
皆様お正月準備は順調ですか?
まだまだ仕事が終わらないよ~とか、旅行にお出かけの方も多いのかしら。
2007年はどんな年でしたか?
ほんと、月日がたつのは早いですね・・・
と同時に、いろいろなことがありすぎて、去年の今頃のことを思い出すと遠い昔のような気がしています。自分自身がすごく変化したからだと思います。
それにしても、感謝に耐えません。
除夜の鐘って108の煩悩を捨てるのでしたっけ?
まなみんは、108の感謝をお返ししていこうプロジェクトを作りました。
さて、いってみましょうか・・・
1.お風呂気持ちよかった。ゆっくり入れる環境に感謝
2.こうしてブログがかけることに感謝
3.読んでくださっているあなたに感謝
4.企画してくださったデジバの方に感謝
5.SQなメッセンジャー仲間にインスピレーションをいただいて感謝
6.PCが動いてて感謝
7.インターネットの時代に感謝
8.元気なことに感謝
9.感謝できることに感謝
10.素敵なお友達に感謝
11.京都でお勉強できることに感謝
12.かわいい学生たちに感謝
13.いつも助けてくれるTAに感謝
14.学会でお世話になってる先生たちに感謝
15.出版を助けてくださる方たちに感謝
16.必要なときさりげなく助けてくれる母に感謝
17.元気で明るく楽しい父に感謝
18.頼もしくて力になってくれる弟に感謝
19.変な母親に付き合ってくれてる子どもたちに感謝
20.楽しく一緒にやってくれる研究会仲間に感謝
21.いつも祈っていてくれるあなたに感謝
22.目が見えることに感謝
23.タイプできる指に感謝
24.暗くなって眠れることに感謝
25.明るい太陽に感謝
26.きれいできらきらした霜に感謝
27.スリップしたけど事故にならなかったことに感謝
28.初雪は堪能できたことに感謝
29.温泉宿で家族水入らずで楽しめたことに感謝
30.子どもたちが学校に行けてることに感謝
31.面白い研究テーマがあって感謝
32.論文が採用されて感謝
33.ロンドンにいけることになって感謝
34.冬休みがあって感謝
35.静かなことに感謝
36.みかんが送られてきて感謝
37.DVDでいつでも映画が見られることに感謝
38.シルヴィアが買えて感謝
39.いい本にであえて感謝
40.さっき、珍しい人からメールが来てて嬉しかった
41.病気が治って感謝
42.指の腱が切れたのも直ってた感謝
43.踊れることに感謝
44.論文締め切りが伸びて感謝
45.こんなことしてのんびりできてる暇に感謝
46.バラの美しさと香りに感謝
47.ゆずの香りに感謝
48.クリスマスの楽しさに感謝
49.歌に感謝
50.音楽に感謝
51.住めるおうちがあることに感謝
52.いい空気に感謝
53.お水に感謝
54.電気に感謝
55.アロマキャンドルにも感謝
56.宅配おじさんの笑顔に感謝
57.隣のかわいい子どもたちに感謝
58.管理人さんの庭仕事に感謝
59.今も忙しくせっせと仕事してる世の中のお父さんに感謝
60.あれこれと気にかけて優しい世の中のお母さんに感謝
61.寒い中夜回りしたり道路工事したり警備したりしている方たちに感謝
62.お正月もなく当直で働いているドクターや看護士さんたちに感謝
63.少ない年金のなかから孫にお年玉を捻出してくれるおじいちゃんおばあちゃんに感謝
64.きつい状況の中でもこうやって生きているあなたに感謝
65.楽しいゲームに感謝
66.いつでも美しい空に感謝
67.美しい日本の伝統文化に感謝
68.富士山の美しさに感謝
69.東京のネオンの美しさに感謝
70.清潔な環境に感謝
71.痛みの中で耐えているあなたに感謝
72.慰めのために駆けつけてくれているあなたに感謝
73.勇気を出して正義を貫くあなたに感謝
74.私のために犠牲を払ってくださっているあなたに感謝
75.眠れないほど真剣に考えてくださっているあなたに感謝
76.おかしなことばっかりして楽しませてくれるあなたに感謝
77.今年誕生した赤ちゃんの天使の笑顔に感謝
78.バレエの舞台に感謝
79.夢を見ることができて感謝
80.夢から現実に戻ってこられて感謝
81.日本語が読み書きできて感謝
82.英語も少し読み書きできて感謝
83、いやなことまったく覚えてないことに感謝
84.中身の濃い人生にしてくれる悪友に感謝
85.冷蔵庫に感謝
86.IHに感謝
87.掃除機に感謝
88.無線ランに感謝
89.ヨガ考えた人に感謝
90.キリストに感謝
91.仏陀に感謝
92.あったかいお布団に感謝
93.バラのアロマオイルに感謝
94.おいしいハーブティーに感謝
95.気持ちがいいジャージに感謝
96.99に感謝
97.自立してがんばってるららに感謝
98.支えてくださっているあなたに感謝
99.からだがあることに感謝
100.女性であることに感謝
101.教育の機会が与えられていることに感謝
102.やりたいことして食べていけてることに感謝
103.自由に感謝
104.セラフィムに感謝
105.あなたの笑顔に感謝
106.眠くなることに感謝
107.今年も生きてこられたことに感謝
108.感謝を108かけたことに感謝
忘年会ってどういう意味ですか?
