の最後の言葉だったのです。それ以来、私は常に自分自身そうありたいと願ってきました。そしていま、卒業して新しい人生を踏み出す君たちに、同じことを願います。Stay hungry, Stay foolish. 貪欲であれ、愚直であれ。
ご清聴ありがとうございました。(翻訳:小野晃司)
岡部明美公式ホームページ:http://anatase.net/
11月4日(金)~6日(日)
名古屋3daysワークショップ「人生の贈りものー天命、使命の道を生きる歓び」
11月16日(水)「ほおずきの会」
12月16日~18日
琵琶湖3daysワークショップ「人間関係とパートナーシップ」

父といずみちゃんの旅立ちに続き、20代からファンだった柳ジョージの訃報、スピリチュアルな世界ではファンが多い小林正観さんの訃報、アップル社の創業者スティーブ・ジョブズの訃報に接し、何かが今私の中で動いている。
この動きは、あの3・11から続いている私の内側の波だ。その波は世界を感じ取るときに私の中で動く波なのだ。内側の波の動きを感じるにつれ、立ち止まって空を見上げることが多くなった。
今朝、私の「faceboook」のお友達の一人、鈴木規夫さん(ケン・ウイルバーのインテグラル想想の翻訳家・研究者)の書いているものを読んでいたら、ステイーブ・ジョブズについて語られているものがいくつもあった。
スタンフォード大学の学生に向けて話したステイーブ・ジョブズの伝説のスピーチは有名だけれど、彼が、仏教、禅の世界を学んで、精神的支柱にしていたことははじめて知った。伝説のスピーチも彼が亡くなった今、もう一度読み直してみると、深く身にしみる珠玉の言葉がちりばめられていることを改めて感じた。長くなるので、2回かに分けて転載してみます。
5日、アップル社の創業者スティーブ・ジョブズが死去したと報じられた。どこで、何時に亡くなったのか、何が死因なのかなどは明かされなかったため、"ミステリアスな死"とゴシップする人もいるが、最期くらい静かに見送って欲しいということなのだろう。
ここ30年の間、世界で最もパワフルでカリスマ的なCEOだった、といわれるスティーブ。そんな彼の成功を支えたのは、「仏教」、そして「禅の教え」だと伝えられている。
激動の60年代に多感な思春期を過ごしたスティーブは、ビートルズとボブ・ディランをこよなく愛し、彼らの人生観にも強い影響を受けたそう。LSDなどサイケデリック・ドラッグもやったことがあると告白しているくらいなので、ヒッピーたちのバイブルといわれたスピリチュアル・ガイダンス本『ビー・ヒア・ナウ』もおそらく読んだことだろう。この本を執筆したのは、ヒンドゥー教の聖人ニーム・カロリ・ババの弟子である、アメリカ人のラム・ダス。当時、この本を読み、ババに会いにインドを訪れたアメリカ人はとても多くいた。
スティーブもその1人だ。大学を中退してしばらくたった1974年、アタリに入社しているが、その理由は「ババに会いにインドへ行く資金を稼ぎたかった」から。まとまった金を手に入れたスティーブは、後にアップル社員第一号になる大学時代の友人ダニエル・コッケと共にインドへ行った。
インドに到着した彼は、まず貧困のひどさに大きな衝撃を受け、すぐさま、生きるために必要ないものを捨て、剃髪し、身軽になり、ババの教えをもらうために寺へと急いだとのこと。残念ながらババは彼らが到着する1カ月前に他界しており、念願は叶わなかったが、スティーブは、このとき仏教徒に改宗。アメリカに帰り、その後、大成功を収め億万長者になってからも、極力贅沢品は持たない質素な生活を続けた。近所でも、会社でも、裸足でウロウロ歩くことが多かったそうだが、インドでの経験がそうさせていたのだろう。
また、スティーブはインドで、ババの名声で人を集めようとする人たちを目の当たりにする、というあまりよくない経験もした。その時、「素晴らしいアイデアがあっても、行動を起こさなければ、何もないに等しい」「カール・マルクスとニーム・カロリ・ババ、2人合わせたよりも、トーマス・エジソンの方が世の中にとって大切なことをしたのではないか」と思ったとのこと。夢を、アイデアを、実現するために全身全霊でプロデュースする。夢を形にして、世界を人々の生活をよりよくする。アップルを成功へと導いた強いモチベーションは、この時、生まれたともいわれている。
ユマ・サーマンの父親で、ダライ・ラマの下で修行をし、欧米人初の得度を受けたコロンビア大学チベット仏教学教授ロバート・サーマンは、「スティーブ・ジョブズを仏教徒だとはいえない」「しかし、彼は、東洋の精神鍛練と禅ビジョンを仰ぎ望む人間と同じくらい、独創的な人間である」と分析している。また、仏教のエキスパートであるロバートは、スティーブを仏教徒のように「フォーカスでシンプル」な男だともいっているが、この2つは、まさしくアップルの倫理。スティーブは敬虔な信者でないにせよ、仏教の教えを忠実に取り入れていたのだ。
スティーブは少々強引で口も悪く、かなり短気だった。そのため、人間関係におけるトラブルは少なくなかったと伝えられている。85年、自分が立ち上げたアップル社から事実上追放されるという苦い経験もしている。しかし、彼はめげることなく、高等教育用のコンピュータを作ろうと新しい会社NeXTを作った。
新会社を作るもなかなか思うようにいかず、スティーブは苦悩するように。この時、彼を精神的に救ったのが、曹洞宗の僧侶、乙川弘文だった。乙川氏は、先生、老師(中国語で先生)と呼ばれるのを嫌い、弟子たちに名前の「KOBUN」と呼んで欲しい、「師匠ではなく、友人だと思ってください」というような、堅苦しくない人物。弟子に結婚を勧め、自身は離婚を経験するなど、型にはまらぬ僧侶だったと伝えられている。短気で口の悪いスティーブを禅の世界に導くことができたのは、乙川氏をおいてほかにはいなかったのかもしれない。
スティーブと乙川氏は、2人共イノベーターであり、アートとデザインに情熱を持つなど、多くの共通点を持っていた。スティーブは彼から、禅だけでなくデザインのコンセプトが何かということも学んだ。ローレン・パウエルと結婚した時に、式を執り行ったのも乙川氏で、2人は深いスピリチュアルな部分で結ばれていたそう。
80年代半ば、スティーブが乙川師から学んだことは何か、アップルにどのような影響を与えたか、そのことは、近日発売されるコミック本『The Zen of Steve Jobs』にまとめられている。米フォーブス誌でプレビューを読むことができるので、少しご紹介しよう。
スティーブは乙川氏から、心身を整えるため一定の場所をゆっくり歩く、「経行(きんひん)」の手ほどきを受けている。仕事のことが頭から離れずイライラするスティーブに、氏は「正しく瞑想するには、全ての思考を取り去ることが必要。その思考がよいものであれ、悪いものであれ、捨てることです」と伝えたそうだ。
氏に導かれるまま、「呼吸をしてから、一歩進む」を繰り返すスティーブ。氏が座禅を組む岩を中心に、円を描く様に歩むスティーブに、「かどを回ることは必要不可欠なことなのですよ」と、氏は教える。
次に、今年7月にクパチーノ市役所で新しいアップルの社屋を作りたいと、スティーブがプレゼンするシーンへと飛ぶ。スティーブが描く夢の新社屋は大きな円状の建物。完成図を見せながら、「UFOが着陸したみたいだろう?」とジョークを飛ばし、「円なんだ。まっすぐなものは何もない。円なんだよ」と誇らしげにいう。と、ここで、乙川氏から禅を指導してもらっているシーンへとフラッシュバックする。
このクパチーノ市役所でのプレゼンの様子は、YouTubeで見ることができる。痛々しいほど痩せてしまったスティーブは最初、息苦しそうにしているが、次第に新社屋に込めた熱い思いを語りだす。「駐車場は地下に作る。なので、地上の緑が増える。木もたくさん植える」「ビルは禁煙にする。私は育ての親を肺ガンで亡くしているので、この点は譲れない」などなど。最後の方で、「この新社屋は、世界一のオフィスと呼ばれるようになる。絶対にね。世界中から建築を学ぶ若者が、この新社屋を一目見に集まってくるだろう」と発言した時は、気のせいか、少し涙ぐんでいるようにも見えた。
スティーブは禅における「簡素」の教え、「余白の美」にも大きな影響を受けたとのこと。何が必要なのか見極め、いらない部分は思い切って削る。これはアップル社での商品作りに大いに役立ったといわれている。
また、スティーブの有名なスピーチは、その多くが、「道元」など、禅僧の言葉とよく似ているといわれている。禅僧の本を読みスピーチに取り入れたのか、自分で同じような悟りを開いたのか、どちらなのかは定かではない。しかしながら、多くの人の心に響き、強く影響を与えた彼の言葉は、禅を深く学び理解したからこそ。スティーブは、彼のスピーチを聞く多くの人にとって、禅の師匠でもあったのだ。
思い入れのあるクパチーノの地に、禅の教えを反映した彼の理想とするアップルの新社屋が完成するのは2015年。新社屋を見届けられなかったことは、心残りだっただろうか? まだまだ、新しい製品を世に送り出したかっただろうか?
いや、スティーブは、きっと禅における死の悟りを開き、この世に執着を残すことなく逝った。そう思わずにはいられない。
岡部明美公式ホームページ:http://anatase.net/
11月4日(金)~6日(日)
名古屋3daysワークショップ「人生の贈りものー天命、使命の道を生きる歓び」
11月16日(水)「ほおずきの会」
12月16日~18日
琵琶湖3daysワークショップ「人間関係とパートナーシップ」
9月4日の父の旅立ちをあんなに静かに感謝と祝福に変えて送ることができた私は、この先、自分にとってどれほど大切な人が私の前からいなくなっても、もう私はだいじょうぶだって思えて心からの安心を得たのだた。
私はすでに人間の本質が肉体ではないことは腹の底に落ちているし、ご縁の深い人とはまた会えることも知っているし、肉体がなくなった人が残してきた人に不思議なサインを送ることも経験しているし、だてに瞑想を続けてきたわけでもないし、もう何人もの人を見送って、さんざん泣いてきたし、そのお陰で、やっとこの境地に至ることができたのだと、父の逝去を通して私は自分自身に安心したのだった。
ところが、とんでもなかった。全然だめだった。あまりの不意打ちに動揺した。何が起きたのか、わけがわからなかった。起きている現実がまるで夢のように感じ、一切のリアリティがなかった。「うそでしょ、そんなこと・・・」
いずみちゃん(mixi名:華ちゃん)がお風呂場で倒れ、意識不明の重体、いま病院の集中治療室で治療を受けているが、もう心臓が微弱にしか動いていない状況ですと、いずみちゃんの娘さんから2日の深夜に電話を受けた時は頭が真っ白になった。朝まで眠ることができず、祈ったり、遠隔ヒーリングをしたり、元気になってまた会っているイメージを描いたり、瞑想したりして、明け方うつらうつらしてきたのでソファーでそのまま寝込んでしまったら、いずみちゃん逝去の報が入ってきた。
10月3日 朝8時34分 いずみちゃん永眠。享年52歳。くも膜下出血でほぼ即死の状態だったことを知らされた。
うそでしょ、いずみちゃん。あなたの冗談好き、遊び好き、ヒョーキンで、おちゃめで、オキャンピーで、好奇心の塊の新しもん好き、いたずら好きは知っているけれど、悪い冗談だよね、うそだよね、いずみちゃん。
悲しみと絶望と寂しさとくやしさとむなしさと・・・ありとあらゆる感情が千路に乱れて、私は、途方に暮れた。
父が亡くなったほぼ1ケ月後に、今度はものすごく仲良しだったいずみちゃんの旅立ちを私は経験しなければならなかった。
あんまりだよ、いずみちゃん。もっともっとあなたと一緒に体験したいことがたくさんあったよ、私。一緒に泣いたり、笑ったり、怒ったり、感動したり、しみじみしたり、まったりしたり、ニヤニヤしたり、ホコホコ、ヘラヘラしたりしたかった。今までいっぱいそんな時間を共有してきたようにね。ほんとに楽しかったんだ、私、いずみちゃんと一緒にいると。
「楽しいか」「楽しくないか」があなたのものごとを選択する基準だったよね。みんなは、いずみちゃんは、すごい勉強家で、メモ魔で、向上心が強くて、その上愛に溢れた人みたいに思っているみたいだけれど、そしてそれは事実ではあるけれど、本当はあなたは、楽しいことしかやっていなかったし、自分がやりたいから、行きたいから、会いたいから、体験したいから、ただそれをしているだけなんだってこと、知っていたよ。
ぜんぶ、自分からだったね。相手にハートを開くことも、声をかけることも、相手を受け入れて、認めることも、好きになることも、つながることも、慰め励ますことも、相手のよさをいち早く見つけてちゃんと言葉にして伝えることも・・。
あなたは、ぜーんぶ、自分からの人だった。あなたに受け入れられて、好きになってもらえて、認めてもらえて、ほめてもらえて、優しく寄り添ってもらえて、そんなあなたをみんなが大好きになるのはあたりまえ、自然のことでした。
あなたは、ハコミセラピーでいう、ラビングプレゼンスそのものだったし、ナリッシュメント(魂の滋養になる言葉、心の糧になるような言葉かけ)の名手だった。どれだけの人があなたの存在の仕方と関わり方と言葉かけで支えられただろう。
時々、大ハズレーをやって、ペロっと舌を出して、「ヘヘヘ、また失敗しちゃった」とやるとこも笑えたし、身近な人、特に家族には、はずしっぱなしで怒られてばかりいて、しょげているあなたも本当に人間くさくて面白かった。
私は、常々、魅力というのは、「この人にまた会いたい」って思わせるその人の中の磁力のような個性と、「すんごいとこ」と「全然すんごくないとこ」(相当にヒンシュクをかったり、迷惑をかけたり、あきれられたりするところ)のギャップの大きさだって思っているから、そういう意味ではいずみちゃんは本当に魅力がありました。まさに清濁併せもつ人でした。
もし、いずみちゃんが、愛と光だけの清らかな存在だったり、聖人君子のような人だったり、お悟りモードの人だったり、天使のような愛らしい人だったり、スーパーウーマンみたいにできる女だったりしたら、私はいずみちゃんをこんなに面白い人だなあと思わなかったかも知れない。
確かにあなたは、かつては高校の教師をやっていたり、その後にプロのマンガ家や挿絵画家として驚くような絵の才能を発揮していたり、カウンセラーやセラピストとしても天性のものを持っていました。そして、私のやっている仕事の、そして、私という人間のよき理解者でした。私は、あなたには、自分のことを本当にわかってもらえているという歓びと信頼と感謝がありました。それは、私だけでなく、あなたに関わった人の多くが感じているものだと思います。
あなたは本当に愛に溢れた極道セラピストでした。あのヤクザの組長もマッツァオになるような地響きがするような低い声でやる迫力あるセッションも、天使のような、観音さまのような雰囲気でやる優しいセッションも、あなたの両刀使いは相当のものでした。
いずみちゃんは、私のワークショップや養成講座の最多参加者でした。9月から始まった東京での4期のカウンセラー養成講座も再受講してくれていて、この間、「じゃあ、次回、10月の講座でね」と言って別れたばかりだったのです。
いずみちゃんと初めて会ったのは、4年前の名古屋での2daysワークショップだったと記憶しています。30年来の友人である香川のナオちゃんと一緒に参加してくれたのですが、妙に不思議な存在感のある人で、インパクトが強かったことを今でも覚えています。
それ以来各地でやっている私のワークショップに何度も来てくれました。いずみちゃんは、最も親しくしているクライアントさんであり、受講生であり、友人であり、同士であり、魂の旅仲間でありました。愛のかたまりみたいなところがある一方で、人間臭いところも満載で、波乱万丈人生は私と一緒だったし、それでもとことん自分に向き合って、いろいろなことを超えてきた人でした。
いずみちゃんは、名コピーライターでもあり、私のことを「土木建築系地下足袋セラピスト」と呼んだり、「あけみちゃんは、野生のチータ。知識も理論もいっぱい持っているけれど、ワークは草原を駆け抜けていくチータも驚くような野生のカンだけでやっていく」なんて言ったりもしていた。
人にそんなこと言っていたくせに、自分は、チータどころじゃない、ピューマのような速さであっという間にこの人生を駆け抜けて逝ってしまったくせに。
私は、さよならなんて言わないからね、いずみちゃん。ぜったいに言うもんか、さよならなんて。
私が不意打ちに、突然に弱いこと知っているでしょう。別れの、身が引き裂かれるような悲しみを超えるために、私には別れの予感と別れの準備の時間、覚悟の時間が充分に必要だってこと知っていたでしょう。父の時はそれができたからだったんだよ。それなのに、いずみちゃん、唐突過ぎるじゃないの、このいなくなり方は
5日の告別式・・・。2期、3期の養成講座のメンバーと名古屋駅で待ち合わせた。誰も言葉を発せず、涙をいっぱいためながら、互いの手を握り、肩を抱いた。いったい、こんなときに、どんな言葉が出るというのか。
私は、いずみちゃんの娘さんに養成講座でいずみちゃんが毎月描いた絵のスケッチブックを見せていただけないか頼んだところ、持ってきていただけたのだ。素敵な絵がいっぱい描かれていた。中でも、モンちゃんとバディになった月に描いてきてもらった「世界でいちばん大好きな場所」の絵はみんなも記憶に残るほど幻想的な、宇宙的な美しい絵だった。絵の裏には、モンちゃんがいずみちゃんの絵につけたタイトルが書かれていた。
「刹那に燃える 永遠の青」
いずみちゃんが亡くなる前の最後のメールに「あけみちゃん、10月1日に高野山に「結縁灌頂」を受けに行っていました」と書いてあった
「結縁灌頂」の意味のわからない私は、高野山の奥の院で長いこと僧侶をしていた「まさあき君」に尋ねたらこんな返信がきた。これを読んで私は、ああ、いずみちゃん、決めいったんだな。人が「これからだったのに」と思おうが、いずみちゃんは、やり尽くした、遊びつくした、充分生き切ったんだなと思った。そして、いずみちゃんは、私が理解していたよりもすんごいところにもう行っていたんだなと思った。
あけみちゃん
ああ、やはり、いずみちゃんは、高野山に行っていたんだね。高野山では春(5月3~5日)と秋(10月1~3日)の2回、結縁灌頂というのをします。春は金剛界の結縁灌頂、秋は胎蔵界の結縁灌頂。
そう、あけみちゃんがこの間持っていたあの曼荼羅のクリアファイル。片方が金剛界曼荼羅で、そしてもう片方が胎蔵界曼荼羅です。春は金剛界曼荼羅の上に、秋は胎蔵曼荼羅の上に花を落として、宇宙の絶対的真理「大日如来」とご縁を結ぶ儀式です。
いずみちゃんは毎年、春と秋には必ず高野山へ結縁灌頂を受けに行っていたそうです。高野山の結縁灌頂は彼女にとって、とても重要なものであったような気がします。
秋の結縁灌頂は「胎蔵界」。胎蔵とは宇宙的な子宮を意味します。そしてこの胎蔵界曼荼羅の中心にいるのが生命の根源である「大日如来」。そしてこの「胎蔵界の大日如来」は梵字の「ア」で表します。実は真言密教の「阿字観」とは、この大日如来と一体となる瞑想法です。
この世に存在するすべてのものは、この「ア」という文字が表す「宇宙生命の根源」より生まれ出で、そして最後には再びこの「宇宙生命の根源」に帰るのだと解釈します。
弘法大師空海作と伝えられて歌に
阿字の子が阿字のふるさと立ち出でて また立ち帰る阿字のふるさと
というのがあります。
いずみちゃんは極めて意識レベルの高い人です。すでに肉体を離れる準備ができていたのでしょう。いずみちゃんは大日如来のもとへ導かれて行ったのだと思います。
高野山へ行って、そして「阿字のふるさと」へ帰って行かれたのだと思います。とても素敵な旅立ちです。だからあけみちゃん、悲しまないで。彼女は少し形を変えただけで、いつもみんなのそばにいますよ。
いずみちゃんが肉体を離れたことを祝福しましょう。 まさあき
岡部明美公式ホームページ:http://anatase.net/
10月16日(日)「ほおずきの会」
11月4日~6日
名古屋3daysワークショップ「人生の贈りものー天命、使命の道を生きる歓び」
12月16日~18日
琵琶湖3daysワークショップ「人間関係とパートナーシップ」

わたしの心がしんと静まる水面のように穏やかなとき、
わたしの中にかなこがいる
わたしの声が、魂の仲間たちところころと笑い声を立てるとき、
わたしの中にかなこがいる
わたしの頭が悲しみで埋め尽くされ、涙がとめどなく流れるときも
かなこはわたしの中にいる
わたしの腹が怒りに震え、燃え盛る炎のように激しく揺れるときも
かなこはわたしの中にいる
わたしは、かなこと繋がりたくて、繋がりたくて、
ずっと、ずっと、天を仰ぎ、空を見上げていたけれど、
かなこは
天の彼方にいたのではなく
わたしの傍にいたのでもなく
わたしの中に、いたのだった
わたしの中の不要なものがひとつ、失くなったとき、
わたしは、自分の中のかなこに気がついた。
こんなにも近くで共に歩いていてくれていたことに、やっと気付いた。
わたしの手が妹を抱きしめるとき、
わたしの目が父に注がれるとき、
わたしの声が家族に届くとき、
どんな時も、どんな時も、
かなこはわたしの中で、笑っている
わたしもまた、かなこと重なりあうことのできる魂の存在なのだと、
やっと、、、気付いた
(まっしろな雲の中 機中にて)
あけみちゃん養成講座から、家に帰り、
空気が穏やかに、穏やかに、流れています。
ずっと、ずっと、直視できなかった義母の目をみながら、
義母の言葉をこころの奥でゆっくりとかみ締めることができる、
そのしあわせが、わたしを包んでいます。
楽になりました。 ありがとうございました。
わたしに真剣に向き合ってくれたひろちゃんに、
セッションしてくれたあけみちゃんに ゆりちゃんに
かなこの言葉を伝えてくれたしげちゃんに
踊ってくださった方に
よかったね、と言ってくださった方に、
ありがとう、と言ってくださった方に、
背中にそっと手を置いてくださった方に、
一緒に泣いてくださった方に、
喜んでくださった方に、
見守ってくださった方に、
気持ちを推し量ってくださった方に、
時間を共有してくださったすべての方に、心からありがとうございました。
東京での4期のカウンセラー&セラピスト養成講座の初級1回目が終わった。この詩は、松山からの受講生である「花菜ちゃん」が、講座が終わってからアップされた日記に書かれたものを花菜ちゃんの許可を得てご紹介させていただきました。花菜ちゃんの娘さんのかなこちゃん(長女)は、7歳の時に自宅の3階から転落して亡くなりました。
花菜ちゃんは、いまは松山で子供を亡くした親の会を主催したり、私のワークショップを毎年1回、松山の中島で主催してくれています。花菜ちゃんは、作文は好きだし、得意だったけれど、詩を書いたことなどほとんどなかったのに、講座が終わって、松山に帰る飛行機の中で、一面の真っ白い雲を見ていたときに、この詩が溢れてきたそうなのです。
私にはそれがとてもよくわかるのでした。私も作文は子供の頃から得意だったけれど、詩なんて書いたことがなかったのです。詩集を読むのは大好きでも、自分には、詩を書くセンスはないと思っていました。でも、私自身が自分の死に直目するという体験の後から始めた私に帰る旅という探求の道の中で、私の心の痛みやとらわれがひとつひとつ流れていき、ハートにスペースができてくると、そのスペースから、詩のような言葉が次々に溢れてくるようになり、それをずっとノートに書き綴っていたのです。
そうしたら、あるとき、出版社の社長との出会いがあり、その場でそのノートが本として出版化されることになったのです。それが、「気づきのノート もどっておいで私の元気!」(善文社)でした。アマゾンでもこの本は詩集の分野に分類されています。でも、自分では、詩を書いたつもりもないし、詩集を出版したという自覚はないのです。
だから、花菜ちゃんが、松山に帰る飛行機の中で、一面の真っ白い雲を見ていたら、この言葉が溢れてきて、日記に書いたら、4期の他の受講生や友人たちに「いい詩だね」って言われてびっくりしたのがよくわかります。
前回の日記で、私は父の旅立ちのことを書きました。今回の講座で花菜ちゃんが体験したものとまったく同じ感覚が私の中にありました。私のハートの中には父がいて、いつも一緒に生きている感じがあって、私は父を喪失した感覚は全然なくて、ハートに意識を向けると父の大きな愛に満たされて、幸せで、幸せで仕方がないくらいなのです。
「かなこに見守られている感覚はずっとあったけれど、かなことつながっているという実感がほしい」と言っていたふみちゃんが、4期の講座の中でかなこちゃんとのつながりをしっかり感じられる体験があったことが本当に自分のことのようにうれしかった。
花菜ちゃんは、実は、東京講座の後はぜひ松山講座を開きたいということで、そのためにはまず自分が受講しておかなくてはということで来てくれることになったのです。
あの3・11は、人の意識を大きく変えるきっかけになったのではないだろうか。その後、父も旅立ち、私の中では、私がいつ旅立つかはわからないけれど、もうそろそろ私が学んできたことは、必要としている人がいれば、みんな伝えていこう、そして、その人なりにそれをなんらかのかたちで人様のお役にたてることに使って、その人自身が輝いて生きていくことができたらいいなあという思いで講座を始めた。
講座ではたくさんの援助の手法は伝えるけれど、私は、援助で最も大切なことは、援助者(カウンセラー、セラピスト、ヒーラー、リーダー)の“Being”「自分自身がどのように在るか=存在の仕方」「どのように生きている人なのか」「どのような空気感が存在から滲み出ているのか」「どのような愛の質をもっているのか」ということが一番大事なことで、テクニック、スキル、メソッドというのは本当は二の次なのだと伝えている。
別に聖者になる必要などない。その人の本質的なエネルギーはみなキラキラしたものだけれど、泥の中に咲く蓮のように、この世での泥にまみれた時間を生き抜いてきた人が咲かせるいのちの花はみな美しいのだ。
ああ、そういえば、受講生の一人が、「人生は、泥んこ遊び!みんな一緒に遊ぼう!」って言っていたな。賛成、賛成。
花菜ちゃん(ふみちゃん)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1777100013&owner_id=9914691&comment_count=11
私たちは、肉体を持って生きていることを「存在」していると思いこんでいて、死は消滅で、不在で、無になることで、悲しみだと思いこんでいるけれど、本当は、肉体を持って「在る」者も、肉体を持たずに「在る」ものも、同じひとつの生命を生きている、それぞれの表れなのです。形として「在る」か、意識、エネルギーとして「在る」かの違いだけであって。究極的には、「在る」のは、ただひとつの存在、意識だけです。その次元ではもうあなたと私という分離さえありません。ひとつなのですから。
4期の東京講座は、受講生35名、再受講生5名、計40名の船出です。いままででいちばん受講生数が多いのですが、なんといっても主催が、まゆ亭くにお&まゆみちゃん夫妻、福島康司&みちえちゃん夫妻という、とても愛に溢れたあたたかいハートの人たちが主催者ですから私は安心してできます。再受講生がとてもいいサポートをしてくれるので心強いです。コクーンのゆりちゃんのサポートも強力です。
すでにカウンセラーやセラピストやヒーラーとしてお仕事している人も多いですし、これから援助の仕事をしていきたいと思っている人もいます。社長さんも6名もいますし、ビジネスマンや大学院生もいます。男性がかなり受講してくれているのもありがたいですし、遠くは大分、松山、香川、愛知、岩手、福島、新潟から来てくださる方もいます。
あの3・11の大震災で津波に飲み込まれて亡くなった方と同じくらいの数、毎年3万人以上の方が、自らいのちを断っているという社会にいま私たちは生きています。いのちの電話が1日中つながらないという状況がもう何年も続いています。幼児の虐待など目をおおうような事件も後をたちません。鬱病の人も激増しています。
西欧の文明、いま私たちが生きている社会は、根底から変容を迫られています。人類史はじまっていらいのパラダイム・シフトが起きています。いますべてが変わろうとしているのです。こんな大変革の時代に生まれることを選んできた私たちは、みんな勇猛果敢な魂のチャレンジャーなんだろうなあ。
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10月8日~11日 岡山3daysワークショップ「いのちの痛みといのちの輝きと」
10月16日(日)「ほおずきの会」
11月4日~6日 名古屋3daysワークショップ
「人生の贈りものー天命、使命の道を生きる歓び」
9月4日・・・母から、父が旅だったという電話をもらった。「お父さん、ほんとうに穏やかな顔で逝ったよ。私たちを安心させてくれるような、この世になんの未練も悔いもないような、静かで、いい表情をして逝ったよ」
私は、父が旅立った知らせを受けた時、不思議なことにショックも驚きも悲しみも寂しさもなかった。一切の感情的な反応や動揺がなかったのだ。ただただ、私は静けさの中にいた。途方もない静寂に私は包まれ満たされていた。
母からの電話を切ったあと、1時間くらいずっと瞑想していた。ずっと時のない沈黙の世界の静けさの中にいたが、少ししたら、海の潮の満ち引きのような音が微かに聴こえてくるようになった。キラキラと光る波の中に私自身がいるようだった。いや、その光る波は、私なのか父なのか、どちらでもあるのか、もうわからないという感じだった。時空を超えた悠久の流れの中に父の魂が還っていったことを感じた。
私には父がいなくなったとはとても思えなかった。父と永遠の別れになったとも感じていなかった。父がいなくなってしまったことが信じられないのではなく、肉体という形はなくなっても、父の存在はまったく消えていないことを、私はありありと感じていたからだ。私自身、死に直面する病気をした時に、あちらの世界に一度行ったから、あちらの世界がどんなにやすらかで穏やかで平和な世界であるかは垣間見ている。大切な人を突然亡くした後も、その人が死んでなんかいないことを知らせるような面白い体験があったので、私は昔のような死の恐怖はいまはないのだ。
しかし、父の死をずっと覚悟していたとはいいえ、やはり大好きな父が亡くなった知らせを受けたら、やはりその瞬間、私は泣きだすだろうと思っていたから自分でも本当に意外だった。この感覚は、これまで瞑想している時に、時々感じていたものと似ていたが、それよりももっと静けさは深く、満たされた感覚は宇宙の果てまで、波のように、波紋のように広がっていった。
父はきっとこのような意識の状態で、この世での肉体の人生を終えたのだと思った。お父さん、こんな気持ちでこの世での人生の幕引きができたなんてすごいなあ。お父さんはいい人生だったんだね。辛いこと、苦しいこと、悲しいこといっぱいあったはずなのに、お父さんは、人生の最後の時に、「俺はこの人生でよかった。俺はこの人生を生き切った。この人生での自分の仕事はやり切った。俺はこの家族でよかった」って思って、もう逝くことを決めたんだね、きっと。
父の旅立ちのときに、こんなに静かな気持ちでいられたのは、父がもうそう長くないということを感じたときから、父に対して自分がやれることは全部やろうと思ってやってきたし、言い残したことはないと言い切れるくらい、伝えたいことは全部伝えてきたからかもしれない。
父が魂の故郷に帰る前に、地上の故郷である父の大好きな釜石に父を含めた家族全員で行くこともできた。あの3・11の大震災が起きる前に連れていくことができたのは奇跡のようなことだったのだと今は思える。父は、大槌の大好きな姉に20年ぶりに会えて大歓びだった。父があんなに笑っているのを何年かぶりに見て、私もとてもうれしかった。
父の入居している老人ホームで、コクーンのゆりちゃんに父の大好きだった昔の歌をたくさん歌ってもらったら、ふだん感情表現をほとんどしなくなっていた父が肩を震わせて泣いていた。昔の思い出につながる音楽が認知症の人の感情を取り戻す力というものを目の当たりにして驚くと共に私も感動した。父の見舞いに行くたびにヒーリングや手当をしてあげることもできた。
この一言をいうのは本当はとても気恥かしく勇気がいったけれど、「私、お父さんの子供に生まれてよかったよ」とちゃんと伝えることもできた。父は泣いていた。親が自分の子供から聴きたい言葉はもしかしたらこの一言なのかもしれないとも思った。「お父さん、私が娘で本当によかったなあって思ってるでしょ?」と言ったら照れ笑いしながらコクンと頷いてくれた。父の入居しているホームの部屋に飾ろうと思って作った、子供の頃からの家族の写真をコラージュした額を作ってもっていったときもポロポロ泣きながらずっとその写真を見ていた。最後は家族なんだな、人の人生は、と思った。
父は、私のワークショップに母と一緒に参加してくれたことがあり、初めてこういう世界を知ったのに、「あけみ、お前はいい仕事をしてるな。これは一生できる仕事だ。どんな人生の体験も、それが苦しいことやつらい体験であればあるほど、それが全部お前の人生の糧になり、肥やしになってこの仕事に深みがでるだろう。お父さんもお母さんもお前を応援しているから精一杯やらせてもらいなさい」
父から有難い言葉をもらった。私がどんな仕事をしているのかまったくわかっていない両親だったが、両親に自分の仕事を認めてもらえたこと、応援していると言われたことは本当にうれしいことだった。
父が亡くなる前―8月21日は、父の80歳の誕生日だったが、その日は「ほおずきの会」があったので、2日前に父の見舞に行った。「お父さん、あさっては、お父さんの80歳の誕生日だね。おめでとう。日本の男性の平均寿命は79歳だから、お父さん、1歳超えたよ。ヤッタネ!」と私が言ったら、父は手を微かに動かしてピースをしたのだ。それが、私が最後に見た父の姿だった。ピースサインが私に見せた人生最後の姿なんて、お父さん、出来過ぎだよ。
「ほおずきの会」では、この間東北の被災地のボランティアに行った時にやらせていただいた通りにコクーンの歌と私の詩の朗読をしたのだが、この日は、なぜか、最後の「いのちの花」を朗読していたときに涙がこみあげてきてしょうがなかった。まるで、父がもうすぐ旅立つことを予感していたかのように・・・。
父は、繊細で傷つきやすくて、頑固で強情で、孤独に弱くて寂しがり屋で脆い人だったけれど、感性が豊かで、努力家で、勉強家で、優しくて、あたたかい人だった。大酒飲みの父が酔っぱらって、どんなに大声を出そうが、暴れて部屋を壊そうが、物を壊そうが、私の「お父さん大好き」は、1ミリも減らなかった。
父はエンジニアだったが、それは「生活の顔」だった。父の「人生の顔」は、歌人だった。「潮音」という短歌の本があるのだけれど、父の作った短歌は、毎号掲載されて、家の本棚には山ほど「潮音」がある。いま、これを書いていてちょっとびっくりしたのだが、前述したように、父の訃報を聴いたあと、瞑想している時に海の潮の満ち引きのような音がずっと聴こえていたと私は書いたが、あの音は「潮音」だったのではないか・・・。父は私に潮音を聴かせることで、存在していることを知らせたかったのではないだろうか。なんかちょっと鳥肌が立った。私が長じて物書きになったのは、明らかに父から受け渡されたものだと思う。本当によく本を読む人だったし、文章を書くのが好きな人だったから。
父が亡くなる前にもうひとつでだけ、しておこうと思ったことがあった。内観である。この間の屋久島の旅では、後半の晴れた日に楽しんだ屋久島の大自然の中でのアドベンチャーの日々しか日記には書かなかったけれど、前半の雨降りの5日間は、ずっと瞑想と内観をしていたのだった。
内観は、生まれた時から今日まで、身調べをする対象に「していただいたこと」「して返したこと」「迷惑(心配、苦労)をかけたこと」の3つを小さい頃から順に思い出して、どんな小さなことでも思い出したものをひたすら書いていくもので、日本独自の素晴らしい心理療法であり、自己観察であり、心の修養なのだが、これを集中して真剣にやると本当に心の底からの感謝が湧いてくるのだ。
これまで一度も自己探求をしてこなかった人や、親との関係での心の痛みやとらわれから解放されるというプロセスを踏んでこなかった人は、いきなり内観しても集中できずにあまりいい体験にはならなかったという人もいるようだが、私は15年ほど前の数年間、自分の根っこである両親との関係の再編集をやった。両親に対してずっとあった抵抗や怒りや悲しみや、いくつものしこりやわだかまりは、私の中の小さな人が癒えていくにつれ、過去が過去になっていった。
それまではどんなに本を読んでもスピリチュアルな教えを学んでも、頭ではわかっても体験が伴わないので、何度も何度も「心の痛みの物語」や「お馴染みのストーリー」に戻るということを繰り返していたのだということにも気づいた。被害者をやっていたということにも、家族の中で犠牲者の役割もやっていたということにも気づけた。
ところが内観をやってみたらそんな気づきどころではなかった。私は子供の頃から夫婦仲が悪い両親の調停役ばかりやっていたし、母親の愚痴の聞役もずっとやっていたし、酔っぱらった父の世話もいつもしていた。働いていた母を手伝って家事もやっていた。小さかった二人の弟の世話もしていたから、半分は弟たちの母親のようでもあった。だから、私の中では、傲慢にも自分が家族にしてあげたことばかりが記憶に残っていたのだ。私の中の小さな人の痛みはもうなくなっていたけれど、自分の中にあったこの傲慢さを内観によってしっかり見切ることができたことは本当によかった。
内観してみると、記憶の底にあったような、一度も思い出したこともなかったようなことがだんだん意識に浮上してきて、私がどれだけ父から愛され、世話され、守られ、心配をかけ、苦労をかけ、迷惑をかけ、支えられ、保護されてきたのがどんどん思い出され涙が溢れてきてしかたがなかった。父のことは大好きだったが、心の底から父に対する感謝がこみあげてきた。
9月6日・・・葬儀の日。父の遺体に初めて対面した。きれいな顔だなあと思った。40代くらいまでは、俳優の山本学にそっくりだったが、その頃の顔だった。父は本当に仏さまのような表情だった。人間は本当はみな仏。一人ひとりが仏陀なのだ、それを父の顔を見て実感した。父の子供に生まれて、家族として一緒に生きてこられたことに感謝の気持ちだけが溢れてきて、その気持ちが、私を悲しみよりも寂しさよりも、父の存在の温かさと父の大きな愛で満たされ、有難くて有難くてしかたがなかった。
母は、父の冷たくなった遺体に触れながら、「お父さん、けんかばかりしてごめんなさい。意地を張って、あやまらなくてごめんなさい。お父さん、私を許してください。もうお父さんとけんかもできなくなって、世話もできなくなって、私はさみしいです。お父さん、私が向こうの世界に逝ったら、私を迎えにきてください。お父さんにまた会いたいです」。母は溢れる涙をハンカチでぬぐおうともせず父に話しかけていた。
弟は「オヤジ、よくがんばった人生だったな。できの悪い息子で申し訳なかったな、俺たちのことでは最後までオヤジに心配かけて、苦労かけてしまったな。オヤジにたくさん反発したけど、本当は尊敬していたよ。オヤジにはとうていかなわないって思っていたよ。オヤジ、本当にありがとな。ゆっくり休んでくれ」
まだ父が元気だった頃、父にこう言ったことがある。「お父さん、私、病気して自分が本当に死ぬんだということが実感としてわかっただけでなく、すべての人がみな間違いなく死ぬのだということ、明日があることなど誰にも保障されていないのだということが腹の底でわかったの。だからね、私、あの時から、今日死んでも後悔しない人生を生きることにしたんだ。自分の人生を私は生き切るって決めたら、世界が本当に美しいって思えたんだ」「お父さん、私ね、人生の最後はこんな風にしてこの世を去りたいと思った詩があるの。高見順が書いた「黒板」っていう詩だよ」と言って、父に一偏の詩を見せた。
< 黒板 >病室の窓の
白いカ-テンに
午後の陽射しがさして
