尾崎真奈美の天使語同時通訳します

2007年07月

「怒りからです」

怒りはエネルギーとして行動変容を促す。
ナイチンゲールが、どうして赤十字をはじめたのかと聞かれて応えた。

「怒りからです」

怒りをすぐに悲しみにしてしまい、心の奥深くで嘆くことにしてしまうと、うつを引き起こす。
誰をも傷つけたくないというやさしい気持ちが、自分を破壊していく。

怒りは大切なエネルギーだから。
上手に使いたい。
恐れて回避しないで。

癖というか習慣というか学習

まなみんは、1本指ブラインドが出来るほどめちゃくちゃ速く打てるんだけど。
あんまり暇ですることがなくなったから、というより暑さで脳がとけて何もできないんで。
正統派10本指に挑戦することを思いたった。

悲しいほどの速度で今も打ってる。

一度身についた癖を直すのはきつすぎ。
はじめにきちんとやりたかった。

学校では役に立たないことばっかり習った。
タイプとか、確定申告のやり方とか、使える英語とか教えてほしかった。
今はじめて習ってる論文の書き方とかも、10年前だッたらどんなに素直に身についたかと思う。
あああああああ

年寄りの手習い?冷や水?なんていうんだっけ、きついっす。

いのちのエッセンスはお空に

よい生き方ってどんな生き方だろう?
幸せな生き方とも違う。
自分がいいと思えばいい、というものでもないと思うし。

だけど、いっしょうけんめいかんがえて眉間にしわ寄せてたらよくなるというものでもなくて、
そんなこと考えもしないで、
「ああ今日もおテントウサンありがとうよ!」
みたいに機嫌よく過ごすほうがよい生き方だったりもする。

つまり・・・

スピリチュアリティを知能とする立場もあるけど、緻密に考えられるとか意味を見出すとか、そういう脳の高度な働きとはまったく関係ないんじゃないかと思うんだ。
スピリチュアリティーはいのちのエッセンスだから。
それはすべての人にはじめから与えられているものだから。
隠れているだけだから。

で、わたしなにしてるのか・・・
自分でお花摘みに行ってアロマを楽しむことが出来ない人のために売られてるアロマエッセンスみたいに、いのちのエッセンスを集めているのかもな~。

どうやって?
うん、ただぼけ~とお空眺めて。
今日も晴れましたね!
いってらっしゃ~い

なくし物

誰かが、モノがなくなるのは、必然性があるんだって、言ってた。
フロイトはいい間違いは無意識的なメッセージだというし。

確かに、気がすすまないときに、時間に遅れたり、邪魔が入ったりする。
やりたくない仕事書類はどこかにいってしまう。
見たくないメールは消えてる。
無意識的に削除してたりする?
いきたくないと思っていたら体調が悪くなる。
ま、ここまできたら心身症っていうんだろうけれど、面白いのは物理的にまったく関係ないところまで影響があるということだ。

問題はそういう事態に際してどう行動するかということ。
ネガティブに作用しているときに、「神からの警告だ。やめておこう」と思うか、「試練で挑戦だ」とファイトを燃やして達成するか。
どちらもありだと思う。
どう生かすかは貴方しだい。

だけど・・・
ラップトップのMACパソコンが行方不明なんです!
あんなに大きいものだから消えるはずないですよね。
どこに忘れたんだろう・・・
ずっと夢の中だったので、最後に見たと記憶してからもう半月もたってる。
ヤット1ヶ月遅れのレポートでもやろうかという気になってきたのに、気持ちをそがれるな・・・
勉強向いてないし、やんなくていいよってこと?笑
わかんないけど、暑いですね。
 
都合がいいというかなんと言うか・・・

夢のまた夢

今月、訃報が4件も届いた。

いのちのはかなさに、スピリチュアリティは永遠だなんていいながらも、愕然と虚脱感に襲われている。

何ができるのだろう。

何をすべきなのだろう。

何をしているのだろう。


世界中の慟哭が押し寄せてくる。
耐え切れなくなって夢をさまよい始めた。

夢は逃避?
いいえ、それも、リアリティのはず。

過保護・天然

今朝は自己反省の辛口メッセージです。

大好きな人を大切にしたい、守りたいというのはきっと、母親的本能だと思う。
守るために自分を犠牲にするのはいとわないけど、それが美しいと思えない、自分の愛する人だったら。
愛する人とは一心同体だから、自己愛・エゴの塊といっても差し支えない、醜悪だ。
他者と競合・対立したときに他者を無視して自分のテリトリーを守ろうとするのも本能的だと思うけれど、こういう場合、どうもナルシスティックエクステンションのような感じがして好きになれない。
美しい愛?
ぞっとする。

