尾崎真奈美の天使語同時通訳します

2006年12月

御節はアートだあ

皆様おせち料理はお好きですか?

うちは毎年手作りしています。
独創的な菜食で、お砂糖や油も使わないのです。
今年のは、最強の鉄人御節で、プルーンとかビーツとかレーズン、クコの実などが、アーモンドや胡桃といったナッツに彩を添えています。
つい昔の風習でいっぱい作りすぎてしまいました。
おかずがすごいから、お雑煮はおもちと三つ葉とゆずだけでシンプルにいたしましょう。
年越しのおそばはとろろそばにしました。

体調のせいで、大好きな大掃除ができていませんけど、テーブルクロスを真っ白なレースにかえて、古代紫のお正月用プレイスマットにしてみました。
ナプキンで鶴を折って添えてみました。
キャンドルはすがすがしいコットンのアロマで・・・

まったく伝統的じゃないですね・・・笑

温泉につかり、ヨガ瞑想でもしながら静かな年越しといたしましょう。

↑なんか、年とったな~まなみんらしくないぜ。笑

本当は横浜の大桟橋で踊りたかった・・・
新年の誓いは、ちょっと早いけど・・・

ま、あるがままに・・・

発達してるんだろうか・・・

みなさん、月日がたつのが年々、早くなりますね!

どんどん年取っていくのに、実際私たちはいい方向に向かって発達してるのでしょうか・・・
部分的に眺めたら、記憶力が悪くなってきたとか、早く走れないとか、能力的に減ってきてる部分もありますけれど、どうなんでしょ。

発達心理学では、発達のことをある一定の方向性を持った変化と捉えます。
最近は生まれてから死ぬ前までを発達と捉えているようですけれど、そこにはきっと、スピリチュアルな魂の発達の可能性を暗に想定してるんじゃないかなと思います。
だって、心身は当然衰えていきますものね。

しわが増えたり白髪になったり体が動かなくなっていく・・・というのはさびしいことですけれど、その中で見えてくるものも大きいですね。
私は体調が悪く、動けなくなって見えてきたものがたくさんあります。
失われてはじめて実感するものがあるんです。
今までイマジネーションだったものがホンモノの経験として現われてくるといいますか。
本当に大切なことが、たぶんそれ以外のものが奪い去られてしまうからでしょうけれど、見えてきます。
そうすると、逆説的ですけれど、ほっとします。

今まで気にしていたことが、お遊びでしかない夢のようなものとしか感じられなくなりますからね。
そうやって見えてきたものは、どんなことがあっても取り去られることがないものなので、たとえ肉体が滅びたとしても・・・
とても安心します。
そういうスピリチュアルなものが見えてくるのが究極の発達かなと思います。
肉体も精神も活発なうちにそれが獲得できたら、どんなに充実した人生が送れることでしょう。

それに気がつくために神様が私に下さったプレゼントがこの病なのかなと思ったりします。

もうわかったから、いい加減治してよね、と思います。
でも、去年治ったと思ったら、またその大切なことを忘れがちになってしまうということも経験しました。
ホント、のどもと過ぎたら暑さを忘れる私です。
だから、そう思うと、ホント、何でも感謝だな~と思います。

すばらしい朝日です。
今年を振り返りながらよい一日をお過ごしくださいね。

仏教心理学

藤田一照さんというアメリカがえりの禅のお坊様の訳された、仏教心理学という本を読んで、ちょっとショック気味のまなみんです。
まだよくわかってないからだと思いますが、今まで知ってた心理学とぜんぜん違うんです!

