
スピリチュアルな状態って・・・
まなみんは、喜びにあふれてます! ッてずうっと主張してきていますけど、実はそう単純じゃないんですよね・・
フランクルに代表されると思うんですけど、苦しみの意味というのかな・・・成長には苦しみが伴うって。ま、そうかもしれません。
それを切り捨てたり無視したりしたら、成長がない、というのは、でも、つまり、喜びがないということになります。
私がJOYJOYJOYというのは、ラッキー!!やったー!!ッていう、個人的経験だけを意味してるのじゃないし、この世的な成功や満足を意味してるのでもないし。
このことはマズローだって、B価値っていって、D価値という、欠乏に基づいたものの充足と区別してますよね。つまり、何もないところにもある、実存的な価値や意味ですか。
これって、人間側から見たら苦しみの極地。
あちらから見たら喜びの極地なんですよね。
視点が違ってるだけで同じことなんです。
スピリチュアリティーは極限の苦しみであり喜び・・・
ま、感動かな~
なんて、またまた夢の中で思いついた、まなみんでした。
睡眠学習も馬鹿にはなりません・・・
といってせっせとよく寝ています。
日本人はスピーチを始めるときに謝りながらはじめ、アメリカ人は冗談から始める、とよく言われます。
笑いたくなるほどそのとおりです。
冗談は面白いし笑って楽しくなるから好きだけど、謝られると、まなみんはいやな気持ちになります。
なぜか?
それは何か私がその人に謝らせなければいけないようなことをしてしまったのかしら・・・と気になってしまうからです。謙遜というより卑屈にさえ見えて美しくないのね。
「未熟者でまだまだですが」って、そんなこといわなくてもわかってるし、みんなそうだしから・・・
儀礼的に言ってるのもすぐわかるけど、そういうの、もっと気持ちが悪いですね。
別に自分のことをすごいだろ~って自慢しなくてもいいけど、
たくさんの方の協力と努力でこんなすばらしいものができた!
発表の機会を与えられて光栄です!
くらい言って欲しいな。
あ、気がついた。
自分って気持ちが強すぎるから卑下するんだね。
みんなつながってると思ったら卑下できないでしょ。
自己卑下は大切な人をこき下ろすことにつながるからね。
そだそだ。
みんな、喜んでかんしゃしていきましょう。
だって、だって・・・
このままで、ほんとうにすごいじゃない!
理論的に構築されたものの正しさを証明するためには、実際に、ほらこうでしょ。
と示す必要がある。
データがあるとなるほど・・と説得しやすいわけだ。
自分勝手な思いつきじゃないの!ってことを示すにはほら、ほかの人もそういってるし・・・ということもあるから文献検索も必要だったりする。
けど、ナラティヴな方法論をみると、みんながそういうからとか、もう一度やってみてもそうなったとか言うことで判断されない。
その話は美しいね~が一番なのだそうで。
個人の美意識はどこから来るか。
心理学の理論によると、経験が大きいでしょってことになる。
つまり見慣れてるって言うこと。
普遍的には、たとえば、整った美しさって言うのがあるけど、でも、人によってはそれがうそっぽく感じて、崩したのが真実性があって美しいと思ったりするみたいだし・・・
やっぱり好みあるよね・・・
何が正しいかってことになるとバトルは血を見るっていうんで、何が美しいかって言う議論にすり替えようって発想があったけど、それでもまたけんかになるな・・・
だって、美に命かけてる人にとっては、それが生きる喜びであり、すべてなんだから・・・
つまり、真善美は一体だということよね、やっぱり。
美学って言うのがあるけど、美は美を創造することによってしか表せないから文字で説明するの無理じゃない?
善が考えや言葉じゃなく、行動や態度によるっていうのと同じで。
とすると、学問の対象としてはやっぱり真実が一番無難?もちろんつかむことはできないという前提の上だけどね。
で、何がいちばん大切かっていうと・・・
やっぱり、善だよね。最終的判断はきっと、そうなると思うんだけど。
でも、善悪の判断って、これがまた・・・バトルになるんだよね・・・
どうしたらいいの???
人間は精神的な存在であると同時に、社会的に適応した市民であるという二つの生き方を生ききってこそ実存的意味がある・・だったかな・・・サルトルだったかな・・・
ふと急に思い出した。
そう、実社会では、社会的市民が多く、精神的存在は生きにくいから少数派のようです。
両方のバランスをとって生きていくのが理想ですよね。
頭ではよくわかります。
しかし・・・
まなみんの場合・・・
大多数の人と逆の悩みを抱えているということに、うすうす気がついてたけど、まったくもって、あああああああ
どないするねん
関西弁でもつこうてみたら、ごっついおばはんになりよるやろか。
関西出身のお方、かんにんな~
いいかたかえても、どうもならんて。
どこからいくらお金がはいってどこにいくらいつ出て行きよるかも知らんモンが、立派な市民にはなれんわな~
今まで、選挙したこともないんやで。
理由は真面目すぎるンやけどナ・・・ようしらん人に投票できへんて。
なんや、まなみん、めんどくさいだけやろ
そないなことゆうてもええのんか?ここ、まじめなSQライフやで。
そないなことしらん、かってにしいや・・・
えろうすんまへん・・・
スピリチュアルヒーリングって、なんか科学的によくわかってないけど、病気が治る~
という感じで、スピリチュアルブームと一緒になってはやってますけど。
いいたいことがいっぱいあります。
というわけで論文かきました。
やわらかく言いますと、
1.スピリチュアルヒーリングって、魂の癒しでしょ!
