
クライエント中心療法っていうロジャーズさんの原則はみんな疑うこともなく当然のこととしているけど・・・
まなみんはちがいます。
光中心療法を提唱したい!!
欝の人中心にして、みんなでうつになってもしようがないでしょ。
もっと光を!!
光にフォーカスするだけでいいのだから・・・
そこにいるだけでコヒーレントになっていくのだから・・・
それが癒しであり、タオの回復。
光を適切に通すためにはクリアーに限りなく透明であることが必要です。
そのままで、そこに在ること。
ま、それがそのまま、受容と共感になっていくわけですけれども。
なんだ、やっぱりロジャーズさんに戻るじゃないって?
失礼しました~~
今朝は真っ白に霜が降りてましたが、サボっていたジョギングを再開しました。
ダウンのロングコートのフードもすっぽりかぶってです。
それは耳が痛くなるからです。
経験者はおわかりですよね、あれはきついです。
きれいな朝焼けを見ながら、
そうだ~~
未来に向かって駆け抜けるのだ~~~
という気持ちで走っていたら、
いろんな人から声をかけられました。
おはよう!
げんきね~
手を振ってくれるおばさんもいました。
そう、早朝はご年配の方ばかりなのです。
きっと今朝は、きゃはははと声には出さないけど笑いながら走っていたからだと思います。
みんながつながっていることがすごくわかって、
自分がこうやって健康に気をつけて元気になっていくことが、
あの方の、この方の回復につながっている!
そう思ったらうれしくてたまらなくなってしまったのでした。
世の悲惨さを眺めて胸がつぶれそうになったときに、何ができるのかと途方にくれてしまうことがあります。
そういう時、思い出してください。
本当にみんながつながっていて一体だってことを。
そうしたら、自分が楽しくてうれしいことをしていたら、
みんなが喜んで幸せになっていくんです。
できることはたくさんありますね。
よかった~~~!!
病気には意味があるというか、意味を見出していくことが生きがいにつながるという話。
確かにそのとおりだけど、それはやはりみんなが病気をいやなものだ、避けたいという認識があるからに違いない。
確かに、可能性がそがれてしまう、やりたいことができない、さまざまな苦痛を伴うものだ。
右手人差し指は実はあのまま回復していない。ギブスは面倒でやめた。痛みがないのはラッキーだけど使えないから不便で仕様がない。もう一生こうなのかしら・・・
意味があると考えるのはいいけど、だからといって治療しないという態度も極端だわ。
4象限も大切だし、この世あの世のバランスも大切。
相反する両方を生かすのは至難の業だけど・・
ドクターマッキーの論(見えないというのは、もう見なくていいって体が言ってるんです!)には異論がないけど・・・
でも!!
この近視はどうしても何とかしたいのよ。
レーシックしたいよ~~
意味ありますけどね~~~
見えないからいいこと・・・
ほこりや汚れが気にならない。
しみそばかすしわなど見えないから美人に見えるし・・・
いいこともいっぱいなのよね~
でも、星がもっと見たい!
本気で願ったらそうなるって・・・まあそれもそうかな~~
懐疑的な今日のまなみんです。
昨日は出版記念パーティーでした。
SQメッセンジャーの佐藤道代さんもきてくださいました。
著者たちも、出版社さんも、研究会の仲間も、始めてきてくださった方も、なんて透明で柔らかく、押しつけなく情熱的で、控えめながら強烈な個性を持っていて、天然で抜けているのに、美しくしっかり立っているんでしょう。
そして、それぞれのかたがたが内側から輝いているんです。
皆様が、知性・感性・霊性あふれるお話をしてくださいました。
実は私はそういう場では、陰の立役者として、マネージャー的に場を設定する側にまわり、皆様のスピリチュアリティーが自然にあふれ出るように実務的なことを考え、話も簡素になってしまいます。
編集して出版した本も、皆様の書かれたものがすばらしいから、私の書いたのは実はただの添え物です。すばらしいかたたちのお原稿をまとめさせていただけた光栄に感謝しています。
共著者の皆様は、本当にすばらしい原稿を寄せてくださいました。
出版社さんがおっしゃるには、岩波でも人文でもスピリチュアリティーの本が出たとか。
ナカニシヤさんは、この本の出版を躊躇しておられ、発刊が大幅に遅れてしまったのは、このタイトルでこの内容で、学術書として世に出て大丈夫だろうかという不安もおありだったのだろうと思います。
というわけで、この本が売れないと、誠意を尽くして出版にまでこぎつけてくださった編集長様は、立場がきびしくなるだろうな~
というわけで、宣伝です。
ちょっと高いのですが、皆様、買ってくださいな~~~損はしないと補償します!!