教室のようだ
中学生の時分
私の好きだった若い英語教師が
黒板消しでチョ-クの字を
きれいに消して
リ-ダ-を小脇に
午後の陽を肩先に受けて
じゃあ諸君と教室を出ていった
ちょうどあのように
私も人生を去りたい
すべてをさっと消して
じゃあ諸君と言って
( 詩集 『死の淵より』・高見 順(講談社文庫))
父はこの詩を読んで「あけみ、じゃあ諸君は、オッサンみたいだから、やめなさい。せめて、それではみなさん、ごきげんようくらいにしなさい」と笑って言った。「お父さん、それではみなさん、ごきげんよう、なんて私らしくないよ。あー、おもしろかった、私の人生。ほんじゃ、みなさんお先に、バイバーイはどう?」「ああ、その方がお前らしくていいな」
父との思い出は、いまとなっては、悲しい思い出とか、楽しかった思い出なんてなくて、すべてが懐かしくていい思い出だ。本当にありがとう、お父さん。また会おうね・・・。2011年 9月4日 祝・父80歳の新しい旅立ち。
岡部明美公式ホームページ:http://anatase.net/
9月14日 ほおずきの会
10月8日~11日 岡山3daysワークショップ
「いのちの痛みといのちの輝きと」
11月4日~6日 名古屋3daysワークショップ
「人生の贈りものー天命、使命の道を生きる歓び」
この間、息子が、「お母さんは、なんでお父さんに怒られるといつもあやまってばかりいるの?たまにはムカつかないの?」と聞いてきた。
「だって、お母さんが怒られてもしょうがないことばっかりするんだから、しょうがないじゃん」
「そりゃあそうかもしれないけど、俺は時々、ムカつくときあるよ。まあ、オヤジは滅多には俺には怒らないけど、怒る時の言い方がきつ過ぎる」
「ああ、あの時のアレね。あれは、お母さんから見ても、あなたはやっぱり怒られてもしょうがなかったと思うよ。でも、パパは小さい時から、本当にあなたに優しかったし、よくあなたの面倒を見てくれたし、子育ての半分はパパがやってくれたと思っているよ。お母さんよりよっぽどきめ細やかな子育てだったからね」
夫は、基本的に温厚な人なので滅多に怒ることはない。怒るのは、私や息子がやるべきことを自分勝手な理由でやっていない時、思いやりや優しさが足りない時、やることに丁寧さがない時、注意深さが足りないためにバカな失敗を繰り返す時、筋の通らないことをした時と相場が決まっていて、ここにかすったときに叱られるのである。つまり、不注意でおっちょこちょいの私は、几帳面で繊細で丁寧な夫にたびたび叱られるというわけである。だから、しょうがないんである。
私が友人に「うちは閏年に1回くらいしか夫婦ゲンカをしない」というと「へえオリンピックみたいな夫婦なのね、もともと相性がいいから仲良しなのね。うちなんか年がら年中ケンカばかりしてるわよ」などと言われるが、ちとニュアンスが違うのである。
私と夫は性格も価値観も正反対といっていいくらい違う。趣味や好きな世界もまったく違う。好きで読む本など、お互いがまったく興味がない作家だったり、分野だったりする。私がこだわるところに夫は全くこだわらず、夫がすごくこだわるところに私は全くこだわらなかったりする。離婚の理由のトップは、性格の不一致、価値観の相違だそうだが、そういう理由だったら、私達は合わないところだらけである。
じゃあ、なんで20年も続いてきたのかなあって思うと、お互いが、お互いを変えようとしないからなんだろうと思う。相手に対するニーズがあんまりないのだ。こうしてよ、ああしてよ、こうあるべきだ、みたいなものもほとんどない。主導権争いのパワーゲームもない。ああ、あとは、恋愛の幻想が終わったあとに結婚したからかな。
いや一番の理由は、「コイツは何を言っても変わらん」と夫が早々に悟ってくれたからかも。諦めるというのが悟りの一歩らしいし。諦観―明らかに観る・。あるがままを受け入れるっていうやつですね。なので私は菩薩の夫に頭があがらない。夫に怒られるのがいちばんこわいのである。
夫婦ゲンカに限らず、ケンカというのは、双方が「自分が絶対に正しい」「自分は何も悪くない、間違っているのは全面的に相手」と互いに思っているからケンカになるわけで、そういう意味では、私は自分が絶対に正しいなんて言い切れる自信なんて全然ないのである。それどころがたいていは私が悪いよなあ、だめだよなあ、あーあ、またやっちゃった・・と思うことのほうが圧倒的に多いのだ。
違うということで、人と人は対立するけれど、本当は、違うからこそ、人と人は助け合うことができるし、価値観が違うからこそ相手から学ぶことも多いのだ。「考え方や価値観が違うということで対立する相手というのは、本当は、自分にないもの、足りないものが何であるかを教えてくれる相手であることが多い。責め合ったら地獄。許し合ったら天国」と教えてくれたのが思風先生だったな。
もちろんわかってはいても、うちだって時々派手に喧嘩することもある。だいたい私がふっかけるんだけどね。明け方まで延々議論したりすることもある。いくら温厚な夫でも私の物言いにさすがにキレル。でも相手が怒り出すことによって、本音がわかって、ああ、本当はそう感じていたのね、とわかって私は納得したりする。喧嘩は悪いことだけでもない。互いの本音を聴けるいいチャンスでもある。
雨降って、地固まるのケンカは時々はやってみるもんだと思う。地固まらなかったという結果になったときでさえ、より高い次元から見たら、人生の軌道修正だったり、自立への大きな一歩だったり、自己の尊厳を守るための離別であったり、新しい出会いの扉になったり、真実の愛や自己の本質への大いなる目覚めのチャンスを天からいただいたことがあとになってきっとわかるだろう。
そういえば、この間、夫婦関係で長年葛藤を抱えていた友人が読んで気が楽になった本と言って貸してくれた鴻上尚史さんの『孤独と不安のレッスン』(大和書房)という本を読んでいたら、こんな文章があった。
●とことんだから次へ行ける
恋人や夫婦の喧嘩の時も、とことんやる方が、不安は少ないし、回復は早いのです。いくらもめても、片方がずっと黙っていたり、捨てゼリフの形でしか話合わなかったり、どちらかの親が代りに発言したりすれば、すべて、中途半端な会話ですから、妄想はどんどん膨らみ、不安に押しつぶされそうになります。
直接、ぶつからないから、不安は妄想の中でどんどん膨らみます。そして、お互いの孤独も深まります。当人たちの想像力が、当人たちをどんどん苦しめるのです。ですが、罵り合うのも、とことんやれば、お互いの関係ははっきりします。特に、まだお互いがお互いの関係をなんとかしようと思っている場合、前向きに考えようとしている場合、喧嘩はとことんやった方が、はるかに有効なのです。
中途半端に短い時間しか言い争わないから、問題は深く、陰湿になるのです。一度、文句を言いだしたら、最低でも8時間は言い争いを続けるのです。決して途中でやめてはいけません。悪口も、8時間言い続けるとだんだん言うことがなくなります。8時間も「バカ」とか「頭おかしいんじゃないの」とかだけ言っていると、言う方も,聞く方も飽きてきます。で、「おたんこなす」とか「すっとこどっこい」とか「アンポンタン」とか、だんだん、なんのダメージもない言葉を使うしかなくなるのです。で、笑うしかなくなるのです。
お互いが本気でもめている時は、8時間も罵り合うことは不可能で、だんだんと話し合うようになり、結果、煮詰まった二人の関係が回復する可能性があるのか、ないのかが、はっきりしてくるのです。とことん話し合って、二人の考えていることがまったく違うことがお互いにわかり、これはもう別れるしかないと結論したとしても、それはとても前向きで健全なことだと僕は思います。
その時には胸が張り裂けるくらいつらいことですが、問題に区切りをつけられるとうのは、実は希望です。もう同じところでぐだぐだと悩む必要がなくなるからです。陰湿な妄想に苦しめられることもないのです。不安に押しつぶされそうになることもないのです。関係を終わらせ、次に行けば、きっと新たな出会いがあるのです。そもそも、二人はもう、お互い中途半端なままで、毒薬を飲み続けるという不健康なことをしなくていいのですから、それだけでも、ずいぶん、精神衛生上はいいのです。
そういえば、友人のコクーンのゆりちゃんから大笑いの話を聞いたことがある。ゆりちゃん夫婦はふだんはとても仲が良い。最高のパートナーシップである。ゆりちゃんはダンナを尊敬しているし、ダンナもゆりちゃんの存在を丸ごと愛し、コクーンの音楽活動も全面的に協力し、応援している。ダンナが本当によくできた人なのだ。それなのに、ゆりちゃんは、ダンナにいつも「私と結婚できてよかったね。しあわせでしょ」と言っているのだから、ズーズーしいにもほどがあると思うのだが、ダンナはそれを聞いてもいつもニコニコしている。
うちのダンナとゆりちゃんのダンナは、会うと必ず互いを褒め称え合う。というか「同病相哀れむ」みたいな目をして互いを見る。「僕たちはよくぞ、あんなブっ飛んだとんでもない女房に耐えてるよね」「僕よりあなたの方がエライ!」「いやいや、あなたの方が僕よりずっとエライ!」と言い合うのだ。
ゆりちゃんちはあまり夫婦ゲンカはしないらしいが、笑えるエピソードがあって、結婚当初、ゆりちゃんは、たまたまダンナの言葉に腹を立て、大喧嘩になり、家出しようと思った時に「よおし、スゴい啖呵を切ってやるゾ!!」と意気込み、玄関で捨てゼリフを吐いたらしい。
その時に切った啖呵は、「私には、あなたはもったいないよ!!!」
本人は、「あなたには、私はもったいないよ」というつもりだったらしいが、出たのはこのセリフ。二人は大笑いになり、「なんでケンカしてたんだっけ?」とめでたくチャンチャンだったらしい。いやあ、まったくもってゆりちゃんらしい。やはり、アホは人生を救うのだ。アホ力が足りないと深刻になり過ぎて、コトを大きくし過ぎてしまうからね。夫婦ゲンカは犬もくわないというけれど、どうせだったら犬がおかわりするくらいのケンカはたまにはいいかも。
PS:というわけで、私と同様、夫を悟りの境地まで成長させてしまったコクーンのゆりちゃんが先週末の三浦ワークで人気のボイスワーク「Song of your Life」をやってくれて大好評でした。今回は珍しく参加者の半数が男性。それも殆どが経営者やリーダーでした。主催者の「まゆ亭くにおちゃん」もいつもとはかなり雰囲気が違うことに驚いていたみたいです。くにおちゃんが三浦ワークの様子を「天命・使命の道は、宇宙のフローに乗ること、コア・ステートの発見から」というタイトルで日記に書いています。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1769925196&owner_id=3666589#write
今回の三浦ワーク同様「いのちの輝きは、天命・使命を生きる歓び」というテーマでやるのは、10月8日~11日の岡山3daysと、11月4日~6日の名古屋3daysです。12月16日~18日の琵琶湖ワークは、「人間関係とパートナーシップ」のテーマでやります。詳しくはHPをご覧ください。
岡部明美公式ホ-ムページ:http://anatase.net/
「当機は、屋久島空港の上空が台風接近による強風で荒れているため、やむなく、鹿児島空港に引き返す可能性がありますことをご了承ください」
そんなー、せっかくの年に一度の長期バカンスのはじまりなのにー。そういえば、去年の沖縄ひとり旅も、台風上陸で、到着したホテルは停電のため真っ暗だった。数日間は、雨のため、ホテルに缶詰めだったっけ。
数年前に家族で行ったハワイも、1週間雨降りで、結局一度も泳がず、ハワイ島のマウナケアに登って、頂上で家族3人で雪合戦して帰ってきたのだった。ハワイ島の海で子供と一緒にイルカと遊ぼうと思って行ったのに、常夏のハワイの思い出が雪合戦って、どーよ。ま、忘れられないエピソードではあるが。
しかし、なんと飛行機は幸運にも無事屋久島に着いたのだった。やったね。着きさえすればこっちのもんだ。とはいうものの、雨は毎日続くのだった。まあ、2,3日したら晴れるだろうと思っていたら、とんでもなかった。台風、集中豪雨が毎日続き、なんと、5日間、雨、雨、雨・・・。今回は、はじめて8日間の一人旅だったが、最後の3日間は、台風一過の抜けるような青空が広がって、最高に気持ちのいい天気だったからよかった。
でも、結果として、5日間の雨降りはよかったのだ。なぜなら、今回の屋久島の旅では、屋久島の大自然に触れることだけが目的ではなく、ひとり静かな瞑想の時間をもつことと半断食をすることも併せて目的にしていたからだった。
宿泊施設は、テレビなし、ラジオなし、新聞・雑誌なし、パソコンなし、CDプレーヤーなし。つまり、私は最初から情報断食とからだの断食をしようと思っていたし、文明の力から遠い環境に身を置くことを旅の目的にしていたからだ。私は携帯電話ではメールをしていないから、本当に日常的な情報やコミュニケーヨンから完全に遮断された環境だったのだ。
それでも、外部からの情報は断食しようと思ってはいたけれど、雨降りが多いことで有名な屋久島である。雨降りの日は、瞑想するにはもってこいだけれど、長期に雨が続くことも考えて、何冊かの本は持っていこうと思った。
まず、5,6年前に読んで、いつか屋久島に行きたいなあというきっかけをつくってくれた田口ランディの『ひかりの雨ふる屋久島』と、屋久島在住の詩人の故山尾三省さんの詩集を再読しようと思ってバックに入れた。
それから、この間、書店に平積みされていたので思わず購入した北山修の『最後の授業 ~心をみる人たちへ~』も入れた。北山修が歌手から精神科医になったのは知っていたが、九州大学の教授になっていたのは知らなかった。この本は、精神科医や心理療法家を目指す九州大学の学生に向けて行った、北山修の教授退官前の「最後の授業」の様子が記録されているので、興味深かったので買ったのだった。
バックに入れようかどうか迷ったのが、再読してみようと思って机の上にずっと置いていた鎌田東二の『神道のスピリチュアリティ』と鈴木大拙の『日本的霊性』。でも、精神世界系の人の移住が多いことでも有名な屋久島で、この2冊の本を読むことはちょっとくさいよなあと思って持っていくのはやめた。
雨降り5日間。迷った2冊の本も入れたら5冊の本!なんだ、もしかしたら私の無意識は屋久島の旅は長期の雨降りになることを予感していたのかしらん?無意識はなんかとっても賢い知恵があるからなあ。
晴れていたら毎日、海岸まで朝陽と夕陽を見に行こうと思っていたのだが、しょっぱなからそれはかなわなかった。しかし、毎朝4時半になると十数羽のニワトリたちが一斉にコケコッコーと鳴きだすので、バシッと目が覚める。そのまま1時間ほど瞑想してから、おもむろにカッパと傘を持って海岸に出かける。台風の影響で荒れている海をただ静かに眺めていた。
その後は、朝7時からやっている町営の温泉に行く。毎朝一番乗りなので、ほぼ貸し切り状態。回数券を買うと1回150円。硫黄が含まれた温泉は肌がツルツル状態なる。なんとも贅沢な時間だった。「ああ、極楽、極楽」
宮崎駿のジブリ映画「千と千尋の神隠し」のモデルになったといわれる「千尋の滝」も、日本の滝100選に選ばれた「大川の滝」も集中豪雨のため、水量がふだんの何倍にもなっており、落下する滝の炸裂する様は、水の落雷のようで身が震えるほどだったが、自然の激しさには独特の美しさがあった。
今回の屋久島の旅では、とにかく観光客がわんさかいる場所は避けようと決めていた。なので、屋久島といえば縄文杉だが、私は最初からここははずしていた。オンシーズンは、700人くらいの人がぞろぞと縄文杉を目指して山登りするこのコースは私にはまったく魅力的ではなかったからだ。
千尋の滝も大川の滝も観光客がたいてい寄る場所だから、敢えて朝早い時間帯に行った。大雨が降っている朝の早い時間帯に来ている人など案の定だーれもいなかった。人はいないのに緑深い山々や、鬱蒼とした照葉樹林の森たちや、苔むした森の中は、生き物たちの気配で満ち満ちていた。
亡くなられた屋久島の詩人、山尾三省さんの家を見に行った。屋久島に移住した方は、自分で家を建てられる人も多いようだが、決してりっぱとはいえない山尾さんの家もおそらくご自身で建てられたのだろう。母屋と書斎と畑がある。書斎は川のほとりにあった。
この書斎で川の流れる音を聴きながら、蝉の鳴き声や樹木の葉の揺れる音や鳥の囀りを聞きながら、あの言葉たちが生まれていったんだろうな。言葉が生まれる以前に音がある。自然の音に繊細に耳を澄ますと、身体の内側に流れている微かな音と共鳴し合い、語り部の意識と感応し合い、意味のある言葉が自然に紡ぎだされていくのだろう。
< 大 工 >
太郎 中学3年 後輩にあとをゆずって
野球部を引退したお前に この夏休みの宿題を与える
大きくなったお前と やがて大きくなる次郎
二人の部屋を 自分たちの手で立て増しをすること
父は棟梁 図面を引き ネダ材のホゾを切る
お前は弟子 柱材にホゾ穴を掘る
次郎はやがて12歳 今はまだ川で うなぎの仕掛けに熱中している
何をすることが 本当に楽しいことなのか
何をしているときに 胸に希望があり それが静かな力となるのか
父は子に教えようとし 父はまた 子から学ぼうとしている
大工 おおいなる たくみ
< びろう葉帽子の下で >
ただの なんのへんてつもない びろう葉帽子
奄美大島の倒産した問屋が放出した 手作りの びろう葉帽子
それなのに それをかぶれば その瞬間から
敗れ去って行ったものの 不可思議の力がはじまる
わたくしが わたくしであるということは
必ず 敗れ去ったもののもとにある ということー
そして その同じ瞬間に 喜びが はじまる
生きてあることの 美しいできごとが はじまるー
ただの なんのへんてつもない びろう葉帽子
びろう葉帽子の下で ゆっくりと鍬を振り じゃがいもを掘る
屋久島は隆起した花崗岩でできている。島の表面は雨が降ったら流れ出してしまうほどの薄い土の層で覆われている。その1メートルにも満たない薄い表土に植物たちが根をはやす。屋久杉は老賢者のような佇まいだ。森の中の透明で、清冽な川にある大小の石はビロードのような苔で覆われていて本当に美しい。
屋久島の山は、世界中の緑をすべて集めたような野生の力が漲っていた。大手資本によって開発された南の島のリゾート地とは、圧倒的に何かが違う。太古の森に彷徨ったような感覚におそわれる屋久島の森は生命力に溢れていて闇が濃い。過酷な自然条件で生き延びてきた自然の中には深い闇がたくさん残っている。闇が深い分、晴れた日の満天の星の美しさは言葉を失うほどだった。
屋久島の自然散策をガイドしてくださった方は、快晴になってからは、毎日、朝から晩までマンツーマンで、観光客の誰もいないようなところばかりを選んでくれて、山登り、シュノーケリング、沢登り、朝陽や夕陽スポットをガイドしてくれた。ガイドというより一緒に海に潜り、沢登りをした。透明で美しい海の中は、地上とは全く違う別の宇宙だった。様々な色とりどりの魚たちが悠々と泳いでいて目を楽しませてくれる。
沢登りは、初めての体験だったが、最高にエキサイティングだった。ヘルメットをかぶり、軍手をはめ、膝当てをし、地下足袋を履き、大小の石がゴロンゴロンあり、流れも速く、小さな滝のようになっているところもある沢を上流に向かってどんどん登っていくのだ。一瞬たりとも気を抜いたら流れに足元をすくわれる。沢というよりは川に近い。からだひとつで上流に向かって忍者のようにピョンンピョンと適切な石を見つけて動いていく。ところどころで水の中で泳ぐ。これを経験したら、もうリバーカヤックでの川下りなどつまらないと感じるほどだった。
森の中にいても、私が森を見ているのか、森が私を見ているのかよくわからなくなった。何か大きな大きなものに私が見つめられ、見守られていることをひしひしと感じて、ちょっとだけ涙が溢れてきた。山も川も沢も滝も海も、その中で私は時を忘れ、すべてのものと一体になり、私は苔むした石であったり、一滴の雫であったり、流れる川であったり、満身創痍の屋久杉であったり、泳ぐ魚であった。ただ、ウツボとまむしに合ったときだけ、私は恐怖で、私の形の中に即攻で逃げ込んだ 。恐怖が分離を生むことが本当によくわかった。
海亀の産卵で有名ないなか浜の夕陽の美しさ、チャペルのようなオシャレな灯台、深く静かな渓流、グランドキャニオンみたいな秘密のスポットの大きな石の上で静かに瞑想していた時の心地よさ、観光ガイドにはのっていない広い芝生とブランコがある庭のある喫茶店で食べたイチゴミルクのふわふわかき氷の美味しさ、満天の星を見つめていた時に何十個も見た流れ星・・・
屋久島でのひと夏の体験は私を深く、深く満たしてくれた。この満たされたエネルギーを私の日常に関わる人たちに、仕事で関わる人たちに静かに溢れていくといいなと思う。
いのちは、バランスを求めて、最適の時期に、自分にとって必要な場所に、からだを運ぶことを私は知っている。
生命の島、屋久島がまた私を呼ぶ時が来るだろう・・・。今度は、仲間たちと一緒に行くのもいいかな。
岡部明美公式ホームページ;http://anatase.net/
8月21日(日)「ほおずきの会」(コクーンのコンサートもあります)
8月26日(金)~28日(日)三浦3daysワークショップ(定員・キャンセル待ち)
9月9日(金)・10日(土) 京都個人セッション(定員・キャンセル待ち)
9月11日(日)琵琶湖1dayワークショップ
9月23日(金・祝日)出雲(島根県)
岡部明美講演+伊藤まな&ひろのクリスタルボウルコンサート
(東日本大震災のチャリティ)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1752264850&owner_id=29595168
10月8日(土)~10日(月・祝日)岡山3daysワークショップ
7月2日の夜10時に東京を出発し、まず岩手県に向かった。コクーンのマネージャーである雨宮さんことマイミクの「雨ちゃん」が演奏機材とコクーンのボーカルゆりちゃんとキーボードの裕子ちゃんと私を乗せて出発した。
雨ちゃんは、世田谷区の社会福祉協議会の所長であり、実家は曹洞宗のお寺なので、実は雨ちゃんはお坊さんでもあるのだ。雨ちゃんはすでに世田谷区の社会福祉協議会の部下を連れて、震災後すぐに南三陸町を訪れ、そのあまりの惨状に言葉をなくすという経験をしている。
私たちが最初に向かったのは、南三陸町と並ぶ、街全体が津波に飲み込まれて壊滅状態になった陸前高田町の中学校の避難所。雨ちゃんは仕事を終えて疲れているのに、車を運転し続けてくれたのだ。途中サービスエリアで何度かの休憩はしたけれど、陸前高田町に着いたには3日の午前8時。都合10時間かかった。
皆車中1泊ということだったが、ほとんど寝ていない。私は一睡もできなかった。足を伸ばしてまっすぐに寝られる、布団の上で寝られるということが、ただそれだけでどれだけありがたいことなのかと思った。私たちの乗っている車が岩手に入ると、コンビニの窓に「ボランティアのみなさん、ありがとうございます。支援をありがとうございます。つながってくれてありがとう!」と書いた張り紙のある店がいくつもあった。
テレビの映像や雑誌の写真では見ていた。しかし、陸前高田町の地に着いた時、これが本当に現実なのかと、いったいこれはなんなのだと、そのあまりの惨状に身体が固まり、目を覆いたくなった。でも、見なければいけない、この現実を直視しなければいけないのだ。
ペシャンコになった車がうず高く積まれている。瓦礫の山の数はかぞをきれないほどある。おそらくここに駅があったのだろうという場所があった。線路が折れ曲がり、地面にくい込み、途中で切断されている。家屋は全滅。どこが道路だったのかもわからない。かろうじて残っていた鉄筋コンクーリートの建物はすべて窓ガラスが割れ、穴ぼこだらけだった。大木が無残に引き裂かれ、人っこ一人歩いていない。カモメの泣き声だけが聞こえる。
廃墟―この目で見た、はじめての、ほんとうの、廃墟。ここに暮らしていた人々の日常が跡形もなく消えていた。ここで暮らしていた人の多くが、あの海の中に飲み込まれ消えていったのだ。言葉を失った。4人とも黙りこんでしまった。
陸前高田町の避難所になっている中学校に行った。地元の方は、「これでもきれいになったんです。自衛隊の人たちが毎日、毎日本当にがんばって働いてくれて、ここまで片づけてくれたんです。全国からたくさんの方がボランティアに来てくれて本当に有難いです」とおっしゃる。
私たちが避難所である中学に行くと、やさしそうな顔をしたおばあちゃんが体育館の入り口で「よぐきてくれたねえ。疲れだべ。外は暑いから、はやぐ中さ、入ってけで」と言う。懐かしい岩手弁。あったかいんだ、岩手弁、東北弁は。長期にわたる避難所生活でどれだけ疲れているかしれないのに、その人たちがボランティアの私たちにねぎらいの言葉をかけ気遣ってくれる。体育館が避難所になっていた。ダンボールで仕切られたわずかなスペースが家になっていた。一人畳一畳ほどのスペース。3人家族で3畳くらいしかプライベートスペ-スがない。横になって寝られるだけのスペースが与えられていた。
11時過ぎにクリスタルボウルの奏者である友人の伊藤真奈&ひろ夫妻が到着。陸前高田町の人にとっては、私もコクーンの歌もクリスタルボウルもすべてはじめてだっただろう。
少し前に、北島三郎や天童よしみやエグザイルが来てコンサートをしたという。穏やかな岩手の人が珍しく怒りを少し抑えながらも、「地元なのに小沢一郎はまだ来ていない。地元の人の支持があって中央の政界に出られたのに、偉くなるとだめになる。権力をもつと人間はだめになる。普通の人たちがこれだけ毎日のように全国から支援に来てくれているというのに、政治家かいちばんだめだ。あてにならない。普通の人たちが今いちばん力を貸してくれて、本当にありがたい」と言っていた。
避難所の前には、大阪からやってきた炊き出しボランティアの人たちがたくさん来ていて、「イカ焼き」を避難所の人たちに配っていた。いい匂いがした。地元の岩手で被災を免れた人たちが「チャグチャグ馬子」を2頭連れてきて、子供たちを乗せて楽しませていた。父が釜石で民謡保存会の会長をしていたお陰で、私も「チャグチャグ馬子」他、東北の民謡はたいてい歌えるので、一緒に歌った。
避難所に文字が書かれた木がたくさん積まれていた。津波の被害を受け、薪として再利用されている高田松原のマツが、大文字焼きで知られる京都の夏の風物詩「五山の送り火」に使われることになったのだ。遺族がかがり火をともす割木にメッセージを書き、思いを綴り、犠牲者の「鎮魂」を祈るのだ。発案したのは、「大分エコクラブ鎮魂の大文字」の方々だという。
●私の大切な、愛する孫 あきちゃん バアバは、あきちゃんと遊んで楽しかったよ。天国でもいっぱい遊んで楽しんでね。バアバもそのうち行くから待っててね。また一緒に遊ぼうね。
●希望を持ちたいと思います。あの日以来、いままで当り前に思っていたことが、どんなに幸せなことだったかに気がついたのです。家族がいること、家があること、お金があること、物があること、学校に行けること、職場に行けること。いのちがあること。今まで全部あって当り前と思っていたのです。
●じいちゃん、息子よ、やすらかに眠ってくれ、みんなで少しづつがんばっているからな。
●忘れない ずっとずっと お父さん ばあちゃん ひろみ 天国でやすらかに眠ってください
●オフクロ様 あの世でも 元気に 飛んで! 跳ねて!この世でそうだったように。
●一歩一歩体も心も元気を取り戻しつつあります。貴方も天国で私たちを見守っていてくださいね。
●全国の皆様、力を貸してくれて、助けてくれて本当にありがとうございます。このご恩は一生忘れません。帰らぬ人となった私の妻、子供たち、いい家族だった。しあわせだった。天国でまた会おう!
●散り逝きて 心に残る面影よ
コクーンが、「傷だらけのエンジェル」(裕子ちゃんの亡くなった息子さん、ひかる君の歌)を歌っているとき、避難所である体育館に突然一羽のツバメが入ってきて鳴きながらクルクルと何度も旋回した。ツバメの巣などないにもかかわらず。曲が終わるとさっと窓から出ていった。きっとあれは、ひかる君だね、とみんなで話した。
クリスタルボウルの演奏を終えた伊藤真奈さんが言った。「この避難所には身体という魂の衣装を脱いだ人たちがたくさんきていて満席だったね。津波に突然飲み込まれて亡くなった人たちの中には、自分が死んだということをまだ認識できていない霊もたくさんいて、今日のコクーンの演奏と私たちのクリスタルボウルの演奏は、鎮魂の歌であり、弔いだったね」と。
陸前高田町の翌日は花巻へ。花巻ホテルが、釜石や大槌や山田や宮古で津波によって家を失った人たちを大勢受け入れていて、ホテルが避難所になっているのだ。大きな和室を使ってやらせていただけた。私が最初に岩手弁で話をして、コンサートの最初と最後に私の本の朗読をした。私の父と同じ、新日本製鉄で働いていた夫を亡くした方がいたり、大槌の叔母の近所に住んでいたという人もいて、自分以外の家族と家を失くしたという人もいらした。最初から私たちを受け入れてくれている雰囲気だった。
コクーンの歌では多くの人が涙を流していた。クリスタルボウルの演奏ではみなさんリラックスして心地よさを味わってくれたようだ。ここでやる段取りをつけてくれたのは、私の岩手ワークの主催者であるマイミクの「ココロ」さんと「かりん」ちゃん。帰られるときにみなさんがとてもいい顔をして、ココロさんに「あの3月11日以来、時間がとまってしまった。でも、今日はじめて、もう一度時間が動きだした」と言って帰られた人がいたという。私たちにも「こんなにリラックスできたのは、震災以来はじめて。よく来てくれました。しあわせな時間でした」と言ってくださった人がたくさんいました。
震災は本当に深い爪痕を残した。身体の不自由な母親を背負って高台の方に向かって走っていると、津波が腰までやってきた。その時背負われていた母親が、息子の背中をバン!と押して「お前だけ逃げろ!と言い、次の瞬間母親は津波に飲み込まれ亡くなったという方、仕事に行っている間に家族全員が津波に飲み込まれ、家族と家を一瞬にしてすべて失くしたという方、お一人お一人がつらい体験をされている方ばかりだった。
東北にボランティアに行く前に何を救援物資として持っていくかコクーンと相談したとき、私は、自分の2冊の本を、コクーンは私とのコララボ朗読cd「いのちの花」とコクーンの歌のCDを贈呈しようということになって持っていった。終わったあと、わっと人が集まり、ありがとう、ありがとうと、喜んでみなさんが本とCDを持ち帰ってくれたことがとてもうれしかった。
この間の松山・中島ワークに来てくれたかずちゃんは、化粧品やエステの会社の社長さんですが、化粧水や乳液や美容液や洗顔フォームがセットになったものを救援物資としてたくさん送ってくださり、それも飛ぶようになくなった。こういうのは本当にありがたいと喜んでくださった。
花巻の翌日は、福島の郡山。郡山に向かう途中、ものすごい豪雨と落雷と強風だった。まさにいまの福島の状況を暗示するかのような天候だった。避難所になっているのは、ビッグパレットというふだんは6千人入るコンサートホール。陸前高田と花巻と違うのは、ここに避難されている方々は、福島第一原発事故による避難指示により、地震発生後の3月16日から避難してきた富岡町、川内村の住民の方々だったということ。当初は、2400人の以上の人が避難していたが現在は仮設住宅にどんどん移られ、500人ほどの方がここで生活している。
ここはお掃除ボランティア、炊き出し、足湯、美容カットボランティア、マッサージボランティアの方々が全国からきている。ここには、生活支援ボランティアの「おたがいさまセンター」があり、長期化する避難所での生活や、仮設住宅に移ったものの知り合いもいなく孤立化する入居者のメンタルケアも含めて「住民の交流と自治を守り、コミュニティを再生する」役割を果たそうとする取り組みをしている。
もうひとつ私が注目したのは、「ペイ・フォワードこおりやま」の活動だ。「ペイ・バック」は、人から受けた厚意や親切をその相手に返すことだけれど、「ペイ・フォワード」は、映画「ペイ・フォワード」からアイディアをいただいたそうで、自分が受けた他者の思いやりや善意や親切を、その相手に返すのではなく、別の3人に渡す、「次へ渡す」ことで助け合う世界を広げていこうというムーブメントのことだ。自然災害と原発事故という人災の二重苦にあえぐ福島の方々が新しい社会を構築しようとしているその姿勢に頭が下がる思いだった。
伊藤真奈さんとひろさんは、私たちよりも長期で東北に滞在するので、郡山の前にお二人は石巻に行ったため、ビッグパレット郡山に行ったのは私とコクーンだけだった。コクーンのコンサートが終わったあと、多くの人がかけよってきて、「ありがとう、ありがとう、私たちは負けないよ、福島はがんばるよ」「ここにはいろんな歌手が来てくれたけど最後までいたのは初めてだ。あんたちみたいなのは初めでだ」とコクーンに言っていた。ここでボランティアができるように段取りしてくれたのは、私のワークショップに何度も参加してくれたマイミクの「むっちゃん」だ。むっちゃんは、郡山の隣の本宮市役所の福祉課に勤めている。むっちゃんに再会できてよかった。
私たちの東北ボランティアの活動資金は、毎月の「ほおずきの会」に参加してくれた人たちのお陰です。「ほおずきの会」の収入を東北の被災地の支援に回そうと決めてくれた「まゆ亭くにおちゃん」本当にありがとうございます。
7月27日(水)の「ほおずきの会」でコクーンと私がお礼とご報告をします。8月21日(日)の「ほおずきの会」では、コクーンが、避難所で歌ったうたを全部唄うコンサートがあります。「ほおずきの会」は、どなたでもご参加いただけます。
http://anatase.net/hoozuki.html
岡部明美公式HP http://anatase.net/
7月30日~31日 名古屋2DAYSワークショップ
主催:伊藤真奈&ひろさん(クリスタルボウル奏者・セラピスト)
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=19056438
テーマ:自分を活かし、人を活かす、愛と思いやりに溢れた内なる旅
8月26日(金)~28日(日) 三浦半島2泊3日ワークショップ
主催:まゆ亭くにおちゃん
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=3666589&from=navi
テーマ:「聖なる扉を開く」~彼方からの声に耳を澄まし、自分の人生の贈り物を見つける~
7月3日からコクーンと伊藤真奈さん&ひろさん(クリスタルボウルの奏者)と一緒に行くことになっている東北地方の被災地ボランティア。最初は釜石に行く予定にしていたが、釜石の復旧作業が急ピッチで進んでおり、6月末には避難所にいる方々が皆仮設住宅に住めることになったという。
そこで、岩手県内で最も被害が大きかった陸前高田町の中学校が避難所になっているため3日はそこに行くことになった。4日は、花巻の避難所、5日が福島県の郡山の避難所。伊藤真奈さんとひろさんは、長期で滞在する予定で、宮城県の避難所もいくつか回る予定にしている。
震災直後より、現在の方が、メンタルなケアを必要としている人がとても増えているという。長期的に、継続的に、自分のできる範囲で支援してきたいと思っている。毎月1回やっている「ほおずきの会」の収入をボランティアの活動資金として使わせていただけてとてもありがたいです。ありがとうございます。今月は、6月26日(日)に「ほおずきの会」(瞑想、リラクゼーションのボディワーク、オープンカウンセリング、私の話などがあります)がありますので、お時間ある方はぜひいらしてください。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=63206782&comment_count=0&comm_id=982903
名古屋から東北のボランティアに向かう伊藤真奈さん&ヒロさんが、その活動資金を集めるため、7月1日、2日に東京でチャリティ・クリスタルボウルの演奏会をします。とても素敵な演奏会です。ぜひお出かけください。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1738731336&owner_id=3666589&comment_count=1
村上春樹氏 『 カタルーニャ 国際賞での演説 』
「非現実的な夢想家として」
ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1.8秒短くなるほどの規模の地震でした。
地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。
日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。
台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。
にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。
日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。
「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。 自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。
どうしてか? 桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。
そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。
今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。 でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。
結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。
ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。
僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。
みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。
十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。
なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。
また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。 我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。
日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。
しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。
ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。
僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。
戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。
広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。
そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。
何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?