自己表現をアサーティブにじゃなくって、ネガティブなものは心に秘めて出すなとか。
愛と光に満ちた世界じゃなくって、苦しみに満ちた世界だっていうし。。。

あああああ
なんか落ち込んじゃいそうですよ・・・

確かにこの世は苦しみの連続ですけどね、だからってとりたてて言わなくても・・・
わかりきってるから。。。
だからこそ、光を見つめましょというのがまなみんの主張なのですけど。
抑圧してるつもりはないんですけどね。
闇が深いからこそ!
なんだけど・・・

目指してるものは同じだと思うんですが、西洋も東洋も。
統合していけるかな~
なかなかですね・・・
前提となっているものが違うから、言葉や理論以前の問題って気もしますね。
ま、だから面白いんですが。

暮れとお正月は、なんか思いっきり日本人したくなる季節です。
菜食でお砂糖も使わず御節を作っています。
最強の貧血解消料理、黒豆に鉄釘とプルーン入れました。
栗きんとんはりんごジュースで甘くして、レーズンとアーモンドも入れました。

伝統的じゃないですね。
(やっぱ、仏教無理かな・・・)

SQって健康によいの?

2000年以降、スピリチュアリティーに関する学術論文はなんと3000以上報告されています!
ただ、日本国内では10いくつ・・・しょぼすぎ・・・笑

スピリチュアリティーが健康によい、SQが高いと元気になる、と当たり前のように信じていませんでしたか?実はそういうのどかな時代から、よく考えていかないと・・という時代に入りつつあるようです。

人生に意味を見出したり、ポジティブに信頼して生きていくことが健康を促進するか・・・

確かに、生きる意欲は高まります。
精神衛生もよくなることも多いです。
が、しかし、実存的苦悩がもっと深まったり、高潔な道徳心から適応がかえって難しくなり、苦難の道を歩むことも多そうです。
だから、単純に、SQあげて元気になろう!にはならないかも、です。
でも、それは今、ここでのことしか考えていない発想だからです。

永遠性に視野を移していくときに、ホンモノの、朽ちない健康と命が与えられてることに気がつくでしょう。(スピリチュアルヘルス)

ただ、微妙な問題もあります。
そう、酔いしれないでくださいね!
この世もよいものですから・・

スピリチュアルヒーリング

スピリチュアルヒーリングが本当にあるかどうか科学的に検証しようとしている人たちがいます。
で、調べてみたのですが、ほとんどは効果なしなんですよ!
え?

だって・・・治るわよ!

という方に、それはあなたの期待や信念が治してる・・・って言われてるものの作用みたいです。
つまり、プラシーボ効果といわれてるものですね。

ま、そうじゃない場合ももちろんあります。
ランセットって言う権威ある医学雑誌に出てました。
期待や信念が入り込まないようにコントロールした条件で心臓病患者に、瞑想、音楽、タッチ、なんかやってみたら、ストレスが減っただけでなく、6ヵ月後の死亡率が通常の治療したグループに比べてよくなっていたというのね。
でも、この効果って、まずストレス緩和に役立って、その結果心身相関で肉体の健康度が向上して・・・ということなら別にスピリチュアルでもなんでもないですよね。

フラワーレメディーとかは、今のとこ、プラシーボだって言う報告ばっかりです。
これきいて、もうやめようって思います?

まあまあまあ・・・

プラシーボでも何でも、自分にきけばいいんじゃないでしょうか?
科学的検証ができない部分できっときいてるんでしょうから。
科学者って何やってるんでしょうね・・・
でも、何とかその重要性を訴えようとしてるんだから・・・
馬鹿ね~なんていわないでね。

パワースポット

まなみんのパワースポットを教えてください!ときかれて困った。

そんなこと、考えたことがなかったから・・・

考えてみたら、
「ここ!」
としかこたえようがないんだ。

だって、いま自分がいるとこが、常に本当に最高だから。

もしそうじゃなくなったとしたら、そうしていくし、ね。

JOYの後は偉大なPEACE

みなさん
クリスマスのプレゼントはなんでしたか?

ホンモノのプレゼントは・・・
モノじゃないんですよね・・・
目に見えないプレゼント、たくさん受け取りましたか?

3歳のアンナちゃんも静かに歌ってくれました。

http://www.voiceblog.jp/manamioz/

隣人愛

皆さんきいて!
まなみんは、ここんともずっと調子が悪く外出できずほとんど寝たきりでした。
しかし、クリスマスイブくらいとがんばって起き上がって教会にいったんです。

そしたら・・・・

やってないのよ!