まだ一般書店には出てないようですが、近日中にお目見えします。
「スピリチュアリティーとは何か」
哲学・心理学・宗教学・舞踊学・医学・物理学それぞれの視点から
尾崎真奈美・奥 健夫 編
税込定価 3150円
A5判 226頁
ISBN978-4-7795-0093-0
<内 容>
スピリチュアリティーに関する学際的研究を通じ、実証科学的方法論と、直接経験から得られる知見をともに尊重しながら、意識研究の真理に接近する。精神と物質など、あらゆる二元論のあいだをうめる試み。
<著者紹介>
尾崎真奈美(おざき・まなみ)
東京大学大学院教育学研究科博士課程ののち、ペンシルバニア大学医学部精神神経科・東京大学医学部公衆衛生学教室客員研究員を経て、現在東海大学文学部心理・社会学科ほかで心理学・カウンセリングなどの教育と、スピリチュアリティーの研究を続けている。
奥 健夫(おく・たけお)
1992年に東北大学大学院原子核工学専攻修了(工学博士)。1992-1996年京都大学大学院材料工学専攻・助手、1996-1997年スウェーデン・ルンド大学国立高分解電子顕微鏡センター・博士研究員、1997年大阪大学産業科学研究所・助教授。
踊りながら考えた。
バレエの基礎訓練も何か深い意味があるようだ。
ダンカンはトウシューズを脱ぎ捨て、からだを締め付けない緩やかなチュニックで踊った。
それはそれで美しい魂のほとばしりだ。
久しぶりにバーレッスンをしてみた。
型にはまった手の動き、足の動き、不自然な機械的な動き。
型にはめられた角度や位置。
しかしこれによって体が整えられる。
スムーズに動きができるようになる合理的な訓練だ。
これを毎日行うことは瞑想にも似た、サトルボディーとの対話である。
実際、目に見えないからだを意識して動くのだから。
魂の動きを表現するためにも、必要な訓練だと改めて気がついた。
もちろんやりすぎは、まなみんのように椎間板ヘルニアを引き起こすから皆さんご注意してください。
ヨガのように、気持ちがいいところが最高のトレーニングなので。
そこを無理するから、非人間的になり、ダンカンがあんなにも、プロテストしたのだと思う。
でも、バレエの伝統から来る恩恵は確かに大きいのだ。
バランスの訓練も高度な集中力を要する。
ぴたっと空中で静止するためにどれだけの筋肉と神経のコントロールが必要であるか。
結構ストイックだけど、楽しいものだ。
どうしたらいいのかわからないとき・・・
たいていの人はそういう時、何が問題かを分析し原因を探り、行動パターンを分析し、そうならないですむように対策を考える・・・・でしょ?
それとも、どうしよどうしよ・・・でうろうろしてるだけかしら?
実は、いくら分析して解決法を考えて実行しても問題が解決しないとき、あるいは、こうしたらいいとわかっていてもそれができないときがあります。
こうしたらいいとわかっていてできない・・・
しようとすればするほどできない・・・
こういうとき途方にくれてしまいます。
そういう時は、大きな流れに逆らっているのではないでしょうか。
目の前の問題は悪化してるかもしれないし、実際に困ることかもしれない。
でも、もう少し大きな流れの中で見たら・・・
きっと、それは大きな解決と輝かしい結果へ向かっているはずだから。
だって、すべては光に向かっているのだから。
その確信があれば、できないときに、もがいて疲れるかわりに、ゆったり自分を明け渡すことができるようになるでしょう。
明け渡すことは非常に難しいことです。
今まで一生懸命やってきた方法を手放すことですから・・・
一体どうなってしまうの・・・?
