尾崎真奈美の天使語同時通訳します

2007年09月

私を選んでくれてありがとう

昨日あるところで聴いた歌の歌詞の一節が、衝撃的に私の胸に深く入って涙が止まらなくなった。

それは、子守唄の一節で、はっきり覚えてないんだけど、

遠いはるかなところから
私を選んできてくれて
ありがとう、私の赤ちゃん

というのだ。
赤ちゃんが母親や生まれる家庭を選んでやってくる?
科学的には未検証の領域だけど、直感的には訴えかけるものがある。

この小さな生命は、この小さな私を選んできてくれたの?
なんと言う感謝なのだろう。
どんな状況であれ、選ばれたという誇りと喜びは、どんなことがあっても、あなたを守り育てていくという決心になっていく。
母親の子どもに対する無私の愛はよく描写されるけれど、赤ちゃんの母親に対するこの愛をなんと表現したらいいのだろうか。
まったく無防備で、信頼しきって任せているこの小さないのち。
愛がなければできることではない。

発達心理学者は言うかもしれない。
まだ愛なんていう高度な感情もないし、ただ本能的な衝動に過ぎないと。
地上だけでの発達しか考えていなければそうかもしれない。
しかし魂の世界まで視野に入れると、赤ちゃんや胎児の意識まで視野に入れると、この厳粛な事実が見えてくる。

ここに生まれでて来たという事実。
これは、まさしくこの地上に対する愛に他ならない。
媒介となった、おなかを借りた、母親に対する愛に他ならない。

私がここにいるということは、ここを愛していて自分が選んできたことなのだ。
出会う人々もみな、あなたに会いたくて、愛しているからであったのだ。
やっと出会えたのだ。
地上での短い時間の中では、愛を伝えるのに忙しすぎる。
引きこもったり争ったりしている時間はないはず。

私を選んでくれて出会ってくださって本当にありがとう。

戦いではなく遊び

新生のためには破壊が必要なのだろうか。
でもそれは自然の摂理として本来なら、ほおって置いても緩やかに移行していくものだと思う。

他者や自分自身、環境などに対して破壊的な思いや行動が芽生えた経験のない人はいないだろう。
赤ん坊は思うようにならないとモノを投げたり蹴飛ばしたりする。
自分のなかでの矛盾を抱えきれずに外側に対して攻撃が起きるのだ。
おとなは、抱えることができるはずだ。

でも、ただ抱えているだけではすごいストレスになる。
我慢するのではない。
その矛盾を、吟味し受け入れ仲良く共存させる技術を持っているはずだ。

むやみに押さえつけると、それは外に向かって強大な破壊行動として噴出する。
良い方向に向かったら、輝かしい結果を引き起こす可能性に満ちているのだけど。

自分や他者を傷つけることが何になるというのだろう。
賢明な人はどのようなことからも教訓を引き出し成長することができる。
しかし、ぼんやり頭が目覚めるのにどれだけの気高い犠牲が必要だというのだ。

もういい、もういい。
戦いはいらない。
平和を求めるための戦いさえもいらない。
精神的・肉体的・社会的破壊行動などは、ぜんぶいらないものだ。
自分いじめや他人いじめよりもっと面白いことがたくさんあるのに、知らないからそんなことをしてるだけだ。

必要なのは戦いではない。
遊びなのだ。
PLAY(劇)なのだ。
戯れのダンスなのだ。

人生が戦いではなく、遊びだということがわかったとき、すべてが耀き始める。

胸のつぶれる思い

どうして・・・
ミャンマー(ビルマ)のようなことがおきてしまうのだろうか。

非暴力のお坊様たちの静かな行進に発砲する・・・

どういうことなんだろう。

狂っているとしか思えない。

どうなってしまったのだろう・・・

きっと世界には、私たちが知りえない悲惨な出来事が無数にあることだろう。
胸がつまり言葉もなくなるようなことが・・・

これ以上、言葉にならない。

超人願望

不老不死とか、千里眼とか、昔からみんなあこがれていた。
いまや、地球の裏側にいる人の姿を見ながら、声を聴きながらリアルタイムでコミュニケーションできるようになった。
しかもだれでもできる。
1冊の本やCDを買う値段より安くできる。
これは本当にすごいことで、嬉しい限りである。
インターネットは世界をどんどん変えていく。

アンチエイジングの技術も進歩したし、美容整形でいくらでも若さを保つことが可能になりつつある。
脳科学の発達も目覚しく、超能力といわれるような技術も、だれでも簡単に修得できるマニュアルができている。
過去や未来を見ること、他人の体や心を透視すること、目に見えないエネルギー体を操作することだって、お金を払って学校に行けば伝授してもらえる。
聖人かどうかの鑑別項目に、死体が腐らないというのがあるらしいけれど、生きているうちからそれ目指して修行する人もいるらしい。

みんなこぞって、神になろうとしている。
いろいろなことが可能になるのは嬉しいし楽しい。
悩みがなくなったらどんなにすばらしいことだろう・・・

超人になりたいというあこがれはみんな持っていると思うけど、それは付録としてついてくる能力であって、それが目的ではないはず。
それを目的にしたとたんゆがみが生じてくる。

ガンジーは銃弾に倒れることを回避しなかった。
マザーテレサは死に瀕してる人を生き返らせはしない。
スーチーも監禁されているところから外の世界へ現れない。
いや、してるのかもしれないけど、公言はしない。

なぜか。
それは本来の目的から目がそらされてしまうからだ。
本来の目的?
優しい気持ちでみんな仲良く愛し合うこと、それだけ。

セックスレスとか不食とか

ものをまったく食べないで生きている人たちがいることが一部ではよく知られた事実なんだけど、それを目指している人たちのコミュニティーもあるほどなので驚いた。

そこで私が見たものは、古典的な拒食症に似た精神構造だった。
植物のように、光をエネルギーに変えていく方法をマスターできない人は当然餓死するし、一時期できてたとしても物理的に不可能なことをしているわけだから、突然死や寿命が減ることも当然ありえる。
生体の当然の反応として過食症になり、摂食障害のお決まりのコースをたどってしまう人も多い。

性に関しては、生涯純潔を保つとしても死にいたることはないが、やはり自然に反しているため克服するには相当な精神力が必要となる場合が多い。このエネルギーを有益なものに昇華できればすばらしいけれど、ゆがんだ衝動となって露呈することが多い。

