尾崎真奈美の天使語同時通訳します

2009年02月

旅としての人生

旅に出ると、日常から切り離された意識が広がる。
新しい場所や出会いの連続という非日常の中でミニチュア人生を経験する。

笑いや涙や感動をともにしながら、深いところで経験をともにしてきた仲間とも、旅が終わったら、たいていの場合、二度と会うこともない。
授業で教えている学生達もそうだ。
限られた時間の中での深い体験は生涯忘れることはないけど、今後たぶん二度と会わないことを考えるとふしぎな感覚になる。

そういうことを考えると、別れと新しい旅立ちの季節は、切なくとどまっていたい気持ちになってしまうことが多い。
寂しさ感慨と期待と・・・
とどめておきたい時間は容赦なく過ぎ去っていき、次の旅に押し出されていく。
二度と同じ時間はやってこないし、私自身も二度と同じ自分ではなくなる。

刻み込まれた思い出を深く焼き付けて、さあ次の旅に出発しよう。

内面主義強調の問題

スピリチュアリティに関心がある人はたぶん、自己の内面における成長に深い関心のある方だろう。
個性を大切に!とか、多様な価値観の尊重!などという主張に共感する人たちが多いと思う。

これ自体決して悪くない。
ただ、こればかり強調すると、自我肥大を起こす可能性がある。
集団主義に抑圧された過去に対する反動で、心理主義やスピリチュアルブームが注目された(私の中ではすでに過去になってます。笑)けど、行き過ぎのわなも同時に叫ばれている。

個性の尊重、自分らしく生きることが大切にされる中で、社会適応ができない個人が大量生産されている。
内的に平安であったらよいと、世知辛い社会を避けて社会生活から撤退する人たちもいる。
社会規範を逸脱しながら、それを個人の自由とみなして謳歌する人たちもいる。
何が問題なのだろう?

バランスが悪いのだ。
どんなによいと思われることでも、行き過ぎは弊害を招く。
昨今のスピリチュアリティブームに関連して私はあえてアンチ・スピリチュアリティを叫びたい気分だ。
正確に言えばアンチではなくインテグラルなんだけれど。

アンチ科学ではなく科学との統合。
アンチ共同体ではなく社会との折り合い。
アンチ肉体的欲求ではなく含んでこえていくこと。

それぞれがすべて必要な役割を持ち尊重されてこそ、個人のまた社会の発達がある。
心理学者は内面主義におちいりがちである。
自分自身に誠実であることと同時に、社会的正義にもセンシティブになるべきであろう。
バランスよく開花するときに、最高にうつくしい花が咲く。

自戒を込めて・・・

一番辛いこと

辛いことっていろいろあると思う。
人それぞれだとも思う。
だけど、生きていて一番辛いことって、なんだろうか。

愛する人との別れ?
確かに辛いな・・・
誤解されたままでいること?
うん、それもきつい。

でも、深いところまで行ってみたら、自分が自分自身でないこと。
自分らしく生きていないこと。
これは魂を破壊していく。

表面的にいくら順調に見えようとも、魂の虐待によって息絶え絶えになっている存在が、訴える場もなく存在しているのを垣間見ることがある。

目に見えるところなら手当てができる。
薬の処方もできる。
しかし、手の届かないところ、見えないところで傷を負っている存在に何ができると言うのだろうか。

祈りしかない。
何もできないのは辛い。
でも、この体験を感謝していくことはできる。

ありがとう。

中間存在と霊的トレーニングのわな

私は、見えないものが見えると言う類の話にはノーコメントを通してきているつもりだ。否定しているわけではない。ただ、非常に危険だと思うから近寄らないようにしているだけの話だ。

見えない存在(中間存在と呼ぼう)にはさまざまな存在があり、すべてが神や仏ではない。むしろ、そうでないものがごちゃごちゃいたりするみたいだ。それにもかかわらず、神秘的様相を示しているからか、何かしら声が聞こえるとか見えるとかいうと、吟味しないまま、聖なるお告げのように捕らえる人が多すぎる。

