
別れは寂しく辛いけど、人生にはいつもそれがつきまとう。
その度に涙し、もう生きていけないような気がして。
でも、まだ、私はここに生きてる。
さよならのあとに、心が空っぽになった時に、
こんにちは、と泣きつかれた目でぼんやりと光の方に向かって挨拶してみる。
放心状態のときだからこそ、繊細な光に気がつく。
そして
去っていったと思ったもののうち、美しいものだけが、結晶のようにキラキラといつまでも残っていることに、気がつく。
追いかけて手に入れようとしたら、それは逃げていく。
すべてを手放した時に、すべてが自分の中で、優しくあたたかな光を放っていることに気がつくのだ。
愛が去っていくように思われるとき、去っていく悲しみの中から、美しい思い出のエッセンスをよみがえらせて、繰り返し繰り返し意識に定着させていこう。
良いものだけをよりすぐって。
愛は永遠だという。
愛は時空を超えているという。
それは、こうやって思い出を蘇らせ、新しい物語をいつだって作っていくことが出来るからだ。
人間に偉大さがあるとしたら、このようにして、どのような物語でもハッピーエンドに書き換える智慧を持っていることにある、と私は思う。
泣きたい時には泣いてください。
それも涙をぽろぽろ流すッていうんじゃなくって、大声を上げて、子どものように泣いてください。声の枯れるまで、目もはれて頭ががんがんするくらい泣いてみてください。
世界の終わりのように泣いてみてください。
一度やってみたら病み付きになります。
そのあとでなぜか笑いたくなるはずです。
もしかして笑いたくならなかったら、泣き方が足りないのかもしれません。
飛び立つ前にしゃがまないといけないように
朝日が昇る前に暗い夜があるように
春の新芽の息吹の前に冬のちじこまる時期があるように
蝉がみんみんいう前に7年も地下で過ごすように
魂の夜の航海がさとりをもたらすように
涙は笑いをもたらすのだから
泣きつかれたらゆっくり寝てください
寝ている間にこそ、天使が働きかけることが出来るのですから
くれぐれも睡眠不足にならないように
魂の健康のために、たっぷり睡眠を取ってください
身近なところから、ある生命の終焉のニューズがはいった。
この地上では,何秒に何人と言うくらい,ありふれたニュースではあるけれど。
それぞれの死には,どんなに小さないのちであっても,ストーリーがある。
地上から眺めていると,それはやっぱりとても悲しくて。
みんな死ぬんだよってわかっていても、とても悲しくて。
いのちが誕生した時に流す涙と同じように取り去られた時にも涙がつきものだ。
さよならが近づいた時に、その辛さを味わいたくなくて距離を取ったりよそよそしくしたり,けんかしたりする人までいる。
みんな,不器用に愛を現している。
(いや〜〜!!!)
(いかないで〜〜〜!!!)
大好きな人から離れる辛さを味わいたくない一心から、最後の、貴重な時間を避けてしまう。触れることも,話しかけることも,HUGも出来なくなるのに。
避けてしまう。そうすることによって、悲しみに直面するのを避けようとする。そんなにまで,人間はもろいのだ。
ああ,どうしてあのとき素直に優しくしてあげられなかったんだろう・・・
どうして断ってしまったんだろう・・・
どうして時間を一緒に過ごさなかったんだろう・・・
天からの声に耳を澄ませて・・・
うん、わかってる,あなたの辛さも思いも全部。
そして全部許されてるから。
どうか自分を責めないで。
私は大丈夫だから。
すべてが流されたあとの清々しさの中にいるだけだから。
お友達が日記で許しのことを書いてた。
3Fだって。
foget forgive foever つまり、忘れて許しなさい永遠に、かなあ。
そう、忘れるッてすごいことだと思う。
忘れられないのは、感情がその出来事に固着しているからだわ。
私は幸いな人だと思う。
いやなことを全く思い出せないから。
裁判とか警察で被害を列挙するよういわれて、何も証言できなくて実は困った。
でも、別によかったんだそれで。
賠償とか保障がもらえないけど。
実害がどんなにあっても過ぎていくことだし。
許すッて別にすごい勇気のいるコトでも意志がいることでもなく、自然なことなのよ。
どうしたらいいか?