睡眠を極限まで削っている人も多い。
寝ないで生きている人も、きっとどこかにいるに違いないけれど。

食欲・性欲・睡眠欲といった基本的な欲求は、低次の欲求としてできればないほうがいいと思っている精神主義者は多いことだろう。
だから修行に励むのだろう。
しかし、失くそうとしてそう関単になくなるわけがない。
健康であれば、抑圧し否定すればするほど大きくなってくるものである。

食べないから聖人・セックスしないから清らか・寝ないから天使、ではないのだ。
形から入ると、恐ろしいわなが待っている。
欲求そのものは決して悪いものではない。
基本的欲求は、生命を維持し繁栄していくためのエネルギーの流れを調整しているものに過ぎないのだから。

押さえつけるのではなく、うまい方向に流していこう。
肉体を痛めつけて弱るときに、精神も弱くなることを覚えておいて欲しい。
体・心・魂の健康は互いに影響を与え合っているのだから。

ほとんどの病気は運動不足から来ている。
メタボだけでなく、精神の不調の原因がそこにあることは、もっと証明されていくべきだと思う。

体験したら否定できなくなる

信じたくないことに対してはいくらでも理由や説明はつけられる。
合理的・論理的・理性的だと自負している人だって、やたらとややこしい理論こねくり回して反論することができる。(得意だ。笑)
ハタから見てたら、え?どうしたの?というくらい、非論理的なんだけど。
感情というか、体験というか、もっと深いところに結びついたものが脅かされると、ホント、生死を左右されるようなショックを受けるから、防波堤も厚く高いんだ。

だから、わかる。
向きになって反対するのもわかる。
ええ、ええ。

私自身そうだったから。
心なんて、脳の科学的電気的反応に過ぎないって、ついこの前まで心理学概論のはじめの授業で言い切ってたんだから。

しかし、自分の体験だけは裏切ることはできない。
いくら疑ってみても、これでもかこれでもかと体験させられていくうちに、まいりました・・・となる。

ダマスコのサウロ(後のペテロだっけ?)のような衝撃的な体験をさせられる人もいるだろう。
そこまでかたくなになっているということ。
実はそこが一番アヤシイ。

何のためにそんなに抵抗するのですか?
なぜそんなに反対するのですか?
おそれですね?

認めたら楽になるんだけど、時間かかりますよね。
ぼちぼち行きましょうか。

ヒーリングのわな

スピリチュアルヒーリング。
奇跡的な治癒などを見せられると、科学的な懐疑主義者も納得せざるを得ない。
科学者は証拠に弱いのだ。

そのような事実は確かに存在する。
病からの癒しは万人が望むところである。

私は、生まれて間もない長女が死に瀕していたときに、一瞬恐ろしい考えがよぎったことを覚えている。
神様でも悪魔でもいい。
誰でもいい。
とにかく彼女の命を助けて欲しい。
そのためだったら何でもする!!

悪魔だって奇跡の癒しはできるのだ。
むしろ簡単にできてしまう。
実はサタンはこうやって、無知な心、優しい心が弱っているところに巧妙に入り込んでいくのだ。
光の仮面をかぶって、そう、天使の顔をして近づいてくるのだ。

愛するものの健康を願わないものがあろうか。
愛するものの繁栄を願わないものがあろうか。

サタンは、無邪気なそのような欲求から入り込んでくるのだ。

他者や見知らぬ人、地球の裏側の人、異国の異人種の犠牲だったら気にしないでいられるのか。
一生会わないですむ人だったら、知ることさえなければ、ほかの生命を奪って愛するもののために与えても良心が痛まないのだろうか。

サタンは巧妙な口実を吹き込む。

あんな老いぼれ生きてたってしようがないさ。
この、才能ある美しい子の繁栄のために喜んで犠牲になってもらうことだ。
そうしたらこの子は何倍にも世界に光を与えてくれる。
それでこそ浮かばれるってわけさ。

ヒーリングはサタンの得意とする業だ。
魂をつかんでしまう一番危険なわなである。

今日の緊急エンジェルメッセージ

フォーカスするだけでいいんだから

これだけスピリチュアルがブームになってるのに、やっぱりどこかで迫害されてますよね、スピリチュアリティ。

まなみんも、時々反抗します。
スピリチュアリティーなんて大嫌い、近寄りたくない!

なぜか?
あまりにも強力だからです。
そして、光に近づけば近づくほど、闇の勢力が増してくるから、めちゃ危険だからなんです。
だからずっと逃げてきました。
今だって逃げてます。

喜んでスピコンに行ったりしてる人たちは、この恐ろしさを知らない人たちだと思います。
なにが恐ろしいかって?
別におぞましい低級霊や呪詛のことを言ってるのではありません。
本当の怖さは、美しく光り輝くすばらしさの中に潜んでいるのです。
だから、知らないうちに、天使ごっこしてるつもりで、悪魔の手先になってしまってる!
しかも気がついていない!

実はこういう欺瞞がものすごく多いんです。
悲しくなるくらい。

美しい大きなダイヤモンドそのものは神からの贈り物ですけれど、それを所有したいという欲求は、神からのものではないでしょう?

すごく単純に言うと、お金と性が絡んでくると、危ないです。
ルシファーちゃんが狙ってるから気をつけて。

あれこれ考えて、いろいろやったり、出かけたりして、結局わかってくるのは、すごく単純なことだけ。

ありがとう!ごめんなさい!愛してます!

光にフォーカスしていくことだけでいい。
そちらを向くだけでいい、そうしたら光が降りてくるのだから。
ただ、あけるだけでいい、自然に入ってくるのだから。

自分でどうにかすることじゃないから。
気がつくかどうかだけだから。
いま、ここで、このままで、めちゃくちゃスピリチュアルで、光り輝いてるんだってことに。
邪魔してるのはあなたの意識だけ。

自己中ばんざい!