自分の腕の中にいる雛が快適に生きていくための条件を整えるために、他者を無視、あるいは侵略をかけてきたら皆殺し?
たまらない

日本という国は、海外から帰国するとその過保護さと居心地のよさにびっくりしてしまう。
仲間には居心地がいいんだけけど、実は外には冷たく、人間あつかいさえしていないことを目撃する。
だから、仲間かそうでないかが非常に重要になるみたいだ。
仲間だと悪いことしても大目に見られるから悪事がはびこる。
仲間でなければ、人間扱いしなくてもまったく良心が痛まないらしい。
(ホント?そうとしか思えない残酷な行為がまかり通っている。)

そのぬくぬくした環境で、自分の、家族の、知り合いの、村の、同じ考えのものだけの、国の、快適さしか考えていない。

日本人が悪いやつだなんて思っていない。
ただ、頭が足りない。
考えが足りない。
馬鹿やアホを、純真とか天然といってかわいがるほど、おめでたい人種だし。

救いはあるのだろうか。

子どもっぽく何も知らないことを評価する風潮、何とかして欲しいな~

といいながら、自分の首を閉めてるまなみんです。

宇宙人の襲撃

家族でけんかしていても、子どもの病気とか事故とか何か問題が起こると一致してそれに向かう。

国内で争いや不満が爆発しそうになると、政治家は外国と戦争を起こさせて国を統一しようとする。

外からおびやかされて、はじめて、こんなことで争ってる場合じゃないってはじめて気がつくんだ。
つまり、もっと大きな危機があることで、それに立ち向かうためにはいやいやでも、協力しないと自分も滅びることが本能的にわかるからだ。

争う前に気がついて欲しいよね。

争うことで発展するの?
やっつけることで何か生まれるの?
傷つけることで癒しが起きるの?

ああ、気づきは起きるかもね。
なんて馬鹿なことやってるんだ・・・という。

地球人を救うには、宇宙人の襲撃が必要なのかもね。
そういう意味では、環境の危機はありがた~いものです。

でも、それでも気がつかないで、競争したり、自分だけ横取りして満足してるのはまったくもって、おろかです。

物質と非物質の間で

天使とか妖精とか見たい?
最近見る人が多くなってるね~という話が研究会で出た。
そうなんだ。

これはどういうことでしょうか。

天使が多くなってきたんじゃなくって、そういう現象が認められるようになってきたというだけの話だろうと、あるいは人間の意識や知覚能力が進化?あるいは適応して変化してきたのだろうと、まなみんは思います。

お姫様物語の次は量子脳理論とめちゃくちゃ濫読してますが、それでわかってきたことは、論理的推論はコンピューターだって出来ることで、人間の人間らしい脳の働きは直観的理解・説明できない飛躍にあるということ。

その飛躍的な非論理的直観で言うと、物質と非物質は連続であって、そのカギを解くのは光だ!
賢い方は、この仮説を科学的に証明してください。

正しいかどうかは、シンプルで美しいかどうかでわかります。

気まぐれに300回

みなさま
なんとこのメッセージは300回になりました!
湧き上がる日も沈む日も書き続けてます。

最近重かったですね・・・
やめました。
まなみんらしくないから・・・
眉間にしわ寄せた哲学者は似合わなかった・・・

まなみんにぴったりの物語に出会いました。
マクドナルド作の「かるいお姫様」です。

このお姫様はからだだけじゃなく、心も頭も本当に軽くて、けなげな王子様が命がけで姫を救おうとしてても、私眠いのよ、って彼のことを考えもしないのです。深刻さに気がつかないのです。王子様は勇敢で男らしいかたなので、そのことをなじったりされません。姫のために喜んで死にます。お姫様は生まれて初めて重さを感じて泣きました。それで魔法が解け、重さを取り戻したんです。

ドクターマッキーによると、体温が低く、脳が浮いたような状態にある人はそう状態になり、反対に沈んでいる人はうつになりやすいのだとか。
まなみんの脳は浮いてるといわれましたが、はい、確かに。
脳だけでなく、身も心も軽いかも。
やせてるってことじゃないんですよ、脂肪は筋肉や骨より軽くて水に浮きますからね!

思慮深くならないと、これは、あんまりジャン!
てわけで深刻に考えてみましたよ。
飛んでいったら困りますからね。
しかし、なんか、つかれてきちゃいました。

重いのは似合わないみたいですね。
や~めた~っと。
というわけで、でも、気まぐれだから何が出てくるかわかりませんけど、こんごもどうぞよろしく。

なんか笑っている自分がいたりして

本来の自己、これが大いなる自己とつながっているという直観的理解を学問の上に載せようとして、それも形而上学ではなく、哲学的記述でもなく、実証的に実験的に明らかにしてその一致度を測定しようとして行き詰っている。