だから危ないのだ。
極端な例で言うと、真に受けると自分も他人も傷つけてしまうような、いわゆるアクレイと呼ばれるような存在だってうようよしてるのだ。しかもやつらは強力で賢いときてるから、禅でいう魔境だっけ?修行を積んだ高僧でさえ惑わされることがあるのだ。

人間はそこまで弱い存在である。
そして、だからこそ、何かを絶対化・神格化したい衝動が常につきまとっているようだ。

人間を神格化するととんでもない幻想にとらわれて間違いを犯してしまうという可能性は歴史を見ればよい。中間存在の場合にはもっと強烈だ。もちろん最高の善なる存在と一体化した崇高さも観察されることがある。しかし、そうでない場合のほうが圧倒的に多い。

私がスピリチュアリズムが好きでない理由はそこにある。
不完全な人間には、最高善は捉えられないはずだしそれは永遠の課題であって、さとりなんていうのはどうもうさんくさいというか。
どのような聖者であっても、人間は人間だ。かわいい存在なのだ。

それを忘れてはいけない。
不完全なものが完全を捕らえられるわけがない。完全さの記述ができるわけがない。記述したとたんに完全でなくなるのだ。
それを完全だと言うのは、ものすごくあやしいってこと。

それに近い体験をしたら感動して最高だと言うけど、あくまで未熟な自分の体験だ。
自分と言う受信機を使って達成できたと言う意味での最高だ。
修行すると言うのはその感度を増すための精進なんだろうと思う。
たまたま遺伝的素質に恵まれている人ははじめから感度がいいに違いないけど、訓練をしたら研ぎ澄まされてくるのは当然だし、どんなに鈍い人でも、それなりに発達するはずだ。

訓練やトレーニングと言うのは、スプーンを曲げる練習とかヒーリングテクニックのトレーニングではない。それらは中間存在なら誰にだってできる訳ないことだ。
最高善に対する感度を磨くには、お掃除するとか笑顔で感謝していると言うような、地道な愛の実践しかないってことに気がつかないだろうか。その感度が増したら、見えてくるし能力が増すのは自然な道筋だ。だけど、その超自然的な能力を目的としているとこにはエゴイスティックで美しくないものが漂っていることが多く近寄りたくなくなる。

問題は、いいものとごちゃごちゃになっていること。でも、そういう様相を見ると、「私はスピリチュアルじゃない!」って言いたくなるし、近寄りたくないし、そういう話もしたくなくなる。
種明かしすると、単純な話、体調が悪くなるだけの話。

そういう自分だって不完全だし、不完全な自分がこういうことをえらそうに書くことも、めっちゃ傲慢で我ながら吐き気がしてくるなあ。

うっ
少し潔癖すぎるかも。

科学という神話

神話はファンタジーであって、科学的に証明される真実ではないけれど、心を理解するには重要な物語だ、という認識がある。

しかし、科学といわれているものも、厳密に言うと、いまここで一番都合よく説明できる仮説というストーリーであって、多くの人が賛同している物語・神話だと言い換えることもできはしないか。

たとえば、牛乳で骨粗しょう症が改善できるといった、一見科学的な言説は、疫学データから覆されているにもかかわらず一般にはまだ浸透しているようだ。肉を食べないと力が出ないという神話もあれば、日本人は米の飯を食わないと戦には勝てないとかいう神話もある。
ちょっとトレンド風な神話でいうと、マクロビのような菜食はスピリチュアルな精神をもたらすとか若返るとかいうのもある。

統計学的に言うと確からしいといえるデータがあるのかもしれない。しかし多くの場合、あまりにも媒介変数が多く、生きた人間をコントロールできないために、何が要因で若返っているのかなんて特定できない。プラシーボ効果っていうもの(信じたらそうなる)が大きいし、研究者の思い込みと信念が事実を動かす(これも神話だが)という要因もある。