何で~?
と思ったら、そういえば23日に全部プログラムするってメールが来てました。
全部って、まさか、主日礼拝までとは思わなかったよ。
今日日曜日じゃないですか。

実は私の通う教会メンバーの半分以上は、外国人宣教師なんです。
で、実はアメリカ人宣教師たちは、家族をとても大切にするから、
24日や25日にはみんな家でゆっくりするという伝統があったのでした。

汝の隣人を愛せ。ということは、まず自分自身そして家族を、という徹底した態度です。
とっても健全な自己愛だなといつも見習わされます。
こうやって愛にあふれる家族に育ったからこそ、隣人への奉仕なんでしょうね。

お出かけしないで、今日はゆっくりアップルパイとパンプキンパイなどを焼きながらキャロルを歌って過ごそうと思っています。
アップルシナモンの香りは、クリスマスの香りです。
お届けできないのは残念・・・
キャロルでも聴いてね。

天使の歌♪

ひとりキャロリングしちゃいました♪

http://www.voiceblog.jp/manamioz/

育児と介護のハザマで

女性って本当に大変だと思います。
あ、男性も男性の大変さがあると思うのですけれど、ごめんなさい。
育児と介護の責任はどうしても女性の側の負担が大きい気がして・・・

実際、人生の半分以上の時間とエネルギーはこれで費やされますね。
育児も介護も手抜きできない、人に任せられないことですから・・・
その合間に何か専門的な、社会的な仕事をする・・というわけで、女性が無理してしまうのも仕様がないのかな~なんて思う今日この頃です。

子育てが終わって、さあ、これからだ~と思っている矢先に親が倒れたなんていう話もよく聞きます。うちの場合、自分自身が倒れて、いまだに親から介護してもらうという情けない有様ですが・・・

これも、限られた時間のなかでできるだけのことをしておきたい、介護のために引退するまでどのくらい時間があるかわからないから・・・という気持ちがあったのは事実です。しかし、親に介護してもらうんじゃ、またく本末転倒・・・というわけで、現在は体の復帰が私の最重要課題です。

しかしね~
何してるんでしょ。
お金にならない論文かいて・・・
でも、好きなんですよね。
人や社会に貢献するからという使命感とかじゃなくて、ただ、好きなんです、楽しいんです。
やり過ぎないように気をつけます。
というか、できないように、からだからストップかけられているというのが事実です。
からださん、ありがとう。

甘えること、いいじゃない?

依存というと、依存症とか、共依存とか病的な依存の害が知られていて、みんなしっかり自立しなきゃと思ってがんばってるかも知れない。
みんなが自立して助けを求めなくなったらどうなるだろう・・・

ばらばらでさびしい世界になってしまうんじゃないでしょうか。

日本人はもともと甘えるのが上手だったと思います。
その弊害が指摘されるようになって、他人に迷惑をかけないようにしよう!と、助けが必要なときにがんばって倒れちゃう人とか多いような気がします。
がんばりすぎの人は、きついと感じることもできないみたいです。
きついなんて感じること自体、あまえてる!ですか・・・

からだにでるよ~
体調不調のときはそのサインだと思ったほうがいいですよ~

問題なのはむしろ親切おせっかいのほうかもよ。
あれって、相手の依存を助長させてコントロールしようとしてることだから・・
人を自分の思い通りに動かしたいから、こんなにしてやってるのに・・・・という態度、苦手だな~。
ああいうのが一番ストレスになりますね。
本人が気がついてなかったりするし。
親切だと思ってしてるからね、断ると機嫌悪くなる。笑
何のためなんだか・・・それですぐわかるじゃない。
で、本当に助けが必要なときに助けてというと、甘えてる!か~
あああ。

