尾崎真奈美の天使語同時通訳します

2007年05月

謙虚さ

ポジティブ心理学では、人間の美徳や高貴さ等が研究対象にされてるんだけど、そして親切だったり、勇気があったり公平だったり、創造性があったり愛他性があったり、スピリチュアリティが高かったりすると、元気で寿命も長いよ、幸せだよって主張してるんだけど、実は。

一つだけそうでない項目があった。
謙虚さという美徳だけは、健康や幸せと関係がないんだ。むしろ反対。
おまけに、この美徳に関しては、日米両方の若者があまり気にしてないという。
つまりそんなに美徳だと思ってないらしいということだ。
確かにそうですね。それより自尊感情を高めようっていうのが優勢ですからね。

まなみんが思うに、謙虚さって謙虚になれっていわれてなれるものではない。
いわれてそういう姿勢を示したり態度で表すことはできるけど、それはみててもすごくいやらしい。
大いなるものや自分でもどうにもならないものに気がついていることが、自然に謙虚な姿勢となる。
圧倒される運命の力というか、この世の知り尽くせない不思議というか、研究すればするほどわからないことが増えてくる。
自分の限界と小ささを思うと謙虚にならざるを得ない。
しかしこれは、自尊感情と対立するものではないんだ。
自尊感情がない謙虚さってのは、自信のなさであってほかの美徳に結びついていない、特に、勇気に関して。
それにしても、基本はやっぱりスピね。

なんでもバランス?

世の中でおこっていることはすべてがバランスの上に成り立っていて,いろんなひずみはすべてそのバランスの回復のような気がする。
行き過ぎたバランスを回復しようとしてるダケの話なのだ。
だとしたら、病気だって災害だって、もっと言えば失敗だって過失だったりしても,もっと言えば別れだって死だって、その言う流れの一つにすぎないということになる。
としたら流れに身を任せてバランス回復に貢献してるのだと思えば、抵抗することなく、そのままを受け入れる気持ちになってくることだろう。

もちろんそうはいってもつらいことが多いのは当然だし。
傷を受けた心は理性でコントロールできないのも事実。
でも、それさえも、そんなものなのかなと、とらえることはできるはずだ。

すばらしい善人たちに囲まれて、まなみんは、悪役やったりしてますが、どうか、バランス回復してるのだとお許しください。
悪を正当化するなって?
すみませ〜ん。
いや、どうもね〜なんかね〜あんまり正義が強すぎるとね〜〜〜

機嫌がいいこと

いつも笑ってると、なんだか何も考えてないみたいだけど、実はそれはすごいことだったりする。

この世の悲惨さや自分の至らなさに、見権威しわ寄せて苦悩するのはかっこいいけど、どんなに高尚な考え方でも、ネガティブな感情は経験を狭くする。
苦痛で心が閉じてしまうのだ。
いい例が、うつ状態。
なんて自分中心的な人間なんだ…と落ち込んで悩んでるのは、実はものすごい自己中。
落ち込んで動けなくなって自分のことしか考えてない。
他の人や責任に対する配慮が絶対に欠ける。
厳しいことを書いてるみたいだけどこれは自己反省からきていることなのだ。

ネガティブな感情のいいところは人と結ばれることだ。
同情や共感で慰められることだ。
でも浸っていたら動けなくなる。

突破して機嫌よくいよう。
どうやったら可能になるか?
自分の微笑が世界を救ってるんだとわかればもう、笑うしかないじゃない。
そしてそのことはすごく嬉しいことですものね。
出来ることがある、なんてすばらしいんでしょう!

淡々と

普通みんな、痛いとあわてて薬を飲んでよくなると放っておく。
で,また痛くなると慌てるその繰り返しだ。
そういうやり方は痛みがましてよくならないということを先日の学会でデータでびしっと示された。
痛いときも痛くないときも,無理しないで淡々と、動きすぎないで過ごすことが改善につながる。
痛くないとき,調子がいいときに、ついやりすぎて悪化してしまうのだ。
そうすると,調子良くやることが痛みを引き起こしてしまうという悪い学習が起きてしまって,動くのが怖くなる。
で,予期不安でやっぱり悪くなるとか。
痛いときには誰も動けないからいいとして,問題はいたくないときに,養生して動きすぎないこと。ペースを守ること。
これで徐々に回復するそうだ。