ばっかじゃないの~
出来ないものをやろうとしてるんだから当然じゃない・・・
カテゴリーエラーもいいとこだよ。
そんなこと、大昔から天才たちがやろうとして誰も出来てないんだから・・・
何考えてんのよ・・・

冷ややかな自分がいる。

自分自身のあり方を問われる。
在りかたを体験しながら同時に客観的に捉えていく。
感覚的に感じつつ分析していく。
血みどろに格闘しながら、その不器用さに大笑いしてしまう。

光なんだということを、闇の真っただ中にとどまりながら逆説的に証明していくんだ。
無意味だと思えることにことさら固執していく。
能率や生産性と逆方向に進む。
あえて幸福になる道を選択しない。
負け惜しみでなく、自分の選択なのだ。
自由意志の働きなんだ。
バランス回復の働きなのか。
あえてここにとどまる。

スピ大嫌いといいながら、スピやってるという、これがまた大爆笑モノ。

恋に落ちる

どんな人に惹かれるのか。
面白いことにまったく正反対だったりする。
ユング的に言えば補償関係にある人と一緒になって二人で全体性を回復しようという働きだ。
確かにどうしてこんな人たち、よく一緒にいるなあというカップルが多い。
自分にないとこを持っている人は魅力的だ。
神秘的だったり、天才のように思えたりする。

大学院なんてとこにいると、学問はこりごりと芸術家にあこがれる。
芸術やってると、こんなむちゃくちゃこりごりと理路整然とした理論家に惹かれる。

正反対の相手と付き合いながら、自分のシャドーの部分を鍛えていくんだけど、愛の表現形や感じ方などがまるで逆だから、お互いに相手が理解できないで傷つけあう悲劇が生まれる。
悩み相談に対して、よく考えて理路整然と一生懸命答えられたのに、不満で、ただ抱きしめて欲しかっただけだったりするんだ。
反対のパターンもある。
抱きしめられても、いきなり問答無用でごまかされたようでむかつく。

自分だったらこうされたら嬉しい、は通用しないんだ。
このおめでたい勘違いが多すぎる。
そしてみんな自分が正しいと思ってるから。
こう感じるのが当然だろって。

相手はまったく違うんだってこと、ユングのタイプ論は勉強になる。
内向直観タイプのまなみんは、最近多くて人気のある、外向感覚タイプと正反対なので、よくわからないんですよ。
悪気はないので、お許しください。

国粋主義者からの批判

まなみんはアメリカかぶれらしい。
アメリカに行った人がみんなそうなるとは限らず、かえって反発して大嫌いになることもあるらしい。
自由で楽しく明るいお国柄だけど、もちろん闇(病み)はある。

まなみんの考え方がアメリカ風なのは、研究に限っていえば、日本語の研究はほとんどないから、英語になっているものしか読まないから知らないうちにその頭になってしまうということもあるだろう。
また、皮膚感覚というか生理的に経験的にぴったり来るので、それはどうすることも出来ないんだ。
これをかぶれというのだろうか、そのほうがなじむんだけど。

それを断りながら紹介しているつもりだけれど、国粋主義者からは、売国奴みたいに言われてしまう。
これは実は、きつい。
価値観にかかわることをテーマにしていくと、こういうぶつかりがある。
もうこりごりだ。
もちろん彼は甘えとスネで反発していることはわかるんだけれど。
両方の良さを認めてすみわけを、という提案では納得しないんだな。
データを示してもだめだし。(アメリカ人のデータだし。笑)
ますますいきり立つ。

遺伝子解析でもやってるほうがよかったかも。
今までやって来たことは、何だったのだ。
スピリチュアリティは、もういい。
無邪気な日々にはもう帰れないみたいだ。

スピリチュアルな危うさ

スピリチュアリティが健康に影響を及ぼすという科学論文は多いんだけど、そうではないという報告もある。
たとえば、DV被害者対象の調査では、スピリチュアリティが高い人ほど、酷い現状を受け入れようとして耐え、助けを求めず精神的健康が悪化して、PTSDなどが多かった。
これをどう考えたらよいのだろうか。

スピリチュアリティが高くなると、お金持ちになる、病気が治る、恋人が出来る、成績もよくなる、幸福になるなんてことはない。結果としてそうなることはあるかもしれないけれど、とじんさんはかいておられる。そのとおりだと思う。

かえって、人と痛みを分かち合い放棄していくと、正反対になっていくことさえある。

じゃあスピリチュアリティの根源って何?
生きていくすべての営みを、あるがままに受け止めていくことでしかないのだろう。
それが病気であっても、貧困であっても。
それを肯定していくというのではないけれど。
そして諦めとか絶望では決してないと思うけれど。
手放していくことかしら。

