
今日はハローウインですね。
アメリカにいたときに、大学に行く途中で信じられないような格好をして通勤してる人たちがいっぱいいてびっくりしました。研究室に行ったら、秘書さんがいきなり全身ハローウインしてたし、一日中その格好で仕事してたんで、なんだ、仮装は朝からしてくればよかった・・・と思ったりもしましたが、ちょっと日本では考えられないでしょ?
それとも、今ではそういう楽しい会社もあるのかな。
デジパは?やってたりして・・・
仮装やお菓子はまなみんも大好きですけれど、これをキリスト教の行事だと思うととんでもないですよ。
敬虔なクリスチャンは、悪魔の日なんて恐れてる人もあるくらいです。
クリスマスもイースターも、厳密に言えばキリスト教の行事ではなく、太陽神信仰から来た土着の信仰行事です。
どんな宗教もそうだと思うけれど、本質的な教えと、それが広まる過程でくっついていった素朴な迷信や信仰があります。
キリスト教の愛の本質は、無条件の愛、いい子にしてたから救われる(お菓子やプレゼントがもらえる)というのではなくて、ありのまま、そのままで救われている(愛されている!)というメッセージですから。
クリスマスもハローウインも日本では単なるお祭り行事ですけどね。
お祭りはお祭りで楽しくはじけたらいいと、楽しいこと大好きなまなみんは思います。
きまじめだったころは、クリスマスというと、ご馳走やプレゼントから一番遠いところにいる人たちのところへ奉仕に、華美なことはしないで・・・という過ごし方をしていました。
今は単純に、自分流に、どんな行事や記念日も、大好きな人たちに、大好きって伝えるいい機会だからと楽しんでいます。
まなみんが一番好きなのは、今月末のサンクスギヴィングです。
すべてに感謝してお祝いをする日、毎年感動的です。
今日は体調が優れないからきっと寝て過ごします。
皆様も、お化けに襲われないように気をつけて。
おいしいお菓子用意しててくださいね。
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音声ブログ・天使語同時通訳
毎朝更新しています
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研究会というと、どうも男性が多く集まります。
ワークショップだとむしろ女性も多いんですけれどね。
まなみん主宰の研究会もそうです。女性性と男性性の統合はいかにして可能になるか、それが癒しの原点だというわけですが、言葉で説明すること自体とても男性的なことですよね。統合という言葉を使った時点ですでに男性的なものに還元するという姿勢になってしまうわけです。
そこでユングは、言葉を使わないでシンボルを使うという手法をとったようです。そこでなるほど・・・シンボル化・・・と理解したあなたは、でも、シンボルと言う言葉を使って理解してるわけですよね。
なんて考えていたら、もう、何がなんだかわからなくなってしまいます。哲学は苦手なまなみんなので、ようするにい、統合なんてありえないんだと、対立したままの合体だと。それもありえないんだ、つまり反転だと。まあいろいろな言い方もできますが、それだって全部言葉での理解です。何をいっても、言葉です。
言葉で説明して明確に意識化していくこと、これが研究会での理解です。
さすがにうちのメンバーは超越している方たちが多く、実践のワークショップ、からだのスピリチュアリティーもとりいれないと・・・
ということで出てきたのが、フリーハグ!!
「いいですね!」
「やりましょう!」
「あぶないとおもわれないかな~」
「ま、警察に捕まるってことはないでしょうね」
「いや、誤解を受けることはやめたほうが・・・」
「スピリチュアリティー研究会って名前だけでアヤシイのに」
などいろんな会話の中で、奥ゆかしく静かに聴いていらした紳士1名
「その、フリーハグって、いったいなんですか?」
「あ、これですよ、やってみていいですか?幸せな気分になりますよ」
といって、いきなり、ぎゅーってはぐしてしまったまなみんでした。
「ほら、うれしいきもちになったでしょ?」
と、うれしい気持ちになったまなみんはたずねてフィードバックを待ちました。
「・・・・」
ずいぶんしばらくたってから、ボソッと
「誤解してしまいそうですよ・・・」
笑
ああ、奥ゆかしい日本人
どうしよどうしよ・・・
12月の研究会で、フリーハグするにはするのですが、研究会内部だけにしたほうが無難じゃないかとの意見が優勢です。
うううううん、いつかきっと、渋谷でやってやる!
マズローの主張している自己実現を誤解してる人がとても多いと思います。
日本人は昔、人様に迷惑をかけるなというような、自己をなくす方向で、自分のやりたいことを我慢していく方向で教えられてきたから、「やりたいことをやれ!」というアメリカ流の主張にはまだなじまない人がいることでしょう。
やりたいことをやってたら、世界はどうなってしまうのだというわけです。
確かにみんながわがままの自己主張を始めては、いたるところでぶつかって戦争が始まってしまうかもしれません。
だから我慢して譲り合うようにという精神が美しく平和を保つために必要だというわけですね。
日本人魂は、最近アメリカ流自己実現におされ気味です。
私自身はなぜかアメリカ流のほうがぴんと来るので、いえいえ、マズローさんのおっしゃってることはそういうことではないですよ。自分自身を実現するということは、相手や社会や地球や宇宙の進化に貢献するような方向で現われてくるものですからと、擁護しています。
でも、喜びあふれて元気になって活動量が増すと、この食糧難の世界で、食べる量も増えるし、人口密集の中でますます一人当たりの水、空気などの資源が少なくなっていくし、地球にとっては大迷惑なことだ、地球に優しくなんて、二酸化炭素を出さないように、ごみを減らすようになんて考えていたら、自分をなくして死ぬことしかなくなる・・・
日本的に、我慢して譲り合って、自分を小さくしていくことが地球には優しいことです。
喜んで元気になって地球が滅んだらどうするんですか!
おおお・・・ちょっとペシミスティックな師匠の主張にまなみんしばし絶句してしまいました。
確かにおっしゃるとおりなんです。
倫理的に突き詰めて、暗くなってしまい本当に命を絶つ方だってありそうです。
リアリスティックに捕らえると、確かにそのとおりかもしれないと思いました。
人口を減らすことは、地環環境に確かに必要なことのように思えます。
どうしよう・・・
電車が苦手でマイカーでどこでも行くまなみんとしては、いたいところをつかれたというわけです。
これ以上脂肪を増やす必要はないのに、いえ、むしろ減らすべきなのに、喜んで今日もおいしいケーキを食べに行きます。そして無駄に自分の体にも地球にも負担をかけている・・・
OH,NO!!
突き詰めると、本当に深刻になっていきます。電気も使えないとか、最小限の水空気・・・踊りもするな、じっと座って瞑想してるほうがいいですよね。呼吸もゆっくりにして酸素消費量も減らして・・・
ねえ、皆さんはどう思いますか?
音声メッセージもどうぞね。
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これは実はすごくつながっているんですが、こういうことを書いていると、時々変な誤解が生じてアヤシクアブナイ世界に行ってしまう人もいるから要注意です。
だからあまり触れないように避けてきたのですけれど、今回出版された「魂の恋愛」には結構大胆に書きました。どうしても避けて通れない話題だからです。
でもね~
ちょっと気になるのはね~
自分の体験から書いてるでしょ!って思われちゃうんだな~
そんな~~~~
恥ずかしすぎるじゃないですか・・・
まだ王子様募集中の乙女ですよ!!
いやん。
(こういうのがぶりっこっていうのか。爆笑)
皆様、超お勧めの、いい女になるため本「魂の恋愛」KKベストセラーズからです。よろしく。
音声ブログも、世界中どこにいても、毎朝更新していま~す。
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世の中には、すべての事を楽しむ人とすべてのことを苦しむ人の2種類がいる。
なぜか、苦しむ人のほうが多い。
カウンセラーしてるからそう思うのかな?
どちらが正しいかは知らない。
でも、どちらが幸せかはわかる。
この2種類の人間は、お互いに、なぜそうなっているのか理解できない。
自然に、息するように当たり前に、楽しむか、苦しむか、になってしまっているからだ。
まなみん、ほんとうに・・・
困ってるよ。
どうしたらわかってもらえるのか、こんなに世の中面白くって、人生楽しくって、おかしなことだらけだってこと。
ストレスがあったときに一番悪いのはそのことを認めないで、ないフリをすることです。否認という対処行動が知られていますけど、日本人はすごく多いですね。それについて話そうとしたら、話すことによってまるでそのことが実現してしまうみたいな、変な言霊信仰があったりして・・・問題に圧倒されてるのね。
でも、否認というストレスcopingと鬱状態との関連がデータから明らかになっています。
きついとか、ストレスがあるってことを、心でというか頭でというかきちんと認めないと、実は体に表現されてしまいます。つまり病は気からですね。
でも、じゃ、どうしたらいいのか。
きちんとみとめるって言うには頭と心の両方でしっかり受け止めるってことを意味します。
頭で冷静に現状分析して整理し、とるべき行動をしっかりと行うという勇気ある態度が、実は一番気持ち的にもやってみたら落ち着きます。男の人のほうが得意かもしれませんね。
大変なことがあったときに、泣くとか感情に浸るということはいけないことのように思われてるかもしれませんけれど、それも必要なことで、感情を押さえつけるとガンになりやすいことが知られています。
泣いていいのよ~
問題はいつまでも浸っていて何もしないってことです。それはやっぱり問題解決にならないかもね。もちろん行動して解決しない問題、たとえば大切な方との別れ(死)みたいなことだと、どうしたって元通りにならないわけで、それを嘆いても仕方がないと、まあ、そうかもしれません。
でも、悲しみをしっかり受け止めないと、それこそ感情がなくなってしまう、アレキシサイミアという病気になったり、あとになって抑えていた情緒的なものがコントロールできない形でいろんな心身の症状として出てきます。
だから、グリーフケアーってとても大切なことだといわれています。
忘れようとするんじゃなくって、思いに浸ることの大切さです。
感情をしっかり受け止めてこそ、適切な行動が取れるのだと思います。受け止め切れない人はつい、感情をなくしてロボットのように対処しようとしがちです。無意識的にそういうメカニズムが働くこともあります。そうすると、大変なことが起きてるけど、自分にじゃない!って、解離や多重人格が起きてしまうこともあります。
受け止めきれないストレスなんか決してありません。
人生の大変さって、人生を面白くするためにあるようなものだってことが、きっと、味わい尽くしたら感じられるようになっていくでしょうね。
味わいつくすなんて・・悟ったようなことを言ってますが、要するに、自分のこと客観的に見たらいいってことなんですよ。
どんな悲惨なことも、こっけいな面ってあることに絶対気がつきます。
アウシュビッツにいたときにフランクルがそういってるんだから、本当だと思いませんか?
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人生の価値は、どうやってはかられると思いますか?