2.魂が癒されるってことでしょ!
3.病気が治らないって・・・そういうことが目的じゃないでしょ!
4.病気が治らないからって、行いが悪いからだとか、過去生の怨念がなんておどさないでよね!
5.そもそも目的はなんなのよ!
6.魂のいやしって何か考えてみた?
7.キリストが言ってる「汝の罪は癒された」って意味わかる?
8.体を癒すより罪の許しのほうが大切って言ってるよね
9.魂の癒しは罪の許し
10.つまり、あるがままの受容
11.つまり自己実現
12.つまりトランスパーソナルセルフとの一致
13.だからといって病気が治ると限らないでしょ
14.スピリチュアルヒーリングは魂の癒し
それ忘れてとんでもないことが起きてるよ・・・
まったく・・・
あ、ぜんぜんやわらかくなかった・・・
論文のほうがまだ冷静に分析してる。
つい熱くなってしまいました。失礼。
西洋では真善美、東洋では陰陽の統合が目的とされています。
でも、統合って一体どうやって起きるのか、矛盾した事柄がどうやって一緒になっていくかがどうもうまく説明できませんでした。
矛盾を同時に抱えていくことなんてちょっとしんどすぎます。
溶け合っていくなんて、訳がわからないじゃないですか・・・それでいいの??
で、今朝寝てるときにひらめいたこと・・・
統合って、一致することでも一体化することでもなく、ただ、単純に行ったり来たりの往復運動をしているだけにすぎない。それがどんどん高速になっていって、あたかもひとつのもののように見えてくること。
でも、決してひとつじゃないしどちらもなくなりはしない・・・
これが自我と無我・情熱と無執着・科学と芸術・FBMとNBMなど、統合が叫ばれるあらゆることの本質ではないかと思い至りました。
男と女もそうです。
決して一体化しないんです。
一体化したかのように見える次の瞬間には、一人であることに気がつくはずです。
でも、一人だけど、みんなつながってるんです。
みんな間違ってるけど、みんな正しいんです。
給食って、昔、確か戦後食糧難のころに、食べられない児童にせめて一食くらい食事を与えようって言う発想から出てきたことだったと記憶している。
最近は工夫して結構おいしいものも出るようになってるみたいだけど、全員に同じもの、同じ量をという発想がたまらない。
まなみんは小学校1年生のときに食べられなくて、食べるまで帰ったらいけないといわれた。
確か、健康優良学校だった。
暗くなった教室で、先生が忘れていて、宿直か何かのおじさんがどうしたの?ってしょんぼり、給食を前に座っているアンナを発見した。
努力が足りないとか、好き嫌いがあるとか言われて泣きながら食べて体を壊した。
医者に促されて、ようやく親が校長に手紙を書いた。
親も学校の言うことに逆らわなかった・・そういう時代もあったのだ。
それだけの理由じゃないけど、自由な雰囲気のとこに転校した。
今はぜんぜん様相が違うけど・・・
給食費、余裕があるのに払わないんだって。
やめたらいいのに、給食なんか。
保育園に、毎日子どもの菜食おべんとうを持たせてた時期がある。米国から帰ってきたばかりで、洋服が日本製ではないから困るといわれたし。うつぶせ寝とか、ほかの習慣に関しても色々言われた。
で、疲れてそこもやめた。
そういう経緯もあって、ベビーシッターや家庭教師という個別のお金かかる方法を選んで純粋培養したのはいいけど・・・
自我が芽生え始めて、自分たちが違う!ッてことに気がついた子どもたちは、何とか周りに溶け込む努力で必死だ。
シュタイナーの言ってることは正しいと思うけど・・・
よい環境を整えると免疫がなくなるって言うのも、確かに一理ある。
その世界から出られなくなって一生ぬくぬくと優しい人たちのコミュニティーに暮らす人もいる。
人それぞれなんだろうけど・・・
その人の可能性を最大に発揮できるのだろうか、と老婆心から思ったりもする。
といいながら、ぜんぜん出てない人が、この、わたくしでございます。
ま、適材適所。
喪失・・・
別れは辛いものです。
でも、避けがたいものです。
お友達が美しいメールを下さったのでシェアーしたいと思います。
まだ地球の上で生きている。
すべてをなくしてしまったわけじゃない。
それに、あなたの責任でもない。
ほんとうにこころからの愛を注ぎ続けても
他者が簡単に誤解する可能性はいっぱいある。
愛の真実を宇宙が支えているように
相手の中の真実だってりっぱに宇宙が支えている。
他者がその宇宙の中にどんな幻想を抱えているのか
誰にも分かりはしない。
同じ宇宙を見て美しいと思える時もあれば
まったく違うものを 見ているときだってある。
鏡の法則かなんか知らないけど
僕は自分の真実性を相手の中に求めることはやめたんだ。
なぜなら、一秒後には相手の心が変わることを知ったから。
しばらく、同じ道を手をつないで歩けるうちはそれを楽しむけど
旅の道筋が変化するときがきたら、ありがとうといってそれぞれの
旅を続けるしかない。
でないと
そこで僕は立ち止まったまま旅を続ける事ができなくなるから。
愛がたりなかったとは思わない。
相手の自由の尊重も必要だ。
人の数だけの小道があるけれど目的地はひとつ。