考えれば考えるほどわからなくなる。
だからもう、考えないで、寝る。
清潔なベットに感謝して。

とことんうつになってみる

これはまなみんの特許ではない。
しかも、臨床応用をして効果を確かめたわけでもない。
だから誰にでもお勧めという方法とは言えない。

でも、今回実験は成功したので、報告する。

みんな落ち込むと、何とか明るくなろうとする。
第一仕事や勉強が手につかないと困るし、社会的にも困るだろう。
うつになってみる、なんて余裕は普通はないよね。
でも、すべてに意味があって必要なプロセスであるということを考えると、うつもいいものではないかと思い至ったのだ。
なんて今だから書くけど、その中にいるときはとてもそういう状態ではない。
そもそも、いいものだなんて考えられる人はうつにはならない。
うつになりやすい人は責任感が強く自責の念が強いというのが古典的理論だ。
だからそういう人は、うつをよしとはしないんだ。
よくなろうとするんだ、当然だけど。
で、そうやって深みにはまっていく。

フランクルの逆説療法にヒントを得たんだけど、うつになったらとことんうつになってみたらいいんだ。
これ以上なれないくらい落ち込んでみたらいい。
そうしたら自殺する気力もなくなるから危なくない。
これ以上泣けないくらい泣いてもいい。
起き上がれなかったら、何日ベットから出ないでいられるか挑戦してみたらいい。
仕事?学校?やめたって死にやしないさ。
そしてとことん味わってみたらいい、うつという状態を。
世界がちがって見えてくるんだ。
時間が止まってしまうというか、一人隔絶された世界にいるというか。

はっきりと、認知障害であるとわかる。
超過敏で、同時に超鈍感になっているのだ。
そして頭がうまく働かないのがわかる。
機能低下をおこしてるんだ。
そういう時はねてるのが一番いい。
機能低下を起こすのは使わないほうがいいというしるし。
早めにおねんねいたしましょう。

うつの自分をながめてみたらいいと、そういうこと。
ねむくてもうだめ。
眠れるようになったということはぬけたというサイン。
一部の方には、ご心配お騒がせしました。
実験は成功にて終わりにいたします。

天上への憧れ

スピリチュアルになって死に対する恐怖や、喪失に対する悲嘆が和らぐのはいいかもしれないけど、実は危ないこともある。
トンネルの向こうの花園にはやく行きたくなってしまうのだ。

でも、まだそこでやることあるでしょ、と言われてハイハイ、と戻ってくるけど。

早く行きたい。
そういう時は寝ることにしている。
夢の中でいけるから。

この日常の中にある天上を探しながら、今日も同時に二つの世界を生きていく。

危うくない変性意識

レインボードクターのお話をききながら、症状や夢になってみるという、プロセスワークのあり方は、意識状態がいつもと変わっているけれど、危うくない状態だという気がした。
変性意識状態というと、完全にトランスして別人のようになって我を忘れる、等という印象があるけど、いろいろなレベルや状態があるんだなと気がついた。
そして理想は、変性意識状態でありながら、現実的なリアリティーもきちんと把握して統合している状態かしら。
これがなかなか難しい。
現実的な自我がしっかりしていないと、ドリームワークによってあちらに行ってしまいそうになる。
でも、からだの症状は現実のものだから、確かに、それにフォーカスしていくのは、危険がなくてよいのかもしれない。

そしてそのプロセスを一緒に歩む相手の存在。これが大きいと思った。
H先生のおっしゃる、オープンシステムとしての自我、脳科学の説明からとても興味深かった。
いるかの脳が人間の脳より優れているように見えるのにどうして人間ほどの自我や文化が発達していないのか?それは外界に繊細に働きかけることのできる手足がないからだと。外界とのつながりによって作られている自我。
やっぱりみんなつながっているんだね。

場の空気に、癒されたけど・・・

でも、まなみんの悩みは深く、ますますわけがわからなくなってしまったのであった。

そういう時は台風一過の空を眺めてお昼寝が一番。

なんか、もう・・・

研究すればするほど研究になじまないものであることがわかってきた
「スピリチュアリティ」

言葉にならないものを言葉にしていく・・・
分析できないものを分析していく・・・
測定できないものを測定していく・・・
主観的な直接経験をどうやって客観的に記述するわけ?
善悪を超越したもの?普遍的原則?自己実現?
価値観・世界観を無視できないし
科学と宗教・芸術の統合など本当に可能なの?

解決法を考えてみた

1 踏みとどまる
棲み分け・限定
立ち居地の明確化
カテゴリーエラーに気をつける
2 スピリチュアリティ研究をやめて周辺概念の研究に専念する
3 スピリチュアリティを芸術的な方向からアプローチする(踊り、歌、エッセーなど)
4 出家する?新興宗教の教祖になる?むいてるかも・笑
5 しばらく休む

しかし・・・・
でも・・・
研究意義はどこにあるの?
スピリチュアリティを目指しながらどうしてそこで深い争いや傷つきが起きるの?
私の使命はどこにあるの?
私自身の本来の自己とは?