どれだけたくさんのことを達成して、どれだけたくさんの人によい影響を及ぼしてきたか。
でしょうか。
ガンジーやマザーテレサや、そのほかの偉大な方の人生に触れるときに、感動します。
あ、本当に、何かこうやって、人類の幸せや発展に貢献できたら・・・
過ぎ去っていくことにかかわってあくせくしている人たちに、いつまでも残るただひとつのものを何とか伝えなければ・・・
そういう思いから、寝る間を惜しんで執筆や講演や、自己鍛錬の修行に励んでおられる方々がいます。
私の印象なのですが、そういう方たち、人前ではすごく立派で生き生きしていて魅力的で、確かによい仕事をしているのですけれど、その方自身は幸せなのかしら・・・
ちょっと気になることがあります。
よいお仕事をして公的な時間が多くなると、プライベートな時間がぎりぎりまで削られていきます。
たとえば、家族や恋人と過ごす時間が分刻みになってしまったり、重要な仕事が控えていたら、そのことが気になって、ぽけ~っと意味のない時間を過ごすことが耐えられないんじゃないかって思います。
ああ、こうやって何もしないでそら見てる時間があったら、あの原稿が仕上げられるのに・・・というわけです。あるいは睡眠をぎりぎりまで削っている方は、ゆっくりしようとと思ったらもう、瞬間的に寝てしまっていたり・・・
おつかれさま~
まなみんも人のこといえないくらい忙しくあれこれ手を出してますけれど。
でも、だからこそ、思うことがあります。
それは、自分が幸せでなければ、周りの人が幸せになるわけがない、幸せのメッセージなんて伝えられるわけないし、人が癒されることもないってことなんです。
仕事をしないで引きこもって自分の楽しみに浸る時間は、自己中ではなく、本当に必要なことだと思います。いい仕事をするためには絶対に必要です。
だから、がんばるとか努力ではなくて、どれだけ楽しんでいるか、それで人生の価値が測られると思うのです。
なぜか?
それは私もあなたも分けられないからです。
私がきついときは、あなたもきつい。
私が楽しいとき、あなたも楽しいからです。
音声メッセージも、どうぞ。
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まなみんの新刊本「魂の恋愛」著者献本が出版社さんから送られてきました!
うれしくってうれしくって・・・
で、このクイズ当選者には、まなみんのサイン入り初版本を贈呈いたしま~す。
○○それは甘く
○○それは深く
○○それははかなく
○○それはせつなく
○○・・・○○・・・○○・・・!!
ああ○○あればこそ、生きる喜び
ああ○○あればこそ、世界はひとつ
ああ○○ゆえに、人は美し
○○には何が入るでしょう?
スピリチュアリティーとか悟りとか救いって話になると、自分で努力してつかむ、達成するというあり方と、向こうからの働きにゆだねる、自己を明け渡してゆだねるという双方向がある。
どちらがいい、悪いはなく、やっぱり両方が必要なんだろうけれど、どちらか一方を強調するとやはりゆがむ。
ケンなんか完全に男性的で毎日瞑想し修行していく方向だ。それに対して子供のスピリチュアリティーを主張しているアームストロングさんなんかは明け渡す方向が強いかも。こういうのは女性に多いようだ。自然でゆったりして喜びに満ち溢れていて心地よい。何しろ何もしなくていいんだ。悪人だからこそ救われる、みたいな。
ゆだねるということ。
自我の働き、意志を放棄して任せるということ。
これは極限まで自由意志による選択を試みたきわみに起こることだ。
はじめから任せるって、何に任せるというのだ?
自我の放棄は妄信につながる。
人やものや特定の動物や対象といった限りあるものを神格化していく態度は恐ろしい。
特に人を神にしてしまった場合、中心人物の自我肥大を伴って破滅的な様相をたどってしまう。
なぜみんな目に見えるものや人に頼るのだろう。
しるしが欲しいのだろう?
奇跡の業が欲しいのだろう?
そういった本質でないものに惑わされた現象は、あまりにも浅薄で悲しい。
神秘的な治癒?それがどうしたというのだ。
悪魔だって簡単にできること、利用してだますことを知らないのか。
病気や痛みから解放されたいというのは、人の持つ当然の願いかも。
信じるものは救われる?
小児ガンで逝く子供たちは信仰が足りなかったからなのか!
病気が治ってまた同じ悪事をはたらいて、金や権威やこの世での達成にあくせくして、執着して、肉体が生きながらえてどのような価値があるというのか!
何にゆだねていくか、究極の意志の前に幾層もの欺瞞が、わなが待ち受けている。
知性を、理性を、科学的根拠と客観的態度を放棄しないで欲しい。
自由意志の使い方を、どうぞ誤らないで欲しい。
コーアンなんか、だいっきらいなのに・・・
すべては夢にしか過ぎなくて、永遠の孤独の中に一人取り残されている・・・
と、同時に・・・
今、ここに生きていて、すべてがつながっている・・・
パラドックスが同時に存在している。
わかるように説明してって言われても、日本語にできない。
英語やフランス語にもできない。
天使語とはそういうものだ。
ごめんなさい。
すごい!!!!
これこそがホンモノのセラピーだよ。これ以外ありえない!!
みんな考えを変えないと!
http://www.mypress.jp/v1/i/story.php?writer_id=jj00&story_id=90608
これ、アンナ世界中の人に発信したいです。
そのとおりだから。
確信しています。
事実だから。
本当にそのとおりだから。
実際にしてみたらすぐに効果がわかります。
難しいセラピー理論も何もいらないの。
本当に、真実はシンプルなの。
さんちゃん教えてくれてありがとう。
感激してます。
スピリチュアリテイーにかかわっていると、なぜかアヤシイことを肯定していると思われ、アヤシイ人たちからコンタクトがあり、アヤシイ人だと思われる。
自分ではちっともアヤシイと思ってないのだけれど・・・
そこがアヤシイんだって?
そっか・・・
ふうううううううううむ
よくわからない。
まなみんはどちらかというと、懐疑主義なんだけど。
トラパ仲間(トランスパーソナル学をやってる人たち)でも、きっと、みんな優しいから口に出してはっきり言わないけど、きっと、こちこちの要素還元主義だと思われているにちがいない。
最近わかってきたことがある。
まなみんは非常に西洋的キリスト教的な考え方をするということだ。
単に理科系的で科学主義というだけではない。
理科系にだって、ファンタジーはあるし、理論物理学なんて最近はほとんど夢の世界にいってような気がするんだけど。
文学は非常に主観的な世界だから、ストーリー性ということで、そのすばらしさを否定しないけど、みんなあの世界が文字どおりの現実だとは思ってないだろう。
で、日本人は、禅の公案みたいな、わけがわからないことを、重んじる。
で、答えが出なくても平気だし、答えを出そうとしてはいけないとまで言われたこともある。
そう簡単に表面的理解で満足するな、とか切り捨ててしまうのは本質を見失うという主張なのだろう。
それに対してすごく居心地が悪くて、気持ち悪くて落ち着かないのが、まなみんなのだ。
だからといって決してこれが真実だと主張しているわけではない。
ただ、今の時点でこの説明はわかりやすくない?という提案をしているに過ぎない。
すっきりはっきり好ききなのです。
こういうとこ、非常に男性的かもしれない。
よく、外見と声にだまされたといわれるけど。
アヤシイこと、実は苦手です。
拒否的な態度は科学的ではないとわかっているけど、あまり議論はしたくないです。
自分が見たもの聞いたもの、経験したものは、できるだけそのまま受け止めるようにしてはいるけれど、それの科学的証明は、もう疲れたしそういうことに時間やエネルギーを使うよりもっとやることがあるような気がしてます。
ようするに、みんな楽しく幸せに、喜んで生きていきたいですよね。
それだけでしょ?
どうしたらそうなるかを考えて、実践していったらいいんじゃないかって思いませんか?
そうしたら、やっぱり、さあ、早寝早起きしておそうじして、運動しよ!に落ち着くんだな~
その合間にちょこっとお空眺めるとか、ね。
アンナB:えええええん、もうやだ~さびしいよ・・・一緒にいて。ハグして。
アンナA:そういうときには、ほら、空を見つめてごらん。
きょうも高い高い空にことりがさえずってるから。
魂はいつも一緒よ。
アンナC:そうね・・・
思考が感情をコントロールしていくことでうまく適応できるから。
アンナB:そんなこと知ってるよ!
でも、どうしたらいいのよ。
もう、やってるし・・・目いっぱいだよ!
アンナA:そうね・・・ホント、よくやってるわよね
なにもできなくてごめんね・・・
アンナC:ちょっと感情的になりすぎかも。
そういう時はほら論文書いたりしてごらん、気持ちも整理されると思うけど。
アンナB:だからなんだっていうのよ。
わかってるもん。
だからずっとそうやってきたじゃないの!
アンナA:うんうん、わかってるのよね。
たいていのときはそれでうまく対処してきてるものね。
でも、つらいときはあるよね・・・
アンナB:ええええええええええええん
もうやだやだやだやだ
アンナ本当はまだ5歳なのに、みんな誤解してるし・・・
アンナC:そういう不安で心細い部分誰でもあるよね。
抱きしめて、適応していくにはこうやって、少し表現してみるっていうのもいいよね。
アンナA:だいじょうぶよアンナちゃん、あなたの周りにはほら光がきらきら満ちてるじゃない・・・
あなたが気がつかない時だって、いつもいつもこうしているじゃないの、ね。
アンナB:アンナが仕事するの、逃避だって言うんだよ~
あそびだっつうのに!
アンナC:確かに夢中になってしまう楽しさは遊びっていえるかもね。
でも、そうやって夢中になることで、確かに現実的な悩みは考えなくてすむよね。
アンナA:偉大な仕事を成し遂げた人って、結構そういうものを抱えていた人が多いようね。
現実世界の矛盾を何とかしなきゃって・・・
でも、心の中は深い孤独があったことでしょうね・・・
アンナB:別に偉大な仕事なんかしたいと思ってないよ。
抱っこして欲しいの!!
それだけなの・・・
アンナC:そうは言ってもなかなか厳しいよね現実は。
ハグすると誤解されたり、やっかいなことがおきたりしがちだしね。
心って移ろいやすいし、感覚的なものってそのときだけだからね。
アンナB:わかってるよ、だから困ってるんジャン。
アンナ、ハグしたらもう泣いちゃうもん。
そしたら絶対誤解されるし・・・自分でも分けわかんなくなるし・・・
アンナA:そうね・・・よくわかってるのね・・・
目を閉じて、ゆっくり深呼吸してみて・・・
ほら、暖かい手がアンナちゃんをぎゅっとだきしめてるの、わかる?
そう、そうなのよ。
実際にできることはこのくらいしかないの。
だって、時空を超えてるから、ここに現れてしまったら、限定されてしまうでしょ。
アンナC:うん、それに感情は一時的なものだからね。
そのままそおっと流れるのに任せていたらいいのよ。
抵抗したり否定したりしたら、こんな風に反乱になっちゃうからね。
アンナB:だからなんだっていうのよ、いいじゃない。
一時的なものだけど、それが永遠に通じるっていつも言ってるくせに。
もう知らない。Cちゃんなんか、勝手に理屈こねてたらいいんだよ。
都合がいいようにやってるだけじゃん、もう・・・
アンナA:そうやって目いっぱい適応の努力してるのよね。
りっぱだわ。でも、誤解されてしまうみたいでかわいそうね。
恋なんかできっこないものね・・・あなた立派過ぎるのよ。
アンナB:立派じゃないよ、ホント、この中で一番馬鹿だよ!
全部理屈でおさめようとしてさ、できっこないのに。
全然わかってないくせに無理やりこじつけるんだ。
アンナC:そういってしまったらおしまいよ。わかってるんだから。
それでも、それなりの意味はあるんじゃないかって自負してるんだけどな。
アンナA:いろいろはなせてよかったわね。
アンナC:そうね、客観的に捕らえることで問題が見えてきて解決する糸口になること多いよね。
アンナB:何が解決したって?
えええええええええええん
だからさ~
いいこいいこして~
ちゅ~して~
アンナC:いいこ、いいこ。よしよし・・・
アンナA:ぎゅっ(ハグ)げんきになった?
