
ちょうど1ケ月が過ぎた。3月11日の大震災からのこの1ケ月はとても長く感じた。千葉では今でも毎日のように地震があるので、からだがいつも震えている感じだ。今日も大きな地震が何度もあった。
私はふだん感情的に人を怒ったり、責めたりということは殆どないのだけれど、故郷・釜石の壊滅や、亡くなられた方やご遺族の悲しみ、原発への思いなどが複雑に入り混じり、震災後は珍しく情緒が不安定な日があった。
夫の何気ない言葉に過剰反応をして、夫からしたら理不尽このうえない怒りを、自分を棚にあげてぶつけてしまったこともあった。冷静になると明らかにシャドーの投影であり、私の問題なのになんてひどい言い方をしてしまったのかと大反省をした。このことを親しい人何人かに言ったら、「実は私もやらかしちゃったの」と言う人が多いのでびっくりした。地震と津波と原発は、人の心の中にある地雷とつながっているのかもしれない。見るべきものは相手ではなく私の内側なのでした。
今回の大震災のために予定していたものの多くが中止になったり、延期になりましたが、3月13日に伊豆高原で上映される予定だった「地球交響曲(ガイアシンフォニー)7番」も行けなくなってしまったもののひとつでした。
私が住んでいる地域でも上映されているのは知っていたけれど、半年ほど前に友人の高岡よし子さんとティム・マクリーン(セラピスト・日本トランスパーソナル心理学会顧問)から、「もしかしたら7番に出演しているアンドリュー・ワイル博士をお呼びして講演してもらうかも知れない。かなわなかったら、龍村仁監督と上野圭一さんとティム・マクリーンの鼎談を上映に合わせてやるつもり」と聞いていたので、それだったら伊豆高原まで行って見ようと思っていたのだ。
高岡さんからチケットも買っていた。しかし、3月11日の東日本大震災が起こりそれどころではなくなった。そして、今私にできることはなんだろうと考えていた。義捐金を送ること、毎日祈り続けること、節電すること、不要な買占めをしないこと、これ以外に何ができるだろうと・・・。
書くことだと思った。今地球に起きていることの本当の真実は何なのかということを一つひとつ。前回の日記「神を求めて泣きなさい」に引き続き、今回は「ガイア(地球)の意識」という視点で書いてみようと思う。「地球交響曲7番」の上映を見送ったことから、「地球交響曲」の1番から3番を見た後に書いたものを読み返してみた。これを書いていたのは、1997年頃だったと思う。実際、私の意識が大きく変わり出したのは、この頃からだった。
今では多くの人に知られることになった自主上映映画「地球交響曲」であるが、当時はまだまだ知る人が少なく草の根的にじわじわと広がっている途上だった。今回の大災害は、大地震と大津波いう自然災害から始まったものだが、私は地球というひとつの生命体の意識、ガイアの心というものをずっと考えていたのだ。
ガイア日記 1997年(愛知県在住の時代)
友人に誘われて、龍村仁監督が制作した「地球交響曲」という自主上映の映画を見に行った。この映画のベースになっているのが、ジェームス・ラブロックの“ガイア仮説”(地球は意識を持ったひとつの生命体で、すべてが有機的につながりあって“生きている星”であるという仮説)と知って私は俄然興味をもったのだ。
「地球交響曲」の1番から3番を見て、どれも見終った後しばらく座席を離れることができなかった。とても深い余韻を残す映画だった。それぞれを観終わった後は、家に帰ってから、ぼーっとしたまま自分の中で何が起きているのだろうと感じてみた。
「ひとつの糸でつながっていたんだ・・・」
発病が大きな引き金になって、実存への問いが私の中に生まれた。なぜ死んでいたかもしれない私がもう一度この世にもどされたのだろう?私はいったい誰なのだろう、私は何のために生まれたのだろう?