友人の日記から、バイロン・ケイティーをはじめて知って、彼女の提唱している「苦しみからの開放」ワークを読んでいろいろ考えることがあった。

最近、自分でカウンセリング論を教えながら、共感なんてしなくても癒されるよ、という過激な考えがどうしても拭い去れなくて困っていたのだった。
共感性の欠如は問題にされることが多いけれど、果たしてそうなのだろうか。
問題なのは、他人への共感性のなさではなく、自分の気持に気がついていないことではないかと思う。
自分が傷ついていることがわからなかったら、他人がこういうことされて傷つくということが理解できるわけがない。

共感性のない癒しは、ユングの著作に出てくる有名な中国の雨乞いしの話(タオが整った)でも説明されている。
言ってみれば、シャーマニックな癒しというのもこれにあたるかもしれない。
癒し手であるヒーラーは、傾聴も共感もなく、ただそこにいるだけだったりする。
そしてクライアントは、なぜか勝手に治ってしまっているのだ。
自分の中のタオが整うというだけのことだけれど。

ケイティーのワークは、この不思議なプロセスを、マインド優勢の方たちに納得してもらえるように有効に組み立てられている。
そして実際非常に効果的らしい。

原則は、人のことにあれこれ首突っ込んだり心配したり何とかしようとしてストレスためなくてもいいんじゃないのってこと。
戦争や犯罪やあらゆるこの世の闇を心配して嘆く前に、自分の心の平安を取り戻したら?
できることってそれしかないでしょ、と単純。
その結果として、勝手に治っちゃうのだから。
つまり、世界平和に貢献してることになっていくのだ、ごくごく自然に。
デモ行進する必要もなければ、間違った考えを論破して戦っていく必要もない。
その結果は、ストレスだったり、苦しみだったりするんだよ結局。

「現実そのものがすべてである」
とケイティーは言う。そしてそれは
「世界中があなたのことを愛しているという事実」
にまったく矛盾しないのだ。

この世が(あの世じゃないよ!)喜びに満ち溢れていることに対して、気がつくかそうでないか、それだけの話。
気がつくためのツールとして、ケイティーのワークは手軽で単純。
お金かからないし、怠け者にもできること。

人に教えたりワークショップするのもかったるいから、ケイティーを紹介しときますね。
やり方はただでDLできるみたいですね。

以下のサイトにある「4つの質問」、これが核心だそうです。
http://www.geocities.jp/hibari2059/index.html


勝手に楽しくなってください。

自己中には自信があるまなみんより

ラブトン(愛の素粒子)

愛には不健全なものはありはしない。

自己愛も愛なのだ。
悪い自己愛、傷つける愛なんか決してない。

問題になるのは、自己愛が大きすぎるのではない。
他者にたいする愛が足りないだけだ。
自分をたくさん愛すると他者への愛が減るとでも言うのか。
まさか!
自己愛が大きければ大きいほど、他者への愛も大きくなるものだ。

愛という感情は、もともと対象を選ばないものなのだ。
限定つき期限つきのものは単なる執着・愛着でしかない。
愛ではないのだ。

愛は、すべてを包み、すべてを超えて、宇宙の果てまで広がっている。
今こうやって吸い込むこの酸素原子の中に、ラブトンという愛の素粒子が入っている。
すべてを構成している宇宙の根源のひもというのは、ラブトンの高い波動のことなのだ。


お断り
ナイーブな皆様のために一言。
ラブトンに関しては、科学的に未検証です。
天使語なので、物質界で説明するのに苦労してます。

成長痛と光

成長には苦しみが伴うって。
それが必要なことだって。

だから簡単に症状を取り去ってしまったら、そのメッセージに気がつかなかったら、また違う症状や痛みが出てくる。

それは事実だけど、でも、だからと言って、痛みや苦しみが目的ではないはずよ!
成長のための苦行?
自分いじめはやめてやめて。
そのエネルギーと時間で草取りでもしてよ。

勘違いしてる人が多すぎる。
重さ、にごり、滞り、気持ち悪さが続くのは、決して成長ではないから。
成長につながる苦しみは、軽くて透明で流れていて穏やか。

苦しみの程度が低いということではないんだけど。
むしろ極限まで行きつく、だからこそ突き抜けて透明になっていくのだけど。

痛みや苦しみを自覚していないと、自己愛で膨れ上がってとんでもないって?
自己愛の極地で、つながりと一体感から自然に他者への愛が生まれるのではないかしら。
これは教えられるものではなく、沸きあがってくるもの。
つまり、本来備わっているもの。
だから、邪魔しないようにしないといけないんだ。
魂を曇らせないで。
どうぞあなた自身の透明な光を見て。

自分と他人を分けて考えること自体が、どうもピンとこない。
自分いじめもほかの人いじめも同じよ。
自己愛も愛他も同じよ。
だってつながってるんだもん。

コントロール

セルフコントロールが大切だと思っている人が多い。
それができて初めて大人だとか、人格の成長だとか言うこともある。
セルフコントロールができなくて悩む人もいるらしい。

でも、本当のところはコントロールしようとするから、そしてコントロールしすぎるから、抑圧からコントロールが効かない暴走が起きてしまうのだ。
暴走が起きるから、ますますコントロールしないといけないと反省する。
そしてもっと、コントロールを強化する。
そうすればするほど葛藤は強まり、新たな暴走の可能性を引き起こすか、何も感じない不感症の機械のような人間を生み出すのだ。

コントロールを手放すことには恐れがつきまとう。
どうなってしまうのだろうか・・・破滅するのではないかと。

でも本当は、コントロールを放棄したときにこそ始めて見えてくる、正直な素直な本当のあなた自身がある。
頑張って何かを達成しようとするときの動機はなんなのだろうか。
「愛されたい!(認められたい)」ただそれだけだったりする。
それさえ認めたくない人も大勢いると思うけど。

コントロールしようとすることを手放して
ありのままで自然のあなたに出会おう
それでいいのだから。
それがいいのだけれど。
そのままで愛されているのだから。

true

trueの動詞形はなにを意味しているか、それは中心につながるということらしい。

たとえば自転車のタイヤの軸がずれてるときに、きちんとまっすぐ中心につながることをtrueするというらしい。
ずれているとなかなか前に進めない。
ずれていると、なかなかにスリリングな体験ができるようで、アクロバット的な人生が病みつきになっている人もいるみたいだ。

それがまっすぐになるだけで、努力なく、すいすいとタイヤは転がっていく。
真実に、authenticに,trueになるということ、それはつまり、中心につながってコミュニケーションがスムーズであるということを意味する。