理由は簡単です。「効率」です。
原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。
そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。 そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。
そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。 原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。
それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。
ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。
「大統領、私の両手は血にまみれています」
トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」。 しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。
我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。 我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。
それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。
前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。
壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。
その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。
最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。
僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。
カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。 日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。
我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。
最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。(バルセロナ共同)
村上春樹氏のこのスピーチを教えてくれたチカちゃん、月さん、ありがとうございました。
「脱原発」へ1000万人署名開始
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1638370&media_id=4
「さようなら原発1000万人アクション」
http://www.peace-forum.com/no_nukes/
日本人の夢、送電線国有化1000万人署名
http://maketheheaven.com/japandream/
岡部明美公式ホームページ:http://anatase.net/
7月30日(土)~31日(日)名古屋2daysワークショップ
内容:内なる旅の中に見つける自分を活かし、人を活かす道――愛のある援助の方法を体験します。医療関係者、援助職の人、福祉関係の方、人材教育や社員教育に関わるリーダーに最適です。自分を深く知り、自分の道を探求したい方にも最適です。
8月26日(金)~28日(日)三浦3daysワークショップ
テーマ:「聖なる扉を開く」~自分のいのちを輝かせる贈り物はすでにみな持って生まれてきた。彼方からの呼び声に耳を澄まし、魂がワクワクする人生を生きよう~
コクーンのボーカルゆりちゃんのオリジナルボイスワーク「Song of your Life」のワークもあります。
年老いた両親と離れて暮らしていると、実家からの朝早い電話や深夜の電話には毎回ドキッとする。いつ別れの時がきてもおかしくない状況だから、覚悟はできているとはいえ、慣れるわけでもなく、微かなうろたえを胸の内に静かに抱えながら日々暮らしをしているような状況だ。
いつの頃からか、親が小さく見えるようになった。親の、一人の人間としての弱さも脆さも惨めさも無力感も淋しさも、透き通った風の中に舞い散る木の葉のように見えるようになった。こんなに小さかったのか、こんなに弱かったのか、私のお父さん、私のお母さん・・。それは、私が大人になったことを悟った日だったのかもしれない。
その感覚は、何かに似ていた。そうだ、あれだ。故郷を離れて何十年、都会の生活に慣れ、都会の喧騒も刺激も贅沢も味わい尽くした頃、ふと、故郷を訪れたくなって旅に出た。すでに故郷は帰る場所ではなく、旅する場所に変わっていた。
釜石の駅に着いて、驚いた。駅前にあった新日鉄釜石の工場にあった何本もの溶鉱炉の煙突からまったく煙が出ていない。モクモクと、モクモクと、まるで天まで立ち昇るような勢いでゆらめいていた煙がもはや跡形もなく消えていた。灯りの消えた町になっていた。
あの立ち並び、聳え立つ、大きな大きな煙突群は、釜石という小さな田舎町の中にある唯一の「強さ」と「豊かさ」と「未来に向かって歩いていく力」を象徴していた。
人に青春時代があるように、町にも、国にも、青春時代があり、成熟した大人の季節があり、老齢期に向かっていく季節がある。ずっとずっと続くと思っていた、この活気が、この輝きが、このエネルギーが。しかし、故郷を離れて何十年かして訪れた町は、老いていた。活力をなくし、さびれ、沈んだいた。
私たち家族は、釜石という町の青春時代に暮らしていたのだとうことがいまになってわかる。あんなに若くて、大きくて、強かった町が、年老いて弱くなったのを見たときに感じた切なさは、子供だった私にとって、永遠に私より、強くて、大きくて、かなわないと思っていた両親が、もうそのような存在ではなくなったことを知った日のさみしさであり、切なさであり、それを感じて初めて湧きあがってくる感謝でもあった。
先日、3期の名古屋カウンセラー養成講座の受講生だった香川の「ナオちゃん」が、「釜石橋上市場」というタイトルの写真集を私にプレゼントしてくれた。今回の東日本の大震災で釜石の沿岸部が壊滅状態になって、うちの両親が心を痛めていることを日記に書いたからだろうか、「あけみちゃん、もしよかったら」と言ってくださったのだ。ナオちゃん、ありがとう。
その写真集には、活気のあった釜石橋上市場とそこで働く人々のくったくのないいい笑顔がたくさん掲っていた。モノクロームの写真集であったことがまた郷愁をさそったのだろう、父に見せたらポロポロと泣きながら見ていた。
私が父に、「7月になったら、私とコクーンのゆりちゃんとゆうこちゃんとマネージャーの雨ちゃんと名古屋のお友達と一緒に釜石の避難所にボランティアに行ってくるからね。大槌のおじちゃんとおばちゃんにも会ってくるよ。福島にも行ってくるね。郡山にある大きなイベントホールがいま避難所になっていて、私のクライアントさんだった女性が市役所の福祉課に勤めていて、連絡とって、ボランティアに行こうと思うって言ったら、とても喜んでくれて、その大きな避難所でコンサートや手当やヒーリングや傾聴ボランティアができるよう今準備してくれてるんだよ。私は、私のできることをしてくるね」言ったら、もうほとんどしゃべれない父は、親指と人差し指で丸を作り、うんうん、と頷いてくれた。
その時は、いつもとそう変わらなかったから私は安心して家に帰ってきたのだが、その10日後に、弟から電話があって、父がまた肺炎になり、脳梗塞も起こし、老人ホームから救急車で運ばれて入院したという知らせがあり、急遽、入院先の病院に行ったら、酸素マスクをつけて横たわっていたので、驚いた。かろうじて目をあけてくれて私がきたことを認めたようだった。
数日後に松山・中島でのワークショップが控えていた。今回はもう無理だと思い、主催者の「花菜ちゃん」に電話入れて、中止にせざるえない状況にあることを伝えた。芸人は親の死に目に合えないとか、プロの仕事というのは親の死に目に合えないのが普通だとか言われるが、だったら私は、アマチュアと言われようが、素人仕事だと呼ばれようがかまわない。私は芸人じゃないし、仕事の鬼でもない。仕事は愛しているが、緊急事態になったら、私は、仕事よりも親をとる。もし、仕事中だったら、土下座してでも帰らせてもらう。
これまで2回、父の状態の悪化で入院があった。去年の三浦ワークの前と、3期の養成講座の途中だった。私は腹をくくったのだが、父はなんと2回とも危機を乗り越えてくれたのだ。しかし、今回は、これまでと違う。酸素マスクをつけて、全身管だらけになっているのだ。私は覚悟を決め、実家の近くの葬儀屋をインターネットで検索したほどだった。
しかし、松山・中島ワークの3日前に、医師から、お父さんは、だいじょうぶそうだから仕事に行ってくださいと言われたのだ。父はまるで「仕事に穴をあけてはいけない」とでも言いたいかのように、結局、毎回、持ち直して、私を仕事に行かせてくれるのだ。私の仕事を応援してくれている父の愛を感じて涙が出てきた。
松山の港から、船で30分くらいのところにある中島は、本当にのどかでのんびりとした癒しの島で、ここで「花菜ちゃん」が年に1回私のワークショップを主催してくれているのだ。私のワークショップでは珍しく、男性の参加者が7割という珍しい構成で、そのほとんどが経営者か経営幹部の男性たちだ。今回の中島ワークは、これまでで最もパワフルで、ダイナミックなエネルギーの流動を感じた。
男性たちが本来の自分を思い出し、本来のエネルギーの発露が表現され始めると、女性たちがしなやかに、軽やかに舞い踊り出す。男性性と女性性が混じり合い、統合されたいのちの祭りのようなワークショップだった。
コクーンのボーカルのゆりちゃんが、この間の三浦ワークに引き続き、中島ワークでも、オリジナルのボイスワーク「Song of your Life」をやってくれて、参加者一人ひとりのいのちの歌を即興で歌ってくれた。これがまた笑いと感動が入り混じり、参加者に大受けだった。
松山・中島ワークから帰ってくると、「まさあき君」から、出雲の瞑想合宿の打ち合わせメールがきていた。この間終わった3期のカウンセラー&セラピスト養成講座in関(岐阜)で、ひとつの歌が生まれたのだ。「未来に向かって」という歌だ。作詞は、「まさあき君」。作曲と歌は、同じ関の受講生だった「ちいちゃん」。これがとてもいい歌で、一回聞いたらすぐ口ずさめる親しみやすい詩とメロディだ。
こんなに明るい詩を書いたまさあき君が、どれほどつらい人生を生き抜いてきたかは以前、「弘法大師・空海と坊主セラピスト」というタイトルで日記を書いたことがあるから覚えていらっしゃる人も多いと思う。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1605788011&owner_id=3515288#comment
そして、この歌を歌っているちいちゃんも、これまでの人生では、自分の夢をあきらめたり、鬱病になったり、離婚をしたりして、苦しい人生を歩いてきた女性だ。ちいちゃんは、セラピストになろうと思って、関の講座を受講したのだが、最終回の講座の後に提出してくれた感想文には、こんなことが書いてあった。
「セラピストになりたいと思いこの講座に参加したのですが、自分自身がすっかり忘れてしまっていた歌への情熱がよみがえり、オリジナルの歌ができ、CDまででき、最後には素敵なパートナーまででき、なんだか夢のように嬉しい事が数珠繋ぎのように叶えられた事に驚いています。あけみちゃんが言っていたように、心の底から望んでいるものとアクセスできるとこうなるんだということを身をもって体験させて頂きました。今まで体験してきた辛い事は全てギフトだったこと、あの体験があったからこそ今の私があること、人の優しさ、有り難さが身に染みること。なんて私は幸せ者なのかと嬉しく思いました。そしてたくさんの魂友が出来たことも、私の大切な宝物です。まだまだ、数多くのギフトがやって来ると思いますが、一つ一つ有り難く受け止め、人生を歩いて行こうと思います。本当にありがとうございました。これからも、よろしくお願いします(^0^)/」
ちーちゃんが、「未来へ向かって」 という歌を YouTubeで一般公開しましたので聴いてください。
http://www.youtube.com/watch?v=W-xU9HawK2Q
「未来へ向かって」
作詞:Masaaki (まさあきくん)
作曲:Chii (ちいちゃん)
歌:Chii
苦しくて 悲しくて
絶えられずに 泣いてしまう
私はもう 過去の出来事を
思い出すのは やめにするわ
これから 希望に満ちた
人生が私を 待っている
素敵な 人と出逢い
私は必ず 幸せになる
楽しくて 嬉しくて
堪えきれずに 笑ってしまう
私は今 未来へ向かって
輝きながら 生きてゆくわ
これから 夢に溢れた
人生を私は 歩いてゆく
素敵な 人と出逢い
私は必ず 幸せになる
ちいちゃんは、まさあき君の詩にメロディをつけて歌い始めて、本当に素敵な彼が表れて、いま、ラブラブなのですが、そのお相手は、まさあき君ではありません。YouTubeにアップするときも、作詞のまさあき君を映像に出すかどうかでもめました。私曰く:「まだ、まさあき君の福山伝説を信じている人がいるみたいだから、映像には出さない方がいいよ、夢がこわれから」
まああき君:「ちょっと、あけみちゃん、その福山伝説を流布したのは、あけみちゃんでしょ。僕が言ったのは、僕は、福山雅治に右足のくるぶしがソックリって言ったんだよ。それをあけみちゃんが、福山雅治にソックリのお坊さんなんて日記に書いたもんだから、一気にマイミクさんが120名も増えて、それもマイミク申請してきたのが全員女性で、あれから僕は、リアルで会ったマイミクさんに、すみません、ごめんなさいって、まず謝ることから始めるんだからね、ああ、情けない。それにしても、“未来に向かって”の歌で、私は必ず幸せになるって詩を書いた僕より、この歌をうたいはじめたちいちゃんが先に幸せになっちゃって、ぼくの幸せは・・いつ・・・」
岡部明美公式ホームページ:http://anatase.net/
6月26日(日)「ほおずきの会」(岡部明美の話・瞑想・リラクゼーション・オープンカウンセリング)
7月30日(土)~31日(日)名古屋2daysワークショップ
内容:内なる旅の中に見つける自分を活かし、人を活かす道――愛のある援助の方法を体験します。医療関係者、援助職の人、福祉関係の方、人材教育や社員教育に関わるリーダーに最適です。自分を深く知り、自分の道を探求したい方にも最適です。
8月26日(金)~28日(日)三浦3daysワークショップ
テーマ:「聖なる扉を開く」~自分のいのちを輝かせる贈り物はすでにみな持って生まれてきた。彼方からの呼び声に耳を澄まし、魂がワクワクする人生を生きよう~
コクーンのボーカルゆりちゃんのオリジナルボイスワーク「Song of your Life」のワークもあります。
最近は、殆どアマゾンで本を買う。注文者の読書傾向がわかるものだから、アマゾンはお勧めの本の情報を定期的に送ってくる。それを見ると、私の食指が動きそうなものが並んでいるものだから、ついついまた注文をしてしまう。送られてきた請求書を見て、目の玉が飛び出そうな数字が並んでいる時もある。
本屋で本を買うことがとんと少なくなった最近の私が、これに関する本だけは、この目でタイトル・サブタイトル・リード文・目次・「はじめに」と「あとがき」などを読んで選ぼうと思って、本屋に行こうと思った。原発関係の本である。
今まで専門書、マニアックな本を買う時は、たいてい新宿の紀伊国屋か八重洲ブックセンターに行っていた。今回は、名古屋行きの新幹線に乗る前に八重洲ブックセンターに寄った。いつもだったら、「著者が好き。内容が面白そう。私の知的好奇心や問題意識を満たしてくれそう。タイトルや装丁に何か惹かれる。信頼している人がいいよって言っていたからとりあえず読んでみよう。これは、私の心や魂が深く満たされそう」というのが本を選ぶ基準だった。
しかし、原発感関係の本に関してだけは、私のいつもの趣味嗜好を超えて、様々な立場の人の、様々な意見を幅広く読んでみようと思った。多角的に、大局的に、理性的に、専門的に書かれたものから、いのちの実感、感性の実感、現場の実感、一人の人間として、一人の生活者の実感・・そういうものまで含めて全体性を持ちたいと思い、選んだ本が9冊。あ、9って、数秘では、神さまの数字って呼ばれているなあ。偶然にしろ、不思議。
『いのちと放射能』(柳澤桂子)『3・11クライシス』(佐藤優)『原発震災の真実』(広瀬隆)『大津波と原発』(内田樹・中沢新一・平川克己)『日本復興計画』(大前研一)『列島強靭化論』(藤井聡)『私たちはこうして原発大国を選んだ』(武田徹)『原発の空の下』(藤林和子)『日本中枢の崩壊』(古賀茂明)
東北にボランティアに行ける機会もずっとうかがっていた。一緒に行けそうな仲間を探していた。震災直後、被災者へ「いまいちばんほしいもの」をたずねたところ、1・お水 2・正確な情報 3・歌、音楽という答えがかえってきたという。あの状況の中で、歌、音楽というのが驚いた。
3・11から2ケ月半たっているので必要としているものはどんどん変わってきているとは思うが、音楽の仕事をしている仲間や傾聴などの援助の仕事をしている人、手当やヒーリングなどができる人たちと一緒に行けそうだ。何もできなくても、ただ寄り添うこと、お話を聴くことだっていいし、心をこめてマッサージしてあげるだけだっていいのだもの。
一緒にボランティアに行く音楽の仕事をしている仲間は、私の名古屋でのワークショップを主催してくれているマイミクの「mana&hiro」さんこと伊藤真奈さんとひろさんご夫妻。お二人は夫婦でクリスタルボウルの演奏をしている。
真奈さんは、高野山で修業して僧侶にもなられた女性で、天川神社では、奉納のう舞いなども何度もしていて、「地球交響曲7番」にも顔は出ていないが、五十鈴を振って舞いを踊るシーンで出演している。
もう一人が、コクーンのボーカルをしているゆりちゃん。ゆりちゃんのご主人の親戚は気仙沼に多く、今回の大津波で何人もの親戚が津波に飲み込まれて亡くなられたことから、ゆりちゃんも気仙沼に行って歌のボランティアに行きたいと思っていたことから、一緒に行くことになった。いまのところ私の故郷釜石とゆりちゃんの親類が多い気仙沼に行こうと思っている。
もうお二方は、私の岩手ワークショップの主催者の「かりん」ちゃんと「ココロ」ちゃん。「ココロ」ちゃんは、枇杷の温熱療法の施術師で、すでに毎週末、釜石の避難所に行って施術ボランティアをしている。「かりん」ちゃんはお話を聴いてあげるだけでもやりたいと言っている。
前述したように名古屋に行く前に八重洲ブックセンターに寄ったのだが、名古屋行きの目的は、バイロン・ケイティワークに参加するため。ケイティご本人が日本に来られなくなったため、伊藤真奈さんが急遽、日本でケイティ・ワークの唯一の公認ファシリテーターであるティム・マクリーンとパートナーの高岡よしこさんを名古屋に呼んでくれたのだ。2daysワークだったが、とても有意義な2日間で、養成講座の受講生もとても喜んでいた。
「バイロン・ケイティワーク」は、自分の思いこみ、無意識の信念、自分にストレスを与えている思考の問い直しをして、意識をクリアにする上では、とても有効なメッソドだと私は思っているので、カウンセラー&セラピスト養成講座の課題図書のひとつにもしているのだ。
バイロン・ケイティワークの本としてはこれまで「探すのをやめたとき愛は見つかる」「人生を変える4つの質問」があった。だが、これらの本は、受講生にはあまり評判がよろしくなかった。
曰く「あけみちゃん、この本なんでかスイスイ読めないの、途中で止まってしまう。自分に当てはまる事例が全然ないからピンとこない、やはりアメリカと日本では文化が違うから日本人には合わないんじゃないの?理性的で頭でやってしまう感じで私のハートがワクワクしない。理屈っぽい感じ。マニュアルっぽい感じ、冷たい感じ。援助の手法としてそんなにすごいメソッドだと思えない」などなど。デモをやったあとでは感じ方が変わったみたいだが。
しかし、先週発売された、高岡よしこさんが監訳した「ザ・ワーク」(バイロン・ケイティ著・ダイヤモンド社)はてもわかりやすい。今までの中で一番読みやすいと思う。私はいつも言っているのだけれど、援助の手法、テクニックが一番大事なのではなく、それを使う人の在り方、生き方、存在から醸し出される空気感=オーラ、愛のある眼差し、愛ある態度、個性、感性―そうしたBeingが最も大切なことであると・・・。どのような人が、どのようにそのツールを使うかでまったく違ったものになるからだ、
バイロン・ケイティを初めて映像で見た時もそれをまさに感じた。今はこれほど慈愛に充ち溢れた眼差しと明晰な思考のこの人が、かつては、重度の鬱病に長年苦しみ、自分は全く価値のない人間だと思いこみ、毎日自殺することばかり考え、枕の下に拳銃を入れて寝ていた人だったなんて!子供たちを毎日怒鳴りちらし、怯えさせ、夫への不平・不満ばかりを言い散らし、離婚を繰り返した人だった。ケイティは、摂食障害でひどく肥満体で、ついに摂食障害の社会復帰センターに入所するが、他の患者を怖がらせるという理由で屋根裏部屋に隔離されるという、まさに人生の底つき体験をしたのだ。
しかし、そこで大きな気づきがやってくる。それは、自分を苦しめるのは、「現実」ではなく、自分が信じている「考え」であることに気づくのだ。ケイティは自分が信じている考えをたった4つの質問で問い直し、置き換えをするというシンプルなやりかたで人生がまったく変わってしまったのだ。そのメソッドがいまとても注目されている。ケイティの例でも思う。まさに闇の底にギフトがあるのではなく、闇そのものが光でもあること、人生の底つき体験という闇こそが神さまからの贈り物であると・・・。
宇宙はその人を苦しめるために試練を与えるのではないのだ、その人が覚醒するために、その人が本来の魂の仕事をするために、その人が生まれる前に神さまと約束してきた天命を生きるためにその試練を与えられるのだ。
それは、人だけでなく、国も同じなのだと思う。いま、日本が体験させられていることも、宇宙的視野から見たら、日本という国は、この星にとって、どれだけの新しい大きな役割を期待されていることだろう。人類が死滅の方向に行くのか、持続化可能性社会を創造してくのかという究極の選択を人類は今問われているわけだから。個人の人生も、国や星の運命も、すべては自分が意識的に何を選択するのかで変わっていくのだから。
バイロン・ケイティワークがユーチューブで見られます。
「お父さんは僕のためにいてくれない」
http://www.youtube.com/watch?v=Kpa-b60ACCQ&feature=related
「娘には学校に戻ってほしい」
http://www.youtube.com/watch?v=qQIOwhzdTbM&feature=related
「あなたが創るストーリーがないとしたら、あなたは誰なのですか?」
http://www.youtube.com/watch?v=g0c26Z2MnkE&feature=related
★バイロン・ケイティワークの創始者・ケイティ語録
1・現実と争う時、あなたは負ける。それはもう必ず。
2・自我は愛さないーそれは必ず何かを手に入れようとする。
3・私を苦しめている長本人、苦しめている犯人は私だ。それはもう間違いなく。
4・先生、教師にたずねたいと思うことは、あなた自身にたずねてみること。もしあなたが本気で真実を知りたいと思った時には、答えは必ずあなたからやってくる。
5.私を好きになること、私を大切にすること、私を愛することは・・・あなたの仕事ではない。―それは、私自身の仕事だ。
6・今まで起こった最悪なことは、「調べ直し」をしていない、あなたの思考が創り出したものだ。
7.あなたが必要としている教師、マスターは、あなたの中に一緒に住んでいる人です。
8.私が自分の観念を手放すのではない。私は、その観念、思いこみと出逢い、問い直しをする。すると、それが、私を手放す。
9・現実はつねに、それについてのストーリーよりも優しい。現実は常に、あなたの考えより、優しい。あなたの思考が、最もあなたに厳しく、いたわりと優しさがないのです。
10・私を自由にできるのは、私しかいない。私をしあわせにできるのは私しかいない。もし、あなたが、あなたの考えの「問い直し」をちゃんとやるならば、それがきっとわかる。
11・問題には3つの領域がある。自分の領域。相手の領域。神の領域。人が取り組むことができるのは、自分の領域だけ。
PS:昨日は「ほおずきの会」がありました。毎月1回開催されるこの会は、からだをゆるめてリラックスし、無心であるときの心地よさを味わい、流れにゆだねること、祈り、瞑想など、内なる静けさや歓びや、いのちのハーモニーを大切にする時間です。今回は「ふくちゃん」のアートセラピーを楽しみました。無邪気な子供になって、無心になって、時を忘れるのはとても楽しく、心地よく、みなさんがいい顔されていました。この会の収益は東日本大震災の義援金として活用させていただいております。次回は、6月26日(日)です、詳細はこちらです。
http://mixi.jp/view_event.pl?id=62589881&comment_count=0&comm_id=982903
岡部明美公式ホームページ:http://anatase.net/
7月30日(土)~31日(日)名古屋2daysワークショップ
内容:愛のある援助の方法を体験します。医療関係者、援助職の人、福祉関係の方、人材教育や社員教育に関わるリーダーに最適です。自分を深く知り、自分の道を探求したい方にも最適です。
8月26日(金)~28日(日)三浦3daysワークショップ
テーマ:「聖なる扉を開く」~自分のいのちを輝かせる贈り物はすでにみな持って生まれてきた。彼方からの呼び声に耳を澄まし、魂がワクワクする人生を生きる~
5月はGWがあるので世間は長期の休みですが、私はGWが終わってもずっと休みが続いています。GWは毎年恒例のアーノルド・ミンデル(プロセス指向心理学創始者・プロセスワーク・通称POP)セミナーに参加して、今年もまた有意義な学びと、おまけの遊び付きで楽しかったです。
ミンデルさんはもう完璧に心理療法の世界を超えちゃっています。タオそのものという感じです。ミンデルさんのワールドワークは、世界平和につながるものと私は思っているので、真剣に学んでいきたいと思っているもののひとつです。
いつかミンデルご夫妻が住むアメリカのポートランドにあるプロセスワークセンターに行きたいなあと思っているのだけれど、英語が全然しゃべれないので、そこでくじけそうになっておりますが。エッジですかね。
ミンデルご夫妻のパートナーシップも素晴らしく、このお二人のパートナーシップを見るために私は毎年行っているのかもしれないと思うほどです。そうそう、奥様のエーミーの「メタスキル」という本は、援助職についている人にはお勧めのいい本です。
8日は、マイミクの「キミさん」のご主人である根本昌明さんのモーツアルトを聴きにいきました。クラッシックを生で聴くのは初体験でした。根本さんはベートーベンの「第九」&「皇帝」で東京オペラシティコンサートホールを満席にしたという伝説の指揮者です。
天才は型破りなものですが、根本さんの存在感、指揮をしている姿、繰り出され、奏でられる音は鳥肌ものでした。キミさんが、先月の「ほおずきの会」に来てくださって、その時、今回の8日のコンサートのことを知り、行ったのですが、会場にはたくさんのマイミクさんたちがいらっしゃいました。キミさんと根本さんは、かつては先生と教え子という関係だったそうですが、素晴らしいご夫婦で、ミンデルとエイミーに匹敵するほどの夫婦愛を感じました。
ずっと長期の休みが続いているので、家でたくさんの本を読むことができ幸せです。ミヒャエル・エンデの「モモ」も久しぶりに読み返しました。ミンデルさんのお弟子さん的立場のプロセスワーカー(プロセスの指向心理学のカウンセラー)の藤見幸夫さんが、以前、スーパービジョンで、「モモは、傾聴の天才児。対人援助職の人は、モモに学ぶべきことがたくさんある」と言っていたので再読してみたのです。
確かに昔読んだ時とは違うところで、モモはすごいなあと思いました。モモは浮浪児なのだけれど、なんだか天使のような心を持っている女の子で、モモに話を聴いてもらうだけで、大人たちが勝手に自分の本音に気づいたり、勝手に問題解決の鍵を見つけたり、気が楽になったり、しあわせな気持ちになったり、自由になっていったりするのです。
モモは子供だけれども天性のカウンセリング・マインドを持った子なのです。街の大人たちは、悩んでいる人がいると「とにかくモモに会いに行ってごらん」が合言葉になっているのです。それにしても、「モモ」という小説は、「時間とは何か?」という実に深遠なテーマに挑んでいるわけだけれど、「時間泥棒」「灰色の男たち」は、ますます現代社会で跳梁跋扈していることを感じます。
今の世の中どう考えてもおかしいよなあ、大事なことが置き去りにされている、本当に大切なことって何だろうと思っている方には、いまだからこそ「モモ」を読んでみるのもいいかもしれません。「モモ」「星の王子様」「アミ 小さな宇宙人」「ライ麦畑でつかまえて」「赤毛のアン」「ゲド戦記」は、現代の大人たちにこそ読んでほしい児童文学だなあと思います。
児童文学といえば、マイミクの「いずみさん」は児童文学をとても愛されている方ですが、そのいずみさんが、今年3月に刊行された「お月さん、飛んでるね」(銀の鈴社)を先日読ませていただきました。いずみさんには障害をもつ娘さんがいらっしゃいます。母親であれば誰でも、生まれてくる我が子が元気に健康に生まれてきてほしいと願うでしょう。しかし、いずみさんの娘さんは、生まれて間もなく病気があることがわかり、障害をもつことを医師に告げられます。その時のいずみさんのショックと混乱と動揺がどれほどのものだったかは計り知れません。いずみさんの苦悩が始まります。
障害をもつ子供を育てるときにぶち当たる世間の無理解、差別、夫婦間での価値観の相違、学校教育の壁、教師との軋轢、進学を目指す健康な子供をもつ母親たちからの心ない言葉にいずみさんは何度も傷つき、打ちのめされます。それでもいずみさんの文章には、恨みつらみも、批判も非難もありません。たくさんの怒りを感じた場面が出てきますが、それはこうあってほしい学校教育や社会への願いとして表現されています。
いずみさんに以前お会いした時、「私は、攻撃的な言葉、強い非難の言葉、力づくの言葉や批判的文章を書くことを好みません」とおっしゃっていたことを思いだしました。これだけの体験をされていたら、そのような言葉がたくさん出てきてもおかしくないのに、いずみさんの文体は静かなのです。
しかし、淡々としているがゆえに、抑制がきいているがゆえに、逆に、私はいずみさんの痛みを感じて涙が出てくるのです。娘さんへの愛が溢れていて胸が熱くなるのです。クラスの子供たちが障害をもっているいずみさんの娘さんを助けて、支えて、一緒に遊び、一緒に学ぶのです。その子供たち同士の交流の場面が最も心打たれました。
体は大きくなっても、少しの言葉でしかコミュニケーションをとれない娘さんが言った言葉の数々が一タイトルの言葉もそうですーたくさん散りばめられたこの本は、障害をもった子供を育てている親ごさんだけでなく、学校の先生たちにもぜひ読んでいただきたい本だと思いました。
北欧で提唱されている「ノーマライゼーション」について、本の最後に書かれていました。
障害者と健常者が区分されることなく、社会生活を共にするのが正常なことであり、本来の望ましい姿であるという考え方です。社会をノーマルにすることが目的であり、障害そのものをノーマルにすることではありません。と…。
いずみさんの日記
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1699428000&owner_id=21017097#comment
体験をした人でなければわからないことってたくさんあります。その体験をしてきた人だからこそ、安心して話せることってあります。プロのカウンセラーやセラピストでなくても本当に聴き上手な人がいます。聴き上手な人に話すと、話すつもりがなかったことまで、いつの間にか話していたり、話ながら自分の考えが整理できていたり、気になっていたことが、話し終わるともうどうでもよくなっていたり、心が軽くなっていたりします。聴き上手な人というのは、それだけで大きな才能をもっている人ですし、周囲の人をしあわせにしてくれる力があります。
自分の気持ちを受けとめてもらえたことの喜び、わかってもらえた喜びは何ものにもかえがたいものです。そうするとそこにスペースができて、いろいろなことに気づけるようになりますから。聴いてくれる人がいるということ、わかってくれる人がいるということは何よりも有難いことです。
聴くことよりもアドバイスすることの方がずっと簡単なのです。人の話を心から聴くということには、忍耐力と包容力と共感能力と相手を信頼する力が不可欠です。それは愛の力と言ってもいいでしょう。それによって、人はスペースが出来て、自分の中にある真実や答えに出会っていけるのですから。
しかし、最近のスピリチュアルブームの盲点として、何か悩みを相談すると、どこかのスピ系の本に書いてあったようなことをアドバイスされることが多くて、言わなきゃよかったと思うと言っている人も少なくありません。人はスピリチュアルな体験や知識を持てば持つほど、答えを教えたくなるみたいで、人の話を心から聴けなくなってくるようです。
今年の2月に松山の中島でお子さんを亡くされた親ごさんたちのワークショップをしたときに何人かのお母さんたちが言っていたのは、「子供を亡くしたことで混乱していた時にスピリチュアルな世界を知り救われた部分はあったのだけれど、いわゆるスピリチュアルな世界の先生と呼ばれている人に「子供を亡くしたことを親がいつまでも悲しんでいるのは親のエゴ。親が悲しんでいる限り、亡くなった子供は成仏できない」と言われたことだそうです。
「だから私は必死で泣くことをやめたんです」「子供が亡くなってからまだ一度も泣いていません」とおっしゃっているお母様が何人かいらしたのです。我が子を亡くして身が引き裂かれそうなほど悲しい時に泣くのを我慢したなんてどんなにつらかったことでしょう。涙が枯れ果てるほど泣いたって、それでも涙が流れ続けて当たりまえなのに。それが自然なプロセスなのに。
それでも、時が流れ、少しづつ動き出した方々が「子供を亡くした親の会」を作り、同じような体験をされた方をサポートし始めていて、マイミクさんには、そういう方が何人もいらっしゃるのです。まだいまは動けないけれど、時がきたら自分も動きだすだろうと感じていらっしゃる人もいるでしょう。
自分が人生で体験した耐え難い苦しみや困難や闇は、同じ体験をされた方々にとっての希望の光になるのです。「やっとわかってくれる人に出会えた」と言ってくれる人たちがきっといます。その出逢いの喜びは、なにものにもかえがたいものになるでしょう。そして、自分が体験した現実への違和感には、自分にしかできない仕事、働き、役割があることを教えてくれているものであるという理解が起きると、現実が動き出します。違和感は創造の種だからです。
マイミクの「ろっこちゃん」は、2月の松山ワークにご主人と一緒に参加してくださいました。ろっこちゃんは、障害を持って生まれた息子さんを無条件の愛で包みこみ、医師や介護士もかなわないほど、息子さんのそのいのちが尽きるまでずっと病院で全身全霊で介護をし続けましたが、残念なから息子さんは光の世界に還られました。でも、旅立たれた直後のろっこちゃんは、「ああ、これでもうあの子は苦しまないですむんだ。本当にずっと苦しみ続けていたから」と安堵感さえあったといいます。
でもそれは長くは続きませんでした。その後のろっこちゃんの悲痛はお子さんを亡くしたことのある親御さんがみな体験する長い、長い、苦しみと悲しみの道でした。しかし、そのろっこちゃんが新潟で「子供を亡くした親の会」を作ったという日記が一昨日アップされました。その会の名前と由来がまたとてもいいのです。いい日記を読ませていただきました。ろっこちゃん、ありがとう。
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<お知らせ>
「まさあき君」の日記より
~ 岡部明美さんと行く出雲パワースポット巡りと瞑想の旅~
神話の国、出雲に400年の歴史を持つ「西光院」という禅寺があります。ここは、あけみちゃんこと、岡部明美さんの第3期カウンセラー&セラピスト養成講座を受講した私・金森正晃(講座では「まさあき君」」と呼ばれていました)の生家です。私は長年、高野山の奥の院で弘法大師・空海のお世話をさせていただいた僧侶です。 この度、明美ちゃんとのご縁により、来る6月11日~13日に上記のタイトル通り、出雲の「西光院」での瞑想合宿と出雲パワースポット巡りを企画させていただきましたので、ここにご案内いたします。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1721138356&owner_id=29595168&comment_count=4
岡部明美公式ホームページ:http://anatase.net/
5月23日(水)「ほおずきの会」(岡部明美の話・瞑想・リラクゼーション・パステルシャインアート)
http://mixi.jp/view_event.pl?id=61508122&comment_count=1&comm_id=5268827
5月29日(日)札幌1dayワークショップ
7月30日(土)~31日(日)名古屋2daysワークショップ
この間、『私に帰る旅』の編集者である角川学芸出版の小島直人氏に久しぶりに会った。偶然にも私の家と小島直人氏の家は同じ沿線で3つ隣の駅というご近所さん。ちょっと会おうか、となると「じゃ、あの店でね」とうお馴染みの店がいくつかあるのだ。
直人(と私はいつも言っている)の話にのっけから驚いた。なんと編集長を降りたというのだ。降りたといっても、自主降格である。
「えっ、なんで?」と私。
「あけみさんは、僕が編集長になってから、どんどん心身がボロボロ状態になっているのを見て、“直人は、建築コンサルタントでも、建築デザイナーでもなく、現場の棟梁タイプだから、心配だなあ”って言っていたでしょう。その通りでしたよ。いや、棟梁より、大工、左官屋が僕の肌に合っている。職人気質なんですよ、僕は、根っから」
「直人は棟梁! 私、そんなこと言ったっけ?」
「言いましたよ。実際、あけみさんの本を編集していた一編集者だった時代から、あれから少しして、たまたま自分が1年間で企画して出したすべての本の売り上げが社内でトップになったことで、編集長に抜擢されたわけだけど、編集長になってからは、本を創る仕事より、売り上げの数字ばかりを見る毎日。売り上げの数字と売上目標と部下のマネージメントの仕事ばかりになっていった。好きな企画・編集の仕事がなくなっていくにつれ仕事に歓びを感じることがなくなっていった。心身は本当にボロボロ状態、たぶん鬱だったと思う。休日も返上で仕事、仕事、数字、数字の毎日でした」
「ああ、そのボロボロの頃、メールで、あけみさん“SOS”、イッパイつきあってくださいって言ってきて、会ったんだよね。その時に私は、直人は、職人気質で、現場の棟梁みたいだから、企画書も書かず、編集にも携わることもなく、経営者みたいな、マネージャーみたいな責務である編集長はしんどいだろうねえ。人間やめますか、自分やめますか、自分に正直に生きますかっていう選択を迫られるだろうねって言ったんだよね」
直人は、自ら編集長を降りて、また一編集者に戻ったわけだが、自分としては納得の選択だったけれど、親父に対しては本当に申し訳なく思ったと言っていた。父親は、大手出版社の編集長になった息子の出世を誇りに思ったのだろう、当然とても喜んでくれたそうだ。しかし、父親にまた一編集者に戻ったという電話すると、「そうか、自分の好きな仕事をするのがいちばんだよ。よかったじゃないか、お前は編集の仕事が本当に好きだからな」と言われ、父親のその平静さと優しさが逆につらかったと目を赤くして言っていた。
「直人、降りるというのは、振り出しに戻るわけじゃないよね。現場とマネージメントの両方やってみて、全体性の視点を持った上で、より自分らしい仕事のやり方や、より自分を活かすものを今度は意識的に選択したわけだから、同じ編集の仕事でも、直人の仕事への取り組み方が変わるような気がするよ」と私は言った。
私も会社とか組織に属して働くという働き方から降りた人間だ。「降りる」というのは、まるまるやめてしまうことだけでなく、立場や役割の再考、仕事の仕方や働くことの意味の再考、少しの間、会社や仕事から距離をとって、もう一度「働くこと」「生きること」「私が私であること」を自分の内側に深く問い直す時間なのだと思う。
現象だけ見れば、まるで、ひきこもり、落ちこぼれ、脱落、ドロップアウトした人間のように思えるかもしれないが、降りることの本質的意味は、今までとは異なる“幸せや豊かさの価値体系”に自分を開いていくことなのだと思う。あるいは同化していたもの(会社・組織・肩書き、役職、いまでの自分の仕事の仕方、人との関わり方。これまでの仕事観・人生観など)を問い直し、より自分らしい生き方、自由自在な生き方を選択していくことなのではないだろうか。あるいは、心の深みに降りていくことによって生じ始める人生の喜びの“質的な転換”を意味するのかもしれない。そんなことを直人と話をした。
私が読書好きであることを知っている直人は、会うと必ず「あけみさん、最近はどんな本を読んでいるんですか」と聞く。今回も聞かれた。
「私は最近、人が“働くということ”の本質的な意味と価値と目的が変わりはじめているような気がして、いや、むしろ、変わっていかなければいけないと感じていて、そういう本ばかり読んでいる。そういう視点で目についたものを何冊か読んで、最近とても気に入ったのが『宇宙を感じて仕事をしよう~幸せに働くために大切なこと~』(天野敦之著・サンマーク出版)、『仕事の思想』、『なぜ働くのか ~生死を見据えた仕事の思想』(田坂広志著・PHP文庫)がとても面白かったし、共感するものが多々あったよ」
「働く人間の意識が変わっていったら、企業も変わらざるをえなくなるでしょう。政治と産業界の癒着による問題は原発だけでなくあらゆる産業界・企業にあるよね。人間が経済の奴隷、お金の奴隷になってしまったこの資本主義経済の暴走に歯止めをかけるものを考えていかなければいけない時期にきているでしょう、今。だから、脱資本主義経済、脱政党政治、脱中央集権という流れがどのような社会構造の変革をもたらすのかを考え直してみたくて、働く人の意識の変化の本を読む一方で、芳村思風先生の「21世紀・日本の使命」を最近読み直していたの」
「ところで、直人は、最近どんな本を編集したの?」と聞いたら、カバンからごそごそと新刊を数冊取り出し、「これ、あけみさんにプレゼント用で持ってきました」と言って数冊の本をいただいた。『太宰治の作り方 ~なぜ、太宰治に惹かれるのか~』(田澤拓也著)、『無常の日本思想 花びらは散る 花は散らない』(竹内整一著)、『サウンドコントロール 声の支配を断ち切って~』(伊東乾著)、『今、ここにあなたといるということ』(兵頭友彦著)。
私の、平日主婦、週末仕事のライフスタイルを知っている直人が「あけみさん、あさってからの週末の仕事はどこですか」と聞いてきたので、「第3期のカウンセラー養成講座の最終回が名古屋と岐阜(関市)であるので、名古屋入りからだよ」と言うと「僕もあさってから名古屋入りなんです。『今、ここにあなたといるということ』の著者である兵頭友彦先生(愛知県刈谷東高校教師)の本が書店で平積みされるので、書店挨拶で名古屋に行くんです」と言う。
「まあ、偶然ね」と私が言ったら、「あけみさんに兵頭先生を紹介したいなあ。講座の休憩時間にでも二人で行ってもいいですか」と言うのでみんなに了解をもらって来てもらった。兵頭先生は、愛知刈谷東高校の教師であると共に演劇部の顧問をしている。風貌は、つかこうへいとよく似ていて、名古屋講座の受講生はみんな、兵頭先生が編集者で、直人が、高校の先生だと思ったと言っていた。
愛知刈谷東高校は、定時制の高校で、生徒の6割は不登校、ひきこもりの体験者だ。この本の冒頭に書いてあるが、今、全国には、100万人のひきこもりの人がいて、内、18万人は不登校の生徒なのだという。100万人のひきこもりの人の背後には、その家族メンバーのことで悩み苦しんでいる家族が数百万人はいるはずだから、これはもはや個の問題を超えた社会現象だ。
『今、ここにあなたといること』の中で、兵頭先生が、不登校経験者の生徒たちと演劇部で、それぞれの生徒たちの不登校物語を演じ、この演劇が愛知県の演劇コンクールで優勝し、中部6県の演劇コンクールでも優勝し、全国大会に出場するまでの実話が物語られている。生徒たちとのやりとりの中で、兵頭先生自身がたくさんのことに気づかされ、教師としての自分の在りようを何度も問われ、考えささせられていくのだ。
ひきこもりといえば、3期の名古屋講座の受講生の「かよちゃん」は、娘さんの不登校をきっかけに「学校と距離をとっている子供をもつ親の自助グループ“YOU”」の世話人になり、その活動はすでに14年にもなる。かよちゃんは、その存在からあたたかさや慈悲心が溢れている人だ。その「YOU」の機関誌の最新号に『存在論的ひきこもり論~わたしは“私”のために引きこもる~』(芹沢俊介著)が紹介されていた。この本のタイトルを見た瞬間、感じるものがあったのですぐに注文した。かよちゃんは、「YOU」の活動の中で、この本の読書会なども行っている。
かよちゃんのmixi
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1706578083&owner_id=10805106#comment
子供たちだけではなく、今は大人のひきこもりも多い。しかし、ひきこもりのことを今書いているが、これはとても人ごとではない。私はたまたま勇気がなかったから学校に行かないとか会社に行かないという選択ができなかっただけであって、病気になることで大義名分を作って私はひきこもりたかったんだなということが今はよくわかる。私は、降りたかったのだ、ある人生から。
あの時だけではない。精神的ひきこもりだったら人生で何度かやってきた。人間関係がめんどくさく、人がうっとおしく、誰にも会いたくない時があった。隠遁したい、尼さんになりたいと本気で思ったこともあった。生きていたってなんにも面白くない。なんで生きているのかわからないと、真っ暗なトンネルの中で一人うずくまって生きていた。自分も人も信じられず、人生も、神も仏も何もかもが信じられず、真っ暗闇の季節を生きていた。
しかし、やはり、季節は巡るのだった。あの精神的ひきこもりの季節を生き切ってよかったと思う。つらい季節だったけれど、あの闇の中でしか見えないものがあった。闇の中だからこそ感じられたこと、気づけたことがあった。暗闇の中で自分の生きる方向性を真剣に求めたからこそ導かれた道があった。実際は、一旦降りるというプロセスやひきこもりの季節は、私にとっては、魂の休息であり、自分の魂が本当に望んでいる生き方を探す期間だったのだ。
人が“成長”していくためには、向上心や意志や夢が不可欠だ。太陽に向かって伸びようとする樹木や花々のように、私の中にもそのように、天に向かってどこまでもどこまでも伸びようとするものがある。でも、人が人として、あるいは男として、女として“成熟”していくためには傷や痛みは後になって役に立つことがある。あえてそれを求める必要はないが、やむなく経験してしまった痛みや不安、無力感や惨めさや孤独感は、人間に深さを作るものでもあるのだ。
その闇にしか思えなかった季節、最もつらかった日々が「光の世界」への扉を開け、新しい出会いの歓びを作ってくれたのだということに気づいて感謝できた時に、その人の生は真の意味で輝き出すのかもしれない。闇の季節を生きる力って何なのだろう。それは、誰の目にも触れないけれど、暗い月夜にひっそりと、土中の中に根を伸ばし続ける“いのちの力”なのかもしれない。その時に、天の力に生かされ、地の力に支えられて生きる“自分という木”が育っているのかも知れない。ひっそりと、健やかに、逞しく。
<お知らせ1>
次回、第4期のカウンセラー&セラピスト養成講座は、9月から東京で開催されますがすでに満席になりました。これ以降のお申し込みの方はキャンセル待ちになりますのでご了承ください。東京4期の主催者は「まゆ亭くにおさん&まゆみ夫妻」と「福島康司さん(ふくちゃん)&みちえさん」の共同主催です。
まゆ亭くにおさん
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福島康司さん(ふくちゃん)
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第3期の受講生で講座の感想を日記に書いていらっしゃる方です。あとの方は、コミュに感想をアップされていますので、後ほど私のHPに掲載いたします。
まさあき君(僧侶)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1713445716&owner_id=29595168&comment_count=19
雷電穂之男さん(会社員)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1714079604&owner_id=2478726&comment_count=5
華ちゃん(セラピスト)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1715470249&owner_id=4403598#comment
雅恵ちゃん(レイキヒーラー&セラピスト)
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1713699200&owner_id=7149828&comment_count=2
<お知らせ2>
6月に予定されていた高野山瞑想合宿はmonjuさんの体調が芳しくないことから延期になりました。6月11日(土)~13日(月)に高野山で弘法大師・空海のお世話をしていたまさあき君の生家、島根県にある「西光院」という禅寺で瞑想合宿があります。精進料理が有名で、美しい自然環境に恵まれたお寺での瞑想合宿です。詳細は、まさあき君の日記をご覧ください。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1715390326&owner_id=29595168&comment_count=5
岡部明美公式ホームページ:http://anatase.net/
5月23日(水)「ほおずきの会」(岡部明美の話・瞑想・リラクゼーション・パステルシャインアート)
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5月29日(日)札幌1dayワークショップ
7月30日(土)~31日(日)名古屋2daysワークショップ
ちょうど1ケ月が過ぎた。3月11日の大震災からのこの1ケ月はとても長く感じた。千葉では今でも毎日のように地震があるので、からだがいつも震えている感じだ。今日も大きな地震が何度もあった。
私はふだん感情的に人を怒ったり、責めたりということは殆どないのだけれど、故郷・釜石の壊滅や、亡くなられた方やご遺族の悲しみ、原発への思いなどが複雑に入り混じり、震災後は珍しく情緒が不安定な日があった。
夫の何気ない言葉に過剰反応をして、夫からしたら理不尽このうえない怒りを、自分を棚にあげてぶつけてしまったこともあった。冷静になると明らかにシャドーの投影であり、私の問題なのになんてひどい言い方をしてしまったのかと大反省をした。このことを親しい人何人かに言ったら、「実は私もやらかしちゃったの」と言う人が多いのでびっくりした。地震と津波と原発は、人の心の中にある地雷とつながっているのかもしれない。見るべきものは相手ではなく私の内側なのでした。
今回の大震災のために予定していたものの多くが中止になったり、延期になりましたが、3月13日に伊豆高原で上映される予定だった「地球交響曲(ガイアシンフォニー)7番」も行けなくなってしまったもののひとつでした。
私が住んでいる地域でも上映されているのは知っていたけれど、半年ほど前に友人の高岡よし子さんとティム・マクリーン(セラピスト・日本トランスパーソナル心理学会顧問)から、「もしかしたら7番に出演しているアンドリュー・ワイル博士をお呼びして講演してもらうかも知れない。かなわなかったら、龍村仁監督と上野圭一さんとティム・マクリーンの鼎談を上映に合わせてやるつもり」と聞いていたので、それだったら伊豆高原まで行って見ようと思っていたのだ。
高岡さんからチケットも買っていた。しかし、3月11日の東日本大震災が起こりそれどころではなくなった。そして、今私にできることはなんだろうと考えていた。義捐金を送ること、毎日祈り続けること、節電すること、不要な買占めをしないこと、これ以外に何ができるだろうと・・・。
書くことだと思った。今地球に起きていることの本当の真実は何なのかということを一つひとつ。前回の日記「神を求めて泣きなさい」に引き続き、今回は「ガイア(地球)の意識」という視点で書いてみようと思う。「地球交響曲7番」の上映を見送ったことから、「地球交響曲」の1番から3番を見た後に書いたものを読み返してみた。これを書いていたのは、1997年頃だったと思う。実際、私の意識が大きく変わり出したのは、この頃からだった。
今では多くの人に知られることになった自主上映映画「地球交響曲」であるが、当時はまだまだ知る人が少なく草の根的にじわじわと広がっている途上だった。今回の大災害は、大地震と大津波いう自然災害から始まったものだが、私は地球というひとつの生命体の意識、ガイアの心というものをずっと考えていたのだ。
ガイア日記 1997年(愛知県在住の時代)
友人に誘われて、龍村仁監督が制作した「地球交響曲」という自主上映の映画を見に行った。この映画のベースになっているのが、ジェームス・ラブロックの“ガイア仮説”(地球は意識を持ったひとつの生命体で、すべてが有機的につながりあって“生きている星”であるという仮説)と知って私は俄然興味をもったのだ。
「地球交響曲」の1番から3番を見て、どれも見終った後しばらく座席を離れることができなかった。とても深い余韻を残す映画だった。それぞれを観終わった後は、家に帰ってから、ぼーっとしたまま自分の中で何が起きているのだろうと感じてみた。
「ひとつの糸でつながっていたんだ・・・」
発病が大きな引き金になって、実存への問いが私の中に生まれた。なぜ死んでいたかもしれない私がもう一度この世にもどされたのだろう?私はいったい誰なのだろう、私は何のために生まれたのだろう?