簡単です。
嬉しいこと、楽しいこと、感謝することで心と頭を満たすだけです。
いやな思いはデリートしても痕跡は残るから、素敵な情報を上書きしたら良いのよ。
修正して保存したら元には戻らないでしょ?
簡単です。
3つのfに、もう一つ私は付け加えたい。
fortune
そう、これであなたはラッキーで幸せ。
でしょ?
正しいことがいくつもあるなんて・・・
そしたら○×のテストできなくなって困っちゃう・・・
点数も順番もつけられないじゃない。
入試の選抜も出来ないじゃん、どうするのよ・・・
大丈夫です。
新しい方法があるのです。
みんなが正しいのです。
みんなが違ってるんですけどね。
どういうことかって?
みんなが言ってることや思ってることが、どういう人がどういう状況で何を目的にして誰に語っているか伝えたいことなのか、なんかで何が一番いいのかが変わってしまうんだと言うことにきがついたらいいだけなんで。
そのときその人がそう思ったりしたりすることには、全部その理由があるしそれが一番美しいことなのです。
つまり、みんなが違っているけど、みんな正しいことなのです。
だからさあ・・・
どっちがすごいとか、どっちが偉いとか、比べるのやめようよ・・・
あなたはこういう視点から、これを目的にしてるのね。こういうバックグランドがあるのね。
私と随分違うけど、そういう視点があるから補ってもらえて嬉しいわどうもありがとう。
議論なんて、全部それで終わりになるはず。
でもって、みんなにこにこ〜〜〜
困っている人を助けたり、親切にしたり、プレゼントしたりして喜ばせるのはすごく楽しいことだ。何か買ってもらったりおごってもらったりしたら、ありがとう!って喜んでたらいいと思うのだけど、日本では何かお返ししないといけないと言う社会的な暗黙の了解があるようだわ。これってめんどくさい。
いいことがあってお祝いして、分かち合いたいから少し受け取ってくださいっていう自然な気持ちからお裾分けといって配ることもある。
とってもいい習慣だと思う。
いいことを知らせると、聞いた人にお祝いをあげないといけないって負担を与えるから、知らせないっていう人がいてびっくりした。
嫉妬も恐れているみたいな感じ。
知らせないことのほうが謙虚っていう意識もあるのかなあ。
でも、もったいないっていうか、あまりにもけちくさい精神ではないかしら。
せっかくの喜びの種に水をかけてしまってる感じ。
みんなでいいことを見つけて知らせて分かち合って、どんどんで喜びを広げていきましょ。
そして、お返しはなるべくしないでね。
いいことをしたって喜んで満足してる人を喜ばせてあげてて。
お返しっていうんじゃなくって、やりたい時出来る時に何かしたらいいんだから。
お金がない時にはある人におごってもらいましょう。
疲れている時には席をゆずってもらいましょう。
親切を固辞されたら、あまりいい気持ちじゃないですよね。
本当にいやだったらいいんだけど、施されるっていうか、下に見られるのがいやだっていう意識がどこかにあったとしたら、それは傲慢ってことになりはしませんか。
お返ししないで素直に受け取って感謝してたら、きっと、喜びがもっといっぱい満ちてくると、私は思うのですけど。
心の時代ってずっといわれていた。
今は魂の時代とでもいうのかなあ。
見過ごされていた次元にみんなの注目が集まっている。
浸透するには2、30年もかかるんだろうね。
今ようやく日本では5年くらいきたかな。
面白い話だけど、私の中では、菜食に対する考えとか態度が魂ブームの指標になってる。
ほぼ同時進行的に偏見とかがなくなってきつつあるからだ。
昔は大変だった。
すごい苦労した。
誰もわかってくれなかった。
今は時々チヤホヤされたりしてびっくりする。
そうなってくると、今度はこっちだんだん飽きてきたりする。
ノーモアスピっていいたくなる。
魂の時代の次はきっと体に戻ると思う。
質より量の時代に振り子が振れると思う。
見えないものより見えるものだ!ってね。
魂の大切さを実感したら、きっとますます体と目に見えるこの世がいとおしくなるに違いない。
永遠が、今ここでの一瞬のうちに存在していると言うのと同じ事だ。
最新の研究成果から報告します。
どういう時間の使い方をしている人が幸せを感じているか
①自分で時間の使い方を決定している。
②自分自身のための時間を持つ。
③今、ここでの時間に集中する事と同時に、柔軟に意識を未来的展望に向かわせられる。
