
自分が子供時代にちゃんと子供をやってこなかったということが、大人になった自分の人間関係や生き方にこんなに影響を与えていたなんて思いもしなかった。
親を精神的に頼れないと思い込んでしまった私は、「自分のことは自分で解決するしかないんだ」「頼れるのは自分しかいない」という信念をかなり小さい内にもってしまったのだ。つっぱり人生はすでに子供時代から始まっていたのだ。
確かに私は親に甘えた記憶がほとんどない。私が甘えるというのは、自分のやりたいことを押し通すというわがままな形の甘えだった。私は、甘えられないことの反動で妙に自立心、独立心が強くなっていったのだ。
でも、子供時代に親に甘えて依存してということをちゃんとやれなかった人間の自立は、偽の自立なのかもしれない。自立の仮面の下に、私は、依存心や不安や脆さを隠していた。
私は、本当は親に甘えたかったのだ。甘えられないことがすごく淋しかったのだ。親に無条件に甘えていたのは、末っ子の弟だけだった。実際、末っ子の弟は、憎めない性格でかわいい子だった。私と年子の弟は親に甘えそびれてしまったのだ。
年子の弟が生まれた時、私はまだ自分も乳飲み子だったのに母が乳首に唐辛子を塗って「弟が生まれたから今日でおっぱいは終わり」と1回言っただけで、二度とおっぱいを要求しなかった子供だったらしい。
母は、そのことを「明美は聞き分けがいい。手がかからない」と人に自慢話をするようにして話していた。私はその話を聞く度にいつも淋しくなった。私には、一度相手から拒絶・拒否されたと思うと瞬時に心を閉ざしてしまい、もう二度と自分の要求や気持ちを言わなくなるというパターンがあるのだけれど、それはすでにこんな小さい頃から始まっていたのだ。
私は、おそらく無意識に、親の手をわずらわせない子供でいることで親からほめてもらえるということを学習していったのだろう。でも、郁恵さんのワークで、子供時代自分がどんなに淋しかったか、どんなに親に甘えたかったかという感情が突然あふれてきたのだ。
大人になっても、人は、「未完了の感情」とか「未完了の体験」というものが記憶の中に残っていて、それは表現されること、癒されることを待っているというのはこういうことだったのかと思った。
私の記憶は、どんどん過去に遡っていった。もう思い出すこともなくなっていたことがワークをやっていると、ふと鮮烈に浮かび上がってくることがよくあった。確か、小学生3、4年の頃だったと思う。夜中に目を覚ますと、遊びにきていた母の友達と母が話していた。その時の母の言葉にショックを受けたことを思い出した。
「母親っていうのは、やっぱり息子がかわいいわね。末っ子は特にかわいい」
私は、この母の言葉にすごいショックを受け、私は、母に愛されていないのだと思いこんでしまったのだ。私は、あの時、母に認めてもらうために、愛されるために母の助けになることならなんでもしようと心に決めたのだと思う。
私は、母に愛されたくてしっかりものの長女をやり、いやな顔もせずに愚痴も聞き、勉強をし、クラス委員をやり、運動会でもいろいろなコンクールでも一等賞をとるためにがんばったのは、すべて母にほめてほしかったからなのだと思った。私は、母の“自慢の子”になりたかったのだ。
私は、高校、大学時代、ボーボワールや、明治時代の「青鞜の女たち」の生き方に大きな影響を受け、女性解放運動などのフェミニズムに密かに傾倒していたから、そのせいで独立心、自立心が強くなったのだとずっと思い込んでいたのだ。
でも、郁恵さんのワークを受けて初めて、私はフェミニズムの影響以前にすでに親との関係の中で甘えそこなったために、自分で立つしかなくて、そのために妙に自立心、独立心が強くなったのだということに気づいたのだ。
子供時代というのは親への依存期なわけで、その時期にちゃんと親に甘えて、抱きしめられて、守られてという安心感の体験がないと、人は心の奥に脆さを抱えてしまうのではないだろうか。私の自立心、独立心の柱は、確かに脆かった。シロアリにすぐやられてしまうくらいに脆い柱だった。
一見、強そうに見える人、理性的(クール)に見える人、虚勢を張っている人、猛々しい人、反対に、あまりにも善い人、明る過ぎる人というのは、もしかしたら、自分のそんな脆さや弱さや淋しさを一生懸命隠し、自分の悲しみを頭で納得させることで必死に生きてきた人たちなのではないだろうか。