そこから自然に自己探求が始まった。意識が内側に向かい出した頃から不思議な出逢いがどんどん起こるようになり、その出逢いに導かれるようにして、私の人生は想像もしていなかったような展開になっていった。
シンクロが日常的に頻繁に起こるようになった。自分がどこに向かって歩いているのかわからないのに、何者かに手招きされているような感覚があり、その感覚を頼りに歩き出した道のりで体験したこと、学んだこと、気づいたことが、ひとつの糸となってつながっていたことをこの映画を見て強く感じた。
発病前に私の人生で起きていた葛藤・混乱・行き詰まり感、その結果の出来事としての生死を彷徨うような病気。それらが、一個人の問題ではなく、社会全体、ひいては、地球という“ひとつの生命体”の危機と同様の問題を孕んでいることを強く感じた。21世紀は、環境意識と宇宙意識の目覚めの時代になる。それは同時に、物質文明から心の時代、いや、もっと言えば、スピリチュアリティ(霊性)への目覚め、人間の本質への目覚めが始まることを予感させた。
「地球交響曲」という映画は、それを実感させてくれた映画だった。もし、その方向へ進むことができなかったら、日本も含めて、西欧の文明社会、物質社会は、もはや救われないところまで来てしまったのだと思う。「地球交響曲」という映画が今、日本の自主上映映画の最大動員数を誇り、じわじわと社会に浸透し始めている現象は、私が今まで学んできた新しい医学や心理学と同じ潮流にあることを感じさせた。
西洋医学一辺倒だった世界に、代替医療、統合医療、ホリスティック医学、バイブレーショナル・メディスン、ナチュラル・メディスンなどが登場し、医学の世界が変わり始めていること。心理学やセラピーの世界にも、タオイズム、瞑想、東洋哲学が取り入れられたトランスパーソナル心理学が広がり始めていること。物質の科学である物理学の世界に量子物理学が登場し、目に見えない世界を科学し、宗教と科学が限りなく接近し始めていること。数え上げれば新しい時代の潮流、パラダイム・シフトを象徴している社会現象はいくらでも見つけることができる。
この映画は、遥かなる時空を超えて幾多の生を生きてきた私たちの魂に静かに訴えかけてくるものがあった。漆黒の宇宙に浮かぶ美しい水の惑星「地球」を、宇宙から眺めるという眼差しが私の中に生まれた。人間や地球というものを宇宙からただ静かに眺めていると、過去・現在・未来と一直線上に進んでいるかのように思い込んでいる“時間感覚”や、まぎれもなく実在していると思っている“肉体”や、その肉体と自己同一化している“自我意識”や“国境意識”までもが溶解していく感じがした。
どんなに壁や窓や扉で区切ろうが、部屋の中の空気と外の空気は同じものだし、台所の空気とベッドルームの空気だって同じものだ。アメリカの空、イランの空、北朝鮮の空、日本の空なんて実際はないわけだし。それぞれに分かれて存在しているように思われる各大陸、島国も、地球から海水をとったらひと続きの陸地だ。私たちは本当は、同じひとつの大地の上に共に生きているのだ。空や海や大地をどうやって分けることができるだろう。すべては、分かちがたくつながりあい、関わりあって、相互補完的に成り立っているのがこの世界の真実なのに。
本当はひと続きの大地と、ひとつながりの海と空の中で生かされているすべての生命なのに人類はこれまで、宗教・信仰の違い、思想の違い、民族の違いで、人と人が殺しあってきたのだ。それが人類の歴史の闇の部分だった。国と国だけではない。価値観の違い、意見の相違で、人と人が責め裁き合い、罵り合い、差別したり、見下したり、切り捨てたり、完膚なきまでに人を打ちのめしたり。
合わないこと、違いを理由に誰もが誰かと日常的に戦争をしている。
しかし、真の創造のために直視しなければならないものは巧妙に隠され、私達は盲目になっているのだ。金と権力と支配の構造システム。この構造の中にはエゴの無限の欲望と間違った思い込みがある。エゴの別の名は怖れだ。その怖れは分離意識から生まれる。人を真に幸せにすることはないこの硬直化したシステムはいずれ自壊していくことは明らかだ。おそらく信じられないような出来事が起こり、私達は目を醒まさせられる。それを起こすのは、きっと大自然だ。
なぜ、大自然がそれを起こすと私は感じているのだろう。それは宇宙の摂理に合わないものはいずれ崩壊していく定めにあるからだ。いのち、大自然をないがしろにした小賢しい人間の作ったものは早晩その闇が白日のもとに晒されるだろう。
私というひとつの生命体は、地球という生命体の中で生かされており、その地球という生命体は、より大きな宇宙という生命体の中で生かされているということへの目覚めが求められているのだ。そして、この宇宙の完璧なる秩序を創造し続けているもの、宇宙に存在するあらゆる生命、存在、物質を創ったのも人間ではないのだとうことへの目覚めもまた。
私たちをこの世界に在らしめたその大いなる存在・源の意識・愛・意志・叡智、その働きを仮に神と呼ぶならば、私達は皆、そこ(それ)から生まれ、そこ(それ)に還っていく存在なのだ。人は、日常のあまりの忙しさに追われて生きている時は、深く考えること、深く感じること、自分に問うということを忘れて生きているけれど、本当は心の深い部分では、こうした、<実存への問い>、<宇宙、神への問い>を持ちながら生きているのではないだろうか。
宇宙がこのようにして「在る」ということ、私がこの星に生まれ、このような存在として「ただ、在る」ということ、私たちはこの宇宙の生成に瞬間ごとに立ち会っているのだということ、これほどまでの多様な生命が、地球上に共存・共栄しながら「生きている」ということ一これを奇跡と呼ばずして、何を奇跡というのだろう。私たちも含めすべての存在、森羅万象が、大いなる存在の創造の神秘なのだと思うと、私は何かふるえるほどの感動を覚える。
その宇宙の源から生まれ、生かされているすべての存在は、大いなる生命・ひとつの意識として本当はみんなつながっており、生かされているのだ。このことへの驚嘆と感動と畏怖こそが、真の意味でのスピリチュアリティの目覚めであり、地球―ガイアの意識は、私達にそのことに目覚めなさいと言っているのだと思った。
1997年頃、今から14年前に私はこのような文章を書いていた。久しぶりに読み返したのは、今回の東日本大震災を私は直観的に、地球―ガイアが抱えてきた痛みであり、怒りであり、悲しみであり、メッセージだと感じたからだ。地震大国日本に本当に原発が必要なのか、このような社会をこれからも続ける気なのか、いままでの生き方を人類はこれからも続ける気なのか、と。
地球は女神の星だといわれる。女神も怒ったら不動明王になる。母なる大地、地球が人類に警告を発したのだと私は感じたのだ。もっと言えば、その地球を創造した、慈愛に満ち溢れた母なる宇宙が、これで変わらなかったらもう地球の未来はないよと言われているような気がした。宇宙の意識も、ガイアの意識も、私たち人間の意識も、本当はひとつらなりの大いなる「ひとつの意識」であり、すべて存在は同じ「ひとつのいのち」によって生かされているのだということへの覚醒が今本当に求められているのだ。
私達がこれからどう生きていくのか、何を選択していくのかが問われている。それに各々がどう応えていくかが、今回の大震災で失われたいのちに対する私達の責務なのだと思う。マスコミは連日、今回の大震災での死者数何万人と発表し続けたけれど、愛する人の死は、決して何万分の1ではないのだ。遺族にしてみれば、ただ一人のかけがえのない、大切な人の死なのだから。
数ヶ月前に偶然にも『地球(ガイア)の祈り』(龍村仁・龍村ゆかり著/角川学芸出版)という本が送られてきた。送り主は、拙著『私に帰る旅』の編集者である角川学芸出版の小島直人氏だ。「あけみさん、お久しぶりです。その後如何お過ごしですか。最近、僕が編集した『地球(ガイア)の祈り』をお送りします。またあけみさんと会って、いろんな話がしたいです」と書いてあった。
「革命家になるか、編集者になって自分が発信したい本を作るかしか、自分の人生はないと思っていた。僕は世の中をひっくり返したい。この世界はどんどんおかしくなっている」といつも言っていた直人は、今回のことをどう思っているのだろう。会ってとことん話してみたい気がする。電話してみよう。
PS1:昨日の「ほおずきの会」では、母なる大地、地球のエネルギーを感じ、祈りと瞑想の時をみなさんと分かち合った。懇親会では、女性たちと原発問題に関して熱く語り合った。毎月の「ほおずきの会」の収益は義援金として送らせていただきます。次回は5月25日(水)です。詳細と5月以降の「ほおずきの会」の日程はこちらです。
http://mixi.jp/view_event.pl?id=61508050&comment_count=0&comm_id=982903
PS2:5月21,22日にバイロン・ケイティが来日しワークショップが開催される予定でしたが、今回の震災のために中止になりました。私は人の間違った思いこみ、否定的な信念を解除するケイティ・ワ-クをとても高く評価しているので、中止になったのはとても残念でした。しかし、名古屋で私のワークショップを主催してくれている伊藤真奈さんが、日本で唯一のケイティワーク公認ファシリテーターであるティム・マクリーンと高岡よしこさんをお呼びして同じ日に名古屋で開催することになりました。私もお手伝いさせていただきます。詳細はこちら。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1704937849&owner_id=19056438
岡部明美公式ホームページ:http://anatase.net/
5月13日(金)~15日(日) 岡山3daysワークショップ
主催:monju&Bhumika テーマ:「空ゆく雲のように 流れる水のように~遥かなる呼び声にこたえ、このいのちを何に使うか」
http://web.mac.com/monjel1315/Site/sora_part1.html
5月29日(日) 札幌1dayワークショップ 主催:マリアさん
テーマ:「内なる真実に出会う~本当の自分に出逢いましょう~」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1681775828&owner_id=8027970&comment_count=12
2001年 9月11日 「9・11」ニューヨーク多発テロ事件
2011年 3月11日 「3・11」東日本大震災
「9・11」と「3・11」―この数字を偶然と感じるのか、何か意味あるものとして感じるのかは、人それぞれだと思うけれど、私はとても偶然には思えない感じがしている。何か大きな文明史的転換を感じざるをえない。それは、マヤ歴やアセンション云々といった外からの情報ではなく、腹と肌で感じた実感だ。
今回の大震災で家や家族をなくされた方々の悲しみや被災された人たちの苦しみ思うとかける言葉さえ失う。そして、ここまで壊滅してしまった街をどうやって再生・復活していけばいいのか、その前途の多難さに途方に暮れている人々の心中も察するに余りある。
私は連日報道される現地の映像を見て、敗戦時の日本の焼け野原はこのような状況だったのではないかと感じた。あのような壊滅的な状況から、今日の物質的繁栄を築きあげ、経済大国、科学技術大国を作った日本人の計り知れない努力と不屈の精神に驚嘆と敬意を心から感じた。本当にがんばったのだ。死ぬほどがんばったのだ、日本人は。
日本は、紛失した財布に現金が入ったまま交番に届けられる確率が世界一高い国なのだという。災害の時にも諸外国のような暴動もパニックも起きずに冷静沈着な行動をとる人たちが多い。東北の人たちの忍耐強さと人情と助け合いの精神はテレビを見ていてやはり胸が熱くなった。昼夜を問わず救出・復旧作業に取り組んでいる方々、ボランティアで現地入りした方々、救援物資を届けてくださる方々、毎日祈り続けている人たち、義援金を送るたくさんの人たち。美談の好きな日本人などという言葉では済まされない大切な日本人の精神を感じた。
日本人は、苦難の時ほど人と人が助け合って、力を合わせ共に乗り越え、共に生きようとする。日本人の苦難から立ちあがってくる底力の凄さなどはこれまで何度言われてきたことか。今回の1000年に一度あるかないかの大規模な災害に合ってもそれが全く変わらなかったことに驚きと共に感動を覚えている。逆境は人を強くする。そして本当に優しい人というのは強さを兼ね備えているものなのだ。
21世紀の日本は、科学技術文明と精神文明を調和させ、道を開いていくという世界史的な役割を担っていくと同時に、世界に平和をもたらす国としての役割を担っているとも言われている。東西両文明の統合、融合、宗教と科学の統合、見える世界と見えない世界をつなぐ架け橋の役割も日本に期待されている。私の師の一人である感性論哲学の創始者、芳村思風先生はこう言う。
「日本はこれから人類のために大きな使命を担っていかなければならない。世界は今、西洋の時代から東洋の時代へと移行する数千年に一回の激動と混乱の中にある。今起きている変化は、数百年単位の変化と、数千年に一回あるかないかの変化、さらには、数万年、数十万年に1回あるかないかという次元の変化も同時進行的に起こっているすごい時代なのです。この変化の波はすべての分野で起こっています。今、すべてが変わろうとしているのです」
「世界文明の中心は、西洋の時代から東洋の時代へと移行し、今、世界文明の中心は日本の頭上にあるのです。今、日本が置かれている立場ですが、世界文明というのは、常に時代の中心を担う風土と国家というものを移しながら形成されていくのですが、それがだんだんとアメリカから東アジアへと移り始めているのです」
「その東アジアの中で最も高度な文化水準と教育水準と科学技術を有しているのは日本ですから、21世紀に世界のリーダーシップがとれるのは日本しかないのです。科学技術そのものは中立であり、それを人間がどう使うかによって、その技術は悪にも毒にもなり、人々に貢献するものにもなります。その科学技術が、いのちを生かすものか、人々を幸せにするものであるかどうかだけがただ問われるのです」
今回の大災害から日本が再生・復活していくその道程で、次に日本が果たすべき役割とは何かを考えたとき、それはもう戦後の日本のように欧米を模倣して同じような文明を創ることではないのだと思う。災害からの復興ではなく、新しい文明の創造である。
それは、精神的側面では、昔の日本人の多くが持っていた、この世界の森羅万象の中に神々を感じる感性であり、自然との共生であり、五穀豊穣に感謝する心なのだろう。それは即ち、大自然は人間がコントロールできるようなものではないということを知っている者たちの神への畏怖が根底にある自然観なのだと思う。
そして、人と人が助け合い、許し合い、支え合い、力を合わせて共に生きる道でもある。それは、人間は孤独では生きられない、とても弱いものを人間は心の奥底に誰もが持っていることを知っている者の人間観が根底にあるのだと思う。それは即ち、お陰さま、お互い様の和の精神であり、「互恵の世界」なのだ。今回の大災害で、欧米の人たちが驚きの眼差しで見ていたのが日本人のそのような心性であることからもそれはわかる。今求められているのは、価値観、物の見方、考え方、感じ方、人間観、自然観の変容を含めた意識の革命なのだ。
同時にエネルギー政策をはじめとする社会システムそのものも大きな変革を求められている。意識と社会の仕組みが同時に変わっていかなければ、真の変革は起きてこない。そのためには現実を直視する勇気、光と闇の両面をきちんと観る視点、まっとうな批判精神とそれを超えて創造する第三の道、新たな展開の方向性も見ていかなければならない。
「愛の道」と「知の道」、「祈り」と「行動する力」、「意志の力」と「明け渡し」、「感性」と「理性」、「光」と「闇」、「いま・ここ意識」と「社会に働きかける力」、「自己の内面のシャドー」と「社会の隠蔽されたシャドー」、「健全な懐疑」と「大いなるものへの信頼」、「個」と「全体」・・・その両方のバランスをとる視点が必要なのだと思う。
個人の人生にいても、心身の問題においても、社会の問題においても、地球レベルでの問題も、あらゆる問題は、どこでバランスを崩しているのか、どこがバランスが悪くなっているのかに気づかせてくれる大きなサインだ。
バランスを崩している時は、何が過剰になっているか、何をやり過ぎているか、何に極端にとらわれているのか、何に走り過ぎているか、その反対として、何が極端に少なくなっている、何がないがしろにされているか、何かが大切にされていないのかを観るいい機会なのだ。
そして、社会の大きなパラダイム・シフトの時期は、プロセス指向心理学の創始者、アーノルド・ミンデルが言う「ディープ・デモクラシー(深層民主主義)」の考え方が大きく役立つと思う。
これまでの民主主義は、多数決の原理で、少数派の意見は排除、却下され、ないがしろにされてきた。しかし、変革の時というのは、逆に少数派の意見に耳を傾けることが大事である、その人たちがまったく新しい視点を持っている可能性が大いにあるからだ。その考え方をPOP(プロセス指向心理学)では、ディープ・デモクラシー(深層民主主義)と言う。だから、仮に100人の人がいて、99人が同意、合意、賛成しても、強く反対しているたった一人の意見に多数派が心から耳を傾けることが大切なのだ。真の変革は常に周縁からやってくるからだ。
これは社会だけでなく、個人の人生においても同じで、頭(マインド)は、それいけドンドンでいこうとしても、身体の症状がブレーキをかけようとしていたら、身体のメッセージの方に意識を傾けてあげること、頭が「こうであるべきだ」と押し通そうとしても、内側に何らかの違和感があったら、その違和感が何を言っているのか、その小さな真実の声にちゃんと耳を傾けてあげることが大切なのだ。
今回の大震災での愛と光の側面は多くの人がブログに書かれていたが、大きな変革の時は、特に現実を直視し、光の側面だけでなく、闇の側面も観て、これからの展開を様々な側面から考察し、提案していくことが求められる。
そういう視点を学べたユーチューブでの講演や日記はいくつもあった。
福島原発の現状と今後の展開(大前研一氏)
http://www.youtube.com/watch?v=8GqwgVy9iN0
田中優氏のお話。
http://goo.gl/7VOhN
岡山で私とコラボワークをしている「monju」さんのmixi。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1694950536&owner_id=64170&comment_count=18
名古屋でのカウンセラー養成講座を主催してくれている「具現びと」さんのブログ
http://ameblo.jp/sna10826/entry-10830308270.html
そして、こんな時代だからこそ、こんな大変なことが日本に起きたからこそ、私はアインシュタインのこの言葉をもう一度読み返してみた。(これが本当にアイシュタインが言ったかどうかの真偽は実はわからないらしいが、今の日本人はとても励まされる言葉ではないかと思う)
「世界の未来は進むだけ進み、その間、幾度か争いは繰り返されて、最後の戦いに疲れる時が来る。その時、人類はまことの平和を求めて世界的な盟主をあげねばならない。この世界の盟主なるものは武器や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜き越えた最も古く、最も尊い家柄でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。我々は、神に感謝する。我々に日本という尊い国を作っておいてくれたことを・・・」(アルバート・アインシュタイン)
そして、私の好きな詩人の一人、山尾三省さんの詩集『びろう葉帽子の下で』も急に読み返してくなって読んでみた。
最初のページに出てくる「川辺の夜の歌」に、「神を求めて泣きなさい 神を求めて泣きなさい そうすればお前は神を見ることができるだろう」というフレーズがあるのだが、私は、この「神を求めて泣きなさい」のところで毎回涙がこみあげてくる。いくつもの好きな詩がこの詩集の中にはあるのだが、やはり、私はこの「夢起こし」という詩が大好きだ。特に今回は、東北地方の漁業の民、農業の民の顔を何度もテレビで見ていたから、よけいにこの詩がしみじみ心に響いてくるのだった。
< 夢起こし >
わたくしは ここで夢を起こす
どんな夢かというと
大地が人知れず夢見ている夢がある
その夢を起こす
大地には 何億兆とも知れぬ生きものの意識が
そこに帰って行った深い夢がある
その夢は椎の木
その夢は小麦
その夢は神
わたしは ここで夢を起こす
無言で畑を起こす一人の百姓が 一人の神であることを知り
無言で材を切る一人の大工が 一人の神であることを知り
無言で網を引く一人の漁師が 一人の神であることを知って
わたくしもまた 神々の列に加わりたいと思う
<お知らせ>
4月から毎月1回、東京で「ほおずきの会」を開催します。第一回目は4月10日(日)です。(定員・キャンセル待ち)。毎月の「ほおずきの会」の収益は義援金として送らせていただくことにしました。詳細はこちらです。
http://mixi.jp/view_event.pl?id=60898984&comment_count=35&comm_id=982903
岡部明美公式ホームページ:http://anatase.net/
4月3日(日) 名古屋1dayワークショップ
テーマ:「内なる真実の声を聴く」 主催:まな&ひろさん
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1675473136&owner_id=19056438#comment
4月15日(金)~17日(日) 大分3daysワークショップ
テーマ:「あたらしい人生の扉 やわらかな翼の色」 主催:sarisariちゃん
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1670362382&owner_id=21407761#comment
5月13日(金)~15日(日) 岡山3daysワークショップ
主催:monju&Bhumika テーマ:「空ゆく雲のように 流れる水のように~遥かなる呼び声にこたえ、このいのちを何に使うか」
http://web.mac.com/monjel1315/Site/sora_part1.html
5月29日(日) 札幌1dayワークショップ 主催:マリアさん
テーマ:「内なる真実に出会う~本当の自分に出逢いましょう~」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1681775828&owner_id=8027970&comment_count=12
テレビの画面を見る度に、東北地方の被害状況のあまりの悲惨さに胸が押しつぶれそうになり涙が溢れてしかたがない。私の生まれ、育った故郷、釜石が大津波に飲み込まれて壊滅していく姿を見言葉を失った。大自然の脅威の前では、誰も、何もできない。なすすべがない。
釜石の隣町である大槌町に暮らす叔母と叔父の安否が心配だった。何度電話してもつながらなかった。大槌もまた津波に飲み込まれた映像が何度も何度も映し出されていた。地理的に叔母の家が飲み込まれた可能性は高かった。大槌町の町長はじめ役場の職員十数人さえ行方不明になっていた。
叔母の末の息子の邦男ちゃんが盛岡に住んでおり、車で大槌まで向かったが、警察官に「これ以上は危険だから行ってはいけない」と止められたのだという。しかし、邦男ちゃんは、それを振り切り、両親の住む大槌に向かった。「自分が危険な目に合うかもしれないことなどどうでもいい。母ちゃんと父ちゃんを助けなければ」と邦男ちゃんは無我夢中で車を走らせたのだという。
予想通り、家は津波で流され、あとかたもなくなっていた。家の後ろは山火事、目の前は津波に流された夥しい家の残骸。水に浮かぶ車の数々。まさに地獄絵のような現実が目の前にあった。邦男ちゃんはいくつもある避難所に両親を捜しに行ったが二人はどこにもいなかった。だめかと思ったが、邦男ちゃんはそれでもあきらめきれずにあちこちを探し回ると、火事になっていない山の中で年老いた両親が手をつないで逃げ回っていたのを見つけたのだ。
邦男ちゃんは両親を車に乗せて盛岡の自宅まで連れて帰った。両親は不安と恐怖と疲労困憊で眠り続けたという。あたたかい布団の中で寝られることがどれほどの安堵とやすらぎだったことだろう。家族と一緒にご飯を食べたり、お風呂に入ったりという日常の当たり前のことが、どれほどありがたくて、幸せなことか、このような体験をした人は身にしみて感じ入ることだろう。
当り前だと思っていたことが、本当は何も当り前なんかじゃなかったことに私達はこういう体験をして身につまされるのだ。今こうして生きているということも死を眼前にしたり、九死に一生をえる体験をすると、生きてい在ることが実は奇跡のようなことなのだとわかるし、家があることや仕事があること、ありふれた日常の営みがただそれだけで本当はとても幸せなことだったのだと気づかされる。
神奈川に住む私の父と母に、おばちゃん(父の姉)とおじちゃんの無事を知らせたら声を詰まらせて喜んでいた。父も母も退院した直後に今回の大震災を知り、故郷を失った悲しみと共に多くの被災した人たち、家族を失った人たちのこと、行方不明になっている知人のことを思うと、いてもたってもいられない気持ちになると言っていた。
私の東京・神奈川でのワークショップを主催してくださっている「まゆ亭くにお」ちゃんが、三浦ワークの後、車で東北出張に行くと言っており「あけみさんの故郷、釜石にも行ってきますよ」と言っていたから、今回の大地震、大津波の日に何度も携帯に電話をかけたがつながらなくて、心配だったが無事に帰ってきて本当によかった。まゆ亭くにおちゃんの話によると釜石では、後10分遅かったら津波に飲み込まれていたという。なんと幸運だったのだろう。「死んだお袋が守ってくれたんだと思った」とまゆ亭くにおちゃんは言っていた。
今回の大震災を通し、世界中が日本を応援してくれたこと、そして、日本人の民意の高さに私は感動した。日本人を誇りに思った。私が感動したいくつもの話についてマイミクの「ふくちゃん」と「具現びとさん」が詳しく日記に書かれています。
ふくちゃん
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1689038027&owner_id=4340132
具現びとさん
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1689230337&owner_id=8002632
国連からのメッセージ
「日本は今まで世界中に援助をしてきた援助大国だ。 今回は国連が全力で日本を援助する。」
しかし・・・私には、今回の大災害を予兆させるようなある不思議な偶然が重なっており、これは一体どう
いうことなのだろうと数日考えていた。
あれは虫の知らせだったのか、なんらかの予感があって私はそういう行動に出て、ああいうことを書いたのだろうか・・。私には霊能力もないし、霊的な世界に対しては、かなり慎重なスタンスを持っている。もちろん、見える世界がすべてではなく、見えない世界が存在していることもわかっている。それが、いま・ここに同時存在していることも。
もし、直感とか、インスピレーションとか、第六感というものが、霊的な力などであれば、それは誰でもが持っている力であり、特別なことでもなんでもない。虫の知らせを感じとる感性は誰にでもあるものだ。そういう意味で、今回の東北地方の大地震、大津波は、ここまでの大災害になるなどとはもちろん私は想像もしていなかったが、このことが起きるはるか以前に私の無意識が何かを感じていたことだけは確かなのだ。
きっと誰にもあるだろう。その時には、なぜ自分がそう思い、そういう風な行動をしようとするのか理屈では全くわからないのだけれど、そう行動してしまったということが。その時には、なぜ今、こんなことを書いているのかわからないのだけれど、なぜかそのことについて書きたくて、書いたということが。
そのことが後になってある意味を持って現象として現れ、これにつながっていたのかと驚くことがある。点が線になり、立体化して、一つの現象の意味を知らされるのだ。
私の日記をずっと読んでくださっている方は、ご記憶があるかもしれないが、昨年の秋、私は認知症で車椅子生活になった父をどうしても故郷の釜石に連れて行ってあげたくて、家族全員で20年ぶりに故郷・釜石に帰った。父は故郷を本当に愛していたから、父の人生の最後にどうしてももう一度故郷の地に立たせてあげたかったのだ。理性的に考えれば、父の年齢、老い、病気、体調を考えれば無謀ともいえる計画だったが、私は実行したのだった。それが、結果として本当に父に故郷の地を踏ませる最後の機会になったのだ。
そのことについては、この日記に書いてある。
「たぶんこれが最後になるだろう」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1597383750&owner_id=3515288#comment
そして、今年1月31日の日記、「写真―あなたと共に生きた日々」で、私は、山田太一脚本の優れたテレビドラマ「岸辺のアルバム」について書いた。このドラマは、1974年の多摩川増水により付近の家が次々に濁流に飲み込まれて家屋が川に流されていった事実を元にして山田太一氏が書いた脚本を元にして作られたドラマである。家がなくなっても最後に残されたものは家族の絆であることを感じさせるドラマだった。
もう15年くらいテレビドラマを見ることのなくなった私が、なぜ遥か昔に見て感動した「岸辺のアルバム」のことなどを日記に書いたのだろうかと不思議だったのだが、まさか今回の大災害に相通じるテーマであったとは、自分でも正直背筋が寒くなったのだ。今回の大災害は、多摩川増水で家を失った人たちの何万倍もの被災規模であるが、家が川や海に流されて消えていくという事実は同じである。
1月31日の日記「写真―あなたと共に生きた日々」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1665887168&owner_id=3515288#comment
そしてこのひとつ前の日記に私はこう書いているのだ。
この世という現象の世界が諸行無常(すべては変化していく。すべてが生まれては消えていく世界)であることを腹の底から理解することこそ、「いま・ここ」を生きること、「一瞬一瞬」を大切に生きること、人との出逢いの「一期一会」に、今こうして「生かされていること」に感謝できる自分になっていけるのだと思う。
偶然はこのことだけではなかった。今回の大災害は、福島原発の問題が大きく影を落としているが、日記に書いたのでご記憶にある方もいらっしゃると思うが、私は、2009年8月14日、終戦記念日の前日に広島で、チェルノブイリ原発事故の被災者であるナターシャ・グジーさんとジョイントしている。私の講演の後にウクライナの歌姫と言われている美しいナターシャさんの素晴らしい歌声が披露されたのだ。
ナターシャさんは、原発事故を起こしたウクライナのチェルノブイリの村の出身で、彼女が6歳のときにその悲劇が起こった。政府は「何も大事はないが、落ち着くまで3日ほどみんな何も持たずにすぐ村を離れてほしい」と告げたという。周知のごとく、それから20年以上経っても彼女は村に帰ることもできず、美しい自然に恵まれていたチェルノブイリの村は放射能を遮断するための土に覆われ埋もれたままだ。
ナターシャさんの住んでいた村は、今も廃墟のままで、彼女は故郷喪失をしたままなのだ。この悲劇を繰り返さないでほしいという願いと祈りをこめて、原発問題を今一度考えてほしいと彼女は今世界中でコンサートをしている。
今回の大災害に通じることが私の人生の中でこのような流れ、形となってすでに表れていたことに私は驚いている。世界は私の内側にすでにあるという認識を私はすでに持っているが、今回のことが文明史的にどうのような意味をもつのか、世界の中で日本という国が次代に果たすべき役割とは何かについて、人類の集合無意識の覚醒について、今しばらく思索を続け、思うことがあったらまた書きたいと思う。
今回の大災害にあった方々にお見舞い申しあげると共に、行方不明になっている方が一人でも多く助かりますように、そして、亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。昼夜を問わず救出活動と復興活動に全身全霊で取り組んでくださっている方々には本当に感謝いたします。
岡部明美公式ホームページ:http://anatase.net/
4月3日(日) 名古屋1dayワークショップ
テーマ:「内なる真実の声を聴く」 主催:まな&ひろさん
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4月15日(金)~17日(日) 大分3daysワークショップ
テーマ:「あたらしい人生の扉 やわらかな翼の色」 主催:sarisariちゃん
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1670362382&owner_id=21407761#comment
5月13日(金)~15日(日) 岡山3daysワークショップ
主催:monju&Bhumika テーマ:「空ゆく雲のように 流れる水のように~遥かなる呼び声にこたえ、このいのちを何に使うか」
http://web.mac.com/monjel1315/Site/sora_part1.html
5月29日(日) 札幌1dayワークショップ 主催:マリアさん
テーマ:「内なる真実に出会う~本当の自分に出逢いましょう~」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1681775828&owner_id=8027970&comment_count=12
この10日間は怒涛の日々だった。父と母が突然、別々の病院に入院することになったのだ。父は入居している老人ホームで夜中に突然39度の熱を出し、翌朝ホームが提携している病院に急遽入院することになったのだ。
弟からの電話で「オヤジが肺炎で入院した」と知らせを受けた時はギクッとした。肺炎にかかったお年寄りがそれで亡くなったケースを度々耳にしていたので、私はある種覚悟をして、毎日、父の病院に見舞いに行った。
点滴につながれた父は、意識が朦朧としていて、私が行っても、かろうじて私が来たことを認識できるといった状況だった。目も3分と開けていられなかった。熱はずっと38度代が続いていた。
弟が「姉ちゃん、オヤジの顔がどんどん仏顔になってきているよな。覚悟しなきゃいけないな、俺たちは」と言った。私も認めたくないけれど、どこかで覚悟を決めなければいけないことを感じていた。
父が入院した4日前に実は母も入院していた。名古屋でのカウンセラーの養成講座中に電話がかかってきたのだ。母が救急車で運ばれて、近くの救急病院に入院したと弟から電話があったときはびっくりした。前回の日記で書いたように、心療内科の薬を手放して、代替療法で母はとても元気になってきているので、私はとても喜んでいた矢先だったから、一体何が起きたのかと思った。
母は「私は薬に依存していたことがわかった。病気は自分でも治す気持ちがなければだめなんだね」と言って、いろいろ工夫したり努力したりするようになって状態が上向きになっていたので弟と私は喜んでいたのだ。それがなんで突然入院なのかとたのだが、事情を聴いてみたら、母は高血圧の薬まで突然やめてしまったというのだ。
それで、朝、目が覚めて台所に行こうとしたときに、突然、天井がグルグルと回り出して、めまいを起こし、その場にバタっと倒れ、頭を強く打ってしまったという。母が意識不明になったので、弟が救急車を呼んで母が急遽入院ということになったのだ。
弟は立て続けに父と母の入院騒動があったため、少しパニックになっていた。しかし、私はこういう危機的な状況やどん底状況になればなるほど、妙に腹が座るたちで、驚きはしたが、動揺はほとんどしていなかった。どんな問題や状況になろうと、今自分ができることを精一杯やるだけだと思って今まで生きてきたからだと思う。
これは、きっと今までの自分の体験と学びが血となり肉となってきたからなのだろう。私は、人生に何か問題がやってきたとき、「これは、自分の領域か、相手の領域か、神の領域か」を考える。
私にできること、私が取り組むことができるのは、自分の領域に関するものだけだということを私は知っている。自分の領域に関して何が最善かは、私の中に知恵と意志があり、選択するのは自分だという自覚がある。自分が選んでいるのだという自覚こそが、自分の人生に責任を持つことであり、自分を生きるということなのだから。
相手の問題に関しては、相手の中に最善の方法や最善の道があることを信じないと相手に対する期待と要求というコントロール・操作、ジャッジが生まれる危険性が生まれる。相手の領域に関しては、自分の思いを伝えたり、何らかの提案をしたり、心からの援助はできても、選ぶのも決めるのも相手なのだから。相手にとって何がベストなのかは、自分にはわからないのだということを自覚していることが謙虚さを生むのだということを私は多くの失敗を通して学ばされてきた。
神の領域とは、人の生死であり、出逢いであり、人生に起こる出来事そのものである。生まれることも、死ぬことも自分では選べないのだから(しかし、深いレベルでは、その人の内奥にある神意識のレベルでは、実は知っているのだろう、選んでいるのだろう、今生のその人の魂の物語を・・・と最近の私は感じている)
実際、私がどんなに父と母が亡くなるのは悲しい、寂しい、こわい、いやだと思ったって、生まれたものは全員いつか必ず死ぬのだ。人類の死亡率は100%なのだから。人の生死は自分ではどうすることもできない。この現象界には永遠のものなど何一つないのだから。生まれること、死ぬことは、神さまのお仕事であって、人にできることは祈りだけだ。
この世という現象の世界が諸行無常(すべては変化していく。すべてが生まれては消えていく世界)であることを腹の底から理解することこそ、「いま・ここ」生きること、「一瞬一瞬」を大切に生きること、人との出逢いの「一期一会」に、今こうして「生かされていること」に感謝できる自分になっていけるのだと思う。
父と母がどうなるかは私にはわからなかったけれど、私にできることを祈りながら精一杯やらせてもらった。アロマオイルでマッサージしたり、足の指の操体法や、足裏も揉んだり、リコネクティブヒーリングをしたり、ローズクオーツセラピーをしたり、フレアーでトントンしたりと。私がいられない時間帯は、弟ができるようにと弟にやり方を教えた。
本当はテルミーもしてあげたかったのだけれど、テルミーは煙が出るから病院ではやらせてくれるところは殆どない。テルミーで身体に熱を入れたら、身体はすごく気持ちいいからしてあげたかったけれど、これだけは無理なのであきらめた。
代替療法や自然療法は、愛の療法だと思う。まずたいがいの療法は、身体に優しいから、気持ちがいいのだ。してもらっている方は、身体や心が喜んでいることを実感する。自分が学んできたことや体験してきたことが、今こうやって父と母に活かされることがうれしい。何も知らなかったら、見舞に行っても何もしてあげられることがないもの。祈りもとても大切だけれど、実際には父と母は私に触れられることをとても喜んでいるのがわかるから。
二人が入院した病院が別々なので、弟の車で行ったり来たりした。千葉の私の家から、神奈川のその病院まで往復4時間半かかる。毎日通うのはかなり大変だったが状況が状況だけに遠いなんて言っていられなかった。実は、3月5日(土)~6日(日)に、「まゆ亭くにおさん夫妻」主催の三浦半島での2daysワークショップは入っていたが、今回は初めて中止せざるえないことを覚悟した。楽しみにして来てくださる方には申し訳なかったけれど、仕方がなかった。
ところが、ワークショップ開催の3日前に父は平熱に戻り、点滴もはずれ、食事ができるまでに回復したのだ。「もうだいじょうぶでしょう」と医師から言われほっとした。母もまた3日前くらいに医師から、「あとは、歩けるようになるまでのリハビリだけです」と言われたのだ。
ああ、これは、父と母の無意識が、私に「仕事に穴をあけたらだめだよ。行っておいで」と言ってくれているのだと思った。ありがたかった。中止になるかも知れないという連絡を入れていた主催のくにおさんにそれを伝えたらほっと胸を撫でおろして喜んでくれた。
昨年同様、三浦半島の海が一望できるホテルの部屋でワークショップが無事開催できてよかった。河津桜と菜の花がとてもきれいで、鶯が鳴き、メジロが小枝に止まり、雪をかぶった富士山が一望でき、みんなで日の出を見ることもできた。最高の環境だった。
今回は、友人であるコクーンのボーカルのゆりちゃんに、ワークのアシストをお願いしていた。「ゆりちゃんだったら、きっと声を使ってこういうワークができるだろう」という私の予測があり、頼んでみたのだ。ゆりちゃんは「やったことはないけれど、なんかとてもワクワクするのでできるかもしれない」と言い、埼玉県の小学校でのコンサートが終わったあと三浦半島のマホロバに駆けつけてくれたのだ。結果は大成功だった。
途中から参加したゆりちゃんには、私が最初に参加者に描いてもらった絵を見てもらった。バディ=パートナー同士が色遣いや構図がソックリだったり、合わせ鏡のような絵を描いていたのには当人同士もそれを見た全員が目を丸くしたのだが、ゆりちゃんもそのシンクロに心底驚いていた。
ゆりちゃんは、一人ひとりが描いた絵を見て、その人のハートチャクラにチューニングしながら、その人の本質的なバイブレーション(波動)を感じ、それを声に出して歌ってくれた。即興音楽だったが一人ひとり全く違うものが表現され、感動的だった。
ゆりちゃんが、本来のその人のいのちの歓びや輝き、自由、愛、無邪気さ、至福、自然体のその人の個性のオーラのようなものを歌ってくれたのだが、見事だった。私は、ゆりちゃんとはつきあいが長いので、ゆりちゃんの個性も才能も熟知している。彼女にしかできないものが他にもあることを感じていたので、今回「やってみない?」と提案させてもらったのだけれど、いい意味で予想をはるかに裏切られ、みんなにあんなに歓んでいただけたことが本当にうれしかった。
参加者の人全員から、ゆりちゃんのこのワークは、次回もまたやってほしいという要望があったので、8月の三浦ワークでもやることが決まった。さっき、ゆりちゃんから電話があったので、「ゆり、あのゆり独自のワークに名前を付けたほうがいいね。単なるボイスヒーリングの域をはるかに超えるものだから、なんかいい名前がほしいよね」