大きな道の上で自由に生きることを許そう。
それに、ほんとうの意識は、魂は、ハートはけして傷つかない。
傷つくのは自我だけだ。
僕がもう傷つかなくなったというんじゃない。
今でも、毎日いろんなことが起こって怒ったり悲しんだりする。
胸が張り裂けそうになることだってある。
なんにも変わらないけど、僕はそれらのことが本当の自分じゃないという事だけはどこかで分かっている。
ほんとうの愛は美しいことばかりじゃない。
ほんとうの愛は「すべて」だ。
そして、その「すべて」はどんな人の中にもあるんだ。
形を変えた「わたし」が無事に旅を全うすることを祈ろう。
そしてわたしはわたしの道を行こう。
たどり着くのは「海」に決まっている。
わけわからんかったら、ごめん。
日本人は過保護になりがちで、その弊害がいろいろなところに出てきてしまってるようです。
それはよくないと、自由に自己責任を取れるようにと介入をやめてしまって、放任という姿勢も見られがち・・・
自由を尊重しながら、適切な保護を与えながら、その人らしさが発揮できるように見守ることは、なんて難しいんでしょう。
愛する人が苦しむのを見ながら、その人自身が解決していくのを見守ることはとても苦しいことです。
ついさっと助けの手を伸ばしたり、自分がかわりに受け取ってしまいたくなります。
また価値観や趣味の違う人が違う方向に行くことは、自分から離れていってしまうようでさびしく、心底喜ぶことも難しいことです。
みんなそれぞれの価値観を持っています。
意識の進化や発達ということを考えて、低いレベルにいる人に対して何か・・・と思いながら、裁いてしまっていたり、あるいは裁いてはいけないと、何でもOKの態度をとって混乱させてみたり・・・
その人のために最善を尽くしたつもりで害を与えてばかりだったり・・・
むずかしいな~
ほんとうにむずかしいな~
どうしたらいいんでしょう。
この間から、疑問ばっかりです。
愛とは信じること・・・
利用され踏みにじられても離れない、耐えること信じていくことを愛だ!とぼろぼろになっていく虐待被害者たちもいます。
自分自身も他人も豊かに生かしていくために、具体的に何ができるのでしょうか。
いのり・・・かな・・・
ポストモダンを越えて、科学と芸術の統合や、新しい科学の提唱、パラダイム転換などと言われて久しいですが、なにか、スピリチュアリティーをキーワードに転換が起きてるような気がします。
変容、トランスフォーメーションによって、認識の質的な転換が起きるのといいますか・・・。
視点がメタレベルになって、それまでとはまったく異なってしまう・・・ウイルバーによると、知の目から観想の目に移るといいますか。
これを我田引水しますと、「スピリチュアリティー」というわけなのです。
しかしこれは非科学的ではなく、合理的、あるいは新しい科学といってもよいかもしれないけど、隠れているけれど、あらゆる認識のもとになっていて、いのちそのものにかかわるものなのだ・・・
なんかそのうち、つながりそうな気がしてるんですが、実証するには、やはり臨床が必要かしら・・・
頭の中がすっきりしても、実際はどうなのかということが確かめられないと、ね・・・
数式や論文の美しさに感動するってことありますよね。
まなみんはそこに音楽や詩、踊りや絵画で得られるような美を見ます。
うっとりして恋してしまうのです!
(博士の愛した数式、よくわかるわ)
そこで盲目にならないように気をつけるために、懐疑的な科学の目が必要となって、審美的世界とクリティカルな世界を行ったりきたりなのです。
行ったりきたりしているうちに、少しづつ、オーセンティックなものに近づいていくような感じがします。
これが研究の醍醐味というわけです。
世の中矛盾することばっかりで、一体どうしたらよいのでしょうか・・・
でも、最近よく思うのは、この矛盾をどっちも切り捨てないで抱えていくのが大人なんだろうな・・・ってことなんです。
これは誰もが正しいよって言うのとつながるんですけれど、立場や見方によってすべてのことに言い分があって確からしいんですよね、そのときその状況では。
で、今、自分がこうだ!ッて思っていることも突き詰めていったら、そうじゃないってことに気がつくこともあって、そのどっちも確からしいということ。
一体どうしたらよいのでしょう!
でも、決断して前に進んでいかないといけないし・・・
これも実は、前に進むことと、とどまっていることを同時に抱えていかなければいけないこと、ということのようです。
LOHASがはやってますけれど、同時にやっぱりがんがんやっていくライフスタイルも楽しいし必要ですしね。
自分と主義が違ったりライフスタイルが正反対の人はきっと、このバランス回復のためにいてくださるのだな~と思うと、なんだか、しみじみと、気がつかせてくれてありがたいな~という気がしてきます。
私は私で非常に個性的ですけれど、早寝早起きというひとつだけでもう、ほとんどの方のライフスタイルとあってないですが。こうしろといってるんじゃなくって、ただ、バランスをとるためにいるのかな~って、許してくださいね。
夜更かしできつい人へ。
そんな役回りさせてごめんなさいね。
え?困ってないよって?
