
愛の実力(3)
人生にはいろいろな苦しみがあるけれど、人の苦しみの中でも最大のものは執着なのではないだろうか。何に執着しているかは人それぞれに違うのだろうけれど。
誰かへの執着。お金や物への執着。過去の成功や栄光への執着。肩書きや権威や名誉への執着。自分の考えや価値観への執着。目標・結果への執着。若さや肉体や快楽への執着。過去の思い出への執着。心の痛みや傷への執着。理想的自己像への執着。関係性への執着。場への執着。生への執着。
でも人は、自分が執着している最中には、自分の執着には気づきにくいのかも知れない。のっぴきならない状況が起きてきたり、どうにもこうにも苦しくなったり、重くなったりした時に、初めて自分がそれに執着していたということに気づくのだろう。
おそらくこの執着こそが人として生きている限り、何度もぶつかる壁であり、最大のレッスンなのだと思う。自分が苦しくて仕方がない時は、自分が何に執着しているのかを見ることが自由への道の第一歩なのだろう。
大切に思うこと、愛すること、信じること、一途に思うこと、一生懸命になることは、知らず知らずの内に執着を生み出す元になる。愛と執着は紙一重だからこそ、執着に気づいても手放すことがとても難しいのだ。人が心の地獄を味わうのは、この執着が断ち切れない時なのだろう。
のたうち回るほどの痛みを通し、自分が1回死ぬような経験をしなければ、この執着というのは手放せないのかも知れない。比叡山の千日回峰に匹敵するような心の修行を人は誰も、人生の中で一度や二度は体験するのではないだろうか。
人生の目的のひとつは愛を学ぶことというのはよく言われることだけれど、私は、個人セッションやワークショップの仕事をしながら、愛を学ぶ前に、愛に満たされる体験の方が先だという人にたくさん出会ってきた。
それはどういう人たちかというと、幼い頃に本当は得られるはずだった親からの愛、保護、世話を体験できなかったために、愛を求めてやまないという真実の愛への渇きが自分を苦しめているという人たちだ。
食べ物や洋服やお小遣いを与えてもらい、きれいな家もあり、大学にも行かせてもらい、人からは、「何不自由なく育ったではないか、贅沢だ、感謝が足りないのだ」と言われても、実際にはずっとひとりぽっちだったという心の孤児とも言える人や、子供なのに、親の役割をやってきて、子供時代にちゃんと子供をやれなかった人というのが本当に少なくないのだ。
親からの充分な愛も、適切な保護も世話も受けてこなかったにもかかわらず、親よりもはるかに大きな愛を持ち、親を愛し、助け続けてきたというけなげな子供時代を過ごしてきた人の心の奥底には、激しい怒りと深い悲しみと底冷えのするような孤独感が澱のように沈殿していた。
もしかしたら、親が子供を愛する気持ちよりも、子供が親を愛する気持ちの方が本当は大きいのではないかと思うほどであった。親が子供を捨てることはあっても、子供が親を捨てることは本当に稀なことで、憎んだり、恨んだりするほどに自分の親を心の底では愛していたというケースが本当に多かった。
子供というのは、ここまでされても親を心の底では愛しているのか、それでもなおこの人は親の愛がほしくてたまらなかったんだという真実を見せられて目頭が熱くなったことが何度もある。
その悲しいほどの愛の渇きは満たされる必要があった。たとえ代理の体験であったとしても、自分を大切にしてもらう、自分に真剣に向き合ってもらう、今目の前にいる自分だけに関心を寄せてもらい、愛をもらうという体験をすることによって、その愛の渇きの幾ばくかは満たされていく。
満たされて初めて自分の中に本当はあった大きな愛に目覚めたという人もたくさんいた。自分のほしかったような愛ではなかったけれど、親なりに自分を愛してくれていたのだということに初めて気づかれた方もいらした。
人は、心が満たされるという体験によって、自然に次に進むことができるようになる。たとえ本当の親でないにしろ、人から大切にされるってこういうことなんだ、人から愛をもらうというのはこういうことだったんだという体験をすると、今まで感じることができなかったことを感じられるようになったり、受け取れなかったものが受け取れるようになったりして、意識は少しづつ、でも確実に変容していく。
思風先生は言う。
「人はみな愛に傷ついて生きてきているんです。親もまた自分と同じように不完全な人間だからです。ましてや子育てをしている20代、30代は、人間としても未熟な部分がたくさんあります。しかし、子供というのはみな親に対しては神さまのような無条件の愛を求めてしまいます。それゆえ、人はみな心のどこかでは愛の渇きや、なんらかの心の傷が残っているのです」
