
こんなタイトルの日記だと、なんだか私がとてもためになるような、徳の高い話でも書いているのではないかと思われた方もいるかもしれませんが、そんなことはあるはずもなく。なんせ私はメインストリートより路地裏の方が好きな人間です。美しく光り輝く聖人や素晴らしい人格者や雲上人に思われている人の「人間くさい部分」や「フツーの人の部分」がこよなく好きなの、私は。
よくね、憧れ、尊敬し、崇拝していた人のそういう部分を見ると「なんだ、自分とおんなじただの人間か」って、ガッカリしたり、幻滅したりする人がいるけれど、私は、逆。とても親近感が湧いて、もっと好きになる。魅力っていうのは、落差、ギャップだって私は思うから。
意識の境地がどれほど高い人だって、人間は、人間でしょう。ライトワーカーが花柄やレース模様のうんちしているわけでもないんだし、覚者がおならやゲップやHをしないわけでもないんだから。この人はすごい、素晴らしいと思えば思うほど勝手にその人を理想化し、完璧性を求めてしまうのですよね、人は。で、勝手に失望したり、幻滅したり。「人間に完璧性を求めるのは理性の迷い、幻想です」って感性論哲学の思風先生が教えてくれたっけな。
私の知っている覚者や素晴らしい先生として憧れられている人たちも、女房や恋人、パートナーは、ぶんぶん文句言っているし、愚痴こぼしているもの。そういうの聞くのもけっこう面白いけどね。そりゃあ、毎日一緒に暮らしている人や親密な関係にある人からすれば、「ムカー」っとくるとこや、「やってられないわ」って思うことだってあるでしょうからね。
お釈迦さんだって、女房や息子からしてみたら、ある日突然、自分たちを置いて勝手に家(城)を出て行ったわけだしね。悟りを開いたからといって突然帰ってきたって、「ジョーダンじゃないわよ、勝手なことして。あなたが出て行ったあと、私や子供はどんな思いで生きてきたと思ってるのよ」って、女房は怒ったんじゃないかしら。息子だって、自分を捨てて出ていった父親を恨んでいたかも知れないしね。
肉体を離れた聖人は、どんどんどんどん神格化されて、人間でなくなるけど、その時代にそばにいた人はいろいろ感じることも多々あったのではないでしょうか。お釈迦さんも、シッダールタ王子の時は、城の中でこの世の贅沢を全部味わい尽くしたような暮らしをしていたわけだし。この世の欲望をすべて満足させ、酒池肉林を堪能したゾルバのような生活、人生だったのでしょう、かつての王子様は。
だからこそ、欲望をどれほど追いかけ、満たしても、欲望を満足させて得られる幸福感、満足感はほんの一瞬、束の間、すべては必ず過ぎ去ることを誰よりもわかっていたのでしょう。王がどれほど「シッダルター王子には、病と死を見せてはいけない」と従者に隠し続けさせたって、城の外に出てみたら、人間の世界の現実―生老病死と煩悩に悶え苦しむ衆生がいたわけで。だからこそシッダールタ王子の永遠不変の真理探求が始まったわけですから。
この世の「快楽」と「苦行」という二極をとことん味わったからこそ、中庸の大切さを説いたのでしょう。両方を体験したからこそなわけで。禅が言う、「我、ただ、足るを知る」が、どれほど深い真実であるかを知るのは、求めても求めてもなお満たされぬ己を知った時だったりするのでしょう、人は。
私が人の魅力はギャップ、落差にあると感じるのはきっと「清濁併せのむ」っていうのが好きだからなのかもしれない。以前私はこの仕事をする上でお世話になった先生に「私は、神さまとご飯とうんことsexのことを同じ目線で語れるセラピストになりたいです」と言ったのも、きっと根っこの発想は同じですね。だって全部同じくらい大切なことではないですか。生と性と聖はひとつだって思っていますから。
