尾崎真奈美の天使語同時通訳します

本物の見分け方

骨董品などの鑑定をするときに、どうやって偽物と区別するかは非常に難しくて説明できない場合が多い。鑑識眼をどうやって養うか、それにはひたすら本物を観ることしかないといわれる。
偽物を見て、ここがこういう風に偽物なのだということは学ぶ必要がないのだ。
とにかく本物を数多く観ること、それによって初めて鑑識眼が養われる。

よいものを知っている人にはよいものでないものはすぐに見分けがつく。
よいものを知らない人にはよいものとそうでないものの見分けがつかない。
見たことがないものがわからないのは当然だ。
また、見慣れないものは目に留まらない。
注意も引かない。

本物で満たされた人生のために本物を見つめていきたいものだ。

コメント

投稿者: No Name

人も同じですね。

2010年03月13日 06:11

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ポジティブイリュージョンの効果

「現代のエスプリ」3月号はポジティブ心理学特集でした。私も「ポジティブ心理学とスピリチュアリティ」と題して大胆なモデルを書かせていただきました。

科学論文に感動するというのは,論理の整然とした美しさや洗練された理論ではよくあることです。が、そぎ落とされた禁欲的な表現の中に息づく研究者の世界観や信念にはっとしてうれしくなることがよくあります。ポジティブ心理学の研究論文にはそれがとても多いです。

ポジティブイリュージョンに関するものもその一つです。
例えば10のうち9ケースはうまく行かないと言う統計データがある時に、自分はうまく行く一つのケースになるに違いないと,エビデンスなく思い込むようなことをポジティブイリュージョンと言います。
現実を正しく認識するというのは心の健康の要素の一つであり,現実をゆがめてしまうのは病的であるとされていました。その中で,ポリアンナ症候群なんていわれるように,何でも感謝することやよいことを見つけて行くと言う態度に関しては賛否両論でした。現実認識しつつ感謝と言うのがよいとか,私もどこかで書いていたような気がします。

しかし,データは語ります。現実認識している人より非現実的に楽観的に物事を眺める人の方が病気が治って長生きしていると。これは不健康なのでしょうか?よく考えてみる必要があります。ポジティブイリュージョンのこのような効果は,もっと評価されてもいいのではないかと思います。

楽観主義について付け加えておくと,研究で明らかになっていることは、楽観主義者は悲観主義者より現実的であるということです。悲観主義の方は思考が偏り狭くなって可能性が見えなくなってしまう傾向があるようです。

シニカルなフランス人なんか,幸福な人間は何も考えていないおばかさんだみたいなことを言いますが,いいじゃないですか!
楽しくて幸せで健康になるのは,賢くて病気になってへこんでるよりいいと思うんですけどね・・・
それぞれの価値観でしょとか世界観でしょとか突っ込みがきそうですから、この辺でやめておきます。

一言、痛いのが好きな人は、マゾって病気の人以外いないでしょ?

コメント

投稿者: 鉄人

真奈美様 こんにちは。

初期仏教の世界では、現実認識は不可欠です。何故なら現実を認識することでしか「学び」は起きないと考えるからです。

ただし認識行為において、感情は入れません。客観的に認識するだけ。

この行為を実践している初期仏教の出家者は、極めて大らかで穏やかで明るい。その底抜けの笑顔は、他に例を見ません。何故か。

それは論理的な答えを見つけ、それを実践することで、納得しているからだと思われます。

また仏陀は「一切行苦」(すべてのものは苦しみである)と説いていますが、決して「
悲観論者」ではありません。

ただ「現実」はそうだ。と言っただけ。現実を認識する作業はなかなか厳しい作業です。感情を交えると辛いことも多い。だから客観的に現実を「観察」するということが
必要になると思います。

「現実」を観るのには勇気がいる。でもその勇気は、己の人格を向上させる為には不可欠な要素であると、鉄人は思っています。

2010年03月03日 15:13

投稿者: はまやらわ

現実認識と常識認識を混同し、
常識が間違っている場合、
現実を正しく眺めることは
できませんね。

常識ほど当てにならないものは
ありませんから。

2010年03月04日 08:28

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痛みさんありがとう!