①はやっぱり幸せの条件ですよね、自分が決定しているのだと言う意識。どんなに理想的環境でも外的環境に流されるのは辛くなってきますよね。端から見てどんなにきつそうでも、自分で選択したのはけっこう楽しいです。
②これは忙しい現代人、なかなか持てそうで持てないような気がします。その反動でしょうか?すべてを自分の時間にしてしまっている人(引きこもりとか)もいますがそれも不健康ですね。
③これもバランスのようです。そしてもっと大切なのは状況よって一瞬のうちに切り替えが出来る事らしいです。つまり、今している事に没頭して楽しむのと同時に、未来の計画にも意識を向けられる。恋人との甘い時間をうっとり楽しみながら、あと30分したら出ないと会議に遅れるわってちらっと意識しているってことでしょうか?この切り替えが出来ない人は、うっとりした時間に夢中になって時間感覚をなくす。
何もうっとりだけじゃなく、だらだら会議を続けるのだって、時間感覚をなくしてますよね。あれは今ここに没頭もしてないんじゃないかなあ、もっと悪い時間の使い方ですね。
今ここに没頭してたら満足してすっきりと、じゃまたねって次に進めますよね(恋人との時間は、特に恋愛初期には難しいかもしれませんが)。
マインドフルネスのよさは、こういう時間の使い方のうまさにも関係してくるのでしょう。
覚えてて欲しいのは、未来の楽しい夢を思い描く事が幸せにつながるのではなく、今ここでやってる事にしっかり時間を使って達成感を持つ事の方が、幸せだと言う事です。
現実にしっかり生きていく事の大切さを、スピにとらわれて忘れない事が、幸せのコツですね。
人々のスピリチュアリティを研究する時に、人々がどういう事をスピリチュアルと言ってるのか、どういうあり方がスピリチュアルだと言ってるのかを調べる社会学的な調査法がある。要するにスピリチュアルという言葉の使われ方を調べるわけで、spiritualityそのものをしらべようとしているのではない。
もう一つのやり方は、今ここの、目に見える現実的な価値を超えた理想を目標として生きていくといった、人々のspiritualityのあり方を調べる方法だ。この方法では、スピリチュアルという言葉を使うとまずい。
私は後者の研究に関心があるから、どういう言葉を使ったらいいのか非常に迷う。
わかりやすい神仏は御法度だし。スピリットもトランスパーソナルも変な誤解があるし。
一者や宇宙とか、科学的に響きそうな秩序・情報・エネルギーなんて言ってもなかなかわかりにくいし、それが何を表しているかを説明するのがまた非常に難しい。超越というのが一つのキーワードだと思うけど、実際のところこれは体験のない人には理解不能な概念のような気がする。つまりその人の状況に応じた地上的解釈にとどまってしまうのだ。それが悪いと言う事ではないと思うけど。その方がけっこう健康的でいい人生送ってたりする。
そうだ、別にみんながさとりの境地にいく必要もないわけだ。
それぞれの場でそれぞれのspiritualityがあっていいのだ。
とすると、地上的ないい生き方してるっていうのも、やぱりspiritualってことに含まれるのかもしれない。別に何の気づきとなくても、淡々といい人はいる。既に当たり前になってるから気づきとことさら言わないだけかもしれない。そういう人こそが結構本物spiritualなんだろうなと思う。
世界調査でも、自分のことをけっしてspiritualだと思わない人の方が supiritualityが高かった国があったけど、日本もきっとそのパターンだろう。
同じ言葉を使っても、含む意味内容は全然違っているのだと思わざるを得ない。
しかし、科学は言葉を媒介とする。数字や図式でも可能だけど、その説明にも言葉が必要で、そこで使う言葉の一つ一つの定義から始める学者家業は本当に手間ひまかかってしようがないけど、やるしかないのね。
ふゅ〜
ミッドウエストに来てから、美しい音楽と建築物にひかれてルーテル派教会の荘厳な礼拝にでている。カトリックほどじゃないけれど、500年にもなる伝統を感じるクワイヤやオルガン、トランペットやオーボエなど,毎回音楽に魂を奪われてしまう。
クワイヤ(聖歌隊)も大人,子ども、学生の3種類が掛け合いながら、澄み切った柔らかな波動がステンドグラスに囲まれた高い天井まで建物を満たしていくのだ。
儀式ってすごいなと改めて思う。
カトリックのミサでは「主の晩餐」と言って,キリストのからだであるパンと血である葡萄酒をみなで分かち合うという事が行われる。会衆は、大抵の場合はウエハースの皮みたいな丸いちいさなものをいただくだけだ。プロテスタントの教会は月に一回とか4半期に一回とか宗派によって違うけど聖餐式というのをやる。皆でパンをちぎっていただきブドウジュースを飲む事が多い。ピューリタンはアルコールを好まないからジュースなのだ。