迷いと悩みの多い、フランス革命記念日の今日
自由!平等!博愛!
といってどうしてギロチンで人を殺すのよ・・・
わかんないことだらけ・・・

ジグゾーパズルは離れて見る

ちょっと離れてみた。

そうしたら、泣きそうになっていることが、どんなに小さいことで細かいことで、世界のあり方に何の影響もなく、どうでもいい?ことに深刻になっていることかが見えてきた。

離れてみると、何でこんなことに必死になって泣いたり笑ったりしてるわけ?
とこっけいになってくる。

まじめにしてる方を茶化してるようだけど、でもね~

貴方がそこでどれだけがんばっても、世界は変わらず、地球の回転も変らず、また明日になるんだな~
すごく気にして絶対だと思い込んでいること、そこだけの話よ、きっと。
で、今だけの話よきっと。
そかそか、今が大切なのね。
うん、たのしくるんるんできるんならいいじゃん。
そうじゃないならやめとき。
きっと、今、ここでするのには向いてないんだ。
でも、ほかではいいんじゃないかな~
別のときだったらもっとよさが見えてくるし。

そう、みんな正しいんだから。
そうみえないのは出す場所と人と時期がビミョーに違ってたというだけだから。

離れてみてごらん。
歓迎されて喜ばれる場所・時間・人が実はいっぱいあるんだ。

ここにいられる時間は、本当に限られていて短いの。
それわかったら、歓迎されるとこを見つけていくほうがトクだと思うな~

みんな一人一人、ぴたっとはまる場所があるんだから。
ジグゾーパズルみたいにね。
無理にねじ込もうとしたらゆがむの当然。
痛いし、隣のパズルもゆがませるよ。

離れてみたらいろいろ見えてくるから。

グレーと光

すべてを白黒はっきりさせることは出来ない。
グレーゾーンを考えたほうが成熟したあり方だという考え方がある。
人間は複雑だから。
たぶんそうなんだと思う。

でも、グレーだとどうしたらいいかわからなくなる。
そのような時はどうもしなくていいのだという声もある。

グレーをずっと見つめていたら、実は黒と白の小さな粒粒が混ざっているだけだということに気がついた。
黒と白が混ざり合うことなんてないんだ。
目が悪いからグレーに見えるんだけど、黒と白は溶け合わないで、ひたすら小さくなって同居しているだけだった。

そして、そのような目で見つめていたら、すべてが光の粒粒から出来ていることが見えてくる。
色がついて見えるのははただ反射してるだけのことだ。

そう思っていたら、ノーベル物理学者まで、すべてのものは光で出来ていると主張していることに気がついた。

ほら、やっぱり、そうでしょ?
争いたくないけどね、事実は事実なんだ。

天使の戦い

なぜだか知らないけれど、自分らしくないことにあこがれてしたがるのが人間らしい。

客観的に見てぜんぜん向いてないことに夢中になってる。
下手の横好きともいう。
自分らしいことに専念したらきっと、その道で世界一になるに違いないのに、世の中でかっこいいとか評価されることに目が奪われてしまう。
確かに人に評価されることだと安心するけど。
つまり、資格とか、学歴とか、社会的評価ね。
確かに達成感はあると思う。

でも、自分がこの世に生まれてここにいるのには、自分にしかできない役割と使命があるんだけど。
一部の才能や能力を切り離さないで、自分の存在そのものが語っている何か、好みや趣味、からだの特徴、友達、環境なども含めていろいろ点検してみたら何か見えてくることがあると思う。

こんなのイヤだ、変りたいと思っているかもしれない。
としたら、それを切り捨てるのはもったいない。
今の状況から何を利用してやろうか、どんな風に利用できるかを考えたほうがいい。

悪魔に戦いを挑むと負ける。
悪魔の裏をかくんだ。
苦しみや悲しみ困難の中から、楽しみ喜び創造をつむぎ出していくのだ。

こんなはずじゃなかったのに!!って歯軋りして悔しがってる悪魔がみえるでしょ。

ほら、これが天使流。

天使からの贈り物

不思議な現象って、何かメッセージを伝えてくれてるような気がすることがよくある。
シンクロニシティーのように、偶然の一致だと思うことも出来るけど、あまりにも出来すぎていて、まったく驚いてしまう。
夢もそうだけど、関係なさそうな外の出来事も、実は全部つながっていて、壮大な宇宙のタピストリーをデザインしていることに気がつく。
この謎解きが面白くてたまらない。