これは痛みがいにも言えそうだ。
調子がいいときに飛ばしすぎて後でがたっと落ちてしまうと、全体として淡々と少しづつやるより結果としてできていない。

淡々と続ける。

そう,だからまなみんは、いいときもわるいときも、SQらいふを書くのです。

タオが整う

何か問題が起きたときに、その原因を考えたり、その問題を分析して解決法を考える。

でも実は何もしないで解決してたということも、多い。
がんばって何とかやって解決したという場合と同じくらいあったりする。

寝てる間にタオが整って解決するというのは、ユングの中国の雨乞い師の話で有名だ。
じゃあ、どうやってタオを整えたらいいのか。
そもそも整えようなんて意識的にやることではないような気もする。

簡単に言ったら、気持ちよくそこにいたらいいだけではないかしら。

ああ、しかし、これでは何のことだかわかんないよね・・・

ま、何とかなるよって信頼とでも言いましょうか。
がんばってもどうすることも出来ない時には・・・
のんびり、寝てましょうよ。

Life is suffering

人生は喜びと光だ!!
人生は苦痛の連続だ!!

この論争に答えがあるかどうか、それは捕らえ方ですからどっちでもよいのですけれど・・・

今朝のまなみんは、歯の痛みに一晩中眠れず、あいてる薬局探して走り回って見つけられず、大学病院に救急車で急患で行けばいいと、6件目に尋ねたコンビニで言われましたが、そこまでは気が引けて、ひたすら痛みに耐えておりますル。

そう・・・
人生は、sufferingです!
心底そう思います!
悔し紛れにまた考えました。

が、光はある。
どこに?
感動的な自然・芸術・愛などに触れた時にはもちろんすごく感じる。
苦しみは?

まなみんは見つけてしまった。

苦しみを超越したとこに安らぎがある、なんて当たり前のことじゃない。

苦しみそのものの中に光があること。
喜びの中にももちろんある。
平凡で感情を動かされることもない出来事にだってある。

人生は苦しみです。
ええ、そうです。
しかしそのものの中に光や希望やすべての輝かしさも見えるんです。
苦しみや痛みそのものの中ですよ。
痛みが消えるわけじゃないんです。
同時にでも、確かにあるんです。

だからやっぱり、どこにでも光が満ち満ちているんです。

ドウダまいったか!ペシミストさん。笑

時間がないから、走る!

時間がない!って悩みは多いと思いますけれど、みなさんはどうなさいますか?

1睡眠を削る
2集中して急いでやる
3同時にいくつもこなす
4運動する

1の方、多いかも。
差し迫ったときには必要なときもあるでしょうけどいつもだと寿命がちじみます。
2はわたしもよくやります。
これがいつものパターンかも。
3はどうでしょうか。
人によって、ものによってできるときとそうでないときもあります。
4は?
そんな悠長な時間ないよ~と思われるでしょうが、実は一番よい方法なんです。

時間がないときあせりますが、時間をふやすにはどうするか?
使える時間を増やしたいんですよね。
それには運動するのが一番です。
運動に費やした時間の2倍寿命が延びるって計算した学者がいました。
今、ジョギングにいって30分使ったとしたら、寿命が1時間延びるってことです。
それだけでなく、気分爽快・循環がよくなって頭もすっきり、能率もよくなります。

時間がないと思ったときには、とりあえず外でも走ってきてください。
気持ちのいいひんやりした朝です。
行くぞ!

選択

生きてる限り、常に選択の連続だ。
どちらを選ぶか、論理的に考える人と直感的にこれだと決める人がいる。
どちらが正しくどちらが成功率が高いということもないだろう。
問題はきっと、自分の本質的なところからの答えを出すかどうかだろう。

迷ったときに他人のアドバイスを求めるのは有益だけど、それで決めてしまうと後でしっくりこない気持ちになったりすることがある。
言われたからそうするのではなく、自分で決めたことなのだと思いたい。
自分で決めたことは間違っていても納得がいく。
自分で責任を取っていくこと。

死ぬ直前に、走馬灯のように人生が映し出されると言う。
そのときに、後悔しないような選択をどうやって行えるのか。
後悔のない人生、失敗のない人生もないけれど、流されないで真剣に深く考え抜くことで見えてくるものがあるに違いない。

最後まで残るのは愛だ、と聖書にある。
ほかのものは過ぎ去って滅んでいく。
でも、何が愛なのだろう。

ほっといてくれ!