何を忘れるの?
こんなに素敵な思い出ばかりなのに、忘れたくないわ!っていうのがまなみん風です。
今年もこうやって年の終わりまで何とか過ごせてきた。
よかった~~~~~
あの方のおかげだわ。
素敵な出会いだったな。
あの時本当に嬉しかったな~。
もちろん、生きているといろいろと辛いことはありますが。
だから、いやなことは忘れてしまえ?
そうか・・・
いやなことの中に美しさや幸せや喜びがあるのにな・・・
甘いですか?
でも、忘れようとすることは、心理学的に言うと抑圧という防衛機制かなあ。
あまり健康的じゃないなあ。
しっかり見据えて位置付けて、意味を見出すって言うのが健康的な反応の定番ですが。
だって、思い出してみてください。
どんなことにだって、感謝と喜びの種があることに気がつくでしょう?
それを見出していけるのが人間です。
もっと言うと、目に見えない、まだおきていないことにまで希望を見出して喜んでいく、スピリチュアルな資質です。
この世は辛いって言う世界観は、目に見えるものしか信じてないと行き着く方向かもしれません。
自分でそういう世界観に閉じ込められてしまってるのって、不健康だと思いませんか?
目に見える世界だけだと、忘年会って、結構いいのかもしれません。
実に見えない世界を意識したとたん、すべてがいとおしく忘れられない経験となってくることがわかるでしょう。
そう、今のこの瞬間が、いさかいやフラストレーションに満ちていても、たとえ絶望的であったとしても、暗闇が深ければ深いほど、輝きを増した光がそこにあることに気がついてください。
そして、そちらを眺めてください。
そう、みるだけでいいのです。
あとは自然に光に導かれますから。
どちらの方向を向くかの決心だけです、自己責任は。
自分の見方、それだけの問題なのになあ。
何度言ってもだめですね。
同じことばかり繰り返して!
という言葉は認知心理学的に言えば「、ハイどうぞ、また繰り返しなさい」と同義である。
欠点に注目して、やめようと意識すればするほどとらわれてしまうのが、シナプス回路の形成にかかわる生物学的な事実だからだ。
よくなりたいと思った時に必要なことは、そうなりたいモデルを見ることだ。
聞くことだ。
それについて考えることだ。
その良いイメージに関すること、関連することに意識的に触れるようにすることだ。
そうやってシナプス回路を通りやすくさせていくと、そのうちそれが意識しなくても自動的に想起されるようになってくるのだ。
これを本当に理解したら、しかりつけたり罵倒したりはなくなるはずだ。
それが矯正するためにはどんな効果もないことが明らかだから。
単に感情の発散をしているだけだから。
その人はガンになるのを免れるかもしれないけど、うつの患者は確実に増えるね。
脳も筋肉と同じだ。
繰り返し使って回路をつながりやすくするために、良い本を読んで、良い映画を観て、良い人と交わりましょう。そしてその回路をしっかりり根付かせるためには、早寝早起き、運動と食事の大切さを忘れないように。
脳も、体の一部ですから。
こんなに悲しいことはない。
正義を掲げ理想に燃えて争いあうこと。
いろいろな宗教の根源をたどっていったら、どれもみな、すばらしい教えだし同じことを目指しているということがわかるはずだ。
対立するように見えるのは、ただ文化・歴史的な色合いの違いだったり、弱い人間の間違った解釈だったり、大きな組織になっていく過程でのゆがみだったりするだけなんだ。
本質はみな同じなんだ。
それを、一緒にされたら困る。と排他的に区別するのはなぜ?
