尾崎真奈美の天使語同時通訳します

自己犠牲と社会貢献の錯覚

日本人の罪は、自己犠牲をしてまで社会や会社の責任を果たそうとすることであろう。
罪という強い言葉を使う理由は、愛の神の摂理に反することを促すことを罪と呼ぶ、キリスト教の習慣であることをお断りしておく。

それが美徳だというマインドコントロールが国中に行き渡っている。
しかし、それによって引き起こされたのが、戦争であったり原発事故であったりすることに気がついていないのだろうか。
悲しい思いや辛い思いをすることが神の摂理であるはずがない。
苦難は成長を促すと言っても、苦難をもたらすのは神ではない。
人間の過ちの結果である。

自己犠牲や働きすぎをよしとする狂ったような発想から、目覚めてほしい。
311ショックで、本質的なことに目覚める人が多くなったのは嬉しいことだった。
いつどうなるかわからない状況下では本当に大切なものだけが残る。
身近な人たちとの時間を大切にするようになった人が増えたのはすばらしいことだった。
どんなことが起きてもなんとかやって行く日本人の粘り強さにも感嘆する。

しかし、本質的な意識が変わらないと、また過ちを繰り返してしまう。
復興支援は大切だけど、機械のように心を捨て去ったがんばりや仕事は、目に見えない大きなひずみ歪みを大量生産してしまう。
心理学者としてはそれが心配で。

お一人お一人がどうぞ自分をもっとも大切にして欲しい。
年末仕事が立て込むけど、終わらなかったからって死にはしない。
過労で死ぬほど疲れるより、仕事が終わらない方がずっといい。
あなた自身より大切な仕事があるはずがない。

医師や援助職の人にはさらに言いたい。
他人を助けて自分が滅びたとしたら、
その助けられた人は喜び幸せになると思いますか?
一生罪悪感に悩み、悔やみ自分を責めることをご存知ですか。
お涙ちょうだいの美しいエピソードは残るでしょう。
しかし、それは皆が幸せになることでしょうか?

浪花節の日本人よ
もし自分が逆の立場だったらどうなのか?
感情的に流されないで、合理的、理性的に判断して欲しい。
そして心から、涙ながらに願う。
幸せになって欲しい。

コメント

投稿者: kozmic

はじめまして、頭痛がひどいのでちょっとネットサーフィンしててたどり着きました。
めっちゃ共感します。っていうか、鋭く見ている真奈美さんと私の見方が一緒だなって思いメッセージ残すことにしました。
本当に私も同じように感じております。
私も目覚めてくれ!!って大きい声で叫びたいのだけど、もう一方の自分はこう言います「ビビっているんです。不安なんです。迷っているんです。解らないんです。」と
体は精神より今のところ強くて無理が効いてしまうのでしょうか?
私の場合はそうで、気付いた時には頭痛は胃腸の調子が悪くなっている。私はその程度で済んでいるけど大半の人は癌になったり取り返しがつかないんじゃない?ってところまで痛めつけていますよね。
本当に自愛してほしい!そこからじゃないと誰も救えないのに。
モドカシイ自分が居ます。
また拝見させてもらいます!

2012年01月25日 16:04

投稿者: まなみん

共感してくださってありがとうございます!
本当に、ね・・・

2012年01月25日 20:36

投稿者: 和寛

とても良い内容ですね。感心しました。
世界中の人々がこの様な価値観を持てば、とても良い世の中になるのは間違い無しですね(真理)。

2012年01月30日 16:01

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全ては愛のためだった

銃口に、微笑みながら花をさしていったフラワーチルドレンの話を聞いた。
愛こそが、愛だけが、世界を救う。
悲惨だからこそ、危機だからこそ、全てを透徹した愛の革命がじわじわと浸透している。

犯罪のエピソードを聞くたびに思う。
彼は彼女は、最愛の方に喜んでもらいたかったにちがいない。
故郷の親を喜ばせたかっただけだ。
がんばっていい仕事をしたかっただけなのに・・・
一生懸命にしてる間に少しだけ余裕がなくなって、他の人のことが見えてなかっただけなのだ。
ああ、何という悲劇。
どうかどうか、誰をも責めないで欲しい。
全ては優しい気持ちから発したことなのだ。
それを認めたら発狂してしまうくらいに繊細で恐い顔を見せつけることしかできない人を、
どうぞ責めないでください。
全ては優しい気持ちからやったことなのだから。

どのような凶悪犯罪にも、被害者も加害者も発見者も、糾弾する人も傍観者をも貫く痛みがある。私たちは一つなのだから当然だ。

どうか責めないで欲しい。
傷ついた魂は、愛の歌とお花で包み込んで欲しい。

コメント

投稿者: kozmic

犯罪者とかのかたを持つわけちがうけど
私も全く同じ意見です。
そして私の中のサイコパスなところももっと優しく包んで行こうと思います。

2012年01月25日 16:11

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究極の幸せが究極のパフォーマンスに繋がる理由


最高に幸せな人より少し不幸な人の方が成績が良かったりお金持ちだったりするというデータがある。この理由は、幸せすぎたら現状満足して何もする気がしなくなってのんびりするからじゃないかと、今まで説明して来た。
トルストイがあんな大作をたくさん書けたのは、悪妻だったからだと言う有名な話もある。確かに、家庭が楽しすぎたら仕事よりうちで団らんしたくなるに違いない。