周りの事象は関係ないのだ。
わからなくなってしまったときには、中心への回帰。
それしかない。

ただ、その中心はどうやって見つけたらいいのだろう。
スムーズにまわるってことなんだけど。
まわりの流れに従うという単純なことではないみたいだけど。

魂主義

精神主義っていうのがあって、肉体や物質を無視して極端になってしまうことをさすけど、最近、魂主義の人もよく見かける。

魂のことしか関心がなくって、肉体や精神を軽視しているのだ。
物質にしがみつくよりいいだろうって?
ううん、やっぱりバランス悪い。

あと、魂と精神を混同してる人も多くて、魂の修行のつもりで精神修行に明け暮れてる人もいて、なんか、違うんだけど・・・って言いたい。
肉体も精神も、粗大になるにつれて、コントロールするために努力が必要だけど、魂にはコントロールとか学びとか修行とかはいらない。
むしろ、意識的に何かすると邪魔になったり、曇ったりする。
人の話や体験や、本やヴィデオとかを参考にするのはいいかもしれないけど、鵜呑みにしてそのままのライフスタイルをやろうとすると、なんかおかしい???ってことになるかも。
原典に立ち返るのが一番近道。
それはあなた自身のその中にある。

魂はひとつであっても、その現れ方は、その宿っている肉体や精神やその土地や文化や家族や社会で違ってくる。
そういうヴァージョンを無視して、規制の社会から外れたり、家族をほおりっぱなしにして修行に励むとかいうのは、ちがう。
魂の目指すところは、今ここで与えられている環境の中で、自分の責任を黙々と果たしていくことでしかないんだから。

仏陀だって、イエスだって、家族を捨てたって?
あそこまで行けばね・・・で、あなたもそうなわけ?
失礼しました・・・
ま、現実逃避にならないように・・・

魂主義の陥りやすい間違いでした。

介護とニート

かたややること多くて死ぬほどつかれきっていて、実際に死にそうになっていたりする。
かたややることがなくて死ぬほど悩んで、実際に死にそうになっていたりする。

やること分けたらいいのに。
何したらいいかわからない人、介護の助けに行きなさい。
つかれきってる人、そうなる前に助けを求めなさい。

介護で疲れてる人やニートをひとりでも知ってる人、アレンジしてあげなさい。

まさか、親の介護と子どものニートでどうしようもなくなってる人はいないでしょうね・・・
自分ひとりで何もかもやろうというのは、やさしさからではないですよ、わるいけど。
自分にぜんぜん優しくない!
自分もほかの人も同じなんですから。
つながってるんですから。

やることがなくて死にそうな気持ちになっているニートさんたちが、介護の現場で必要とされ、感謝されたら、どんなにみんなが楽しく元気になっていくだろうと思うのですけれど。
働き手がないのではないんですけどね。
やってみたら面白いのにね。

介護の楽しさとやりがいをアピールしないと!
いやいや我慢してやる人が多いみたいだから、印象悪くなってるんですねきっと。
子どもにこんなつらいことさせたくないってやらせない親は、辛いことを増幅させてしまってます。
一緒にやったら楽しいですよ!
いつから奉仕が苦しみになってしまったのでしょうか・・・
一番楽しく生きがいを感じる瞬間なのに・・・

いやいややるほど失礼なことってあるでしょうか。
いやいやされている人の気持ちを考えてみたことがありますか?
屈辱感で死にたくなりますよ、そんなの。
そのくらいならほおっておいていただきたい、と思うのではないでしょうか。

目に見えるケアーよりずっと大切なものは、ただ、存在をいとおしむ気持ち、それだけです。
それだけで生きていけるんです。
それがないと、いくら手厚く介護されても、死んだほうがましという気持ちになります。

ああ、なんだかすごい欺瞞と矛盾が・・・
心にもないことを言ったりしたりすると、魂がにごります。

だから介護はしたくないって?
ニートの若者、まずやってみて!
やったことないでしょうが。
見たこともないでしょうが。
何したらいいかわからないって何もしないんだったら、実際にやってごらんよ。
働かざるもの、食うべからず(聖書)だよ。

天使ごっこ

これ、すごく面白いからやってみて!

とりあえず身近な人が喜びそうなことを、なんでもやってみるんです。
そっとくつを磨いておいてあげてもよし。
机の中にチョコレート入れておいてあげてもよし。
匿名で大好き!って手紙だすのもよし。
理由なく、商品券とかお花とか送るのもよし。

でも、ルールがあります。
絶対に、自分がやったって気がつかれないようにするってこと。
わかられると、楽しさは半減しますから、慎重に気をつけてね。

これがもう、たまんなくおもしろいんだな~

今まなみんのまわりではすごくはやっていて、もう、天使さんだらけなんですよ・・・
まいっちゃいます・・・

かえってきたら、食べたいと思ってるものがテーブルの上にあるなんて!
匿名の方からプレゼントがありましたって通知が来るし・・・
びっくりしちゃいますよね~
家族じゃないんですよ!

もう・・・
誰かわかんないんですよ・・・

もしかしたら、あなただったの?
ありがとう!
すごく嬉しかった!!
一番必要としてるものだったから。

この天使ごっこ、クリスマス前になると、「シークレットエンジェル」ごっことして、うちのこの学校でみんなでやるんですけど、クリスマスまで待たなくてもいいと思うわ。

すごく楽しいから。
毎日やってたら、もう、るんるんです。
そのうち、本当の天使になってしまってるかもです。
たぶん、なってるんだと思います。
こんなに楽しいことって、ないですよ。
やってみたらわかるから。

おあそび

遊戯療法っていうのがあるくらい、遊びって大切なものだと思うのに、遊んでるっていうと、どうもあまり評判がよくない。
それは遊びのことが真剣にわかってないからじゃないかと思う。
この人生の遊び方を知らないんじゃないかと思う。

極端な話、生きてることすべてが遊びだって気がする。
絶対的なものなんてないわけだし。
見方を変えたらどんなことであっても笑えるし。

自分に起こることはゲーム。
PCでやってるシミュレーションより、ずっとわくわくどきどきして楽しいのに。
どうしてこんなに面白い遊びをしようとしないのかしら。
真剣だからこそ、楽しいのにな~

ずるしたり、ルール破ったり、上の空でしてたらゲームの醍醐味は味わえない。
すごい集中して真剣にやるからこそ、ああ面白いとなるのだ。

すぐに過ぎ去っていくこと、どうでもいいことに対してこだわっている姿には、悪いけど共感できない。
それで体壊したり人間関係壊したりするのって、なんかこっけいだったりもする。
自分のことを振りかえると、絶対おかしいから。

笑って元気いっぱいになって
さ、次いこ!

