尾崎真奈美の天使語同時通訳します

2009年01月

運動の効用と高揚

スピリチュアリティに関心のある人の一番大きな欠点は、たぶんあまり身体運動をしないってことではないだろうか?

身体運動が脳の機能を向上させることに関するデータはたくさん蓄積されている。
ストレス軽減作用やランナーズハイと呼ばれるような高揚についてもよく知られている事実だ。
つまり脳だって身体の一部だってことの証拠である。

辛い運動を我慢して必死でやるのではなく、楽しく笑いながらやったらどれだけ免疫が向上するか計り知れない。そういう意味では、エアロビクスのクラスなんか最高だ。インストラクターにもよるけど、たいていが、はじけるようなあふれるような笑顔に満ちている。
のってたら笑顔で続けたらいいし、戸惑っても間違っても、あはははとますます笑っていたらいいのだ。苦しくなる前にやめたらいいのだ。

苦しいのが好きだっていう人もいるけれど、無理したら故障するし、弊害がでてくる。
身体は必ず警告を発する。
根性で何とかしようとするのは、物理的原則の無視でスピリットに対する過信だ。

心・体・魂は分離できないものなのだから、心も体も大切に扱うときにこそ、魂が喜び、スピリットも高揚するのだ。
ちょっとしたスパイスは確かに必要だけど。
多すぎたら苦くまずくなる、ダウンしたり病気になったり。
スパイスがないとまた食べられなかったりもする、退屈して覇気がなくなったり。
そのとき必要な一番おいしいものは身体が知っている。

2時間のランニングが必要な人もいれば、5分のウォーキングがいい人もいる。
身体にききながらやっていこう。
ちょうどいいかどうかの目安は、意味もなくたまらなく嬉しくなって、世界中に笑いかけたくなってくるかどうかだ。
ベータエンドルフィンやドーパミン・セロトニンなどの自然の抗欝剤というか、脳内麻薬と呼ばれるほどの快感物質が放出されるからだ。

運動に病みつきになっている人は、この快感が忘れられないからやってるのかもしれない。

自然は本当にうまくできている。
その法則にただ単純に従うだけで、本質的な健康と幸せが得られる。
高い道具も特別なメニューもあれこれ考える必要も何もない。

太陽とともに目覚める。
最高の芸術作品の鑑賞から一日のスタートだ。
ただただ、いまここにいること、与えられているものを喜んで感謝してるだけでいいのだ。
なんと言う単純。

空っぽになる

マザーテレサの言葉より

「私たちがどれだけ空っぽになるかということがたいせつなのです。」

「あなた方の持つものが少なければ少ないほど、あなた方は、持っている以上に与えることができ、あなた方が多くを持てば持つほど、与えることが少なくなるのです」

これは逆説的に聞こえるけれど、確かな真実である。
彼女は最低の極貧の人たちと清貧を守っていて、その態度は時にかたくなに思われるほどに見えた。
お金があったらもっと大きなことができる、もっと多くの人を救えると思う人は多い。
しかし彼女は大きな事業やたくさんの人の救済を志向しなかった。

ただ、今、目の前にいる弱った人に対して、柔らかな笑顔と暖かい眼差し、そしてゆっくりとした深いタッチで世話をした。

空っぽになるからこそできる、愛の実践だ。
与えるものもお金もないときに、もっともたいせつな魂からの愛を与えることしかできなくなる。
必然的にそちらの方向に向かうのだ。
お金やモノがあると、誰に何をどのくらいいつ供給すべきかと心が騒がしくなる。
もちろん、国家や企業レベルで大きな事業を成すことはすばらしいことだ。
でも、マザーの教えの中には見失ってしまいがちになるたいせつな真実が秘められている。

彼女は教えようとか啓蒙活動をするのでもなかった。
ただただ、目の前にいる人に暖かい手を差し伸べて親切にしていただけだ。

その彼女の単純な行為は世界中に広まり世界中の人々の心を捉えた。

真実の姿は魂を捉える。

マザーとその活動を共にする人々、支えている人々、そしてまったく知られないうちに同じような活動をしているに違いない、空っぽの小さな貧しい人たち、その愛にふれて感動する人たち、喜びながら死に向かっていく人たち、そしてこれを思い出させてくれた石川勇一先生にも感謝したい。

スピリチュアルな態度

人生にはわからないことがたくさんある。

わからないことがあると、わかりたいと思う。
メカニズムがはっきりわかったらもっとうまく対処できるのにと思う。

でも、実際には、わかってもどうすることもできないことだってたくさんある。
どうすることもできないことがわかって、かえってがっかりしてしまうこともある。

成せばなるとか、がんばったら大丈夫だ、というのは、外界の状況が変化するというよりむしろ内的な認知が変化することによって、対処がうまくなることをさすのだ。
内的な態度が変わることで外界も変化していくことは、結果としてはよくある。
しかし変化しないことだってある。

自分の努力ですべてコントロールしようとするのではなく、謙虚に、あるがままをじっと受け入れいつくしむ。
だからといって努力しないのではなく、最大限成すべき事を成すからこそ、そのような境地に平安で至ることができるのだ。

私は、このような態度をスピリチュアルと呼ぶ。

ヒーリングの客観的評価

ここで言うヒーリングとは、世間で癒し系といわれる音楽、芸術、セラピーなどをさす。

私自身、声が癒し系だとか言われ続けているけれど、ヒーリング系といわれるものの大半は実はあまり好きではなかった。個人的感性かもしれないけれど、バッハとかモーツアルトとかの方がずっと魂に効く。そういう印象を持ちながら、アルファー波が判断力を失わせてマインドコントロールを容易にしていく傾向の危険性を訴える程度しか今までしてこなかった。