援助職にある人の悪い癖だ。
おせっかいしすぎる。

あれこれ気をもみ、アドバイスしたり、お膳立てしてみたり。
見守ることが一番と思いながらも気が気ではなかったりする。
つい口が出る。
手が出る。

「ほっといてくれ!」

ほおっておけないわよ。
関係ないだろ!
みんなつながってるんだから影響受けるわよ。
うざい!


荒っぽい言葉の影で見えてくる素直な声。

「ごめんなさい、心配かけて。もう自分のことはほおっておいてほしいの。
だって、悲しませたくないから。ごめんなさい。どうすることもできないんです。
どうしたらいいかわからないんです。
自分なんか消えてしまったほうがいいんです。」

ごめんなさい。何も力になれなくて。
却って負担をかけてしまって本当に許してください。

愛する人の苦しみを見ること以上に辛いことはない。
そう思うと、自分が苦しむことは私を愛する人を苦しませることになる。
そう思って、苦しみを喜びに転換してくることに慣れてしまった私。
でも、つながってるんだもの。
あなたの苦しみは喜びに転換できない。
祈ってます、大きな存在からの智慧が与えられますように。

幸せについて考える

幸せを求める人は多いけど、結局青い鳥だ。
幸せを求めてもえられない。
幸せって求める目的ではないからだ。

幸せについて考えることもなんだか馬鹿らしくなる。
幸せな人はそんなこと考えたりもしないに違いない。
幸せな人はきっと、自分が幸せだという風に思ったりもしないのではないだろうか。
今日もたのしかったな~とか、大変だったけどそれもよかったな~とか、生きてるすごいすごいって感動する。
そういうことしかないから。

お金持ちで若くてきれいで賢くて、愛されて好きなことできたら幸せかっていうと、実はそうでもなかったりする、この不思議。

主観的幸福感の心理学研究がはやらないわけだ。
今日授業でよんだけど、複雑で訳わかんないから。

突然永遠の実感が

何気なしに駐車場からうちに向かって歩いてた。
風を感じた。
花を見た。
誰かが花壇に植えてくださった菖蒲、名前は知らないけど咲き誇っているピンクの花たち。
その合間にたくましく顔を出している雑草たちも負けずと花開いている。

突然感じてしまった。
この美しい花を見るのも、このさわやかな風を感じるのもこれで最後なのだということを。

一瞬一瞬が、二度とやってこない最後の瞬間であるということ。
あの人に会うのもこれが最後。
微笑みかけるのもこれが最後。

息をしていることの不思議。
存在していることの不思議。

目の見えることのありがたさ。
飢える心配のないありがたさ。

それらの恩恵を失ってしまった方たちの苦しみが重くのしかかる。

でも、でも、生きてるんだよね。
存在してるんだよね。
経験できるんだよね。

どのように悲惨であったとしても、そのことの価値は奪えない。

ここに、ただ、在るという事実。

次元を超えて解決する

直線状の道に障害物があったら動けなくなってしまうけど、脇にそれて迂回できる、つまり平面状に次元を1次から2次に広げると解決する。

地上で四方を敵に囲まれたとき窮地に陥るけど、地下にトンネルを作ったり空に飛び立てば、つまり2次元から3次元に行動を広げたら解決する。

今ここで解決不能な問題に直面したとき死ぬしかないなんて考えてしまうけど、永遠に思いをはせれば、つまり3次元から時間を越えた4次元に意識を向けたら解決する。

といって、死なないとだめなわけではない。
そのことをおぼえていたらいいだけのこと。
意識をちょこっと広げてみるだけのこと。

解決の見通しがついたら、また直線の道をそのまますすんで行ったらいいんだから。

ミラクルクエスチョン

どうしようもない状況のときに、
「もし魔法使いが来て、希望を全部かなえてしまったとしたら、あなたはどのようにしてるでしょうか?」

ニコニコ笑って、おしゃれして、早起きして窓を開け、お花を飾って友人に電話する・・・

「そうでない状況でも、そうだと思って行動してみても、よいですよね?やってみてはいかが?」

解決志向アプローチのミラクルクエスチョンは、はじめ聞いたとき、突拍子もない発想だな~と思ってたんだけど、これって、今流行の、「思考が現実化する」をもっと確実な方向で、行動療法的意味も含めて示唆してるすばらしい療法だと思い至った。