「私がゆりのあのワークを見て感じたのは、キーワードとしては、祝祭、祝福の詩、リバース、リボーン、カーニバル、イノセント、いのちの輝き、歓喜、魂のワクワクバイブレーション、song your life、聖なる扉、感応・魂の呼応・コミュニオン、存在の詩、This is Life・・・。こんな感じかな。私のワークの本当の目的も一人ひとりがそれに出会ってほしいということでやっているから、ゆりのあのワークとはピッタリだと思ったよ。8月の三浦ワークでもよろしくね」と言って電話を切った。
今回の三浦ワークに参加してくださったみなさんは、逆にゆりちゃん独自のワーク誕生に立ち会ったわけですね。来て下さったみなさんありがとうございます。主催の「まゆ亭くにおちゃんとまゆみちゃん」にはご心配かけましたが、素晴らしいサポート今回もありがとうございました。
ゆりちゃんが三浦ワークの様子を日記に書いています。
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4月3日(日) 名古屋1dayワークショップ
テーマ:「内なる真実の声を聴く」 主催:まな&ひろさん
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4月15日(金)~17日(日) 大分3daysワークショップ
テーマ:「あたらしい人生の扉 やわらかな翼の色」 主催:sarisari
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5月13日(金9~15日(日) 岡山3daysワークショップ
主催:monju&Bhumika テーマ:「空ゆく雲のように 流れる水のように~遥かなる呼び声にこたえ、このいのちを何に使うか」
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5月29日(日) 札幌1dayワークショップ 主催:マリアさん
テーマ:「内なる真実に出会う~本当の自分に出逢いましょう~」
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認知症の父の介護疲れでノイローゼ状態になってしまった母を見て、「もうこれは限界だ、これ以上、自宅で父の介護をしていたら、母まで倒れてしまう」と判断した私は、父を特別養護老人ホームに入居させることを弟と話し合って決めたことは以前のコラムに書いた通りだ。
公共の安い施設がだいたい300人から400人待ちだった。高齢化社会の実態に直面した。こんな状況では待っている間に亡くなる方だっているだろう。民間のすぐ入れるところは毎月18万から20万はかかるという。母が、「我が家の経済状況では、そんな高い施設は無理だから大変でも私が介護するしかないのよ」と呟いたので、それは私がなんとかするから、とにかく高い施設でもお父さんを施設に預かってもらおうよ言ったのだ。
最初の頃は、慣れない環境で不機嫌だった父も、だんだん慣れてきて、お正月も家に帰るかと聞いたら、いやここにいるという意志表示をしたので、だんだん住み心地がよくなってきたみたいだ。高いだけあって施設はきれいでまるでホテルのようだ。個室だから、あまり社交的でない父にはプライバシーも守れていいみたいだ。
そこで働いている人たちは、とてもよくやってくださる。本当に大変な仕事だと頭が下がる。この間行ったら、父を担当してくださっていた若い介護福祉士の男性が退職されたと聞いてとても残念だった。父がその若い男性をとても気に入っていたからだ。心根の優しい人だというのは度々私も彼と接していて感じていた。「この仕事が好きなんです」とおっしゃっていたので、どうしてやめたのだろうと私も残念だった。
先日、夫が見ていたテレビのニュースをなにげなく私も見ていたら、こういった施設で働く人たちが低賃金で働いていること、同年代のサラリーマンと比較しても10万円くらい安い給料で働いていて、好きな仕事でも先行きの経済不安を抱えてやめていくケースや、過労でやめていくケースが多いとデータを見せながらキャスターが話していた。
2015年からは、我が国は、4人に1人が65歳以上の高齢者という世界最大の老人大国になっていくのにこういった老人施設で汗水たらして一生懸命働いている人たちが低賃金で働かざるえない状況というのはいったいどういうことなのだろうと思う。子供やお年寄りが幸せでない社会や、全身全霊で人を助ける仕事をしている人たちが経済的に貧しい社会というのはなんと愛のない社会なのだろうと思う。
この間、母と一緒に暮らしている弟(長男)から電話があった。「お袋の様子がこの数週間おかしいんだよ。足元がふらついてヨタヨタ歩くし、ろれつがまわらずにうまくしゃべれないし、食欲はないし、手がふるえるし、目に力がなくて淀んような目になってきたし、肝機能も低下しているし、日中も体がだるいだの痛いだの言ってずっと寝ていることがけっこうあるんだ」1ケ月前に実家に帰った時はここまでひどくはなかったのでびっくりした。弟と話し合って母が通院している心療内科に一緒に行くことにした。
母が、眠れないということで眠剤をもらいに通っていた心療内科に行ったら、そのドクターはほとんどカウンセリングもせず、薬ばかりを次々に変えて出すドクターだった。上からものを言う威圧的な人で、患者の気持ちに寄り添う、傾聴するという姿勢がほとんど感じられない医師だった。母は「老人性鬱」と診断されてたくさんの薬が出されていた。弟が、「姉ちゃん、ダメだ、あの医者は。愛がない。病院を変えようよ」と言った。私も同意した。
母が飲んでいたいくつかの薬をインターネットで調べたら、今の母の症状が薬の副作用として出る可能性があるものにほとんど合致した。母に印刷物を見せたら納得していた。これまで私は、実家に帰る度に母の話に何時間も耳を傾け、体調が悪い、気分がすぐれないとこぼす母に何度も寝る前の瞑想やリラクゼーション法や、日中の運動として気功や西式の運動療法や、自然治癒力をあげるさまざまな自然療法、代替療法を伝えてきた。
しかし78歳の母は、いやこの世代の多くがそうであるように、そういうものを基本的に信用していなかった。とにかくお医者様が絶対で、「すべての病気は、お医者様が治してくれるもの」と信じて疑わない。私がどんなに「お母さん、かつての私の病気は一刻を争う状況で緊急の外科手術をしなかったら私は死んでいたわけだから、西洋医学はそういう時には本当に素晴らしい医学なのね。救急医療、急性疾患、外傷や感染症、検査技術などは西洋医学は本当に強いの。素晴らしい医学なの。でもね、西洋医学は、慢性疾患や心の病気に対しては弱いの。絶対じゃないのよ。だから今は、統合医療の方向に医学も変わり始めているのよ」と説明しても「ふーん」と言うだけだった。
私が勧めた本を読んでも、「なんだかあやしい、いかがわしい」と言って、まったく受け付けなかった。だから、自然治癒力を高めるものをいくら教えても、勧めても、その場では「じゃあ、やってみるかね」と一応は言うのだが、いつも3日坊主だった。そりゃあ、そうだろう、信じていないものを続けられるわけがない。その人の信念が変わらない限り現実は変わらないのだから。で、結局はまた「お医者様が飲めと言った薬は絶対に全部飲まなければいけない」というところに戻っていくのだった。
薬を一概に否定するわけではないが、心療内科の医師なのにほとんどカウンセリングの時間もとらず、薬だけしか出さないクリニックはやはりおかしいと思った。母もさすがに、自分のいまのつらい症状がほとんど薬の副作用として書かれていたものと合致していたところから、やっと他の方法に目を向けてくれるようになったことは幸いだった。ここまで底をつかないと、人はやはり意識が変わらないのだなと思った。
実家からそう遠くない所にある山本記念病院の総合自由診療部が、バイオレゾナンス、ホメオパシー、アーユルベーダー、レイキ、スリー・インワン、オイリュトミー、オーラソーマ、太極拳、気功、漢方、アートセラピー、スピリチュアルヒーリングなど様々な代替療法を積極的にやっているので、母と弟と3人で先日行ってみた。
西洋医学の病院の中の一角に総合自由診療部があった。そこだけは、入口の扉が木でできていて、どこかのお家みたいで、中も床が木のフローリーングで、アロマの香りも漂い、全然病院くささがなかった。理事長の山本百合子先生自身が、西洋医学の医師であるとともに、ホメオパシー認定医師であり、アントロポゾフィ医学を学ばれた医師である。他の医師も代替医療を学んでいる方が数人おり、医師とヒーラーとセラピストが一緒の職場で仕事をしていた。私は、こういう病院がもっともっと増えていくことを期待したい。
母の初診のとき、担当の女性医師は、1時間以上ゆっくり母の話を聴き、カウンセリングしてくれた後に母のからだのつらいところを治療をしてくれた。医師は、母の話を聴いて、「ご主人の介護、どれほど大変だったでしょう。よくがんばりましたね、お母さん」と言われ、母は涙ぐんでいた。お医者様絶対の母にとっては、身内が話を聞くよりもやはり医師に耳を傾けてもらえたことがとてもうれしかったのだと思う。「お母さんはお年よりずっと若く見えるし、脳のMRI撮って何も異常がなかったなんてお母さんの年齢にしてはすごいことなんですよ」と医師は母が喜ぶような最高のナリッシュメントの言葉もかけてくれた。
母は、自分でいろいろな話をし始めた。夫が施設に入ってほっとした半面、今まで一緒に暮らしていた人が突然いなくなって心の中にぽっかり穴があいたようで寂しくなった話や、最近、愛犬が死んで悲しくて仕方がないという話、息子がリストラで失業したことで、この先この子はどうなるんだろうと思うと心配で夜も眠れない話や、娘(私)に経済的に助けてもらってありがたいけれど、嫁に出した娘にいまだに世話になっていることが心苦しい」とか、堰を切ったようにつかえていた胸の内をその医師に語り始めた。
医師は母の話をじっくり傾聴してくれた後にこんな提案をしてくれた。「私も愛犬を亡くした後は寂しくてしばらく泣き暮らしたんですよ。ペットって家族の一員、我が子同然ですものね。お母さん、もう一度、大好きな犬を飼われたらどうでしょう。お母さんはとても面倒見のよい方のようですから、誰か世話する対象があったほうが元気になると思いますよ」
母「ええ、でも、先生、かわいいだけに死なれることが悲しいので、もう飼うのはよそうって決めたんですよ、私」
医師「お母さんは今78歳でしょう。犬は15,6年は生きますから、お母さんのお年を考えたら、きっと愛犬と一緒くらいにいけますよ。一緒にいけたらしあわせじゃないですか」
母は、自分の老い先がもう長くないと思っていたことも不安のひとつだったから、医師に犬と一緒にあと15,6年は生きるでしょうと言われたことがとても嬉しかったらしく、急にもう一度犬を飼うと言いだした。弟が今誰か子犬をくれる人がいないかと探し始めている。
そして、いままでだったら、私が勧めるものも、いやいや飲んだり、やっていたのに、なんだか最近は積極的やりだしたのだ。手のふるえを治すためにもう一度気功を教えた。私自身が脳の手術の後遺症の手のしびれ、ふるえを気功で治した経験があるからだ。私の好きな「香功」(シャンゴン)を教えたのだけれど、母は難しいと言うので、気功の最も基本である「スワイショー」を教えたら、これは簡単だからやってみると言って、最近は毎日やっているという。寝る前に瞑想CDも聴いているというのでびっくりだ。
さらに度々私のワークショップに参加してくれているマイミクの「やむちゃさん」(薬剤師・バッチ・フラワーレメディのプラクティショナー。現在は病院勤務:http://mixi.jp/show_friend.pl?id=7142758&from=navi)が処方してくれた、バッチのレメディも飲み出した。この間母から電話がきたのだが、声のトーンがいつもより明るかった。「なんか、このバッチとかいうの、効いている感じがするのよ。気持ちが少し前向きになってきた感じなの。睡眠薬は最近全然飲んでいないのだけれど寝られるようになったし。もうすぐなくなりそうだから、お友達にまた頼んでくれない?」と言うではないか。
たぶん、母の意識の変化のいちばんのきっかけは、医師が、自分の話にじっくり耳を傾けてくれたこと、自分のつらい気持ちに寄り添ってもらえたことだと思う。そのことが母のハートを開き、いままでは受け入れられなかったことも受け入れられるようになったのだろう。
そして、最近は一緒に暮らしている弟(私と違って無口で内向的でおとなしい性格)が、今までは家の中では殆どしゃべらなかったのだが、母を心配して、意識的によく話しかけているらしく、一緒に散歩したり、母にご飯を作ってあげるようになったことも大きいと思う。
心の病の人が急増している現在、医学教育の中に、傾聴、アクティブ・リスニングの授業を必須科目として入れてほしいと私は切に願う。身体の病も実は心が深く関わっていることも多いのだ。それにしても、最近は本当に鬱の人が多い。心療内科や精神科は、最近はどこも患者さんでいっぱいだ。だが心の病気は薬だけの治療では限界がある。
心の病気は、社会的孤立と、精神的孤独と、耐え難いほどのストレスや感情的な痛みが大いに関わっているのだから、心療内科や精神科は、本当はカウンセリングやセラピーやヒーリングが必須の科なのだと思う。薬や手術や検査をたくさんしなければ儲からないようになっている今の病院を支えている保健医療制度が変わっていかなければいけないのだ。
「病み」は「闇」でもある。精神医療は、患者さんの人生の闇に、心の闇に、明かりを灯すことなのではないかと私は思う。闇は人間に深さをつくる人生の大切な体験なのだ。病気を悪として、死を敗北として病に向き合う医学はもう本当に変わっていかなければならない時期に来ていると思う。患者さんのボディ・マインド・スピリットにトータルに関わっていく統合医療が広がっていってほしいと私は心から願っている。
<お知らせ>
3月19日(土)に横浜国大で、国際生命情報科学学会のシンポジウム「いのち輝く医療」の中で講演させていただくことになりました。「生き方が呼び覚ます自然治癒力」というテーマでお話をさせていただきます。詳細は中ルミさんの日記にあります。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1666226923&owner_id=10470295#comment
岡部明美公式ホームページ:http://anatase.net/
3月5日(土)~6日(日) 神奈川・三浦2daysワークショップ
テーマ:「人間関係とパートナーシップ」
4月3日(日) 名古屋1dayワークショップ
テーマ:「内なる真実の声を聴く」
4月15日(金)~17日(日) 大分3daysワークショップ
テーマ:「あたらしい人生の扉 やわらかな翼の色」
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松山で私のワークショップを主催してくれているマイミクの「花菜」ちゃん」は、娘さんを7歳で亡くされている。子供を亡くした親の悲しみがどれほど深いものか、子を持つ親でもある私は想像するだけで身が引き裂かれそうになる。もし私に息子を突然亡くすというような出来事が起きたら、私は気が狂ってしまうくらい嘆き悲しみ、何年も立ち上がれなくなってしまうと思う。
「花菜」ちゃんは、娘さんを突然亡くした後は、息をすることも苦しく、2年くらいは誰とも会いたくなく、家に閉じこもっていたという。しかし、このままではいけないと思い、松山で「子供を亡くした親の会」という自助グループ作り、互いに助け合う活動を始めたのだという。
その会のメンバーと一緒に私の講演会に来てくださったことがきっかけで、年に1回、松山で私のワークショップを主催してくださるようになってもう3年たつ。「花菜」ちゃん主催の松山ワークは、私のワークショップでは珍しく男性参加者(主に経営者、ビジネスマン)が多いことが特徴で、花菜ちゃんは、この松山・中島ワークショップを主催する中で今まで出会ったことのないような人たちと沢山出会うようになり、新しい人生の扉が開いたようなのだ。今年は6月に開催が決まっていた。
しかし、昨年秋頃、「花菜」ちゃんから、今年2月くらいに愛する家族を亡くした方だけのワークショップをやってもらえないかという依頼があった。そのワークショップが終わって昨日帰ってきた。お子さんを病気や事故や自死で亡くされたお母さんたち、お兄さんを小さい頃に亡くされた方、母親を亡くされた方がいらした。愛する家族をまったく予期せぬかたちで突然亡くされた方の悲しみがどれほど深いものか・・・あまりのショックと悲しみで感情が氷ついてしまい、涙さえ流れなかった、泣くことさえ忘れてしまったという方がいらしたが、その悲しみの深さは想像するに余りある。
それでも、このような場に勇気をふるって来てくださったということは、人生の新しい一歩を踏み出したいという気持ちがなかったらいらっしゃるわけもなく、「花菜」ちゃんの願いのように、亡くなった家族の死を無駄にせず、その体験をなんらかのかたちで生かし、自分がしあわせに生きることが亡くなった人たちに一番喜んでもらえることなのだというところに最後はみなさんが立ってくださったように思えた。
参加者の方が何枚も撮られた写真には、殆どすべてオーブがたくさん映っていたのには驚いた。その写真を見ながら「ワークの主役は私達じゃなくて、亡くなっていった人たちだったんだね。みんなこの場に来てくれて、私達と一緒にワークしてくれていたんだね」と笑いながら話されたことが本当にうれしかった。今回のワークショップは、「花菜」ちゃんの希望で「永遠の絆―再生への道」というテーマでやった。このような体験をされた方にとっては、本当にいのちがけの再生への道なのだ。
これは、かつて親しい人を突然亡くした後、その喪失感から動けなくなった私が、数年の時を経て再び歩き出した時に溢れてきた想いを初期の頃の「SQライフ」のコラムに書いたものだ。季節は5月だった。青空の美しい季節だった。物書きでもある私が何年も物が書けなってしまうくらいやはりその出来事は私にとって大きかった。それまで家族や友人を亡くすという体験さえない私だったからこそ、もう一度歩きだせるようになるまで多くの時間が必要だった・・・。この文章をもう一度、今回参加してくださったみなさんに、そして、大切な人、愛する人を亡くした経験がある方々に捧げたいと思う。
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形も色も匂いもないはずなのに、5月の風はやはり違う。確かに薫るものがあり、微かに透き通った色がある。風は、果たして“不在”だろうか。空から雨や雪が降ってきて青空が全く見えない時、果たして青空は“不在”だろうか。
夜には、太陽は見えないけれど確かに存在しているし、昼には、月と星は見えないけれど確かに在る。昼と夜、太陽の時間と月の時間。光と影。からだと魂。存在と無。まるで、生と死のようだ。「存在」と「不在」、「この世」と「あの世」は、同じコインの裏表。生と死は、存在の両翼。ただ一対の生命現象。
だったら死なんてどこにあるのだろう。肉体は確かになくなる。だから、死体はある。でも存在の本質は物質(肉体)ではないのだから、死なんて本当はどこにもないのだ。どっちの世界で生きているかという住処の違い、形として「存る」か、エネルギー、意識として「在る」かの違いだけなのだから。
でももちろん私は、これから先だって、家族や大切な友人が亡くなってしまったら、思いっきり泣くだろうし、悲しくて、淋しくてやりきれないと思う。当たり前だ、人間なんだもの。私の大切な人たちが、この世からいなくなって、声をかけても、応えてくれない、あの顔を、あの姿を二度と見ることはできないのだと思うと、本当に悲しいし、淋しい。
私には今、そんな失いたくない大切な人、大好きな人がいっぱいいる。生きて別れるにしろ、死んで別れるにしろ、喪失の痛み、悲しみというのは、その人と共有した思い出の数や、共に過ごした時間の深さや長さ、心が触れたった体験の歓びの大きさに比例するのだと思う。
身近な人間を亡くしてみると人は驚くのではないだろうか。人生でこれが手に入ったら自分は幸せになれる、心が満たされると思って必死になって追い求めてきたもの一お金や成功、名誉や出世、他者からの評価や賞賛、りっぱな家や贅沢な暮し、便利な生活、かっこいい車や美しい宝石―そういったものが、実は、自分を本当に心の底から満たしてくれるものではなかったということに。
自分にとって大切な人と過ごした何気ない日常の触れ合いの中に、通い合う心の喜びの中に、どれだけ自分が本当は満たされていたかといことに、亡くなられてから初めて気がつくのかも知れない。その人が傍にいるということ、一緒に生きているということ、ただ家族であったということ、友達であったということ、一緒に仕事ができたということ、出会えたということ、本当は、ただそれだけで充分幸せで満たされていたのだということに、人は失ってみて初めて気づくのではないかと思う。
私たちはみな、亡くなっていった人たちの“夢の時間”を生きているのだ。亡くなった人たちは、生きたかったのだと思う。もっともっと、生きてやりたことや体験したいことがあっただろう。今こうして生きている人たちは、亡くなった人が一番ほしかった「生きる時間」をもっている。生は、死者の夢の残滓。時間は死者からの贈り物。きっと死者たちは、自分が残してきた大切な人たちに、こんなことを言っているような気がする。
「あなたには時間があるでしょう。なんでもできるはずだよ。あなたが望む人生を、あなたが生きたい人生を生きて。自分が心の底からやりたいことをやって生きていってほしい。もっと人生を楽しんでね。たくさん感動して、たくさん味わって、たくさん愛して、幸せになってほしい。時間があるということを大切にしないと、人生は、本当に、あっという間に終わってしまうよ」
本当に人生はあっという間に過ぎ去る。地上の人生一一このからだに住まう人生のなんという短かさ、儚さ。この宇宙の歴史からいったら、人の人生なんて一瞬の瞬き程度の長さだ。本当にこの世は夢幻だ。でも、儚さゆえに立ち表れる一瞬の美がある。煌く朝露も、水平線から昇る太陽も、虹の七色も、すべては一瞬の美しさ、束の間の美だ。この世の美と感動は、変化と消滅の上に成り立っているのだということを改めて感じる。
そんな風にして、肉体を持ったこの人生を刹那として見てみると、今こうして生きていられることや、大好きと思える人に出会えたことが、ただそれだけで本当に有り難く思える。そして、幸せというものが、この一瞬、一瞬にしかないのだとわかれば、悲しみを分かち合い、感動を分かち合っている瞬間というのが、なんとも贅沢な時間に思えてくるのだ。
おそらく人は、生きとし生けるものの“生の儚さ”を本当にかみしめた時に、かけがえのない自分の人生を大切に生きようと思うのだろう。そして、自分と同様、いつかは消えゆく運命にある他者への許しや慈しみがあふれてくるのかも知れない。
死と対峙することは、生を最も変容させる。本当に誰もがいつかこの肉体を去る日が訪れるのだから。もし明日この肉体を去るとわかったら、人は人生最後の日である今日という日を、相変わらず誰かを憎み、誰かの悪口を言い、愚痴や不平不満をこぼし、過去を悔いることに時間を使うだろうか。
自分の生を本当に輝きに満ちたものにするためには、逃げずに、ごまかさずに、自分の死、この肉体での人生が終わる日が必ず来るという事実に直面することだと思う。きっとその瞬間、世界が違って見える。見るものすべてが光にあふれていることを発見するだろう。世界は、こんなに光に満ちていたのだということに気づくだろう。
自分の人生の最後の日に、この目で見てみたい風景、世界は何だろう。人生最後の日に口ずさみたい歌は何だろう。この両手で抱きしめたい人は何人いるだろう。この口からあふれる言葉で愛を伝えたい人は誰だろう。
「ごめんなさい。そして、いっぱい、いっぱい、ありがとう」って、最後に伝えたい人は何人いるだろう。きっと、今ふと顔が浮かんできた人たちが、今世、出会うことを約束してきた人なのだと思う。人が、人生の最後の日に大切な人に伝えたいお別れの言葉は、「さようなら」じゃなくて、「ありがとう」なんだなとつくづく思う。
地上の儚い人生を本当にそのような眼差しで見ることができた時に、人は、他者への、人間という存在への慈しみが生まれるのかもしれない。本当にその眼差しがもてたら、どうやって人は、人を殺せるだろう。どうして戦うだけの人生など生きられよう。いつかはすべての人が消えゆく運命にあるというのに。その儚さへの悲しみ、慈しみが真に自分の内側からあふれてきた時、すべての人間の最も深いところにある、神性や仏性に灯火がともるのかもしれない。
すべては、来ては過ぎ去ってゆく。存在しては消えてゆく。出現しては消滅していく。しかし、その形あるものの儚さを注意深く見つめていった時に、永遠なるものが見えてくるのだ。消えゆく者、立ち去る者の眼差しからこの世界を見る時、私は、ただただ、この世界の美しさに感動する。ひたむきに、けなげに、一生懸命に生きている人の姿に心が打たれる。移りゆく季節、変わりゆく季節の美しさと儚さに立ち止まる人の瑞々しさにハッとする。
私も、風のように、水のように、流れのままに、自分のままに生きて生きたい。この世界の神秘に感動しながら、漂いながら、戯れながら。
<お知らせ>
3月19日(土)に横浜国大で、国際生命情報科学学会のシンポジウムの中で講演させていただくことになりました。詳細は中ルミさんの日記にあります。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1666226923&owner_id=10470295#comment
岡部明美公式ホームページ:http://anatase.net/
3月5日(土)~6日(日) 神奈川・三浦2daysワークショップ
テーマ:「人間関係とパートナーシップ」
4月3日(日) 名古屋1dayワークショップ
テーマ:「内なる真実の声を聴く」
4月15日(金)~17日(日) 大分3daysワークショップ
テーマ:「あたらしい人生の扉 やわらかな翼の色」
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昔、山田太一脚本のテレビドラマ「岸辺のアルバム」を毎週楽しみに見ていた時がある。山田太一の脚本は好きだった。20代の初め頃、テレビドラマの制作会社で経理・事務とお茶くみの仕事をしていた。
この会社は、脚本家のマネージメントもしている会社だったので、プロデューサーやディレクターと脚本家の打ち合わせの時、私は憧れの脚本家にお茶を出せることがとてもうれしかった。
向田邦子さんがいらしたときなど、お茶を出すときに手がふるえたものだ。「寺内貫太郎一家」「時間ですよ」「だいこんの花」「冬の運動会」「阿修羅のごとく」「あ・うん」「男どき 女どき」「蛇蝎のごとく」など向田作品はヒット番組をどんどん作っていた。
向田さんは憧れの女性だったので飛行機事故で突然亡くなられた時は本当にショックだった。倉元聡、山田太一、向田邦子は当時脚光を浴びている脚本家だった。その会社で一番売れっ子の脚本家が向田邦子さんだったから事故の知らせを受けた時、会社は騒然となった。あの時の緊迫した会社の空気はいまでも覚えている。
あの頃は、自分は将来何になりたいのだろう、私が本当にしたい仕事は何なのだろうと思いながら、それが全然わからず、ただ食べていくため、生活していくためだけの仕事をしていた。モヤモヤした心を抱えながら。
自分には全く才能がない経理・事務の仕事をしながら、私もいつか自分で番組を作りたいなあ、脚本家にもなってみたいなあなどと夢を見て、ひそかにシナリライター養成講座などに通ったのだが、自分の才能のなさに早々に見切りをつけて、通うのをやめたのだった。
好きな脚本家である山田太一氏は、私が勤めていた会社の所属脚本家ではなかったけれど、テレ朝とかTBSに脚本原稿を届けるために行くと、よくロビーや喫茶ルームでお見かけしたものだった。
「岸辺のアルバム」は、倦怠期を迎えた夫婦の危機と、子供たちが大人になる過程での苦悩、家族が崩壊していく様が描かれ、最後に水害により家が崩壊するという全15話のTVドラマだった。
山田太一氏の脚本の背景に会ったのは、1974年の多摩川水害だ。この水害で多摩川の堤防が決壊し、19棟の家屋が崩壊・流出したが、家を失ったことのほかに「家族のアルバムを失ったことが大変ショックであった」という被災者の話を山田氏が聞き、そこからドラマの構想が生まれたという。ラストの水害で家が流されるシーンは、実際の報道映像が使用されている。
主演の八千草薫は、家族に隠れて竹脇無我と不倫する主婦を演じ、それまでの良妻賢母的なイメージを打ち破り、新たな役どころを開拓し、テレビ大賞主演女優賞を受賞した。「岸辺のアルバム」は、テレビドラマ史に残る名作という評価が定着している。このドラマは、前述のように、実際に東京都狛江市で起こった水害を題材に平凡な中流家庭の崩壊を描いた作品である。それまでの『家族で食卓を囲んで最後はハッピーエンド』というホームドラマの殻を打ち破り、辛口ホームドラマというジャンルを確立した点で、革命的な作品であり、日本のテレビドラマ界に与えた衝撃は大きかった。
そのストーリーと共に特筆すべきは、オープニングの映像である。平穏に見える川が、ある日突然荒れ狂う激流、濁流に変わり、平凡な家庭を、普通の家を次々に飲み込んでいくという、この作品のテーマを見事に象徴している。特にジャニス・イアンの甘く気だるい歌声と、マイホームが激流に飲み込まれていく実際のニュース映像が鮮烈に印象に残る。
『岸辺のアルバム』というタイトルも含蓄がある。途中の回で、それぞれに秘密を抱える主人公の家族が、偽りの笑顔をつくって多摩川の岸辺で家族写真を撮るシーンがあるが、アルバムは、こうした偽りの家族平和の象徴である。しかし、最終回で家を失う家族が、必死で持ち出したものが家族の歴史を刻んだアルバムだったことから、最後は家庭や家族の「絆の象徴としてアルバム」が登場するのだ。たとえ偽りの家族の笑顔写真だったとしても、たとえ崩壊して家が無くなっても、「最後の拠り所は家族である」というのが、作者のメッセージであり、そのメッセージを『アルバム』に託しているのだ。家族とは何かを考えさせられる見事なタイトルであり、ドラマだったと思う。
なんで今日はこんなことを書いているかというと、友人であるコクーンのボーカルのゆりちゃんと「家族のアルバム」についてちょっと深いテーマで話をすることが最近あって、それ以来、写真について想いを巡らせていたからだ。
その後、コクーンのキーボード奏者である本田裕子ちゃんから電話があり、「あけみちゃん、1月29日のゆりちゃんの誕生日に内輪だけのお祝いパーティをしたいんだけど、ゆりちゃんにどんなプレゼントがいいかなあと思って考えついたのが、ゆりちゃんと親しい人たちが、ゆりちゃんと一緒に撮った写真をそれぞれ持ってきて、ゆりちゃんとの思い出を語った文章と共にひとつのアルバムにしてプレゼントしようと思うの。あけみちゃんは、ゆりちゃんとは高校1年からの友達だから、たくさん一緒にとった写真があるだろうから選ぶのが大変だと思うけどよろしくね」と言われのだ。
ああ、それはいアイディアだなあと思い、私は押入れの奥に入れてあるたくさんのアルバムを引っ張りだして、ゆりちゃんと一緒に写っている写真を選びだした。いやあ、ある、ある、大笑いの涙チョチョギレの傑作写真たちの数々。ゆりちゃんは若い頃より今の方がずっときれいなのだが、野性児のような、男の子みたいな、何人だか国籍不明の顔をした若い頃の写真もまたゆりちゃんの別の一面を表していて面白い。
「こんな写真なんで持ってきたあ、暴露すんな、こんな写真」と怒られないように、傑作写真はギリギリ、スレスレセーフの写真を選んだ。けっこう気をつかうのう。だって本当にヘンな写真がいっぱいあるんだもの。一緒に海に行った時に浜辺で水着着たまま、私を肩にかついでグルングルンぶん回している写真とか(若い頃のゆりちゃんの自慢は、筋力、腕力の力自慢だったのだ)
二人でよく行っていた居酒屋では、店で静かに飲んでいたデカイからだの男の客を店の前に連れだし、道路で肩にかついで振り回していたこともあったし。ほんとへんな奴だった昔から。しかし、どのくらいへんな奴だったかの証拠写真も少しは入れようと思って、水着ぶんまわし写真と木登りザルの写真は持っていった。ウシシ。
しかし、何十年もの友達との思い出の写真は、いま改めて見て見ると、感慨深いものがある。互いが悩み苦しんでいた日々も全部知っているし、それぞれのいくつかの恋の遍歴も全部知っている。一緒に泣いたり、笑ったり、ケンカしたり、感動を分かち合ったり、飲んだり食べたり、仕事をしたり、旅をしたりと、「ああ、こんなに一緒に生きてきたのだなあ、もしあいつが私より先に逝くことがあったとしたら、これらのアルバムに張ってある写真を見ながら私は号泣してしまうのだろうなあ」と思ったとたん、私はゆりちゃんの遺影の写真に手を合わせている自分を想像しておいおい泣いてしまうのだった。全く妄想甚だしいよ、私は。
ゆりちゃんの誕生パーティでは、ゆりちゃんはいつものコクーンの歌ではなく、コクーン活動を始める前からずっと好きで歌っていた「マイ・フェイバリット・ソングス」の数々をソロで披露してくれた。私は会場がわからずウロウロして着いたらもう2部が始まっていた。「サントワマミー」「ろくでなし」「バラ色の人生」「愛の暮らし」「プカプカ」「ウイスキーの小瓶」「踊り子」「雪が降る」などは聴くことができた。ゆりちゃんは久しぶりにギターを弾きながら歌っていた。なぜか、ゆりちゃんの歌う姿が浅川マキやカルメン・マキに重なった。
私が、テレビドラマの制作会社で経理とお茶くみをやっていた頃、ゆりちゃんは、「ベビ-エイジ」という赤ちゃん雑誌のライター&編集の仕事をしたり、「温泉新聞」という専門新聞の取材記者をやっていた。
それが、お互いに結婚し、家事、育児に専念していた専業主婦時代を経て、はてこれから先どんな仕事をしていこうかと互いに暗中模索していた時代がかなりあった。そして今は、お互いに若かった時代の仕事とは全く違った道を歩いている。二人とも40代からの再出発だった。
私は物書きになり、ワークショップやカウンセリングやセラピーを生業とするようになり、ゆりちゃんは好きだった歌をうたうことを仕事にしてコクーンとしてビクターからメジャーデビューを果たした。
想像もしていなかった展開にお互いになったわけだけれど、結局、昔から好きだったことをどこかであきらめ切れずにいたんだと思う。私は私で、シナリオライターになる夢は挫折したけれど、物書きになりたいという夢は捨てていなかったのだと思う。学生時代から人からよく悩み事の相談を受けていたから、援助職の仕事もいまとなっては、この仕事をするようになっていたんだなあと思う。
ゆりちゃんも北海道に住んでいた子供時代にすでにHBC児童少年少女合唱団で歌っていたというし、高校時代はギターを弾きながらよく歌っていた。20代はカラオケの女王だったし。ゆりちゃんは、歌を唄っている時はほんと幸せそうだったもんな、昔から。
結局、自分が自分の可能性に対して勝手に制限をかけていたもの、決めつけていた思い込みを手放したら、心の中にスペースができて自然に人生の流れが変わっていき、要所、要所で背中を押してくれる人たちに出逢っていった。そして、気がついたら新しい人生の扉が開いていたのだ。
かなり頑固に思いこんでいたからなあ。「私なんか無理。そんな才能ない。プロにはそんなに簡単になれるわけがない。世間はそんなに甘くない」等々たくさんの思いこみ、信じ込みがあったから。でも、今は思うよ。自分のいのちが歓ぶ仕事はきっと宇宙が、神さまが応援してくれるよって。だって自分の子供の本気の想いや夢は実現させてあげたい、力になりたいって思うでしょう、親なら。私達の本当の親はあちらさんだからね。
自分が心から大好きと思えること、ワクワクすること、なぜか興味や関心が湧いてくるもの、試練の下にあったギフトに気づいたこと、問題意識を持ち続けてきたこと、最も時間とお金をかけて学んできたことや体験してきたことが、その人のいのちを輝かせるライフワークになるんじゃないのかなあ。
PS:ゆりちゃんのお誕生日パーティの翌日の昨日は、東京での今年初のワークショップがありました。主催のまゆ亭くにおさん&まゆみちゃん、来てくださったみなさん、ありがとうございました。
岡部明美公式ホームページ:http://anatase.net/
2月5日(土)~6日(日) 「松山2daysワークショップ」
テーマ:「永遠の絆と再生への道」~愛する家族を亡くされた方のためのワークショプ~ http://home.e-catv.ne.jp/niziiro-rain/akemi2011-2.html
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自分の性格を変えようとしたことってありませんか。私はあります。「なんとかならんのかな、この性格」と思っていました。短所をひとつでも減らすことが人間として成長することなんだと昔は思っていました。自分は欠点だらけの欠陥人間だと思い、短所をなくす努力をしましたが、短所なんてひとつもなくなりませんでした。
考えてみれば当たり前だったのです。だって、長所と短所はセットになっているわけですからね。慎重な人は臆病でもあるし、信念のある人は頑固でもあるし、明るい人は軽佻浮薄な面もあるし、優しい人が優柔不断に見える時もあるし、おおらかな人は無神経な時もあるし、まじめな人は融通がきかない面があったりします。セットになっているわけですから、短所をなくしたら、長所までなくなってしまうわけですよね。
「短所の自覚が謙虚さを生む」「長所を伸ばせば、短所はその人の味、個性になる」「互いの短所を許し合い、補い合い、長所を活かし合うのが愛のある人間関係」「どんな人間も長所半分、短所半分」「長所だけの完璧な人間になったら神さまになってしまう。それは、人間でなくなること、人でなしということ」「助けてもらうことは、助けることと同じくらい価値がある。短所は、他人の長所を活かし、輝かせる“活人力”になる」「理性は人間に完璧性を求め、矛盾を排除しようとする。しかし、人間は非合理なものであり、矛盾を生き切るしかない存在。愛は矛盾さえ内包する力である」と教えてくれたのが感性論哲学の芳村思風先生でした。その時の講義を聴きながら、溢れてきたのがこの文章でした。
< 場面 >
あなたに不得手なものがあるからこそ、私は自分にも役に立てるものがあることを知る。
あなたがひっかかるところ、こだわるところは、あなたが何を大切にして生きている人なのかを私に気づかせてくれる。
あなたが自分でダメだと思っているところは、あなたの魅力と個性の宝庫。
欠点、弱点、不得手って、役に立つ場面があるからこそ存在している。
人をホッとさせるところだったり、人と協力しあえるつなぎ目だったり、誰かを活かすところだったり、自分をギリギリのところで支える力だったり、成長したいという前向きな気持ちを起こさせるとろだったり。
欠点、弱点、不得手は、変えようとしたり、無くそうとしたり、克服しようと頑張ると、逆にマイナスのまま育ってしまう。
役に立つ場面があるからこそ存在していると考えると、その人の味になったり、関係性を成熟させてゆく力になったりもする。
長所や欠点は、固定したものではなく、場面によってどちらにもなりうる自分の資質の裏表だから。
『もどっておいで私の元気!』より(善文社/岡部明美著)
思風先生のこの講義を聞いて以来、自分の性格をなんとかしようという無駄な努力はしなくなりました。さらにトランスパーソナル心理学やインテグラル理論やエニアグラムを学び出し、瞑想合宿や瞑想会に定期的に出席するようになってからは、逆に性格とはなんぞや、人間の本質とはなんぞや、というより深い人間理解の方に関心が向かうようになっていったのです。
私達はよく星座や血液型で簡単に人を判断したり、レッテルを貼ったり、ひどい時には「あの人は性格が悪いとか、あの人は性格がいい」なんて二分法で決めつけたりするけれど、本来、性格に「いい性格」「悪い性格」などあるわけないですよね。長所と短所は相対的なものなわけだから。
自分にとって都合が「いい・悪い」「好き・嫌い」「得手・不得手」「快・不快」があるだけで。それを元にして他者を自己中心的な価値判断で評価したりレッテルを貼ったりしているわけですから。それは決して絶対的なものではなく、自分の「好き・嫌い」「快・不快」「価値観」の物差しの表明に過ぎないわけです。
私達の自我は、自分の肉体や思考や感情や性格に同化しているからーつまり、それが自分と思っているわけだけど、自分がもしイコール性格だとしたら、どうやって自分の長所や短所に気づけるのだろうか。自分の長所や短所に気づいているものは誰か?それを観察している意識というものがなかったら気づきは起こらないわけだから。
リソ&ハドソンのエニアグラムが面白いと思ったのは、単なる性格タイプ論を超えて、自己成長と覚醒への扉を開く道を示している点だ。カウンセラー養成講座で私のアシスタントをしてくれている「monju」さんが、リソ&ハドソンのエニアグラムについてまとめてくれたものがありますのでここに紹介します。
『エニアグラム―あなたを知る9つのタイプ基礎編』(角川書店)第三章より
第三章:本質と性格
エニアグラムの中核にある真理は、「私たちは性格をはるかに超えた存在である」ということです。性格というのは、誰もがもつ大きな可能性のうち、なじみのある限定された部分にすぎません。私たちひとりひとりは、性格という限界を超え、「本質 Essence」と呼ばれる、ほとんど認知されていない、大きな広がりの「存在「Being or Presence」として生きているのです。
スピリチュアルな表現をするならば、ひとりひとりが、聖なる輝きを個人レベルで表現していると言えるでしょう。けれども私たちは、この根本的真実を忘れてしまっています。自らの本質を忘れ、眠りに入っているからなのです。
私たちは、自分自身が神聖な存在であるとは感じません。また、他の人の存在も、聖なるもののあらわれであるとは感じません。そして、往々にして頑になり、皮肉さえ言い、他の人を敵対視したり、自己満足のために利用するのです。
ところで私たちの大半は、性格とは何かをある程度は知っています。けれども「本質」という考え方は、おそらくなじみのないものでしょう。ここで言う「本質」とは文字どおり、私たちの根本的存在、「本質的自己 Essential self」、「存在の基盤 Ground of Being」という意味です。(「スピリット Spirit」という言葉でもいいでしょう)。また「本質」ないし「スピリット」を「魂 Soul」という言葉と区別することも重要です。