自尊感情からなのだろうか。
生物学的な自己防衛反応からだろうか。
守るために攻撃的になる必要はない。
かといってやられっぱなしになって耐えろという意味ではけっしてない。
「右のほおを打たれたら左の頬を差し出せ」
とは、左のほおを打たれるままにされろということではない。
それではDV被害者が続出してしまう。
眼差しと意識とで、打つ相手のおろかな行為をストップさせることが目的なのだ。
ガンジーの非暴力運動に学ぶことは多い。
あるフランスの精神医学の本を読んでいたら興味深い記事があった。
加害者と被害者とどちらが罪悪感を感じているかという話で、実は被害者のほうだということだ。
確かに、モラルハラスメントなどで、被害者は巧妙に自分自身が悪いのだという意識を刷り込まれていく場合が多い。加害者のすり替えのゲームにはまってしまうのだ。
だから、いじめを告発することもできず耐えてしまうという構造が生まれる。
これには他者を責めてはいけない、自己反省しなければいけないという意識が大きくかかわっている。
もちろん人間である限り、どのような状況においても、反省する余地はある。
しかし、レイプされたのはそのような場所を歩いていた女性が悪いのだろうか?
反省すべきは被害者の女性なのだろうか?
罪悪感を持つのは健全な自己愛が育っていないという理由から説明がつく。
自分を責めることからは何も生まれてこない。打つになり、へ込んでしまった挙句、その苦しさに耐えかねて人を恨むようになったり、是厨房してしまったりする。つまり、そこから喜びに満ちた親切心などがでてくる可能性はまったくないのだ。でyて来る自己犠牲の奉仕活動は、罪悪感からの場合、過剰になってj子破滅的だったり、相手のためにしているようで自分の苦しさを解消するためだから、相手にとっても苦しさを産んでしまう。
つまり、愛とか教育とかの名前で行われている魂の殺人(ミラー)だ。
苦しい自己犠牲は自己愛の延長である。
ナルシスティック行くステンションである。
他者のための行動は、感謝とすがすがしい喜びに動機つけられるものである。
苦しさを我慢するとき、「こんなにやっているのにちっともわかってもらえない」などという不平が生まれる。
それは他者にたいする愛からの行動ではない。
自己満足という、自分も他者も息苦しくなっていく行動だ。
同じ状況でも、罪悪感を持たないで感謝していくことができるはずだ。
感謝からは大きな喜びが生まれる。
でも、感謝はしなければいけないというものではない。
湧き上がってくるもののはずだ。
しなければならない義務になってしまったときには苦しさと欺瞞が生じる。
基本的な生きていることの喜び、生かされていることへの感謝。
これは健全な自己愛を満たすことによってしか達成できないことが心理学では明らかになっている。
健全な自己愛は、もちろん愛する他者の存在によって可能になることが多い。
でも、そのような環境ではないときにも、存在そのものの神秘を見つめるときに、限りない愛を感じることができるはずだ。
だから、過去のトラウマや傷つき体験にとらわれる必要はまったくないのだ。
存在の深みにある愛に気づくとき、罪悪感は消え去り、許されて存在しているという限りない愛に魂が喜びに震える。
罪悪感は反芻して持ち続けるものではない。
罪悪感を持っている人は被害者である場合が多い。
罪悪感は成長させない。
人を成長させるのは、感謝に満ちた愛の精神だけだ。

私の住む東久留米という街はきっと日本で一番キリスト教会が多い町だと思う。
それはCAJという宣教師たちの子弟の教育のために作られた幼稚園から高校までの一貫した学校があるからだ。
私の所属する教会はその中にあり、メンバーの半分くらいが宣教師という奇妙な教会で、24日に礼拝はない。宣教師たちが家族を大切にしているからその日はゆっくり過ごすためだ。
こういうゆるさが私は大好きなんだけど。
23日の日曜日にはいつものように礼拝があり、私も聖歌隊で歌った。
Go. Tell it on the mountain.というのはアメリカではよく歌われるクリスマスキャロルだ。
世界中に良い知らせを述べ伝えよ!という宣教師らしい歌だ。
歌っているうちにこの愛と喜びをどこまでも伝えたくなった。
イブの昨日は、徒歩圏内にある10以上の教会がみな何かしていた。
駅にいったら、キャロリングしてる人たちがいた。
(去年はうちの教会でも市役所とよーかどーで歌ったのだった)
何人かCAJの知り合いがいた。
思わず一緒に歌いだしたら、楽譜が手渡され、小さなろうそくもまわってきてメンバーになってしまった。
山の上から語り伝えたいこと、それは
あなたが愛されていること
あなたが許されていること
自分では背負いきれない重荷を背負ってくださる方がいること
すべて明け渡して自由になれること
恐れることはないこと
いつも喜んでいなさい
もう一度言う
絶えず喜んでいなさい
これはクリスチャンだけのお話ではない
すべての存在が愛と光の証であることを伝えていきたい
いつか、天使ごっこの話をかきましたけど、おなじようなので、シークレットサンタというお遊びもあります。
同じような感じなのですが、サンタというからには、今日しかない!!