たいていの場合、死にいたることはありません。
たとえ肉体の死があるとしても、それ以上のものがあるはずです。
ほとんどの場合は、命が増し輝く方向へ開かれていくはずです。
自分のちっぽけな意識を捨てて、大きな光と一致させていくのですから。
皆様花粉は大丈夫ですか?
風邪か花粉かよくわからない症状で今朝はぼ~ッとしています。
もともと生体を外的から守るための免疫が、自分を攻撃してしまうようになるなんて、治しようがなくきついですね。
地球もそんな感じ。
自分たちで破壊してる・・・
花粉症を治すいい方法を知ってます。
起きてすぐに、冷たいシャワーを頭から10秒浴びるんです。毎朝。これ1ヶ月で治ります。
病院でこういう指導をしたら、患者さんは、うへ!花粉症のほうがまだましだ~って。
そうですか?
メカニズムが狂ってしまったときには、こういうショック療法みたいなのが必要になるんでしょうね。
地球にもきっと必要なことだわ。
きついけど、冷たいシャワー浴びてみようかな~
風邪だったらどうしよ・・・よけいわるくなりそう・・・
ま、ためしにやってみよ・・・ううううう
ストーブつけておこうっと。
皆様もどうぞお大事に・・・
皆様にお会いしたいと、SQな著者がお待ちしています。
佐藤道代さんは、渡米前の貴重なお時間を作ってくださいました。
なかなかお会いできないめったにないチャンスです。
ナカニシヤ出版の編集長様も京都からお見えになります。
ぜひぜひどうぞ!
(お料理はSQな?菜食です。残念ながら?アルコールとかもありませんけれど・・・笑)
尾崎真奈美・奥健夫 監修
石川真樹夫、井上ウィマラ、大橋幹夫、奥健夫、尾崎真奈美、向後善之、甲田烈、佐藤道代、田川亜希子 著
『スピリチュアリティーとは何か』
ナカニシヤ出版 2/20刊行予定
《出版記念会のご案内》
著者と直に対話できる、またとないチャンスです!
ぜひご参加ください。
日時:2007年2月24日(土) 12-14時
会場:ナタラジ 荻窪店
参加費:3,000円
参加予定:石川眞樹夫(医療法人聖岡会 新逗子クリニック 院長)
大橋幹夫(ユング心理学研究会会長)
尾崎真奈美(スピリチュアリティー研究会会長、JTA理事)
向後善之(アライアント国際大学大学院、JTA常任理事・事務局長)
佐藤道代(舞踏家)
ほか
お申込み:スピリチュアリティー研究会事務局
http://milky-cafe.com/spirituality/
メール:kasagi_koji@yahoo.co.jp
*メールにて、2/22までにお申込みください。
*万が一キャンセルされる場合は、必ずご連絡をお願いいたします。
競争とかランク付けというのが社会のいたるところで行われている。
あたりまえのようになっているけど、そのことの意味を考えたことがあるだろうか。
(天使語ブログアクセス1番・・ありがとうございます。笑)
1番になるのは確かにうれしいことだし励みにもなる。
でも、人間やものごとをランク付けするとき、価値をそこに付け加えていることが多いからおかしなことになるんだ。この複雑極まりない存在のほんの一部分を切り取ってきたものだけを比較して数字に置き換える作業。
それをどうしてみなが信頼しているのか、よく考えてみるとこれほど馬鹿らしいことはない。
それで一喜一憂するのは時間とエネルギーの大いなる無駄だ。
また、競争って、一体何を比較しているんだろう?