実は集団人体実験を行ってみて、その実感を自分だけのことではないと確信した。
音楽には好き嫌いがあって、ミュージックセラピーも音楽の選択や聞かせ方にはいろいろと理論がある。面白いことに、植物や動物に聞かせて成長を比較すると、クラシック系のゆったりした音楽は成長がよく、ハードロック系では成長が阻止されるという結果がいくつか報告されている。
これには観察者や実験者・報告者の価値観が反映されているから鵜呑みにはできないとしても、一理あると思わざるを得ない。
ヒーリングミュージックを聴いて、アルファー波が増したという報告はあるけれど、それで元気になったとか自己実現が進んだとか幸福感が増したとか言う心理学的報告はみたことがない。もちろん、宣伝媒体には広告のための視聴者の言葉なんかは出ているけれど、客観的評価ではない。

正直言うと、私自身は気分が悪くなることが多いのだ。

先入観を廃して授業に導入してみようと思い、良質だと思われるものを60人くらいに聞かせてみた。
客観的評価をさせたら、気分がよくなったと言う人と悪くなったという人がほぼ半数だったのには驚いた。ま、半分は眠くなっただったのだけれど。元気が出たという人はいなかった。

これをどのように評価するかは立場によってさまざまだろうけれど、いわゆるヒーリング、スピリチュアルヒーリングに関しては、客観的評価を寄せ付けないところがある。

「理屈はわからないけど、効いたらいいんです。」という立場は説得力が有りそうだけどある意味恐ろしい。信仰、思い込み、ひいては悪い意味での宗教になりかねないからだ。

わが国のヒーリング業界を見ていると、商業主義とともにこのような非合理性を許す風潮が見え隠れしている。玉石混交とはこういうことだ。

ヒーリングの客観的科学的評価は確かにさまざまな困難を伴うけれど、それは別に科学主義一辺倒の頭がかたい人を納得させるための手段ではなく、本当に効果があるのかどうかを見極める、証拠のしっかりした対処を提供するという意味で、倫理的な医療従事者には欠かせないものである。

ヒーリングに携わるナイーブで良心的な人たちは、クリティカルな思考に慣れていない傾向が見られる。
スピリチュアルになればなるほど、高度に科学的・論理的・客観的・合理的思考を持ち合わせていなければ、足元をすくわれる。

私の場合は非常に主観的に吐き気がするなどの体調で気がつくことが多いけど、これを客観的指標で示していく必要があると痛感している。

日常と非日常のハザマで

どんなに非日常だと思うことでも、回数が多く毎日だったら、それは日常となる。
お祭りでも、戦争でも。

日常になってしまうと、感動がなくなる。
感謝や驚きというインパクトがなくなる。
失ってから初めてやっと気がつくのだ。

日常を非日常として、二度とこないたいせつな時間として神聖化 するには・・・
そのためには、今、この瞬間を生ききることだ。
平凡の中に埋め込まれている深みを携えて生きることだ。

そのとき、存在のすべてが、
きらめいて光を放っているのが、
暖かく微笑んでいるのが見えてくる。

加害者・被害者

加害者は責められる。
被害者は同情される。

でも、どちらも悲しく辛い悲惨な状況なのだ。
どちらかというと、加害者のほうが傷みは複雑で奥深かったりする。

加害者も被害者もない。
あるのはただ、人間の弱さと痛みだけだ。

そしてそれはすべて、私自身のものなのだ。

痛みからのメッセージ

誰でも痛みは嫌いだと思う。
きついときには、痛み止めを使って神経をまひさせる。
でも、まひさせてしまったら、大切なメッセージがわからなくなる。

立てないほど眠れないほどひどいときにはしぶしぶというか、すがりつくように痛み止めを取るけれど、そうでないときは、痛みを多少我慢して味わってみることが多い。

女性が痛みに強いなんて誰が言ったのだろう。
私は非常に痛みに弱い。
痛いだけで、もう人生も終わり、世の終わり、みたいな気持ちになる。
一生続くならもう生きていたくないような気持ちになるけど、今のところ、必ず痛みは治まるから生きてこられている。

痛みは取り去りたいけど、そのメッセージをくんでおかないとまた痛みを繰り返す。
たいていの場合思い至るものだ。
あ、あの時無茶したからな。
きついのに酷使してしまったせいだとか。
無理をするのは根性があるというより、思慮が足りないといったほうがいい。
長い目で見たら損失のほうが大きいからだ。

それを痛みはわからせてくれる。
ごめんね。
わかってるつもりなのに、また無理してしまう。
もっと優しく取り扱ってあげよう、まず自分から。

迎春

迎春

初春のお喜びを申し上げます。

いつもつたないおしゃべりにお付き合いいただきまして感謝です。
本年も愛と光に満ち溢れた年でありますよう・・・

尾崎真奈美

プロフィール

尾崎真奈美尾崎真奈美

東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。ペンシルバニア大学医学部精神科、東京大学医学部公衆衛生学研究室などを経て、現在相模女子大学人間心理学科准教授、米国サーチインスティチュート、スピリチュアリティ発達センター客員研究員。
インテグラル心理学・スピリチュアリティ論・芸術療法などを教えながら研究、ダンス、執筆活動を続け、科学と芸術の統合を試みる。
天使語同時通訳は日々のインスピレーションの書き散らしである。
日本トランスパーソナル学会理事。日本心身医学会、日本トランスパーソナル心理学・精神医学会、国際生命情報科学会、国際ポジティブ心理学会会員。

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