やっていくうちに、実際に解決していくことが多いんだから痛快だし。
そうでない場合にも、行動は改善されるわけだし。
それによって意識も変化していくんだから。

これを編み出した先生の名前、忘れちゃったんだけど・・・
学会で公開セッションを見たときには、クライアントからどんなにわずかであってもよいところを見つけていく才能に感銘した。それがとってもやさしく自然体で。さすが東洋系だな・・・

彼女の悲報を先日知った。
でも、彼女の精神と技法は世界中で生き続けている。

愛の定義

自分自身あるいは他者の精神的成長を培うために、自己を広げようとする意志である。
精神的成長は苦しい問題から目をそむけずに直面し、解決していくという意志によって培われる。
引き受けるべき苦しみを避けずに立ち向かうこと、これこそが愛である。
したがって、意志の問題であり、技術訓練が伴うものとなる。
真実や現実をそのまま受け入れることは厳しくつらいことであるが、避けることにより心理的な病を引き起こし、欺瞞を隠したり取り繕ったりするエネルギーで疲れ果てるより、ずっと実りの多いことである。

愛に対する誤解

恋:愛する人との自我境界が崩壊し一体化する。全能感があるがやがて気がつく、異なった個人であることに。その時点で本当の愛が始まる。

依存:内的な空虚感や飢餓感からしがみつく。
「あなたなしにはいられない、愛してるからずっと一緒にいたい!!」
精神的成長というより退行である。

自己犠牲:虐待に耐え不当に耐えることで、自らの道徳的優越感に浸るマゾヒスティックな倒錯した愛。

純粋な愛は、消耗しないで自分自身が豊かになっていくものである。

踊りが足りない

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論文書きのジレンマ

直観的理解や意見は論文に書いてはいけないんだと。
主観的だから立場が違う人をまったく説得できないからだと。

説得するには、熱くならないで、事実を淡々と積み上げ証拠を網羅して並べないといけないんだと。

実証できないものは、人の書いた意見とかを参考にするんだと。
その人の意見ジャン、結局・・・

何でジェームズさんのはよくて、まなみんのはだめなんじゃ~~~
人の書いたこと繰り返しても意味ないじゃん、別に。

書いてないことを書くから意味があるんでしょ。
人が言わないことを言うから面白いんじゃん。

思い込み独りよがりだと。
そうだよ。みんなにわかるわけないじゃない。
まなみんの気持ちなんか。
みんなつながってるけど、光をみようとしないひとにはみえないらしいし。
いくら努力しても生まれつきの能力の限界もあるし。
向き不向きもあるし。

その業界を牛耳ってる人の常識に従って書かないと受け入れられないそうな。
ま、それはそうでしょうが。

飛び立ちたいのに、足に重しつけられて引っ張られてる感じ。
羽をもぎ取られた感じ。

それでもいくんだ、まなみんは。

バランス

どんなものにでもやっぱり、いいところと悪いところがあって、バランスが大切だ。
だから、どんなにいいと思われることでも、やりすぎたらやっぱりおかしくなる。

仕事のやりすぎとか、がんばりすぎはよくないってことはだんだんみんなもわかってきたみたいだけど、愛することさえ、やりすぎはよくないって知ってた?

まず、ロマンチックな愛は、愛しすぎたら、二人はよくても、はためいわくじゃない、ね。
じゃ、神の愛、アガペーも?
考えてみたんだけど、人間のレベルでは、この社会ではやっぱり不都合が起きる。
みんなが悟ってしまったら、博愛になってしまったら、まず結婚しなくなるでしょ。
そしたら人類いなくなるんだ。
人をすべて許し受け入れると、感動して改心する人ばっかりじゃなくって、もっともっと悪いことがエスカレートしてしまうことは歴史的にも明らかだし、DV被害者の例でも明らか。
ゆったりリラックスして美しいものを見つめて生きるのは健康的だけど、ごみの処理は誰がするのよ。

社会的に聖人君主のように思われている人が家庭でめちゃくちゃの暴君だったりする話や、すばらしい両親に、とんでもない娘息子がいたりする話を聞くたびに、やっぱりそうやって、バランス回復しようとしてるのかしら、と思ってしまったりする。

ということで、まなみん自身、いつも異質なところに派遣されて、正反対のスピリットで鼓舞する役割を自然に取らされているような気がしてる。
だからいつも、その集団から受け入れられるのは難しい。
踊りの世界で理屈こねたり、学術会議で印象でもの言ったりするんだから。