アンナB:えへへへへ
アンナC:これもまた一時的なものだけど、こうやって繰り返していくしかないのかな。
とりあえずは今日一日、何とかやっていこうか、ね。
アンナB:うん
いろいろな出来事や出会いにはすべて意味がある、とよく言われる。
辛い病気や困難にも意味があると。
そしてその意味を見出すことによって、人は生きていけるというのがフランクルのいう「意味への意志」かもしれない。
意味というものは、もちろんその集団にとって、あるいは宇宙全体の中での意味というものもあるだろうけれど、ほとんどの場合個人的なものである。
自分にとっての意味とは、自分がどのように捕らえるか、という完全に主観的なものである。ストーリーと呼ばれるものである。どのような出来事に対してもポジティブに捕らえ、成長につながるように作用していくストーリーは確かに望ましいことであるが、時に客観的事実から遊離していることがある。
オプティミストの現実認識は客観的事実に基づいていない。つまり統計学的な真実を無視したところから来ているという報告があった。
そのような態度が、果たして今ここで生きていくという誠実な態度といえるのだろうか。
シンクロニシティーやセレンディピティーといわれる現象を、喜んで生かしていけたら確かにすばらしい。しかし、警告しておきたいのは、そのようなものを意識しすぎて、すべての現象に対してそのような捉え方をしてしまう危険性である。
本人は喜びに満ちていてもそれはウイルバーのいうプレパーソナルな段階に過ぎない。
断っておくが、私はプレパーソナルの段階はよくないから修行してトランスパーソナルになるべきであるとも思っていない。ないものねだりではなく、ありのままを感謝して喜ぶ 方が世界平和に貢献しないだろうか?プレでも、トランスでも、健全な状態もそうでない状態もあるのだから。
自我による努力は、かなしいけれど、どこか自己中心的になりがちである。スピリチュアリティーを目指す修行、これは宗教的なものも含めて非常に危険なものが多いという感覚がある。
自分自身の体験から来ているのかもしれない。
私自身はことさらとにかく触れないようにしてきた。
にもかかわらずあちらからやってくるのがスピリチュアリティーというものだ。
自我状態を健全に保っておく努力をしないと、本当に危険だ。
スピリチュアルな経験をどう意味づけていくか、どのようなメッセージと捕らえるか、個人的な体験であるから主観的になるのは避けられないけれど、そして主観がよくないというわけでもないのだけれど、今ここでの生活を失うほどわれを忘れることがないように、気をつけていく必要がある。
つまり、聖なる体験を今この地上でどのように位置づけていくか。
他者の視点を取り入れることによって、現実的で淡々とした生き方が可能となってくるのだ。
ウイルバーの右象限的に捕らえると、意味など存在しないのである。そういう還元主義的なものの見方はよくないとされるが、客観的に科学的に現象を捉えることは、意味ある経験を深めていくことに貢献していくことであって、対立するようなものではない。
インテグラルアプローチとはそういうことではないかと思う。
意味がない物理現象として観察できる目をも、同時に持つことができるということ。
すべてのことに意味はある。
しかし、すべてのことに意味などないのだ。
ユングは、統合という言葉を使わないで結合といったらしい。
その心は、概念的・論理的なものではなくイメージとしてしかとらえられないものだから、だと説明されたけど、もとはおなじく、インテグラルじゃなかったっけ?
翻訳は苦労します・・・
この前の研究会で出た議論の続き書いておきますね。
http://milky-cafe.com/spirituality/
アンナちゃん、まじめに語る:
講演会では少し議論が散乱してしまいましたが、ここでもう一度スピリチュアリティーとの関連について文献的な補足をしておきます。
1.錬金術
王と王妃の合体というユングの書物にあったイラストを覚えておられますか。男性と女性の結合によって、新しい人格が生まれてくるという象徴ですよね。
2.チベット密教
明王・明妃の合体のイラストご存知ですか?菩薩の瞑想努力目標だそうですが、まさに男女の交合そのものです。
スピリチュアルな成長は、女性性と男性性の統合、あるいは結合によるという視点はさまざまな宗教的象徴として普遍的に現われているようです。
アガペー=意志=青=男性性=理性=左脳=論理=科学
エロス=喜び=赤=女性性=情緒=右脳=感性=芸術
を結ぶものは、
気づき=緑=両性具有=直観=帯状回?=スピリチュアリティー研究
研究会では、エロスとアガペーの結婚というテーマで、女性性と男性性の結合の意味を、スピリチュアルな成長と癒しであるという話をしました。
よく言われるのは、男性性はロゴス理性としてきりはなし、女性性は、エロス感性としてつないでいく。
このことの誤りに気がつきました。エロスはつなぐのではなく、溶かすのです。それだけではシャドーの餌食となってしまいます。男性性があってこその女性性です。
女性性には愛や抱擁での一体のイメージがありますが、イブは誘惑者です。アダムにりんごを食べさせたのはイブであったことをお忘れなく。
シャドーに寛容な日本文化に、西洋人が惹かれるのもわかるけれど、健全なバランスが必要だとも思います。
ぎりぎりまで対立したものをそのままで結合させるところに最大のエネルギーのスパークが起こる・・・輝きわたるのでしょうね。
対立やジレンマ万歳!っていいたいですね。
でも、対立そのままでは崩壊してしくから・・・むずかしい~
このこと、緊急にどうしても言っておかなければ・・・
本当にたくさんの人たちがだまされています!
ホンモノ天使は、皆さんがお好きな、いわゆるエンジェルっぽい顔や雰囲気で、幸せな気持ちにしてくれる・・・金色の巻き毛で、羽がついてて・・・じゃないんです!!
そういうの、見た感じや雰囲気だったら、ルシファーちゃん最高にきれいだから・・・
そういうものじゃないの。
メッセージも美しいけど。
世界平和と愛のために・・・・って。
疑うことを知らない純粋な人たちや、感覚的に美しいものが好きな人たちが、表面的な美しさにつられてついていってしまう・・・
ちがうのよ、ちがうのよ。
そうやって見分けるのではないのよ。
見えないものを見なければ。
聞こえないものを聴かなければ。
甘い誘惑って言うでしょ。
天使の顔をした悪魔って言うでしょ。
で、言ってることのほとんどは正しいのよ。
でも、そこが巧妙なのよ。
ほとんどは正しい、でも、ひとつだけ間違っていたら・・・
それで思っていた方向とぜんぜん違うとこに行ってしまうことがあるのだから。
いい気持ちにさせて、この世なんかほおってあっちに行きましょうって・・・
だめだめだめだめ・・・
もしそういう感じになるとしたら・・・ニセモノだからね!
スピリチュアルイマージェンシーとか、いろんなスピリチュアルな病気が知られてるけど・・・
病気はどれもそうだけど、違うよ、だめだよ、そのままだと危ないよ!て言う、警告なんだから・・・
こうやって天使とお話できるようになる・・・とか見えるようになるんだ・・・なんて喜ばないで。
自分からそういうのを目指してドラッグしたり、寝なかったり食べなかったり、息しないようにしたりめちゃくちゃ速い息したりして、かわいそうな体をこれ以上いじめないで。
健全な体に健全なスピリットが宿るって言うでしょ。
そのとおりなんだから。
心も体もすこやかでありますように・・・
社会的にもお仕事きちんとして生産的に貢献していますように・・・
もし、自分の気持ちがよくなっても、仕事や社交がうまくいかなくなったりしてたら・・・
それは違うから・・・
天使とお話してるつもりで、ぜんぜん違うものと話してる危険が大です。
ああ本当にうまいんです。
ニセモノがすごく多くて・・・
だから、どうぞ気をつけて・・・
見えるとこと見えないとこと同時に両方あるんだから・・・
どっちか一方だけうまくいってるというのはすごく変だから。
もちろん、ニセモノがこんなに多いから、ホンモノが本当のことを言うと理解してもらえなかったりする。
厳しかったりするから、聴きたくないこといったりするから・・・
本当のことは、そう、そうなの・・・
人を見ないで欲しいの、惑わされるから。
人は間違いを犯すから。
自分の目で、しっかりと、直接、ホンモノを見据えて欲しいの。
雰囲気じゃないの。
金色の巻き毛じゃないの。
羽じゃないの。
高価で手に入らないものじゃないの。
いま、ここに、すべての人に与えられている、さわやかな空気と太陽の光。
そして朝もや!虹!オーロラ!
道端の小さなお花。川。
自然の中にいって、ホンモノを見つけてください。
ネットや、印刷物には間違いがいっぱい・・・
もう、悲しくなるくらい。
朝日にごあいさつしてきて・・・
パソコンには、ホンモノと偽者が両方たくさん入ってるから・・・
疲れたら、スイッチ切って、お空を見上げてね。
必ずいるからそこに。
感動を言葉で表すのは本当に難しい。
だから、今日の演奏会、どんなによかったか、なんて言ったらいいのかわからないんだけど。
演奏が終わった瞬間に、ホールにみなぎっている透明できらきらした、それでいて静かで暖かい波動のような聞こえない音が・・・、これだったんだ・・・
聞こえない音が聞こえる。
天使の歌声は聴覚刺激として確かに聞こえるんだけど。
もっと次元の高いものは、聴覚刺激を超えてるんだね。
誰かが、ほとんどの音楽は悲しいと書いてた。
そう感じるのはその方の心がそのような状態だからなんだろうね・・・
このきらきらした光のシャワーのような音の中でも、レインボーの音が重なって深く暖かくなっている中でも、闇を見ようとしたら見える。
同じように、闇の中に真っ暗闇の中にだって、光は見えるんだよ。
どっちを選択するかはあなたしだいだ。
ルシファーちゃんは、天使仲間の中でも一番賢くて一番美しくて、それはそれは神様のお気に入りで、何でもまかされていたのよ。
本当にみんなの憧れだったの。
でもね、あんまり賢いからね、神様のお言いつけを聞くより、自分でいろいろ考えて何でもできると思い始めたのね。で、自分でいいと思うことをどんどんやり始めちゃったのね。
そうしたらどんどんうまくいくから、自分が神様なんじゃないかって思い始めちゃったのよ。
神様は、ルシファーちゃんのこと、すごく好きだったから何も言わないで見ていらしたんだけど、ルシファーちゃんがなんと神様なんかいらない・・・みたいにかんがえはじめちゃって・・・それで、神様とっても悲しくて、仕方なく、涙で目をいっぱいにして、ルシファーちゃんを地上に落とされてしまったの。
みんな、すごく悲しかったのよ。
どうしてあんないい子が・・・って。
それで思ったのはね、あんまり賢くなるってあんまりよくないのかな~って。
今のままで十分楽しいんだけど、もっともっと賢くなってやろうとか思うと、へんな方向になっちゃうことがあるのよね。
何でもできるって感じは気持ちがいいけど、でも、できないんだよね、本当は。
そこ忘れてしまうと、変な方向に行ってしまうのかもね。
わたし、あまりできがよくない天使だから、神様にお任せして安心してるの。
できないって、お任せしたほうが楽しいよ。
できる人にしてもらって、ありがとう!って言ったらその人もきっとすごくうれしくなるから。
できないから、助けてもらえてとってもうれしいの。
あ、おねむの時間です。おやすみなさい、いい夢見てね~
禁欲的な人って、すごいセルフコントロールができてるみたいでかっこいい。
うらやましいな。
ね、皆さん、ダイエットに成功してる人って尊敬しちゃいますよね、いかが?