そかそか・・・
失礼しました~
(でも、早起きは3万円の得って本当だから、謝っとく・・・笑)
心理学概論の今年度最後の授業を終えて気がついたことがある。
このような、意識レベルの低い状態の人間を観察して出てきた法則、つまり、統計的に有意だとかマジョリティーがそうだというを広めることは、そのような先入観をみなに植え込んでしまっていることになる。
人間って、そういう利己的な本能に従って行動するものなのだということを潜在的に前提とするような話ばかりではないか・・・あるいは、過去の経験によって左右されるとか・・・
まなみんはしたがって、そうではない、そうではないということを、ずっといい続けてきたような気がする。
最後に、トランスパーソナル心理学の話をして、ほら、このさきがあるんだ・・・と話したときに、何人かのきらきらした瞳とであった。
あとは自分で気がついていって欲しいと祈るばかりだ。
自分の頭で考えて欲しい。
教科書に書いてあること、今信じられている法則をどのようにとらえていったらよいか・・・
これはただ、狭い世界で通用する真実に過ぎないということを、その範囲を見極めて欲しい。
どこかでおにぎりおばさんのお話を聞いたことがある。
みんなそこでおにぎり食べると癒されていくと言うのだ。
おばさんは言った。
「わたしは難しい心理学とかなんにも知らないんです。なんにもしておりません。ただこられた方に、よくいらっしゃいましたねって、やすんでいただいて、おにぎりを食べていただくだけです。自分で皆さんげんきになっていかれるんです。わたしはなにもしてません」
おにぎりって、海外に行くと一番ミスするものだけど。
何でもない塩おにぎりでも、どうしてあんなにおいしいのだろう。
ホームレスさんに持っていく朝ごはんも、やっぱりおにぎりが一番だ。
いままでずっと、熱いし、手にべたべた来るのがイヤでラップを使ってたんだけど・・・
きっと、おにぎりおばさんは手で直接握ってるんでしょうね。
うううん、習慣を変えるのは難しいけど、せめて祈りながら握ってみようかな。
ナラティブな研究法というと、なんだか質的なアプローチということで、客観より主観を重視していこう、特に、個人的なからだやこころにアプローチするには大切だから・・・
というイメージがあったのですが・・・
すごい誤解でした!
社会構成主義まで行ってしまうとちょっと行き過ぎかも・・・イやこれもまだきちんと勉強してないから思い込みかもしれないから今日は控えますけれど・・・
ナラティブって、ウイルバーのビジョンロジック段階そのものだったのですね、という発見がありました。
すなわち、いろんな立場や見解や視点を、それぞれの物語として尊重していくのですね。
そこでは客観的アプローチさえひとつの物語となる・・・
そうすると、伝統的科学者としては面白くないわけですが、なんでもかんでも、相対的にひとつの物語・・・とすると確かにまずいでしょうね。
しかしその階層を決定する要因って何なのでしょうか・・・
それが難しいところです。
みな、自分になじみがあるものが大切だと思いがちですからね。
しかし、多数決で決まるわけではないことは、みなさんおわかりですよね。
しかし・・・
どう考えたらいいのか・・・
賢い方たち教えてくださいな。
うそついちゃだめ!
って、青い(グレイブスのミームカラーも、確かそうでしたね)まなみんです。
本当のことを言わないと人間関係に信頼感がなくなってさびしい思いをします。
といつも、まあ、正論のわたしなのですが、正論派は正しいのか?
というと、実はそれで人を傷つけてきたことがいっぱいあるようです。
欺瞞やごまかし、本音と建前とかも苦手ではっきりさせて欲しいと思い、できるだけ言葉どおりに実行することを心がけてはいるのですけど、人間ですから間違いもいっぱいあります。
日本人は間違いをはっきりさせないのね、お互い様だから、まあまあと言わないでよしとして水に流すといいますか。西洋人ははっきり細かいとこまでクリアにしようとしますね。説明、分析し尽くすといいますか。そこで悪いことを明確にした上で、汝の罪は許された・・・となるみたいですけど。
日本人はそこまで追求されたら、たいていの人は落ち込んで立ち上がれない・・
反省し過ぎてうつになる・・・
それは自分を許さないからでしょうね・・・
ちょっと捉え方が違いますね。
まなみんはうそは嫌いです。
それでひどく傷ついたことがあるからだと思います。
で、いつも正論派です。
で、悪いものやシャドーを切り捨ててしまう傾向があって反省しています。
もっと大人にならないといけないと思っています。
なあなあの、責任をあいまいにして他者をひどく傷つけたり、いじめを放任ということに対してはっきりさせるべきと強く思うわけですが、でも、それは攻撃したり排斥したりするためじゃないってこと。
愛する仲間としていっしょにやって行こうよ!っていうことなんだけどな・・・
みんな自分のことも人のことも許してないから傷ついて辛いんですねきっと。
許すからこそ、厳しい正論があるんだけどな~
なかなか理解してもらえないような気もしています。
正論は必ずしも正しくないよって書こうと思って始めたのに・・・
また正論ぶってる・・・大笑いのまなみん・・・
誰か、切ってやって!