自然にこういう役割をとらされているけど、それで全体のバランス回復に役立ってるのならいいかな。
でも、きついのは、きつい。
だから、空を見るんだな・・・

病める心の宗教

悲しみ、嘆き、悔いなどにとらわれることは、反省して人々がまっとうな道に行くから必要だと言うより、元気をなくして立ち上がれなくするから病的だ、というのは、スピノザさんも述べている。

まなみんはよく反省がないといわれるけど、自分としてはもともと、反省しすぎて動けなくなる体質なんで、意識的にそういう感情をポジティブな方向へ向ける訓練をつんで、短時間で処理するようになっているだけだと自分では思う。

ジェームズさんによると、健全な心にも病める心にも浅い・深いがあって、生まれつきそのようになっている生理学的気質みたいなものから、非常に深い洞察・信念からそのようになっている場合があると。

すべてはかなく移ろいやすく、死が待っているのだからという観念から離れない、わが身の罪深さに悲嘆にくれる徹底的な厭世主義の哲学もあると。
病める心というのは、どんなに輝かしい自然の善を無視してしまい見えなくなるほど苦痛になっている場合があるからというのだ。
確かに、臨床心理学的に言えば、罪業妄想と呼ばれるかも。
というところでジェームズさんは、精神療法も一つの大きな哲学だと呼ぶのだ。
そう、健全な心の宗教なのだ。

彼が賢いと思うのは、どっちが正しいとかよいとか主張しないで違いを淡々と述べているところだ。
見習わないとな~
しかし最後には、悪いことも合理的な意義があるから、無視してしまうのは不完全であり、厭世主義が発達した宗教のほうが発達した宗教ではないかとしめくくっている。
何だよ・・・・天使の味方だと思ってたのに・・・

結局のところ、リアリティーは善ではないというクールな見方なのかな。
でも、だからそこで宗教的な救いが必要となるということなのだろう。
どうやって幸せでポジティブになるかなんてやってると、そういう深い要素を切り捨てさせる作業になりかねない、ということか。

徹底した厭世を通って到達した幸福・救いが本物ということか・・・
その「統合の過程」っていう、次の章も読みたくなってきた。

あれ、いつのまにか、哲学してるみたい。
京都の雰囲気かな~

健全な心の宗教

すべては光だ!!というのを、健全な心の宗教というらしい。
ジェームズさんは、これはまったく体質的なものだといってる。
悪が見えていない、注目しない、、無視してる限り存在しないのと同じだ。

これはリアリスティックではない。
しかも、行き過ぎると悲しみを感じたり、自己卑下したり、暗いことを考えて思い煩うことができないという、少し病的な楽観主義になることさえあるらしい。
なんておめでたい!
罪に対する無関心さも特徴的だ。

でも、生まれつきそうというわけではないのだ。
悪やその持つ力を無視し軽蔑し否定して世界を構築していくことは、哲学だとジェームズさんは言う。
そうだそうだ。

でもまた、病める心の宗教というのもあるらしい。
これはまたあした。

思い込みと信念

思い込みが激しいというのはあまりいい誉め言葉ではない。
同じことでも、信念が強いといえば賞賛される。

何が基準でそう判断されるのか。
きっと、はた迷惑かそうでないかってことが大きいんだろうけれど、その、はたって言うのは、その人自身のエゴからの判断だったりする。

革命者は、その家族にとっては厄介物だったりする。
その理想に燃えた信念の強い人物のために、家族が犠牲を強いられる。
村八分はたまったものではない。
集団の圧力は非常に大きい。

それにも屈しないでやっていくのは、思い込みあるいは信念があるからだ。
それがどこから来ているのか。

自分の周りと世界との調和の中でバランスをとりながら実行していくのは、本当に難しい。
本人は超越して苦痛でないにしても、愛する人が苦しむことをどうやって克服していくのか。

なんだか今朝はマグダラのマリアに共感している。

人生の目標

きちんと生きるためには、人生の目標を設定し、意識して、計画して立派に達成していく、毎日振り返りながら吟味し反省してよりよい生き方を目指す。

ま、理想かもしれません。
こういうこと、学校で習いますね。
親から教えられますね。
当たり前のこと、かもしれません。

でも、なんか疲れませんか?