このメッセンジャーブログは、もちろんわたしのお遊びです。
一日ひとつしか書いちゃだめというルールを作ってます。

難しくないスピリチュアリティ

勉強も修行もいりません。

朝機嫌よく起きてきて、シャワーします。
朝ごはんをありあわせのもので作って、ゆっくりかみ締めていただきます。

洗い物して、片付けて、すっきりしたところでお空を見上げて
「おはよう!」

今日の段取りを考えて、できることだけを順番にします。
小さなことを丁寧に片付けていきます。

「ごめんなさい」と「ありがとう」をいい忘れてないか、ちょっと気にしてみます。

仕事が進んだらその次に好きなことを夢中になってやってみます。
ずべて忘れてのめりこみます。

そして、またここに戻ってきます。
内側からのエネルギーに満たされて、からだが欲しいものをいただきます。

横になりたくなったとき、眠くなったとき、夕方の6時でも7時でも、ベットに入ります。
今日も一日、楽しかったな~
明日ももし与えられているとしたら、なんて幸せなんでしょう・・・
そしてしばらく、夢の世界にいってくるんです。

それだけのこと。
あたりまえすぎること。

立ち止まる秋

今朝はたぶん20度近くまで気温が下がったせいで、窓を開けっ放しにして軽いタオルしかかけてなかった私は、寒くて眠れないという感覚を楽しんだ。

秋だ。
とうとう秋になってきたんだ。
これからどんどん涼しくなっていく。
体も心もリセットされていく感じ。
木の葉が色づき、落ちていく。
静かに落ちついていく季節は大好きなんだけど、私は早くもその気配にのみ込まれてしまったようだ。

じっと何もしないでいても深まってしまうのだ。
深まる秋。
沈んでいく秋。
同時に空はどんどん高くなっていく。
垂直方向にどんどん伸びていく。
天と地につながり、一本になって光が貫いていく。

四季のある美しい国に生まれたことを感謝。

非難は非難じゃない!

非難されたり批判されたりすると誰でも落ち込むと思います。
善意から出たものであっても、欠点を指摘されるとがっかりします。
もしそれが大好きな人や尊敬している人からのものであったとしたら、それはもう、非常なダメージを与えられてしまいます。
再起不能のようなショックがあるかもしれません。

そういうときにこそ思い出して欲しいのです。

まず第一に、その言葉は、あなたを育てたい、成長してもらいたいという情熱的な思いから発せられた言葉ではないのかということ。あまりにも愛しているからこそ、もどかしく感情が出てしまったのではないかということ。ああ、そんなにも愛されているのです!なんてラッキーな方なのでしょう。

次に、明らかにそうではない場合
価値のないものに注目する人はいません。
いやなことを言って嫌われたいと思う人もいません。
あなたが酷く批判されるとき、それはあなたがどんなに影響力があって、重要なことをしているか、無視できないほどのすばらしいことを成し遂げようとしているからに違いないのです。

非難されればされるほど、喜んでください!!
成長のチャンスと、注目されている度合いに感謝して!

あ、それからもうひとつ、批判の内容は常に正しいとは限りませんから。
立場が違うと、このような受け止め方もできるのかという程度でよろしいです。
複眼的視点を示してくださって感謝、でおわり。
あるいはその本人のちっぽけな世界観からだったとしたら、ただ相手にしなければいいだけのことです。
この世には、エネルギーと時間をさくべき重要なことがほかに、きりなくたくさんあるからです。

耳で聴こえない音楽

情報の反乱を見るとき、自分の駄文を加えていくことに申し訳なさを感じる。
私が言いたいことや天使が言いたいことは、実はもうすでに地上の誰かがどこかで話していることだからだ。
もちろん、コピペしているわけではないんだけれど、何か、古い時代から言い尽くされていることをちょこっと表現やたとえを変えているだけに過ぎないのだと思う。
もうすでに巨匠が、まなみんよりずっと語彙も抱負で表現力豊かな天才が、的確に力強く表現しつくしていることに対し、ぐだぐだとわけわからない主観をまじえて、意味不明や突然の飛躍のある文を書いていくことの意味は何か、と問われたらなんて答えたらいいのだろう。

自己満足。
うん、そう、それだけの話なわけで。
真実を追究したい人は、限られた時間だから、こんな下手なブログ読んでないでプラトンでも読んでるほうがましだと思う。
感動が欲しい人も、優れた古典的な名著が、死ぬまでに読みきれないほど出版され翻訳もされている。

古典にかえろう。
スピリチュアルって言葉は使われていないけれど、すべてが表現され尽くされている。
ロゴスでの対決にとっくに敗北した私は、今ここで、エロスに立ち返る。

身体表現、ダンスにかえっていくのだ。
身体は、神と魂の宿りであり媒介であり、言葉より直接的に表現する手段である。
言葉のように保存も記録もできない。
映像で記録できるものは視覚的に捉えられる部分だけである。
それはまったく、氷山の一角でしかない。

身体の紡ぎだす、耳では聴こえてこない音楽。
存在そのものからの宇宙の声。

スピリチュアルトレーニング反対

タレント・能力がある人にはそれだけの重い責任と使命が付きまとう。
のんびりと過ごしたいのに、そうすることもできなくて、タレントを生かしきれない苦しみは精神を蝕む。
それは、私たちが、自分らしさを生かしきって生きていくようにプログラムされているからであって、それに従わないときには不全感と不完全燃焼でくすぶり、調子が上がらないのだ。

オーラや前世が見えない、天使も見えない・・・
宇宙の音楽も天使の歌声も聞こえない・・・
修行して、見えるように聞こえるようになりたいですか?
見えない、聞こえないということがどれだけのお恵みであり、配慮であるかに、気がついて欲しい。
重く苦しい責任から免れているのだから。
すべてが天のはからいで完全であるのだから。