このルター派教会では,毎週聖餐式があり本物のワインがふるまわれる。
ヴィジターの名札をつけ,祭壇の前にひざまずいて待っていたら、司祭が、「マナミさん,あなたのために流された主の血潮です」と言ってじっと目を見つめてワインを注いだ。
飲み干した瞬間、圧倒的な愛の嵐に襲われて意識が遠のいた。
カトリックでは、「キリストの御からだ」「アーメン」と言っていただく。
これによって,つながりを再認識し新しく綺麗になって出発するのだ。確かカトリックでは,主のからだを受ける前に告白する事がすすめられていた。綺麗になってからキリストのからだを受けるという意味があるのだ。
聖餐式にどういう意味があるのか考えながら,toniの食禅を思い出していた。
同じ事をやっているのだと思った.
生かされている事、この一口のワインとパンによって象徴されるように,私たちは犠牲の上にあるいは恩恵を受けてここに存在しているのだという事実を、感謝と責任をもって思い起こす儀式なのだ。
日本人は昔から食事を「いただきます」と感謝をこめていただいてきたのだ。
分け合っていただくという行為。
食事は単にエネルギーを補給するためではない。
愛を思い出して,互いに愛を交換しあう儀式だ。
大切にしなければいけないと思った。
(パソコンの前で一人でばりばりやったりするもんじゃないよね。笑)
英国の精神科医が面白い論文を発表した。
http://www.scribd.com/doc/5638725/Can-pharmacology-help-enhance-human-morality
つまり,精神的に安定させたり認知能力を向上させたりする方向で,善良な人になるように薬物を既に色々なとこで処方しているし、もっとするべきと言う主張だ。
これに対しては、人格を操作するのかとか、道徳的って状況で異なるのにどうやるって言うんだなど色々な議論が巻き起こってるけど,あたしは賛成派。
人を無意味に傷つけたり非社会的な行動でどれだけたくさんのダメージが起きて苦しんでいるのかを考えてみたらいい。もちろん自然療法とか免疫強化の方が薬物療法より勝ってるけど,そうも言ってられない場合だってあるんだ。
精神安定剤とか,睡眠薬とか、不安やうつを沈める薬だって,頼るのは危険だけど,必要な場合だってあるのと同じだ。
私は、道徳心欠如,つまり人を傷つけても平気,あるいは快感を感じるなんて言うのは,人間本来の姿ではなく,病気か未熟さの現れだとずっと主張してきた。つまり,病気で歪んでるのだから直した方が幸せなのだ。カウンセリングとかでのんびりやる方法もあるけど,どうしても虐待がやめられないと言う重症者には,ぜひ薬で楽にしてあげて欲しいのだ。
痛み止めとか熱冷ましを飲むのだって、本来はそういう時はぶっ倒れて寝てるのが一番でそうしたら治るんだけど,大抵の人は仕事とか適応のために薬を取るでしょ。
心だって,脳機能の一部つまり物理的反応としてとらえる側面で言ったら,物理的にできる事だったらしたらいいんじゃないかと単純に思うのだ。
問題は,実は薬でもどうしようもない側面があるってこと。
これも事実。
アヤシいと思われるけど,やっぱり,スピリチュアルな側面が存在するからだ。
科学で解決できる事は恩恵を素直に受けたらいいと思うんだけど。
ビックバンの実験どうなるのか,ワクワク。
日本語でスピリチュアルって言うと、なぜか癒しとつながる事が多い。
スピリチュアルヒーリングってことになるんだけど、なんかアヤシいにおいがする。
NIHのドッシーらが実証してるように,次世代医学ではあるんだろうけど、スピリチュアルがいやしとつながると,なぜか非常にアヤシくなる。
世界的トレンドと言っていいかどうかわからないんだけど、いわゆる正統派学術団体は、スピリチュアルを語る時には非常に慎重で、いやしや異次元やミステリアスな側面には触れずに排除する傾向がある。その努力があってはじめてここまで科学的方法論のメスが入ってきて実証データが蓄積されてきた事を思うと,やはり,慎重で禁欲的な態度は重要だと思う。
ということで、私自身も、研究の仕切り直しをしなければいけないように感じている。
このような自由なエッセーと科学者としての発言を分けていかないといけない。
と言うわけで,天使語は、近いうちにペンネームに切り替えようと思ってます。
何がいいと思う?