ホント、人ってどこまでも自分中心から抜け出すの難しいですね。

解決志向

問題が起きたときに問題を分析して解決すること・・・
あるかもしれないけど、心の問題となると複雑で、かえってそれにとらわれて症状が固着してしまうこともありそう。

忘れていた小さいころの虐待を思い出して訴訟する話がよくあるらしいけど、記憶はゆがむものだ。
母親は1回たたいたら、10回以上抱きしめているのに、子供はその一回の悲劇しか記憶していないらしい。

悲惨なことはうんざりするほど満ち満ちている。
その原因を探るより、今、ここで何ができるか、どうしたいか、どうなりたいかにフォーカスしていくほうがずっと賢明である。

私のクラスに出てるだけで、リストカットや、過呼吸、対人恐怖が治った・・・という話を聞いてびっくりすることがある。
そんな話は何もしていない。
個人的な話を聞く機会もないし、カウンセリング的アプローチはしない。

なぜよくなるのか?
光に目を向けるアプローチをするだけだ。

トラウマ・・・誰でもきっと、たくさん持っている。そこにフォーカスすると、症状の納得いく原因を見つけ出して、とどまっていくことが多い気がする。積極的なストーリーを見出していけたらよいけど、かえって自己憐憫に陥ることが多いのではないか。

私の少ない経験からはそのような結論が導かれるんだけど。

個の成熟セミナー

第3期トランスパーソナル学セミナー・第3回 おしらせです

開催日時 2007年01月13日(13:30~17:00)
開催場所 東京都 (三田・仏教伝道会館)
関連コミュニティ スピリチュアリティーの学際研究
詳細 日本トランスパーソナル学会主催セミナーより
http://www.ne.jp/asahi/jta/akss/kouza/kouza_frame.htm

「個の成熟:マズロー、フランクル」

講師:尾崎真奈美

トランスパーソナル心理学・先駆者たちの軌跡をたどってみると、思いがけない発見がある。トランスパーソナルな求道は、今ここでの日常生活を神聖なものとして体験していくというオーソドックスなあり方こそが、ほんものスピリチュアリティーであることを、先人たちは繰り返し述べている。ジェームズのプラグマティズム、フランクルの自己超越と意味への意志、マズローのプラトーとZ理論、アサジョーリのWILLとJOYなどをたどりながら、個の成熟というオーソドックスなテーマをほりさげていく。

個の成熟とは何か、自我の確立、そして成熟した依存、一体感といった対立する概念を具体化するにはどのような方法で可能になるのか。ロゴスとエロス、科学と芸術、男性性と女性性などを統合するにはどのようなやり方が存在するのか。
理論とともに以下のようなオリジナルなワークを通じて学習する。

(1) ビジョンロジック段階へいたる実践ワークとしての思考実験

(2) ボディームーブメントによる解き放ちのワーク

なおこの講座は、聖パウロ国際大学大学院「スピリチュアル心理学研究科」のスクーリング単位として認定され、参加費は領収書と共に、大学側から払い戻しがあります。
http://www.stpaulos-univ.jp/spiritpsycho.htm

詩と真実

朝から詩集を読んでいた。

この洗練された表現形態に勝るものがあるのだろうか。
こういう朝には、フラットランドでの説明が無意味に思えてくる。

昨日左脳で真実追求をしすぎたせいだ。
今日は右脳で美を追求していく。
あしたには、統合された善が見えてくることを期待しながら・・・

SQ高いと元気になりますか?

今日は学会はしごです。

テーマは最近気になっている道徳性の高さとメンタルヘルスの関連です。
スピリチュアリティーが高い人たちが健康的だという科学報告はたくさんありますが、そう単純ではないことに最近気がついて気になっているのです。

もちろんスピリチュアリティーをどう捉えるかにもよります。道徳性をどう捉えるか、健康をどう捕らえるかにもよります。
WHOで提唱されつつまだ採択にいたっていないスピリチュアリティーという軸の健康を考えてみると、肉体、精神、社会的健康と並列的に捉え、スピリチュアな健康度も、総体としての健康に関連するというモデルになっています。
しかしそこで抜け落ちていくものを、どう捉えるかが課題です。

メンタルヘルスとスピリチュアルヘルスをきちんとわけたらうまく説明できるというのがひとつの考え方です。その際、スピリチュアリティーを道徳性の高さで代表されると考え、コールバーグの第6段階のような道徳性を持った場合、社会によっては孤立することも、喜びながら命を落とすことだってあるわけです。。このような状態をどう表現しますか。

スピリチュルな健康が高いというべきなのか。スピリチュアリティーは、いわゆるこの世的健康を促進しない側面があるというべきか、どっちがわかりやすいですか?