一年のうち、クリスマスシーズンにしかできないお遊びなんです。
ご想像のように、内緒でこっそりプレゼントを贈るんです。
誰かわからないようにしてね。
差出人は、エンジェルでもサンタでもいいんですが。
昔、手作りクッキーを配ったことがありましたが、食べ物は警戒されることがあるので(悲しい世の中です・・・)今年は食べられないものを用意してるんだ~。
なにかはひ・み・つ。
うふふふふ
ミサが始まる前に配り終わらないと~
さあ、出陣です・・・
楽しいな~
今年は王子様の心のこもったていねいな自筆の手紙つき・・・
これはもう、泣いちゃいますよ。
企画を想像しただけで泣きそうだったわ。
皆様も、愛に満ちたすばらしい夜をお過ごしくださいませ。
愛は与えることから生まれてくることをお忘れなく。
笑顔は、もうそれだけで最高の贈り物だわ。
誰でも、好きな人にあったらにっこり笑顔になってるでしょう。
そう、笑顔はそれだけで大きなメッセージです。
笑顔はそれだけで、I love you!!っていってるんです。
今朝、大好きな人に出会ったの。
彼は、はじめてであったときから、こちらまで顔中の筋肉を総動員させて笑い出したくなるような笑顔の持ち主。
金髪の巻き毛で、大きな青い目をした5歳くらいの双子の男の子とドーナツを食べていたんです。
クリスマスで日本にきているお孫さんだって。
まさに生きてるエンジェル!!
なんてきれいなんだろうって、写真を撮りたくなりましたがやめときました。
冷たい雨もやみました。
お日様の笑顔もありがとう。
最高のクリスマスプレゼントは、あなたの笑顔よ!!
勉強しないいいわけみたいだけど・・・
本来の学びって、知識を詰め込むことではない。
もちろん、考える材料や、表現する言葉が多いほど、学びは正確さを増して伝達が可能になるんだけど。
真実をつかむということを考えたら、むしろ騒々しい知識なんかそぎ落として単純に透明になっていくことが要求されたりする。
ヨガナンダの本にもあった。
もし1時間本を読むのなら、3時間考えろ、そして5時間瞑想しろだったっけ。
だから、瞑想も考えもしない人は、せめて本を読みなさい、っていう、逆説にもなりますね。
受験生のみなさんは、これを言い訳にしないように。
とりあえず少しは材料がないと考えられませんからね。
考えられない人は瞑想しても何も出てきませんからね。
勉強しすぎの人は、何のための知識なのか、なぜ知りたいのか、生きてることってどういうことかもう一度考え直してみたら面白いかもと思いました。
時々、現実逃避の手段だったりするので要注意です。
授業でポジティブ心理学の英文テキストを読んでいるんだけど。
昨日の章は、学ぶ楽しさ!というところで、まったく、本当に、もう今年最後だから、お菓子食べながらクリスマスパーティーっぽくリラックスしていこうよ、って話してたのに、発表させてください!って、6人のうち、4人もいて、教師冥利に尽きるというか・・・(嬉しく疲れましたです。笑)
この発表というのが、ひとりで専門英語教材びっしり30ページ担当するんだから・・・まるで大学院なみだと思うのですが。(今大学院で読んでる教材の数倍難しい)
めっちゃ苦労して、準備に何十時間もかかるというのに!
このこたちは~やるんですね・・・
だんだんどんどんエスカレートして、卒論ほおってこっちにのめりこんじゃった人もいます。
ポジティブ心理学は、本当に面白いんです。
で、学ぶのは楽しい!を実感しています。
大学生活で一番頭を使ってる授業だそうで。
知的刺激にわくわくどきどきして、クリエイティブな発見があって、楽しいんで。
そう、私自身が一番楽しいんで。
意味不明の日本語にときどき噴出しながら、みんなでなんて訳したらいいのかいろんな辞書と、それぞれの専門知識から検討していくんだけど。日本語として意味不明なのは決してそのままにさせておかないからね。自分お言葉できちんと説明できるまで迫る。
来週またやり直してきます!ッて結構繰り返された光景で。
この授業も年明けたらあと1回で終わり。
幸せになるのはまだ早い?
というのは、日本人にポジティブ心理学を導入するのは難しいって話です。
幸せになることに罪悪感みたいなのを感じているからです。
仏教というか、文化的土壌の影響かもしれません。
ひしひしと感じています。
こうやったら幸せになる・・大きなお世話よ!