やっぱ,なじんでる麻倉アンナかなあ。
星野真理って人もいるんですが。
ここにいると,私は、ものすごく真面目で深刻で懐疑的で慎重で丁寧で、ネガティブなんです。
どこが〜〜〜〜〜って言われそうだけど,そして私はいつもと変わらないと思うし、いえ,むしろ日本にいるときより、環境の影響もあって、もっと軽やかにニコニコルンルンしてるんですが。
その私でも、この明るさ積極的ポジティブさカジュアルさの中にいると、東洋の神秘みたいに控えめで、口にする言葉と言ったら、懐疑的で批判的な事ばっかりで。
我ながら、ナンカ損な役回りじゃないかと思うんだけど、そうやって、会議中の爆笑をぴたっと沈める事ばかりしてます。
あまりにもみんなポジティブなんで。
すばらしいけどね。
いつも、アメリカに来たら思うんだ。
私ってなんて日本人的なんでしょう。
帰国したらいつも思うんだ。
私、どこまでアメリカ人になってしまったのだ。
理科系文科系、あるいは学術系ビジネス系、科学と芸術、男性女性、大人と子どもなど、どの世界に行っても、いつもかけてるとこをうめる役割をしている私。
だからここでは、ちょこっと学術的な事も書いたりしてるんです。
学術的な話ばっかりだったら、詩を書いてると思います。
どっちも大切でバランスが必要で、いつもどこでもそういう役割。
だから日本ではやたら軽くて明るくて素早いんでしょうね。
日本のスピリチュアリティ研究の文献レビューを概観したら、ちょうど米国の20年前と同じような状況だねえって言われた。
確かに、20年前、好奇心で祈りの効果って言う文献を探索したとき、一つか二つしかなかった。でも、あったっていう事に驚いたんだけど。今だったら、実証研究が、学術データベースで何千件もヒットするもんねえ。日本のは知りません。ないんじゃないのまだあまり。
日本のスピリチュアリティに関する実証研究データは、ほんと、少ないんですよねえ。あっても、お年寄りとか患者さんとかなんで、せいぜい。
普通に健康な青少年対象となると、マジでほとんど自分のデータしかないって感じ。いろいろ頑張って調べたけど、今だに、指折り数えるほどしかないです。英語の研究報告は何万件単位であるのに、です!