私たちの存在の基盤は、「本質」ないし「スピリット」ですが、個々人においては「魂」というダイナミックな表れ方をします。そして「魂」の特定の側面が性格なのです。スピリットを水とするならば、魂は特定の湖や川と言えるでしょう。そして、性格は、その水面に立つ波、または川の凍った氷の固まりです。
一般的に、私たちは本質やその多くの側面を体験することはありません。なぜなら「意識(アウェアネス)」が、あまりのも性格の支配を受けているからです。けれども性格というものを意識するにつれ、それはより透明になり、自らの本質をより直接的に体験することができるのです。(中略)
自分が本来スピリチュアルな存在であるという、深い真実を思い出せないのはなぜかを知るのにエニアグラムは役立ちます。私たちの心理的、またスピリチュアルな性質について、きわめて具体的な理解をもたらし、どちらの方向に向けて自分に取り組んでいったらいいかを教えてくれます。
ただし、本来の自分とは何かを語ってくれるわけではありません。本来の自分をいかに制限してきたかについて、教えてくれるのです。エニアグラムは、私たちを箱(分類)に入れてしまうものではなく、すでに入っている箱について、またそこからどうやって出ればいいかについて教えてくれるのです。
〈聖なる心理学〉
エニアグラムの深い教えのひとつは、「心理学的統合」と「スピリチュアルな目覚め」が、別々のプロセスではないということです。スピリチュアルな感覚がなければ、心理学は私たちを本当に解放することはできませんし、自分自身についてのもっとも深い真実に至らせてくれません。
そして心理学がなければ、スピリチュアルな感覚は、自我肥大や妄想、現実逃避に至ることもあるのです。エニアグラムは、無味乾燥な心理学でも、曖昧な神秘主義でもなく、成長(トランスフォーメーション:変容)のための道具です。それは心理学がもつ明晰さや洞察を入口に、深く普遍的なスピリチュアリティに向かっていくものです。ですから文字どおり、エニアグラムは「心理学とスピリチュアリティの架け橋」と言えます。
私たちの性格は、もって生まれた気質の力を借りて、子供時代の傷を防衛し、埋め合わせます。子供時代に遭遇し難事を切り抜けていくために、私たちは限定された対応方法(策略)や自己イメージ、行動などを無意識に身につけました。それによって、子供時代になんとか対処し、生存することが可能だったのです。したがって、誰もが特定の対応方法の「専門家」となる一方で、それが過剰に使われると、性格の中でうまく機能しない中心部分にもなってしまうのです。
性格の防衛と対応方法がより構造化されるにつれ、私たちは自分自身、すなわち自らの本質との直接的つながりを失ってしまいます。アイデンティティをもたらす源泉が、自らの「存在 Being」とのつながりではなく、性格になってしまうのです。(中略)
エニアグラムは、私たちが性格によって、どこでもっとも「つまずく」かを示してくれます。何が可能であるかと共に、昔からの自動的反応や行動の多くが、いかに自滅的で不要なものかを浮き彫りにしてくれるのです。
自分が性格そのものであると思っているときは、本来の自分にはるかに及ばないもので手を打っています。それはまるで、手入れの行き届いた庭がある豪邸を与えられながら、地下の小さな暗い戸棚の中に閉じこもっているようなものです。私たちの大半は、その邸宅には他の空間が存在することを忘れています。自分こそが家主であることも。
時代を超えてスピリチュアルな指導者たちが指摘しているように、私たちは、自分自身や自分の生き方を忘れ、眠りこけています。一日の大半を、さまざまな考えや不安、心配、イメージが占めた状態で活動していますが、自分自身、また、自分が一瞬一瞬に体験していることと共にあることはめったにありません。けれども自分自身の内面に取り組み始めるにつれ、自分の性格構造ゆえの関心事や特徴によって「今、ここ」の瞬間から注意が逸れることが見えるようになります。(中略)
したがって、こころの成長(トランスフォーメーション:変容)をもっとも可能にするエニアグラムの教えのひとつは、「自分は性格そのものではない」と気づくことです。それは、自己感覚の質的変化(トランスフォーメーション:変容)を体験することになります。
私たちは性格というものを「もち」、性格を通じて自らを表現する「スピリチュアルな存在」であるということにも気づきます。性格との一体化(同一化)をやめ、それを防衛することをやめれば、奇跡が起きます。本質が自然にあらわれ、私たちを変化(変容)させるのです。
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あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いいたします。
私は、昨年くらいから流れが大きく変わりだしたなあという実感があります。イメージでいうと、それぞれの人生という川の流れが、時満ちて、他の川と合流し始めてより大きな流れとなり、豊かに流れ出した、そんな感じです。
すべての川が、海という全体に還ることを楽しみつつ、川である間は、その中で起きてくる風景を何でも楽しみたいなあと思います。
今年の我が家のリビングのカレンダーは、フラワーアーティストの高橋永順さんのにしました。毎年、写真家の前田真三さんのカレンダーを買うのだけれど、今年は暮のギリギリに本屋に行ったら売り切れていて、他にいいのないかなあと思って探していたら、永順さんのがありました。
20代の初めの頃、まだ「anan」とか「nonno」なんか買って読んでいた頃(私にもそんなかわいらしい時代があったのね。あんな、時代もあったのねー)よく、永順さんの野の花シリーズの写真が掲載されていて、永順さんが活けるとさりげない、控え目な野の花たちが、なんと存在感をもって迫ってくるのだろうという新鮮な驚きがあった。元々、カメラマンでもある永順さんだから、自分が活けた写真の撮影も人まかせでなかったから、さらにいのちが吹きこまれていたのだろう。
今年のカレンダーは、バラシリーズなのだけれど、これほど多様なバラがあるのかと驚く。ほんときれい。1月は、モーティマー・サックラー。まるで桜貝を集めたように花びらが幾重にも重なっている。こんなにたくさんの名前を全部知っている人は、相当のバラ好きの人だろう。
いくつくらい知っていますか?ピーチ・ブロッサム、ロイヤル・サンセット、カンパネラ・ポシャルスキアナ、キャサリンハロップ、ブライス・スピリット、ルナ・ピンク、パーク・アベニュー、ダスキー・メイディン、エブリン・・・なんだか美しい女優さんの名前か、お美味しいカクテルの名前みたい。
我が家の近くに京成バラ園があるのですが、5月になると、それはもうすごい人・人・人で、車で行くと、何キロも渋滞が続くほどです。ここのバラ園は、イギリス庭園みたいで、ありとあらゆるバラが咲いていて、それはそれは見事なんです。「忘れなーいで、忘れなーいで、時は流れ過ぎてもー」っていう、5月のバラっていう歌もありましたね。今年も5月になったら行こうと思っています。
2011年 1月1日 2+0+1+1+1+1=6
数秘でいうと、6は、愛と平和と調和・・・この数字で幕が開けた今年は、きっといい年になる。いい年にしよう。
ユネスコ憲章に、「世界の平和は、一人ひとりの心の中に平和の砦を築くことから」とありますが、本当にそう思います。大きなことやりっぱなことができなくても、一人ひとりが今自分が生きている場所で、自分ができることを、自分らしくやっていくことができたら、世の中は、少しづつよくなっていくだろう。
私は1月中旬の仕事始めまでは、のんびりまったりの日々です。
2011年が、みなさんにとって、よい一年でありますように。
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2011年
2月5日(土)~6日(日) 「松山2daysワークショップ」
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今日はクリスマス・イブ。独身時代は、このクリスマス・イブを誰とどこでどんな風に過ごすかということが何よりワクワクする企画だった。該当パースンとプランがないときは、なんとも言えない寂しさや惨めさがあったことを思い出す。クリスチャンでもないのに、クリスマスを何だと思ってる、とは思ってはいたのですが、世の風潮は、この日はラブの日でした。
クリスマスと誕生日とお正月さえなかったら、私は一生独身でもいいかなとさえ思っていたのだけれど、これらの日に一人でいるとやはり無性に寂しくなるのだった。いつもは自由でいいと思っていた一人暮らしの自由気ままさをこれらの日だけは全然謳歌できないのだった。
誰かと一緒にいたい、やっぱり私は誰かと一緒に生きる人生を歩みたいと思わせるのには、充分な動機づけがある日だったわけで。自分がそれほど強い人間ではないことに直面させられたわけです。聖なるエネルギーに触れる日は、我が生を根っこから問い直しせざるを得ない日でもあったのだ。
クリスマス・イブ、息子と夫には、昨日の神社巡り忘年会で買った熊野神社の「やたがらすのお守り」にしました。携帯用のストラップにいかなと思って。3本足のやたがらすは、熊野権現の神の使いといわれ、神話の中で、神武天皇を熊野より大和へ、無事に道案内したと伝えられている。クリスマスと神道がごちゃまぜですが、それも私らしてくていいかなと。
そういえば、子供の頃にもらうプレゼントというのは、それがクリスマスプレゼントであれ、誕生日プレゼントであれ、ちゃんと“幸せ色の包装紙”にラッピングされて手渡されるので、箱を開ける前から小さな期待に胸が膨らんだ。誰が見ても、それはプレゼントであることがわかるものだった。
ところが、人生をある程度生きてきて、いろいろな困難や苦難を体験してみると、その時には、“人生最大の不幸”と思えたことが、実は、それは、神さまからのプレゼントであったことを後になって知るのだ。
とにかく、今日までの人生を振り返って見ると、私の人生に起きてきた“いい事の種”は、全部、その時には“最悪な出来事”として起きてきたものの中にあったのだ。人生に起きてくる一見悪いこと、苦しい出来事というのは、実は、いいことの前触れであり、自分の魂の物語の“新しい章”が開かれるよという合図だったのだ。
人生というのはなんというすごいカラクリなんだろう。それを思うと、人生というのは長い目で見ると一体何が悪くて、何がいいなんて簡単に言えるものではないんだなとつくづく思う。人間が頭で判断する「いい・悪い」を超えて、ただ生きられる神秘一それが人生なのかも知れない。
でも人はみな、この人生で自分のなすべきこと、自分しかできないものをもって生まれてきたにも関わらず、それが一体何なのかわからずに右往左往したり、いつの間にかそんなものが自分にあることも忘れて、ただ日々を習慣的に繰り返すだけの人生を生きていることが多いのではないだろうか。
そんな時に空から突然大きな石が降ってきて、心身に大打撃を受け、どん底に突き落とされるような出来事が人生に起きてくることがある。この体験をさせられている時に、その人が、何を感じ、何を思い出し、何に向き合い、何を手放し、何を乗り越え、どう行動したのか。
この“何”と“どう”の内容と質、これこそが、その人がその後、人生の“幸福の扉”を開けるのか、“不幸の悪循環の扉”を再び開けてしまうのかを決めるのだと思う。
神さまからいただく最大のプレゼントというのは、決して幸せ色の包装紙でラッピングされてはいない。それどころか、およそ世界中の不幸をすべてかき集めたような色の包装紙にくるまれてやってくる。
その苦しみ、悲しみ、痛みの体験をしなかったら、その人がこの世でなすべき自分の仕事に深みも説得力も、慈悲や慈愛、知恵も生まれないのだとしたら、神さまは最高の時を選んで、その苦痛をその人に体験させるのだと思う。まさにそれこそが、神さまの愛なのだろう。
神さまは実に、人が成長するための宿題や実力テストを最高のタイミングで差し出してくる。本当にマメと言おうか、容赦がないと言おうか。私はその度ごとに、どれだけ右往左往し、七転八倒してきたことか。
でも私は、神さまから差し出されたどの問題からも逃げずに、めげずに、なんとか合格点をもらうために自分に向き合ってきたと思う。そうしたら、それを乗り越える度ごとに、私の空は広くなり、高くなり、飛べる翼も、強くしなやかになってきたように思う。地上で手をつなげる人も増えてきた。一緒に空を羽ばたく仲間もどんどん増えてきたのだ。
人生は自分の思い通りにはならないけれど、自分の“想いの通り”にはなるーそれが、今日まで、この旅を続けてきた私の生の実感だ。思い通りしたいというのはエゴの欲望だけれど、深いところからの想いというのは魂の願いだからなのだろう。
魂はみんなつながっているし、神さまにつながっているものだから、最高のタイミングでその想いが実現するよう大いなる力が働いてくれるようだ。自分の力では決してない一―そのことへの深い理解と感謝こそが幸せな人生を送るマスター・キーなのだと思う。
PS:昨日は、神社巡り忘年会でした。最終的には総勢40人という大所帯。朝10時に出発して、新宿の熊野神社、原宿の明治神宮、東郷神社、門前仲町の深川不動と4つの神社を仲間たちと巡りました。深川不動だけは初めてでしたが、こんな近くにこれだけいい神社があったなんて知りませんでした。特に4階の大日如来の部屋は圧巻でした。目を閉じて座っているとすぐに深い瞑想状態になり、何時間でもこの部屋で瞑想していたいと思わせるような場所でした。
その後は宴会、カラオケと続き、解散したのは夜11時。なんと1日忘年会になりました。いやあ、最高に楽しかったなあ。飲むわ、歌うわ、踊るわで大盛り上がり。コ-ディネートしてくれたのは、東京・神奈川で私のワークショップを主催してくれている、まゆ亭くにおさん&まゆみちゃん夫妻。参加してくれたのは今年ワークショップに参加してくれた方々。
主に東京・神奈川・千葉・群馬・茨城在住の方々でしたが、遠く、新潟、岡山から参加された方もいらっしゃいました。『私に帰る旅』の編集者である小島直人氏(角川学芸出版編集長)も宴会、カラオケに参加してくれて、「あけみさん、あんまり楽しくて泣きそうだったよ。オフ会があったらまた声かけて下さい」と昨夜遅くメールがありました。編集長になってからストレスで心身のバランスを崩していることが心配だったので、メール読んで、また時々オフ会やろうと思っちゃいました。企画発起人のひまりちゃん、実行隊長のくにおちゃん、まゆみちゃん、来てくださった皆さんありがとう。
この日記が今年最後になります。年末から1月中旬までは地味に主婦のお仕事の日々です。この地味な日々がまた素晴らしく普通でいいのですね。今年は、リアルにお会いできたマイミクさんがたくさんいらっしゃいます。出会ってくださってありがとうございます。みなさん、よいお年をお迎えくださいね。
岡部明美公式ホームページ:http://anatase.net/
2011年
1月30日(日) 「東京1dayワークショップ」
テーマ:「内なる真実の声を聴く」
2月5日(土)~6日(日) 「松山2daysワークショップ」
テーマ:「永遠の絆と再生への道」~愛する家族を亡くされた方のためのワークショプ~ http://home.e-catv.ne.jp/niziiro-rain/akemi2011-2.html
3月5日(土)~6日(日) 神奈川・三浦2daysワークショップ
テーマ:「人間関係とパートナーシップ」
4月15日(金)~17日(日) 大分3daysワークショップ
テーマ:「あたらしい人生の扉 やわらかな翼の色」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1631049261&owner_id=21407761&comment_count=5
長い長い旅の途中で
僕らは
遠いあの宇宙の向こうで
約束を交わした
君と こうして
出逢うことを…
僕は…
約束をはたせただろうか
君は…充分すぎるほど
僕を幸せにしてくれたよ
ありがとう…
形あるものから離れて
僕はまた…
戻ってゆくけれど
形ないからこそ…
君と 深く…近くなれる
この先 君の人生は
まだ 続いてゆくけど
僕は 君と共に
ずっと 在る…
僕は 先に逝くけれど…
やがて 君は悟るだろう
形ある…
すべてのなかに
僕があることを
そして そのすべてを
君は 愛するように
なるだろう…
君が愛する全てを
……僕も 愛する
君がよろこぶ全てを
……僕も よろこぶ
そうして…
僕らは 約束を
…果たしてゆく
僕は見えなくなるけれど
…君の触れる…
すべての中に
僕は在る…
ありがとう…
ありがとう
そして…
いつの時か
きっとまた逢おう
愛をこめて…
Kちゃん わたしも 大切な人をいろんな形で…何人も無くしました… 肉体が無くなることはとても寂しいのですが、 不思議に時が経つにつれ、とても 近くに感じるようになってゆくのです…
お通夜もお葬式にもいかれませんでしたが、お店でお客様の コーヒーをたてながらKちゃんとご主人に意識を飛ばしていたら、この詩が降るように沸いて来たので… 思わず… 仕事中断…メモりました。 Kちゃんへ贈ります…
肉体の終わりは、永遠の 始まり……… 私は そう 感じます
愛は 無尽蔵に、無限です。 Kちゃんと ご主人様の愛に合掌です
この詩は、岐阜・関市でのカウンセラー養成講座を受講中のKちゃんのご主人の逝去に接し、同じ講座メンバーのS子さんが、関講座のコミュに書かれたものです。素晴らしいメッセージだと思い、S子さんに許可を得てご紹介させていただきました。
亡くなられたKちゃんのご主人は、関市での私の講演会に来てくださり、二年半前に癌の手術で入院するとき病室に雅恵さんから貸してもらった私の本を持っていかれ毎日読んでいたとお話を伺いました。
Kちゃんのご主人は、転移が見つかり抗癌剤治療を続けましたが、主治医から「もうあなたの治療に使う薬はありません」と言われ、自宅で代替医療を模索しながらやっていました。
私は、前回の関での養成講座の後にKちゃんのご主人のお見舞に行きました。私は、Kちゃんがご主人との意思疎通、コミュニケーションがうまくいかず悩まれていたことを知っていました。
私がご自宅にお見舞に行った時、ご主人は、涙ながらに、「K子には本当によくしてもらった。世界一の女房だと思います。それなのに今までぼくはK子に、“ありがとう”も“ゴメンネ”も言わず、虫の居所が悪いとK子に当たりちらし、ケンカをすると何カ月も口をきかなかったりしてk子を苦しめてきました・・・」
ご主人はいままで自分がしてきたことをKちゃんに謝り、感謝の気持ちを伝えられました。Kちゃんは眼を潤ませて聴いていました。私はお二人の馴れ初めをお聞きしました。お見合いだったので、ご主人はプロポーズの言葉をあらためて言わなかったと言うので、「じゃあ、今言っちゃいましょうかあ」と私が笑いながら言うと、ご主人は照れながらもこう言ったのです。
「K子、ぼくは今ここで君に33年目のプロポーズをするよ。ぼくと結婚してください!」
「K子、ぼくはこの病気をなんとしてでも治して、君と一緒にお遍路したい夢があるんだ。K子、ぼくは生きるよ!生きるからね」
そう言って、ご主人はKちゃんを抱擁されました。私も見ていて涙が溢れました。Kちゃんが後で「あけみちゃん、いろいろあった夫婦だったからこそ、主人の言ってくれた言葉が涙が出るほどうれしかった。あの言葉を聞いたら今までのことなんてもうどうでもいいって思った。まさか主人があけみちゃんの前で私に33年目のプロポーズをしてくれるなんて思いもよらなかった。あけみちゃん、私今とても幸せだよ」
私は、「間にあってよかった」と思いました。ご主人は、帰り際にとても透明な表情をして私にこう言われました。それは、私自身がかつて死に直面しながら日々を生きていた時と同じ気持ちだったのでとても共感しました。
「あけみさん、ぼくはこの病気になって初めて、こうして今生きていること、生かされていることがうれしくて、なんでもないようなことがただ幸せで仕方がないんです」
あの日から2週間後にKちゃんのご主人は旅立たれましたが、いつか必ずお別れの時がくるさだめを生きている夫婦が、人生の最後にお互いの本当の気持ちを伝えあってお別れすることができて本当によかったと思いました。ご主人のKちゃんへの33年目のプロポーズは、きっと「来世も一緒になろうね」っていうことだったのかもしれません・・・。
そして、関の養成講座の主催者のお一人は、奇しくもご住職をされている「あんこう」さんです。その「あんこうさん」がお経をあげられたのです。あんこうさんが日記に書かれたその時のご法話がとても素晴らしいのでご紹介させていただきます。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1636639435&owner_id=7397357&comment_count=9
このお話をシェアすることをこころよく許可してくださったKちゃん、S子さん、あんこうさん、雅恵さん、本当にありがとうございました。
PS:今年最後のワークショプ、琵琶湖2daysが昨日終わりました。今回は奇しくもこの日記につながるテーマ「パートナーシップと人間関係」でした。それぞれの方が、自分なりの気づきをもって帰られたようです。主催の「Rebirth☆りえちゃん」と母「ちーちゃん」、父「パパリン」、アシスタントをしてくれたドクター「具現びと」さん、関西圏のみならず遠方から参加してくださった皆さん、ありがとうございました。
岡部明美公式ホームページ:http://anatase.net/
<2011年>
1月30日(日) 「東京1dayワークショップ」
テーマ:「内なる真実の声を聴く」
2月5日(土)~6日(日) 「松山2daysワークショップ」
テーマ:「永遠の絆と再生への道」~愛する家族を亡くされた方のためのワークショプ~ http://home.e-catv.ne.jp/niziiro-rain/akemi2011-2.html
3月5日(土)~6日(日) 神奈川・三浦2daysワークショップ
テーマ:「人間関係とパートナーシップ」
4月15日(金)~17日(日) 大分3daysワークショップ
テーマ:「あたらしい人生の扉 やわらかな翼の色」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1631049261&owner_id=21407761&comment_count=5
京都に行ってきました。紅葉の京都の寺巡りです。最初は行ったのは、「三十三間堂」。ご本尊は、「十一面千手千眼観世音」ですが、中尊の左右に500体、計1001体のご本尊です。これだけ並ぶと壮観です。顔がみな微妙に違い、ああ、これはあの人に似ている、ああ、こっちのは、あの人に似ているとか思いながら見ていました。けっこう私の周りには観音様に似ている人がいるなあ。
でも、妄想甚だしい私は、「これは、最初から仏像だと思って見ているから、千手観音も十一面観音もありがたい気持ちになるけれど、もし、リアルで、こういう人間に会ったらこわ過ぎないか?初めましてと言って握手した人が、コート脱いだら、手が何十本もあったら、ぎゃああ~だよなあ。こんにちわって言って、ニコっと笑った人が、帽子とったら、頭の上に顔が11個もあったら、こわくて失禁しちゃうよなあ」とか思いながら見ていたのでした。
次に行ったのは、二度目の広隆寺です。大好きな弥勒菩薩を見に行きました。前回行った時は、蓮の花が咲いている時期で、お寺と蓮の花というのは本当に美しい組み合わせだなあ思いました。今回の広隆寺は、紅葉がそれはそれは見事でした。
広隆寺の弥勒菩薩の話をしてくれたのが親しくさせていただいている行徳哲男先生です。私は時々、女行徳なんて言われるんだけど、私はあんなに猛獣ではありません。ちょっとインナープチ怪獣は飼っていますが。
私に広隆寺の弥勒菩薩をぜひ見に行っておいでと言ってくれた行徳先生から聴いたお話です。
「私は、苦しいとき、つらい時、どうしていいかわからなった時は、京都の広隆寺にある弥勒菩薩に会いに行くんです。何時間でも弥勒菩薩の姿を眺めるのです。すると不思議に気持ちが和らいでくる。時には涙さえ流れてくることもある。私にはそのわけがわからなかった」
「そのわけを教えてくれたのが、ドイツの哲学者、カール・ヤスパースです。世界中の仏像を研究していたカール・ヤスパースは弥勒菩薩像を見てこう言ったのです。世界中にある仏像の中でも、これほど美しい微笑の菩薩、これほどいい姿、いい顔をした仏像はないと」
「しかし、これほどまでの顔になれるのは、たくさんの過ち、罪を犯した人間でなければ、こんな顔にはなれないと言ったのです。この姿こそ、人間が到達しうる最高の姿であると。本当にその通りだと思いました。だからこそ、私のような間違いだらけ、失敗だらけ、罪や過ちばかりの、こんな自分さえ、弥勒菩薩は許してくれる。その深い深い慈悲の心を感じるからこそ、私は弥勒菩薩が好きでたまらなかったのだとわかったのです」
私は行徳先生からこのお話を聞いた時、目頭が熱くなった。私も失敗だらけ、間違いだらけ、愚かなことばかりやってきた人間だからだ。でも、弥勒菩薩の美しい微笑みが、それらのことを全部やってきたものでなければ到達できない姿だったなんて・・・・。
そう言えば、私が一緒にいて居心地がいい人、安心できる人、楽しい人、大好きって思える人は、決して聖人君子のようなりっぱな人、清く、正しく、美しく、賢明さや聡明さだけがあふれている人ではなかった。
たくさんの過ち、愚行、貪欲、嘘、罪、失敗、そんな自分の人間くさいドロドロした部分や、自分の心の弱さ、身勝手さによって、人を傷つけもし、自分も傷つけ、人生でたくさんの惨めさや後悔をいっぱい味わい、自分が決して人に誇れるようなりっぱな人間じゃないということをちゃんと知っている人が好きだ。そして、それを自覚した上でなお、その存在からやさしさや繊細さや愛があふれているような人、この世界から、ちょっとはみ出しているような人が私はたまらなく好きなんだなあ。
さて、広隆寺の次に行ったのが、「曼殊院」です。ここの紅葉とお寺がまた素晴らしかったです。翌日からのカウンセラー&セラピスト養成講座の1期広島、2期京都の合同スーパービジョンをやる会場のすぐ近くにあるお寺でしたが、想像以上に素晴らしいお寺で一目ぼれしてしまいました。夜はライトアップされるそうで、それも見たかったのでしゃ、今回はかないませんでした。ここはまた行きたいなあと思いました。
養成講座の初の1期と2期のスーパービジョンは、紅葉をみながら能楽堂でやることができて最高でした。それぞれ8ケ月間も共に泣き笑いしながら学び合った仲間たちなので、なんとも言えない安心感と信頼感があります。今回は、私の新しい学びを実験的ワークでやってみたのですが、思っていた以上にいい成果があったように思います。
日本は本当に紅葉の美しい国ですが、それは寒暖の差があるからなんだそうですね。京都のお寺と紅葉と仲間たち・・とっても贅沢な時間を過ごしてきました。
紅葉の美しい季節に、ある瞑想合宿に参加していて、その時にふと浮かんできて書いたのがこの文章でした。
< 自然 >
タンポポは自分のことをずっと“ちっぽけな花”だと思っていました。
同じ黄色の花なのに、ひまわりのような堂々とした明るさもなければ、
月見草のようなはかなげな魅力もない。
春色のさわやかな風を運ぶフリージャのような可憐さもない。
なんだか雑草みたいな自分をつまらなく感じていたのです。バラは小さい頃は自分のことが好きだったのに、大きくなるにつれて、
自分がイヤでたまらなくなりました。
みんなが陰でいろんなことを言っているのがわかったからです。「派手よね」「わがままそう」「目立ちたがり屋なんじゃない?」
「意地悪そうよね」バラは、自分がコスモスやスズランのようになれば、みんなから愛されると思い、一生懸命コスモスやスズランの真似をして、かわいらしく控え目な花になる努力をしました。
松は、紅葉やナナカマドが羨ましくて仕方ありませんでした。秋になると山々を錦秋に染め上げ、多くの人にその美しさを堪能させる彼らが。松は、いつでも緑色で、地味で個性がなく、かわりばえしない自分に愛想が尽き、どうやったら自分も紅葉できるのかばかり考えていました。
山を見上げて人間が言いました。
「自然っていいよなあ。大きいのや小さいのや、赤い花、白い花、春に咲く花、冬に咲く花、変わらない木、変わる木、形も色も匂いも大きさも、ぜーんぶ違うのに、この山ひとつ見上げたら、こんなに見事に調和して、きれいだもんなあ。ひとつひとつが、ただ自分のいのちを輝かせて生きているだけなのになあ」
タンポポとバラと松が顔を見合わせてクスっと笑いました。なんだか急に元気が出てきた感じです。そして、人間に向かってささやきました。
「私たちから見ると、あなた方もそう見えますよ。一人ひとりぜーんぶ違っていて、みんなそれぞれの魅力をもっていて素敵。でも、あなた方は、私達と違って、自分がどんないのちの花を咲かせるためにこの世に生まれたのか、自分で探さなきゃいけないんですものね。ああ、でも、それがあなた方の生きる意味、人生そのものなんですよね」
『もどっておいで私の元気!』(善文社/岡部明美著より)
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高校の頃は暇さえあれば小説を読んでいた。井上靖も好きな作家の一人だった。井上文学で最初に読んだのが「蒼き狼」。私は、この小説を読んだ時に無性にモンゴルに懐かしさを感じた。一度も行ったことがないのに、ありありとモンゴルの大自然と空気が小説から伝わってきて、「ああ、私、ここ知っている」という不思議な感覚を覚えたのだ。
いまだに行ったことがないけれど、テレビや映画でモンゴルの大自然と遊牧民族の赤茶けた顔や人間と共に生きる動物たちを見ると無性に懐かしさがこみあげてくる。私は、なぜか、モンゴルやチベットに郷愁を感じるのだ。あとは、アンデス地方もね。ケーナの音色を聴くと胸が切なくなってじーんとする。
「キャラバン」というチベット映画が好きで、劇場で3回見て、DVDも3回も借りて見た。「キャラバン」で流れていた音楽CDを映画館で買って、それを聴きながら部屋で瞑想していると涙が溢れて来て仕方がないのだ。
うちの子は、「お母さん、ぼくこの音楽こわいからかけないで」って小さい頃言っていました。息子は、私の好きな瞑想用のCDやシンギング・リンのCD、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のアニメもこわがった。彼のこわいという感覚はなんとなくわかる気がする。もうひとつの世界、黄泉の国を連想させる音色、リズム、波動だからだろう。
モンゴル、チベット、アンデス山脈にはいつかきっと行きそうな気がする。行ったこともないのになぜ懐かしさを感じる国があるのか。なぜ、「ここを私は知っている」なんていう感覚があるのか昔はわからなかったけれど、最近はちょっとだけあやしくなってきたので、「ああ、きっと私はこれらの国で生きていた時代があったのね」なんて思っている。
第77回アカデミー賞ドキュメンタリー部門にノミネートされた「らくだの涙」をDVDで見た。「らくだの涙」は、モンゴルの大自然に生きる遊牧民一家が、子育てできない母らくだの心を癒す感動的なドキュメンタリー映画である。岡山ワークの主催者であり、養成講座のアシスタントをしてくれている「monjyu」さんが「あけみちゃん、これはとてもいい映画だよ」と言ってDVDを貸しくれたので、見たのだが、私はラストシーンでボロボロ泣いた。
ストーリーは・・・ある春に、このモンゴルの大自然に暮らす遊牧民の大家族に一頭の白いかわいいらしい子らくだが誕生した。しかし、母らくだは、難産の末に産み落とした赤ん坊らくだに愛情を示すことができず、子育てを拒否する。
子らくだがお乳を飲みたくて母らくだのオッパイを求めて近づいても、足で子らくだを蹴り、自分に近づかせないのだ。子らくだは、母らくだの愛情とオッパイほしさに、拒絶されても、邪険にされても、近づくのだが母らくだの無視は続く。
遊牧民の大家族のみんなは「なぜ自分の子供なのにそんなに嫌うの?なぜ子供をかわいがらないの?なぜオッパイさえあげないの?」と自分の子供に愛情を持てない母らくだと、淋しげでおびえた目をした子らくだのことで悩む。
私は最初、茶色の母らくだから、白い子らくだが生まれたので、母らくだが、自分の子供だと認識できないのかと思ったのだが、どうやらそうではなく、難産の苦痛が母親らくだの心に何か暗い影を落としたようなのだ。
人間の女性もマタニティブルーという言葉があるように、出産後に鬱を経験する母親は少なくない。人によってはいのちがけの出産もあるし、夫の協力を得られないで一人孤独に育児することに心身共に疲れ切ってしまうこともあるのだ。しかし、動物にも産後鬱があるのかと驚いたが、母親に愛情をかけてもらえない白い子らくだがあまりにかわいそうで痛々しかった。
人間の世界でも最近は、ネグレクトという言葉があるように、育児放棄をする母親の問題が取り沙汰されている。私も仕事柄、「子供がかわいくない」「子供に甘えられるとイタイラする」「子供を愛せない」というクライアントさんに何人か会ってきた。
世間は、そういう母親を鬼のような母親として扱い、母性の欠如、人間失格と看做すが、少なくとも私がこれまでお会いしてきた方で、鬼のような冷たい心の女性など一人もいなかった。
それどころか、子供を無条件に愛せない自分に本当に苦しんでいた。しかし、愛がなかったら苦しむわけがないのだ。愛があるからこそ、どうしてこんなにイライラするのか、どうして無条件にわが子をかわいがれないのか悩むのだ。私がお会いしたクライアントさんは、よくぞ今まで生き抜いてこられましたねと思えるような人ばかりだった。
私がお会いしてきた人は、その人自身が、親との関係でとても深い心の傷を負っていた。子供は親から愛された記憶、大切にされた記憶、丸ごとの自分を受け入れてもらった安心感によって、自分を肯定し、この世界に自分は生きていていいのだという安心感をもつことができるのだ。それを持てなかった人が、どれほどの生きづらさを抱えて生きなければならなかったことか。
親との関係で得られなかった愛情や安心感をパートナーに求め過ぎて、愛がニーズになることで、関係性がコントロール・ドラマになり、修羅場になっている夫婦関係もあり、そのストレスで子供を虐待、ネグレクトというケースもあった。
母親自身が、自分の親との関係で負った深い心の痛みが癒されないと、
子供に負の連鎖が続いていく。被害者は、加害者になるケースが少なくない。そして、加害者がまた被害者を作っていく。この連鎖を誰かが断ち切らないと永遠に不幸が次世代に手渡されていくのだ。
しかし、援助職の仕事を長いことして今私が思うのは、本当は誰も悪くないのだということ。ただ、それぞれに苦しくて、辛くて、大変な人生を生きなければいけなかった一人ひとりだったということなのだ。
「らくだの涙」というドキュメンタリー映画は、動物の世界で起きているネグレクトを人間たちが癒していく真実の物語なのだ。遊牧民の大家族は、子育てをしない母らくだを見て、このままでは赤ん坊らくだは死んでしまう、なんとかしなければとみんなで知恵を絞るのだ。
母親らくだのすさんだ心を癒したのは、馬頭琴の音色と遊牧民の母親役の女性の美しい歌声だった。本当に心が震えるほどの声で、歌いながら、優しい眼差しで母らくだのからだを撫ぜていく。彼女の歌声と馬頭琴の音色で、母らくだの表情がだんだんやわらかくなっていき、母らくだの大きな目から涙が溢れ始める。
そして・・・ここからは言いません。久しぶりにいい映画を見ました。
PS:名古屋と岐阜(関市)でのカウンセラー&セラピスト養成講座の中級1回目が終わって帰ってきました。今回のテーマは、まさに「らくだの涙」と「キャラバン」のテーマである、親子関係、家族、血族、家系、共同体が抱える問題と、その問題を超えた時に得られるギフトと聖なる真理の理解でした。第一チャクラがもつ人間の根源的な課題です。「らくだの涙」を貸してくれたアシスタントの「monju」さんと名古屋講座の主催者であるドクター「具現びと」さんが、mixiの日記に概要を書いています。
「monju」さんの日記
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1623251105&owner_id=64170&comment_count=5
「具現びと」さんの日記
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1622690836&owner_id=8002632&comment_count=18
岡部明美公式ホームページ http://anatase.net/
11月26日(金)~28日(日)群馬・草津温泉3daysワークショップ
テーマ:「人生のニュービジョン」
~遺伝子にスイッチ・オンして新しい人生の可能性を開く~
12月11日(土)~12日(日)滋賀県・琵琶湖2daysワークショップ
テーマ:「人間関係とパートナーシップ」(定員・キャンセル待ち)
高校の頃、英語のリーダーは好きで得意だったけれど、グラマーは苦手で、嫌いで、できなかった。世界史は好きだったけれど、日本史は不得意だった。現代国語は好きだったけど、漢文・古典は苦手だった。
同じ、英語だし、国語だし、歴史なのに、なんでこうも成績に差があったかというと、単純に、成績のいい方は、先生が好きだったから。だから、よく勉強した。結果、成績がよくなるから、ますますその勉強が楽しくなっていった。
英語のリーダーの先生は、いつも授業のはじめに、ビートルズやボブ・ディランやサイモント&ガーファンクルやクラプトンの曲をかけて、「英語は耳から覚えろ、それも楽しく覚えろ」という人だったから、授業が楽しかった。
私は、「好き」「楽しい」「面白い」って思うと、すごく勉強する。いや実は、自分では勉強しているとも、努力しているとも、ちっとも思っていない。学ぶことが楽しくて仕方がないのだ。
私は、社会に出てからの方が、勉強好きになった。自分が興味と関心があることだけを自由に学べる楽しさがあったからだ。私は、学ぶということは本来楽しいもんだと思っている。あとは、「へえ、面白いじゃん。楽しいわ、コレ」って思わせてくれる先生との出会いも大きいね。
この間、息子が、「お母さんていつも勉強してるね」って言うから、「いや、これは勉強じゃないの。お母さんの趣味、遊び、レジャーなのよ」って言ったら「ふーん。俺、勉強なんか嫌いだな」って言っていた。彼はまだ学ぶことの楽しさを知らないみたいだね。自分が本当に興味や関心が持てるものに出会ったら、きっと、彼も私の言っていることがわかる日がくるだろう。それは、自分の天分・素質を発見していく旅でもあるのだ。
息子に「高校までで一番好きだった先生は誰?」って、聞いたら、「中学の時に通っていた塾のK先生かな。いまだに、コンビニなんかでK先生に会うと、俺にアイスクリームとか買ってくれるんだよ。すごくかわいがってくれたし、学校の先生より、教え方がうまかった」と言っていた。忘れられない先生というのはいるものだ。
息子は、小学校の時は、野球部のコーチに一番影響受けたみたいだ。自分にあまり自信のなかった息子が、このコーチに出会ってからすごく変わっていったし、成長していった。どんな先生に出会うか、どんなコーチに出会うかで、人は変わっていくね。
あけみちゃんの子育て日誌より
息子が小学3年生の終わり頃のある日、野球部の監督から、「岡部、お前、顔がイチローに似ているし、足も速いから野球部に入れ」と声がかかった。(注:小学校の時は確かにイチローに似ていたが今は全然似ていない)。
保育園時代に通っていた水泳もいまいち本気になれず、1,2年生の時に入部したサッカー倶楽部でも「ぼくは、サッカーの才能はないみたい。みんな上手なのに、ぼくだけヘタだ」と自信を失くしていた息子は、そう言ってもらったことがすごくうれしかったらしく、突然、野球部に入ると言いだした。
入ってみると水泳やサッカーの時とは打って変わって、自分から進んで一生懸命練習するのには驚いた。暗くなるまでマンションの駐車場で一人で素振りの練習をしている。手首にイチローの背番号「51」のバンドを巻いて。
父親は、背番号「3」の人を野球の神さまのように思っているが、息子は、「51」の人が神さまらしい。夫で慣れてはいたけれど、息子までがプロ野球中継を見ている時は話しかけても返事もしなくなった。つい1年前では、父親がプロ野球を見ていても見向きもしなかったのに。変われば変わるものである。自分の好きなものに出会うと、人は本当に変わる。
野球部の監督はものすごく厳しいが、ほめるのも半端じゃなくうまい。人の能力を引き出すことがうまいリーダーに出会うと人はどんどん成長していくし、輝いていく。息子はほめられるとすごくやる気になるタイプのようだ。
毎週末、父親とバッティングセンターに通いだした。野球をやっている時は本当にイキイキしている。この変化は、私にとってもとてもうれしかった。今まで息子を見ていて、もうひとつ自分に自信がもてない様子が、親として気がかりではあったのだ。
よし、私も彼を応援しようと思い立ち、突然、「お母さん、明日から、放課後に、“愛の千本ノック”をしてあげる」と言った。
「えっ、お母さん、ノックなんかできるの?」
私のことを、ものすごくどんくさいと思っている息子は、目を丸くして聞いた。
「みてらっしゃい。びっくりするよ。お母さんはノックの女王だったんだ、昔」と多少の誇張を混ぜて言った。しかし、本当に昔からノックだけは得意だったのだ。愛の千本ノックというのはもちろんウソで、本当は百本ノックが限界。でも、千本ノックの方が語呂がいいから、それで通すことにした。
小学校の校庭で、放課後、息子相手に「愛の千本ノック」をしていると、同じ野球部の子が「僕も混じっていいですか」と言ってきて、多い時は6人くらいの子を相手にやっていた。「岡んちのお母さんかっこいい」なんて言われると、私もすごく気分がよくて、ますます調子に乗り、張切ってノックするのだった。
息子は最近ボキャブラリーも豊富になってきて、言うこともすごく面白くなってきた。私が落ち込んでいると、「お母さん、瞑想すると経験値が500ポイント上がるんだよ。瞑想すると心が落ち着くらしいよ」とか、「お母さん、どうしようもない時は、祈るしかないんだよ。祈っていると神のご加護が受けられるよ」とか、「人生楽ありゃ苦もあるさ。お母さん、人生って、魂の修行するとこなんだってさ」などと、びっくりするような言葉を使うのだ。それも、絶妙のタイミングで。
息子は、私が考え過ぎて固まっている時や、落ち込んでいる時、元気がない時は、瞬時にわかるみたいだ。私はいつも通り、音楽を聴いていたり、本を読んだりしているつもりなのに必ず見破られてしまう。
「お母さんは、わかりやすいんだよ。単純だから」なんて生意気なことを言う。それにしても、瞑想だの、神のご加護だの、魂の修行なんていう言葉をどこで覚えたのだろうと思ったら、どうやらファミコンで覚えたらしい。(ファミコンってもう死語かしらん?)