なんだか、胸がふさがれるようなことって、ありますね・・・
もう生きていけないような気がすることも・・・
こんな状態なのに、命が支えられてることが不思議・・・
どのようなときでも穏やかに笑って愛の光を放ち続けてる人・・・
すごいな・・・
でも、わたしには無理だよ・・・泣いちゃうよ・・・取り乱しちゃうよ・・・引きこもっちゃうよ・・・
無理無理
と思っていたのですが、
アンナの発見!
聖人君主でも、泣く!取り乱す!怒りに任せて乱暴なことを言う!失敗もする!
ま、ご存知のようにダビデ王とか、モーセとか、聖書にはそのての話がいっぱいありますね。
だから、今に生きてるわたしたちだって、みんなめちゃくちゃ人間なんですよね。
完全にいい人なんていないから。
ということは、完全な悪いやつもいないってことで、何で!と理解できない事柄にも、必ず光はあるってことです。
そして、悲惨な暗闇が深ければ深いほど、背後にある光がものすごい輝きを持っていることは歴史的にも証明されています。
だから、どうか、胸をふさがれても、光を期待してわくわくして待っていましょうね。
いろんな経験をして、色々考えたり本を読んだり人に出会ったりしながら、あ、そうだったんだ・・・と気がつくことは多いですね。
で、しばらくは良かった・・・と少しすっきりして過ごせるような気がします。
それが・・・
実はまたまたわからなくなってしまうという経験は皆さんありませんか?
以前答えが得られたように思ったのだけど、実はそれはほんの一部だったとか浅かったとか、で、それで解決できないことに遭遇してしまう・・・
また考えはじめてしまう・・・真実の光が見えたかなと思った瞬間に、またもっと遠くに行ってしまう・・・
なんなんだ・・・・
近づけば近づくほど、遠くに行くもの、な~んだ?
それは真実・・・愛、善、光・・・
あああああ肩こってきた。
おふろはいろうっと。
皆様、どうします?こういうときってありません?
ちょっとあたまでっかちになってる、まなみんでした。
サボりがちな教会に行きました。
説教の間中寝てたようです。
終わりの賛美歌を歌うときにみんな立つのですけど、眠くて体が動かなかったです。億劫でした。どのくらい爆睡してたかわかるでしょ。
気持ちよかった~
まなみんにだって、辛いことがあって眠れないという夜はあるものです。
一人で考えていたら答えが見つからないような気がして、自分ばかり責めてしまいそうになるときもあります。
そういう時、普通、誰にも会いたくないでしょう。
ますます外に出たくもないでしょう。
泣きはらした顔を見られたくもないでしょう。
どうしたの?ってきかれても答えたくないときもあるでしょう。
でもね、迷信みたいに、せめて、みんなの愛の波動でも浴びてくるかな~って感じで、顔隠してこっそり隅の席にひっそり座って、さっと帰ればいいかと思ったのでした。
何か、聖書の言葉で慰めになることがあるかとも少し期待してたかも。
それがね~
あ、これこそわたしが必要としていた言葉だ!ていうのにいつもだとよく出会うのですが、今日は、なんとビジネス社会におけるビジネスリーダーの話・・・知らない世界のこと・・・で、退屈しておネンネしてしまったのでした。
しかし
じつは
これがすごくよかったんです!
安心してぐっすり眠れちゃったのね。
牧師先生には失礼だったけど、神様はいつも一番必要としてる安らぎを下さるのよね、と一人納得。
すべてをゆだねて~
だから寝られたんですよ。
自分で努力しなきゃって必死になってたら、寝られないから・・・
あははは
ありがとう・・・
みんなも、肩の力抜こう!
がんばったってたかが知れてるから。
休んで元気になったほうがずっといいよ!
ということで、おいしいもの食べて温泉いってまた寝ようっと。
苦しみを選ぶ理由
マゾじゃなくても、なぜか自分からそういう人生を選ぶ人が多すぎます。
なぜ・・・
それはきっと、そのほうが安心するから・・・
なれてるから・・・
幸せになったら堕落する・・・
だって苦しみの中で成長するのが人間だから・・・
人生はもともと試練の連続なんだから・・・
人や運命から傷つけられる前に自分からそうしていたら、自分でコントロールできてるって安心するんだよね。
で、先まわりして傷つくことを自分で選んでしまうの、本当は傷つきたくないからだけなのに・・・
で、もっと傷ついてしまうんだよね・・・
で、連鎖反応になっていくんだよね・・・
ばからしいね・・・
でも、傷ついた心はそういう方向に行くんだよね・・・
それが慰めになるのかな・・・
心を閉じたら、確かに傷つけられることは少なくなるね・・・
でも、フリーズしてしまうと
喜びもなくなっていくんだよね・・・
傷つけられるよりもいいって?
かなしいね・・・
さびしいね・・・
本当はみんな、弱くて傷つきやすいんだよ。
みんなそうなんだよ。
いわないだけ・・・
かっこわるいから・・・
だから、せめて、心の扉を、少しだけでも、
開けてみない?
心を凍りつかせるようなことを、知らないうちに言ってたんだね、ごめんね。
許してください。
意地悪されたり、陰険な策略で陥れられたりした場合に皆さんはどうしますか?