自然に鳴り出して、聞いたことがない美しい音楽を奏でたオルゴールがうちにある。
なんとなく懐かしくなって、最近は鳴ってくれないのね~

と、仕方なくねじを半回転だけ巻いてみた。
ゆっくりと繊細な音楽が流れ出した。
深い響きのある音だった。

鳴れ!と念じても鳴らない。
超能力とかで動かすことも出来るのかもしれないけど、オルゴールにはオルゴールの意志と都合があるらしいからやめといた。
でも、なんとなくさびしいな~と思っていたとき、おなかの中から空気が外に出たがっているのを感じた。
誰もいないし、気持ちよく発散してみようかと思って自然のままに任せていた。
すると・・・

なんとお~
生まれてはじめて聴く、甘美な音楽が!
はじめはびっくりして
そのつぎにおかしくなって
その次に意味を考えた。

天使さんって、とってもお茶目。

(それを一芸にしてお金持ちになった○○長者って昔話がありましたね。出来るんですね。笑)

フランシスコ・アシジの生き方

現実世界のゆがみを見るとき、自分自身の中の不完全さを見るとき、祈りしかなくなるときがある。
祈る言葉も見つからなくなってしまうときもある。
これは覚えておいたらいい祈りのひとつだ。

アシジのフランシスコの祈り(平和の祈り)
   わたしをあなたの平和の道具としてお使いください
   憎しみのあるところに愛を
   いさかいのあるところにゆるしを
   分裂のあるところに一致を
   疑いのあるところに信仰を
   誤っているところに真理を
   絶望のあるところに希望を
   闇に光を
   悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください
   慰められるより慰めることを
   理解されるより理解することを
   愛されるより愛することを
   わたしが求めますように
   わたしたちは与えるから受け
   ゆるすからゆるされ
   自分を捨てて死に
   永遠のいのちをいただくのですから

彼は何も所有せず、歌いながら小鳥たちと戯れながら、春風のように軽やかに生きた。
ブラザーサン・シスタームーンと呼びながら。

魂の臨死

自分が自分らしく生きることを否定されると、根源的なところで息の根を止められてしまう。

人間はそれでもこの世で生きていけるようにプログラムされているから、適応し、期待される像に合わせて、何とか死なないで生きていくことは可能だ。
物理的に息はしている。
ニートにならないで、フリーターして食いつないでいくことだって出来るかも。
必要なだけは仕事だってできるかも。
世間体や家族のことを考えて、嬉しそうに笑って過ごすことさえ出来るかも。

むなしさを抱えながら、何かおかしいと、自己啓蒙書をあさったりワークショップめぐりをして何か、気づきが生まれることもあるかも。
求めてみてもすべてがむなしく表面を過ぎ去っていくだけで、お愛想に感動したフリなどしてみるけど、そのときだけのご愛嬌だ。
何をする気力もなく、与えられた時間を、ただただ死なないで生きていく。
別に殺人や暴力を振るうわけでもなし、悪くないでしょというわけだ。
迷惑かけてないよ、と来る。

しかしこれは、魂の末期症状なのだ。
苦悩を意識するわけでもない。
苦悩があるということはもがいている状態だ。
可能性がある。

疲弊してくると、苦悩などもうありはしない。

感情も感覚もなくなっている状態。
へらへらと、表面だけ繕っていくことは何とか可能。
mindの病気より、bodyの病気より、spiritの病気は深くて治るのに時間がかかる。

治りたい、生きていきたいという本来の意欲や方向が損なわれてしまうからだ。

天上からの光と癒しを、ただ待ち望むのみ。

幸せ探し

幸せになることを目的としてその方法論を研究するって言うと、なんだか非常に浅薄な印象があるかもしれない。
幸せって一体何をさすのか。
喜び、嬉しさ、満足、楽しみ、わくわくなどエネルギーが沸いて来るような感情のあふれてくることか。
単順に、欲求が満たされることとは限らないらしい。
また、外的環境が整うことや物質的に豊かになることとも違うらしい。

意味・目的・感謝が今のところキーワードのようだ。
言い換えると、スピリチュアリティそのものじゃないか。
スピリチュアルヘルス、あるいはスピリチュアルインテリジェンスというときのスピリチュアルの使い方はそういう意味だ。
自分を超えたものに対する気づきがあってこそなんだけど、それは自動的に幸せ感をもたらす。

幸せの青い鳥は外に探しに行っても見つからない。
自分の中にあるものだから。

学習性の喜びと無力感

がんばってもがんばっても評価されないでだめだといわれ続けると、何をやってもだめだと刷り込まれ、何もする気がなくなる。
ねずみの実験でも明らかで、これを学習性の無力感という。
反対に、学習性の幸せというのがあると実証してるのが、最近のポジティブ心理学者たちだ。
そのために一番効果があった方法は、毎日の出来事から寝る前に必ずよかったことを思い出してノートに書く、という方法だった。
短期的に効果があるのは、お礼を言ってない人にお礼状を書くという方法もあった。
これを続けると、喜びが学習されていく。
つまり、うつが治り、幸せな気分が広がっていくのだ。