そこから自然に自己探求が始まった。意識が内側に向かい出した頃から不思議な出逢いがどんどん起こるようになり、その出逢いに導かれるようにして、私の人生は想像もしていなかったような展開になっていった。
シンクロが日常的に頻繁に起こるようになった。自分がどこに向かって歩いているのかわからないのに、何者かに手招きされているような感覚があり、その感覚を頼りに歩き出した道のりで体験したこと、学んだこと、気づいたことが、ひとつの糸となってつながっていたことをこの映画を見て強く感じた。
発病前に私の人生で起きていた葛藤・混乱・行き詰まり感、その結果の出来事としての生死を彷徨うような病気。それらが、一個人の問題ではなく、社会全体、ひいては、地球という“ひとつの生命体”の危機と同様の問題を孕んでいることを強く感じた。21世紀は、環境意識と宇宙意識の目覚めの時代になる。それは同時に、物質文明から心の時代、いや、もっと言えば、スピリチュアリティ(霊性)への目覚め、人間の本質への目覚めが始まることを予感させた。
「地球交響曲」という映画は、それを実感させてくれた映画だった。もし、その方向へ進むことができなかったら、日本も含めて、西欧の文明社会、物質社会は、もはや救われないところまで来てしまったのだと思う。「地球交響曲」という映画が今、日本の自主上映映画の最大動員数を誇り、じわじわと社会に浸透し始めている現象は、私が今まで学んできた新しい医学や心理学と同じ潮流にあることを感じさせた。
西洋医学一辺倒だった世界に、代替医療、統合医療、ホリスティック医学、バイブレーショナル・メディスン、ナチュラル・メディスンなどが登場し、医学の世界が変わり始めていること。心理学やセラピーの世界にも、タオイズム、瞑想、東洋哲学が取り入れられたトランスパーソナル心理学が広がり始めていること。物質の科学である物理学の世界に量子物理学が登場し、目に見えない世界を科学し、宗教と科学が限りなく接近し始めていること。数え上げれば新しい時代の潮流、パラダイム・シフトを象徴している社会現象はいくらでも見つけることができる。
この映画は、遥かなる時空を超えて幾多の生を生きてきた私たちの魂に静かに訴えかけてくるものがあった。漆黒の宇宙に浮かぶ美しい水の惑星「地球」を、宇宙から眺めるという眼差しが私の中に生まれた。人間や地球というものを宇宙からただ静かに眺めていると、過去・現在・未来と一直線上に進んでいるかのように思い込んでいる“時間感覚”や、まぎれもなく実在していると思っている“肉体”や、その肉体と自己同一化している“自我意識”や“国境意識”までもが溶解していく感じがした。
どんなに壁や窓や扉で区切ろうが、部屋の中の空気と外の空気は同じものだし、台所の空気とベッドルームの空気だって同じものだ。アメリカの空、イランの空、北朝鮮の空、日本の空なんて実際はないわけだし。それぞれに分かれて存在しているように思われる各大陸、島国も、地球から海水をとったらひと続きの陸地だ。私たちは本当は、同じひとつの大地の上に共に生きているのだ。空や海や大地をどうやって分けることができるだろう。すべては、分かちがたくつながりあい、関わりあって、相互補完的に成り立っているのがこの世界の真実なのに。
本当はひと続きの大地と、ひとつながりの海と空の中で生かされているすべての生命なのに人類はこれまで、宗教・信仰の違い、思想の違い、民族の違いで、人と人が殺しあってきたのだ。それが人類の歴史の闇の部分だった。国と国だけではない。価値観の違い、意見の相違で、人と人が責め裁き合い、罵り合い、差別したり、見下したり、切り捨てたり、完膚なきまでに人を打ちのめしたり。
合わないこと、違いを理由に誰もが誰かと日常的に戦争をしている。
しかし、真の創造のために直視しなければならないものは巧妙に隠され、私達は盲目になっているのだ。金と権力と支配の構造システム。この構造の中にはエゴの無限の欲望と間違った思い込みがある。エゴの別の名は怖れだ。その怖れは分離意識から生まれる。人を真に幸せにすることはないこの硬直化したシステムはいずれ自壊していくことは明らかだ。おそらく信じられないような出来事が起こり、私達は目を醒まさせられる。それを起こすのは、きっと大自然だ。
なぜ、大自然がそれを起こすと私は感じているのだろう。それは宇宙の摂理に合わないものはいずれ崩壊していく定めにあるからだ。いのち、大自然をないがしろにした小賢しい人間の作ったものは早晩その闇が白日のもとに晒されるだろう。
私というひとつの生命体は、地球という生命体の中で生かされており、その地球という生命体は、より大きな宇宙という生命体の中で生かされているということへの目覚めが求められているのだ。そして、この宇宙の完璧なる秩序を創造し続けているもの、宇宙に存在するあらゆる生命、存在、物質を創ったのも人間ではないのだとうことへの目覚めもまた。
私たちをこの世界に在らしめたその大いなる存在・源の意識・愛・意志・叡智、その働きを仮に神と呼ぶならば、私達は皆、そこ(それ)から生まれ、そこ(それ)に還っていく存在なのだ。人は、日常のあまりの忙しさに追われて生きている時は、深く考えること、深く感じること、自分に問うということを忘れて生きているけれど、本当は心の深い部分では、こうした、<実存への問い>、<宇宙、神への問い>を持ちながら生きているのではないだろうか。