立ち向かい反撃するタイプの人はあまりそういう被害にあわないでしょう。
黙って耐える人、自分を責める人にはますます多くなりますね。
そしてそれを試練だと甘んじている人や、加害者の未熟さや病的なものを許しニコニコと、許してかえって愛を示していくとしたらどうなりますか。
宗教書によると、汝の敵を愛せ、迫害するもののために祈れ、と書いてありますし、高潔な人は、他人に助けを求めず、誰にも言わず黙って耐えるということが多いようです。
それは美しい行為ですが、結果として精神を病んでしまったり、心身症になったり、自殺してしまったりという結果を招くことがあります。
虐待被害者で、スピリチュアリティーが高いがゆえに、それに意味を見出し他者に助けを求めなかったとか、ポジティブに信頼してるから、かえって現状が把握できず悲惨な状況にもかかわらず淡々と受け止めているようで、体や精神の多くは悲鳴をあげていた・・・
そういう報告から、スピリチュアリティーと健康についてずっと考えさせられています。
非常に難しい問題です。
病的な人に愛を返す・・・・酒乱でひどい虐待をされているときに抱きしめる・・・と、殺されます・・・
愛が足りないから?
決してそうではないような気がします。
よく考えていきたい問題です。
いじめと自殺解決のヒントになるような気がしています。
大好きな人にこうあって欲しいと願ったり、一生懸命やってきた仕事や作品などに思いが残るのは当然ですよね。
でも、そういうものって全部別れが来るものだから、いつか手放さなくてはいけないから、しがみついてると、すごく辛い思いをしますね。
だからといって、執着しないんだと、無気力になって何もしない人もいますが・・
手ひどい失恋をして、もう決して人を愛したりしないっていう決心をする人とか・・・
愛したら負けだって・・
確かに、好きになって、相手がそれほどでもない場合には、愛する気持ちを受け取ってもらえないで辛いかもね。だから負けないようにほどほどに好きになるって?
なんかそれもさびしいな~と思いませんか?
執着を手放す一番いい方法はとことん愛しぬくことだと思います。
精魂かけてやってみるとか。
そうしたらあとはもう未練なく、もういい・・・
愛することそのこと自体に満足していくような気がします。
執着しないようにしようって努力するのは、ますます執着を強めていくような気がします。
見なさま、とことん愛しぬきましょう!
新年の目標に、シュタイナー訓練はいかが?
別にぶっ飛びじゃないですよね。
思考と意志のトレーニングって感じがします。
おかたいかも・・・でも、こういうの、好きです。
聖パウロ国際大学の神学研究科シュタイナー神学コースの必修科目からです。
シュタイナー神学実践研究(後期)
実践の手引き
ここでシュタイナーが示した訓練方法は、今までの日常生活をそのまま続けながら実践することに意味があります。修行のために、仕事や義務を少しでもおろそかにすることがあってはなりません。「日常生活こそ最良の神秘修行の場である」というテキストのテーマを念頭に置いてください。
修行には失敗はつき物です。失敗しても過度に後悔したり自分を責めたりしないで前向きに臨んでください。失敗そのものから多くを学ぶことができます。
1ヶ月目:思考の行
一日5分間、論理的に思考する。この訓練の目的は、思考そのものを具体的に体験することにある。訓練に当てる時間帯はいつでもよいし、毎日同じ時間帯でなくてもよい。思考する対象は具体的で実際的なものを選ぶこと。1回の訓練では、ひとつの思考対象だけをえらぶこと。数日間同じ対象について考えてもよいし、毎日対象を変えてもよい。これを一ヶ月続ける。
2ヶ月目:意志の行
毎日決まった時間に、自分の自由意志でやろうと決めたことをやる。それには日常的な行為がよい。人から命令されたり、義務に駆られたり、習慣にしたがって物事を行うのではなく、自分の自由意志で行う訓練である。最初にやろうと決めた行為が毎日実行できるようになったら、さらにいくつか増やす。これを一ヶ月続ける。
3ヶ月目:感情の行
一ヶ月、感情の平静を保つ努力をする。激しい感情を抑えていつも冷静でいるようにする。この訓練によって、自分お勘定を他人お気持ちのように客観的に眺めることができるようになる。この訓練は特定の時間に縛られないかわりに、一日中感情を平静に保たなくてはならない。
4ヶ月目:ポジティブな生活
どのようなものにもよい面を見出すようにする。目を背けたくなるようなものにも、何か有益なよいことを学ぼうと心がけること。このような心的態度を身につける訓練である。
5ヶ月目:心を純粋に開く
どのようなことに対しても新しい経験に心を開き、偏見や先入観を克服する。外見や思い込みで自分をガードしないで、世界に心を開くことによって、新しいものや未知のものがわれわれの中に入ってくる。
6ヶ月目:
これまでの5つの行をすべて行う。これらの5つの修行の均衡を保つことによって調和がもたらされる。
http://www.stpaulos-univ.jp/
スピリチュアル心理学研究科もどうぞよろしく
皆さん昼間に月を見たことがありますか?
今朝もきれいでしたね!
朝日の輝かしい光の反対側に白くて静かな月が姿を見せていました。
これって、本物の月ではないということ、皆さんはご存知でしたか?