痛いことっては誰だって嫌だと思うけど。

私だってだいきらいだ。
痛みが続くようなら、文字通り痛みのない世界に早く行きたいと願ってしまうほどだ。
素晴らしいのは、痛くないときがあるということ。
ああ,だからお産も耐えられるのよね。

そしてすべての痛みは、お産みたいな役割りがある。
何か新しいものが生み出されるような変化のときには、凄まじい痛みがともなうことがある。人間のすごいとことはその痛みまでも楽しみ感謝していけるようになることだ。

痛みの中にいると無駄なすべてのものがはぎ取られて行くのがよくわかる。
腰痛のとき,ファッショナブルな靴を脱ぎ捨ててぺったんこをはきたくなるだろうし,靴づれができたら裸足になりたくなる。気持ちがいいこと,生きるために必要な最終的に守らないといけないことだけが残ってくる。

最終的に残るもの・・・
それはすなわち,愛。
痛みの中で気がつかされる。
自分は今まで、なんてどうでもいいことばかりにエネルギーや時間を費やしてきたのだろうかと。

ここにいられるのは宇宙的に見たらほんの一瞬でしかない。
その限られた機会にできることは,愛しかないじゃないかと思う。
人に親切にすることも愛だし、世のために大きな運動をするのも愛だし、トイレ掃除をするのも愛だし、にっこりおはようというのも愛だ。
何もできないとき,寝たきりで皆にありがとうという気持ちでいること、これも愛だ。

自分の身体に対する愛をも忘れないようにしないといけない。
痛みはそれを警告してくれるありがたい役割りも持っている。

痛みがないと不調に気がつかないでポクリいっちゃいますよ。
痛いの,いやだけど感謝でしょ。

コメント

投稿者: Michel

まなみん先生、お久しぶりです。
ポジティブ、光明的、肯定的だと『痛みさん有難う』。
二年程前に先生がある雑誌に書評を書いた、タル・ベン・シャハーのHAPPIER(ハピアー)―「幸福も成功も手にするシークレット・メソッド」幸福の科学出版・・・今こんな事になっています。マイクロソフト社長、樋口泰行氏が『わが人生最高の10冊』でHAPPIERを第一位に。ケンウィルバーもさることながら、未来は☆明るい!!

2010年02月22日 10:49

投稿者: Michel

おはようございます。
先のリンク【教養の書棚】さん、勝手に使わせてもらいました。
まなみん先生、教養の書棚さん、失礼 よしなに・・・☆

2010年02月23日 07:04

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ありがとう普及委員会

面白い友人がこういうのを作った。
毎日何万回となく、ありがとうと言うそうだ。
そうすると心がポジティブに変化してきてうれしくて楽しくてしようがないそうだ。
あんまり楽しいからみんなにも教えたい普及しようということで、昨夜は都内で第一回の集まりがあった。

鏡の法則とか引き寄せの法則とか、いわゆるスピ系の人なら結構皆でありがたがっているものに対して、行き過ぎに対するクリティカルな警告を書いてきている私としては、大丈夫かなという思いがないこともない。

初めてこういう意識状態になった人は浮かれてしまうのはよくわかる。
ネガティブな人がポジティブになって幸せになって行くのは素晴らしいことだ。

でも、どんなによいことでもバランスが必要なのだ。
陰陽という思想はよくできていると思う。
熱いばかりではやけどしちゃうのだ。
冷やしてまたすすまないと。

ま,冷えきっている人にはとにかくありがとうの熱いシャワーって必要なのかもな。
熱くなりすぎた人へのコメントはまた今度にしよう。

こういう会を立ち上げてくださってありがとう。
私の役割りはそこ冷水をぶっかけることみたいに感じてるけど。笑

コメント

投稿者: NASA局長

冷水をぶっかけられると最初は冷たくてびっくりするけど、
後からなんだかポカポカあったかくなったりしますよ。

2010年02月13日 05:44

投稿者: 夕陽京やん

熱くなりすぎたら冷ます。
本当、そうですね。
バランス崩すと、大変なことになりますもんね。
でも、冷まし方が難しいですね。

2010年02月14日 06:41

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メディスンマン

通俗的に言うと、ヒーラーって言うのかなあ。

シャーマンの中でも、祈祷したりして病気を治したりすることを得意とする人たちのことをそう呼ぶそうだ。
怪しげな薬草を処方してみたり、変性意識状態でつぶやいたり踊ったり、なんていうイメージがあるかもしれない。