まなみんはもともとは健康教育の人なので、早寝早起きしろとか、酒タバコやめろとか、うるさいことを言って嫌われるんです。昔、「5日でタバコをやめる!」という講座の講師をしていました。
そういえば、ダイエットの講師もしてて、雑誌の紙上コンテストで1番になったこともあったな~7年前に、完全菜食の指導を病院でしたんです。
実は私、やりたいことや好きなことを我慢するの大嫌いで、無理していやなことすると、本当に病気になってしまうんです。だから、早寝早起きも酒タバコできないのも菜食も好きでやってるんですね。
指導してるときによく聞かれました。
「そんな、石部金吉みたいな生活、無理ですよ、先生やってるんですか?自分でできないこと人に言っても無理ですよ・・」
で、まなみんは、にっこりして答えるんです。
「はい!もちろんやってますよ。気持ちよく楽しいですよ!」
「へ~じゃあ何が楽しみで人生生きてるんですか?」
すごい禁欲的だと思われてしまうんです。
実はすごい違うんです。
したい事をしてるだけですから。
何かの修行のために禁欲ってあるじゃないですか。
悟りを得るために煩悩を滅却するとかさ。
肉体を痛めつける目的で寝ないで歩き回ったりとか、冬の凍りついた夜中に水かぶったりとか。
肉体を極限状態に置くと変性意識状態になりやすいのは事実ですが、なかなかできないですよね~
禁欲って発想は、もともと持ってる欲望は悪いものだからなくさなくてはいけないという考えに基づいてるようですね。
でも、そうなのでしょうか?
赤ちゃんが普通に、食べたい寝たい抱っこして欲しいって感じるのはいけないことじゃなかったと思うけど。酒タバコドラッグ、スナック菓子、刺激の強いもの、みんな嫌いですよ赤ちゃんは。
夜明けとともに起きて暗くなると寝ます普通は。
そうじゃなくなったのは、不自然で不健康な環境のせいですから。
もともとそうだったわけじゃないんですから。
だから、健康的なライフスタイルはきつくないはずです。
一番楽なはずです。
なぜって、からだと心の自然に一番そっているからです。
禁欲って見られるけど、我慢じゃないんですまったく。
我慢するとゆがみます。
無理するとますますとらわれてしまいます。
ダイエットの反動でやけ食いとか!でしょ?
フラストレーションたまると、性格悪くなるし・・・
しなくていいです、無理は。
こうしたいなって思ったことをやってくださいな。
禁煙だってダイエットだって、うれしく楽しくなっていくのが成功のコツです。
苦しむためにやるんじゃないでしょうから。
健康に、美しく幸せになりたくてするんでしょ?
自分のためだけだと思うとなかなか続かないかもです。
でも、この行為が、自分を大切にして最高の状態を保つ努力は、実は人類の平和に貢献してるんだって考えたらよし!ってことになりませんか?
病気や不健康はお金もかかるし、ほかの人にすごい負担をかけるでしょ?
そういうの、辛いですよ。
自分の責任で、健康を保つライフスタイルはできるんですから。
最高に健康で輝いていくことは、自分の責任ですから。
で、それはきつくなくって、禁欲じゃなくて楽しいことですから。
心も体も魂も健康だったら、ホントさわやかでうれしい気持ちでいっぱいですよ。
そうじゃない人は無理してるんですねどこか。
自分で調整していきましょう。
人や環境のせいにしないで、できること、たくさんあるでしょ?
まず早起きから・・・
おはようございます!早朝の空気気持ちいいですよ~
よい一日になりますように・・・
許すことがなぜ難しいのか、実はよくわからないんです。
なぜかというと、許さないと自分が一番辛いからだす。
マゾですか?みんな。
そうなのかもね。
学術的検証が必要ですね。
さて、交通事故を考えてみてください。
事故で自分が死ぬのと、人を殺してしまったときを想像してください。どっちが辛いですか?
死んだら終わり、もしかしたら楽になるかもね、天国に行って。
でも、殺したとしたらどうですか。
相手がやさしく許してくれたとしても、かなりの人はなかなか立ち上がれないんじゃないかと思います。
人を傷つけてしまったという経験は、ものすごいショックです。自分が自分で許せないかも。
たとえそれがまったくの偶然や、たとえ良心からのおこないであったとしても、です。
よいと思ってしたことで傷つけてしまったことこそ、くいが残るかも。
最愛の人を過失で殺してしまった人はどんなに苦しいことでしょう。
想像したらわかると思うのですけれど、傷つけるほうが傷つくよりずっと辛いのです。自分でもう、これ以上せめられないほどせめてる人が多いですから、かえってかわいそうですよ。
反省しない人もいるじゃないかって?
人を傷つけて喜んでる人もいるじゃないかって?
ああ、そういう人こそ、本当にかわいそうな人です。
なぜって、不幸なことに、脳が病気だったり、発達が未熟なせいや、トラウマの損傷などで、人間らしい感情を失ってしまった方たちなのですから。
目の見えない人に、とろとろしないでまっすぐにさっさと歩けっていう人はいないでしょう。
3歳の小さな女の子に、10キロのお米かついで2階に持って行って!っていう人はいないでしょう。
できる人ができることをしたらいいの。
目に見えないことはみんなよくわかってないみたいだけど、能力なんですよ。
発達段階があるんですよ。
みんな一生懸命精一杯なんだから。
お願い責めないでね、誰のことも。
ポジティブなのがいい、とみんな思ってるでしょ。
で、まなみんはすごくポジティブだからついていけないと思ってる人、いませんか?
そういう誤解すごく多いです。
落ち込んでる人に、「そんなに悲観的にならないで・・・」というと、「そうじゃないよ、ただ現実的なだけさ」、といわれます。
うん、さすがです。現実を客観的に判断したら、悲観的な要素がいっぱいあります。
地球環境のことや世界情勢とか、もう、うわっと圧倒されてしまいます。
まなみんは落ち込まないのではありません。
立ち直りが早いだけです。
現実を見ないようにしてるのでもありません。
とらわれてないだけです。
生まれつき明るい性格だから?
いいえ、生まれつきは暗いです。
恵まれてて、ラッキーだから?
金・男・仕事?実はぜんぜん・・・笑
楽観主義者というのは実はまったく客観的ではないのです。
勝ち目のない戦いに挑んで絶対にやってやる!なんて人たちですからね。
幸せに生きるためには、現実をしっかり見据えて正確に把握していくことが確かに必要です。
それがあってこそ、うまく対応していけるのですから。
現実が見えてなくて明るい人というのは、のーてんき~でしょうか。
見えてて暗い人より幸せですが、皆さんはどちらになりたいですか?
一番いいのは現実が見えててしかも明るい人でしょうね。
今ここで目に見えることしか見なければ、確かに暗くなります。
それを持ちながら、見ないようにするとか顔をそむけるとかじゃなくって、しっかり見たままでもっと先も見る、これがスピリチュアルなことでしょうね。
先が見通せたら、今ここでのことが、なるほど・・・あそこに行くための道なのねって見えるから、な~んだとなるのです。
そういうポジティブシンキングだったら、いいなって思います。
そういう人は、死にかけても、きっと、えへへって冗談を言ってるんじゃないでしょうか。
眉と眉の間に深い溝作ってペシミスティックに考え込むと、エネルギーしぼみますから。
せっかくいいこと考えてるのに、シェアーしないで死んじゃったらさびしいし。
それでもいいんだなんて言わないで、ね。
お天気いいよ~
あそぼ~
あれ、客観的に書こうと思ってたのに・・・
なんでこうなるんだ~
ま、いいけど・・・
スピリチュアルになるためにはいろんな道があるらしい。
ある方によると、それはインド系、キリスト教系、バラ十字系に別れるらしい。
それぞれ向き不向きがあるらしい。
インド系はグルに帰依するみたいに自我を滅却する方向で行くらしい。
だから、グルを間違えたらとんでもない方向に行ってしまうんだろうな。
間違ってしまった例が、あの、オウム真理教かしら。
ヨガのことは、きもちいいな~くらいしか知らないけれど、体を通じていくやり方はなかなかいいと思う。
でも、そのために体のことに目標を置いちゃうような間違いが出てきてしまうんだろうな。
空中浮遊するとか息しないで水の中にいるとか食べないでずっと座ってるとか、そういうことを目指しちゃう人がいるから、おかしくなっちゃうんだろうな。
確かに面白いけどね~そういうの。
キリスト教系の神秘主義は、キリストと一体化して十字架の苦しみを自分で再体験し、てのひらに聖痕といって、釘のあとがあらわわれたり、茨の冠をかぶったみたいに血を流したりする人がたくさんいることが知られている。カトリックでは、聖人認定のためにいろいろな条件があって、死体が腐らないというのもひとつの条件らしい。
キリストと一体化するのは痛そうできつそうだけど、その中で、聖テレジアのようにエクスタシーを感じて夢中になる人の話もよく聞く。
非常に感覚的な世界だから、感覚系の人にはぴったりだろう。ステンドグラスやお香やグレゴリアンチャントなども、五感を通じてあちらの世界へいざなうし。
どうせ一体化するなら、あのすばらしい愛の精神と一体化したいものだわ。
宝石ちりばめたり、自分の体を鞭打ったりじゃなくて。
バラ十字系もよくは知らないけれど、シュタイナー的なアプローチだとしたら、これはまた非常に知性とを重んじるやり方で、純粋思考をつめていくんだ。
頭を鍛えろって訳ね。
まあ、まなみん的には一番すんなりくる。
感覚的なものから入ると、超感覚的な世界でなく、感覚世界よりもっと低次元の世界に迷い込んでしまうから危険だと。
こういう世界を探求するには目覚めた意識がないと大変なことになると。
変な霊にとりつかれちゃったりするのは自我を放棄するからだ。
自我というか意識というか倫理観というか・・・
圧倒的なその世界に引き込まれて、危ない道に行かないように、しっかり鍛えておかないといけない。
超能力や永遠を垣間見る訓練とかのテクニックは、誰でもマスターできるレベルに開発されてきてるらしい。
近寄らないようにしてるから実態は知らないんだけれど、大丈夫なのかな~。
まなみんは、よくさそわれるし、たまに少しだけ見てみようかなって思うこともあるんだけど、いつも何かの条件が原因で経験するにいたってない。お金がないってことが一番の条件なんだけど。笑
でも実際はそれで守られてるんじゃないかって気もする。
すごく影響を受けやすい人だからだ。
学会で禅のデモンストレーションを5分受けただけで、何もない甘美な世界に行ってしまった。
フィットネスセンターでヨガしてて、光を感じてといわれたとたんにすごい光に包まれてしまったし。
もう十分だわ。
別に、いい。
何もしなくても、光は十分ある。
人それぞれの課題があるのだから、自分らしく生きるのが最高の道だと思う。
その、自分を見つける道だからがんばってるんだって??