スピリチュアリティー研究会のHPから本日午後の催しをご確認ください。
急なご参加でも歓迎いたします!
アートパフォーマンスもあります。お楽しみに・・・

心身医学会での発表、今朝の音声ブログに録音しました。早口ごめんなさいです・・・

ヒトが多すぎる

電車は苦手なんだけど、どうしても乗らざるを得ないときがあります。
しかも、ラッシュ時でした。
しかも、殺人的、金曜夕方6時の新宿駅でした。

大きな旅行かばんを抱えた私は身動きできず、後から後から押し寄せてくるヒトの波に乗れずボーゼンと立ち尽くしながら、人間やめたい、消えてなくなりたいと思いました。

人間が人間らしく生きていけない、物理的な環境破壊の原因は、単純。
人が多すぎるということだけ。
自分もそれを引き起こしている存在だと思ったときに、その存在をなくしてしまいたいと考えてしまうのは、まあ理にかなっているでしょう?

最近自殺が多いように感じるのは、自然の摂理の自然淘汰なのかしら・・
ふと感じてしまいました。

まなみん、かなりつかれてるな~もうねようっと。
取っておきのバラのアロマバスで少し回復したから、ちょっとかける気持ちになりました。
皆様もお大事に・・・
おやすみなさい
おやすみなさい。

自然の法則と人間界の法則と

ある精神科医が、高機能発達障害の子達のことを、「自然界の法則にしたがっているけど、人間界の法則に従うのが難しい」人たちだと話してた。なるほどと思った。

人間世界に適応しすぎて、バーンアウトしたり心身症になったりする人たちにはよく、「体の声を聞いて」というけれど、自然界の法則にしたがってみようというアドバイスだと思う。

でも、自然界の法則に従っていて人間界の法則に従ってない子達に、人間界の法則を教えようとしてもなかなか難しい。頭で理解しても、まったく自分自身のあり方にあわないから、行動は変えてもつかれきってしまうのだ。

自然界の法則に従っていていいんじゃないかと思う。
だってそちらが基本だから。
できる範囲で理解できたとこだけ、取り入れられるとこだけやっていけばいいと思う。
無理に矯正して、学校や職場で死ぬほど苦しんで、生きている意味を失いそうになるほど自分を殺してしまうよりずっといいと、思う。

そういうあり方を認められる社会になっていけばずっとみんな住みやすくなって笑顔が戻ってくるのにな、と思う。

意味なんか、ない!


フランクルは「意味への意志」を主張し、それが人を生きていくうえで最も重要なものであるとした。

しかし、意味とは何なのか。
WHY?とたずねるときそこに存在するものは、科学ではなく、つまり普遍的真実ではなく、まったくの主観的世界だけなのだ。

そのことの持つ危うさについての考察が必要ではないだろうか。

生きることの意味、死ぬことの意味、病気の意味。

すべてが自分だけのストーリーであるから、どのようにでも書き換えられるのだ。つまり、どのような輝かしいものにでも、どのような愚かしい悲惨な物語でも作りえるし、それを自分のなかのリアリティーとして強い信念として持つことが可能なのだ。

すべてに意味はある、しかしすべてに意味などない、と私が主張するのはこのことの危険を危惧するからだ。

アポフェニア、関係妄想、といった病的な状態も知られている。
危険で不健康なスピリチュアリティーのなかに、このようなものが観察される。

すべてのものに陰と陽がある。
単純に、意味というものを考えても、このように病的に陥ることさえあるのだ。


絶望的に悲惨な状態に直面しているとき、
「すべてに意味があるのだ」
と言われてどう感じるだろうか。
「すべてに意味がある」と言うことの意味は見出せても、心情的についていけないで、冷たさを感じてしまうこともある。