そういう環境で、今までスピを測定しようとして、何アホな事やってんの、測れる対象じゃないものを測ろうとしてるとかさんざん言われて。(今でも言われてます)
いくら欧米でこれだけ実証研究がされてると言ってもそれは偏ってるとか言われて。
まあねえ、それは確かに一理ありますわ、認めますが。
でも、今は世界調査が行われて、ヒンズー教もイスラム教も仏教も、あるいは土着の宗教的伝統を持った、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、中東の国々まで懸命な調査が行われて進んでるのよ。
でも、日本のデータがないのです。なぜかわかる?日本人は慎重派ですから、簡単にのらないのですよ、トレンドに。この国は本当に難しいわ。
なぜ遅れてるのか。
第一に英語の識字率が低いから、国際的な情報がなかなか入りにくいんだわ。これだけネットが発達してリアルタイムで情報が手に入るのに、本当に英語が使いこなせる人は他の国に比べてすごく少ない気がする。学校の語学教育のせいかしら。だから、情報がすごく偏ってるんですよねえ。
第二に、これだけ情報化が進んでいるのに、学術データベースなどのIT化がすごく遅れてるから。携帯を持ってる人は多いのに、学校とか病院とか官庁とか保守的なとこは、ITの苦手なアナログ好きな人がきっと反対してるんだわ。だからすすまないのよねえ。
まあ、そうやって、鎖国みたいに色々な制限があるから、日本は世界でもすごく独特なのよね。はいってきてるのは表面的な変なのばっかりって感じで、危ういなあ。
20年たったらどうなっているかわからないけど、いいとこはどんどん取り入れたいですよねえ。先端研究者は苦労します。ま、しようがないわ。好きでやってるんだし。
がんばります。
日本のスピリチュアルは、トランスパーソナル系の西海岸風なのと、ヨーロッパのスピリチュアリズムが,神道など土着の文化に混じっているような感じがする。
ミッドウエストにきて思うのは、この伝統的クリスチャン文化にある、実際的な隣人愛のスピリチュアルの偉大さだ。日本には残念ながら、この要素があまりない。
もちろん日本人は親切なんだけど,全くの他者や外人,見知らぬ人を隣人と見なしてない傾向があって、自分たちだけってなりがちなんで窮屈なんだ。
教会離れが激しいと言われてるけど,この田舎町(失礼)ではまだまだ素朴な信仰にもとづいた自然な親切な行動が当たり前で。
困った人を見て放っておけないらしく。
教会主体のプロジェクトで、サマリア難民を何千人単位で受け入れ,素敵な公園やコーヒーショップもついた高層マンションを提供し、就業補助や英語教育などがシステマチィックに進められている事など,あまり世界に知られていないだろう。でも,こういう人たちがどこにでもいるのだ。
フィラデルフィアのクエーカー教徒は、戦争に静かにプロテストして、戦地に赴かず、収容所に入れられた日本人開放に懸命に尽くした。
もうすぐ911だけど、イスラムの方達を保護して暖かく迎えるイベントだってあるのだ。
美しい話はたくさんある。
でも,している人は話さない。
当たり前の事をしてるだけだからって。
悲惨なニューズのかわりにこのような美しい話をニューズとして流したら,世界がどれだけ変わっていく事だろう。
これこそがスピリチュアルの神髄だと私は思うのだけれど。
自由と開放・・・
世の中には理不尽な事がいっぱいある。
それに対してプロテストする事はもちろん大切な事だ。
でも、反抗したり反発したりするのは、自由ではなくてその事にすごくとらわれている状態だ。
冷たいように感じられるかもしれないが、自由であると言う事は、それにコントロールされずコントロールもしようとしないことを言う。
インデペンデントというのは、そういうこと。
影響を受けないと言う事だ。
そんなのカンケーネーって言うのに通じるけど、あのカンケーネーは、気になってしようがないのを、気にしないからね!いいでしょ?って宣言してるように思える。反抗期の若者みたいで可愛い。
コントロールされる事もする事もない、つまり他者を変えようとしないで、しかも従ったりしないで、淡々と光だけを放っていくこと、これが自由だと思う。
どこまでも軽やかで、こだわりがなく流れていく、漂っていく。
コアだけにつながっていて、雑多な諸々からは距離を置いて眺めている。
こういう状態の時に初めて、すべてが輝き始める。
衝動/欲求/情熱といった様々なエネルギーが、その時光となって降り注ぐ。
どこまでも透明で軽やかだ。
これこそが真の自由であり開放である。
戦いは必要ない。
力と緊張を手放すだけでいいのだ。
そのとき、悪に脅かされる事もない。
しっかりとコアにつながっているとき、アクからも完全に自由だ。
そのとき、モラルハラスメントもいじめも存在しなくなる。
シャドーにおおわれない、影響されない事。
つまり、気にしたり悲しんだり傷ついたりすることもない。
これが完全な自由と開放だ。
戦う必要はない。
他者とも自分自身とも。
ただ、ただ、愛の中心につながるだけでいい。
他のすべては、手放すだけでいいのだ。
どんなに小さな光でも、陰をどこまでも照らしていくのだから。
さあ、思い出して。
自分が光だってことを。
戦う必要はない。
そのままで、輝くだけでいいのだから。
マインドフルネスが,ストレス軽減に効果があるという論文がある。
しかし、薬物依存には関係ないらしい。
スピリチュアリティが高い人は酒、タバコ、ドラッグ,やけ食いはあまり見られないのに対し,マインドフルネスだからといって、減ると言う事はなかったらしい。
アメリカ人大学生対象の調査だから,日本人はまた違うだろう。
スピリチュアルには、大雑把に言って二種類あるような気がする。
禁欲的な菜食/早起き/勤勉/フィットネス系,つまり健康的模範的適応的なのと(プレッピー系っていかが?)