これもまた、ほんの一部を切り取って、(それも対して重要ではないと思われるけど、目に見える部分だけをね)そこしか見ないという愚かしさから出てくるんだ。
そして、この競争とかランク付けというのは、人間に優劣をつけるという、大それたことを、自分たちがまるで自分は違う次元から見下ろしているように対象化してやっている行為なのだ。
自分だって、その評価対象である存在なのに。
切り離して評価すること自体に良し悪しはない。
そこに価値観を結びつけることが問題なのだ。
競争も同じこと。
一人一人が、そしてすべての事象にもそれぞれの価値があり役割があり、どれがかけても完全ではないという事実がわかると、競争という概念はなくなるはずだ。
つまり、競争にはみなが同じ能力・機能を持っているという前提があるから。
すべて違っているのに、競争できない。
足と手が、どっちが早くキーボードが打てるか競争しても意味がないのと同じだ。
いい加減気がついて欲しいものだ。
さとりと恋愛 はおんなじだ~
というと顰蹙かしら。
なにがおんなじかっていうと~
追いかければ追いかけるほど相手が逃げるってこと。
そんなことにうつつ抜かすより、お掃除したり、お花に水やったり、子どもにご飯作ったり、お洋服にアイロンかけたりしてるほうがずっとましだわ。
うちで頭抱えて悩んでるよりお散歩してるほうがずっとましというのと同じにね。
まなみんブログ読むより、直接経験したほうがずっといいから。
スピリチュアリティーとは何か
このタイトルで近く学術書が出版されます。
まなみんも色々理屈こねました。
しかし、今、スピリチュアリティーとは何かと聞かれたら、
なんたってもう、それは
「愛されている喜び」
でしょ!としかいえない。
感謝と感動で泣いちゃいます。
この世的な成功・・・事業で儲かったとか彼氏ができたとかじゃなくって~
もちろんそれもうれしいけど、一時的なことです。
もっともっと変らない喜びです。
これがあるから、どんなときでも何があっても、生きていけます。
夕べの研究会で、ノリのいい女の子たちがいってた。
目指すは仙人ですよね~なりたいですね~
そうですか・・・・
なんでなりたいのかな~
みんなスピリチュアルになりたいって目指して修行してるみたいですけど・・
人によってはドラッグとか、心身を痛めつけて自分で限界に追い込んでいくようなことをしたりしてるらしい。
なんか違うって気がするんだな・・・
目指していくほど動機が不純って言うか・・・失礼な言い方だけど、自我の執着って言うのが見えて、あまり美しくない。
だって、今、ここでのあり方がスピリチュアルなものなんだから、それを求めて世界中旅する必要はないと思うし・・・。
確かに出会いがきっかけになっていくことはあるけど。
でも、自分の内面を旅するのに、どこにも行く必要はないわ。
アンナはどっちかというと、仙人より専任になりたいっていつも、思ってる。
ねえ、どうしてた?
きのうね、どうしようかな~ってずっと考えてたの。
でね
考えすぎて
結局何もできなかったの。
手作りのチョコレート送ろうかな~とか
甘いものより何か気のきいたプレゼント贈ろうかな~とか
心のこもった手書きのお手紙をだそうかな~とか
メールもね、何回か書いてみたのよ。
でもね、だせなかったの。
そのかわりにね
じっとあなたのことを思いながら踊りました。
あなたのその澄み切った瞳の奥にある魂の美しさを思い出しながら
直接そこにアクセスしたかったから
地上にある何物も、そこに届くことがないような気がしたから
あなたが私の魂の恋人であったなら、必ずきっとメッセージは伝わっているはずだから
あなたがいつどこで何を思っていたとしても、私はひたすら愛し続けています
魂のかなたですでに一致している
あたしの中のあなたへ
心とからだとたましいと、わたしのすべてから
愛しています
女性のほうが選択肢が多くていい世の中だって?
どこかでそういう議論がありました。
でもね~
やりたければなんでもできるって、そう単純じゃないですよ。
特に日本では、どれだけ専門的な仕事をしようとも、家事や育児負担は女性に期待されてます。
それがどれだけ大変なことか・・・成功できている人は一握りの体力精神力知力経済力に周りのサポートという、すばらしく恵まれた方たちですから。
選択肢が多く見えるのは、女性の意識の問題でしょ。
男性だってやれるのに、やらないだけでしょう。
それは、あまりにも女性が虐げられてきて、現状に甘んじることより、困難が多い未知の世界に入っていくほうがまだましだと思われるような状況があるからだと思います。
男性は社会的に守られているということに、あまりにも当たり前になって気がついていないもではないかと思いますが、いかがでしょうか?