ドラゴンクエストとかいうやつにはまっているから、きっとそういうので覚えたのだろう。それ以来、気をつけて見ていると、確かに、ああいうゲームソフトって、会話がものすごくスピリチュアルなのでびっくりした。
一度、私もやってみようと思って、彼にやり方を教わった。しかし、痛恨の一撃。「あ、ダメだこりゃ。お母さんには全く才能ないや。敵をボカスカやっつけることしか能がないんだもん。ロールプレイなんだから物語を読めなきゃだめなんだよ。予測がつかなきゃ。展開をよまなきゃ。お母さんには、頭脳プレーはムリだね」とか言われ、いきなり“退場”させられてしまった。どーも、私は、ゲームとかには全然関心が向かないのだった。(つーわけで、私はアプリはやらないから、誘わないでねん。急にいまが混在)
しかし、彼の幼顔に似合わない精神世界用語を突然使ったり、生意気なことを言うかと思えば、とんでもなく勘違いしている日本語を時々使うので笑える。ある時、野球の試合がある祝日だったのに、私がそれを忘れて、朝、彼を起こさなかったことがある。
彼は自分で起きてきて、「なんで起こしてくれなかったんだよ! 弁当はどうすんだよ!」と怒っている。私がうっかり忘れてしまったことを言うと、「お母さんは、うっかりばっかじゃないか! パパがいつもあきれてるよ。あんまり僕とパパに迷惑かけないでよ!」と言いながら、時間がないため、何も食べず、あわてて野球道具をもって玄関に向かった。
「ごめん、ごめん。試合がんばってネ! お母さん、後でお弁当作ってもって行くから」と言ったら、ドアを閉める時に、彼はプンプン顔でこう言った。
「ったくなあ、やってらんないよ。お母さんの親ばか!」
PS:てなわけで、私は明日からお勉強で伊豆高原に行ってきます。友人のティム・マクリーンと高岡よしこさん(日本トランスパーソナル心理学会顧問)が、エニアグラムの大御所「リソ&ハドソン」のエニアグラム特別トレーニングをオーガナイズするというので、お誘いを受けたので行くことにしました。
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11月26日(金)~28日(日)群馬・草津温泉3daysワークショップ
テーマ:「人生のニュービジョン」~遺伝子にスイッチ・オンして新しい人生の可能性を開く~
12月11日(土)~12日(日)滋賀県・琵琶湖2daysワークショップ
テーマ:「人間関係とパートナーシップ」(定員・キャンセル待ち)
これはすごい日記(mixiのブログ)だと思って何人かのマイミクさんにお知らせしたところ、みなさんとても丁寧な素晴らしいコメントを書かれていて、そのコメントの内容そのものにも驚き、今回の私の日記に改めて、その日記を書かれた「まさあき君」のことを書かせてもらってもいいですかとお願いしてみたところ、まさあき君からこころよいお返事をいただけました。
まさあき君、日記に書くことを承諾してくださってありがとうございます。
まさあき君は、高野山大学卒業後、高野山の奥の院で12年間、弘法大師・空海のお世話をされていたという僧侶です。奥の院には10人ほどの僧侶がいて交代で弘法大師のお食事も作られていたといいます。
まさあき君と私が親しくなったきっかけは、まさあき君が、『私に帰る旅』(角川学芸出版)の中に出てくる「ウーの話」(P63 心は天使だったんだ)のところで号泣してしまいましたというメールをいただいた頃からです。
私が書いた「ウーの話」で号泣したお坊さん・・・いったいどんな人生を送られてきた人なのだろうと思いました。このメールをいただいた後、まさあき君は京都での個人セッションに来てくださり、その後すぐ今やっている第3期のカウンセラー&セラピスト養成講座(岐阜・関市)を受講することを決められたのです。
まさあき君は、私が「mixiはやっていますか?」とメールで尋ねたところ「ミキって何ですか?」と聞いてきた人なのですが、今や、自分のmixiで「まさあき君に帰る旅」を連続で書かれています。いずれの回も素晴らしい日記です。
まさあき君は、子供の頃、精神病院や児童相談所や教護院に入っていました。子供が親と離れ、そのような場所で生きなければならなかったことは、幼かったまさあき君にとってどれほどの痛みと苦しみだったことでしょう。
私がまさあき君の日記を読んで驚嘆するのは、ここまで凄まじい人生を生きてこられたのに、まさあき君の書く文章には、一切の自己憐憫も被害者意識も他者批判もないところです。親に対しても、医師に対しても、当時の精神医療に対しても、です。
「僕は誰も批判したくないのです。批判からは何も生まれないからね。あけみゃんが大病をきっかけに本当の自分を取り戻す『私に帰る旅』をしたように、今、僕は、まさあき君に帰る旅をしている途上です。僕にとっての“まさあき君に帰る旅”は過去と決別する旅ではなくて、過去の自分を取り返す旅なんだよね。自分が今まで認めてあげなかった、否定し続けていたあの頃の自分自身の存在を認めてあげる旅なんだよね。 だから少年の頃の“まさあき君”を今までのように隠しちゃいけないんだよ。まさあき君の体験を認めてあげなきゃいけないんだよ、誰よりも僕自身がね」
「僕は、自分の中で起きていたこと、その事実だけを書こうと思っています。僕がその時に何を感じていたか。起きた事実を僕がどう“解釈”したかを。しかし、僕の解釈が相手にとっての事実かどうかは実際にはわからないのだというスタンスを僕はもっています。だって、他者のことはーたとえそれが親であってさえ、本当に親の中で何が起きていて、どんな想いで10歳の僕を精神病院に入れたのかなんて僕にはわからないわけです」
「この間、子供の頃入っていた精神病院を訪れました。今はその当時の建物はなく原っぱになっていましたが。その病院が、実家から、車でわずか45分のところにあったのだとう事実に驚きました。ここを訪れることができるまでに32年間かかりました。たった45分の場所なのにね・・・」
まさあき君の人生に起きたことは凄まじいことなのに、まさあき君の書く文章には、「僕は、こんなに辛かったんだ、苦しかったんだ、それは、あなたのせいだ」という誰かを責めるニュアンスが全くないのです。それどころか一陣の風が吹きわたる軽やかさと明るささえあり、淡々とした文章であるが故のある種の迫力もあり、涙は出るものの、読後感がさわやかで温かいのです。
これは、客観的に書くように努めたというよりは、己の人生のあらゆる体験をただ慈悲深く見守る眼差しーその存在を知っている人の文章だと思いました。そして、その存在が、自己の内奥に在ることもわかっている人でなければ、このような悲惨な出来事を昇華させた文書は書けるわけがありません。普通だったら恨み、つらみでいっぱいの文章になるような体験をしているのです。弘法大師・空海のお世話係だったというまさあき君だから、「同行二人」なのかなあと思いました。
自伝的なものを書いたものは、その人生が苦渋に満ちたものであればあるほど、負の感情エネルギーがまとわりついた当事者意識、被害者意識だけで書かれたものは、読む人を重たい気分にし、読み続けることが苦しくなることさえありますが、まさあき君の文章にはそれが全くないのです。よくぞ生き抜いてきてくださいました、ありがとうという気持ちが湧きあがってくるのです。
「最も個人的な問題は、最も普遍的な問題である」という名言を残したのは、来談者中心療法を創始したカール・ロジャーズですが、他者の最も個人的な問題を書かれていている文章を読んでいて、「これは自分のことみたい」「どうして私のことがこんなにわかるのだろう」「「この人の中に私がいる」という共鳴が起きてくるものはーつまり、普遍性がそこにあるものというのは、自我・思考を超えた自己の本質のスペースから言葉が降りてきている、あるいは、湧いてきているのではないでしょうか。
本質のスペースには、一切のいい、悪い、正しい、間違っているという判断がありませんから、その心地よさが共鳴―レゾナンスを生むのでしょう。本当は、誰も裁くものなどなく(裁く神などいませんし)、すでに許されているし、すでに許しているし、加害者も被害者もなく、ただただ愛され、見守られているすべての生きとし生けるものたちへの存在への慈しみに溢れているスペースを思い出していくことが内なる旅の道程なのでしょう。
関の講座メンバーには、まさあき君と話していて、笑い死にしそうなった人が何人もいるのです。あれだけの人生を生きてきて、あの明るさはどこからくるのでしょう。
先日私が「まさあき君は、坊主セラピストだから、略して、坊セラだね」と言うと、「え~、僕、坊セラですか~!坊フラじゃないですよねえ」と笑ってごまかして、「あけみちゃん、今度カラオケに行きましょうよ。あけみちゃんの好きな近藤房之助と宇徳啓子の“グッバイ・モーニング”、僕も好きですから、今度デュエットしましょう!」と話をすぐ俗世に持ってくる愉快な人なのです。
この間私が「まさあき君、私、高野山で瞑想合宿したいなあ。でも冬はメチャ寒いっていうから、夏がいいかな」って言ったら、「高野山の冬は確かにものすごく寒いけど、高野山の本当の美しさ、素晴らしさは冬です。真冬の高野山は荘厳ですよ。だから、あけみちゃん、真冬に行きましょう。僕がご案内しますから」と言ってくれました。福山雅治にソックリのまさあき君って全然高野山の香り、僧侶の香りがしない人だなあっと思っていましたが、これを聴いて、ほー、やっぱり弘法大師・空海にお仕えしていた僧侶だったんだわって思いました。
「まさあき君の日記」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1590938152&owner_id=29595168#comment
PS:昨日、3期名古屋と関の養成講座を終えて帰ってきました。今回は、アシスタントの「monju」さんことモンちゃんが岡山から来てくれました。「同じ初級2回目の講座なのに、メンバーと場が違うと起きてくることが全く違うから面白いねえ。それぞれが本当に味わい深かったなあ」とモンちゃん。主催者もまた受講生ですから見物人は一人もいなく、すべてがフラット。ワークショップや講座をしていていつも思うのは、まさに前回の日記に書いた宮沢賢治のこの感覚、この言葉なのです。
「感ぜられない方向を感じようとするときは だれだってみんなぐるぐるする」
「ただそこから 風や草穂のいい性質が あなたがたのこころにうつって見えるならどんなにうれしいかしれません」
「すべてが わたくしの中の みんなであるように みんな おのおのの中の すべてですから」
「なにがしあわせかわからないのです ほんとうにどんなつらいことでも それが ただしい道を進む中でのできごとなら 峠の上りも下りも みんなほんとうの幸福に近づく一(ひと)足ずつですから」
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テーマ:「人間関係とパートナーシップ」(定員・キャンセル待ち)
父が故郷に帰るのは、たぶんこれが最後になるだろう、そう思っていた。父が本当の魂の故郷に帰る前に、地上の故郷である岩手県の釜石に連れて行ってあげたかった。
弟がレンタカ―を借り、車椅子を乗せ、入居している老人ホームからの細かな注意事項を聴き、実家がある神奈川から片道9時間はかかるであろうと思われる移動距離を覚悟して出発した。認知症、歩行困難、会話不能、体力低下、入浴介助、下の世話覚悟の老いた父を本当に釜石に連れて行っていいものかどうかを母は直前まで悩んでいたが、孫(私にとっては甥っ子)が、「俺もじいちゃんの世話をするから、ばあちゃん、連れて行ってあげようよ」と言われたことで決心がついたようだ。
釜石は、父にとっては、大好きな故郷だけれど、母にとっては手放しでうれしい、懐かしいという土地ではないのだ。つらかった思い出がたくさんある場所だから。母は、東京から釜石に疎開し、19歳で結婚し、私達子供3人を生んだ。20代を3人の子育てに追われたのだからで青春なんかなかったろう。
田舎に嫁いだ多くの嫁たち同様、母は、嫁姑問題ですごく苦労して、泣いてばかりいたから、父と違って釜石に帰ることを手放しで喜べないものもあったと思う。子供の頃とても不思議だったことがある。私にはすごくやさしいおばあちゃんが、なぜこれほどまで嫁(母)をいじめるのだろうと。
母は、おばあちゃんに「孫(私と二人の弟)はかわいいけど、嫁はかわいくない。孫さえ生んでくれれば、後継ぎさえ生んでくれればいいんだ、嫁なんて」と言われて泣いていた。きっとおばあちゃんもまた、家父長制度が根強くあった時代に同じような辛い目にあいながらも無意識に負の連鎖をしてしまったのだろうと今の私なら理解できるが、子供の頃は、母が本当にかわいそうだった。母はどれほど孤独だったろう、あの家で。
子供の頃、大人たちの言い争いや対立を見て悲しくなると私は、鍛冶屋だったおじいちゃんの馬小屋に行き、大好きだった馬を撫ぜながら、馬に私の気持ちを聞いてもらっていた。馬の目はとてもやさしく、なんだか本当に私の気持ちをわかってくれているように思えた。
今回は1泊目はホテルに泊まり、2日目は、父の姉の家に泊まらせてもらった。1日目、父には、自分が勤めていた釜石の製鉄所(現、新日本製鉄)を見せたり、昔私たちが住んでいた家を見せたのだが、それほど表情は変わらなかった。しかし、2日目の朝、20年ぶりに6歳上の姉(85歳)の家に行き、庭先で手を振って待っていた姉を見た途端、父は相好を崩して笑った。
明るく朗らかな父の姉であるシン子おばちゃんは、居間で父の膝の上に手を置き、マシンガントークで父にどんどん話しかけるのだ。父は、笑ったり、泣いたり、ワンフレーズではあるが、姉に言葉を返すのを見て、私達家族は顔を見合わせて驚いた。「お父さんが、しゃべっている!」。こんなに喜怒哀楽の感情を豊かに表現している!
シン子おばちゃんは、弟であるうちの父がどれほど自分の自慢の弟だったかを喋り続け、父の子供時代のエピソードを笑いを交えてたくさんしゃべり続けた。父はその度に泣いたり笑ったりと大忙しだった。父はふだんは食欲がないのに出されたお寿司を誰よりもたくさん食べ、おばちゃんが用意してくれたノン・アルコールのビールまで飲んだのだ。父の情動の動きを見て私は、その人のいのちに深く刻み込まれた記憶は、たとえ認知症になっても忘れてはいないのだと思った。父を釜石に連れて来て本当によかったと私達家族はみんなホっと胸を撫で下ろした。
私もこのシン子おばちゃんが子供の頃から大好きだった。『私に帰る旅』(角川学芸出版)のP76で、私が書いた岩手の叔母というのは、このシン子おばちゃんのことだった。次男(当時29歳)を膵臓がんで亡くしたシン子おばちゃんが半狂乱で泣き叫ぶ姿に私は胸をしめつけられ、この世で一番悲しいことは、自分の子供を亡くした母親の悲しみなのではないかと思ったほどだった。あれから30年たっても亡くなった息子の話をする時は涙ぐむ叔母を見て、決して癒えない悲しみは、愛の深さなのだということを知ったのだ。
みんなが寝静まったあと、弟と深夜にいろいろな話をした。子供の頃の釜石での思い出や、岩手が生んだ天才、宮沢賢治や石川啄木や高村光太郎の話などもたくさん話をした。父は、石川啄木の短歌に感銘を受けて歌人になった人だし、私は宮沢賢治に影響を受けて物を書くようになったのだった。
私が宮沢賢治の世界に夢中になっていったのには大きなきっかけがあった。私は、小学校6年生の1学期に、岩手県の釜石から、神奈川県の小学校に転校した。私は、そのクラスで初めて、いじめと仲間はずれにされるという体験をした。岩手弁のイントネーションを笑われたので、私は次第に喋ることがこわくなった。私がただ岩手県生まれであるということで都会の子にばかにされた。
私は、大好きだった故郷の野山や川や海が汚されたと思った。私の家族や大好きだった友だちまで侮辱されたみたいで、私は深く傷ついた。私には、なぜ岩手が蔑みの対象になるのかが全くわからなかった。私はもって行き場のない怒りで、次第に心を閉ざすようになっていった。友だちができないことなんか初めてだった。
友だちのいない学校生活は、たとえ1年間であっても、その頃の私には永遠に等しかった。遠足ではグル-プでお弁当を食べることになっていたが、お弁当の時間になるとクラスの女王様みたいな子が、私のグル-プの子を全部自分のグル-プに連れて行って私は一人で泣きながら母の作ってくれたオニギリを食べた。あんなにしょっぱいオニギリは初めてだった。
ある日一人で下校していると、川原ですぐ下の弟がやはりクラスの悪ガキ達に囲まれて棒でこずかれたり、けられたりしていじめられていた。私はカ-ッとなり、近くにあった棒をもって、その悪ガキたちめがけて振り回した。頭に血が昇るというのはまさにあのことだ。自分がばかにされたり仲間はずれにされていることよりも、弟がいじめられていることの方が許せなかった。
弟は、私と違って内向的でおとなしい性格だったのでいじめられやすかったのかもしれない。それ以降も度々弟がいじめられている場面に遭遇した。転校生は、つらい目に合うことが多いみたいだった。
でも私たちは、親には学校でいじめられていることや、仲間はずれにされていることは言わなかった。子供には子供のプライドがあったのだ。言ってしまったらもっと自分が傷つくような気がした。私は、学校から帰っても一緒に遊ぶ友だちがいなかったのでいつの間にか、空想の世界で遊ぶこと、物語の世界で幸せになる方法を見つけたのだ。
私はこの頃から、岩手県の生んだ最大の天才、宮澤賢治の書いた詩や童話を好んで読むようになった。彼は、岩手を「イ-ハト-ヴォ」と呼んだ。イ-ハト-ヴォという響きに、私は宇宙の限りない大きさと神秘を感じた。みんなが幸せに暮らしている不思議な国を連想させる言葉だと思った。
私は、賢治の感性、とりわけ、その独特の透き通った言葉、ユニークな表現力にとても魅力を感じた。同じ岩手の風景を見ながら、賢治には世界がこんなふうに見えるのか、感じたことをこんな言葉で表現するのかという新鮮な驚き。私は、中学、高校に行っても賢治の世界に惹かれ続けた。賢治のこんな言葉、こんな表現に出会う度に、私はドキドキした。
「やさしい光の波が 一生けん命一生けん命ふるえているのに いったいどんなものがきたなくて どんなものがわるいのでしょうか」
「みんな時間のないころのゆめをみているのだ」
「青ぞらいっぱい鳴っている あのりんとした太陽マジックの歌をお聴きなさい」
「なべての悩みをたきぎと燃やし なべての心を心とせよ 風とゆききし 雲からエネルギーをとれ」
「僕 もうあんな大きな闇の中だって怖くはない きっとみんなの本当のさいわいをさがしに行く どこまでもどこまでも僕たちは一緒に進んでいこう」
「感ぜられない方向を感じようとするときは だれだってみんなぐるぐるする」
「ただそこから 風や草穂のいい性質が あなたがたのこころにうつって見えるならどんなにうれしいかしれません」
「すべてが わたくしの中の みんなであるように みんな おのおのの中の すべてですから」
「なにがしあわせかわからないのです ほんとうにどんなつらいことでも それが ただしい道を進む中でのできごとなら 峠の上りも下りも みんなほんとうの幸福に近づく一(ひと)足ずつですから」
賢治はきっと、野を渡る風の歌を聴きながら、花や樹や鳥や虫たちとも話をしていたのだろう。自然にはみな心があって、宇宙は歌をうたっていると思っていたのかもしれない。自然や宇宙の心、宇宙の物語り、そのリズムやメロディやハーモニーを言葉化したものが賢治の文学なのではないだろうか。
賢治は、詩や童話を書く文学者であり、貧しき農民たちを救った農学者であり、星や鉱石を愛する科学者でもあった。農学校の教え子たちには、一生忘れられない先生として慕われた教師でもあり、自分の死の間際に、法華経の経を読みながら死んでいった信仰者でもあった。「人間のまことの幸せとは何か」を生涯問い続け、世界の平和を願い続けた賢治。
友だちがひとりもいなかったその頃の私にとって、賢治の本は、世界に開かれたドアだったのだ。今にして思えば、賢治は、意識というものの広がりが無限であること、自分の意識が世界を見ているのであって、世界というものが客観的に存在しているのではないということ、自分の意識が変われば、世界が変わるということを私に教えてくれた初めての人だった。
PS:今回、家族全員で釜石に帰ることになったきっかけは、マイミクの「かりん」ちゃんと「ココロ」さんが、岩手の花巻で2daysワークショップを開催してくれることになったからです。もし、岩手ワークがなかったら、私は老いた父を故郷に連れて帰りたいとは思わなかったでしょう。「かりん」ちゃん、「ココロ」さん、本当にありがとうございました。故郷岩手でワークショップが出来たなんて夢のようです。参加してくださったみなさんもありがとうございました。
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先週末に行われた2泊3日の三浦半島でのワークショップは、ああ、これは相当に困ったぞという出来事が初日の夜に勃発。心臓アフロヘア&三つ編みと言われているさしもの私も「いやあまいったなあ、どーしようー」と思いました。
でも、今回はその事件が最終日にドンデン返し。みんなを大感動させる着地となったのでした。いやはや、この仕事、やっぱり心臓に毛が生えていないとできないわーと実感しました。もう剛毛の域ですよー。これじゃあお嫁に行けないじゃん(それが剛毛だっての!)