宇宙がこのようにして「在る」ということ、私がこの星に生まれ、このような存在として「ただ、在る」ということ、私たちはこの宇宙の生成に瞬間ごとに立ち会っているのだということ、これほどまでの多様な生命が、地球上に共存・共栄しながら「生きている」ということ一これを奇跡と呼ばずして、何を奇跡というのだろう。私たちも含めすべての存在、森羅万象が、大いなる存在の創造の神秘なのだと思うと、私は何かふるえるほどの感動を覚える。
その宇宙の源から生まれ、生かされているすべての存在は、大いなる生命・ひとつの意識として本当はみんなつながっており、生かされているのだ。このことへの驚嘆と感動と畏怖こそが、真の意味でのスピリチュアリティの目覚めであり、地球―ガイアの意識は、私達にそのことに目覚めなさいと言っているのだと思った。
1997年頃、今から14年前に私はこのような文章を書いていた。久しぶりに読み返したのは、今回の東日本大震災を私は直観的に、地球―ガイアが抱えてきた痛みであり、怒りであり、悲しみであり、メッセージだと感じたからだ。地震大国日本に本当に原発が必要なのか、このような社会をこれからも続ける気なのか、いままでの生き方を人類はこれからも続ける気なのか、と。
地球は女神の星だといわれる。女神も怒ったら不動明王になる。母なる大地、地球が人類に警告を発したのだと私は感じたのだ。もっと言えば、その地球を創造した、慈愛に満ち溢れた母なる宇宙が、これで変わらなかったらもう地球の未来はないよと言われているような気がした。宇宙の意識も、ガイアの意識も、私たち人間の意識も、本当はひとつらなりの大いなる「ひとつの意識」であり、すべて存在は同じ「ひとつのいのち」によって生かされているのだということへの覚醒が今本当に求められているのだ。
私達がこれからどう生きていくのか、何を選択していくのかが問われている。それに各々がどう応えていくかが、今回の大震災で失われたいのちに対する私達の責務なのだと思う。マスコミは連日、今回の大震災での死者数何万人と発表し続けたけれど、愛する人の死は、決して何万分の1ではないのだ。遺族にしてみれば、ただ一人のかけがえのない、大切な人の死なのだから。
数ヶ月前に偶然にも『地球(ガイア)の祈り』(龍村仁・龍村ゆかり著/角川学芸出版)という本が送られてきた。送り主は、拙著『私に帰る旅』の編集者である角川学芸出版の小島直人氏だ。「あけみさん、お久しぶりです。その後如何お過ごしですか。最近、僕が編集した『地球(ガイア)の祈り』をお送りします。またあけみさんと会って、いろんな話がしたいです」と書いてあった。
「革命家になるか、編集者になって自分が発信したい本を作るかしか、自分の人生はないと思っていた。僕は世の中をひっくり返したい。この世界はどんどんおかしくなっている」といつも言っていた直人は、今回のことをどう思っているのだろう。会ってとことん話してみたい気がする。電話してみよう。
PS1:昨日の「ほおずきの会」では、母なる大地、地球のエネルギーを感じ、祈りと瞑想の時をみなさんと分かち合った。懇親会では、女性たちと原発問題に関して熱く語り合った。毎月の「ほおずきの会」の収益は義援金として送らせていただきます。次回は5月25日(水)です。詳細と5月以降の「ほおずきの会」の日程はこちらです。
http://mixi.jp/view_event.pl?id=61508050&comment_count=0&comm_id=982903
PS2:5月21,22日にバイロン・ケイティが来日しワークショップが開催される予定でしたが、今回の震災のために中止になりました。私は人の間違った思いこみ、否定的な信念を解除するケイティ・ワ-クをとても高く評価しているので、中止になったのはとても残念でした。しかし、名古屋で私のワークショップを主催してくれている伊藤真奈さんが、日本で唯一のケイティワーク公認ファシリテーターであるティム・マクリーンと高岡よしこさんをお呼びして同じ日に名古屋で開催することになりました。私もお手伝いさせていただきます。詳細はこちら。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1704937849&owner_id=19056438
岡部明美公式ホームページ:http://anatase.net/
5月13日(金)~15日(日) 岡山3daysワークショップ
主催:monju&Bhumika テーマ:「空ゆく雲のように 流れる水のように~遥かなる呼び声にこたえ、このいのちを何に使うか」
http://web.mac.com/monjel1315/Site/sora_part1.html
5月29日(日) 札幌1dayワークショップ 主催:マリアさん
テーマ:「内なる真実に出会う~本当の自分に出逢いましょう~」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1681775828&owner_id=8027970&comment_count=12
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