享楽的でドラッグ/セックス/トリップ大好き。自由人というか、でも、不健康非社会的日陰的といえるかもしれないタイプ(ヒッピー系よね)。
どっちにも学ぶとこはあるんだろうけどね。
極端はやっぱり不健康だわ。
私はプレッピー系だから、たまにはヒッピーやってみようかな。
日本人とアメリカ人の間で両方のスピリチュアリティを見ていて、どうもおばあちゃんと男の子と言う感じがしてきた。
つまり、両国がジェンダーと年齢的な特徴をあらわしているんだ。
日本人はスピに限らず女性的な母系社会だと知られているし、歴史が長くちょっと老人ぽく慎重だし平和主義だし。男の子までエステしてなよっとしてるし。笑
アメリカはまだまだ元気いっぱいで可能性を探して冒険にでかけたい男の子で、体力もいっぱいで、発想が若いのよねえ。
失敗した?次いこうかあ。
悲惨な事?いやあ笑っちゃうなあ。
困難?楽しんじゃえ〜.おかげで筋肉がついてきたぞ!すごいかっこいいだろ!
そういうのりなんで。
思い切りがよく、くよくよしないんで。
どんどん冒険の旅にでる。
おばあちゃんは老婆心でおろろおろろ。
いたずら好きの男の子はいろんなことをやらかすからなあ。
単純で自分が一番だと思ってるし。
でも,すなおで憎めないのよね。
ま,色々なタイプがあるから楽しいんで。
おばあちゃんに無理矢理スケボーさせても,転んだら大変だし。
遊びたい盛りの子にじっと座ってろと言うのも無理な話で。
スピリチュアリティの統合って,それぞれの特徴を自分にないものだと楽しんで鑑賞する事、学ぶ事にあるんじゃないかしら。
同じようにはなりっこないんだから。
何がって・・・
「正しい事は一つではない」ことがです。
トランスパーソナル心理学のケン・ウイルバーはそれをインテグラル理論でまとめてますけど、まさに,見方によって切り口によって,すべての理論は正しく有用なんですよね。
究極には、量子って粒でもあり波でもある、どっちも正しいんだから。
粒なんだ,いや,波なんだって、争う必要は全くないわけです。
どっちも正しいんですから。
こういう単純なことが本当に分かったら、戦争なんてなくなると思うんですが。
あああ,早くなんとかしてよって感じ。
そのためにはきっと,みんなが気持ち良くならないといけませんね。
この国,ヤバいと思います。
生きる事をあまり楽しんでないって感じがして。
日本語でイク、と言うのを英語では来るcomeという。
comeというのは、家に帰るみたいな,自分が元々所属しているとかんがえられるような大切な場所に移動するという事を意味している。
だからか、なるほど。
死に向かう時、comingというのだ。
そう、あなたのもとにもどるわけなのだ。
あらためて、生/聖/性の一致に気づかされる。
スピリチュアリティとセクシュアリティは、仁さんとかトニのテーマみたいだけど、私は今まで気恥ずかしさと誤解を生む可能性があってあまり語らないできた。
しかし機がだいぶ熟してきたようだ。
ええっと・・・
ここって18禁じゃないですよね?
気をつけて語る事にします。笑
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