それは、今、ここでやるべきことを淡々とするしかないんだよ。
それをしないで、精神的、社会的、肉体的に病気になっては仕様がないでしょ。
ほら、夜があけたよ~
お散歩しておいで~
ないものねだりをする人が多い。
みんなどうかしてると思うけど・・・
結婚してる人はしてない人を自由でうらやましいな~
結婚してない人はしたいしたい!安心していいな~
かわいくカールしてる髪の人はストレートパーマで一生懸命伸ばそうとする。
まっすぐつややかで太く重い髪の人はカラーリングしてパーマをかける。
遠距離恋愛の人はあいたい、ずっといっしょにいたいという。
すぐそばにずっといる人は、距離があったほうがもっと新鮮ないい関係になるのにって言う。
暑くなると、早く涼しくならないかなという。
涼しくなってくると、灼熱の太陽が懐かしいという。
子供は早く大人になりたいという。
大人は子供のころはよかったなという。
お金ないと、宝くじでも当たらないかなって思う。
宝くじが当たってめちゃくちゃになって、当たらないほうがよかったという。
生きてる限り、辛いな~と永遠の安らぎを求める。
安らぎにいざなわれると、もっと生きていたいと切に思う。
こういうないものねだりのひとたちは、今ここに光があることに気がついていない。
証明しようか、この世が光だってこと。
空を見上げてごらん。
圧倒的な光!!
真っ暗闇にいたことがありますか?
光のない世界ってありますか?
それは全部幻想に過ぎないから。
光を見てごらん。
じっと見てごらん。
月でも、人工的な街頭だっていい。
その周りに虹が出てるのが見えますか。
まん丸の虹が。
希望の虹。
いろんな色に見えてるけど、もとは全部光です。
すべてを照らし出す光。
いろんな色に見えてるのは、この世がもっと美しいことを表すため。
楽しいって事を表すためだから。
ほら、葉っぱの色が変る季節です。
落ちていくのを見るのは少しさびしいけれど、落ちるからまた新鮮なはっぱがほら。
光に満ちているから、落ちても落ちてもまた芽が出てきます。
ごきげんよう~またね~
今度はどんな現われ方をするのかな。
楽しみじゃない?
もうそんな気力はないといわれるかもしれないけれど、
もしあなたがまだこれが読めるのだったら、
もし耳がまだ聞こえるのだったら、
聞いて欲しい。
死ぬ前に、
「ありがとう」と「ごめんなさい」を、言っておいて。
もしまだ歩けるなら、移動できるなら、直接会いにいって。
メールが打てるなら、電話ができるなら、逝ってしまう前に、必ずして。
そうしないと、ずっとずっと、あなた自身が苦しむことになるから。
死ぬ前の人全員に、天使からの大切なメッセージです。
死ぬ前の人、
それはあなたのことです。
死んだ後の人は、もうわかりすぎるくらいわかってるから、このこと。
愛とか気持ちをどう示したらいいのか。
どこにあらわれてくるのか。
目に見えないエネルギー的なものだけれど、そういうところにあらわれるのだろうか。
ものを媒介にするという習慣がある。
お礼、感謝、お詫びなどをお金の額であらわすことがある。
あるいは、いっしょにすごすとか、その人のために費やす時間で判断されることもある。
赤ちゃんは敏感だ。
働いているママにはお気の毒だけれど、物理的にどのくらいの時間そばにいて、ゆったりと何もしないでいっしょに過ごしているかで赤ちゃんは判断するようだ。ママの時間管理にあわせて、能率的に愛の交換、なんてできない。アポとアポの時間の間、30分時間が取れた!って駆けつけてもお昼寝中だったりする。
帰宅が遅くて交わる時間がないって、遅くまでおこしてるなんて、赤ちゃんの生理や発達を考えたらとんでもない話だ。
どれだけ一緒に時間を過ごすか、って、もちろんいらいらしてほかの事を考えながらいっしょに過ごしていても、その時間はカウントしない。
だから、保守的なようだけれど、まなみんは経験から、子育てと仕事の両立、特に責任ある立場は無理だと思っている。
子育てにはある程度の没頭が絶対に必要だからだ。
そして一人じゃ子育ては絶対に無理だということも。
子供とはなれて自分らしく生きる時間が絶対に必要だということも。
日本ではデートに行くとか遊びに行くのにベビーシッターを使うことに罪悪感がある。
貧しい時代の名残なのだろうか。
子育てはパートナーとの愛があって初めて可能になること。
そのための時間を惜しんではいけないと思う。
子供ができたとたん、愛がパートナーから子供に移ってしまって二人の間がギクシャクするというのはよく聞く。
どんな犠牲を払っても、パートナーとの絆はすべての基礎だから大切にしなくては。
子供が健全に育たない。
趣味や仕事に逃げないで、自分の人生ににとって一番大切な人との時間を大切にして欲しい。
気持ちがあれば、充実した時間だったら短くても・・・と思いたいけど、赤ちゃんのデータからは、絆を深めるには残念ながら、絶対的時間が必要だということが明らかになっている。
限られた人生、何にどう時間を使っていくか。
手遅れになる前に見直していかなければ。
ご病気の方のお見舞いに行くと、顔を見せたとたんに、涙を流されることがよくある。
生死の境をさまよった後の方とか、大手術の後意識がはっきりしたときだとか、ベットに縛り付けられて動けない状態がずっと続いてる方だとか。
まなみんも切なくて、手を握って一緒に涙してしまう。
言葉も失われた方と,深いコミュニケーションがある。
目の奥を見つめると、魂の訴えが見えてくる。
介護している人たちは疲れ果てている。
つい機械的になったりしてしまう。
ああ、お疲れなんだな、と思いながらも、人がモノ扱いされるのを見ているとたまらなくなる。
まなみんは、たまに行くだけだから、何だってできる。
もし24時間365日だったらどうなることだろう・・・
回復の見込みなく、一生懸命してるにもかかわらず、不安や恐れやフラストレーションを怒りのような形で表される日が続いたとしたら・・・
介護してる方がポロっとこぼされた。
自分も介護が必要な身でありながら、ヘルパーさんが足りなくて、痛い体を引きずりながら、介護をせざるをえない。毒を盛るとか首を絞めるとか、自殺するというような衝動は、ふっとでてきてしまうんです。
どうなっているんだろう・・・
わたしたちにできることはたくさんあるのだ。
ほんの少しの時間をつかって、顔見せに行くだけ、お話を聞くだけ、それだけでどんなに希望をつないでいける人がいるのだろう・・・
いのちははかないもの。
次の瞬間にはわからないもの。
どうぞ悔いのないように。
いつ逝ってももよいように、「ありがとう」「ごめんなさい」を、今のうちに伝えておかなければ。
ほんのちょっとした愛で、命をつないでいける人がたくさんいるのだ。
どんな仕事よりも優先することだと、しみじみ思う。
後ろ髪を引かれながら、「またきますね」、と病院を後にした。
渋滞に巻き込まれるのがイヤで、はやめに帰ってきたんだけれど。
仕事があるとか明日早いからとかいろんな理由はあるけれど、すごく自分中心的。
帰り際は切なくて、明るく冗談を言って別れた。
夕闇迫った空が、美しすぎた。
会うたびに確実に旅立ちに近づいている人を見舞うのは重い。
正直なところ、会いたくないのだ本当は。
あまりにも辛すぎる。
逃げてしまいたい。
でも、逃げてしまうと一生後悔することは苦い経験からわかっている。
ともに歩むのは重い。
苦しみや辛さをわかってあげられなくて、ごめんなさい。
こんなにわがままな私を、歓迎してくださって、ほんとうにありがとう。
今日、ほんの少しでも眠れますように・・・
心からお祈りしています。
きっと、だいじょうぶ!!
魂の想いはいつも通じているから。
悪魔について誤解している人が多い。
やつの最大の狙いは、この世を地獄だと思い込ませることだ。
光があることに気がつかないようにさせることだ。
幸せな気持ちや快活な気分になったときに、
「有頂天になるなよ、あしもとすくわれるぞ・・・」
「自分ばかり喜ぶんじゃない、悲惨な現状を見てみろ」
「まだまだそんなのじゃだめだ、うぬぼれるな」
「どうせできっこない、たまたま運がよかっただけじゃないか」
といったようなささやきで、喜びをぶち壊しにして落ち込ませてしまう。
そして、
「この世は地獄だ。つまり俺たちの天下さ。」
と思い込ませることだ。
あまりにも強大だし、厄介なことに、天使の顔をしてささやく
のだから、なかなか気がつかれない。
落ち込むこと自体から何か輝かしい生産的なものが生まれるだろうか?
愛の果実が実ることがあるだろうか?
悲惨な状況をしっかり把握することは大切だけど、それで落ち込む必要は何もない。
それは光に向かうためのメッセージにすぎないのだから。
戦いは嫌いなまなみんだけど、悪魔に対してだけは、猛烈な対抗意識がある。
この世は悲惨だ・・忘れるために、アルコール、ニコチン、カフェインそのほかの薬物が必要さ。
もっともだ。
とささやきながら、一時的にごまかしの安らぎを与えることによって、人生のリアリティーから目をそらさせ、体と心を蝕んでいくのだ。
メカニズムは単純なのに、誘惑のわなは巧妙だ。
気がつく人も少数はだけど、気がつきながらも逃れられる人は少ない。
都合が悪い情報は耳に入らないんだ。
フェスティンガーの認知的不協和理論。
闇をなくすためにできることは、光をともし、輝くことだけしかない。
動物に自意識があるかどうかわからないけれど、心身症になるペットが増えてるらしいから、がんばって適応していこうとしてるのは事実のようね。
意識って言っていいのかどうかわからないけれど、「サボテンがしゃべった」という本の話を聞いたことがある。遠く離れた持ち主に、危機を知らせたらしいけど、じゃあ、植物にも意識があるのかな。
でも、生命のない非生物に意識が存在するか・・・
意識って何?ってことにもなるし、ぬいぐるみのクマちゃんがさびしがってるから一緒に寝てあげるっていうのもしまうのも子供っぽいけれど・・・
手作りPCなんか、はっきり言って、人格があるとしか思えないような行動(勝手に、出さないほうがいいメール消してくれたり、メッセンジャー長すぎると、いきなり凍りついたり、消したのに勝手に立ち上がってみたり・・・苦笑)をする。
PCに人格とか意識があるんじゃなくって、スピリットのメッセージがそれを通じて現れるということかもしれないけどね。
まなみんはドライブが好きなので、実は車のご機嫌っていうのを結構感じるのだ。
ここのところ、ずっと代車にのっているから、はじめはよそよそしくお客様みたいに丁寧に乗っていた。
昨日はだいぶ慣れてきたとこで、ちょっとストレスたまり気味だったんで、嵐の中、140まで出してみた。さすがに風で横揺れしたけど。
なんと!こいつ、やるじゃないか、なかなか・・・
環境と経済状態を考えて小さいのに買い換えようと思いながら決心がつかずに、代車の1500CCにのってたんだけど・・やっぱりもっと重いのじゃないと、高速は無理だ・・と先週話をしてたとこだったんだけど・・・けっこういいじゃない!!
なじんできて、いうこと聞いてくれるし、なんか喜んでがんばって走ってるっていうのが伝わってくる。
かわいいやつだ。
一人でのるのに大きい車もね~でもスピード出すしね・・・
というところでスポーツカーなども見始めたものだからまだ決められない。
おっと、車屋さんから電話。
新車の試乗用の今もって来るってさ。
新車はビミョーだ。
初々しくかわいいけど、ちょっとよそよそしいんだな~
一番いいのは、かわいがられて、いい持ち主に1,2年乗ってもらってた車。
そちらも持ってくるという・・・
よし!
多重人格のまなみんなのだ!
あ、そうそう、モノに意識がやどるかって話は、非局在意識を考えれば別に驚くことでもなんでもないって話になります。かわいがってやったら、みんななついてくるのよ!