現状がぬくぬくしてるから、あえて新しい道を開拓しないですんでるといいますか。
もちろんそれなりにご苦労はあると思いますけれど。
子どもを産むということはものすごく大変なことで、どんな社会的に重要な仕事より大切な、手を抜けない責任ある仕事であり、情緒的にも没頭を要求されることです。
女性の社会進出は、少なくとも私自身は向いてないことだと思ってます。
無理にするからひずみが出てきてる。
そんなな気がしてます。
必死でやらざるをえないから、余裕がなくなってやわらかさやしなやかさを失っていく・・・
しかし、よし俺がしっかり守ってやる!ッていう王子様がいない限り、外で働かざるをえない状況に追い込まれてしまいますね。
これは自然じゃないと、私の自然が言ってます。
感情と理屈
どっちが強いかといいますと~
当たり前ですが感情です。
正しいかとかそうあるべきかじゃ人は動きません。
好き楽しい!!でしか動きません。
人を助けたり環境に優しくするのが、好きで楽しい、やめろといわれてもやめられないという風になるのはどうしたら可能かってことが、研究テーマ。
あれ、またとんでるよ~一貫しろよ~って声が聞こえるよ~
この拡散思考はどうしたらいいんでしょう。
降りてきたものを書き留めていくとこうなってしまうんだよね~
地道なコツコツした人と共同研究したらよいものができそうだけど、たいていの人はこのすっ飛ばしにあきれてしまう。
見捨てないでおくれ~
しかしインスピレーションも大切にしたいよ~
ま、それはブログでこうやって遊ぶことで紛らわそうかな。
まなみんは光の友人に恵まれていて、あうと本当にエネルギーが沸いてきて楽しくなる。
その人たちの特徴は、まず、屈託がなくざっくばらんだということ。誰も気負ってないし卑下もしない。ごく自然に自分らしいすばらしさを発揮していて静かな光を放っている。
自信に満ちた落ち着きがあるのだ。
それぞれの個性はみんな違っているから、ユーモアたっぷりの人から生真面目なタイプまで様々なんだけれど、共通しているのは、自分自身であることをすごく楽しんでいることだと気がついた。
ナルシストでうぬぼれているわけではない。だから欠点を指摘されても、落ち込んだりムキになったりしないでゆったり笑って、そうなんだよね~って感じで。気がつかせてくれて本当ににうれしい、というポジティブな感情が伝わってくるから、お互いにますますうれしくなって磨きあい鍛えあえる。
清水寺の濡れ観音?をお参りしたときに、ガイドさんが、水をかけたら観音様がどうなるか見ててください、というからじっと見ていたら、目元と口元が緩んでにっこりされたような気がした。
種明かしは、自分の心がうつるのだそうで、正解はないとのこと。
そういわれてじっくり見ていたら様々な表情にも見えてきた。
光の友達も、きっと、自分の姿なのかな~と思った。
鏡のように反射していくというのは確かにあるかもね。あるいは、自分の関心がある事柄の感受性が高まっているというか。これは認知的に説明できる。いつも使っているシナプス回路がとおりやすくなっていることは物理的に明らかだからだ。
だとしたら、訓練によってよい回路を作ることは可能だ。
そう、光を眺めてうれしい気持ちになっていたら自分が光になていくってことだから。
さ、far away聞いて踊ろうかな。
必要があって個性化についてにわか勉強しています。
これはマズローの自己実現、フランクルの自己超越、ロジャーズの機能する人間、アサジョーリのトランスパーソナルサイコシンセシスでいう、人間性の最高表現であり、理想であると思って共通点を探しています。
キリスト教や特にマズローなんか誤解されがちですけれど、ネガティブなところを切り捨ててはいないのではないかと思うのが私。
フランクルは苦悩の中に意味を見出すとしてますね。
アサジョーリは無意識にあるトラウマのようなネガティブなものをトランスパーソナルセルフが受容し統合していくことを強調しています。
マズローは自己実現する人間においては、本能的な欲求が高次の欲求と一致して喜びとなっていくとしてます。
これらは、無意識の中に在るネガティブなものの意識化と表現できますよね。
意識化というのは自我の働きですから理性的なものですよね?