科学的に証明されたというのは、厳密に言うと、確率的におきやすいということであって、常にそうであるということではない。個人差もあれば状況による特別な例外だってありえる。

科学が神話になってしまうのは、データをそのまま鵜呑みにしてクリティカルな思考が失われたときである。これは何も一般人だけではない。科学者であってもやはり信じるものはあるし期待もある。
それは人間として当然だ。

しかし、科学者が、それをあたかも真実のように記述するというのは、たとえ無意識的なことで美しい動機からであっても、私は罪だと思う。

科学者は、科学的事実や理論はすべて仮説であるということを嫌というほど知っているはずだ。そしてそれは、科学の進歩と新しい発見によって覆される運命にあることをも知っているはずだ。

科学者の端くれとしての私は、自分の駄文を読み返しては戦慄を覚える今日この頃である。

(なんちゃって・・・という別のモードもあるし、あっていいと思いますが)

原点に戻る

何か不都合が生じてしまったときに軌道修正をしようとしてもなかなかうまくいかないことがある。
早めの対処やちょっとしたことだったら、休むという単純なことで改善されることも多い。
あれこれ手を尽くすより、流れを見て時が解決するのを待つというのもいい手だと思う。
場合によっては逃げるが勝ちと言う事もある。
消極的に、かかわらないようにするという手もある。

いろいろやってもらちが開かないときには、原点に戻ったらいい。
リセットだ。
ゼロに戻すのだ。
人生のリセットって、自分が今まで築き上げてきたすべてのものを放棄することを意味する。
長年の努力によって手に入れてきた社会的地位、財産、コネクションはもちろんのこと、業績、仕事だけでなく、家族、プライベートな信頼関係、自信、健康まであらゆるものを放棄するのだ。
そして一からやり直す。

放棄するというのは破壊することではない。
とらわれないというだけの話だ。
とらわれなくなったとき、真の平安が訪れる。

年収はこのくらいないとやっていけないとか、高校は卒業しないといけないとか、パートナーがいないとだめだとか、病気でできることなんか何もないとか、とらわれていると苦しい。

とらわないということは無気力になることを意味しない。
何かにとらわれて、それができないとき何もする気がなくなる。
無気力な人というのは、内心の「こうあるべき」に縛られていて達成できない人だと思う。

とらわれないというのは、最も大切なことにだけフォーカスするということを意味する。
それは
生きるということ、愛するということ。
つまりこの瞬間をいとおしみ楽しんで満喫していくということ。

生まれてきたときがひとつの原点だ。
私たちは、肩書きも財産も何も持ってなかった。
裸だった。
そのか弱い存在を支える基盤に対する信頼を取り戻すのだ。
それが原点に戻るということであり、すべてを放棄することである。

言葉を変えれば、一番大切なもののみを見つめて、ほかにとらわれないということである。

それぞれのペースでそれぞれのゴール

実は私は今年になってから何を思い立ったのか、いきなりトライアスロン目指してトレーニングを始めました。といっても、走ったはこともバイクも乗ったことがないし、趣味で少し泳ぐ程度で、周囲はみな、私が運動してるとこなんか想像できないといいます。
誰も信じないことをやってみるという挑戦は結構面白かったりします。

でまたいきなりですが、誘われるまま、レースって何か知らないで先週末、近場で行われたデュアスロンに出場しました。

もう絶対二度とやらない!と思いました。けれど、同時に、またやってやる!と思いました。
ちょっと長いですが、その苦し楽しの体験をシェアーしますね。

私はもちろんビギナーコースなのですが、それにしても、レースというものに出たこともなければ見たこともなく、なんか場違いなバレエのスカートつきレオタードにレッグウオーマーで、どきどきしながら会場入りしたのでした。

結果は、ビギナー女子14位!
て言うとすごそうですが、要するにビリ。
何がビギナーですか!!
パーソナルトレーナーつきでフルマラソンとか出てるような人たちまでいるんですよ!体つきもいでたちも顔つきも違います。
いや~ん、なにこれ・・・お遊びお祭りじゃないのね・・・もう・・・どうしましょって感じ。
しかし、完走したんです!!
私は、もうこれだけが目標ですから、大満足。