実は私は一週間くらい前に16才の高校生に教えてもらい、はじめてその事実に気がついてショックを受けました。知らなかったという事実に、かれはショックを受けてましたが・・・
きれいな月が私を見つめて応援してくれてる・・・
って思うのは自由ですけど、実はそこには何もないんだってば・・・
幽霊とか、妖精とか天使とかも、キット、おんなじ様なものなのかもね。
ま、でも、そうやって、リフレクションが見えるわけですよね。
実体ではない、な~んてカタイこといわなくてもいいんではないでしょうか?
だって、きれいだし、うれしくなるんだもん、ね。
楽観主義者はまったく現実的ではないってことご存じですよね。
でも、ストレス対処はうまくて生産性も高いのだから悪くないと思いませんか?
ま、幻影だってことを知っていたら、それでいいと思うんですよ。
そう、実体があると思い込んでるこの肉体だって、すべては幻影に過ぎません、ってことね。
マズロー読んでて発見しましたよ、自己実現してる人って、やるべき義務とやりたいことが一致してるって。
だから我慢とか辛抱はないんです。
やりたくってしようがないことを、楽しんでるだけですってば。
無理すると性格ゆがむよ・・・
段階があると思います、みんなそれぞれ楽しいこと、したいことの。
まなみんは・・・
お掃除とかお料理が大好き。
菜食も早寝早起きも好きなんだってば。
研究はもう、付き合い悪くなるからやめろって言われながらもやめられない趣味ですし・・・
このブログ書くのも毎日ひとつ以上は書かないって節制してるくらいですし・・・
無理すると人に批判的になるからよくないですね。
そのくらいならしないほうがいいと思うくらいだわ。
個人差ありますしね。
何もいわないのに、非難されたと思う人もいるらしいですね。
きちんとしなさいって。
別に何も言ってないですよ、ご自分の問題でしょうから。
ただ、病気のときは病的なことに楽しみを感じるみたいですね。
タバコが好きだったり、いじめが楽しいとか・・
ここで宣言しておきます。
暴力、競争、破壊、自分や人を傷つけること・・・こういうものはすべて本能ではありません。
人間にそういうものがあることは認めますが、本来の姿ではない!
ゆがんだ欲求と衝動です!
直観で書いてますが、何とか科学的に証明できないかと、ま、これが私の研究テーマです。
古代米いりの七草粥、できたかな?
こころ、からだ、魂も、おすこやかにね~
忙しい人はよく睡眠を削るらしいですが、あれって、効果あるんでしょうか?
昔から睡眠が足りないと機嫌が悪く頭も朦朧とするまなみんです。
最近のハーヴァードから出た報告では、睡眠が足りないとやはり健康に、特に精神衛生に問題が起きる可能性が高く、なんと知能にも影響が出るらしいですね。
もちろん寿命も短くなります。早く永遠におねんねさせられるということです。もったいなくない?そういうの。笑
寝る子は心も頭も体も育つのだ~
4当5落なんて精神論に惑わされないで、科学的に参りましょ。
その根拠は~
社会構成主義的質的データにこだわってるアンナとしては、主観的データの記述をいたします。
まなみんの場合だけではないと思うんですが、寝てる間に思考が進むしビジョンが与えられる、つまり仕事がよくはかどってるのです。能率が悪くなったらいつでもどこでも寝ます。
寝てる間に休息して脳も体もリフレッシュされて起きたときは気分爽快だし。
寝てた間に進んだことを忘れないうちにメモしたりタイプしたりするだけでいいのよ。
感情的な問題なんかも、寝たらすっかり忘れちゃってますからね。いい夢見て、ムフフ・・・って起きてくるだけ。
問題は相手は忘れてなかったりすることなんだけど・・・
ま、相手にかかわりなく、やさしくニコニコしてたらいいんじゃないですか?
寝てるときこそが、天使につながるとっておきの時間ですから、それを削るなんて、なんてもったいないの。
もっときちんとした根拠としては、REM睡眠のときの眼球運動が、シャピロが提唱したトラウマ解消療法EMDRと類似していて、精神衛生と関連した情報処理が進んでるのではないかと、またまた勝手に連想してます。
でも、このことをある医学会の重鎮であるI名誉教授と、またレインボードクターの深尾先生にも伺ったのですけど、彼らも納得してましたからね。
誰か解明して頂戴ませ。
あ、そうだ。
果報は寝て待てって言うじゃないですか!
あれ、ホントです。
悪夢にもめげず、今日もよく寝るまなみんです。
ええ、毎度思い付きとこじつけ、論理の飛躍で有名なまなみんです。
フランクルが態度価値といって、人生にもう何も意味がなくなってしまったような状態・・・生きがいとしている仕事や夢が奪われ、愛する人たちも奪われてしまったようなときにもとれる積極的な態度を強調してますけど。
これって、自動的におこってくる悲しみとかいやだ~っていう感情とは違って、ある程度意志の働きで、自分で選択して作っていく態度で、かれはノエティックといってますけど。
これって、スコラ哲学、エリスの認知行動療法、さらにアサジョーリのサイコシンセシスにまでつながってるんですね!