生まれたばかりの子供が死ぬことの意味。
最愛の人がとつぜん去っていくことの意味。
絶え間ない激しい痛みに苦しむことの意味。

現実には、「意味などあるものか!!」と言う正直な心情があって当然だ。

意味と言うものは、第三者が、カウンセラーが、先生が、親が、「このことには意味があるはずだから、がんばってね」
と言うような距離を置いた文脈で発言されるものではない。

実際にその中でもがき苦しみ、絶望のふちまで行ったその当事者だけが、その漆黒の中で見つけ出す、かすかな、わずかな、今にも消えそうな光のようなものだからだ。
しかし、苦しみや闇が大きければ大きいほど、その光は力を増し輝きをまし、すべてを覆いつくしていくのも事実だ。
それはもはや自分の力ではない。

意味を見出そうとする意志、方向付けは確かに自分かもしれない。
しかし、そこに光が存在することは、自分が光を置いたのではないのだ。自分が光をともしたのではないのだ。
そこに、初めからあったのだ。
見えなくなっていた目を開かれただけなのだ。

安楽死

原因不明で、だんだん体中の筋肉が力をなくして動けなくなってきたおじのお見舞いに行った。
話をすることと呼吸はまだ自力でできる。
一番辛いのは痒いとこをかけない事・・・眠れなくせつないそうだ。
想像してみてください、どんなに辛いことか。
胃に直接チューブで栄養を入れているらしく、夢はおいしいものを食べていることばかりだそうだ。

知覚神経系はまったく衰えていないどころかますます鋭敏になって感じすぎているのに、動けない。
どんなにフラストレーションがたまることだろう。

パソコンもいじれないし、書いたり読んだり、歯磨き、顔洗い、排泄や基本的な生活も自力でできないのだ。(音声入力や眼球の動きを認識するパソコンあるよ!って話したけど、疲れきってなかなかそこまで気力が出てきてないらしい)

おじは非常にプライドの高い人なんだけど、同室の入院患者はほとんどが認知症でコミュニケーションが取れない。頭にくるのは看護士や介護福祉士などが、おじを頭の弱い人のようにあつかったり、時にはモノ扱いしてしまうことらしい。
目撃してしまった。
親族がお見舞いに来ている前でさえこうなのか・・・
涙が出そうになった。
でも、私も何もいえなかった。
ああ、どんなに辛いことだろう・・・

もっと辛いのは、医師が安楽死をどう思うか、生命維持装置をどうしたいかなどと尋ねてくること・・・
おじは言う。
安楽死なんて、自殺か殺人と同罪だ。
痛みを終結させるという本人の意志があるならともかく、頭脳明晰で、いまだに俳句を投稿したりしているおじなのに。

確かに介護は大変で、医療費も莫大なものになっていることだろう。

安楽死しろ?
それはうつ病になって早く自殺しろといってることと同じだ。

スピリチュアル心理学研究科開講しました

通信制で学位が取れる聖パウロ国際大学大学院で、ずいぶん前から申請していた「スピリチュアル心理学研究科」がとうとう来年早々から開講になりました。

インテグラル思想から、人間性心理学やトランスパーソナル心理学などオーソドックスなところから、最新のアカデミズムで迫れるぎりぎりのところまで知の冒険をいたします。

スクーリングやネット上の個人ゼミではいろんなお話も歓迎です。

どうぞお問い合わせくださいね。

http://www.stpaulos-univ.jp/spiritpsycho.htm

優先順位

忙しくて時間とエネルギーが限られているときに、どのように過ごしますか?
やらなければいけないこと、義務をまず先に、というのが優等生のお答えですね。

まなみんは、まず睡眠を、お食事を、そして運動をとお答えします。
体力あってのものですから。その基本を崩さないでしっかりした後の時間を使って何をするかを考えましょう。基本的なライフスタイルが崩れると何もできなくなってしまう恐れがある・・・このことは本当に経験済みです。