スタートして1分以内に、みんなの姿がはるか遠くへ行ってしまったときには、屈辱感と寂しさで、こんなレース出るんじゃなかった(1回目)と思いました。でも、はじめたからには終わりまで何とか行くぞ!って、マイペースで淡々と走りました。
はじめにランで2周してからバイクです。私はコースガイドをよく見てなかったためか、もうこれ以上走りたくないと思ったからなのか、一周でトランジットに入ってしまい、もう一周するんですよ!っていわれて、ええええええええ、もうやめる!と思いました(2回目)。これ以上走れない気がしたんです。みんなよりすごく遅いけど、あとで記録を見たら自分のいつもより全然早い速度でした。

しかし何とかバイクまでたどり着いたら少しは挽回できるときを取り直し、二周目いきました。
トランジットにぽつんと取り残された私のバイクがさびしそうに待ってました。
そう、あたりにはもう誰もいないんですよ。横のほうでは次のレースのスタートがどんどん始まってる様子です。
しかし、3日前にゲットしたばかりのバイクで快調に走りました。
しかしものすごい風とほこりで、太陽もまぶしく(サングラス絶対いりますね)目が痛く咳が止まらずほんと苦しかったんです。
特に上り坂はギヤの使い方がわからず一番重いまま上ってほとんど止まりそうでした。
でも、くだりのときはかせいでおかないと・・・と思って結構かなりスピードを出しました。私としては全速力で30キロは越えてたと思いますが、その脇を信じられないスピードでがんがん飛ばしていく人たちがいました。ついていくのは無理でした。
ああしかし、TV見ながらこいでたジムのエアロバイクとは違って負荷があるんですねえ・・・

ここでまた失敗。二周しないといけないのに、トランジットとにはいってしまったんです。係りの人もいけないと思うのよね。こっちだって言うんだもん。こんなに遅い人がいると思わなかったんでしょう。ったく。。。
で、またまた時間を食っちゃいました。もう、いや!(3回目)
やっとバイク終わったと思ったら、まだって言うのは、精神的にがっくりきます。しかし、気を取り直し、できるとこまでやってみよう・・・と思いました。もう、モモはパンパンで、息も絶え絶えです。もういや!とやけになってバイクを飛ばしました。

何でこんなきついことやってんだ・・・きついことしないっていうのが私のモットーだったじゃん。やめようか、でも、やるといったからには最後までやるよ、歩いてもいいから最後までやる!

という思いで、バイクからセカンドランに入りました。トランジットのときや水を飲みながら走るなんて芸当はできません。ふう~と一休み。
スポーツドリンクを2杯いただいてすぐ走ろうとしたらむせちゃいました。ゆっくりいこう!
とへらへら走ってたら、「もうやだ~はしらない~やめる~~~」って誰かが泣いてます。前に7歳くらいのちっちゃな女の子が泣きながら歩いてました。キッズ部門の子みたいです。あまりの健気さに、思わず駆け寄り、「よくやってるね・・・はしらなくていいよ、歩いていこうよ、だいじょうぶだうじょうぶ、えらいね・・・いっしょにいこうか?」思わず抱きしめちゃいました。いいこいいこして少し手をつないで歩いてたら、スタッフがきました。そのこに「おネーさんと行こうか?」私に「どうぞレースをお続けください」
もっと歩きたかったんだけど、促されてしぶしぶ走り始めました。
(あとでわかったんですが、正式には助けられたらその場でリタイヤなのだそうで。レースって非人間的ね・・・)

最終ランナーだから?見るからに弱そうだし?見知らぬ人たちがみんなが応援してくれるんですよ。「がんばれ~」「マイペースでいこう!」「ゴール見えてるよ!」
は~いありがとう!