もちろん意識化することはすごく大切ですけれど、それに縛られていると窮屈になります。
それを超えたとこで、
なるようになるさ~
何が来るか愉しみだな~
ってお気楽にしてると、結構いろいろできるものです。

まなみんの人生は、そういう感じ。
目標とかないんで、実は。
楽しいからやってるってだけで。
人に勧められる生き方かどうか、わかりまへんどす・・・

でも、早起きだったりするので、一部の方からすごいセルフコントロールができるって思われてます。
違うんです。
目覚まし時計を使っり起こされたりしたことは生まれてから一度もないんですってば。
おきたいときにおきるだけですってば。
やりたいときにやりたいことをするのが一番能率がいいんですってば。
何も目標なんてかかげてないけど、楽しいことしてたらみんなも楽しくなって、もっと楽しくなってくるんだってば。

なかなかわかってもらえない・・・

省エネ坊や

環境問題がクローズアップされてくると,省エネの大切さが強調される。

ある男の子の話。
ボクはエネルギー消費を最小にして生きてる。取り入れるエネルギー量に対して最大につかっていると思うよ。
どうやってるの?

食事量も水飲む量も少ないし(確かに・・健康に悪いよ!),睡眠時間も最低限で,気力でサッカーとかしてる。
必要以上に動かないから汚れも少ないし,シャワーも洗濯も最低限でくさくないし。
勉強はつまらないから,できるだけ最小限でパスするぎりぎりを狙ってる。
レポートも,提出間際の最低時間で済ませる。

そんなのじゃ,いいのかけないでしょう。

いいのかこうと思ってないもん。パスするぎりぎりでいい。
いいの書いた達成感とか喜びがないんじゃない?

別に。

ほとんど怒らないというかおこるって感情にならない,馬鹿らしく,時間の無駄だから。
おこったり落ち込んだりするのは時間とエネルギーの無駄だからそういうことはない。

ない?嫌だなって思うこととかないの?

ないよ。人それぞれだと思うし。他人に期待してないから。ナルシストだからね。
いらいらすることは,ゲームの世界ではある。
実際感情が動かされるのは,ゲームの世界の方が大きいね。でも別に,ゲームだし。

嫌だと思うことないんだったら,嬉しさも感じないんじゃないの?

そんなことはないよ。いいとこ取りしてるんだ。

そうなんだ…
いい生き方かもね~

しかし・・・

なんか・・・

へん!!

ねえ,このこ,どうしたらいいんでしょうか?

ひえ~

比叡山にいってみました。
すごい修行の場だったと聞いてたのですけど・・・

頂上にオープンした植物園までのパッケージチケットを買って、ケーブルとロープウエイで軟弱に上りましたら,なんとフランス庭園でした。
お花はとても美しかったのですけれど,比叡山まで来て,これはないでしょう…
と,ばらやポプリに囲まれて苦笑しちゃいました。
恋人と来たら良さそうな小道がたくさんありました。

何でこれが比叡山なの?
よくわからない・・・

チュイルリーやヴェルサイユに,日本庭園がありましたっけ?

まったくみんな,ないものねだりなのよね。
少々がっかりしましたが,観光客の多そうなとこには行きたくないし・・・

でも,自分がいる場所も,行きたいとこもわからない・・・
とうとうコンビニでガイドブックを買いました。
炎天下をふらふら京都中自転車で走り回り,一番落ち着いたのは,鴨川のほとりでした。
川の真ん中にある亀さん岩でお昼ねしました。

なんや一番近くが一番良かった・・・
筋肉痛と日焼けでひりひり・・・

まだまだGWありますね。
皆さんどうしていらっしゃる?

想像力

こんなにすばらしい晴れた日に世の中の光を見ることはやさしい。

けれど,嵐のただなかでどうやって光を見るのか。
晴れわたった高い空を,どうやって雨雲の中に見つけるのか。

目の裏から見るのです。
想像力の問題だけど,そのイメージはあなた自身の中にある。
みつけられない人は,今日の空をしっかり目に焼き付けてね。

おまかせ

人生をよりよく生きるには、目標を持って計画していかなければいけない。
意識化していかなければいけない。
流されてはいけない。

うん、たぶん、そのとおりだと思います。

人や社会に流された苦しいし、それから自由になるためには、自己意識をしっかり保って自分の目標に向かって精進する姿勢が必要でしょう。

しかしね・・・

大きな流れに身を任せてみるのは気持ちがいいことです。

赤ちゃんのように、信頼しきってしたがってみること、なんて楽なんでしょう。
だからみんなときどき、自分で考えることをやめて、親、恋人、先生、尊敬する人、社会的リーダーなどに従うことを選びます。
その選んだ人がかなりいい線いってたらまあ、人生はラッキーです。
でも、人間ですから失敗します。
間違いもあります。
これはどんなにすばらしい人でもあります。
そういう存在に自分の意志決定を任せること、こわくないですか?