自分のなかにいろんな自分がいる・・・
サイコシンセシスでは、サブパーソナリティーと呼びますけれど、全部自分だけど、本質的な自分じゃないから、振りいまわされないように、一人づつ、「げんき?」とか、「ごくろうさま~」って声かけてあげるといいみたいですね。
いろんな自分、時々、どれが本当の自分なんだろう・・・ってわからなくなります。
研究者だったはずだ(一番時間を割いてるから)
先生だったはずだ(収入の道だから)
ダンサーだったはずだ(みなから一番向いてると言われるから)
天然の女の子だ(一番ほっとするから)
ライターだ(一番自然にやってるから)とかね・・・
でも、そういう自分は本質ではないのよね。
じゃ、本当の自分はどこ?
こうやってサブパーソナリティーを見つめている自分ですか?
見つめてる自分は、観察分析するのが大好きなまなみんです。
でも、それもまたサブパーソナリティーでしょ?
って見ていくと、どんどん、どんどんきりなく出てくる、サブパーソナリティー。
どこまで脱同一化していったらいいのかしら・・・
ホントわからなくなります。
まなみんの目安は、全部のパーソナリティーを、愛してるよ~って、ぎゅっとハグしてるパーソナリティーが出てきたら、ま、いいかなってやめることにします。
その、慈愛に満ちたすべてを受容するパーソナリティーが、自分の中心にあって、そして「トランスパーソナル・セルフ」にしっかり結びついてる「パーソナル・セルフ」だと思うからです。
そこまでいけますか?
本質は、光と愛に満ちているってこと、わかるでしょ。
寒くなったせいか、雨続きで気圧が不安定なせいなのか、妙に人恋しくなってます。
日本人はつつましいから、めったに抱きついたりしないよね。
急にしたら誤解されるし。
でも、みんな本当はしたいんだよね。
知ってるよ。
だかれたいでしょ?
だきしめてもらいたいでしょ?
挨拶としてハグする習慣のある国、いいな。
ね、SQライフの習慣として広めませんか?
しゃちょー、じんさ~ん、いい?
「ご挨拶はハグですよ!」って。
あるクライアントが、ハグして!!って訴えてました。
まなみんは、カウンセリングの原則に従って、絶対に触れようとしませんでした。
とうとう彼女はセッション中に倒れてしまいました。
まなみんは、抱き起こさなくてはいけなくなりました。
あとで、彼女は言いました。
「あのときが一番うれしかったです」
そういうもののようです。
もっとみんな、抱きしめて・・・
授業中に男の子をハグしたことがありました。
そのこは冗談だったのかもしれません。まなみんにハグされたいって言ったのね。
でも、そこでひるんだら先生の面目丸つぶれだと思って、平気な顔して、内心どきどきしてハグしました。周りにいた子達は、うらやましそうに、ちょっとびっくりしてみてました。
今度授業でみんなでハグしようと思ってます。
本気です。
今ならどんな人でも知っているストレス理論を構築したのは、工学博士のセリエさんでした。
人間も物質だから、同じような法則に支配されているというひとつの例だと思います。
人間も物質だから・・・なんていうと、え!!と反論される方、SQライフ読者にはきっと多いでしょうね。
人間は物質からできているということは、人間はスピリチュアルな存在であるということと矛盾しないんです。
同時にそうなの。ものでもあるしものでもないんです。
ものではない部分だけがスピリチュアルといってしまうと、半分が捨てられてホリスティックじゃないんです。
だから、まなみんはあえて、ものである人間のスピリチュアルな部分を説明することにに挑戦しています。
セリエさんのアプローチを思い出して、勇気つけられました。
量子論でスピリチュアリティーがすべて記述できるとは思っていません。
まなみんのアプローチはあくまでもモデル構築ですから。
モデルというのは、モデルであって、本物よりずっとシンプルになっているものです。
でも、物の性質の中に心の性質がとってもよく現れているのです。
だから、面白いな~って、物理の本など読んでいるわけです。
で~みんな、波動だし・・・、粒だし・・・
動物や植物にスピリチュアリティーがあるか、どう思いますか?
スピリチュアリティーを、宇宙の秩序と一体になって体現してると言う風に定義したら、それはもうかなわないですね。
そういう意味で行くと、赤ちゃんは最高にスピリチュアルです。
アレクサンダー・ローエンが、「からだのスピリチュアリティー」のなかで、「グレイス」と言うことを強調しています。
オルダス・ハクスレーは、動物的なグレイス、人間的なグレイス、スピリチュアルなグレイスを分類しています。
禁断の木の実を食べる前は、動物的なグレイスをもち邪心なく調和していた人間も、自意識が出てきました。
キャンベルは、この状態をキリスト教が引き裂いたと書いているようです。
つまり、物質と生命を分けて、精神を肉体の上に置き、下等な欲望は超越されなければいけないとといたのがキリスト教だと言うわけです。そうすると、マインド(精神)に支配され、スピリットがなくなって、生き生きしなくなっていくのです。
これをインテリジェンスという観点で考えてみました。
ダナーゾーハは、IQ,EQ,SQと言う概念でスピリチュアルインテリジェンスを提唱しています。知性はマインドのコントロールで左脳優位でしょうか、EQは関係性から来る直観や思いやりで、右脳優位でしょうか。
SQ(スピリチュアリインテリジェンス)はそれらをつなぐ、連合野でしょうか。脳科学的にも、スピリチュアル体験が注意連合野と方向定位連合野(モーツアルト効果で活性化するとこじゃなかったっけ?)で活動が高まっていることが脳画像で確認されています。
注意連合野は別名、意志の座とも呼ばれていますけど、瞑想中などに活動が高まるそうです。
余計な感覚入力を排除し、目的に集中するように働くのですがこれは、前頭前野と呼ばれる額の辺りにあります。
同時に、頭頂葉の近くにある方向定位連合野の活動がスピリチュアルな体験に関連していると言われますが、これは左右の大脳半球の両方にあって、関係しながら違った役割を担っているらしいです。
また、側頭葉に、「神の座」と呼ばれる、そこに電気刺激を与えたら神様が現われる、という場があるのはご存知ですよね。
すべてのスピリチュアリティーを脳科学で説明はできませんが、私たちの脳は動物よりも進化しています。つまり脳というハードによって観察可能なスピリチュアリティーの領域もあるということです。
スピリチュアリティーをインテリジェンスの一種と捕らえると、脳科学的な説明実証が必要でしょうね。そしてそれは当然測定可能なものとして、操作的に定義しなければならないでしょう。
脳と心と魂と・・・
きりないですね・・・
今日はこのくらいにして、ねよねよ。
エンジェルって、何食べてると思いますか?
かすみ?朝露?お花のシロップ?
何も食べないわ、だって超越してるんだもん・・・
(エンジェルがTOTOの容器に座ってるとこ、想像できる?お食事中の方ごめんなさい。)
通訳者はおなかがすきます。
まなみんは実はお料理好きなんですが、今朝は一人で残り物処理でした。
スパゲッティーにおちゃづけの元をかけて食べたら、あまりひどかったので、納豆とノリを出してきて食べなおしました。
で~
気ままにまた、天使語通訳してたら冷めちゃったので、電子レンジに入れて暖めました。
みなさん!
ここが大切なんですが、納豆を電子レンジに入れないでください!!
アメリカ人に嫌われたい人は別ですけど。
(悲惨な経験あるアンナ)
なんていうめちゃくちゃな食生活のようですがこれは一人だから・・・
まなみんはグルメじゃないみたいですね。
グルメのお友達は、レストランなんか信用できないとか言って、一人でいろんな材料を調達して、すごいおいしいもの作って一人で食べて楽しんでるんだから・・・
今晩は、最愛の王子様が帰って来るから、いそいそと、くり釜飯など作ってみました。
学生で一人暮らししてたときは、クッキーとケーキ、チョコレートとサンドイッチ、ヨーグルトとフルーツ、サラダそんなものしか食べてなくて、超貧血でした。
しかも、踊りのレッスンに行く途中、時間節約のために歩きながら食べてた・・・
家族の健康のためとなると、俄然違ってきます。
全粒粉にイースト使って毎日自家製パン焼いてたもの。
デザートも、卵ミルク油お砂糖添加物一切つかわないで毎日違うの作ってたもの。
最近はそういうレシピや材料がどんどん出てきてきてますね、うれしい!
昔は大変だったのよ~
師匠のアメリカ人が言ってました。
「日本にきてから菜食ができなくなって、仕方なくいろいろ食べ始めました。」
そうなんですよ。
まなみんも、社会性つけろって言われて、自分でもそうか~って自覚して何でも食べ初めて、実は体壊して去年入院して死にかけました。
人それぞれなんだと思います。
菜食向きの人もいるし、そうじゃない人もいるし。
天使向きの人もいるし、そうじゃない人もいるし。
でないと、みんな、とんでいってしまうじゃない、ね~
まなみんの意見に反対の人へ
どうもありがとう~
あなたがいるから私、地に足つけて生きていけるの。
スピリチュアリティーとか天使とか言うと、どうもお空ふわふわのイメージだけど、それだけではどこかに飛んでいってしまうよね。
だからよく、グラウンディングって言われる。
つまり、大地にしっかり足つけてね!ってこと。
まなみんはこれでも結構気をつけているのですが、見た感じとか声とかが結構ふわふわらしいですね。
グラウンディングは、アガペーでなくエロスにある!と、つまりセックスがキーだと思っています。
こういう話は公でするのにまだ少し抵抗がありますけれど、今月発刊の「魂の恋愛」って本には結構大胆に書きました。
スピリチュアリティーは、アガペーとエロスの結婚にあるのですから。
まなみんは昔、ひどく禁欲的な時代がありました。
持っているものをすべて寄付して修道院に行ったころの話とか。
アレルギーがひどくて健康上の理由でしたけど、ずっと、ヴィーガン(卵もミルクもとらない完全菜食)だったし・・・
ま、いまだにカフェイン、アルコール、ニコチンなどのドラッグは極力しませんと言うか、からだが受け付けないですけれどね。
早寝早起きの超健康ライフスタイルなので、すごい意志が強いと思われることがあるけど、ぜんぜんそうじゃないってことは、親しい人はみんな知ってる。
やりたいことしかしてない、やりたいことしかしない超わがままだってこと。
幸いにして、やるべきことがやりたいことになってるからいいのよね。好きでやってるんです。
もし、してはいけないことがやりたかったら、どうしたらいいんだろう・・・
辛いですね~
妻子ある人を好きになってしまったら・・・
悲惨だ~
でもきっと、まなみん的には、どんなに好きでも、きっと、お付き合いすると、なんだかいや~な気持ちがしてきて、矛盾に耐えられなくなると思います。
つまり、したくない、イヤだって気持ちになっていくような気がします。
スピリチュアリティーとセクシュアリティー。
ソウルメイトやツインソウルの話もあるし、難しいですね・・・
どんどん天使が舞い降りてきて書ききれないので、いろんなとこに書き散らしています。
今朝はそのひとつのご紹介。
ヤフーの恋愛結婚コラムです。こちらもよろしく~
http://enmusubi.yahoo.co.jp/column/manamin/
結婚は恋愛の墓場? まさか! スピリチュアルで深遠な愛は、結婚から始まるのです。スピリチュアルな出会いを現実的に体験して、永遠の愛につなげていくには? まなみんからのスピリチュアルメッセージとガイドをお送りします。
最近涼しくなってきて、虫がしんみり鳴いてたりしてるし、なんとなく人恋しくなってる・・・
おうちに帰ってもひとりっきり。
仕方なく、ネットをつないで見たり、見もしないTVをつけてみたり・・・
はあ・・・
仕事をしてるとき人といるときはそれなりに充実感もあるし、みんなつながっているよ!
