
最近、科学的方法論や理科系的な発想・モデル化の切り捨ての美しさに魅了される。
科学になぜひかれるのか、それはすごく単純な理由。
美しいからだ。
理論やモデルの、透明感のある澄み切ったきらきらした整然とした美しさ。
これは言葉で表現できない。
かろうじて音楽や踊りになる。
私がなぜ学術研究をするのか。
緻密でも論理的でもなく、調べ物も大嫌いで人に説明するのもめんどくさい人が。
それはただ、真実の美しさに魅了されているにすぎない。
人助けになるとか、社会・人類に貢献したいからなんて言う理由はあとからついてきたことにすぎない。
ただ、美しいからだ。
それは甘美な快感であり、エクスタシーであり、何にもかえがたい喜びの源泉なのだ。
私にとって踊りと研究はそういう意味で同じだ。
面白いことに、理論やモデル構築をしていると、その美しさの感動が身体に広がってくる。
心が震え、涙が伝い、全身全霊でこの美しさを賛美したくなるのだ。
この究極の、深遠な静かな澄み切った世界をどう言葉で表現したらよいのかわからない。
言葉もなく、ただ、私はここにいる。
昨日授業でバイロンケイティのワークを行った。
そのプロセスの中で、自分が思い込んでること正しいと思っていることを完全にひっくり返してみるという作業がある。
たとえば・・・
彼のせいで私の人生はめちゃくちゃにされた。
→私のせいで彼の人生はめちゃくちゃにされた。・・・なばかな!
→彼のせいで私の人生はすばらしくなった。・・・・・は???
みたいな書き換えをしてみるのだ。
この時に問題になるのは、なにが正しいかではない。
客観的にどう判断されるかではない。
自分がそういう風に捕らえたときに、自分の気持ちがどう変わるかということだけが問題となる。
現実がどうであれそれは関係ないんだ。
そしてひっくり返してみたらいろいろなことに気がつくのだ。
確かにな・・・そういうこともあるのかな・・・
隠されていて気がつかなかったもうひとつの真実に気がついたときのショックは大きい。
そっと手紙をくれた学生がいた。
「大きな衝撃でした、涙が出ました。このことは私の人生を変えてしまいそうです。」
ありがとう。
私も同じです。
もしいろいろな思いで自分が苦しくなっていることがあったら、ひっくり返してみたらいい。
繰り返すけど、それが真実かどうかは問題ではない。
あなたが苦しみから解放されることだけが私の願い。
あなたの笑顔が私の喜び。
それだけなの。
私は何を言われても傷つかなくなってきました。
それは・・・
あなたの本当の気持ちがわかるからです。
あなたの本当の思いがわかるからです。
あなたの本当の姿が見えるからです。
あなたの本来の姿を知っているからです。
だから、抱きしめてありがとう!っていいたくなるのです。
もちろん悲しくなって泣くことはあります。
打ちひしがれた気分になって途方にくれてしまうこともあります。
心が鋭い痛みを感じることもあります。
でも、魂は全然傷つかないのです。
それはすべての本質がわかっているからです。
どんなに悲惨に見えようとも
どんなに救いがなさそうに見えようとも
本当はもうすでに救われているんだし
天国なんか待ち望まなくても、今ここにあるんだし
あなた自身がその光の根源なんだし
魂には喜びしかありません。
それ以外のものは表面的なものにすぎません。
だから気にならないのです。
人生は冒険だ、地図はないけれど・・・
シンドバットの冒険より
人生の荒波は、避けるよりもわくわく挑戦していくほうがずっと楽しい。
だって、どんなことをしても、ハッピーエンドだってわかりきっているからね。
そうなのよ。
いろんな冒険があったほうが物語としては大成功!だしね。
さて、明日はどんな冒険が待っているのかな?
楽しみにして今晩もお休みなさい。
Going Home, Going Home.
I am going home.
おうちにかえるよ。
おうちにかえりたい。
帰るんだもん!
何をイメージしますか?
遠くの我が家ですか?
田舎のお父さんお母さんですか?
旅をしたり戦ったりして疲れて帰るうちがあるという幸せ。
あなたのおうちはどこですか?
私のおうちはここにはありません。
Going Home というとき、西洋の人は死ぬことを意味するようです。
天に帰る。
来たとこに戻る。
生まれた場所に帰る。
一番安らかに落ち着くほっとする場所です。
すべての人の故郷です。
ドボルザークの有名な帰郷のメロディーを聴くと、私はつい口ずさむのです。
Going Home, Going Home, I am going Home.
故郷からいつもじっと静かに眺めている暖かい眼差し。
遠く離れた異国の地で、今日もがんばりました。
今晩も、故郷の夢を見ながら眠りにつくことにいたしましょう。
ホームシックもまた、切なく良いものです。
おやすみなさい。
園芸や畑つくりなどをしていると、これからの季節は元気よく育ってくるいろいろな草取りが大変になってくる。
どれが雑草でどれが植えた苗か知らないで間違って抜いてしまうこともある。
でも、どれもかわいい草花。
誰が雑草とかそうではないとか決めたんだろう?
日本の自然は、優しく、そのまま、あるがままが基本のようだ。
枯れるのも枯れるにまかせてそれを愛でるみたいな風流な精神がある。
山つつじが枯れていた。
水遣りが足りないのかな・・・誰がやっているんだろう・・・
と思わず考えてしまったんだけど、野山の水遣り。
すばらしい自然界が、山や空や川が養っているんですね。
きれいに刈り込んで計算して美しく配置された花で一杯のお庭も素敵だけど、
雑草の生い茂るままって言うのも、なんだかとても見事に自然の美しさを語っている。
新緑の山の美しさといったら、色とりどりの紅葉の季節にも勝るとも劣らない。
山と水と精霊の豊かな日本には、雑草なんてないはず。
みんな優しく共存してるだけだから、抜かないでね・・・
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