お任せするのは人間であってはいけないんです。
人間が考え出した思想や主義立場なんかも危ないです。
かといって気持ちいい感覚も、一時的なその場の欲求からきてるかもしれませんから、任せてしまうと危険かも。
じゃあ何にお任せしたら楽に生きられるのでしょうか?

それはあなた自身なんです。

でも、あなたがあなただと思ってるのはあなたではない可能性が高いです。
だから単純なことみたいだけど、難しいんですよね・・・

あなた自身かそうでないかを見分ける方法は、気持ちいいこと、すっきりしていること、単純なこと、さわやかなこと、透明なこと、ありのままなこと・・・
わかんないですね・・・うううううん

スピリチュアリティ―を説明するのは本当に難しい。
だって努力して達成するものじゃなくて、自然にそうなるものだから。

わかんなくなったら、お空を見上げてみましょう。
すごい五月晴れですね!!

心配するなって?

よくいいますね・・・
大丈夫、何とかなるさ。うまく行くと思ってたらうまく行くよ。
本当にそうですか?
現実主義まなみんはいいます。
そんなことはないです。
うまく行くときも在るし、そうではないときもあります。
自分からみてうまくいったとしても別の方からみたらうまくいってないということもあります。
今良くても長い目で見たらそうではないということもあります。
良くなると信じたらそうなる、と単純でもありません。
思考が現実化する?
そうなることもある詩、そうじゃないことも在ります。
世の中そう単純じゃないのよね…

じゃあどうする?
何が起こっても、なるようになるのさ・・・
流れるように…と達観して行きますか?
何も心配せず心を平静に保ち、冷静に、穏やかな笑顔ですごしますか?
そういう恋人が欲しいですか?

まなみんはぜったに嫌ですね。
大変なことがあったときに、「すべてに意味があるし、なるようになるから」
と穏やかな顔で言われるより、一緒に泣いてくれる人の方がいいよね、絶対。

問題は、そこからどう立ち直って軌道修正していくかです。
悩んだり、心配したりすることが良くないんじゃなくって、それを抱え込んで抜けられないことが問題。
実は心配しちゃいけないんだ、うまく行くんだ、って、不安な気持ちを味わわないですっ飛ばすと、不安から逃げられないんだ。
思いっきり不安になってその気もちにひたってみて。

あほらしくなって来るから。
ならない?
心配の仕方が足りないんですよそれは。笑

IDと自己紹介

新年度が4月から始まって、いろいろなところで自己紹介する機会があった。
これが非常に難しい。
みんなと仲良くなりたいし、情報交換したいと思うものの、あまりはじめからべらべら自己開示するのもうるさい。
かといって何もいわないとわからないし。

ひとりで時間をとって長いのも顰蹙だけど、なまえもきこえないようなのもアサーティブな態度ではない。

そして一番難しいのは、自分の何をかたったらいいのだろうということだ。
誰に何を伝えたいのか。

まなみんはいろいろな顔があるので人によって、会合によって全然別人のような紹介になったりもする。
どのレベルの冗談を言ってよいのか、これもいつも頭を悩ませる。どのようなモードで行くか、これを判断するのは結構難しいのだ。
ということで、たいてい無難で控えめになっていく。
結局伝わらない。
まなみんが天使言葉通訳してるなんて誰も知らない。
かなり大切に思ってたりするのに。

自分らしく生きるってことと社会適応。
両方満たして楽しくやっていくのには、かなり高度のセンスが必要だわ。

プロフィール

尾崎真奈美尾崎真奈美

東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。ペンシルバニア大学医学部精神科、東京大学医学部公衆衛生学研究室などを経て、現在相模女子大学人間心理学科准教授、米国サーチインスティチュート、スピリチュアリティ発達センター客員研究員。
インテグラル心理学・スピリチュアリティ論・芸術療法などを教えながら研究、ダンス、執筆活動を続け、科学と芸術の統合を試みる。
天使語同時通訳は日々のインスピレーションの書き散らしである。
国際生命情報科学会、日本トランスパーソナル学会理事。日本心身医学会、日本トランスパーソナル心理学・精神医学会、国際ポジティブ心理学会会員。

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