「中には本当に心に深い傷を負った人がいます。そういう人はまずその傷を癒すことが大切です。深い傷を負ったままの人には、私の愛の実力の講義は頭ではわかるんだけど・・とかえってつらくなるでしょう。しかし、癒しのプロセスをちゃんと経てきた人や、自分の愛をさらに成長させよう、いい人間関係を創っていける自分になりたいと思っている人には、私の“愛の実力”の講義は、必ずや何かしら得るものがあるのではないかと思っています」
「他者という存在はみな一たとえ親であろうが、夫、妻、恋人、友人であろうが、誰も自分が求めているような“完璧な愛し方”などしてくれないのだということを理解をすることがまず大切です。当たり前なんですね、違う人間なのですから。だから人間は心の奥底ではみんな淋しいんです」
「人間は不完全な存在であるゆえ、人を傷つけてしまうこともある、嘘をついてしまうこともある、失敗することもある、愚かなことをしてしまうこともあります。それが人間なんです。そして、そこから学んで成長できるのもまた人間なんです」
「このような人間理解は、謙虚な理性から生まれるものなのです。謙虚な理性は、人間の不完全性を許します。人間は心の底ではみんな寂しさを抱えていることを理解しています。人間が深いところで恐れているもの、願っているものは年齢や性別や役割や国籍を超えて同じなのだということを理解しています」
「人はみな一親子、夫婦、恋人、友人、仕事仲間といった、人生で深い関わりを持った人たちとの出会いを通して愛を学んでいるのです。何を学んでいるかと言えば、愛は、相手を思いやること。相手のために努力できること。相手の立場にたって考えられること。相手を自由にすること。肯定すること。尊重すること。感謝すること。大切にすることなのだという、愛の理解と実践です」
「どんな人でもみな、人から愛されたい、受け入れてほしい、受け止めてほしい、認めてほしい、ほめられたい、わかってほしいと思っているんです。自分がそうであるように、相手もまた同じものを求めているのだという人間理解が本当に腹の底に落ちれば、人の見方が変わります。新しい態度を選ぶことができるようになります」
「愛は、成長していくものなのです。愛が成長すればするほど、いわゆる無償の愛、真実の愛という、見返りを求めない愛を与えられるようになっていきます。真実の愛というのは、信じて、信じて、信じ抜くこと。そして、相手をどこまでも、どこまでも守り抜くこと。愛し抜くことなんです。今の自分はまだそんな段階にいないと思う人でも、愛は自分の努力しだいで成長していくのだということだけは覚えておいて下さい」
「人というのは不思議なもので、相手が自分を愛してくれて、自分のいいところを心から認めて、ほめてくれると、その部分を一層自分に見せてくれるようになります。多くの人から愛されている人というのは、それだけその人が多くの人を受け入れて、自分の愛を惜しみなく与えているからなんです」
「自分の悩みや問題は、自分のこととして解決しようと思うと、堂々巡りになって出口が見えなくなります。自分が今抱えている悩みや問題を、他人事として観てみるといいのです。人は、自分のことより、人のことの方があんがいよく見えるので、それを使うのです」
「もし、今自分が深刻に悩んでいる問題を、自分の大切な友人から相談されたとしたら、自分は一体どうしたらいいよと答えてあげるだろうか、という発想を持つのです。人から相談を持ちかけられると、一生懸命知恵を絞って答えてあげようとするでしょう?」
「そうやって自分の問題を、他人事として観てみると、全く違った角度から答えが見つかることがあります。自分自身が、自分の悩みや問題と同化している間は、堂々巡りを繰り返すだけですから、この方法は自分の問題に対して新しい視点をもたらします」
こうして、思風先生の講義を聞いていると、みんな頭ではわかったつもりになる。学んだのだからできると思ってしまう。でもいざ、自分がある人との人間関係で傷ついたり、腹が立ったり、思い通りに相手が応えてくれなかったりすると、これらの愛の実力を実践することがいかに難しいことか。
結局、今までと同じように、自分を正当化したり、相手だけを責めたり、閉じこもったり、被害者意識の塊になったりと、相も変らぬ反応パターンを繰り返してしまうのではないだろうか。
人は今まさに自分が関わりをもっている人間関係という“現実の中”で日々、愛の実力が毎瞬のように試されているのだ。だから何度でも何度でも試みる、何度も何度も挑戦し、実践してみる以外、自分の愛の実力を高める方法はないのだろう。
「愛は、違うもの、反対のものを根源において結合する働きであり、つなげる力、つながる力なのです。男と女がまさにそうです。違うものが出会って、つながって、いのちが生まれる。自分中心、自分優先では、子育てはできません」