っていうひとには、どうしようか?
しかし、学ぶのは楽しいです。
学べることは本当に幸せです。
私は実はワークショップというものにお金を払って参加した事がないんです。
本当に、うまれてから1度もないんです。
何かの研修や学会に組み込まれているものに、ちょこっとでたことはありますが。
その私が、ワークショップ講師を頼まれてしまうと。
表むき「喜んで!」と引き受けるものの、内心複雑だったりします。
実は・・・
評判がすごくいいのです!
すごい効果があるのです!
あははは。
実はこれが、嬉しい反面、ワークショップはあまりしたくない理由になってるんです。
なぜか
持ち上げられるのが性分に合わないからです。
先生!って言われるのも好きじゃないし。
なんかまるで、スピリチュアルリーダーみたいに、祭りあげられるのはもっと嫌だし。
有名になって、すッぴん眼鏡ジャージで、うろつきにくくなるのも不便だし。
そう、静かな生活が好きなんです。
個人主義というか、要するに、内向的なんですね。
でもね、書いておきたいことは、ワークショップで皆さんに触れ合える事は涙が出るくらい嬉しくて、生きててよかったと思うのです。
研究論文を書いて、どれだけの人が喜んで感動するのでしょう。
いろいろな音を考えると、きっと、私はワークショップ講師に向いていると思います。
でも、シャイなんですよ、実は。
というより、人のことを考えるより、きっと、好きに踊りたいだけなのよね。
あ、わかった。
要するに、非常にわがままなだけってことでした。
失礼しました。
学業についていけない落ちこぼれ対策には熱心だけど、「浮きこぼれ」問題には手付かずだ。
浮きこぼれって言い方があるのをはじめて知った。
要するに出来すぎちゃう人のことね。
こぼれてしまうのが、いかにも日本的だなあ。
みんないっしょでなきゃいけないなんて。
だから、引きこもるしかなくなっちゃうんだよね、まったく・・・
もうすぐクリスマスだって言うのに、暗い話題でごめんなさいね。
ここにいると、うつるんですよ・・・
ここ?
どこでしょうか?
努力したものだけが価値があるのだろうか。
もしそうだとしたら
努力しないでうまく出来るものには価値が無いという事になる。
小さいときに、そういう事を教えられて、非常に自信をなくした。
未だに努力ができないというコンプレックスがある。
嫌なことは無理に出来ないのだ。
やろうとしたら病気になる。
何度も経験済みだ。
それなのに、やれば出来る、やってないのは努力してないからだといわれる。
でも・・・
努力する事ができないというのも私の特性なのだ。
努力ができないというパーソナリティーをかえるのは、努力する人にしなくてもいいというより難しい。
結果として、努力しないとできないという状況に自分を置くことにをいつの間にかいいことだと選んでいる自分がいる。
そこに価値があるのかと錯覚した。
つまり、つらい事を選択するということだ。
忍耐力がつく?かもしれない。
あるいは、疲れきって干からびた人格になってしまうのかもしれない。
ご用心ご用心
サディストやマゾヒストがうようよしているからね。
それって、病気だからね。
楽しむ事をどうして選択しないんだろう。
自分から求めなくても、十分すぎるほど闇は大きいのに。
せめて光のほうを向いてみませんか?