私はだから、スピリチュアルなトレーニングには反対なのだ。
使命を持って生まれてくる人は生まれつきの逃れられないタレントがある。
そうでない人にはそうでない使命がある。
お金とテクニックで誰でも手に入るようになってきた秘められた世界。
ありのまま、あるがままが完全ですばらしいのに。

人間の傲慢さを、天はどのように見ておられるのだろうか。

今朝ミントを摘もうとご近所のスポットに出かけたら、白いお花が咲いていた。
フレッシュハーブティーの季節がそろそろ終わりになる。
少し拝借しようと手を伸ばしたら、カマキリがしっかりくっついていた。

じっとして動かないんだもの・・・
こわかった~

そういえば、夜はしっかり秋の虫たちがにぎやかになってきた。
朝も涼しいうちは、鈴虫やこおろぎだ。
暑くなるにつれて、あのいまいましい(ごめんね)みんみんゼミが暑っ苦しく鳴き始める。
昨日はもうこの時間には鳴き始めていた。
今日はまだまだ鈴のような涼しそうな声だ。
空も高くなっている。

ようやく、少しづつ、やっと、夏が終わる。

細胞の目覚め

瀕死の人意外、ほとんどの人は24時間休みなく働いている心臓や呼吸器官のことを意識しないで生きている。
体の中では、どのような精密なコンピューターよりすぐれた調整が絶えず行われていて、生かし続けてくれている。
うまくいっているときには人は感謝を忘れる。
それどころかアルコールやニコチンなどの毒物を入れて、不必要な解毒作用に酷使したりしている。
休むべきだとサインを送っているのを無視して、カフェインで無理やり起こして仕事を続けたり、痛みの警告を送っているのに薬でごまかして体のいうことを聞かない。
もしあなたが体だったら、このように無視され酷使されたらどのように感じるだろうか。

踊りでは、全身の筋骨筋の微細な動きをコントロールすることを学ぶ。
その中で、普段意識していない体の声が聞こえてくるようになる。
細胞の一つ一つが生きていて、それぞれが主張し始めるのだ。
その声は宇宙に直結している。
DNAを構成している情報が、宇宙のすべての歴史を担っていることがよみがえってくる。
宇宙の進化のダンスに参加している私はただ、その動きに身を任せるだけ。
任せるためにはまず細胞の意識化が必要だ。
その前には、筋肉や骨の動きの意識化が必要だ。
意識化するとき、体の声を無視したり否定したりできなくなる。
すべての痛み、きしみ、振るえ、熱、センセーションが、意味があるすばらしいメッセージだから。

PCや車のメンテナンスだって、こまめにしたほうが長持ちする。

一番大切な、あなたの体は、今どうなってますか?

反省除去

フランクルの有名な神経症の治療で「反省するな!」っていうのがあるんだけど、そしてこれ、すごく理にかなっているんだけど、日本人の心性にあまり当てはまらないせいか、来談者中心療法のようにあまり活用されていない。

もともとデカルトなんかの哲学で言う反省は、自分を振り返ってみる行為だから、すばらしいことだ。
でも、日本人がよく使う「反省」は意味が違ってる。
自分の悪いことや失敗したことを思い出すことみたいになってる。
やめないといけないのはこのことだ。
何のために反省するのか。

過ちを繰り返さないため?
だとしたら、悪いことを思い出すよりも、何ができるか健全に考えるほうがずっと成功することは社会心理学でも認知心理学の実験でも明白だ。

何のためか・・・
やたらと自分を責めるため、罰するためとしか思えない状況が多い。
何のために罰するのだろうか。
罰してちじこまってうつになって、挙句の果てに自殺したりして、何かいいことがひとつでもあるのだろうか?成果は?どこに満足があるのだろう。
被害者が満足するって?
とんでもない、そういう被害者は、悪魔のとりこになってるだけなのに。
悪魔はネガティブなことを連鎖的に引き起こして、世を破滅させようとしているのだから。
耳を貸してはいけません。
もっと自分もまわりも不幸になります。
それを望むようになった自分がいたら、それは病気です。

正しく反省して欲しい。
それは、今自分が何ができるのかを考えて行動するということだ。
何もできない状態は、自分を責めているときにありがちだ。
エネルギーが湧き上がらないのは、間違った努力をしているからだ。
愛である、すべてを生かす流れである宇宙の秩序に従うとき、あふれるようなエネルギーがほとばしり出てくる。

完全になれない?アタリマエじゃない。
なったらその後どうするのよ、何もすることないじゃない、退屈で死ぬよ。
欠点?そこがかわいいんじゃないの。
抱きしめてかわいがってあげようよ。

精神病になる方法

それはもう、簡単ですよ。
精神医学の教科書を読めばいいんです。
何か絶対当てはまるものが見つかるから。
読んでるうちにだんだんその部分がクローズアップされてきて、症状が大きくなって、本物の病気になってしまう人多いですよ。

医学生が、習った病気になってしまう、擬似症状が出るって、有名な話です。

インプットする情報に気をつけましょう。
読むもの、目にするもの、聞くもの、触れるもの、すべてあなたの中に取り込まれていきますから。
イメージを侮ってはいけません、それもひとつのリアリティーですから。
変なものが入り込む隙がないように、美しいもので心を満たしていきましょう。

どうぞ光にフォーカスして、今日もお元気で。

天使の学校

日が暮れるとすぐにベットにもぐりこんでいた子どもたちは、日の出前から目が覚めていた。
お掃除おせんたくなどの家事を朝7時までに済ませるのは、オール電化で夜間料金だと半額くらいになる設定をしていたから、という理由もあった。
手をつないで道端のお花やありんこなどとお話しながらお散歩からかえってくる頃にはちょうどパンが焼きあがっていた。
オリーブやバジルを入れたホールウイートのパンが大好きだった。
手でこねる手間も要らずスイッチだけで焼けてしまう手軽さは、毎日のことだけにありがたかった。

お散歩しながら、自然観察をしたり体操をしたりした。
朝食前のお掃除は、3歳児も喜んで、得意になってできることをやっていた。
おきてから2時間も体を動かしていたら朝ごはんがおいしい。
一日のうちで一番大切で大きな食事だった。