忘年会やクリスマスパーティーのシーズンですけれど、ころあいを見て引き上げる勇気はお持ちですか?
時間の観念のないさびしい人たち、やるべき使命を持ってない人たちと方たちとずるずるお付き合いしてあとできつい思いをしないように・・・長くいるからいいってもんでもないでしょうし。
恋人とはいつまでも一緒にいたいと思うかもしれませんが、そこをさっと切り上げて帰る潔さがさわやかだと思います。それで嫌われたりはしないと思いますよ。それに文句言うような依存した自立してないパートナーだったら、考えたほうがよさそうね。

いつも楽しい事をしましょう!やりたいことは何ですか?っていってますけれど、それは実は義務だったり仕事だったりします。それが楽しくやりたいことになって来る状態のことを話していますから、誤解のないように・・・

義務って押し付けられると絶対にやりたくなくなります。締め切りが近いからお願いしますなんていわれると、まなみんはまったくインスピレーションが出てこない人です。
やりたいからやるんです。
書きたいときだけ書くんです。
このブログだって、義務だなんて思ってないし、まして仕事だなんてまったく感じてないですからやりたくてやってるだけ・・・
強迫的って見えますか?いえ、好きでやってるだけです。
だから昨日はしないで、ゆっくり湯船に15分つかることのほうを選びました。
朝5時半にでなければいけないハードな日だったから。

やるべきことが楽しいことになって時間を埋めていきたいですね。
優先順位がしたいことの順番になったら・・・・
最高!ですね。
で、それは可能なんです。
そのためにいやなこと、やりたくないことを少し脇において、あと1年の命だったら何をするか、考えてみましょう。
本当にやるべき重要なことが見えてくると思います。
だから楽しんです。
超わがままとも言います。
しかし、たのしいことで時間を埋めていたら、自然にニコニコしちゃいます。
仕事がはかどるとまた楽しいものです。
仕事や勉強って、ホント楽しいですよね!
できることに感謝ですよ、皆様。

スピリチュアリティーを科学する

スピリチュアリティーを科学する !

カテゴリーエラーだろ!とかいろいろ言われてますが・・・

科学というのは自然科学とは限らない。
科学主義に対する反発から、科学を超えたものを尊重するといいながら、前近代的な根拠のないものをありがたがる風潮があるけど、それは真実を追究することにはならない。

ナラティブな社会構成主義という方法論は、ストーリーを大切にするし、主観あるいは観察者効果というものを重視するけれど、やはり、大きな枠組みの中で科学なのだ。つまりそれは普遍的な真理追求の道筋だから。

宗教は科学ではありえない。その中にすばらしい知恵はあるけれど宗教の言葉を使っては普遍的な真理は語れない。偏見と恐怖と抵抗から戦争になるかもしれない・・・ならなくても、コミュニケーションは成り立たないのだ。怖い世界だ。

普遍的に全人類に貢献する真理は、客観性を捨て去ることはできない。
再現性に関しては現象や体験についてはありえないことだけど。

新しい科学について、人間科学、経験科学、内なる科学いろいろなタームがあるけれど、それらが何を意味しているのかをきちんと問わなければならないだろう。

科学主義を捨て去ることは統合を意味しない。
還元主義のフラットランドは確かに無意味だけど、その反対のカテゴリーエラーに注意する必要を強調しておきたい。

つまり全部天使語で話しちゃうってことね。
だから、まなみん、時々かちんこちんになってバランスをとります。

超健康志向

からだが敏感なせいもあって、まなみんはやたら健康志向です。
普通の人と同じようにしてたら崩壊してしまうので、小さいときから、7時ごろ寝て5時ごろ起きる生活でした。太陽とともになんです。

都会の大人の生活は夜の仕事があるので、それでてきめんに体を壊してしまいます。
夜の会議なんて殺人行為ですね。一回出ると10日間ボーっとしてしまうくらいです。
友達とのおしゃべりが楽しくて、連日10時ごろまで話してたことがあって、それでダウンしてしまいました。

体が動かなくなってから休むと、ものすごい辛いしお金も時間もかかります。

で、今はめちゃくちゃ厳しい生活しています。
最小限のことだけにして、後は寝る。
ブログよくやるね~って?