まさか、まさかの展開に目がテンになったものの、いやあ、プロセスはほんとカンペキだわー。いったいあの筋書きを書かれた方はどなたなんでしょうかねえ。うーむ、おそらく、本当はあの場にいた全員の無意識なのでしょうねえ。
最悪と思った出来事が、実は、どれほどの宝物を秘めているか、どれほどの気づきと変容のきっかけを作ってくれることか。これは、人生も同じですね。今回のメンバーもすごいキャスティングでした。誰ひとり欠けても、あの3日間の体験はなかったと思います。
今回の三浦ワークは、「センス・オブ・ワンダー」(大自然や世界や自己の神秘や不思議さに目を見はる感性)」と「ワンダー・チャイルド」」(自己の内奥にある純粋無垢さ、天真爛漫な心、無邪気さ、自由、平和、やすらぎ、くつろぎ、遊び心、童心)を取り戻すことをテーマにしていた。これらに触れることは、彼方からの呼び声に耳を澄ます感性の開発であり、その呼び声に応える自己の発見であり、人生を創造するエネルギーに触れることになるからだ。
楽器や絵などを使って、その人本来の魂の音色、旋律、リズム、メロディ、ハーモニーを思い出してもらうワークをたくさんやろうと思っていました。みんな本当は愛100%で生まれてきたのに、親や周囲の人や社会からの様々な条件付けや、人生で体験してきたたくさんの心の痛みによって、ほとんどの人は過去の記憶に反応し続けていて、今を生きられず、本来のいのちの輝きを忘れているでしょう。
自分を変えなきゃとか、もっとがんばらなきゃとか、この問題を解決せずして人生を楽しめるわけがないとか、自分を改善することばかりやって、いつまでたっても自分自身にくつろぐことができないでいたりする。でも、本当はリラックスして、ただ思い出すだけでいいんだと思う。どれほど本当は純粋無垢なる魂で、自由で、安らいでいて、無邪気で、天真爛漫であったかを。
今回の三浦ワークでは、たくさんの人たちがその自分を思い出し、表現し、イキイキとしたエネルギーの交流があった。それぞれの人の内的な体験と気づきを聴いているだけで、私自身が何度胸が熱くなったことか。
主催してくれた片海夫妻には本当に感謝です。サポートしてくれたドクター小西康弘さん、三浦の自然散策をガイドしてくださった桜井秀真さん、2日目の夜にコンサートをしてくれたコクーン、ベビーシッターをしてくれた片海くにおさんの奥様のまゆみちゃん、コクーンのマネージャーの雨宮さん、本当にありがとう。
今回は、ワークの前から、片海くにおさんのところに参加者から、「あのう、歯が痛いんですけどお」「うう、歯茎が腫れて痛いよー」とか「風邪で熱が出て、39度もあるんだけど行けるかしらあ」といったメールや電話が相次いだそうです。くにおさんは、「いや、今回の参加者には、外科医はいるわ、内科医はいるわ、歯医者の院長はいるわ、眼科医はいるわ、薬剤師はいるわ、お坊さんはいるわで、何があってもだいじょーぶ」と思っていたらしいですが、実際、職種を超えて、肩書きを超えて、一人の人として、それぞれが起きてきた出来事に最高、最善の働きをしてくれて、ほんとすごかったです。ありがたかったです。
海が一望できる部屋でワークできたことも気持ちよかったし、三浦の自然、温泉、お食事もとてもよかったです。くにおさんが、参加者の感想文を私のmixiのコミュにアップしてくれました。
<三浦ワーク参加者の感想文>
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=56593766&comment_count=0&comm_id=982903
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1ケ月半の夏休みが終わりました。夏休みの最後は、南の島で念願の一人旅をしてきました。20代の頃は、国内、海外とよく一人旅をしていましたが、結婚してからは初めてです。なんと20年ぶりだわ。1週間位の一人旅をしたいと思っていたので、子供が小さいうちは無理でした。息子が大学に入ったら行こうと決めていたのでやっと実現です。
私が20代の頃は、日本のひなびた温泉宿なんかは、女一人の客は泊めてくれないところが多かったですね。なんかヤバイことされたら大変って思うみたいで。なもんだから私は、妙に明るく、必要以上に笑顔を浮かべて、それまでの楽しい旅の経過などを話したりして(失恋して思いつめて部屋でヘンなことするような人間ではありませんという雰囲気を強調するわけです)。で、うまくいって宿泊可になったりしました。あの頃は、いつも、行った先で、ここがいいかなと思ったところにひょこっと寄って泊まっていたのです。
今思うと、この超方向音痴の私が、よくもまあ日本国内だけでなく、一人で海外旅行などしたものだと思います。英語だってからっきし喋べれないにもかかわらずです。若さという無鉄砲さゆえか、そもそも無鉄砲な性格なためか。どの旅も珍道中もいいとこで、あわや、といったかなりヤバイ事件や抱腹絶倒事件もたくさんありました。
もし私が理性的な人間であれば、己の方向感覚の無さや計画性の無さや英会話能力の無さから判断して、きっと未知への憧れも自由への可能性も制限したことでしょう。でも、ないものはないのです。私には魂の衝動を抑えることは無理なのでした。なーんてカッコつけてる場合じゃない。単にじゃじゃ馬で好奇心が旺盛なだけでした。でも、今思うと、外に向かう旅も内に向かう旅も結局は自分を知りたいという思いが原動力になっていたようにも思います。
もともと好奇心と冒険心が強いので、自分で体験して、この目で、この耳で、このからだ全部で感じたい、知りたい、納得したいという性向が強かったのですね。ま、これはいまもあまり変わってないか。
そう、私は自分が実感できないことは信じられないのです。いくら本に書いてあっても、偉い先生が言っていることであっても、自分が体感し、実感し、納得できないと前に進めないのです。前に進めないというのは、変化を恐れるエゴが「前に進ませない言い訳」を次々と考えだす思考の罠とはまったく質が違うものです。
魂の衝動は、聖なる渇きに突き動かされるので、体験の後に意識の拡がりや洞察や理解がその後についてきますが、後者、エゴの恐れくる前に進めない感覚には、意識が収縮する感じと停滞感と葛藤が続くので、その違いがはっきりわかります。
かつての一人旅はそういう意味で、私の深い部分で探しているものを見つけたいという衝動に突き動かされていたのでしょう。でも今回の一人旅は、ただひたすらのんびり、ゆったり、リラックス、充電の時間でした。大自然は最大のヒーラーです。自然は人間を癒そうとなどという思いなどなく、ただ空が空であるだけで、海が海であるだけで、花が花であるだけでこんなにも人を癒してくれます。
朝目覚めると、全面ガラス張りの大きな窓にコバルトブルー、エメラルドグリーン、コーラルの海が広がっています。椰子の木が風に揺れ、鳥たちのさえずりが聴こえます。青空を雲が流れ、鳥たちが飛び交い、いくつものかわいらしい小島が見えます。夜、あえてカーテンを閉めないで寝たのは、目覚めた瞬間にベッドから海を見たかったから。南の島の美しい海は、海自身が、海であることをただ楽しんでいる海のようで、まるでこの世の天国みたいな風景だと思いました。
日中は海の中に潜り、美しい色とりどりの熱帯魚と遊び、サンゴ礁の美しさにしばし呆然。沈黙の世界の豊かさはまさにグランブルーの世界の静寂。その世界に身をゆだねていると、自分が魚になったような、海藻になったような、サンゴ礁になったような、いやそれらと自分が何も変わらない、同じひとつのものであるかのような感覚になってきます。ただひとつの大いなる生命のダンスをそれぞれの存在が見事なハーモニーで、この世界で歌い、踊っているだけなんだと思えてくるのです。
しばらく海の中で遊んだあと、夕陽の浜をどこまでも一人で歩きました。平らで大きな石があったので、そこに大の字になって寝ころび瞑想。からだもこころも深くリラックスしているけれど、意識がとてもクリアーになっているのがわかります。ふと目を開けてみると、小さな島や木々や花々や石がみな光の粒子なってキラキラしていました。わけもなくただ幸せで涙がこぼれてきました。大自然の中にいると、この世の森羅万象は、すべてが神の意識、エネルギーの表れなのだと深いところで感じ、心がふるえます。
私は昔から、“神々”という言い方が好きでした。大らかにすべての存在が許されて存在しているという感じ。多様なものが、多様なままに共生していることの大らかさが感じられるから。この宇宙、この世界の森羅万象に、神なる意識、エネルギー、働きがあるからこそ、存在するものは存在しているということを、昔の日本人は、感性のレベルで知っていたのではないでしょうか。
八百神を感じる日本人てすごい感性をしていると思う。それは、「あなたが存在しているということは、すでに許されている、必要とされている、愛されているということなのだよ、より大きな存在に」という理解なのだから。
おそらく、今の社会に生きる人間の根源的な不安や空虚感、孤独感を作りだしたのは、人があまりにも自然から離れてしまったことに起因しているのだと思う。本当の自分との分離感、人との分離感、大自然=神・宇宙との分離感。
すべては、このつながりを喪失してしまったことの底冷えのするような淋しさが不安の根っこにあるように思える。自分という存在は、大自然の一部、神の一部であることを思い出すことが、今最も求められているように思う。自然には見える自然と見えない自然がある。このストレス社会に生きている私たちは、少なくとも目に見える自然には、触れようと思えばいつでも触れられるのだから、自分のバランスを回復したい時には自然の中に身を置いてみるといいと思う。
おそらく人は、土や草や花と離れてしまったら優しさを失い、山や川や海と離れてしまったら大らかさを失い、青空や月や星や風を感じることから離れてしまったら純粋さを失っていくのかも知れない。
私は、かつて、自分の元気を取り戻す過程で、積極的に自然に触れる体験を重ねていった。自然は本当に私を癒してくれた。大自然の懐に抱かれて、その中に身を置いていると、風景の中に自分が溶けていくような感じがあった。そして、ふと気づくと、いままで自分が抱えてきた悩みや恐れが自然に溶けて流れていた。その時、小さな自分を超えた、何か偉大なるものの力や働きによって自分は生かされているのだということに心底気づき、その瞬間、私は世界がひっくり返ったような感動を覚えたのだ。それは、鳥肌が立つような深い喜びだった。
この世界の神秘、存在の神秘、生きているということの奇跡に対してふるえる心、畏怖の感情をもった時に、人はすでに神に触れているのではないだろうか。人の存在深くにある神聖なる意識というのは、大自然の圧倒的な美しさの前にふるえている時に、自分の内側から自然に立ち昇ってくるもののように思う。
その瞬間、つながるのだ。自分の内側に本当はあったより大きな存在と外側にいつもあった偉大なる存在に。そして、内側と外側にあるそれは実は同じものであったことに気づくのだ。その存在・意識・エネルギーこそが永遠不変のものであったということを感じられた歓び、至福の体験は何ものにも代えられない。
その偉大なる神聖さに触れた時に、この私が、私として「存在(ある)」ということの不思議、世界がこのように「存在(ある)」ということの神秘に人は立ちすくむ。私は、究極の神秘というのは、知的に解明されうるものではなく、圧倒的な素晴らしさの感覚として、ある日突然体験してしまうものなのではないかと思う。
苦しい時、辛い時、悲しい時、そんな暗闇の中にも、喜びや幸せや感謝や感動の種はいくらでもある。ただ、それを感じとる感性さえあれば。闇の中にいる時に、光の存在をふと感じる。最も神さまなんて信じられないという時に、“それ”は、私に触れてくる。誰かを通して、何かを通して、体験を通して。それらがすべて神の計らいであることを私にわからせるために・・・。
PS:長期の夏休みが終わり、十分に充電した私の久しぶりのお仕事は、9月からのカウンセラー&セラピスト養成講座の3期でした。3期名古屋の主催者は、2期京都の受講生だったドクター「具現びと」さん。事務局は、アーユルベーダーやシーターヒーリングやクルスタルボールのセラピストである「伊藤真奈」さんと、2期の主催をしてくれたセラピストの「Bhumika」さん。私のアシスタントは、OSHOの本の翻訳家であり瞑想家でありセラピスト「monju」さんですが、体調のいい時は岡山から来てくれることになっていますが、今回はあまり体調が芳しくないのでお休みでした。名古屋は医師、ナース、経営者、ビジネスマン、すでにセラピスト、カウンセラーである人たちと援助職希望者などかなり個性的なメンバーがそろっています。
3期岐阜・関の方の主催者は、レイキティーチャーである「雅恵さん」と僧侶の「あんこう」さん。関の受講生には、3人の僧侶と1人の元僧侶がいます。関もまたかなりのつわものぞろいです。援助職希望者だけでなく、すでにセラピストやヒーラーの方も多く、主催の雅恵さんが、「メンバーが濃過ぎるよー」と笑っています。同じようなプログラムでも、受講生によって起きてくることはまったく違いますし、グループマインドが働くので、同じ3期でも雰囲気は相当変わるだろうことは予想していましたが、初級1回目が昨日終わり、確かに名古屋講座と関講座は雰囲気はそれぞれが独特の個性があって面白かったです。8ケ月の魂の旅仲間とどんな航海になるのかとても楽しみです。
岡部明美公式ホームページ http://anatase.net/
9月18日(土)~20日(月・祝日)
神奈川・三浦半島3daysワークショップ(定員・キャンセル待ち)
主催「まゆ亭くにおさん夫妻」
http://mixi.jp/view_event.pl?id=53799447&comm_id=982903
10月2日(土)~3日 岩手2daysワークショップ
主催:「かりん」ちゃんと「ココロ」さん
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1520748939&owner_id=9488290&comment_count=15
こんなタイトルの日記だと、なんだか私がとてもためになるような、徳の高い話でも書いているのではないかと思われた方もいるかもしれませんが、そんなことはあるはずもなく。なんせ私はメインストリートより路地裏の方が好きな人間です。美しく光り輝く聖人や素晴らしい人格者や雲上人に思われている人の「人間くさい部分」や「フツーの人の部分」がこよなく好きなの、私は。
よくね、憧れ、尊敬し、崇拝していた人のそういう部分を見ると「なんだ、自分とおんなじただの人間か」って、ガッカリしたり、幻滅したりする人がいるけれど、私は、逆。とても親近感が湧いて、もっと好きになる。魅力っていうのは、落差、ギャップだって私は思うから。
意識の境地がどれほど高い人だって、人間は、人間でしょう。ライトワーカーが花柄やレース模様のうんちしているわけでもないんだし、覚者がおならやゲップやHをしないわけでもないんだから。この人はすごい、素晴らしいと思えば思うほど勝手にその人を理想化し、完璧性を求めてしまうのですよね、人は。で、勝手に失望したり、幻滅したり。「人間に完璧性を求めるのは理性の迷い、幻想です」って感性論哲学の思風先生が教えてくれたっけな。
私の知っている覚者や素晴らしい先生として憧れられている人たちも、女房や恋人、パートナーは、ぶんぶん文句言っているし、愚痴こぼしているもの。そういうの聞くのもけっこう面白いけどね。そりゃあ、毎日一緒に暮らしている人や親密な関係にある人からすれば、「ムカー」っとくるとこや、「やってられないわ」って思うことだってあるでしょうからね。
お釈迦さんだって、女房や息子からしてみたら、ある日突然、自分たちを置いて勝手に家(城)を出て行ったわけだしね。悟りを開いたからといって突然帰ってきたって、「ジョーダンじゃないわよ、勝手なことして。あなたが出て行ったあと、私や子供はどんな思いで生きてきたと思ってるのよ」って、女房は怒ったんじゃないかしら。息子だって、自分を捨てて出ていった父親を恨んでいたかも知れないしね。
肉体を離れた聖人は、どんどんどんどん神格化されて、人間でなくなるけど、その時代にそばにいた人はいろいろ感じることも多々あったのではないでしょうか。お釈迦さんも、シッダールタ王子の時は、城の中でこの世の贅沢を全部味わい尽くしたような暮らしをしていたわけだし。この世の欲望をすべて満足させ、酒池肉林を堪能したゾルバのような生活、人生だったのでしょう、かつての王子様は。
だからこそ、欲望をどれほど追いかけ、満たしても、欲望を満足させて得られる幸福感、満足感はほんの一瞬、束の間、すべては必ず過ぎ去ることを誰よりもわかっていたのでしょう。王がどれほど「シッダルター王子には、病と死を見せてはいけない」と従者に隠し続けさせたって、城の外に出てみたら、人間の世界の現実―生老病死と煩悩に悶え苦しむ衆生がいたわけで。だからこそシッダールタ王子の永遠不変の真理探求が始まったわけですから。
この世の「快楽」と「苦行」という二極をとことん味わったからこそ、中庸の大切さを説いたのでしょう。両方を体験したからこそなわけで。禅が言う、「我、ただ、足るを知る」が、どれほど深い真実であるかを知るのは、求めても求めてもなお満たされぬ己を知った時だったりするのでしょう、人は。
私が人の魅力はギャップ、落差にあると感じるのはきっと「清濁併せのむ」っていうのが好きだからなのかもしれない。以前私はこの仕事をする上でお世話になった先生に「私は、神さまとご飯とうんことsexのことを同じ目線で語れるセラピストになりたいです」と言ったのも、きっと根っこの発想は同じですね。だって全部同じくらい大切なことではないですか。生と性と聖はひとつだって思っていますから。
私は、光も好きだけど、闇が黒光りして輝き始める「いのちの底力」もこよなく愛しています。精神世界の好きな人は、光の世界、美しく、清らかで、純粋な聖なる世界が大好きで、自分の闇、人間の闇を毛嫌いしている人が少なくないけれど、闇の中には確かに魔物も住んでいるけれど、宝物もまた同時にあるものです。闇が「気づき」と「愛と感謝の光」に照らされ、黒々とした輝きを放ちはじめる瞬間というのは、それはそれはすごいものです。
夜空に煌めく星たちも、あの漆黒の宇宙の闇に支えられ、深い沈黙の闇に包容されているわけだし。夜空の星があんなに美しいのは、コントラストとしての深い闇があるからだものね。いくら夜空の星が美しくても、星の光だけだったら、寝られないぞ。
★禅が唯一知っていることは、一切の矛盾を深い調和の内に包含する広大な生だけだ。夜は昼と調和し、生は死と調和し、大地は空と調和し、存在は不在と調和する。この途方もない調和、この和合こそが禅の本質だ。これこそが、何も否定せず、何も非難せず、ただ愛し、尊ぶ唯一の生き方だ。(OSHO)
なんて前置きが長くなりましたが、なんてことはない、「このマンガ面白かったよー」って言いたかっただけなんである。でも、なんつったって、主人公が、あの仏陀とイエス・キリストなので、ちょっともったいぶっちゃったわけです。(陰の声:わかるけど、前置き長過ぎ。はい、すんません)
私の周りではいまちょっとしたブームですし、かなり売れているマンガみたいですから、もう読んだ人も多いかもね。そう「聖☆おにいさん」です。マイミクの「あべ」ちゃんが面白いよとコメントに書いてあるのを見て、本屋に買いに行きました。
「ひじりお兄さん、ください」「ハっ?もしかして、セイントお兄さんのことですか?」「えーっ、ひじりじゃなくて、セイントって読むんですかあ」。そうなんです、大学がお茶の水にあって、聖橋(ひじりばし)に慣れていたものですから、自動的に私は、聖をひじりと読んじゃったのです。
仏陀は、すでにマンガ「愛のシッタカブッダ」でベストセラーになっていますから、仏陀の大衆化は土壌がありますからいいんですが、イエス・キリストを笑いの土壌にもってくるというのはけっこう勇気がいることでしょう。でもこのマンガでイエス・キリストに一気に親近感もった方もいるのではないでしょうか。宗教を超えて、真理、真実の教えに触れたい人が増えている時代なので
間口が広がっているのはきっとよいことなのでしょう。
「聖☆おにいさん」では、仏陀とイエス・キリストが天上界から下界にバカンスにきて、東京・立川のアパート「松田ハイツ」で下宿生活をはじめるところから始まります。この設定自体が楽しいではありませんか。で、仏陀はパンチパーマのお兄さんみたいな髪型で、デブなので、ダイエットに熱心です。内心、後世の芸術家が自分を下膨れの顔、肥満体形に描いたり、太った仏像を彫ったりしたことに不平・不満をもっています。
「聖☆おにいさん」の中の仏陀の愛読書が、手塚治の「ブッダ」ってとこが笑えます。そういえば、うちの息子の小学校時代の愛読書は、手塚治の「ブッダ」と「火の鳥」でした。全巻集めて何度も読んでいましたねえ。何が彼をそんなに夢中にさせたのかはいまだ謎ですが。
「聖☆おにいさん」の中での、ブッダとイエスとの共同生活では、お掃除やお料理はもっぱら仏陀の担当です。イエスはパソコンでブログばっかりやっていてあまり家事をしません。仏陀が風邪をひいた時は、料理ができないイエスは冷蔵庫に入っているレトルトの「乳粥」ですませようとします。この「乳粥」というのが笑えますね。スジャータ、スジャータ。余計なお世話ですが、私が作者だったら、「サット・チット・アーナンダ」というインコを3羽飼っているという設定にしますね。
イエスはロン毛で、ネット好き。イエスは、Mixiもやっていて、足跡によく「ユダさん」がついていることが不安です。「ユダさん」にマイミク申請されたらどうしようと思っています。仏陀もそれについては心配しています。イエスはマニアックなところがあり、パンツは冷蔵庫で冷やしたものでなければはきません。生温かいパンツが嫌いなのです。ミラクル男のイエスに仏陀は言います。「ねえ、イエス、この水、ぶどう酒に変えてよ」って。
仏陀とイエスは、松田ハイツの近くのハッスル商店街でよくお買い物をするのですが、イケメン風なイエスは、歩いているだけで、女子高生から、「きゃあ、あの人、超ジョニー・ディップに似てるう」って騒がれます。さて、イエスは、どうやって生活費を稼ごうかいろいろ考え、リクルートのCMに出るのはどうだろうと考えます。キャッチコピーは、「30歳で、大工から救世主に転職した男!」、転職を天職に結び付けるところを狙ったりします。でも、この企画は妄想に終わります。
それでも、どこかの会社に就職しようと履歴書を書きます。名前は、「聖・イエス」、聖には、セイとルビがふってあります。「セイ・イエス」って、それじゃあ、チャゲ&飛鳥の歌みたいじゃないのサ。さて、貧乏な二人は、ある日、ハッスル商店街のお祭りで、一位のお米券を狙って、お笑いコンビとしてデビューします。コンビ名は「パンチとロン毛」です。けっこういい味を出しますが、メジャーデビューするところまではいけません。
二人の極貧ぶりを心配した仏陀の10大弟子の一人、アーナンダが天界からやってきます。二人が買い物したもので天界の経費で落とせるものがないかどうかいろいろと考えてくれます。さすが、仏陀に25年もお仕えした愛弟子ですね。仏陀への献身ぶりが相変わらずすごいのです。
仏陀は、相変わらずの美男子アーナンダを見て、弟子たちの修業時代を思い出します。教団の婦女子がみんなアーナンダに夢中になり、悟りを目指しているはずのサンガたちが、俗世間のメロドラマさながらに煩悩丸出しで、イケメンアーナンダの追っかけをしていることに胸を痛めていたことを仏陀は思い出すのです。悟りに至る三宝(師・教え・サンガ(修業仲間))も、サンガの質によっては俗世での修行と変わらぬようで、男女の色欲がやはり最大の修業であることはどこにいようが変わらぬもののようです。
アーナンダは、仏陀が寝息も立てずに静かに昼寝しているだけで、仏陀が死んだのではないかと焦りまくります。で、仏陀に「あなたは、まだ私のニルヴァーナ・トラウマがあるのですか。悟ったのではないのですか」と叱られてしょげるとこなぞとてもかわゆいです。アーナンダが悟ったのは、仏陀の入滅後でしたね。アーメン、ラーメン、ソーメン、南無阿弥陀仏・・・。
イエスは、「21世紀の地球は、覚醒の時代だから、再びボクたちのモテ期がやってきたね」とブッダに言います。ブッダも同意します。確かにモテ期みたいですね。私は仏教徒でもキリスト教徒でもないのだけれど、仏陀もキリストも好きです。人間の意識というものが、あのレベルにまで至れる可能性を潜在的には誰もが持っているという人間の素晴らしさに胸を打たれるから。
「聖☆おにいさん」は、その教えを説いたものではないけれど、神格化されて雲上人になり過ぎたお二人の人間くさい部分を描いてくれたとこがおもしろかったです。私は、結局、「人間味」という「味」が好きなんだなあ。「聖☆おにいさん」5巻とも読んじゃいました。しかし、暇だね、私も。
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21日は、父の79歳の誕生日でした。2週間ほど前に父の入居している老人ホームに行った時に、スタッフの人から、「お父様の誕生日に何かお父様が喜びそうなことをしてあげたいのですが、何かいい企画はありません?」と聞かれました。
その時、以前私がコクーンのゆりちゃんに「うちのお父さんは、ゆりの歌が大好きなのに、もう歩けないからコクーンのコンサートには二度と行けないんだなあ」って言った時、ゆりちゃんは、「何言ってるの! お父さんのためだったら私がホームに行って歌うよ。そのときは、お父さんの好きな歌を何でも歌うから!」と、言ってくれたのを思い出し、ゆりちゃんに電話して頼んでみました。
するとゆりちゃんは快くOKしてくれて、「じゃあ、コクーンの歌を数曲と、あとは、あけみのお父さんが好きな歌うたうから曲名おしえて」と言いました。父は歌が大好きな人で、しょっちゅう家でうたっていましたから、父の十八番は全部わかっています。耳にたこができるくらい聴いていたので、これらの歌は私も全部歌えます。
三橋美智也の「古城」、春日八郎の「別れの1本杉」、井沢八郎の「ああ、上野駅」、並木路子の「リンゴの歌」、マヒナスターズの「北上夜曲」、「ゴンドラの歌」・・。ゴンドラの歌は、黒沢明監督の名画「生きる」で、志村 喬さんが公園のブランコに乗っているラストシーンで流れた曲ですが、あのシーンは鮮烈でした。
父の大好きな曲の多くは、昭和30年代から40年代の曲で、私の子供の頃に流行っていた曲ばかりです。日本が高度成長期に突入していく時期で、今振り返ると、日本という国の青春期だったんだなと思います。みんなが未来に夢をもっていました。物質的に、経済的に豊かになれば幸せになれるのだとみんなが信じて頑張って働いた時代です。まさに日本人がみんなで希望に向かって走り始めた頃でした。これらの曲を私は、「ロッテ歌のアルバム」なんかでよく聴いていました。
ゆりちゃんは高校時代から我が家に何度も泊まりに来て、父の歌なんかも一緒に聴いていました。うちの両親はコクーンコンサートには何回か行っています。まさか娘の高校時代の友人がプロとしてデビューするなんて思ってもいなかったみたいで、ゆりちゃんが歌っているのを泣きながら、目を細めながら見て、とても喜んでいました。
父の誕生日にゆりちゃんが歌をうたってくれるなんて最高のバースデイ・プレゼントだと思ったけれど、はたして認知症の父がゆりちゃんをすぐわかるだろうか、コクーンの歌も忘れていないだろうか、何より自分の大好きだった歌を覚えているのだろうかと、私は少し心配でした。
ゆりちゃんは、父の好きな曲をユーチュ-ブで何度も聴いて、歌詞も覚え、ギターで何日も練習してくれたそうです。コクーンの曲で、私がゆりちゃんにリクエストしたのは「お父さんの子守唄」「チャンス」「待っていてね」「祝福の歌」「永遠の絆」です。父の好きな歌とコクーンの歌と合わせて1時間15分のコンサート。
父はゆりちゃんを見た瞬間、無表情だったので、ああ、やっぱり忘れたのかなと思いました。最近は喜怒哀楽の感情を殆ど顔に表さない父です。ところが、ゆりちゃんが、「おじさん、高校時代、私が泊まりに行った時に、私がその時すごく悩んでいたことをおじさんに相談したら、おじさんさんは的確なアドバイスをくれて、私はあの時とても助かりました。おじさん、あの時は本当にありがとう」と言った瞬間に、父はポロポロと涙を流し、笑顔になったのです。あ、思い出したんだと思いました。
父と共に、ホームに入居している約30名くらいのおじいちゃん、おばあちゃんがコンサートホールに集まってくれていました。ほとんどの方が車椅子でした。コンサートが始まり、1曲目はコクーンの「お父さんの子守唄」。セリフのところで父は顔をクシャクシャにして泣きだしました。2曲目の「チャンス」3曲目の「待っていてね」も何か感情が動いているのがわかりました。4曲目からは父の大好きだった曲です。
「お父さん、あなたの大好きだった歌を覚えていますか?」
私は、こんな気持ちで、父がどんな反応をするかを見守りました。驚きました。父がどの曲でもからだをふるわせて泣いているのです。ゆりちゃんが、「ああ、上野駅」を歌った後に父に声をかけました。
「おじさん、故郷を離れ、最初に上野駅に着いた時にどんな気持ちだったでしょう。故郷にはもう戻るまい。家族のために、会社のためにと、どれほどがんばって東京で働いてきたことでしょう。おじさんは、故郷が大好きでしたよね」。故郷・釜石をこよなく愛していた父は号泣です。肩を震わせて、涙をぬぐおうともしませんでした。それを見ていた母も弟も目を真っ赤にしていました。
並木路子の「リンゴの歌」では、みんなが手拍子を打ち、一緒に歌っていました。日本が、敗戦の痛手から立ち上がって生きなければならなかった当時、この歌がどれだけの人たちを励ました歌だったのかが手に取るようにわかりました。
コクーンの代表曲「永遠の絆」では、語りのところでゆりちゃんは私にマイクを渡しました。私は父に言いました「お父さん、お誕生日おめでとう。お父さん、生まれてくれてありがとう。生きててくれてありがとう。私、お父さんの子供に生まれてよかったよ」と。
前にてれくさいながらも言った言葉でしたが、永遠の絆の歌の中で伝えたものですから私もこみあげてくるものがあって声がふるえました。父はその場で泣き崩れそうになりました。父だけでなく、その場にいたおじいちゃん、おばあちゃんもみんな涙を浮かべていました。ゆりちゃんが、その場にいたおじいちゃん、おばああちゃんの手を一人一人握りながら、目を見て、「生まれてくれてありがとう、生きててくれてありがとう」と言いました。みなさんが顔をほころばせて喜んでいるのがすごく伝わってきました。
もうあとどのくらい生きるかわからない父ですが、人生の締めくくりに、妻や子供たちから、夫でいてくれてありがとう、お父さんの子供に生まれてよかったよと言われたら、その人生がどれほど苦渋に満ちたものであったとしても、生まれてよかった、生きててよかった、この人生でよかったと思って、もうひとつの世界に還れるのではないでしょうか。
親子や夫婦はこの世で最も愛を学ぶための出会いですから、一筋縄ではいかない相手であることが多いものです。簡単な相手だったら、愛は学べませんから。忍耐すること、許すことという、愛の最大の学びに最適な親だったり、パートナーだったりすることが多いものです。母もこの年になって、やっと夫に対する感謝の気持ちを述べるようになりました。
ゆりちゃんのお陰で、父の79歳のお誕生日は最高の1日になりました。私はゆりちゃんにお礼と共にこう言いました。「ゆりさあ、こういうのもっとやっていったらどうだろう。人生の最後の季節を生きている親にその人の大好きだった歌を、その人のために、その家族のためにゆりが歌ってあげるって、すごくいいと思うよ。最高のアニバーサリーになると思う」と。
そうしたら、ゆりちゃんは、「うん、おじさんにあんなに喜んでもらえて私もすごくうれしかったよ。おじさんに喜怒哀楽の感情がほとんどなくなっていたなんて信じられない。おじさんの涙と笑顔を見て、歌の力ってすごいんだって改めて思ったよ。必要としてくれる人がいたら歌いに行こうかなあ」と言っていた。
コクーンのゆりちゃん
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PS:夏休みを1ケ月半とろうと今年のはじめに決めた私は、この夏休み、仕事はせずにゴロン、ゴロンと、ゆるゆると、過ごしております。(夫からは、お前はいつだって、毎日が夏休みだろうが、と含蓄のあるお言葉をいただきましたが)。
昨日までは、マイミクの桐ちゃん(この「SQライフ」のサイトを運営している(株)デジパの社長)が房総半島の千倉に作ったリトリートで仲間たちと遊んできました。最高に楽しかった。とってものんびりできて、心地よかったなあ。「今度は稲刈りにおいで」と言われました。自給自足の生活を楽しんでいるIT会社の社長さんはとてもしあわせそうでした。桐ちゃんは、将来はエコビレッジを千倉に作るそうです。
桐ちゃん
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マイミクの「ディル」ちゃんが、前々回のコラム「宇宙的あまのじゃく」を読んだら、詩のような言葉があふれてきて、初日記が書けたそうです。下記がそれです。
「宇宙的さみしさ」
今日は、とってもいい天気。
外は、太陽がさんさんと照っている。
なのに、私の心は曇り空。感じるこの「さみしさ」は、何だろう。
この離れないさみしさは、もしかして、
誰かの、たった一言で、
晴れる さみしさなのかもしれない。たった一言、あの人からの「ありがとう」。
・・・これに、
世界の全てをかけるくらいの さみしさを
持ってる 私は、もしかしたら、
”あほ” なのかもしれない。でも この「さみしさ」に、「宇宙的さみしさ」と 名付けてみた。
そしたら、不思議、ちょっとだけ、
自分が、おかしくせつなく見えてきて、
「さみしさ」が、少し はがれ落ちた気がした。そして、はがれ落ちた さみしさ を、
そっと 抱きしめてあげる。
「ディルちゃん」は、この詩を書いたあと、『私に帰る旅』の第3章「心の深いところにあるブラックホール」(P112)に私が引用して書いた『出家とその弟子』(倉田百三著・新潮文庫)の親鸞と弟子の唯円との会話を思い出して再読したのだそうです。そしたら自分のさみしさが少し穏やかになったのだそうです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『私に帰る旅』(角川学芸出版・岡部明美著)第3章より抜粋
唯円「お師匠様、私は淋しくて淋しくてしかたがありません。あまりの淋しさにひとりでに涙が出てきます。私は、自分の心がわかりません。私は、淋しくてもいいのでしょうか」
親鸞「淋しいのが本当だよ。淋しい時には淋しがるより仕方がないのだ」
唯円「今に淋しくなくなりましょうか」
親鸞「どうだかね。もっと淋しくなるかもしれないね。今はぼんやり淋しいのが、後には餓えるように淋しくなるかもしれない」
唯円「あなたは淋しくありませんか」
親鸞「私も淋しいのだよ。私は一生淋しいだろうと思っている。もっとも今の私の淋しさはお前の淋しさとは違うがね」
唯円「どのように違いますか」
親鸞「(憐れむように唯円を見る)お前の淋しさは対象によって癒される淋しさだが、私の淋しさはもう何物でも癒されない淋しさだ。人間の運命としての淋しさなのだ。それはお前が人生を経験して行かなくてはわからないことだ。お前の今の淋しさは段々形が定まって、中心に集中してくるよ。その淋しさを凌いでから本当の淋しさがくるのだ、今の私のような淋しさが。しかしこの様な事は話したのでは分かるものではない」
唯円「では私はどうすればいいでしょうか」
親鸞「淋しい時は淋しがるがいい。運命がお前を育てているのだよ。只何事も一筋の心で真面目にやれ。ひねくれたり、ごまかしたり、自分を欺いたりしないで自分の心の願いに忠実に従え。それだけ心得ていればよいのだ。何が自分の心の願いかということも、すぐには解るものではない。様々な迷いを自分で作り出すからな。しかし、真面目でありさえすれば、それを見出す智慧が次第に磨き出されるものだ」
対象によって癒されない淋しさ・・・。この言葉が私の胸を深く突き刺した。思えば私はずっと自分の淋しさを埋めてくれる対象を探し続けてきたのではないだろうか。じゃあ一体この淋しさは何によって埋まるというのだろう。
何によっても埋まらない淋しさがあるのだとしたら、生きていくことって何て悲しいのだろうと思った。私はこの場面と最後の場面で涙がこみあげてきて仕方がなかった。
最後の場面。息子の善鸞が仏の道をはずれ、罪を重ねていく。親鸞は、善鸞を赦せず放免した。しかし、親鸞が自分の臨終に際し、最も願ったのが善鸞を赦したいということだった。息子を赦さずに逝くことはできないと言った。弟子たちがすべて集まり、聖者である師匠との最後の別れをしている席に最後まで善鸞は来ない。いよいよ、親鸞が逝くという寸前に善鸞が駆けつける。
善鸞「(涙をこぼす)遭いとう御座いました・・ゆるして下さい。わたくしは・・」
親鸞「ゆるされているのだよ。だあれも裁くものはない」
善鸞「わたくしは不孝者です」
親鸞「お前はふしあわせだった」
善鸞「わたしは悪い人間です。わたし故に他人がふしあわせになりました。私は、自分の存在を呪います」
親鸞「おお畏ろしい。われとわが身を呪うとは! お前自らを祝しておくれ。悪魔が悪いのだ。お前は仏さまの姿に似せてつくられた仏の子じゃ」
善鸞「もったいない。私は多くの罪を重ねました」
親鸞「その罪は億劫の昔阿弥陀様が先に償うて下された・・赦されているのじゃ、赦されているのじゃ。わしはもうこの世を去る。お前は仏様を信じるか」
善鸞「・・・・・・・・・」
親鸞「お慈悲を拒んでくれるな。信じると言ってくれ・・・わしの魂が天に返る日に安心を与えてくれ・・・」
善鸞(魂の苦悶のために真青になる)
親鸞「ただ受け取りさえすればよいのじゃ」
善鸞(唇の筋が苦しげに痙攣する。何かを言いかけてためらう。遂に絶望的に)「わたしの浅ましさ・・・わかりません・・・きめられません」
親鸞「おお」(目をつむる) (一座動揺する)
侍医「どなた様も、今がご臨終で御座いますぞ」
親鸞(かすかに唇を動かす。苦悶の表情顔に表わる。やがてその表情は次第に穏かになり、終にひとつの静かなる、恵まれたるもののみの持つ平和なる表情にかわる。小さけれどたしかなる声にて)
親鸞「それでよいのじゃ。みな助かっているのじゃ・・・善い、調和した世界じゃ(この世ならぬ美しさ顔に輝きわたる)おお平和!もっとも遠い、もっとも内の。なむあみだぶつ」
父であり、師である親鸞の、その死の際においてさえ、嘘でも仏を信じるといえぬ善鸞。仏の道を歩きますと言えぬ善鸞の、もうひとつの真摯さ、純粋さ、正直さ。その善鸞に「それでよいのじゃ」と最後の言葉をかけた親鸞。私は、この場面で声をあげて泣いた。まるで、自分までも赦してもらえたかのように思えた。最後の親鸞の言葉は、私の内側を深く深く満たしてくれた。私は、おそらく心の深い部分では、“善悪の彼岸”にある、美しきもの、貴きもの、聖なるもの、平安なるものを求めて生きているのだと思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
『私に帰る旅』が出版されたのは、おととしだけれど、実際にこの文章を書いていた時期はもっと遡る。時が流れ、人と深いレベル、魂レベルでの出会いをする仕事を積み重ねる中で、人は誰もが心の奥底にさみしさを抱えながら生きていることを知った。それは、肉体をもって存在している人間ゆえにどうしようもなくあるさみしさなのだ。肉体意識は、個の意識であり、それはひとりぽっちという分離意識だから。
しかし、人はまた、その深奥に本質としての「愛」「歓び」「平和」「静寂」なる世界をもっていることも知った。その純粋意識・純粋感性、無限の創造性こそがまことの世界であることを。これは、源、全体につながってる意識だ。これらは感情ではなく、感情より、さらに深いところから湧き出てくるものであり、感情を超えたものであり、個を超えた世界なのだ。
過去の痛みにとらわれ、未来の不安に彷徨う、騒がしいマインド(思考・感情)が鎮まり、心がからっぽの時、無心状態の時、意識が「いま・ここ」に在る時は、大いなる存在とつながり、いつでも「愛」「歓び」「平和」「静寂」を内側深くに感じることができる。瞑想を習慣にすることで、あるいは、無心に、無邪気に、リラックスして、心身共にくつろいでいるときに私たちはその意識、世界を体験的に知っていく。
これらは何かを達成するとか、何かを得るとかいった「条件つき」の幸福や愛や歓びではなく、「理由・理屈抜きの幸せ感」であり、外側の誰かから、何かから与えてもらって感じる幸せ感ではなく、自ずと触れる、自然に感じられる心の静けさや安らぎであり、ふとこみあげてくる歓び、満たされた感覚、自由な感じ、幸せ感なのだ。
しかし、自分の感情をしっかり感じ、自覚できるようにならなければ、感情より深い場所に存在する「愛」「歓び」「平和」「静寂」を感じることは難しい。大いなる存在、源につながる意識の扉は、感情を深く感じるというプロセスを通ってくることが大切なのだ。それによって、感情を超えていくことができる。そうでないと精神世界でよく言われている「すべてはひとつ」「すべてはつながり合っているワンネスの世界」などは、単なる知識や観念になってしまうからだ。
感じること、気づくこと、無駄な思考を少しづつ減らして、内側にあるハートのスペースにくつろぐことが増えれば、時が満ちたときに自然に触れる静寂、愛、平和、歓びがある。それは、自然に起こる。焦らなくても、ただ、扉さえ叩き続けていれば。
もちろん、人間として生まれた以上、「生きとし生けるものの運命としてのさみし」さをあたためあえる関係、一緒に「生のタペストリー」をつむぎ合える人との出会いは、同じくらい素晴らしい人生だと私は思う。
「人と共に生きる道」と「ひとり在ることの道」・・・愛と瞑想を存在の両翼として生きることの豊かさは、垂直の次元と水平の次元が交差する生の息吹そのものだ。
PS:父の入居している老人ホームに行ってきました。認知症の進行は止まっているみたいで、肌つやもよく、私が行くとほんとうにうれしそう。父は昔からものすごいさみしがりやだった。からだをこわすほどお酒に溺れた父もいまは昔。私が、物書きになったのは、サラリーマンでありながら、詩人、歌人であることをやめなかった父の血を受け継いだのだろうな。あなたがこの世からいなくなる日がくることを想像しただけで、さみしくて、泣きたくなるよ、私は
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神奈川・三浦半島3daysワークショップ(定員・キャンセル待ち)
主催「まゆ亭くにおさん夫妻」
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10月2日(土)~3日 岩手2daysワークショップ
主催:「かりん」ちゃんと「ココロ」さん
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私は、ある夏の日の夕方、泣きながらこの世に生まれた。人はみな泣きながらこの世に生まれる。安全な子宮の海を船出して、未知なる航海に出て行くことがどんなにこわくても、ある日、新しい世界に旅立つことを決意して人は生まれてくる。
まるで、この世の痛みや苦しみを象徴するかのような、あの真っ暗で狭い産道。その暗闇の道を潜り抜けて出てくることは、どんなにか不安でこわかったことだろう。
人は誰でもこの世界に生まれる時に産声をあげるけれど、生きていく中で、自分の中から新しい自分が生まれる時も産声をあげる。古い私が死に、新しい私が生まれる時のあの耐え難いほどの恐怖と苦痛、胸が張り裂けそうな痛み。
私も、自分の内側を旅し始めたどこかの時点で、確かにある日、魂の産声をあげたのだと思う。でも、その日がいつだったのかはもうよくわからない。とにかくその産声をあげた日から、私は、「私とは誰か」「世界とは何か」「私は何のために生まれたのか」という探求の道に歩みだしたのだ。
歩き出した最初の一歩はいつだったのだろう。もうずいぶん遠い昔に感じる。心理的なハイハイ期間、つかまり立ち、ヨチヨチ歩きの期間があって、気がついたらある日突然、足を大きく踏み出し歩き始めたのだ。それからは、なんかすごい勢いでグングン歩いてきたような気がする。
歩き出したら、見える世界がどんどん変わっていった。世界とは、決して、誰の目にも同じように見える客観的存在ではない。自分の意識が変わってくると見える景色、世界も自然に変わってくる。そういう意味では、世界とは、まさしく私の意識が見ている地平であり、私の眼差しの向こうに広がる風景であり、宇宙なのだ。世界とは私であり、あなたであるという途方もない真実、そして神秘・・・。
自己の探求は、まるでメビウスの輪のように一内側を辿っていったら、外側だったというあれ一に似ていて、内側を見詰めていたら、最も大きな外側、宇宙に出ていたのだ。「あれっ?」て感じだった。私は、私を見詰めていたのに、気がついたら宇宙のこと、神さまのことを考えていたのだ。それはまるで、恋焦がれていた人にやっと出会えたようなうれしさだった。
このメビウスの輪を辿る内に私は少しずつ見えてきた。人の魂の物語を構成している基本的な筋を。それは、この世でなすべきこと、楽しむこと、学ぶべきことの脚本であり、出会うべき人のキャスティングの意味だ。それぞれの魂が計画してきた“人生の暗号”、“人生のシナリオ”、“天命”を解読する切り口、それは・・・。
1) この人生で、多大なる影響を受けた人物・本・音楽・絵画・場所・出来事との出会いを通して。
2) 愛する者との出会い、その人との間で起きた苦しみから愛を学ぶことを通して。
3)人生に降りかかってきた耐え難き試練や、ある人間との確執を通し自分の成長の課題に気づくことを通して。試練の下にあるギフトを通して。
4)子供の頃からわけもなく好きだったこと。楽しかったこと、得意だったこと、親や人からほめてもらえたもの。不思議でしょうがなかったこと。反対に、これは納得できない、おかしい、違うと感じるものを通して。
5)やってみたら次々に興味や関心がわいてくるもの。問題意識や創意工夫が次々に湧いてくるもの。好きだから、努力が苦にならないもの。
6)心のやすらぎや幸福感を得られるもの、自分のいのちが喜んでいると感じるものを通して。
7)大人になって、これは何か違うという違和感を覚えるもの。これはおかしい、このままではいけない、何とかしなければと思うものを通して。
8)理屈や損得を超えて行動に移せるもの。寝食を忘れて夢中になれるもの。無心になれるもの。わけもなく心惹かれる“ものやコトや人や場”を通して。
9)信じられないようなシンクロ現象や、不思議な出会い、大切な人との出会いの意味を通して。
10)いのちの底からこみあげてくる想い、あふれてくる魂の衝動を通して
考えてみれば、好きという気持ちも、これがしたい、これは楽しい、不思議、面白いという感覚、これはおかしいという違和感も、すべて自分の“内側”から勝手に湧き出てくるものだ。ということは、一人ひとりの人生の目的は、いのちの中にすでに“種”としてあるということなのだ。
そして、出会いや体