私は、光も好きだけど、闇が黒光りして輝き始める「いのちの底力」もこよなく愛しています。精神世界の好きな人は、光の世界、美しく、清らかで、純粋な聖なる世界が大好きで、自分の闇、人間の闇を毛嫌いしている人が少なくないけれど、闇の中には確かに魔物も住んでいるけれど、宝物もまた同時にあるものです。闇が「気づき」と「愛と感謝の光」に照らされ、黒々とした輝きを放ちはじめる瞬間というのは、それはそれはすごいものです。
夜空に煌めく星たちも、あの漆黒の宇宙の闇に支えられ、深い沈黙の闇に包容されているわけだし。夜空の星があんなに美しいのは、コントラストとしての深い闇があるからだものね。いくら夜空の星が美しくても、星の光だけだったら、寝られないぞ。
★禅が唯一知っていることは、一切の矛盾を深い調和の内に包含する広大な生だけだ。夜は昼と調和し、生は死と調和し、大地は空と調和し、存在は不在と調和する。この途方もない調和、この和合こそが禅の本質だ。これこそが、何も否定せず、何も非難せず、ただ愛し、尊ぶ唯一の生き方だ。(OSHO)
なんて前置きが長くなりましたが、なんてことはない、「このマンガ面白かったよー」って言いたかっただけなんである。でも、なんつったって、主人公が、あの仏陀とイエス・キリストなので、ちょっともったいぶっちゃったわけです。(陰の声:わかるけど、前置き長過ぎ。はい、すんません)
私の周りではいまちょっとしたブームですし、かなり売れているマンガみたいですから、もう読んだ人も多いかもね。そう「聖☆おにいさん」です。マイミクの「あべ」ちゃんが面白いよとコメントに書いてあるのを見て、本屋に買いに行きました。
「ひじりお兄さん、ください」「ハっ?もしかして、セイントお兄さんのことですか?」「えーっ、ひじりじゃなくて、セイントって読むんですかあ」。そうなんです、大学がお茶の水にあって、聖橋(ひじりばし)に慣れていたものですから、自動的に私は、聖をひじりと読んじゃったのです。
仏陀は、すでにマンガ「愛のシッタカブッダ」でベストセラーになっていますから、仏陀の大衆化は土壌がありますからいいんですが、イエス・キリストを笑いの土壌にもってくるというのはけっこう勇気がいることでしょう。でもこのマンガでイエス・キリストに一気に親近感もった方もいるのではないでしょうか。宗教を超えて、真理、真実の教えに触れたい人が増えている時代なので
間口が広がっているのはきっとよいことなのでしょう。
「聖☆おにいさん」では、仏陀とイエス・キリストが天上界から下界にバカンスにきて、東京・立川のアパート「松田ハイツ」で下宿生活をはじめるところから始まります。この設定自体が楽しいではありませんか。で、仏陀はパンチパーマのお兄さんみたいな髪型で、デブなので、ダイエットに熱心です。内心、後世の芸術家が自分を下膨れの顔、肥満体形に描いたり、太った仏像を彫ったりしたことに不平・不満をもっています。
「聖☆おにいさん」の中の仏陀の愛読書が、手塚治の「ブッダ」ってとこが笑えます。そういえば、うちの息子の小学校時代の愛読書は、手塚治の「ブッダ」と「火の鳥」でした。全巻集めて何度も読んでいましたねえ。何が彼をそんなに夢中にさせたのかはいまだ謎ですが。
「聖☆おにいさん」の中での、ブッダとイエスとの共同生活では、お掃除やお料理はもっぱら仏陀の担当です。イエスはパソコンでブログばっかりやっていてあまり家事をしません。仏陀が風邪をひいた時は、料理ができないイエスは冷蔵庫に入っているレトルトの「乳粥」ですませようとします。この「乳粥」というのが笑えますね。スジャータ、スジャータ。余計なお世話ですが、私が作者だったら、「サット・チット・アーナンダ」というインコを3羽飼っているという設定にしますね。