「親になるということは、人間としての最大の愛、無償の愛を学び、自分を成長させるくれる機会を子供に与えてもらったということなのです。最大の愛を学んでいるのですから、完璧でなくても、失敗してもいいんです。すべてのその体験が自分の愛を大きくしてくれる経験なのです」
「男女の関係や親子の関係だけが愛の関係ではなく、人間関係の問題というのはすべて愛の問題なのです。人間関係は、責め合ったら地獄。許しあったら天国です。本当の愛というのは、自分とは考え方、感じ方、価値観、性格、行動パターン、生き方が違う“他者と共に生きる力”であり、不完全な人間である、互いの欠点を許しあい、補い合い、互いの長所と関わり、長所を活かし合う力なのです」
思風先生は、手ごわい相手、自分の思い通りにならない相手ほど自分の人間としての器を大きくしてくれる人であり、人間関係の修羅場ほど悟りのチャンスだと言う。もちろん、人間は不完全だから、どうしても好きになれない相手、本当に相性の悪い相手はいるし、別離の体験がよりその人を成長させる場合もあるだろう。
しかし、この人とはこのままでは終りたくない、どうにか関係を修復したい、もっといい関係になりたい、この人との関係は一生大切にしていきたいと思う相手である場合は、耐える時間をいとわず、自分の恐れや、心の痛みに囚われず、本気で自分の愛の実力を成長させれば、関係性がさらなる段階へと進化していく可能性が大いにありうるのだと思風先生は言う。
思風先生が言うように、人はどれだけ見返りを求めて愛を与えていることだろうか。自分の努力に相手も同じように報いてくれるだろうという希望。自分がこんなに愛しているのだから同じ量だけ愛を返してほしいという要求。自分がこれだけやってあげているのだから感謝するのが当たり前という見返りを求める心。これは愛でもなんでもない。取引なのだ。真実の愛というのは“与えっぱなし”なのだと思風先生は言うが本当にその通りなのだと思う。
確かに、自分では愛を与えているつもりなのに、愛が返ってこない時というのは、自分勝手な愛の押し付けをしていたり、内心に恐れがあったり、見返りを求めていることが多い。もちろん、相手が愛を受け取れないほど、愛に傷つき、心を完全に閉ざしている場合もあるから一概には言えないが、普通の人間関係の場合は、期待や要求を持たずに、ただ与えるだけの愛、いや与えているなどという意識すらなく、愛が自分の中から自然に溢れている時は、愛は不思議なことに、こだまのように返ってくる。
< お 知 ら せ >
* 8月25日(土)、心身のリラクゼ-ション&メディテーションの会「シャンテイ」の第二回目があります。(東京・自由が丘)
* 9月7日(金)~9日、長野県、女神山で2泊3日のワークショップ「Be―Work」があります。
* 9月15日(土)、「思風塾全国大会 in 名古屋」のシンポジウムがあります。
パネラー:芳村思風先生(感性論哲学創始者)
村上和雄先生(筑波大学名誉教授)
行徳哲男先生(教育者)
土橋重隆先生(医師)
コーディネーター:岡部明美
テーマ「命をひらく ~この命何に使うか~」
* 9月22日(土)、「1 day ワークショップ」があります。(東京・自由が丘)
* 詳しくはホームページをご覧ください。
岡部明美の公式ホームページ:http://anatase.net/
本が書けそうなのに、実践はさっぱりだね。
…と医者に言われたことがあります。
ほんとにそうです。
わかった気になっていても、そういう存在そのものになるのはなんと気の遠くなるような道のりでしょう。
でも、そういう執着(ちなみに全部の執着がありましたよ。えっへん)の中であがきながら、その道のりを少しだけ楽しんでいこうという気持ちに、ごく最近変ってきました。
あけみちゃんを知ってからです。
執着あっての人間じゃないですか。
きっと最初から清らか満載の人は生まれてもこないですよ。
だんだん、自由になって、そぎ落とされるものがあって、だから人生は面白いのではないかと、やっと思えるようになってきました。
生きててうれしいなあ。
あけみちゃんと知り合えて、なんて幸せなんだろう。
ありがとう、あけみちゃん。
ありがとう。(ちなみに現実は大混乱の最中です)
2007年07月27日 23:05
>愛は不思議なことに、こだまのように返ってくる。
あけみちゃんの言葉は 本当にいつも美しいです。
見習います。
ありがとうございます。
2007年07月29日 18:57
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