私は朝7時に出勤、帰宅は夜の11時。
幼い子どもたちと唯一一緒に過ごせる時間は早朝しかなかった。
仕事をしながらも、欲張りな私はホームスクールのゆったりしたペースを崩そうとしなかった。
いつも疲れた顔で笑っていた。
休日に、お出かけした先で動けなくなって寝ていた、というシーンをよく思い出す。

結局私は、研究と育児とのハザマで育児を選んだ。

不衛生な締め切った空間にたくさんの子どもたちと一緒に詰め込まれ座らせられ、縛り付けられるような学校には行かせたくなかった。
せめて10歳までは、戸外でウサギのように跳ね回って新鮮な空気とお日様の中で育って欲しかった。
天使にはそういう環境が必要なのだ。
しかし、周りの圧力は大きかった。
ホームスクールをやめさせようと、いろいろなところからプレッシャーがあった。
一番きつかったのは、身内からの反対だった。
私が専門職を捨てて子どもと一緒にゆったり過ごしたいと引退してしまったことは、両親やパートナー、研究室の指導教官までがっかりさせたようだった。
でも、私の一番やりたかったことは、ただ、ただ、お母さんでいることだったのだ。
毎日が夢のように楽しかった。

長女が学校に行きたいといい始め、見つけた逗子の小さなインターナショナルスクールでは、私はほかの8人の子どもたちの先生になっていた。
海まで歩いて5分だったから、体育は海岸で遊ぶだけ、あるいは山を散策してピクニック。
手作りミュージカル公演では,ハンドベルや歌を教え,踊りの振り付けをした。
好評で、ベースキャンプや各地の教会、学校などで招かれ、クリスマス休暇中、一番小さな7歳の息子から総監督の70過ぎのミスターウイリアムまで、がんばった。

ミスターウイリアムの引退とともに廃校になったこの分校は今も語り継がれている。
本校に行った子どもたちが全員ずば抜けた学力を示し、音楽演劇スポーツリーダーシップなどでも目ざましい活躍をしたからだ。

私たちは、ただみんなで遊んでいただけだった。
複複式学級?というのだろうか。幼稚園から中1までがひとつのクラスで勝手に好きなことをやってただけで、先生は見回って質問に答えていただけだった。
自分からやりたいことをやる、これだ。
大きな学校で、興味とはお構いなしに課題がかせられるようになって、勉強が嫌いになっていった。
コンピューターに夢中になっていった。
雑多なこの世の情報がどどっと入ってきた。
この世と歩調をあわせながら天使が生きていくのは、本当に難しい。

一番幼い天使は登校しぶりがずっと長いこと続いて、できることならホームスクールに戻したかった。
でも、経済的に働かざるをえなかった。
現実の中で何とか道を探していくしかない。
周りとの違和感をどうにかこうにか折り合いをつけていくしかない。
何とか社会的に生きていく訓練は、純粋な魂には想像を絶するほどきついことなのだ。

大きくなるにつれて、二重の世界に生きていることを自覚するようになっていく。
ここはあちらではないのだ。
あちらのルールは通用しない世界なのだ。
でも、ここでの本質はやっぱり、あちらと同じなのだから。

それでいいの。
そのままでいいの。
間違っているんじゃないの。
大切にキープしてたらいいの。
天使のみなさん、そう、そのままでいいんです。

魂つながりと自意識

最近なぜか、ほかの人の魂に突然アクセスしてしまう。

表面的な言葉や行動に見えない奥深い所での痛みや体験が自分自身のものになってしまうのだ。
ご本人でさえ気がついていないような、深いところにある感情や欲求だ。

それはみんな、痛々しくいじらしく愛らしく、抱きしめたくなるようなものばかりなのだ。
言葉にしていく過程も経ないで、ただ涙がわきあがり、あまりにも強い情動に動かされて号泣してしまうこともしばしば。

それはふとした瞬間にやってくる。
シャワー浴びようと思って服を脱いで水道をひねった瞬間だったり、駐車場に車を止めてドアを開けた瞬間だったり。外だと具合が悪いほど、涙がぽろぽろ流れてくるけど、そのままにしている。
もう慣れっこになっちゃったから。

誰の魂かって特定できない。
きっとみんなつながっているからだわ。

私は、一生懸命賢明に生きている不器用で幼いあなたの魂を(それは私自身でもあるわけで)抱きしめて、柔らかな光でそれを包み込むだけ。

そのとき、どこまでが自分でどこからがあなたで、どちらが私でどちらがあなたかわからなくなっている。
そのときの自分ってどこにいるんだろう。
自分って、どこまでを言うんだろう。

なぜか、最近、光がすごい。

喜んでもらいたかっただけなの・・・

どこで歯車が狂ってしまったのだろう・・・
わたしはただ、あなたに喜んでもらいたいと思って、あなたの笑顔が見たいと思ってやってきただけだった。
自分もそれが嬉しいことだって思い込んでいた。

でも、私は私だった。
私が私らしくなると、あなたはさびしそうな顔をする。
違う世界に行ってしまうみたいで・・・と泣かれる。

ごめんね、違う違う、大丈夫。
私はあなたの愛する子です。
いつまでも大切にするからね。
大好きなあなた、こんなにも愛してくれているあなた。
どうして離れるものですか。

でも、そう思えば思うほど、からだが動かなくなるの。
喜んでもらいたいと思えば思うほど、あなたを悲しませる結果になっていくの。
ごめんなさい。
あなたのせいじゃない。
自己責任です。
自分でそうしてるんだから。

私のせいでうつになったり、泣いたりするのを見るのは辛いよ。
あんまり辛すぎて
「うざい!」て怒るしかなくなるんだ。
でもね、違うんだ。

私が私になることで、本当はあなたにもっともっと近くなるんだ。
離れていくように見える。
あなたには理解できない世界に行ってしまうように見える。
でも、それは一番あなたに近づくことなんだ。

あなたがあなたになることによって、それがわかるはず。

私は私にしかなれないんだ。
あなたがあなたにしかなれないのと同じで。
ほかの人になろうとしたとたんに崩壊が始まるんだよ。
もうやめよう。
もういいよ。
もう十分やったじゃないの。

私が私になっていくことが、一番喜んでもらえることだってわかっているから
私は進みます。
わくわくしながら。

喜びに対する恐れ

最近見ていると、鬱の人は別に悲観的ではなかったりする。
自責の念もないし、時代のせいだって淡々としてたり。
適当に、まあ適応もしてるし。
何が問題なのかって?