私は、ある研究者と普通に携帯電話で話しただけで痛みが消えた。
一回はあまりつらかったからそのとき痛みを訴えたけど、もう一回は痛いことを表明することもなかったのに、治ってしまっていた。
(ひどい虫歯を抜かれたのです。涙)
私が痛みを持ってるなんて想像もしなかったのではないかとおもうんだけど。
2回目の電話なんか、いたわりの言葉でもなく、感動的なうれしい話があったわけでもなく、ビジネスライクに淡々と話しただけなんだ。

痛いところに手を当ててもらったり、なでてもらったりして痛みが和らぐというのは日常的に経験するけれど、これには驚いてしまった。

ヒーリングって不思議な気がするけど、基本的には、その人のもっている自然治癒力を引き出して強化するようなものだとおもう。
それにはただ、大きな包容力というか見通す眼差しをもつ存在が必要なだけだとおもう。
それは細胞レベルまで伝わって物理的変化も引き起こすらしい。
面白いことにメディスンマン本人が意識してない場合にも起こるみたいだ。

これを愛っていうのかなあ。


いたいのいたいの、とんでけ~
って言うママはみな、メディスンマンです。
いや、メディスンウーマンかな。

願いさえ持たないようなところで人が癒されていくって、すごいなあ。
私はそういう力はないから、お空を見上げて祈ります。
痛みに苦しんでいる方に、安らぎを与えてください。
少しでも痛みが消えてゆったり休めますように・・・

コメント

投稿者: もぞこい

sahoさんへ

>目に見えるものが実在だと錯覚しているこの世の意識レベル

ちょっとラジカルな表現だと思います。眼に見えるものは現象ではないかという表現が妥当でしょう。

それでは科学や事実まで錯覚になってしまいます。

2010年02月10日 18:05

投稿者: saho

もぞこいさんへ

ご意見ありがとうございました。

2010年02月10日 19:10

投稿者: saho

真奈美様

追記で恐縮ですが、この世が戦争や病気のない世界になれたら本当に素晴らしいのになと誠に感じている日々です。皆が平和な心で生きていられたら、健康に関するサービスも滞りなくスムーズに流れ、基本的人権を尊重する必要もきっとないのかもしれませんね。

真奈美さんのコメントを再度読み直して、そうつくずく感じました。

意見の相違や観念の違いなど様々な葛藤や自己存在への主張がありますが、「和して同ぜず・・・」で、思いやりと理解力のある人間社会になれたらと感じています。

そのためにも意識変換が大切なんだなぁ・・・と痛感しています。そういった気づきや、学びの中で、だんだん目に見える世界と、見えない世界とのバランスをとることが可能になってくるのではないだろうか?と個人的には感じています。

目に見えるものだけが真実、実在だと決めつける概念では越えられないものがあるのだろうなと感じます。

ヒーリングはそのとても良い例なのかもなと思っていたりします。
ですが、こればかりでもどうにもならない部分もあったりしたりしますので、やはりバランスが大切なんでしょうね(^^)

連投お許しくださいませ

2010年02月10日 19:56

投稿者: まなみん

さほさんありがとうございます。

ほんと、バランスですね。
見えないものばかりだと、隠遁しちゃいそうになりますよね。
みんなが隠遁したらまずいですよね。
誰かがお米作らないといけないし、誰かが子供を育てないといけないし。

2010年02月11日 08:08

投稿者: 権の助

相手の研究者が霊媒体質だったとか。

2010年02月19日 20:20

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プロフィール

尾崎真奈美尾崎真奈美

東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。ペンシルバニア大学医学部精神科、東京大学医学部公衆衛生学研究室などを経て、現在相模女子大学人間心理学科准教授、米国サーチインスティチュート、スピリチュアリティ発達センター客員研究員。
インテグラル心理学・スピリチュアリティ論・芸術療法などを教えながら研究、ダンス、執筆活動を続け、科学と芸術の統合を試みる。
天使語同時通訳は日々のインスピレーションの書き散らしである。
日本トランスパーソナル学会理事。日本心身医学会、日本トランスパーソナル心理学・精神医学会、国際生命情報科学会、国際ポジティブ心理学会会員。

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