しかし私はもう一度考えてみた。
なぜ幸せな人より少し不幸な人の方がパフォーマンスが良いのか。
はっきりわかったことがある。
それは,ほとんどの人が幸せというときに個人的な幸せに限定しているからに違いないということだ。ほとんどの人は家族の幸せとか自分の欲求が満足したときなどに幸せを感じるからだ。もちろんそれも素敵なことだ。しかしそれには少し限界もつくのだ。

究極の幸せを考えたときには、自分や自分たちのまわりだけの幸せで満足するはずがない。それは生きとし生けるもの全てを含み、未来の環境まで慮ったものになって行くはずである。
時空を超えた幸せ感を追求して行く時、時空を超えたサポートが得られる。
つまり、自分の幸せ追求が、全ての存在が生かされることを欲しているという宇宙の法則に従うから、全てが味方してくるのは当然のことなのだ。
反対するのは、自分だけ良ければ、今だけ良ければの発想からの勢力だから、そんなものはほおっていたら自滅する。戦ったり指摘したりする必要もない。相手にする時間とエネルギーは飛躍のために集中させればいいだけなんだ。

なんと言う単純。

究極の幸せは究極の最高パフォーマンスを保証する。
こんなにも当たり前のことなのに。

ファンタジーの機能と魂の自由

学生が、幻覚や幻想的なアイドルを扱う小説映画などをいろいろ紹介して、感動したという。では、この主人公にとってこの人物は現存したのか?信じていたのか?どっちなんだろう?という話になる。

サンタクロースやピーターパンのようなファンタジーは、実際にはいないとわかっていながら空想を楽しむものだと思うけど(いると信じてた?ごめん、そうかもね。)なぜ感動したり楽しかったりするかというと、心のどこかにそのようなイメージが誰にでもあるからではないだろうか。

解離性人格障害のように、空想の世界の住人になってしまう病理も知られているけれど、空想は心を整理したり納得させたりするために必要なものだ。小説や絵や音楽などの芸術作品としてそれを昇華することで、客観視して心の健康を保つという機能があるのだ。

色々な都市伝説もある。これが実際にあるのかないのか。
私は、どちらでもなく中間だと答えた。
あるひとにはあるしないひとにはない。それでよし。
ただ、それによって幸せに元気になるのはいいけど、脅されたり恐くなったり不幸になるのだったらやめたほがいい。
どちらにしても、心理学的現象とは、自分自身が見たり聞いたりすることで世界は成り立っているということなのだから。

天使が助けてくれた守られていると思うならそれでいい。
世界中が私に微笑んでいるとかんじるならそれでいい。
初冬のしっとりした空気がやさしく包み込んで守ってると思うならそれでいい。
全ての根源で柔らかな光が照らしていると安心するならそれでいい。

心理的現象を物理的に検証しても意味がない。
放射能に覆われ死の灰にまみれても、心の平安と魂の光は誰も否定することはできないのだ。

コメント

投稿者: 甲田烈

 納得。
 私は「妖怪」について,いつも「あるかないか」という実在のレヴェルでは「無い」と答え,「いるかいないか」という現象のレヴェルでは「いる」と答えています。不思議現象というものが,もしそれを通して世界とか自分そのものの不思議に気づくきっかけになるならばそれはよく,恐怖とか不安をもよおすだけならそれは不適切です。サンタクロースも天使も実在はしていません。けれども,「現象」しています。夢も希望もあると同時に身も蓋もない話です。笑

2011年11月17日 23:34

投稿者: まなみん

甲田様
おっしゃるとおり、明解ですね。

2011年12月14日 08:37

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あなたが得たものは何か?

皆,誤解してはいないか。
あるいは中途半端なのか。
捨去るべきなのに、どんどん抱え込んでいく。
モノも、仕事も、人間関係も、遊びも。
豊かさを求めていたはずなのに、どんどん貧しくなり、スケジュールに終われ、疲弊して行く。
そして気がついたら、人生もう終わりに近づいていることにはっとする。
そして問う。

わたしは一体何をして来たのか?

成し遂げた数々の業績,
それがなんだというのか。
それを成し遂げるために失った時間,喜び、愛する人との親密さなど。

私は一体何をして来たというのか?

おいしいもの,美しいものを求めて予約しまくり、
愛する人との出会いを求めて探索しまくり、
真実を求めて書物を読みあさり、
珍しいものを求め世界中を飛び回り、
時間の隙間にはネットサーフィンしまくり、

それで得られたものは一体なんだったのか?

疲れてかすんだ目と、ぼんやりした頭と、生気のない腕や痛む足腰か。
寿命を縮め、
若さと美貌を台無しにして、
健やかな心身と引き換えに
あなたはいったい何を得たというのか?

プロフィール

尾崎真奈美尾崎真奈美

東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。ペンシルバニア大学医学部精神科、東京大学医学部公衆衛生学研究室などを経て、現在相模女子大学人間心理学科准教授、米国サーチインスティチュート、スピリチュアリティ発達センター客員研究員。
インテグラル心理学・スピリチュアリティ論・芸術療法などを教えながら研究、ダンス、執筆活動を続け、科学と芸術の統合を試みる。
天使語同時通訳は日々のインスピレーションの書き散らしである。
国際生命情報科学会、日本トランスパーソナル学会理事。日本心身医学会、日本トランスパーソナル心理学・精神医学会、国際ポジティブ心理学会会員。

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