単純な話なんだきっと。
それは自分がいいと思う生き方とほかの人がいいと思う生き方が違ってるから困るんだ。
他者の立場に立って見るという訓練は重要だけど、同じような立場に立たされたときでも、違った風に感じるし違った風に行動するのが嬉しかったりする。
そこに大きな誤解が生じる。
他者理解は本当に難しい。
いろいろ考えてると絶望的になってくる。
他者にたいする尊重と自分らしく生きること。
誠実さや優しさなんていう生ぬるい方法では解決しないことは、歴史を見たらわかる。
ここで、高度な棲み分けという智慧が必要となってくる。
インテグラルというのは、溶け合うことではなく、すみ分けることによってしか達成できない。
これは一つ上の次元から眺めることによってしか達成できない。
高度な認知作用であってマインドの訓練で可能となるものだ。
まやかしのスピリチュアルは、理性をなくすことで達成できるかのような、主張や信念をなくすことで達成できるといったような危うさを伴っている。
世界はひとつ、人類みな兄弟、確かに。
でも、みんなそれぞれずいぶん違うってことも事実なんだ。
たぶんそれは、自分がいいと思うものがほかの人もいいと思うとは限らないという、単純なことにあるような気がする。
他者の立場に立ってみようという試みは本当に難しい。
もし自分が同じような立場だったらどう感じるか・・・
その人とぜんぜん違うことを感じるんだ。
他者がなぜこのように感じるのかを理解するのは相当難しい。
頭で理解できても、感情的に好感度を持って受け入れるのはもっと難しい。
自分のより良い生き方と他者のより良い生き方が違うとき、他者を尊重する精神と自分らしく生きることのハザマで立ち往生する。
ここでは、賢いすみわけのテクニックが必要とされると学んだ。
両者を生かす方法は、次元のひとつ上から眺めると見えてくる。
自己尊重と他者尊重は両立するはずなんだ。
でも、テクニックがいる。
誠実さや優しさなんていう生ぬるい発想ではうまく行かないことも出てくるんだ。
生きにくいね・・・
漱石の言葉を実感してる。
ま、胃潰瘍にならない程度に考えながらいきましょうか。
夕べ、時間が予定外に少し空いた。
スターバックスでクリスマスの買い物客を眺めながらすごすこともできた。
ネットカフェで友達とチャットすることもできた。
イルミネーションの奏でるオルゴールを聴きながら光の下で思いに浸ることもできた。
ホームレスの人たちが3人、駅の構内に座り込んでいた。
顔を隠して寝ているのでもダンボールでお城を築いてるのでもなく、ただ座り込んでニコニコ話してんだ。
暖かい光があった。
服や顔はよれよれどろどろ、においを放っているにもかかわらず。
一緒に座ってみたくなった。
話しかけたり一緒にご飯食べるっていうエネルギーはなかった。
ただ、誰にも煩わされず、誰でもない人間になっていたかった。
私をこの地上に縛り付けているものすべてを解き放って、
ただただ、そこに座っていたかった。
バスがやってきて乗り込み、東京に着いた。
また同じような忙しい現実生活が始まるのだと、思いを振り切って太陽を見つめて笑ってみた。
人身事故で電車が止まっていた。
遅れることがわかった時点で、仕事を休むことにした。
超多忙な時期にゆっくりした時間をとることには勇気がいる。
でも、死に急ぎたくなるほどがんばらないといけないことなんて、何もないはずだ。
疲れたらやすもう。
眠いときには寝よう。
どこか行きたくなったときには行こう。
会いたくないときにはキャンセルしよう。
死ぬことよりずっと賢い解決策だから。
とりえず、生きていこうよ。
あったかいカプチーノを飲んでみて、それからまた考えてみてもいいんじゃない?
ね。
意地悪な人も、不機嫌な人も、攻撃的な人も、威張ってる人も、人を踏みつけて平気な人も、残虐なことをする人も、みんな、ただただ、こわがっているだけなのよね。
殺されるんじゃないかって、やられちゃうんじゃないかって。
だからそうならないように、肩肘を張って、肩をいからせて、キンキンに緊張して隙間を作らないようにしてるのよね。
昔はゆったり開けっぴろげで笑っていたのにね。
そうしてたらいっぱい剣が突き刺さってしまったのよね。
だからもう刺されないようにって厚くてかたいよろいを着けたのよね。
守るために、よろいをどんどん強化して、とげとげまでつけて、何も進入してこられないようにしたのよね。
怖かったのよね。
痛かったのよね。
もうこりごりだよね。
うん、もう、だいじょうぶなのよ。
少しづつ、そっと、重いよろいを脱いでごらん。
ほら、大丈夫だってわかるでしょ?
慣れてないと寒いかな。
飛んでいきそうに軽くて怖いかな。
剣の代わりに、いっぱいの光を浴びてね。
ほら、大丈夫だから。
そう、大丈夫だから。
きっと、大丈夫だから。
恐れないで、大丈夫だから。
いつも
光だ! 愛だ!喜びだ!