もっというと、シュタイナーの訓練も同じこといってると思うけど。
でもって、再認識してしまったのでありました。
負け惜しみじゃなくって、一晩寝たら失ったデータ(昨日、論文の英訳をやっと終えたのに保存してなかった・・・)もまた楽しい・・・もう一度吟味したらきっともっとすばらしい論文に仕上がること間違いないわ。
って、まだやる気にならないでほかのことしてたんだけど、まあ、何とかなるのではないかと。
しかし覚えておいて欲しいのは、はじめっからなんでもいいね~じゃないんですよ、人間は。
普通にがっかりしますし悲しいし、泣いちゃいます。
でも、すぐ立ち直るってとこがすごいな~と思います。
ま、単純だってことですが。
皆さん単純に行きましょ。
楽しいですよ。
新年の誓いを立てられましたか?
いろんな計画や夢ビジョンがおありかもしれません。
あれもこれも・・・きりないですね。
外に出て行って、地球を癒す前にできること、というかしなきゃいけないことは・・・
そう自分自身の癒しですね。
自分自身が内的な平和で満たされていたら、それだけで何もしなくても、周りにいる人や環境が浄化されていくことに気がついてからは、何もしなくなりました。
お掃除とかはしますけど、人に、注意したりアドバイスしたりはしないということです。
たぶん子供なんかには教育的配慮から言うことが必要なときもあるんでしょうけれど・・・
うちは起きろともいわないでにこにこしてるだけなんで、遅刻したりもしてるようですが、あらら大変気をつけて行ってらっしゃい~と笑って送り出します。
仕事や勉強をきちんとこなすことより、まず、こころの平安かしら。
そうすることによって逆説的に仕事もはかどるような気もしますね。
まずいろんなレベルでの自分自身の癒し。
なんたって、私自身が宇宙なんですから、自分を癒すことが宇宙を癒すことと同じだから。
今日は初夢のチャンス!
皆様いかがでしたか?私は覚えてない・・・きっと夕べ食べ過ぎたせいだ・・・笑
これからまたお風呂はいって寝てみます。
重症貧血だと、実は時々意識が薄くなっていくんです。で、昼間起きてるときに、実は夢なんだか現実なんだかわかんないような感覚になることがあるんです。明晰夢というとかっこいいですが、きちんと意識化されないとただの惰眠ですかね。
その中でこの前からいろんなものを見ました。
今あまり見なくなってきたのはきっと、貧血が改善されてきたのだと思います。
よかったけど、ちょっとさびしい気もします。
臨死体験というのが知られてますね。たぶんあの感じをずっと経験してるような状態といってもよいでしょうか。小さいときから貧血だったおかげで?結構そういう意識状態になることは多かったようです。
ちょっとあぶない子供でしたね。で、そのままアブナイ大人になってますね。
最近はこういうことを話してもあまり抵抗がなくなってきたからよかったですけれど。
実はほかの人はこういう世界を知らないということを理解するのにはじめは戸惑いました。
なんだか自分だけ違う世界の住人のような気がして、一生懸命普通になろうと努力してきました。
で、肉を食べてみたり商売やろうとしてみたり・・・
自分らしくないことをすると、でも、疲れて病気になっちゃうんです。
何とかバランスをとりながら、両方の世界でうまく生きていけたらいいなと思いながらも、どうしても、あちらのほうが絶対的に楽なので、あちら優勢になってしまいがちなんです。それをこのからだという思い厄介なものが引き戻してくれるわけです。
夢を見るのも、あちらの世界でのお散歩です。今日はどこに行こうかな~
しかし、だから、私自身はほかの人と反対方向の努力をいつもしているわけです。
瞑想なんか絶対しないぞってね。笑
新年明けましておめでとうございます
皆さん大掃除は完了しましたか?
ものが多いとお掃除はきついですね。
だから、うちは非常にモノが少ないのかなとも思います。
本当はもっと減らしたいんです。
家具は机とベット本棚くらいしかないですが、その机もベットも捨ててみるというのはどうかなと考えてました。
床に座ってクッションにもたれて書き物もPCもできるし、クッションに囲まれて、毛布ふわっとかけて堅い床に寝るのもいいですよね。
それも面白いな~と、ソローのウオールデンを読みながら考えていました。
そう、昔の生活はシンプルでした。
物が少なくシンプルな生活にすると、本当に大切なものやことにかける時間が生まれます。
健康を害して気がついたことのひとつがそれです。
今迄だってシンプルライフでしたけど、絵や本や音楽だって、自然さえあれば何もなくても最高だしと思います。
でも、PCだけは必要です・・・
あ、携帯もやっぱりいるかな・・・固定電話は捨ててもいいかも、FAXが時々来るくらいですが、出ないし。笑
お風呂もないときついわ・・・
お手洗いも外は苦手・・・
去年一年間に目をとおしていない本やヴィデオ、手を通していないお洋服は全部処分です。
大切な頂き物はひとつだけにしてあと未練があるものは写真にとってPC保存です。
ハロッズでそろえたクリスマスの飾りやアンティークの食器とかはもうすでに処分しました。
なぜこんなに処分すするのか・・・
死んだときに、残された人が整理が大変だからというのもあります。
何ももっていけないから、と思うと、アルバムの写真だって執着がなくなります。
もっていけるものは胸の奥にある、大切な誰にもけがされない、変色したりしない思い出だけですものね。
本当に大切なものだけにフォーカスして、シンプルに静かな生活をしたいと思っています。
ことしもどうぞよろしく・・・
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