って、そう。そう言いつつ、何か高揚した気分で、心が通い合ったような気がしてくる。
よかったな~って思う。
今こうして生きてることは神秘の連続で、次の瞬間にはどうなってるかまったくわからない。
そう思えばこそ、今こうやってあなたに会えたことも、こうやってメッセージを残せることも、最後になるかもしれないんだ。
そう思いながら、この機会を感謝している。
しかし、つながっているんだといいながら、実は同時にものすごい孤独の中に一人きりだ。
まったく切り離されて孤独だからこそ、つながってるよね!って何度も何度も言ってるのだ。
スピリチュアリティーの矛盾はどう表現したらいいのかわからない。
孤独の縁に一人たたずんでいる、だからこそ、同時につながっているという一体感もあるの。
光と愛と喜びに輝くのは、同時に底なしの深い漆黒と絶望の闇が迫っているから。
でも、でも、でも・・・
ひとりじゃないのよ。
わたしは、いま、ここにいるから。
孤独も絶望も、つながっていて希望に満ちていることを知るためにあるのだから。
その喜びと感謝に満ちるためにあるのだから。
神秘体験、臨死体験、対外離脱体験、変性意識状態、そして夢・・・ビジョン・・
そういうものは、錯覚じゃなくてリアリティーそのものなんだけれど、修行して求めるものじゃなくって、今、ここに、目覚めて意識的にいることと、同時に存在しているのだから。
永遠って、超越次元って、すでにここにあることなんだから。
スピリチュアリティーを求めて何かしたりどこかに行ったりしなくてもいいの。
じゃあ、どうしたらいいかってきかれたら、今日のまなみんだったらこう答えるな。
まずおかたづけして地球環境美化に貢献してね。
かりっ放しにしてるものを返して、約束して果たしてないことも、思い出だしてすぐやること。
出会う人みんなににっこりしてご挨拶してみよう。
困ってる人がいたら、どうしたの?ってきいて、できることだったら助けてあげよう。
だって、今ここでこうやって生きてること自体がどんなにすごい神秘に満ちているか、これは科学的に考えれば考えるほどわかってくることだから・・・
本当の神秘は、体外離脱じゃなくって、今、ここでの普通の意識と現実だってこと。
よく考えたらわかってくるはず。
同時通訳は忙しい。
だって、絶え間なくお話してるんだもの。
ぜんぜん追いつかない・・・
天使ちゃん、ごめんね~
また来てね~
ね、皆様、こういうペースで行くけど、大丈夫?
たまってきたらカテゴリー別に整理しますね。
編集ボランティアさん募集中!!
(ここにアップしてないのも、た~くさんあるんです・・・・)
心理療法は、無意識の世界を意識化して、気がつかなかったところに気がついていくというプロセス、といえることが多い気がする。
無意識に気がつくために、自由連想法とか、絵を書いてみたり、瞑想してみたりいろんなアプローチがある。
体にフォーカスするというのもひとつのやり方だ。
意識しない訴えが体に表れてきてるから、確かに。
で、問題に気がついて、その次はどうしますか?
意志の力でコントロールするのですか?
意味を味わって感謝するのですか?
どちらかに偏らないアプローチが必要だと思う。
今まで意志で何とか克服しようとしていた人は、ちょっと力を抜くような・・・
今まで成り行きに任せて翻弄されてきた人は、ちょっと意志をはたらかせて操作してみるみたいな・・
でも、それだけで解決しないかも・・・
実はね、そこをもうひとつ越えた次元が必要なのよね。
それは、この矛盾する意識と無意識とか、理性と感性とか、対立するものを対立したまま研ぎ澄ませたまま、決して双方のエネルギーを減らすことなく昇華して行く道。
これが、スピリチュアリティーだと思うんだけれど。
具体的にどうしていったらいいのか・・・
これについては、ぼちぼち、恋愛をネタにこれから書いていこうと思います。
初めは絵本にしたかったんです。
プレゼント用にできる美しい装丁のね。
でも、そういう出版社も知らないので、何か形を残したいと思って、手軽なとこで、学会誌の作品に出品してみたのね。
そしたらいろいろクレームがついてのせられないことになったの。
普通はそこで、がっかりしちゃって、ま、いいかって、ちょっとさびしくほかの事をし始めるかも。
ま、わたしもそうなりかけたんですが、たまたま大学でたくさん本を書いてる先生が、まなみん先生もぜひ出すべきですよ文才ありそうだし・・・とかおだてるんで、
「そうですか?ブログは毎日更新してるんですけどね・・・ああいうノリで何かできたら楽しいかもね~」
「応援しますよ。グラフ社って言うのは丁寧に見てくれるらしいですよ。送ってみたらいいですよ。」
といわれて、そうですか、じゃあ。といきなりメール添付して作品を送ったのです。
すると、編集会議にかけるから2週間待てというメールを頂、それから、一般向きに書き直してくれといわれ、はいはいとその日のうちに書き直して送りました。
それから待つことまた2週間、出版決まりです、契約しましょ。わ~い!
この間担当者ともメールのやり取り2回のみで、電話で話したことももちろんお会いしたこともない。
「出版にこぎつける交渉能力に感心しました」と、元春秋社編集長の岡野守也さんからメールをいただいたんだけど、実は交渉らしい交渉は何もしてません。
悪友が言うには、「男性の担当者だったんでしょ」・・・って、どういう意味ですか!、女性ですよ(笑)
後でタイトルでもめただけかな。
今でもほんと、「奇跡・・・」っていうタイトルはエレガントじゃないと思ってる・・・
言葉って難しいなあ。
奇跡って言う言葉、実はすきじゃない。
出版社さんと最後までもめた。
最後は根負けしてしまったんだ。
実はちょっぴり頭にきたかも。
前書きを全部書き直してタイトルにふさわしく奇跡ということの説明をした。
けど、今読んでも前後がつながってない。
しようがないよね~書きたくないこと無理に後でくっつけたんだから
ま、装丁とタイトルで9割決まるそうですから、プロにお任せいたします。
本物って書くと何が偽者なの?
自分たちが本物を提唱してやろうっていうわけ?
生意気・・・という感じがするかも・・・
今度のトランスパーソナル学会のテーマでした。
確かに本物という言い方は、偽者を切る!っていう感じがあるけど。
それはそれで必要なものだと思うな。
絶対的に正しいことと正しくないことはある、と実は思っています。
「奇跡の起こし方」では、だれもが正しいんだよ!って書いたけど、それは、あなたのいるその場でその状況の中でという制限つきだから・・・
正しさが通じる範囲がもっと広いことって実はあるし、普遍的に通じる正しいことっていうのもあると思うんです。
でも、会長が言いたかったのは、前世とかオーラとかスピリチュアルな体験とかににあんまりのめりこまないでね~っていうことだと思う。
彼、江原さん好きだといいながら、彼のマスコミでのありかたに対してはいいのかな~という感じをお持ちで、まなみんも同じ気持ちです。
だから・・・
本物っていうのは、もっと本質的なことにつながってるんですよって、フランクルやマズローの言ってるようなことをもう一度しっかり考えましょうってことかしら。
まなみんはいつも、光・愛って明るいことばっかりいってるけど、スピリチュアリティーってそんなものじゃないでしょ、といわれた。
ないよないよ、こわいこともいっぱいあるよ。
でも、何で暗いことや怖いこといわなきゃいけないのよ~
怖がらせるのはよくないよ~
安心してうれしくなっていったらいいんじゃないの?
こういう話、毎月「スタバでトラパ」でやってます。
よかったらいらしてね。
どんな状況でも、自分や状況を笑うことができる。
これは人間に与えられたすばらしい能力だと思う。
V.フランクルは、極限状態での収容所体験でもそれはあることを書いてたように思う。
臨終の際ベットサイドに集まってきた親戚が足に触って、
「冷たくなっているからもう死んだのだろうか。足が暖かいうちに死ぬってことはないはずだ」といってたら、
むくっと起き上がって
「そんなことないよ、ジャンヌダルクの足は熱かったよ」
と言い残して死んだという人のようにまなみんはなりたい。
スピリチュアリティーとか統合とか、理屈ではないイメージだとか、いろいろ言われてるけどさ、
ま、なんと言うか・・・・
笑いが実はみんなをくっつける!それが真実じゃない?
自己批判と自己否定は違う。
健全な自己受容には、必ず自己批判が伴っている。
透明な目を持つから見えてくるのだ。
自我肥大には、その視点がない。
健全な自己受容ではない。
ナルシスティックな肥大は、他者を呑み込み傷つける。
それも気がつかないうちに。
健全さはどこで測られるか。
他者にたいする受容ではないか。
自己に取り入れることがない、あるがままの受容だ。
それは今ここのこの世で現れてくる輝くような美しさとなる。
ほんものであれば、そのイメージは自然に実現していき、他者と共有できるものになっていく。
スピリチュアリティーがほんもののときには、香しいアロマをともなったフルーツが実ってくるのだ。
そしてそれをもぎ取って食べられる機会はすべての存在に与えられているのだ。
「木はその実によって測られる」と書いてある。
人生の価値
って、どんなことなんでしょうね。
まなみんは非常に自己中心的な未熟な人格なので、すぐ自分のことに集中してしまって世界のことを忘れてしまいます。
というか、自分のことに集中していく中で、逆説的に宇宙のことに抜けていくんだけど、その中間の、すぐそばの地域社会のこととか日本とかいうとこが抜けてしまう。
これがケンちゃんのいう、プレパ症状(自我の未熟なスピリチュアリティー)ですか~笑
しかしまなみんにも言い分があるんですよ。
本質的なこと、自分や宇宙を知ることなしに、現実社会の変革もありえない・・・
でも、岡野守也さんたちの、スエーデンに学んで日本をいい国にしようという意気込みはすごい。
具体的に実際に変革しようとしているんだから。
ただ理屈言ってネットで遊んでるだけではないんだから、恐れ入って恥じ入ってしまう。
だからといって、まなみんは、その運動には実際に加わることはないだろう。
なんたってわがままだから、好きなことしかしない人だから。
リーダーシップないし、人前に立つの嫌いだし、組織とか苦手だし。
やっぱり、究極のわがままなんだな・・・
まなみんはまなみんのできること(好きなこと。笑)をします。
今朝は、お庭にやってきた小鳥の歌を聴きながら、葉っぱの揺れるのを眺めながら、ハープでも聴いてます・・・
人生の価値、どれだけたくさんのいいことをしたかじゃないって、どれだけ楽しんだかだって実は思ってます。
よくわかるように説明するとね、楽しいことをしてると光り輝くでしょ?
そうするとそれがみんなに伝わっていくでしょ?
そうするとみんなも楽しくなっていくでしょ?
そうすると、どこでも天国になっていくの。
気がついてる人はみんな知ってるよね。
なぜか?