って言ってる人は、実はそうじゃないことも知ってる人だってこと。
もし、光と愛と喜びだけだったら、そのことに気がつけないし、そのことをわざわざ書いたり言ったりしたいと思わないだろうし。
待降節・・・
良い知らせを待ち望んでいます。
なぜみんなスピリチュアルを求めるのか。
幸せになりたいから、苦悩を逃れたいからかもしれない。
マズローの欲求段階説で説明されることは、確かに、人間は何かが得られないときに、がんばってそれを求めて手に入れようとして、得られたらハッピーになるっていうこと。
それは食べ物だったり、恋人だったり、社会的ステイタスだったり尊敬だったりする。
そして自己実現とか成長欲求というのも、そこに入れてもよいのかもしれない。
得られたらラッキー、かなえられたらハッピー。
この世のすべてを手に入れたソロモン王が、むなしくなってメランコリックになってしまったことが聖書に書いてある。
すべては過ぎ去るのだ、なんてむなしいんだって。
実存的苦悩ってちょっとかっこいいけど、そして魂の闇夜って知られているけど、苦悩そのものがスピリチュアルだなんて決して思わない。
それは見えてない状態で求めているプロセスに過ぎない。
苦悩なんてまったくなく、ぽんとスピリチュアルなラッキーな人も存在してるんだけど、苦しみの強烈な人は、苦悩なくしてスピリチュアルはありえないと主張したがる。
その主張は確かに苦悩の中にいる人を勇気づけるという側面は疑わないけど。
でも、誤解しないで欲しいのは、どんなに生老病死だとか人生は苦悩だとか言っても、それはそういう見方をしたとき、その側面での見え方に過ぎないってことで、本質は、光しかないってこと。
つまり、愛と喜びしかないってこと。
でも、この本質をつかんだら苦悩がなくなるってことではない。
苦悩はあるよ、でも、それ自体がすごい喜びなんだな~
苦悩の先に喜びや幸せがあるのではない。
苦悩そのものの中に、喜びや幸せがあるのだ。
つまり、この世は闇ではなく、光そのものだってこと。
食費の割合をエンゲル係数というらしい。
で、多いほど貧しく、少ないほど豊かなのだそうだ。
エンジェル係数というのを考えてみた。
これは楽しく嬉しくなることに使う費用の割合だ。
多いほどエンジェルに近いってことね。
クリスマスが近くなっていろいろな方へ贈り物を選んで出費がかさんでる人、エンジェル係数が高くなってますね!
ああ、金かかるな~といいながらお歳暮贈っておかないとまずいよね、チェ!といやいややる人は、そのお金はエンジェル係数にはのりません。だって楽しくないからです。
温泉に行ってきもちよかったな~前から欲しかったドレス、ついに買っちゃった~
よかったね~うれしいね~
はい、エンジェル係数に計上してください。
つまり基準は、喜んでるかどうかだけです。
エンジェルは喜びの塊だからです。
今日は、ETCがまだついてない新車に乗っていたので、料金所の支払いのときに、係りの人の目を見てにこっとしてきました。
いちいち止まってお金を払うって言うのが本当はすごく面倒だったのですが、楽しいゲームにしてしまいました。
それだけですごく嬉しくなりました。
たぶん係りの人も嬉しくなったと思います。
お金使わなくても、どんどん計上できるんですね。
エンジェル係数、100超えてるわきっと。
これは実は問題解決に到らないってことをはじめに言っておく必要がある。
問題解決、問題を失くすことが目的ではないからだ。
問題に伴う解釈が変容することによって、そこに意味と価値を見出すということだから。
生きている限り問題があるのは当然である。
問題のないフリをして、あるいは問題から逃げていることのほうが、実はスピリチュアルな苦悩であることに気がついていない人が多い。
光を放ち、人々の真の覚醒のために捧げた賢者は、洞窟の中に長い間住んでるために光がまぶしくて耐え切れない人たちに殺されてしまった。
変化や気づきは、今までのあり方が崩壊する死の経験でもある。
だからみな、恐れ、躊躇し、魅かれながらも、後退して、住み慣れた居心地のいい場所に安住しようとする。
それを脅かす存在は殺すしかないのだ。
精神的な安定のために。
心と魂の次元はこんなにも違う。
だけど、違いを強調したらきっと私も殺される。
今日のところはせいぜい、「スピリチュアルになると、幸福になリます」
と言っておくことにする。
ストレス学会を設立したストレスで急逝された言われている石川中先生のことは、決して冗談にならないんだけど・・・
「静かな人ほど成功する」を翻訳した人はやたらおしゃべりで、「うるさい人ほど成功する」とからかわれているそうで。
「HAPPIER」を書いたシャハー先生も、きっとハッピーじゃなかったからそういう研究をされたんだろうな。
ポジティブ心理学大家のセリグマン先生だって、もともと学習性無力感とか、絶望的に暗い研究していた人だ。彼を変えたのは、幼いお嬢さんとの会話だったというのが感動的だわ。
天使言葉とか光とか書いてる人は、実は真逆を知ってる。
闇がなければ光のことは理解できないのだから。
インターネットは素敵だ。
いつ、どこでも、だれかと瞬時につながれるから。
メールチちぇっくを頻繁にしないときがすまない人は、きっとずいぶんそれで仕事の能率が落ちてるに違いないんだけど、来たらすぐ読みたいんだ。
誰だ、ポップアップのメール着信お知らせ機能を標準仕様にしたのは・・・
ライバル会社の陰謀に違いない、と思うほど、仕事能率は損なわれる。
わかっているのについ見てしまう。
意志の強い人は仕事中はネットをきったり、メッセージをオフにしたりするらしいけど。
用もないのに、いつもPCつけている私はかなりの中毒なのかもしれない。
一体いつ仕事やってるんだ・・・といわれそうだけど・・・
ほんと、いつやってるんでしょうね。
でも、どうしても、つながっていたいんです。
あなたと。
いつも、オンでオープンにしていたいんです。
あなたには。
もうすぐ、クリスマスですね・・・
みんなつながっているんだけど,でも、確認するともっと嬉しいですよね。
話が通じない、場の空気が読めない、常識がない・・・
ということでしょうか、宇宙人的だというのは。
社会的枠組みや規範に縛られず、内なる規範や秩序に従うからでしょうか。
実は読めてたりします。
95パーセントの悪意を感じるときもあります。
でも、5パーセントの光にだけ反応してるのです。
現実認識ができていない?