環境はコントロールできない。
もちろん精神的虐待にあっているような状況は変えていく必要があるけれど、どうにもならないときに、そういう状況からよいことを探し続けることは出来る。
これは意志の働きだ。
いやなことを続けるという意志の働かせ方よりずっと生産的で自分も他人も幸せな気持ちになることは間違いない。

喜びは、意志の結果である。

メタ認識

日本人のスピリチュアリティは低い、というときっと頭に来る人が多いだろう。
アメリカやキリスト教国の横暴を許すな、という声が聞こえてきそうだ。
WHOの健康定義改定案も、イスラム国からの提案だったために保留になっているのではないかと言う意見もある。

普遍的スピリチュアリティがあるはず、とみんな思いながらも、無意識的に自分の文化や価値観を前提に話してるから厄介だ。そのことはWHOの調査で明白だ。

まなみんは日本人的スピリチュアリティーというのがどうもピンと来なかった。
日本人研究者の報告を読みながらなぜこういう結論になるのか、なぜこういう尺度項目になるのか、理解できず、仏教的あるいは神道的世界観の押し付けじゃないかという印象を持っていた(口に出したりしないよ、宗教戦争になる。笑)。
まなみんに対しては西洋的世界観のおしつけだと多くの日本人が感じるのだろう。

スピリチュアリティー研究は価値観に触れるからやっぱり微妙だ。
宗教戦争みたいに深いところで反目してしまうのだ。
もっと深いところで一致してるはずだといいながらも、今ここで生きている人間である以上、日常的スピリチュアリティーの具現段階で微妙なずれが生じるのだ。

無視から感情的反発、また日本語で話せ、仏教勉強しろ、仏教用語で説明してくれなど、いろいろ言われる。
仏教を少しかじってみた。
日本人の書いたのは難しすぎる(たぶん暗黙の了解が多すぎ、それについていけないからだと思う)のでイギリス人の書いたものだけど。

生まれたときからいす机、ベット、車の生活で、蛇口をひねればお湯が出てくる、エアコンでいつも快適、お味噌汁やお漬物などほとんど食べたことがない。
バレエをしてたから、正座なんてほとんどしたこともない。
だから、日本に住みながらその文化的にアタリマエの感覚は育ってないのだ。
岡野さんの本はさすがに元キリスト教牧師だけあって、その世界観が根底にあるからかすんなり理解できる。

国際学会では受けがいいものの、国内ではどうも・・という理由がよくわかってきた。
わかってきても、感覚的に深く染み付いているものや根源的な価値観は変えられるものではない。
せいぜいそのような違いがあることを記述をするだけだ。

本来の自己になるという概念だって、日本社会では人様あっての自分だから、純粋に本来的に生きることは社会的に摩擦を生じすぎる。
いじめ傍観者が多いという悲惨な現象もそこから来てるのだけど。
単純な話、うそをつくことについてどう思うかという質問に対して、日本のクラスではほとんど全員が「うそも方便」と好意的に捉える。
アサーティブトレーニングで、自分の気持ちを素直に表現しようと主張し、自分や他人に対してごまかすことがこれだけデメリットがあるといくら主張しても、しっくりきてない様子だし。
しかもその理由をアサーティブには表現してくれない、と来るからな~
こういう世界観は、小さな変化のない閉じた社会構造では有効だったのだろう。
でも、ほかとの違いを認められないまま国際社会に出て行くから、世界の田舎モノになってしまうのだ。
でも、日本語を使っている限り、そういう世界観から抜け出るのは非常に難しいという気もしている。
(「気がする」なんてあいまいな表現は英語にないわけで)

国連で世界共通の定義を出そうとしているらしいが、またひと悶着おきそうだ。
スピリチュアリティー実現を目指して、敵対・・・あああ
対立したままの結合こそがスピリチュアルなんだけど。
各国の代表者たちが、そういうメタ認識を持ったスピリチュアルな方たちであることを願う。

スピリチュアリティ低い?日本人

スピリチュアリティの定義はいろいろだけど、医学ではよく、「人生の目的・意義」という実存的な捉えられ方をする。
それがスピリチュアリティだとしたら日本人は、とても低い結果が出ている。
調査によると、使命感をもって生きてる人は少ないんだ。
それよりも、まずまず家族と安泰に暮らす方を選択するみたいで。

セリグマンたちの開発した尺度の中で、超越性の中に「精神性」と訳されている項目があったから、てっきり「スピリチュアリティ」の翻訳だと思っていた。
日本人は、その項目得点が各国中で最低なのだ。
原典を見ると、「宗教性」だった。何で素直に訳さないのだろう。
そしてその「宗教性」って、アメリカ人の宗教性だから日本人が低いのは当然だ。