宇宙はスピリットは愛の塊だから、そんなことするはずないでしょ!論理的矛盾だ・・・(こんなときだけ論理なんて・・・都合がいいね)
ただひたすら愛の秩序であるものが、永遠に苦しめるようなことをするわけがない・・・第一、そんなこと疲れるし・・・どうなるかっていうと、死、永遠の死、永遠の命に対する死があるだけ。つまり、お・わ・りになるってこと。
そうじゃないよ~
悪いことしたら地獄に落ちるよ~、
いい子にしないとプレゼントあげないよ~
と同じメッセージで、条件付の愛だと思い込ませる人の解釈に過ぎないから。
スピリットはそんなけち臭くないから。
存在そのものをこのままでありのままで愛してるんだから。
地獄なんてないよ・・・
ニューエイジのふわふわしたオプティミスティックな考え?
違う違う。
これは聖書をがちがちに読んで出てきた思想なんだから・・・
ああ、また論敵増やしそう・・・
でも、論じてもしかたのないこと
だって、すでに、今こうやって愛されてるんだから・・・
としかいいようがない。
気がついてよみんな!!
まなみんはもともとバリバリがちがちのクリスチャンでした。
だから、ニューエイジなんて、悪魔の仕業のように信じ込んでいました。
教えられていたといったほうがよいかもしれないけれど。
ま、それはともかくとして、自分の書いた本が、神秘主義とか、ニューエイジっていうとこにおいてあるときいて、ちょっとしたショックがありました。
これも、偏見だとおもうのですけど・・・
保守的なまなみんとしては、そういう棚には、決して近づいたことがなかったのです。
正統派の学術出版か、クラシックな名作しか読まない人だし、自己啓発やベストセラーなんて読んだことはないんだ。 (「第8の習慣」は、SQライフブログをはじめるに当たって、恐る恐る手にしてみました!笑)
正直言うと、自分の本の、「奇跡の起こし方」なんてタイトルみただけで、や~ね、商業主義・・・という印象を持ってしまって、この件に関してはかなり出版社さんともめました。
で・・・
クリスチャンのお友達からの反応・・・
「勉強不足でよくわからないところがあるのですけれど・・・」
ああ、また傷つけちゃったかも・・・
まなみんが信仰を誤ったって、涙で説得しにきたお友達もいた。
どうしよう・・・
何もいえない・・・
理屈で説得しようとしても、無理なんだ・・・
改心するように心を込めて祈られても・・・
どうしたらいいんだ・・・
矛盾してないよ、イエス様の言ってることと。
傷つくことを自分から求めるのは、マゾって言う病気だ。
人生には、自分から求めなくったって、十分圧倒されるほどの悲惨さがある。
にもかかわらず、修行だといって肉体的、精神的に追いつめていくような修行に対して、まなみんは不自然、つまり宇宙の理と違うという感じを持っている。
それで浄化される?
しなくてもされるよ。
光を見つめてそこに漂うだけで・・・
ただ空を見上げるだけで風のやさしさを感じるだけで、
朝露に光る道端の草を見るだけで十分なこと。
すべてが表れている。
そして洗われる。
ほら・・・
原典に当たれっていつも言われるでしょ。
翻訳の間違い多いですからね。
創造主に直接向かうほうが本物に近いよ、絶対。
難解で間違ってるかもしれない翻訳ものを読み解くよりも、原典に当たるほうがずっとわかりやすい。
スピリチュアリティーだって、同じこと。
ノリオクンが言う
本物とか、偽者とかそういうものはまず・・・なんていう歯切れの悪いのはよしませんか。スパッと対立しないと面白くないから。
菅ちゃんが言う
しかしでもそういう矛盾したものを含んでいる全体性をスピリチュアリティーというのが僕の立場なんだけど・・・
その立場を主張したら面白いと思いますよ。
偽者・・・なんていうと傷ついちゃう人がいるかな・・・
でもはっきりいったほうがいいですよ。霊が見えたとか、それでどうしたのって。そんなんじゃないでしょって。
その体験じゃなくって人格の成長が問題でしょ。
そういうのがないと偽者だよ。
よし、スパッと言おう。
神の言葉を語る?ニセモノやめてくれ~
霊が見える?それがどうかしたの?
スプーン曲げできるし・・・で?もどしといてよ。
人を癒せるんです・・・だれだってできるよ(きがついてない?あら~)
宇宙との一体感を感じるんです・・・うん別に当たり前のことじゃん
それよりね・・・ちょっとかたずけてくれないここ。
ごみ出してよ。お洗濯ものもたまってるよ~
天才というのは、学習能力の高さではなくて、創造性によってわかるような気がします。
無から何かを創り出してくるように見えるんです。
天から降りてくるもののつかみ方がうまい、という感じ。
人によっては、それが本人の意志なくおきるっていう、そういう人もいるみたいですね。
でもね~
なかなか理解されないんですよね。
それは単に、周りの人にそういう能力がないから、それだけの話。
誰でも自分を基準に考えますからね。
自分はこれだけ一生懸命努力して、あらゆる物を犠牲にしてようやくここまでたどりついたというのに、あいつはなんだ、片手間に遊んでるようにひょいとやってのけるなんて・・・
と、嫌われて憎まれる・・・
だから・・・
天才はあまりその正体をださないんだと思います。
賢い天才は馬鹿っぽく振舞ってるかもね。
天然の天才は、確かにかなり排斥されたり、いじめられたりするからね。
理解してもらえない孤独を抱えているのだと思います。
そういう人、何人か知ってます。
周りの理解があると、アインシュタインやピカソなんだけど。
天才、天からのお恵みです。
みんな天才なのに・・・
天から降りてきているものを受け取らないでバリア作ってるのが自分だってことに気がついたらいいのに。
たくさんふりそそがれてるのに、それ無視して違うことをしようとするんだから・・・
自分の中の天才に気がつくには、やっぱり透明になるしかないんだけど、みんな怖いのかなあ。
~しなきゃ・・・を捨てて、~したい!にしたがってみること、一番楽なんだけどね。
天使に聞いてみて・・・
とにかくピュアーなのが好きです。
空気やお水がにごったのは耐えられません。
澄み切ったお空や抜けるように底まで見えるお水が好きです。
騒々しいのも嫌いです。
忙しくて、ぶつかっても気がつかないようなごみごみも耐えられません。
エネルギーがとられてしぼんでしまいます。
引きこもりになってしまいます。
おひざ抱えて、一人でそっとどこかに隠れてしまいます。
会いたいと思ったら、朝早く、夜明け前に窓を開け放ってみて。
明けの明星のそばに、白々と開けてくる太陽のそばに、ほら。
お散歩に出て見つけて。
朝露の中に、少し緩みかけたつぼみの中に、ほら。
目の奥から見て。
耳の奥から聞いて。
いつもいるの、いつも歌ってるのが聞こえてくるから・・・
あなたに会いたいと思ってるの。
でも、びっくりさせたらいけないと思って、かくれんぼしてるの。
あいたいの。
でも、ちょっぴりはずかしいくてこわいの。
幻覚だとか耳鳴りだとか言われると、ちょっとがっかり。
心が透明な人、素直に自分らしくしてる人にしか見えないのかも。
装ったりごまかしたりしてると、目が曇ってくるから。
うるさい雑音をいつも聞いてる人には聞こえないかも。
感度が悪くなってる可能性があるから。
どうぞ、ぬぎすてて・・・
大切なものだけにフォーカスして。
今、ここで、あなたを待っています。
スピリチュアリティーに関するシンポジウムを学会でしたときに、学会長がまなみんの紹介をするときに、上に向かっていく天使系のスピリチュアリティーだとおっしゃってました。
ほかのお二人は、一人が魂に深く潜っていくタイプで、もう一人は横につながる社会派だったっけ。
言いえてうまいなと思いました。
で、確かに見た目も行動も言うこともふわふわらしいですが、だからこそ!!バランスをとるために!!
まなみんは、言葉にならない、スピリチュアルな世界のモデル化などを試みています。
それだけでなくてスピリチュアリティーを測るってこともやってます。
そんなものはかれっこないよ~
って?ま、厳密に言ったらそうですよ。
でも、心理テストなんて、じゃあどう思います?
知能テストは?IQ信じます?
この複雑な脳の働きをあんな簡単なテストの数字で測れると思います?
知能って一体何なのかしら・・・というところまで戻ってくると、あれで何を測ってるのかわからなくなってくるでしょ。
心理テストって、まあ、そんなようなものです。
まなみんが測ってるのも、まあ、そんなようなものです。
でも、実は結構それでも面白いことがいろいろわかります。
ここにもそのうちお目見えしますから、楽しみにしててくださいね。
いろんなタイプがあるから楽しいんですよね。
いい悪いじゃないし。
スピリチュアリティーというのは統合的な超越したもの・・・なんだけど・・・
科学者と芸術家の間で揺れ動いています、まなみんです・・・
もう、本当に難しいですね。
なんか、こうもりさんになったみたいです・・・
理科系の学会にいったら、アヤシイ人だから近づかないようにしよう・・・って?
スピリチュアル大好きの人たちからは、とんでもない、還元主義だ。
けしからん!ってしかられたし・・・
ええええん、どうしたらいいのですか・・・
バランスバランスってよく言うけど、確かにそうなんですが・・
統合ってどうやってできるんでしょうか。
くっつけてどっちも正しいよね、って、そう単純なのかな~
ユングの錬金術に、王様と女王様の結合の絵が出てくるのですけれど、「合体!」とか、「統合」じゃなくって、ユングさんは、「結合」って言葉にこだわっておられるようです。
それは、聞くところによると、論理的に説明するのではなくイメージの中で現れてくるものだからということのようです・・・
でも、それって、どっちかというと、やっぱし科学じゃ無理なのよねって言われてる感じがしません?
そういわれると、俄然科学で説明したくなってしまうのがまなみんです。
ちょっぴりかじっただけの量子論で、「愛は波動じゃ~」って叫んでるからな~
やっぱり学会ではアヤシイ人なのかも。
信じるものは救われる~ といいますね。確かに。
とすると・・・一番救われない人たち、それは科学者です。
だって、疑うのが仕事みたいだから。
でも、だから、疑って疑って、ひとつづつ納得する証拠と理論を構築した後は、すご
い信念になってしまうのもうなずけるわ。
でも、科学者にも落とし穴があるんです。
日常生活で科学しちゃうと、細かすぎ、理屈っぽくなっちゃいます。
データしか信じないという方針で行くと、やっぱり人間関係あまり幸せにならないよ
うな気がします・・・
お姫様「愛してる・・・あなたこそ私のソウルメイトだわ。かけがいのない宇宙的な
つながりを感じるもの」
王子様「そうですか、思い込みかもしれないから、ちょっと調べてみましょう。そう
思われる根拠はまず、どういうとこにありますか?ソウルメイトの定義からはじめな
ければ・・・」
実はまなみん、こういう王子様大好きなんだけど、きっと、少数派でしょうね。
でも、科学って実はすご~くロマンチックなんです。
世界が不思議でいっぱいだってことが、理屈で突き詰めていくと本当にわかってくる
から。
それに、ほら、芸術家とか詩人とか作家とか、不健康っぽくなる人が多いでしょ。
それに比べると、科学者って健康でしょ?
どうしてだと思いますか?
左脳を鍛えると落ち込まないみたいなんです。
秩序正しく冷静に分析するからね。
スピリチュアルブームで、みんななんか科学主義に反対してるみたいに見えます。
でも、まなみんは、もっと左脳(論理的思考)鍛える方向で行きましょうって主張し
たいんです。
そうしないと、危ないよ~
知らないうちに、ルシファーちゃんが狙ってるから。
気をつけてね~
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