そうかもしれません。
可能性にだけ反応しているからです。
本質以外は切り捨ててしまうから冷たいと思われるのかもしれません。
でも、ここにいる時間は限られているから、光を放ちたいだけです。
宇宙の暗黒・漆黒の闇を知ってるからこそ、そう思うのです。
愛とは・・・
究極の目標だし、幸せや成長の根源だし、感情でもあるし意志でもあるし行動でもある。
訓練された技術でもあれば、前触れもなく突然やって来て、焼き尽くしていく炎のようなものでもある。
今日のダンスパフォーマンスのためになんとなくサラ・ブライトマンを聴いていたら、いつものように自然に体が動き始めた。
①シューベルトのエレンの歌3,Op52/6アヴェマリア
②ヘンデルのリナルドHWV7:私を泣かせてください
③プレイズネルのウインターライト
何度か踊ったことがあるけど、毎回違った解釈になる。
たいてい、家でひとりで踊っていたのとまったく違った展開になる。
場の空気に一体化するからだ。
一人のときは神秘的な光そのものになってしまう。
誰かいると、たいていあふれ出るJOYに圧倒されて満面の笑みの踊りになってしまう。
専門的に技術・構成そしてSHOWという観客の目を意識したら、もっと魅力的な動きや感動的で効果的な動きはできると思う。
それには体を磨き上げた長時間の訓練が必要となる。
なんとなく思い立って、トゥシューズをはいてみた。
ほんの少しでもトゥの動きがあると面白いかと思ったんだけど・・・
重さでつま先がつぶれてしまい・・・
アキレス腱を切る前にやめといた。
道代さんどうぞお大事に。
トゥで立てなくても、からだが動かなくても、踊りはできる。
ダンスは内面の、見えない次元での動きがメインだからだ。
岡野守也先生という人は、難しいことを非常にわかりやすく解説してくださる天才だと尊敬しています。
とりわけ仏教解説はおすすめです。
感動してつい書き込んでいます。
生老病死とか、「人生は苦悩」の連続だって?
仏教は暗いからいやだな、という偏見を打ち破ってくれました。
違う、違うんですよ!
仏陀自身がこういってるんですから。↓
さとれる者(=仏)と真理のことわり(=法)と聖者の集い(=僧)とに帰依する人は、正しい知慧をもって、4つの尊い真理を見る。――すなわち苦しみと、苦しみの成り立ちと、苦しみの超克と、苦しみの終滅(おわり)におもむく8つの尊い道とを(見る)。
これは安らかなよりどころである。これは最上のよりどころである。このよりどころにたよってあらゆる苦悩から免(まぬが)れる。
悩める人々のあいだにあって、悩み無く、大いに楽しく生きよう。悩める人々のあいだにあって、悩み無く暮らそう。
(ブッダ『真理のことば(ダンマパダ)』岩波文庫、より)
最後の句が明らかにしているように、ブッダは「楽しく生きよう」というメッセージを語っています。
まったく、生きることや生きることの楽しさを否定していないのです。
それどころか、ふつうの人々が悩んでいても、四諦・八正道をよりどころとしてあらゆる苦悩から解放された人は、「悩み無く、大いに楽しく生き」ることが可能だ、と言っています。
原点としてのブッダにおいては、仏教は「楽しく生きるための理論と方法」という面があるのです。
(もちろん、心安らかに死を受容できるようになるための理論と方法でもありますが、それだけではなかったのです。) 続いて学んでいく大乗仏教では、そのことがいっそう明らかになります。
大乗仏教提供の、「楽しく生きるためのノウハウ」をお伝えしていきますので、楽しみにしていてください。 ( 岡野守也先生のブログより )
http://blog.goo.ne.jp/smgrh1992/をご参照ください。
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