普遍的スピリチュアリティを記述するのって、本当に難しい。

ひとつになる

友人が、哲学すると枯れてくると言う。
昔の思想を辿ってそれと一体になってしまうと、時代感覚がすごく古くなるからかもしれない。
古書ばかり読んでると、日常の言葉遣いまで懐古的ロマンに満ちてくる。
この人一体何歳なんだ?
自分の年より50歳上の人達がいちばんはなしがあうという。
まなみんの場合は、いちばん感覚があうのは20歳くらい下の世代だ。もっと下かもしれない。
店といえばコンビニかスーパーだし。
手紙や電話使わない。メールだけだし。
紙でできてる辞書だめ。電子辞書かPC上のソフトしか使えないし。
ナビがないと運転できないし。
人間が退化してるのかもしれないけど,紙とかマニュアルとか郵便とか電話とか、かったるくてできない。
寝てる時間の次に多いのがPCに向かってる時間だからか。
古書とひとつになるのも、PCとひとつになるのも、なんか笑える。

恋人とひとつになるほうがロマンチックだけど、面倒くさくなるのは、枯れてきた証拠?
別に哲学してないのに。

せめて空気とひとつになりたい。
雨と、光と、空とひとつになりたい。

究極の抗うつ剤

バーンアウトといわれるように、やりすぎて疲れてうつになることがある。
そういうときにはともかく何もしないで休めばいい。
休んでいたらエネルギーが回復してくる。
責任感が強かったり良心的な人は疲れたと思っても休まないでとことんまでやって倒れた挙句、回復にめちゃくちゃ時間がかかったりする。

どうぞ意志を働かせて、疲れを感じたときは早めに休んでください。
むしろ、疲れを感じる前に休んだほうが能率的にはもっとよいのだけれど。

エネルギーが枯渇してうつになってしまうとき、休んでも回復しないときに、エネルギーがわきあがる方法は?
喜びがわきあがってくる方法は何か。

何でみんなが喜んでいないのだろう?
なぜ人生が苦しみの連続だというのだろうと不思議でたまらなかった。
私自身がいろいろ恵まれているからだという誤解をよくされるけど、この世的に言えば決してそうではない。シャイで自分の苦悩についてはシェアーできないに過ぎない。
書けるような苦悩は気づきの為のレッスンだったり、やさしくしてもらいたいときの甘えだったりする。
それが悪いとは思ってないけど。

なぜ喜んでいないのか?
理由がわかった。
感謝していないからだ。
自分がどんなに恵まれていて、すばらしい奇跡の連続のような形で生かされてきていることに気がついたら、感動の涙にむせるしかないはずだ。
たとえ最愛の人との別れを経験しても、失業しても、不治の病で瀕死に陥っていても。
裏切られだまされ罵倒され無視されても。

感謝するかしないかは自分自身の意志による。
ネガティブな苦しみ自体を喜べといってるのではない。それはマゾだ。

存在のもっと深いところを意識したときに感じるはずの意識。
いいとか悪いとか悲しみも喜びもない状態で、ただただ光の中なのだ。

光の中に浮かんでいるだけなのだ。
見えない何かに支えられて浮かんでいるのだ。
見えない何か。
もう、感謝するしかない。

人間性

人間らしさって何だろう。
完璧に近いりっぱな人が失敗したり泣いたりしたときに、そう、弱さを感じたときに、ああ、人間なんだなと思う。

コンピューターに比べると、人間らしさがよくわかる。
不公平で好き嫌いがあるんだ。
主観という偏見の塊だったりもする。
論理的ではないことに納得する(腑に落ちるってどういうことかしらね、理屈で説明できないはずだ)。
物理的正確さを正しいと思わない(自分の物差しを持ってみる)。
ルールを好むようだけど必ずルールを破る。
愛する人を失って、もう二度と元に返らないとわかっていても、奇跡を信じたりする。

なんとも訳わかんない生物だ。
真実追求には論理性・客観性が正しいかもしれないけれど、そういうのは好きじゃなかったりするし。

ううん、訳わかんなくなってきたぞ。

とても人間らしいね、私。

プロフィール

尾崎真奈美尾崎真奈美

東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。ペンシルバニア大学医学部精神科、東京大学医学部公衆衛生学研究室などを経て、現在相模女子大学人間心理学科准教授、米国サーチインスティチュート、スピリチュアリティ発達センター客員研究員。
インテグラル心理学・スピリチュアリティ論・芸術療法などを教えながら研究、ダンス、執筆活動を続け、科学と芸術の統合を試みる。
天使語同時通訳は日々のインスピレーションの書き散らしである。
国際生命情報科学会、日本トランスパーソナル学会理事。日本心身医学会、日本トランスパーソナル心理学・精神医学会、国際ポジティブ心理学会会員。

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