ゴールが見えました。選手は誰もみえません。
きれいなテープがはってありました。最後の直線コースの100メートルはきれいに走りたいと思いました。実は、その前の10メートルくらい、木陰で人から見えないとこでは、ラストスパートに備えて歩きました。
そしてフィニッシュ!
手を上げてピースピース!!でニコニコとテープを切りました。
カメラマンが待ち構えていて、バババババって写真を撮ってるのが見えました。
やった!!やった!!いえーい!!

ずいぶん先についてた友人達に迎えられ、「楽しかったでしょ?」と言われて、「えええええんきつかったよ~~~」って、涙が出てきました。
でもそれは、きつかったからというより、完走できる体と精神と環境とすべてが与えられていることに心から感謝したからなんです。

本当に、ありがとうの気持ちで胸がいっぱいになりました。

そしてひとつ発見しました。
今までいやだとか苦しいと思ったらすぐにやめるのが私でした。
でも、私はやめなかったんです。でも、そしたらできるんですね。
もう二度とやりたくないと思ったほどきつかったんですけど、でも、できるんですね!これを発見しました。自分の限界を自分で決めてはいけないと思いました。もちろん慎重にすべきだけど、人間って。、すごい可能性を秘めてるんだな~と思いました。

「それぞれのペースでそれぞれのゴール」
という言葉にじーーーんとしました。

すばらしいレッスンでした。
すべてに感謝です。
苦痛は喜びの子どもです。
トライアスロン、癖になりそうです。

苦悩という錯覚

人類は、世界は、宇宙は、常に成長し、進化し、発展し続けている。
この仮説の証明はほかの機会に譲るとして、この仮説を支持したら幸せになるということだけを説明したい。

成長痛とか筋肉痛でおわかりのように成長には痛みが伴うことがある。
痛みや苦痛はそこに集中してしまったら耐え難いのだけれど、成長に必要なプロセスであることがわかると楽しみにさえなってくる。

成長や進化は新しい未知の経験を広げていくことだから、それをわくわく興奮して受け止めるか不安になるかは捉え方次第である。輝かしい成長というゴールが見えていたら興奮に満ちた楽しいものに見えてくるに違いない。

目の前の世界があまりにも過酷な場合、進化ではなく退化ではないかと錯覚してしまいそうになる。
苦悩はその重圧を感じるためのものではなく、そこから生まれてくる強烈な快楽へのプロセス戯れ、錯覚に過ぎない。

スピリチュアルとは、苦悩が錯覚に過ぎないという認識の下で、今この瞬間をどれだけ楽しんでいるかで測られる。

道徳的美しさが愛をはぐくむ

ポジティブ心理学の最新ニューズレターに、elavation(なんて訳したらいいのかわからない)の話が載っていた。これは、他者の道徳的行動に接して感じる情緒的反応であり、非常に優しい気持ちになるのだそうだ。
そしてこれにはオキシトシンというホルモンが関連していて、なんと授乳中のおっぱいの出に関係しているらしい。実験では、他者の感動的な話を聞かせたり映画を見せたりすると、母親は赤ちゃんを抱きしめたりおっぱいがあふれ出てきてしまうという。
つまり、他者の道徳的美しさが、愛をはぐくむとでもいえる話なのだ。

フィクションよりも実話のほうが効果があり、ただのストーリー聞かせより臨場感のある話のほうが効果がある。
この反応を引き起こすのに有効な年齢は高校生から大学生の間だという。年をとったら感動しにくくなるらしい。

だとしたら、授業中に余談として毎回美しい感動的な話をひとつするのもいいなと思った。もっといいのは、自分自身が道徳的に美しい行動をすることに違いない、それがまさに生きた教材なのだから。
うん、そうだ。
今日も何ができるのか、小さな親切を見つけてみよう。

嘆きのストーリーだって、手を差し伸べることでうつくしい人間的なストーリーになる。
今すぐ自分でそのストーリー作れるはず!