これは気分転換で隙間の時間に5分と決めてるからま、何とかできてます。

皆様も、どうぞ、疲れる前に休んでくださいね。
やることが多くて難しいかもしれないけど、だからこそ、最高の状態でお仕事したほうが能率もよく頭もさえていい仕事ができますから。

いじめ傍観者も同罪

いじめの傍観者は多い。
注意したら次の標的になるからという恐れが一番多い。
2番目は、関係ないから、人は人。というコメント。
唖然とした。

本当は心優しい子達なのに。
いつの間にこのような間違った個人主義を身につけてしまったのだろう・・・
教育の効果は恐ろしい。

「奇跡の起こし方」読んでください!

ああ、そして、いじめっ子を擁護し、いじめられる側に問題があるという態度や意見・・

「モラル・ハラスメント」読んでください!

何気にリスカ?

幼児的な万能感が崩されて落ち込み、衝動的に落ち込んで、他罰的に攻撃的になるタイプ、あるいは、リストカットなどしてしまうタイプが増えているらしい。

昔の青年の苦しみとは、何のために生きているのか、よりよく生きるためにはどうしたらよいのかというもっと、本質的な苦しみであった気がする、実存的とか、スピリチュアルな苦しみといってもいいかもしれない。

これを区別しないでうつ状態としてくくって同じように抗鬱剤の処方をしていてよいのだろうか。

メンタルヘルス的には同じようにうつ状態であるけれども、スピリチュアルヘルス的には軸がまったく反対方向である。つまり、自己中心的と、宇宙中心的という正反対の方向を向いているのだ。

したがって、アプローチ法も異なるはずだ。

私の天使語が、自己中をもっと強めてしまうことになっていたとしたら、本当に悲しい。
いろんな感性の人に同時発信することは難しい。
タイプ別にまったく反対のことを言う必要があったりするのだ・・・

パラドックス

悲しみや苦しみを知っている人だけが、本当の喜びを知っているのだということがわかってきた。

「いつも喜んでいなさい!」

という聖書の教えは、苦しむな、ポジティブに考えろということではない。
むしろ苦しみを引き受けなさい。味わいつくしなさいという意味だということがわかってきた。

逃げていては、この究極の喜びは決して知ることも経験することもできないのだ。

なぜって、苦しみの中にこそ喜びがあるからだ。
マゾではない。

激しい陣痛で気を失ってしまいそうになる瞬間に、すっと痛みのなくなる時期がある。
痛みは、ひいては返す波のように押し寄せる。
もうこれ以上耐えられそうにないと思ったときに、リリーフはやってくる。
だから、耐えられるし、痛みのない瞬間に途方もない感謝と安らぎを見出すのだ。

そしてその苦痛の極限で、この世のものとは思われない喜びが誕生するのだ。

「悲しむ人は幸い」
というのはこういうことを意味してるのかもしれない。

プロフィール

尾崎真奈美尾崎真奈美

東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。ペンシルバニア大学医学部精神科、東京大学医学部公衆衛生学研究室などを経て、現在相模女子大学人間心理学科准教授、米国サーチインスティチュート、スピリチュアリティ発達センター客員研究員。
インテグラル心理学・スピリチュアリティ論・芸術療法などを教えながら研究、ダンス、執筆活動を続け、科学と芸術の統合を試みる。
天使語同時通訳は日々のインスピレーションの書き散らしである。
日本トランスパーソナル学会理事。日本心身医学会、日本トランスパーソナル心理学・精神医学会、国際生命情報科学会、国際ポジティブ心理学会会員。

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