何するにもやる気がないのよ。
夢中にならないのよ。
ただ時間を過ごすだけなのよ。
絶望に陥ったり、人生とはって突き詰めるほどのエネルギーもないのよ。

これは一見なんでもなさそうだけど、魂的には非常に重大で深刻な状況だと思う。
エネルギーの枯渇だから。

日本が諸外国と比べて極端にうつうつしてるというデータが、これでもかこれでもかって証拠を示された昨日の学会。
物質的繁栄や自由・安全が保障されているにもかかわらず、こんな国には世界に例がない。

みなが自殺したいと思ってるとは思わないけど、喜びのない人が多いというのは事実だ。
本当は喜びがあるはずなのに、喜びを表現するといじめられるから抑えるように、隠すように社会的なプレッシャーがかかって抑圧された結果ではないかしら。

喜び・・・
外的状況には関係ないのだ。
抑えても抑えても、湧き上がってくる、細胞の一つ一つが動き出し目覚めて、ミトコンドリアが活性化してエネルギーがみなぎってくるこの感覚は、どうしたらもたらされるのだろうか。

これを蓄積していったら、どういう状況であっても乗越えられるようになるんだから。
喜びのカップを満たすことを恐れている人が多い。
おそれるのはきっと、たぶん経験したことがないからというだけの理由だと思う。

まなみんの次の課題は、どうやって喜びを内的に沸きあがらせるか、だ。
お笑いや感動などは一時的な効果があるけど長続きしないから。
究極には、生きる意味や目的を見つけてそれに夢中になることだってわかっているんだけど・・・
そこまでどうやってたどりつけるかむずかしいな・・・
なかなかたどり着けないし、そこに至る辛い道を楽しむ! こういう資質はどこから来るのかが問題なのよね。
うううん、課題山積。
特にこの国では、こういうことにまったく共感しない人たちが30パーセントもいるらしいから・・・
細かいとこまで疑ってかかる習性を身につけさせられるアカデミックな団体では、もっとペシミストが多いことが予想されるしね。
単純だけど、エアロビってハイになる。
こういう健康的なハイも方法のひとつなんだわきっと。
(筋肉○○って言うほどハイじゃないicon:body_biceps

自殺率銀メダル日本

日本が、ロシアについで世界で第2番目に自殺率が高いってこと、ご存じでしたか?
そしてその理由の第一が、経済的困窮だってことをご存じでしたか?

本日の国際会議の基調講演で聞いてショックだった。
これだけの経済力を誇る国でありながら、なぜ経済的困窮という悩みがあるのだろうか?

私の推論だが、本当に飢え死にするほどの困窮ではないと思う。
いざとなったら福祉で食べ物や最低限の医療もカヴァーしてもらえる国だから。
もちろんその制度に関しては言いたいことが山ほどあるけれど。

でも、この前も書いたように、貧しさというのは、相対的なものなのだ。
徹底的に貧しかったら、夜露がしのげるところがあるだけで泣きたいほど感謝するかもしれないんだけど、友人たちがみなiPOD持ってるのに買えないとか、倒産、あるいはリストラで持ち家を手放して母親が働きに出なければいけなくなるとか、ヴァイオリンを続けられなくなるとかいうのは、かなりこたえるものなのだ。
厳選されたオーガニックの食材で自家製パンを焼いて食べていたら、100均で、夕方半額になった硬くなりかけの一斤50円のパンを食べることは、屈辱で泣きたくなることなのだ。

人並みの生活という呪縛がまた苦しめる。

自殺の多いもうひとつの理由は、助けを求めないところにある。
この国には、苦しいところを見せないという美学があるのだ。
ニコニコしていきなり自殺だ。
たまらない。
これが他者にたいする思いやりの精神であるというのだろうか。
助けを求めないのはプライドだ。
自分で何でもやろうとするのは傲慢だ。

助けを求めて。
そしたら私だって、助けを求めやすくなるから。
何かできることがあったらこんなにうれしいことはないんだから。
何も言われないで逝かれたら、こんなに辛いことはないんだから。
お願い。
助けを求めて。

魂の声

親だって先生だって、恋人の言うことだって逆らうことはできる。
自分の欲求にも逆らうことができる。
でも、魂の声にだけは逆らうことはできないようになっている。

逆らうとどうなるか。
病気になる。
怪我をする。
疲れる。
いらいらしたり不安になったり落ち着かなくなったりする。
物事がうまくいかなくなってくる。

いろいろなことを通して、魂は一生懸命
「違うよ、そっちじゃないよ、あなたの行く道は。」
と教えているのだ。

なぜ逆らうのだろうか。
社会的に認められたいため?
親の期待にこたえたいため?
愛する人に喜んでもらいため?
自己満足?

ああ
あなたが自分らしくニコニコと笑っていることを、
ただそれだけのことを、魂はどんなに望んでいることか。

魂の声はあなたを本当に愛している人の声と同じなのだ。
期待にこたえないと見捨てられてしまうのではないかという恐れ・・・

手放そう、大丈夫。
あなたを愛する人は、あなたがあなたでいること、魂の声にしたがっているときが一番魅力的で元気で耀いていることを知ってるから。

心からやってみたいことって、なんですか?
それをやってたら幸せいっぱいで元気になってることって、なんですか?
きっと、周りの人も嬉しいはず!

魂の声に耳を傾けて。

プロフィール

尾崎真奈美尾崎真奈美

東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。ペンシルバニア大学医学部精神科、東京大学医学部公衆衛生学研究室などを経て、現在相模女子大学人間心理学科准教授、米国サーチインスティチュート、スピリチュアリティ発達センター客員研究員。
インテグラル心理学・スピリチュアリティ論・芸術療法などを教えながら研究、ダンス、執筆活動を続け、科学と芸術の統合を試みる。
天使語同時通訳は日々のインスピレーションの書き散らしである。
国際生命情報科学会、日本トランスパーソナル学会理事。日本心身医学会、日本トランスパーソナル心理学・精神医学会、国際ポジティブ心理学会会員。

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