イエスはロン毛で、ネット好き。イエスは、Mixiもやっていて、足跡によく「ユダさん」がついていることが不安です。「ユダさん」にマイミク申請されたらどうしようと思っています。仏陀もそれについては心配しています。イエスはマニアックなところがあり、パンツは冷蔵庫で冷やしたものでなければはきません。生温かいパンツが嫌いなのです。ミラクル男のイエスに仏陀は言います。「ねえ、イエス、この水、ぶどう酒に変えてよ」って。
仏陀とイエスは、松田ハイツの近くのハッスル商店街でよくお買い物をするのですが、イケメン風なイエスは、歩いているだけで、女子高生から、「きゃあ、あの人、超ジョニー・ディップに似てるう」って騒がれます。さて、イエスは、どうやって生活費を稼ごうかいろいろ考え、リクルートのCMに出るのはどうだろうと考えます。キャッチコピーは、「30歳で、大工から救世主に転職した男!」、転職を天職に結び付けるところを狙ったりします。でも、この企画は妄想に終わります。
それでも、どこかの会社に就職しようと履歴書を書きます。名前は、「聖・イエス」、聖には、セイとルビがふってあります。「セイ・イエス」って、それじゃあ、チャゲ&飛鳥の歌みたいじゃないのサ。さて、貧乏な二人は、ある日、ハッスル商店街のお祭りで、一位のお米券を狙って、お笑いコンビとしてデビューします。コンビ名は「パンチとロン毛」です。けっこういい味を出しますが、メジャーデビューするところまではいけません。
二人の極貧ぶりを心配した仏陀の10大弟子の一人、アーナンダが天界からやってきます。二人が買い物したもので天界の経費で落とせるものがないかどうかいろいろと考えてくれます。さすが、仏陀に25年もお仕えした愛弟子ですね。仏陀への献身ぶりが相変わらずすごいのです。
仏陀は、相変わらずの美男子アーナンダを見て、弟子たちの修業時代を思い出します。教団の婦女子がみんなアーナンダに夢中になり、悟りを目指しているはずのサンガたちが、俗世間のメロドラマさながらに煩悩丸出しで、イケメンアーナンダの追っかけをしていることに胸を痛めていたことを仏陀は思い出すのです。悟りに至る三宝(師・教え・サンガ(修業仲間))も、サンガの質によっては俗世での修行と変わらぬようで、男女の色欲がやはり最大の修業であることはどこにいようが変わらぬもののようです。
アーナンダは、仏陀が寝息も立てずに静かに昼寝しているだけで、仏陀が死んだのではないかと焦りまくります。で、仏陀に「あなたは、まだ私のニルヴァーナ・トラウマがあるのですか。悟ったのではないのですか」と叱られてしょげるとこなぞとてもかわゆいです。アーナンダが悟ったのは、仏陀の入滅後でしたね。アーメン、ラーメン、ソーメン、南無阿弥陀仏・・・。
イエスは、「21世紀の地球は、覚醒の時代だから、再びボクたちのモテ期がやってきたね」とブッダに言います。ブッダも同意します。確かにモテ期みたいですね。私は仏教徒でもキリスト教徒でもないのだけれど、仏陀もキリストも好きです。人間の意識というものが、あのレベルにまで至れる可能性を潜在的には誰もが持っているという人間の素晴らしさに胸を打たれるから。
「聖☆おにいさん」は、その教えを説いたものではないけれど、神格化されて雲上人になり過ぎたお二人の人間くさい部分を描いてくれたとこがおもしろかったです。私は、結局、「人間味」という「味」が好きなんだなあ。「聖☆おにいさん」5巻とも読んじゃいました。しかし、暇だね、私も。
岡部明美公式ホームページ http://anatase.net/
9月18日(土)~20日(月・祝日)
神奈川・三浦半島3daysワークショップ(定員・キャンセル待ち)
主催「まゆ亭くにおさん夫妻」
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10月2日(土)~3日 岩手2daysワークショップ
主催:「かりん」ちゃんと「ココロ」さん
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