たとえば、ご無沙汰している古い友人や親にどう?
今朝、ロードバイク初乗りで信号待ちしててこけた私に、車の人が窓を開けて大丈夫ですか?って声をかけてくれた。そして、信号が変わって走り出す前に確認してゆっくり伴走、護走してくださった。
うれしかった!
こういうことは、毎日いっぱいある!!

何したらいいかわからない人はこのサイトをどうぞ。
どんな人だって、時には助けを必要とする。
この写真最高にキュート!
http://www.randomactsofkindness.org/

統合理論?

すべての理論は部分的真実を物語っている。
だからどのような理論も間違いであるとはいえないし、すべてを統一する完全な理論もないのだ。

これがウイルバーの主張するインテグラル思想だと思う。
すべての分野のすべてのレベルでのあり方を尊重していくという包括的で暖かい理論に接したときには、感動した。これをみなが理解したらいさかいなんかおこるわけがない!
本気でそう思った。

でも今、この統合理論のほころびをも感じてる自分がいる。
理解していないせいかもしれないけれど。
ほころびというより限界だけど。

実際、この理論によるとすべての理論や立場には限界と役割があるということである。そしてそれはこの主張をしている統合理論そのものにも当てはまる事実だと思う。
としたらこの統合理論の限界と役割を記述する必要があり、となるとそれらを統合しためた理論がまた生まれてくる可能性があり、そうなると、この超越理論は永遠に続くことになる。

一体、どう考えたらよいのだろう。
ま、今日のところはこのあたりでやめておこう。

人それぞれのあり方にはすごく意味があるんだよね。
みんな一生懸命なんだよね。

よい子神話

よい子が危ないという。
反抗するくらいの覇気があったほうがいいとか。

確かに自我の成熟がなくただただ外側の権威に従順であるというのは危うい。
しかし、見かけ上のよい子(模範的優等生)が悪いとか、反抗期がなかったから問題だとか、そういうことでは決してないはずだ。

心理学の理論は多数決に基づいてるから、多くの人に当てはまるというだけである。
正常の発達モデルを示しているのではない。
理想的環境で育てられてすくすくしたしっかりしたよい子を見る機会が少ないから信じる気にはなれないだろう。
だが、人間はもともと、条件さえ整っていたら激しい反抗などなくともスムーズに健やかに成長していくものだ。少ないけれど、そのような例は確かにあるのだ。

ゆがめてしまうのは、どちらかというと、平凡な大多数をモデルにして作り上げた心理学理論にしばられている親や教師のほうだ。
個人の成長を真摯に観察していたら、不完全で不健康な自分を越えた健やかな発達の可能性が見えてくる。
先入観とか思い込みが健康な人を不健康にしてしまっている。
どこかに、すばらしいものに対するやっかみがあって、引きずり下ろしたくなってしまうのかもしれない。
健康な彼らはたいていそのようなものにはびくともしないんだけれど、やはり長年の間には傷ついてくることもある。
環境を変えてやればびっくりするほど健やかになるのだ。

そのためには大人の側の偏見をのぞく必要がある。
これは長年のうちに身についたものだから意識的に努力しないと無理なようだ。
身についてしまったものを覆すのは、新しく教えることより何倍も難しい。

クリスタル・チルドレンを見ながらつくづくそう思う。
私の使命はたぶん、これを実証していくことなんだろうと思いつつ。

プロフィール

尾崎真奈美尾崎真奈美

東京大学大学院教育学研究科博士課程満期退学。ペンシルバニア大学医学部精神科、東京大学医学部公衆衛生学研究室などを経て、現在相模女子大学人間心理学科准教授、米国サーチインスティチュート、スピリチュアリティ発達センター客員研究員。
インテグラル心理学・スピリチュアリティ論・芸術療法などを教えながら研究、ダンス、執筆活動を続け、科学と芸術の統合を試みる。
天使語同時通訳は日々のインスピレーションの書き散らしである。
国際生命情報科学会、日本トランスパーソナル学会理事。日本心身医学会、日本トランスパーソナル心理学・精神医学会、国際ポジティブ心理学会会員。

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