つまり統合はどちらも大切にするのですが主導権は意識である。つまり、光で闇を照らすということである。
これが、すべては光です!人間は光の存在です!と私が強調していることの意味です。
キリスト教の神は闇を切り捨ててるというのは一面的解釈だと思います。
仏教やヒンズー教など、あらゆる宗教で誤解されがちな概念ってあります。ユングは、ユダヤ・キリスト教文明の影をいやと結うほど味わったのではないでしょうかそれであのような理論を展開してきた。
私は反対に、日本文化の闇をいやというほど体験し傷ついてきた、そういう背景からの主張の違いであって、でも同じことを言ってる。
完全性も全体性も同じこと、つまり、全体を統合することが完全な姿である。
キーは、ネガティブに思われることのストーリーの書き換えと、意味づけではないでしょうか。
そしてイメージでしか統合はありえない・・・そういうわけで私もすぐに、踊りましょう!って逃げますけれど、それは単にうまい言葉が見つけられない、というだけの話。
できるだけ、言葉でも説明していく努力をしなければいけないと思っています。
だから論文を書くのです。
ペシミストのほうが現実をしっかり認識してれるからストレス対処がうまい。
最悪の場合を想定して準備してるから。
そういう論文があった。
オプチミストのほうが積極的に対処行動をとるのに対し、ペシミストは落ち込んで行動しないからストレスに弱い。
そういう論文もある。
どう解釈しますか?
アンナは実はすごいペシミストでありすごいオプチミストでもある。
体の症状や自然界の異変などから、最悪の状況をすぐにイメージする。つまり、死に対する覚悟を自動的にしてしまう癖がついているのだ。
これは根拠のない想像ではなく、この星は危機にさらされているのは事実だし、命ははかないものだから、支えられているということがそもそもすごい奇跡なんだから。
いつも死のことを考えてる。
愛する人との別れを想定している。
会うときにはいつも、これが最後かもと思っている。
でも、これはみんな忘れてるかもしれないけど、事実なんだ。
オプチミストだというのは、それで落ち込むことはないからだ。
たとえそうであっても、だからこそ、今がいとおしく大切で美しいのだ。
今日も目覚めた。
まだ目が見える。
電気が使える。
清潔な水がのめる。
この喜びと感謝を、かくしておけますか?
究極の健康は、肉体でも精神でも社会的健康でもなく、スピリチュアルな健康です!!
それは病気にかかってないとか、落ち込んでないとか、適応しているというのとは違います。
JOY!JOY!JOY!!
これに満ちているかどうかです。
現実の悲惨さをしっかり認識し直面しながらも、決して失わない希望・感謝・喜び。
これです。
これは意識がどれだけ光で満たされているかによります。
努力というより、解き放ち開け渡すことで、自分が光を通しやすく透明になるだけで、達成されます。
つまり、気がつくだけなのです。
どうやって・・・
日の出を見てください!!
すべてが現れています。
アームストロングさんが提唱している発達論は、獲得していくんじゃなくって、もともと生まれたときに上から与えられてるものがあるということ。むしろそれを失っていく過程なのかもということ。
かれは上から与えられているものと、下から獲得していくもののバランスで発達していくと考えていて、それ、すごく納得がいきます。
育てられ方や環境で説明できないものがたくさんある。
そういってしまったら、努力してもだめなの・・・?