人は、子供時代に丸ごとの自分を愛してもらい、認めてもらい、大切にしてもらったという体験をすることで、初めて本当に自立していけるのではないだろうか。
それが満たされていないと、大人になってから愛と承認をもらうために必要以上にがんばり過ぎたり、相手が自分を本当に愛しているのかどうかを試すようなことを言ったり、やったり、愛をもらいたいために与えるという犠牲的な生き方をしてしまうのかも知れない。
私はこれに気づいた時からだんだん人の見方が変わっていった。第一印象だけで人を決め付けてしまうようなところがあったのだけれど、その表面の“感じ”の奥にある悲しみや淋しさが感じられるようになると、だんだん苦手な人や嫌いな人が少なくなっていったのだ。
自分を防衛するための鎧兜というのは、もう二度と傷つきたくない、こんな悲しい思いはもう二度としたくないという自分を守るための繭のような存在だったのだ。鎧兜の厚さや堅さというのは、きっとその人の心の痛みの大きさに比例しているのだと思う。
< 自立 >
自立した生き方を目指して生きてきたら
いつの間にか人に弱さを見せられないようになり
人とつながれない自分になっていった
自立とは、自分の意志で選択し、行動し、その結果を
自分で引き受けるという生き方ができること
同時に、自分をゆだねたり、甘えたり、頼ったり、
相手のそういう部分も受け入れられる関係性の柔軟さを
楽しめること
自立とは、ひとりでも生きてゆく力を身につけながら
人は、ひとりでは生きてゆけないことを心とからだの芯から
感じとること
「自由と孤独」「愛と憎しみ」が背中合わせにあることを知り、
臆病になってしまったとしても、なおもう一度、真から人と一緒に
生きていこうという気持ちが湧き上がるのを静かに待てる自分になること
『もどっておいで私の元気!』より(岡部明美著:善文社)
(次回に続く)
*12月22日(土) 「リラクゼーション&メディテーションの会“シャンテイ”」が東京・自由が丘であります。~からだほぐして 心ほぐして 内側から元気になる~
http://anatase.net/work3.htm
*岡部明美の公式ホームページ:http://anatase.net/
私は、母の“自慢の子”になりたかったのだ。
私の前半生はまさにこの言葉に集約されます。
とにかく、心配をかけず、母の偏頭痛を引き起こさず、寝込ませず、喜ばせる。
98点ではだめな母のために、満点をめざす。
それから、よい人でいよう、と。
みんながほめてくれるようなよい子であろう、と。
私の紹介文でいい人です、といってくれるよい友人の口から「私のような悪い奴はいない」といつも本人は言っていたというのがよく語られています。
(ああ、日本語破壊)
自分は知っていたんでしょう。
私自身が本物のよい子ではなく、よい子仮面をかぶっていたことを。
それでも。
猫の皮もかぶり続ければ生皮となり、引っぺがすには勇気と流血を覚悟しなければなりません。
でも、それは年々重みを増してくるので、いつかは脱がなければ、自重でつぶれてしまうのも確かなのです。
4月末にあけみちゃんの力を借りて、大猫の皮を脱いでから、半年後、個人セッションを受けました。
その時、猫の皮の意味も知りました。
そして、ちょうど昨日。
頭でわかっていた意味がおなかに落ちました。
(いわゆる、腑に落ちるというやつです)
人生は冒険。
あけみちゃんがいるかぎり、北極でも、密林でも行けそうな気がします。今日もありがとうございました。(そして、あけみちゃんでさえ、同じようなところで踏み迷っていたことに勇気をもらいました。
重ねてありがとうです)
2007年11月23日 20:43
あけみちゃん、ほんとにそのとおりですね。
そう思うわ、実感。
2007年11月25日 19:23
君看よ双眼のいろ
語らざれば憂い無きに似たり
(相田みつを 憂い)
2007年11月28日 23:45
携帯でもSQ Lifeメッセンジャー・ブログが閲覧できます。
http://blog.sq-life.jp/m/