って気持ちにさせるからあまり人気がないですけど、知能なんか、はっきり言って生まれつきだわ。
どう使うか、そう生かすかはその人しだいだけど・・・で、ほとんどの人はつかわないで自分で鈍らせてる・・・薬物で混乱させたりして・・・(そう、お酒の話・笑)
しかしね、変えられるのは意識化ってことのみ。
それですべてが変ってくると思うんです。
上から与えられているものに気がついて、そのまま表現されるままに従うだけで、開放されていって、開花する。
つまり、獲得していくのではなく、もともとあったものが現れてくるだけだってこと。どんどん出てくるのは環境要因からじゃない。自分の意識の問題だけ。
あ、発達心理学の教科書書き直さないといけないな・・・どうやって実証するか・・・データを集めるしかないな・・・
きっと、ナラティブな方法論だな・・・
経験から言ってるんですけど、自分でも、この感性や性格を持って地上に生活することで、めちゃ苦労してます。けど、健康に楽しく生きていくためには自分らしく在ることは欠かせなくって、顰蹙浴びながらも、ま、これが私ですと、ある意味開き直ってるとこもある。
でもきっと、それで毎日幸せで充実してるんだと思う。
何もなくても、自分が自分らしくいられること。
これ以上の幸せはない。
そしてこれはいつどこでも、どんな環境であっても、自分しだいだから。
人によっては環境に適応するためにすごくじぶんらしくないことをしてるかも。
辛いでしょうね・・と思うけど、やめたらしゃかいせいかつなりたたなくなるかも?
どちらを選択するかもその人しだい。
楽しいと思うほうを選んだらいい。
それもまったくの自由。
だけど言っておくけど、まなみんはこれほど楽しく充実した人生はないだろうな~って思う。
恋人に裏切られようと、失業しようと、関係ないよ。
独りぼっちになってホームレスになっても、きっと同じだろうと思います。
意識はまったく自由だから関係ないんだな~。
ということで、スピリチュアルになる(SQ高くなる)って、成功したりお金持ちになるということとまったく違う次元だってこと、強調しておかないとね。
そういう誤解が多いみたいなので。
自然に帰れ!ってよくいわれますね。
地球環境がこれだけ虐待され続けている中で、何ができるのでしょうか。
できることはたくさんあると思いますけど、私自身は人間界のルールより自然界のルールに従うほうが楽しく生き生きできるので、自然にそのようになっている気がします。
まず、太陽と共に目が覚めて、暗くなったら眠くなるんです。
アタリマエの自然なことですし、肉体的にも理にかなってるのですけど、人間界の仕組みにはなかなか合いませんね。夜の会合は、子どもが小さいからとずっと断ってましたけど、最近はそうもいかないのでたまに行きますが、その後一週間くらいは調子が悪いです。
無理して体を壊すことを何度も経験しましたので、自分はほかの人と同じようにできないんだなと痛感しています。
菜食もそうです。
自然にしたがって疲れたら休む。
アルコールやカフェインなどの薬理作用で無理に起こしたり休ませたりするのはどうもうまくいきません。あとでツケがきます。
これも、こりました。
でも、人間界で生活するには結構大変なんです。
でもね・・・これが私の役割なのかなとも思ったりします。
つまり、たくさんの人が人工的なルールに従っているから、バランスとるために自然のルールに従ってるといいますか。
これでも、社会適応がんばってるんですけれどね、個性をかえるのもなかなかしんどいですね。
病気になるくらいなら・・・
と結局落ちついたのが自然に帰るライフスタイルです。
エコロジカルな視点から言うと、人類全体が菜食にして太陽とともに寝て起きる生活にしたら、食糧難もエネルギー危機も救えるはずですけどね。いつかユネスコで計算してましたね。
・・・といいながら、マイカーのりまわして、ネットで遊んでるじゃないかって?
うん、あれはね、人工的な人が多いとこに行くと、息が詰まりそうになって、なんだか叫びたくなるんですよ、やだ~って。笑。田舎モンなんで慣れないんです、人ごみに。
で電車とか駅とかが無理なんです。
しようがなくなんです・・・
それでね、インターネットじゃないと誰ともコミュニケーションできないからです。
昼間は仕事でしょ、夜はすぐ寝るから。
ま、できるとこからやっていきましょうね・・・
ねえみなさん、はやおきしよ~
いっしょにあそぼ~
気持ちいいよ~
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